私と憲法145号(2013年5月25日号)


96条改憲で動揺する安倍首相、
当面の改憲動向を左右する参議院選挙と、その後の展望

安倍首相は「アベノミクス」などの宣伝による与党への支持を背景に、96条の改憲から、自民党改憲草案実現へ乗り出そうとしている。96条を変えるためには96条が規定する両院の総議員の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票にかけるという2つのハードルを越えなくてはならない。

しかし、年初以来、96条改憲で突っ走ってきた安倍首相の発言がこのところ、トーンダウンしていると言われる。安倍は「多くの党派が96条改憲で一致している」などとして強気の発言を繰り返して来たにもかかわらず、連立政権の一方の公明党が「96条先行改憲」に消極的であるだけでなく、96条改憲では同盟軍的位置にあった日本維新の会が橋下共同代表の「慰安婦問題」に関する暴言などで勢いが急落し、同様の位置にあったみんなの党も独自色を強めている。そればかりか自民党憲法改正推進本部長代行の船田元・衆院憲法審査会筆頭幹事ら党内からも「96条先行改憲論」に疑問がだされ、この間、有識者として自民党の改憲論を支えてきた小林節、中西寛、岡本行夫などの右派論客からも96条先行改憲論への批判が噴出している。そしてなにより、朝日、読売、毎日などの各紙の世論調査が(NHKを別にして)軒並み96条改憲反対が多数であることを示したことだ。安倍首相は「議論が深まっていない。このままでは国民投票で負ける」などと不安を口にし始めている。

しかし、たとえば産経新聞の「主張」(5月17日)が「憲法96条改正はどうした」という題の文章を掲げるなど、安倍の取り巻きの極右勢力は後退を許さない。安倍は深刻な矛盾の中にあって、追いつめられる不安に苛まれながらも、高市早苗自民党政調会長らが「96条改憲先行を参院選公約に盛り込まないかも知れない」などと動揺する中、いまのところ改憲の道を進もうとしている。もしかしたら安倍は「安倍自身が安倍政権の最大の弱点」(柳沢協二・元内閣官房副長官補)といわれる負のスパイラルに陥りつつあるのではないか。

先の総選挙の結果、衆院では96条の改憲に賛成の自民が294議席、維新が54議席、みんなの党が18議席、計366議席で、3分の2の320議席を超えている。参議院は非改選の121議席中、自民、維新、みんなを合わせると半数弱の60で、これに改憲支持の新党改革と自民系無所属の3を加えても、参院全体で3分の2を得るには、今回の参院選の改選議席で99議席以上が必要である。この数字は改憲派にとっても容易ではない。明らかなことは、民主党内の改憲容認派の動きに加えて、96条改憲に消極的な公明党の動向が、参院での3分の2議席を大きく左右するということだ。

逆に言えば、参議院選挙で、96条改憲反対派、消極派が3分の1以上を獲得できるかどうかである。5月1日に発表された産経新聞の試算は、昨年の衆院選の比例代表選挙の得票率を基礎にしたシュミレーション(参院選を総選挙の結果で試算するのはあまりに非現実的だが)では、公明党抜きでも、民主党から3人以上合流させれば3分の2に届くとしている。中間的な公明党や、民主党内の動揺的な傾向の部分が確固とした立場に立てるかどうか、市民の側からの働きかけが決定的である。

この点で、最近、連立政権を重視する公明党幹部たちから「改憲の中身によって固く守るべきものと、柔らかくしていいものとがあるかも知れない」などという話がリークされているのは警戒を要する。要するにこれらの公明党の幹部は憲法3原則に関しては3分の2が必要だが、その他は過半数で良いと言いたいようである。これなら、例えば安倍らが「憲法3原則は変えない」と約束すれば、96条を変えてもいいという話になりかねないのである。そして、安倍がこのように「約束」することは容易にあり得ることである。

目下の緊急の課題は参議院での改憲派による3分の2以上の議席の獲得を阻止することである。これはあらかじめ不可能だとあきらめるべきことではない。96条改憲阻止の民衆の運動を可能な限り広範に生み出し、改憲阻止を追求することが必要である。

参議院選挙を経て、その結果の上で、さらに熾烈な国会における中間派の獲得合戦が双方から始まることになる。この帰趨を左右するのは世論であり、それをつくり出す大衆的な運動である。

その上で、万が一、第1のハードルが越えられて改憲の発議がされたら、第2のハードルの国民投票で止めることである。改憲を許さないためには、これに勝利し抜かなくてはならない。

当面の参院選で負けないためにも、また万が一の場合には国民投票で勝利するためにも、国会外での運動の強化が決定的な役割を果たすことになる。96条改憲反対の民衆運動を全国津々浦々で組織し、世論を高め、世論で改憲派を包囲し、中間派を包み込むことこそ決定的である。

安倍は乱暴な金融緩和政策で経済のテコ入れをはかるという新自由主義「改革」で「アベノミクス」の「3本の矢」の演出を前面に出し、大企業を優遇し、矛盾と犠牲を労働者や貧困層にしわよせしながら、経済の危機を切り抜けようとしている。目前の参院選は、マスメディア対策によって補強しながら、これで支持を手に入れようとしている。しかし、経済回復を期待する多くの民衆にとって、その実感は得られていない。安倍はここでもきわめて不安定な土台の上に立っているに過ぎない。

東日本大震災と福島原発の大事故は未だに収束することがないし、多くの人びとが放射能の被害と恐怖の下で苦しんでいる。脱原発の声は全国で継続されている。2月の訪米で米国に差し出したTPP加入の犠牲を被る人びとは膨大な数に上る。沖縄をはじめ基地の重圧は多くの人びとを苦しめている。石原慎太郎が火を付けた尖閣諸島問題など、東アジアの緊張は深刻で、靖国や「侵略」発言問題、河野談話、村山談話の見直し発言など、安倍は欧米や東アジア諸国から「偏狭なナショナリスト」と見られている。

内外の状況は安倍政権にとって必ずしも有利な局面にはない。安倍首相らがこのような危機の中で96条改憲をはじめとする改憲に活路を見いだそうとしていることを許してはならない。私たちは、いまこそ、96条改憲から9条改憲への道に反対する大きな運動と世論をつくり出し、この安倍政権を追いつめる必要がある。
(事務局 高田健)

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生かそう憲法 輝け9条 あらゆる憲法改悪を許さず
今こそ平和といのちを尊重する社会へ
5・3憲法集会&銀座パレード2013の記録(1)

安倍首相の96条改憲を真っ向から批判した東京での5・3憲法集会は重要な成功を収めました。今号では同集会でのスピーチのうち、アイリーン・スミスさんと加藤裕さんのお2人の部分を掲載します。次号に福島瑞穂さん、志位和夫さんのスピーチを掲載します。テープ起こし協力は憲法会議。【編集部より】

○集会報告○

96条改憲絶対に許さない!

池上 仁(市民連絡会会員)

家を出がけに目を通した東京新聞が力の込もった紙面づくりをしていた。1面トップにシリーズ「憲法と、」2面自民党改憲草案の批判的検証、社説は樋口陽一さんを引きながら96条は「“悪魔”を阻むハードル」と明快だ。安倍の改憲策動について内田樹さんはインタビューで「米国に押しつけられた憲法を改正しようとしたら、米国に『やめろ』といわれたのでやめました」になりかねないと語り、木村草太さんは「建てた施工会社が気に入らないから水道管を全部とろう、というレベルのこと」と批判する。横浜版は新倉裕史さんの「自衛隊 災害救助隊に」という提言、「こちら特報部」は九条の会の活動を追い、社会面は憲法をめぐる市民の声特集。どれも読みごたえがあった。会場の日比谷公会堂に向かう足がシャンとするよう。

開会2時間前なのに公会堂周辺は人の波、オーロラビジョンもセットされ、歌声が響いている。良いお天気に恵まれて早くもむんむんとした熱気がみなぎっているようだ。

集会冒頭に高田 健さん(許すな!憲法改悪市民連絡会)が主催者挨拶。第2次安倍政権の発足で憲法をめぐる状況は大きく変わった。国会の内と外で全国的な改憲反対の波を巻き起こし、共同行動の精神を生かして運動して行こう。国民は決して改憲を求めていない、静かな反対の声に働きかけて大きな声にしていこう、と訴えた。続いてスピーチに移る。

アイリーン・美緒子・スミスさん(「グリーン・アクション」代表)は、一緒に水俣病を取材し、私にも深く鮮烈に焼き付いている「湯船のトモコ」に代表される数多の作品を残された写真家 故ユージン・スミス氏のお連れ合い。「権力者が憲法を変えたいと言うのは憲法が足かせになっているから。多くの人が多様な人が声をあげれば時に正義が実現することがある。平和も人間関係も常に大事に働きかけなければ壊れてしまう。憲法のおかげで、集会に参加し牢獄にも入れられずに安心して家に帰れる私たちは幸いだ。滅びの美、精一杯闘ったが負けましたでは駄目だ。私たちの生活が大事だから原発NO!戦争は最大の人権無視。2つのことをやらなくてはならない。まずこの憲法を維持していくこと・・・公明党は本来の姿に帰るべきだ。そして色々な人々と語り合うこと。日本には200万人の参政権をもたない人々がいる、これを変えるのは皆さんの仕事だ。思っているだけで沈黙しているなら安倍政権支持と同じだ。10年後再びここに集まったら、憲法がしっかり維持され、よりよい社会が築けているようでありたい」と、きっぱりとした口調で語った。

加藤 裕さん(2012年度沖縄弁護士会会長)は、「15年間、毎年この日は那覇の憲法集会で司会を務めてきたが、今日はそれを振り切って駆けつけた。政府主催の“主権回復の日”は、戦後7年間に行われた民主的改革を葬り去り、ついでに沖縄を切り捨てるための行事だ。現地では1万人の抗議集会が行われた。自民党改憲草案前文の『日本国』には沖縄もアイヌも含まれていない。今沖縄ではオスプレイが飛び回り、基地対策の金がばら撒かれている。高江のヘリパッド6基のうち1基が完成した。オスプレイ用だ。1月には41首長が揃って上京し、『オスプレイ配備の撤回』『普天間基地の撤去、島内移設反対』の2点を求める要請行動を行った。沖縄の運動は前進している、全国での闘いが大事だ。先輩弁護士の言葉を紹介する、“我々は絶対に負けない。なぜなら勝つまで闘うからだ”」と見事に締めくくった。

続いておしどりマコ・ケンさんのコント。3.11後、プロのマスコミ顔負けの綿密な原発事故取材を続けているお二人。私も「マガジン9」でずっと読ませていただいている。軽妙なコントの合間に、「師匠から芸人は国のためにしゃべったらあかん、お客さんのために話すんだ、と教わった。ドイツの方が、国のための憲法だ」断じて許せない。現行憲法第18条の

めと国が言い出したら危険だ、と言っていた。老後のことより今のことを考えよう。日々何を買うか、何を選ぶかも政治参加なんです」と語りかけ、最後はケンさんの見事なワイヤーアートで会場を沸かせた。

