私と憲法112号(2010年8月25日号)


菅直人内閣の危うさ、秋の臨時国会に向けて院外の運動を強化しよう

今回の参議院選挙を前にして、普天間基地の「移設」問題での首相の公約違反をきっかけにした社民党の離脱による連立政権の崩壊と、首相と幹事長らの「政治とカネ」の問題で民・社・国民連立政権は全く行き詰まり、民主党の大敗北は必至となっていた。窮余の策として、小沢一郎幹事長に心中を迫られ辞職した鳩山由紀夫首相に代わって副総理の菅直人が民主党代表に就任した。しかし、首相の首のすげ替えをもっても参院選挙で民主党は勝利できず、自民党に改選第1党の座を奪われた。菅直人は首相となって間もなく3ヶ月になる。この菅内閣も9月に迫った民主党代表選の結果によっては超短命内閣で終わっているかも知れない。

小泉・竹中構造改革を推進した自公連立政権の否定の上に政権交代した鳩山政権は、社民党も含めた「中道左派」政権的な性格であったが、市民運動出身を看板にする菅直人内閣は実のところ「中道右派」政権的な性格を持っている。鳩山政権は新自由主義構造改革に対抗して、環境重視、国民生活重視、東アジア共同体、対等な日米関係など、旧自公政権とは異なる一定の路線と構想をしめそうとした。しかし、取って代わった菅内閣は「最小不幸社会」などと現実主義をいうだけで、旧来の民主党の新自由主義構造改革路線への回帰傾向も垣間見えるなど、米国や財界にとっては与しやすい政権になっている。参院選の結果は自民党が大勝したわけでもなく、民主党内での路線闘争の激化もあり、9月下旬の民主党代表選挙を控え、政局は波乱含みである。

本誌前号巻頭で筆者は民主党の敗北は有権者の「民主党10ヶ月の政治への失望の表明」だと指摘した。もともと、2009年の総選挙で民主党が国会の議席の圧倒的多数を占めることができたのは、90年代からつづいた日本経済の停滞に追い打ちをかけた小泉・竹中構造改革への民衆の不満と、長年、この国の基本とされてきた対米追従・財界優先・官僚支配の政治の転換への有権者の期待からであった。これらの点で人びとは大きな変化を期待しないまでも、一歩前進につながることを期待した。しかし、政権交代後の民主党の政治の10ヶ月はその有権者のささやかな期待すら裏切るものであった。

鳩山政権の動揺と逡巡が人びとの期待を裏切っただけでなく、後を継いだ菅直人新首相は参院選にあたり、沖縄の民意を切り捨てた日米合意を当然として継承しただけでなく、消費税の増税で自民党に抱きついて公約を破るなど、迷走を続けた。

憲法問題では菅首相は就任後の施政方針演説に関連して、その姿勢を問われ、「いま、改憲の意志はない」と答えているが、その現実の政策は憲法から見て危ういものが少なくなく、解釈改憲と指摘すべき問題がある。

(1)沖縄・普天間基地辺野古移設の日米合意承認

鳩山内閣が沖縄の普天間基地の辺野古への移設を確認した日米合意を、新政権がそのまま無批判に継承し、沖縄の民意に背いていることは重大である。この8月に米国政府に対して辺野古移設を前提にV字案、I字案の両案を提示し、結論を11月末の沖縄県知事戦後に延ばそうとしているが、いずれも沖縄の支持が得られるものではない。

菅内閣は沖縄の民主党に圧力をかけて、懸命に県民世論の分断を図って、鳩山政権時代の「日米合意」をまもろうとしている。北沢防衛相などは「仲井真現知事の再選を願う」などと発言して露骨な政治介入をした。民主党政権としては仲井真知事の再選と、公約破りに期待をつなぐしかないのである。先の参院選では候補すらたてられなかった沖縄民主党県連は、11月の県知事選では民主党中央の圧力に屈して、「県内移設反対」などといいながら野党の統一候補の伊波・宜野湾市長への対立候補を立てようとしている。これは辺野古移設の焦点化を回避して、県民世論の分断をはかる姑息な手段である。

しかし、もしもこの策動が成功したとしても、辺野古新基地建設の強行は沖縄県民世論に逆らって、警察力と自衛隊を投入して突破をはかる以外になくなる。もはや辺野古新基地建設は沖縄問題ではなく、憲法3原則の問題であり、全国民的課題である。菅内閣がこの道を突き進むことは断じて許されない。

(2)「核の傘容認」発言の時代錯誤性

菅直人首相は8月6日午前、広島の原爆記念公園で行われた「平和記念式」に出席した後、広島市内で記者会見し、わざわざ「核抑止力は、我が国にとって引き続き必要だ」などと発言した。記念式での首相挨拶では「核の傘」への言及は避けていたが、この発言は広島市の秋葉忠利市長がその日の平和宣言で日本政府に米国の「核の傘」からの離脱を求めたことへの対応を記者に問われたのに対して答えたもの。

被爆国の日本が「核の傘」による核抑止力論をかざしながら、「核の廃絶」を唱えることの矛盾とご都合主義について、菅首相は全く認識していない。菅直人は従来から核問題について真剣に考えたことがないのではないかと疑わざるをえない。

そして秋葉市長が「宣言」で求めた非核3原則の法制化について、首相は「非核3原則を堅持する方針に変わりはない」と述べた。一方、仙谷由人官房長官は6日午前の会見で「改めて法制化する必要はない」と否定的な認識を示した。後に不評を気にしてか、菅首相は「法制化も検討したい」と仙谷発言の軌道修正を図ったが、あまりにも場当たり的で、その真意は明らかではない。

菅内閣は「核のない世界を目指す」といいながら、財界の要求を受け入れて、最近でも核不拡散条約(NPT)未加盟国であるインド政府との間で日印原子力協定をすすめるなど、被爆国の政府にあるまじき動きを進め、ひんしゅくを買っている。国際的にも核廃絶を要求する声が高まりつつある今日、日本政府がなすべきことは文字通りその運動の先頭に立つことではないか。

(3)国会議員の比例区定数削減の暴挙の企て

菅首相は7月30日の記者会見で、「衆議院の比例定数80削減、参院定数40削減」を「8月中に党内の意見をとりまとめ、12月までに与野党で合意をはかる」よう、枝野幹事長と輿石参院議員会長に期限を区切って指示したことを公表した。これは議会制民主主義の根幹に関わる重大な問題で、断じて容認できない。

参院選挙に際して、菅首相は「財政再建」を口実に消費税の増税を主張し、世論の反発を受けたが、その批判の回避のためにも「まず国会議員自ら身を切ることが必要だ」という俗受けねらいの理由で、比例区定数削減を主張している。

試算では比例区を80人削減すると改憲反対を主張する社民党も共産党も事実上、国会から消えかねないといわれている。民主党は小選挙区制を中心にして2大政党をめざすというが、2大政党制では多様な民意の選択肢が失われ、多くの民意が無視されることは明らかである。民主党が手本としてきた2大政党制の歴史を持つ英国においてすら選挙制度を含めた見直しが始まり、連立政権が成立している。またこの間、本誌が主張してきたように、世界各国の国会議員数を有権者数と比較しても日本は少ない方に属する。

衆院議員を80人減らしたところで、秘書給与などを合わせても年間56億円、加えて参院議員を40人減らしても、合計84億円減にしかならない。

例えば自衛隊の装備の新規契約費は2010年度で6800億円にものぼり、いま自衛隊はさらに新型超音速機や、新型対艦ミサイルなどまで導入しようとしている。米軍への「思いやり予算」も年間2000億円に達しており、駐留軍関係費は6000億円を超えている。税金から各党が山分けする政党助成金への支出は年間300億円を超える。その一方で消費税増税は法人税引き下げとセットになっている。民主党が企てる消費税の増税は、財界を助け、貧しいものから多額の税金を巻き上げる悪税である。国会議員の比例定数削減という菅首相と民主党のマニフェストは明らかに論理のすり変えである。

(4)新安保防衛懇は民主党政権がハト派の装いを投げ捨て、タカ派に転ずる危険性

8月19日、菅直人首相は民主党政権になって初めて、統合・陸海空4幕僚長ら自衛隊制服組幹部を官邸に呼び、朝鮮半島情勢や在日米軍の抑止力についての意見をきいた。首相はその冒頭の挨拶で、「あらためて法律を調べたら(首相は)自衛隊に対する最高の指揮監督権を有していた」と軽口を叩いたそうである。これは鳩山前首相が普天間基地の米海兵隊移転問題について、前言を翻して「学べば学ぶほど、沖縄の米軍の存在全体の中での海兵隊の役割を考えたとき、すべて連携している。その中で抑止力が維持できるという思いに至った」と県内移設を正当化する発言したことにも似て、その認識の軽さを象徴している。この状況は北沢防衛大臣が就任時、「憲法9条の枠の中で防衛を考える」と断言していながら、防衛官僚に取り囲まれ、急速に洗脳されて、自衛隊の海外派兵や沖縄の辺野古新基地建設に積極的になっていった経過と酷似している。民主党の安保・防衛政策は衆院選で掲げたマニフェストの域すら守れず、米国や財界、官僚などの圧力のなかでどんどん右傾化する可能性がある。

日本の国防に関する基本方針である「防衛計画の大綱」は2009年に改定時期を迎えていたが、昨年の「政権交代」の結果、2010年秋に策定することとなった。このためのたたき台を作るのが菅首相の私的諮問機関(鳩山首相時代に組織されたものを継承)「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長=佐藤茂雄京阪電鉄CEO)で、これがいま報告書案を準備している。この懇談会は改憲をめざした安部内閣のもとで組織された「安保法制懇」、同趣旨の麻生内閣の下での「安保防衛懇」の作業を継承するもので、現在の委員の中西寛京大教授などはこれら3つの懇談会のメンバーの定連である。廣瀬崇子専大教授は安倍政権時代の内閣原子力委員、松田康博東大准教授は防衛研究所主任研究官、渋谷芳秀慶大教授は日米基軸のビジョンを明確にという改憲論者、専門委員の伊藤康成氏は元防衛事務次官、同じく斎藤隆氏は前防衛省統合幕僚長である。これに岩間陽子政策研究大学院大学教授などが加わる。いずれも安保・防衛問題では親米のタカ派の論客である。

