安倍首相は通常国会が召集された22日、自民党両院議員総会で、「わが党は結党以来、憲法改正を党是として掲げ、長い間議論を重ねてきた」「私たちは政治家だから、それを実現していく大きな責任がある。いよいよ実現する時を迎えている。責任を果たしていこう」と強調した。これに先立つ1月1日付の年頭所感では「本年は『実行の一年』。昨年の総選挙でお約束した政策を一つひとつ実行に移していく」と表明し、また1日放送のラジオ番組で、改憲について、「(昨年10月の衆院選で)大勝したからには当然、党で議論を進めてもらえるものと期待している」とのべた。
そして4日の伊勢神宮参拝後の記者会見では「今年こそ新しい時代への希望を生み出すような憲法のあるべき姿を国民にしっかりと提示し、憲法改正に向けた議論を一層深める。……今後も国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の基本理念は変わらないが、時代の変化に応じ、国の形、ありかたを考える。議論するのは当然だ。各党が具体的な案を持ち寄り、衆参両院の憲法審査会で活発な議論が行われる中で、国民的な理解が深まる」と述べ、改憲への決意を示した。この発言の冒頭では自衛隊に触れ、「北朝鮮の脅威に備える自衛隊の諸君の強い使命感、責任感に敬意を表したい。従来の延長線上ではなく、国民を守るために真に必要な防衛力の強化に取り組む」と、9条への自衛隊明記の安倍9条改憲論を正当化した。つづいて、5日の党本部仕事始めの挨拶では「(1955年の保守合同による自民党結党の意義について触れ)占領時代に作られた憲法をはじめ、さまざまな仕組みを変えていくということだ」「時代に対応した国の姿、理想の形をしっかり考え、議論するのは私たちの歴史的使命だ」と発言した。
こうして安倍首相は、新年早々から2018年を彼が待望する改憲を実現する歴史的な年とするための固い決意を表明した。1月12日、自民党の二階俊博幹事長はテレビの番組で、両院の憲法審査会での議論を念頭に「(発議は)1年もあればいいのではないか」と極めて短い期間に発議に持ち込む決意を述べた。
この1月22日から始まった第196通常国会は、いよいよ安倍首相がいう「9条改憲」を許すかどうかの決戦の年になった。開会日の22日正午には、雪の降る中、総がかり実の呼びかけで600名の市民が国会前に結集し、改憲発議阻止の闘いへの決意を固めあった。
自民党はその改憲案を昨年中にまとめ提示する予定だったが、石破元幹事長らの抵抗にあって、当面、両論併記にして形を繕った。これが3月の党大会で決着が付くかどうか、いまなお不明のところがある。ただ、この両論併記というまとめは、安倍首相の改憲案が、自民党の改憲草案にこだわる石破氏らの案と比べ、リベラルに見える可能性があり、この危険性を軽視できない。公明党も石破案に比べ乗りやすい対立構図になっている。
首相周辺は「(安倍首相は)18年中に発議しなければ間に合わない」との危機感を持っているという。「発議は18年の通常国会終盤か、秋の臨時国会、国民投票は18年末か、19年春までを想定している」といわれる。
2019年は天皇退位や代替わり(4月30日~5月1日)、3月下旬の統一地方選挙、7月の参議院議員選挙など重要日程が目白押しのため、安倍首相が唱えるオリンピックイヤーの2020年改定憲法施行のためには、この日程以外にないということだ。
第196通常国会は3月までは予算審議が優先される。その最中にも両院の憲法審査会は始動されるだろうが、自民党の改憲原案がまとまっていない状況から、昨年、想定されていた通常国会冒頭からの憲法審査会での自民党案の議論にはならない。自民党は3月25日に予定されている自民党大会での2018年運動方針と合わせて党改憲案を決定することにならざるを得ない。ここから事実上、本格的な自民党改憲案を軸にした国会論戦が始まることになる。連休を挟んで、6月20日の国会会期末まで実質2か月余りの憲法審査会の議論を打ち切って、自民党案の国会提出、強行採決による発議というシナリオはあまりにも強引すぎる。ここで強引に強行すれば、世論の批判は強まり、発議しても国民投票での勝算の見通しはつきにくい。そこで2015年の戦争法制(安保法制)の国会のように通常国会を大幅延長することになる。しかし、3期まで続投が認められた自民党総裁選は2018年9月8日までに行われなくてはならない。延長国会が大揺れする中での総裁選は常識で考えてありえない。延長国会で改憲原案の強行採決が難しいとなれば、いったん8月中にも国会を閉じて、臨時国会につなぐ必要がある。
しかし、憲法審査会の議論をかくも急いだ例は過去にはない。2000年に憲法調査会が発足して以来、憲法調査会→憲法調査特別委員会→憲法審査会の全議論を通じて、要所要所では多数会派が審議を強行したとはいえ、運営は比較的丁寧であり審議のテンポはゆっくりだった。一昨年は衆議院憲法審査会の議論がおこなわれたのは実質2回、昨年は実質8回、参議院では一昨年は実質2回、昨年は1回にすぎない。
これこそ、国会の改憲論議があまり必要とされていないことの証明だ。急ぐ必要性に欠けるのだ。ただし、昨年の終盤の衆参の憲法審査会での委員の出席率の高さは異常なほどで、国会の憲法審査会の議論をほとんど傍聴してきた筆者からみれば全く異様で、噴飯ものだ。過去には委員の出席が過半数に満たないこともしばしばで、委員会が開催できず、与党の幹事が駆けずり回って委員を召集することなど、しばしばあった。議論に臨む委員たちのお行儀もお世辞にもいいとはいえない。見かねた会長が注意を表明するほど、まともな審議があまりなかったということだ。ところが、このところ自民党が改憲原案を本格的に出すという話になるや否や、ほとんどの委員が出席している。通常国会でも同様のことが予想されるだけでなく、改憲派政党は憲法審査会の開催日数を大幅にふやすなどして、審議を急いでくるだろう。自民党改憲推進本部の主要なポストに自らの意のままに動くメンバーを配置した安倍首相は強引な運営をすすめてくるに違いない。しかし、こうした憲法審査会の強引な運営は、公明党や、船田元・自民党幹事など従来からの憲法族には躊躇がある。この不満は不安定要素の一つである。
国会法によると、衆参の憲法審査会では国会会期をまたいで改憲原案審議を継続できるルールがあり、時間が不足したまま国会が閉じられても、他の法案のように「廃案」とはならず、次期国会に「継続」される特別のルールがある(国会法102条の9)し、国会閉会中でも憲法審査会や地方公聴会を開催することもできる。今年の通常国会の議論は会期が終わっても、閉会中も含めて臨時国会に持ち越される。
こうして、秋に召集される(9月か、10月)であろう臨時国会で改憲発議に持ち込むことが可能になる。そうすれば、現行改憲手続法で改憲の国民投票運動期間が60日~180日以内と定められているので、最速で12月、遅くとも19年春までには国民投票に持ち込むことができる。
しかし、国の最高法規である憲法の改定発議を臨時国会でやる(官邸周辺からは臨時国会での発議という声が聞こえてくる)というのは何とも無様であるという躊躇が多方面から出てこざるをえない。国民投票の告知・運動期間を最低限の60日で強行するというのもあまりにも熟議期間が短すぎるという反発が、轟々と起こるに違いない。そこで2019年通常国会での発議と3月までの国民投票設定ということになる可能性もある。
これが最もありそうなタイムスケジュールだが、2019年7月には参院選がある。この国政選挙で立憲野党+市民連合が共同してたたかえば、改憲派は現有の3分の2を失う可能性がある。安倍首相らにとって、発議を参院選後に伸ばす選択肢はあり得ない。
また、この過程で、自民党にとっては公明党の反発を招かないような国会運営をすることが大前提だ。万が一にも、公明党との妥協案の調整に失敗して、同党を反対に回すような危険は絶対に回避しなくてはならない。維新や希望など、他の改憲政党の賛成を得たとしても、公明党の賛成なくして参議院での3分の2は成立しないからだ。
こうしてみると、自民党の改憲原案採択には、党内の合意、公明党の合意が不可欠であると同時に、日程上、極めてタイトなものがあることが明白だ。安倍9条改憲の道には幾多の超えるには容易ではない障害がある。
そして、この障害をさらに大きくする決定的要素は、改憲に反対し、戦争に反対する世論の動向だ。この要素は各政党の動向や、国会審議の動向に決定的な影響を与えるものだ。
12月の日本世論調査会の調査で、「9条改憲必要ない」が53%、安倍改憲反対が53.1%、国会の改憲論議を急ぐ必要ないが67.2%だった。共同通信社が1月13、14両日に実施した全国電話世論調査によると、安倍晋三首相の下での憲法改正に反対は54・8%で、2017年12月の前回調査から6・2ポイント増加した。賛成は33%だ。読売新聞社が18年1月12~14日に実施した全国世論調査で、自民党が憲法に自衛隊の存在を明記することに関し、戦力不保持を定めた9条2項を維持する案と、削除する案を検討していることについて、「9条2項は削除し、自衛隊の目的や性格を明確にする」は34%、安倍首相のいう「9条2項を維持し、自衛隊の根拠規定を追加する」は32%、「自衛隊の存在を明記する必要はない」は22%で、前述の日本世論調査会、共同通信社の結果との違いがある。いずれにしても、安倍首相の改憲の企ては世論の大きな支持はない。
冒頭述べたことに戻るが、安倍改憲を成功させるには2018年中の発議しかありえないのだ。これが失敗すると、戦争と結び付けた9条改憲はしばらくあり得ないことになる。
以上、自民党などが模索する改憲日程を概観してきたが、これが失敗すれば、安倍9条改憲は破綻するということだ。
私たちは全力を挙げて、3000万署名を推進し、これを軸にした運動で世論を変え、安倍改憲を阻止するために闘わなくてはならない。この闘いに際して、私たちに必要な立場と観点は、第1に、改憲が全国の市民に求められていないこと、改憲論議の必要性は、改憲派が意図的に作り出してきたにすぎないことを徹底して明らかにすることだ。4日の記者会見で立憲民主党の枝野代表は「国民の多くが望んでいる改正であれば積極的に対応していきたいが、現時点では安倍さんの趣味ではないかと思う」と述べ、反対の立場を鮮明にしているのは妥当だ。
