4月14日に国会に上程された「海賊対処派兵新法」案の衆議院での審議が行われている。同法案はすでに自衛隊法82条の海上警備行動を根拠にして、「応急措置」でアフリカ東海岸ソマリア沖に派遣されている海上自衛隊に、82条では不可能な他国船舶の護衛や、攻撃的な武器使用を認めようとするものだ。これは武力の行使を禁じた憲法9条に明白に違反するものだ。すでに現場に於いては、82条などは無視され、他国船籍の救援出動なども行われ、脱法行為がまかり通っている。
いますすんでいる事態は重大なものだ。浜田防衛相は4月17日、海自哨戒機P3C、2機の派遣準備命令を出し、その拠点となるジプチでの機体警護のため陸自隊員の派遣とそれらの人員装備の輸送のための空自の派遣も準備している。先にこの海域で活動しているインド洋給油活動部隊とあわせて、陸海空3自衛隊1000人規模の部隊がこの地域に展開することになるという極めて大がかりな軍事作戦だ。これが事実上、この地域に展開する米軍やNATO軍と共同作戦を展開していることになる。
これは今回の北朝鮮のロケット対応でのMD迎撃出動態勢や事後の「敵基地攻撃論「核保有論」の噴出とあわせて、自衛隊史を画するような危険な変質が進んでいることを示すものではないだろうか。
この衆院での審議において、民主党外務防衛部門会議は政府案との修正協議に臨む方針を明らかにし、「海賊対処法への対応と修正ポイントについて」というメモをまとめた。民主党は政府案が「海賊対策が第一義的に海上保安庁の任務とされながら」自衛隊を出す判断が防衛大臣にあり、主体が海保ではないことが問題だとして、「海賊対処本部」を設置し、自衛隊員に本部員の身分を併有させるとしている。そして実施に際しては国会の事前承認が必要とした。しかし、この修正方針は政府の海賊対処新法の問題点をなんら解決していない。自衛隊の派兵も身分の「併有」という「偽装」でしかなく、歯止めのない武器の使用についても指摘がない。民主党はこの対案で修正協議に臨み、修正がなってもならなくても、24日頃には採決することを容認しつつある。この国会対応は事実上、政府案の成立が前提とされている。
私たちが再三言ってきたように、ソマリアの海賊対応は武力では解決しないし、近隣諸国と住民への民生支援と、犯罪行為であれば警察力での対応以外になく、日本の海上保安庁にはその任務を遂行する経験と能力がある。政府や民主党の見解のように、「はじめに自衛隊派兵ありき」ではなくて、憲法遵守を前提にこの立場で、問題の解決に当たるべきだ。しかし、この議論の最中、16日に海上保安庁の岩崎貞二長官は2009年度予算で、遠洋派遣可能なあらたな巡視船の建造を要求しないと発表した。海保はこうした消極的な立場をとることにより、事実上、自衛隊の海外派遣に協力している。
東京新聞4月7日の報道によれば、海保は派遣断念の理由に(1)遠距離、(2)海賊のロケット砲、(3)各国の軍対応、をあげているが、海保の元幹部は「ロケット砲の有効射程は500メートル。同5000メートルの機関砲を備え、航続能力もある『しきしま』『みずほ』『やしま』の3巡視船が交代制で、500メートル以上離れて射撃すれば対応できる」と反論している。同紙の別の元海保幹部の指摘では「(海上保安官は法廷で犯罪を立証するため、犯人に致命傷を与えない武器使用を徹底して訓練される)軍と警察の武器使用は全く違う。蓄積がない自衛隊は現場で苦しい判断を迫られる」とも語っている。実際に、インドの軍艦が対の漁船を砲撃・撃沈したことや、米軍が人質救出の際に3人を射殺したことなどが思い起こされる。報復の循環が始まる恐れがある。
麻生内閣がこうした海賊対処派兵新法をごり押しする背景には、従来からの日米政府が狙ってきた事実上の集団的自衛権の行使にあたる「自衛隊海外派兵恒久法」制定へのねらいがある。同時に審議されているグアム移転協定も参議院で重大局面だ。来年の日米安保50年をきっかけに、浜田防衛相などによる新安保共同宣言による日米安保体制の再々定義の動きもある。
4月2日の産経新聞主張は「文民守る自衛隊の派遣を」と題して、オバマ米国新政権のアフガン新戦略に呼応していっそうの文民派遣と、「文民を守る自衛隊派遣を検討すべきではないか。新戦略の成功に向け、日本は腹をくくるべきだ」とのべるなど、自衛隊のアフガン派遣を積極的に主張している。もし、こうなれば自衛隊海外派兵恒久法へあと1歩になってしまう。海賊派兵恒久法の次は陸でもだというねらいが透けてみえる。
先の読売新聞の世論調査では昨年の15年ぶりの「改憲」と「護憲」の意見の逆転を再逆転する結果が出たが、第9条に関しては改憲派はいまだ38・1%で少数派だ。改憲派はひきつづき9条明文改憲の困難に直面しており、解釈改憲という迂回戦略をとらざるを得ない。海外派兵恒久法は当面する改憲派の最大の課題だ。いま、これをめぐって改憲派と私たちの厳しいせめぎ合いが続いている。すでに「5・3憲法集会実行委員会」などによる運動がくりかえし積み上げられている。
私たちは国会外で「自衛隊をソマリア沖から返せ! 海賊対処派兵新法案を廃案へ! 自衛隊海外派兵恒久法を許すな! グアム移転協定反対!」の運動をさらにつよめなくてはならない。 (事務局 高田健)
中川昭一前財務省は4月19日、北海道の地元での会合で北朝鮮が国連安保理決議に反発して、核開発再開を宣言したことについて「純軍事的に言えば核に対抗できるのは核だというのは世界の常識だ」などとして、日本として核武装を議論すべきだという見解を表明した。中川氏は「核武装の論議と核を持つことは全く別問題だ」と付け加えて、国民レベルでの議論にゆだねるのが望ましいと付け加えた。しかし、中川氏は2006年にも核武装論を持ち出してひんしゅくを買っているし、4月7日の自民党役員連絡会では坂本剛二組織本部長も同様の発言をしている。
憲法9条を持ち、非核3原則を国是としている日本がいま核保有の議論をする必要性は全くない。もとより、核被害を体験した被爆国日本は、核に対して核で対抗するという、核抑止力の論理をとらない。朝鮮半島の非核化をめざす6カ国協議という重要問題で、日本のこれに対する姿勢が問われているときに、核武装論を持ち出す中川氏の動きは最悪だ。
とき、あたかもオバマ米国大統領が核廃絶が究極の目標と発言したもとでだ。オバマ大統領の核廃絶宣言が実行の保障がないものであることは言うまでもないが、そうした見解が米国大統領の口から飛び出したと言うことは注目しなければならない。日本の政治家はこういうなかで、その具体化を迫り、その実現のために奮闘すべきであるのに、「やられたらやりかえす」などというやくざまがいの論理で核保有論議を巻き起こそうとする中川氏の動きを許すことはできない。この発言はまさに政治的にも酩酊状態だ。
自民党の山本一太衆院議員や下村博文衆院議員ら7名の「北朝鮮に対する抑止力強化を考える会」は「日本独自で北朝鮮の基地を攻撃できる能力を持つ必要がある」などと主張しはじめた。安倍晋三元首相も21日、「日米同盟をきちんと機能させるため、集団的自衛権行使や敵基地攻撃能力の保有について、議論しなければならない」などと発言した。これは2006年当時、麻生太郎、安倍晋三、額賀福志郎らが相次いで敵基地攻撃論を唱えたことに続くものだ。
北朝鮮のロケット発射を、こうした軍拡と危険なナショナリズムの口実に使う右派政治家を徹底して批判しなくてはならない。
第9条と非核の宣言こそ、日本がもちうるべきもっとも有効な外交手段なのだ。
鴨 桃代さん(全国ユニオン会長)
(編集部註)3月28日の講座で鴨さんが講演した内容を編集部の責任で集約したもの。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。
今晩は。毎日ばたばた動いておりまして、落ち着かないんですけれども、よろしくお願いいたします。私自身は1988年に千葉で『菜の花ユニオン』という労働組合を立ち上げました。『菜の花ユニオン』という労働組合は個人加盟型の労働組合で、正社員だけではなくパート、派遣、契約社員、さまざまな雇用形態の人が入ることができる、そして職場の中で何かトラブルが起きたときに、ひとりでユニオンに加盟することでユニオンがそのひとりの問題について会社と交渉することができる、そんな労働組合です。そうした労働組合でずっと相談を受けています。いまも相談を受け、会社と交渉等してひとりひとりが受けた問題について解決していくことを追求している、そういう毎日を送っております。
ただそのひとりひとりの問題が、パートや派遣ゆえの低賃金や、雇用が不安定な状態に置かれている問題については、なかなか個人加盟のユニオンだけでは解決ができないということで、菜の花ユニオンは2002年に全国ユニオンが結成されるとき全国ユニオンにも加盟しました。そこで私はいま会長をしています。私たちはユニオンのスタンスとして受けた相談については改善、解決に向けてできることをする、ということでずっときました。
派遣村に至る経過でいえば、11月29日、30日に全国ユニオンとして「派遣切り」ホットラインを開催しました。これはいわゆる2009年3月問題というのが、その前からずっと言われておりました。2009年3月、今の時期に製造業派遣が一斉に上限期間の3年を迎えます。03年に製造業派遣が解禁になりました。この製造業派遣が06年から1年原則として3年までとなり、ことしの3月期にその3年目を迎える。3年目を迎えて、いわゆる派遣先企業がその人たちに直接雇用を申し込まなければいけないということが発生する時期です。それで派遣先企業がどうするのか。直接雇用を申し込むのか。直接雇用を申し込んだとしても、例えば「やればいいでしょう」ということで、直接雇用にするときに、派遣で働いてきた時より賃金を下げてしまうとか、労働条件を悪くするというやり方で、でも「法的にクリアすればいいでしょう」というやり方があります。それから、端的にはその前に切ってしまうこともあるわけです。3年が来る1カ月前に契約を解除してしまうことも出てくるであろう。それからこの間やられていることは、派遣と直接雇用の、例えば派遣先企業のアルバイト、パートを組み合わせて、派遣で3年以上雇用が継続していないかたちをつくるというような、さまざまな脱法行為がなされています。いずれにしてもことしの3月は3年目を迎えます。
それで、1月から3月にかけて製造業分野で大量に何らかの労働者に対する影響が出るであろう、不利益な影響が出るであろうということが予測されていました。それと2008年5月以降ずっと景気が悪い。リーマンショックがあって以降、特に景気が悪いと切られはじめていました。そういう中で11月29日、30日に派遣切りホットラインを開設したわけです。この派遣切りホットラインは、私自身が20年近く相談を受けてきましたが、その私も、私だけではなくて相談を受けた側がすごい衝撃を受けました。相談者の電話が472件、2日間でありましたが、受話器を置いても置いても鳴り続けるんですよ。鳴り続ける電話を取ったとき、その相談の中身が、私たちはずっと、職場で起きた問題について相談を受けてきたんです、派遣切りも職場で起きている問題なんです、だけども相談者が私たちに訴えてきているのは、派遣切りに対して何とかしてほしいというよりは、派遣切りと同時に住まいを奪われて、その住まいが奪われることの恐怖感、不安感を訴えてくるんです。そこを何とかしてほしいというのがほとんどの相談者の訴えでした。