これらの人物たちが作る報告書は容易に内容が推し量られるが、7月27日、朝日新聞と26日の読売新聞が報道した「報告案骨子」は驚くべき内容である。報道された骨子は以下のようなもの。

(1)従来、防衛計画は憲法9条のしばりもとで、必要最小限の防衛力をもつとする「基盤的防衛力構想」を基本としてきたが、これはもはや有効ではない。(2)非核3原則については、「米国の核の傘」は重要で、一方的に米国の手足をしばるのは賢明ではないとして、事実上、非核2・5原則化を主張。(3)自衛隊の配備を見直し、対中国、北朝鮮を仮想敵視して沖縄・南西諸島など離島地域に自衛隊の部隊を配備する。(4)財界が主張するように、武器輸出3原則の武器禁輸政策は見直しが必要だ。(5)⑤PKO参加5原則はすでに「時代遅れ」で、これに代わる海外派兵恒久法が必要だ。(6)集団的自衛権の憲法解釈を見直し、一部合憲解釈に変えるべきだ、などなど。

これらは安倍内閣当時に検討されたものより、より過激な提言となっている。菅首相は臨時国会で福島社民党党首に質問されて、「非核3原則は堅持し、武器輸出3原則は見直さない」とか、「集団的自衛権の憲法解釈を変えるつもりはない」などと答弁しているが、首相の私的諮問機関からこうした報告書が出ること自体、大きな問題である。すでに右派メディアは一斉にこうした報告書案を支持して世論づくりを強めている。

一部メディアにリークされながら、その報告書全文がいまだに公表されないことは菅内閣がその内容のあまりの右派的過激さに動揺し、トーンダウンをはかっているからだとも言われている。菅内閣は安保防衛懇の報告書案を全面的に清算しなくてはならない。安保防衛懇の人選における内閣の責任問題も含めて、注視しておく必要がある。

(5)9月の民主党代表選が意味するもの

本誌が読者に届く頃は、9月1日告示、14日投票の民主党代表選の直前である。すでに批判した菅直人政権の危うさに対抗する民主党内のリベラルな批判勢力が独自の有力候補を持つことができないことはこの党の悲劇である。目下、小沢一郎か、その意を受ける人物が菅直人首相の対立候補に出るかどうかが注目されている。現状では新自由主義に反対するリベラル派は小沢と連携して菅代表に対抗する以外にない。

民主党内でもっとも自民党的な小沢一郎が「国民生活が第一」を掲げる民主党衆院選マニフェストを堅持して小泉・竹中構造改革に反対する旗頭になっているという皮肉なねじれ現象は、今後も長期にわたって民主党の危うさを生み出さざるをえない。政治の激動は長期にわたってつづくだろう。

それに対して、秋の臨時国会を契機に、沖縄問題をはじめとして、院外の民衆運動が行動の高揚をもって政治に影響力を行使できるかどうかが問われている。カギはここにある。全力をあげよう。

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第52回市民憲法講座(要旨)
生物多様性保全の視点から考える沖縄の米軍基地問題

花輪伸一さん(WWFジャパン)

(編集部註)7月24日の講座で花輪伸一さんが講演した内容を編集部の責任で集約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

わたしはWWF(世界自然保護基金)ジャパンという環境団体に所属していまして、その前は日本野鳥の会で仕事をしていました。沖縄との関わりは、1980年くらいに固有種、沖縄にしかいない鳥、ノグチゲラとかヤンバルクイナなどですね、その調査で沖縄に行ったのが最初です。その頃の沖縄本島の環境問題は、やんばるの森にダムをたくさん造る時代でした。国のダム建設のために森林を伐採する。それが谷筋から尾根筋までとんでもない伐採の仕方をして、そのために林道をつけ重機を入れ、やんばるの豊かな自然が壊されていた。

米軍基地の方はハリアーという垂直離着陸戦闘機の発着場をつくる計画があって、住民の反対運動、座り込みで中止になりました。1980年代の米軍基地は、米軍による開発はまだ少なかったんですね。許可をもらって中に入っても舗装道路もなかったし、ハリアーの発着場といってもせいぜい直径10メートルくらいで、カマボコ兵舎くらいしかなっかったんですね。

1996年にSACO合意があって、防衛庁の時代にやった大浦湾の環境調査が、沖縄タイムスと琉球新報に2年くらいにわたって載りました。その中で調査地に行く途中にジュゴンは50頭未満、と書いてある。そのあたりからジュゴンネットワーク沖縄という地元のNGOが新聞記事だとかを集めて調べ、これは絶滅のおそれがある、とんでもない話だとなった。そこは沖縄本島の中でもサンゴ礁が比較的よくあるところだったので、サンゴ礁を回復させるために資料を翻訳してアメリカのNGOにも配布しましたが、海外の反応はほとんどゼロでした。アメリカは大きな団体ほど政府にたてつくようなことはしない。がんばってやってくれるのは、本当に小さなグラスルーツの、草の根の団体ですね。

生物多様性とは何か

それではこれからスライドを見ながら話していきます。
最初の風景はジュゴンが住んでいる場所で、海の中で海草藻場(うみくさもば)といってジュゴンが食べる海草が生えているところです。「ジュゴンが見える丘」といわれていますが、ここからジュゴンを見た人はいないんですね。ジュゴン保護キャンペーンセンターがこの丘の上から2週間、24時間連続観察したんですが、見ていません。

最初に生物多様性とは何かというお話をして、そのあとで沖縄の自然環境それから米軍基地問題、特に辺野古、大浦湾というジュゴンの住む海、やんばるの森、高江にヘリパッドをつくる問題についてお話ししたいと思います。

今年の10月に名古屋で第10回生物多様性条約締約国会議が開かれます。生物多様性という言葉は身近な言葉ではないので中身を理解することはなかなか難しいです。英語ではBiodiversity(バイオダイバーシティ)と言っています。それを日本語にして生物多様性。条約自体はBiological Diversity(バイオロジカル ダイバーシティ)、生物学的多様性です。学問の多様性ではないということでBiodiversityとしています。

生物多様性は3つのレベルで考えています。種の多様性、遺伝子の多様性、生態系の多様性です。種の多様性というのは人間ですとか鳥、獣など地球上にはいろんな生き物がいる。そして、それぞれがひとりひとり、ひとつひとつ違っています。それは遺伝子が違うからです。そのいろいろの遺伝子を持ってひとりひとり違っている種、生物がみんな関係を持って生活をしている。それが生態系ですね。一見無関係に見えても生態系のなかではそれぞれ関係がある。こういう種のレベル、遺伝子のレベル、生態系のレベルで考えます。

いろんな生き物がたくさんいる、遺伝子もいろんな形態がある、それから生態系もいろいろなタイプがあり、河川生態系や森林生態系などです。結果的に生命、地球が進化してきた。ダイバーシティというのはバラエティとは違います。いろいろなものがいるのがバラエティで、ダイバーシティというのは進化してきたという意味があります。多様な方向に向かって進化してきた、徐々に変わってきたという意味合いがあります。いろいろな生き物があり、動物も植物もあり、人間が育てた家畜もいる。いろんな種の多様性があり、それはそれぞれ遺伝子が異なっている。森や川や海、いろいろな生態系があってそれぞれ関係しながら生活している。全部ひっくるめて生物多様性ということです。

この当たり前の生物多様性がなぜ大事なのかというと、われわれは衣食住はすべて生物多様性をもとにしている。薬も薬草や微生物など自然物から見つけ出してきます。いまだに製薬会社もアマゾンの熱帯林に行って、人間に役立つ薬品ができないかと、まだ見つかっていない植物を探したりしているわけです。人間の文化もいろんな自然をもとにしてそこから発達・改良してきたわけです。自然と密接な関係を持っています。

それから環境ですね。適度な湿度があったり、適度な風が吹いたり、太陽で適度に暖まる快適性あるいは産業や経済も、生物多様性に基づけば自然のものから供給されると言えます。こういったものを含めて最近では「生態系サービス」と言っています。これは英語のエコシステムサービスを訳していますが、日本では昔から「自然の恵み」という言葉で、われわれは当然のこととして生物多様性を利用し、恵みをいただいてきました。

ではこの自然の恵みをわれわれはどのように扱ってきたか。過剰利用、魚などを略奪的に捕っている。地上の土地改変、山を削る、川や海を埋めてしまう。人間が地球上を移動するようになって、もともといなかったいろいろな生き物を連れてきてしまう。特に魚、養殖をするために連れてきたものが逃げたり、故意に放されたりして生態系を改変してしまう。それから気候変動、工場等による汚染。こういったものが生物多様性の危機を招いてきたわけです。地球が生まれて45~6億年といわれています。生命が誕生したのが35億年前、それから小さなタンパク質がだんだん細胞になって多細胞生物になって進化してきた。われわれの時間スケールでは全く理解できないですが、この35億年を1年に換算してみた人がいます。1月1日を生命が誕生した日とする。そうすると人間が出てきたのは、12月31日の23時59分くらいなんですね。たったそれだけしか生きていない人間がこの地球の存続さえ危うくするような振る舞いをしてしまった。

生物多様性条約――地球に生きる命(いのち)の条約

とにかく国際問題としてこの生物多様性を守っていかなければいけないということで、生物多様性条約を国際条約として結んだわけです。生物多様性条約ではわかりにくいので、カナダにある条約事務局では生物多様性条約のことを「地球に生きる生命の条約」という言い方をしています。こちらの方が日本人の感覚にはぴったりくるのかなと思います。この条約ができたのは1992年、リオ・デ・ジャネイロで開かれた地球サミットのときです。そのあと遺伝子組み換え作物、バイオセイフティの問題も含めて条約がだんだん広がって、2002年にオランダのハーグで第6回の会議があったときに、生物多様性を守るために2010年までの目標をつくりました。2010年の今年、この目標が達成されたのかされなかったのかを検証することになっています。

結論としては全く達成されなかったわけです。その反省をもとに次の10年、ポスト2010年目標をどうするかということが非常に大きなテーマになっていて、その会議が10月に名古屋で開かれます。2010年は国際連合が定めた国際生物多様性年です。生物多様性条約はConvention on Biological Diversity といいますが略してCBDです。COP10のCOPというのは締約国会議のことで、10は10回目という意味です。