第2に、いま国会の憲法論議に必要なことは現行憲法が日本社会でどれだけ実現しているかの検証であり、このことによって、憲法と現実の乖離を埋めるために奮闘することだ。これこそ立憲主義に基づく立場であり、憲法を守り、実現する努力をしない国会議員たちに改憲を唱える資格はない。現実と憲法の理想の乖離や、為政者による解釈改憲の横行を指摘することで、憲法を現実に合わせようとする新9条論や「護憲的改憲論」も、理想に対する敗北主義であり、誠実に立憲主義に立つ立場ではありえない。自民党などの改憲派が提起している改憲論は現行憲法の神髄の破壊であり、歴史の反動にほかならない。安倍首相は「各党が具体的な案を持ち寄り、審議すべきだ」などというが、現行憲法は、いくつもの未完成の部分をはらんでいるとはいえ、この安倍改憲論への現実的な最良の「対案」である。
そして第3に、自民党などが依拠しようとしている現行改憲手続法は、安倍政権の下で彼らの多数に依拠して強行採決された、多くの点で民意を正当に反映しない悪法であり、抜本的な再検討なしに国民投票を実施してはならない。また安倍晋三ら改憲派が多数をしめる現国会で、まっとうな市民案国民投票法の採択など、あり得ないことは明白だ。いま必要な闘いは、この改憲手続法の問題点を徹底して全国の市民の前に明らかにすることだ。だからこそ、安倍政権など立憲主義に反する改憲派政権の打倒の課題と結び付けない「市民案の国民投票法」制定運動は誤りだ。
第4に、したがって、いま安倍政権が進めようとしている9条を壊して海外で戦争する国を実現しようとする改憲策動に対しては、改憲発議阻止を対置してたたかうことこそベストである。
(事務局 高田健)
山口たか(戦争させない市民の風・北海道 共同代表/市民自治を創る会代表)
新しい年を迎え、皆さまのご健勝、ご活躍をお祈りいたします。
新たな決意を固める一方で、おめでたいという感慨はあまりありません。
この1年を振り返ると、森友問題、加計問題もふくめ「忖度」という言葉が流行語大賞にノミネートされたことに象徴されるように、政治の私物化、自分の願望を実現するための安倍政権の本質が一層明らかになった1年でした。そして、辺野古新基地建設強行、あいつぐ米軍ヘリの墜落や不時着など沖縄の抱える問題も一顧だにしない政治が一層進行しています。トランプ大統領との「友情」を強め、「北朝鮮」の危機をあおり、日米同盟の強化をはかる――アメリカの属国にしか思えない政権運営。秋の大義なき解散・総選挙では、直前の民進党の「解体」と、希望の党の結党は、安倍一強をさらに補完することになり、新年はそのような危機のなかで幕を開けたといえるでしょう。
総選挙では、私の居住するのは北海道3区。思い返せば、9月28日、それまで野党共闘をはたらきかけてきた「戦争させない市民の風・北海道」と「野党共闘を求める3区市民の会」(豊平区、清田区、白石区)は、民進党荒井さとし衆議院議員に、緊急に召集され、荒井事務所に集りました。荒井議員の口から出た言葉は、民進党全員で、希望の党へ入党するという報告でした。私たちは、その場で、希望の党は我々の政策と一致しない、希望へ入党するなら支援しない、野党統一候補の対象とは考えないこと、また、立憲主義の北海道ローカルパーティをつくることも視野にいれる旨も伝えました。それ以後の動きは、ひろく知られているとおりですが、枝野新党が立ち上がり、荒井氏も立憲から立候補する決断をして、10月3日私たちは、再度荒井氏と面談し、政策協定を締結しました。この1週間は全国各地で、野党共闘をめざし必死で闘っていた大勢の仲間たちが、野党共闘の継続を求める働きかけや、新党の準備に奔走した、まさに、怒涛の1週間だったと思われます。
3区では結果として、共産党の川部候補予定者が、立候補を取り下げ、荒井氏が立憲野党統一候補になりました。これまでの7回の選挙は、共産党や大地、維新なども立候補して、荒井氏と自民候補の大接戦でしたが、今回はじめて、与党対野党、一騎打ちになりました。共産党と共闘という選挙は荒井氏にとって、ドキドキの選挙戦でした。しかし、「嵐を呼ぶ少女」菱山南帆子さんにも、選挙カーに乗っていただいたり、前シールズの若者、ユニキタの金髪の女性・・・と若者があいついで、弁士にはいり、これまでにない応援体制でした。民進党では応援弁士は、国会議員や地元自治体議員、あるいは著名人が乗るのが当然で、市民が弁士なんて、ありえなかった。そのカラを少しずつ破った選挙でした。次第に、野党統一候補であることの意義や、改憲阻止、共産党や「市民の風」「三区の会」に感謝、こんな選挙ははじめて、と荒井氏をして言わせるまでになりました。
結果は、野党共闘の圧勝。自民党候補の比例当選も阻止しました。民進、共産党の支持者は9割が荒井氏に投票した他、自民支持者の19%公明の18%も荒井氏でした。北海道立憲民主党の候補8名はすべて当選しました。共産党と組むと保守票が逃げるという固定観念は打ち破られたことは今後の野党共闘へつながる大きい意味があると思います。与党支持者のなかにも、安倍政権にNO!と考える層がいるのです。
この正月に母が急に体調をくずし入院をよぎなくされました。母の部屋を整理していたら、1枚の新聞切り抜きがみつかりました。北海道新聞の「政治の基礎講座-国民主権」という記事で、憲法の3つの基本原理や、敗戦までは、国民は天皇の「臣民」だったこと、一人一人が政治に関心をよせて投票しなければ国民主権はなりたたない、で終わる内容です。私の父は学徒出陣第一期生で海軍に入隊しました 。平和が何より大切だと幼い私に繰り返し語ってくれた父はすでにいませんが戦争中に青春を過ごした母がなぜこれを切り抜いていたか、総選挙に車いすでも投票 に行ったか。塗炭のくるしみを経て手にいれた平和や憲法が危ういことを痛感しているのです。
北海道では年が明け、12選挙区のうち、何か所かですでに地域ごとに初詣や成人式の若い人々めがけて、改憲阻止の街頭宣伝やシールアンケート、集会、などの取り組みをはじめました。決戦は今年です。選挙を経験しつくられた野党同士、市民と政党の繋がりを生かし3000万署名をはじめ、様々な働きかけを通して、改憲発議をさせない世論を形成する、しぶとくて、なかなか、引き抜かれないーそんな太い草の根になり改憲を止めよう・・・。戦争世代がどんどんいなくなっていくなか母の新聞切り抜きを眺めながら、年頭にあたり考えています。
平 和子(南スーダン派遣差し止め訴訟原告)
一昨年の春先「大切に育てた息子が戦地に行かされるかも知れない…」そこから始まり、悲願だった南スーダンから青森の部隊が撤収したのが去年の5月…しかし半年以上が過ぎた今も、問題は何一つ解明されていないどころか私たちは安倍内閣と軍事産業の作る深みにどんどん引き込まれているように感じます。
私たちの「行くな」の声を無視し、「安全です、丁寧に説明します」の一点張りだった安倍内閣は北朝鮮ミサイルのどさくさに紛れて衆院解散、大勝の果てに、南スーダンでの戦闘の事実をその他諸々の疑惑同様「無かったこと」にしたいようです。
宿営地に隣接するビルが爆撃で破壊され納得出来ないまま遺書を書いて「覚悟」させられた隊員たちの気持ちはどうなるのでしょう。
今、差し止め訴訟弁護団は一番戦闘が激しかった第10次隊の診療記録の情報開示を請求し、医師の詳細な分析をしているところです。(先日、国側から回答がきましたが、一番肝心な期間の記録は「不開示情報を含んでいる」として、一方的に特例法を持ち出しまたも開示を拒んでいますが、こちらも徹底究明の構えです)訴訟弁護団の佐藤博文弁護団長は「つくづくこの裁判を起こして良かった、起こしていなかったらこれらの事実が全部闇に葬られていましたよ」と。全容解明にはまだまだ時間を要すると思います。
「便りの無いのが元気な証拠」とあれから孫たちとも会っていません。とても静かなお正月でした。それでも私は私で自分の「正しい」と思える道を突き進むだけです。
地元で無党派層の皆様に呼びかける街宣にも参加しています。冬なので道行く人もまばらですが、自分の言葉で分かりやすくを心がけてマイクを握っています。政治に興味の無い方々にも子供にも分かる言葉で、同じ目線で共感を得られる内容を工夫しています。
私の住む千歳の街……先日の衆院選以後は、それこそ「堰を切ったように」真新しい軍用車両や戦車が住宅街の真ん中を堂々と往来し、頭上には戦闘機、遥か地上からはお腹の底に響く砲弾音が大地を揺るがせています。私は皆さんに呼びかけます「皆さん、このドスン、ドスンと響く音は皆さんの納めた税金が一発数万円の空砲となって消えている音です。北朝鮮のミサイルが心配だから、この明日にも戦争が始まりそうな音も平気ですか?私はこんな物騒な心配をしなくて済むように国どうしできちんと話し合ってもらいたいですが皆さんはどう思いますか?」と。
次の期日は3月です。法廷で対峙する被告・国の代理人の方々も、裁判官の方々も皆息子と同じような若者たちです。法廷には個人の意志や感情は必要無いのかも知れません。でも、争われている内容は今を生きる私たちの平穏な生活のみならず、若い彼らが将来持つであろう子や孫たちを取り巻く環境も包含しているのです。
無表情な彼らの出す判決は彼ら自身も実感していない未来にいかばかりの影響を及ぼすのでしょうか…。もし私に発言する機会が許されるなら彼らに言いたい。
「あなたがたはお仕事の一環でこの場におられます。私たちの訴えを却下する国の意向を伝えるためです。でも、この裁判で出される判決は訴えを起こした私たちのみならず、あなたがたの大切なご家族、友人知人、そしてまだ見ぬ子供や孫たちにも、計り知れない影響を与えるのだと思います。無理を承知で言います。あなた方の大切なご家族のお顔を思い出して下さい。そして、後世の方々に『あの時の判決で今の暮らしが守られたんだよね』と言ってもらえるような結果を、心をひとつにして出してみませんか?」と。
富山洋子(NPO法人 日本消費者連盟)
2018年が明けた。新聞報道(2018年1月5日付け朝日新聞・朝刊)によれば、1月4日、伊勢神宮参拝後の記者会見に臨んだ安倍晋三首相は、「今年こそ新しい時代への希望を生み出すような憲法のあるべき姿を国民にしっかりと提示する」と表明、「改正」の年内発議へ向けた強い意欲を示したという。もとより安倍首相が掲げる改正は、恒久平和を希求する私たち一人ひとりにとっては「改悪」にほかならない。