志位和夫・日本共産党委員長は、「朝日」「毎日」の世論調査で9条改憲反対が多数派を占めている、政治的立場の違いを超えた闘いを展開する、と決意を表明した上で、改憲派自らが3つの矛盾を作り出していると指摘した。第1に、安倍のまず96条改憲の策略が却って多くの人の反発を買っている。日弁連も96条改憲反対の声明をだした。改憲派の小林節氏ですら、96条改憲には体を張って反対する、憲法が憲法でなくなってしまうのだから、と言っている。96条改憲反対の一点で力を合わせて行こう。第2に、自民党改憲草案は現行憲法97条を削除している、基本的人権を謳った大事な部分がなくなっている。ロサンゼルス・タイムズ紙は「日本を権威主義的・軍国主義的な国にするための反革命である」と断じている。アメリカの独立宣言の精神に背くものなのだから、アメリカだって容認できない。改憲勢力は国際的にも孤立せざるを得ない。第3に、過去の侵略戦争と従軍慰安婦問題を肯定・正当化する歴史修正主義。ポツダム宣言を認めないのか、という話になる。海外の主要紙もこれを批判している。領土問題が危険な状況になっているが、これは道理に基づいて粘り強い交渉を重ねることで解決していくしかない。安倍政権は「危機」を党利党略に利用している。紛争を戦争にしないのが9条の精神、世界の平和に貢献する国=日本にしていこう、と力強く呼びかけた。

福島みずほ・社会民主党党首は、今日を境目として燎原の火のような運動を繰り広げて行こう、と熱く語り始める。本当に必要なことは現行憲法の理念を生かし実現することだ。「義務づくめ」の自民党改憲草案だが、何よりひどいことに現行憲法99条の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」をひっくり返し、国民に憲法尊重・擁護義務を押しつけようとしている。これではもはや憲法ではない。憲法もどきというべき代物だ。草案はまた、天賦人権説を否定し基本的人権を捨て去っている。現行憲法の「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に変えられている(第12条・13条)。「公共の福祉」理念のもとでは権利と権利とのせめぎ合いの中から緊張した権利の優先権選択が行われる。ところが権利対権利以外の「公益及び公の秩序」となれば、時の権力による恣意的な人権制限が行われることになる。原発反対の意思表示すらこの名の下に抑圧されかねない。まさに「国家のた「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」を排除したのは徴兵制導入のためではないかを疑わせる。このようなとんでもない改憲を阻止するために全力で闘っていこう・・・大きく両手を振って拍手に応えながら退場。

会場カンパの集計結果が報告され、152万円余りという数字に大きな拍手が湧く。最後に「安倍政権の改憲暴走を許さず、今こそ憲法を生かし、第9条を輝かせるため、いっそう力を合わせて、運動を強めることを呼びかけます」という集会アピールを満場の拍手で採択して集会を終えた。

公会堂に入り切らず、外でオーロラビジョンに見入っていた人々(公会堂内とほぼ同じ数)と合流してパレードに出発。この時点で参加者3,500人と報告され歓声があがる。連休ど真中の銀座通りを多彩なプラカード・横断幕・コスチューム、「96条改憲阻止!」「9条を守れ!」のシュプレヒコールが途切れることなく続いた。外国メディアの取材が目立ったのは、それだけ国際的な関心が寄せられているからだろう。憲法改悪反対は決して日本人だけの課題でなく、平和を求める世界の人々の問題でもある、と強く実感した。

○主催者あいさつ○

高田 健(許すな憲法改悪!市民連絡会)

こんにちは。ご紹介いただきました高田でございます。満員になった公会堂のなかと、そして外のオーロラビジョンの会場でご参加いただいているみなさん、「生かそう憲法 輝け9条 あらゆる憲法改悪を許さず いまこそ平和といのちを尊重する社会へ 5・3憲法集会」へようこそおいでくださいました。実行委員会を代表いたしまして、開会のごあいさつを申し上げます。

総選挙からこの半年、憲法をめぐる社会の状況は大きく変化をしました。その理由は、第2次安倍内閣が日本国憲法、とりわけ戦争放棄、戦力不保持を定めた第9条を忌み嫌い、これを破壊しようとしているからです。昨年の衆議院選挙で発議に必要な3分の2議席を獲得した与党は、この夏の参議院選挙で同様に3分の2議席を獲得しようとしていることはご存知のとおりです。安倍首相はそのために、集団的自衛権の行使についての憲法解釈の変更の画策とあわせて、まず憲法第96条を改定しようとくわだて参議院選挙の争点にするといっています。「天皇を元首に戴き」「国防軍」で戦争をする国をめざすという、見え見えの企てにベールをかけて「まず96条から変えて憲法を国民の手に取り戻す」などという安倍首相のペテンを断じて許すわけにはいきません。

96条改憲は、憲法の根本思想であります立憲主義を破壊するものです。私たちはこれに反対する壮大な統一行動を、国会の内と外、全国の至るところで巻き起こしたいと思います。本日の集会と銀座パレードを契機に改憲反対の大きな波を作り出したいと思います。そのために5・3実行委員会は、お配りしプログラムの最終ページにも書いてありますが、5月21日に国会で院内集会を開催します。こちらにもぜひご参集いただきたいと思います。

私たちはこの5・3憲法集会を、小泉純一郎首相が改憲の動きを強め始めた2001年に開始しました。思想信条、政治的立場の違いを超えて憲法改悪に反対し、憲法をいかし、実現しようと願うこの共同行動の精神が今日ほど重要なときはないと思います。この運動を継続して本当によかったと今その真価が試されているときだと思います。

各紙の世論調査を見ても多くの人々は、第96条とその向こうにある第9条の改憲を望んでいないことがわかります。課題は、この静かな市民の思いを確固たる確信に打ち固めることであり、そのための私たちの働きかけであると思います。

いま直面している日本国憲法のかつてない危機に対して多くの市民が立ち上がって、できるところから声をあげ行動を起こしましょう。私たちに続く世代に国防軍で戦争をする国を残すのではなくて、アジアの人びとと共に生きる、持続的で人びとに優しい社会を手渡そうではありませんか。

本日の集会をみなさんのご協力で、お互いの力強い団結と連帯の場としたいと思います。最後までご協力をよろしくお願いいたします。

○スピーチ○

憲法を守るために今やらなければならないこと?アメリカと水俣と原発から学ぶ?

アイリーン・美緒子・スミス(グリーン・アクション代表)

ここから客席を見ますと、すごい数の方々で会場が埋まっています。こうして安心して私たちが集会をできるのも、今の日本の憲法のおかげだと思います。

アメリカの民主的な憲法の由来

私は、アメリカ人です。アメリカの憲法のマシなところ、民主的なところは、実は18世紀にアメリカ大陸に住んでいた先住民のおかげです。民主主義を知らなかったヨーロッパから来た人々がイロクォイ族という人たちに接してその言葉を学び、そこでイロクォイ族の文化を知り、民主的な憲法に出会いました。その部分を一生懸命導入したのがアメリカの民主的な憲法の由来です。

私は日本でうまれましたが、アメリカの女性の参政権というのも女の人達が頑張って勝ち取ったわけです。つまり本当に多くの人の恩恵を受けて、今の私がいるという感じがします。

アメリカは悪名高い問題もたくさんあり、アメリカ人としていっぱいしなければいけないことがあるのに、なぜここで私は皆さんに話しているのかといえば、ここ日本でも本当に頑張らなければならないことがあるからです。

それぞれの「ふるさと」

今日みなさまにお話する機会があるわけですが、私が今話している日本語に素晴らしい言葉があると思います。それは「ふるさと」という言葉です。私の「ふるさと」はこの関東の大地です。ここに戻るとおいしい空気と水があった、子どもの頃を思い出します。この「ふるさと」という言葉は、悪用もされてきましたが、でも根本的に本当に素晴らしい言葉だと思います。ここには自然があって人間関係があって、基本的に排他的な言葉ではないと思います。つまり、自分の大切なふるさとがあるということは、自分と異なる人にも大切なふるさとがあるということを思い起こせる言葉ではないでしょうか。この考え方を柱にしていかなければいけないと思います。

脅威というのはいつでも訴えられてきます。国家があって、いつも自分の国はよくて相手は悪い国というのは、相手にとっても同じです。それよりもこの「ふるさと」の考え方を大事にして一生懸命頑張っていくのが大切だと思います。

憲法は権力者を縛るためのルール

文化が異質であればあるほど違和感を感じます。たとえば異質の文化のなかに入れば、そこの人たちのやり方、食べ物とか匂いに自分が違和感を持つのと同じように、それだけ相手も自分と違った、慣れない匂いだとかやり方だというふうに感じているのではないでしょうか。それは一種のバロメーターになると思います。自分が感じる異質は、相手にとっても異質と感じられます。こういう世の中で、いっぱいやらなきゃいけないことがあるのに、権力をもっている人たちを縛るしっかりしたルールがなければ、そういうことができなくなってしまうわけです。

この状況、この環境を守るのがものすごく大切だと思います。だから決して騙されないように、憲法を変えたいということを権力を持っている人達が言ってきたら、実は憲法はその権力者を縛るものだということを念頭においていかなければいけないと思います。

水俣の人々から学んだ二つの教え

私はいろんな方から学んでこの話をしています。私は、20歳のときに水俣病とはじめて出会いました。21歳の時から3年間、水俣に住み、亡き夫ユージンと写真を撮ったんですけれども、水俣の人々との出会いは多くのことを教えてくれました。

二つ申し上げます。一つは、水俣病は有機水銀中毒で起こったというのは事実ですが、根本的には悪い人間関係から起こったと思います。工場を持ち、お金をもうけて得をし、地元には汚染を残す、そういう思考が公害をもたらしました。もう一つ水俣が教えてくれたことは、ちょうど患者さんがたたかって企業の責任がはじめて法的に認められた時期を、私が22歳の時に経験したんですが、そこでわかったのは多くの人が頑張って声をあげれば、大事なことはお互いに違いもある様々な人が声をあげれば、時に正義は日の目を見るということです。これは絶対に信じられることです。

大事なことは、いろんなタイプの人が色んなことを黙ってないで言うこと、行動することだと思います。

被害者のたたかいから、みんなが恩恵を受けている

今、水俣は正念場をむかえています。ご存知のように最高裁判決がありました。それでも国は認定制度を改めようとしません。今朝、熊本県の知事が控訴を取り下げましたが、そういうせり合いのなかで今の水俣があります。汚染の被害者たちは今でもたたかいを続けています。

水俣のたたかいで、私たちみんながその恩恵を受けたと思います。公害患者が1970年代に頑張ったから、日本の法律は厳しくなって、公害によって現在の私たちの体に入る毒、子どもの体に入る毒が減りました。だからたぶん、日本に住んでいる私たち一人一人が公害の被害者のたたかいの恩恵を受けていると思います。

憲法を守り育てる

こういうことができたのも、やはり憲法があったからです。たたかうことが認められた環境があったからだと思います。今までどこかで色んな人達が頑張ってきたから、今の私たちがあるわけです。だから、民主主義や平和というのは、手にしたらそれで終わりではなく、いつもいつもそれに対してはたらきかけなければ失われるものだと思います。人間関係も同じだと思います。友情とか、パートナーとの関係とか、放ったらかしにするのではなく大事に育てて、それで友情があって、それでいい関係があると思います。
だから平和と民主主義は、いつもそれを生きて、いつもそれを維持していくことが大事だと思います。

