声明・論評

7月6日の「朝日新聞」の「争論」で語られた「原発国民投票」の問題点

高田 健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)

7月6日の朝日新聞朝刊の「オピニオン」欄の「争論」が「原発を国民投票で問う」という記事を載せ、今井一氏(みんなで決めよう「原発国民投票」事務局長)と前原誠司氏(衆議院議員)の意見を載せた。「原発国民投票に反対」が民主党憲法調査会会長の肩書きで、前原氏だというのが、どうにもならない。朝日新聞の編集方針の水準が問われざるをえない。

今井氏は、目的は「脱原発」でも「原発容認」でもなく、「大事なことは主権者が国民投票で決めよう」ということにあるという意見だ。

前原氏は、(1)賛成、反対の単純化は危険、(2)日本は間接民主主義の政治制度をとっているのだから国会で決めるべき、という反対論だ。筆者は、この前原氏の論点にはほとんど同調できない。

多少、大ざっぱになるが、この間、主張してきた私たちの「原発国民投票に反対する意見」を要約して言えば、(1)過疎地の原発立地、大都市の電力消費地という日本の社会の差別構造を解決しないままの原発国民投票は不公平で、この前提のままの日本では原発問題は国民投票に適さない、(2)万一、国民投票をやるにしても、どのような国民投票法のもとでやるかが重大問題だ。いまの自公民などが圧倒的な多数を占める国会でまともな、公正・公平な国民投票法がつくれるとは思わない。事実上、原発容認に誘導されかねない国民投票法が作られる可能性が大いにある(これはこの間の改憲手続法に反対する運動の教訓でもある)。(3)脱原発の実現は国民投票によってではなく、各原発の地元での市民運動や自治体でのたたかい(住民投票を含む)を基本に、一つひとつ廃炉にさせていくべきで、あわせて自然エネルギーを柱とした持続可能なエネルギー政策への転換を実現する全国的な運動と運動をつくり出すことが大事だ。こうした点で、いま始まった「さようなら原発 1000万人アクション」は重要だ。

今井氏は「みんなで決めよう」のサイトで、こうした国民投票法に対する意見を念頭に置いて、この問題の重要な論点の一つである投票権者(定住外国人、年齢)をA案、B案の2本立てにして提起している。しかし、2本立てなどではまともな法律案たりえない。今井案はこうである。

[A案]日本国民で年齢満18年以上の者は、国民投票の投票権を有する。
[B案] 年齢満16年以上の日本国民および永住外国人は、国民投票の投票権を有する。(このB案はこの間、市民運動の中から上がっている声だが、いまの国会では容易に多数にはならない。こういう場合の2案併記は実際上、A案のためのマヌーバーの役割にしかなり得ない。不思議な事だが、当初、このサイトに載っていた法案は、B案だけだった。途中で2案になった。おそらく、今井氏が会った国会議員関係からB案のような立場については厳しいクレームが付いて、A案との併記という奇妙な案にせざるをえなかったのではないか。)

もう一つの重要な論点である国民投票に付す「設問」の問題では、今井氏らは「(次の)2つの選択肢から1つを選択する方式をとる。

  1. 現在ある原子力発電所について、これをどうすべきだと考えますか?※運転、稼働を認める。※段階的に閉鎖していき、2020年までにすべて閉鎖する。
  2. (2) 原子力発電所の新規建設についてどう考えますか?※認める。※認めない。

しかし、肝心なことは、こうした今井案のような選択肢を前提にした国民投票法が国会で成立するかどうかだ。すでに、前述した前原意見のように、「白か、黒か」ではなく、さまざまな中間案のあることを強調する(前原氏は「原発は20年と期間を区切って徐々に止める。その間は経済的に混乱しないように、原発の安全度を高めて、自然エネルギーとミックスしてやっていく」という)意見がある。間違いなく、この意見が今の国会では多数だ。こうした前原意見にそった設問を用意する国民投票法が作られてしまったらどうするのか。こういう国民投票法のもとで行われる国民投票では財界などの後押しで、資金力にものを言わせた宣伝力を駆使して、こうした意見が勝利しやすいだろう。

長期にわたって国民投票問題を検討してきた今井氏がこのことに気づいていないわけがない。しかし、知っていてこういうことを仕組んでいるとしたら、それはよろしくないことだ。6日の朝日では「自分たちで決め、責任もとる」などと民主主義を大事にする立場を表明しているのだから。

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