条約の目的は第1条に書いてあって生物多様性を守っていきましょう。これは地球上の多様な生物をその生息環境とともに保全しようということです。2番目の目的として、持続可能な利用、生物資源を持続可能であるように利用すること、使い果たすことのないようにしようということです。石油などはそうはいかないわけで、使ったら終わりです。それから利益の公正な配分。これは特に遺伝資源の問題です。遺伝資源の利用から生ずる利益を公正かつ公平に配分することです。途上国にいろいろな遺伝資源があってそれを先進国が略奪的に奪っている。アメリカ合衆国はどうもこれが気に入らなくてこの条約に入っていません。この前のドイツで行われた生物多様性条約会議でアメリカはオブザーバーでした。オブザーバー席に座っているのはアメリカと北朝鮮とイラクです。イラクは今度加盟する予定ですから、アメリカと北朝鮮だけになるわけです。

生物多様性を守って地域社会を守る

なぜ生物多様性を守らなくてはいけないのかというと乱開発あるいは過剰利用、汚染などによって生物多様性が劣化していくと、野生生物が減少したり絶滅したりします。同時に野生生物を利用している農林水産業の生産の低下が必ず起きてきます。そうなると農林漁業を行っている地域では社会不安が増大し、格差が生まれ、貧困が生まれ、そして犯罪が発生するということになる。社会不安が大きくなって場所によっては紛争が起きたり内戦が起き、そこに外国の軍隊が入ったりするということが起きるわけです。地域社会が崩壊してしまう。環境、人権、平和といったものが壊されてしまう。もとのところの生物多様性が破壊されると地域社会が崩壊してしまう。ソマリアの例がそうですね。非常に海の豊かな国だったのに貧困で海賊行為に走る、それに武器を提供する国がある。

実は日本でもこういうことが起こりつつあるんですね。諫早干拓事業で1997年にいわゆるギロチンを落としたあと、漁業が非常に不振になって有明海異変といわれるくらいに大変な状況になった。魚を捕る漁師さんは諫早の工事が始まる前くらいから生産量はがたがた落ちていった。特産の貝は壊滅状態で、漁師さんは出稼ぎに行かなければいけない暮らしになっていった。こういうことは原発のところにも、ダムを持ってきたところにも起きます。地域社会を劣化させるような事業が行われる。だから生物多様性を守って地域社会を守ることが大切です。
ただこれはある程度きれい事であって、実際の国際会議の場では、利益のぶんどり合戦ですね。

生物多様性に富む沖縄の自然環境

沖縄の島々のことを南西諸島と呼んでいます。これは明治時代以降にできた地名で、もとは琉球列島といって、九州から台湾の間1300キロくらいにわたっていました。明治時代に日本政府が地図をつくるときに南西諸島と名前をつけ、括弧して琉球諸島といっていた。琉球弧という場合もあります。地理学上、琉球弧というと大東諸島と尖閣諸島は入っていません。文化系の人が琉球弧といった場合は言葉とか文化を中心にするので屋久島、種子島を外して奄美以南をいうことがあります。琉球という言葉については中国からみて琉球といわれたから、それが気にくわないという人もいるので地名って難しいですね。

沖縄の島々が生物多様性に富んでいる理由はおおざっぱに言ってふたつあります。そのうちのひとつが動物の分布です。ユーラシア大陸を旧北区といって、ひとつの動物の分布のひとまとまりと考える、それから南のインドとかインドシナ、東南アジアを東洋区と呼んでいて、この北と南で 動物の種類が変わっています。沖縄の島々は東洋区の中に入りますが、北と南の移行帯にあるんです。

それから、遠い昔1千万年前は、中国大陸と日本列島はつながっていた。500万年くらい前になるとそれが分離する。氷河期、間氷期によって海面が上昇したり低下したりして、長い年月の間に大陸と列島がつながったり切れたりする。つながっているときには中国大陸からいろんな動物が渡ってくる。切れると閉じこめら、そこで独自の進化を遂げる。沖縄にはこういう生物が多いわけです。日本で一番古い人間の骨が、去年石垣島の新石垣空港建設予定地で見つかっています。その発掘現場は保全しないで壊してしまった。

珊瑚礁、干潟、マングローブ、亜熱帯林

沖縄の自然環境の特徴は、これもおおざっぱに言って4つあります。サンゴ礁、干潟、マングローブ、亜熱帯林が代表的なものです。島のまわりにサンゴ礁が発達している。サンゴというのはものすごく小さな動物で、これがたくさん集まってサンゴ群集をつくってそれがサンゴ礁になる。生物の中で地形をつくるのはサンゴだけです。テレビなどでオーストラリアのグレートバリアリーフがとてもきれいなサンゴ礁だといわれますが、あそこは海岸から船で4時間くらい遙か彼方で、人の生活とはあまり関係がない。ところが沖縄のサンゴ礁、それから東南アジアのサンゴ礁は大部分が陸地からすぐで、その中の浅い海がずっと人間の生活の場でした。そこから食べ物をいただいてきた。だから沖縄の人たちはサンゴ礁の海はぜったいに守らなくちゃいけないというわけです。お年寄りの中には子どものときに、今日はお客さんが何人くるからあのエビを何匹とあの貝をいくつとあの魚を何匹捕ってこいといわれたという人もいます。冷蔵庫の前はそうやって魚を捕ってきたわけです。

しかし陸地に近いというのは人間にとって恵みは豊かですけれども、陸の汚染がそのまま海に行くのでサンゴ礁は非常に危ないわけですね。陸上で開発をすると特に沖縄の場合は赤土が川から海に流れてしまう。ゲリラ豪雨みたいな雨が降ると途端に海が真っ赤になってしまいます。辺野古の隣の大浦湾にはまだ豊かなサンゴが残っていて、アオサンゴはオニヒトデが食べにくい構造だそうです。産卵の仕方も、多くのサンゴが自分の卵を大量に流すのに対して、自分の足下にためてそこで発芽して巨大になっていくんですね。汚染によってすぐ死んでしまうサンゴではないみたいです。ですからこれも善し悪しで、アオサンゴが残っているから素晴らしいということでは決してないんです。

それから干潟ですが、われわれが住んでいる関東の干潟はだいたい泥の干潟です。沖縄の干潟は砂と泥とサンゴのかけらです。泡瀬干潟などは埋め立て工事が進んでいたんですが、裁判を起こして経済的合理性がないということになった。それで埋め立て計画はいったんだめになりましたが、沖縄市は新たな経済的合理性のある計画でまだやるといっています。これも裁判で勝てるような時代にようやくなってきたともいえると思います。干潟は渡り鳥の中継地になっていて、北極圏で子どもを育てて、それが一番遠いところではオーストラリアまで行く。その途中で日本列島を、沖縄を通過していく。渡り鳥で特徴的なのはくちばしの長さとかたちで、土の中にくちばしを差し込んでえさをとる鳥がマングローブの湿地、川の河口域にいます。日本ではそんなに種類はいないんですね。大浦湾に注ぐ大浦川の河口にマングローブの林が発達していて根の方で土が盛り上がっているのは、そこにオキナワアナジャコというエビとかカニの仲間が住んでいるんですね。

熱帯の森林はやんばるの森です。だいたい10メートルから15メートルくらいの高さで自然が連なっています。山原と書いてやんばるといいますが、一度入ると沢や小さい尾根が入り組んでいてどこにいるかわからなくなってきます。自然林というのは不思議なもので、高木層、亜高木層、低木層、林床と階層構造ができます。高木層の中にいるのは、日があまり差さなくても生き残れる種類です。この階層構造を鳥もうまく使い分けて、ノグチゲラは高木層のちょっと下あたりに巣をつくる。ヤンバルクイナは飛べないのでいつも林床にいて、夜寝るときだけ低木の上によじ登る。ケナガネズミというのは一番上の高木層にいるというふうになっています。これを切って単純な人工林にすると多様性が失われてしまう。やんばるにしかいない鳥、ノグチゲラのノグチは人の名前です。最初に捕まえて学会に紹介したのはプライヤーという人で、野口さんという人を雇って採取旅行をして捕まえたのでノグチという名前をつけたそうです。ヤンバルクイナは1980年の初めの頃見つかりました。ノグチゲラとヤンバルクイナは地球上でやんばるの森にしかいません。アマミヤマシギというのは奄美大島と沖縄の周辺しかいない。リュウキュウコノハズクは鳴き声がほかのコノハズクとまったく違います。さらに日本で最大のカブトムシであるヤンバルテナガコガネ、こういった生き物がやんばるの森には住んでいます。

基地にも環境基準が適用されるアメリカ

沖縄にはどこに行っても米軍基地があり、これが人々への被害と同時に環境にも大きな問題を及ぼしている。普天間飛行場の移設予定地の辺野古の調査でジュゴンがいることがわかったので、沖縄のテレビ局等がヘリコプターなどで取材をするようになってかなりの頻度で見つかるようになった。抵抗する手段として環境問題が考えられました。アメリカでは昔から米軍基地に対して環境が重要になっていて、貴重な動物や植物がいるところでは演習なんかできず、基地なんかつくれません。文化財があるところもだめです。これがアメリカの基準です。ところが海外に行くとその基準はないも同然です。

北海道大学にいた先生でジュゴンの民話を調べている方がいて、沖縄の民話でジュゴンが出てくるものがかなりあるというんですね。ですから沖縄ではそれほど珍しい動物ではなかったわけです。八重山の新城村では石垣の上にジュゴンの骨がいっぱい並べてあったし、琉球王朝の時代には新城の島ではジュゴンが特産品だったそうです。琉球王国では、恐らく中国の影響でしょうが、ジュゴンの肉は不老長寿の薬だったようです。貝塚からはジュゴンの骨を細工したものが出てきています。沖縄ではジュゴンはむかしは身近な生き物だったんだろうと考えられます。

民話の中ではジュゴンの役割は神様の使いなんですね。人間に災いが起きそうになると神様がジュゴンを派遣して人間に警告を与える。たいがいの場合は「津波が来るぞ」ということで、津波が来るから早く避難しなさいとジュゴンが伝え、それを聞いた人は生き延びたけれども、聞かなかった人は津波に巻き込まれてしまったということです。いまのジュゴンはわれわれにいったい何をメッセージとして持ってきたのか。「逃げろ」ということではなくて「抵抗してくれ」ということだと思うんです。問題が起きるとジュゴンが出てくる。計画が具体化すればするほど取材などでジュゴンがたくさん姿を見せている。

