2月17日、ヒラリー・クリントン米国務長官と中曽根弘文外相のあいだでそそくさと調印された「在沖米海兵隊のグアム移転に関する協定」を、与党は野党各党が反対する中で4月上旬にも衆院で強行する構えだ。「協定」は「条約」であり、政権が変わっても在日米軍再編のロードマップについて将来の日本政府にまで負担義務を負わせることになる。来る総選挙でありうる日本の政権交代をも年頭に置いたような、こうした協定を支持率10%程度の麻生政権が強行するのは道義的にも許されるものではない。そして憲法61条の規定で、「条約」は予算と同様に、衆院の議決は30日以内に参院が可決しなければ国会の議決となる。
この協定は沖縄県民の同意を得ていない。地元沖縄県民の県内移設反対の世論を無視したグアム移転協定は憲法第95条の精神からも容認できない。95条は「一つの地方公共団体のみに適用される特別法は、住民投票で過半数の同意を得なければこれを制定することができない」とある。憲法解釈上、「協定は特別法ではない」から憲法違反ではないという論理は、沖縄に過重に負担を強要する「グアム移転協定」を結んだ当事者たちの責任を免れさせない。
さらにこの「協定」は9条との関連でも重大な疑義がある。協定は在沖海兵隊員8000人とその家族9000人のグアム移転経費103億ドルのうち、28億ドル(1ドル95円換算で2660億円)を日本が負担する、あわせて将来回収する(ほとんど信じられない)とする融資額を含めると61億ドル(約5800億円、経費総額の59%)の拠出だ。米軍移転費用の負担において諸外国に類例を見ない、かくも莫大な費用を日本側が負担する理由を、協定は「沖縄県を含む地域社会の負担を軽減し、もって安全保障上の同盟関係に対する国民の支持を高める基礎を提供する」ためとした。要するに移転も移設も日本側の要望だから日本が負担して当然という論理だ。しかし、協定でも「(グアム駐留は)アジア太平洋地域における安全保障についての合衆国の約束に保障をあたえ、かつ、この地域における抑止力を強化するもの」といっているし、「地球的規模の対テロ戦争」のための「戦略的柔軟性」を確保できる(グアム住民への説明文書)とも述べられている。まさに米軍の西太平洋における軍事拠点として、世界戦略を再編強化するためなのだ。
こうした米国の世界軍事戦略に巨額の国家予算を提供することは「憲法前文」と「9条」の精神に背反するものであり、許されない。
そしてより問題なことには、この協定の結果、沖縄の基地負担はまったく軽減されないことだ。沖縄に1万人に及ぶ海兵隊の実戦部隊は残る可能性があり、さらに辺野古の新基地建設、高江のヘリパッド建設が強要される。「移転協定」どころか、まさに「米軍再編協定」だ。昨年の名古屋高裁判決でも国民の権利として確認された憲法の「平和的生存権」は沖縄においては侵害されつづける。国会はこのような違憲の協定を断じて批准してはならない。
(高田健「沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック」会報に寄稿したものに加筆)
2009年2月13日 沖縄・てんぶすホール
(前号で報告した集会の詳報です。要約の文責は編集部です)
加藤裕(司会):安倍内閣のときに「国民投票法」が制定されましたが、そのあと、福田内閣、麻生内閣と誰が総理になったかわからないような状況がつづき、国会は混迷しています。憲法の問題もこの混迷の中でおさまりつつあるのかなという気がしないでもありません。
しかし明文改憲は表面上進まない一方で、ソマリア沖への自衛隊の派遣だとか、田母神発言とか、いろんな問題が起きています。沖縄でも米軍再編の下で米軍と自衛隊の一体化が進みつつある。そういう中で憲法の問題を正面からとらえて、憲法の運動を今日の集会をきっかけに、これを機により発展させていきたいと考えています。
最初に主催者挨拶として、許すな!憲法改悪・市民連絡会の高田健から挨拶させて頂きたいと思います。
高田健:この集会は今回で12回目になります。