原発の二つの流れ

私は日本の原発の問題に30年ほどかかわってきました。これも水俣と似ていると思います。物質は核、そして放射能です。でも根底にあるのは、人権の無視、そして私たちのほうが得したい、相手が損をしてもいいという構図だと思います。原子力発電所は遠くにおいて、私たちは商品だけをもらう、そういう発想がそういうものを産み出したと思います。
この半世紀の原子力は、大きくいって二つのながれがあったと思います。

一つは民主的でない方法で国と企業がすすめて、それは福島の第一原発の事故に行くしかない道でした。民主主義がなかったから現れた問題です。あの事故はそういうことです。

もう一つ大事な流れがあります。それはこの半世紀、ふるさとを大事にして農業者、漁業者をはじめ多くの市民が大事にして守ったおかげで、原発の建設もあれだけ遅れ、多くの地域で原発が建設されずに終わっているわけです。つまりあの努力がなければ、54基の原発ではなくもっともっと増えていて、私たちは脱原発を語りたくても語れなかったかもしれません。いま脱原発を語れるのは、多くの人のお陰だと思います。

原子力の二つの負の遺産

原子力は多くの負の遺産を産んできました。一つは、私たちはずっと騙されてきたことです。実は原発の電気はずーっとずーっと継続してコストが高かったのです。そして多くの核廃棄物を残しました。この廃棄物は次世代への差別の現れです。私たちの世代は電気という商品を使い、廃棄物については次の世代の皆さん考えてください、という構図です。

もう一つ、原子力をもって、そしてアメリカの傘の下にいるがため、大事なことを私たちはできませんでした。それは核廃絶を言葉を濁らせずに訴えて、世界でそれを実現するための仕事です。それは言葉を濁しただけでなく、核をとめることをしない行動までおこしてしまっています。

原発をもっていると、原子炉自身がプルトニウムを作ります。原子炉だけが長崎に落とした原爆のプルトニウムをつくるのです。日本の原発は1基が1年動くと、長崎に落とされた原爆の25倍のプルトニウムを産み出してしまいます。そういう物質を取り出すというのが、日本がもっているプルトニウム政策です。これが今でも生きています。核兵器廃絶を願う人は六ヶ所再処理工場に絶対反対です。

私も2005年の5月、ニューヨーで開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議に参加しましたが、デモでは世界中の人が六ヶ所再処理工場も核拡散になるから止めようといいましたが、日本の声はあまり聞こえませんでした。

世界をよくするための活動と毎日の生活を守る、憲法の重要性

このような世界をよくするための仕事をしていかなければいけないし、それと私たち一人ひとりの生活を守っていくことをしなければなりません。その環境全部をつくってくれるのが憲法です。だからこそ憲法は重要だと思います。

私たちは、こうやって集まっていられるのですが、こういう集まりを持っただけで何年牢獄に入れられるかわからない、場合によっては怪我をする、場合によっては殺される、そういう脅威をここにいて感じなくてすむのは、私たちはすごく恵まれていると思います。

多くのところではそんなことはできません。その多くの所でも民主主義、平和をつくっていこうと頑張っているわけで、その人たちに敬意を表する意味でも、こうやってできる私たち、こういう場をもらっている私たちが頑張らなければいけないと思います。

平和も原発も「ほろびの美」はだめ

これは「ほろびの美」はだめだということです。安倍政権は強かった、私たちは頑張ったけれどもダメだった、それではダメです。「ほろびの美」は特攻隊にさせられ選択肢をもらえなかった人たちが選択した言葉です。私たちはそうでなくて本当に、これらを維持するためにがんばらなければならないと思います。

大人になると、悪い国はあるとか、原発は必要悪だ、日本の経済があるではないか、ということが言われます。でも私は逆だと思います。原発の場合ですが、実は経済が大事だから、これから若い人たちに雇用を作るのが大事だから、そして地域にお金が残るため、だから原発がノーなのです。つまり、経済や私たちの生活が大事だから原発がノーなのです。

平和もそうだと思います。私はアメリカがどんなに軍事費を使っているか、そのためにどんなにいろいろないい事ができないのか、本当はこれは罪だと思います。いったいどのくらいお金がかかるのですか。何ができなくなるのですか。そういう事を語ってもらわないとダメです。いま絶対にそんな社会は欲しくないです。そして誰が殺すのか、誰が殺されるのか、これも語らなければいけないです。戦争こそ人権の最悪の無視だと思います。

私は、高校から大学にかけて過ごした時期にベトナム戦争がありました。私のいたアメリカの高校からベトナムに行って死んだ男の子は一人もいません。貧しい学校にいた子たちはクラスメートに何人もいます。これは本当に最悪の差別だと思います。

今私たちがやらなければならない二つのこと

私たちが今やらなければならない仕事はいくつもあると思いますが、大きくいって二つかもしれません。一つは実際にこの憲法を維持していくというそういう考えを実行しなければならない。公明党のみなさん、本当に原点にもどってください。本当に信じていることを実行してください。

もう一つ私たちが実行しなければならないことは、いろいろな人と話して、いろいろな人の意見から学ぶことだと思います。いろんな人たちの話を聞いて、自分の思っていることを言うことだと思います。これをブッシュ政権の前のアメリカ人はしなかったのです。リベラルな私たちは「なんだ共和党」と見下して言っていました。しかし共和党はしたたかで、いろいろな人と話していました。それでブッシュ政権が生まれたのです。だから今しなければならないのは、いろいろな人と本当に心を開いて話すことだと思います。

ここでいま私たちがやっているのは、同じ気持ちをもつ人たちが集まって、そしてお互いに確認しあっていることです。でもつぎのステップが大事です。それは外にいって、いろいろな人たちと話し合うことだと思います。

日本の皆さまの仕事

もう一度いいますが、私は米国人です。やらなければならないことが沢山あります。でも日本に永住している私ですので、ここでこうやって皆さんとともに参加して、憲法を守っていくことに心を寄せて思うことを発言したいと思います。

それは、この日本には200万人もの参政権をもっていない人たちが住んでいます。ここにおられる多くの方は参政権をもっています。だから本当にこれは皆さんの仕事です。頑張ってください。思っているだけだったら、沈黙を守るなら、それは安倍政権の人たちとどのように違うかということを是非考えてもらいたいと思います。心で思っているだけでなく、表現をしないと何もならないと思います。

10年後に

最後に申し上げたいのは、本当にいい夢をみられる、大事なことを維持するために、それを信じて、それをやっていきましょう。そして10年後にここに集まったら、もっと人権が大切にされているもっといい方向にいっている、憲法は維持されている、そういう社会を築いている、そういうところにしましょう。がんばりましょう。

○スピーチ○

沖縄の米軍基地撤去で平和憲法の実現を

加藤 裕(沖縄県憲法普及協議会事務局長)

私は、毎年5月3日、那覇市民会館の大ホールで憲法講演会の司会を15年間やってきました。今年はその司会を断ってこちらにうかがわせていただきました。さて多くの方が5月3日のつどいに集まって来ていらっしゃいます。

4・28と沖縄

まず沖縄からの発言というのであれば、どうしても4・28の話をせざるをえません。安倍総理念願の式典がおこなわれたわけですが、彼は主権回復の日として4・28式典を挙行しましたが、その目的は、占領時7年の間に行われた民主的な改革の数々を葬り去ることにありました。日本国憲法の制定、民法における家族法の改正だとか労働組合法の制定、教育基本法の制定、こういったさまざまな民主的な改革を葬り去る、これが意図だったわけです。

4月29日の「琉球新報」をもってきました。1面と最終面を使って抗議集会の報道がなされています。「沖縄切捨て再び」、「1万人が式典抗議」とあります。中央面も同じようにぶち抜きで報道しています。沖縄の怒りはこれほど強いものです。オスプレイの時に10万人でこれは1万人、少ないではないか思われるかもしれません。しかし歴史認識を問うだけの、1回限りの式典に抗議してこれだけ多くの県民が集まったことを、政府の側はもっと深刻に受け止めなければならない、と思っています。

沖縄の怒りはいまにはじまったことではありません。一つご紹介させていただきたいものがあります。辺戸岬―沖縄本島のいちばん北―に「祖国復帰闘争の碑」というのがあるのを沖縄に行かれた方はご覧になったことがあるかと思います。沖縄復帰後、祖国復帰協議会が復帰闘争を記念して1976年に建立しました。その「復帰闘争の碑」には、その復帰闘争が何だったのかということを復帰協三代目の会長・桃原用行さんの文章で刻んであります。その一部を読ませていただきます。

「祖国復帰闘争碑
全国のそして全世界の友人に贈る。〝鉄の暴風〟やみ、平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、1952年4月28日サンフランシスコ『平和』条約第3条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声は空しく消えた。我々の闘いは蟷螂の斧に擬された。しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ、全国民によびかけ、全世界の人々に訴えた。1972年5月15日、沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理の下に生きながらえるために、警鐘を鳴らさんとしてある。」

沖縄にとって4・28は屈辱の日である。では5・15が主権回復の日なのか、そうではない。結局それを口実にまだ米軍による支配が継続しているではないか。住民の主権が回復するのは5・15ではない。まだこれからの闘いが必要なのです。これが沖縄県民の認識です。

安倍首相は4・28の式辞でこう述べました。「沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いをよせる努力をすべきだ」と。「ただ深く思いをよせる」だけなんです。思うだけで後は何もしません。切り離した屈辱について何の責任も果たさず、これで沖縄に言及し、沖縄に思いをいたした、こんなことで満足させられたのではたまったものではありません。

自民党の憲法改正案、冒頭からびっくりです。「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」―自民党の改憲案は日本国をこのように定義づけるわけです。ここには沖縄もアイヌも当然含まれていません。沖縄の切捨て、ここにいたれり。これがいまの政権のやり方です。

普天間基地撤去とオスプレイ反対のたたかい

さて、昨年10月1日、オスプレイが普天間基地に配備されました。いま傍若無人に沖縄の空を飛びまわっています。ヘリモードという危険なモードではなるべく住民の上を飛ばない、基地の上を飛ぶと日米で合意しているにもかかわらず、浦添や宜野湾で学校の上でヘリモードで飛んでいます。一昨日には伊江島で米軍人がオスプレイからパラシュート降下訓練をおこないました。6人のうち1人が基地の外に落ちました。こういうことが続いています。

北部の高江では住民の反対にもかかわらずヘリパットが6基のうち1基が完成しました。オスプレイ用です。このヘリパットは県道70号線から100メートルも離れていません。ものすごい轟音とヘリの降下気流で県道の通行者に被害をおよぼす危険性がきわめて高い。実際に、オスプレイではありませんが、ヘリの下降気流で反対運動のテントが飛ばされたという事件も発生したわけです。

私は宜野湾の海浜公園で開かれた9・9のオスプレイ反対県民大会の閉会のあいさつでこう申し上げました。「普天間にも嘉手納にも辺野古にも高江にも全国どこにもオスプレイは飛ばさせない」と決意を述べました。しかし悔しいです。飛んでいます。何としても止めなければいけません。

