許すな!憲法改悪・市民連絡会 高田 健
2010年9月初めの現在、政権与党である民主党の代表選が菅直人首相と小沢一郎前幹事長との間で激しく争われている。論争の中で両者の安保・防衛論での意見に食い違いも若干明らかになってきた。日本の政治は55年体制成立以降、ごく一部の時期を除いてほとんどが自民党などの勢力が支配してきた。それが昨年の衆院選を経て大きく変わろうとしている。日本の政治は大きな激動期に入った。沖縄の普天間基地の名護辺野古地区への移設を決めた本年5月の「日米合意」は沖縄の民衆の圧倒的多数に反対されている。いま日米関係は揺らいでいる。世界経済の危機と連動して、日本の経済・財政政策の危機もまったなしである。日本は大きな歴史的転換期にあることは多くの人びとが認めているところである。民主党政権がこれに有効に対処できるのか、代表選の結果と今後の民主党がとる政策の展望はまだわからない。
8月27日、民主党代表選を前にした時期に、菅直人首相の私的諮問機関である「新たな時代の安全保障と防衛力懇談会」(座長・佐藤茂雄京阪電鉄代表取締役CEO)が「新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想-『平和創造国家』を目指して」と題する報告書を提出した。菅首相はこれを「新しい防衛計画の大綱の作成にあたり参考にさせて頂きます」と受け取った。
この懇談会は政権交代を果たした鳩山由紀夫内閣が2010年2月に組織したもので、「現在の防衛計画の大綱(平成16年12月10日閣議決定)の見直しについては、国家の安全保障にかかわる重要課題であり、政権交代という歴史的転換を経て、新しい政府として十分な検討を行うことが必要です。この検討に資するため、内閣総理大臣が、安全保障と防衛力の在り方に関係する分野等の有識者を委員として、これに加え同分野に関する行政実務上の知験を有する者を専門委員として参集を求め、御意見をいただくこととしました」(官邸サイトより)という主旨で作業をはじめたものである。
「防衛計画の大綱」(防衛大綱)は1957年の第1次岸内閣から1972年の中曽根内閣による第4次防のあと、1976年の三木内閣において防衛計画の大綱として定められ、以降5年ごとに定め直されてきた。防衛大綱は当面する防衛力の基本方針と自衛隊の主要装備調達計画などを決めるもので、94年以降は「有識者」による懇談会をつくり、その報告書によってとりわけ第9条を中心とする憲法解釈の突破がはかられ、権威づけられてきた。前回の防衛大綱は小泉内閣時代の2004年(「04大綱」あるいは、平成16年ということで「16大綱」などと呼ばれる)に策定され、5年後の2009年には新大綱が策定される予定であった。政権交代の結果、それを1年のばしにして、今年末を目指して新政権は大綱策定にのぞもうとしている。
三木武夫内閣の下で策定された76年の大綱は、歴代自民党政権のもとで拡大し続ける軍事力に一定の枠をはめるということを大義名分にして、必要最小限の防衛力の保持、「基盤的防衛力構想」という考え方がうちだされ、防衛費もGNP比1%以内とすることなどが決定された。しかし、これは際限のない軍拡に歯止めをかけるという看板とはうらはらに、拡大する自衛隊の現状を合憲化する解釈改憲の容認という側面を持っていたし、当時はGNPが年々拡大していたこともあり、軍拡の動きを促進する側面があったのであるが、一方、憲法9条が生きて現実政治に影響力を発揮していたことの証左であるという側面は否定できず、軍拡論者の怨嗟の的にもなった。
前防衛大綱である、小泉純一郎内閣のもとで作成された「04大綱」は、日米同盟重視の名の下にブッシュ米国大統領の反テロ戦争、先制攻撃戦略に追従するため、大量破壊兵器の拡散や国際的テロリズムの激化などの国際情勢の変化に応じ、米国の世界戦略を積極的に補完するため、従来からの「基盤的防衛力構想」を全く否定しはしないものの、「多機能で弾力的な実効性を有する防衛力を整備する」こととされ、「基盤的防衛力構想」の足下の掘り崩しをねらったものであった。そして安倍晋三内閣の下で2006年12月に、従来の「国防」に加えて、「海外派兵」を自衛隊の本務とする防衛庁設置法改定・自衛隊法が成立し、防衛庁は防衛省に格上げされ、海外で活動する自衛隊への変質が合法化された。これは、今回の懇談会報告書が基盤的防衛力構想の全面否定をうちだす布石であった。
「平和創造国家を目指して」とサブタイトルが付いた今回の報告書は、「要約」とする前文と、本論的な「本文」のみをあわせてもA4判46頁に及ぶ膨大なもので、「(政権交代を)これまでの政策の不合理なところを見直す絶好の機会」としてとらえ、従来、「基盤的防衛力構想」に代表される憲法の前文と9条に代表される平和原則のしばりを受け、歯止めとなってきた諸原則を全面的に否定するという野心を露わにした、極めて危険なものである。
