2008年5月4~6日 9条世界会議
日本国憲法9条は、戦争を放棄し、国際紛争解決の手段として武力による威嚇や武力の行使をしないことを定めるとともに、軍隊や戦力の保持を禁止している。このような9条は、単なる日本だけの法規ではない。それは、国際平和メカニズムとして機能し、世界の平和を保つために他の国々にも取り入れることができるものである。9条世界会議は、戦争の廃絶をめざして、9条を人類の共有財産として支持する国際運動をつくりあげ、武力によらない平和を地球規模で呼びかける。
人類は、戦争のない世界に向けてたえず努力してきた。歴史の中で、土着の伝統や偉大な人物たち--とりわけ女性たちは戦争に積極的に反対してきた--は、たえず人類を平和へと導こうとしてきた。
20世紀の近代戦争でもたらされた犠牲は、この流れをさらに前に進めた。1928年のケロッグ・ブリアン不戦条約は、国策の手段としての戦争を明確に放棄した。1945年の国連憲章は、明確に定義された異常事態の場合を除いては「武力による威嚇または武力の行使を慎まなければならない」ことを加盟国に義務づけた。
日本によるアジア太平洋への侵略戦争と広島・長崎への原爆投下の後に1947年に施行された日本国憲法9条は、武力の行使を認めるいかなる例外ももたないという点において、世界平和のための国際規範の発展におけるさらなる一歩前進である。この日本の動きに続いて、コスタリカは1949年、軍隊や自衛隊をもたなくても国家は平和的に存在できるという例を世界に示した。
9条の精神はまさに、すべての戦争が非合法化されることを求めている。そして、すべての人々が恐怖や欠乏から解放され平和のうちに生きる固有の権利を有することを世界に投げかけている。
しかし今日の世界は、武力紛争、大規模な貧困、格差の拡大、武器の拡散、地球規模の気候変動に覆われている。アメリカによる全面的な「テロとの戦い」は、戦争をもたらし、国連の役割を台無しにし、地球規模の軍備競争を復活させ、世界中で拷問を助長し、人権をむしばんでいる。
さらに、紛争が民間人--とりわけ女性、子ども、高齢者たち--に与える影響に対する関心が高まっているにもかかわらず、戦争において殺され傷つき避難を余儀なくされる民間人の割合は、空前の高さに達している。
このような絶望的な状況は、イラクにおける戦争と占領にはっきりと示されている。
平和や民主主義が武力によってもたらされないことは、もはや明らかである。こうした世界的な流れのなかで、9条の原則を保持し、地球規模の平和と安定のための国際メカニズムとして強化することが、かつてないほどに重要になっている。
それにもかかわらず日本は、憲法9条の義務を果たしていない。さらに、9条の存在自体がいま脅かされている。今日の日本の自衛隊は世界最大規模の軍隊の一つであり、アメリカは日本中に軍事基地をもっている。日米軍事協力がますます強化されるなか、日本の現実は憲法9条の精神からの乖離をいっそう深めている。
日本によるアメリカへの全面的軍事支援を可能にさせるために憲法を改定しようという動きは、日本国内、アジア近隣地域そして国際社会で不安をかきたてている。そればかりでなく、日本は近隣諸国への戦争責任を果たしておらず、和解はいまだなされていない。東北アジアには、不安定な冷戦構造がいまだに残されている。
歴史的には、国家のみが国際関係の主体であると考えられてきた。しかし、市民の運動が重要な役割を果たしてきたこともまた事実である。1990年代より、地球規模の市民社会が、草の根レベルで国境をこえて団結し、人類の将来の決定に参加するようになってきた。そして、平和、人権、民主主義、ジェンダーおよび人種の平等、環境保護、文化的多様性といった課題について、主要な役割を果たすようになってきた。
1997年の対人地雷禁止オタワ条約、1999年の「ハーグ平和アピール」国際市民会議、2002年の国際刑事裁判所の設立、2003年のイラク戦争に対する空前の世界的反戦運動といった例はいずれも、地球市民社会が変革の主体としての力を明確に示したものであった。さらに今、クラスター爆弾の禁止や小型武器の管理を求める運動、核兵器の非合法化を求める運動、また地球規模の平和と経済的・社会的正義を求める運動が広がっている。いまこそ地球市民社会は、9条の条項とその精神に着目し、その主要な原則を強化し、地球規模の平和のためにそのメカニズムを生かしていこう。
9条の主要な原則を国際レベルで実行するためには、大国から小国まですべての国々は、暴力紛争の発生を予防する責任を果たし、いかなる状況下でも武力による威嚇や武力の行使を放棄しなければならない。そして安全保障というものを、人間の観点またジェンダー・バランスの視点から見直す必要がある。
貧困と不平等が紛争の根源的要因となっていることは、古くより知られるところである。現在のグローバリゼーションは、南北の格差をさらに深刻にしている。こうしたなかで各国政府は、国連ミレニアム開発目標の達成を第一歩として、すべての人々にとっての持続的繁栄と社会正義を築くために資源を使わなければならない。
日本の9条は、国家の平和的存在を可能にし、人間の発展のための革新的な資金メカニズムを創ろうとする努力を後押しするものである。それは、軍備を規制し世界の資源の軍事費への転用を最小化すると定めた国連憲章26条を補完している。
9条の精神は、小型武器、地雷、クラスター兵器、核兵器、生物・化学兵器などを含むあらゆる軍備の拡大および拡散や、軍事産業の活動を否定する。それはさらに、安全保障政策における核兵器への依存を拒否し、核兵器の非合法化と廃絶を求めている。
潘基文国連事務総長が再確認したとおり、世界的に軍事費を削減し限られた資源を持続可能な開発に振り向けることは、地球規模で人間の安全保障を促進し、軍事活動による環境への悪影響を軽減することにつながる。
持続可能な開発に関する世界サミットおよび国連委員会は、各国政府および企業に対して、地球の気候、水、森林、生物多様性、食糧、エネルギー供給を保全するよう求めている。同時に、気候変動は紛争の発生、悪化、助長をもたらす危険があり、気候変動の過度の影響から地球を守ることに投資することが重要である。
2005年7月、「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ(GPPAC)」の世界提言は「日本国憲法9条はアジア太平洋地域全体の集団的安全保障の土台になってきた」と指摘した。すなわち9条が、この地域の安定に重要な貢献をしており、包括的かつ持続的な平和の構築のために大きな潜在力をもっていることを認知したのである。世界の他の地域においては、欧州連合、アフリカ連合、東南アジア諸国連合といった形で、平和のための地域メカニズムがつくられている。東北アジアにおいては、9条が、地域の平和的統合の土台になりうる。
私たちは、平和で持続可能な世界をつくることができる。しかしそれは、すべての国が真の多国間主義に参加し、国連をはじめとする国際的誓約を尊重してはじめて可能になる。9条を実行し、他の国々もまた9条をもつようになるためには、国際システムの改革が同時並行的に必要である。さらに市民社会は、暴力に対する平和的オルタナティブをつくり出し、地元、国内、地域、世界の各層におけるネットワークを通じて平和を構築する力をもっている。軍事主義を止め将来の戦争を予防するために、市民社会の力を発揮していこうではないか。
これらの目標を達成するために、9条世界会議に参加した私たちは、以下の通り提言する。私たちは、すべての政府に以下のことを求めます。
私たちは、日本政府が以下のことに取り組むことを奨励します。
私たち市民社会は、以下のことに取り組むことを誓約します。