私たち一人ひとりは、主権者である。私たち主権者は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」た。だが、今や、日本は安倍政権のもと、戦争への道をひた走っている。
私たちの平和憲法は、連合国司令部(GHQ)によって起草作業が進められたので、押しつけられたとの批判もある。だが、当時のGHQと日本政府の関係性においては、押しつけられたものであったにせよ、人々の意志に反して押しつけられたものではなかった。以下の3人の元首相の発言は、その事実を立証している。ここで、それらの発言の抜粋を紹介しよう。
〇1946年8月、衆議院の憲法改正委員会の委員長を務めた芦田均が述べた言葉改正憲法の特色は、大胆率直に戦争の放棄を宣言したことであります。これこそ数千万人の人命を犠牲とした大戦争を体験して万人等しく翹望(ぎょうぼう)するところであり世界平和への大道であります。我々はこの理想の旗を掲げて全世界へ呼びかけんとするものであります。(中略)しかしながら,憲法がいかに完全な内容と雄渾の文字を以て書きつづられたとしても、所詮それは文字たるに過ぎませぬ。我々国民が、憲法の目指す方向を理解して体得するにあらずんば、日本の再生は成しとげることはできないと思います。(拍手)
〇同じく、衆議院における審議の過程で、当時の吉田茂首相が、以下、2二人の議員の質疑に対して述べた言葉
・原議員に対する回答=戦争放棄に関する本条の規定は、直接には自衛権を放棄してはおりませぬが、第九条二項目において一切の軍備と国の抗戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争もまた交戦権を放棄したのであります。従来近年の戦争は、多くの自衛権の名において戦われたのであります。(中略)故に我が国に於いては。如何なる名義を以てしても交戦権はまず進んで放棄する(注略)決意をまず此の憲法において表明したいと思うのであります。
・野坂議員に対する回答=国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくの如きことを認ることは有害であると思うのであります。(拍手)近年の戦争の多くが国家防衛権の名において行われたことは顕著な事実であります。
〇憲法第九条の発案者といわれる幣原喜重郎が、その著書『外交五十年』の中で、自らが非武装平和の決意を固めた言葉
軍備を持つことは、財政を破綻させ、従ってわれわれは飯が食えなくなるのであるから、むしろ手に一兵を持たない方がかえって 安心だということになる。
これら3人の首相経験者の発言を、ご著書(『平和憲法と共生60年~憲法九条の総合的研究に向けて』2006年3月・初版第1刷発行・慈学社出版)で紹介された小林直樹東大名誉教授は、同著で次のように述べている。
憲法九条の文言は、「政府の行為によって再び戦禍が起こることのないやうにすることを決意し、」恒久平和を念願した日本国民の理想を具体的化して、一切の戦争及び軍備の放棄を宣言したものである。(中略)もちろん、この平和主義の崇高な理想は、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全を保持しようという国連憲章の線に沿う安全法方式に不可分に結びついているから、全く無前提で手放しの無防備宣言ではない。だからこそ後に、「平和を愛好する諸国民の公正と信義」に期待できないという理由で、「自衛のための軍備」のロジックが持ちだされてくる余地がないわけではない。しかし(中略)、「自衛」の名目による軍備をあえて排除し、大胆率直に戦争の放棄を宣言したのは、武力や戦争の無意味さを痛切に体験した日本人が、世界に先がけて「徒手空拳」の固い精神から出ていると解さねばなるまい。
さて、1946年11月3日、新たな憲法が公布された時、私は満12歳。この平和憲法の公布は、とても嬉しかった。私のみならず、子どもたちにとっては、国家の命令によって殺し殺される戦争は否だったに違いない。
自民党の二階俊博幹事長は、1月12日、BSフジの番組で、憲法改悪を企む安倍首相の発言を巡る質問に応えて、年内の発議を明言したという。
私たちは主権者として、憲法改悪を阻止する闘いを一層盛り上げ、戦後一貫して、平和憲法の枠外におかれている沖縄の人々の闘いに連なるものとして展開していこう。更には、世界の人々と共に、戦争のない社会への道筋を切り拓いていきたい。
小川 良則(市民連絡会事務局)
昨年4月25日発行の本誌192号で、中央公論2017年5月号に掲載された細野豪志・民進党代表代行(執筆当時・現在は希望の党憲法調査会長)の改憲私案を取り上げた。その中で、「改憲案を提示することが提案型政党となる最後のチャンス」という立論の前提に対して、概略、以下のように批判した。(1)根本的に誤っている違憲の立法は廃止するしかなく、対案の出しようがない。(2)民衆の視点に立った政策を対置していくことも立派な提案であり、相手と同じ土俵で若干の味付けの違いを競うのは屈服でしかない。
ここ数年の通常国会冒頭の政府4演説で、安倍総理は自らに重く課せられた憲法遵守義務(99条)を無視して、「改憲に向けた国民的議論を(2015)とか、「批判に明け暮れ対案を示さないのは無責任(2016)」とか「憲法審査会で具体的な議論を(2017)」など、改憲を前提に案を持ち寄ることを呼びかけている。しかし、今の憲法でどうしても対応しきれないという立法事実(総理の野望ではない)もないのに、とにかく改憲ありきで物事を組み立てるのは議論が逆立ちしていると言わざるを得ない。
こうしたこととの関連で黙過できないのは、安倍改憲に反対する側の中からも、政権の暴走に対する何らかのストッパーを憲法に盛り込もうという「立憲的改憲論」が出てきていることである。もちろん、立憲主義という国家の基礎の破壊とか、改憲の自己目的化といった現状認識には大いに同感する。しかし、その結論がなぜ改憲なのか。
そもそも、主権者と為政者との間で結んだ社会契約の履行を担保するものは主権者自身の声であって、「最高責任者の私がルールブックだ」とばかりに暴走する人たちは、どんなルールを加えても、その新ルールすら無視すると考えるべきであろう。それに、戦力の保有も交戦権の行使も認めないと断言している現憲法の規定以上に自衛権を含む統治機構の民主的コントロールに有効な規定の仕方があるだろうか?
9条3項追加論でいう「自衛隊」とは、土嚢積みや炊き出しではなく、武器を携えて海外にまで行く存在であることはもちろんだが、人類は既に9条1項と3項の併存とその失敗を経験している。すなわち、第一次大戦で荒廃したヨーロッパの惨状を前に各国は不戦の誓いを交わした。この1928年のケロッグ=ブリアン条約が言わば9条1項に相当するものであるが、各国はその批准にあたって「自衛は例外」という留保を付した。その結果、「満蒙の生命線」の確保も「自衛」のうちといった論法で例外がどんどん拡大し、人類は二度目の大戦を防ぐことができなかった。その反省から生まれたのが2項であるという歴史的背景を無視して9条を語ることは許されない。
確かに改憲議席は7~8割に達し、いつでも「発議カード」を切れる状態になったことは重い事実ではあるが、それをいつ切るか、切れる条件が備わるかの「瀬踏み」をしているのが今の状況であり、手持ちにされたカードを決して切らせない状況をどう作っていくかは、ひとえに3000万署名をはじめとした私たちの努力にかかっている。
多国間の対話による紛争の解決という近代国際法の端緒となったヴェストファーレン条約から370年、初めて戦争を違法なものと位置付けたケロッグ=ブリアン条約から90年にあたる今年2018年を改憲発議の年にさせないよう、力を合わせていきたい。
中尾こずえ(市民連絡会事務局)
先日、「標的の島 風(かじ)かたか」の上映会に出かけた。監督は「標的の村」「戦場(いくさば)ぬ止(とぅどぅ)み」の三上智恵さん。主催は「沖縄と東京北部結ぶ集い」実行委員会と総がかり行動北区実行委員会。映画は、2016年6月19日、沖縄県那覇市で、米軍属による女性暴行殺人事件の被害者を追悼する県民大会が映し出されて、集まった6万5千人を前に古謝美佐子さんが「童神」(わらびがみ)を歌うところから始まる。歌の中にこんな一節があった。
雨風ぬ吹ちん渡るくぬ浮世いしがきじま
風かたかなとてい産子花咲かさ
被害者の出身地の市長である稲嶺進さんは歌が終わった後、悔しさに声を詰まらせながら県民に語りかけた。「今回もまた、ひとつの命を救う風かたかになれなかった」。と言って泣いた。会場の女性たちも号泣した。(この上映会場からも涙をそっと拭う姿が)。
稲嶺さんは話を続け「『風かたか』とは、風よけ、防波堤のことだ。怒った県民は嘉手納基地や高江北部訓練場など各地のゲートを封鎖し、全基地撤去を訴えた」と。3月4日は島中で一斉に三線を奏でる「サンシンの日」。工事車両が入る早朝ゲート前で伝統文化を武器に非暴力の抵抗を決行。そこに埋め立て中止を含む裁判所の和解案に政府が応じたというニュースが飛び込んできた。(辺野古埋め立ての許可を取り消した翁長県知事を国が訴えた件)ゲート前抗議行動のリーダーの山城博治さんは顔をくしゃくしゃにして感涙にむせぶ。「くたばらんでよかったな~」。と涙が止まらない。
辺野古・高江だけでなく沖縄の島々を新たに基地化していく、南西諸島を軍事要塞化する計画書「エアシー・バトル構想」はゾッとする。
抵抗し、ごぼう抜きにあいながら、人びとは歌う、踊る。映し出される人と人との想いや祈り。沖縄の唄や踊りには、土地の記憶が刻まれているかのようだ。石垣島の真ん中にある沖縄県で最も高い山、於茂登岳の麓にも陸上自衛隊ミサイル部隊配備の計画がある。「備えあるところに弾は飛んでくる。こんな小さい島でどこに逃げるのか」と、石垣市と防衛省に配備反対の要請を出した於茂登地区自治会長の嶺井善さんは憤る。戦後、米軍基地に土地を奪われた沖縄本島の人々は南米や離島への移住を余儀なくされた。そうして、石垣に渡った嶺井さんの親世代は、石だらけだった於茂登を開墾し、島一番の農業地帯までになった。幼いころから農作業を手伝ってきた娘の千裕さん(17歳)は、父から多くのことを学んだという。