報告書はその前文にあたる「要約」の最後のところで、「日本はいま歴史の大きな転換点にある。2009年9月の政権交代は、国民がそれを理解し、新しい日本の形を求めていることを示すものであろう。いうまでもなく、安全保障は日本の死活的国益であり、本懇談会としては、政権交代があったからといって、その安全保障、防衛政策を軽々に見直すべきとは考えない。しかし、これは国民がこれまでの政策の不合理なところを見直す絶好の機会でもある。……政府が、これまでの安全保障政策、防衛政策のよいところを継承、発展させる一方、冷戦時代の遺産にとらわれることなく、未来を直視し、果敢に能動的に取り組んでいくことを大いに期待したい」などと結んで、「冷戦時代からの脱却」をキーワードにして、防衛政策の大転換を目論んでいることを示している。
報告書のとり扱いは、民主党代表戦の渦中であり、過渡的な要素が伴うものであるが、以上のようなことを見れば黙過できないもので、取り急ぎ検討を加えておきたい。
報告書の主な問題点はとりわけ以下の諸点である。(1)基盤的防衛力構想の全面的否定、(2)集団的自衛権に関する従来の憲法解釈の見直し、(3)PKO5原則の修正と自衛隊海外派兵恒久法の制定、(4)武器輸出3原則の見直し、⑤非核3原則の将来的な見直し、などなど。
報告書は、これらによって憲法9条のもとでの「受動的な」「平和国家」から、「日米同盟」と自衛隊を武力による「能動的な」「平和創造国家」に全面的に転換させようとする極めて危険なものである。
以下、その基本的な問題に絞って検討する。
「報告書」は従来から約35年もつづいてきた「基盤的防衛力構想」を否定する理由を以下のように述べる。
「軍事力の役割が多様化する中、防衛力の役割を侵略の拒否に限定してきた『基盤的防衛力』概念は有効性を失った。また、安全保障環境と国際関係改善のための手段として防衛装備協力の活用等が有効であるとの概念の下、武器輸出3原則等に依る事実上の武器禁輸政策ではなく、新たな原則を打ち立てた上で防衛力装備協力、防衛援助を進めるべきである」(報告「要約」)として、従来の防衛に関わる原則を「新たな原則」に転換することを要求している。
さらに「本文」ではこれを以下のように説明する。
「日本の経済は、戦後、自由貿易体制の下で驚異的発展を遂げた。しかし、冷戦終結後、その経済力は、新興国の台頭などによって、相対的に低下する趨勢にある。……日本は第二次世界大戦における敗戦の経験から、戦後一貫して、抑制的防衛政策を採ってきた。日本は平和憲法に基づき、他国の脅威にならない専守防衛政策をとり、国民も基本的にこれを支持してきた。また、日米安保体制の下、主として自衛隊が対外的な拒否的抑止力の機能を担い、懲罰的な抑止力については基本的に米軍に依存するという役割分担を維持してきた。さらに日本は、他の先進国には例を見ない事実上の武器禁輸政策を維持し、憲法解釈上、集団的自衛権は行使できないものとして、その安全保障政策、防衛政策を立案、実施してきた。ただし、こうした政策は、日本自身の選択によって変えることができる」と。
そして「(今後の日本が目指すべき平和創造国家とは、専守防衛など抑制的防衛政策ではなく)、世界の平和と安定に貢献することが、日本の安全と平和を達成する道である、との考えを基盤とし、国際紛争への政治的関与を最低限に抑制しようとした冷戦期の受動的な姿勢とは異なって、国際平和協力、非伝統的安全保障、人間の安全保障といった分野で積極的に活動することを基本姿勢とする。冷戦終結後の日本は斬新的にこうした方向に進んできたが、そうした変革は十分ではなかった」とのべ、「重要なのは、日本自身の防衛力を整備し、抑止力を発揮することである。……冷戦終結後、各国の軍事力における非戦闘的役割は多様化しつつ増大し、信頼醸成、平和活動、災害対応など外交的、民生的役割が加わった。また、先進国を中心に、軍事力は同盟、友好関係を確認、増進する基幹的手段ともなった。日本の防衛力もこうした非戦闘的、非伝統的な役割を徐々にになうようになってきた。しかし、平和創造国家を目指す上では、この面で防衛力をさらに積極的に活用することが不可欠である。そのため、冷戦下において米国の核抑止力に依存しつつ日本に対する限定的な侵略を拒否する役割に特化してきた『基盤的防衛力』概念がもはや有効でないことを確認し、冷戦期から残されてきた時代に適さない慣行を見直すことが必要である」とのべている。
