声明・論評

米軍は真の「トモダチ」であったか~東日本大震災「オペレーション・トモダチ」のねらったもの

高田 健

(1) 東日本大震災の救援に大量投入された日米の軍事組織

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、宮城県男鹿半島沖を震源地とするマグニチュード9・0ともいわれる巨大地震と、南北600キロにわたる東日本の太平洋沿岸を襲った巨大津波、東京電力福島第一原子力発電所の重大な事故という、かつてない規模と性質をもった3重苦の複合大震災であった。なかでも、東電福島第1原発の事故による危機は、炉心溶融と圧力容器の破壊、原発建屋の水素爆発などを伴う「国際原子力事象評価尺度」最悪のレベル7のチェルノブィリ級であり、6月中旬現在、未だに収束せず、今後の展開は予断を許さない状況にある。

被災規模も6月中旬現在で、死者1万5477人、行方不明者7464人であり、加えて11万2405人にのぼる膨大な避難民が発生するという未曾有のものであった。この巨大な複合震災の被災地に対する救援は国内外から大規模に展開された。約20カ国が緊急援助隊や医療支援チームを日本に派遣し、全国からのボランティアや、自治体消防による緊急消防援助隊、警察、海上保安庁などもかつてない救援体制をとって対処した。なかでも国内最大の公務員組織である自衛隊と米軍などの軍事組織が大きな役割を果たし、その活動はメディアなどでも大きく評価された。これは1995年に発生した阪神大震災における救援体制の場合と様相を大きく異にするものだった。

今回の自衛隊の「災害派遣」(自衛隊法83条)は史上最大規模で、その総勢力の約半数を動員する一大作戦であった。これは戦闘を「主たる任務」(同法3条)とする自衛隊にとっては「従たる任務」としての活動であったが、単にそれにとどまらない「有事」における日米共同作戦の一大演習としての意味を持っていた。広大な地域で発生した複合震災に対して、組織された部隊の災害救助への活用が有効性を発揮した今回の自衛隊の活動をみるとき、筆者はその活動の有効性を大きく評価するものであるが、この活動に乗じて一部でくり広げられている手放しの「自衛隊礼賛論」にくみすることはできない。それどころか、従来からの「憲法違反の自衛隊は軍事目的を除去した災害救助隊に縮小・再編すべきだ」という自らの主張の正当性をいっそう実感し、確信した(ちなみに自衛隊の一般隊員は任用に際して次のような「宣誓」を行い、署名、捺印する。「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊員の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、……事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」と)のであるが、その分析は別の機会に譲って、本稿は、主として、この災害に対処したもう一つの巨大軍事組織である米軍の「トモダチ作戦(オペレーション・トモダチ)」の背景について検討するものとする。

(2)米軍の「トモダチ作戦」はどのように展開されたか

3月12日から開始された米軍のトモダチ作戦(オペレーション・トモダチ)は、4月上旬にはその投入部隊の大半が撤退したが、5月1日の作戦終了まで、最大時には米兵約2万人、原子力空母「ロナルド・レーガン」、強襲揚陸艦エセックスなど艦艇約20隻、大型輸送機など航空機約160機という体制で展開された。この米軍は被災地への食料や水の救援と罹災者の捜索・救援活動をはじめ、水没した仙台空港の復旧作業や、米揚陸艦「トーテュガ」による北海道苫小牧基地から青森・大湊港までの自衛隊の部隊と車両の移送、あるいは一時、孤立状態になった気仙沼市の離島・大島に揚陸艇で米軍が上陸して電源復活やがれきの撤去に従事したり、被災した仙石線の鉄道駅周辺では「ソウル(魂)トレイン」作戦と称する作業を自衛隊と共同で行うなど、多様な作戦を行い、少なからぬ罹災者から「ありがとう」などの感謝のエールを送られた。在日米軍はこれら一連の活動を逐一発表して、被災地救援にとりくむ米軍の活動を積極的に宣伝した。

