私と憲法116号(2011年1月1日号)


さぁ大分へ 「日本のいまが見える」
第14回「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」に参加しませんか。

藤井純子(第九条の会ヒロシマ)

年が明けて2月、大分で準備を進めてくださって「第14回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」が行われます。陸自日出生台演習場での米海兵隊実弾射撃訓練への抗議集会に参加し、「日本のいま」を見て行動するために、各地で「改憲を許さない!」と活動をされている皆さんと一緒に参加したいと思います。新防衛大綱が閣議決定されましたが、高田さんや様々な人々の働きかけ、そして私たちも声を届けることができ、「非核三原則は守りつつ…」と明記されました。しかし既に米艦船による核の持ち込みは明らかであり、装備の「国際共同開発、共同生産」が盛り込まれ、これこそが武器輸出の大幅緩和に道を開く突破口になりはしないかと心配です。また「潜水艦が22」に増え、「PKO参加の有様を検討する」とあり、「国際貢献」のために危険な派遣も予想され、呉に直接、関係することとして「ピースリンク広島・呉・岩国」は閣議決定の日にすぐさま抗議文を送りました。軍事化、派兵国家化は実質的な改憲であり、あの「安保反対」の声が50年たった今も明文改憲を阻む力になっているとすれば、いま、私たちがどれだけ声を上げていくか、力を合わせ、頑張れるか、問われているのではないでしょうか。

実は大分には大変、強い思いがあります。第九条の会ヒロシマが毎年取り組む「8・6新聞意見広告」は亡くなられた栗原貞子さんが「大分では長年、取り組まれていますよ」と紹介して下さって始まったからです。大分の元気な女性たちが代々受け継がれて30年、毎年、続けていらっしゃいます。原爆詩人として知られる栗原貞子さんですが、「ヒロシマという時」という大変重い詩を心に刻み、広島が二度と軍都、出撃基地になることがないよう、改憲ストップと共に、基地問題の取り組みも大切にしています。大分でも陸自日出生台演習場の有りように抗議を続けられているように、私たちも岩国の滑走路沖合移設、空母艦載機部隊の移駐、呉の海自艦船の派遣に声を上げてきました。岩国は空母艦載機部隊の移駐に伴い、騒音や愛宕山の米軍住宅化が進むことに対し、岩国や広島県西部の住民から声が強くなってきています。2006年、広島で行った「第9回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」は、ちょうど岩国の住民投票の時で、岩国へのフィールドワークにも参加してくださいました。日出生台では、来年の演習に向けて既に闘いが始まっているようです。陸自のある築城でも日米共同統合演習が行われ、毎月1回、必ず基地前で座り込みを続けられています。今回の大分集会には、是非とも多くの人に日出生台の実弾演習抗議集会にも参加して頂き、地元で闘う人々と共に、見て、考えて、行動していくために広島からも何人かで押しかけるつもりです。

広島での2010年は、山口県上関原発ストップで明けました。現地への応援、中電への申し入れ、本社前行動、「広島ネットワーク」設立と全力疾走でした。ヒロシマが掲げる「核廃絶」とは、原発ストップから始まると思いますし、何より地元の人々の人権問題です。上関町議選の応援に行き、若者の72時間ハンストのサポートもしました。10月、名古屋コップ10では「こんなこと初めて」という人から英字紙に意見広告を出そうと提案があり、走り出してはみたもののお金が集まるの?と不安でした。でも、ナンとアっという間に全国、世界に広がり、掲載出来ただけではなく、「ヒロシマ-カミノセキリンク世界同時行動」まで実現しました。若者も「祝(ほうり)の島」などの上映会や、コンサートを行い、確実に広がってきています。にもかかわらず中電は強引に進め、今秋、田ノ浦埋立現地に台船を何度も動かし、現地には日夜の監視活動を余儀なくさせています。白紙撤回をさせなくてはこの気の抜けないしんどい状態は続くのです。しかも1年前に中電が出した原子炉設置許可申請の審議は経産省によって進められています。2年くらいをかけ「慎重審議をした」として許可を出すらしく、原発が国策だということがよくわかり、何ともやりきれませんが、沖縄の宜野湾前市長の伊波さんが言われるようにメゲるわけにはいきません。

第九条の会ヒロシマの活動の中心である「8・6新聞意見広告」は、この「私と憲法」購読者の皆さんにも応援を頂いて続けていくつもりです。欲張りのようですが、9条にとどまらず、私たちの人権を確立させるためのそれぞれの想いをつないで、幅広いテーマを盛り込もうといつも考えて作ります。この3月、フランス在住で、核問題、パレスティナなどの問題に幅広く取り組まれているコリン・コバヤシさんの講演会を行えたことは、私たちにとって大変、有意義でした。生き方そのものから変えようと活動されているからです。5月の憲法リレートーク、広島県の9条の会や、核廃絶、原発ストップ、基地問題のネットワークが連携しつつ、相互に尊重しあっていければと思います。1月早々、「自然エネルギーの可能性」と題して広島ネットで講演会を行います。2月の全国的なネットワークである「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」は「改憲ストップ」のための1年の方針を決める大変重要なものと位置付けています。皆さんと大分でお会いできることを楽しみにしています。

このページのトップに戻る


5年目を迎える“とめようネット”

松岡幹雄(とめよう改憲!おおさかネットワーク事務局)

私たち“とめよう改憲!おおさかネットワーク”は、安倍政権のもとで加速した憲法改悪の動きに反対し、草の根の護憲運動を行ってきた市民団体や労働団体が結集し発足した護憲のための緩やかなネットワークです。毎年、春に総会、5月3日憲法集会、11月3日の憲法記念日には、「武力で平和はつくれない」をテーマに憲法のつどいを開催するなどの活動を行ってきています。今年の11月3日には、日本国際ボランティアセンターの谷山代表理事をお迎えし、約200人の市民が参加しました。

昨年、歴史的な政権交代が行われ、鳩山新政権は、普天間基地の県外・国外撤去、「憲法」については、「唯一の被爆国として、日本国憲法の『平和主義』をはじめ『国民主権』『基本的人権の尊重』の三原則の遵守を確認するとともに、憲法の保障する諸権利の実現を第一とし、国民の生活再建に全力を挙げる」としました。しかし、その後、鳩山政権は、普天間基地の撤去問題で迷走のあげく「普天間飛行場の返還にともなう代替施設を辺野古沖周辺に設置する」とし、県外・国外撤去という公約を投げ捨てました。そして、菅政権は、「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」報告や民主調査会報告をへて12月17日、「防衛計画の大綱」を閣議決定しました。「防衛計画の大綱」は、「基盤的防衛力」構想を転換し、「動的防衛力」という概念を打ち出しています。北沢防衛相は、談話で「防衛力の存在で相手を抑止するという静的な抑止ではなく、国家の意思や高い防衛能力を示す動的な抑止が重要」とこの聞き慣れない「動的防衛力」を語りました。つまり、中国やロシア、北朝鮮に対して敵対的な「意志」を示す活動を公然と行うというのです。その具体化の一つが、沖縄を中心とする南西諸島の増強です。与那国島に陸上自衛隊を配備し、潜水艦の増強、空自の戦闘機部隊の追加配備、早期警戒機の拠点など陸海空の大増強です。“目には目を、軍事には軍事を”という発想こそ憲法の「平和主義」と相容れないものです。いたずらに日中間の軍事的な緊張をエスカレートさせるばかりか沖縄本島の米軍基地の負担を固定化し、これまで軍事基地が存在しなかった宮古・八重山などの先島諸島まで軍事拠点にするなど沖縄県民に新たな軍事的負担をもたらすことになります。

12月3日から10日まで沖縄海域で実施された日米共同統合演習には、韓国軍が始めてオブザーバー参加しました。日米韓の軍事一体化は、集団的自衛権の行使に道を開く可能性があり憲法9条に抵触する危険な動きです。菅政権のもとで急速に進む憲法の「平和主義」の放棄に対して、有効なノーの声を広げることが必要です。軍事的対立と緊張の東北アジアではなく、「もう一つの東北アジアは可能だ」という具体的な平和構想力が今求められていると思います。

