声明・論評

7月2日の本サイトのブログ「読売が嘆く自民党候補者の「改憲への気迫」にも書きましたが、自民党は参院選に向けて憲法問題のQ&Aを発行して、候補者に配布しています。A(4)判21頁ほどのものですが、一部略で紹介します。

未定稿'・素案

自由民主党 新憲法草案のポイント

平成19年6月

このリーフレットは、平成17年11月22日に発表した我が党の「新憲法草案」の概要(及び去る平成19年5月14日に成立した「憲法改正国民投票法」の概要)について、今回の参議院選挙に立候補を予定している我が党のすべての候補者のみなさんに正確にご理解いただくために、取り急ぎ、作成したものです。

マスコミ各杜からのアンケート、あるいは討論会等に於ける他党の候補者からの批判に対して、我が党の基本的な政策と整合性をもった形で、適切に対処し、選挙戦を戦い抜いていただきますよう、お願い申し上げます。
(自由民主党憲法審議会会長中山太郎)

今こそ、本格的な憲法論議を!

(憲法改正国民投票法の成立と「国民主権」の回復)

去る5月18目、「日本国憲法の改正手続に関する法律(いわゆる「憲法改正国民投票法」)」が公布されました。

日本国憲法が施行されてから60年、「国民主権」を基本原則とする日本国憲法の下で、主権者である国民が自らの手で国の最高規範である憲法を改正する手だては、その手続法の未整備という「立法の怠慢」によって、封じ込められてまいりました。

本法の制定によって、日本国民はようやく「完全なる主権」を回復し、名実ともに「主権者」となったのです。

(今回の参議院選挙の意義と本格的な憲法論議の必要性)

今回成立した憲法改正国民投票法に基づき、次の国会から衆議院及び参議院に「憲法審査会」が設置されることとなります。この7月の参議院選挙は、この「憲法審会」の委員構成を決する重要な選挙です。

しかも、その保障された6年の任期中には、我が国憲政史上はじめての「憲法改正の発議」が予想されますが(※)、この議決に参画する議員が選ばれるという意味でも、今回の参議院選挙は、憲法論議に重要な影響を与える選挙です。

今こそ、改憲・護憲のイデオロギー対立を超えた、具体的で本格的な憲法論議が求められるゆえんです。

(※)憲法改正国民投票法の公布後3年間(つまり、平成22年5月まで)は、憲法審査会は憲法改正原案の審査・起草権限を凍結される「調査専念期問」(いわゆる「凍結期間」)とされています。しかし、この3年間は、漢然とした憲法論議しかできない期間などでは全くなくて、既に提出されている衆参の憲法調査会の最終報告書(平成17年4月議長に提出済み)等に基づいて、「改憲の是非とその具体的な項目の抽出」を行う調査期間であり、この「調査専念期間」の解除後は、直ちに憲法改正原案の審査・起草、そして衆参両院の3分の2の議決を経ての「憲法改正の発議」の直結することとなるものなのです。

(我が党の基本的なスタンスと「モラトリアム政党」としての民主党)

憲法をどうするか、という問題について我が自由民主党の態度は明確です。現在の日本国憲法には改正すべき点がある、つまり「改憲」ということであります。その理由は、(1)施行から60年という長い年月が経ったいま、時代に合わせてほころびを繕っていく必要があること、また、(2)そもそも現在の憲法は連合国の占領下GHQの主導で作られ、日本国民の自由な意思によって書かれたものとは言い難いからです。

また、友党である公明党も、「加憲」という限定された形ではありますが、21世紀にふさわしい憲法改正を行うべきであるという点では、「改憲」を明らかにした政党ということができます。

他方、共産党・社民党などの「護憲」勢力は、「我が国がこの60年間平和だったのは平和憲法があったからだ」と主張しています。しかし、その主張は正確ではありません。我が国がこの間平和を保てたのは、戦後ほぼ一貫して政権を担当してきた我が党が、あまりに理想的すぎる憲法の条文と、あまりに冷厳な現実の国際情勢との間に立ち、絶妙なバランス感覚で政治の運用を心がけてきたからです。ただ、これらのイデオロギー的な「護憲」政党は、その主張の当否はさておき、主張自体は明確であります。

