声明・論評

原発住民投票の思想を問う

「みんなで決めよう『原発』国民投票」(今井一事務局長)の会が「原発国民投票」運動を呼びかけてから3ヶ月余りが経った。この間、私たちは脱原発運動の前進を願う立場から、いくつかの文章をサイトに公表するなどして、この運動や類似する他の「原発国民投票運動」への疑問を提起し、一定の批判を行ってきた。

今井氏たちは、今年6月末、この原発国民投票運動の構想として、「私たちが要請している『原発』国民投票法の制定を立法府に受け入れさせるべく、2011年11月11日までに『原発』国民投票の実施を求める『請求人』を111万人、本会の活動に賛同しサポートしてくれる『賛同人』を11万人獲得するという目標」(同会サイトより)を掲げ、運動を始めた。この力で国会に圧力をかけ、「原発国民投票法」を作らせるという計画だった。

しかし、呼びかけ以来3ヶ月を経た10月7日現在、サイトに発表されているのは、署名が8117人、賛同人が2141人だ。「健闘」しているにもかかわらず、「目標」への到達ははるか遠く、容易ではないようだ。

そうしたなかで、同会の今井事務局長は、今度は「原発『住民』投票」を東京都、静岡県、大阪市の3自治体で行うことを呼びかけた。これは今井氏らの国民投票運動の当初の構想にはなかったものだ。朝日新聞や東京新聞など一部メディアも、これを新しい民主主義の運動という視点などから注目し、大きく報じた。東京新聞は「原発住民投票 大都市で問うワケ」「電力大消費地にも責任」「国民一人一人が決める」「東京・大阪・静岡/署名集め10日で可能」「議会が壁 条例案ほとんど否決」などの見だしで特集記事を載せた。

10月1日付けの今井氏の説明(同会サイト)によれば、その狙いはこうだ。多少長いが引用する。

原発は、立地先だけの問題ではなく、消費地の問題であるということを多くの国民に理解してもらう。直接請求運動を通して会の存在、活動を広く知ってもらう。会の発足以来続けている「原発」国民投票の実施を求める署名収集は活動の一つの手段であって、私たちが討論クラブやただの署名収集グループではなく、実際にありとあらゆる合法的な手段を使って、主権者が、消費地の人間が、自身で決定して責任を取ることを実現させようとしているグループだということを、賛同人のみなさんに理解してもらう。そして、そのことによって同志、仲間の輪を飛躍的に広げていく可能性を見出せると考えています。

当該地域以外の賛同人にもさまざまな形で、この活動に実際に関わってもらうことができます。署名以上のことをやりたいと考えている人は大勢います。前述の通り、本会の存在、活動を全国の人々に知ってもらう効果は絶大で、署名・賛同人の拡大に弾みがつくのはまちがいないし、すでに賛同人になってくださっている方々に対しても、「原発」国民投票という私たちが目指しているものの具体的なイメージをつかんでもらえます。

条例が制定され、実施されれば申し分ないですが、もし条例制定を拒まれても、「原発」の将来は、刈羽村や上関町といった一握りの小さな自治体に住む人たちだけで決めるのではなく、東京や大阪などに暮らす、夥しい数の消費地の人々が「原発」の是非を決めて責任を取るべしという考えは、これまでの常識の大転換です。この正当な主張を、運動を報じるメディアやネットユーザーを通して全国の人々に広めることができます。

まして、東京・静岡・大阪が同時に運動を起こすことの相乗効果は絶大で、この機会を逃すと、私たちの会は、近々、尻すぼみになって運動が滞り、結果として、署名やカンパを頂戴した大勢の方を裏切ることになると私は危惧しています。

ここに今井氏の問題意識が率直にあらわされている。3・11原発震災の勃発からまる1年の「2012年3月25日を投票日」とする「原発国民投票」構想を打ち上げ、前記のような「署名数」と賛同人数の目標を立てたが、運動はあまり進まず、目標が達成できそうもない。今井氏は、このままでは「私たちの会は、近々、尻すぼみになって運動が滞り、結果として、署名やカンパを頂戴した大勢の方を裏切ることになる」という危機感を抱いた。そこで「窮余の一策」として浮かび上がったのがこの「原発住民投票」構想だということではないのか。私にはそう見える。

しかし、この「構想」には極めてまずいものがある(3・11原発震災に絡めて、投票日を1年後、締め切りは2011年11月11日で、請求人111万人、賛同人11万人目標などという語呂合わせへの批判はさておくとしても……)。

今井氏は国民投票や住民投票の提起に際して、「みんなで決めよう」「国民一人一人が決める」「私たちの未来は、政治家に委ねず、自分で決めよう」ということを強調し、直接民主制の重要性を強調する。

しかし、私たちはこの今井氏の「国民投票」や民主主義に対する立場、その理解に、かつてナチスの台頭を許したドイツの「ワイマールの悲劇」の例を挙げるまでもなく、重大な落とし穴があることを指摘せざるをえない。「国民投票」は無前提的に「善」ではないという経験を民主主義の歴史は持っていることを思い起こす必要がある。