善さんは「若い人たちが生活の基盤を築けなければ地域の将来は成り立たない。」と、若者たちに農作業を熱心に指導している。於茂登では旧盆の日にエイサーを踊る。それは移民の歴史を象徴する於茂登の誇りだ。嶺井さん父娘も一緒に太鼓を叩き、エイサーを踊った。「いのちと暮らしを守るオバーの会」の山里節子さんは1937年、石垣島で生まれた。節子さんは、数ある島唄のなかでも『トゥバリャーマ』(無伴奏で即興詩を謳う歌)がとても好きだと言う。「聞くにつけ、歌うにつけ私は、自由と勇気と希望がみなぎる思いがします」と。「反戦トウバリャーマ」を披露してくれた。その歌声は島の小高い丘の向こうまでも響き渡るような、地の底を震わすような力強く美しいものでした。(私は聞きながら心が震える思いだった。)節子さんは言う。「私たちの島には、力や金や物など、そんなものありません。でも、先人たちが気が遠くなるような長い時代の島ちゃび(離島苦)の闘いの中から遺してくれた、謡や踊りがあります。そんな貴重な文化に心満たされ、エネルギーをもらって不条理の排除に挑み、島々の自然や伝統文化を織り交ぜた絆、私たちの『かたか』にしてどこまでも抗って行きます」。
沖縄の人々は、未来の子どもたちの防波堤になろうとする「標的の島 風かたか」は風よけになろうとする人間の尊厳のものがたりでした。
上映後、山城博治さんの近況報告会があり、大事な選挙が控えている事などの訴えがあった。最後はヒロジさんの元気な歌で閉会。
市民の共感する力こそ大事
北朝鮮には深刻な人権抑圧、人道的危機が存在する社会がある。拉致被害者の問題がある。安倍首相は対話を通じて外交交渉につなげていく努力せずにトランプ大統領を100%擁護する立場を取ってきた。「9条は大好き! 改憲NO!」と思っている市民と繋がりあって国会での発議を断念させるために今年は勝負の年を迎えた。昨夜、恒例の19日行動を開催。国会前に2000人が集まった。立憲野党の議員さん達の今年の抱負や決意、地域で3000万署名を取り組んでいる人たちからの報告、沖縄基地問題に取り組んでいる女性からの発言等々。しんしんと冷えた国会前であったが、空気は何としても“アベを倒したい“の熱気で満ち満ちた。最後に、総がかり行動実行委員会を代表して高田健さんが「改憲に反対する『決戦の年』だと今日は言わせてもらいたい。自民党原案を通させない。安倍内閣を打倒しよう」と閉会挨拶をして、当面の行動提起を行った。年頭、沢山の参加者が嬉しかった。
土井とみえ(市民連絡会事務局)
いよいよ正念場を迎えた2018年という年にいくつか思うことを記しておきたい。
「3000万署名は3000万人の人々との対話です」と、新潟の方たちが言っていると聞きました。そう、まさにその通りなんです。3000万署名はどれほど様々な、立場や年令の人びとと、ともに琴線に触れる会話をすることができるのか。一人ひとりの暮らしのなかで、”あっ、私の日頃のこのことが憲法とかかわっているのだ“という思いをどれだけ増やし、そうした声とつながっていけるのかということではないだろうか。主権在民、平和主義、人権尊重という憲法3原則も、突き詰めていけば人権尊重のためにある。人権が尊重されてこそ、この国に住む実に多様な人びとが人間らしくともに生きることが出来て、明日にも未来にも希望がもてる社会を形成することができる。そのためには社会の主人公でありつづけ、平和な環境を国の内外につくることであって、人権尊重を軸に憲法3原則は繋がり合っていく。そして私たちも、そのことで憲法に確信を更に深めていくことができるだろう。こうした努力が積み重ねられれば憲法を生かしていく大きな力と堅固なかたまりができて、簡単に崩されることはない。3000万署名の取り組みを通してこうした状況を作り上げていきたい。
昨年、おばさんたちで署名を呼びかける活動をしていて気づいたことがある。それは、中高年の仲間たちは、なにがしかの戦争の影響と、戦後民主主義的な社会の風や教育が、一人ひとりの中に息づいているということだ。父親の顔を知らず一人親故にさまざまな苦労をしたことであったり、親から聞いた外地からの引き上げの苦労話であったりする経験をもちながら、戦後民主主義のなかで努力して、それぞれに自立した人生を送った民主主義社会での経験が次々と街頭で語りかけられる。こうした個人の体験は、一人ひとりがの平和主義を裏打ちする貴重な語り部になれるということだ。こうした経験は署名活動で生かせる、というより今こそが語る時だといえるのではないか。
ところで、安倍晋三は2018年を逃すと9条改憲を強行するのが困難と思い定めて強引な改憲策動を強行しようとしている。安倍の改憲策動は、個人的な願望と歴史修正主義を首相の地位を利用して実現しようとしているのであり、森友・加計にスパコン問題とおなじように政治の私物化に他ならない。多くの市民が9条改憲を望んではいないことは各種の世論調査ではっきりと示されていて、これこそ立法事実がないといえるのである。安倍の9条改憲を主権者として絶対に許すことはできない。
しかし北朝鮮のミサイル問題を、安倍首相はここぞとばかり9条改憲の口実に利用していて、これは市民感情に利用されやすい。安全保障の課題で、憲法の平和主義が有効な政策であることを説得力あるものとして示すことを考えなければならない。その一つとして、ご近所同士仲良くすること、つまりお隣の国々と仲良くしていく関係をつくれるのかは私たちの課題でもある。これまでいくつかの東アジア平和構想が出されているが、壮大なものではなく、実際の市民交流、できるところから始めていくことは有効だ。すでに進められている韓国、中国をはじめ東アジアの市民交流を重層化し、継続していくことができればと思う。また、憲法の平和主義を実現するうえで核兵器廃絶条約の運動との連携の在り方も今年は考えていく必要がある。対人地雷禁止条約を実現させたNGOの活動からはじまり昨年のICANの活動のように、世界の平和を実現していくことに力を発揮してきた市民活動と、憲法の平和主義とのかかわりも考えていきたい。
最後に、昨年の衆院選後に自民党の高村正彦副総裁が憲法改正推進本部の特別顧問に就いた。これは彼が日本弁護士連合会は昨年、憲法施行70年を記念して「憲法ポスター展~あなたの願いをポスターに~」と題して昨年の5月3日から全国的にポスターの応募をよびかけ、全国から264作品の応募があった。11月3日を前後して弁護士会館のエントランスホールで作品が展示され、全作品を収めたカラー冊子もつくられている。作品は小学生以下の部、中学生・高校生の部、大学生・社会人の部に分け、金賞、銀賞、銅賞、入賞が授与され表彰式も行われた。左は高柳敦史さん(6歳・千葉県)の作品。高柳さんは、表彰式で「おじいちゃん、おばあちゃんの家に行ってお話ししたことを思い出して描きました」というお話しをした。
実質的に改憲問題の指揮をとることになったということだろう。自民党の集団的自衛権の憲法解釈を変え て2015年の安保法制を強行採決した過程で、高村の役回りは強引さと悪辣さがきわだっていた。議員を引退した高村が、特別顧問の立場で安倍首相の意を実現するために相当悪質な役回りを果たすことが予想される。要警戒だ。
安部政権で日本の政治は大きく変わってしまった。でも逆にいえば、たった5年。これはまた変えられるというこだということに希望をもって、今年こそ安倍首相のめざす9条を改憲して軍隊を持つ国に作り替える願望を、あきらめさせる年にしていこう。多数をしめる市民の願望でもあるのだから。
島田啓子(ふじさわ九条の会)
昨年の秋ごろだったか、北関東のある都市でのJアラートと、それに伴う避難訓練をテレビで放映をした際に、小学校の校長先生が、「私の学校の子どもたちは、自分自身で身を守ることができるようになりました」と得意げに語っている姿が流れました。それを見た時に、なんとばかげたことを子供たちにやらせているのだろう。地下室に逃げる、頭を隠して地面に伏せる、などミサイルに対応した訓練のようですが、何の合理的根拠も説明できない訓練で、戦前の竹やり訓練を思い出しました。ところが、その訓練を呼びかけるJアラートのサイレンが我が街藤沢でも放送されることが明らかになったのです。年末の市の広報で「Jアラートによる国民保護サイレンを放送します」という見出しのもと、神奈川県全域で流される国民保護サイレンの放送を、藤沢市内全域の防災行政無線と防災ラジオで放送すると告知。その後自治会や町内会にはサイレンの放送だけでなく「弾道ミサイル落下時の行動についてご協力をお願いします」という内容の回覧板が回ってきました。そこには「近くの建物か地下に避難、物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭部を守る。窓から離れるか、窓のない部屋に移動する」と書いてあります。これに危機感を持った私たちが市の危機管理課へ問い合わせたところ、市は各地域の町内会組織などを通じた回覧で市民に知らせるとともに、市内の小中学校、幼稚園、保育園、企業に対しても告知・協力の要請を行ったとのことでした。どこの国からのミサイルとは明示されていませんが、明らかに北朝鮮を意識して書かれています。連日のテレビ、新聞の報道や安倍首相による圧力一辺倒の対応で、北朝鮮の脅威がどれほど私たちの頭に叩き込まれているか、その上ミサイル落下に備えた訓練の実施など、市民に戦争の不安・危機を煽るものでしかありません。