90年代の終わり頃、憲法に関する市民運動はそれほど多くはなかった。しかしそういうなかで、12年前、無党派の草の根の憲法運動nのネットワークをつくっていこうという運動を始めた。沖縄で交流集会やるのは初めてですが、今日も北海道、東北、三重、大阪、九州、東京など各地から仲間が来ています。年一回の交流でどのように運動を発展させるかを話しあってきた。
04年から「九条の会」の運動なども大きく始まった。そうした市民運動がいま全国各地で憲法改悪に反対する運動を展開している。今年の麻生さんの施政方針演説においては「憲法」という文字がひとこともなかった。つい数年前まで安倍さんの時代には「任期中に明文改憲する」と彼は言っていた。しかし、本当に憲法の運動は様変わりをしたと思う。
いま政府・与党は「憲法を変える」ということを公然と言い出すことはできなくなった。これはこの間の多くの市民運動、労働運動、民主運動、様々な皆さんの力のおかげだと思います。彼らは憲法を変えたいのですけれども「変える」ということを国会で言い出せなくなっている、これは大きな変化だと思う。
しかし言えないぶんだけなんとかして今の憲法のもとででたらめな解釈をして9条を破壊しようという動きは、いまだに続いています。先日の田母神発言などはその典型的なものですし、ソマリア派兵なども目前に迫っている。ですから私たちは油断することなく、全国でこうした運動をもっと大きく起こしたいと思います。
とりわけ今年沖縄でこの集会をひらくのは、来年が日米安保条約50周年だということと関係があります。安保条約改定が行われて、50年たっても依然として日米軍事同盟はなくならないどころか、より一層強化されたかたちである。その象徴的なものが沖縄です。私たちは沖縄の問題を全国の憲法運動の重要な課題として、この安保・基地の問題をこれからもっと一生懸命とりくんでいくべきだと考えました。そうしたことで実は今日から3日間、全国交流集会を行います。全国交流集会の前には、毎回こうした公開講演会を行って、私たちの考えを報告しています。今日は韓国からもチョン・ウクシクさんという仲間がいらしています。この沖縄での集会を機に、日本やアジアの民衆と手をつないで、この日米安保体制に反対し、米軍基地撤去、そうした運動を憲法9条を守る運動のなかで一層強めたいと思います。今日は最後までよろしくお願いいたします。ありがとうございます。
加藤:次に講演される新崎盛暉さんは沖縄平和市民連絡会の代表として活躍されるとともに「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の共同代表も務めていらっしゃいます。今日のテーマは、沖縄から憲法・安保・基地を問う、というテーマです。それではよろしくお願いいたします。
新崎盛暉さん:ご紹介いただいた新崎です。今日は40分間でお話させていただきます。いま沖縄平和市民連絡会の「代表」というご説明がありました。代表、ではなくて代表世話人というのが何人かいるうちの、僕は一人です。
今日お話することになったのは、昨年、この主催者の皆さんがお見えになっていて、平和市民連絡会の懇親会に参加されて、その時のコトの勢いで私がしゃべることになったわけです。
もう一つ紹介で「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の共同代表だ、というご紹介もありましたけれども、こちらも、私が共同代表として何をやっているかというと、何もやっていない、いつなったのかも分からないのだけれども、高田さんがたぶん、勝手にではなくて僕の了解をとったのだろうと思いますが、続いてきましたので、今日のお話をすることで、これで引退にさせていただこうと話しているいうような次第です。
今日のテーマは基地・安保とともに憲法まで問おうという訳です。なぜ憲法まで問い返そうとするのかというと、僕は一貫して例えば「護憲」とか、護憲派であると名乗ったこともないし、憲法擁護と言ったことも一度もありません。それはなぜかといえば、いうまでもなく、この憲法は第1条、天皇制から始まっています。私は天皇制とは相容れない立場の人間ですので、天皇制から始まる憲法を、擁護する訳にはいかない。じゃあ、改憲派か、といえば、改憲派ですが、今の状況のなかで天皇制を削除するような改憲ができるかといったら、それは現実的には不可能なわけで、いま現実に行われようとしているのは、憲法の前文や9条をどのように変えるか、というそういう改憲。ですから当然「改憲には反対」と言わざるをえない立場には、あります。