本当にいまの沖縄で大きなせめぎあいが続いている情況にあります。相変わらず政府の側は“アメとムチ”です。那覇空港第2滑走路の予算が今年度つきます。5年間で2000億円です。ボロ儲けです。こんなのを政府は沖縄に配慮してバラまくことによって歓心をかおうとします。それから今年5月15日は、軍用地主の契約更新の時期ですが、軍用地主にこういう手紙が防衛局から送られてきます。「更新に協力して下さった方には1世帯あたり更新協力金10万円を差し上げます」。“つかみ金”ですよ。しかも1世帯ごとです。更新料というのは契約ごとにその契約の内容をみて決めるものですが、契約ごとではなく、1世帯あたり10万円です。しかもカッコ書きがついています。「この10万円は、売買によって軍用地を買った県外の地主には払いません」と。県民にだけこうして買収資金をバラまくことを国の予算でやるわけです。一方でこのようなことをやります。

他方で高江のヘリパット建設に反対している住民にたいして国は妨害排除の訴訟まで起こして排除しようとしている。いま国会でも原発反対のテントにそのような攻撃がしかけられていますが、これはいまの自民党改憲案の、表現の自由は公の秩序に反する目的をもった団体には適用しない、というものに通じるものです。こんなことは絶対許してはなりません。

沖縄はこのようにたいへんな情況におかれ続けています。しかし沖縄の運動は前進しています。1月27、28日、オスプレイ配備反対のために、県内の全41市町村長と議長―私も弁護士会の役員として同行しました―が、東京要請行動をして安倍総理をはじめ要請しました。1つの県の自治体の長が、全員で東京に行って要請行動をするなどということはありますか。しかも全員が署名した建白書を首相に手渡す。そして皆さんがこれからデモに行くのと同じコースをデモをしたのです。こういうことはありえない。これだけ沖縄は切羽つまっている、そして決意を固めているという状況です。これは非常に大きな重みがあると言わなければなりません。そしてその一致点は非常に大きな一致点です。

建白書で掲げた要請は2つです。1つはオスプレイ配備の撤回と撤退です。2つ目は普天間基地の即時撤去、県内移設反対。この2つの要求に県内のすべての市町村が一致したわけです。この一致点とは何だろうか。この一致点が実現するとどうなるでしようか。沖縄に海兵隊がいなくなります。当然です。海兵隊は航空部隊が居ないと意味ありません。オスプレイがいなくなるとオスプレイの部隊がいなくなります。普天間基地がなくなると航空部隊がいなくなります。海兵隊というのは、陸海空の部隊がいっしょになって敵に殴りこみをかける部隊です。陸上の兵隊だけがいても意味はありません。いま沖縄の一致点は、実際には海兵隊を沖縄から追い出すということです。

展望はどこにあるのか

さて、ここまで一致点はあると申しましても、さきほども申しましたとおり、非常にたいへんな“アメとムチ”があります。そして今の安倍政権のもとで猛烈な巻き返しがおこなわれています。
報道でもご承知のとおり、今度新しく選出された議員をはじめとして、自民党の沖縄県選出議員は、1人2人とつぎつぎと普天間の辺野古への移設になびいていこうとしています。しかし普天間の危険を除去するために止むを得ないといいますが、この論理は一体何でしょうか。原発を福島に押し付けたのと同じ論理ではないですか。普天間は危険だから辺野古といいますが、辺野古には人がいないのですか。人数の問題ではないじゃないですか。辺野古の人1人の生命でも守らなければならない。そのためには、10万人より1万人だからましだというようなことを絶対言ってはならないことです。

99年の時には沖縄県知事が県内移設を受け容れるなどのことがありましたが、沖縄の運動は強くなっています。いま自民党議員の話をしましたが県内でも自民党の関係者のなかで、断固としてがんばっている方もいます。沖縄の運動は強くなりました。

そして最終的には日本全体を変えなければいけません。もちろんこれは安保の問題です。安保を廃棄する。そういう闘いによって沖縄の基地をなくしていくことは一番大切なことです。ただ、「朝日」の世論調査では安保肯定が80パーセントをこえていましたね。なかなか大変なことです。目的は安保をなくすということにあるにしろ、それ以前にできることはいくらでもあります。沖縄の基地を縮小することはどうしたらできるか。いみじくも森本前防衛大臣は言いました。退任直後ですが、「沖縄に基地を置く理由は政治的な理由だ。軍事的な理由ではない」と。その政治的理由とは一体何なのか。それは沖縄に基地があるからで、ほかに動かすのは面倒だから。米軍としてはタダで使わせてもらって有難いから。たったこれだけのことなんです。ですから、それを変えるのはそんなに難しいことではありません。おもいやり予算をやめる。そして安保をやめるとまでいわなくても海兵隊はもういらない、尖閣列島を海兵隊などで守れない、と言えばすむ話です。こういった取り組みをしていく必要があります。

さて、沖縄の闘い、全国の闘いをどうすすめるか。希望はあると思います。
沖縄での憲法問題についての世論調査の結果が今日の「沖縄タイムス」に出ていましたが、6年前は「憲法改正反対」が46パーセント、「賛成」が43パーセントと拮抗していました。今日の「タイムス」を見ると「憲法改正反対」が51パーセント、「賛成」が23パーセントで護憲が圧倒しています。沖縄のたたかいが県民を変えてきた。日本を変えるだけでなくて県民を変えてきています。

沖縄のたたかいは長く続きます。私も裁判をやっていて、「ああ民主党政権になった。ああこの裁判も楽になる」と思いました。甘かったです。沖縄県民の長い闘いは50年代から続いています。講和条約、土地闘争、復帰闘争、そして今の基地闘争と、50年、60年闘っています。だから沖縄の人たちはちょっとのことでへこたれません。闘い続けます。そして勝利は必ずあると信じております。

最後にその闘いにあたって、沖縄の人ではなく、尊敬する福岡の弁護士の馬奈木昭雄先生、水俣病の裁判を闘った馬奈木先生がすばらしい言葉を残しています。

「われわれは絶対に負けない。なぜならば勝つまで闘うからです」

沖縄県民も勝つまで闘います。これは沖縄の闘いではありません。沖縄は怒っている、でははなくて日本が怒らなければダメです。私たちは一丸となって勝つまで闘いつづけましょう。

生かそう憲法 輝け9条 あらゆる憲法改悪を許さず
今こそ平和といのちを尊重する社会へ
5・3憲法集会2013 アピール

昨年末の総選挙の結果、再登場した安倍内閣は前回の醜態のリベンジとばかりに、憲法改悪の策動を強めています。防衛費の増額、武器輸出3原則の緩和などをすすめながら、集団的自衛権の行使を可能にしようと、かつての「安保法制懇」を再起動させ、国家安全保障基本法の制定を企てるなど、究極の解釈改憲をすすめようとしています。また安倍政権はこの夏の参議院選挙で改憲発議に不可欠な3分の2の議席を獲得し、「天皇を元首」に「戴いて」、「国防軍」で戦争をする国をつくるという自民党の「憲法改正草案」の実現にむけて、領土問題などで国際緊張を煽りながら、維新の会などと連携し、立憲主義を破壊し、憲法改悪を容易にする96条改憲を突破口にしようとしています。
こうした安倍政権のもとで日本国憲法はいま重大な危機にさらされています。

一昨年の東日本大震災と東電福島第一原発の爆発が多くの人びとにもたらした苦難と危機はいまだに解決のメドもついていません。にもかかわらず原発再稼動に踏み出しています。沖縄では「復帰」41年になるいまもなお、米軍基地が集中し、オスプレイの強行配備や辺野古新基地の建設が強行されようとするなど、差別と圧政が続いています。私たちにとって、屈辱と従属の日である4・28を祝うなど、もってのほかです。安倍政権による労働者いじめ、消費税増税、社会保障の大改悪、TPP参加などによって、社会のいたるところで貧困と格差が拡大し、人びとの人権と暮らしが脅かされています。

このようなときこそ、憲法の平和・人権・国民主権の原則を守り、生かされることが肝要です。安倍政権の改憲策動は人びとの切実な願いに逆行するものです。

私たちは2001年以来、5月3日の憲法記念日を軸にして、思想・信条、政治的立場の違いを超え、あらゆる憲法改悪の動きに反対し、憲法を生かし、実現するための広範な共同行動をすすめ、それは全国各地にもひろがっています。私たちは安倍政権が96条を手始めに全面的な改憲に乗り出した今日ほど、こうした共同が求められている時はないと確信します。

本日、13回目の「5・3憲法集会」に参加した私たちは、安倍政権の改憲暴走を許さず、いまこそ憲法を生かし、第9条を輝かせるため、いっそう力を合わせて、運動を強めることを呼びかけます。

2013年5月3日  5・3憲法集会2013 参加者一同

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第77回市民憲法講座 安倍政権と「慰安婦」問題

(編集部註)4月20日の講座で梁 澄子さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

お話: 梁 澄子(ヤン・チンジャ)さん(在日の慰安婦裁判を支える会、「戦争と女性の人権博物館」日本建設委員会代表、「日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表」)

自民党の政権公約と安倍首相の国会答弁

自民党は2012年11月21日には「各種の戦後補償裁判やいわゆる慰安婦問題の言説などにおいて、歴史的事実に反する不当な主張が公然となされ、わが国の名誉が著しく損なわれています。これらに対しても新機関の研究を活用し、的確な反論・反証を行います」という政権公約を発表して、そして選挙に勝つわけです。12月26日に第2次安倍政権が誕生し、その翌日の27日、菅官房長官は村山談話については踏襲すると言いながら、河野談話に関しては見直しを含めて有識者で検討することが望ましい、つまり 「新機関の研究を活用し、的確な反論・反証を行う」とした自民党の公約に従って河野談話に関しては見直しのための研究を始めるというようなことを言いました。安倍首相も12月30日の産経新聞の単独インタビューで同じようなことを発言しているんですね。

ところが年が明けていままで見てきても安倍政権は、それほど活発にこの問題について触れていない感じがしているんじゃないかと思います。新年になってから国会で、たびたびこの問題について質問がされています。

1月31日に共産党の志位和夫委員長が本会議で質問をしたのに始まって、2月7日には前原誠司さんが質問していますし、2月18日には民主党の小川敏夫議員が参議院の予算委員会で、また3月8日には衆議院の予算委員会で辻元清美議員が質問しています。同じ日に質問している中山成彬議員は、フリップに朝鮮人の女性たちをだまして連れて行ったのは全部朝鮮人の業者だったというような内容を書いて、それをずっと出したかたちで自説を展開して、首相に対しては「答弁は求めません」と、質問ではなくて自分の主張をするためにテレビ中継を利用しているものでした。4月1日にも同じく維新の会の杉田水脈さんという議員も質問しています。

維新の会は除いて、民主党や共産党の質問に対して安倍首相がどういう答弁をしてきたかというのを見ると、大きく2点、ふたつのことだけを繰りかえし言ってきました。まずひとつは、河野談話は当時の河野官房長官によって表明されたもので閣議決定もされていない単なる官房長官の談話なので、首相である私が出るまでもなく官房長官が対応するのが相当である、と言って逃げる。閣議決定されていない官房長官の単なる談話に自分が答える必要はないということです。そういう言い方をすることによって河野談話を貶めるというそういう戦法に出ていると思います。

もうひとつは、この問題を政治問題、外交問題化させるべきではないということです。わたしはこれを聞くたびにいつも不思議に思うんですが、安倍さんが政治問題、外交問題にするべきじゃないと言ったらならないものじゃないんですね、外交問題というのは。外国の被害者が解決してくれと訴え続けて、その国の政府が被害者の思いを受けて日本政府に対して解決しろと迫る。しかし日本政府がそれに応えなければ、それは外交問題化するんです。「するべきじゃない」と言ったからといって、ならないものではないんですが、ひたすらこれを言って、それ以上私が外交問題なっちゃうようなことはいわないようにしてよ、ということなんでしょうか。そういうことを言って切り抜けようとしています。