他市町村の多くが放送再生訓練にとどめ、混乱の予防を強調している中で、避難行動訓練を求める藤沢市は突出していることもわかりました。ところが、藤沢市では昨年5月に幸福実現党神奈川県本部の湘南後援会から市議会に提出された「北朝鮮のミサイルに備えた避難訓練等の実施を求める陳情」を総務常任委員会では全会派一致で趣旨不了承としていたのです。そこで今回の件で議員に問い合わせたところ、知ってはいましたが、市に抗議するとか問い合わせをしたという動きにはなっていないことに少々がっかりしました。藤沢市は1982年に「核兵器廃絶平和都市」を宣言し、95年には「核兵器廃絶平和推進の基本に関する条例」を市議会の全会一致で制定している平和都市です。この宣言や条例の中で、日本国憲法の基本理念やその精神に基づく安全や平和が地方自治の基本的条件であると書かれています。その宣言や条例を順守するなら今回の訓練は市民に強制すべきではないと思った私たちは「藤沢市のJアラート訓練に抗議する藤沢市民の会」を立ち上げて藤沢市長あてに「国民保護サイレン放送、避難行動への協力要請」中止を求める要請書を担当窓口の危機管理課に提出しました。また藤沢市議会議員に対しては、Jアラート訓練の即時中止を求める行動をとるよう申し入れました。そこで分かったことは、県からの要請は音声再生の訓練であり、避難行動訓練は各自治体の判断に任せるということでした。藤沢市が避難行動訓練まで市民に協力を求めたのは、「サイレンを聞いた市民から、その後の行動はどうすればいいのかという問い合わせがくる事が予想される」からというものでしたが、これは担当課の先走った考えで、市民を戦争やむなしの方向へ誘導するものと言わざるを得ません。
(神奈川県レベルでは「『神奈川県は戦争の危機をあおらないで!』市民アクション」というグループを立ち上げて神奈川県知事あてに25日に提出する予定です。)
北朝鮮の脅威や戦争への不安を煽りながら、一方で戦争への準備を日常化させることで、防衛費の増加や憲法9条に自衛隊を明記することへの国民の抵抗感を減少させる安倍政治に自治体が協力することを私たちは認めることができません。私たちは政府が平和憲法の精神に基づく平和外交を進め、戦争回避の努力を重ねることを願い、戦争につながる事には一つ一つ抗議の声を上げ、日々新たに非戦のちかいの実行に努めようと思う新年です。
藤井純子(第九条の会ヒロシマ)
岩国米軍基地へ厚木からの空母艦載機部隊の移駐が今年5月には完了する。その結果、米軍機130機あまり、沖縄の嘉手納基地をしのぐ巨大な出撃基地となる。実践に使うべく訓練は頻繁に行われ、軍都廣島を繰り返すかのように再び加害者にさせられてはたまらない。呉の海上自衛隊にヘリ空母と呼ばれる護衛艦「かが」が配備され、呉基地の大型化が止まらない。米軍との合同訓練が続いているのか時には基地が空っぽのこともあり、基地を監視すると米軍との一体化が見えてくる。岩国も呉も市の方針は、米軍・自衛隊との共存共栄であり、広島県の湯崎県知事は、米軍の訓練を受任し、岩国基地関連の交付金を求める意向を示した。非軍事を謳う日本国憲法の下、広島県に住む市民として黙っているわけにはいかない。今こそ憲法を生かし、住民を守れと国のみならず、自治体にも声を届けたい。安倍9条改憲NO!3000万人署名は、憲法を守るべき地方自治体に対しても大きな力となりはしないか。
18年改憲国会発議を止めるための3000万人署名の取り組みを全国の皆さんが頑張っている。3000万人とは昨秋の衆院選有効投票数の半数以上であり、これを集めきれれば改憲発議は止まる。広島総がかり行動は、県全体で70万筆の目標をたてた。2000万人署名では、目標50万筆としたが、(把握できたものは)33万筆だった。それなりに頑張ったつもりだが、目標に届かなかった。今度はその倍以上で大変な作業だ。しかし、県内にはあちこちで署名にとりくむ総がかり的な動きが出て、それぞれが2万筆、5万筆と目標を立てて奮闘している。2000万人署名の経験を生かし、戸別訪問に取り組み、返信用封筒やハガキを作る、そしてもっと分かり易いチラシを、もっと一人ひとりに呼びかける街宣を、宣伝カーをと様々な工夫をして行っている。
広島では、これまで県内の九条の会が集まって意見交換をしてきた。総がかりに発展した今も、それが続き、9月は広島に、12月は県東部に、1月はまた広島に集まって意見交換を重ねている。県東部や県北は、3000万人署名については広島市よりもずっと先行していて大変心強い。戸別訪問では、約半数以上の世帯に配布する取り組みもある。総がかり行動を積み重ね、共産党の車と分かる文字を覆い隠し、地区労の人が一緒に宣伝カーをまわす。こんなことは2年前には考えられなかったことだと組織の人は驚く。
そしてそんな工夫や苦労はみんなで共有したいねという声に応え、3000万人署名のニュースを発行しようと元労組の委員長が編集委員に手を挙げてくれた。これまで、国会に憲法調査会が設立されて以来、広島県9条の会ネットワークができ、秘密保護法、安保法、共謀罪法に反対する市民の動きと合流しながらヒロシマ総がかり行動へと幅を広げてきた成果かもしれない。
また、女性たちの総がかり的な動きが出てきた。憲法、9条、原発、核兵器、慰安婦、教科書などの様々な課題を持った人たち、また生活に直結した医療、介護、保育、労働問題など、これまで一緒に活動をしてこなかった新婦人やアイ女性会議の女たちが私たち市民と共に行動するようになったことも画期的だ。11月3日はその枠組みで平和のバナーでドームを囲み、1月3日は新春の3000万人署名行動をした。署名の声かけは女性のものだ。それに何でも興味津々、即行動、12月の「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」で聞いた紙芝居に早速挑戦した。運動は楽しいのがいちばん。これは続けていけそうだ。
第九条の会ヒロシマは、2月17日or18日、中国新聞に3000万人署名意見広告の掲載を予定している。昨秋、市民アクションが全国紙(朝日・毎日)に意見広告を掲載され、5000人以上の人たちから新聞の署名用紙を切り取って署名して届けられたことを聞いて、毎年の8.6新聞意見広告の経験を生かして私たちも取り組むことにした。広島は保守的で声を出し難い空気があるが、16年の参院選前、中国新聞に掲載した「憲法を守る人を選ぼう」という意見広告を見て「アベは許せん」という人たちから電話やメールや手紙が届いた。これまで中国新聞ではなかった反応だった。それだけ安倍政治への危機感が強いということか。効果のほどはちょっと心配だが、中国新聞を購読している人は広島県の6~7割。その中で「デモに行く勇気はないけれど、この署名なら出来る」という人はきっといる。「自衛隊は災害救助で頑張ってくれているから日陰者ではかわいそう。憲法に書き入れて認めてあげた方がいいのでは?」と思う人にも、意見広告を見て「安保法によって戦闘行為をする自衛隊が憲法に明記されると平和憲法はなくなるんだ」と気付いて署名に参加してほしい。だからそれがわかる紙面を作らなければ。急な試みなので、紙面は全国市民アクションの了解を得て昨秋10月の意見広告を参考にさせて頂けることになった。もちろん第九条の会ヒロシマの持ち味も生かす紙面にすべく話し合っているところで、地元の広告社が協力的なことも嬉しい。3000万人署名新聞意見広告も頑張れと応援して頂きたいし、もし可能であれば、それぞれの地方紙に意見広告が掲載され、全国に広がると心強い。
宮崎優子(赤とんぼの会)
「バッカダネー」
「そうはうまく問屋がおろさないと思うよ。戦争に負けてさんざんな目にあったからって、人間はそう簡単に変わるもんじゃない、人間は元来そういうものなんだ。悲惨も残酷も非情もすぐに忘れて元の木阿弥、またぞろ、われら日本人は世界に冠たる優秀民族だなんて、獅子咆哮する人間がいっぱい出てくるに決まっている。そしてまた滅びるなんてことになる。そう俺は予言してもいいね」
いったい誰の言葉だと思いますか。
半藤一利著「昭和史を歩きながら考える」のなかに紹介されている坂口安吾の言葉です。戦後編集者になった半藤さんが初めて担当した作家が坂口安吾だった。戦後の日本社会がどうなるか聞かれた半藤さんが「民主主義の明るい未来を語った途端に」冒頭の安吾の言葉となったわけです。この後「堕落論」(1946年)を発表し、坂口安吾は無頼派の作家として時代の寵児になっていきます。
予言は当たってしまいました。安吾流のリアリズムの面目躍如、悔しいけれど人間は何度も何度も同じ過ちを繰り返すもののようです。
国家主義、民族主義の台頭、憲法遵守義務のあるはずの首相が旗振りをする憲法改正論議、頻発する国会軽視の閣議決定、有効な手段で内閣を追及できない野党。
去年の衆院選の結果は本当に残念でした。大分県は1区を除いて野党共闘が成立して、社民党と立憲民主党の国会議員を送り出すことができましたが、野党系議員が勝ち越した県は5県、全体では改憲派の議員が3分の2も当選してしまいました。投票数から見るとそんなに大きな差が出るとは考えられないのですが、小選挙区制度が原因なのでしょう。
ただとても気になるのが投票率の低さです。
イギリスのメディアが「凶暴な“新テロ法”を日本は通過させた」と報じた「共謀罪」。
あの法律は、委員会審議を打ち切って強行採決されましたよね。そんなことは投票の選択肢に入らないのでしょうか?
森友学園の籠池前理事長夫妻は、国の補助金不正取得で逮捕されている。でも首相の意向を忖度して補助金を出した官僚は?忖度された首相の側は?
加計学園はこのままでいいの?国会議員は何のためにいるの?
そして何よりも、大切な一票で意思表示しない国民主権とはいったい何の意味があるのだろうか・・・疑問が次々と頭を駆け巡り収拾がつかなくなります。
マッカーサー元帥が帰国して記者の質問に答えて「日本人の民主主義度はアメリカ人を成人としたら12歳にすぎない」と答えたというけれど、日本の民主主義は70年間あまり成長していないのだろうか。アメリカ人が選んだのがトランプ大統領なのだから、私たちがあまり卑下しなくてもいいのかもしれないが・・・。
今はっきりしていることは、だからこそ立憲主義が大切だということです。
民主主義で選ばれた政府が、必ずしも国民にとってベストな選択をするとは限らない、今の日本政府がそうです。選挙の時は、消費税を持ち出したり教育の無償化を前面に押し出して、憲法改正なんて一言も言わずじまい。勝った途端にこっそりと日程に挙げてくる。私たちに必要なのは政府の行動を縛る憲法です。権力者に都合の良い憲法ではなく、権力の暴走をくい止めるための憲法です。日本国憲法は問題点も確かにありますが、少なくとも立憲主義を体現した憲法です。変えさせるわけにはいきません。私たちに出来ることはなんでもやりましょう。安保法制違憲訴訟、3000万人署名集め、つながりましょう!
