「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・佐藤茂雄京阪電鉄CEO)の報告書の危険性については、私たちは本誌112号で「民主党政権がハト派の装いを捨てて、タカ派に転ずる危険性」を指摘した。114号では「70年代以来の安保・防衛政策の大転換の企て」として指摘し、市民連絡会のウェブサイトでも9月3日付で「『政権交代』を機に、安保・防衛政策の基本的転換をねらう 安保防衛懇報告書の『平和創造国家』論の危険性について」を掲載した。
新安保懇報告書は政権交代の結果が生み出した歴史的な過渡期を、安保防衛政策の反動的転換の好機と考えるもので、日本の安保防衛政策を日米同盟による中国仮想敵視戦略、南西諸島防衛と沖縄-普天間基地の辺野古「移設」を軸に再編成しようとするものだ。これは三木内閣以来、この国の保守勢力が採用してきた日本の防衛戦略の大きな転換となるものに他ならない。これを本年末に民主党政権の下ではじめて作成する「防衛大綱」の下敷きにしようと考ている。
もしもこのような新防衛大綱を許せば、私たちは歴史に重大な禍根を残すことになる。
民主党ではまず、外交・安全保障調査会(中川正春会長、長島昭久事務局長)がこの道を走り出した。同調査会はすでに防衛大綱に向けた提言案をまとめ、党全体の方針にしようとしている。これに対して党内のリベラルな部分からは批判も起きている。それは従来の保守勢力がとってきた安保・防衛政策に不満を持つ防衛族と財界が、執拗に要請してきた「転換」の具体化を図るもので、極めて危険な内容を持つものだ。それは以下のような特徴を持っている。
これらの反動的な政策転換は2001年に結成され、最近、その名称から「若手」をとった「新世紀の安全保障体制を考える(若手)議員の会」などの主張とあい呼応している。「議員の会」の代表幹事の一人である民主党の長島昭久は「安保・外交には与党も野党もない。あるのは国益だけだ」とあけすけにその主張するところを説明している。
民主党内の議論や、国会での議論もまともに行われないままに、新防衛大綱の準備過程で、民主党調査会での提言の作成と防衛省による先取り的な既成事実化が進んでいる。
2009年、憲法第9条を敵視し、一貫してその改悪を企ててきた自民党を中心とする政権が倒れ、民主党を主軸とする連立政権が成立し、「政権交代」が実現した。それは多くの人びとに新鮮な期待を持たせた。
しかし、それから1年数ヶ月を経て、その期待の多くは色あせてしまった。普天間基地の撤去・県外移転という公約は破られ、辺野古移設を明記した「日米合意」が強行され、社民党が連立政権から離脱し、鳩山首相は辞職した。いま、沖縄県知事選がたたかわれている最中であるが、自公両党に支持された現職さえも「県内移設は不可能」というほど、沖縄の民意の大多数は県外・国外移設を望んでいる。与党・民主党は候補も立てられず、事実上、県内移設反対の伊波候補の勝利を妨害する方向で、迷走している。
すでに見たように、年末に予定されている新「防衛大綱」の策定をめぐる動きのなかで、武器輸出3原則の緩和や、PKO5原則の緩和、集団的自衛権の憲法解釈の緩和など、自民党政権時代でもできなかったような、9条のしばりを突破する危険な動きが相次いでいる。
参議院ではしばらく棚上げになっていた憲法審査会規程の策定に自民党と民主党が合意した。国会の比例定数削減の動きもつづいている。日米安保条約50周年を経て、新政権は軍事同盟体制をなくすのではなく、逆に米国に追従し、グローバルな規模での作戦に対応できる日米安保体制として再編強化しようとしている。これはまさに歴史の反動といわなくてはならない。
私たちは、いま、菅内閣がすすめているこれらの逆流に反対する。
アジア太平洋戦争の敗北と、米軍による占領という歴史の激変から、サンフランシスコ単独講和を経て、日本社会は日米安保条約と日本国憲法の二つの相矛盾する法体系の対立の中で推移してきた。
しかし、冷戦が終結した21世紀の世界の中で、戦争の違法性が普遍性をもって広く認識され、核兵器の廃絶を願う国際世論が普遍化しつつあるこの時代に、この安保と憲法の対立は菅内閣が考えるような日米軍事同盟の維持という方向で解決するのではなくて、もうひとつの日米関係を構築する、安保条約を日米平和友好条約に変える方向で解決が図られなくてはならない。
日本は東アジアの平和と共生を実現する「共同体」を実現する方向へ、大きく舵をきらなくてはならない。憲法第9条をもつ日本は、とりわけ東北アジアの緊張と紛争の緩和と解決のために力を注がなくてはならない。尖閣諸島問題の日中両国の対話による平和的解決、戦後、平和条約のない日本とロシアの関係の改善と領土問題の解決、日朝国交回復の実現と両国の戦後処理に関わる諸懸案の解決、および朝鮮半島の非核化のための6者協議の前進などを実現しなくてはならない。
これらのことを通じて東北アジアの海を平和の海へと変えることである。鳩山首相が唱えて、その後放棄した「東アジア共同体」は冷戦という20世紀の遺物が残る東アジアの希望であり、私たちは民衆同士の交流を通じて、粘り強く、その道を進む必要がある。(事務局 高田健)
小川良則(憲法を生かす会)
最近、連日のように尖閣諸島関係の報道が紙面を賑わせている。主権国家間の領土・領海を巡る係争や、資源とそれを巡る利権の問題については、ひとまず論評を留保するが、どうしても見過ごすことができないのは、こうした報道を通じてナショナリズムが煽られ、「中国=強引で理不尽な国」というイメージが刷り込まれる中で、これに対抗するには「日米同盟」や「抑止力」もやむを得ないという方向に世論が誘導され、中国を仮想敵とする軍事体制づくりが進められようとしていることである。
この年末に行なわれようとしている「防衛計画の大綱の見直し」も、そうした動きの中に位置づけられるものであり、その言わば「露払い」として、8月27日に「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」の報告が出された。こうした動きについては、既に本誌10月25日号で高田さんが批判を展開しておられるので、重複は避けるが、一言で言えば、「専守防衛」や「基盤防衛力構想」など、曲がりなりにも辛うじて戦力の不保持と交戦権の否定を掲げた憲法との整合性を糊塗してきた歯止めをかなぐり捨て、集団的自衛権と武器輸出を解禁し、先制攻撃の余地すら持たせるとともに、PKO五原則を見直し、海外派兵恒久法まで整備しようという極めて危険なものである。
多少、話が脇道に逸れるが、衆院憲法調査会の会長を長く務めた中山太郎元外相は、公聴会や参考人質疑の際に「(1)主権在民、(2)人権、(3)再び侵略国家にならないことが憲法の原則」と挨拶していた。普通、われわれが憲法三原則という場合、(3)には「平和主義」が来るのだが、それをこのように言い換えることで自衛のための軍隊を正当化しようとしていた訳だが今回の安保防衛懇報告は、それすらも逸脱しているのである。
また、11月18日の共同通信は、民主党の外交・安全保障調査会の提言案に「歩兵」などの旧軍用語の復活や制服組トップの天皇認証官化が盛り込まれたと報じている。
このように、小泉構造改革による生活破壊への怒りが政権交代を実現させて1年が過ぎた今、民主党政権の下で、従来の自民党政権ですら踏み込めなかったことが進められようとしているのである。10月24日の自衛隊の観閲式の訓示では、菅総理は中国と北朝鮮の脅威を強調し、日米同盟の深化を訴えた。菅総理と言えば、就任早々の消費税引き上げ発言で物議を醸したことも記憶に新しいし、普天間基地の移設問題では日米合意重視一本槍だし、8月6日の広島で核の傘の重要性を説くなど、歴代自民党の総理とどこが違うのかという有様である。
そこで注目したいのが、安保防衛懇報告の約1月前の7月14日の経団連による「わが国の防衛産業政策の確立に向けた提言」である。そこでは、北東アジアの安全保障環境が緊迫化する一方、自衛隊の役割が世界規模で拡大していると述べた上で、防衛産業の衰退が防げるような予算の確保と技術的鎖国状態の打破(各国企業との共同開発・共同生産)などを主張している。
これは、人件費の抑制や雇用不安で消費購買力が冷え込み、内需拡大による増収・増益が期待できない中で、軍需部門の政府支出と海外市場に活路を見出すとともに、グローバル化の「バスに乗り遅れ」まいとしていることに他ならない。このように、武器輸出の解禁は、言わば「財界の総意」なのだが、北澤防衛相は1月12日の日本防衛装備工業会の新年会をはじめ、いろいろな場で武器輸出禁止の見直しに言及している。
財界と民主党と言えば、2003年の総選挙の際、最初のマニフェストの草案が経済同友会との調整の結果、大幅に書き直されている。その時に追加されたのが、消費税の目的税化であり、比例定数の削減であり、「創憲」という名の改憲路線であった。そして、「御手洗ビジョン」をはじめとする財界側から出された国家構想や改憲案が、いずれも集団的自衛権の解禁を主張していることも指摘しておかなければならない。つまり、今回の防衛大綱の問題にとどまらず、税制にしても、比例定数の問題にしても、そこに働いているのは財界の意向なのである。
しかし、報道されている内容で防衛計画の大綱が見直されるとすれば、事実上の「国是」の変更であり、憲法上の疑義を生じることは必至である。そこで、「政治主導」と称して内閣法制局を答弁者から外すとともに、国会自らが憲法判断を行なう常設の機関としての憲法審査会の始動が狙われているのである。
私たちは、憲法を破壊しようとするこうした動きの一つひとつを監視し、世論を喚起し、食い止めていかなければならない。ちょうどここまで書いたところで、11月18日の民主党外交安全保障調査会で異論が出され、了承が見送られたというニュースが入ってきた。リベラルの会をはじめ、民主党の中にも軍事国家化を懸念している人は多い。こうした人たちを大きくつなぎ合わせていくことができるかどうか、私たち一人ひとりの努力にかかっている。
長谷部貴俊さん(日本国際ボランティアセンター《JVC》)アフガニスタン現地代表)
(編集部註)10月23日の講座で長谷部貴俊さんが講演した内容を編集部の責任で集約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。
わたしたちの団体、日本国際ボランティアセンター(JVC)は30年間国際協力の活動を民間ベースでやっています。ただ援助をするだけでなくそこで起きているおかしいこと、問題なこと、人々の声をきちんと出していくことをモットーにしています。JVCは9.11のあと緊急支援でアフガニスタンに入りました。そのときから武力による解決は、逆に状況を悪化させるだけだと、アメリカ、イギリス、北部同盟の攻撃を非難してきました。
わたしは2005年にJVCに関わり、最初は東京担当でした。その後ジャララバードに行ったときには状況が本当にひどかったです。ふつうに歩けない状況は2005年からありました。今年も3回ほど行っていまして、また来週の月曜日から3週間ほどジャララバードに入るので、ちょっと髭をのばし始めています。状況は前よりどんどん悪くなっているなと感じています。いまの状況や人々がどういう声を出しているのかを、お話ししたいと思います。