私が切なかったのは、私たちはずっと職場の中の問題に限定して相談を受けてきたので、生活ぐるみで相談を受ける経験がなかったんですね。その生活部分を突きつけられて、ユニオンとしてもどういうふうにそこに答えたらよいのか、そこがすごく切なかったですね。同時にこの相談の中身は、契約中途解除が圧倒的に多かったんです。219件で、約46%近い人たちが契約中途解除を訴えてきました。この契約中途解除については、労働基準法という最低の法律の枠の中にあっても、残りの契約期間については最低60%以上の賃金保証をしなければなりません。それから派遣法では派遣先企業と派遣元である派遣会社が協力して次の仕事の紹介をしなければいけない、派遣先企業の関連グループの仕事を紹介しなければいけないということが法の枠の中にあるわけです。そういったところがいっさい本人たちには説明されておりませんでした。本人たちがいってきたのはただただ契約の満了で切られましたということなんですね。
それでよくよく聞いていくと契約の満了ではなくて2月、3月まで契約は残っているにもかかわらず、12月15日から31日の間で切りますという通告だった。しかもご丁寧に派遣会社は通告すると同時に退職願に印鑑を、名前を、という用紙を突きつけたわけです。それで多くの人たちが退職願に印鑑を押し名前を書いてしまった。自己都合退職願です。これは派遣会社が法の枠組みを知っていて、それ以降トラブルが起きないようにと自己都合退職願を書かせたのであろうと思います。ワークルール、最低のワークルールがあるはずですけれども、そのことについて労働者にいっさいの説明がなかったということです。
それから住居についても、多くの人たちが社宅、会社の借り上げのアパートに住んでいました。私たちは相談を受けるときにこれらはある意味で福利厚生であろうと予想しました。福利厚生であれば、家賃ということで取られていたとしてもわずかな額、せいぜい1万円くらいであろうと思いました。ところが実際には何と平均して4、5万円、中には7万円も取られていた人もいました。普通のアパートを借りるのと同じレベルの家賃が取られていて、それでは福利厚生ではないという意味で、借地借家法の適用になるということですね。借地借家法ならば6カ月前に出ていってもらいたいということは通告しなければいけないので、突然の通告には最低でも6カ月間は居住権が発生すると考えられるでしょう、ということです。そこが全然説明もなくいきなり雇用の雇い止めの日と同じく3日後であるとか、良心的だなと私たちが感じてしまったのが1カ月後くらいであって、その間に何しろ出て行きなさいということがやられたわけです。その意味では本当に派遣会社も派遣先企業もいっさいのワークルールを無視してやってきたということです。
この人たちがやったことに対して多くの人たちが抵抗できなかったわけですね。なぜ抵抗できなかったのか。いままでも私たちは派遣労働者がバラバラの働き方、横につながりをなかなかつくることができない働き方であると思っていました。なぜなら派遣先企業で派遣労働者は「外の人間」と言われ続けてきました。すぐ人が替わってしまう、中の人間ではなくて外から来ている人間というふうにいわれてきたわけです。同じ派遣先で働いていても派遣会社のほうもいろいろです。
このホットラインを機に全国ユニオンが日産ディーゼルユニオンを結成しました。結成した当初は3人でした。この人たちも派遣先が日産ディーゼルであったけれど、3人とも派遣会社は日研総業、高木工業とかバラバラです。彼らはホットラインが終わったときに同じ派遣先企業で切られている人が3人いるので、全国ユニオンの方から、同じ派遣先だから労働組合をつくって派遣先企業に対して雇用の継続を申し入れすることができるんじゃないかと呼びかけて、3人が横につながったに過ぎないんですね。この3人は日産ディーゼルの中で顔は知っていたと言いました。3人ともタバコを吸うので喫煙所で顔を知っていたに過ぎないんですよ。だけど話をしたことは全然なかった。派遣切りが一斉に起こっているにもかかわらず、不安感とか、そういったことすら話していないんですよ。
この3人のうちの一人は2人で同じ寮に入っていて、その相手の方は雇い止めが通告されてから1週間したときに荷物だけ置いていなくなってしまった。いなくなることについて何も話がなかったわけです。そんな状態で、まさに職場の中でのつながり、同じ寮でのつながり、そういったものがほとんど無い状態です。当然、派遣先企業に労働組合があったとしても労働組合の存在はかなり遠い遠い存在であって、こういう問題が起きたときに相談に行く場所として、本来ならば労働組合が浮かんでくると思うんですけれども、彼らの中に労働組合の存在はほとんどなかった。そういう状況がずっと、労働組合との関係ではあったから仕方がないんですけれども、ほとんど存在感はなかったです。
それからいわゆる家族とか、そういったつながりも本当に切れている人たちが多い状態でした。20代、30代の人たちは、「これからどうしますか」というと、実家に帰りますという言い方をしたんですね。だけど、「いったん帰ります」、と言うんですよ。「いったん」というのは実家があるところに仕事がないからこういう働き方をしてきた、という意味なんですよ。だから帰ったとしてもそこが安心して永住できる場所ではないことを言っていますね。だけど私たちは、いったんであっても帰れる場所があったことは、話をしていてすごくホッとできたんです。ところが40代、50代の人たちは、「どうしますか」といったらもう黙ってしまいました。実家に帰らないんですか、と聞いたときに、帰れるわけがないじゃないか、40代、50代は実家の年老いた父親、母親の面倒を見る、それから家族を自分が見る立場にある、その自分が家もない、仕事もない、蓄えもない、所持金もない、こんな状態で帰れるわけがないじゃないですか、こういうふうに言われたわけです。そんな状態で、本当に孤立状態にある。そういう状態だからこそ、この派遣切りを企業がいきなり、大量に、乱暴にやることができたとも言えるのではないかと、私は思いました。
それにしてもそういうやり方で切られた労働者が、これからどうしていくのかということが相談を受けた側が一様に思ったことです。相談を受けた人たちの中には、この間日雇い派遣で働いてきてユニオンに加入している人たちもいました。日雇い派遣の働き方も1999年以降広がったわけですけれども、この働き方の人たちもワーキングプアの温床と言われ、時給が500円くらいで働いていて、派遣先でけがをしても多くが救急車を呼んでもらえないような、モノ扱いされてきた労働者です。この人たちも派遣切りのホットラインを受け、自分たちよりもひどいと彼らは言ったわけです。そんな状況で私たちは11月29日、30日以降、この派遣切りを受けた人たちがどうなっていくのだろうかという不安感でいっぱいになりました。特に年末年始をどう過ごすのだろうか、行政の相談窓口も当然やっていない。私たちのようなユニオンも正月休みに入ります。その1週間をこの方たちがどのように生きていくことができるのかという心配が押し寄せてきたわけです。
私たちはもともと派遣法について、かなり問題であり改正をしなければいけないということで12月8日に日比谷野音で派遣法抜本改正を求める集会を開催しました。ここに2000人近いいろいろな団体、個人の人たちが集まった。そこに集まった団体、メンバーが同じように不安に駆られました。そこで私たちに何かできることはないだろうかと考えて派遣村を考えついたわけです。ただ、先ほども言いましたように労働組合は生活を支えることをやってきたことがないわけです。今回派遣村をやるならば、労働相談だけでは当然収まらない。この1週間の食べること、寝ることを支えなければいけない。何かをしなければいけない、派遣村をやろうよといったけれど、どういうかたちでやるのか、最初は私たち自身も消極的でかたちが決まらなかった。
東京都内には山谷とか新宿中央公園とか上野とか池袋、赤羽とかいわゆる越冬炊き出しがあります。最初は消極的だったから、そういったところに一緒にやってもらおうと安易に考えました。それで山谷の人に相談をしたら、「甘い」とお叱りを受けたんです。山谷も11月に入ると1.5倍以上の人たちが集まってきて、日常的に集まってくる人たちも増えている。そこにさらに派遣切りの人たちを集めたら山谷自体の中で、労働者どうしのトラブルが起きてしまうと言われたんです。それはもう無理ということで、やるんだったら自分たちでやるべきだと言われました。それで山谷の炊き出しの場所を見学して、やり方を教えてもらったりしながら、私たちは自分たちで用意しようということになりました。
東京でやろうと思ったのは、11月29日、30日のホットラインで「これからどうしますか」と聞いたら多くの人たちが東京に出ます、と答えたんです。何か当てがあるから東京に出るということではないです。「当てがありますか」と聞くと「ないです」、だけど東京に行けば、例えば寒いところの人たちは、東京はまだ気温が高いから野宿ができるというんですね。それから炊き出しの場所が多いとか、東京に行けばまだ仕事があるんじゃないかとか、何か当てがあってじゃなくて、ここにいるよりはまだましではないかということです。それで私たちは東京に多くの人たちが集まってくるだろうと予想しました。
じゃあどこでやろうかといろいろと模索しました。私たちはこの問題をどう捉えるのかといえば、派遣切りにあった人ひとりひとりの問題ではなくて、やっぱりいまの政治の問題が引き起こした「政治災害」であると考えようということで、「政治災害」であることが一番わかりやすい場所、そこに派遣村をつくりましょうということになりました。結果として日比谷公園をターゲットにしました。よく聞かれます、「日比谷公園の許可がよく出ましたね」と。日比谷公園は都の公園課に許可を得なければいけません。私たちは当然許可を得ました。その中身は一般的な公園使用での許可です。あの公園は野音でいろいろなことが行われるので、そのときは屋台が出ます。焼きそばとかやっていますから火を使うことまでは一般使用に入るだろうと勝手に判断しました。ただし一般使用に入らない部分はテント村です。警察の方にもトラブルが起きないように事前に一般使用でこういうことを1週間くらい日比谷公園でやりますのでよろしくと、ご挨拶をしました。12月31日に開村をしました。その日の3時に都の監査が来るということで、3時まではテントは張らず、3時を過ぎてから張りました。マスコミに対しては絶対テント村を写さないように、それを写したとたん、映像が流れたとたん、その時点でテント村を閉めなければならなくなるから、テント村を写さないようにということをお願いしました。
12月31日から1月5日、日比谷公園で開村をしたわけです。開村のときに55名の村民の登録がありました。この村民登録については、本当に何人来るだろうかと最後まで私たちの不安でした。もしかしたらひとりも来ないかもしれないとも思っていました。けれども開村時に55人、その日の夕食時点では139名、1月2日にはすでに300名を超えていました。私たちは当初200名と予想していたんですね。山谷がだいたい150名で、170名くらいになるのかな、といわれていましたので200名でやれば食べること、寝るところも何とかなるのではないかと思い200名で準備しました。ただ山谷の人に言われたのは、なにしろ食べることは不足をしたらダメですよということです。足りないとわかった時点でトラブルになる、暴動になるよとおどかされて、何しろそこだけは気をつけなさいと言われて始めました。この派遣村は最終的には505人の村民登録がありました。
私たちはこの派遣村を「命をつなぐ派遣村」ということでやりましたが、この「命をつなぐ」ということで言えば、まさにそういう村であっただろうということを実感しました。派遣村に集まってきた村民の人たちは、多くがやっとの思いでたどり着いた人たちがほとんどでした。派遣村に至った経緯は、「派遣切りで仕事・住居喪失」という人が20.6%、「日雇い派遣だったが仕事がなくなった」という人が16.1%、「派遣ではないが不況の影響で失業してしまった」人たちが19.8%でした。そして「昨日どこで寝ていましたか」という質問の答えでは、「野宿」と答えた人たちが59.1%です。このアンケートの結果でわかるように多くの人たちがやっとの思いでした。