そういう私の立場を踏まえながら、ここに4つの項目をたてました。
(1)は日本国憲法の成立と沖縄、です。サブタイトルに、象徴天皇制、絶対平和主義、沖縄の分離軍事支配。強いていえばこの三つが一体化しているのがこの憲法の成立以前の憲法を生み出した状況であったということを、私は少なくとも1960年代の後半以降、40年にわたって言い続けています。そういう視点を提起した最初の人間ではないかと思っていますけれども。
それで、この憲法が、戦争を二度としてはならないという、国民の意思に支えられてきたということは間違いのないところですけれども、それによって生み出されてきたとは、必ずしも言えない。つまり、占領政策の一環としてつくり出されるという側面を、特に、沖縄という地域、社会からは、見落とすことができない問題として私は指摘しておかざるをえないからです。
いうまでもなく、近代国家日本は、天皇制国家と中央集権制国家として誕生し、第二次世界大戦の敗北という破局を迎えた。そしてその最終局面で沖縄戦があり、広島・長崎への原爆投下があったわけです。それで、その中心にいたいわば戦争責任者は天皇に他ならないわけですけれども、アメリカのいわゆる知日派の内部では、天皇による国民支配の有効性というものに着目していたのは間違いのないところです。いうまでもなく日本の敗戦は、一般には「終戦」と言っていますけれども、天皇の終戦詔書なるものによって終わりを告げた。そして天皇がいたが故にあちこちで反乱も起こらずに、小規模のそれらしきものはあったにせよ、日本は平和裡に戦後を迎えた。その効用を、マッカーサーを中心とする占領軍は、最大限に生かそうとした。そのことが、いわば天皇に直接的な政治権限は与えないけれども、国民統治の中心におくというこの憲法を、成立させる大きな力となったことは間違いのないところです。
しかし、天皇それ自体の軍事的な脅威を感じていた国々というのは、連合国のなかにも、フィリピンやオーストラリアやニュージーランドなど、多数ありました。そういう国々の、いわば天皇制を存続させることに対する懸念を、払拭するために、日本を非武装国家にする、というセットがつくり出された、という側面を見逃すことはできないだろうと思います。
もう一つは、アメリカが、戦後世界支配の太平洋地域におけるパートナーとして、親米的中国を想定していた段階でもあった、ということが言えるかと思います。同時に、このいわゆる日本国憲法草案、マッカーサー草案と呼ばれるものを日本政府に押し付けたといわれる連合国軍の中には、あるいはマッカーサーの構想の中には、この、非武装国家日本とセットになって、沖縄の分離軍事支配というものが、あったということは、間違いないところであり、彼はそのことを、憲法が成立施行された1947年5月3日の、約一ヶ月後に、公然と、自らの考え方を表明しています。
そしてマッカーサーは、日本国というのはアメリカに守ってもらうのだから、アメリカが沖縄を軍事支配することに対して、誰も異議を申し立てるやつはいないだろう、と言った時に、はい、決して異議を申し立てません、と言ったのが、他ならぬ昭和天皇であった。彼が、寺崎英成という使いに託して9月頃に、GHQにそういうことを伝達しているわけです。そして、沖縄を、日本から切り離したりアメリカに併合したりそういうことはしないで、日本に主権を置いたまま、25年ないし50年、それ以上にわたって「リース」することについて異存はない、ということを言っています。
しかしその後、アメリカの政策は転換します。沖縄を軍事要塞にしておけば日本を非武装国家にしてもアメリカの世界戦略に支障はない、という考え方が、揺らいでくる。特に明確に沖縄における空軍力だけではダメだ、というのが表明されるのが朝鮮戦争で、その朝鮮戦争の渦中において、警察予備隊という名前で日本の再軍備が始まった。つまり非武装国家をつくったアメリカが、日本の再軍備も、また、占領下において指示をした。それが日本の独立とともに、日米安保条約という形で具体化するわけです。