この議論の前提は「冷戦期に比べて、日本をとりまく国際情勢が大きく変わったので、基盤的防衛力構想は有効ではなくなった」という議論のみである。そして「日本は、他の先進国には例を見ない事実上の武器禁輸政策を維持し、憲法解釈上、集団的自衛権は行使できないものとして、その安全保障政策、防衛政策を立案、実施してきた」。こうした路線はもはや時代に合わない。「ただし、こうした政策は、日本(政府)自身の選択によって変えることができる」と断言する。「平和創造国家」にじゃまな武器輸出3原則をやめ、集団的自衛権行使に踏み切ることは、日本(政府)の選択でできるというのである。ここには憲法に関する立憲主義の思想もないし、三木内閣当時に行われた76防衛大綱制定時の国会での議論も全く無視されている。
日本が「第二次世界大戦における敗戦の経験から、戦後一貫して、抑制的防衛政策を採ってきた。日本が平和憲法に基づき、他国の脅威にならない専守防衛政策をとり、国民も基本的にこれを支持してきた」のは、冷戦期であったからだけではない。歴史的に先駆的な意義をもつ憲法9条を持つ点において、日本は「普通の国」ではないのである。戦後60余年、約200回に及ぶ戦争が行われた世界に於いて日本が戦争をしなかったのは、まさに憲法第9条が「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と厳粛に定めたからに他ならない。そして、この憲法第9条の精神は、今日、多くの国民に支持され、アジアをはじめとする世界の諸国と人びとの日本評価の際の指標である。
議会での多数勢力の立場を駆使して、日米安保条約を結び、強引な解釈改憲で自衛隊を創設・育成してきた日本の歴代保守政権すらも、この九条のしばりから完全に自由ではあり得なかったため、「防衛力の役割を侵略の拒否に限定」せざるをえなかったのである。そして、この第9条は第二次世界大戦に連なる15年戦争を引き起こした日本の「再び戦争はしない」という国際公約であった。1987年、中曽根内閣に於いて防衛「四方針」=「我が国は、平和憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とならないとの基本理念に従い、日米安保体制を堅持するとともに、文民統制を確保し、非核3原則を守りつつ、節度ある防衛力を自主的に整備してきたところであるが、かかる我が国の方針は今後とも引き続き堅持する」ことが確認されたのも同様の流れにおいてである。これは歴代政府によって憲法の精神を実現する上での「国是」とされてきたものであり、勝手に一内閣の手による「日本(政府)の選択で変えることができる」ものではない。
いま「基盤的防衛力」構想に代表される、これらの「国是」を否定しようとするこの「報告書」は、日本国憲法の立場はもとより、歴史的に見ても、国際的に見ても、とうてい容認することができない、この国の安全保障と防衛政策に関わる重大な基本路線の転換である。小泉内閣、安倍内閣、麻生内閣という戦後最右翼の改憲派内閣すらできなかった企てを、懇談会はこれを民主党中心の政権交代を奇貨として、「果敢に、能動的に」実現することを提唱しているのである。懇談会の委員たちは民主党内に、自民党以上に右派的な部分がいることに期待をかけているのか、それとも防衛・外務官僚や財界の圧力に弱い未熟な政党による政権であることに期待をかけているのか、菅内閣は何ともなめられたものではないか。
「報告書」は「日米安保をよりいっそう円滑に機能させていくために」と称して従来の集団的自衛権の憲法解釈の再検討を要求している。
しかし、日本国憲法第9条の下で「集団的自衛権を行使することができない」という憲法解釈は従来の日本政府の下で伝統的に確立されたものである。
例えば、この解釈は2001年の小泉純一郎内閣による土井たか子衆院議院への答弁書が以下のように述べたことで知られている。
「政府は、従来から、我が国が国際法上集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えてきている。憲法は我が国の法秩序の根幹であり、特に憲法第9条については過去50年余にわたる国会での議論の積み重ねがあるので、その解釈の変更については十分に慎重でなければならないと考える」。
これが従来、日本政府の公式の立場であった。「報告書」はこの考え方の中で禁じられてきたある種の問題を解禁しよう、必要ならこれまでの集団的自衛権に関する政府解釈を変えてしまおうとして、以下のように提起している。
「例えば、日本防衛事態にいたる前の段階での米艦防護の問題や、米国領土に向かう弾道ミサイルの迎撃の問題は、いずれも従来の憲法解釈では認められていない。日米同盟にとって深刻な打撃となるような事態を発生させないため、政府が責任をもって正面から取り組むことが大切である。日本として何をなすべきかを考える、そういう政府の政治的意志が重要であり、自衛権に関する解釈の再検討はその上でなされるべきものである」(「要約」より)。