「トモダチ」作戦では米海軍、海兵隊、空軍、陸軍が統合軍として連携しながら参加し、三沢空軍基地をはじめ、在日米軍基地の多くが作戦に使用され、民間空港である山形空港、および被災した仙台空港もキャンプ・仙台と呼んで復旧し、事実上、米空軍基地のように使用した。この米四軍を一元的に指揮する「統合支援部隊」(JSF)司令部は、ハワイの太平洋軍司令部(司令官ウォルッシュ海軍大将)の常設司令部「統合任務部隊519」を東京の米軍横田基地に移設して置かれ、横田基地内の「日米共同運用調整所」(BJOCC)には自衛隊高級幹部が常駐していた。自衛隊も市ヶ谷の統合幕僚監部に「2国間危機対応チーム」(BCAT)を設置した。こうして「日米共同調整所」は仙台、横田、市ヶ谷の3カ所に設置され、日米共同作戦の実行にあたった。まさに今回の大規模災害救援という、単なる訓練・演習ではない「実戦」の場で、1997年の「新ガイドライン」導入された「日米調整メカニズム」にもとづいて作戦の初期段階から「日米共同運用調整所」で相互調整が行われ、共同作戦が展開されたのである。

しかし、この米軍の活動は米国原子力規制委員会の基準に従い、福島第1原発から80キロ圏内を退避区域に指定し、制限され、各作戦に置いても徹底した放射能検査が実行された。そのため、ごく一部を除き米軍は原発震災の被災県である福島県内では活動していない。また震災発生後、在日米軍の家族約7千5百人が帰国し、横須賀基地を母港とする原子力空母ジョージ・ワシントンは佐世保基地に移動するなど、九州・四国・日本海に避難し、かつ北朝鮮への威圧としての作戦展開をした。

また、米軍は海兵隊に所属する化学、生物兵器攻撃・事故に対応する放射能管理に精通した専門部隊「CBIRF」(ケミカル・バイオロジカル・インシデント・レスポンス・フォース)を150人近く派遣した。このCBIRFは日本に3週間滞在したが、陸自郡山駐屯地を5人が視察した以外は、直接、福島の災害の現場入りをせず、自衛隊の中央特殊武器防護隊との共同訓練など、自衛隊との連携をはかるにとどまった。また米国は原発事故への対応として、消防車や防護服、原子炉冷却用の淡水約190万キロリットルなどを提供した。一方、原発事故に対して、米軍は事故発生の翌日、12日から独自にグアムのアンダーセン基地の無人偵察機グローバル・ホークを投入し、本土カリフォルニアのビール空軍基地からの衛星通信を通じた遠隔操作で原発上空での空撮を行い、情報を収集する作戦も実施した。
これら米軍の「トモダチ」作戦の総予算は最大8000万ドル(約68億円)だった。

一方、自衛隊は震災発生直後から、市ヶ谷の防衛省に中央指揮所(CCP)を設置し、海上自衛隊のP3C哨戒機や、偵察ヘリから送られる情報を分析し、緊急救援体制をとった。公務に関わる国内最大の組織である自衛隊は、「安心感を与えるため、まとまった数字を国民に言いたい」という政治的効果を狙った菅直人首相の自衛隊「10万人体制」の強引な指示のもとに、3月14日、「平成23年東北地方太平洋沖地震にたいする大規模震災災害派遣の実施に関する自衛隊行動命令」が発令され、災害派遣では初めてという陸海空3自衛隊の特別の部隊として「統合任務部隊(JTF-TH)」を編成し、陸自東北方面総監君塚栄治陸将が一元指揮する体制をとった。これには大震災に先立つ4ヶ月前、「東北方面隊震災対処訓練」(宮城県沖を震源と想定した震度6強の地震に対する訓練)が行われていたことも有効であったと言われるし、自衛隊においては、すでに大規模震災における統合任務部隊運用として、将来の首都圏直下型地震や東海地震に備えて最大11万人を動員する災害対処計画も構想されていたという。

