8月2日(木)に衆院憲法審査会が開かれた。30日の月曜夕刻に幹事懇談会が招集され、そこで再開が確認された。市民連絡会は、急きょ、皆さんに連絡し傍聴を募って、19名が午前8時40分に衆院の議面に集合し、傍聴した。この日は他に傍聴する方が日弁連の弁護士たちなどを含めて10名あまりあった。
この間の民主党のゴタゴタなどを経て、約2ヶ月ぶりに開かれた衆院憲法審査会は、それを反映して、委員の構成に変化があった。民主党は幹事が7名(会長含む)から6名に、委員は23名から20名になった。代わりに「国民の生活が第一」(略称「生活」)が幹事1名、委員が4名(旧審査会の「きづな」の1名分を含む)という構成になった。自民(幹事2名、委員11名)など他党の構成は変わらなかった。公明党はベテランの赤松正雄が幹事を辞任(委員で残った)したが、幹部政策で若手に譲ったのだろう。
幹事懇談会では大畠会長が今国会での審査会開会予定を以降、9日、16日、23日、30日、9月6日で提案した。これだと毎回1章づつ行う審議で行くと9章までで、当初、目標にしていた今国会中の「論点整理終了」は無理となったようだ。
今回のテーマは「第4章 国会(第41条?64条)」の論点整理で、「本日最大の論点といっても過言でない……2院制」(衆院法制局橘部長)をめぐっての議論が柱になった。
議論の要旨は、本文の末尾にいくつかの報道記事のアドレスを掲載するので参照して頂きたいのだが、2院制については「みんなの党」と「国民新党」以外の各党は「維持」を主張した。民主党と自民党は党の大勢としては2院制維持だが、内部には1院制論もあることを認め、自由討議で民主党の小沢鋭仁委員は今年4月27日に「超党派衆参対等統合1院制議連」が130名で1院制への「改憲原案」を出したが、各会派の判子(承認)がないとの話で棚ざらしになっていることに抗議、その根拠を糺した。これへの法制局の回答は「昭和30年前後に当時の自由党が我が党所属の議員から議案が出されたときには党の期間の承認がない者は受け取るなと申し入れ、その後、他党にも広がり、機関承認の先例が確立した。後に別の問題で国賠訴訟(上田哲氏ら)があったが、最高裁で合憲、合法という判決が出ている」との説明があった。
自民党の保利委員が国会で「しばしば行われる」(あまりしばしばではないと言い直した)強行採決が1院政下で行われれば、多数党による専制政治が行われる可能性がある。独裁政治になっていく可能性がある、と指摘したのには、この憲法審査会の根拠法の改憲手続き法がそうだったではないかと、「片腹痛い」思いがした。
この日は2院制以外にも、「国会の地位・立法権」「議事手続き」「政党」などについても議論があった。「政党」に関しては「政党法」の制定などを要求する意見もあったが、社民党の照屋委員が米軍支配下の沖縄で人民党事件の瀬長亀次郎が投獄され、那覇市長に当選するも追放された例を引きながら、「憲法上に政党規定を設けるにせよ、政党法を制定するにせよ、国会で政党に関する法律を作ると、どうしても多数派の許容する内容になってしまう」として反対を表明し、共産党の笠井委員が「大事な指摘だ」としながら、結社の自由の問題と、党議拘束の問題をごっちゃにして議論するなとのべた。この日、民主党の議員などから、自党のゴタゴタに関係して、党議拘束などの問題での発言が相次いだからだ。こんな議論は憲法審査会ではなく、党内でやってくれという感じです。
それにしても自民党の委員の出席がわるい。以前も書いたが、あれだけ頑強に「憲法審査会」の開催を要求しておきながら、この不真面目さにはあきれかえる。開会時には同党の13名の委員中、半数もいなかったが、1時間も過ぎると中谷委員と保利委員の2人のみ、多少出入りがあって、10時半過ぎには中川秀直委員と、古屋委員が参加したが、中川委員はぐっすりお眠り、という具合だ。アホらしくて、文句を言う気も起こらない。(高田)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012080200461
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120802/stt12080223330008-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120802/stt12080222370007-n1.htm
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120802/k10014036181000.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-08-03/2012080302_02_1.html