もっとも奇妙であり、不誠実なのは民主党です。「論憲」といいながら、護憲なのか改憲なのかあいまいにしたままです。「党利党略」専門の小沢代表(従来は、「改憲」を主張していたはずです)が、現時点で憲法についてどう考えているのか、全く明らかにしておりません。党内には改憲を目指したい方もいるが、一方で、護憲を掲げる共産・社民の選挙協力を仰ぎたいというのでは、「責任政党」ではなく国民を愚弄した「モラトリアム政党」です。今回の参議院選挙は今後の憲法論議について上記のような意味をもつものなのですから、改憲・護憲についての政党としての考え方を、公約の形で明らかにすることが、国民に対する最低限の礼儀ではないでしょうか。

○「新憲法草案」発表の経緯とその概要(Q&A)

(中略)

1.前文
Q.1なぜ、「前文」を変える必要があるのですか?

我が党は、現在の日本国憲法の前文に表されている民主政治の原理や・再び侵略国家にならないとの誓いは、今後とも堅持していかなけれぱならない国是であると考えます。また、ここに明示されている平和的生存権の考え方は、最近国際的にも認められた「人間の安全保障」にも連なる重要な概念であり、今から60年前にこのことを明らかにしたことには、先駆的価値があると評価します。

しかし、21世紀の今、この前文を読んでみたときに、あまりにも「平和」、それも「日本さえ悪さをしなければ世界は良くなります」的な平和を描くことに偏していると言わざるを得ません。新憲法起草委員会でも、「現在の前文には、憲法の基本原則一つである『人権尊重』への言及が欠落しているし、今後重要性を持っでくる『地方自治』なども全く触れられていない」との指摘があったところです。

そもそも、敗戦国として外国への詫び証文のような記述、さらには日本語としておかしい翻訳口調の表現など、我が国の基本法として大きな違和感があります。
そこで我が党は、現在の日本国憲法の基本原則をしっかりと強調するとともに、簡潔で充実した前文に書き改めることとしたのです。

Q.2新しい「前文」では、どのようなことを規定しているのですか?

冒頭では、国民が主権者として憲法を制定する決意をうたい、「象徴天皇制」を維持し、現行憲法の三つの基本原則である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を継承するとともに、新たに「国際協調主義」を強調しております。

また、「国家や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」を記し、「国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う」としております。

さらに、現行憲法の前文にはない「地方自治の重視」や「地球環境の保全」も盛り込んでおり、21世紀に向けた新しい憲法理念を明記したものとなっています。

2.天皇
Q.3天皇制については、どのような議論がなされたのですか?

天皇を、現行憲法どおりに「象徴」とするか、それとも「元首」と明記するかという議論が行われました(次のQ(4)参照)。また、女性天皇についてどう考えるか、さらに、「前文」で天皇に言及するべきかどうかについても、議論となりました。

まず、女性天皇については、外国には、スペインやベルギーのように、王位継承の方法を憲法で規定する国もあります。我が国では皇位継承については皇室典範で定められており、この問題は、まずは皇室典範の枠内で今後議論されるのがふさわしいとされました。

また、新憲法草案前文での天皇への言及については、第二段冒頭で「象徴天皇制は、これを維持する」と、憲法にふさわしく明確かつ簡潔に規定されています。

Q.4「天皇を元首とすべき」との意別には、どう答えるのですか?

「元首」という言葉には、さまざまな意味があります。「対外的に国を代表する者」という意味であるならば、現行憲法においても天皇の国事行為として「批准書その他の外交文書の認証」(憲法7条8号)や「外国の大使・公使の接受」(同条9号)など、現在でも天皇は「元首」であり、改めて規定する必要はありません。他方「r国政の最高実権者」という意味であるならば、天皇は国政に関する権能を有しない(憲法(4)条1項)のですから「元首」都は言えません。

「天皇を元首とすべきだ」との意見の多くは、天皇を「国政の最高実権者」にしようというのではなくて、「象徴」という表現に不満をもっているのだと思います。しかし、我が国の歴史をみると、天皇は、ごくわずかの期間を除いては、「君臨すれども統治せず」だったのであり、制定当初は多少の違和感のあった「象徴」という言葉も、今では、過去、現在そして将来の天皇の在り方を示すものとして、むしろ立派に定着しているものと考えられています。そもそも「元首」というのは、「権カ」の保持者である国王や大統領などを念頭に置いて(ママ)概念であって、「権威」の中心としての我が国固有の天皇には、かえって、ふさわしくない、と考えます。

むしろ、我が国の天皇は「元首」以上の存在なのです。

3.安全保障及び非常事態
Q.5自民党は9条を改正して、日本を「戦争をする国」にするのですか?