静岡県から10日間歩き続けて新宿の中央公園にたどり着いて、そこで派遣村のチラシを見てそこから日比谷公園まで歩いてきた人とか、派遣切りにあって娘さん夫婦のところに身を寄せていたが、娘さん夫婦も派遣切りにあい、そこにいることができなくなって群馬県から自転車をこぎ続けて来た男性とか、失業して家族ともうまくいかなくなって、自殺をしようと山梨県に向かって、山梨の駅で派遣村のテロップがテレビに流れているのを見て思い返して派遣村に来た男性とか、神奈川県で自殺をしようとウロウロしているところを交番のお巡りさんが見つけ、お巡りさんが同行して派遣村に連れてきた30代の男性とか、千葉県松戸市の公園から3日3晩も食べていないで、動くことができない何とかして下さいという電話をかけてきて、派遣ユニオンの仲間が迎えに行って連れてきた人とか、みなさんそういう状態でした。たどり着いたとたんに救急車で病院に運ばれた人たちが10人ほどいました。着いたときはほとんどの方が口をきくこともできない。アンケートも、先ほど言った「どこで寝ていましたか」という質問のみにやっと答えられたという状態でした。そんな状態で、まさに「命をつなぐ村」になっていったわけです。
わたしたちがこの村を「政治災害」といったのは、ひとつは派遣法の規制緩和の結果、本当にこういった労働者が大量につくられてしまったと思っているからです。派遣法は1985年に制定されました。このとき適用13業務に限定をされたのは、制定された当初からこの派遣法の枠組みは、派遣労働者にとってはかなりリスクがあることが危惧されたことです。そのリスクは派遣先に雇用責任がないという枠組みになっています。それから派遣会社が中間搾取をしようと思えばいくらでもできてしまう枠組みです。いま派遣会社が管理費名目で残すお金が約30%といわれています。仕事代金ということで派遣先の企業が約15000円支払います。このうち派遣労働者に支払われる賃金が約10000円と言われていて5000円が管理費名目で派遣会社に残ります。この5000円のなかから派遣労働者の雇用保険とか社会保険負担部分、福利厚生部分、教育費といったものがまかなわれます。純粋利益でいえば派遣会社に約3%くらいが平均して残るといわれています。ところがこの平均30%について、派遣法の枠組みでは上限規制がかかっていません。それでグッドウィルとかフルキャストによる日雇い派遣で問題になったのは、ここを50%も60%近くも派遣会社が取っていたことです。それだけではなく、日雇い派遣で働く労働者は雇用保険、社会保険、いっさいの保険がほとんどかけられていない。当然福利厚生、教育費もほとんどなしということで、その50%、60%がまるまる会社の利益になるという ことです。
さらにデータ装備費とか業務管理費という名目でグッドウィルとかフルキャストは200円とか300円とか、一番多いエム・クルーでは500円も取っていたんです。この額はひとりの1稼働について200円です。200円だけ見ればそんなに大きな額ではないんですが、グッドウィルが一番稼働していたときは1日1万人から3万人稼働で、この200円だけでも200万から600万が毎日入ってくる仕組みになっていました。それで1999年から2006年の間にグッドウィルの経常利益が19倍にもなった。グッドウィルは日雇い派遣を廃業していますが、今もって六本木ヒルズにグループの本社を構えています。その本社を支えている労働者をネットカフェ難民といわれたように、まさにワーキングプアの象徴である状態で働かせてきた。そういうことで派遣元がいくらでも中間搾取できてしまう。
この派遣先と派遣元の関係が商取引関係にあって、派遣先が企業に発注する、派遣会社がそれを受ける関係です。派遣先、派遣会社、そして労働者という三角関係の中で派遣先の会社が仕事を発注することからいって一番強い力があるのは当然のかたちをつくっていったわけです。そういうかたちで庇護されたことがそれ以降、1999年には派遣法が改正されて原則自由化になり、専門業種派遣のみならず一般業務派遣も解禁となって、「どこでも・何でも派遣」になっていくわけです。禁止業務は港湾業務、建設業務、警備業務、そして99年はまだ製造業も禁止でしたが、その製造業が2003年に解禁になり、企業のニーズに応じて規制緩和がどんどんされていった。
この流れの中で、派遣という働き方は「多様化」という言葉で言われ続け、労働者にとって働く側の選択肢が増えたという言い方がされてきました。けれどもこの現実を見たときに、企業の側が真っ先に切る雇用の調整弁を、この派遣制度の規制緩和の中でつくったということです。このやり方はトヨタが「ジャスト・イン・タイム」ということで無駄をつくらないやり方をしましたよね。これと同じ考え方だと思います。部品の在庫を置かないことと同じように「労働者の在庫」を置かないという考えです。この考えで、必要なときに必要な人材があればよく、いらない労働者は切ってもよいというかたちをつくってきたわけです。それがまさに今回の派遣切りをもたらしています。そういう意味でこの派遣法の規制緩和を企業のニーズに応じて国も一緒になってここまでやってしまったことについての責任が、まずはあると思います。
もともとリスクがある働き方に対してセイフティネットが本当に脆弱というか不十分です。今回はそこがはっきりしました。派遣労働者の多くはなかなか雇用保険には入れません。雇用保険について今回、適用条件が1年以上の雇用見込みから6カ月になりましたけれど、そうであったとしても圧倒的多くは登録型派遣、契約期間ありの派遣の働き方です。この契約期間は6カ月未満、3カ月未満、3カ月、2カ月、1カ月が圧倒的です。そういう中でいままで1年以上雇用見込みとなっていたときに、6カ月雇用見込みもあまり変わらないと思いますが、その適用条件からまず外されていました。雇用保険に入っていたとしても、派遣労働者の場合、これは法律ではなく登録型派遣ゆえですけれど、ひとつの仕事がなくなったときに、次の仕事を紹介するという曖昧なかたちになっているので、派遣会社は1カ月間その労働者に離職書を出さないんですよ。これは慣行といわれています。本来であれば、正社員が離職したら1週間以内に離職書を出さなければいけないのですが、派遣労働者の場合はなぜか慣行的に1カ月間待機がやられてきました。その1カ月の間に紹介された仕事の賃金とか労働条件が、自分に合っていないと思って断った場合には自己都合退職扱いにさせられてきたんです。
今回は、雇い止めと同時に退職願を書かされてしまったので、多くが自己都合退職扱いになってしまう。そうすると離職書そのものが出るまで1カ月、それから雇用保険を受けるまで3カ月待機、併せて4カ月待機になってしまいます。この4カ月間を、派遣で働いていた労働者は自分で保つことはできません。派遣切りにあった労働者の中の多くは時間給1000円から1200円でした。月収にすると約15万円から17万円の間です。ここから家賃が引かれ、そして例えば冷蔵庫とか布団とかのリース代が引かれ、手取りは約10万円から12万円くらいという状態でした。ですから、貯金といわれるほどの蓄えはほとんどの方はできない。多少の、何万円という所持金はあったとしても貯金といえるようなものはなかったといえます。ですからこの4カ月間を自分で維持することは困難でした。
もうひとつは雇用保険の申請について、「住まいは」、という住居特定が必要な中で、住まいも奪われた場合、申請すらできないということです。その意味では本来労働者のセイフティネット、雇用保健が派遣労働者にはセイフティネットにならなかったことです。それで派遣村では生活保護を使うしかなかったわけです。私たちは派遣村から約280人の生活保護申請をしました。多くの人たちが派遣村に来る前に自分で福祉事務所にも行っていました。けれど自分で行ったときは、水際作戦と言われている「あなたは働ける身体でしょう」ということで、「生活保護の対象ではありません」と戻されていた状態です。私たちはこの生活保護を使った。なぜ生活保護を使ったのかというと、仕事を探すにしても仕事をやり続けるにしても住まいが必要だからです。
派遣切りにあった労働者は会社の寮とか、そういうところには入りたくない、寮に入っていたからこんな状態にされたと、すごくそこに抵抗感があった。やっぱり住まいがまずは一番でしょうということでした。派遣村に来た人たちは「仕事を」と言ったんですが、仕事を探すにしても必ず「住まいは」となるわけです。その意味で住まいをまず確保して、その中で仕事を探す期間をつくる。次に仕事を探そうという段階を踏むためにも、私たちは生活保護を使ったわけです。実際は、1月5日の時点で派遣村に登録した人たちのほとんどが住まいを確保できたので、年越し派遣村はその時点で一応閉じたということです。残念ながらその時点で仕事自体はまだ2割の人たちしか確保できていませんでした。
そういう中で政治の責任ということで、目に見えたかたちで政治が対応したのは1月2日の厚生労働省の講堂を解放したのが始まりです。1月2日は322名でした。1月2日の夜には300名を超えてしまうことが予想されました。1月1日の夜には、やっとたどり着いた人たちをテント村に収容できなくてたき火のまわりで一晩過ごさざるを得ないような状況も生まれていました。このままでは私自身も命をつなぐといいながら、それすらもできなくなるのではないかという不安感に襲われました。その中で、本当に政治の責任なんだ、ということを行動に起こさなければいけないと、1月2日の朝から厚生労働省への要請行動に入りました。厚生労働省はお正月休みでしたから警備の方しかいなくて、待って下さいと言われて1時間も待たされて、やっと要請書を渡して帰るという状態でした。
派遣村には野党の政治家、共産党の志位さんは31日に入りましたし、1日には民主党の菅さん、それから2日には社民党の福島さんというふうに野党の党首クラスの人たちが激励に入って下さって、その人たちの後押しもあって、さらに私たちは2日の時点で朝からマスコミの人にお願いしてテント村を写してもらいました。もうこのテント村では収容不可です、テント村が収容不可なのはお正月休みでもあってテント自体を増やすことが不可能になっていました。首都圏全域のリース会社にテントを探して電話をしたりいろいろやったけれど、もう無理だった。最終的には大きなイベント用のテントを借りてそこを囲んでやるしかないか、もっと言えば民主党とか社民党の会館とか近くの会館を開けてもらおうかとか、そういうことまで考えざるを得ないような状況になっていました。
でも基本的に政治の責任なんだということ、そこを行動に起こそうと、2日に動き始め、2日の夜8時に大村副大臣から厚生労働省の講堂を開放しますという返事が来たわけです。それから派遣村の人たちは移動しました。この講堂は厚生労働省に何度か行っていますけれど、あんなところに300人も入る講堂があるとは知らなかったし、あの講堂は床暖房が入っていて暖かいんですよ。入ったとたん「暖かい」という感じで、その暖かさって派遣村の人たちにとってみれば生きる気力になったんですよ。だってテントは寒いですよ。私はもともと無理だと思っていたので、毎晩通って泊まらなかったんです。けれども派遣ユニオンの若い人たちは泊まって「鴨さん、とても寝られないですよ」といっていました。毛布を4枚ずつ配って下にも布団はありますが、「それでも寝られないですよ、みなさんからもう1枚ないか、もう1枚ないかと言われると本当に切ないですよ」と聴きました。そんな状態だったので、その暖かさは、暖かいというだけですごく救われたなと思いました。だだっ広い部屋ですから、プライベートも何もないところに行っただけの話ですけれど、でもその暖かさは少しずつ派遣村の村民の人たちが気力を取り戻していく場にはなったんではないかと思いました。