忘れてしまった? 第1次安倍政権当時の謝罪

それから、第1次安倍政権時代の問題とからんでくるものがひとつありまして、それは3月8日の辻元議員の質問です。ふたつの用意した答弁でずっとお茶を濁してきた安倍首相が、珍しく気色ばんで自己主張したんですね、辻元議員の質問に対して。その内容を、本当は映像で見てもらうとおもしろいんですね。2013年3月8日の衆議院予算委員会で辻元清美議員が質問した前置きの話の中で、「(首相は)アメリカに行かれて、前回のとき、ブッシュ大統領に対してこの問題で釈明をしたということを、ブッシュ大統領みずからがそのときの記者会見でおっしゃいましたよね」と、ここでは安倍さんが釈明した内容を記者会見で2人して発表していましたよね、ということを言ったんです。ここが彼の琴線に触れたらしく、「(2007年の)ブッシュ大統領との間の日米首脳会談においては、この問題は全く出ておりません。」、「この問題」、つまり「慰安婦問題」は2007年当時に全く出てきていないというわけです。そのあと日本語理解が難しい内容をずっと言ったあと、とにかくいま辻元さんが言ったことに対しては「その事実関係が違うということだけははっきりと申し上げておきたいと思います。」と断言しました。

ところがネットで2007年当時の記者会見がいま盛んに流れていまして、それを見ると2007年4月28日の日米首脳会談後の共同記者会見で安倍さんはこう言っています。慰安婦問題について質問されて「昨日の議会関係者との会合においても申し上げたわけでありますが、慰安婦の方々が非常に困難な状況の中で辛酸をなめられた、苦しい思いをされたことに対して、人間として、また総理大臣として心から同情をいたしておりますし、そういう状況におかれていたということに対して申し訳ないという思いでございます」。「同情」なんてされたくないんですけれどもね、「総理大臣として」ってはっきり言っているんですね。「申し訳ない」と言っているんです。映像で見ると、本当に言いにくそう、つらそうです。

それで「20世紀は人権が侵害された時代でもありました。21世紀を人権侵害のない素晴らしい世紀とするために、私も、日本も、大きな貢献をはたしていきたいと思っています。このことについて大統領にお話をいたした次第であります」。これは「首脳会談でお話をいたした」ということですね。このあとブッシュが、「アイ・アクセプト」、「わたしはあなたの謝罪を受け入れた」とか――あなたに謝っていないと思うんですけれども――、「慰安婦問題に関して安倍さんが謝罪したことをわたしは受け入れる」とか言っているのまで――これを見ると楽しく、楽しくもないか--わかります。

こういうことを言っていたんですが、予算委員会ではいっさいこのことは日米首脳会談で話したおぼえはないと言って、ある種の物議を醸しています。

海外から批判強まる安倍政権の歴史見直し

国会答弁に対しては用意されたふたつの答弁でやっている安倍さんが、一方で韓国誌「月刊朝鮮」3月18日号で慰安婦問題に関する新しい政府談話を戦後70年の節目に当たる2015年に発表することを目指すというようなことを言っています。

これはどういうことかというと、逆に言えばいまは出せないということなんですよね。首相になったとき、または選挙運動の時には、自民党が政権を取りさえすれば河野談話は見直すという勢いがありましたけれども、結局政権を取ってみたらそうそう簡単にこれはひっくり返すことができないことだということがわかってきたことだと思います。

どのようにわかってきたのか、何がわかってきたのかというと、まさにアメリカの圧力ですね。政権を取ってみたら、アメリカからいろいろな圧力がかかってきました。2013年に入って、1月2日にはニューヨーク・タイムズが社説で安倍政権の河野談話見直しの動きを非難しています。また1月5日にはイギリスのエコノミスト誌が「過激なナショナリストたちによって構成された安倍内閣はこの地域に悪い兆しになっている」という記事を出しています。1月13日には日豪外相会談でオーストラリアのカー外相が「(慰安婦問題は)近代史で最も暗い出来事の一つであり、(河野談話の)見直しは望ましくない」ということを言っています。

1月29日なると、ニューヨークの州議会上院で「慰安婦」は人道に対する罪だとしたうえで、巻き込まれた女性たちの尊厳をたたえる内容の決議が採択されました。ここでは「なでしこアクション」という在特会系の女性団体が「決議をあげるな」という電子メールを送り続けた。これが逆効果となってニューヨーク州上院議員たちが怒って、決議採択に拍車をかけたといわれています。これはまさに第1次安倍内閣の時、2007年にアメリカの下院で、日本軍慰安婦問題に対して日本政府がきちんと謝罪して賠償すべきだという決議を世界で初めて採択したときとちょうど同じ状況です。採択するべきじゃないという攻勢を右派の人たちがかけて、ワシントン・ポストに「THE FACTS」という意見広告を出して、かえって採択を促した状況が当時ありました。今回も同じように右派の議員たちの採択するなという圧力行動が、逆に採択を促しました。

さらに、3月8日にアメリカのニュージャージー州バーゲン・カウンティの裁判所前の「メモリアル・アイランド」に、慰安婦追悼碑が建設されて除幕式が行われます。アメリカでは4つめの日本軍慰安婦に対する追悼碑になります。このバーゲン・カウンティの追悼碑がなぜ大事かというと、ホロコーストとかアルメニア人虐殺、黒人に対する奴隷制、アイルランドの大飢饉の犠牲者などに対して追悼する碑がここには建っているんですね。ホロコーストの犠牲者に対する追悼碑と並んで日本軍慰安婦被害者に対する追悼碑も建ったということで、いままでに建ったほかの追悼碑とはまた違う意味で非常に意義深いものだったと思います。

「少女像」ではなく「平和の碑」

3月27日には、カリフォルニア州グランデール市議会が「平和の碑」を建てる決議を採択しています。「平和の碑」というのは一昨年、2011年12月に話題になった韓国・ソウルの日本大使館前に建っている少女像、日本では「少女像」といわれていますが、実はちゃんと名前がありまして「平和の碑」という名前です。日本大使館前では、20年前から1000回にもわたって水曜デモが行われてきました。被害者自身がそこに立って解決を訴えてきたんですが、実はあの場がそこに来る若者とか、日本人をはじめとする外国人とか、こういった人権侵害の問題がきちんと解決されるべきだと考えている人たちとの交流の場にもなってきたんですね。

そこでハルモニたちは、わたしが直接支援してきた宋神道さんもそうですが、はじめは、自分はどうしてこんな被害にあったんだろう。半世紀もの間、性暴力の被害であったために人には言えないできたけれども、勇気をもって人に話し始めた。はじめは信じてもらえないかもしれないという不安を抱えて話すけれども、話したら受け入れてくれる人がたくさんいる。そういう中で、自分自身の被害をある程度時代の中で客観視できるようになった。それは、だまされた自分の落ち度ではなかった。悪いのは戦争遂行のために女性の人権を踏みにじって、もののように、道具のように扱った日本国にあることに気づいていった。人びとと交流する中で、自分のような被害者が2度と生まれないように。本当に戦争のない平和な世界をつくることが大事だということを、自分の被害から、自分の被害に対して別の見方、客観的な見方ができるようになった上で、さらにそれを社会に還元する、自分の被害を社会が良くなるためのひとつのツールになってくれないか、ひとつの教訓になってくれないかということで、普遍的な平和を訴える活動家になっていく。

これは宋神道さんも本当にそうでした。韓国でも名乗り出て、人びとの前で証言活動をしたり、あるいはアメリカで2007年に下院で決議されたときにしても、被害者が直接行って議会で訴えています。そういう活動した人は本当にごく一握り。おそらく何万といる被害者の中で、多くの人たちが戦時中に亡くなった。最後まで生き残った人も、戦後半世紀経たないと女性たちが名乗り出られなかったことを考えると、それまでの間にまた多くの人が亡くなった。また、乗り出られるような状況がやっと社会の中に形成された、受け止める人がいるということがわかったあとからでも、やはり名乗り出ることができた人はほんのわずかなんですよね。いまだに名乗り出ることができずに鬱々としている方もいらっしゃると思います。

また韓国では235人が政府に対して申告しましたけれど、社会的な活動をすべての人がしたわけではない。そう考えると、本当にたくさんの被害者の中の砂粒のようなほんの数人だけが社会的な活動をして、自分の被害を見直して、社会に貢献する人びとと交流する活動ができたわけです。そのごく一部の人はこの間平和の活動家になって、自分の経験を踏まえていかに平和が大事かということを訴えてきたんです。

あの少女像は、日本では反日の像という感じでずいぶん喧伝されました。けれども、やはりわたしたちは、ハルモニたちの平和に対する思いが込められているから「平和の碑」という名前になっていると理解していました。あれを日本政府が非常に嫌がって、反日の碑だという。大使館の前に少女が座っているわけです。考えたら怖いですね、確かに。慰安婦にされて引きずられて行った時の少女が、座って静かに大使館を見つめているんですね。見つめられて仕事をするのが嫌だっていうのは、やっぱり後ろめたいんですよね。

3月27日に戻りますと、グランデール市議会ではそれと同じものを建てる決議をしました。それまでのものは石に文章が刻まれたものですが、今度は、あの少女像と同じものが公の場に、市議会で採択されていますから、市議会が提供する公的な場所に建てられるわけです。その事と関連してグランデール市長が韓国に行って「戦争と女性の人権博物館」を訪問し、またハルモニたちと直接会いました。いま博物館のすぐ近くに、ハルモニたちが住んでいらっしゃる共同住宅があります。ナヌムの家が有名ですが、あれはソウルから2時間のところにあるんです。それとは別個に韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)という運動を推進している団体が運営しているハルモニたちの家があるんですが、そこにも訪問して平和の碑を建てることについて相談して帰っていきました。

なぜアメリカでこれほど動きがあるのかというと、欧米の感覚からすれば、安倍さんたちが言っているような寝込みを襲って暴力的に連れて行くような強制連行はなかった、なんていうのは全く通じないんですよね。そういうことはしていないけれども国家が公認したいわば管理売春のような――わたしは決して慰安婦制度が管理売春制度とは思っていません、性奴隷制度なんですけれども――、国家が女性たちに暴力的には連れてきていないにしろ、そこに行けばお金が稼げるとかそういうかたちで女性たちをだまして連れて行った。嫌がる女性たちに戦争遂行のために性の相手をすることを強要したとしたら、現代の欧米の感覚では明らかに人権蹂躙で人権侵害で、大きな問題なのに、国家たる日本政府が「軍や警察が無理矢理につれていったんじゃないんだから悪くないじゃん」と言うというのは全く受け入れられないんですね。