日米安保条約は日本全土に米軍基地を置くことを許容しているわけですから、それであれば、沖縄をなぜ日本から分離しつづけることになったのか。
この、日本から沖縄を分離しつづけるということは、対日平和条約、日本の主権を回復し国際社会に復帰させるという対日平和条約第3条によって、その条件の一つとして明記されています。沖縄をアメリカが支配する、半永久的に(その段階で言えば)支配する、ということです。
安保条約で全土に米軍基地が置けるのに、なぜ沖縄を支配したのかといえば、いうまでもなくそれは、国内法の制約なしに、自由に基地をつくり基地を使用することができるというためです。これは裏を返せば、沖縄の民衆には一切の権利は、人間としての権利は認められない、ということを意味します。
つまり、日本で自由に基地をつくれるということを日本国政府とアメリカ政府が約束しても、日本に基地をつくろうという時に、それが例えば民間の土地をとりあげてつくろうという時には、国内法の制約がある。土地収用法、などがちゃんと存在している。日本国憲法の下で成立した土地収用法が存在している。それで、土地収用法は、収用対象として軍事目的による土地の収用を認めない。それでは、ということで、アメリカに土地を提供するための土地収用法として、いわゆる米軍用地特措法なるものをつくるわけですけれども、それも、特別措置法としての限界があって、手続き的には土地収用法と同じ手続きを経なければならない。それが沖縄における90年代の抵抗によって改悪されて、いまは土地収用法に基づいて公共用地を強制収用するよりも、易々と、国家の意思ひとつで、米軍に提供する土地は収用できるという形に、なし崩し的に改悪されていますけれども、ともかくそういう制約があった。
それに 、日本における軍事基地を勝手に使用すれば日本政府が容認しても、その政府の基盤が危うくなる政治情勢もある。こういうことが、沖縄を対日平和条約第3条によって日本から分離しアメリカの軍事要塞として置き続けた理由に他なりません。
(2)に、「平和憲法の空洞化と沖縄の返還」ということを書きました。
「外から安保を支えた沖縄から、内から安保を支える沖縄へ」。これはどういうことかといえば、先ほど言ったようなかたちで、日米安保体制というものを支えるためには、沖縄という、自由に基地がつくれ、自由に使用できる基地の存在が必要である。そして60年安保改定以降は、安保改定によって日本からの軍事行動とか、そういうものには一定の制約が、建前上は、課せられることになった。
したがって、例えばベトナム戦争の時に、日本の基地からベトナムへの米軍出動に関して、これは日本政府と事前協議をしたのかどうなのか、という論議が、国会で何回も、何十回もなされています。その時に日本政府の答えはただ一つ。「日本からは戦闘作戦行動はやっておりません。ベトナムへ出動する部隊はすべて沖縄に移駐した後、戦闘作戦行動を行っており、沖縄には日本国憲法も適用されなければ、日米安保条約も適用されていないから、60年安保条約改定の時の約束ごとである事前協議の対象とはならない」。そういう答えが、60年代を通して繰り返されてきたわけです。
つまり、在日米軍基地を自由に使うための「抜け道」として、日本ではない、日米安保条約の適用地域ではない、そして日本国憲法の適用地域でもない沖縄が、使用されてきた、ということです。
では何故沖縄の返還がなされたのか。これは、沖縄県民が、平和憲法下への復帰を求めて運動した成果だ。そうだろうか。勿論、民衆の運動があって絶対的権力を持ってきた米軍の沖縄支配政策が破綻してきた、これは間違いのないところです。それと、沖縄内部のそうした民衆運動は、当時の世界的なベトナム反戦運動、ベトナム人民のたたかいと結びつくことによって米軍支配を破綻に追い込んだのは、間違いないところです。