一部に、新憲法草案を指してそのように言う勢力がありますが、その批判は全く当たりません。
新憲法草案は、平和主義を堅持しています。その証拠に、現行憲法の9条1項は一字一句変えていません。これと同趣旨の規定は、イタリア、ドイツ、フランス、フィリピン、韓国などにもあります。

それでも一部勢力は、「9条1項はそのままでも、9条2項を削除して、『軍』を持つのであるから、結局『戦争をする国』になる」などと主張しています。しかし、上に挙げた国は、すべて軍を持っています。それらの国々は、平和主義国家ではないのでしょうか。同じような規定ぶりにして、なぜ日本だけが「戦争をする国」になるのでしょうか。全く論理性に欠ける、独善的な主張です。

《参考》

○イタリア憲法11条
イタリアは、他国民の自由に対する攻撃の手段としての、及び国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、他国と同等の条件で、諸国家間の平和と正義を保障する機構に必要な主権の制限に同意し、この目的のための国際組織を促進し、かつ助成する。
○ドイツ基本法26条1項
諸国民の平和的共存を阻害するおそれがあり、かつ、このような意図でなされた行為、特に侵略戦争の遂行を準備する行為は、違憲である。これらの行為は処罰される。
○フランス第四共和国憲法前文(抄)
フランス共和国は、その伝統に忠実であるものとして、国際公法の規則に従う。フランス共和国は、征服を目的とするいかなる戦争も企てず、また、いかなる人民の自由に対しても武力を一切行使しない。
○フィリピン憲法2条2節
フィリピン国は、国策の手段としての戦争を放棄し、一般的に確立された国際法規を国法と認め、平和・対等・構成・自由・協調及び諸国民との友好を政治原理とする。
○大韓民国憲法5条1項
大韓民国は、国際平和の維持に努め、侵略的戦争を否認する。
Q.6「自衛隊」を「自衛軍」に変えたの恥なぜですか?

独立国家が、その独立と平和を保ち、国民の安全を確保するため軍隊を保有することは、現代の世界では常識です。
我が国の自衛隊の主たる任務は、「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛すること」(自衛隊法3条1項)であり、また、自衛隊は、海外に出ると、世界の常識に照らし合わせて、軍として扱われます。国内的には軍ではないが国際的には軍である-自衛隊が国際杜会の要請に応じて世界でさまざまな活動に従事するようになった現在、この矛盾が、大きな支障となっています。

しかも、自衛隊法その他の法令では、自衛隊は「軍隊」ではないという論理のつじつまを合わせようとして、武器使用など重要な場面で、組織としての「部隊」の判断ではなくて個々の「自衛官」の判断を基準としています。これは国内治安の維持を任務とする警察官の職務行使と同じ発想によるものです(これは、自衛隊は、「警察予備隊」として発足したことにも起因しているのでしょう)。

これでは、変転する国際情勢の変化に対応して、我が国と我が国民の安全を守る軍隊として十分な機能を発揮できるとは、思えません。そこで、世界の常識に合わせ、独立国としての体裁を整えるため、「自衛隊」を「自衛軍」へと衣替えすることとしたのです。

なお、当然のこととして、(1)内閣総理大臣を最高指揮権者とすること、(2)その具体的な権限行使は国民から選挙で選ぱれた国会が定める安全保障基本法によるべきことなど、自衛軍に対する「文民統制」の原則(シビリアンコントロールの原則=文民が、軍人に対して指揮統制権を持っという原則)を条文に盛り込み、戦前のように軍部の独走を許さない仕組みを確立させることとしています。

Q.7集団的自衛権については、どう考えているのですか?