ちょうど先週1週間、アフガニスタンのNGOのネットワークの代表者2人をお呼びしました。1人はわたしが非常に親しくしていただいている友人で、アフガニスタン人のサターさんという方で、もう1人はフランスの人NGO国際ネットワークの方でした。彼らは、いまは援助と軍事が一体化している、ニーズベースではない支援がどんどん出ている、やはり政治対話が必要だということを強く訴えていました。今後のアフガン支援をどうしたらいいのかを現場をもっているNGOと話したり、JICAの方や外務省の方、国会議員などに一緒に動いてきました。
最初にジャララバード市内を撮影した映像を見ていただきます。人々の生活はふつうに行われています。わたしたちは、レストランなどには残念ながら入れません。ねらわれることはないですが、盗賊などがすごく多くて移動も車の中から景色を見るだけです。こういうふつうの生活が営まれている中で、爆破が繰り返されています。
これからスライドで見ていきます。まずJVCの事業運営です。いま診療所が2つで21000人の地域をカバーし、現地職員はガードさんを含めて31人います。わたしはフルですが、週何回か働いてくれる日本人の方、医療の専門家の女性もいて、日本人はわたしを含めて4人の運営体制です。女性のスタッフはお医者さんとか助産師さんもいます。特に大切なのが治安担当で、その方からわたしもいろいろな情報を得ます。誘拐事件があるから今日はここを動かないとか、爆弾を持った車が入るからこの地域は動かないとか、こういう事件があったとか、ニュースがメールで入ってきます。アフガニスタンNGOセーフティーオフィスというヨーロッパの政府が支援しているNGOのアフガニスタン人も、地域のことに精通していて裏の情報も取りながらやっています。
国際スタッフは、前にいた人はカナダの軍人とかドイツの国防省で働いていた人とかそういう人たちです。防弾車に乗ったり武装したりしないで、地域にとけ込むかたちで、どういうふうにNGOが安全を確保するかということをやっています。
日本の外務省に対しては、JVCも残念ながら資金を取っている関係なので、駐在することができず、短期で行っています。ただ、言いたいことは言っています。去年は外務省から防弾車に乗りなさい、防弾車で身を守れると言うんですね。ペシャワール会さんみたいに民間資金を取っているところとか、ピースウィンズさんも政府に近いと思われていますが、政府資金は取っていません。
JVCも含めて政府の資金を取っているところは、資金の審査を止めるぞと実際に脅かされて1か月止まっちゃいました。ただ防弾車に乗る方が目立つし危ないんですね。外国軍に間違われたり、政府の高官と間違えられたりする。そういうことを1か月くらい議論して、JVCは持たなくていいとなったんです。多くのNGOは、残念ながら1か月資金の審査を止められると、300万円とか400万円の赤字が出ますからしょうがなくて受け入れてしまったそうです。それでわれわれは、ふつうの日本の中古車に乗っています。さきほどの映像のときも、古い日本の中古車で現地のスタッフと一緒に動いていました。
アフガニスタンは西をイラン、隣はパキスタンという国際政治上非常に重要な国に囲まれています。内陸の国で、北はトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、それから中国にも接しています。JVCは東部で緊急医療、巡回医療などを2001年に始めました。わたしが2005年から関わったときは、パキスタンから車で移動して事務所のあるジャララバードに入りましたが、2007年くらいから国境地域の治安が悪くなって、すべて飛行機で移動しています。いまジャララバードは軍事基地がどんどん拡張され、一般の人は寄せ付けませんし、今年に入ってからタリバンによるジャララバードの空港に対する攻撃が多発しています。
気候的には、カブールは夏涼しくて軽井沢みたいです。冬は非常に寒く、マイナス10度を超えることも多いです。ジャララバードは、冬は関東の冬とあまり変わらないんですが、4月から8月にかけては暑くて、50度近くになります。去年7月に1人で出張したときに事務所で週末に仕事をしていましたが、扇風機を回しても熱風がくるだけで、意識が飛びそうでした。思ったよりからっとしていません。それでアフガニスタンの人は慣れているねと言ったら、僕たちもしんどい」と言っていて、子どもたちなどは、カブールとかもう少し涼しいところに夏の間は暮らさせているということです。
首都はカブール、正しくはカーブルです。カブールはいろいろな外国軍がいて道路が寸断されています。「治安の確保」と言われていますが、移動にもすごく時間がかかります。国内避難民の方もかなり多くいます。面積は日本の1.7倍、人口は2820万人、人口増加率も非常に高く、人口に占める子どもの割合は半分近くです。言葉はパシュトー語というパシュトゥーン人が話す言葉と、ダリー語というペルシャ語に近い言葉のふたつが国の言葉です。わたしは、パシュトー語は挨拶くらいしかできなくて、中核のスタッフとは英語でやりとりしいています。
民族はパシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人、トルクメン人など多民族です。彫りの深い顔をしている方も多いですが、ハザラ人は日本人と非常に顔が似ていて、おまえは言葉をしゃべれないことがばれなければ、遠くから見るとハザラに見えると言われました。現地では向こうの服を着て髭もぼさぼさになるので、「わからないね」と言われました。
カルザイ大統領は2期目を迎えていますが、非常に腐敗の問題があります。選挙管理に携わった人から聞くと、カルザイ大統領は多分ふつうにやっても勝ったのに、彼のサポーターがとんでもない不正をした。それが一般の人たちにも知れ渡って、去年の選挙のあと、人々の信頼を失っています。実の弟が麻薬のビジネスで大儲けしていることも知られています。本当にやったかどうか裏が取れない。裏が取れないのかどうかもわかりませんが、逮捕されていません。
彼は東部の行政でも要職をやっています。そうすると「何だ、麻薬の取り締まりだと言って警察がきているのに、大統領の弟が許されているんだ」ということを村の人でもわかっているので、政府への信頼はすごく低いです。
国内総生産は1人あたり318ドル、いまは円高なので24000円くらいです。アフガニスタンは確かに農産物が取れるのでそれで食べたりしますけれど、かなり貨幣経済が浸透しているのでこの数字はかなり厳しいと思います。JVCのスタッフは公務員の給料と比べるとかなりいいんですね。日本だとNGOってかなりひどいですが、向こうでは外資系で働いているみたいですね。一番は米軍で働くことですが、リスクもともなうので嫌います。あとは工学部を出て建築家とかエンジニアとかお医者さんが高給取りです。次が国連とか2国間機関とか、ヨーロッパのNGOで働くこと。その次くらいですね。
これだけ給料を出しているから食べていけるでしょと言うと、いまは失業率も高いので、みなさんぶら下がっちゃうみたいですね。ひとつの家族で10人とか15人くらいがおんぶにだっこになっちゃう。拡大家族というか、きれいにいうと助け合いですが、そういう意味で「お肉もなかなか買えないんだよね」というガードさんもいます。
5歳以下の乳幼児死亡率も1000人中191人、5人に1人が5歳前で命をなくしています。マラリアなどの熱帯特有の病気もあるんですが、政府や国連の調査によると半分以上が、ふつうの熱とか下痢で命を落とすそうです。初期治療ができなくて、簡単に命をなくしてしまう人がまだ多くいます。
この1か月に4人のアフガニスタンからの来日があって、いろいろなことを話したんですが、メディアがコントロールされていて情報がなかなか伝わってこないと言っていました。9.11のあと、10月から空爆がアメリカ軍を中心としておこなわれました。その際もかなりの数の一般人が巻き添えになって亡くなったといわれています。日本での報道は皆無ですが、BBCで調査をした学者の発表がありました。いまも外国軍によって殺されても、「あれは反政府だった」で片付けられニュースにならないことが非常に多いです。うちのスタッフで医療チームトップのお医者さんは、あんまり政治的なことを言わない人ですが、その彼が広尾でやった報告会のときにメディアはコントロールされている、真実をちゃんと伝えて欲しいといったのを聞いて、彼でもこう思うのかと非常に驚きました。
NATOのホームページでは、いま外国軍は11万人いるそうです。これから撤退するところはありますが、アメリカは増やすのでどんどん増えていきます。昨日の朝日新聞には、敵だとわかるまで撃たない、そして仲良くやっていくというアメリカの方針について記事が出ていました。しかし、一般の人たちはアメリカ軍、外国軍に対して反発を持ち、嫌悪感すら持っていると思います。軍がやる援助も盛んにおこなわれています。
軍に向けた写真は撮れないんですね。きらりと光るものがあったら、それだけで撃ってくることもあるので非常に怖いです。カブールへ車で移動していたとき、市内でぼろいセダンの助手席に乗っていて、カメラも持っていないのに銃口を向けられたこともありました。そうやって人々を脅かしていますし、わたしたちのスタッフのお母さんは、誤射で撃たれました。謝罪はありません。いま住民と仲良くしていきましょうとうたっていますけれども、信頼は取り戻せないと思います。
いま国際治安支援部隊(International Security Assistance Force・ISAF)が、国連決議に基づいてNATO軍を中心にアフガニスタンに派遣されています。最初はカブールを中心として警察的な役割をしていました。それがどんどん地方に拡大していって、実は「テロとの戦い」とは別の部隊だったんですが、もう区別がつかない状況になっています。ISAFとは別にあった治安を目的にしていたNATO軍も、2005年、2006年くらいからどんどん対テロ戦争に巻き込まれてしまいました。いま、ヨーロッパではある意味協力はしているけれども、どうやって引けばいいかということを考えていますね。
2008年にフランスの外相が、あるNGOの国際会議に出てきて、軍の協力はしている、これからも続けると言っていました。しかし、とても苦渋に満ちた言い方で、やはり和解が必要だということを2008年の時点でクシュネル外相は言っていました。いまヨーロッパの国はアメリカのやっている戦争に巻き込まれているけれど、「あれは間違っていた」とも言えない状況で、どうしたらいいんだろうと考えていると思います。