さらに具体的には「本文」で以下のように例示されている。「たとえば、日本防衛事態にいたる以前の段階で、ミサイル発射に備えて日米共同オペレーションに従事する米艦にゲリラ攻撃が仕掛けられた場合に、これを自衛隊が防護することは従来の憲法解釈では認められていない。また、弾道ミサイル防衛について、日本のイージス艦がハワイ等米国領土に向かう弾道ミサイルを打ち落とすことが将来可能となったとしても、従来の憲法解釈では日本防衛以外のシナリオでの弾道ミサイルの迎撃は認められていない。つまり、日本は、現在、米艦の防護や米国向けの弾道ミサイルの撃墜を、国益に照らして実施するかどうかを考えるという選択肢さえないのである」「本懇談会が強調したいことは、憲法論・法律論からスタートするのではなく、そもそも日本として何をなすべきかを考える、そういう政府の政治的意志が決定的に重要であるということである。これまでの自衛権に関する解釈の再検討はその上でなされるべきものである」という。
「憲法論・法律論からスタートするのではなく」などと、現実主義をよそおいながら展開されているこの議論は、憲法とは何かという基本的立場を放棄するもので、民主主義にとって極めて危険な考え方である。
http://www.annie.ne.jp/~kenpou/seimei/seimei127.html)
2007年、安倍晋三内閣の下で作られた「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」は「集団的自衛権行使に関する従来の政府の憲法解釈」の一部見直しをめざしたものであった。その内容は4つの類型で示され、「(1)米艦防護、(2)弾道ミサイル防衛、(3)国際平和活動の際の武器使用、(4)いわゆる後方支援」を合憲解釈することであった。この「安保法制懇」の討議半ばで安倍晋三が政権を投げだして、「報告」は安倍の後を継いだ福田康夫首相に提出された。しかし福田は受け取りおいただけで見向きもしなかった。安倍の同志である麻生太郎はこの「報告」を復活させ、活用したいという意図があった。
「報告書」(当時)はこれについて、まず、最初の2類型についてその意義を確認している。
「安保法制懇談会では、『米国に向かうミサイルを迎撃すること』、『日米が共同で活動している際に米軍艦船に危機が及んだ場合にこれを防護すること』はいずれも同盟国として果たすべき日本の任務であり、これらが常に可能になるよう、警察権や武器等防護の論理によらずに、集団的自衛権に関する従来の政府解釈を変更すべきである旨提言された。本懇談会は、この提言を強く支持」する、とした。
「報告書」(当時)は類型1について「北朝鮮の弾道ミサイルの性能が向上することにより、その射程には、日本全土に加え、グアム、ハワイなど米国の一部も含まれ、日米は共通の脅威にさらされることとなる」「米国に向かうミサイルを迎撃することは日本の安全のためにも必要であり、可能な手段でこれを迎撃する必要がある。従来の集団的自衛権に関する解釈を見直し、米国に向かうミサイルの迎撃を可能とすべきである」という。
従来の政府解釈はこれが憲法違反だと明確にしてきた。報告書ではいま、この「政府解釈」を変える合理的な説明がされていない。
あわせて、ミサイルシステム(BMD)導入にあたり、2003年の小泉内閣の時代に官房長官談話(福田康夫)が以下のように確認していることをどうするのかが問われざるをえない。
「集団的自衛権との関係については、今回我が国が導入するBMDシステムは、あくまでも我が国を防衛することを目的とするものであって、我が国自身の主体的判断に基づいて運用し、第三国の防衛のために用いられることはないことから、集団的自衛権の問題は生じません。なお、システム上も、迎撃の実施に当たっては、我が国自身のセンサでとらえた目標情報に基づき我が国自らが主体的に判断するものとなっています」
自公政権当時の福田官房長官談話が、MDシステムの使用の仕方について、「あくまでも我が国を防衛することを目的とするもの」と、これほど明確に述べているのに、いま、菅内閣の私的諮問機関が「米国の防衛」のためにも使用するなどと言っているのである。
「報告書」(当時)は類型2の「米艦船の防護」についても、「公海上で当該米艦船に対する攻撃が行われ、かつこれが自衛艦船に対する攻撃と認めがたい時、自衛隊の艦船が米艦船を防護するための法的根拠は見いだしにくい。……弾道ミサイルへの対処は、日米が緊密に連携して行うものであり、ミサイルの警戒にあたる米艦船について自衛艦船が防護できないとすれば、日米間の信頼性の低下を招き、北朝鮮に対する軍事的対処ができなくなり、日本の安全を大きく損なう恐れがある。したがって、このような場合においても自衛隊が米艦船を防護できるよう、集団的自衛権に関する解釈の見直しも含めた適切な法制度の整備が必要である」として「類型の2の合憲解釈」も必要だと強調した。