しかし、その時に沖縄を日米両政府が返還をしたのは、沖縄県民を日本国憲法の下へ、日本国憲法が保障する様々な諸権利を回復するために、沖縄を返還したわけではさらさらない。つまりアメリカは、追い込まれてそうせざるを得なくなってきた。ベトナム政策の全面的破綻、経済的破綻、~ドルの支配体制というのは沖縄の復帰直前には揺らいでいくわけですけれども~、そして、基地を負担する経済的能力もなくなってきた。基地労働者の大量解雇、等を、米軍が沖縄を支配したまま行うことが不可能であった。
そうしたことから、いわば日米両政府の政策協議のなかで、沖縄の基地をアメリカが自由に使い続けることを日本が保障する。これは日米共同声明のなかでうたわれていることです。それどころか、ベトナム戦争をさまたげるようなことがあってもならない、朝鮮半島への軍事行動も事実上認める。台湾海峡への軍事行動も、沖縄返還を機にして事実上認める、というなかで行われた沖縄返還というものを実現します。
したがって、外から安保を支える沖縄から、内から安保を支える沖縄への転換、というのは、まさに、そういう意味に他なりません。
実は、私が十年くらい前に書いた「現代日本と沖縄」というブックレットのような、小さな本があります。この中で、たとえばこういうところで講演など頼まれるときに、僕が何を主張しているか、分からない人たちを相手に講演するのはシンドイから、少しこれでも読んで勉強してくれれば話をしてもいいですよと、条件付きで話を引き受けることが何回かありました。その時に、読んできた人たちが‥あ、もう(時間が)半分経過か、もうここはやめましょうね。(笑)
‥しかし、言いかけて思わせぶりに止めるのはやめましょうね。この本のなかで、すぐ質問するのはこういうことなんですね。「沖縄の民衆は平和憲法下への復帰を求めて、日米同盟再編強化の一環としての返還を与えられたことになる」。「日本国憲法成立当初の事情を振り返れば、日本国憲法が平和憲法であり続ける限り、沖縄は日本にはなりえなかったのかもしれない。」ここのところにひっかかる人がたくさんいたわけですね。
しかし、沖縄の返還が実現したというのは、ある意味では、日本国憲法の空洞化がそこまですすんだということの証明に他ならなかったと、私は今でも思っています。
●改憲が叫ばれなくなった理由
(3)に、「明文改憲状況の後退と沖縄の現実」というタイトルを掲げました。先ほど司会者の方も高田さんもふれられました。小泉から安部へという中で、憲法を間違いなく改正するという動きが一定程度の世論の支持も得て進みつつあり、自民党は新しい憲法の試案まで発表しました。これは皆さんご存知の通りです。
ところがいま、それは確かに麻生の演説は僕はていねいに読んでいませんけれども、憲法改正どころか、安部の演説とはまったく違う。なぜ違うのか。それは、改憲反対運動の大いなる成果か。これを「成果だ」と言ってしまうと、「沖縄返還は日本復帰運動の成果だ」と言ってしまうのと同じことになりかねないと、僕は思っています。
むしろ彼らが右往左往して、(定額)給付金から年金問題から、いわゆる政局の混乱のなかで政治家たちが、この問題を提起しえなくなってきている、という状況。まあ、それが運動と相関関係をもつことを否定するものではありませんけれども、そういう側面が非常に強いということを見逃してはならないだろうと思うのです。
というのは、着々と、具体的な動きは、特に沖縄から見る限り、すすんでいるからです。つまり、政治家たちが動けなくなった代わりに、ある意味では官僚たちが、動いている。沖縄での基地建設の中心に動いてきたのが例の守屋事務次官であるのみならず、いま、急浮上してきた米軍再編のグアム移転協定というんですか、これをクリントンが来たときに結ぼうなどという動き、これはまさに防衛官僚から外務官僚への、主導権の移転のなかで行われている問題であると、とらえなければならないだろうと、私は思っています。
それでこの「明文改憲状況の後退と沖縄の現実」というところに、四つ※印みたいなのがあって、「オバマ政権の対日布陣」、「米軍再編協定の急浮上」、「辺野古・高江・流弾事故・原潜寄港・キャンプハンセンの共同使用‥」、実はこれは、順序は、下に書いた辺野古・高江、というところを最初に書くべきだったかもしれません。今ここで、特に従来と違った点で目立っているのは何か、というと、権力側の高姿勢ということです。