我が国の防衛を考えたとき、国の存亡に関わる国益がかかっているかどうかを問わず、一切の集団的自衛権の行使を認めない、という考え方はナンセンスだと考えます。そもそも、国家固有の権利としての「自衛権」は、個別的なものであると集団的なものであるとを問わずに、「国連憲章51条」で認められているものなのです。

新憲法草案には、「自衛権」という文言はありませんが、独立国家として当然に保有している個別的・集団的自衛権の保有を前提として、その具体的な行使機関として「自衛軍」の設置を明確にしておりますので、「集団的自衛権」は認められるという立場に立っております。

ただ、注意を要するのは、だからといって、我が国と密接な関係のない国にお付き合いして地球の裏側までもついていって防衛のための反撃(攻撃をしてきた第三国に対する武力行使)をするようなことには、決しててならないことです。

あくまでも、個別的・集団的自衛権に基づく武力行使は、我が国の死活的利益・国益を守るために必要やむを得ない場合であって、それを担保するために、上記A6でも説明した「文民統制の原則」が定められているのです。したがって、具体的にどういう場合にどういう制約の下に自衛権を行使するかについては、「安全保障基本法」で定められることになります。

4.国民の権利義務
Q.8「新憲法草案は国民の責務を強調しており、立憲主義を理解していない」との批判がありますが、これに対してはどう答えるのですか?

「憲法」が、基本的に「国民の自由や権利を保障するもの」であること、そして、それが近代憲法の「立憲主義」という考え方(憲法によって権力を縛るという考え方)であることは、当然の前提です。しかし、同時に、国民の自由や権利をより積極的に保障するための国家(例えば、杜会保障の主体としての国家)という概念も登場し、これが現代憲法の特徴といわれていることも、また、憲法学の常識です。

さらに一歩進めて、国家と国民が相互に対立したり(19世紀的な近代憲法)、あるいは国民が国家に請求をしたり(20世紀的な現代憲法)するだけではなくて、国家と国民とが協働して共通の理想・理念実現に向けて行動していく、そのような基本姿勢を憲法に書き込んでいくことは、21世紀の新しい憲法の特徴ともなり得ることだと考えられます。

ジョン・F・ケネディが米国大統領への就任演説で述べた「諸君は国家が諸君に何をしてくれるかを考える前に、諸君が国家に何をなしうるかを考えるべきである」との名文句は、民主国家におけるこのような国民と国家の関係を端的に指摘したものとも言えます。また、現行憲法の12条にも、既にこのような考え方は現れているのですが、これまでは、この条文はとかく無視され続けてきました。

そこで、新憲法草案では、国民と国家を対立関係にだけ置くような利己主義的な一部の考え方を排し、前文で当然の事理である国民の責務について触れるとともに、ともすればなおざりにされてきた現行憲法12条の規定を、わかりやすくかつ明確に敷衍して規定することとしたのです。

Q.9「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変えたのは、なぜですか?

新憲法起草委員会における議論で、「(公共の)福祉」という表現では、その内容がわかりづらい、このような重要な概念は、国民が一読して分かりやすい表現にするべきであるとの意見が多く出されたので、わかりやすく書き換えたものです。

人権相互の衝突その他の場合に、必要最小限度の範囲で、人権を制約するというその機能・意味づけについては、全く変わりません。

Q.10なぜ「新しい人権」を規定することとしたのですか? また、新憲法草案にはどのような「新しい人権」が規定されていますか?

我が党は、「基本的人権の尊重」は、現在の憲法の基本原則の一つとして、今後とも堅持していかなければならない大事な柱であると考えています。
現在の憲法が施行されてから60年、この問の時代の変化に応じて、人権規定を豊富にし、国民の権利保障をより一層充実していくことは、望ましいところであると考えています。

「法律で保障すればよい」という護憲論者がよくいますが、憲法に規定を設けるということは、国会の議決だけではそれを改正できなくするという意味で、国民の権利保障を手厚くする上では決定的な違いがあるのです。現に、世界人権宣言や1970年代に制定されたスペイン憲法などには、日本国憲法にはない豊富な人権規定が盛り込まれています。

新憲法草案で追加している「新しい人権」(国家の保障責務の形で規定されているものも含む)は、次のようなものです。すなわち、(1)障害による差別禁止、(2)プライパシー権、(3)知る権利(国の説明責任)、(4)環境権(国の環境保全の義務)、(5)犯罪被害者の権利、(6)知的財産権などです。

(中略)
7.司法
Q.13 軍事裁判所の設置は、戦前の軍法会議の復活ではないですか?