この「憲法破り」のキーワードは「北朝鮮の弾道ミサイル攻撃」であり、「米国の信頼性の低下の恐れ」である。日本が憲法の縛りによって集団的自衛権を行使できないことは、米国が先刻承知のことであって、それが米国の要求であっても、「信頼性」云々で「憲法破り」の実行を脅迫するのはお門違いであろう。
当時の批判は今回の「報告書」に対する批判として今日なお有効である。こうした理屈で従来、憲法違反としてきた集団的自衛権の行使に踏み込むことは、単なる一内閣による憲法の恣意的解釈であり、立憲主義の原則が堅く禁じていることである。
これを鳩山民主党内閣の下で組織され、菅直人内閣に受けつがれた首相の私的諮問機関である「新たな時代の安全保障と防衛力懇談会」が再度、持ち出してきたことが驚きである。まさに安倍、麻生、鳩山、菅の歴代内閣の下での「懇談会」の考え方は一貫している。それは懇談会の構成が防衛省や外務省の官僚によって推薦され、同類の人物で構成されていることから来るものに他ならない。
PKO5原則が定められたのは、いわゆる湾岸戦争(1990年~1991年)を契機としてである。日本政府はこの戦争に際して、総額130億ドルもの資金を拠出しながら、わが国の貢献は国際社会から必ずしも高く評価されなかったなどとして、自衛隊のPKO派兵に固執した。多くの国民の闘いによって一度、PKO法案は1度、廃案になったあと、1992年、自衛隊のPKOへの参加を定めるPKO協力法が成立し、自衛隊の海外派兵への道が開かれた。しかしながら、PKF本体業務への参加は凍結され、PKO5原則という枠がはめられた。
具体的には、(1)停戦合意が成立、(2)紛争当事国によるPKO実施と日本の参加への合意、(3)中立的立場の厳守、(4)基本方針が満たされない場合は撤収できる、(5)武器の使用は命の防護のための必要最小限に限る、という5点である。これは憲法9条を持つ日本が初めて海外に派兵するという憲法違反の歴史的な事態に際し、ぎりぎりの点で9条の制約をかけるうえで不可欠なものであった。このPKO5原則は、自衛隊の活動に制限が加えられるという不満から、以降、与党や民主党、あるいはイラク派兵部隊の佐藤正久隊長(現国会議員)らに代表される自衛隊幹部などの攻撃にさらされ、くりかえし、改定要求が出されてきた。現在の内閣では岡田外相らが同様に主張している。
さらに重大なことには、このPKO5原則の見直しの動きが、派兵時期や対象を限定するのではなく、より自由に政府の判断で自衛隊を海外に派兵することができる「海外派兵恒久法」の提唱と結びついていることである。これはPKO派兵に限らず、テロ特措法や、イラク特措法などによる自衛隊の海外派兵を恒久法で対処するという自衛隊海外派兵恒久法の要求である。9条のもとでこのような派兵恒久法を考えることは、9条を亡きものにする究極の解釈改憲論である。
恒久法の要求は自民党の中だけでなく民主党内にもある。今年6月に細野豪志民主党副幹事長は訪米して 「インド洋での給油といった間接的な方法ではなく、 シーレーン(海上交通路)の安全確保活動に海上自衛隊が直接参加するべきだ。そのための恒久法を制定することが望ましい」と述べ、自衛隊海外派兵恒久法制定に意欲を示し、「民主党は、日米同盟協力の機能的拡大による深化を目指す」と強調して今年末にまとめる防衛大綱で、ミサイル防衛や人工衛星による警戒・監視などの「米国を補完する」役割を強化するとまで発言した。また長島防衛政務官もテロ特措法の廃止と関連して中止になったインド洋における給油活動の再開を主張しており、今回の報告書もその流れに位置している。
「報告書」はPKO5原則の変更と恒久法について、「要旨」で次のように述べている。
「国際平和協力活動は多機能型へ深化しつつあり、冷戦終結直後に考え出された日本の国際平和協力の実施体制は時代の流れに適応できていない部分がある。PKO参加5原則の修正について積極的に検討すべきである。また、自衛隊の任務として、他国の要員の警護や他国部隊への後方支援を認めるべきであり、これらは憲法の禁ずる武力行使の問題とは無関係であり、必要であれば従来の憲法解釈を変更する必要がある。最後に、国際平和協力活動に関する基本法的な恒久法を持つことが極めて重要である」と。
そして「本文」では「国際平和協カ実施の枠組みの見直し」と題して、以下のように説明する。