辺野古の下に海上保安庁を入れています。海上保安庁はかつて、政府が何かの調査をやろうということで、海上にやぐらをつくって、そこを反対派が占拠したり、そういうときに、海上保安庁はどうしていたかというと、静観するというか、中立的な立場をとっていました。中立的といっていいかどうか、分かりませんけれども。
あの頃の海上保安庁を思うと、こういうことを思い出すんです。60年代の初期に北緯27度線上で7月28日に、交流海上集会というのが、本土と沖縄から船を出して行われました。その時に海上保安庁の船が来て、皆が緊張しました。その時に海上保安庁の船の上から、皆帽子を振っているんですね。親愛の情を、民族的集会に送っていたわけです。そういうことが60年代の初期に、ありました。少なくとも海上保安庁は、阻止派に対する敵対的行動などは行っていなかったのです。
ところが、いわゆる米軍再編協議が行われて今の状況はどうか。海上保安庁は要員を強化し、そしてわざわざ辺野古をにらんで中城湾に独立の署をもうけ、キャンプシュワブという米軍基地を拠点にして、そこから海上で調査の阻止、あるいは監視活動をしている人たちに対して、先手攻撃のような嫌がらせをやり始めています。たとえば、船を動かしている船長がきちんとした免許証をもっているかどうか、同じ人を毎日臨検するとか、そういう威圧行動というのは従来海上保安庁がとっていなかった行動です。なぜそういうことが行われるようになったのか。そして高江では、これは法律家に説明してもらったほうがいいかもしれませんが、通行禁止の仮処分。つまり警察が排除しないで民事の手続きを使って、これは、いろんなテストケースを彼らは試みているのだと思いますが、住民を威圧する様々な手段を講じようとしている。
時間がないからどんどんすすみます。流弾事故。金武町の伊芸で米軍基地から銃弾が飛んできた。それが停車していた車にあたってバンパーか何かがめりこんだ。バーンと大きな音がして白煙があがって、目撃者がいる。そしてこの弾丸は、米軍のものであるということは、確認されている。しかし、米軍は、琉球新報、沖縄タイムス両紙は大きくとりあげていますけれども「米軍基地から発射されたという十分な証拠はない、したがって通常通りの訓練を続ける」。では、目撃者はうそをついているのか。こういう問題です。
原潜寄港です。ホワイトビーチにやたらと原潜が入ってきている。この問題は日曜日に勝連のほうで梅林さんなども来てその問題を議論されると思いますが、そういうこともある。そしてキャンプハンセンの共同使用。つまり米軍基地を自衛隊が共同使用する。日米の軍事的一体化の現実的進行。その他、あげていったらきりがないような問題がいま、このオバマ政権の登場によって、何かが大きく変わるような幻想がふりまかれている、その節目をまたいで沖縄で進行しているというのはなぜか、ということです。
そしてオバマ政権の対日布陣というのを見てみますと、ジョセフ・ナイ元国防次官補が駐日大使、ウォレス・グレッグソン元在沖米軍四軍調整官、海兵隊中将、最も沖縄通です、これが国防次官補、ケビン・メア在沖米総領事これが国務省日本部長。メアなどというのは、沖縄では蛇蝎のごとく嫌われている人間です。
それで、日本政府も、全国紙も、「日本が重視されている。オバマ政権も日本を重視して日本通が登用されている」という。日本通どころか、これは全部、沖縄通です。沖縄の現地の事情にくわしい連中です。なぜこの連中がオバマ政権の(まだ確定していない部分もありますけれども)中に登場してきているのか。
そして繰り返し日本政府筋から強調されてきているのは、「オバマになっても何も変わらない」。少なくとも米軍再編については何も変わらない、ということが言われています。そして突如浮上してきたのが米軍再編協定というのを結ぶ、ということ。これまで2プラス2だとかいう形で何回か発表されてきたいわゆる米軍再編構想。この中で「普天間代替施設」と称する辺野古への新基地建設とか、高江へのヘリパッドというのはSACO合意、十年以上も前の話ですが、沖縄の北部訓練場の半分を、返還する。返還するところにあったヘリパッドを残っているところに持ってくる、という話なんですね。どこかの新聞記者が、「距離は半分になったのに、駅が二倍になる。これはどうしても納得いかん」という書き方をしていたのがありますけれども。