東恩納琢磨さんが撮影した写真では左のしっぽにちょっと切れ込みがあります。彼らはこの写真を見てキズゴンという名前をつけたんですね。いくら何でもキズゴンではかわいそうだと、改めてWWFで全国に呼びかけて名前をつけようというキャンペーンをやりました。名前で比較的多かったのがチュラゴンでした。ジュゴンのいとこみたいなものでマナティというのがいます。ジュゴンは、アフリカの西海岸からインド、インドネシア、マレーシア、オーストラリアの北部くらいの分布で、沖縄がだいたい北限にあたります。マナティはフロリダが一番有名ですが、カリブ海沿岸、アマゾン、アフリカに分布していてアメリカではすごく人気があります。わりと簡単に生息場所に行くと見ることができて数も結構いる。川にも上ってきて、発電所の用水路まで入ってきていて出られなくなってレスキュー部隊がやってきたりしている。アメリカ人に、マナティが好きならジュゴンも同類だからといっても、残念ながらあまり関心を持ってもらえなかった。

それでアメリカのワシントンポストに意見広告を出したんですね。もう沖縄に基地はいらないという趣旨ですが、われわれはジュゴンの写真を使おうと最初考えました。アメリカ人は沖縄も知らないんだから、もっと狭い辺野古だ普天間だと言っても誰も知らないし、分からない。それよりもアメリカの裁判で勝っているからジュゴンだけ入れてくれと言って、ようやく「マナティのいとこのジュゴン」と名前だけは入ったんですね。アメリカの人は、これは民主主義の問題だ、地元ではっきり反対しているのに無理矢理基地をつくるというのは民主主義に反する、新聞広告だからそういうことを強調しろ、写真も基地の写真を使えということで、宜野湾市役所から写真を借りました。子どもの写真も、後ろ向きで基地の方を見ている写真だったので、表情がわかった方がいいんじゃないかというと、アメリカ市民は「アジア人の子どもだったら無視される」というんです。

絶滅危機にあるジュゴン生息地に米軍基地

日本のジュゴンはもう沖縄本島北部にしか生きていません。奄美大島は絶滅し、宮古・八重山も絶滅、台湾も絶滅、この間の移動はかなり少ないと思います。2002年に天草に突然現れて、残念ながら死んでしまったんですが、フィリピンからやってくる可能性はなきにしもあらずです。沖縄本島では1998年から2004年までの間にわりと目撃された記録があります。ジュゴンネットワーク沖縄という地元の団体が聞き取りで集めたもので、辺野古沖から金武湾、それから国頭村の東海岸でまとまって記録が出てきました。それもだいたい1年にわたっているので、沖縄本島の東海岸の北の方が周年生息域だと考えてきました。その分布の中心が辺野古なんです。ですからこの辺野古、大浦湾は非常に重要な海域であると考えられます。

同じ時期に国の調査もありまして、空中調査といって飛行機を飛ばして1週間くらいの間に見た記録です。民間では粕谷さんという研究者の調査と、国の調査は防衛省と環境省の調査がありました。こちらの方が短期間なのでダブりが少ないですね。さきほどのものは6年間にわたった記録ですから、同じ個体が何度も記録されている可能性があります。1980年代は日本哺乳類学会の推測では50頭未満ですが、2000年前後の空中調査では10頭から10数頭ではないか、ひょっとしたら一桁かもしれないというのが粕谷先生の見立てですね。去年の防衛省のアセスでは3頭という結果になっています。きわめて数が少ないわけですね。

沖縄のジュゴンの現状は分布域が大変狭い、沖縄島東海岸のみ。孤立した個体群で北限にある。一番近いところでフィリピンである。個体数が少なく、10数頭か数頭しかいない。狭くて、孤立して、数が少ないとなると絶滅のおそれが極めて高い。3頭という数まで出ていることを考えたら、いま日本で一番絶滅の危機にある哺乳類がジュゴンである。その生息地を米軍基地で破壊する。こんなことは世界の常識から考えて許されるはずがないんですね。野生生物の保全保護に非常に熱心なアメリカはこの問題になるとアメリカの人、環境NGOは本当に後ろ向きになっちゃうんですね。軍事問題は負けますという人がわりと多いんですね。

日本のジュゴンが絶滅の恐れがあるまでに至った理由のひとつとして混獲があります。これは定置網や刺し網に引っかかって死んでしまうもので、生まれたばかりのジュゴンの子どもはまだおなかにしわが残っていてまだ身体がしっかり伸びていない状態で死んでしまったものがあります。沖合の定置網に何か入っているのはわかったけれども、助けに行ったんですが嵐だったので間に合わなかった。1980年代には10年間で5頭の死体が見つかっています。これは届けられたもので、わからないまま捨てられたりしたものもあったかもしれません。1990年代の10年間で9頭死んでいます。2000年代では2000年の1年間で3頭も死んでいるんですが、その後は0です。網にかからなくて良かったと思う反面、引っかかる個体がいなくなったんではないかという心配もあります。

いまジュゴンが1頭でも死んでしまうことはきわめて重大です。対策として地元では沖縄県、各地域の漁協、環境NGOが協力してジュゴンレスキューのシステムをつくりました。網にジュゴンがかかったのを漁民が見つけると、それを通報してみんなで集まって助けに行くシステムをつくって、ジュゴンの模型を使って練習までしています。ただこれが実際にジュゴンに対して行われたことはまだ一度もありません。フィリピンではフィッシュコーラルといってネットではなくて材木を刺すんですね。これが定置網みたいになっていてそこにジュゴンが入っていく。そうすると水面に出て息継ぎはできるので、生きているのを助けて海に帰すやりかたで、年間数頭をレスキューしていると聞きました。日本の漁法だと、海中で糸に絡んで呼吸ができなくなってしまうんですね。

許されないジュゴンの生息地破壊

宜野湾市の26%をこの普天間飛行場が占めています。2800メートルの滑走路がある。米軍に限らず飛行場にはクリアゾーンといって滑走路の延長上に何もないところをつくらなくてはいけないんですが、普天間飛行場にはそれがない。というか米軍はクリアゾーンを滑走路にしてしまったと見ることもできます。本来ならば基地の中の滑走路を削らなくてはいけないのにぎりぎりまで使っている。普天間に住んでいた人たちが強制収容所に入れられて何ヶ月かあるいは1年間くらいして帰ってきたらこれがもうできていて、この周りにあとから住んだというアメリカの言い方は成り立たちません。

この移転先となっているのがジュゴンの生息地である辺野古の海それから大浦湾です。海には豊かなサンゴ礁が連なっている。県内では一番面積の広い海草藻場がある。ジュゴンの食べ物はその海草だけなんです。昆布やわかめと区別するために海草(うみくさ)と呼んでいます。もともとは陸上に生えていた草がいつの間にか海の中に入って暮らすようになった。海の中で光合成をしています。海の中で花を咲かせて受粉して増えていく草ですから太陽の光が届かない深いところでは育たないし、汚れた海では育たない。海草が広い面積で生えているところは非常に少ないんですね。そのひとつがこの辺野古沖で非常に大事なところです。ジュゴンも実はもともとは陸上に住んでいた動物が海に入ったものなんですね。食べ物も、進化の過程で海に入ったものを食べています。ジュゴンと象の先祖は共通していて、陸上で進化したのが象の仲間で海に入ったのがジュゴンです。

その辺野古に普天間飛行場の移転計画が起こったわけです。1996年のSACO合意に基づいて県内、といっても沖縄本島ですが、あちこち検討して1997年の計画では面積は90ヘクタールの海上ヘリ基地といっていた。移設可能なものという考えがあって、ひとつは杭式桟橋方式という杭に板を乗せて滑走路にするもの、それからポンツーンといって大きな鉄の箱を浮かべるというもの、このふたつの方式が考えられました。ポンツーンは、外側に防波堤をつくらなくてはいけなくてとんでもない工事になる、杭を打つといってもかなりの数の杭を打たなければいけない。いまになって最初からこれはどうも無理だったみたいなことがいわれています。

新基地計画のアセス評価ではジュゴンはいない?

これが名護市民の自主的な市民投票で否決される。当時の太田県知事も辺野古には移設させないと表明をした。それで杭式桟橋方式やポンツーンというのはなくなったはずです。ところがその次の県知事選で稲嶺知事が当選するとまた新たな計画がでてきた。今度は軍民共用空港で、15年期限でアメリカ軍と民間航空が両方使い、15年たったら アメリカ軍は出て行くという計画です。これが2000年7月で、面積は184ヘクタール、前の倍になって計画が復活する。こんなことは政策ではふつうあり得ないわけです。この軍民共用空港には、地元の人たちがテント村をつくって座り込みをして、それからくい打ちをさせないために海上に設けられたタンカー櫓にとりついたりして直接行動に出た。

結果的に日本政府もアメリカ政府もこの軍民共用空港はあきらめて、また新たな計画が出てきます。今度は184ヘクタールから205ヘクタールに大きくなった。これが2006年4月のキャンプシュワブ沿岸でV字型滑走路に決めたということで、これで環境アセスに入ってしまったわけです。これは日本の環境アセスの中でも最悪のものと言っていいと思います。形式だけのアセスで日本のアセス制度を破壊してしまうような代物だった。最終的に出てきたV字型滑走路の計画は、誘導灯をつけるとか汚水処理場をつくるとか、この段階で計画がきちんと示されなければいけないんですが、それがまったくない。ジュゴンに関しては、埋め立てをする辺野古界隈にはいないから、ジュゴンへの影響はないという結論になっている。

環境省のデータがあるんですがそれが引用されていない。辺野古にジュゴンがいないのかというと1998年、1999年、2000年までは目視記録はちゃんとあるわけです。そのあとしばらく調査がされていなかったりあるいは記録が本当になかったりする、でも環境省が調べた結果があったりするという状況です。現地の攪乱要因としてアメリカ軍の演習はずっと続いている。一方で2004年から環境アセスの前に現地技術調査と称してボーリングをするとかいろいろするわけです。そして反対する人たちがやぐらにとりついたりした。夜中も船が走り回ったりして攪乱したんですよね。