「日本は現在、国際平和協力活動を重視する立場にある。実際、カンボジアPKO以来、日本は少なからぬ貢献をしてきたし、イラクやインド洋への自衛隊派遣といったPKO以外の国際任務にも参加するようになった。しかし、国際杜会の課題の変化(破綻国家の出現等)に対応して、国際平和協カ活動は国家再建までを含む多機能型へと進化しつつある。破綻国家の復興など『国づくり』は日本の得意分野にできる可能性がある。ところが、日本の国際平和協力の実施体制は、冷戦終結直後に作り出されたPKO参加5原則に基づいており、時代の流れに適応できていない部分がある。
まずは、参加基準であるが、参加5原則は、1992年に国際平和協力法が制定された時に想定されていた国連PKOミッションの形態をもとに作られたものであり、停戦合意、受け入れ同意、中立性の3つの原則は、紛争当事者に該当する明確な主体の存在を前提としていた。しかしそうした前提では、脆弱国家や破綻国家における紛争の場合、参加する必要性が認められ、能力的に参加が可能でも、形式的に基準に合致しないために参加が許されないケースが出てくる可能性がある。このような体制は、平和創造国家として日本が応分の貢献を行う上での障碍となる。
次に、参加5原則は、『武器の使用を要員の生命等の防護のために必要最小限』に制限しているが、複雑な法解釈を熟知した上での対応を求めることで、現地に送り出す個々の自衛官にかなりの負担を強いている。……今後、こうした点を考慮し、参加5原則を国際平和協力の実態(停戦合意の当事者要件、武器使用基準等)に合致するものに修正するよう、積極的に検討すべきである。
脆弱国家や破綻国家においては、住民や避難民の防護が必要であり、また、多機能型PKOでは文民や民生活動に従事する軍人も多数参加することから、文民等の警護が活動実施の鍵となっている。そもそもPKOは国際紛争を解決するための武力の行使ではない。したがってこうした武器使用は、海外における武力の行使とは無関係であり、自衛隊の任務として他国の要員の警護を追加すべきである。同様に、PKO活動に参加している他国の活動に対する後方支援もまた、『武力の行使との一体化』とは無関係であり、自衛隊の任務として当然認められるべきである。こうした点は、国際的な常識や基準に照らし合わせて、必要であれば従来の憲法解釈を変更する必要がある。……また、国として国益および国際杜会の利益を見据え、主体的・能動的に国際平和協力に取り組むため、その基本的な考え方を明確にする必要がある。その実現のための立法上の方策としては、国際平和協力法の全部改正なども考えられるが、いずれにせよ、日本が、国際平和協力活動に関する基本法的な性格を持つ、包括的かつ恒久的な法律を持つということが極めて重要である」と説明している。
PKO5原則の拒否する他国の武力行使の一体化などはまさに憲法の要請であり、報告書が強引に「無関係であり、自衛隊の任務として当然認められるべきである」等と言えるものではない。それを報告書は「国際情勢の変化」という口実で一掃しようとしている。
従来から武器輸出3原則の緩和は軍需産業など経済界と防衛官僚からの要求が繰り返し行われてきたが、今回の「報告書」は以下のように指摘する。
「これまで日本は『武器を輸出しないことで平和に貢献する』という観点から、武器輸出三原則等により事実上の武器禁輸政策を維持してきた。しかし国際情勢を無視して日本だけが武器輸出を禁じることが世界平和に貢献するという考えは一面的であり、適切な防衛装備の協力や援助の効果を認識すべきである。……日本政府が時々の状況に応じて表明した見解や答弁が積み重なり、原則的な武器禁輸政策となっていながら『武器輸出三原則等』といった表現をとってきたことに間題がある。
近年、紛争後の平和構築、人道支援・災害救援、テロや海賊等の非伝統的安全保障問題への対応等のための国際協力が拡大している。このような協力の手段として、防衛装備品・装備技術の活用は効果的であり、実際、インドネシア政府による海賊取締り目的のため、同国の海上警察への巡視船艇供与を武器輸出3原則等の例外として認めた事例がある。しかし、事実上の武器禁輸政策のため、個別案件ごとに例外を設ける必要があり、これらの課題に対する国際協力の促進の妨げとなっている。平和創造国家を目指す日本としては、こうした国際協力をむしろ促進すべきであり、この分野については、個別の案件毎に例外を設ける現状の方式を改め、原則輸出を可能とすべきである。
もちろん国際的に見ても装備の国際移転に関する管理体制は厳格となっており、こうした国際基準を遵守し、また、平和創造国家として武力紛争誘発の危険性を高めるような装備の輸出に対して厳格な規制を設けることは言うまでもない」
また「報告書」は本文の「防衛力を支える基盤の整備」という章で、以下のように述べている。