毎月3日は澤地さんのよびかけで始まった各地でのスタンディング、赤とんぼの会は大分駅北口です。毎月安保法制の成立した19日にはトキハデパートの向かい側で抗議のスタンディング署名活動。
参加出来る方は来てくださいね!
2018年
1月25日(木)10時半~
大分地裁 安保法制違憲訴訟
3月18日(日)1時半~
コンパルホール 大内裕和さん講演会
6月17日(日)1時半~
コンパルホール 小森陽一さん講演会
石川健治さん(東京大学教授・憲法学)
新年の1月7日、東京・王子駅近くにある北とぴあ・さくらホールで「戦争とめよう!安倍9条改憲NO! 2018年新春のつどい」が開かれました。「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」と「戦争させない!9条壊すな総がかり行動実行委員会」の共催によるもの。当日は早くから参加者がつどい、開場は満杯の熱気に包まれました。主催者あいさつの後、テレビなどでも活躍している俳優の松尾貴史さんが、「いやな空気は読みたくない」と題してミニ・トークをしました。松尾貴史さんは軽妙なタッチ、すれすれの表現で安倍政権の戦争政策を批判し開場を沸かせました。つづいて石川健治さん(東京大学教授・憲法学)が「安倍9条改憲の危険性」をテーマに憲法講演をおこないました。以下に石川健治さんの講演を要約して紹介します。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
テーマになっているのは結局憲法9条加憲論についてこれをどう評価するのかという評価の視点についてお話しをすることだと思います。現状は、ただ単に憲法に書き込むだけだから特段危ないことはない、そんなに心配することはないという宣伝がなされるだろうと思えますけれども、それはそうではないという話をさせていただこうと考えています。
まず大きな問題として9条に、これが3項になるのかあるいは9条の2になるのかわかりませんけれども、そういうかたちで条文を書き込むことの意味を、より大きな文脈から考えて見ていただきたいと思います。今年は明治150年、明治維新150周年ということで、それもたぶん盛り上がっていくに違いありません。そういうスパンで考えてみた場合に見えてくるものを最初にお話しをしてみます。一応新春企画ですので何となく新春ぽいテーマということで明治維新150周年という視角からこの問題をとらえてみたいと思います。
明治維新150周年というのは基本的に日本における憲法の歴史であるわけですが、より正確にいいますと憲法の歴史というのは日本では開国にさかのぼります。開国によって西洋と直面することを余儀なくされたわけですが、ご存じのとおり不平等条約を結ぶことになりました。なぜ不平等条約しか結ばせてもらえなかったのかというと、日本は文明国とは認定されなかったわけです。国際法において対等の権利義務の主体となり得るのは、つまり一人前の主体として認めてもらえるのは文明国であったわけですが、日本はそれに至らない、半分だけ文明国という意味で半文明国と言われておりました。結果として対等な条約は結んでもらえなかったわけで、とにかく文明国になって不平等条約を撤廃するというのが明治維新の課題でした。そして文明国になるためにいったい何が必要なのかということを当時のインテリたちは懸命に考え、到達した結論は憲法をつくることでした。
ただその場合に少し考えていただく必要があるのは、その憲法という言葉の意味についてです。西洋から受け継ごうとしたものですから、本来原語があります。いろいろな言葉がありますけれども例えば英語に代表させれば constitutionコンスティテューションという言葉が憲法の原義であって、コンスティテューションを日本語にどう訳そうかということで、結局生き残った訳語が憲法でした。それ以外でも建国法とか国憲とかいろいろな訳の候補がありまして、国憲はかなり最終段階までトップでしたけれども逆転されて憲法という訳語になっていきます。ですからコンスティテューションとは一体何であるのかということがここで問題になるわけです。コンスティテューションを直訳すれば「構造」とか「構成」という意味合いで、この場合は「国家の構造」を指していますね。日本にコンスティテューションはなかったのかといいますとありました。とりわけ江戸期の日本、江戸幕府のコンスティテューションは、参勤交代のシステムをはじめとして極めて精緻に組み立てられた世界でももっとも精密な、高度なコンスティテューションであったと言えます。この意味でのコンスティテューションは当然日本にもありました。現在の北朝鮮にだってあります。
しかし文明国になるためのコンスティテューションはそうではなかったわけです。文明国の要件としてのコンスティテューションは、例えばフランス人権宣言が言っているように権利保障と権力分立を持っていることです。それがないコンスティテューションはコンスティテューションの名前に値しないのだと言っています。これを仮に近代的な意味でのコンスティテューションとしますと、この近代的な意味でのコンスティテューションは日本にはなく、これをつくらなければいけないということになりました。どんな国にもあるコンスティテューション、とりわけ江戸期においては世界に冠たる高度な発達を遂げていたコンスティテューション、これは固有の意味でのコンスティテューションと呼びます。その「構成」という意味でのコンスティテューションとは別にもうひとつの憲法をつくらなければいけないということが明治維新の課題でした。権利保障と権力分立とは、結局絶対的な支配あるいは専制的な支配を排除して、必ず支配者に対してコントロールを用意することに他なりません。例えば権力分立というのは、実権を握る存在に対して対抗するもうひとつの権力を擁立することでコントロールをするわけです。
いろいろな機会に私は申し上げていますが、コントロールの本来の意味はコントラ・ロールでして対抗する存在、対抗する役割ということです。コントラ・ロールを置いているか置いていないかが、近代的な意味での憲法であるかそうでないかの違いということになります。それで権力分立がある。そして何のためのそれを置くのかというと、結局自由を守るためにあるわけです。コントラ・ロールを置いて支配者が独走できないようにして自由を確保する、こうでなければ近代的な意味での憲法を持っているとは言えない、つまり文明国の名に値しないのだという問いを明治の先人は突きつけられたということです。その所産がいわゆる明治憲法、大日本帝国憲法でした。翻訳すれば、ちゃんと権利保障や権力分立が書いてあるようにできているわけです。
このような歴史として考えてみますと明治維新150年というのは、詰まるところわれわれが近代的な意味でのコンスティテューションとどう取り組むかという歴史だったということができます。しかしこの近代的な意味でのコンスティテューションはあくまで借り物でありますので、当然日本古来の精神にこだわる人からすれば反発が生じます。文化摩擦が発生することになります。例えば初期のかたちは尊皇攘夷運動ですし、それがとりわけ水戸学のイディオムで体系化されていきます。そういう尊皇攘夷系の議論が、当然日本に近代的な意味でのコンスティテューションをつくろうという流れに対しては反動として起こってきまして、文化摩擦の様相を呈します。この文化摩擦が刻み込まれたのが明治憲法です。従って、これは確かに立憲主義を精神として取り込んで、つまり権力分立と権利保障を取り込んでいるわけですが、他方で日本古来の国体の所産であるかのようにも書かれている。つまりどちらかではなくて両方の魂、ふたつの魂を持つ憲法としてできあがったわけです。「ふたつの魂」というはゲーテの言い方ですけれども、日本古来の国体と西洋の文明と同時に入っている、どちらからも読める憲法としてできあがっていきます。そこで明治憲法は、両方の側から綱引きの対象になってきたわけです。こういうかたちで日本の近代文明の流れは進んでいくことになります。
日本が文明国として認められたのはいったいどの段階かといいます、と日露戦争に勝ってのち、ということになります。日本は結局ロシアと戦って勝利することによって初めて文明国として認定され、不平等条約が最終的に撤廃されることになった。これが日本のまさに明治国家のできあがり方ということで、これはいろいろな意味でその後尾を引くことになります。つまり立憲主義を取り込んだ文明国になるということももちろん本当の課題であったわけですが、それを実現する過程で君主主義と両立させる、立憲君主主義を目指すことになりました。また西洋列強との対抗の中で軍拡に次ぐ軍拡を繰り返していく、身の丈に合わない軍拡予算を組んで軍拡を繰り返していって文明国にたどり着くということですから、軍国主義も日本の国の成り立ちの重要な構成要素になります。同時に日本はこの過程で台湾と朝鮮半島を植民地にすることになりましたので、植民地主義というのもまさに日本の文明国としてのかたちの重要な構成要素をなす事になる。そこで日本の近代的な意味での憲法、constitutionalism(コンスティテューショナリズム)、立憲主義ですね、これは立憲君主主義であり立憲軍国主義であり立憲植民地主義である、それらを両立させるかたちで維持されることになったわけです。
しかしこれは必ずしもうまくはいかなかった。大正期において一時期立憲主義が優位になりましたけれども、結局1930年代に入ってから軍国主義、植民地主義によって次第に立憲主義が萎縮させられることになり、とりわけ1935年には天皇機関説事件が起こって立憲主義はパージされます。その結果わずか10年で日本は滅んでしまった。この結果としてできあがったのが日本国憲法です。この日本国憲法は、まず君主主義を切り離します。これが象徴天皇制ということですね。そして敗戦と共に植民地を切り離します。さらには9条によって軍国主義を切り離すことになった。つまり君主主義、軍国主義、植民地主義を切り離すことによって初めて日本で立憲主義が根を下ろすことができたわけで、70年も持ったというのは非常に見事な成果だったと思います。そういう意味で言えば日本国憲法には、日本でとにかく70年間自由を確保した仕掛けが内蔵させられている、非常に複雑な仕掛けが内蔵されているということになります。その中の重要な柱になっているのが9条であること、このこと自体は疑いようのない事実です。しかしこの戦後の憲法の体制を覆したいという人たちも当然いるわけで、それは結局日本国憲法によって切り離された人たちです。かつて君主主義や軍国主義や植民地主義を奉じていた人々、それらがかつての国体思想、これも全体として日本国憲法あるいは日本のコンスティテューションから切り離された思想ですけれども、そちらのイディオムを使って一貫して日本国憲法を攻撃し続ける構図が、戦後不幸なことにできあがってしまいました。この流れの中に日本の改憲論はあります。