そんなふうに国の責任を問うた中で、国がそして行政が仕事を紹介する、住まいを紹介するというかたちで動き始めたわけですね。ただ残念ながら今もって動いていないのが企業です。派遣先企業が今もって謝罪も何もなしという状態で、しかも今もって切り続けているのが現実です。2月28日、3月1日に私たちは派遣切りホットラインを行いました。この時には444件の相談が寄せられました。この時の相談では11月の契約解除よりも契約更新拒絶が151人ということで増えていて、住居問題は生活問題の中に入ってしまって数が不明になっていますが、それでも切り続けています。しかも2月の時は製造業派遣だけではなくて事務系派遣、それから物流――これは日雇い派遣の人たちです――、それから紹介予定派遣、さらに雇用形態でいえば、契約社員、パート、アルバイト、正社員というふうに、この派遣切りはまさに派遣労働者を雇用の調整弁にしただけではなくて、すべての労働者を切ってもよい労働者である、労働者は切ってもよいかのように今もって広げているということです。この責任は本当に企業の側にあると思います。
企業、特に大手企業に大きな問題があると思います。大手企業では11月に派遣切りが一斉に行われましたけれど、10月-秋くらいはその製造業現場は増産に次ぐ増産でした。月100時間以上の残業を派遣労働者、期間工の人たちはやっていたんですよ。にもかかわらず、ちょっと景気が悪くなったということだけで、本当に景気が悪くなったかどうかわからないですよ、だけどそういったことを理由として11月に入ったとたんに切ってしまったわけです。実際問題として、「赤旗」の3月1日号に出ていた記事にありましたように、私は、大手企業は内部留保を持っていると思っています。トヨタ、ホンダ、キヤノン、日産、多くの大手の自動車会社、電器会社はこの内部留保金を抱えていると思います。しかも株主配当とか役員報酬は09年3月期にはいままでの水準並みに払っているわけで、その中で派遣とか期間工切りを回復する額はある意味では微々たる額なわけです。なぜこの一部を企業が払えないのか、この一部を払って雇用の継続ができないのかということ、そこを私たちは企業の責任として問いたいと思います。ここが止まないかぎり派遣村は「対処」なんですよ。起こされたことに対して手だてをしているに過ぎないわけです。原因である派遣切りを止めなければこの状況は続くであろうと思います。
この間全国ユニオンだけではなく派遣村実行委員会とか、いろいろと日経連等に「切るな」と要請行動をしたり、全国ユニオンでいえば日産ディーゼルユニオンができましたから、日産ディーゼルに対して切るなということをやったり、いろいろなかたちで派遣先企業に対して行動を起こしています。だけどこの派遣先企業の対応は意思統一されているかのようにいっさいの要請行動を受けようとしません。当然団体交渉も受けません。言い分は何かといったら、日本経団連の御手洗さんが言っているとおりです。御手洗さんははっきりと派遣先企業が切れと言った覚えは一度もありません、派遣先企業は単に減産をすると言った、そうしたら派遣会社が切ったんです、だから派遣先企業には何の責任もありません、ということです。この言い方が示しているとおりの対応を今もってしています。
御手洗さんが言っていることというのは残念ながらいまの派遣法の枠組みでは違法ではないんですよ。本当にここは「残念ながら」というところです。でもそうであったとしても、これだけ派遣労働者を切っている責任、話し合いをする責任は派遣先企業にはあるでしょう、派遣先企業の社会的責任はあるでしょうということで、わたしたちは派遣先企業に対して「切るな」ということを求めています。いま派遣先企業に対して具体的求めていることは、就労支援基金というものを立ち上げたいということです。派遣村は本当に全国のみなさんの善意によって多額のカンパが集まりました。そのカンパを有効活用しようと、いま残っているカンパで就労支援基金を立ち上げようと動いています。この就労支援基金は派遣村だけでやるのではなくて国にも、派遣先企業に対しても一緒に就労支援基金の立ち上げに加わってほしいと要請行動をしています。派遣先企業はただお金を出せばよいとは思っていませんが、何かしらできることはやるべきだという意味でこの就労支援基金にお金を出すべきだと要請行動をしているわけです。
これからの課題ですが、派遣法の抜本改正を何が何でもこの機にやらなければいけないと思います。抜本改正の柱は、登録型派遣の原則禁止です。この登録型派遣が、派遣先企業はいくらでも生産調整のために派遣労働者を使うことができることになって、そのリスクを派遣会社に負わせる仕組みをつくり、そのために登録型派遣が活用されています。登録型派遣を原則禁止にしないかぎり、派遣労働者の雇用安定はないということです。
いままで日雇い派遣が問題になって、それから秋葉原の事件が起きて、いま与党案では日雇い派遣は原則禁止ということになっています。けれども、よくよく見ていくと30日以内の雇用契約を結んでの日雇い派遣は禁止、という中身です。だから31日以上の契約期間を結べば、今日はA社、明日はB社というふうに日雇いでいろいろな会社を転々とさせて働かせることができるのが与党案です。これは見せかけだと思っています。いままた製造業派遣がこれだけ問題になると、与党は製造業派遣禁止を言っています。わたしたちは日雇い派遣も製造業派遣も禁止すべきだと思いますが、それだけではなく、その元をつくっている登録型派遣を禁止しない限り派遣労働者の雇用の安定は図れないと思っています。
それからマージン率、マージンについての上限規制を設けるべきだと考えています。いまの平均は30%ですが、人材派遣会社は毎年懇談会を持っている中で、25%くらいが適正ではないかという声もありますので、私たちでいえば、25%以下で上限規制を設けるべきであろうと思います。それから違法、脱法行為が見つかったときは、即座に派遣先企業は直接雇用とすべきである、さらに派遣先企業の通常の労働者との賃金とか労働条件における均等待遇を図るべきであると思っています。
いまこの賃金もすごいダンピングが始まっています。フルキャストなどでも1050円で広告を出しています。派遣労働者の賃金が1050円ではないんです。仕事料金として1時間あたり1050円で受けるということです。「人材派遣フルキャストからのお知らせ1050円から承ります」という広告があって、これは仕事料金ですよ。ということは労働者の賃金はもう700円くらいで、最低賃金です。すごいのは「他社よりも料金が高い場合はぜひご相談下さい」となっていて、もっと下げますよといっているんです。このまえ、総務省の電話交換の仕事を人材派遣会社のザ・アール――奥谷禮子さん――「過労死は自己責任」といった方が社長の会社が受けた。その料金が何と1100円にいかなかったと思います。そういう料金で総務省の仕事を受けているんですよ。本当に競争とダンピングが始まっています。その意味では賃金均等待遇をきちんと入れていかないといけなません。派遣法抜本改正については、私たちは野党で共同提案をして欲しいということでこの間ずっと取り組みをしているのが現状です。派遣法については4月に入ってから集会を持ちます。5月には日比谷野音で大集会を考えておりますので、そちらにご参加をぜひお願いします。
こういった働き方が派遣村のとりくみの中で具体的に見えるかたちでひろがりました。この働き方が派遣労働者だけではなくてすべての雇用の劣化につながっています。その意味では労働組合も問われます。労働組合の足下で、大手産別の足下で派遣切りがされていて、こういうことに対して、目に見えるかたちで労働組合が「切るな」という取り組みがまだ起きていないことに、労働組合の責任があるだろうと思います。正社員の人たちも派遣や非正規の働き方について、いままでも「あれは非正規の問題」というふうに脇に置かれがちのところできました。現状ではとてもそんなことをいっているときではないと思います。
ある自動車会社では、非正規がこれだけ切られ、残った正規の人たちは当然今まで以上に仕事がきつくなっています。仕事量、仕事の種類も増える中でメンタルの部分の問題も広がっていることも聞いています。それだけ頑張っている正規労働者も、いままた一時帰休とか解雇も出ています。その意味では非正規労働者、派遣労働者を「モノ」として扱う考え方は非正規、派遣に限らないということです。企業は企業を、会社を残したいだけで労働者を残すとはなっていないのではないかと思います。派遣村の現状は、すべての労働者の問題として突きつけて、すべての労働者に問題提起をしていると思います。
いま何を大事にしていきたいのかということでは、労働者が生きていく権利とか働く権利はあるよ、ということをもっと正々堂々といえる、そういう社会にすべきではないかと思います。派遣村にも残念ながらすごいバッシングがあります。私たち全国ユニオンの事務所には派遣村事務局の電話が置かれています。その電話には私なんかは受話器から耳を遠ざけなければいけないような、取ったとたんに「税金泥棒!」とかか、「いつまでやっているんだ、生意気な野郎」とか、ワーってかかってくるんです。言うだけ言ってガチャッて切っちゃうんです。これは小泉政権が残した大きな罪悪だと思うんですけれど、そこにあるのは「自己責任論」というか、これが本当に情けないほど広がっています。
1月6日でしたか、政府の人が派遣村には働く意欲のない人が集まっていという言い方をしたわけですよね。その考え方はその人だけではなくて、まさにある意味いまの日本を覆っているんじゃないかと思います。働く意欲、働く能力というところでバッシングがある。そのことについて、私は派遣村の中で派遣村の村民から突きつけられたことがありました。そのバッシングがあったとき、村民のみなさんがもうストレスがたまって限界のところにそういうことをいわれて、頭に来て厚生労働省に直接ものが言いたいといったんです。それで1月6日の夜8時に厚生労働省の前に100人が集まりました。ただし厚生労働省の中に入ることはできなくて、日比谷公園の受付テントがあったところで、100人がそこに立ったままの状態で、厚生労働省の人に来ていただいて意見を聞いてもらったんです。
そのときに彼らが言ったことは、お金がないということが本当にわかっていらっしゃいますかということでした。みなさんは仕事を紹介します、自立をしなさい、そのためには仕事に就きなさいと言います。だけど面接を受けに行くにはお金が、交通費が必要なんです。そして面接を受けた後に結果を聞くための電話をしたり、何なりが必要です。でもそのお金がないです。面接に行くのにこの「着たきり雀」状態では面接官はどう思いますか? それから必ず「住まいは」と聞かれるんです。「ない」と言ったときに受け入れてもらえますかということを言ったんですよ。
ひとりひとりがそういう発言をしたときに、私自身も本当に問われているなと思いました。何を問われているのかといえば、お金がない状態についてやっぱり実感がないんですよ、残念ながら。みなさんはありますか。お金がないんですよ、本当に。それは彼らがそれでも厚生労働省の人に聞いていただきたいということで、ひとりひとりがちゃんと意見として述べたんですよ。私は、そこにはお金はないけれども人間として本当に生きたいという思いがあるんだということをそのひとりひとりの発言を聞いていて感じました。私はその夜のことを思い出すと、いまでも涙が出てきてしまいます。今の日本の社会の中で、中流社会と言われてきた、その社会の中でお金が一銭もないという労働者がいることについて、そのことを私たち自分自身が実感できないことについて、そしてそういう社会になっていることについて、私たちは考えなければいけないだろうと思いました。