“とめようネット”は結成から今年5年目を迎えます。活動が定着した反面、若者たちへの広がりが弱いと思います。労働や環境問題では若者たち自身による新たな動きを見ることができますが、平和や憲法といった課題では必ずしもそうではありません。競争や自己責任に日々さらされている今の若者たちに平和や9条や憲法の大切さをどう伝えることができるのか、試行錯誤が続きます。しかし、私たちはこの現実を前にたじろぐわけにはいきません。今年も大いなる希望を胸にこういった課題に挑戦したいと思います。幸い“とめようネット”には失敗や逆境にもめげない懲りない面々がそろっていることは心強い限りです。まずは、全国交流集会をかわきりに2月19日第6回総会とC・ダグラス・ラミスさんを迎えての講演会の成功へ全力をあげます。

このページのトップに戻る


9条のしばりの突破をはかり、戦争への道を歩む新防衛大綱
民主党政権下で米国と財界の要求に添って制定

高田 健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)

(1)民主党政権下初の防衛大綱の策定

12月17日午前、菅内閣は安全保障会議と閣議を開き、新たな「防衛計画の大綱」と今後(5)年間の「中期防衛力整備計画」を決定した。これはそれ自体が問題のあるものとはいえ、歴代政府が従来とってきた安保防衛政策の大きな転換をはかるものであり、憲法第9条からみて断じて許されないものだ。この策定に際しては国会での議論も全くなく、事前にマスメディアもほとんど取り上げなかったことから、国民からみれば、事実上、密室の議論で策定された。

その要点は(1)米国の世界戦略の認識に追従し、東アジア地域に於いては中国や北朝鮮の動向が重大な不安定要因であるという情勢認識を前提とした。(2)日米同盟を深化・発展させ、アジア太平洋地域で日本と米・韓・豪などとの多国間協力を強化し、一層の脅威対応型の戦略強化をはかる。(3)三木内閣以来の9条に縛られた「基盤的防衛力構想」を否定し、新たに中国を仮想敵視した南西諸島防衛力強化など「動的防衛力」構想に転換し、「専守防衛」の枠を突破する。(4)PKO(5)原則の見直しを検討し、世界的範囲で米国と共に軍事行動する、などだ。

これは米ソの冷戦終結後、とりわけ9・11同時多発テロ事件以降の10年来、米国や財界、自民党の防衛族、外務省・防衛省官僚などが一貫して要求してきた政策と軌を一にするものだ。この結果、三木内閣による最初の防衛大綱の策定以来30数年にわたって定着してきた日本の安保・防衛政策(基盤的防衛力構想)の歴史的な転換が、自民党政権時代にはできなかったにもかかわらず、皮肉にも09年の政権交代後の民主党政権下で図られたことになる。

本年8月に発表された首相の私的諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・佐藤茂雄京阪電鉄CEO議長)の報告書が、この新防衛大綱の下敷きとなった。この報告書は一昨年の「政権交代」を好機と見て、政財界の一角に鬱積していた日米同盟強化と軍拡をめざす安保・防衛構想を一気に噴き出させた感があった。そのあまりの過激さに、社民党、共産党だけでなく民主党内リベラル派などからも批判が相次ぎ、武器輸出3原則の緩和への批判をはじめ、新防衛大綱の危険な動きに対して国会外の市民からもさまざまな批判の運動が起こった。

その結果、当初企てられていた「非核3原則の見直し」は報告書の発表の段階で早々に撤回され、「武器輸出3原則の見直し」、「自衛隊の海外派兵恒久法の制定」などの明記の動きも社民党などに配慮した政府与党執行部の判断で断念されるに到った。しかし、院内外が呼応した新安防懇報告批判の運動はこれらの「成果」によって一矢報いたものの、新防衛大綱では「報告書」が提言した上記(1)~(4)などの諸点はそのまま残され、事実上、従来からの「専守防衛」原則を放棄する中国仮想敵視路線を軸とした防衛政策の転換が確認され、撤回された諸問題もひきつづき検討していく余地が巧妙に残された。

この重大な転換を中心的に推進した勢力は、米国オバマ政権や、そのもとでも画策を続けるジャパンハンドラーと密接な関係を持ち、日本の軍需産業の拡張を企てる財界と連携した、防衛官僚や外務官僚に洗脳された民主党内のひとにぎりの新防衛族(北澤俊美防衛相や前原誠司外相、安保外交調査会の中川正春会長、長島昭久事務局長、吉良州司事務局次長ら)だった。

新安保防衛懇に代表される勢力は、自公政権から民主党政権への政権交代という窮地を、逆に千載一遇の好機とするために働いた。この企てにとって、今日の北東アジア情勢の激動は極めて有利に働いた。この情勢の中で、マスメディアも防衛大綱に見られる危険な動きへの批判を回避し、逆にその露払いとなった。

今日、朝鮮半島をめぐって北東アジアの軍事的緊張は極限にまで達する勢いにある。尖閣諸島周辺における中国漁船拿捕事件、韓国延坪島に対する北朝鮮の砲撃事件、これを前後する朝鮮半島周辺での韓国や米韓、日米などの大規模な軍事演習などが相次いでいる。この情勢を民主党政権は沖縄の普天間基地をめぐる「日米合意」の正当化や、従来、9条に縛られてきた日本の安保防衛政策の突破を試みる新防衛大綱の策定に利用した。

すでに新防衛大綱発表直後に中国外務省は「われわれはいかなる国も脅かすつもりはない」と反発する談話を出し、新華社は「冷戦思考を捨てていない」と批判する論評を配信し、日本に対し「侵略の歴史をきちんと反省せず、やたらと対中批判をしている」などと批判した。

(2)対米追随の冷戦型思考で、対ソ戦略を対中戦略に置き換えただけの東アジア情勢認識

新大綱は「大規模戦争の蓋然性は低下」したが、各種の対立や紛争、「グレーゾーンの紛争は増加」した、とりわけアジア太平洋地域に於いては、中・印・露などの台頭で「米国の影響力が相対的に低下」しており、グローバルな安全保障は共同対応が重要だと強調し、具体的に北朝鮮の軍事挑発と、中国軍の近代化と軍事活動の活発化、ロシアの軍事活動の活発化をあげ、中国は「地域・国際社会の懸念事項」とし、北朝鮮は「喫緊かつ重大な不安定要因」として、明記はしないものの事実上「仮想敵」視した。新大綱は結論として「大規模着上陸侵攻等のわが国の存立を脅かすような本格的な侵略自体が生起する可能性は低いものの、わが国を取り巻く安全保障課題や不安定要因……に起因するさまざまな事態(各種事態)に的確に対応する必要がある」としている。

この情勢認識は本年2月、米国のオバマ政権が発表した国防戦略の見直し報告(QDR)の「中国の台頭がアジアの国際秩序を変えつつある」という認識の引き写しで、2010年防衛白書が先行的に打ち出していた認識だ。大綱はここから日米同盟の深化発展と「動的防衛力」という「力による抑止」の戦略を導き出している。冷戦後の変化した情勢に対する対応というなら、まず、「力による抑止」という発想を根本的に転換する必要がある。鳩山首相が唱えた「東アジア共同体」の道は軍事力による対決ではなく、まさに平和的な共生の道であったはずだ。しかし、新防衛大綱はこれに逆行する危険な道を選択した。

すでにこの路線は、先の尖閣諸島周辺での中国漁船拿捕事件に於いて先行的に実施されている。この事件は明らかに従来の「戦略的互恵関係」という対中方針の、日本政府による変更の結果、派生し、深刻化したものだ。朝鮮半島をめぐる緊張のなかで、日本政府は9条をもつ国の政府として積極的に緊張緩和のための行動をするどころか、中国政府が(6)カ国代表会議の開催という建設的な提案をしたことに対しても、米韓両国と共に賛成せず、逆に北朝鮮に対する圧力の強化に走った。そして、12月初旬には韓国軍幹部を参加させた史上最大規模の日米共同統合実働演習を強行し、日米韓三国安保で対処する方向を誇示して、緊張を一層激化させた。