全くの誤解です。新憲法草案では、軍事裁判所は、現行の最高裁判所の下に設置される「下級裁判所」として設けられるものです。したがって、現在の憲法のままでも、法律でもって設置することができないわけではありません。

しかし、国家の機密事項を扱うことが予想されることや、迅速な審理を要請されることなどにかんがみて、下級裁判所の一つとしての軍事裁判所の設置を憲法に規定したところです。

あくまでも、地方裁判所・高等裁判所・家庭裁判所・簡易裁判所などと同じ下級裁判所ですから、その審理や判決に不服があれば、最終的には最高裁判所に上訴することができます。したがって、戦前の軍法会議とは、全く異なるものです。

Q.14 最高裁判所裁判官及び下級裁判官の報酬に関する規定を改正した理由は、何ですか?

現在の憲法79条は、司法権の独立及び裁判官の身分保障の観点から、「(裁判官の)報酬は、在任中、これを減額することができない」と規定しています。

他方で、平成14年、公務員給与全体のべ一スダウンに合わせて裁判官の報酬も引き下げられました。このとき、最高裁判所は、このような事情で全裁判官の報酬を一律に引き下げること(このこと自体については、異論はないと思います)は違憲でないと説明しましたが、国会などでは、上記の憲法79条の文言の関係で問題があるのではないか、との疑問も提起されたところです。

そこで、新憲法草案では、司法権の独立及び裁判官の身分保障をしつつも、そのような憲法の文言上の疑義を完全に払拭するため、「在任中、やむを得ない事由により法律をもって行う場合であって、裁判官の職権行使の独立を害するおそれがないとき」に限って、裁判官の報酬の減額が可能となるような改正を行おうとするものです。

憲法規定の運用は、基本的に、一般国民のみなさんが素直に条文を読んでわかるようなものでなければなりません。条規の改正は、このような趣旨に基づく改正です(なお、私学助成と89条に関する改正も同趣旨の改正です。Q15の(2)参照)。

8.財政
Q.15 現在の89条を改正する理由は、何ですか?

89条の改正規定には、次の二つの意味があります。

(1)宗教団体への公金支出の緩和

現在の憲法89条は、宗教上の組織・団体のために公金を支出したり、公の財産を使用させたりすることを禁止しています。これは、現在の憲法が厳格な政教分離原則をとっていること(20条3項)に伴い、財政上もこれを担保するものです。

しかし、新憲法草案は、政教分離原則に関する最高裁判所の判例の動向にかんがみ、文面上厳格に過ぎる現在の憲法20条3項の規定の書きぶりを改め、国民感情に沿うものとしました。すなわち、「社会的儀礼や習俗的行為の範囲内の宗教的活動」については、この政教分離規定の対象外とすることを明確にしたのです。本条項も、このような範囲内における公金の支出等の禁止を緩和することとしたものであって、これによって、例えば、殉職自衛官等の告別式が仏式等で執り行われる場合であっても、これに公金を持って生花等をお供えし、公に弔意を表すことができることとなります。

(2)私学助成の合憲化

また、現在の憲法89条は、公の支配に属しない慈善・教育・博愛事業に対する公金の支出等も禁じています。これも、文言どおりに読めば、たとえば私立学校に対する国の助成が違憲であるとの疑いを払拭しきれません。

そこで、新憲法草案では、「国若しくは公共団体の監督が及ばない」慈善・教育・博愛事業への公金の支出等のみを禁じることとし、結果的に、私学助成が憲法違反でないことを明らかにしたのです(私立学校についても、私学助成金の使途などに不正があった場合など、監督規定は及んでいます)。

9.地方自治
Q.16 地方自治関連では、どのような改正を行ったのですか?

日本国憲法は、「第8章」としてわざわざ1章を設けて地方自治を規定するなど、我が国の地方自治の発展に大きな役割を果たしたものでした。しかし、昨今のように地方分権の進展がこれほどまでに進んでくると、その規定はあまりにも貧弱なのといわれるような状況になってきたことも確かです。

例えば、(1)「地方自治の本旨」などというが、その日本語としての意味は不明確であり、これが「団体自治」(その地方自治体のことはその自治体において決めるべきこと)と「住民自治」(その地方自治体のあり方は、その自治体の住民が最終的に決めるべきであること)を意味するというのであれば、そのように明確に規定するべきであること、また、(2)地方自治に関する規定は92条~95条までの4箇条(95条の規定は、ここ50数年ほとんど使われていないことにかんがみると、実質的には3箇条)しかなく、地方分権の時代にはあまりにも貧弱なこと、です。

