私と憲法114号(2010年10月25日号)


70年代以来の安保・防衛政策大転換の企て~「新安保防衛懇報告」から「防衛大綱」策定の動きにみる重大な危険性

【武器輸出3原則の緩和へと舵を切った菅内閣】

菅直人政権のもとで、従来、事実上の「国是」とされてきた「武器輸出3原則」の見直し=緩和の動きが、政府閣僚の相次ぐ発言や、与党民主党の「外交・安保調査会」の議論などのなかで、相次いでいる。これは年末に予定されている、国の安保防衛政策全般に関わる基本方針=「防衛計画の大綱」の改定をにらんで、それを先取りし、既成事実化する動きだ。

この間、私たちが再三にわたって指摘してきたように、新「防衛計画大綱」策定のためのたたき台として、8月に菅首相に提出された「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・佐藤茂雄京阪電鉄代表取締役CEO)による報告集=「新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想-『平和創造国家』を目指して」は、70年代に三木武夫元首相らによって固められた国の安保・防衛政策の根本的な転換をめざすものであり、極めて危険な内容を持っている。

その諸問題のひとつが「武器輸出3原則」の緩和だ。武器輸出3原則は、その後、米国などを例外とする措置が講じられたとはいえ、憲法第9条を持つ国として、諸外国への武器輸出や武器技術供与を禁じてきたものだ。これは従来から軍需産業を抱える財界や、永田町の防衛族議員、防衛官僚などが執拗に要求してきた問題だ。とりわけ、防衛産業は外国との技術交流なしには最新技術開発から後れを取るとか、自衛隊のみを対象にした生産では防衛産業がなりたたないなどを理由に、3原則の緩和を求めてきた。また防衛省はミサイル開発や次期戦闘機FXの導入などをめぐって、国際共同開発を要求してきた。

あれこれの議論がかまびすしい中で、菅内閣は10月22日、「3原則を取り巻く状況の変化を考慮しつつ、その扱いについて議論する」という答弁書を閣議決定した。日本が米ロ中などと同様に、世界的な武器輸出国「死の商人」になる道へ一歩踏み出すための議論を開始するというのである。従来、自民党政権ですら躊躇してきたこの問題の「突破」が菅内閣のもとで進められようとしていることは極めて危険な動きだ。

【新安保懇報告書の危険性】

それだけではない。このところ、安保防衛問題をめぐる防衛省などの動きには極めて危険なものがある。
全体として「新安保防衛懇報告」の認識は、世界的な範囲での米国の相対的地位の低下と、東アジアにおいて中国が台頭し、日本を取りまく国際情勢が大きく変化しているという「中国脅威論」を土台にして展開されている。

この考え方にそって、防衛省は来年1月に行われる日米共同方面隊指揮所演習(ヤマサクラ)に南西諸島防衛を初めて盛り込むことを決めた。これはまさに安保防衛懇報告書が主張していることそのものだ。演習では中国海軍を東シナ海に封じ込める「南西の壁」概念を打ち出し、陸自などを南西諸島に機動展開する訓練を行う。対応して防衛省は76年以来初めて陸自の定員の大幅増を構想し、現在の15万5千から16万6千人体制とし、沖縄では現在2千人の陸自を20年には2万人規模に増員しようとしている。また海上自衛隊保有の潜水艦も76年以来初めて、現在の16隻体制から22隻体制へと増強する構想が浮上した。

自公政権に代わった民主党政権下で、このような大幅な軍備増強が企てられている。
新安保懇報告書はこのほか、「PKO5原則」の見直しと「自衛隊海外派兵恒久法」の検討、「集団的自衛権行使」の憲法解釈の見直し、「非核3原則」の将来的な見直し(当初の原案ではこの見直しに取り組むとしていたが、世論の反発を考慮し、先延ばしした)等を提起し、76年以来、日本の防衛政策の基調となってきた「基盤的防衛力構想」の全面的否定を主張している。「基盤的防衛力構想」が憲法9条の下で妥当か否かはさておき、これが日本の軍事力の際限のない拡大の動きに対して一定の歯止めとしての役割を果たしてきたことは否めないだろう。

そして、報告書にはわざわざ「(北朝鮮などの)弾道ミサイルおよび巡航ミサイルに対しては、防御に加えて、打撃力による抑止を担保しておくことが重要である」などと指摘することで、ブッシュ米国前大統領の「先制攻撃論」にも通じる「敵基地攻撃論」を示唆までしている箇所すらある。

報告書はこれを「受動的な平和国家から能動的な『平和創造国家』」への転換だと主張し、憲法9条のしばりを振り払う方向を、「政権交代」を「絶好の機会」として実現しようとしている。このままでは、この「報告書」の考え方が、年末に策定される「防衛大綱」に盛り込まれる可能性が濃厚だ。

このような動きとあわせて、参議院で「憲法審査会規程」を策定する方向で自民党と民主党の参議院執行部が合意したことは、容認できない。先の参院選で過半数を失った与党が、自民党の要求に屈した形だが、憲法にかかわる重大問題を党利党略で取り扱うことは言語道断だ。

【軍事同盟による抑止ではなく、真の「東アジア共同体」実現への道を】

鳩山首相は今年3月に朝鮮半島沖で発生した韓国の哨戒艦「天安号」の沈没事件を奇貨として、北東アジアの軍事的緊張に対応する在沖縄米軍の「抑止力」の重要性を語り、普天間基地の「県内移設」の「日米合意」を作った。沖縄県民が県民世論あげて反対する辺野古「移設」の日米合意を無批判に継承する菅内閣は、11月の沖縄県知事選挙を前にして、今回発生した「尖閣列島」における中国漁船の領海侵犯事件とその拿捕をめぐる日中間の紛争を絶好の機会として、利用した。この方向を積極的にすすめているのが民主党内の仙谷官房長官や前原誠司外相などの「凌雲会」グループに代表される右派潮流だ。

これを契機に中国でも偏狭なナショナリズムによるデモなどが勃発し、日本でも一部メディアに呼応して、田母神俊雄元航空幕僚長らの右翼が組織したデモが行われて、偏狭なナショナリズムを煽っている。一部からは尖閣問題で、「一戦交えても領土を守れ」などというトンデモの議論まで起きている。

憲法第9条を持つ日本がすすめることのできる道は、こうした緊張と対立を煽る道ではない。多くの東アジアの諸国と民衆もそうした「解決」を望んでいない。朝鮮半島の非核化を目指す「6カ国協議」の再開など、軍事力によらない東アジアの平和が追求されなくてはならない。先の政権交代によって、民主党がまがりなりにも掲げた「東アジア共同体」はいまこそ真剣に追求されなくてはならない。日本の憲法9条はこうした動きの中でこそ、その真価を発揮するに違いない。

「新安保防衛懇報告書」とそれによるさまざまな動きはこの道への逆流だ。
いま、この動きとの闘いが緊急の課題になっている。

私たちは当面する沖縄県知事選挙での勝利に全力をあげ、日米政府に普天間基地の辺野古移設を断念させ、その即時撤去を実現しなくてはならない。中国や北朝鮮敵視など、東アジアの緊張を激化させるさまざまな動きに反対し、平和と友好、共生のアジアを目指す世論を強めなくてはならない。そして、新防衛大綱策定の作業の監視と、そのなかで企てられている憲法9条をないがしろにする動き、武器輸出3原則の緩和など、軍事力と日米軍事同盟の強化の動きに反対しなくてはならない。参議院憲法審査会規程の制定など、憲法改悪のための憲法審査会始動の動きに反対しなくてはならない。

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第54回市民憲法講座(要旨)
「安保改定50年――「日米同盟」の現在 軍事力による抑止でなく、共通の安全保障」

湯浅一郎さん(NPO法人ピースデポ共同代表)
(編集部註)9月18日の講座で湯浅一郎さんが講演した内容を編集部の責任で集約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

「ピースデポ」とわたしの紹介

「ピースデポ」というのはあまり聞き慣れないと思うんですが、弾薬庫のことを「Ammunition Depot 」というんですね。「Depot」は 「倉庫」という意味で「平和の倉庫」ということです。いまは情報が国家とか権力を持った側に集中していて、情報が市民のものになっていない状況をなんとか変えていこうという問題意識で、1998年につくったNPO法人です。

1984年にアメリカがトマホークの配備を始めたのをきっかけに、「トマホークの配備を許すな・全国運動」が市民レベルで北から南まで集まってネットワークをつくって活動してきました。その活動の中から、1980年代後半から90年代にかけて欧米のNGOが情報公開法などを活用して、自国の政府に対してものをいっていく手法に接しました。アジアでそういう活動が全然なく、その重要性を議論しているうちに、自分たちがつくるしかないということになりました。準備委員会をつくり、約8年かかってやっとできたものです。ピースデポは会員の方からいただく会費と、出版物を売ってしのいでいます。

安全保障という言葉が日本では軍事力に依存することになって、今日のお話の安保条約もそうなっています。しかし、わたしたちが目指しているのは軍事力によらないで、それぞれの国が自立した生存を確保していけるような体制をどうつくっていくのか、その先には「人間の安全保障」も想定しながら、それを目指していこうと活動しています。

わたしは1975年に広島県の呉に就職で行きまして、昨年の春までそこにいました。瀬戸内海の広島と松山のあいだにある、安芸灘に面してわたしの職場があり、瀬戸内海の水の流れを調べながら環境汚染問題に関わる研究に携わってきました。たまたま近くの山と陸の部分がアメリカ陸軍の広弾薬庫です。この弾薬庫とわたしの職場のあたり一帯が、呉の海軍工廠の跡地です。呉は日本の旧3大軍港―横須賀、佐世保、呉、舞鶴を入れると4つですが―のひとつで、海軍工廠だったところにわたしの職場ができ、米軍が戦後ずっと駐留し続けた結果として弾薬庫があります。わたしの部屋から海側を見ると何をやっているかが見えてしまう位置にあって、弾薬の何かの作業中に爆発などが起これば、最初に被害者になる可能性を持って仕事をしていたことになります。