今度はアセスになると事前調査と称してビデオカメラを回したりパッシブソナーという音の探知機を取り付けたりして、辺野古の海は攪乱され続けた。これではジュゴンは住めるわけがないんですね。ジュゴンを追い出しておきながら「ジュゴンはいない、だからジュゴンへの影響は軽微である」という。こういうことは論理的にはまったく成り立たないわけです。

この準備書の結論は結局科学的でも適正でもない、5400ページにもなる膨大な報告書が出てきた。アセスをやる前に現地調査をやってしまったので、それが環境を攪乱してしまった。それからアセスの調査が終わったあとで事後調査に入っているということで、これもアセスの手続きとして問題がある。アセスの問題で裁判を起こしても、まだ勝ったことがないんですね。アセス法がもともと罰則がない法律なので、このアセスが違法であるとすることは非常に難しい。手続きでおかしいのは事業内容が「後出し」です。本来は方法書で「こういう事業をします」、「実は、滑走路とか弾薬庫、ヘリパッドがあります」と言わなくてはいけないんですが全部修正、再修正、準備書であとになって次々「あれもやります、これもやります」ということを出してきた。

軍用機の訓練コースだとか飛行訓練の回数なども、普天間飛行場でこうだったからそれをもとにこういうふうに動くと予想されるということで、米軍がやることだから日本側ではわかりませんというとんでもないことを言っている。それからいまだにオスプレイ、垂直離着陸戦闘機を導入することになっている。当時アセスの準備書が出た2009年5月の段階で県内移設に反対する人は68%、賛成はわずか18%で、準備書の「影響は少ない」という結論に納得できる人はたった7%、納得できないという人は80%でした。沖縄県の民意はまさに正しい方向を示しました。

継続して軍事基地建設阻止行動が行われ、ボーリング用のやぐらにとりついてボーリングをさせない。それから全国ハンカチメッセージキャンペーンをやったり、県内移設に反対する県議が集まって集会を何回か行ったりしたわけです。東京でも首相官邸前での抗議行動、議員会館前での行動がありました。沖縄の問題がようやく全国の問題になった。そしてさきほど紹介したワシントンポストへの広告とからめての日本大使館前での抗議行動が行われました。みなさんに協力いただいてノーベース・オキナワのキャンドル行動もやりました。徳之島案というのも出てきましたが地元でも15000人集会があり、4月25日の沖縄県民集会では9万人が集まった。全国17カ所でも沖縄県民集会に連帯する集会が開かれました。そういう状況で5月31日の時点で辺野古反対は沖縄では84%に増えたわけです。

沖縄のジュゴン対ラムズフェルド事件

アメリカで起こされた裁判、ジュゴン裁判といっていますが、この裁判は「沖縄ジュゴン対ラムズフェルド事件」というのが正式な名前です。提訴が2003年9月、原告はジュゴンと日米の環境団体と個人が2人です。実はジュゴンは原告適格を認められなかったので原告になれなかったんですね。被告はアメリカ合衆国国防総省で、当時はラムズフェルドが長官でした。ジュゴンの横顔とラムズフェルドの横顔が並んだ写真を合成してつくったりしました。第1回の判決が2008年1月24日にサンフランシスコ連邦地裁でパテロ裁判官という女性の裁判官によって出されました。

判決の主旨は、被告・アメリカ国防総省は国家歴史保存法の必須条件を守っていない、これを守るように命じるというものです。国家歴史保存法というのは、日本でいうと文化財保護法のようなもので、アメリカの歴史的建造物や天然記念物を守るための法律です。この法律のおもしろいところは海外適用が可能なんです。アメリカ国内に限らない。ですから日本の文化財をアメリカの行為で破損するならそれは違法だということです。

具体的に何が違法だったかというと日本と、アメリカの2+2、日米安全保障協議委員会でジュゴンの保護対策を検討しなかったのが違反だというんですね。ではどうするかというと国防総省にはジュゴンを守るための方策を出しなさい、それに対して原告は反論をしなさいという状態で、当時のアメリカ政府は日本の環境アセスを待って文書を出して、この時点でストップしたんですね。アメリカ大統領選があったりいろいろ政治的な動きがあって、その後裁判は全然進んでいない。

2008年から2年たっているんですが次の裁判は開かれていない。ですから違法状態が続いているということです。日本の弁護士の判断では、もし日本政府が辺野古に基地をつくるのであれば米軍の許可をもらわなければいけないはずです。あそこは米軍の占有地域ですから。しかし米軍が日本政府に工事の許可を出したらこの判決に違反する。だから差し止めを請求できるだろう、また裁判を起こせるだろうということです。先延ばししろと弁護士たちは考えている。ただこの結果自体は両方に合意を求めているんですね。原告と被告が話し合って落としどころをさがしなさいという、いわば和解しろいうものなのでこの先どうなるのかまだ読めないところがあるわけです。

われわれはこの大浦湾が豊かな生物多様性に富んだところだということで、これをもとに環境の問題から米軍基地をつくるべきではないと主張してきました。そのためにいろいろと調査をしてきました。サンゴが見つかると調査隊を募ってアオサンゴの大きさを計測するような調査をやりました。またどんな生き物がいるのか、緑の海草藻場の広がりとかマングローブが川の河口にあるとかを調べてきたわけです。琉球大学の先生方に頼んで海底の泥の中のエビ・カニ類を調べてもらったら36種類の新種が見つかった。つい2~3週間前には海草(かいそう)の仲間の新種が4種類見つかったという報道もされました。辺野古・大浦湾がいかに生物多様性の豊かな海域かということがわかります。3Dマップ、立体地図をつくって環境アセスメントに意見を言うときの資料にしてもらうなどして一般の人たちにも関心を持ってもらおうとしています。

東恩納琢磨さんがやっているジュゴンの里というところでは、環境教育をしたり観光に利用しています。ただ名護市は少数与党なので次の選挙が非常に大事になってきます。東恩納さんも市議会議員ですが、彼は最初次点で落選したんですね。それでわずか数票差なので異議申し立てをして再度点検したら、わけのわからない票が何票か出てきたので裁判所に行って地裁、高裁、最高裁まで行って、判決はくじ引きだったんですね。くじ引きしたら東恩納さんは負けたんです。しばらくしたら県議会選挙があって名護市議が県議選に出たものだから、欠員が出て繰り上げで当選したというすごくラッキーな男なんですね。だから次の選挙では絶対に落としたくないんだけれども、たいして票が集まらなかったのは事実なので非常に厳しい感じですね。

東村高江の米軍ヘリパッド

もうひとつの問題はやんばるのヘリパッドです。米軍の演習場、ヘリパッド建設予定地のそばにテントを張って毎日座り込みをしています。やんばるの森にもいろいろな生き物が住んでいます。やんばるの森には国頭山地という山があってその東側が全部米軍基地になっています。ここは実は国有林です。国有林になる前は沖縄の人たちの山でしたが、それを日本政府が取り上げて国有地にして、そのまま米軍基地なっていったわけです。皮肉なことに1972年に返還されてから民有林はかなり開発されたけれど、米軍基地の方は開発されていない。これは米軍が森を守ったんじゃなくて、ジャングル戦闘訓練のために森が必要だったからですね。

1996年のSACO合意で北半分は日本に返す、南半分はまだ訓練場として使う、そのかわり北半分にあるヘリパッドを南に移すことが交換条件だったわけですね。ところが移設するヘリパッドが大規模ヘリパッドで、オスプレイ導入を考えているとんでもないものです。北部訓練場の中は、海兵隊員たちが勉強するようなクラスルームという場所があって、アスレティックをするようなところ、そしてヘリパッドがある戦闘訓練センターです。日常的にヘリコプターが県道の上を通ってとんでもない騒音がするわけです。

この周りにはすぐ近くに高江の集落があるんですが、この集落を取り囲むようにヘリパッドが6カ所計画されています。オスプレイというのは、できが悪くていままで何回も墜落してパイロットが死んでいて、「ウィドウメーカー(未亡人製造機)」というあだ名がついています。高江の集落に多大な悪影響があり、人々の暮らしを破壊する。ただ、まだ実質的に着工できていません。高江の場合には4月から7月の3か月間はヤンバルクイナなどの繁殖期なので、その期間は工事をしない、それを過ぎると工事をするといっているんです。でもまだやってきていない。

このヘリパッド問題のほかに山の木を切って農用地をつくったりする問題もあってマングースが進入してきたり、猫を捨てていく人もいるんですね。マングースに関しては柵をつくったり罠を使って駆除しているんですがなかなか捕まえきることはできません。こういうのは基地を受け入れる代わりの沖縄北部振興資金でやっています。

IUCN(国際自然保護連合)の勧告決議

われわれは辺野古、高江の問題に関してIUCN(国際自然保護連合)にいって会議で話題にして、日本政府とアメリカ政府に対して勧告を出しています。4年に1回開かれるんですが、2000年、2004年、2008年に採択されています。

IUCNは非常におもしろい組織で、世界最大の自然保護団体です。政府と政府機関が入っていて環境NGOも入っています。投票するときには政府側とNGO側と別々に投票します。そして政府関係者の票とNGO側の票が画面に映し出される。政府側の投票だとやっぱりアメリカ政府に遠慮するのかちょっと悪いんですが、それでも可決されるんです。NGOの票は圧倒的に9割近く賛成です。日本政府とアメリカ政府に要求する。

内容は環境アセスメントをしっかりすることと、ジュゴンやノグチゲラやヤンバルクイナの保護のための行動計画をつくれということです。その票を取るためにNGOが出かけていってブースでいろいろなことをやるんですね。チラシを配ったり歌を歌ったり署名をしたり。日本(11頁より)は捕鯨をやっているから日本の奴らには賛成しないといわれることもあります。IUCNという世界最大の環境保護機関で3回にわたって勧告決議が出されていますが日本政府、アメリカ政府はまったく無視している状態です。日本では自民党政権のときに野党からかなり質問はありました。