そこで、大幅に充実した規定を設けることとしたわけですが、その主なものは、次のとおりです。

  1. 前文に「地方自治の発展を重視する」との文言を入れることとしたこと。
  2. 上記(1)でも述べたように「地方自治の本旨」の内容を、明確にしたこと。
  3. 地方自治体を、基礎地方自治体と、これを包括し補完する広域地方自治体からなる二層制としたこと。
  4. 国及び地方自治体の相互の協力についての規定を設けること。
  5. 地方自治体の財政に関する規定を設けること。

若干、説明をすると、まず、3.については、将来的には現在の都道府県・市町村のままかどうかは別として、二層制の枠内では「道州制」の可能性も射程に入れております。また、この(3)と(4)とで、住民生活に密接な事項について第一義的に執行に当たるのは基礎自治体であるという「補完性の;原則」を明確にしつつも、しかし、すべて基礎自治体任せにするのではなくて、あくまでも国も含めた相互の協力体制の中で行うことも、明確にしております。

さらに、(5)では、そのための財政についても、配慮した規定を設けています。

以上により、新憲法草案における地方自治の規定は、現在の憲法に比べて、格段に充実したものとなっているのです。

11.改正
Q.17 憲法の改正要件を綬和することとした理由は、何ですか?

憲法については、その基本的な安定性を維持しつつも、しかし、時代に即したものとして機能していくためには、ある程度のダイナミックさをもって、改正ができるようにしておく必要があります。

ところが、現行憲法の改正規定は、「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」と「国民投票での過半数の賛成」というように、極めて高いハードルが課されております。憲法制定時の議論では、当初は一院制を前提にしたこのようなハードルを課していたものを、二院制に変更する際に何らの検討もなされなかったために、「両院で3分の2以上」となってしまったと言われております。

憲法の硬性さ(安定さ)は、国民投票に付するという最も重要な国民主権の表現ともいうべき手続で具体化されているわけですから、むしろ、国民に対する提案行為自体は、もっと柔軟に行えるようにするべきです。

このような考えから、新憲法草案では、「各議院の総議員の週半数の賛歳」で国民に発議することができるものとしたところです。

今年5月、憲法改正国民投票法が成立し、国民は主権者として、ようやく憲法改正権を実質的なものとして享有することになりました。権利は単に保有するだけではなく、行使してこそ価値を発揮するものです。国会は、憲法をどうするかということについて、もっともっと国民に判断を仰いでいくべきです。

◎「3分の2以上」の合意形成に向けて

我が党は、今回の参院選に向けて作成した公約「155の重点政策」の冒頭に、「新憲法制定の推進」を挙げました。しかし、憲法改正には、各議院の総議員の3分の2以上の合意を形成することが必要となります(少なくとも、最初の憲法改正は、現在の憲法96条に基づいて行うことが必要ですから……!)。したがって、(単独で3分の2以上の多数を得ていない限りは)最終的には他党との合意形成を念頭に置いて議論を進めていく必要があります。憲法議論をするに当たっては、まず、このことに留意しておくことが重要です。

他方、我が党は、立党の精神にかんがみ、我が党らしい「新たな国のかたち」を主張し、これを基に他の各党に働きかけていくことも必要になってきます。幸い、我々は、上記で説明した「新憲法草案」を既に持っています。公党が条文の形で憲法改正案を示したのは、現在の憲法が施行されてからこれが初めてであり、我が党は憲法議論をリードできる立場にあります。

冒頭に申し上げたように、今回の参院選で選ばれる参議院議員は、向こう6年間の任期内に、まず、次の臨時会での衆参両院への憲法審査会の設置と調査、次に、その3年間の「調査専念期間」経過(平成22年5月)後の憲法改正原案の審査・起草、そして「憲法改正の発議」といったように、次々と到来する歴史的決定に参画することになります。

したがって、我が党の候補者、候補者の支援に当たる国会議員・地方議会議員をはじめすべての党員・党友は、この「新憲法草案」を正確に理解し、かつ、国民のみなさまに訴えていくことが決定的に重要なこととなります。

このパンフレットが、その一助となりますよう、活用されることを願ってやみません。

「(付録)憲法改正国民投票法のポイント」は略。

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