1991年1月17日、湾岸戦争が始まった3~4日後にさきほどの弾薬庫から湾岸地域に弾薬が運び出される。そのときにわたしたちのピースリンクというグループが抗議行動をしました。自分の職場のすぐ近くの弾薬庫から湾岸戦争に直結している。わたしはいませんでしたが、ベトナム戦争のときもまったく同じ状況だったそうで、広島県にある米軍の弾薬庫がアジア太平洋地域の戦争と直接つながっています。沖縄はそこら中にそういう問題があるわけです。この関東地方にも横須賀であったり横田であったり、同じ問題をずっと抱えながら戦後50年、60年経ていて、呉にも同じ問題があります。そういうところで反基地運動をやっていたんですが、定年退職を迎えることもあり、また生まれ育ったのは東京の三多摩なのでいずれ戻ろうという気持ちもあって、現在はピースデポの仕事をやっています。

ピースデポの名前が一般の人に知られたのは、2007年の今頃、参議院選挙で自民党が大敗して、ねじれ国会になった秋の臨時国会で中心テーマがテロ特措法延長問題でした。何年か前からわたしたちにはだいたいわかっていたんですが、テロ特措法に基づいた海上自衛隊の燃料供給が、結果的にはアフガニスタンの戦争だけでなくイラク戦争とも深く関与していたのではないか。それは当然特措法に違反しています。そのことをアメリカの情報公開法によって、艦船の航海日誌を分析した結果を示して国会の論議に使ってもらいました。それを理由に数ヶ月間審議が伸びていって、テロ特措法はいったん廃案になるところまで行きました。

安保改定50年に見る平和憲法との二面性

米軍基地の4分の3が沖縄に集中していることは歴史的な経過がありますが、逆に言えば4分の1は本州、ヤマトにあるわけです。米軍の世界展開の中で在日米軍は非常に重要な位置づけを持っていて、それを変えるのはそんなに簡単にはいかない問題です。軍事力による抑止という考え方でいる限りなかなか先が見えてきません。軍事力による抑止ではなく、共通の安全保障という発想の中でそれを目指していくためには、外交政策の中に憲法9条の規範を取り入れていくことになると思います。そのように外交の方向性を変更していくことがいま必要ではないかというお話をさせていただきたいと思います。

今年は1960年から50年ですけれども、戦後史をもう1回振り返ったときに、安保と平和憲法のせめぎ合いの二面性が見えると思います。それから、わたしたちが暮らしている北東アジアの軍事的な状況は、安全保障のジレンマ、軍事力による安全保障という考え方を取っている限りずっとついて回るジレンマの構図の中に置かれています。アメリカの世界規模の展開の構造と日米の軍事的な関係の現在を見て、そして発想を変えるべきではないかということで、包括的な共通の安全保障に向けた道を目指すべきです。その手がかりとしての北東アジア非核兵器地帯、それから専守防衛といったことをお話しして、最後に平和友好条約へ向けた取り組みについてお話ししたいと思います。

2010年という年は、韓国強制併合から100年、そして戦後の米ソ冷戦に起因するアジアでの熱い戦争としての朝鮮戦争から60年、そして日米安保条約改定から50年というエポックメイキングな年です。今年は日本の近現代史をもう一度とらえ直す絶好のチャンスになる年です。残念ながらいまも朝鮮戦争は終わっているわけではなく、38度線によって南北に分断されたままの状態が続いています。それとも深く関係しながら、日米安保条約はある時点から日米同盟という言葉が使われるようになり、現在の民主党政権もその延長上でものごとを考えようとしている節がある。

戦後65年経っていますが、これはどちらかというとアメリカの都合によってつくられた経過―1945年からの占領時代にひとつの方向性がつくられてしまったことがあるのかもしれませんが、ふたつの側面が見えているのではないか。ひとつは第1次安保条約を含めて、アメリカの世界戦略における軍事的な協力国としての役割を果たすべく残念ながら機能してきて、アメリカの戦争をずっと支えてきた。ベトナム戦争はどうかわかりませんが、朝鮮戦争くらいまでは極東の範囲でのアメリカの戦争を容認し、支えてきた。冷戦が終わった直後に結局は何をしたかというと、自衛隊が海外に出て行くことを始めて約20年近くも経ってしまっている。こういう構図が一方にあります。

もう一方で、憲法9条は未だに手放していないし、その精神に基づいて、少なくとも自分の意思で本格的な戦争を始めることは阻止し続けてきているという歴史もあるわけです。その両方のせめぎ合いの歴史として戦後史をとらえることも可能だと思います。

それを年表的にさかのぼってみますと、1946年、日本国憲法については駐留軍の意向があったことは間違いなく、枢軸国としての日本、ドイツ、イタリアの武装解除が戦後最初のアメリカの発想としてありました。その後、米ソ冷戦が激しくなって核軍拡競争が続く中で、東アジアでは朝鮮戦争が結果的に起こります。同時に朝鮮戦争が起こってわずか2か月後には警察予備隊がつくられ、言ってみれば陸上自衛隊の前身みたいな、日本の再軍備が始まってしまうという歴史も見えます。

1945年から50年にかけての、戦後の世界をどこがどう牛耳っていくのか。米ソ冷戦の対立構造の中に朝鮮半島も日本も置かれながら、日本はいったん武装解除されたわけですが、再軍備が始まり、1954年に陸海空3軍の自衛隊が発足した。その延長上に1951年のサンフランシスコ講和条約と旧第1次安保条約が結ばれて、日本は東西対決の中で西側につく選択をした。10年後に、さらにそれを確定していくかたちで日米新安保条約が締結されました。1960年まではちゃんとしたかたちで安保条約の延長問題が議論されますが、その後なし崩し的に、70年安保というのはありましたが、まともな論議がされないままずるずるとやってきてしまっている状況です。

米国が求めるままに基地・戦争を支えた歴史

1978年に旧ガイドライン-日米防衛協力指針が結ばれて、ここで日米の共同行動が位置づけらます。1980年代に入って米ソ間でも、このまま核軍拡を続けていたのでは両方とも持たないとなり、一方でヨーロッパを中心に米ソ冷戦の構図、軍事力によって抑止する構図の延長上に、人類の未来はあるのかと思った人たちがかなりいました。その中で1982年にパルメ委員会が共通の安全保障という概念を作り出していって、それを米ソの首脳がある種取り入れながら冷戦の終結に向かっていくことがヨーロッパでは続いていった。その結果が1989年のベルリンの壁崩壊であり、1991年のソ連の解体で冷戦が終わっていった。

日米安保条約及び自衛隊の存在は冷戦の中で作られたわけで、冷戦が終わる事態を迎え、その両方とも存在が問われました。ところが日本政府だけなのかどうかわかりませんが、フセインのクウェート侵攻をきっかけにして、冷戦終結が見えてきたと同時に湾岸戦争が起こる中で、自衛隊の存在そのものを問うのではなくて、日本が国際的な貢献をするために何ができるのか、という話のすり替えが行われ、自衛隊の海外派遣がスタートします。91年の1月から3月いっぱいまで湾岸戦争の戦闘が行われました。その最中にも、飛行機を飛ばすとか議論はありましたが、最終的には戦闘が終わった直後の機雷除去を名目にして掃海艦隊がペルシャ湾に派遣された。1991年4月26日、チェルノブイリの事故があった同じ日付ですが、横須賀、呉、佐世保から出て行った。自衛隊の海外派遣のスタートに当たります。

その後PKO法をつくり、2000年以降は9.11を理由にしたテロ特措法やイラク特措法とか、特別な法律をつくりながら憲法の足下を切り崩す実質的な法律体系が作られていきます。このときヨーロッパではEUが1993年にでき、1995年には欧州安全保障協力機構(OSCE)ができて、少なくとも欧州の中での戦争は考える必要がないという構図を欧州の人たち自身がつくっていきました。残念ながら東アジアではそうはならなくて、1995年の橋本・クリントン会談で日米安保再定義がなされ、もう一度安保条約を位置づけ直す。そのときくらいからしきりに「同盟」という言葉が言われ始めた。

これは最近わたしたちがつくった図で、米ソ核軍拡競争のひとつの結果を示しているもので、アメリカが持つ核兵器の保有数の経年変化です。1945年に6発つくり、そのうちの3発がアラモゴードでの核実験、それから3週間後に広島、長崎に落とされます。その後10年くらいはそう増えていませんが、 65年、70年くらいまで急激にアメリカの核兵器保有数は増え、一番多いときは1967年に31000発。ソ連は10年くらい遅れて増えていきます。地球上に核兵器が一番多かった年は1987年で、約7万発あったといわれています。そのうちの99%がアメリカとソ連だったと言っていいと思います。

ベルリンの壁崩壊から冷戦が終わる過程で減少の方向に移り、現在約23000発といわれています。どれくらいの時間でこれをゼロにしていけるのかが人類に問われていると思いますが、この経年変化の数字の中に戦後の米ソを中心とした核軍拡競争、核兵器を中心とした軍事力によってお互いを抑止しあう関係の歴史が示されています。

日本では1995年の安保再定義以降、それに対応するかたちで1997年に日米防衛協力指針がつくられて、これはいまも生きています。このガイドラインに対応した法律がその後の数年間につくられていく。最初にできたのが1999年の周辺事態法。その後有事関連法はなかなかできそうになかったんですが、2001年の9.11事件をきっかけにしてテロ特措法、イラク特措法を相次いでつくりながら、有事関連包括法が2003年にできていく。国民保護法も含めてかもしれませんが、ガイドライン締結以降の6~7年のあいだに有事関連法や周辺事態法もできて、何かが起こったときにはいつでも政府がその気になれば使えちゃう法律が存在していることは忘れてはいけないと思います。いまはそういう状況ではないから意識の中にないんですが、新ガイドラインは13年前につくられていまも続いていると思わざるを得ません。

それと関連はしつつアメリカは新自由主義に基づいた戦略の中で、ほぼ同時並行で2003年頃から世界規模の米軍の配置を変えることを始めた。米軍の世界再編というかたちで2004~6年くらいに、世界中でそれぞれの国との関係の中で基地の再編を進めてきました。日本は一番中心のひとつとして、2006年5月に在日米軍の再編に関するロードマップが合意された。防衛省の昇格が次の年になされ、憲法改正の国民投票に関する法律ができて今年施行されてしまいました。いまも平和憲法を持ち続けている、しかし安保条約に基づいてアメリカが世界のどこかで起こす戦争に在日米軍基地が動いていることを止められない、という両面性を持ちながら現在があります。