BBCとかドイツやアメリカの放送局が、共同でアフガニスタン市民に対して調査をしました。アメリカによるアフガニスタンでのパフォーマンスをどう見るか、ということです。2005年の時点では、アメリカはいいことをやっていると答えた人は7割でした。もちろん2001年から「こいつら何だ」とわかっていた人もいたんですが、一般の人はソビエト侵攻以来、そのあとのムジャヒディン時代など国の中がぐちゃぐちゃだったので、今度はふつうに暮らせるかと思っていた人たちが多くいたそうです。しかし同じ質問は、2009年に答えは逆転し、「いい」と言っている人が3割くらいです。
わたしがジャララバードに行くと、昼夜休みなく仕事しているので、なかなか一般の人と話す機会がありません。たまに外に出て仕事のあとにお茶飲み話をすると、本当にもうやだといって嫌悪感すら持っている人はすごく多くいます。どうせアフガニスタン政府なんて、外部に従属しているだけだよと言っていました。外部というのは「アメリカさ、彼らの言うことを聞いているだけだよ」と言っています。ジャララバードで会う人は、アメリカのことをよく言う人は少ないです。
安倍元首相が、インド洋の給油問題を自分の政治生命をかけてやる、みたいなことを言っていましたが、多くのアフガニスタン人はその時初めて知りました。インド洋でやっていることがアフガニスタンの英字新聞のトップにでたんです。多くの人は怒りました。わたしたちのスタッフも「あーあ」という感じでしたし、ほかのNGOの方もスタッフにいろいろ言われたそうです。それを知って米軍で働くアフガン人が、「何だこんなことやってるんだ。もっと距離とった方がいいんじゃない?」なんてこそこそっと言っていました。米軍で働いている彼もしたたかだけど、見ているところは見ているなと思いました。
実際、カルザイ大統領も2004年に初めて知ったくらいです、一国の大統領がですよ。日本では、あれがなければもうだめだというくらいの議論がありました。かたやアフガニスタンで、国のレベルでも、一般人レベルでもどうでもいいことだったんですね。日本のメディアのあり方もアフガニスタンの一般市民の受け止め方はどうだったのか、そういうものがないですよね。わたしもアフガニスタンの英字新聞を読んで、2004年に初めてカルザイ大統領が支援の内容を知ったことを見たわけです。一般の人は2007年の安倍さんがやめるかやめないかという時期ですから6年経ってわかったわけです。アフガニスタンの人にとってはどうでもいいこと、それが日本の国内ではすごく重要だと言われていて、メディアの取り上げ方も非常に偏っていると思いました。
一般の人の犠牲者・死者数ですが、2009年は戦闘の巻き添えで2412人亡くなったと国連が発表しています。半分以上が反政府による被害だと言われていますが、アフガニスタン国軍、外国軍による犠牲者も非常に多いです。実際はもっともっと多いだろうと言われています。それは、一般の人を殺したのにそれを反政府だということで済ますことが、外国軍が攻撃した場合に非常に多くあります。いまも数値はつかみにくいです。アフガニスタンの国内の市民団体は、もっと多いだろうと言っています。
2008年にJVCスタッフで診療所の所長をやっているお医者さんのいとこが、外国軍の誤爆で亡くなりました。そのとき外国軍が出した声明は、「あれは外国から来た反政府を米軍がやっつけた」ということでした。その声明が、アンソーの治安情報を担当している人からすぐメールで来ました。うちのスタッフが、実はスタッフのナシーム医師の親戚も死んじゃったみたいだと言ってきました。彼は医者だからすぐに現場に行ったことも同時に聞きました。詳しく聞くと、結婚式の後お嫁さんが旦那さんのところに行こうとしていて、女性や一般の人が多く歩いていたところに空から爆破したそうです。37名中10名の遺体は跡形もなかったそうです。生き残った人もいたので、そこにいた人が分かっているのに遺体すら見つからない。それだけ爆破の威力が強かったんですね。
国際赤十字の2008年当時の東部の所長さんと直接お話ししたら、事件についてアフガニスタン人だと思いますが調査させましたと言うんです。民間でもあなたたちの言うとおりだとわかって、仕切っている東部の米軍にレポートを提出しました。けれども、その後も一切の謝罪はなく、「誤爆だった」という声明は変えていません。実際こういうことがいろいろなところで繰り返されています。
JVCはなぜかタリバンの攻撃にあったことはないですが、外国軍からはいろいろあります。去年も診療所の10メートル手前の民家に空から撃ってきたり、われわれの活動地で農作業をしている男の子の足が撃たれたり、学校の近くに爆撃されたりしました。去年の5月から7月に集中的に起きました。いま地域医療支援、教育支援をやっている21000人の住民が住んでいる活動地です。JVCが米軍や国連と定期的にしているミーティングの場で、治安担当のスタッフがやめるように話をしました。そうしたら米軍側は、これは練習ですと言ったんです。練習を、民間人が住んでいる場所でやると言うんです。信じられないですよね。本当の話です。東京にいたわたしも、すぐそれをレポートで聞きました。それでも結局やめる気配はありませんでした。
さらにその1か月先に行われた軍とのミーティングにわたしも参加しました。新しい担当者にそのことを聞いたら、知らないとか、やってないみたいなことを言うんです。空から撃ってきているんですよ。タリバンはいろいろと攻撃をしますが、ヘリコプターを持っていません。彼らの武器は簡易爆弾とかロケット弾もかなり精度が悪く、あっちに行くかこっちに行くかという感じで一般の人の犠牲が出る、かなりレベルの低い武器です。まして空から動くものなんて持っていないんですよ。だからこの地域でほかに誰がいるんですか、パキスタン軍が越境するはずないでしょう、あなたたちしかいないでしょう、見ているんだからという話をしたんですね。でも結局、曖昧な返事しかなかった。
そこで、診療所の近くで拾い集めた破片をアンソーで調べてもらって、これは米軍が持っているものだとわかり、国連や日本政府にも協力いただきました。
そうやってプレッシャーをかけてやっと軍事練習だったことを認め、われわれの地域からそういうことはなくなりました。このときに住民の人たちはカンカンに怒っていたんですよ。それでアフガニスタンの県知事か県議会かに請願書みたいなものを持って行きました。でもアフガニスタン政府は結局何もできなかったんですね。
JVCはかなり動きました。いまNGOでも米軍が怖くて何もできないNGOはヨーロッパでも多いですが、JVCはおかしいことはおかしいとはっきり言って動いた結果、なくなったんですね。それは本当に住民にとっても良かったんです。もしこのときにJVCがいい加減な対応をとっていたら、いまの時点でも空から撃ってくることもあったでしょう。いまうちの地域では警察は1人もいません。ただ銃を家に1丁持って、彼らなりのやり方で治安を守っていますが、もし米軍の野放図なやり方を許していたら住民はタリバンと結託して、われわれの診療活動もできなかったかなと思います。だから、タリバンであっても外国軍であってもやっぱり一般の人を攻撃することはやめてくれ、そういう立場をきちんと明確にするからこそNGOが活動できているんだなと思いました。
今日特にお話ししたかったことですが、地方復興チーム(Provincial Reconstruction Team)、PRTという言葉を聞いたことがある方はいらっしゃいますか。これはやる側の論理です。アフガニスタンなんて危ない、治安はどんどん悪くなっている――実際その通りです――いろいろな治安事件がある。たとえばJVCの長谷部なんて防弾車にも乗らない、ガードもつけていない――治安担当はつけていますが武装している人はつけていません――危なっかしくてしょうがない、とやる側は言うんですね。危ない地域は、外国軍とかに前と後ろをエスコートしてもらって、真ん中にNGOとか援助関係者が入って行動すると安全に行けるという発想です。
いまISAFのもとで27のPRTが活動し、いろいろなことをやっています。去年の春くらいですでに1万件以上の道路を造っています。どんなことをやっているか。PRTにJVCも2回攻撃というか、迷惑を被りました。ひとつはいまのJVC代表の谷山博史が現地代表をやっていたときです。いまとは別のクナール県という現在治安が非常に悪くなっている県で、診療所の支援をしていました。急に外国軍がどやどや入ってきた。それがPRTですが、もう診療するなといって薬を配るんです。米兵とアフガン人が来て薬を配る。診療もしないで、ものを配るみたいに抗生剤とか強い薬を配るんです。子どもは体重を量り症状を見て、出す薬の量を決めますよね。女性も出産のときは基本的には薬を飲んじゃだめですよね。そんなの関係なく薬をばらまく。
そして威嚇だと言って、そこから撃つんですよ。診療所の中に銃を持ってくること自体違法なのに。一般の人から見たら、これではJVCが支援している医療施設なのか米軍の基地なのかわからない。そういうことが起こりました。アフガニスタンの、特に米軍のPRTは、戦争じゃもう勝てないから一般住民を味方にするためにこういうことをしています。2008年も、いまの診療所でものが配られたんですね。そうするとまわりの住民は「JVCは米軍と仲間なのか」「こんな米軍の仲間になりやがって何だ」と言ったそうです。実は僕たちも被害者です。こういった人たちとは距離をとって協力しないと言っていましたが、きちんと住民に説明しないとNGOも仲間だと思われます。
彼らは援助じゃなくて、軍事や政治とリンクしてやっています。去年の夏は東部の米軍は、お金をばらまいたそうです。これは国連のレポートで書いていました、場所は書いていませんでしたが。最近はPRTがまた進化して、県の下の郡レベルまでどんどん入っていって、個人でもNGOでもPRTに申請できます。英語コースとか文化的なイベントなどをどんどん支援しています。昨日読んだ資料では、バレーボールのユニフォーム700着をくれるとか、むちゃくちゃですね。
JVCは人々が大変な状況である、お医者さんもいない地域で診療所支援をしています。そういう人の必要性に応じて活動しています。われわれの地域でタリバンの攻撃はないですが、3年くらい前に村人が境界線をめぐって争って、撃ち合ったことがあります。そういうときに両方の人たちを受け入れ、早くそういうことはやめましょうね、というやり方をしています。基本的には困った人がいればどんな立場の人であっても受け入れるやりかたをしています。そういった人道の原則が、結局戦争じゃ勝てない、やっぱり一般の人の心をつかむんだということによって曖昧にされ、そのためにいまNGOなのかPRTなのか区別がつかない状況になっています。
ただ今年に入ってからNGOへの1月から6月までの攻撃件数が、去年や一昨年の同じ時期に比べると35%減ったといいます。これはタリバンの方も、言い方は変ですが、「ちゃんとしたNGOなのか」「米軍にくっついている下請けなのか」とか、いろいろな情報を持ち合わせているみたいです。本当のニーズベースのNGOを攻撃したら、その地域の人は困りますね。タリバンも、一般の人たちの信頼を勝ち取るためにそういうところはねらわないようにしているそうです。