ただこの自己責任論が本当に強いなと派遣村の中で実感したことがあります。炊きだしは約200人を想定していたんですが300人とかどんどん増えていって、最終的には1月3日くらいからは1000人分つくったんです。村民の人たちだけではなくて、その炊きだしだけに来るホームレスの人たちも当然いるわけです。村民の中にも以前から野宿状態という人たちも何人かは入っていました。そういう状態で、おそばとかお雑煮をつくるわけですけれど、どうしても回転が止まるときがあるんですよ。どんどん増えていけば増えていくほど「ちょっと待って下さい」というふうになるんです。そういうことが続くと派遣切りにあった労働者が、緑の腕章を巻いている実行委員に対して、「なぜこの派遣村は働く気のないホームレスに食べさせるのか」と言ってくるんですよ。自分たちは派遣切りにあったけれども、働く意欲がある、でもホームレスの人たちはもともと働く意欲がない人たちだ、なぜあの人たちに食べさせるのかと言ってくるんです。
それで私たちはホームレスの人たちも何らかの事情で仕事、住まいを失っていった、自分から住まいを離れたかもしれないけれども、そういう状態の人たちでしょう。あなたたちも、いまの時点でも仕事、住まいがないということはホームレスの状態とある意味では同じではないですか?この後、これが続いたときに仕事をする意欲とか、そういったものを失っていくのではないですか、だから「同じではないの」って話しかけるんですけれども、ここがなかなかシビアです。生活、雇用不安を本当に目の前に突きつけられれば突きつけられるほど、残念ながら誰がそういうふうにさせているのかの問題が見えなくされて、隣の者同士でどっちが良い、悪いと足を引っ張り合うような状態がつくられているんです。このことは、「ホームレスの人たちは…」と言った派遣切りにあった人たちがどうこうの問題ではなくて、そういう状態がいま日本全体につくられているのではないかという意味ですごく大きな問題であると思ったわけです。
私たちは、やっぱり人として生きる、働くということをどうつなげていくのかがこれからの課題だと思っています。派遣村は「お互いさま」ということで横のつながりを、できるところでつくっていくことができたのではないかと思います。ボランティアの人たちが1700人近く集まりました。今日ご参加の人の中にもボランティアに来ていただいたお顔が見えますが、それぞれがどこかの団体、労働組合で動員されたというよりは、新聞やテレビやネットで見て、何とかしなければいけないと思い、自分の思いでボランティアに参加していただいた。それから全国からカンパも物資もたくさん寄せられたという意味では「お互いさま」ということが派遣村を支えていただいたと思います。200食から1000食に増やすことは、本当にボランティアの人がいなければできませんでした。これができなかったら、暴動が起きたかもしれないと思いました。
お互いがつながったという意味では、村民の人たちもバラバラの状態でたどり着いたけれど、先ほどのように意見を言うときには、ひとりが言えば手を叩きましたし、となりの人に「お前も言えよ」ってやりました。派遣村を閉じたときには2人とか3人とか友だちができて一緒に部屋を借りる関係になった人もいます。「ひとりではない」ということがつながったのではないか、ひとりの人たちもユニオンとかいろいろな生活の相談ができるところがあることを知ったと思います。その意味でも「ひとりではない」ということがつながっていったのではないかと思います。
最後に、私はこの派遣村が労働組合やいろいろな団体、個人の人たちも、誰かがやるべきだということで始まったのではなくてボランティアの人たちと同じようにそれぞれの団体がやろうと集まった。結果的にはナショナルセンターと呼ばれる3つの団体を超えて、そして労働組合だけではなくて生活相談をしているNPO団体とかホームレス支援団体などがつながっていったことがすごく大事だと思います。これからもっと、行政の中でもこいうつながりをつくっていくこと、縦割り行政ではなくて、もっとひとりの方に対して総合的に相談を受けるとか、そういうかたちで広がっていくことが派遣村を活かしていくことになるのではないかと思っています。
年越し派遣村は閉じましたけれども、いろいろな意味での必要性もあります。当面4月8日、9日に派遣村として相談窓口を開きます。今回は年越し派遣村のような炊きだしやテント村はしませんが相談窓口を開きます。日本青年館で9時から午後2時まで来所の相談を受け、2時以降、その日のうちに行政に生活保護の申請等をします。電話相談は2日間とも10時から夜8時まで受けます。私たちは企業に対して、派遣労働者に対して「切るな、切らせるな」というマニュアル本をつくり、いま無料で配っています。みんなで派遣切りを起こさない、させないという態勢をつくろうと取り組みをしているところです。いろいろな取り組みが続くと思いますので、ぜひご参加ください。
総務省が「ご存知ですか?平成22年5月18日から『憲法改正国民投票法』が施行されます。」というパンフレットを莫大な予算を使って、4月初めから全国の自治体などの窓口で大量に配布しはじめた。
これはまだ憲法審査会が始動できない状況であるにもかかわらず、2010年から憲法改定の国民投票が始まるかのような誤解を招きかねないトンデモ・キャンペーンだ。もともと、この改憲手続き法は07年に安倍内閣の下で強行採決され、与党も参議院の採決に際して18項目もの付帯決議をつけたといういわくつきの法律だ。総務省が憲法という重大問題に関して、この経過を無視し、先走って「国民投票法」のキャンペーンをすることなど許されるものではないとして、4月21日午前11時半から12時半まで、市民団体が共同して参議院議員会館で「総務省の改憲キャンペーンに抗議します、4・21市民と国会議員の院内集会」を開いた。
集会を呼びかけたのは、アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、日本消費者連盟、VAWW―ネットジャパン、平和憲法とともに歩む中野の会、平和を実現するキリスト者ネット、平和をつくり出す宗教者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会などの9団体。
集会には50名を超す市民が集まり、共産党の笠井亮衆議院議員(元衆議院憲法調査特別委員)、社民党の福島瑞穂党首、近藤正道参議院議員(元参議院憲法調査特別委員)が出席し、発言した。
「緊急に開いた本日の院内集会を契機に、このリーフレットの問題点を市民の間に広めて行きたい」との司会の高田健(市民連絡会)の挨拶に続いて、共産党の笠井亮議員が次のように発言した。
このリーフは3月30日に総務省が各議員の所に持ってきました。大変唐突な印象があります。総務省はあたかも実務的に手続き法ができたのでそれに基づいてお知らせするといいますが、3つの問題があります。第1はあと1年経ったら国民投票をやるかのようです。改憲手続き法を強行して2年、国民は改憲など望んでおらず、暮らし、雇用などで大変困っているときに、非常に政治的なキャンペーンです。2008年度予算で7200万円計上し、うち3800万円使ってこのリーフレットを500万枚作り、都道府県市区町村の役所、公共施設の窓口で配布する。残りの予算を使って総務省のホームページに国民投票法周知のためのページをつくりました。2009年度の予算で46億9000万円使って、うち46億2400万円は投票人名簿のシステム構築のために市区町村に配る。ほかに制度周知のためにポスター5万枚、在外投票用に2万枚、さらにリーフレット300万枚、在外投票用に51万枚、残りは開票速報システムなどに使う、といいます。
2点目には、改憲手続き法でだいぶ議論しましたが、このパンフは客観性を装った「広報」の一つのひな形を実験しているということです。
3つめには、審査会が動いていないことの焦りが現れている。
全体としては彼らの側の巻き返しの一環です。麻生さんが今年の施政方針演説で改憲についてひと言も憲法について言わなかったことに衝撃を受け、自民党改憲審議会は今年の総選挙のマニフェストに改憲を盛り込めとの働きかけをつよめています。総選挙を意識して、ことしの5・3憲法記念日を照準に置いてはっぱをかけています。議運の小坂委員長は5・3前に審査会をやりたいと言ってきました。もちろん野党は拒否しました。
改憲手続き法ができたのに動かないのは違法状態だと言いますが、もともとこんな法律ができたのは間違いなのです。違法状態というのならこんな法律はやめろと言いたいのです。この緊張状態の中で、皆さんがこうした集会を開いて頂いたことに感謝します。続いて福島瑞穂社民党党首が発言した。
これをみてギョッとしました。これは去年の予算でつくったものです。500万部つくっています。今度の予算は46・9億円つけています。ほとんどが自治体に対する交付金で、システム構築費です。今年度は300万部つくるといっています。ある集会で熊本の方が言っていましたが、これが町内会の回覧板で回されているというのです。
何が問題かというと、「ご存知ですか?平成22年5月18日から『憲法改正国民投票法』が施行されます。」と書かれている、これをみると「裁判員制度が今年から始まると聞いていが、国民投票も来年からはじまるのね」と思わされてしまう。このような図と一緒に書かれていると、国民投票ができるように思わされる。憲法改正というのは、憲法審査会が衆参で改正案をつくり、衆参の総議員の3分の2の賛成で、国会が発議をしなければできない。つまり、総務省がお金をかけて宣伝しているのは、発議をしなければ全部無駄になる。総務省に「やれないことにカネを使うな」と言いました。こういうやりかたで、総務省にあなた達が作った法律のキャンペーンをしたことがあるかと聞いたら、今年1年間で総務省が提案した法案でやったことはないと言いました。
投票箱の図にしても、これでは憲法改正案に賛成か、反対かってやるんだと思わされる。18歳なのか、20歳なのかも決まっていない。やらないことについてシステムを開発するのは無駄だ。
近藤正道参議院議員も発言しました。
思い出します。改憲手続き法のあの強行採決、本当に悔しい思いをしました。以来、憲法改正国民投票のことが政治の遠くに行った感がありましたが、このパンフレットをみてあらためて気合いを入れてやらなくてはと思った次第です。こういう院内集会を開いてくださって感謝します。
私は総務省がこんなことをする法的根拠はないと思います。あの法律に関する諸事務を司るのは憲法審査会です。ここが立ち上がって、事務局ができてはじめて、そこが総理府だとかいろんな所に指示をして仕事が始まる。一体何の根拠があってこんな仕事をしたのかと言ったのです。総務省の設置法によるというのですが、それはたしかに究極の法的根拠かも知れないが、この問題は憲法審査会が司令塔ですから、憲法審査会がないもとで、総務省がこんな無駄をやるというのは、場合によっては裁判に訴えても結構面白い裁判ができるのではないかと思うのです。これは憲法審査会を始動させない闘いと車の両輪です。この法律には付帯決議が18もある。これをひとつひとつ解決するのはなかなか大変なことです。簡単に憲法審査会を始動させられないのです。
各議員のそれぞれの発言の中では、ソマリア海賊新法の話や、グアム移転協定の話もあった。参加者は各議員の発言に対して、共感の拍手で応えた。続いて市民連絡会の小川良則さんから配布した資料「総務省『改憲手続き法リーフ』の問題点について」の説明があった。
さらに憲法を生かす会、憲法を愛する女性ネット、宗教者平和ネット、キリスト者平和ネットなどから発言があり、会場からの質疑応答を行って集会を終えた。(T)
市民連絡会は総務省のリーフレット(http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html)を批判する視点をとりあえず、レジュメ的にまとめました(担当者・小川良則)。
なぜ今この段階で?