安全保障ジレンマ=自らの安全保障が他者の安全を侵害する

それを踏まえながらわたしたちが暮らしている現在の北東アジアの軍事的な状況について少しお話しします。世界全体のことももちろん大切ですが、自分たちの存在を考え、それを変えていけるかどうかが世界を変えることにつながっていくと思うからです。ひとことで言えば安全保障ジレンマというべき悪循環がいまも続いています。それをもっとも象徴的に示したものが、最近では今年の3月にあった韓国の哨戒艦「天安艦」の沈没事件です。冷戦構造が残っている唯一の地域とも言える北東アジアで、この事件が起きた場所そのものが非常に象徴的です。

38度線は海上にも一応あり、休戦協定を署名したあと北方限界線という線を引いた。これは連合軍が引いたんですが、朝鮮民主主義人民共和国-北朝鮮の側は必ずしもこれを認めているわけではなく、北朝鮮が言っている海上軍事境界線とは10キロから10数キロ離れています。沈没事故が起きたところは連合国側が言う北方限界線から数キロ南側です。この空間的位置関係を見ただけでも、どちらに原因があるかという問題は時間がないのでお話しできませんが、事件の根源は明らかに冷戦構造が、軍事的政治的緊張が未だに続いているということです。そういう状態に置かれている中で起こった出来事だということは抑えておく必要があります。

これをめぐっては、2か月後くらいに韓国が国際軍民合同調査団の報告書を出し、その中で北朝鮮の潜水艇から発射されたミサイルによって事件が起きた、と言った。3月から4月にかけては、そう言っていなかったんですが、だんだんこういうかたちになって、6月に国連安保理に書簡を送って何とかしてくれないかと持ちかけていきました。

この直後の6月2日に韓国で全国的な規模の地方選挙が行われ、与党が大敗しています。与党は経済問題や他のさまざまな要素も含めた選挙を想定していたと思いますが、この事件との関係でいうと、北朝鮮が原因だということを2週間前に発表した中での選挙だったので、世界的にも非常に注目されました。しかし韓国の市民は、軍事的な衝突を望まず、非常に冷静だったと思います。多くのNGOや政党、国会議員から政府の発表に対する数々の疑問が出され、国際的にも論議されました。その後、国連安保理で特定することなのない決議が出て、大事にならないですんだという経過です。そのときに総理大臣なったばかりの菅首相は、露骨に北朝鮮を非難して、非常に問題のある対応でした。

この事件だけではないですが、南北の境界線が未だに存在し朝鮮戦争が終わっていない状況の中で、軍事的な対決状態が続いていることから、安全保障ジレンマという構図が典型的に見えていると思います。安全保障ジレンマというのは、対立する勢力があったとき、AならAが自分の安全を確保しようとして新しい兵器体系などを配備する行動を取る。するとそれが相手Bの安全を損なう結果を当然もたらす。Bの方はそれに対して何らかの軍事的対応をせざるを得ず、Bもなにがしかの軍事的な行動をする。その行動はもう一回Aの安全を損なうように機能し、Aはまた軍拡を進めるということです。

さきほど見た戦後の米ソの核軍拡、最初ゼロから出発して10年、15年経ってみたら両方とも数万発の核兵器を持っていたというのは、核軍拡の増幅が起こっていった悪循環です。お互いが不信感を持ち合いながら軍拡競争をしていく先に、その地域の安寧、お互いがそれぞれに安心して生きていける道があるのかといえば、どう考えてもその繰り返しの先には未来はないとしかいいようがありません。軍事力による安全保障という考え方に立つ限りはどの地域、米ソ冷戦の場合は世界規模だったわけですが、終わりの見えない悪循環が続いていくことになります。

北東アジアの安全保障ジレンマ

北東アジアの安全保障ジレンマを見ますと、ひとつは世界最強といわれる米軍が、いまちょっと減りつつありますが、8万人の規模で日本と韓国に存在しています。アフガニスタンとかイラクには特別に派兵していますが、それとは別に常駐という範囲で約20万人のアメリカ兵が21世紀に入ってから配備されています。数え方については基準がよくわからないんですが、アメリカの海外基地は世界で716という数字があります。そのうちの半分以上は西ヨーロッパと東北アジアに集中しています。

西ヨーロッパはドイツとイタリアそしてイギリスで300くらい。北東アジアでは日本と韓国に130、両方あわせて430で、700のうちの6割くらいがこのふたつの地域に集中しています。人数はもっと集中していて、世界規模で約20万人の半分はドイツとイタリアが中心でした。それから45%くらい、87000人が日本と韓国にいます。ここには第2次世界大戦後に枢軸国を武装解除したことと裏腹の関係で、アメリカが駐留軍、海外に基地を置く場所を、ドイツ、イタリア、日本の3つに集中させていたことがよくわかります。つまり枢軸国に米軍基地を集中的に置いて、それが米ソ冷戦の構図の中でドイツ、イタリアは最前線の基地として存在していた。

北東アジアには日本と韓国に約8万人の兵力が集中している。これは北朝鮮から見ればとんでもなく大きい戦力です。80年代に入ってからは、横須賀にいる空母の随伴艦に搭載されているトマホークを全部併せると約500発あるといわれていました。その500発のトマホークが、もし核トマホークだとすると2千数百キロ先のテニスコートに命中できる精度を持っているといわれているわけで、それが横須賀に配備されています。それは北朝鮮から見れば背に腹は代えられなくて、軍拡をせざるを得ない。あるいは1999年の新ガイドラインに対応したようなテポドンの発射実験とか、2006年、2009年の核実験とか、それがいいとはもちろん思いませんが、そういうかたちでの対抗をせざるを得ない構図があったことは間違いありません。

そのミサイル実験を背景にして、日米のあいだではミサイル防衛の増強を理由にイージス艦の配備をどんどん行った。この12月に防衛大綱の見直しを監視していかなければいけないと思いますが、アメリカ本土をねらった弾道ミサイルに対して日本も対処できるようにしなければいけないことを理由に、集団的自衛権の行使に当たるような憲法解釈を変更させようという流れもきてしまうわけです。

この資料は横須賀にいる米軍艦船の1985年からの経年変化を表にしたものです。ピースデポがつくったものですが、85年にはブルーリッジという第7艦隊の旗艦がいて、空母ミッドウェイがいて、その空母の随伴艦が8隻いました。トマホークの配備が始まったのが80年代の後半で、イージス艦のバンカーヒルからです。イージス艦が配備され始めるのは80年代の終わりから90年で、バンカーヒル、モービルベイから始まります。現在、空母は2年前に原子力空母に変わってしまいましたが、ジョージワシントンという原子力空母がいて、その随伴艦全部がイージス艦になった。

最初、イージス艦は1隻か2隻でしたが、2000年に入る頃からどんどん増えていく。テポドンの発射は99年ですが、この前くらいからイージス艦の数が増えていって、表の中で黒に塗ったものは、半分くらいが監視だけではなく迎撃できる能力を持ったイージス艦で、持っているという疑いのあるものを含めて4隻か5隻いる状況です。ここでも安全保障ジレンマの過程の中で、北朝鮮がミサイル実験をある意味せざるを得なくてやったのを理由にイージス艦をどんどん増やし、自衛隊のイージス艦も同じように増えている。こういうことをやっていく先に未来はあるのかが問われていると思います。

日米同盟の現在

日米同盟の現在ということですが、軍事力による抑止論が鳩山政権になってからもしきりに言われて、最終的には海兵隊までもが日本を守るためのものだということを言って首相が交代した。その背景にあるのは、軍事力が平和を担保するという思想であることは間違いありません。照屋寛徳さんが今年出した質問趣意書に日本政府が答えた言葉ですが、「侵略を行えば耐え難い損害を被ることを明白に認識させることにより侵略を思いとどまらせるという機能を果たすことである」。それを沖縄の海兵隊が持っていると言っていますが、ここにおられるみなさんはそうではない実態をよくご存じだと思います。

この問題に関して、象徴的な事例として忘れてはならないなと思っているのは、2004年8月に沖縄国際大学に普天間基地の米軍ヘリコプターが墜落した事故です。もちろん普天間基地の危険性を象徴する事故ですが、事故が起こった背景と、事故が起こった直後に米軍が取った行動の中に、日本にある米軍基地がなんのために存在しているのかを露骨にあらわしています。8月13日に墜落事故を起こし、それから10日も経っていない8月22日にエセックス――4万トンくらいあるわりと大きな揚陸艦でヘリコプターを運ぶ空母とも言えるものです――これが佐世保から東海岸のホワイトビーチにきて、そこに普天間から事故を起こしたものと同じ型のヘリコプターが飛んでいって、そのままエセックスはイラクに向かいました。

このときは事故が起きて日本政府もまだ原因がわかっていない段階でした。アメリカ側は日本政府にまったく無断に飛び立ってしまう。ちゃんとヘリ部隊を送り届けないとローテーションが成立しないという、せっぱ詰まった中で事故が起き、原因もわからない状態のまま、残った部隊がそのまま飛んでいってしまう。その後に何百ページもある事故報告書がでます。整備兵が何日も徹夜をして、十分睡眠も取れない状況で仕事をしていた。ヘリの整備兵が、ホッターピンという重要なピンをつけ忘れてしまったために事故が起きたといわれています。イラク、アフガンの両方を抱えていたアメリカ軍の疲弊ぶりの反映としてあの事故が起き、事件が起きたにもかかわらず、同型機を10日も経たないうちにそのままイラクへ向けて派兵する。そこに普天間のヘリ部隊と沖縄の海兵隊の置かれた状況が象徴されていると思います。

海外基地ネットワークの再編=蓮の葉戦略

2006年の日米合意以降、米軍の世界再編の進行との関係で在日米軍基地の再編が進行しています。政権交代後の民主党政権もこの合意を、昨日発足した菅改造内閣ではそのまま踏襲しながらやっていくといっています。米軍の世界再編の基本的な考え方は、ドイツ、日本に固定的な基地をたくさん置くのではなくて、世界規模のアメリカの国益を守るために柔軟に、機動的に対処できるように基地を再編することです。