また新防衛大綱が「統合的、戦略的な取り組み」の体制づくりとして官邸に国家安全保障のための組織を設置するとして、米国のNSC(国家安全保障会議)の日本版の設置を主張し、自衛隊の機動力強化をめざしていることも「動的防衛力」構想との関係で見逃せない問題だ。

新防衛大綱の新戦略はかつてのソ連脅威論による「オホーツクの壁」を中国脅威論による「南西の壁」に変換したものにすぎず、古いアジテーションの焼き直しだ。

菅内閣はこれによって、世界的にみれば欧州各国がのきなみ大幅な軍縮に転じている時代に、大綱と同時に発表された次期中期防衛整備計画で、従来減少させてきた防衛予算を現状維持として削減に歯止めをかけた。巨額の軍事費と思いやり予算をはじめ対米軍事協力費を計上して、日本が米国と財界の要求に応えるという時代錯誤の政策を実行している。

(3)憲法9条のしばりの突破を図った「動的防衛力」構想への転換

新防衛大綱は「基盤的防衛力構想」への3(4)年ぶりの決別と「動的防衛力構想」の採用を謳っている。新防衛大綱は従来の安保防衛政策の基本であった「基盤的防衛力構想」=「防衛力の存在自体(抑止効果静的抑止)」によるのではなく、「即応性、機動性、柔軟性、持続性、多目的性」を備えた「動的防衛力」構想に転換した。これは自衛隊設立以来の「専守防衛」戦略から、積極的抑止戦略への歴史的な転換で、明白に「武力による威嚇又は武力の行使」を禁じた憲法9条第1項に反するものだ。

1976年、三木内閣の時代にはじめて基盤的防衛力構想を謳った防衛大綱が策定された。それは「専守防衛」を掲げながら、日米安保体制を無条件に容認し、憲法第9条の解釈改憲状況を容認してきたという側面は軽視できないが、民衆の反戦闘争と合わせて無制限の軍拡を容認できないという9条のしばりを表現した側面もあったことは無視できない。以降、日本の安保・防衛政策ではこの防衛大綱の「専守防衛」路線が前提とされてきた。これは日本の軍事的貢献の拡大を要求する米国や、軍需産業の拡大を要求する財界、そして政官界の軍備拡張論者にとっては極めて不自由なものであり、怨嗟の的になってきた。9・11事件後の小泉内閣に於いて基盤的防衛力構想は一定の転換が試みられたが、自民党政権はこの全面的な否定に着手することはできなかった。

動的防衛力構想の特徴は沖縄をはじめ南西重視戦略と島嶼防衛、および弾道ミサイル防衛だ。これによって、沖縄本島や与那国島など沖縄への陸上自衛隊配備が強化され、全土を覆う地対空ミサイル部隊の配備の強化や潜水艦、イージス・システム搭載艦などが強化される。これは従来型として否定された「静的抑止」と比較して、「即応性、機動性、柔軟性、持続性、多目的性」が強調された、専守防衛を超えた「力対力」の極めて挑発的な戦略である。これは北東アジア地域の軍事的緊張をいたずらに拡大するもので、いかように解釈しても憲法第9条とは相容れないものだ。

(4)グローバルな範囲で、戦争をする自衛隊への転換

防衛大綱は冒頭の「策定の主旨」で「アジア太平洋地域の安全保障環境の一層の安定化……脅威の発生を予防」「世界の平和と安定……に貢献」と謳うことで、より明確に世界的規模での安全保障=戦争に日本が関わっていくことを強調、そのために米国、韓国、オーストラリア等の同盟国およびパートナー国と協力するとのべている。そして「PKO5原則等」の在り方を検討するとしている。制定の過程で、明記は取りやめになったが、「海外派兵恒久法(一般法)」の制定や「武器輸出等3原則の緩和」が問題になったことも、策定者の意図の在処を示すものとして重要だ。

米国のQDRが強調する「地球規模の公共財(グローバルコモンズ)」の確保のための同盟国、友好国との連携をすすめ、自衛隊がより積極的に、素早く、柔軟に海外で活動する方向が出されている。相対的に力量が低下しつつある米国の世界戦略を支え、グローバルな規模で活動し、戦争をする自衛隊の姿が浮かび上がる。

「武器輸出3原則等の緩和」については兵器の「国際共同開発・生産……が先進国で主流になっている。……対応するための方策について検討する」という文言を挿入することで、今回は明記することを見送った。合わせて、見送った「派兵恒久法」もPKO法の「検討」と記述した。いずれも今後の導入の道がぬかりなく敷かれていることも見逃せない。

(5)市民運動のたたかいと今後の課題

新年1月中旬からの第177通常国会は、菅内閣が内外共に重大な困難を抱えたもとで開かれる。国家財政の危機の下での予算編成とその成立という課題は、衆参の与野党議席のねじれ状況もあり、容易ではない。一部で「大連立」が語られるのもこうした事態の反映だ。日米関係を揺るがしかねない沖縄の普天間基地の撤去問題は、沖縄の民衆の県内移設反対の民意のまえににっちもさっちも行かない状態だ。従米一辺倒の外交の下で、菅内閣の東アジア外交は全くの手詰まり状態だ。

この通常国会では参院憲法審査会「規程」の制定や国会議員の比例定数削減、少数政党の切り捨てが再度企てられるだろう。「大連立」問題は、改憲派にとっては千載一遇の好機となる。

第176臨時国会におけるたたかいは、私たちに貴重な教訓を残した。
市民運動は沖縄の普天間基地撤去、辺野古新基地建設反対のたたかいを全国民的問題としてとらえ、全国で運動化しようとした。「10月ピースウィーク2010」などに結集する市民運動は、沖縄県知事選挙をまえにして、10月を全国的共同行動としてとりくむことを提唱し、普天間基地撤去の全国シール投票などを行った。

また新安保防衛懇の報告書や防衛大綱の策定の動きに対しては、私たちは国会でのまともな審議すらないもとで、30数年来の安保・防衛政策が民主党の一部と政府の密室協議で決められることは許せない、9条を破壊する武器輸出3原則の緩和をはじめとする新防衛大綱は認められないと主張した。そして、民主党の外交安保調査会の議論に積極的に関与するロビー活動などをくりひろげ、民主党のリベラル派や社民党などに働きかけ、その動きに呼応しながら国会での行動を作りだした。これらの動きは最終的に社民党、民主党の党首会談で「武器輸出3原則等の緩和」が見送られることになったという成果を上げた。

部分的な成果ではあるが、決してあきらめずに、さまざまな可能性を見逃さずにたたかいを組織することの重要性があらためて証明された。

2011年、私たちは第177通常国会冒頭に予定される院内集会を皮切りに、2月5~6日の大分県における「第14回 許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in大分&日出生台」を成功させ、いっそう奮闘して、憲法の改悪を許さず、憲法を生かし、実現する運動を組織して奮闘しなければならない。

「新防衛大綱批判」関連論文
(1)市民連絡会ウェブサイト「『政権交代』を機に、安保・防衛政策の基本的転換をねらう安保防衛懇報告書の『平和創造国家』論の危険性について」(高田健 9月4日)』
(2)9条のタガを緩め、憲法解釈の突破を企てる民主党・新防衛大綱(「私と憲法」115号 高田健 11月25日)
(3)70年代以来の安保・防衛政策大転換の企て~「新安保防衛懇報告」から「防衛大綱」策定の動きにみる重大な危険性(「私と憲法」114号 高田健 10月25日)
(4)第53回市民憲法講座(要旨)「参院選後の新しい状況の中での憲法問題と市民運動の課題」(「私と憲法」113号 9月25日)

このページのトップに戻る


第56回市民憲法講座(要旨) 日本における居住の貧困

大本圭野さん(居住福祉学会副会長、前東京経済大学教授)

(編集部註)11月27日の講座で大本圭野さんが講演した内容を編集部の責任で集約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

比重が大きいのに住宅政策がない日本

いまご紹介いただきました大本と申します。わたしは、この3月まで東京経済大学で社会保障の授業を担当しておりました。現在は本郷三丁目にある東洋学園大学で講師をしております。それから東京都の社会福祉審議会の委員と東京都の都営住宅の審議会委員もやっています。ボランティアで三鷹市の自治についても参加しています。授業から解放されましたので、いままでやってきたことを本にまとめてみようと思っています。経済評論社から「市民自治と生活保障」というようなタイトルで来年春には刊行されると思います。それから日本の居住政策は一体何だったのかという戦後日本の住宅政策を考える本も考えています。