クナールの、あるイギリス人の援助関係者が、救出作戦のときに失敗した外国軍の手投げ爆弾で死亡したと新聞にありました。反政府がしばらく前に誘拐したんですが、そこの団体は非常に外国軍と結びついていて「危ないな」といわれていました。もちろんJVCも過信してはいけませんが、そういった意味では、「ちゃんとしたNGO」なのかどうなかの見極めもできてきています。
ヨーロッパの国、NATO軍ですが、軍と民が一体でやっています。それから軍事支援をして軍事で反政府の地域を一掃する、そのあとに援助を持ってくる、それで人々の心をつかむという、イラクでやっていた作戦をいまアフガニスタンでもやっています。
友人の白川徹さん(元アジアプレス)が、アエラとか東京新聞などいろいろなところで発表しています。彼が東部のある米軍のPRTに従軍したとき、家畜に対するワクチン接種をするといって家の中にどやどやと入って、外国兵も牛の口などにワクチンを押し込む。そのときに髭を生やせるくらいの10代半ば以上の男の子とか成人男性の網膜を写真に撮っていたそうです、同じ場所で。網膜のデータでどこの出身地域か割り出せるそうです。あとでそこを総攻撃するような作戦だそうです。ですから非常に援助と軍事が絡み合っているのが現状です。
実は、日本もチャグチャランという中部の地域に、外務省の文民4名をリトアニアのPRTに出しています。外務省もひた隠しています。これは安倍晋三さんがNATOで、NATOと協力しますと2007年に発表しました。これを現場サイドはほとんど知らなかったようで、困った。現場の人はPRTがいかに悪いか、大使館の人もJICAの人もかなりわかっています。お茶を濁すかたちで文民4人を派遣することにしました。つい2、3日前に、リトアニア軍のPRT基地の前で爆破テロがあったそうです。チャグチャランは、われわれが活動している東部に比べてすごく治安がよく、援助関係者、NGOでも活動できる地域です。でもアメリカやNATOとの関係を考えてそこに派遣しています。
これに対してもJVCは反対していますし、朝日新聞にも反対のコメントも載せてもらいました。この動きには、われわれも声を出していかなければいけないと思っています。怖いと思うのは、政治家や官僚だけでなく学最前線の兵士たち
タリバンでも外国軍でも、戦闘行為は早くやめるべきですが、最前線に立っている兵隊さんたちはどうなのか。わたし自身は意識的にこの人がタリバンだということで会ったことはありません。多分、JVCはどういう団体かをタリバンも知っていると思います。これは伝聞ですが、オマル師などはかなり思想的なところはあるけれど、最前線で闘っている人たち、自爆テロをやってしまう人などは思想的なことはないそうです。指示のもとに従っているだけだよ、と言うんですね。多くの人たちはお金のために闘っていると言います。クナールとか東部のいくつかの県ではリクルーターがいるみたいです。
米兵も、東部はアメリカ軍の管轄ですが、最前線に立たされている人は、わたしから見ても「大丈夫かな」という人が多いです。筋肉隆々のいかにも軍人という人がいますが、基地で飛行機を待っているときに、ひょろひょろっとした若いお兄ちゃんみたいな人とか、軍人じゃないけれども杖をつかないと歩けないようなおじいちゃんを2人見たことがあります。料理をつくるとか裏方をする人なのか、こんな人も来ているんだと思いました。
アフリカ系の米兵のエピソードです。ジャララバードでは民間機が飛ばないので、われわれは国連機か国際赤十字の飛行機を待つしかありません。そのときいろいろなチェックを受けるんですが、ある米兵が耳にヘッドホンを当ててわたしたちのパスポートをチェックしていました。アフガニスタン人の、基地で働いている人が何かのミスの話をしていたようですが、突然米兵がナイフを突きつけたんですよ。すごく狭いところに3人くらいだったので、わたしは自分に向けられたのかと思いましたが、アフガニスタンの人もびっくりしていました。その米兵は目が泳いでいるんですね。たぶん彼自身も怖くて怖くてしょうがない状態だと思いました。
堤未果さんの本にも書かれていますが、かなり貧しい人たちが戦場に送られています。迷彩服を着て、一応軍人ぽい格好はしていますが、この人に銃を持たせたらまずいんじゃないかという人が結構います。わたしも怖いです。大きい金属音がすると銃撃かなと思いますし、実際に爆弾の音も聞こえます。そういうときに訓練を受けていない人がいたら、撃っちゃうだろうなと思います。そういう人がたくさんアフガニスタンに送られていると聞きます。社会の矛盾がアフガニスタンの中にも出てきているんだなと感じています。
「冬の兵士」という映画があります。ニュースステーションの企画を作られていた田保さん、イラクをやり過ぎるからやめさせられてしまった人ですが、それでも個人でやっています。彼が元アメリカ兵でイラクやアフガニスタンに従軍された方たちをずっと追い続けています。彼らは交戦規定がいかにいい加減に変わっていったか、最後にはただ買い物袋を抱えているおばちゃんも撃ち殺した、ということを生々しく証言しています。イラクにも自衛隊は行きました。JVCも反対しました。実際に銃を持っていることは、一触即発の事態です。むしろ武器を持っているからこそ相手にねらわれるわけで、その辺の議論もきちんとわかっていかないといけないと思います。
アフガニスタンは内戦が30年以上あったので、基礎的なサービスが壊されています。それでも2001年以降、保健や教育の分野ではだいぶ改善されています。しかし、われわれの支援活動の地域では、貧血や女性の婦人科系、泌尿器科系の病気が多いことがわかりました。お子さんもやせ細っています。腕の太さで発育をはかりますが、だいたいは平均以下です。活動地の農村部では女性は8人から10人くらいのお子さんを産みます。それも女性は10代後半で結婚して、出産間隔が短く、もともと丈夫じゃない身体で産むので、女性の身体が疲労しています。女性の健康に関する支援に、同じ活動地で3年から5年くらいやりたいと思っています。
2004年、2005年に支援していた女子学校があります。ここはタリバン崩壊のときに、なぜか隠れて小学校をやっていたようです。いまは高校3年生まで学年が上がってきて、農村でも高校を卒業できる女生徒が増えています。ここの出身の生徒さんが、母校で2人ほど最近先生として働き始めました。
地域医療と教育活動をしていますが、支援のニーズは、ひとつは高い乳幼児死亡率、5人に1人の子どもが5歳前に亡くなってしまうことをどうにかしないといけない。それから妊産婦さんの死亡率も10万人に1700人という非常に高い数字です。これは危険な出産の見極めができないからです。村では家族とか伝統産婆が取り上げ、危ない兆候がぎりぎりまでわからなくて手遅れになってしまいます。車を持っていて、市内まで送ることができれば命が助かるけれども、それができない。一緒に活動している谷山由子さんが現地で活動していたときは、へその緒を肉を切る包丁で煮沸もしないで切ってしまい、破傷風になった例がありました。いまは清潔なものでやりなさいと指導していますし、破傷風のワクチンも売っています。
お医者さんも大都市には国立の医学部があってそれなりに増えていますが、農村部で働くことはいやがります。われわれの活動地でも1万人当たり0.61人という非常に低い数字です。「自称医者」というのはいます。その人は薬局をやって、高い薬を売っている。そしていい加減な診療行為をすることがあります。最近も10歳くらいの男の子が命を落としました。その人たちに「行くな」とは言えません。やはりきちんと治療ができるお医者さんが必要だと感じています。
アフガニスタンの行政もまだまだ力不足で、100の公立病院があるとすると――われわれの支援している病院も公立です――70%がNGOの直接支援です。人の手当だとか薬の分配、マネジメント、病院の管理とか、そういうものがNGOまかせになっています。行政は、政策はつくっています。でもこれはヨーロッパやアメリカから来たコンサルタントがつくって、月に1回の現場視察を行政がやっている状況です。
教育分野に関しては、タリバン時代は女性の教育は禁止でした。いまは嫌がらせはありますが数は全体的に伸びてきています。以前は、20歳を超えた女性で字が読める人は皆無でした。学校の先生くらいでした。アフガニスタン全体の統計でも15歳以上の女性の14%しか読み書きができないという報告がありました。農村部では限りなくゼロに近い状況です。いまでも小学校、中学校に当たる子どものうち600万人が教育にアクセスできていません。これから10年間で、小学校の先生を20万人増加させなければいけないという報告があります。いまは14万人だそうですが、半分は少し読み書きができるから先生になったという人たちです。いまですと高校を出たり大学の教育学部がありますが、われわれの活動地で調査したら、内戦のときなどに即席でなった先生のレベルは小学校3年生くらいだそうです。
2001年の緊急の支援から始まって2003年くらいから地域に落ち着いて、診療所やワクチンの接種、地域保険員(村落保健ボランティア)という、村の人は診療所に行くのがなかなか大変なので、歩いていける範囲で診療を受けることができるボランティアを育成しています。アフガニスタン政府で認めていますが、医療資格者でなくてもNGOのお医者さんからきちんとトレーニングを受けた人たちが、風邪とか怪我の簡単な治療に当たっています。手に負えない場合はすぐに診療所に送るように言っています。毎月トレーニングをわたしたちのところでやっています。
教育についても、女子学校の施設支援から教員訓練に移っています。これは農村の先生が教えていると授業がつまらないみたいです。即席でなった先生はどうやって教えていいのかわからないようで、2006年からは施設の支援よりも中身の支援をしています。
アドボカシー――政策立案者に対しての働きかけですが、アフガニスタン国内では米軍や国連、日本政府への働きかけも、JVCだけでなくていろいろな現場を持つNGOと一緒にやっています。日本でのメディアの扱いは、外国軍に従軍した視点での記事が非常に多く、アフガニスタンのことを網羅的に取材される方はすごく少ないです。そうすると、わたしたちがふれあっている人たちとかなりずれているんですよね。
2007年から、日本でアフガニスタンの政策をつくる官僚や政治家とお話しする中で、ほとんど現状を知らないことがわかりました。どういう発想かというと、極端な言い方をしますが、アフガニスタンのことは「どうでもいい」んです。アメリカとかヨーロッパとどういう関係を結んでいくか、まずそれが第一義なんです。日米同盟とか東アジアの安定を守る上ではアメリカとの関係が大切だと、そっちの発想から見ます。その中で、アフガニスタン支援をすることが日本にとっても国益である。なのでインド洋の支援という話になるんですね。