3月末段階で、災害派遣で過去最大規模の派遣隊員総数10万7千人(これは自衛隊の総数24万人の実質約半数にあたるもので、陸自約7万人、海自1万4千人、空自2万1千人、中央即応集団約5百人など)、ヘリ約200機、固定翼機約300機、艦艇約50隻以上という体制をとった。従来、日米合同演習の通訳などでしか招集されなかった即応予備自衛官も、10万人体制の枠外として実際の任務で制度発足後はじめて動員された。3月21日早朝には陸自の74式戦車2両が福島第1原発作戦の自衛隊の前線拠点「Jヴィレッジ」(楢葉町)に到着した。主力戦車の災害派遣は初めてだったが、実際には作業のホースや電線を破損させる危険から使えなかった。なお、自衛隊は原発事故に対処するため、3月11日19時30分に自衛隊史上初めての原子力災害派遣命令を出し、陸自中央即応集団(CRF)など約500人を投入、原子力災害派遣活動(除染、原発のモニタリング・放水、避難住民の救援等)に従事させた。しかし、自衛隊は直接、原発事故を制圧する能力は持っておらず、核攻撃時や生物兵器攻撃に一定対処する能力を持っているのみだった。

JTF-THの編成は「有事」において想定されていたもので、この大震災において武力攻撃事態に対処するための体制が具体的に実施されることになった。前述したように、この自衛隊司令部が置かれた陸自仙台駐屯地には、「日米共同調整所」が開設された。報道によると、震災の3日後から毎朝夕2回、自衛隊幹部と米第3海兵遠征軍の将校ら数十人が、部隊展開を写すスクリーンを見て会議をしたという。

(3)「作戦」をメディアはどう伝えたか

米国のオバマ政権はなぜ今回の震災に対して、特別の支援体制をとったのか、それは作戦名「オペレーション・トモダチ」に示されるような、単なる「友情」の発露というものではないことを見ておかなければならない。

この「トモダチ」作戦について、日本の大手各メディアは「朝日」から「読売」「産経」(各系列テレビも)にいたるまで一様に礼賛した。ただ「東京新聞」と沖縄の地元紙2紙「沖縄タイムス」「琉球新報」など地方紙が、冷静な「主張」(社説)を掲載し、その狙いを分析して読者に伝えようとしていたのが光っている。

5月2日の「東京新聞」社説は「日米を真のトモダチに――大震災と米軍支援」と題して「感謝だけで終わらせず、支援の背景を考えて真の日米関係を築きたい」とし、以下のように分析した。

第1に、1997年の日米ガイドラインで合意した「有事司令部」を災害に転用することで、日米同盟関係が良好であることを確認し、中国や北朝鮮に誇示した。

第2に、オバマ大統領が掲げた新規の原発政策を推進する「クリーンエネルギー政策」に悪影響を与えないためであった。

第3に、米国のアジア太平洋戦略で重要な位置を占める日本の経済を震災による破綻から救い出すことにあったと指摘した。

そして「軍隊は外交の道具として使われる。そして外交は、純粋な善意だけでは成り立つはずもない。……『トモダチ作戦』は、米国の利益に直結している」と指摘した。

3月18日の「琉球新報」は「米軍の災害支援 それでも普天間はいらない」と題する社説を掲載した。
社説は「効果的な人道支援を行うのに、国境や官民、軍の立場の違いなど言っている場合ではない。しかし、ここぞとばかりに軍の貢献を宣伝するとは、どういう神経なのか」と書き、普天間飛行場の「地理的優位性」や在沖海兵隊の存在意義をアピールすることに「強い違和感を覚える」と述べた。そして、いまもって県民に謝罪していない「『沖縄はごまかしとゆすりの名人』などと差別発言をして更迭された米国務省のケビン・メア前日本部長を東日本大震災の日米間の調整担当に充てたのも不可解だ」とした。そして「はっきりさせよう。米軍がどのようなレトリックを使おうとも、県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設は沖縄にいらない」と結んだ。

3月22日の「沖縄タイムス」も「『震災で普天間PR』 政治利用に見識を疑う」と題する社説を掲載し、「在沖米海兵隊が『普天間飛行場の死活的重要性が証明された』とアピールしているのは理解に苦しむ」と批判した。