2003年11月にブッシュ大統領が宣言して世界中でその作業を始めます。そのときの原則が5つあります。ひとつは、どこでいつ何が起こるかわからないという不確実性と闘うための柔軟性と機動性。ふたつ目として、特定地域に大きな基地を置くことは一応やめる。たとえば韓国に大きな基地を置いても、それは朝鮮半島対応だけではなくて地球規模の部隊運用をする。アフガンとかイラクのようなことが起きれば在韓米軍も動くのが当たり前というようにつくりかえることです。3つ目は迅速展開能力の発展。4つ目は脅威に対する「能力」、兵力や武器、艦船のことです。それから同盟国の役割強化ということで、日本に対しては自衛隊と米軍の一体化、自衛隊の任務を拡大する。ですから対外任務も本来の仕事にし、自衛隊を自衛隊でなくしていく。それは事実上9条を変えていくことにも当然つながっています。

こういう原則に基づいた、世界大で米軍基地の再編が2003年末から始まっていきます。このことを米軍は「蓮の葉戦略」といっています。池があって蓮の葉の大・中・小の間を、カエルがぴょんぴょんと跳ねながら池全体に機動的に移動できることを想定しています。その大きい葉っぱに当たるのが日本であり韓国でありドイツです。3つくらいの範疇に分けていますが、常駐部隊を置く、インフラがあるハブ基地として、主要作戦基地として日本とか韓国が位置づけられている。思想は変わったが、日本に関しては基地が減ることはなく、むしろ強化していく。

世界規模で見て、米軍の駐留経費の負担は日本がダントツに多くて、次の次くらいに韓国だということから考えると、アメリカがそれを手放す理由は全くない。固定的な大きな基地をどこかに置くことはやめるといいながら、基本思想は変わったけれども日本と韓国については大きな削減は見込めないで、むしろ基地強化に向かっている状況です。
  ふたつ目がローテーション部隊を配置できるような前進作戦基地です。あまりインフラはないが滑走路があって、いつでもそこに飛行機部隊が行けるような、東欧とか中央アジアに新しい基地をつくることが想定されています。3つ目は、小さな葉っぱに当たる一時使用のための安保協力地点ということで、フィリピンとかシンガポールです。フィリピンは、昔は大きな米軍基地がありましたけれども、それはフィリピンの民衆から追い出されました。しかし港を自由に使える程度の安保協力をつくっておくことは、米軍にとってメリットが高いのでそういうものをつくる。世界規模でこうしたことを進めることによって、機動性、柔軟性を備えた基地のネットワークをつくることが行われている最中です。

共同防衛のための同盟国の貢献

日米安保条約の極東条項第6条とは矛盾そのもののことが、米軍再編というかたちで行われています。本来であれば日本政府が、安保条約6条は変わっていないから合意できないといっても全然おかしくありません。しかしむしろいま逆の方向に動いています。

2006年5月に最終合意が結ばれますが、思想的にはその前年の2月と10月に、まず2+2合意というかたちで日米両国にとっての共通戦略目標を確認する。それに対応して10月に中間報告というタイトルで「未来のための変革と再編」という、なんか民衆の側がつくったような表題といってもいいような格調高い言葉が使われています。中身は日米の同盟関係を世界規模のものとして位置づけていく、そしてとりわけ日米の司令部機能を一体化していくことが中心になっています。在日米軍の再編を実施するためのロードマップが2006年5月に確定し、その中心のひとつが普天間基地の代替施設としての名護への移転と8000人の海兵隊のグアム移駐が含まれています。

現政権もこの合意を踏襲していくということです。普天間基地の名護への移転、移設に関連して、鳩山さんはいくらか努力をされたのかもしれませんが、最終的にアメリカはほとんど相手にしなかった。その物理的な背景は、「共同防衛のための同盟国の貢献」というアメリカ国防総省が出している報告書にあるのではないかと思います。毎年出ていないようで、古いデータですが基本構図は変わっていません。5年ほど前のものです。米軍の、世界に展開している基地全体に対して77億ドルくらいのお金が各国から出ています。そのうちの60%くらい、44億ドルを日本が出している。その次はドイツ、韓国、イタリアです。さきほどの米軍基地の規模に比例しているといえば言える。

さらに日本に駐留する米軍、約5万人の駐留経費全体を100とすると、その74.5%を日本政府が負担している。米軍の軍事的な部分を除くほとんどを、日本政府が出していると言っていいと思います。ドイツはこの割合が30%くらいで、韓国も40%くらいです。4分の3を出している国は、ノルウェーがそうですが、ノルウェーはもともと全体の数字が少ない中での4分の3ですからたいしたことはありません。

一番多く出している国として日本があって、なおかつ負担率もほぼ一番多い。これがあるあいだはアメリカが自分から日本の基地を減らすという話にはならないと思います。日本の民衆としてこの駐留経費なり思いやり予算を、たとえば10年で半分に減らすというような、一定の時間をかけながら継続的に減らしていくことを、民衆の声として圧力としてきちんと政府の政策に位置づけさせていくことができれば、ある時気づいてみれば米軍基地の規模は前と比べてみると減っていくということが起こりうると思います。

北東アジアにおける共通の安全保障の構築の可能性

安全保障ジレンマという軍事力による安全保障を考えていく限り、北東アジアに関しては悪循環の未来があるとは思えません。それを変えていくことが問われています。その問いに答えていく努力をすることが、日米安保条約の中身、あるいは同盟関係を変えていくことにつながっていくのではないかと思います。ひとことで言うと多国間の対話と協調によって、つまり軍事力によらないで北東アジアの安全保障を作る枠組みを目指しませんか?という話です。共通の安全保障の枠組みをつくる方向に、たとえば日本政府が言い出すことがあれば本当に大きく変わっていく可能性を持っています。

共通の安全保障とは何かという問題です。1982年にパルメ委員会が共通の安全保障、Common Securityという概念を打ち出します。パルメさんはスウェーデンの首相でしたが、「軍縮と安全保障問題に関する独立委員会」に書かれている理念は、憲法9条にもつながる中身があります。ひとつは「すべての国は安全への正当な権利を有する」。いかにまわりからどうしようもない国だと思われようがすべての国はその権利を持っている。それから「軍事力は、国家間の紛争を解決する正当な道具ではない」。それから「安全保障は軍事的優位によっては達成されない」。軍事的優位が一方にあれば、それは安全保障ジレンマの中でお互いに軍拡が進んでいくことにしかならないということをいっている。

「すべての国は安全への正当な権利を持っている」とすれば、すべての国が共通に安全を保障される権利を持っていて、ある地域に矛盾があるとすれば地域間で話し合いをしていく必要があることになります。それから共通の安全保障のためには「軍備の削減、軍備のその質的制限が必要である」ということも言っています。こういう原則をたてて共通の安全保障という考え方を打ち出します。

1982年にでてきて、それから5年、6年、7年のあいだで米ソの冷戦が終わるプロセスが進んで、欧州では共通の安全保障に向けた方向性が議論された。そして冷戦が終結してから数年後の1995年に欧州安全保障協力機構、昔でいえばワルシャワ条約機構とNATOの両方に所属していた国々が参加して地域的安全保障機構がつくられ、少なくともその中での大規模な戦争は考えられないような状況を生み出していった。そこには多分EUとか経済的な統合も入っているでしょう。パルメ委員会の提言を受けるかたちで10年、10数年かけながらこういった枠組みが作られていった経過があります。

残念ながらアジアではそうではなく、冷戦終結後、日本が軍縮ではなくて海外派遣の方向に動いてしまった。北東アジアの安全保障ジレンマから抜け出すような包括的方向性は、いまの時点でわたしたち市民の側からも問題を出していく必要があるんじゃないかと思います。そのためには多国間の対話と協調によって共通の安全保障の枠組みを作ろうといっていく。その際に基盤として生かせるのは、一方では安保はあるけれども、平和憲法を守り続けて9条はまだそのままのかたちで残っている状態をつくってきた。平和憲法と安保のせめぎ合いの両面性を持っているわけですが、その平和憲法の60年の実績を生かしていくことがいま求められていると言っていいと思います。

この60年以上にわたって、憲法9条の精神に基づいたなにがしかの社会の動き、営みは、わたしたちが思っている以上に国際的に見たときの日本の位置を高めていると言っていいと思います。社会の隅々に憲法9条を基礎にした規範が浸透していて、基本的に日本は自分の意思で戦争をしちゃいけないと思っている人の方が多いと思います。その基盤を生かし、憲法9条の規範を生かしながら、非軍事に立脚した外交政策を包括的につくっていく方向性があり得ると思います。1995年くらいからですが、ピースデポは北東アジア非核兵器地帯を手がかりとして、核兵器の問題を通じてひとつの共通の安全保障を目指すとっかかりをつくり、その先に専守防衛の拡大とか米軍基地の見直しなどを位置づけていくことが考えられるのではないかと思っています。

手がかりとしての北東アジア非核兵器地帯

非核兵器地帯は、一定の地理的範囲内においては核兵器が無い状態、排除された状態を作り出すことができるはずだということで、それを目的とした国際法的な制度があります。要件がふたつあって、ひとつは非核兵器地帯を構成する国が、自分の国は核兵器を――開発、製造、配備しない――禁止することを宣言してお互いに確認しあう。ふたつ目は、これは意外に重要ですが、周辺の核兵器保有国、北東アジアでいうと中国とロシア、それからアメリカも日本と韓国に大きな米軍基地を持って、政治にも非常に密接に関わっているのでこの3つの国を中心に、核兵器を持っている国が地帯内の国に対して核兵器による攻撃、威嚇をしないという約束をする。これを「消極的な安全保障」、つまり核兵器はなくさないが、非核兵器地帯の国に対しては核による攻撃と威嚇はしませんと約束する。このふたつの要件を整えることによって、非核兵器地帯は「核の傘」ではなくて「非核の傘」のもとで生きていく道を選べるということです。