安倍政権で逆に解決の可能性か

相手にする政権が河野談話という、少なくともそういうことは恥ずかしいことだったということを認めたものを変えようとしようものなら、アメリカ政府としても日本政府に対して何か言わざるを得ない。具体的にいうと、1月6日に日経新聞が「アメリカの政権が『河野談話』など過去の歴史認識の見直しに対して慎重な対応を求めていたことがわかった」と報道していまして、「特に『河野談話』を見直すことになれば米政府として何らかの具体的な対応をせざるをえない」と述べ、「正式な懸念を示す声明の発出などの可能性に言及」したということを報道しています。小さな記事であまり気にとめられなかったようですが、ほかのところで聞いた話でもアメリカ政府が日本政府に対して「脅した」といっている記者もいるようで、かなり強く迫ったようです。訪米するならばそういったことに関してきちんとした対応をすることが条件とされていたようです。

こういう中で安倍政権がいまおとなしくしているのは、アメリカからの圧力が強くて彼らがやりたかったことがいまはできないということですね。わたしたちは民主党政権が樹立されたときに、いよいよ解決できるんじゃないかといろいろな活動をかなりしました。安倍政権では、これでもう解決は遠のいたかと一瞬思いましたが、いまの状況を見ると逆に解決の可能性はあるかもしれないと思うんですね。

民主党政権では、世論のバックアップがなかったことと野党の強力な反対があったことで、何もできなかったわけです。ところが安倍政権が、この問題を解決しないことには欧米ともうまくやっていけないし、もちろん東アジア含めアジア諸国ともやっていけないことに気づけば、この問題をまず解決せざるを得ない状況が来る可能性はあるわけです。そのときに野党は反対しないはずなので、そう考えると民主党政権時代よりももしかしたら解決するかもしれないと、わたしは希望を持っています。やっぱり希望を持たないとだめですよね、運動家は。

挺対協の尹美香代表は「希望の伝道師」というあだ名を持っているんですが、どんな暗い状況の中でも希望を語ります。日本ではこんなに右派が強くなって、とわたしたちが落ち込むと、それは右派が終わりになるからなのね、そのくらい追い詰められているからそういう行動に出るのよ、希望があるわねってすべてを希望に結びつけるんです。それを見習うと、政治的には可能性が十分に出てきたと思います。

欧米からのプレッシャーだけでなく、もうひとつの可能性としては韓国政府の動きがあると思います。朴槿惠・女性大統領になって韓国政府もこの問題をやるでしょうという人もいますが、あまりそれは関係ないと思います。今のところはこの問題について朴槿惠さんは発言していませんし、わかりません。ただ韓国政府が2011年以降この問題の解決に動き始めたのは、李明博さんが突然目覚めて動き始めたわけではありません。ご存じのように2011年8月に韓国の憲法裁判所で出た決定が大きいたわけです。あの決定はいまも生きていて、いまも韓国政府を縛っています。

この決定が今年の8月30日で2周年を迎えますので、その頃までには韓国政府は何かせざるを得なくなる。朴槿惠政権も正式に出発しましたので、慰安婦問題についてそろそろ何かをいわざるを得なくなる。当事国のひとつである韓国政府からいわれ、アメリカから背後で圧力を受け、安倍政権としてもこの問題で何かしなくちゃいけない状況になる可能性は十分にあると思います。

ただそこで危惧されるのは、安倍政権としてはこれをやらないと国際社会で生きていけなくなることは何とか理解できたとしても、それから先の解決案を考えるときに、これを解決しないと日本の国益が損なわれるから何かやらないと、という発想から出てくる案は、常に被害者の反発を受けるんですね。安倍政権のそういう動きが出る可能性はあると思うんですが、結局は被害者が受け入れられるような案が作れないために、また複雑になる、結局だめ、ということも十分あると思います。

ですからわたしたち市民運動、運動体としてはそこを理解させる。どういうものを出さなければこの問題は解決できないのか。日本政府にできることはこれだけです、国益から考えるとこういうことをやります、では被害者は納得しないことを理解させることが、わたしたちの役割でしょう。「世界で生きていけないよ」ということは、韓国政府やアメリカ政府が教えるんですね。その先のやり方は、わたしたちじゃないと教えられないようなところがあって、いずれそういうことをやるようなステージが生まれると信じて準備しているところです。

日韓請求権協定の議論を被害者が情報公開請求

韓国政府が8月30日に憲法裁判所の決定2周年を迎えるに当たって、必ずプレッシャーを受けるだろうといいました。これは日韓請求権協定と呼ぶ、「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定」(1965年6月22日締結、同年12月18日発効)の問題です。これは日本軍慰安婦被害者だけでなく、日本の植民地支配下で被害を被った韓国人が日本政府に対して損害賠償を請求すると、日本政府は必ずこの日韓請求権協定で解決したといままで答えてきました。

具体的にいうと第2条です。第2条の中に「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」とあります。この「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」という文言で、すべての請求権は全部ここで解決されたと日本政府は答弁してきました。

これはあくまでも国の外交保護権を放棄しただけだという議論は、日本の被害者がアメリカやソ連を相手に、シベリヤ抑留や原爆の被害者に対して請求できるのかという質問が国会であったとき、日本政府は「国と国との間で国民に対する外交保護権を放棄しただけで、あなた方国民ひとりひとりの請求権まで国が勝手に捨てちゃうなんてできないんですからもちろん放棄なんかしてません」と答えてきました。しかしアジアの被害者たちが90年代に入って日本政府に対して個人の請求権を突きつけるようになったら、「あなた方個人の請求権まで含めてあそこで放棄されたんですよ」と言うようになった。

細かくいうと、90年代はまだそういう言い方はしなかったんです。その当時はまだいくら何でも恥を知っていたのか、自分達の国民に対してはこういっていたのに、外国人に対しては違うことを言えないじゃないですか。そこの整合性は持たせようとしていたんですが、2000年代になってからは、露骨に個人の請求権もあれで放棄されたとはっきりと裁判の場などで日本政府は言うようになりました。

日本軍慰安婦被害者たちが、2002年10月に軍人軍属たちと一緒にソウルの行政法院=ソウル行政裁判所に情報公開訴訟を出しました。これは日本政府に自分達の権利を主張すると、日韓請求権協定であなたたちの請求権は全部なくなったといわれるので、それが本当なのかを確かめるためにすべての情報開示を求めた。条約だとか国際的な協定は、その協定文・条約文に書かれたことももちろん大事ですが、そこに至るまでの過程で何が議論されたのかということが大事です。ところが日本政府は、まだ朝鮮民主主義人民共和国との国交が正常化していないのでそれに影響を与えるということで、これまで日韓会談の過程で何があったのかを開示していません。韓国に対してもそれに影響があるので開示しないでくれと言ってきて、日韓両国で公開されてこなかったんですね。

反人道的不法行為は未解決・韓国政府が見解

これを公開しろという行政裁判を起こしたところ、1年半後の2004年2月に原告側が勝訴します。それを受けてさらに1年後、2005年に入って韓国政府は日韓会談関連文書を全部公開しました。これは全面公開、一件残らず公開します。盧武鉉政権の時です。盧武鉉政権は、これを発表するときに「国民の知る権利を守るために」と言ったんですね。公開せざるを得ないときはこれくらいかっこいいことを言った方がいいですよね。日本にもわたしたちが知る権利はあるんですが、全然保障されていなくてちっとも開示してもらえない。韓国の「民官共同委員会」が、2005年8月26日に「日本軍慰安婦問題等日本政府軍等国家権力が関与した反人道的不法行為については請求権協定によって解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任は残っている」と表明しました。

韓国政府に言わせれば、この請求権協定は財産関係の問題を整理したものだ。つまり日本の植民地になったわけですから、日本人が残してきた財産に対してあとから請求できるのかという財産関係の問題と同一の問題として、日本軍慰安婦問題のような重大な反人権的な行為、国家の不法行為に対して一緒くたにまとめて解決しましたなんていうことはない。あそこでは全然解決していませんといったんです。

ここで日本政府と韓国政府の日韓請求権協定に対する見方が違うことが明らかになったんです。すべてあれで解決したという日本政府と、あそこでは反人道的な不法行為に対してまで解決したわけがないという韓国政府との間で解釈に違いがある。これを「解釈上の紛争」と言うそうです。

先ほどの条文を見ると第2条で「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」としたあと、第3条で「この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする。」とあります。そして2項で 「1の規定により解決することができなかつた紛争は、いずれか一方の締約国の政府が他方の締約国の政府から紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から30日の期間内に各締約国政府が任命する各1人の仲裁委員と、こうして選定された2人の仲裁委員が当該期間の後の30日の期間内に合意する第3の仲裁委員又は当該期間内にその2人の仲裁委員が合意する第3国の政府が指名する第3の仲裁委員との3人の仲裁委員からなる仲裁委員会に決定のため付託するものとする。ただし、第3の仲裁委員は、両締約国のうちいずれかの国民であってはならない。」とあって仲裁委員会をつくって解決するとしています。

いずれにしても解釈上の紛争、日本と韓国が別の解釈をしていることが明らかになったら、外交上のルートを使って解決する努力をした上で、だめだったら仲裁委員会をつくって解決するというように、解決の仕方までこの協定には定められていたんですね。

解決に動かない韓国政府へ憲法裁判所が違憲判決

ところが韓国政府は2005年にこの発表をしたあとも、解釈上の紛争を解決するための具体的な動きをしなかった。それで被害者たちは翌2006年4月5日に、これは国家がやるべきことをやっていない、怠慢だと憲法裁判所に提訴したんです。日本では地裁、高裁、最高裁ですが韓国では地方法院、高等法院、大法院となります。大法院が最高裁判所に当たります。日本は最高裁判所が条約違反とか憲法解釈をしますけれど、韓国は地方法院、高等法院と上がっていく過程で、これは憲法解釈が必要だと裁判所が判断すると憲法裁判所に送ります。

さらに個人が最初からこれは憲法違反だと思ったら、憲法訴願といって直接憲法裁判所に訴えるやり方もあって、ふたつのルートで事件がそこに集まります。これは一応最高裁に当たる大法院と並ぶ機関です。ただ実際にはちょっと低く見られているというか、あとからできた機関です。最高裁と憲法裁判所があるのはドイツ型らしいんですが、大法院の判事たちは非常に権威的な、昔からある最高レベルに上り詰めたという感じで、それに対して新参者の憲法裁判所は、少し下に見られているようなところがあるらしいです。だからそこの裁判官が意地を張ってがんばったという噂があるんですけど。すごくいい判決を、この憲法訴願に対して出します。

2011年8月30日、つまり5年後にあっと驚く勝訴判決が出るんですね。挺対協やハルモニたちもまさか勝つとは思っていなかったらしく、勝ったことを聞いたときにキム・ボクトンハルモニが「たまにはわたしたちが勝つこともあるのね」と言ったという。それくらい期待はしていなかったらしいんです。ある意味では非常にまっとうな判決が出ました。

判決の内容は、主文として「請求人らが日本国に対して有する日本軍慰安婦としての賠償請求権が『大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定』第2条第1項により消滅したか否かに関する韓日両国間の解釈上の紛争を、上記協定第3条が定める手続に従い解決せずにいる被請求人の不作為は違憲であることを確認する。」というものです。

第2条に対する解釈上の紛争を第3条が定める手続きに従って解決していない被告(国)の不作為は違憲であるという非常にまっとうな判決、憲法裁判所から出るものは言葉としては決定ですが、判決ということです。このようなことがありますので韓国政府は必ずまた動き出すと思いますし、欧米社会のプレッシャーは続くので河野談話の見直しはおろか、おそらくこの問題を解決しないとにっちもさっちもいかない状況が生み出されるのではないかと思います。