改憲手続法は2007年に「成立」したものの、多くの「宿題」を積み残している。
その多くは、細部の技術的な「詰め」ではなく、根幹部分の見直しに及ぶもの。
2 図の多用で視覚効果に訴える反面,正確さが犠牲に(意図的にミスリード?)
3 見切り発車で既成事実
2008年度予算での広報リーフレット
2009年度予算での国民投票に関するシステム構築
相模補給廠監視団 沢田 政司(さわだ まさじ)さんに聞く
30有余年の、静かだけれどしぶとい積み重ね
沖縄に次ぎ在日米軍基地が多い神奈川県。県の中央には厚木、座間、相模補給廠などの米軍基地が集まっている。相模補給廠監視団は補給廠の監視活動を続け「監視団ニュース」を発行してきた。ニュースはB4版・たて型で地味なつくりだが、写真や表、グラフなどが鮮明でなかなか読ませるできばえになっている。1977年4月から今年の4月で385号を数える。編集に携わる沢田政司さんは開口一番「発行以来1回の合併号もなく毎月続けてきて32年1ヶ月」と話す。発行が続けられた秘訣や、つくりあげてきたものは何なのかを伺った。
沢田さんは「経過を話せば長くなりますが、」ときりだした。ベトナム戦争反対の声が世界中で響いていたころ。1972年8月に横浜の米軍専用埠頭・ノースドック手前の村雨橋で米軍戦車が止められた。橋を管理する横浜市長が橋の重量制限を理由にして戦車の前で座り込んだ「戦車闘争」だった。戦車は相模補給廠に戻らざるをえなくなり、それから補給廠の正面ゲート前には、ベトナム戦争で使われる戦車を止めようとする人たちによってテント村ができた。11月に車両制限令が改悪され、通行可能になって「戦車闘争」はひとまず収束した。
以後、戦闘車両の搬出をはじめとする補給廠の動きを監視しようと「相模補給廠監視団」が結成され、監視態勢が始まった。通常、戦闘車両などの搬出は夜間に行われていたので、徹夜のローテーションを組んだ監視を1年10ヶ月続けた。ベトナム戦争の終結で基地も縮小され、しだいに監視団を支える団体も減った。それでも補給廠という基地の監視を続けようと、監視団は団体から個人構成に変わり、夜間態勢ではなく一巡監視となった。監視の状況をニュースで伝えようと「監視団ニュース」が誕生した。
1987年2月末。一巡監視をしていたら普段と明らかに違う作業工程で物を運んでいる白装束の作業員を見つけた。沢田さんは「ピンときた」と当時を語る。なぜなら、横須賀基地で空母ミッドウェーの大規模修理が行われ、そのときに出た大量のアスベストのゴミが横須賀市内の一般廃棄物置き場に捨てられていたことが問題にされていたからだ。横須賀で基地問題に取り組んでいる人に尋ねたら間違いないことがわかった。
さっそく相模原市に知らせ、新聞記者にも発表して廃棄物搬入は大きな報道となった。アメリカ側は本土に持ち帰る約束をした。これには後日談があった。この廃棄物は結局横浜の民間処理場で処理されたことがわかり、アメリカ軍の約束は結果的にウソになった。
その後、基地内の汚染物質の実態が明らかになり、この時期としては全国的にみても珍しい「立ち入り調査」を主張した。1998年秋には、補給廠内でPCB廃棄物の所在を示す看板を見つけた。2004年に全量搬出されることになるが、その間、自治体とやりとりし国際問題にもなった。1枚の看板の発見が自治体をまきこみ、大きな新聞記事にして世論をうごかすことで問題解決につなげていった。
1979年から始まった「思いやり予算」。「思いやり予算で補給廠内に倉庫が建設される」、という情報があった。監視団は「建物の建設が基地返還の障害になるから反対すべきではないか」と相模原市に質問書を出した。これに対し市は「あまり影響がない」と回答してきた。つぎに監視団は市に対して建築計画通知一式の情報公開を請求した。ところが相模原市は、横浜防衛施設局に問い合わせ、米軍から「公開しない」という施設局の回答があったので、「公開しない」と監視団に回答した。監視団は、市の回答を不服として「情報公開訴訟」を起こした。
一方で監視団は、アメリカ軍あてに情報公開を求めていた。アメリカ政府からは、4つの倉庫のうち3つについて、ひろげて見るのも大変なほどの詳細な図面が公開されてきた。
訴訟は相模原市の実質敗訴で終わったが、横浜防衛施設局のウソが暴かれ、またウソを信じた相模原市という自治体が、市民に顔を向けるのか国に向けるのかが問われることになった。
相模補給廠は横浜スタジアムが81個もはいる広大な敷地で、JR相模原駅前にある。沢田さんは「補給廠には3つの顔がある」という。
1つは、戦時への備え。ベトナム戦争のときも湾岸戦争のときも、戦時に備え何でも備蓄する。病院・野戦病院のセット、地上戦用資材、化学戦用防護服、湾岸戦争で使われたパイプラインセット、アフガニスタン向けのベースキャンプセット。もちろん銃火器、戦争非常食、医療資材など戦争に必要なありとあらゆるものが備蓄される。
2つ目は、入れ物づくり。膨大な資材を蓄える入れ物=倉庫の建設が続いている。「思いやり予算」の累計は200億円を越えている。一般倉庫3棟、冷蔵倉庫、低湿倉庫(武器庫)、可燃物倉庫、医療倉庫、危険廃棄物貯蔵庫、再生倉庫、車両整備工場、クリーニング工場、司令部など。
3つ目は廃棄物、スクラップ置き場。アメリカ軍は言わば巨大な企業だ。そこから出るゴミやスクラップはどこかで処理しなければならない。一括処理の元締めである国防再利用売却事務所なども補給廠の中にある。北は三沢基地、南は沖縄の米軍基地から廃棄物が運び込まれていた時期もある。カドミウム、トリクロロエチレン、アスベスト、PCBなどもあるが、不明なことも多く実態を知ることが難しい。
2000年8月、米国本土や韓国からの米軍とともに、補給廠で野戦病院を展開する「メデックス2000」が実施された。2002年7~8月には、米国本土から120名の兵員が来てパイプラインセットの展開訓練が実施された。2006年5月には「戦闘指揮訓練センター」の建設が日米間で合意され、今年4月2日に建設着工式が行われた。神奈川県内の反基地団体は、着工の中止を求める要請や行動に取り組んでいる。この訓練センターは、座間基地の米第1軍団前方司令部の支援施設としてコンピュータを使った施設だ。自衛隊との共同使用も表明されていて、前方司令部のシミレーションセンターとして基地の強化・恒久化につながる。「兵隊は来ないから心配ないとアメリカ軍は言うが、物を備蓄しておいて、兵隊は必要なときに移動するのが今の戦略」と沢田さん。
「これまで監視団が呼びかけたデモは3回だけ」と笑う沢田さん。過大でもなく過小でもなく事実をそのまま伝える姿勢をつらぬいている。「僕らの記者発表はたいてい記事になりますし、扱いも大きい」。いわゆる危機アジリはしない。「ウラをとらないで決めつけることのリアクションはものすごく大きいから」と沢田さんは話す。背後には30有余年の静かだけれどしぶとい積み重ねがある。
最後に憲法については「自分の生活圏を守る運動はいっぱいある。そういう動きの一つひとつが憲法につながる。憲法とは実はそういうもの」「横須賀の生み出した『憲法9条が自衛官の命を守っている』というスローガンが好きです」と話してくれた。(土井とみえ)
韓国の「アジアの平和と歴史教育連帯」は、4月9日の教科書検定結果を受け、9日に記者会見を開き、声明文を発表しました。
10日には、日本大使館前で糾弾会見、日本政府への抗議文を持参しましたが受け取りは拒否。続いて、韓国政府・外交通商部を訪問・面談し、政府の積極的な対応を求める要請文を伝達しました。
植民地支配を正当化し戦争を賛美するもう一つの「あぶない教科書」、 自由社版教科書を検定合格させた日本の文部科学省を糾弾する
2009年4月9日、日本の文部科学省は、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」)が、自由社という出版社を通じて検定申請していた中学校歴史教科書(以下、自由社版教科書)が検定に合格したことを発表した。
この決定は、次の2点において大きな問題を含んでいる。一つは、歴史を歪曲していることで有名な既存の教科書とほぼ同じ内容を含みつつ、改悪まで加えられているもう一つの教科書を、新たに検定に合格させた点である。このことにより、日本が政府レベルで歴史歪曲に対する明らかな支援を行っていることが明らかになったと言えよう。もう一つは、より根本的な問題として、2005年に韓国が歴史歪曲の是正を求めたことに対し何一つ応じないまま、既存の歴史歪曲の内容を再び検定に合格させたという点である。このことは、隣国との友好関係を損なうばかりでなく、日本における健全な歴史認識の形成にも逆行する、もう一つの歴史歪曲だと言わざるを得ない。
この度、検定に通った自由社版教科書は、扶桑社版教科書の内容と極めて類似しており、歴史認識と記述の面で同様の問題点を含んでいる。
第一に、韓国や中国などアジア諸国の歴史について蔑視するような記述が散見され、朝鮮半島への侵略と併合、植民地支配に対する根本的な反省は認められず、むしろ日本が朝鮮の近代化を助けたのだと強弁を振るっている。
第二に、戦時体制に関する記述においても、創氏改名、徴用、徴兵等について短く言及するに留まり、日本軍「慰安婦」をはじめ、朝鮮半島の人々が受けなければならなかった苦痛について、その実態にかかる記述や反省が含まれた内容にはなっていない。一方では、戦争に献身した日本国民を大いに称えている。戦争を賛美し「日本の戦争は正当だった」と教えることで、再び戦争に命を捧げることのできる国民を育てようとしているかのようだ。
第三に、日清・日露戦争をはじめとした帝国主義侵略戦争を美化・正当化している。共産主義とファシズムを二つの全体主義として規定し、強く批判している一方で、天皇制ファシズムという全体主義的抑圧体制については、政治体制として悪くなかったとし、転倒した歴史認識を露骨に示している。
一部、加筆修正された中には、より改悪された部分も見られる。