「日本国内に有力な防衛産業が存在し、日本の防衛生産と防衛技術を支えていることは、日本の防衛力を維持・発展させる上で欠かすことのできない物的基盤である。防衛装備品は、高性能化の進展と開発コストの上昇、さらに日本の場合には市場が国内に限定されていることから、一般に、高価格となる傾向にある。厳しい財政状況下、高コストが調達数量の減少を招き、それが単価増を招く、そういう負のスパイラルに日本の防衛の物的基盤が陥ることは望ましくない。こういうリスクを見据え、日本としては、国内の防衛生産・技術基盤を健全に維持するため、その方策を検討していかなければならない」。
「防衛装備品の調達は、過去、装備品を可能な限り国産化することと、国内における確実な供給・運用支援基盤を維持することに重点を置いて行われてきたが、このことが防衛産業の高コスト体質の温存を許してきたと言えないこともない。また、防衛関係費が頭打ちで推移する中、将来展望が描けずに防衛生産から撤退する企業も増えつつある。
日本の防衛生産・技術基盤をめぐる行き詰まりを打破するためには、……政府は「防衛産業・技術戦略」を示さなければならない。その目的は、日本の安全保障上、外国にゆだねるべきでない分野を特定し、重点投資分野を明確化することである。同戦略に基づき、国内防衛産業は、長期的な視点で投資、研究開発、人材育成に努めることができるようになる。……また、同戦略の前提として、選択と集中にあたり、国産か輸入かという二者択一ではなく、国際共同開発・共同生産という第三の道を選択肢に加える必要がある。さらに、国内防衛産業は国際的競争にさらされてこなかったため、どの防衛技術に日本の優位性があるのかが現状でははっきりしないという課題にも取り組む必要がある。日本の防衛技術と民生技術を合わせたトータルな技術力を総点検する、いわば『棚卸し』作業として、長期的視点から『将来の技術マッブ』を作成する必要がある」。
筆者は前出の2009年の安保防衛懇報告書の批判で以下のように指摘した。「武器輸出3原則の見直しは小泉・安倍内閣の時代に強調されるようになり、自民党国防部会の防衛精算小委員会や経団連などからの要求が相次いでいた。経団連は2005年7月にも『提言』を出しているが、2009年7月の『我が国の防衛産業政策の確立に向けた提言』はより強硬に3原則の見直しを主張している。『報告書』の『国内防衛産業の健全な維持・発展』という記述や経団連の要請などを見ても、米国の軍産複合体経済同様に、軍需産業 の育成・強化の意図が露骨にあらわれている。戦争を止めることができない米国の軍産複合体の要求と同様に、日本でも軍事大国化への動きと防衛産業の育成の 動きが一体化している。ミサイル防衛システムの共同開発などをはじめ、米国の軍産複合体との連携が要求されている。『アーミテージ・レポートⅠ』は「防衛技術 は、米日同盟全体の不可欠な構成要素と見なさなければならない。われわれはアメリカの防衛産業を奨励して、彼らが日本企業との戦略的同盟を結ぶことで、最先端の軍事的及び両面利用議十の双方向の流れを促進すべきである」と。 武器輸出3原則がこれをすすめる上で不都合だから変えよと言う「報告書」の要求は本末転倒である。武器輸出3原則の見直しは軍需産業による戦争の要求に道を開くものであり、世界中に日本製の武器をばらまくもので、平和の流れに逆行するものである」と。
加えて、報告書が情勢の変化をあれこれと口実にするので、武器輸出3原則が「国是」として打ち立てられるに至った経過を改めて思い起こす必要がある。 1967年4月、佐藤栄作首相が衆院決算委員会で武器の禁輸の対象について3原則を答弁した。(1)共産圏諸国向けの場合、(2)国連決議により武器などの輸出が禁止されている国向けの場合、(3)国際紛争の当事国またはその恐れのある国向けの場合、の3つである。これにくわえて1976年2月、三木武夫首相が衆院予算委員会で佐藤3原則を補強して確立させたのである。それは(1)3原則対象地域については、「武器」の輸出は認めない。(2)3原則対象地域以外の地域については憲法及び外国為替法及び外国貿易管理法の精神に乗っ取り、「武器」の輸出を慎むものとする。(3)武器製造関連設備の輸出については、「武器」に準じて扱うものとする。また、「武器」の定義は、(1)軍隊が使用するものであって直接先頭に供されるもの、(2)本来的に、火器等を搭載し、そのもの事態が直接人の殺傷又は武力闘争の手段としてものの破壊を目的として行動する護衛官、戦闘機、戦車のようなもの、と規定した。そのうえで、この抜け道ともいうべき方策で、1983年1月、中曽根内閣の後藤田官房長官談話によって、日米安保との関係の解釈が付け加えられて今日に至っている。「日米安保条約の観点から米軍向けの武器技術供与を緩和することを武器輸出3原則の例外とする」というもの。のちに83年11月、対米武器供与を日米相互防衛援助協定の関連規程の下で行うことを定めた交換公文が締結された。こうした経過を見るとき、武器輸出3原則は日本国憲法の精神に則って定められた規程であり、「報告書」の改定要求は筋がとおらない。