アフガニスタンのことは全然知らないけど、いかにももっともらしくインド洋での支援が大切ですとかいうわけですよ。「この人は偉い人だから長谷部君、仲良くした方がいいよ」と言われますが、「アホか」という感じです。きちんとした会議の場やいろいろなところで話して、「何なの、この人」という人が多いです。そういう中でJVCだけでなく現場を知っているNGOの人は、何か変じゃないと思っている人が多いですね。そういうことでアフガニスタンではいろいろなNGOが一緒になって声を出しています。
2008年、民主党が野党だった頃に、PRTの協力は国連決議で決まった国際治安支援部隊のもとだからいいと、小沢一郎さんが言いました。メディアからは何の反応もありませんでしたが、JVCはかなり強い声明を出しました。そのときに、普段は政治にはアプローチしないNGOの現場を持つ担当者も、「PRTなんて怖いね」と言うんです。代表の谷山博史が起案してJVC単独で声明を出したんですが、そのあとNGOの仲間から怒られました。「一緒にやりましょうよ」って。
共同の声明の中身自体はわりとオブラートに包んで、PRTに反対だということは書きました。インド洋での支援のことは書かなかったけれども平和的なアプローチを望むと書きました。ピースウィンズジャパン、日本政府に非常に近いといわれているところとか、シャンティ国際ボランティア会、カレーズの会とか6団体くらいでサインしました。それで与野党の議員に対して働きかけたら、自民党のかなり大物議員も、インド洋のことも反対ですとはっきり言ってくれたんですね。
そのときにわれわれは政治団体ではないけれど、あまりにも議論がかけ離れたときに一緒になって声を出していくことは大きいなと思いました。その当時、PRTに対してどこも批判的なことを言いませんでしたが、6団体くらいのNGOが声を出したことは民主党の中でも、いまでも影響力があったということを党内の関係者から聞きます。思想ではなくて現場で起きているおかしいこと、やっぱりそれをきちんと出していくことが、特にアフガニスタンにおけるNGOの役割だなと思いました。
JVCのアフガニスタンの事業はいつかいなくならなければいけない。そうしたときに地域の人たちが健康改善を自分たちでできるような活動もやっています。まだまだ試行錯誤中ですが、2008年に、女性や子どもを含めて約285人の血とか尿とか便を調査しました。その結果、貧血とか泌尿器科系の病気が多いことがわかったんです。アフガニスタンでは健康診断を受ける機会なんてないそうで、これは画期的な取り組みなんですね。機材とか技師も特別に雇ってその場で検査しました。そしてその取り組みを村人に返して、今後の取り組も話し合っている段階です。出産は夜が多いので伝統産婆さんの役割は依然として重要なので、養成と支援もしています。
井戸の支援では、2005年と2006年に2つの郡に90本の井戸を掘りました。2005年に保健局長にお話を聞いたとき、「水を飲め」と言われたら真っ白なものが出てきました。カルピスじゃなく水だけど、濁って真っ白でした。まだ田舎に行くと川の水を飲でいて、結構汚染されているんです。カレーズの会の代表のレシャードさんが調べたら、村の水はトイレの水を飲んでいるようなものだと言っていました。わたし自身も2007年のアフガニスタン出張のあとE型の急性肝炎に罹って、初めの3日間は意識なかったです。その後元気にはなったんですが、これだけ状況が悪いことを身をもって知りました。
女子学校の支援ですが、タリバンの支配がなくなって田舎でも高等教育にアクセスできつつあります。教員の研修を4年間、毎年80人くらい女性を含めてトレーニングをしています。教科書の読みこなし、どうやったら生徒に伝えられるのかを実践的に学んで、かなり授業に変化が見られました。それまでは授業計画をつくったことがなく場当たり的だったそうです。いまは国語、教科書、イスラム教、生活科が低学年の教科で、授業のやり方を準備しています。子どもさんとも、一方的でなくどれだけ理解しているかを考えるようにしています。
日本がすべきことですが、アフガニスタン国内ではインド洋のことでがっかりした人も多いですが、アフガニスタン国内に軍隊を出していないことは、すごいメリットです。外国軍の増派はこりごりだとみなさん思っています。日本は陸に軍を出していないのですごく信頼を得ています。これはいろいろな方とお話ししても枕詞のように言われます。そういう文書が出回っているのかなと思うくらい言われます。かなり偉い人からふつうの人までそう言ってくれます。これはありがたいことですよね。アフガニスタンの人は日本人に対して親しみをすごく持っています。おなじアジア人だということで。
歴史のこともよく知っています。わたしたちは1979年から来たソビエトを追い返した、日本も日露戦争で勝っただろうと言うんです。ふつうの人がそういうんですよ。もうひとつ、まだ田舎に行けた2007年にワクチン巡回キャンペーンで、ある人をドライバーとして雇いました。彼は小学校を出たか出ないかという、30歳前後の人でした。通訳を介してですが、わたしは広島のことを知っていますと言うんです。日本はあんな爆弾を落とされたのに戦後復興をした。いま、アフガニスタンは大変だけれどいつか日本のようになりたいと思っている、と言っていました。非常に驚きました。どういう歴史教育をしているかわからないんですが、アフガニスタンの人たちは日本のことをよく知っています。彼らはすごく親近感を持っています。そういう特性を生かす必要があるんじゃないかと思いますし、それが9条の精神だろうと思います。
PKOは日本の議論だとすぐに自衛隊ということになりますが、実はすごく国づくりを包括するものです。アフガニスタンへも、イラク同様に2004年くらいから自衛隊を出せないかという検討が出たり消えたりしました。いまのアフガニスタンは、国づくりではたとえば行政官の育成であったり法の整備であったり、やることはたくさんあります。それがいいかどうかはわかりませんが、自衛隊を送るんじゃなくて霞ヶ関の役人をなんで送らないのか、わたしは官僚は嫌いですが、そういう議論があってもいいんじゃないか。法がないも同然の国ですから、法律の専門家を送ってもいい。そういう議論が全くなくて、すぐに自衛隊というのはすごく安易な発想だと思うし、アフガニスタンに限らずもっといろいろな議論をするべきだと思います。
対テロ戦争協力の見直しについて、JVCは一貫して反対してきました。武力での解決は不可能だと思います。トニー・ブレアを呼んだりしてやっているイギリスでのイラク戦争検証のように、日本でもイラクやアフガニスタンの対テロ戦争の加担についての検証が必要だと思います。なぜかインド洋のこともサマワのことも遠くのことのようになっています。イラク戦争については、JVCでは谷山博史さんとかジャーナリストの志葉玲さんとか弁護士の人とか民主党の斉藤勁さんが中心になって取り組んでいます。斉藤議員はロンドンに行っていろいろな調査をしています。そういうことがアフガニスタンでも必要だと思います。
軍事と一線を画した「人のニーズ」に基づいた支援をするべきだと思います。自衛隊派遣だけではなくてPRTの文民派遣も含めて反対です。チャグチャランはジャララバードより安全で、爆弾事件もかなり少ないです。軍隊に協力しないで文民だからこそできるところがあると思います。この決定もどちらを向いているのか。アフガニスタンの現状を支援するんじゃなくて、別の方向を向いているひとつの例だと思います。
実際、この政策をつくった外務省の職員に対してわたしはおかしいと言いました。日本のNGO大使をやっている外務省の人にもおかしいと言いました。外務省の人は、軍隊でもNGOでももらうものが同じならいいんじゃないかということを、去年の11月に公開の場で言っていたんですね。わたしもそこで彼と議論しました。山田参事官という当時NGO大使をされていた方です。アフガニスタンでは軍隊がこれだけ悪く思われている、人心掌握にはこれがいいと言えるますか、という議論をしました。いまの政治家、官僚や知識層が一体となって、いろいろなことを進めていく。そのことをおかしいと言って行かなくてはいけないと思いますし、もっと現場から声を出していきたいと思います。
対話の可能性につて、タリバンとカルザイ政権とのあいだで何度も対話があって、それが頓挫していたんです。どうも最近、NATO軍もかなり認めてきていて、タリバンがカブールにはいることも黙認しているそうです。ただそこに仲介役として日本が入って欲しいということを、多くのアフガニスタン人が言っています。アメリカは当事者ですから無理ですね。ヨーロッパの国も、NATO軍がもともと警察的な機能だったのが、対テロ戦争と一体化してしまってもう無理です。
そういうときに日本のイメージ、インド洋のことで加担していますが、いろいろなことができるのではないか、という声がすごく聞かれます。ですから、自衛隊を出すとか出さないとかではなくて、日本が持っている平和的なイメージ、アプローチを生かした、ニーズに基づいた支援、また政治対話の仲介役、そういったことをやるべきだと思います。
最後にこの写真はジャララバードから活動地に行くときの写真です。すごくきれいですね。みなさんにもいつか行っていただける時期が来ればいいと思いますし、わたしも小学生の子どもがふたりいるので、いつか子どもたちを連れて行きたいなと思っています。
以上でわたしの話を終わります。ありがとうございました。
新垣 勉弁護士 講演録
普天間基地爆音訴訟弁護団長
今日ご参加の皆さんは、沖縄問題についてはかなりの知識と理解をお持ちの方だと思います。いま沖縄で闘われている県知事選、この意義を考えながら、どのようにして私たちが運動を進めて米軍基地をなくしていくのか、そういう戦略的な議論を呼びかけるお話をさせていただきたいと思います。
司会からもありましたけれども、11月11日に告示され、28日に投票があります。いま県内で本当に選挙戦の真っ最中というぐらい盛り上がっています。それは単に沖縄県知事を選ぶ意味だけではなくてわが国の安保政策、この日本から米軍基地をなくしていく大きな契機を生み出す知事選挙だというふうに受け止めているからです。今まで何回も行なわれてきた県知事選挙ですけれども、今回の沖縄県知事選挙はなぜそのように位置づけられ、みんなに勇気を与えているのかということから先ずお話しさせていただきたいと思います。
沖縄には長い歴史があります。沖縄問題を考える時には3つの視点が不可欠であります。1つは1609年に当時の琉球王国は薩摩の支配を受けました。それから2つ目の視点は沖縄戦の悲惨な体験であります。それに引き続く27年間の米軍占領の体験であります。3つ目の視点は1972年5月15日に沖縄は本土に復帰しましたけれども、復帰後の平和憲法と米軍基地の相も変わらぬ集中の実態が生み出されているという視点です。沖縄の問題を考えるときには、この3つの視点が不可欠になります。しかし、今日はこの視点については触れません。
伊波候補、これまでの活動の実績を踏まえながら、わが国から、沖縄から、米軍基地をなくす戦略的な視点をどう築き上げるのかという点と県知事選を結びつけながら議論をさせていただきたいと思います。