日本には住居に関わることで大学に就職できる場がないんですね。たとえば工学部建築学科では建築学――いわばハードの学問領域でして、「住む」ということはハードの側面も大事ですが、他方でソフトの領域、社会科学という領域からのアクセスも必要だと思うんですね。その社会科学の領域から研究していく学問的な領域はないんですね。学問はあるんですが、研究を継続していくためには大学に就職の場がないとできません。住宅の問題でいくら論文を書いても就職する場がないんです。ですからわたしは東京経済大学に就職する前に、厚生労働省の特殊法人の社会保障研究所――90年代の行革でいまは国立社会保障人口問題研究所になっているところで、社会保障の研究をしていました。

ヨーロッパの先進福祉国家といわれる国は、社会保障だけではなくて住居の問題を両輪でやっています。わたしがロンドン大学に留学したとき、そこでは社会保障というのは社会政策の一部なんですね。社会政策の中に、社会保障及び住宅の問題とか社会教育の問題や雇用の話とか、そういう領域が学問の領域であるわけです。それを社会的サービスと位置付けています。日本ではそれぞれ別々です。学校教育は文部科学省です。生涯学習とか社会人の再教育、リフレッシュして社会に貢献していくという意味での教育ですが、日本では教育といえば学校教育だけです。社会保障は厚生労働省とういぐあいに、生活をトータルに見ていって、どう基盤を整備してウェルフェアを高めていけるかという視点が希薄である状況だと思います。

社会保障研究所にいたときから社会保障と、一方で自由研究として住宅のことを取り上げて研究していたんですが、そうするとすごくいじめられました。住宅なんて社会保障じゃない、何でこんな研究するんだと。プロジェクトをつくったり出版などもやりましたが、出版するにあたってもこんなもの社会保障じゃないといわれて出版できなかったりしたんです。日本ではそういう状況なんですね。一方で建築ではハードの部分での建築学はあるんです。最近は高齢者住宅ということで住宅の問題が取り上げられますが、一般の生活する人々の住居を、社会政策的にとらえていくことは日本ではありません。

欧米では年金と連動して、高齢者の住宅手当があるんです。それから児童手当と連動して、子どものいる世帯の住居の手当とか住居の保障があります。日本では住居について関心もない。住居の問題ってものすごい問題だと思うんですね。日本の国民の生涯をローン地獄に陥れてきた。もう少し住居の費用が家計の中で占める割合が小さかったら、もっと自由な活動、自由な生活、豊かな生活ができるだろうと思うんですが、ローンでくくられてそのローンで保証された住宅って何なのか。

わたしは学生にいつも言っているんです。住宅問題はないというけれども、みなさんのお父さんの仕事部屋って家にありますか、お母さんが自由に活動する個室ってありますかって。せいぜいあったとしても子どもの個室を確保するのがやっとでしょ。経済大国と言われている国の、一般の働く人たちの住居の状況、こういうのは貧困、貧しいというんですよと言うと、みんなはあまりピンとこない。何で日本は住宅のことを政策的に取り組んでこなかったかという問題があると思います。研究者を初めとしてマスコミや一般の市民も住宅について関心がない、関心はないけれども、生活の中で非常に大きなウェイトを占めていると思います。日本は持ち家政策をとっていて、企業は従業員の持ち家を支援してきたと思うんですね。それがために日本の労働運動が活発でない、労働者をローンで縛りつけてしまった。口を封じてしまったという問題性が根深くあると思います。

戦後一貫して住居については自己責任、国民はそれぞれ自分の責任でやっていくというかたちでやっていて、政策的には上げないことが中心でした。その結果、ましてや中曽根政権以来あらゆる領域で民営化・市場化を進めてきて、最後のとどめとして新自由主義をやった。あらゆることを自由化して、か細い公共住宅、住宅公団にしろ住宅金融にしろすべて民営化してしまった。残っているのはただ公営住宅だけ、公営住宅といっても全住宅の2%か3%しかないと思うんです。持ち家が6割くらいありますが、そういう実態の中で政策効果によってではなく、日本が高度経済成長で所得が増大したことによって実現したことであるわけです。

居住・住居――ハードの側面

日本における住居の貧困ということについてですが、まず居住とか住居をどうとらえるのか。住居ってハードの側面からいうと「家」なんですね。でも家だけあっても住めません。高度経済成長の時代は、家を持てればいいという感じで家だけ買ってきた。その結果が現在です。図表を見ていただければわかるんですが、住居というのは全体的にどう位置付けられるかということで、社会保障は生活の基盤になるわけです。

生まれてから死ぬまでのいろいろな事故、障害に対して社会的サポートをするのが社会保障です。その事故とか障害は誰にも共通に起こりうるものです。子どもが生まれたりすれば費用がかかります。失業したり、病気になったり、高齢になったりというのは誰でもがあり得る問題です。それに対してサポートしていくのが社会保障です。その政策はたくさんありますが、前提になるのは住居なんですね。住居の上にそういうものが成り立っている。この図は早川和男さんの「居住福祉」(岩波新書)からの引用ですが、もともとはスウェーデンのもので、人生は橋を渡るように歩んでいくということです。

次に生活空間をどう考えるのかといったときに、社会保障というのは「時間」の問題なんですね。居住というのは「空間」の問題ですね。切り口がまったく違うということです。一番小さい空間は室、その次が家、住居です。その次が居住地、地域ですね。それからもう少し広い地域、都市・農山漁村、そして圏域、国土です。この空間に対しての法的な基準があり、住居については住居法があります。世界の先進国といわれるところは、住居法を持っています。

室についてはどう決まるかというと、6畳とか8畳というのは物理的な室ですが、そこに人間が住む、居住するとなると、物理的なものと人間の家族が住まうということをあわせていかないといけない。その空間の取り方が、家族構成の年齢とか家族の人員によって部屋が決まってきます。日本の考え方は鴨長明じゃないけれど、立って半畳、寝て一畳というか、すごく狭いところで生活することがいいとされていますが、ヨーロッパの考え方は違うんですね。

とにかく家族の中で大人が1人1部屋、子どもも11歳くらいになると1部屋をとる。小学校からは部屋の分け方が違ってくる。男の子か女の子かによって同室はさせないとか。小学校に上がるようになったら親と同室させないとか。なぜかというと親の性生活を子どもが知ってしまう、教育上良くないということで年齢によって部屋の区切り方、確保の仕方も決められています。これによってどのくらいの空間を確保するのかということが決められる。その最低の基準があって、それ以下の場合は強制的に公営住宅に移されるか、家賃手当で改造するかということをやっています。

日本ではそういうことは一切ありません。日本では目標基準です。住居の基準として、家族構成員別の住まい方をもとにして、部屋数と面積を決めていく。寝室だけではなくて家族がコミュニケーションをとっていく団らんの場、リビングルームを必ず取る。台所を取るとかを決める。最低基準とふつうの基準を作る、日本ではこれはあくまでもあったらいいなという望ましい基準であって、これが法的に日本で保障されているわけでないんですね。欧米諸国では法的に確保されています。家族に応じた住まいを確保しなければいけないという考えです。日本もそれに学び、一応モデルとしてつくっているんですね。

住むことのソフトの側面――コミュニティ

居住地、都市と農村ということになると、日本は東京に一極集中です。地方はスカスカ、地方で生活できないです。どんどん東京に人が集まってきますからどんどん超高層の建物が建っていく。この問題については国土の均等発展ということで国土計画を立てないといけないんです。いま国土計画は廃止になってしまっていますが、一極集中がどんどん進んでいる。一極集中が進む限り人口は増大し、土地の問題が出てくる。部屋があって住居があって居住地がある。居住地といった場合に最低の居住地域は小学校区です。小学生が歩いていける範囲がひとつの居住地域になっている。ですから都市計画とか街づくりをするときは、最初に学校区を基準にします。