世界に非核兵器地帯条約として存在しているのは5つです。一番古いのは南アメリカで、1967年に、ラテンアメリカ及びカリブ海地域における核兵器禁止条約がつくられています。それから1985年には南太平洋で、ニュージーランドが中心です。そのあとアフリカと東南アジアにできて、21世紀に入る前に南半球はほとんど非核兵器地帯になっています。ほとんどというのは99.9%で、インド洋のディエゴガルシアというサンゴ礁の島に米軍基地があって、中東での戦争が起こるとそこから爆弾が持ち出されたり潜水艦が移動したりしています。そのために100%とは言えませんが、基本的な構図として南半球は非核兵器地帯になっています。

去年、アフリカの非核兵器地帯が発効して実質的に動いています。地球上には2万数千発の核兵器が北半球にあり、南半球に住んでいる人たちは、自分たちは核兵器を持たないし核兵器による攻撃もされない、威嚇もされない保障を条約として取り付けていることになります。南半球の人たちは、核兵器がない状態で生きている、あるいはそういう生存の仕方を選び取っているといってもいい状況です。2006年には中央アジア非核兵器地帯、カザフスタンとかがつくり、北半球に広がっています。もし核兵器を持っている国だけが残って、それ以外の国が全部非核兵器地帯条約のような保障ができていけば、核兵器国が核兵器を持っている意味がだんだん薄れていく状況をつくることも可能です。

世界的な非核兵器地帯の歴史的な経過からいっても、北東アジアに非核兵器地帯をつくれない理由はないとわたしたちは思っています。オバマさんはプラハ演説で、曲がりなりにも5つの核兵器国は核兵器のない世界を目指すといいだしていて、核兵器のない世界をつくることは潮流になっている。その潮流の中で非核兵器地帯をつくりたいから、消極的安全保障に協力してくれと日本や韓国がいったときに、アメリカがそれを否定する論理は起こしにくい状況ができていて、チャンスであるわけです。北東アジアの非核兵器地帯をつくるときに、6カ国協議の枠組みでできるんですけれども、多国間の話し合いによって共通の安全保障を目指すこと、そのものの一部を構成することになりえます。

いままでの経験ではどこかの国が非核兵器地帯をつくりたいといいだしてから一番早くて9年、長いのでは30年かかっています。逆に言うとその時間に、多国間での話し合い、アフリカとか南アメリカでは何10という国が加入して条約を作るんですが、その間の多国間の話し合いを通して、お互いの信頼関係ができていくプロセスもあり得るわけです。そういう意味では、非核兵器地帯をつくろうと日本政府なり韓国政府が言い出すことはとても大事なことです。「唯一の被爆国」を言うのであれば、道義的な責任からいっても日本政府こそが、核の傘に依存しない道を目指すために非核兵器地帯を問題提起することは最初にあってしかるべきだと思います。

極東条項にもっとこだわる

米軍基地の見直しで非常に重要だと思うのは、極東条項にもっとこだわった方がいいということです。第6条の基地の供与は、「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持の寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」ということです。極東の範囲というのは、60年代の国会で議論されて「大体においてフィリピン以北、日本及びその周辺地域」、朝鮮半島とかその範囲のことを指していることはいまも変わっていません。

その極東条項から見ると、米軍の世界再編とその一部としての在日米軍の再編は、どう考えても矛盾しています。日本にある米軍基地が日本を守るためにあるというのであれば、極東条項に即して在日米軍は極東より外に出ていってもらっては困ると言っても全然おかしくないです。専守防衛の米軍基地版のようなかたちで、極東条項に基づいて米軍基地をもう一回見直ししてみる作業をしたら、大変なことになると思います。

海外にまともなアメリカの海軍基地があるのは日本だけと言っていいです。イタリアに支援艦が1隻いる場所がありますが、海軍基地と言える状況ではありません。アメリカは、本国の太平洋側と大西洋側それからハワイとグアムに大きな海軍基地がありますが、それに匹敵する規模の海軍基地があるのは日本だけで、横須賀と佐世保です。アメリカ海軍の艦船は横須賀に11隻、佐世保に6隻います。横須賀も佐世保もベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争といったものが起これば、戦争の中心を担ってきている。このどこが日本を守るためなのか、あるいは極東条項に即したことなのかは矛盾そのものです。

イラク戦争のときの横須賀の部隊の動きについて、横須賀の市民グループがつくった資料があります。当時の空母はキティホークで、随伴していた船、たとえばカウペンスという船はイラク戦争が始まって最初にトマホークを撃ったといわれています。随伴艦5隻で1万回以上の空爆をイラクに対してやっている。このどこが極東条項に即したことかは誰が考えてもおかしいです。沖縄ももちろんですが在日米軍全部が、ひとつひとつの基地について極東条項に照らしてみる。たとえばわたしがずっといた呉の弾薬庫も、ベトナム戦争、湾岸戦争のときに爆弾が大量に持ち出されたことは公然とした事実です。これを極東条項に照らして見ていけば、日本にあるどの米軍基地も全部それに違反している状態が慢性化していると言っていいと思います。そういう観点から米軍基地の見直しをしていくことによって、基地の有りようを変えていく、アメリカ側の主張を切り崩していける非常に重要な視点ではないかと思います。

自衛隊に関しては、非軍事的なかたちで組織的な変更をしていくとか、ちゃんとした専守防衛にしていくとか、まずそういうことが必要でしょう。また、集団的自衛権の行使に踏み込むことになるようなミサイル防衛を推進しない有りようを問いかけていく作業が必要だと思います。ヨーロッパには地域共通の安全保障を目指す組織があるわけで、アジアでそれに匹敵すると思われるのはASEAN地域フォーラムです。まだ政治的な拘束性まで持っていませんが、北朝鮮も参加していますし、対立すると思われる国々が話し合いのできる場として生かしていくこともあるかもしれません。また環境問題とか福祉とか教育とかさまざまな分野での日米協力は、それはそれで進めていくことは大事だと思います。

新安保防衛懇報告書でなく、軍事同盟を「日米平和友好条約」へ

この8月27日に総理大臣の諮問機関みたいなかたちで「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」の報告書が出されました。麻生さんのときも安倍さんのときも、この懇談会が出してくるものは、憲法9条を変えていくことに抵触するような提案はたくさん入っていた。メンバーが替わったので少しは違うのかと思ったんですが、自民党政権下の報告書とあまり変わらない。軍事力による安全保障という発想を持っている限り、結果はあまり変わらないという感じです。

三木内閣のときに提言された基盤的防衛力構想を変えるとか、北朝鮮がアメリカ本土に向けて撃ったと思われるミサイルが日本の上空を飛ぶときに、それに対処できないのはおかしいという感じでの憲法解釈の変更を求めたりしています。12月の防衛計画の大綱を、現在の民主党政権がつくるわけで、下手をするとこのまま採用される可能性があるということで、これは監視していかなければいけない。監視したり政府にものを言っていくときに、共通の安全保障を目指すとか非核兵器地帯の問題こそ、いま日本政府は外交政策に入れていくべきだという民衆の運動をやっていくことが大事だと思います。

日米安保条約は60年間作り上げられてきた構造があって、それを変えていくためにはやっぱり一定の時間と包括的な交渉が必要だと思います。多分その過程そのものが、軍事同盟としての日米安保条約を平和友好条約に開いていく作業そのものになっていくのかなと思います。日米安保条約が変わることは、米軍の世界再編全体が挫折することとほとんどイコールです。日本にある米軍基地の位置あるいは日米安保条約の位置は、わたしたちが予想する以上にアメリカの世界戦略の中で大きな位置を占めています。

海外の基地を維持する駐留経費ひとつ取ってみても、あの77億ドルの中の44億ドルがゼロになると、アメリカの世界再編全体が崩れていくことにつながる。わたしたち日本の運動が成功すれば、そういう意味を持つと思います。世界的規模の視点を持ちつつ日本を変えていくことが非常に重要だという問題意識を持って取り組んでいくことが、わたしたち日本の市民に求められていると思います。

ピースデポは情報を提供していく仕事に四苦八苦している状況なので、いろいろな運動の場面に出かけていく余裕がなかなかないですが、思いはみなさんと一緒ですので今後ともいろいろなかたちで協力できればと思います。

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10月「ピースウイーク」2010・東京実行委員会主催
「武力で平和はつくれない  もう一つの日米関係へ」集会&ピースパレード

10月17日、東京・港区の芝公園で10月「ピースウイーク」2010・東京実行委員会主催の「武力で平和はつくれない――もう一つの日米関係へ」集会が、市民ら600人を集めて開かれた。サブタイトルには「やめさせようアフガン戦争、なくそう普天間基地、つくらせない辺野古新基地」を掲げている。

集会は、美しい衣装をつけた「月桃の花」歌舞団のエイサーで元気に始まった。チョウ・ミスさん(ピースボート)の司会で会はすすめられた。主催者挨拶にたった野平晋作さん(JUCON)は、集会がアメリカなどの平和団体のよびかけによる国際行動の一環であることや、普天間基地の即時撤去と自然破壊につながる辺野古に新基地を作らせない、米軍のアフガニスタン戦争に沖縄と本土の米軍基地からの出撃に反対しようと話した。

スピーチは星川淳さん(グリーンピース・ジャパン事務局長)から始まった。星川さんは、「今や武力で平和は作れないということは常識になっている。力と力で解決できないことは高校生でも知っている。平和の課題は、もはや日本という国の範囲では解決しない。アジアの共通の利益として、お互いの平和な地域の形成をどうするのか。争いのない社会を示していかなければならない。」と話した。

次のスピーチは長谷部貴俊さん(JVCアフガニスタン現地代表)が行った。長谷部さんは、アフガニスタンの現地を自身の目で見ていることから、多数のアフガン人が今も被害を受けており、JVCのアフガン人スタッフの家族も殺されたことや、貧血、けが人がたくさんでている状況を話した。しかし「日本の政治家は、この現状をほとんど知らない。アフガンの対日感情は今でも良好で、日本は和解を仲介できる立場にあるのに生かされていない」と報告した。また、翌日からアフガン現地に発つことで、参加者から激励された。