最初に、沖縄の米軍基地の概要をちょっと見ていただきたいと思います。
今日の参加者は何度も沖縄を訪れていると思いますので、沖縄に米軍専用施設の75%が集中している、ご覧戴いているような本島への米軍基地の集中状況というのはご存じだと思います。その沖縄本島の中部のど真ん中に位置しているのが嘉手納飛行場であり、普天間飛行場であります。普天間飛行場の航空写真をご覧戴きます。
これは南の方から北の方に向かって普天間飛行場を撮影した航空写真です。この写真をご覧になって一目瞭然ですけれども、9万3000人の宜野湾市のど真ん中に普天間飛行場が所在しています。伊波予定候補はこの宜野湾市の市長です。まず、伊波さんが最初にこの普天間基地の危険性の問題を取り上げ、米国に訴えをしました。それは何かといいますと、従来この普天間基地の飛行場としての欠陥性については余り触れられませんでした。伊波市長は、何度かの訪米をして明らかにしたのが「クリアゾーン」という問題です。それは、アメリカの航空法では、飛行場の安全基準というのが厳格に定められています。特に軍用飛行場については、その危険性から、さらに安全性を確保するための特別の基準が定められています。
この普天間飛行場を例に取りますと、滑走路がありますけれども、滑走路の中心線から300m幅、先の方、あるいは手前の方、約400mぐらいの幅、それから長さが滑走路の南側と北側の端から約900m、3000ftの地域が台形状の形を描くことになりますけれども、ここが「クリアゾーン」というふうにいわれておりまして、飛行場を設置する場合、特に軍用飛行場を設置する場合には、その「クリアゾーン」を設けなければ、軍用飛行場の安全性を確保できないという、アメリカの国内における規制があることが調査の結果分かりました。
それをこの普天間飛行場に当てはめてみますと、約3000人の住民がその「クリアゾーン」内に住んでいるという実態が明らかになりました。これは本土では余り報道されませんでしたけれども、極めてショッキングな指摘でした。この「クリアゾーン」というのは、アメリカの航空局が度重なる航空機墜落事故を調査する中で、どうしても飛行場の安全性として、不可欠な地域ということで民間飛行場だけでなく軍用飛行場に設置されている基準です。
ところが、普天間飛行場の場合には、ご存知のように沖縄戦の中で米軍の手によってつくり上げられました。当然、当時住民が住んでいた住民を追い出しながら作った基地ですので、その「クリアゾーン」というのを確保しないまま海兵隊の飛行場として、今日まで使われてきました。これは一言でいいますと、本来飛行場として設置してはいけない飛行場が、安保条約の下で宜野湾市のど真ん中に居座っているという現実を示しています。
「普天間基地『移設』問題の本質」
3つの側面
(SACO合意の矛盾)
この普天間基地の問題は鳩山内閣の迷走の中で広く国民から注目されましたけれども、3つのレベルの問題を持っています。1つは安保条約、わが国に米軍を駐留させているという側面での米軍基地という問題です。2つ目が、安保条約は肯定するにしても、どうして日本全国の中で沖縄にかくも米軍基地が集中するのかという、差別的な集中の問題が2番目です。3番目が、いま指摘をした安保条約は認めてもいい、沖縄への差別的な集中も仕方がない。しかし、普天間飛行場、欠陥のある飛行場を据え置くという危険性の問題です。
実は、普天間飛行場の移設問題を論じるときには、この3つのレベルの問題が普天間基地に集中しているという認識が前提になります。
1番目の問題からいいますと、日本国内であれ、普天間飛行場は置くべきでない。つまり、海外への撤去という議論に結びつきます。2番目、3番目は県外への移設要求という考え方に結びつくことになります。こういう3つのレベルの問題を抱えながら、普天間基地問題が語られてきました。
ご存知のように、95年に少女暴行事件が起き、96年にSACO合意というのが日米両政府により締結されました。そのSACO合意の中で、移設条件つき普天間基地返還というのが合意されたわけです。
このSACO合意を生み出した真の原因は何であったのかといいますと、何と言っても3番目の世界一危険な普天間基地をこのまま存続させておくと、万が一事故が起きたときに、単に普天間基地の問題だけではなくて日米同盟の根幹を揺るがす重大な問題に発展しかねない。こういう日米双方の共通認識が、SACO合意の原動力でした。これは普天間基地の問題を考えるときに押さえておかなければいけない、1つの視点だと思います。
この普天間基地の問題、3つのレベルの問題を持っているということをお話ししましたけれども、1番目の安保条約の問題を考えるときに、是非皆さんと共通の認識としたいのは、駐留目的が変質、変遷しているという問題です。
いまスクリーンに3つ映し出されていますけれども、1番目が米軍駐留の根拠になった安保条約の駐留目的です。ご覧になってお分かりのように、米軍が駐留する目的は「日本の安全への寄与と極東における安全の維持」これが安保条約で明記されています。
ところが、この駐留目的が変遷してきました。2番目がどういうふうに変わってきたかというと、「極東の平和と安全」から、「アジア太平洋地域の安定、繁栄」に先ず変わりました。そして、ロードマップになりますと、どういうふうになったかといいますと、「世界的なレベルで米軍が寄与する」という視点に変わってきました。
つまり、米軍がわが国に駐留する安保条約を変えないまま、国会審議を経ないまま、日米両政府の政治的な合意によって米軍の駐留目的が確実に変わってきたということです。これはわが国の民主主義の問題としても、あるいは平和と安全の問題を考える際にも、大きな問題です。
*日常的サポート → 地域の支援
*自由使用 → 提供合意 → 地位協定
*政府の公的サービス支援 → 地位協定
平時、戦時の支援・(米軍支援法、特定公共施設利用法、物品・役務提供協定等)
* 政府の財政的な支援 → 思いやり予算
1987年からは駐留経費負担特別協定・5年期間
米軍基地を支えるものが幾つかあります。1つは何と言っても米軍基地の場合は、地域のサポートがなければ基地は十全に機能しません。それから、もう一つは基地であるが故にと申しますか、基地というのは自由に使えて初めて基地として意味を持ちます。いわゆる自由使用権の問題です。これは、わが国の安保条約の下で締結されている、日米地位協定によってこの米軍の自由使用が保証されています。地位協定3条というのがそれです。奇妙なことに、わが国の政府は米軍基地を提供した後、米軍がどのように提供された基地を使っても一切口を出さない、という地位協定に合意しました。
1つおもしろい例を紹介します。
横田飛行場の周辺住民が爆音訴訟を起こして損害賠償を勝ち取りました。厚木でも周辺住民が騒音訴訟を起こしています。嘉手納でも爆音訴訟を起こしました。普天間でも起こしました。今年の7月には4億5000万円を命ずる普天間爆音訴訟の判決がありました。これらの賠償金がすべて日本の税金で支払われています。そして、日米地位協定では、日本政府がアメリカの行為、職務上の行為、正当な行為によって日本政府が負担した負担金については、75%はアメリカに対して求償することができるというふうに書いてあります。
この地位協定に基づいて、日本政府はアメリカ政府に負担してくれという申し入れをしました。ところが、アメリカからけんもほろろに断られました。その理由は何か。「何をおっしゃるんですか。日本政府の皆さん。皆さんとアメリカとの間で提供された米軍基地を、どのように使ってもいいという地位協定を結んでいるでしょ。私がどのように飛行場を使おうが、私たちのそれは自由でしょ。どうして私たちが自由に使った結果、尻ぬぐいをしなければいけないんですか」というふうにアメリカは負担金の支払いを断りました。これはわが国だけではなく、韓国でも同じような現象が起きています。
このように米軍基地の存在を支えている2つ目の理由が、自由使用という問題です。それからもう一つ、米軍基地を支えているものがあります。米軍が米軍基地以外で活動する権利が保障されていることがあります。例えば、日本の基地から海外へ行くときに、他の港や空港を経由していく。給油を受けて飛ぶ。
沖縄の例を取りますと、宮古を経由して海兵隊のヘリコプターがフィリピンに出動します。このときに、民間飛行場を経由してそこで給油を受けて飛びます。これも地位協定で、公的なサービス支援を保証されている。4つ目が、皆さんもご存知の「思いやり予算」。米軍で働く労働者の賃金も、光熱費も施設建設費もすべては日本政府が無償で提供する。
こういう米軍基地を支える大きな要因があって初めて米軍は本当に居心地がいい場所として日本を利用しています。公的サービスの中にはもちろん艦船修理能力、あるいは物資補給能力等のわが国の高い技術的、経済的基盤があります。
私は先月フィリピンのスービック、クラークの跡地を見ましたけれども、やはり私たち沖縄の基地を見慣れている者から見ますと、基地を支える基本的な技術力、財政的な基盤等が格段に悪いんですね。やはり、日本における米軍基地を支えているこの諸々の要因、これこそが米軍の居心地の良さを補償している問題だということがよく分かります。
*ドイツ・7万2005人→424億8000万ドル(07)
・うちドイツ支援額 15億6300万ドル
・NATO全体 24億8400万ドル(04)
*日本・4万1626人→ 366億9300万ドル(07)
・日本支援額 44億1100万ドル(04)
これはわが国の米軍基地維持費の実態です。ここに数字を示しましたけれども、皆さんは新聞等でこの「思いやり予算」に莫大な国税が使われているのはご存知だと思います。
私たちが運動する視点で考えるときに、さまざまな要素がある。そうすると、基地をなくしたいと思う私たちの目から見ますと、基地を支える要素を1つ1つ潰して、居心地の悪いものにしていくということが、基地返還を求めるときの大きな圧力、目標になるだろうと思います。そこで1つ考えておかなければいけないのがアメリカの国内事情です。ここにアメリカの赤字ということで、幾つかのものをまとめてみました。
*2007・11 会計検査院・GAO → 累積赤字
・53兆ドル・「救済の可能性はゼロに等しい」
・すべての家計が44万ドルの借金を負担することを意味する。(平均所得 → 年5万ドル)
・(09・8・24・GAO院長D・M・ウォーカーが講演)
*2010年度赤字 → 1兆4710億ドル
(09年度赤字 → 1兆4130億ドル)
*削減への圧力
ドイツ→ 6%削減・(2011~14)
フランス → 10~20%削減・(2011~13)
イギリス → 25%削減・(2011~14)
アメリカ → 5年間で1000億ドル削減
・(ゲーツ国防長官表明)