生物多様性に富む沖縄に基地建設可能な場所はない

沖縄は日本の0.6%の県土に75%の米軍基地が集中していることで大きな矛盾を引き起こしています。陸の上だけではなくて海の上、空の上にもアメリカ軍の制限空域、海域があって、それで2004年8月の沖縄国際大学での事故がありました。これまでSACO合意をして、海上ヘリ基地の普天間移設を決めて高江のヘリパッド移設を決めて宇嘉川河口の基地編入をやった。2006年には米軍再編のためのロードマップをつくり2009年にはグアム協定を結んだ。

自民党政権時代のものですが、とにかく沖縄での米軍基地のための政策の結果、何が起こるかというと直接環境を壊す場合もありますし、補助金を大量につぎ込むことによって土木事業で開発が行われて自然破壊があるわけです。そして沖縄の優れた自然、豊かな生物多様性を破壊、劣化させることになるわけです。

わたしたちの主張はなにか。住民及び議会で、いま米軍基地に対する反対意見がすごく強くなっている。自然環境が豊かで生物多様性に富んでいる、農業・漁業等が行われている沖縄に基地建設可能な場所はない。移設候補になった本土の地域も反対である、ということであれば、沖縄も本土も新しい基地を受け入れない、これが日本国民の意思だ。これを日本政府はアメリカ政府に対してきちんと主張して、普天間基地の即時返還を求め、新基地は不可能であることを伝えるのが本来の日本政府の役割であろうと思います。それをせずに先にアメリカと合意をして、というよりもアメリカのいうことにしたがって沖縄県民に説明もしない。こういう政府なわけですね。

2010年秋に名古屋で、生物多様性国際会議が行われます。生物多様性の保全、環境保全型の持続的な開発、住民参加による自然資源の持続的な利用がとても大切であり、軍事利用ではない、きちんとした生物多様性の保全と地域の環境と人権と平和は一体のものだということを改めて申し上げてわたしの話を終わります。ありがとうございました。

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ハガキを送ってください!---ストップ!原子炉設置許可

藤井純子(第九条の会ヒロシマ)

上関原発計画が浮上して28年、中国電力は、地域を分断し、手続きをどんどん進め、昨秋、山口県が許可した埋め立てに着手しました。しかし1年たっても埋め立てをさせていません。予定地田ノ浦沖3.5Kmに浮かぶ祝島の人たちは、自然と共に自立して生きてきたことを誇りとし、生活をかけて抗議をしているのです。近頃は、カヤックで生計を立てている人、祝島の人々の生き方に共鳴した人、原発建設に疑問を持つ人、自然が大好きな人、そんな若いカヤッカーたちも、それぞれが行動に加わるようになりました。広島からもほぼ毎日、誰かが田ノ浦に出かけています。

原子炉設置審査委員たちには責任ある発言を

中国電力は、多くの問題を残したまま、昨年09年12月、経済産業省に上関原子力発電所原子炉設置許可を申請しました。手続き上、経産省は、専門家の委員から意見を聴き、原子力安全委員会での第二次公開ヒアリング、原子力委員会の答申を得て、文部科学大臣同意のもとで原子炉設置を許可するのです。

審査をする委員たちは、「御用・・」と言われる学者や天下り先と疑問視される独立法人関係が多いようですが、何もしなければすんなりと委員会を通過し許可となります。「上関原発止めよう!広島ネットワーク」は、全委員に、原子力、地層・地質、海などそれぞれ専門の分野で責任ある発言をしてほしいと思い、上関の実態を知らせ、要請書を送りました。

原発予定地の下は、活断層が幾重にも重なっています。田ノ浦が埋め立てられると、海のゆりかごというべき藻場が消え、内海の漁業、特に祝島への影響は計り知れません。温排水による海の生態系の破壊、放射能汚染も影響軽微と切り捨てられてはたまりません。それに、中国電力と上関町住民の間の多くの裁判、祝島・地域住民の根強い反対、カンムリウミスズメや環境影響評価の再調査要望、又、上関原発の炉心予定地から280~300メートルのところに4人が生活をしています… 原発が建設されると祝島や近隣の人たちの生活権が脅かされ、事故や運転時の放射能による被害が及ぶ事が考えられ、未解決問題は山積しています。

上関原発中止への思いを届けるため、委員たちにハガキを!

今年5月、上関原発建設の反対署名が全国から合計85万筆以上集まり、経済産業省に届けられました。中国電力の運営する島根原発は、511カ所もの点検漏れが判明し、2機とも3月31日に運転を停止したまま再開されていません。こんな中国電力に上関原発を建設する資格はあるのかと憤りを感じます。個人でも、審査委員に、思いを届けようとハガキをたくさん印刷し、皆さんにもご協力をお願いしたところ、この「私と憲法」にも同封して下さいました。上関原発の白紙撤回のため、一人でも多くの皆さんにハガキを送って頂きたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。
(編集部より:お問い合わせは、藤井さん(fujii@jca.apc.org)にお願いします。) 

8・6新聞意見広告2010へのご参加、ご協力ありがとうございました!

終わりになりましたが、8・6新聞意見広告2010は、全15段を読売新聞大阪本社版朝刊に 5段を読売新聞山口全県版、毎日新聞東京都心版に掲載できたことをお礼と共に報告をさせて頂きます。

タイトルの「私にとって憲法9条は・・・」は、購読者の皆さんに「・・・」を考え、書き入れて頂きたくて、こんな問いかけにしました。また在日米軍の駐留経費の国際的な比較と今年の予算をグラフと表にしました。なぜ日本だけがこんなに多くの税金を米軍に差し出すの? アフガンやイラクの状況をみると、納税者として「軍事力に税金を使わないで」と声を上げなければ、私たちが加害者になってしまう… 8月6日の夜、帰ってパソコンを開けてみると「米軍の駐留のためでなく、困っている人を助けるためにお金を使えないかと憤りすら感じました。私にとって憲法9条は、人々の平和とつながりを守る合言葉です」というメールが寄せられていました。こんなつながりこそ、私たちの目指したものではなかったか… 嬉しくてすぐに返事を書き、まわりに転送しました。意見広告の紙面コピーは、ご連絡下されば送らせて頂きます。また、ホームページ(http://9-hiroshima.org/)をご覧になって、感想や、ご意見をお寄せください。お待ちしています。

8月6日早朝、原爆ドーム付近で意見広告のコピー3000枚を、全国から、世界中からヒロシマに来られた方々に配布しました。許すな!憲法改悪市民連絡会の皆さんの応援は、今年も、首都圏、関西をはじめ、北海道から沖縄まで、多くの方からのご参加、ご協力をいただき、とても心強く、感謝の気持ちでいっぱいです。  8月20日 藤井 fujii@jca.apc.org

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植民地主義の清算と平和実現のための日韓市民共同宣言

2010年8月22日
強制併合100年共同行動韓国実行委員会/強制併合100年共同行動日本実行委員会

8月22日午後、東京・豊島公会堂に日韓の市民約1000名が参加し、「8・22日韓市民共同宣言大会」を開催し、共同宣言を採択した。以下はその大要である。(編集部)

一 前文

1.1910年8月、日本帝国は天皇の名において大韓帝国に「韓国併合条約」を強制し、主権を奪い、過酷な植民地支配を開始した。36年に及ぶ日帝の植民地支配は朝鮮民族の尊厳を深く傷つけた。それから今年で100年になる。植民地支配は、1945年8月15日、日本のポツダム宣言の受諾-敗戦によって終結した。その敗戦、朝鮮解放から65年が過ぎたが、日本政府は今でも、「併合条約」は適法であり、有効であったと主張している。植民地支配の実態、その真相については究明するどころか隠し続け、被害者に対する謝罪、賠償もほとんどおこなっていない。他方、朝鮮は日本の植民地であった結果、米国の戦後の分断政策と、ほぼ同時期に始まった東西対立・「冷戦」によって南北に分断された。1950年6月には朝鮮戦争が起こり、民間人を含む300万人が死亡し、1000万人の離散家族を生んだ。軍事境界線をはさんで南北は今も軍事的対立関係にあり、終戦と平和への見通しも立っていない。日本と朝鮮民主主義人民共和国とは国交さえ正常化していない。植民地主義の精算はまだ終わっていないのである。

2.2001年、南アフリカのダーバンで、「人種主義、人種差別、外国人排斥及び関連のある不寛容に反対する世界会議」が国連主催で開催された。そこで採択された「ダーバン宣言」は、初めて「奴隷制と奴隷取引」を「人道に対する罪」と規定した。植民地主義についても「非難され、その再発は防止されねばならない」ことを確認した。その上で、過去数百年にわたってアジア、アフリカ、ラテンアメリカなど多くの民族・民衆を苦しめた奴隷制と植民地支配の清算を行うことは歴史的課題であると宣言し、その実現に向けての行動計画を打ち出した。つまり、「合法」であったか否かを論ずる以前に、植民地支配それ自体を人類に対する犯罪であると断じ、その被害がなお継続している現実を直視し、克服していくことを提起したのである。画期的な意義を有するこの宣言は、欧米諸国のみならず日本を含むすべての旧植民地国家に突きつけられている。

3.韓国強制併合100年を迎える今、植民地主義を清算し、東アジアの平和な未来を構築することは日本と韓国、朝鮮、東アジアの市民の共通の課題であり、そのために手を携えて共同していくべきときである。私たちは、ここに「日韓市民共同宣言」をおこない、東アジアにおける負の歴史の清算と人間の尊厳の回復、平和の実現に向けての課題と行動計画を提起する。

二 朝鮮侵略と強制占領

1.1875年9月、日本は軍艦を江華島に侵入させ、江華島事件を引き起こし、翌年、朝鮮に不平等な日朝修好条規の締結を強い、朝鮮侵略の足場を築いた。これと前後して、アイヌモシリと琉球を強圧的に植民地化して帝国に組み入れ、さらに1894年、日本は日清戦争を起こした。日清戦争と言うが、その戦場は朝鮮・中国・台湾にまたがり、朝鮮では日本の侵略に抗して決起した東学農民軍2~5万人を、旅順戦では2万人余の非戦闘員を、台湾領有戦争では割譲・植民地化に抵抗する義勇兵・民衆1万4千人を虐殺した。日本軍による最初のジェノサイド(集団殺戮)であった。日本は、日清戦争を通じて朝鮮から清国の勢力を追い出し、また台湾を植民地とした。これは日本のアジア・太平洋における50年以上にわたる侵略と戦争の始まりであった。