神話における天皇があたかも史実のように記述され、近現代の文化が「明治の文化」、「大正の文化」、「昭和の文化」と時代区分されるなど、天皇中心の歴史観を強調している。特に「昭和天皇のお言葉」が新しく掲載されるなど、天皇の平和的なイメージを巧妙に際立たせることで、侵略戦争とファッシズム支配の最高指導者であった天皇の責任を隠蔽している。植民地支配の記述では、朝鮮人の抵抗が存在したことについて言及しながらも「開発」政策を強調することで、植民地近代化論を主張している。
1982年の教科書検定において侵略事実を隠蔽しようとしたことに対し、アジア諸国から強い抗議が集中したことを契機に、日本政府は教科書検定基準の中に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という条項(近隣諸国条項)を設けた。しかし、自由社版や扶桑社版の教科書は、明らかにこれに反したものとなっている。そればかりか、これらの教科書では、国際的に通用しない偏狭な「日本国家への誇り」や歪んだ形の「歴史への愛情」が強要されている。
2001年以降、日本の中学校歴史教科書は全体的に後退したと言える。
その背景には、歴史歪曲を目論む勢力による誹謗や教科書攻撃、「つくる会」等と連帯した政治家の介入・圧力の影響があったのだが、根本的には、日本の歴史教科書が右傾化することを望む文部科学省の間接的な介入が作用した結果だと言える。
扶桑社自らも「完成度が低く」「内容が右寄りだ」と評した本、そしてそれと瓜二つの自由社版教科書を検定に合格させた文部科学省の行為が、そのことを証明している。当初516ヶ所の欠陥が指摘され、教科書として適していない不合格になったものについて、文部科学省が修正を直接指示し、再提出させた上で合格させたという行為は、何を物語っているのだろうか。歴史歪曲の教科書を何とかもう1冊合格させ、教育現場に広がるよう意図したものと見做さざるを得ない。また、「つくる会」と扶桑社の内紛により、教科書自体が法廷訴訟に持ち込まれた状態であるにも拘らず、文部科学省が検定に合格させたことは、日本政府が行政当局としての体面すら顧みなかったものであり、同時に、隣国に対する配慮を示す意思がないことを露骨に表したものであったと言わざるを得ない。
こうした日本政府の政策に対し、韓国政府が未来と和合という名のもと、歴史歪曲の是正を求めることなく沈黙するようなことがあれば、これは大きな誤りだ。今回も繰り返し、誤った歴史教育の方針が貫かれ、教育現場にそのまま持ち込まれることになれば、その後遺症はとてつもなく大きく、ひいては、平和な東アジア共同体の建設という時代の潮流に逆らう結果をもたらすことになるだろう。
2010年は、日本帝国主義による朝鮮の強制的併合から100年目になる年である。20世紀の負の遺産である植民地主義を完全に清算し、文字通り平和と共存の時代を築いていくために、東アジア各国が努力しなければならない時と言えるだろう。それにも拘らず、歴史という時計の針を逆に回そうとする日本の教育当局による今回の決定は、帝国主義の植民地支配により苦痛を受けた被害者たちに、再び傷を負わせるに等しい行為であり、国際的な孤立を招き得る愚かな行為に他ならない。
これに対し私たちは、以下のことを要求し、誤った歴史を正し、人権と平和のために、アジア市民社会の連帯にあらゆる努力を尽くすものである。
<私たちの要求>
一、日本政府は、歴史を歪曲し平和を脅かす自由社版歴史教科書の検定合格を撤回せよ。
一、日本政府は、植民地支配を美化する全ての中学校歴史教科書の記述を直ちに修正させよ。
一、韓国政府は、和解という名のもとに日本政府の歴史歪曲を黙認する政策を撤回し、歴史歪曲が是正されるよう、あらゆる外交努力を尽くせ。
2009年4月9日
アジアの平和と歴史教育連帯
共同代表:徐仲錫、安秉佑、張錫春、○成奎、鄭鎭○
(以下、64団体で構成)
歴史問題研究所、韓国労働組合総連盟、全国民主労働組合総連盟、全国教職員労働組合(以上、共同代表団体)、経済正義実践市民連合、基督女民会、企業銀行労働組合、韓国基督教長老会女信徒会、ナヌムの家、対日歴史歪曲是正促求汎国民委員会、大韓仏教青少年教化連合会、独島守護隊、独島有人島化国民運動本部、東北アジア平和連帯、文化連帯、三菱重工業韓国人徴用者裁判支援会、民族問題研究所、民族和合運動連合、ソウルYMCA、ソウル日本人教会、アジア基督教女性文化研究院、歴史学研究所、大韓イエス教長老会 全国女教役者協議会、ウリ民族助け合い運動(Koran Sharing Movement)、自主 平和統一民族会議、張俊河記念事業会、全国公共労働組合連盟、全国金融産業労働組合、全国競馬場馬匹管理士労働組合、全国女子大生代表者協議会、全国歴史教師の会、全国電力労働組合、全国撤去民協議会中央会、挺身隊問題対策釜山協議会、挺身隊のハルモニと共にする市民の会、全国基督サルリム女性会、済州4.3研究所、祖国平和統一仏教協会、参与連帯、カトリック教女性共同体、カトリック教女子修道会長上連合会、太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会、太平洋戦争犠牲者補償推進協議会、平和をつくる女性の会、平和市民連帯、韓国教員労働組合、韓国教会女性連合会、韓国基督教歴史研究所、韓国基督教社会問題研究院、韓国大学校総学生会連合会、韓国民族芸術人総連合、韓国仏教環境教育院、韓国女性団体連合、韓国女性民友会、韓国女性の電話連合、韓国女神学者協議会、韓国歴史研究会、韓国演劇協会、韓国挺身隊研究所、韓国青年連合会(KYC)、学術団体協議会、韓国基督教教会協議会(KNCC)女性委員会、興士団、21世紀青少年共同体「希望」
(一)2009年4月9日、文部科学省は新しい歴史教科書をつくる会(以下、「つくる会」)が自由社から検定申請した中学校歴史教科書(以下、自由社版教科書)の検定結果と合格を発表しました。この教科書は516か所にもおよぶ欠陥が指摘されていったん不合格になりました。欠陥の大部分を占める誤記・誤植について文科省の懇切な指摘を受けて訂正、再提出し、さらに136か所の検定意見を付されて修正し、合格したものです。このように多数のごく単純な誤記・誤植を含んだまま検定提出したことは、教科書出版社の常識では考えられないようなずさんな編集体制の下でつくられたことを示しており、教科書としての信頼性が極めて乏しいことは明らかです。
「つくる会」は会報『史』2009年3月号でこの教科書を4月28日に市販することと検定申請中の教科書の目次を発表しました。これは検定申請図書(白表紙本)の一部公開であり、文科省はこのような情報公開をきびしく規制してきましたが、今回これに対してどのような処置をとったのか、あるいはとらなかったのか、今のところ明らかではありません。
自由社版の目次の項目は84で扶桑社版歴史教科書は82ですが、両者を対比すると、35%がまったく同じ、54%がほとんど同じです。また、検定申請した2008年当初、「つくる会」自身が書名を『3訂版・新しい歴史教科書』と呼んで、扶桑社版『改訂版・新しい歴史教科書』を一部手直ししたと述べていました。なお、「3訂版」というのは扶桑社版を改訂したということであり、版権問題が生じることを危惧してか、今回の発表では書名を『新編・新しい歴史教科書』に変えています。
「つくる会」の自由社版教科書の内容は、前述のように約9割の項目がほとんど同じということが示すように、内容も扶桑社版と基本的には同じものです。改訂したのは写真や図版、導入部と側注の一部であり、本文はほとんど同じです。新たに追加した中には「昭和天皇のお言葉」(1ページ分)など特異なものがあります。また、本文を一部改訂したところでは、新たに誤った記述を行っています。例えば、沖縄戦は1945年3月26日の米軍の慶良間諸島上陸ではじまっていますが、扶桑社版は「4月、米軍は沖縄本島に上陸し」をもって沖縄戦の開始とする誤りを記し、検定もそれを修正させていません。自由社版はその誤りを正さないまま、さらに「…上陸し、ついに地上の戦いも日本の国土に及んだ。」と加筆しています。しかし、1945年2月に硫黄島(東京都小笠原諸島)での地上戦がはじまっていますので、これは事実に反する誤りです。文科省は2004年の扶桑社版検定で前述の誤りを放置し、今回の自由社版の二重の誤りを見過ごしています。07年の沖縄戦「集団自決」記述歪曲検定に対する、沖縄県民をはじめとした抗議などで、沖縄戦に関する正しい事実認識の必要性が求められている中で、このような初歩的な間違いを記述した「つくる会」とそれを容認した文科省の責任は重大です。
扶桑社版歴史教科書は多くの誤りが指摘されていますが、それと共に、次のような重大な問題点をもっています。これらは自由社版においてもそのまま引き継がれています。
第1に、日清・日露戦争以降の日本の戦争を美化・正当化し、日中戦争は日本の侵略ではなく中国側に責任があるとし、アジア太平洋戦争を「大東亜戦争」とよんで、それが侵略戦争だったことを認めず、日本の防衛戦争、アジア解放に役立った聖戦として美化し肯定する立場がつらぬかれています。韓国併合・植民地支配への反省はなく、むしろ正当化する内容です。「つくる会」は2004年の検定申請時に扶桑社版教科書について、会報『史』で、「日本を糾弾するために捏造された、『南京大虐殺』『朝鮮人強制連行』『従軍慰安婦強制連行』などの嘘も一切書かれていません・旧敵国のプロパガンダから全く自由に書かれて」いると主張していました。扶桑社版歴史教科書は、日本軍「慰安婦」の事実を無視し、南京大虐殺についても否定論の立場をあえて記述しています。日本が行ったアジアの人びとなどへの加害や日本人が受けた被害についてもごくわずかしか記述していません。その反面、戦争に献身した国民を大いにたたえる記述を行っています。戦争を賛美し、「日本の戦争は正しかった」と教え、ふたたび戦争に命をささげる国民を育てるために、悲惨な被害も加害も無視、歴史を歪曲する教科書です。