その次の中学校区は、小学校区をふたつくらい合わせたものになる。そこがひとつのコミュニティになる。もう少し広がって自治体、都市と農村、巨大都市と中山間地、そして国土という広がりが出てくる。ハードの側面での住居の決まり、居住の基準、空間の基準、家賃の基準、都市計画基準、建築基準があるんですが、安全で衛生的で健康的で経済的という物理的な条件をつくっていくというものがあります。

他方で居住といった場合にソフトな側面でコミュニティです。もう少しわかりやすくいうと人と人との関係ですね。住むということは家を建てるということではなくて、コミュニティを形成することが居住の政策をつくること、これはヨーロッパの考え方です。これがないと本当には住めないんです。いま日本でどういうことが起きているかというと、コミュニティが崩壊している。孤独死とかすごいですよね。このあいだNHKでも放送していましたが公団住宅で年間500人が孤独死しているんです。誰にも看取られることなく死んでいっている。全国の孤独死かどうかわからないけれども、看取られなくて放置されて発見されたというのが3万世帯くらいある。人間関係がないという状況が生み出されている。

そういう点で居住というのは人間の存在とか、人間の発達とか、人間の形成の場です。人間存在の場なんですね、空間なんですね。存在というのは哲学的にいうとハイデッカーの存在論がありますが、人間の存在は何かというと、関係ということです。わたしがここに存在していることは、いまこの講座で皆様方と交流している、それでわたしがここに存在しているということです。ですから、人間の生存とか人間の発達といった場合に、ある空間に存在しなければいけない。その存在している人と関係が形成されていることでないと人間はなかなか生きられない。

自殺論というジンメルの古典がありますけれども、自殺の原因は何かというと孤立することです。孤立すると人間は自殺するということです。生きる意味がなくなるんですね。人間存在というのは他者との関わりで生きていく。住居は存在そのものです。ここにある、そこに存在するというのは、その地域に居住する条件がなければ生きられない。

いままでの高度経済成長のときは働く人中心の社会ですから、働く人は都心に自分の職場を求めて、病気になったら都心の診療所で診てもらっていました。でも高齢化社会になったとき、地域に医療機関がなければ生活できないですね。わたしの父は90歳で亡くなりましたけれども、最後は動けなくなるんですね。100メートル先に医院があるんですよ。だけど車いすに乗せていくときに段差があるので、70キロある男性をわたしでは押していけなかったんですね。たかだか3センチくらいの段差を超えられないから、医者に行けないんです。タクシーで病院に連れて行っていたことがありました。

人間存在の場としての居住

ここで人間存在の構成要素の基盤、内容をどう考えたらいいかということです。人間は生命があって、存在というのはまず生命があるということですね。それから健康、生活・福祉、教育・労働となっていきます。生命といったら生物学的な生命がありますが、社会科学的な生命、哲学的な生命といった場合には、欲求充足できる主体のことです。

どういうことかというと、水が飲みたいときに、自分で水を取って自分でのどを潤す。飲みたいという欲求に対して、充足する主体があることが生命があるということです。最終的にいうと自己実現する主存在であるということです。中心が生命であり、その生命が安全で健康であることが第一に大事である。その健康は、社会的サービスとしては保健とか医療がサポートしてその主体を維持していく。

次に生活・福祉です。生活とか福祉というのは難しいことではなく、日常的な人間活動ができることです。それは自律・自立しています。それぞれの人が自発的であることです。それが日常生活なんですね。自立的な再生産ができることが、生活・福祉のサポートの領域です。その自立性がなくなったときにサポートしていく、典型的には介護です。高齢になって自立生活が非常に難しくなったときにサポートしていく。だけど目標はなるべく自立できるようにサポートしていくのが福祉サービスだと思うんですが、そういう意味での日常生活ができるようにしていくことです。教育というのは主体の可能性などを発展させていく。労働とか活動は労働及び社会的活動によって社会を形成し、社会に貢献して自分が成長していく。こういうものがコミュニティに存在しない限り、生活できないということをいいたいわけです。

高度経済成長のとき、都市に人口が増えて郊外に出て行くときに、学校はなかった。医療もなかったと思います。人が住むことを想定したときに、そういうものが欠けたところに住むということ自体、それを許可すること自体が問題なわけです。家だけ建てればいいというのは、建設業の活発な利益を得るためのサポートだけに過ぎないわけで、住むことに視点をおいた施策ではないんです。日本では住むことを中心に据えてこなかった。建設業というディベロッパーが発展するためのサポートが中心だった。

いま中国がそうです。このあいだ上海で超高層ビルが火災になりました。あれだけ高い建物を建てるときには、まず消防を考えなきゃいけない、人間中心であれば。どうすればいいかというのは難しい。はしごといったってあんな高いところにかけられないです。ヘリコプターで上から水をまくという話で、上に逃げても煙に巻かれてしまうし、下にも降りる時間がない状況です。あれは中国の経済発展のために貢献する建設業です。人間が住む居住を保障するものではないと思います。あれは投機ですね。

ちまたの庶民はよく知っていて、ちょっとお金のある人は投機を目当てに1人が2つも3つもマンションを買っている。だから夜になると超高層マンションの明かりがついていない、人が住んでいないから。かつてバブルのときに、湯沢がリゾート開発で東京の人がマンションを買って、湯沢の街は夜真っ暗だったというのとまったく同じです。人間の生命から始まって活動していく。そういうものが地域社会の中でつくられないと生活できません。だからコミュニティをつくることが居住の政策をやっていくということなんです。

住居の二面的性格――私的空間と社会的存在

住居というのは二面的な性格があってひとつは私的な空間、私的所有です。しかし他面では、自分の家だけれどもそれは社会的な存在です。公共的な空間でもあります。社会的な空間というのは、経済学用語で言うと外部不経済の発生です。自分の所有だから勝手に使ってもいいというと、まわりが迷惑を被るんですね。上海の火事でも、たまたまいただけで全部の人が迷惑を被るわけですね。だから個人の所有といってもこれは外部不経済である、それにともなってソーシャルコストが発生する。

ソーシャルコストが発生するとはどういうことかというと、日本では住宅政策をやってこなかったがゆえに、医療コストがものすごくかかります。家で生活できないから病院に入院させてしまう。社会的入院です。医療費がすごいです。1か月50万円かかりますから。家をちゃんと整理しなかったがゆえに、病気であれば、特に高齢者は長期療養で、社会的入院で病院に入って、ものすごくコストがかかってしまう。

派遣村でもそうですが、非正規の労働者がクビになったときにどういうことが起きたかというと、行くところがないんですね。昨日まで働いていた人が今日はもう家がない。ホームレスになってしまう。するとNPO等が支えて生活保護に持って行く。わたしは社会保障をやっていて、きのうまで働いていた人が生活保護をもらうのはおかしいと思う。もっと生活がどうにもならない人たちが、生活のサポートを受けられるようでないといけないと思う。きのうまで働いていた人が次の日は生活保護という、こういう社会はおかしいと思うんですね。なぜならば、生活保護のソーシャルコストはものすごくかかります。本来生活保護をもらわなければいけない人が、もらえないことになってしまう。

病院もそうです。1980年代の後半、わたしが厚生省にいたときですが、社会的入院がすごかったんです。病院の3割から4割は老人で占められた。それを発表すると問題だから発表しなかったんです。そうすると、若い人が入院しようと思ってもできなくなってしまったんです。これは、本来は福祉が担わなければいけないものを、医療が担ってきたということです。いまは住居が充実していないがゆえに、社会保障におんぶにだっこで社会的コストとしてかかっているわけです。これはロスだと思いますが、現状を見るとやむを得ない。そういう意味でのソーシャルコストがかかってしまう。

家につながる土地に政策が必要

日本の住宅政策は個人の自由です。社会的な側面は、政策的にサポートするかたちになっていないから自己責任でやってくださいということです。ですから市民生活の尊厳が保てないということが起きています。

土地という商品は自由に任されている。近代経済学では市場メカニズムに任されるといいます。これは需要と供給の関係で価格が決まる。そのときの前提があるんですね。供給が自由にできるものが市場メカニズムに可能だということです。競争がありますから、たとえばこのペンを作る会社でも、そうそう高い値段ではやっていられません。