最後はエミリー・マグローンさん(US for OKINAWA)が、沖縄を訪問したときに使った大きな絵が描かれた横断幕を背にしてスピーチした。エミリーさんは今年1月に「US~」を立ち上げ、沖縄米軍基地の縮小と撤廃を求めて日本人とともに活動する在日外国人のネットワークとして活動している。最近訪問した沖縄の現状を、すぐにメールで交換し、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリアなど様々な友人と話し合っていると話した。

アメリカのピースアクションからのメッセージは、藤本泰成さん(平和フォーラム事務局長)が紹介した。アメリカ大使館への要請文・「オバマへの手紙」は坂内義子さん(キリスト者平和ネット)が読み上げた。

集会の後、アメリカ大使館近くを経由するコースで、三河台公園まで3キロあまりをパレードした。パレードは、十畳ほどあるピース旗やジュゴンの巨大バルーンを先頭にして、「イラクに平和を!」「アフガンに平和を!」「普天間基地即時撤去!」「辺野古に基地はいらない!」などのコールを都心に響かせた。(土井とみえ)

米ピースアクションから集会・パレード参加者へのメッセージ

2010年10月17日
ピースアクション組織化・政策担当ディレクタ、ポール・カウィカ・マーティン

米国最大の草の根平和団体として、ピースアクションは平和フォーラムをはじめ、日本でアフガニスタンの平和のために取り組む兄弟姉妹に感謝のメッセージをお送りします。

ピースアクションはアフガニスタン侵攻と占領に反対し、アフガニスタン主導での援助、開発および外交といった、同地域における紛争の非軍事的解決を促進するよう、米国政府に引き続き圧力をかけます。アフガン戦争ではあまりにも多くの人が命を失い、あまりにも多くの資源が浪費されています。無人飛行機による攻撃や空爆では、私たちの生活が安全になることはありません。それどころか、新兵に対し、暴力的で過激な考えをかき立てています。反乱が起きた場合、それを(12頁へ)(13頁から)解決する唯一の方法は、軍事力ではなく、政治的プロセスおよび現地の警察活動であることを、私たちは歴史から学んでいます。

ご存知のように、全世界の軍産複合体はきわめて強大です。しかし、今日の皆様の行動は、9年間戦争の続くアフガニスタンの平和のため、世界中で行われている行動の一翼を担っています。どうか、アフガニスタンにおける平和的解決に向け、米国政府へ圧力をかけるよう、引き続き日本政府に働きかけてください。

私たちは数千マイル離れてはいますが、皆様、そして私たち民衆が力を合わせることが、アフガニスタンに正義をもたらします。私たちは力を合わせ、世界から核兵器を除去します。私たちは力を合わせ、沖縄から米軍基地を撤退させます。私たちは力を合わせ、正義と人権に基づく平和な世界を築きます。皆様兄弟姉妹と協力でき、光栄です。(一部略)

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ピースウィーク2010、各地のシール投票の記録

この間、全国で取り組まれた「普天間基地の名護・辺野古への移設に賛成、反対、わからない」の市民シール投票は(主催:10月「ピースウィーク」2010・東京実行委員会・実行委員会参加団体:JUCON、ノーベース全国アクション、WORLD PEACE NOW、協賛:沖縄一坪反戦地主会関東ブロック、日本国際ボランティアセンター・JVCが呼びかけ)、10月17日現在で、35カ所、総投票数6269票、賛成536票(8.5%)、反対4582票(73.1%)、わからない1151票(18.4%)という結果でした。沖縄では圧倒的多数の民意となっていますが、本土でも投票に参加した多くの市民が「辺野古新基地建設」に反対しているという意志が示されました。

●「普天間基地の辺野古移設 賛成?反対? 市民投票」シール投票(以下同じ)

9月12日(日)午後3時~5時 東京・上野公園。実施参加者20名
主催:ピースウィーク2010東京実行委員会
以下は、「琉球新報」の報道です。

辺野古移設8割「反対」 市民団体、上野でシール投票
【東京】米軍普天間飛行場の辺野古移設の賛否を問うシール投票(ピースウイーク2010東京実行委員会主催)が12日、台東区のJR上野駅上野公園口で行われた。駅前を行き交う市民に三択で聞いた結果、「反対」が243票、「賛成」が30票、「わからない」が23票と、「反対」が8割超を占めた。
米市民団体などとの国際共同行動の一環として、10月9日から17日までを「ピースウイーク」と設定し、全国各地で集会、パレードなどがある。そのプレイベントとしてシール投票が行われた。主催者の20人が駅前でボードを掲げ、2時間余り市民に投票を呼び掛け、296人が応じた。
投票を呼び掛けたピースボートの野平晋作さんは「子どもを連れた母親たちは移設に反対の人が多かった」と傾向を説明し「10月には全国一斉にシール投票をする計画」と話した。

●9月19日(日)午後3時~4時 福岡市天神コア前。

主催:≪ピースウイーク2010≫ 福岡行動
映画「チビチリガマから日本国を問う!」上映&トークの集いの街頭情宣を兼ねる。実施参加者:6名
初めて街頭でのシール投票をしましたので、最初、ぎごちなくとまどいながら始めましたが、終わり頃、なれてきて、楽しく出来て、あと1時間ほどやってみたいと思うほどでした。結果、下記のシール投票に参加してくれた市民は84人もいました。
普天間基地の名護市辺野古移設に・・賛成2人、反対60人、わからない22人

●9月26日(日)午後3時~4時 福岡市天神コア前のシール投票の報告。

≪ピースウイーク2010≫ 福岡行動
シール投票の結果 (1)賛成2、(2)反対72、(3)わからない19でした。実施者16名
佐賀県唐津から来られたプルサーマル関係の方は高校生くらいの娘さんを手伝ってもらおうとつれてきました、と言っておられました。
シール投票を呼びか、通りすがりの人々が、投票してくれました。ある一人の青年は「おれ、反対!」と強い口調で言いながら、駆け寄って来て投票してくれました。また民商のグループの人がパルコ前で街宣するために通りがかりましたが、シール投票をしていく人もいました。
「楽しかった。」といって帰って行ったかたもおられました。
チラシ2種類配布。
10/10◆「チビチリガマから日本国を問う!」上映会とトークの集い (300枚)
10/17◆2010国際反戦デー《国際共同行動》の集会とピースウォーク・デモ (500枚)
横断幕『沖縄に基地はいらない!』とパネルを広げてマイクアピールをしながら撒きました。みんないそいそと、甲斐甲斐しく動き回り、ビラの受け取りもとてもよくて、人数も多かったので、最初はビラ300枚を配る予定が予備に持ってきていた200枚も全て配り終えました。
最後に輪になって終了しようとしていたときに、通りすがりの男性が1名、輪にくわわりました。基地反対の人かと思っていたら、その方はなんと、「早う、(新基地は)つくったほうがいいよ。そいから、基地は撤去せんといつまっでん片づかん。」という発言だったので、ちょっと呆気にとられてしまいましたけど。こんな受け取り方をしている人もいるんだなーと思いました。(ちょっと酒気帯びでした)

●10月2日(土)11時~13時 東京・巣鴨の通称「おばあちゃんの原宿」(地蔵通り入り口)

主催:ピースウィーク2010豊島実行委員会
午前11時から午後1時まで、巣鴨地蔵通りと巣鴨駅前(前半と後半)で行ったシール投票は、ピースウィーク2010豊島実行委員会の主催で、スタッフが16人、普天間基地の名護市辺野古「移設」に「賛成」が26票、「反対」が159票、「わからない」が26票でした。「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる地域ですが、年配者だけでなく高校生の投票も大変多かったです。スーツ姿のサラリーマンの人びとでも「辺野古移設反対」という人がかなりいました。週刊金曜日と沖縄タイムスの取材がありました。

●10月2日(土)14時~16時 東京・原宿駅前

主催:ピースウィーク2010東京実行委員会 スタッフ13人
午後2時からは原宿でした。明治神宮の参道の前というきびしい場所でしたし、右翼のデモ(田母神氏らの尖閣列島守れの集会)もあったようで、そうした人が少なからず通って、賛成に貼ったようです。イベントもあり、人通りは多かったです。
辺野古移設に「賛成」が78人、「反対」が200人、「わからない」が50人でした。
始めた頃はこちらのスタッフも少なく、投票は「賛否」が拮抗する状況で、さすが神宮前だと、厳しさを感じましたが、偶然に、別々の方で沖縄名護市出身だという方が、3名もいて、「ありがとう」と言ってくれたり、子どもとお母さんが意見が違ったり、カップルで意見が違ったり、巨大なアフロヘアーの若い子3人が「反対」に投票してくれたりで、次第に差がつきました。小さなお子さんに「ジュゴンにお引っ越ししてもらうしかないの?」とスタッフが聞かれて、「ジュゴンはね、食べ物のこともあって簡単にお引っ越しできないの」と答えていた風景もありました。この子は「反対」に投じたようです。「賛成」の人はチラシも受け取らない、「確信」者が多かったです。ここでは「尖閣列島の問題をどうするのか」と詰め寄る人も少なくありませんでした。

●10月3日(日)13時~15時 東京・武蔵野市吉祥寺「井の頭公園」

すでに700回以上のデモを続けている「アンポをつぶせ!ちょうちんデモ」の有志の人々を中心に、スタッフ8名で取り組みました。前半は井の頭公園内でやりましたが、当局の中止要請がしつこく、しばらく抵抗していたのですが、後半は公園の外の住宅街の街角でやりました。結果は辺野古「移設」賛成が18票、反対が109票、わからないが19票でした。
直径4cmの色紙を切り抜いてシールを作り、スティック糊でボードに貼ってもらうという方法でした。大きなシールで分かり易かったです。ボードは3枚それぞれをスタッフが首から吊すという方法でした。沖縄の音楽をテープでならしながら、小さいハンドマイクで呼びかけました。これらは地元のスタッフが考え、準備したものです。いろんなやりかたがあって、面白かったです。ジュゴンの写真を掲示したり、シール投票呼びかけのチラシも配りました。ピンクのウサギさんの着ぐるみを着てチラシを配る仲間もいました。
車いすに乗った100歳のおばあちゃんが自分でしっかりと「反対」のシールをはったり、若者が「沖縄以外でも反対です」と言って貼ったり、公園が近いこともあって、お子さん連れのお母さんが比較的多く貼ってくれました。予想に反して日照りだったので、大変暑かったのですが、みな気持ちよく、「楽しい」行動になりました。「これはやみつきになるね」とはあるスタッフの感想でした。