第2に、「神武天皇東征」を「伝承」としながらも、大和朝廷成立のところで扱うなど神話をあたかも史実であるかのように描いています。「つくる会」は、「皇室・天皇」は「我が国の歴史の始まりとともに存在した」と主張していますが、これは、神武を実在の天皇とする歴史の偽造です。
第3に、天皇と国家を前面に出し、日本の歴史を天皇の権威が一貫して存在した「神の国」、天皇と国家、為政者の「栄光の歴史」と描き、民衆の歴史、特に女性や子どもについてはほとんど描かれていません。また、聖徳太子の「17条憲法」を全文載せ、「全国の武士は、究極的には天皇に仕える立場」だと歴史を偽造し、「昭和天皇」のコラムに加えて、「昭和天皇のお言葉」を新たに載せるなど「天皇の教科書」という色彩を強めています。
一方で、韓国や中国などアジア諸国の歴史を根拠なく侮蔑的に描き、その上に立って、国際的に通用しない偏狭な「日本国家への誇り」や「日本人としての自覚」、歪曲した「歴史に対する愛情」を強制的に植えつけようとしています。
自由社版教科書の全体をつらぬく「あぶない」内容は本質的に扶桑社版と同じだといえます。
戦後の歴史学や歴史教育は、侵略戦争遂行に歴史教育が利用されてきたことへの反省をふまえ、科学的に明らかにされた歴史事実を何よりも重んじてきました。さらに、今日ではアジアの平和な共同体をつくりあげる前提として、アジアの人々との歴史認識の共有が求められ、その努力が多方面ですすめられています。ところが、自由社版及び扶桑社版教科書は、今日の世界の動向を無視して、国際緊張を過大に描き出し、歴史事実を捻じ曲げて戦争を美化し、国家への誇り、国家への奉仕と忠誠、国防の義務を強調しています。「つくる会」や日本教育再生機構=「教科書改善の会」は、歴史教科書で日本の過去の戦争を正しかったと賛美し、公民教科書でいままで政府が行ってきた自衛隊の海外派兵を正当化し、それをさらに拡大するための「憲法改正」を公然と主張しています。これは、子ども・国民をこれからの戦争に動員することをねらうものだといえます。
アジアと世界でいま進んでいる平和への動きを無視し、侵略戦争への痛切な反省から生まれた日本国憲法の理念を敵視する考え方を一方的に子どもに注入するような教科書が公教育の場に持ち込まれることは絶対に許されないことです。
(二)
そもそも日本国憲法は、日本がふたたび侵略戦争をしないという国際的宣言であり、国際公約でもあることを思い起こす必要があります。また、1982年に教科書検定による侵略の事実の隠蔽に対しておこったアジア諸国からの抗議を契機に、教科書検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」という条項(近隣諸国条項)が政府によって付け加えられたことも、忘れてはならないことです。1993年には日本軍「慰安婦」について、日本軍の関与と責任、アジアのたくさんの女性を傷つけたことを認めた河野洋平官房長官談話で「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」という決意を示しました。さらに、1995年の村山富市首相談話で、「植民地支配と侵略によって」アジア諸国に与えた「多大の損害と苦痛」にたいしてお詫びと反省を表明しました。1998年の日韓共同宣言、日中共同宣言でも、「両国民、特に若い世代が歴史への認識を深めることが重要」と表明しています。歴史への反省は2002年の日朝ピョンヤン宣言でも引き継がれています。これらの言明は日本政府の明確な国際公約であり、同時に日本国民への公約でもあります。しかもその考え方は、侵略戦争を否定し諸民族の平等と平和を重んじてきた第二次世界大戦後の世界の潮流に照らしても当然のことです。日本政府はこのような国際公約を誠実に守る当然の責任と義務を負っています。
2007年以降、日本軍「慰安婦」に関して、アメリカ、カナダ、オランダ、EU、韓国、台湾の議会で決議が行われています。2008年には国連自由権規約委員会の第5回日本政府報告書に対する「総括所見」でもこの問題が指摘・勧告されています。日本国内でも、宝塚市、清瀬市、札幌市、福岡市で「慰安婦」問題について意見書採択が行われています。それらの決議や意見書では、「慰安婦」問題をはじめ日本の侵略戦争の歴史をきちんと教科書に載せ、教育することが求められています。
ところが自由社版及び扶桑社版教科書は、こうした日本政府がこれまで公式に表明した国際公約及び日本国民への約束に明らかに違反する内容を含んでいます。特に韓国との関係では、2002年のワールドカップ共同開催などによって、友好的な交流が発展し、1日に1万人が行き来するほどになり、過去の誤った歴史の克服と歴史認識をふまえた和解の条件が成熟しつつあります。この教科書は、こうした状況に逆行する教科書といえるでしょう。こうした重大な問題に関し、諸外国の政府・国民が日本政府の対応について意見を述べるのは当然であり、政府としても真摯な対応が求められるところです。これを内政干渉などといえないことは、2001年当時の外務省自身が国会でも正式に答弁しているところです。
(三)
今年は中学校教科書の採択が行われます。歴史を歪曲し、戦争を賛美し、憲法「改正」・「戦争をする国」をめざし、国際社会での孤立化の道に踏み込む自由社版及び扶桑社版の「あぶない教科書」が、子どもたちの手に渡されることを、私たちは許すことはできません。現在、公立の学校で扶桑社版の「あぶない教科書」が採択されている東京都杉並区(歴史)、栃木県大田原市(歴史・公民)、東京都立中高一貫校と特別支援学校(歴史・公民)、滋賀県立中高一貫校(歴史)、愛媛県立中高一貫校と特別支援学校(歴史)、一部の私立中学校(歴史・公民)において、採択をやめさせるために、当該地域はもとより全国的な活動が求められています。
さらに、来年開校予定の東京都立中高一貫校をはじめ、各地域で扶桑社版及び自由社版教科書を採択させないよう声を上げ、関係機関への働きかけを強めていく必要があります。
私たちは、地域の草の根の活動によって「つくる会」教科書を2001年には公立中学校の採択地区ではゼロに終わらせ、2005年には、杉並区・大田原市では残念な結果になりましたが、採択率で0.39%という結果に終わらせました。このことが2006年の「つくる会」の内紛・分裂の主な原因になりました。この教訓を活かして再び地域で草の根の世論を高め、広めることができれば、扶桑社版及び自由社版教科書をゼロ採択に終わらせことができます。
いま、扶桑社版・自由社版教科書がねらう「憲法改正」には国民のほぼ3分の2が反対しています。憲法を守り生かそうとする運動も全国7000以上の「九条の会」の活動をはじめ各地に広まってきています。扶桑社版・自由社版の「あぶない教科書」を採択させない、このような多くの人々の平和への願いに応え、それを草の根からさらに大きな世論に発展させていくカギでもあります。なぜなら、教科書は地域単位で採択されますから、「あぶない教科書NO!」の世論を地域で草の根からつくる必要があるからです。
いまこそ、日本の市民の良識と平和への強い願いをアジア・世界に向かって示そうではありませんか。そして「つくる会」や日本教育再生機構=「教科書改善の会」の教科書とその運動に終止符を打たせようではありませんか。
また、扶桑社版・自由社版以外の教科書の戦争の記述=侵略戦争における加害と被害、沖縄戦や植民地支配に関する記述はさらに後退しています。この問題は、歴史歪曲勢力による誹謗・攻撃と、「つくる会」などと連携する政治家の介入・圧力によって文部科学省が採択制度を改悪し、現場の教員の意見を排除して教育委員会による採択を推し進めたことに大きな原因があります。この文科省の採択制度改悪は、「近い将来学校単位の採択に移行する、それが実現するまではより多くの現場教員が採択に関われるように制度を改善する」(現場教員の意見を尊重するよう採択制度を改善する)という1997年、98年、99年の閣議決定に違反して強行されたものです。
私たちは、アジアの平和な共同体をつくるための前提となる歴史認識の共有を求めて、検定・採択制度の改善を要求し、教科書記述の改善を実現させようではありませんか。
2009年4月9日
アジア女性資料センター/一般財団法人歴史科学協議会/大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会/沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会/大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会/女たちの戦争と平和資料館/学校に自由の風を!ネットワーク/教科書・市民フォーラム/憲法を生かす会/憲法・1947年教育基本法を生かす全国ネットワーク/子どもと教科書全国ネット21/子どもの未来を望み見る会/「子どもはお国のためにあるんじゃない!」市民連絡会/在日本大韓民国青年会/ジェンダー平等社会をめざすネットワーク/社会科教科書懇談会/杉並の教育を考えるみんなの会/全国民主主義教育研究会/「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク/「つくる会」教科書採択を阻止する東京ネットワーク/男女平等をすすめる教育全国ネットワーク/中国人戦争被害者の要求を支える会/地理教育研究会/東京歴史科学研究会/南京への道・史実を守る会/日中韓3国共通歴史教材委員会/日本出版労働組合連合会/日本の戦争責任資料センター/日本婦人団体連合会/八王子手をつなぐ女性の会/ピースボート/ふぇみん婦人民主クラブ/許すな!憲法改悪・市民連絡会/歴史教育者協議会/「歴史認識と東アジアの平和」フォーラム日本実行委員会(以上35団体、2009年4月8日現在)