2.1904年、日本はロシアと戦端を開いた。大韓帝国に対するロシアの影響力を排除し、朝鮮半島を支配下に置くためであった。日露戦争で日本は朝鮮半島を戦場とし、韓国の「保護国」化を進め、ポーツマス条約締結後には、さらに外交権を奪い、軍隊を解散させ、内政監督権を掌握した。(以下略)

三 植民地支配(略)

四 敗戦と解放以後

1.1945年8月15日、日本帝国のポツダム宣言受諾、無条件降伏によって、朝鮮全土に対する植民地支配は消滅した。1943年11月の「カイロ宣言」は、「朝鮮人民の奴隷状態」に留意し、「朝鮮を自由かつ独立のものたらしむる」とうたっていた。そして、ポツダム宣言は、カイロ宣言の条項の履行を明記していた。

これにより朝鮮半島は日本帝国の「版図」から離脱-独立を回復することとなった。しかし、日本は植民地支配の清算をおこなうどころか、資源・食糧・文化財などの略奪や強制動員、民族抹殺政策と独立運動に対する過酷な弾圧・虐殺に対し一言の謝罪すら表明しなかった。さらに新しい国づくりを進める朝鮮人民の闘いを妨害し、朝鮮戦争時には米軍を支援し南北分断の固定化に手を貸した。

2.その背景には、米英等が主導した極東軍事裁判が「平和に対する罪」と「通常の戦争犯罪」、何件かの「人道に対する罪」は裁いても、日本の植民地支配責任については追及せず、不問に付したことがある。また、ソ連の台頭、中国革命の進展に危機感を募らせた米国が、日本を反共の防波堤とし、「冷戦」体制に組み入れていく方向へと対日政策を大きく転換したことがあった。これによりサンラランシスコ講和会議から南北朝鮮は除外され、日本に対する賠償問題も棚上げされた。わずかに財産・講求権についてのみ特別取り決めの主題とし、交渉することが認められた。欧米諸国による日本の植民地支配責任不問と「冷戦」が日本の植民地支配清算の不徹底を許した。講和条約が発効すると、日本は真っ先に戦前の軍人恩給制度を復活させたが、それは日本人にのみ適用し、植民地出身者には一切の補償を拒絶し、未払い賃金すら払わず、BC級戦犯として処刑だけはおこなった。こうして日本政府は何ら植民地犯罪の責任を取らず、民衆もまたその責任を意識せず、朝鮮人に対する差別と排外意識を克服できないままとなった。

3.1965年6月の日韓基本条約、日韓請求権協定等は植民地主義を清算するものとはならなかった。韓国政府は植民地支配に対する賠償を求めたが、日本政府は併合条約は適法であったと主張するだけでなく、「日本は朝鮮でよいことをした」などと植民地支配を正当化し、それを拒んだ。米国はこのような日本政府を後押しし、朴正煕政権は、開発政策を優先し無償・有償5億ドルの「経済援助」を受け入れた。日韓講求権協定第2条は、「請求権に関する問題は、完全かつ最終的に解決した」と規定した。植民地支配下でのさまざまな犯罪行為とその被害に対する責任追及、賠償問題は封印された。また、日韓基本条約第3条は、韓国政府を朝鮮半島における「唯一の合法的な政府」と規定し、日本は南北分断の固定化に加担した。

4.しかし、1987年の韓国民主化、1991年のソ連解体-「冷戦」の終焉後、植民地支配、侵路戦争の被害者たちは堰を切ったように声をあげ始めた。元日本軍「慰安婦」、強制連行・強制労働被害者、元軍人・軍属らが日本政府・企業に対し被害に対する謝罪と賠償を求めて訴訟を起こし、その責任を追及した。在日の元軍人・軍属、在韓被爆者らも戦傷病者戦没者遺族等援護法、被爆者援護法等の適用を求める訴訟を起こした。これに対し一部企業は強制労働被害者に対し実質的に補償をおこなった。在韓被爆者の訴えについては司法が日本政府の在外被爆者切捨て措置を違法とし、被害者救済を命ずる判断を下した。在日の元軍人ら(傷痍軍人)には見舞金を支給する特別法が制定され部分的な救済が図られた。しかし、日本の司法は他の被害者の請求についてはことごとく退け、日本政府は日韓講求権協定を楯に問題解決を拒み続けている。

他方、被害者の戦後補償の実現を求める訴えにこたえ、日本の中で多くの市民が裁判闘争支援などに立ち上がり、2000年には「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦氾法廷」を開いた。70年代以降の韓国民主化闘争支援、キーセン観光反対、金大中氏救出、政治犯救援運動などの上に、戦後補償実現を目指す日韓市民の共同の運動は組織されたのである。この中で、かつての植民地支配・被支配の関係を超えて、戦争責任追及、植民地主義清算に向けての市民の広範な連帯が形成された。

5.他方、戦後、目本に残り生活することを余儀なくされた朝鮮人に対し日本政府は差別・排除と同化政策をとり続けた。サンフランシスコ講和条約締結後、朝鮮人の日本国籍を一方的に剥奪し、出入国管理令、外国人登録法などの管理法令によって生殺与奪の権限を握り、また民族教育など民族的自主権を奪った。日本政府は「冷戦」を利用し、在日朝鮮人を分断しつつ植民地主義的管理の下に置いたが、1965年日韓条約締結以降は分断支配をいっそう深刻化させた。「韓国籍」を有する者にのみ「永住」(協定永住)を認めて管理を「緩和」しつつ、「朝鮮籍」の者には「永住権」を認めず抑圧を強めた。その後、「朝鮮籍」の者にも「永住」(特例永住)を認めるに至り、さらに「特別永住」に一本化したが、2008年入管法改悪によって「一般永住者」に対する監視・管理を強化した。難民条約、人種差別撤廃条約等への加入により社会保障などの差別措置を一定是正した。しかし、在日の高齢者たちは国民年金の適用を除外され、ほとんど無年金状態に置かれている。老齢者支給金を支給する自治体もあるが、それも平均月額5千円にしかならない。また、朝鮮学校生徒への高校無償化適用除外をおこなうなど差別と分断政策は今も続いている。

五 東アジアの平和な未来を築くために

1.東アジアは今、大きな転換期を迎えている。韓国では民主化運動の成果により、過去の歴史の痛ましい記憶を整理し、傷を癒すための「過去清算」が政府と民間次元で取り組まれ、2000年の南北共同宣言によって統一への展望が示される中、南北交流も大きく進展した。植民地時代、朝鮮戦争時、軍事独裁下で起こった強制動員被害、民間人虐殺、人権侵害.などの真相を糾明し、その被害者らの名誉回復、賠償等の事業をおこなうとともに「親日派」問題の追及が進んだ。これは未来を切りひらいていくためには過去を直視し、正しく総括しなければならないとの考えに基づくものである。また、試行錯誤しながら進められた南北交流の蓄積は、東アジアにおける戦争の雰囲気を抑え、平和体制を構築する礎としての役割を果たしている。

2.他方、日本は戦争責任追及においては天皇の責任を不問に付してきた。植民地支配についても被害当事者の訴えに真摯に向き合い、許しを請うこともしないままであり、朝鮮民主主義人民共和国との関係も正常化せず先送りしている。「村山談話」(1995年)、「日韓パートナーシップ宣言」(1998年)、「日朝ピョンヤン宣言」(2002年)で、韓国・朝鮮に対し植民地支配によって「多大の損害と苦痛を与えた」と述べ、「お詫び」をしたが、行動は伴っていない。むしろ、「新しい歴史教科書をつくる会」が編集した、侵略戦争・植民地支配を美化する歴史教科書を検定、合格させるなど日本社会の歴史認識を後退させる策動に手を貸している。また、脱「冷戦」のプロセスが進みつつある東アジアにおいてなお軍事同盟にすがり、固執する姿勢をとり続けている。これでは東アジア共同体の構築はできないし、平和な未来を切りひらいていくこともできない。

3.今こそ植民地主義の清算に向けて、日本政府は、被害者に謝罪と補償をおこなうとともに、被害者とその犠牲を永遠に記憶に刻み、未来に向けて同じ過ちを繰り返さないための事業を進めていかなけれぱならない。疑いもなく画期的な意義を有する2001年の「ダーバン宣言」は、奴隷制と植民地主義を非難し、再発防止をうたいはしたが、被害補償までは打ち出しえなかった。「日韓市民共同宣言」は「ダーバン宣言」を東アジアにおいて具体化し、それをさらに先に進めていくことを追求する。「ダーバン宣言」10周年の2011年に向けては、「東アジア歴史・人権・平和宣言」を策定していく。また、日韓市民は、朝鮮半島における脱冷戦、脱植民地主義の実現として南北分断の克服、統一をめざしていく。そのため日朝国交正常化、休戦協定の平和協定の転換を実現し、朝鮮半島の非核化を達成していく。そして、その上に東北アジア非核地帯の実現、非戦・平和共同体の構築を目指す。そのため日韓市民は連帯して行動を進め、平和な未来をともに切りひらいていくことを宣言し、以下に、私たちの要求と行動計画を明らかにする。