●10月5日(火)17時30~18時30 東京・高田馬場駅前ロータリー(BIG BOX前)で。

主催:ピースボート
手伝いに来てくださった皆様、ありがとうございました。集計結果は、賛成27、反対90、わからない12でした。ピースボートの若者を中心に手伝いの市民含めて20名くらいで、大々的な行動でした。

●10月7日(木)午後1時から3時まで 神奈川・川崎市武蔵溝ノ口駅のぺディストリアンデッキ

川崎市で活動をしている「地域から平和を考える会」のMです。女性5人で行いました。
結果は賛成3・反対58・わからないが27でした。
反対の中には、基地自体いらないという方が多く、小・中・高校生も参加してくれました。チラシを印刷して配布しました。
このような活動ができて本当に良かったです。 呼びかけありがとうございました。

●10月9日(土)13時~17時 10月10日(日)10時~16時 東京・中野区

第35回中野まつりの「反核・平和のひろば」の一角でシール投票を行いました。場所は中野区役所1Fロビー。
1日目は雨、時々大雨というあいにくの天気。2日目の昼前からは快晴でした。
結果ですが、賛成11、反対121、わからない31、合計163でした。
以下は1日目と2日目の1時間ほどシール投票の場にいた時に聞いた声の一部です。( )内は各々の方のシール投票結果。
中一男子「小六のときに授業で沖縄の基地問題について習った。」(わからない)
横田基地の近くに住み、近く転居する男性「今、基地の騒音がうるさい。3人の子供がいて、娘もいる。夜は外出させられない。」(反対)
中年男性 耳が悪く、手ぶりで「基地の近くだと騒音で眠れない。」(反対)
女性「早く決めるべき。」 (賛成)
女性「決まらなければ、普天間基地の危険性はそのまま。」(賛成)
男性「もちろん、基地はないほうが良いが、グアム移転などするとバランスが崩れるのではないか?」(賛成)
意外と多かったのは 「わからない」でした。「沖縄の方には申し訳ないけど、中国や北朝鮮との関係を考えると仕方がない。」という声が多かったのでした。この「温度差」、東京に住む私たちの引き続きの大きな重たい課題ですね。
とは言え、高校生くらいの男性4人組は「自然が好きだから。」と話しつつ、各々反対のシールを貼っていきました。そんな光景に今後の希望を見い出そう、このことが私たちの出発点だ と改めて思いました。
「反核・平和のひろば」ならびに10月「ピースウィーク」2010・東京実行委員会、平和憲法とともに歩む中野の会の仲間に感謝いたします。以上

●10月 9日(土)12時~13時 山口県山口市米屋町どうもんアーケード

主催:やっぱりピースじゃなくっちゃね実行委員会
シール投票を終了しました。後に詳細を報告しますが、結果のみ取りあえず報告します。4人で実施。
普天間基地の辺野古移設に、賛成6(7.8%)、反対51(66.2%)、わからない20(26%)、 となりました。 
昔ながらの商店街で人通りもそこそこという場所ですが人々の関心は結構ある、という感触を持ちました。反対の人がやはり多かったです。(M)

●10月10日(日) 13時20分~14時40分 

東京・大田区JR蒲田駅西口
13時20分頃から14時40分頃まで約1時間半くらい、大田区蒲田駅西口で、シール投票をおこないました。7名の参加でした。今日は、私たちも参加している「大田9条の会」の定例の街頭情宣の日で、やや離れたところでおこないました。
主催は10月「ピースウィーク」2010・大田実行委員会、連絡先はストップ!派兵・改憲NO!南部共同行動の取り組みとしておこないました。
結果は以下のとおりです。
投票総数 148、賛成20(13%)、反対101、(68%)、わからない27(18%)。
お年寄りから、子連れのお母さんとその小さい子ども、高校生、中学生など様々人たちが投票しました。
お年寄りの女性が投票した後、若い人に「あなたたちもしなさいよ」といってくれたり、お母さんと一緒にジュゴンの写真を見入っている子どもの姿などが印象的でした。9条の会情宣に参加した人たちも投票してくれました。
また、最後にシールを貼ろうとした女性は、しばらくボードの前で考え込んでいました。辺野古への移設には反対だけど、普天間をそのままにしておくのも反対、ということで考え込んでいました。アメリカに持って帰ってもらえばいいのよ、というこちら側の言葉もあり、多少の会話が成り立ちました。この問題を、真剣に考えている女性でした。勿論、彼女は反対のシールを貼りました。
というようなこともあり、短い時間でしたが、よい行動ができたと思っています。この大田での声が沖縄に届くといいなと思います。(I)

●10月10日 10時~11時半 三重・伊勢市「伊勢市駅前」

”いせ九条の会ピースアクションin伊勢"として伊勢市駅前でシール投票を実施しました。
賛成7、反対117、分らない42。
昨日の豪雨がうそのような秋晴れ、伊勢市駅前は観光客で大にぎわい。特に若い人が多かったです。
九条の会スタッフ9名が”普天間問題で、あなたの意見を聞かせてくださーい”とチラシを配りながら呼びかけました。
楽しい行楽に舞い上がってる若者にとっては・・・チラシは受け取ってはくれますがシール投票に足を止める時間は惜しいらしく・・・応じてくださった方はほんの2割程度でした。
でも、通り過ぎていってから、戻ってきてシールを受け取ってくださる方も何人かいました。『若者グループが『絶対反対!エイエイオー!」とポーズしてくれたり、
「『アメリカ出て行け』『”どこも駄目”の選択肢は無いの?」と困った様子 『頑張って下さい」と励ましのことばを残して立ち去る方・・・沖縄問題をみんなの問題として。ささやかな行動ができたはじめの一歩に、スタッフ一同心地よい汗を流す事が出来ました。
新聞社も取材に来ていただき、明日の記事が楽しみです。

●10月11日(月)13時~5時 東京・日野市、高幡不動駅前

主催:うちなんちゅの怒りと共に、三多摩市民の会(F)
9人の参加でシール投票を行いました。賛成19、反対118、わからない29、計166でした。
遠方からもお手伝いに来ていただきました。ありがとうございました。

●10月11日(月)15時~17時 広島・広島市本通り

主催:ピースリンク・広島・呉・岩国
本日、ピースウイーク2010の取り組みを行いました。
午前9時から海上自衛隊呉基地潜水艦桟橋前に集合、準備を始め、10時から約1時間海上から平和船団で「自衛隊に海外派兵を許さない」「9条を活かそう」などマイクでアピールの後、ボートを片付けて地方総監部へ。正門前で申し入れ書を手渡した。
午後2時45分からは広島市内に移動して、人の集まる商店街の本通電停前で「普天間基地の辺野古移設に賛成?反対?」のシール投票を全国の行動に連動して行った。
好天の3連休の最終日、家族連れよりも学生などの
若者が多い感じだ。いつも街宣、ビラまきをする場所だが反応が悪い。今回も心配をしていたが、準備中からぜひ貼らせてくださいと第1号、予定を早めてスタートした。鳩山前総理の公約もあり、連日のように報道されていたこともあり、関心は比較的高い。マイクで沖縄の現状や身近な岩国基地の問題などを報告しながら、約2時間で500を越える市民が参加してくれた。
ボードの前でじっと考えて「わからない」に投票する人が多いのも特徴だ。鳩山総理辞任以来、さっぱり報道されなくなり、よくわからないというのも当然なのかもしれない。
16:40、少し予定を切り上げ投票締め切り。ボードの「わからない」がほぼいっぱいになった。
結果は、投票総数566、賛成53、反対346、わからない167。

●10月11日(祝日) 13時15分~14時半 神奈川県・横浜駅西口高島屋前

実施団体 平和の白いリボン・神奈川
11日の横浜駅高島屋前でのシール投票の結果をお知らせいたします。
実施したのは<平和の白いリボン・神奈川>のメンバー中心に12名でおこないました。予定よりたくさんの人数が集まってくれて、代わる代わる投票を呼びかけることができました。用意したチラシもほとんど撒き終えました(230枚)。
投票総数は116名。高島屋前は通行人が多い割には人数がすくないですが、反応がよくないという定評があるところなので(この場所は皆が参加しやすい)、まあまあ、こんなものかという感じです。
投票結果・辺野古移設に 賛成12(10%)、 反対89(77%)、わからない15(13%)。
〇投票してくれた人は比較的若い人が多く、子ども連れもいました。反対シールの60歳ぐらいの勤め人風の男性から「普天間撤去という選択肢はないの」と聞かれました。ちょっと嬉しかったですが。
シールを貼ってくれた人からの意見とか、今のところ、あまり把握していませんが、そのうち聞いてみたいとおもっています。中には中年の女性2人が、ぱっと勢いよく賛成シールを貼って、無言で立ち去る場面もあったとか。
〇横浜西口はいろいろ、嫌がらせが多い場所ですが、さいわい何事もなくおわりました。

●10月11日 14時30分~16時 東京・板橋区、高島平団地内

主催:ピースアクション板橋
高島平は、スタッフが6名集まるはずが、3名ドタキャン。ぎっくり腰になった、孫のお宮参りが雨で10日から11日に変更になった、母親が具合悪くなった………。そういうことを想定して、スタッフはしっかり確保しておかないとだめだね。反省。
しかも、お天気が良すぎて出かけた人が多かったのか、いつもより人通りも少なくて、盛り上がりにかけたまま終了でした。高島平の結果報告、賛成24、反対53、わからない44。
「沖縄の人には悪いけど、中国が怖いから基地はなくちゃね」と言う人が結構いた。
う~ん・・・と考えながら、「わからない」に貼る人が多かった。

●10月11日(祝)13時から 北海道札幌市大通り公園4丁目

主催:ほっかいどうピースネット、ピースウィーク協賛 シール投票実行委員会。
札幌は本日、13時から大通り公園でシール投票を行いました。ほっかいどうピースネットのメンバーのほかにも手伝ってくださる方、様子を見にきてくれた方など計9名でした。
大通り公園は、予想外に人出が少なく途中で反対側にできたファッションビル前に移動。こちらは9月23日オープン以来、大通りの人の流れをかえています。