ここでお話ししたかったのは結局日本の立憲主義と9条は、抜き差しならない関係にあるということをもう少しまじめに考えていただくことです。こちらにおられる方はまじめに考えておられると思いますが、それが非常に大事であるわけですね。そのことを最初に申し上げておきたい。大きな流れの中でこの9条改憲論を見ていただくと、日本国憲法から排除された側のイディオムを多用する人々が持ち出す改憲論というのはまっとうな改憲論とは言えないのではないか。つまり憲法を改正すると同時に、立憲主義をなくしてしまおうという流れの中にあることです。そういう意味ではまっとうな改憲論にはなっていない。改憲論者の中にはまじめな人ももちろんおられますが、この流れの中で改憲論を持ち出すと、結局のところ憲法滅んで、立憲主義も滅んで、たぶん国も滅ぶということになってしまう。そういうことに手を貸すことになってしまうのではないかということは頭に入れて議論していく必要があります。その意味で日本の安全保障のためにどういう手段があるだろうかと考える、軍事技術化のある意味まじめな考え方は結局のところ立憲主義そのものを覆すために使われることになることを考えていただく必要があるわけですね。それがまず最初に申し上げておくべき事柄です。
二つめに申し上げておく必要があるのは、その結果戦後70年間われわれは、いろいろ問題はあったにせよ概ね自由を享受することができてきたということをまじめに考えることです。安全保障というのはあくまでひとつの局面に過ぎないわけで、非常に複雑なシステムができあがっている中で乱暴にそれを変えると、結局たらいのお湯と一緒に赤ん坊も流してしまうことになります。現在憲法改正をやろうという人は、もっぱら安全保障の技術的な議論をするとか、あるいは憲法そのものを軽んずるとか、これまで機能してきた日本の政治システムに対して真摯に取り組んでいない人が改憲を語っていると思います。その意味でもこの問題をもう少し俯瞰してとらえていただくということが大事である。これは強調してもしすぎることはないだろうと思っております。
このことを申し上げた上で、今日は以下ふたつほどのことをお話ししたいと思っています。
ひとつは9条に関する戦後の議論の特徴です。日本国憲法ができたとき、軍隊は武装解除されていて無かったわけです。それを醒めた見方でいえば、単純にもっともらしく後付けしたのが9条に過ぎないという見方もあり得るだろうと思います。これは一面での真理でもあるわけですね。しかし戦後の日本人はこれをもっとまじめに考えようとしたわけで、そこで行われようとしていることを原理のレベルで鍛え上げてきました。絶対平和主義、非武装平和主義という議論です。この原理として、われわれが幸か不幸か引き受けてしまった9条というものを鍛え直していく営みは、例えば哲学者のカントに代表されるような、まさに西洋の精神の太い幹に連なっていく営みにわれわれも連なっていこう、そしてできるならばそれを引っ張っていこうということであったわけです。
そのためにどういうことがやられたのかといいますと、これはカントの言い方を紹介することになります。カントは道徳哲学を考える際に二種類の命令というのを区別して、ひとつは定言命法――categorical imperativeという、要するに条件のついていない、条件抜きに無条件にこうでなくてはならないという、そういう道徳です。もうひとつは仮言命法――hypothetical imperative と申しまして、これはもし何々だったらならばこうなる、こうすればこうなるというかたちで考える仕方です。例えば北朝鮮が核武装したらこうするとか、そういう条件付きの命法が仮言命法といわれるものです。いわゆる安全保障論議は、もし北朝鮮が核武装したらこうするとか、中国が軍拡を進めていって国境を脅かしたらこうする、という仮言命法の世界です。安全保障というのは政策論議ですから、性質上仮言命法になる。戦後の9条論は定言命法を目指したといっていいと思います。ですからカントの営みに連なっているわけですね。もしこうだとすればこうする、こういう目的のためにこういう手段を選ぶということではなくて、とにかくこうでなくてはいけないんだという議論を組み立ててきたわけです。これは結果的には一定の政治的な機能を持つことになったと思いますが、あとでお話しをします。
とにかくそういうかたちで議論を鍛え上げてきて、政治哲学、道徳哲学の営みを続けてきた。良くも悪くもそういうものでした。この定言命法というのは、多数の人々がこう考えるからとか、そういうことは関係がない。端的にいえば世論とは関係がないわけですね。世論が自衛隊を欲したとしても9条からはこういう結論が出てこなくてはならないのだという議論をやってきました。従って世論が一方では一貫して自民党を支持し、その自民党が自衛隊法をつくり自衛隊を増強した中で、ぶれない議論をやってきたということになるわけです。これが9条のとりわけ2項を手がかりにした戦後の9条論と特徴であった。良くも悪くも特徴であったわけです。
悪い面からいえば非常に書生談義である、現実を見ていない書生談義ではないかと批判され、罵倒されることにもなってきたわけですね。また、そういう書生談義をやっている憲法学者というのは、要するに現実を見ない人々だという悪評がついてしまうことになりました。ある意味で9条はわれわれ憲法学者の社会的偏見の源泉になってきたということが言えるわけですね。ある時期、憲法学者というのは何度聞いても同じこことしか言わないので論壇から干されていたわけですが、なぜか復活した。これが2015年の6月4日だったわけで、憲法学者3人が憲法審査会で安保法制に関して違憲だということを言った。これでみんながびびっている安倍政権に対して、臆面もなくNOを突きつける憲法学者というのはどういう輩なのか、ということが急に注目を集めることになりました。それまでは、とにかくあまりにも同じことしか言わない、壊れたレコーダーみたいな人たちだという印象がついてしまった。そういう偏見の中をわたしも育ってきたわけで何度も悔しい思いもしましたけれども、そうやって生きてきたわけです。そこをぶれないで頑張ってきたというところでもあるわけですね。そういう議論の特徴が、良くも悪くも戦後の9条論であるということで、その定言命法が現実の東アジアにおける安全保障環境の変化に対して、つまり仮言命法に対してどこまで力を持つのかということが試される格好になってきています。これが現在の流れであるということをまずお話ししておきたいのです。
そして二つめで今日の本題になると思いますが、これが恐らく日本の戦後の軍事力統制に一定の役割を果たしてきたのではないかと思います。またそれを応援して下さるここにおいでになる皆さんもおられまして、なんらかの役割を果たしてきたのではないかということをここでは強調して、ぜひみなさん元気を保ち続けていただきたい。これからお話しする議論はちょっとレベルが違う議論です。これまで日本の立憲主義に対して9条がどういう役割を果たしてきたのかとか、あるいはその中で鍛えられてきた日本の9条論、とりわけ戦後派の9条論がどういう特色を持っていたのかということをお話ししました。しかし総合的にすべてを見なければいけないので、これからお話しすることはあくまである局面に過ぎないということは最初に申し上げておきたいと思いますが、焦眉の急の問題ですのでそれだけを取り出してお話しをします。その問題は日本国憲法の9条が果たしてきた、あくまでもひとつの役割としての軍事力統制です。日本の憲法9条は、日本の政治社会を初めて非軍事化することに成功した。そして立憲主義を実現することになりましたし、それが戦後の自由な空気をつくってくれましたが、それだけではなくて、あくまでも日本の統治機構の一環をなしていたということです。ここを強調しておきたいわけです。
ここでしばしば対比されるのが戦後の西ドイツのあり方で、戦後の西ドイツはとにかく動かない軍隊を憲法に刻んだわけです。普通の国よりも面倒臭い規定を憲法に書き込んで、いろいろなコントロール、コントラ・ロールを用意して、使えない軍隊、弱い軍隊、動かない軍隊をつくりました。緊急事態条項についても同様で、これも非常に激しい反対運動がありましたが、ぎりぎり成立した緊急事態条項というのは動かないものになっていて、現在でも動いていません。ただ軍事の方は、緊急事態条項とは違って動き始めてしまいました。最後の歯止めになっていた憲法裁判所が、ドイツ軍の域外派兵を合憲だと言ってしまったために、現在ではアフガニスタンとかいろいろなところに「平和維持」のために軍隊が飛んでいるということになってしまいました。とにかくこれがひとつの行き方ですね。動かない軍隊をつくるということです。
日本の場合はもうすでに軍隊がないという前提のもとでそれを永続させようということを考えたわけで、それが9条だったわけです。軍隊というものから正統性を剥奪した。つまり軍隊は本来無いことになっているというかたちで軍事組織からその理由を奪った。存在理由を奪ったわけですね。この存在理由を奪うということを難しく言えば、正統性を剥奪するというやり方は権力統制のひとつのやり方ではあるわけです。例えば明治憲法の場合を考えてみますと、明治憲法ができる前に内閣という制度はもうできあがっていまして、初代の内閣総理大臣は伊藤博文です。ところが明治憲法の中に内閣という存在はありません。明治憲法は内閣というものを認めなかった。内閣から憲法上の正統性を剥奪しました。憲法上存在理由はないということになって、書かれているのは個々の国務大臣だけです。いろいろな説明が可能でこれを話すと何時間もかかってしまいますが、当時言われた言い方としては、幕府をつくってしまうのを恐れたということです。内閣を認めてしまうと、これがまた江戸幕府に替わる新しい「明治幕府」になってしまうのではないかとか、いろいろな説明がありますが、とにかく内閣というものを認めなかった。これが明治憲法下の統治機構の弱点にもなっていったわけです。
統治が常に不安定であった、その内閣という憲法上認められていない場を巡って軍部とそれから宮中と官界と政界と、いろいろな人たちが権力ゲームを繰り返すことになった。そこで戦後日本国憲法は内閣に正統性を与えたわけで、戦後の日本国憲法には内閣というのがちゃんと書いてあります。それと入れ替わるように、今度は軍隊についての規定がなくなった。こうやって既存のものから正統性を剥奪するということは、ひとつの権力統制のかたちであるわけです。期せずして9条はそういう機能を果たすことになってきたということ、これを強調しておく必要があります。
ここでみなさんも多少期待している面もあると思いますので一言申し上げておきますと冒頭にお話しましたように、わたしは9条が日本の戦後の立憲主義を支えてきた。これがなければ恐らく70年持たなかっただろうという意見ですけれども、もちろん物事には光もあれば影もあるわけで、いいことばかりではなかったと思います。例えば9条があったおかげで、現実には存在する軍事組織を見て見ないことにしてしまっているのではないだろうか。これはひょっとすると軍隊を憲法外の存在にしてしまって、立憲主義的な統制の及ばないところに置いてしまったのではないか。さらには憲法に反する軍隊が現実に存在するという事実にみんなが慣れてしまって、立憲主義というものに対する信頼とか真摯さ、まじめさが失われて、ニヒリズムが支配することになってしまったのではないか。そういう意味で、ひとことで言えば9条は日本の立憲主義をダメにしてきたのではないかという見方もあります。これは俗に護憲的改憲論といわれる考え方で、わたしの同僚の井上達夫さんなんかはこの意見です。