私たちの要求と行動計画

1.日本政府に対する要求

私たち日韓市民は、100年前に始まった植民地支配によって引き起こされ、いまなお清算されていない次の問題を日本政府が責任をもって速やかに解決するよう要求する。

  1. 1894年以降、日清戦争と日露戦争、そして義兵戦争、1910年韓国併合前後における日本帝国主義の侵略戦争の一環として東アジア各国の民衆に加えたジェノサイドに対する真相と被害事実の究明に取り組むこと
  2. 3.1独立運動参加者の死傷者について、日本政府は所蔵している関連資料に基づき調査をおこない、その調査結果を公表すること
  3. 日本政府は、1923年9月の関東大震災時の朝鮮人虐殺事件直後から虐殺された朝鮮人の死体を隠して朝鮮人に引き渡さず、かつ朝鮮人暴動を捏造することによって、朝鮮人虐殺の国家責任の隠蔽に努めた。日本政府はこの二重の罪責を深く反省して、朝鮮人虐殺の真相を政府の費任で明らかにし、償うこと
  4. 多くの朝鮮人は植民地期と敗戦後に政治的自由を奪われ、さまざまな被害を被った。日本の植民地下および敗戦後に、治安警察法、治安維持法や軍刑法、騒乱罪など治安弾圧法で連行、拘束、拘禁、虐待、拷問、獄中疑問死、処刑された全ての朝鮮人被害者、その遺族に対する真相究明、謝罪、補償をおこなうこと
  5. 「満州事変」以降、日本は次々と侵略戦争を拡大していったが、その過程で朝鮮人を労働者や軍人・軍属として強制動員し、死に至らしめた。戦時下でおこなわれた強制連行・強制労働、兵力動員の真相を明らかにし、犠牲者及び遺族への謝罪と賠償をおこなうこと
  6. 侵略戦争をおこなう中で、日本は多くの朝鮮人女性を「性奴隷」として戦地に連れて行き、人間としての尊厳を踏みにじる犯罪をおこなった。日本政府が設立した「女性のためのアジア平和国民基金」は日本軍「慰安婦」間題の解決ではない。旧日本軍・日本政府により国家ぐるみで組織的・継続的に性的強制を受けた元日本軍「慰安婦」被害者への謝罪と賠償をおこなうこと
  7. 広島と長崎に投下された原爆によって多くの朝鮮人も被爆したが、日本政府はその被爆者たちへの対処を怠ってきた。在韓国・朝鮮被爆者を調査し、全ての被爆者に直ちに被爆者手帳を交付し・医療費、健康管理手当等の支給をおこなうこと
  8. 東京大空襲を含む全ての空襲について実態調査を実施し、被害状況を明らかにするとともに、国籍差別なく全ての空襲被害者に補償をおこなうため「空襲犠牲者援護法(仮)」を制定すること
  9. 戦時中サハリンに送られた多くの朝鮮人は過酷な労働を強いられ、敗戦後には現地に置き去りされた。サハリン残留の真相を明らかにし、韓国・朝鮮人被害者への謝罪と補償をおこなうこと
  10. 敗戦後多くの朝鮮人捕虜がシベリアに送られ、強制労働に従事させられた。シベリア抑留韓国・朝鮮人に対して日本人抑留者に対するのと同様の謝罪と補償をおこなうこと
  11. 戦時中軍属・捕虜監視員として駆り出された朝鮮人の一部は「捕虜虐待」などで戦犯にされ、死刑をはじめ重刑を受けて処刑され、あるいは服役した。韓国・朝鮮人の「特定連合国裁判拘禁者(BC級戦犯)」及びその遺族に対して特別給付金の支給をおこなうこと
  12. 日本は軍人・軍属として駆り出し、死亡させた朝鮮人を、家族の同意なく無断で靖国神社に合祀した。韓国・朝鮮人軍人・軍属の靖国神社への強制合祀を取消し、謝罪・賠償をおこなうこと
  13. 侵略戦争に動員されて死亡した多くの朝鮮人の遺骨が遺族に返されず、いまだにその実態すら明らかにされていない。徴兵・徴用等で戦地、労働現場等に送り、死亡させた韓国・朝鮮人の遺骨を政府の責任で遺族に返還すること
  14. 日本は植民地時代に略奪し、日本国内に持ち込んだ文化財の返還をおこなうこと
  15. 在日朝鮮人の歴史的な経緯と生活実態に即して、国籍差別をやめ権利を保障すること。とりわけ朝鮮学校生徒への高校無償化適用除外を即刻是正すること。また、在日朝鮮人を含む全てのマイノリティに対する一切の差別と排外政策を撤廃すること
  16. 日本は「日朝ピョンヤン宣言」以来いわゆる「拉致」問題を口実に朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化交渉を停止している。植民地支配の完全な清算を前提に日朝国交正常化をおこなうこと
  17. 国旗・国歌法を口実に日の丸・君が代を強制することは、思想・良心の自由を侵害する行為で憲法違反である。学校において日の丸・君が代の強制を拒否する教師・学生への一切の迫害を取り止めること
  18. 竹島、独島は日露戦争に便乗して日本に強制編入させられており、明らかに植民地支配の一環として起こった歴史問題である。独島について「領土問題」として各教科書に記述させるような措置を中止すること
  19. 日本は検定を通じて侵略戦争の正当化と植民地支配の美化を企てる歴史教科書の記述を事実上容認している。江華島事件(1875年)以来の日本と韓国・朝鮮の歴史を正確に記述した歴史教科書を編集・発行し、日本軍「慰安婦」に関する記述を復活させるなどの正しい歴史教育をおこなうこと
  20. 侵略戦争と植民地支配に関する歴史は、歪曲や忘却の対象ではなく、友好と共存に基づく東アジアの未来を開く土台として受けとめられるべきである。歴史事実を直視する教育実践をおこなう教員への迫害をいっさい取りやめること。また日本は韓国・中国と協力して歴史和解を盛り込んだ「共通の歴史教科書」作成を目指して努力すること

以上、私たちは植民地支配と侵略戦争による各種被害の真相を究明して被害救済のための謝罪・補償などの迅速な措置が実現するように日本政府が法を制定することを要求する。また韓国政府も強制動員被害の真相究明と救済措置のためのこれまでの活動を中断せず、その任務を果たすように関連法を改正することを要求する。

2.行動計画

私たち日韓市民は未清算のままの諸課題を解決していくために以下の行動をともに進めていく。

  1. まず、「日韓市民共同宣言」に対する支持と共感を多くの市民の中で広げ、「宣言」に対する賛同者を獲得していく。
  2. 日韓の間で姉妹・友好都市関係を結んでいる自治体を中心に、日韓・日朝の友好と平和な未来を切りひらいていくために過去の清算にとりくむことを政府に促す議会意見書採択運動を進めていく。
  3. 国会議員の中に「日韓市民共同宣言」に対する理解と支持を広げ、被害者への謝罪と賠償を実行するための法律を制定するよう求めていく。
  4. 植民地支配の事実、加害・被害の実相を記録として残すために「植民地支配真相究明法」の実現を図る一方、民間次元でも共同の調査報告書を作るために努力する。
  5. 政府の中に、過去清算のための諸課題(関東大震災時朝鮮人虐殺、サハリン残留者、文化財返還、歴史教科書編纂、等)に取り組むための組織の設置を求めていく。
  6. 植民地主義の清算と東アジアの平和のために活動する日韓両地域の市民団体と市民たちは、これまでの運動の成果を土台に国際連帯活動をいっそう強化していく。

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図書紹介“九条おじさん”がゆく

富山洋子(日本消費者連盟)

2010年2月18日、9条おじさん、箕輪喜作さんが取り組んでおられる「憲法9条を守る署名」が3万筆に達した。

箕輪さんは、1929年新潟県生まれ、1995年より東京都小金井市に移り住んだ箕輪さんは、「9条の会・こがねい」の会員である。2005年11月に同会が立ち上がり、署名活動が提案さた時、ともかくやってみようと、当初は、一戸一戸町内全部を回ったという。ところが、ミニバスの運行を求める署名は350筆が集まった地域ではあったが、1ヶ月回ってみた結果は、110筆しか集まらなかった。その上に暑さも増してきた。高齢で諸病抱えている箕輪さんには、過酷な季節の到来ではあったが、あきらめないで「淡々とした自然体」で、新たな場を「発見」し、豊かな出逢いを培ってこられた。

2005年暮れから始めた署名集めは、現在も、1日一回、土・日以外は、自動車運転免許所前のバス停で、土・日には公園で署名を集め、本年6月8日現在は、3万4130筆に及んでいる。

本年8月に上梓された『”九条おじさん”がゆく-署名は愛だ』には、15年戦争に翻弄され、いのちを奪われ、暮らしを破壊された人々の過酷な日常や子どもたちが軍国少年・軍国少女として教育された苦い体験をバネとして、署名活動を続けておられる箕輪さんご自身の生き方の軌跡が刻み込まれている。

箕輪さんは、国民学校高等科の卒業式で代表として「私たち卒業生は神稜松苧の裾の若桜として夢は敵艦にや、敵塁にや、また産業戦士として工場に命を捧ぐる覚悟であります」と、答辞を読んだ。この1945年3月24日の卒業式が、今も昨日のように甦ってくるという。先生や来賓を前で卒業生を代表して、全員死ぬことを誓ったのだ。

この卒業式の半月前の3月10日、東京大空襲が下町一帯を襲い、一晩で10万人もの人々のいのちが奪われた。そして、その後1週間位は、冬場には松代から十日町に至る唯一の街道に面している学校前は、東京から逃げてくる焼け出され、煤くれた防空頭巾を被った人々の列が絶え間なく続いていた。修学旅行や謝恩会もなく、思い出と言えば木刀や長刀などで人を殺す訓練ばかりだった。卒業生は、少年兵や軍需工場や農兵隊にそれぞれ出ていき、箕輪さんは、野戦郵便局員になるため逓信講習所にいくことになっていたが、豪雪のため郵便が遅れ、面接日にいくことができず、第二期の8月まで待っていて命拾いした。その後、長岡の大空襲、広島、長崎には原爆が投下され、8月15日、日本は敗戦を迎えた。箕輪さんより2歳年上、同じ学校の始めての少年兵はレイテ沖海戦で戦死した。

箕輪さんは、敗戦の翌年、新潟の豪雪地帯にある小学校の用務員となり、戦後教育の情熱に燃えた青年教師たちと出会い、生活綴方運動を目の当たりにした。教師たちは、「よく見る、考える、そして行う」という教育に情熱を注いだ。箕輪さんは、その教え子たちと共に、出稼ぎに頼らざるを得ない貧しく保守的な村での農村労働組合の結成等に関わった。箕輪さんの九条署名は、小学校の用務員をされていた時の出会いや実践が大きな力になっているのだ。 

箕輪さんは、小森陽一さんとの対談で、「うすらうまく」生きるのが信条だと話されている。「持つべきものは大事にして、失わないようにする、自分がつぶれてしまわないように一歩一歩進む」という意味のこの言葉を、私たちは、一人ひとり、身の丈にあった取り組みの実践者として噛みしめたいと思う。皆様方の熟読玩味を期待しています。

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