大手メディアの横一線の米軍礼賛のキャンペーンのなかで、これらの新聞社の論説はメディアのジャーナリズム精神を発揮していてすがすがしい。拓殖大学の森本敏教授は、これらの記事を評して「沖縄のメディアは……同じ日本人として恥ずべき行為であった」(6月20日「産経新聞」)などと述べたが、はたしていずれが「恥ずべき行為」であっただろうか。かつての大政翼賛状況を例示するまでもなく、こうした未曾有の災害にさらされているときこそ、ジャーナリズムの真価が問われるのではないか。

震災の救援活動を評価することと、それが米軍の世界戦略の一環として行われた軍事演習と仮想敵国へのデモンストレーション的な側面を持つこととは峻別して評価しなくてはならないのである。

(4)米国にとって必要だった「トモダチ作戦」

(1)日米関係を修復し、「日米同盟」を誇示するチャンスととらえた米政権

オバマ大統領からの信頼の厚いルース駐日大使が「大統領を起こせ」とホワイトハウスに緊急第1報したのは震災直後だったという。連絡を受けると、米国は米韓合同軍事演習「フォール・イーグル」に参加している原子力空母「ロナルド・レーガン」を方向転換させ、三陸沖に向かわせるなど、ただちに動き出した。2009年夏の民主党政権の誕生以来、沖縄の普天間基地問題をはじめ、鳩山由紀夫の「東アジア共同対論」など対アジア戦略をめぐって日米関係は大きくギクシャクし続けていた。その震源地であった鳩山政権が菅政権に代わって、日米関係にも変化が見られるようになった矢先に、沖縄ではケビン・メイ国務省日本部長の沖縄差別発言が飛び出し、矛盾が大きく再燃していた時だった。ルース大使にとっては大統領を叩き起こすほどの絶好のチャンスと見えた。

第1に、この震災で日本に対して米軍の効果的な救援が印象づけることができれば、日本の政権に対する米国のプレゼンスを再認識させることができ、また沖縄の普天間基地撤去問題など日本の世論に潜在する「米国不信」を解消し、日米同盟をより強固なものとすることができるという判断に他ならない。

そして、この「トモダチ作戦」は有事における日米の共同作戦のきわめて実践的な「本番」の予行演習として行われた。「毎日新聞」4月22日の報道によると、外務省幹部は「オペレーションの性質は違うが、民間施設利用や上陸など実態的には朝鮮半島有事を想定した訓練ともなった」と評価した。

そのことによって、米国から見れば、日米関係のゆらぎにつけ込んで東アジアで勢力伸長をはかる中国や北朝鮮に対して、強固な日米同盟関係を誇示する絶好のデモンストレーションになる。

自衛隊の準機関紙「朝雲」は4月14日付のコラム「朝雲寸言」でこう指摘した。「自衛隊10万人、米軍2万人の派遣は過去最大規模であり、初めて共同調整所を設けた『共同作戦』ともなった。……この経験は将来、わが国有事や周辺事態などの『本番』にも大いに参考になるだろう。今回の震災で米軍が何もしないなら、普天間を巡ってギクシャクした日米同盟は崩壊していただろう。その意味で今回、自衛隊と米軍が救ったのは被災地だけではない」と。

6月21日にワシントンで開催された日米安全保障協議委員会(2+2)の「共同声明」では東日本大震災での米軍の「トモダチ作戦」を評価、「(日米調整所設置)の経験から学び、将来における多様な事態に対応するため」のモデルとなると確認し、さらに防災訓練への米軍の参加の重要性などを強調した。今回の「2+2」は、普天間基地の辺野古・V字型滑走路建設を合意したうえに、従来の日米安保体制をさらに踏み込んで、在日米軍再編では日米司令部の連携を深め、中国の東シナ海進出や北朝鮮の挑発に共同対処する態勢構築を強調し、米軍再編を計画どおり進めることにより同盟関係の修復をアピールした。キャンプ座間に米陸軍第1軍団前方司令部が発足したことを歓迎し、陸自中央即応集団司令部移転することを評価した。また横田基地(東京)に空自航空総隊司令部を移転することも確認した。米空母艦載機の厚木基地(神奈川)から岩国基地(山口)への移駐の進展や、鹿児島県馬毛島への新自衛隊基地の建設と日米共同使用も確認した。艦載機の陸上離着陸訓練(FCLP)の移転検討や嘉手納基地(沖縄)の戦闘機訓練のグアム移転合意も強調された。共通戦略目標では中国に「責任ある行動を期待」など、事実上の中国脅威論を展開した。戦略目標達成のための対応では情報・監視・偵察(ISR)など任務・役割分担を整理。次世代の海上配備型迎撃ミサイル(SM3 ブロック2A)の第3国輸出容認方針も明記し、武器輸出3原則の事実上の突破もはかった。