で、結果ですが、総数74名 賛成5名、反対49名、どちらともいえない20名でした。
若いカップルが気軽に応じてくれました。
また、大きな黒い街宣車で大通り公園の周辺を大音響で、尖閣列島は日本の領土だ!と叫んでいた右翼が、車を止め屈強な男性が5人降りてきました。どうしよう、と思いましたが、主旨を聞かれて、沖縄の米軍基地の是非についてのシール投票であることを話したら、すぐに基地に反対のシールをはってくれました。「反米愛国」だからだそうです。で、シールはって、すぐ車にもって行ってしまいました。これは想定外の反応でした。
終了後は、公園の芝生で、ドーナツを食べながら、反省会をしました。もう少し、投票してもらいたいので15日の昼休みも行うことになりました。
マスメディアは、北海道新聞が取材にきてくれました。以上です。

●10月15日 北海道札幌市、大通り公園

本日2度目のシール投票を行いました。
しかしながら、雨がひどく降ってきて1時間で終了しました。傘をさして、シールを貼るのは大変です。それでも、今日は、年金支給日だったので高齢の方たちが、大通り公園で雨のなか、後期高齢者医療の廃止や年金制度改正の署名集めをはじめました。で、その方たちがみんな、反対でシールをはってくれました。
愛媛からの修学旅行生も、おれ、反対!と貼ってくれました。
合計は、賛成5人、反対101人、わからない(どちらともいえない)24人、となりました。
11日、北海道新聞の取材を受けたのですが、動画サイトにアップされたようで、紙媒体のほうの記事にはなりませんでした。(インタビューされたときも、映像を撮られたのです)。以上です。

●10月16日(土)13時30分~15時30分頃 神奈川県相模原市相模大野駅北口周辺

主催:ピース・ニュース
10月16日相模大野駅頭でシール投票やりました。晴天で風もなくのどかな日でした。
結果は①賛成27票、②反対279票、③分からない47票でした。
小中高生、小さな子供連れのお母さん、若者、カップル、ご婦人など多くの方が足を止めて投票に協力してくれました。参考に沖縄タイムス号外を段ボールに張り付けたパネルを用意したのですが、中学生グループなどが熱心に観たり話を聞いたりしてくれました。
毎月定例で街頭宣伝行動(ビラ配布)をしていますが、いつもより多くの方々とコミュニケーションができて良い行動となりました。
次回は10月30日(土)に大和駅(小田急線・相鉄線)東側プロムナードのピース・フェスティバル会場で行います。

●10月16日(土) 14時~ 千葉・千葉市、千葉駅前

主催:若葉九条の会
普天間基地の辺野古移設に関するシール投票結果をご報告致します。場所は千葉駅前で14時頃から約1時間半、4人で行いました。
辺野古移設に、賛成9(8.6%)、反対82(78.1%)、わからない14(13.3%)、計105。全体の投票数は少なかったのですが、反対が多数でした。特に中高生の反応が良く、基地なんて絶対にいらないという生徒がほとんどでした。

●10月16日(土)13時~14時30分 神奈川県藤沢市

主催:「シール投票・藤沢」
神奈川県藤沢市で取り組みましたので、結果を報告します。藤沢駅北口サンパール広場で実施
普天間基地の辺野古移設、賛成35、反対249、分からない60、合計344。
シール投票は既に何回もしているのですが、本日はオープン・カフェとの重なり、かなりの人での中での投票でした。
参加してくださるのは男性は少なく女性多い、中学、高校生の参加も多かったです。
印象的だったケース
(1)かなり年配の男性が「大賛成」と言いながら貼ってい来ました。(この様な方は時々いますが)
(2)若い男女、迷わず賛成にはるので、男性の方に「辺野古移転賛成ということは、もし、貴方の家の有る地域に移転するのもOK ですか?」と聞いてみたら、一瞬考えてから、「はい、いいです」と答え、さらに「自分の家より、国の方が大事だから」と言っていました。
(3)中年の女性がやってきて、「普天間は、もともと何もなかったところだ」と言ってので、「いや違います。ここはこの地域の主要な部分だったのです」と何回かやりとりしたら、今度は、「貴方は共産党か?」と聞かれました。勿論「ノー」と言いましたが。
何時もはかなり会話をするのですが、今日は少ししておきました。シール投票は、これをきっかけに見ず知らずの方と会話が出来、自分とは反対の人の話を聞く機会になる意義は大きいなと思います。
辺野古を充分に知らない方たちも、美しい辺野古の写真を紹介すると、「反対!」とシールを貼っていった気がします。
簡単ですが、ご報告です。

●10月16日 14時~2時間 福岡県北九州市JR小倉駅前

福岡県北九州市JR小倉駅前で、沖縄普天間基地の辺野古移転に「賛成」「反対」「分からない」にシール投票を行いました。投票結果は、賛成15票、反対224票、分からない114票でした。
投票には、若者もたくさん投票してくれました。
シール投票結果についてのコメント
昨日、北九州市においても「10・17国際共同行動」ということで、「普天間の名護辺野古移設」街頭シール投票が行われました。
他の地域での結果を集計しながら分析結果も今後明らかにされると思いますが、参加して感じたのは、賛成に対して反対が圧倒ということは傾向として不変かと思うものの、「わからない」の数が予想外に多いということ。特に、若年層にそれが多いということが特徴でした。
問題の発信・周知のための活動やメディアへの働きかけなどが、やはり重要な要素であるように思われました。

●10月17日(日) 15時~17時 静岡県藤枝市藤枝駅南口

主催:「10月ピースウイーク2010」藤枝実行委員会
普天間基地シール投票を10月17日(日)2時半から4時まで、藤枝駅で13人で行いました。
結果は辺野古移設に 賛成9、反対258、わからない45、カンパ2274円でした。
歌、ギター、オカリナ、スピーカーでの呼びかけで楽しくやりました。高校生や子供連れの母親が多かったです。沖縄出身の女性もやってくれました。辺野古沖、ジュゴン、普天間基地の写真で説明、中高生がまじめに聞いてくれました。
署名やビラ撒きよりも市民の反応がよくやってよかったと思いました。「こういう自主的な取り組みを増やしていきたいね」というある実行委員の感想がありました。
皆さんありがとうございました。

●10月17日(日) 11時~16時 東京・日比谷公園内「土と平和の祭典」

主催:日本消費者連盟
日比谷園・土と平和の祭典での日消連、ふーどアクション、日本有機農業研究会の共同ブースで、日消連名で行ったシール投票の結果をご報告いたします。担当人数:1~2人(ボードは固定させていたので時間帯によっては、1人でも充分に展開できました)。
投票総数241票。○賛成5票、○反対232票、○分からない4票
お借りしたボードを設えて、呼びかけた投票には、とりわけ若い方たちが、勿論反対ですと言いながら積極的に1票を投じてくれました。市民投票そのものに異議ありとの中年の男性との長いやりとりの間にも、若者たちは、次々と反対シールを、貼ってくれました。
中には、普天間基地包囲に参加したり、辺野古にも行ったという若者もいました。
シール投票は、場所にもよりますが、人数に応じて取り組みができることを実感した1日でした。(T)

●10月17日(日) 14時~15時 岡山県岡山市、岡山駅前 岡山駅ビックカメラ前

岡山の投票結果を報告します。
辺野古移設に、賛成5、反対152、わからない36、計193、でした。
いつもどおり、できるだけ中立公正に実施しましたが、このような結果になり、驚いています。
いろんな投票をしてきましたが、これほど差がついたのは、はじめてです。
いつもながら、若い人の投票が目立ちました。(N)

●10月17日(日)14時~17時 兵庫県神戸市、元町駅前

ひさしぶりのシール投票参加です。
今日は、KOBEピースiネット、というイラク反戦のピースウオークで結成した神戸のネットワークで取組みました。午後2時から5時 JR元町駅東口という通行量の多い場所です。
普天間基地の辺野古移設に 賛成19、反対124、わからない31、でした。
スタッフは神戸YWCAの方を主体に7人ですが、ピースライブを実施したので6グループ12人のミュージシャンが、演奏の合間にシール投票を呼び掛けてくれました。
シール投票をしてくれた方の年齢層は様々ですが、風船も配ったりしたので、子ども連れが結構いました。ライブで足が止まった学生なども狙い目でした。
反対が多いのは予想通りですが、よく考えている印象を受ける人がかなりの割合で「わからない」に投票する事実に驚きました。今日はその理由を聞く余裕がなかったのですが、基地撤去と言えないその理由をもっと掘り下げたいですね。

●10月17日(日) 神奈川県鎌倉市、鎌倉駅前

鎌倉のKです。遅くなって申し訳ありません! 夕方終わってから、高3の手伝ってくれた子と話し、帰宅まで時間がかかりました。すみません。
以下、報告します。賛成22、反対228、わからない61、合計311。

●10月17日 14時~15時 静岡県沼津市、沼津駅南口西武百貨店前にて

主催:ぬまづ憲法9条の会。
13名にて辺野古への移設 シール投票実施。
結果、賛成9、わからない62、反対115。
わからないが多いのは報道の少なさと無関心か?賛成に共通しているのは、おまえらこんなことやったって!なんていう感じの方が多いです。初老のおじさんが多いようです。よろしくお願いします。

●10月19日 東京都狛江市、狛江駅前

主催:平和憲法を広める狛江連絡会
シール投票ですが、狛江駅前の通行量も少なくほんのすこししかできませんでした。多分、11月9日も行うことになると思います。
賛成0人、反対31人、分からない1人。反対のうちスタッフが10人入りますから、シール投票に参加してくれたのは22人です。分からないの1人は、アメリカに返せばよいとの意見なので、実質反対ですが。
中には、高校生、中学生、ケニアの女の人(狛江在住12年)など普段の署名では、キャッチできない人が含まれていたことが良かったかもしれません。少なくて住みませんが、ご報告いたします。また、実施した場合は、ご連絡いたします。(O)

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