余談になりますがこの憲法裁判所の判決が出た翌年、2012年5月には韓国の大法院が三菱重工と新日鉄に強制連行された人たちの裁判で、これに勝る判決を出しました。これは自分達よりもちょっと下かなと思っていた人たちがいい判決を出して騒がれたんで、がんばったんじゃないかという噂もあるんですね。

安倍首相の「慰安婦」認識

ここであらためて安倍首相の慰安婦認識を振り返っておきたいと思います。第1次安倍内閣の時に、やはり慰安婦問題の発言でいろいろと問題になりました。どういうことかというと、「狭義の強制」と「広義の強制」ですね。当時わたしたちの間でははやったんですけれど、「いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。つまり、家に乗り込んでいって強引に連れていったのか、また、そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったことについての関連があったということがいわば広義の強制性ではないか」(衆議院予算委員会、2006年10月6日)と言っていた。翌年2007年3月5日の参議院予算委員会では「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった」、つまり「狭義の強制性」はなかったというようなことを言っています。

この2007年がどういう年かというと、この年の7月30日にアメリカ下院決議が採択されます。このときはもうアメリカ議会で決議採択の動き、運動が盛んに行われているときですね。議員たちも動いているし市民が動いているときです。そういうときに日本で安倍首相がこういうことを言っているということで、アメリカでこれに対する非常に強い批判が出てきました。こういうことが決議採択に逆に追い風になっていきます。

3月5日の答弁に対して、辻元清美さんが質問趣意書を出します。その質問趣意書の3月16日付け答弁書の中で「平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。」と言っています。これが結局、その後の問題になってきます。

河野談話は閣議決定をしないで出した談話である。しかし質問趣意書は答弁書を出すときに必ず閣議決定をしないと出せないシステムになっているんですね。ですからこの答弁書も閣議決定をして出したものです。最近になって二番煎じでこの論議に入り込んでいる橋下徹大阪市長も、閣議決定もしていない河野談話なんかより2007年に閣議決定して政府の調査では強制連行を示すようなものはなかったといっている方が格が上だ、閣議決定されているこの答弁書で言っていることが国家として大事だ。なんといっても閣議決定しているんだから、と盛んに言っているのはこれのことなんですね。

こういったものも出して、さらに2007年6月14日にはワシントン・ポスト紙に意見広告が出ます。実はこの6月14日の意見広告が、最終的には決定的に7月30日の下院決議を促してしまうんですね。安倍さんの日米首脳会談の記者会見は4月28日でした。ですからこの答弁書とワシントン・ポストの間に、日米首脳会談があるわけです。安倍さんはアメリカに行きたいけれど、こういう状態で物議を醸していてアメリカでも批判も強いので、来る前に相当釘を刺される。この意見広告を出したワシントン・ポストで単独インタビューをして、その中で慰安婦問題について最後の最後に引き出されるようにお詫びも言っているらしいんです。さらに首脳会談の場で本当に言いたくなさそうに申し訳ないというようなことも言ったんですけれど、6月の意見広告でそういうことも水の泡になった。7月に決議採択というようにグンと流れていくんですね。

その原因をつくったというか、最終的なきっかけを作った意見広告とほぼ同じ内容の意見広告が、昨年11月4日にスターレッチャーという新聞に出たんです。スターレッチャーという新聞はニュージャージー州の地方紙です。ニュージャージーは、パリセイズパークというところに日本軍慰安婦の追悼碑を最初につくったところです。そこに日本の総領事が碑を撤去してくれと言ったとか、その代わりに桜の木を贈呈すると言ったとかで問題になりました。自民党からも山谷えり子とかの議員も4人行って撤去を求めたりして、ひんしゅくを買ったんですね。その碑があるニュージャージー州の地方紙に意見広告を出しました。この内容は2007年にワシントン・ポストに載せたものとほとんど同じです。5年経ってもほとんど進歩がない。

「強制連行」の連れて行き方が問題ではない

意見広告に書いてある内容を含めてどのような反論ができるのか、どのような見方をするべきなのかを話してみたいと思います。彼らはとにかく連行の時に、女性たちを連れて行くときに、寝込みを襲うようにして抵抗する女性たちを暴力で連れて行く、それが「強制連行」なのであって、そういうことをしていなければ悪くないことを信じ込ませようとしていると思うんです。でもその事は、現代の法律用語で言えば「略取」ですね。

略取とは「さらわれる者(被拐取者という)または被拐取者の保護者の意思に反して、暴行、脅迫等により、被拐取者を自己または第三者の支配下に置くこと」です。それに対して「誘拐」というのは「人を騙したり、誘惑したりして被拐取者の判断を誤らせた上、任意に随行させ、自己または第三者の実力支配下に置くこと」です。橋下さんは弁護士なのでこういうことはよくわかっていると思うんですが、誘拐はいいけど略取はだめということを言っているのと同じです。

本当にそうなのかということですが、現行の刑法では「未成年者を略取し、又は誘拐した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。」(第224条)、また「営利、わいせつ又は結婚の目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、一年以上十年以下の懲役に処する。」(第225条)ということで、連行の方法が略取か誘拐かで量刑が変わる規定はないんですね。

橋下さんが法律家だと言いましたが、一般人でもわかると思います。わたしたち普通の人間の感覚として、子どもを殴って連れて行って身代金を要求したとか、殴って連れて行って死に至らしめたから許せないんじゃなくて、「お母さんが待っているよ」といってだまして連れて行って身代金を要求した、だまして連れて行って死に至らしめた。そちらのことが常に問題にされるんです。そこで量刑は決まるんだと思うんです。連れて行き方の問題じゃないわけです。

それなのに彼らはことさら連れて行き方の問題に置き換えて、人をだまそうとしているんですね。確かに朝鮮半島や台湾などの植民地から連れて行かれた女性たちは、彼らの言う「狭義の強制連行」、殴って殴って連れて行かれたというのよりも、だまされて、誘拐、人身売買が多かったと思います。全部じゃないけれども、ほとんどはそうでした。彼らの言うとおりです。

誘拐は、戦前から刑法違反の犯罪・文書資料4点

先ほど現行刑法の話をしましたが、これは現在の社会だから許されないことではないんですね。当時から誘拐は刑法違反だったんです。本当は被害者が証言しているだけで十分だとわたしは思うんですが、彼らは文書資料がないということをやたらと言うので、文書資料で反論する資料を4つほど紹介します。最初の資料は毎日新聞で1997年8月6日に報道されたものです。
1937年3月5日大審院判決についてです。

「中国・上海の海軍慰安所で『従軍慰安婦』として働かせる目的で、日本から女性をだまして連れて行った日本人慰安所経営者らが、国外移送目的の誘拐を禁じた旧刑法226条の『国外移送、国外誘拐罪』(現在の国外移送目的略取・誘拐罪)で1937(昭和12)年、大審院(現在の最高裁)で有罪の確定判決を受けていた。〈中略〉『国外移送誘拐被告事件』と題されたこの判例によると、事件の概要は、上海で軍人相手に女性に売春をさせていた業者が、32年の上海事変で駐屯する海軍軍人の増加に伴い、『海軍指定慰安所』の名称のもとに営業の拡張を計画。知人と『醜業(売春)を秘し、女給か女中として雇うように欺まんし、移送することを謀議』し、知人の妻らに手伝わせ、長崎から15人の日本人女性を上海へ送った。」

ということです。

これはもうだましているんですから略取ではなく誘拐していったんですが、誘拐して海外に移送するというのは、当時の日本国の刑法においても明らかに犯罪であったという資料です。でもこういう資料をもって右派の人たちは「こんなふうに悪徳業者から日本国は女性たちを守ってあげていた」と言うんですね。それは違います。この人たちは軍に指定された業者ではなく、勝手にやっていたんです。軍が慰安所を制度的につくって業者をちゃんと選んでいる。その選んだ業者以外の人がこういうことをやると取り締まられた。その事を示すのがつぎ以降の資料です。

1938年3月4日の陸軍省副官通牒「軍慰安所従業婦等募集に関する件」には「募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於テ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス」とあります。派遣軍がきちんと募集を統制して適当なきちんとした業者を選んで、さらにその業者たちを派遣したら関係地方の憲兵とか警察との連携を密接にしろ、そしてそのあとに「内地に於て募集し現地に向はしむる醜業を目的とする婦女は約400名程度(外に募集連行せざるも現地に向ふものありと思料す)とし、大阪(100名)、京都(50名)、兵庫(100名)、福岡(100名)、山口(50名)を割當て県に於て其の引率者(抱主)を選定して之を募集せしめ現地に向はしむること」ということで、具体的にどこから何人、どこから何人というふうに指示を出しているんですね、陸軍省が。

陸軍ではそういう通牒を出して指令を出していますが、では警察はそれに対してどういう対応をしたのかというのが次の資料、内務省警保局長通牒「支那渡航婦女の取扱に関する件」(1938年2月23日)です。内務省警保局というのは警察を管轄しているところですが、ここでは

「一、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ 現在内地ニ於テ娼妓其ノ他事実上醜業ヲ営ミ 満二十一歳以上 且 花柳病其ノ他伝染性疾患ナキ者 ニシテ 北支、中支方面ニ向フ者ニ限リ当分ノ間之ヲ黙認スル コトトシ昭和十二年八月米三機密合第三七七六号外務次官通牒ニ依ル身分証明書ヲ発給スルコト」

ここで「 満二十一歳以上」というのは、当時醜業条約といわれていた婦女売買禁止条約で21歳以下の女性を醜業(売春)に就かせてはいけないという項目があり、この国際条約に日本は加盟していたので、それに抵触してはいけないということで日本から連れて行く場合には必ず21歳以上としたんです。朝鮮半島は違います。これは植民地には適用されていなかったので、朝鮮半島からはかなり幼い子どもたちが連れて行かれています。14歳、15歳という少女たちです。内地にのみこの21歳以上というのを適用していました。

ここでは「北支、中支方面ニ向フ者ニ限リ当分ノ間之ヲ黙認スルコト」とあり、先ほどの1937年の大審院判決では業者たちを取り締まっています。それは軍からも指定されていなかった業者だったので厳しく処罰しているんです。日本軍慰安婦制度自体が1937年の南京事件以降、陸軍が制度的に展開していきますので、この判決のあとになります。1938年にこういう通牒が出て、警察の方も当分の間「黙認する」ということをここで謳っているわけです。

次の資料はもう少し具体的に書いてあるんですが、内務省警保局資料「支那渡航婦女に関する件伺」(1938年11月4日起案 11月8日施行)には「本日南支派遣軍古荘部隊参謀陸軍航空兵少佐久門有文及陸軍省徴募課長より南支派遣軍の慰安所設置の為必要に付醜業を目的とする婦女約400名を渡航せしむる様配意ありたしとの申出ありたるに付ては、本年2月23日内務省発警第5号通牒の主旨に依り之を取扱ふこととし、左記を各地方に通牒し密に適當なる引率者(抱主)を選定、之をして婦女を募集せしめ現地に向はしむる様取計相成可然哉 追て既に台湾総督府の手を通じ同地より約300名渡航の手配済の趣に有え」、この「本年2月23日内務省発警第5号通牒」というのは先ほどの資料です。こういうような資料などがあります。