問題点をいくつかあげよう。
第一に、すでに東京電力福島第一原子力発電所が未曾有の事故を起こし、立地地元の福島県民をはじめ、近隣住民に多大な被害を与えているのに、電力「大消費地」の東京都民・大阪市民にニュートラルな立場から「原発稼働か、廃止か」を提起し、選ばせるという運動は、運動の思想性が極めて悪い。

今井氏は原発立地の「一握りの小さな自治体に住む人」(今井氏)だけに決めさせない点でも、民主主義思想の「常識の大転換」だとまでいう。これは今井氏が原発の問題をまったく理解していないと考えざるをえない発言だ。まさに原発とは都市に象徴される政財界がこうした「一握りの」過疎地に立地を押しつけて、そこが原発を受け入れざるを得ないような構造の下で、存在してきたのではないのか。いま、この構造が問われているのではないのか。

東京都民に福島県民を犠牲にする「原発稼働」を選択する「権利」などない。「辺境」を犠牲にした「都市」の電力の浪費はやめなくてはならないのだ。このことを明らかにすることこそ、現下の市民運動の責任であり、課題だ。「辺境」にあぐらをかいて、繁栄を謳歌する「民主主義」は、かつて奴隷制のうえに特権市民の「民主主義」を展開したギリシャの民主主義のレベルにすぎない。

「私たちは脱原発や原発推進を呼びかけているわけではない。国民にとって極めて重要な案件は、行政や議会が勝手に決めるのではなく、国民一人一人が自分たちの責任で決めるべきだ」と今井氏はいうが、原発震災の渦中に語られるこのような客観主義は本当の「民主主義」ではない。提唱者の民主主義の「思想」性が問われざるをえない。

第二に、地方自治法の規定に基づく住民投票条例制定の直接請求に必要な「有権者数の50分の1」の署名を、東京都と静岡県では12月から2ヶ月以内、大阪市では12月1ヶ月で集めたとして(これは今井氏の話では生活協同組合などが協力することになっているそうだから、あるいは彼が言うように「10日もあれば可能」であるのかもしれない)、条例制定がその議会で否決されたら、それは元の黙阿弥だ。

原発維持論者の石原慎太郎都知事のもとで、都議会では民主、自民、公明各党が圧倒的な議席数を占めている。これらの人びとが、いまのままで原発住民投票条例制定賛成にまわる可能性はほとんどない。今井氏は議会で否決されても、宣伝になるのだから、効果は抜群で、彼らの「原発国民投票運動を広める」効果があるという。莫大なエネルギーをつぎこむであろう「条例制定請求受任者」や「署名者」の努力は雲散霧消してしまうのだ。後に残るのは大きな失望だ。「結果はどうあれ」というような、この原発住民投票の提唱は無責任きわまりないものだ。最初から主要な目標(条例の成立)を度外視し、副次的効果(宣伝、仲間を増やす、など)を目的にした運動は無責任のそしりを免れない。

第三に、いかなる住民投票条例が議会で作られるのかの問題だ。今回、今井氏たちが最近発表した「条例案」は、この間の「憲法国民投票」や「原発国民投票」での論争を経て、他の重要な問題が残る(市民にとって住民投票運動期間は90日では短かすぎること、若ものの将来を左右する原発問題で意思表示する権利の年齢は16歳でいいのか、13歳を検討すべきではないかということ、テレビ・ラジオ・新聞の有料広告などマスメディアでの宣伝の公平性をいかに保障するか、などなど)とはいえ、最低投票率が設定されたことや、投票権者の「国籍」問題、「年齢」などでは従来の今井氏らの主張より、一定の「前進」が見られる。しかし、現在の東京都議会、静岡県議会、大阪市議会がこうした市民の要求する条例案を支持し、その条例制定が実現可能だと考えるのか。例えば投票権者の「国籍」の問題で、世論が盛り上がっていないもとでは、民主党の大半の議員や自民党の議員の条例の拒否の理由になるのは明らかだ。

第四に、このような「実現不可能」な運動に多くの市民活動家のエネルギーを投入し、浪費することは、脱原発運動に亀裂を持ち込むことになる恐れがあり、問題が大きい。脱原発の実現は、こういう「バクチ」のようなやり方ではありえない。いま、緊急に必要なことは、被災地の子どもたちをはじめ住民の救援を優先させつつ、脱原発の世論を盛り上げながら、ひとつひとつ、原発立地や周辺自治体に確実に脱原発の橋頭堡を作っていく運動こそ大事ではないのか。浜岡での牧ノ原市議会や焼津市長の永久停止要求や、東海での村長の脱原発宣言、上関での建設計画の中止の運動などなど、ひとつひとつ民衆の運動で脱原発を実現するための橋頭堡を作っていくことだ。今井氏が「ただの署名収集グループ」と揶揄する脱原発の1000万人アクションが取り組んでいる署名運動や9・19さようなら原発集会・デモなどもそうした方向にとって大きく有益な運動だ。いま、全国各地で無数に取り組まれている大小の集会やデモ・パレードなど、これらが世論を作っていくのだ。これらが脱原発の実現と民主主義をたたかいとっていくことに連なると思う。

私は、いま直接請求の署名運動を始めるという今井氏たちの運動の前に手を広げて立ちはだかるつもりはないが、脱原発運動の今後のために、あらかじめ警鐘をならしておきたいと思う。

2011年10月10日
高田 健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)

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