ここにアメリカの赤字ということで、幾つかのものをまとめて見ました。一番上段は2007年にアメリカの会計検査院・GAOが報告した数字です。累積赤字が53兆ドル、53兆円ではありません。もの凄い累積赤字をアメリカは抱えています。このGAOの指摘によると、これだけの借金を返して行くということは不可能であるという指摘をしています。その赤字をアメリカの1所帯当たりの負担額にすると、ここに書いてある数字になります。つまり、アメリカの経済赤字そのものが膨大なもので、アメリカ自身が苦しんでいるということを、この2007年の会計検査院・GAOの報告は辛辣に指摘をしています。今年のアメリカの予算、アメリカは10月から9月が年度予算ですので、2010年度の赤字予想が1兆4710億ドル。これは前年度よりもさらに悪くなります。
括弧の中が09年度の単年度の赤字です。このようにアメリカの国内経済事情を見てみますと、国防予算を使いすぎることに対する圧力が、非常に強い要因として働いていることを私たちの頭の片隅においておかなければいけないと思います。
そして、下段に書きましたのはヨーロッパ諸国における動きです。ヨーロッパでも国防費に対する圧力が強まっておりまして、それぞれの国で10%ないし20%の国防予算への削減圧力が生まれまして、実際には政府はここに記載しているような国防費の削減を公約し、あるいは表明をしています。特にアメリカと強い同盟関係にあるイギリスにおける国防予算の削減というのはアメリカにとってはショックだったといわれています。そのアメリカのゲーツ国防長官は、先月やはりアメリカにおいても国防予算の削減をしなければいけないという表明をしました。こういう状況でありますけれども、経済的な苦しい状況の中でもアメリカ政府は依然として世界最強の軍隊の維持を表明し、その政策を変えていません。
<冷戦崩壊後の基本戦略>
*国益遂行のための最強軍事力の維持
(脅威存在の必要性 → イラン・イラク・北朝鮮 → テロ支援国家)
*単独主義
<軍事戦略の基本>
*地球規模の緊急展開・即応戦力への再編
*先制攻撃戦略と武力分担
(パワーシェアリング・日米同盟関係の変質の源泉)
アメリカの軍事戦略というのは大きく見ますと、冷戦後変化をしてきたところもありますけれども、本質のところにおいては変化はしていないというふうに軍事専門家から指摘されています。それは何か、冷戦崩壊後国防費の縮小・削減への強い圧力の中で国防費を少しずつ削減をする努力をしながらも、依然として米軍は世界最強の軍隊であり続けなければいけないという強い軍事戦略の下で、具体的な戦略方針を少しずつ微調整をしてきました。いまアメリカが取っているのはこれまでアメリカが単独で行なってきた軍事戦略の海外展開を同盟国との協力分担をしながら、経費の分担だけじゃなく、兵力の分担も進める。そして、アメリカ一国の軍事力をできるだけ縮小していくという基本的な戦略を採っているといわれています。
米軍再編の中で、皆さんもご承知のように、自衛隊の役割は急速に変質をしてきました。米軍との共同作戦の習熟訓練、それから自衛隊に任していくという具体的な動きが国内でも始まっています。こういう状況を見据えながら、私たちは具体的に国内にある米軍基地をどのようにして撤去していくのか。反対運動を続けていくのかというのが今問われているのだと思います。
*基地の弁証法
基地経済への依存度の低下
返還後の再開発効果の増大
*県民意識の変化
*米軍戦略の変化
冷戦崩壊後の戦略変化
アメリカ国防予算への財政的圧力
*日本政府の財政負担への批判
沖縄の身近な例から、米軍基地をめぐる環境の変化について触れてみたいと思います。1つは従来からいわれた、何だかんだ言っても沖縄は米軍基地がなくなっては困るのではないか。それは米軍基地の経済的な恩恵効果というのが大きくて、基地への依存度が高いのではないのか。だから、理念的には米軍基地反対といっても、現実には米軍基地を受け入れざるを得ないのではないか、といわれてきました。特に、本土のマスコミの中でそういう論調が今でも強いかと思います。そこで具体的な数字を示します。
*依存度の低下
県民総所得 基地関係受け取り 依存度
1972年 4851億円 830億円 17.1%
2007年 3兆9379億円 2088億円 5.3%
*返還後の再開発経済効果
基地の経済効果→ 4206億6100万円
SACO合意返還→ 9155億5000万円(2.17倍)
全面返還 → 4兆7191億0400万円(11.21倍)
これは沖縄における計算ですけれども、基地の経済効果というのを示した表です。1972年というのは沖縄の復帰の年です。このとき、基地依存度は17.1%。これは県の調査によると受取額が少し少なくなっていて15.2%というのが県の公式資料では出ていますけれども、民間の調査期間では17.1%になっています。そして07年度の依存度は5.3%に下がりました。沖縄県内における米軍基地経済への依存度というのは、確実に低下をしています。
私はこの現象を、「基地の弁証法」と呼んでいます。かつて、米軍が沖縄戦の終了と同時にさまざまな地域を囲い込んで米軍基地を建設しました。しかし、年数が経つにしたがって基地周辺で都市化現象が起こりました。狭い地域で部落を追い出された地域住民は基地の周辺で生活をせざるを得ない。生活することによって都市化現象が生まれる。都市化現象が生まれることによって、土地の価格が高騰します。当初は軍用地料を貰っていた方が得でしたけれども、都市化現象が進みますと、むしろ軍用地料を貰うよりも土地を返して貰って、自分で土地を使った方が利益が上がるという経済的なメカニズムが発生をしてきました。
それともう一つは、復帰後38年が経ちました。軍用地主の老齢化が高くなり、若い世代への持ち主の移動が起こりました。お年寄りの場合には、もう土地を再開発をする意欲も体力もありませんので、軍用地料を貰うしかなかったんですけれども、若い世代が継ぐことによって土地を積極的に開発する意志と能力を持っている世代が新しく登場しました。こういう現象の中で県民の意識の変化が起きています。
下段の数字を見て下さい。これはつい最近沖縄県が発表した数字です。1番上が現在の基地の経済効果です。2番目がSACO合意によって中部以南の米軍基地が返還された場合の経済効果で、2.17倍。それから、沖縄から全面的に米軍基地撤去された場合の経済効果で、11.21倍。この数字を見てお分かりのように、もはや沖縄では米軍基地が無い方が経済的な効果が高いという客観的な情勢が生まれてきています。こういう状況の中で、県民の意識変化が生まれています。
*基地は地域の支援なくしては機能しない
・反対 → 非協力 → 積極的非協力
→ 基地機能の麻痺へ
・条件の成熟(基地の弁証法→住民意識の変化)
・住民の運動と自治体の連携の重要性
*自由使用制限へ → 地位協定の改定へ
*財政的支援への批判
いま述べたような状況が一方に起きているということを、是非理解をしていただきたい。これは沖縄だけに起きる特異な現象ではなくて、本土における基地を抱える市町村においても、確実に同じような現象がやはり生じるメカニズムだというふうに、私は考えております。それともう一つは、何と言っても沖縄のもう一つの大きな柱は沖縄戦の体験です。皆さんご存知だと思いますけれども、初めて地域住民が軍隊と一緒に行動するということが沖縄戦の中で起きました。当時、皇軍、日本軍というのは天皇の軍隊といわれ、地域住民も護るというふうに信じ込まされていた軍隊です。
ところが、実際に戦争状態になり、戦争になるとどういう現象が起きたか。軍隊というのは地域住民を護るものではなくて、天皇制を護るもの、あるいは時の権力を護るものだということが、地域住民の中で理屈抜きで体感をされました。これは、今日までに脈々と受け継がれてきています。
かつて、政治の場で自衛隊の論議をすると、自衛隊というのは国民を護るものだということを政治家の皆さんは堂々と言っていました。ところが、私の記憶では約13年ぐらい前だと思いますけれども、石破さんの発言を聞いて驚いたことがあります。彼は何と言ったか。「軍隊というのは、そもそも住民を護るものというのは嘘ですよ。軍隊というのは国家を護るものだ」というふうに言いました。つまり、時の国民の世論の状況を見ながら、軍隊というのは国民を護るものだという美名を発していた政治家が、堂々と本質を語り始めた。つまり逆にいうと、本質を語っても揺るがない自信がつき始めたということの裏返しだと思いますけれども、軍隊というのは国家を護るものであって地域住民を護るものでないことは当たり前のこと、沖縄戦を見ればその教訓は分かるでしょう。逆に軍隊を擁護する側が、そのような論理を使い始めるような状況が生まれてきている。
私たちは理屈抜きで軍隊の持っている本質というのを沖縄戦で体感し、それだけではなく、戦後の27年間の米軍占領の下で何を感じたか。それは、軍事優先の政治がもたらす、住民生活へのしわ寄せが如何なるものであるのかということを体験しました。この体験が、実は今の県知事選挙をめぐる県内の意識状況の根底にあります。こういう状況の下で、沖縄では基地反対運動が取り組まれてきました。
私が今日、皆さんと一緒に考えたかったのは、伊波さんが宜野湾市長になって新しい問題提起を始めたということです。それは何かというと、地方自治体の持っているパワー、行政力をフルに使って国と対峙し、基地撤去の運動を前に進めるという彼の基本的な政治信念です。
実は私たちは、1996年に大田県政が軍用地の取り上げ署名に反対をして、時の村山総理から被告として職務執行命令訴訟を起こされるということを体験しました。当時の体験からしますと、住民の運動と地方自治体のパワーが一体になったとき、絶大な力を発揮するということをその時私たちは体験しました。 伊波さんはそのことを実感しているようです。
私たちは、新基地建設反対、普天間基地反対、嘉手納飛行場反対、新都市訓練場反対、いろんな反対運動をしてきましたけれども、いま現地で議論が闘わされているのは、個別の運動への反対からどういうふうにすれば沖縄から米軍基地を撤去する道筋を描くことができるのかという、もっと先を見据えた議論をしようではないかということを語り始めています。
<趣旨>
*普天間基地提供の無効確認
*国家賠償請求
<理由>
*自治権侵害
*裁判を受ける権利の侵害
*平等原則違反・(合理的理由のない差別)
*受忍限度を超える危険性と負担・被害
伊波さんは宜野湾市長を辞めて、立候補予定者として、いま一生懸命活動をしていますけれども、辞める前、宜野湾市長として、新しい訴訟の準備を始めています。それは何か。全国で初めて、宜野湾市が原告になって、国を被告として普天間基地の違法性を問う憲法訴訟を起こそうという準備を進めています。これはどういうことかといいますと、全国至る所に米軍基地がありますけれども、安保条約があるだけでは米軍は日本にいることはできません。日米地位協定に基づいた「日米合同委員会」という密室の協議の場で、アメリカと日本政府は「この基地を提供しましょう」、「あの基地を提供しましょう」というふうに個別の基地の提供合意を行なっています。