(2)オバマ政権のグリーン・ニューデール政策への負の波及を阻止する意図

オバマ大統領にはその大統領選挙期間中に発表した「ニュー・エナジー・フォー・アメリカ」政策がある。それは石油・石炭に依存した従来型のエネルギー政策から、グリーン・ニューディール政策、クリーンエネルギーへの転換を進めることにより、新たな雇用の創出と産業の発展を図ることによって、米国経済を再生するというものだ。そのためスリーマイル島原発事故以来、縮小傾向にあった米国の原発政策をブッシュ前政権が原発促進に切り替えたのを受けついで、オバマ大統領は原発促進を「グリーン・ニューディール」の柱に据えた。もし保有原発54基という世界第3の原発大国である日本で、その原発政策が崩壊すれば、104基の原発を抱える世界最大の原発大国である米国政府のエネルギー政策に大打撃となる。日本の原発の失敗は現政権の原発推進に不安を抱く米国の世論に再び火をつけることになりかねない。オバマ政権にとっては福島第1原発の早急な収束は至上命題であった。

米エネルギー省は事故発生後、ただちに原子力規制委員会(NRC)スタッフを東京に派遣し、24時間態勢で監視した。原子炉の製造元であるゼネラル・エレクトリック社も日本に技師を派遣するなど、800人の支援体制をとった。オバマ大統領は再三にわたって電話で菅首相に支援を申し入れた。米国は軍による救援以外にも必死で事故処理に介入したのである。例えば4月6日の水素爆発を防ぐための窒素注入措置も、3月25日に海水注入を真水の注入に切り替えさせたのも、米国側の「進言」によるものと言われる。

また原発事故を含め東日本大震災の救援と東日本経済の復興は米国にとっても不可欠のものであった。前述の東京新聞社説はこう指摘する。「日本を経済大国の地位から転落させない狙い(があった)。下請けの部品工場が集まる東北地方の被災は、自動車メーカーなど製造業に大きなダメージを与えた。復興に巨額の費用が必要な中で長期的に輸出が滞れば、国力は衰退しかねない。世界の勢力地図が書き換えられる場面では、自衛隊による対米支援を折り込んだ米国のアジア太平洋戦略も見直しを迫られる。中国との戦略・経済対話を進めつつ、日本、フィリピン、シンガポール、タイ、豪州といった米国の友好国による、いわゆる中国包囲網の手を緩めないのが硬軟巧みに使い分ける米国の戦略である。そこから日本が脱落する事態は想定外である。……日本の動機復興は、米国の安全保障にとって極めて重要な意味をもつ」と。このように展開した同社説の結論は、すでに引用したように、「『トモダチ作戦』は、米国の利益に直結している」と。

この指摘が的を射ていることは以下の報道のアーミテージの発言でも確認できよう。「経団連と米国の主要シンクタンク・戦略国際問題研究所(CSIS)の代表団は6月21日、東日本大震災の復興策などをめぐって都内で意見交換した。米側のアーミテージ元国務副長官は『日本経済の強固な復活は、世界経済にとって重要だ』と述べ、日本の経済回復やサプライチェーン(部品供給網)の復旧が国際社会に不可欠と強調。震災からの復興に協力する姿勢を示した」(時事通信)。

(5)「トモダチ」なら思いやり予算を辞退せよ

米国はトモダチ作戦に8000万ドル(68億円)の予算を組んだ。これらの米国の狙いを実現するために、8000万ドルの投入は安い買い物に他ならない。米軍が4月上旬から撤退過程に入ったのはこの予算を使い果たしつつあったからだといわれる。