ところが土地は供給が自由にできない。そうすると供給が自由じゃないものの場合にそれを放任すると投機が起きます。バブルが典型です。たかだか住宅の土地投機なんてと思うけれども、これほど恐ろしいものはなかった。だって日本の全産業が全部だめになって、経済がもろともやられたわけです。失われた10年というけれども、失った20年です。この間、ゼロに近い低金利だった。土地投機で不良債権ができて、日本の産業を救済するためにやった。たかだか土地だ、たかだか住宅だというかもしれないけれども経済の屋台骨を折ってしまったんです。次にアメリカが、サブプライムで世界経済を揺るがしてしまった。次は中国ではないかと思います。中国も住宅投機もすごいですから、あのバブルがはじけたらまた世界経済を脅かすと思います。

家は土地とつながっていますから、投機につながらないようなかたちで、規制したり誘導したり保障したりして政策が介入していくわけです。アメリカが自由主義で政策介入しないというけれど、だったら何でサブプライム問題が起きたのか。サブプライム問題が起きて、あれは政策介入していないですね。勝手に市場が自由にやった。投機が働いてぽしゃった。そうしたら アメリカのビッグ3、自動車産業は全部だめで国家が支援した。アメリカの大企業が全部だめになって国家が支援したわけです。自由だというんだったら何で国家が出てくるのか、そこの経済原理は矛盾していると思うんですが、やってはいけないことをやるからそういうことが起きてきます。

生存権としての居住の権利――諸外国と日本

住居の二面性――個人の問題であると同時に社会的な側面を持っているから、それに対して規制、誘導をして望ましいかたちに持って行かないと、経済も生活も揺るがしてしまう。ヨーロッパ諸国では「建築の不自由」といわれています。自分は所有していても絶対に自由に建てることはできないんですね。日本では「建築の自由」で、自分が土地を所有していれば何でも建てられる。日本では絶対的な所有権ですがヨーロッパでは利用権、土地とか住宅を利用する権利が優先される。国によって政策の対応も違ってきます。日本には住宅政策がないんです。自由放任の政策です。住宅は個人の責任でやっていく。市場メカニズムから落ちこぼれた人は公営住宅をやりましょうといって、公営住宅は雀の涙ほどありますが、その入居倍率は30倍ですね。宝くじに当たるよりも難しいような倍率になっている。

居住政策の不在がどのようなことをもたらすかというと、社会保障の実質的な価値を下げてしまいます。日本の土地や住宅は高いです。家計の中で占める割合が高い。そうすると実質的な価値、年金にしろいろいろな手当にしろ、どんなに社会保障を上げるといっても賃金以上に上げられません。なぜならばやっぱり働く人優先なんですね。働く人の賃金以上の社会保障をやると、働く人がばかばかしくなる。モラルが落ちてくる。そういう意味で社会保障の費用は、賃金以上に上げられない、上げてはいけないと思うんですね。

その中で家賃とか土地代とか住居費が高い。メカニズムが違うから。住居費が高ければ年金の保障といっても実質的な価値が低くなるんですね。10万円の保障をしますといっても家賃がものすごく高ければ、そこに住まなければならないわけだから、実質は10万円の価値はなくなります。そういう点で社会保障の実質的な価値は土地、住宅を放任することで下がるということが起きています。

それから就労困難です。クビになって家がなくなってしまうと、住所不定で公共のサービスも受けられないし就労もできない。企業にアクセスしても企業は住所不定の人は雇いませんから、就労困難だし市民権がないです。そういう意味で、奴隷状況になり法的な保護が一切受けられない。従来のホームレスと違って、昨日まで働いていた非正規の人たちがホームレスになっていく。その人たちにいろいろと話を聞いてみると、だいたい社会保障を持っていない。健康保険もないし失業保険もない。

なぜかというと、社会保障の規定では厚生年金や医療保険でも、使用者が義務として入らなければいけないのは正規労働者の4分の3以上の労働時間がある場合です。失業保険については、週に20時間以上働いている場合には、入らなければいけないという義務が使用者側にあります。しかし使用者側は保険料を払うのが嫌ですから、どういうことをやるかというと、法的には20時間ですから契約を19時間にするんです。だからほとんどの人は失業保険にも医療保険にも入っていません。ちょっと病気になっても病院にかかれないんですよ。だから病気が重度化した人が多い。それで解雇され、ホームレスになってしまうと、まったく日本の法律から排除される。市民でなくなってしまう状況が生み出されてきました。憲法25条で、生存権の保障は国の義務であり国民の権利であるという規定があるけれど、生存権の中に居住の権利が位置付けられているのか、という疑問があるわけです。

群馬県の「たまゆら」という施設で火事があって、お年寄りが亡くなった事件がありました。あれも生存権として居住の権利が保障されていない典型的な例です。生活保護を受けていても、それは経済的保障です。金銭の保障、生活費として生存費用としてある。だけれども居住の権利はない。その生活保護費をもらったからといって、日本の住宅に住めるのかということです。民間の借家では保証人がいないと入れません。そうすると保証人が得られない場合には借りられない。いま保証会社というのもありますけれども、お金を取られるなど問題も多い。高齢者、障がい者、中年の男性は民間借家に入るのは難しいですよ。高齢者は病気になったら誰が病院に連れて行くのかと言われますし、障がい者も車いすで火事になったら、全体に迷惑になると貸してくれないわけです。金銭を保障されても居住できないんです。アメリカなどはそういう差別が禁止されています。保証人がいないとか高齢だとかで断るのは、差別として罰則が加えられます。日本ではそういうものがないという状況です。

社会権としての国際基準と日本の無策

居住の権利とは何なのかという中身についてですが、居住の権利と国際的な動向としてはいろいろあります。1987年に国際居住年が「ホームレスをなくす」というテーマでありました。1980年代の後半は世界的にバブルでした。日本のバブルが致命的だったんですね。なぜかというと、日本は住居についての規制が自由放任でしたから、バブルの痛手が大きかったけれども、ヨーロッパ諸国はバブルが小さく、すぐ立ち直った。日本は立ち直れなかった。失われた10年、20年だった。

1991年には国連人権委員会が国際人権規約、社会権規約を規定して、十分な住居に対する権利を規定するんです。その内容は、まず保有の法的安全です。賃貸住宅であろうが公共住宅であろうが借家であろうが、住んでいることについて、嫌がらせや強制退去その他に対する法的な安全性を保障しなければいけないということです。それからサービス、物質、設備及びインフラストラクチャーの利用可能性、これはゴミ処理とか排水の問題とか衛生上の問題で、特に途上国に関わる問題です。

次が居住費の支払い可能性、affordabilityです。居住の支払いというのは、家賃を支払い可能なように決めなければいけない。もしそれが不可能であるならば政策的に手当や補助などでやらなければいけないということです。それから居住可能性、habitability、居住の物理的条件です。居住者に十分なスペースを与えるということです。最低の基準を確保するということです。寒さ、湿度、熱、風またはその他の健康への脅威、構造的危険、すぐ倒れるような建物であるとか不衛生なもの、こうようなものはだめだということです。

それからアクセス可能なこと。さきほどのコミュニティの話につながりますが、日常的に人間が使用しなければいけないものは、アクセス可能なところになければいけない。小学校区というのは小学生が歩いていける範囲の中でサービスが充足できるということ、それがaccessibilityです。ロケーション、location、これもコミュニティに関わります。雇用の選択肢、健康ケアサービス、学校その他社会設備が、住む地域なければだめだということです。

文化的相当性というものもあります。それは地域の気候風土によってそれぞれ違いがあるので、地域の文化にあった建物、たとえば木造建築は湿度の高い日本には合っているんですね。鉄筋は耐久性はあるけれども、結露があったりして大変なこともあるわけです。地域にあった居住をつくることを考えなくてはいけない、ということが居住の権利として織り込まれています。

強制退去についてですが、いかなる理由があっても正当性がない退去は認めないということです。こういうことに対して社会権規約委員会というのは、日本も加盟していますが、定期的に日本の居住政策を国連に報告しないといけないんです。報告するときには政府の意見とNGO、NPOなど市民団体の意見も出すことになっています。それを勘案して委員会が判断して勧告をしたりするわけです。