彼らの大好きな文書資料をもってしても、十分に日本軍に慰安所制度というのは軍が戦争遂行のために必要だと思って自らつくった、まさに欧米社会からは理解できない国家による管理売春制度、性奴隷制度だったんですね。ですから安倍さんなど河野談話見直し論者たちが用いている論理に対しては、まず官憲による直接的な暴行、脅迫による強制連行がなかったなら国に責任はないという論理に対して、女性をだまして誘拐することも強制連行であるということをきちんと言うべきです。さらに連行時の強制だけが問題ではないんですね。むしろ問題なのは慰安所制度全体にわたる強制です。女性たちが嫌だと思っていることを無理矢理させられたこと、これが問題です。慰安婦制度というのは女性たちの居住の自由、外出の自由、廃業の自由、拒否する自由がない、軍の性奴隷制度であったということですね。

日韓市民の連帯-「戦争と女性の人権博物館」建設

最後に、ちょっと重い話が多かったので明るい話もしましょうね。韓国のソウルに去年の5月にできた「戦争と女性の人権博物館」の建設にも日本からずっと支援を送ってきました。日本建設委員会をつくってきましたが、去年、博物館の開館式に行きましたら、韓国では慰安婦問題に対してこの20数年の中で一番の盛り上がりを見せているんです。日本社会から見ると、韓国全体が慰安婦被害者たちの問題を理解し、ずっと支持してきたかのように考えるかもしれません。けれども、やはり性暴力の被害者なので、そういった問題を理解しない冷たい視線も一方ではありました。初期の頃にはデモをしていたら、警官が来て警察の車に乗せられて、全然知らないところに連れて行かれて、ぽんと置いて行かれる。ハルモニたちがそういう目に遭っています。それでも当時は社会問題にはならなかった。

韓国の憲法裁判所が判決を出して韓国政府も解決のために動き出しました。そこまで持って行ったのは、やはり20年間のハルモニたちと運動の地道な努力でした。それに対してこの博物館建設も含めて、日本の市民が20数年支援を送り続けてきたこと、これは非常に貴重な価値だったと思います。ハルモニたちが最初に話した場は、ほとんど日本だったと思います。最初の頃に証言集会という場をつくったのは日本だったんです。彼女たちは韓国で証言集会の場が、はじめの頃あまりつくられなかったこともありますし、また韓国では語れなかったこともあるんです。日本に来たから語れる。

わたしが一番印象に残っている方で、チェ・ミョンスンさんという、これは仮名ですけれども、慰安所でひどい性病にかかってしまい、梅毒があまりひどかったので戦争が終わる前に帰されます。帰って、故郷でまた女性たちがかり出されるという噂を聞くんです。当時、結婚していれば挺身隊に行かなくていい。韓国で挺身隊という言い方をすることについていろいろな批判があるんですが、実際に韓国では挺身隊という名前で認識されていました。挺身隊に女性たちが連れて行かれるというのを耳にして、とにかく紹介された人と結婚するんですね。結局梅毒が治っていなかったので、その相手に移しちゃうんです。それで彼女がどういうことをしてきた人か、夫にわかってしまい、離縁されちゃうんですが、そのときに身ごもっていたんですね。

一人でその子どもを産むんですけれども、その子が30歳を過ぎてから脳梅毒を発症する。その後、彼女は再婚して子どもを何人か産んでいますが、最初の夫との間にできた子が精神に異常をきたして、原因がわからないまま病院を回るうち何軒目かの病院で「お母さん、この子を身ごもっているときに梅毒ではありませんでしたか」といわれた。自分の性病とその子の病気との関連がわかってから、彼女は暗い部屋に閉じこもって外に出られなくなってしまった。真っ暗な部屋の中で立つことができないので這い回っていて、次女がシスターでずっと彼女が面倒をみていたみたいです。部屋にいて立ち上がらない母親にご飯などを運びながら、次女は母親にあったことをその過程でわかっていたらしいんですね。

90年代になってキム・ハクスンさんたち、ハルモニたちが名乗り出ていることを母親に話すんです。その話を聞いて母親も意を決して韓国政府に申告した。初めて外に出て韓国ではとてもしゃべれないと、いきなり日本の証言集会に来たんです。わたしはそのとき通訳をしていたので、彼女の最初の証言、いまの内容を聞いて本当にびっくりしたんです。翌日また証言集会があったときに、前日よりもだいぶ表情が明るくなった。1回話しただけでかなり楽になれたと本人も言っていました。とにかく、息子のことが自分のせいだと思った日から、人と話すことができない、光を見ることができない。そういう生活をしてくる中で、再婚した夫と話をするのが一番嫌だった。ところがその夫に今朝、国際電話をかけて何十年ぶりかで話をしましたといったんですよね。

もちろんたった1回で被害が回復するわけではないけれど、たぶんこの被害者たち、宋神道さんもそうですけれども、何度も何度もそういうことを繰りかえす中で、自分が受けた被害は何が悪かったのか、わたしが悪かったわけじゃないということをきちんと把握していく過程だったと思います。そういった被害者たちが自分たちのたたかい、被害だけじゃなくて自分たちがその後、自分の体験を吐露すること、そして受け入れられることで獲得してきたもの、たたかいの中で獲得してきたものを次世代に伝えたいといってつくったのが、この博物館です。

挺対協では年末に、その年に亡くなったハルモニ全員の追悼会をやります。2003年の追悼会をやるときに、ハルモニたちが「何も残せないで死んでいくハルモニたちがかわいそうだ」と言ったことがきっかけです。こういう資料館とか博物館を作って、そこにハルモニたちの人生、被害にあった人生だけではなく、その後自らたたかってこんなにたくさんのものを勝ち取ったという、そういうものを残すことになったんですね。

ハルモニたちにはいまも韓国政府から生活支援金が出ていますから、それで貯めたお金を礎石基金として、建設のための最初のカンパをしました。それから9年もかかってしまいました。途中ソウルの西大門刑務所のある公園の土地をソウル市が提供してくれました。そうしたら独立運動の闘士の遺族などが、独立運動の聖地の中に慰安婦博物館を作るのは独立運動家たちに対する冒涜だと言ってきた。そういう認識ってあるんですね、やっぱり。最終的には民家を買い取ってそこを増改築するかたちでオープンさせました。

オープンの式典には、ソウル市長の朴元淳さん、例の落選運動をやった人で国際弁護士です。現在ソウル市長としてめざましい改革をして非常に評判のいい人です。彼とか女性部の長官、韓国は部が日本の省に当たりますから大臣ですね。閣僚も来ていましたし国会女性委員会の委員長とか、そうそうたる人たちが来ていました。あんなに冷たく扱われてきた慰安婦問題がここまで来たことを実感できる開館式でした。しかもその人たちはゲストとして呼ばれたのではなくて、わたしたちと同じように普通に参加して帰るだけという、そういう感じで開かれました。

日本軍慰安婦問題が韓国ではこの20年間では最大の話題になっている。そういう意味では日本とのギャップがますます広がっています。この問題を解決しないことには韓国市民が黙っていないことを、日本政府は本当にきちんと認識をした方がいいと思います。

8月14日 日本軍「慰安婦」メモリアルデー

「8月14日 日本軍慰安婦メモリアルデー」についてです。昨年末に台湾でアジア連帯会議が開かれました。日本軍慰安婦問題に関わっている運動団体は、この20年来アジア連帯会議をときどき開いて、これが第11回です。そこでいろいろなことを決定してきました。じつは「日本軍慰安婦」という言い方も最初の頃、呼称に関していろいろな議論があって、アジア連帯会議で一度整理しました。運動が始まった当初から慰安婦被害者たちは「従軍慰安婦」と言われるのは嫌だといっていたんですよ。中国や韓国からすると「従軍」という漢字が示すものは軍に従っていたということで、自分達がついていった感じがするというんです。これはハルモニたちも活動家たちもそうでした。なぜ日本では「従軍慰安婦」という言い方をするのかと、むしろ悪く受け止めたんです。

最初に千田夏光さんたちが従軍慰安婦と言い出したのは「従軍看護婦」や「従軍記者」のように軍が従わせたものだから、慰安婦女性に対しても軍に責任があるという意味で「従軍」とつけるべきだと考えたと思うんです。そういう意図はあまり伝わらなくて、むしろ字面からわたしたちは従ったおぼえはないという反発を与えた。ですから右翼の人たちが叩く以前から運動の中では実は使っていなかったんです。

いろいろ議論をした結果、日本軍性奴隷という言葉は実態を表してはいるけれども、ハルモニたち、ロラたちにしてみれば嫌な呼び方だろう。また「慰安婦」という男性目線の言い方、女性たちからしてみれば慰安の全く逆だけれども男の目から見た慰安を与える女性であるという、こういう名前で彼女たちを呼んだこと自体が非常に犯罪的なことです。歴史の中であったことが消されてしまうのはよくないと、この慰安婦という言葉にカギカッコをつけて、彼女たちが欺瞞的に呼ばれたことを残しつつ、日本軍の慰安婦にされたわけだから明確に日本軍「慰安婦」と呼びましょうと、1990年代の初めから議論されてきました。そういう過程を経て日本軍「慰安婦」という言い方をしています。

このメモリアルデーは、彼女たちが被害を受けただけの女性ではないということです。彼女たちが名乗り出たときは、ちょうど1993年のボスニア・ヘルツェゴビナの内戦が起きて、そこで女性たちが武器にされていく。女性に対する性暴力が武器として使われ、作戦として使われていく。そういうときに、アジアでは昔日本軍の慰安婦にされた女性たちがこんなふうにたたかっていることが、実際に紛争下で性暴力を受けた女性たちを力づけました。そういうことも含めて、彼女たちの被害とたたかいを記憶すること、その日を1日定めて、メモリアルデーとして毎年きちんと記憶しようということです。

8月14日はキム・ハクスンさんが最初に名乗り出た日です。この日をきっかけにして各国の被害者が名乗り出た。そういう記念すべき日として8月14日に毎年メモリアルな行事をやっていこう。わたしたちは解決をあきらめて記憶する問題だとは当然思っているわけではありません。被害者が1人もいなくなったら、この問題は解決されなかった問題として記憶されていくことになります。それは日本の市民としては最悪のことです。ですから多くの被害者が存命の間に、わたしは安倍政権は逆にチャンスだと思っているので、このチャンスに問題を解決して日本がきちんと解決した問題として記憶されていくという意志も含めて、今年からメモリアルデーを展開していきます。

さらに日本の運動体は、この「日本軍慰安婦メモリアルデーを国連記念日にしよう」というのを、今年の第1回目のメモリアルデーあたりから公式に出発させます。8月11日に国連から人も呼んで国際シンポジウムも開きます。

最後に「日本軍慰安婦問題解決のための世界1億人署名運動」は、1億人を集める署名を韓国の挺対協が言い出しています。目標はまず第1弾で今年の12月10日の国際人権デーまでに一度集めます。そのあと来年の8月15日までには1億人集めて、日本政府と国連と韓国政府に提出したいという動きがいままさに始まっています。ぜひ御協力を御願いします。
ありがとうございました。

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【賛同募集】立憲主義を破壊し、「戦争する国」への道を暴走する96条改憲に反対する共同アピール

「声明・論評」「【賛同募集】立憲主義を破壊し、「戦争する国」への道を暴走する96条改憲に反対する共同アピール」掲載してあります。

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