沖縄の場合には1972年5月15日に一括して沖縄にある米軍基地を提供する合意をしましたけれども、原理的には1つ1つの施設について提供合意をしています。普天間についても、基地を提供するという合意がなされています。しかし、この合意の内容は国民に公表されていません。県民からの強い批判で5・15メモという形で一部公表されましたけれども、合意そのものは依然としてベールの中に包み隠されています。
こういう状況の中で宜野湾市がいま考えているのは何かといいますと、米軍基地が市のど真ん中に居座ることによって、地方自治体の行なう業務が阻害されている。具体的に言うと、宜野湾市のど真ん中に宜野湾市が手が出せない広大な普天間基地という空間がつくり出されてしまっている。そのためにそこに地方自治を行なうことができずに、憲法が保証した自治権の侵害をされているという認識です。
これはある意味では途方もない発想にも見えます。しかし、実際に基地を抱えて苦悩する宜野湾市の当局からしますと、これが地方自治の侵害ではなく、何が侵害だと言いたくなるほど、普天間基地がもたらすさまざまな被害というのは凄いものがあります。例えば、普天間基地があるが故に、反対側に行くときにはわざわざ迂回しなければ行けない。爆音が生じる。本来であればそこは住宅か、あるいは市街地となってさまざまな固定資産税が市に入るはずなのに、その収入がない。
法律的には「得べかりし利益」というのですけれども、開発されていれば、そこから生まれる市の収入も入らない。こういう現状を告発するために、宜野湾市が憲法を根拠にして憲法が保証した自治権侵害という柱を主張の骨子に据えて、国相手に普天間基地の行政の問題を問おうじゃないか、その中で普天間基地合意という闇に隠された合意を法廷の場に引きだし、そして普天間基地が抱えている危険性を明らかにする。安保があってもいい、沖縄に基地があってもいい。しかし、基地がある以上は地域住民に被害を及ぼさないような適格性を備えたものでなければならないはずです。
なぜ、普天間基地のような欠陥の基地がこの宜野湾市に存続し続けなければいけないのか、という先ほど指摘した「クリアゾーン」の問題、この問題も訴状にあげて真正面から憲法論争を、地方自治権の論争を行なおうじゃないかということで準備をしています。ただ、今回県知事選に立候補するために、その手続きはいま中断していますけれども、伊波さんの補佐役であった安里猛副市長が一足先に辞任して宜野湾市長への立候補予定者として活動を続けています。伊波さんが当選をし、安里さんが当選をすると、この宜野湾市の動きも、再び動き出します。
*大田県政の体験
住民運動と行政の連携の威力
*新基地建設の阻止
埋め立て権限。環境調査・アセスメント
*撤去戦略における行政権力の重要性
→ 非協力運動への前進
*国からの圧力との闘い・国への圧力
交付金 → 権利としての補償へ
地域主権の確立へ→ 自治権に基づく法的闘争
伊波沖縄県知事の誕生、安里宜野湾市長の誕生はなぜ重要であるのか。それは先ほど言ったように、基地返還の展望を切り開くためには、住民の運動プラス地方自治体のパワーというのが決定的な力を持つと見ているからです。私は各地で訴えています。私たちはいままで反対運動をしてきた、しかし、もっと一歩踏み出そうよ。それは基地というのは地域住民の支えがあって初めて機能する。基地が機能しないようなことをしようよ。それは何か、それは非協力運動です。基地を動かさないための地域が持っている、これまで協力したことをしない、非協力の運動を積極的に進めながら、米軍基地の機能が阻害されるような状況を県民全体でつくり出そうよ。
それからもう一つ、米軍基地を支えた大きな柱は何と言っても「アメ」です。沖縄に膨大な米軍基地振興策、支援策が講じられ、莫大な国民の税金が投じられてきました。しかし、私たちは国からの「アメ玉」を貰うのではなく権利として国にお金を請求しよう。
例えば、先ほど普天間爆音訴訟のお話をしましたけれども僅か400名の原告で4億5000万円の賠償金の支払いを取ることができました。来年3月を目途に飛行場の地域住民の人々1万人が原告になって第3次の嘉手納爆音訴訟を提起する準備を各地で進めています。もし、普天間爆音訴訟の損害賠償のレベルでいいますと、1万人の原告が立ち上がりますと、100億円の賠償金が取れることになります。
また宜野湾市が先ほど準備をしていると言いましたけれども、宜野湾市が地方自治体として蒙っている損害も遙かに政府が支出している交付金を超えます。私たちは政府が出す交付金を取る運動ではなくて、権利として政府に損害補償を求める運動を積極的に起こそうよ。そういう新しいステップを踏むためには、何としても行政の権力を私たちの側に引き寄せる必要があります。
皆さんご存知のように、辺野古に新基地を建設しようとして政府は一生懸命画策をしていますけれども、仮に伊波さんが県知事に当選すると、一発でこの新基地建設は頓挫します。新しい基地を作るためには公有水面を埋め立てなければいけない。公有水面を埋め立てる権限は、いまの法制の下では県知事が握っています。県知事が「ノー」というと国が足掻いても埋め立てができない。一時期、自民党時代に県知事が変わることを予想して特別立法をして、埋め立て権限を県知事の権限から国の権限に取り上げる特別立法を研究したことがあります。恐らく政治的にやろうと思えばできるでしょう。しかし、いまのわが国の政治状況の下で、それが行なえるとは到底思えません。私たちは、そういうことを絶対許さない運動をつくりあげなければいけないと思います。
ですから、今回の知事選挙は新しい基地も作らせないという目的と同時に、今後新しい知事が生まれることによってどういう過程を経ながら、私たちは基地をなくしていくのかという、もう一つ明るい展望を切り開く、大きな役割を持つと思います。
私は30代にイタリアに、当時総評弁護団というのがありまして、総評弁護団の調査でイタリアに行ったことがあります。私たちが行ったときに、フィアットというイタリアの大きな自動車会社の労働組合があるんですけれども、そのピケ現場に行ったんですね。そうしたら、驚いたことに、工場の前にピケが張られていることは別に驚かないんですけれども、その傍にですね、大型バスが何台も停まっているんです。案内されて中に入ってみますと、1つはトイレ、1つは事務所、1つは食堂、1つは雑務用のバス。凄い労働組合だなあと驚いて聞きましたら、いやこれは、実は市が提供しているバスなんです。当時革新市政で、労働争議を公的なものと考えてバスを市が提供していたんですね。
私はこのとき、強烈な印象を受けて帰りましたけれども、やはり基地返還運動の中でもそういうことがあってもいいのではないかと思います。つまり、基地というのは諸悪の根源だと言って差し支えありませんので、沖縄県で基地をなくす条例を作って積極的に地方自治体が基地に反対する運動を積み上げることによって、大きな基地反対運動の圧力をつくり出して行くことが必要ではないかというふうに思います。
そしてもう一つ、何と言っても米軍基地をなくすためには日本政府を動かさなければなりません。日本政府というのはもう、私たち地元から見ると歯痒いぐらい優柔不断な外交、どこの国の外交かと思うほど歯痒いところがあります。その日本政府をどう動かすのか。1つは先ほど言いましたように、米軍基地を維持するためにどれだけ膨大なお金を政府は負担しなければいけないのかを、政府に見せつけることが非常に重要だと思います。
横田、厚木、嘉手納、普天間で静かな夜を返してというささやかな要求を掲げながら、地域住民が損害賠償の請求を求めました。これを単に被害を回復するということだけではなくて、軍事基地を維持するために、どれだけの国民の税金を投じなければ米軍基地を維持できないかという、これまで泣き寝入りさせられていた被害を掘り起こして、財政的な圧力を続けるという、大きな運動の中に位置づける必要があると思います。
そういう意味では、嘉手納飛行場周辺の住民を1万人組織をするという大きな運動も、そういう長い基地返還運動の中に位置づけて考えますと、大きな意義がある。日本の各地でもそういう視点での米軍基地撤去に向けた大きな運動上の戦略的な視点を確立しながら、個別の運動を作り上げ、連携して進むことがいま求められているのではないかというふうに私自身は感じています。
そろそろ時間がきましたので、話を閉めたいと思います。そしていま申し上げましたように、沖縄の問題というのは、長い歴史の中で琉球王国の侵略の問題を提起しましたけれども、1つの視点は弱い地域に社会の矛盾がしわ寄せされ続けるという問題があります。これは私たちが国民1人ひとりが考えなければいけない問題ですけれども、特に沖縄の問題については基地問題、沖縄問題を含めてこの差別政策という視点で位置づけるということが、いま急速に浮上しています。
私たちは、本土で話をするときには、本土の皆さんとの連帯というのを意識するものですから、余り日本政府による差別政策については時間を割かないんですね。けれどもやはり私たちが日本国憲法を護りながら、本当の住み良い国をつくるためには、やはり日本政府が過去行なってきた差別政策の歴史というのを、もう一度振り返って見るということも必要だと思います。
最後に私自身の原点を申し上げます。私自身は戦後世代です。戦後熊本で生まれました。何で熊本かというと、母が疎開をしていて、そこに父が帰ってきて生まれたものですから熊本で生まれたんです。しかし戦後、事ある度に両親や親戚から沖縄戦のあの苦難の話を聞かされてきました。その中で、感じ取ったのが平和のありがたさ、平和のありがたさというだけではなくて、1人ひとりの生命を大切にしていく。
恰好良くいいますと、個人の尊厳というふうになりますけれども、国という問題よりも1人ひとりの命を大切にしていくことの重要さというのを事あるたびに聞かされてきました。
ご存知のように、沖縄というのは、まだ辺境の地にありますので、封建的な共同体社会の残照が沢山残っている地域です。共同体の助け合いという意識とともに1人ひとりの生命を埋没させないで大切にしていくということを沖縄戦を体験した県民は、そういう価値観というのを少しずつ作り上げてきました。この価値観というのは平和憲法に結実した精神と全く同じだと感じています。いま平和憲法が作り替えられようとしている、歴史的な大きな中にあります。そういう状況の中で改めて基地問題を考えると同時に1人ひとりの個人の大切さを考える。そしてお互いが、思いやり合いながら、繋がっていく、そういう基本的な価値観を大切にしながら今後とも基地反対運動を続けていきたい。そういう思いをお伝えして、私の短い話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました (拍手)
新垣勉さん
1946年生まれ。73年弁護士登録。76年コザ法律事務所開設。反戦地主弁護団。代理署名拒否訴訟大田知事弁護団に参加。03年4月より沖縄弁護士会会長を務める。現在沖縄弁護士会常議員。日本弁護士連合会憲法委員会委員。米軍人等による被害の会会員。日米地位協定改定を実現するNGO事務局長。
著書「憲法と基地」、「憲法と沖縄を問う」。
(文責:半田隆)