阪神大震災のときに勧告が出たんです。大変な状況だったけれども、コミュニティから切り離したところに、とにかく家だけ与えた。そしてそこで孤独死が起きた。震災の死者よりも孤独死の方が多かったというような状況が起きた。社会権規約委員会によって、日本は居住が保障されていないという勧告がなされました。高齢者への住居保障のあり方、家族を失った人々への精神的・心理的治療への無策など、高齢者、障がい者コミュニティ・サービスの改善及び拡大について勧告されました。これは勧告ですから法的な規制はないわけです、モラル規制です。日本政府の対応は、これは強制があるわけではないからということで、涼しい顔をしているという実態です。

居住の権利というのは、これ以下の場合には政策として国民の居住を改善していく方向に対応しなければいけないということを言っています。そういう意味でサブプライム問題以降、日本の居住問題は目に見えるかたちで出てきました。露骨に出てきました。その内容は、生存権保障というけれども、居住の保障は生存権の中に位置付けられていないという感じがします。経済的な保障が生存権保障だ、という位置づけになっていないかということを感じています。

このページのトップに戻る


若者たちがとりくむ南北をつなぐ連帯経済~フェアトレードの可能性~

(中尾こずえ 事務局)

先日、友人が主催したフィリピンの元「慰安婦」を支援する集会に参加したとき無添加・無農薬と表示されたドライマンゴーと手編みの小物入れを買った。いずれもフェアトレード産品と記されてあった。立教大学の学園祭の当日、学生たちとシール投票を行った際にちょっと学園祭に立ち寄ってみた。フェアトレード産品を出店していた学生たちがいた。また、毎年、代々木公園で行われているアースデイでもNGOや市民の団体・グループたちがフェアトレードのコーヒー豆を使ったカフェーや手編みの衣類やアクセサリーなど様々な産品を出店していた。また、東京都内の学生たちがフェアトレードを広めるために「学生フェアトレード月間2010」を呼びかけて合同のイベントを企画している。学生ならではのアイデアや実行力で、人やモノのネットワークを生かした活動を行っている。

フェアトレードの共通定義(「フェアトレード学 私たちが創る新経済秩序 渡辺龍也著」から)

「2001年に4つの国際的なフェアトレード連合体が協議の上、以下のような共通の定義を打ち出した。フェアトレードとは、より公正な国際貿易の実現を目指す、対話・透明性・敬意の精神に根ざした貿易パートナーシップのことを言う。フェアトレードは、とりわけ南の疎外された生産者や労働者の人々の権利を保障し、彼らにより良い公益条件を提供する事によって、持続的な発展に寄与するものである。」

フェアトレードの基本原則

  1. 公正な価格、賃金の支払い
  2. 前払い(借金地獄からの解放)
  3. 直接的・長期的な取引
  4. 生産者の能力強化・エンパワメント(チャリティーではなくビジネスなので)
  5. 児童労働・強制労働の禁止 

最終的に目指しているのは「持続的な発展」であるものの、より具体的には、

  1. 疎外された生産者・労働者の権利保障・自立・エンパワメント・および
  2. より公正な国際貿易の実現、ないし国際貿易のルール・慣行の変革

、の2つを目指している。

私たちがモノを消費して生きている向こう側で何が起こっているのか

数日前、フェアトレードの活動をしている2人の女性から話を聞く機会があった。
小野倫子さんはNGOグローバルビレッジを母体にピープル・ツリー(株)を立ち上げ、「おしゃれなエコが世界を救う」をキャッチコピーにファツション会社で活動。彼女は「コットン製といえば響きは良さそうにみえるがインドでは12年間で199,132人の農民が自殺している。コットン農家が農薬を買うために多額の借金をしている。使い続けるうちに農薬が効かなくなって害虫が発生し収穫できず借金は返せない。追い詰められた農民の自殺の急増が社会問題になっている。毎年、農薬による健康被害で2万人が亡くなり300万人が健康被害に苦しんでいる。バングラディシュのスペクトラム縫製工場では05年、寮が深夜に崩壊事故を起こし、64人が死亡、けが人80人という大惨事が起きている。貧弱過ぎる建物が原因だ。安さを求める消費者・企業からの要求のしわよせが低賃金、長時間労働、強制的な残業、不衛生な職場など、過酷な労働環境を生み出している。」と。

小野さんは“人と地球へのやさしさ”をモットーに、つくる人、使う人の健康に配慮したオーガニック農法で、地域で採れる自然素材を使い、持続可能な生産を支援している。手織りは機械に比べ約10倍の雇用を生み出し、そのうえ、手織り機1台で年間約1トンのCO2が削減されるという。

もう1人の女性、藤岡亜美さんは03年にスローウォーターカフェを立ち上げた。大学生だった10年ほど前、バックパッカーでエクアドルのフニン村に行ったのがきっかけになったという。多国籍企業(三菱系企業も参入していた)の鉱山開発に村民が抗議して止めさせた頃だ。また、豊かな森林は先進諸国の伐採によって90%をも失ったという。村民が伐採の機械を燃やして抵抗したその土地で、現在は土地を守りながら暮らしをたてる森林農法というやりかたで無農薬のインタグコーヒーを栽培している。サリナス村ではカカオを栽培し、チョコレート工場をつくり、最後の工程まで村民たちの手で仕上げられるようになった(私も頂きました。オーガニックの香り高いカカオの風味がしっかりとしていて美味しかったです)。

藤岡さんは現地で移動するとき、以前はバックパックを持ってバスの荷台などを使っていたが、今では村の仲間が次の生産拠点まで車で送ってくれるのだそうだ。藤岡亜美さんは環境NGOナマケモノ倶楽部の共同代表を担っており、以前、ワールド・ピース・ナウや許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会で活動報告をして頂いたことがある。

先進諸国による南への搾取と収奪は(次頁下段へ)(前頁より)人びとの命を奪い、社会と環境を破壊してきた。日本では「派遣切り」に象徴された労働力の「買い叩き」と「使い捨て」や、それらが招いた自殺・過労死・ホームレス化が横行し、悲痛な叫び声が聞こえてくる。そうしたなかで、いま若者たちは、尊敬し合って共に生き合える社会をめざし、国境を越え、逞しく活動をしている。弱肉強食ではなくフェアな生き方に、若者たちの共感が急速に高まっているのだと思う。    

このページのトップに戻る


過去に向き合う勇気と、自身の立場から行動してこそ

土井とみえ(事務局)

当然のことだが、年のはじめに1年を予測することはできない。それにしても年末の、日本をとりまく状況の変化には大きなものがある。世界でも分断国家が唯一残されているといわれ、冷戦構造の終わっていない東アジアが、にわかに世界でホットスポットとなった。この時期に日本政府は新しく防衛大綱を決め、これまでの政策を変更して動的防衛を日本の防衛の基本とした。これは憲法の平和主義に反し、軍事力で東アジアの情勢に対応していこうとするもので、この地域の平和構築には役立たない。今になると尖閣諸島での中国漁船員逮捕は、この大綱の条件作りのためだったのか、と邪推もしたくなる。

これらにかかわるいくつかのことに注目してみたい。

12月5日には、女性国際戦犯法廷から10年の国際シンポジウムが開催され、改めて判決の意義や10年の活動と課題を確認した。開会あいさつをした実行委員長の東海林路得子さんは、2000年12月に開催された「法廷」では、戦争の最高責任者として昭和天皇の責任が裁かれ、「9人の日本軍の責任者と日本政府の責任が明らかにされた。さらに日本国が、法的責任をとり、謝罪し、補償を行うこと、2度と繰り返さないことを示すため資料館等を設立すること、および教科書への記述により教育を行うことなどが勧告」されたと話した。

この挨拶には、今の東アジアに状況に対応するためのヒントが示されていると思う。それは口先ではなく、国家として戦争の責任をとってこそ未来があるということだ。今年は日韓双方で韓国併合100年のとりくみがされた。ともに日本の戦争責任を明確にすることが、この地域の平和構築には不可欠なことを指摘している。