これはぜひ皆さんおひとりおひとりで考えていただきたいのですが、9条は日本の立憲主義をダメにしてきたのか、それとも日本の立憲主義の前提になってきたのか。これは非常に大きな問題ですので考えてみていただきたいと思います。その上でこの立憲主義をとる以上は権力統制が必要である、権力分立が必要です。コントロールが必要である。コントロールをする際に、対抗する存在を置いてコントロールするということもひとつのあり方です。例えば内閣に軍隊を動かさせ、それに対して国会がコントラ・ロールとしてブレーキをかけるというのもやり方です。多くの場合は開戦決定権を政府から奪って議会が決めるというシステムをとります。そうしますと戦争ができなくなるということですね。実際には多くの場合シビリアンの方が好戦的ですので、国会が開戦をしないというかたちで戦争を止めるということはないという意味でこのシステムはあまり動かないんですが、よくそういうことが行われます。
しかしそういう既存のシステムとは違うかたちで、正統性を剥奪するというかたちで権力統制のシステムをつくったのが日本国憲法のあり方であると考えていただきたい。ここで出てくる問題は冒頭に戻りますが、組織を構成するということと、それに対して統制をするというかコントロールするという対比です。憲法というのは確かに組織を構成するものですが、それだけですと近代的な意味での憲法とは言えないということがフランス人権宣言の言い方で、この問いをずっと日本は突きつけられているわけですね。そこでコントラ・ロールを持たなければいけない、あるいは統制の手段をとらなければいけないということになるわけです。構成するだけではなくて統制もしなければならない、両方用意するというのが近代的な憲法である、ということを考えていただきたいと思います。両方用意されているから、今うまくいっているわけです。現在なんらかの統制システムがあるから、軍事組織はコントロールされている。そこに9条がどう働いているのかということをここではまじめに考えていただきたいんですが、そのメカニズムのひとつとして9条を根拠に、常に本当は軍隊はあってはいけないのではないかということ問い続けてきた。そういう作用があるのではないかと今思うわけです。それを現在外そうとしているということを、ぜひ気をつけていただきたいと思うわけです。
9条2項があるおかげで憲法学者は違憲論を説かなくてはいけなくなっている。だから違憲論をなくすためには9条2項に細工をするのがいい、あるいは9条3項ないし9条の2をつくって加憲するのがいいという。こういう言い回しですが、ここで何をしようとしているかというと、既存の非常に重要なコントロールを外そうとしていることに他ならないわけです。どういう統制方式が現在働いていて、どういうかたちでそれが外されようとしているのかということをここでは考えていただきたいということがこの最後の話題です。
第1に、加憲案の問題というのは構成だけあって統制がないということです。これまでは9条の例外として自衛隊を位置づけるという論法が、自衛隊の合憲性を支えてきました。もちろん違憲論は有力なのですが、政府筋では9条に例外をつくる。この例外というのは常にあるわけです。例えば人を殺したら殺人罪ですけれども、例外として正当防衛の場合は違法でない。少なくとも処罰はされないということになっていきます。そうやって例外をつくる論理というのがあって、例外をつくる論理によって自衛隊を正当化している。逆にいうと正当防衛の場合には人を殺してもいいという規定はいらないわけです。「人を殺したるものはこれこれの刑に処す」という条文だけで足りるわけで、それを例外の論理によって正当化するということをやってきた話です。ですから現在はあくまで例外としておかれている。例外であることによってコントロールされているということです。
ところがこれを正面から認める、自衛隊に憲法上の正統性を与える。これはすでに法律上の正統性は与えられているのですけれども、憲法上の正統性を与えることになりますと原則と例外がひっくり返ってしまうので、今度は正面からいろいろなかたちでコントロールシステムを憲法に盛り込まなければいけないことになります。ドイツに倣って非常に面倒臭い規定を設けていくというのがひとつのプランになりますが、今回の9条加憲案というのは、そもそも統制する気がありません。3項なのか9条の2かわかりませんが、加憲だけしておいてそれに対するコントロールシステムを用意しようとしていない。ここに現在の改憲論の地金が現れていると思います。構成だけしていく。そうすると何が起こるかというと、これまではコントロールされてきたのにコントロールがなくなってしまうわけですね。
もちろんそれは政府がコントロールしていると言いたいかもしれませんけれども、この点は必ずしも期待できるものではないと思います。と申しますのは、もしこうやっていわば9条方式をやめて普通のコントロール方式に切り替えるということになるとすれば、そこには必要な前提条件があるわけですが、その前提条件が現在まったく整っておりません。まず普通の方式は、いわば市民社会と軍隊を切り離すというところから始まります。あるいは市民的な統治システム、いわば政府と軍隊を切り離すところからスタートします。切り離した上で、今度は市民的な権力の方を軍隊よりも上位に置くということをやります。そして上位に置いた上で、上位にある市民的な権力が軍事的権力を統制する、コントロールするという順序をとります。これがシビリアンコントロールといわれる方式で、逆に言えばシビリアンコントロールの前提は政・軍の分離です。政・軍の分離があり、政の優位があり、そして政による統制がある。こういう順序になりますので、シビリアンコントロールの前提には政・軍の分離を大前提としてなくてはいけないわけです。
辞めてしまった人の発言をあげつらうのはあまりよくないかもしれませんが、例えば稲田元防衛大臣は、選挙において防衛省の立場からも自衛隊の立場からも応援したいというかたちで政・軍の分離を無視していました。つまりシビリアンコントロールを語る前提がないんですね。前提がないところに自衛隊を正統化してしまったら何が起こるのかということです。つまりまっとうな軍事力統制を語る前提がまだ成立していない。また、そういう前提を持っていない人たちが、改憲を動かしているということになります。冒頭に申しましたが、これは結局近代的な意味でのコンスティテューションを知らない人たちがやっているからそうなるわけです。近代的な意味でのコンスティテューションを知っていれば、もし9条方式を変えるのであれば、これはあまり期待できないかもしれませんが、まじめに普通の方式を追求するはずです。普通の方式を追求するためには、まず政・軍の分離が大前提であるわけです。そして政教の分離とかいろいろな分離が必要です。権力を分離するのも、その分離です。いろいろなかたちで分離システムをつくっていかなければいけない。これが大前提で、そのもとで初めてコントロールが成立します。
ところが、そもそも近代的な憲法を知らない人がやりますからこの始末になるわけです。政軍の分離を知らない、そして統制規定を置くことを知らないということです。こういう状況の下で自衛隊に憲法上の正統性を付与すれば、これまではパーフェクトにコントロールされてきた軍事組織のたががゆるんでいくことになります。いいことは何もないわけです。いろいろ問題がなかったとは言えないにしても、これまでは慎み深い軍隊として国民に受け入れられるように努力してきた。これが自衛隊だと思いますが、大手を振って憲法上正統化され、なおかつ統制がまったくないということになった状態で、果たしてあとから政治がそれをコントロールできるのだろうかということです。大前提として、やはりいくつかの条件が整っていないこの段階で、9条の加憲をするというのはもっとも危険な提案だということになります。現状を追認するだけではないんです。現状を追認するのではなくて、むしろ無統制状態をつくっていくという提案を、しかもこともなげにやろうとしているということなわけです。結局、まじめに憲法のことを考えてくれてはいないということです。まじめに憲法のことを考えてくれていないということは、まじめに自由のことを考えてくれていないということになるわけですね。
こういう議論をやりますと、現実に外国から攻撃されようとしているときに国内の自由もくそもないものだろう。あるいは経済的な状態がよくない中で自由もくそもないだろうという批判が当然出てまいります。これは確かにひとつの議論ではあって、だったら開発独裁をやればいいということになるわけですね。しかしその結果として、われわれは自由を失ってしまうということになります。そのことをどうここにおられる方がお考えになるのかということです。それをお話したかったということです。
最後に、これは恐らく何度かいろいろなところで言うことになるのではないかと思いますので、学者というのは同じことを繰り返したくない人種なものですからあまりここでは言いたくないけれども、新春ですので一発目にやっておきたいと思います。それはニーチェの言葉です。「善悪の彼岸」というアフォリズムに満ちた本の中で言っているのですけれど、「怪物と向き合うときには自らが怪物にならないように心せよ」という有名な一節があります。怪物というのはUngeheuernという、恐ろしいもの、ぞっとするもの、そういったことですが、これと向き合うときには自分が怪物になってしまわないように注意しなければいけないというわけです。現在北朝鮮が問題になっています。実際は、北朝鮮はすでに日本を眼中に置いていなくてアメリカとの戦いに入っているので、7月くらいまでとは全然状況が違っていると思います。また安保法制によって日本がアメリカとの戦いに巻き込まれつつある状況にあると思います。その北朝鮮は恐らく戦前の日本の似姿ですね。日本の30年代というのは国防国家、あるいは高度国防国家と言われて、国防目的のためにすべて、国民も経済も投入され、消費されていった時代でした。その国防国家日本をモデルにして現在は北朝鮮ができている。かつて日本の支配を受けた北朝鮮が、実はかつての30年代の日本の似姿になっていて、この脅威をもたらしているということです。それに対抗するためにわれわれが怪物になってしまったら仕方がないということなんですね。ですから自由を確保し、立憲主義を確保するということがわれわれにとっての大前提なのであって、国防国家に対抗するためにわれわれが国防国家にならないように注意をしなくてはいけない1年の始まりなのではないか、ということを申し上げまして話を終えさせていただきます。