2010年8月6日、広島市の秋葉市長は「平和宣言」において以下のように主張した。
「核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声国際社会を動かす最大の力になりつつあります。こうした絶好の機会を捉え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑っている人もまだ多いからです。今こそ、日本国政府の出番です。『核兵器廃絶に向けて先頭に立』つために、まずは、非核3原則の法制化と『核の傘』からの離脱」をすべきであると。しかし、この場に同席した菅首相はそのごの記者会見で改めて「核の傘の重要性」の言及し、非核平和を願う人びとを失望させた。かつてチェコのプラハで米国のオバマ大統領までが核廃絶を主張せざるを得なかったように、世界の世論の趨勢は核兵器の廃絶である。こうした時代に、「報告書」は全く逆の提言をしている。当初、報告書の原案が一部マスコミに漏れたときに、原案が非核3原則の見直しを露骨に主張しており、人びとを驚かせたが、その後の調整で若干トーンダウンさせて以下のように述べている。
「米国は、同盟国である日本に対して拡大抑止を提供している。それは通常戦力と核戦力の双方においてである。米国の日本に対する拡大抑止、特に核戦力による拡大抑止は、日本の安全のみならず地域全体の安定を維持するためにも重要である。それは究極的な目標である核兵器廃絶の理念と必ずしも矛盾しない。米国の拡大抑止のコミットメントについて、その実効性を保証するため、米国任せにはせず、日米間で緊密な協議を行う必要がある。
なお、『持たず、作らず、持ち込ませず』という非核3原則に関して、当面、日本の安全のためにこれを改めなければならないという情勢にはない。しかし、本来、日本の安全保障にとって最も大切なことは核兵器保有国に核兵器を『使わせないこと』であり、一方的に米国の手を縛ることだけを事前に原則として決めておくことは、必ずしも賢明ではない。
日米同盟を通じた日本の安全保障の確保にとって、在日米軍の安定的な駐留は不可欠であり、日本による駐留経費の適切な負担は、これを支援する役割を果たすものである。また、沖縄に米軍基地が集中している現状は、日本国内の基地負担のあり方としてはバランスを欠いており、その負担の軽減努力を継続しなければならないものの、沖縄の地理的・戦略的な重要性に鑑みて、総合的に判断されるべき性質を持っている」。
要するに、すぐ改めろとは言わないが、「米国の手を縛ることだけをあらかじめ原則として決めておくことは懸命ではない」というのである。この問題では密約問題もあり、いわゆる現実主義の立場から、岡田外相などは事実上の「非核2・5原則化」ともとれる発言をしている。日本政府が厳格に対処することが求められている。
とりいそぎ、「新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想-『平和創造国家』を目指して」を概観したが、これらは安倍内閣当時に検討された「安保法制懇報告書」より、より危険な提言となっているのではないか。この提言をうけいれたとしたら、そこに誕生する日本は「平和創造国家」等ではなく、米国と共に、アジアに於いては中国などの新興勢力に対抗し、世界の各所に自衛隊を派兵して「反テロ戦争」などを行う、戦争遂行勢力に組み込まれることになる。
日本はひきつづき憲法9条を掲げて、武力で平和はつくれないとする立場から世界の平和創造に貢献する国になるのか、それとも武力によって平和をつくることは可能だという「日米軍事同盟」の立場から世界の紛争に介入して行く国家になるのか、その岐路に立っている。
菅首相は参院選直後の臨時国会で質問されて、非核3原則は堅持し、武器輸出3原則は見直さないとか、集団的自衛権の憲法解釈を変えるつもりはないなどと答弁しているが、報告書はすでに1ヶ月前にマスコミにリークされている。内容を官邸が知らないはずがない。「非核3原則」放棄などの問題で、内容のあまりの過激さに驚いた官邸がトーンダウンさせる動きをしたフシがあるが、事実上、変化はなかった。こうした報告書を菅首相が受け取ること自体が問題ではないのか。9月の民主党代表選挙をへて、誰が代表となるにしても、民主党がどのような方向をとるのか、市民の監視を強める必要がある。
(2010年9月3日)