一方、5カ年にわたって毎年2000億円規模の税金を在日米軍につぎ込む、「思いやり予算」特別協定が震災のあと、3月31日、共産、社民両党などの反対だけで、衆参本会議で議決され、翌日に発効し、今回の「2+2」でも「日米同盟の柱の一つ」と確認された。もともと「思いやり予算」が始まった時は「暫定的、特例的、限定的な措置で5年間に限ったもの」と説明されていたのに、以来、事実上恒常化され、さらに今回の特別協定は、3年の期限を5年間に延長、新たに米軍住宅の環境対策にも使われるなど、適用が拡大されたものだ。規模は毎年2000億円で固定化され、計1兆円になる。これを保障することを考えると、68億円は安い投資だ。

これに対して、沖縄の市民有志から「米軍への思いやり予算を凍結し、被災地対策に充てることを求める要請」と題する署名運動が提起された。そのなかでは「東日本大震災の復興資金(放射能汚染処理費はふくまず)は25兆円をくだらないと試算され」ていることを指摘した上で、「この事態に対し『おもいやり予算』を凍結し、国家予算を大幅に組み替えて被災地の支援・復興、原発災害の収束に向けて国の持てる総力捧げるべきではありませんか。このタイミングでの『多額の思いやり予算支出決定』は、米国の名誉を損ねます。……困窮する日本へ、アメリカの真の『良き隣人政策』が今こそ必要です」とある。

真の「トモダチ」なら、困窮時にカネをふんだくるようなことはすまい。ここに現在の日米安保体制=「日米同盟」の実態が象徴的に露わになっているのである。

(6)国策に翻弄されつづけてきた「東北」と「沖縄」からみた「トモダチ作戦」

この小論を締めくくるにあたって「河北新報」(東北地方のブロック紙)6月11日の社説「東日本大震災 被災3ヵ月/東北の位置付け変え自立を」の要旨を紹介しておきたい。

「中心に居ると、周縁が見えない。国を治める者にとって地方は政策遂行のための客体であり、地元の意向はしばしば無視される」。「大震災から3カ月、おぼろげながら見えてきたことがある。東北は国策に翻弄(ほんろう)されている。過去も現在も望まない役割を背負わされ、日本を下支えしてきた。震災は国土構造のゆがみを白日の下にさらした。日本の中の東北の位置付けを変えずして、本格的な復旧・復興などあり得ない。東北の自立を主張すべき時だ」。

「仙台から南へ約1800キロ。在日米軍基地の七五%が集中する沖縄で、こんな声を聞いた。『今こそ沖縄から被災地支援を』。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先として日米両政府が想定する名護市辺野古地区。海上ヘリ基地建設に反対する人たちが5月初めから、『米軍への思いやり予算を凍結し、被災地支援に充てよ』と、署名活動を始めた。米軍駐留経費の負担について今後、日本側が五年間にわたり現行水準(2010年度1881億円)を維持するという協定案が成立したのは3月31日のこと。同じ額を被災者支援に回せば、50万人に毎月5万円を3年間支給できると反対協の人たちは訴える」。

「片や文字通り基地を提供することで日本の安全保障を支え、こなた電気や食糧、人材を首都圏に供給する『基地』として。沖縄と東北が戦後、たどった道は酷似している。震災発生から3日後、沖縄の地元紙・琉球新報は河北新報の社説を引用しながら『共助の精神は、独り東北地方だけのものではないはずだ』と訴えた。沖縄が東北の窮状に共感するのは単なる偶然ではあるまい」。

「平和を望むが、基地は要らない。電気は欲しいが、原発は来てほしくない。『人ごとの論理』とは自己中心と同義語である。地元にもたらされる公共事業と雇用、わずかばかりの補助金がそうした矛盾を覆い隠し、都市と地方を分断してきた。一向に動かない基地問題にいら立ち、沖縄では『差別』と捉える見方が広がっている。地方を踏み台にした国の繁栄など私たちは望まない。物言わぬ東北から物言う東北へ。大震災からの復興を歴史の転換点としたい」。

これが「トモダチ作戦」の対象となった東北地方のブロック紙の「社説」である。

2011年6月23日
(本稿は「進歩と改革」誌(進歩と改革研究会発行)8月号のために書いたものに若干の手を加えたものである)

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