今年の8月には、東京大空襲被害者訴訟団を軸にして、空襲の被害回復のために戦っている全国の人たちがつながった。戦争被害を等しく甘受せよ、という国の立場の変更を求めて空襲被害者援護法の成立のために動き始めている。訴訟団の活動は、戦争による非人道的被害が当時だけでなく、戦後65年の今日にも継続して及んでいることを明らかにし、国に責任の明確化と補償を迫っている。

今年はシベリア抑留のこともメディアで紹介され、政府からは、とにかく「見舞金」が支払われることとなった。戦後、長期にわたって情熱的に民衆の権利のために闘い続け、昨年亡くなられた大先輩の砂場徹さんも、「私のシベリア物語」という本で抑留の事実を書き残されている。本からは砂場さんのヒューマニズムが伝わってくるが、同時に戦争という状況の中で理不尽に支配される民衆の有様、そして抑留の何とも言えぬ厳しい実相が伝わってくる。戦争体験者が高齢化する危機感もあり、戦争体験の証言からは加害者であり被害者である兵士、民衆への人権侵害の過酷さが明らかになった。

日本の過去の戦争に対して、国として責任を明らかにし、謝罪と補償を行ってこそ前に進むことができるというものではないか。

今年は安保50年に関連して、数々の日米の密約が証された。そこでは日米軍事一体化がどんどん進んでいく実態が、一部だが表に出た。戦後日本の支配階級は、民衆に対して隠蔽、言い換え、ごまかし、ウソを重ねて、安保を改定せずに日米の軍事一体化をすすめてきた。ガイドライン安保の変遷をかさねた日米関係について、いま菅政権のいう「日米同盟の深化」とは、力の衰えた米国の世界支配を支える道筋であり、確固とした決意もなしにアメリカに追随して東アジアに軍事力で対処しようというものである。

そうではなく、憲法の平和主義と9条を、このときこそ生かすべき時なのだ。その前提になるのが、戦争責任を国として明らかにし、謝罪と補償を行うことだ。ドイツがEU諸国内で信頼される関係を築きあげている前提が、戦争責任をはっきりさせ、記憶し、謝罪と補償を続けていることにある。歴史に向き合う勇気こそ東アジアの平和構築の基礎である。

11月28日の沖縄知事選挙は残念な結果になった。しかし1995年の少女暴行事件以来、さまざまに続けられた沖縄県民の苦悩と闘いが、仲井真知事に普天間基地の県外移設を言わしめたといわれている。私たちも、自身の立場から行動し、つながっていくことこそが求められているのではないか。

このページのトップに戻る


朝鮮半島における平和を求めるGPPAC東北アジア声明

以下に署名する私たち市民社会組織のメンバーは、2010年11月23日に延坪島住民の悲劇的な死傷をもたらした北朝鮮と韓国の間の砲撃の応酬に衝撃を受けています。私たちは、犠牲者の親族ならびにこれによって影響を受けたコミュニティーの皆さんに心より哀悼の意を表します。私たちは、関係するそれぞれの国にどんな理由があったかにかかわらず、この悲劇をもたらした攻撃を断固として非難します。

私たちはまた、この事件後の展開にも深く憂慮しています。軍事活動が続き、政策決定者や人々の間にさえ挑発的な言動が広まり、緊張が高まっています。このような反応の背景にある感情は理解できるものですが、緊張が高まればそれはさらなる暴力や衝突をうむだけです。緊張を和らげ、創造的で平和な解決方法を探すために協力しなければなりません。進むべき道は、対話をおいてほかにありません。東北アジアの人々は、平和を求めて団結するべきです。

私たちは、関係するすべての国の政府および人々に以下のことを誓約するように訴えます。

1. 今すぐ軍事活動を止めること。
北朝鮮と韓国は、ただちに停戦を宣言しなければなりません。事件発生地域内および周辺での軍事演習は状況を悪化させるものであり、止めるべきです。すべての関係国は、地域の緊張を高めるいかなる行為も慎まなければなりません。

2. 対話の開始へと努力すること。
北朝鮮と韓国の政府は、できるだけ早く外交的対話を準備しなければなりません。その他の国の政府は、この対話が成功するように努力するべきであり、6カ国協議の早期再開を含む地域的な対話も追求するべきです。

3. 事件で何が起きたのか調査すること。
砲撃事件発生地域は長年にわたって北朝鮮と韓国の間の係争地域であったという事実に注目しなければなりません。それゆえにすべての関係者は挑発および軍事行動を完全に控えるべきでした。事件で実際に何が起きたのかを明らかにするために、国際的調査が必要です。

4. 軍備競争に走らないこと。
どの国も、この事件を理由に軍備増強や軍事予算の増加をするべきではありません。軍事力の増強は紛争を予防するどころか、軍備競争を引き起こしてしまいます。軍備競争は、限られた資源を必要としている人々から奪うばかりでなく、さらなる衝突の危険を高めます。必要なのは、地域的な協調的軍縮措置および安全保障協定を発展させることです。

5. 非武装地帯を設置し拡大すること。
私たちは、2007年10月4日の南北首脳会談の共同宣言で合意されたとおり、この地域でのこれ以上の紛争を予防することを目的に、北朝鮮および韓国の政府が西海/黄海に「平和協力地帯」を設置することにとり組むよう求めます。
また、この地域におけるその他の紛争地帯においても、非武装地帯を設置し拡大するよう呼びかけます。このような非武装地帯では、演習を含む軍事活動は禁止されるべきであり、対話および透明性の向上を図るためのプログラムなどの信頼醸成措置を行うべきです。

6. 市民社会が重要な役割を果たすべきこと。
市民社会のアクターであるNGO、学術機関ならびにメディアは、上記のようなプロセスを円滑に進めるために重要な役割を果たすことができます。政府は、このようなアクターがその正当な役割を果たせることを保障すると同時に、そうするように奨励するべきです。メディアには、いかなる挑発もしてはならないという特別な責任があります。メディアはむしろ、バランスのとれた分析を広めるとともに、対話を促進するべきです。

今回の悲劇的な事件は、東北アジア地域が未だに分断され冷戦の残滓に悩まされているということを改めて浮き彫りにしました。朝鮮戦争の休戦協定から半世紀以上が経った今日、朝鮮半島における平和体制をつくり出す必要があり、同時に、東北アジア全体に平和メカニズムが必要です。私たちは、2000年6月15日と2007年10月4日の南北共同宣言および2005年9月19日の6カ国協議の共同声明を想起し、関係国政府にさらなる努力を求めつつ、これらの目標の達成に向けて努力することを改めて誓約します。

2010年12月2日

当初署名人:
安藤博 (ANDO Hiroshi)/非暴力平和隊・日本、東京
區伯權 (AU Pak Kuen)/香港教職員連盟、香港
バディム・ガポネンコ (Vadim GAPONENKO)/国立海洋大学、ウラジオストック
黄浩明 (HUANG Haoming)/中国NGO協力促進会、北京
徐斯倹 (HSU Szu-chien)/台湾中央研究院政治学研究所、台北
メリ・ジョイス (Meri JOYCE)/GPPAC東北アジア地域連絡オフィサー、東京
チョン・ギョンラン (JUNG Gyung-Lan)/平和をつくる女性の会、ソウル
川崎哲 (KAWASAKI Akira)/ピースボート、東京
アントン・コステュック (Anton KOSTYUK)/国立海洋大学、ウラジオストック
イ・ジェヨン (LEE Jae Young)/韓国アナバプティスト・センター、東北アジア平和構築インスティテュート、ソウル
イ・テホ (Lee Taeho)/参与連帯、ソウル
松井ケティ (Kathy R. MATSUI)/ハーグ平和アピール平和教育地球キャンペーン、東京
笹本潤 (SASAMOTO Jun)/日本国際法律家協会、東京
沈丁立 (SHEN Dingli)/復旦大学、上海
イ・キホ (YI Kiho)/韓神大学、ソウル
吉岡達也 (YOSHIOKA Tatsuya)/GPPAC東北アジア地域イニシエーター、ピースボート、東京
張家棟 (ZHANG Jiadong)/復旦大学、上海

このページのトップに戻る
「私と憲法」のトップページに戻る