こういうことが米軍再編の合意としてSACOの一部が確認され、一部が勝手にチャラにされて勝手に再提起されている。辺野古の沖合いに作られるはずの基地が、沿岸まで引っ張ってきて作り直す、というのが再編合意ですが、これと同時に、沖縄県民の負担を軽減してやるから、負担を軽減するために、代わりに海兵隊を何千人かグアムにもっていくので、グアムの米軍基地建設の経費の約半分を日本政府が負担する。
こういうのが、米軍再編の協議のなかで出ていることで、これを条約化する。これを全部「パッケージだ」と称しています。全部パックだ、一つだけではだめですよ、と。辺野古に基地をつくらなければ、普天間は返しませんよ、グアムに金を出して米軍基地を作らせたら、嘉手納空港以南の土地は、返してもいいですよ、と。それは全部パックです。辺野古の基地を作らせなければそれは全部チャラになります。これは一種の、恫喝です。
いらなくなった基地を含めて、いらなくなったものはサッサと返せばいいものを、色々な条件をつけて、パックにして、このパッケージを条約にして縛りをかける。こういうことが今、急に浮上してきたんですね。
どうやらこれは、新聞記者などに聞いてみると、去年の9月頃から外務省の中ではちらちらしている。ただ新聞記者たちもうまく実態がつかめないでいた。今度は外務省そのものが公にした。と思ったら、クリントンがやってくる。これまで民主党は(アメリカが)中国を重視して日本をパスするのではないかと思っていたら、日本に来てくれる。日米関係を重視してくれる、ということで宣伝をされています。そのクリントンが来て、この協定を調印する、というんですね、突如として。
政治は何をやっているかというと、小泉と麻生がけんかをして、もう米軍再編どころではない。ところが官僚レベルでこういうのが着々と、準備をされている。これは明文改憲を政治家が口にしなくなったから、などという、何か楽観していいなどという話などでは全然ない。こういう状況に今われわれが直面しているということなんです。
もう、時間がないということですので。課題は何か。課題は皆さんが考えてください、というのはいつも僕がやる手なんですけれども、もう時間がありませんので、僕は問題提起しましたので課題は皆さんで考えてください。
あのそれで、それはあさっての会議でも深めていただきたいですが、いま沖縄では色々な闘争に疲れが出てきている。闘争組織の形骸化もすすんでいる。そういうなかで闘争をどう再構築するかという課題があることは、間違いないことだと思うんです。それから、次に(レジュメの)「民主党の沖縄ビジョン」とマニフェスト案、と、なんでこんなのが出てくるのかといったら、民主党は08年の党の方針のなかで党の沖縄ビジョンとして、沖縄の基地建設、たとえば普天間の代替基地を辺野古にもっていくのではなくて、国外移設、という方針を打ち出しました。
どうやらこれは、「すべての武器を楽器に」などといっている喜名納昌吉あたりが、民主党の中でわーわー言ってそうなった節もあるのですけれども、ただしこれは、マニフェスト案には含まれていないのです。政権交代の、その辺を、つまり、特に県外から来ている人、沖縄よりも東京に近い人に考えていただきたいのは、一つはそういうことです。つまり民主党は何をやっているのか。沖縄向けには、今度沖縄ビジョンというのを作って、かつての名護市民投票から、去年の県議会決議にいたるまで、一貫した沖縄の要求、最大公約数的要求ではありますけれども、そういうのを、ビジョンとしては打ち出しながら、マニフェストの中にいれないでごそごそしているのは何なんだろう。しかしこれは矛盾のあらわれでもあるわけで、そこを突いていかない手はない、と思います。
あと、今日の会場では(沖縄の)平和市民連絡会がクリントンの訪日、そしてグアム協定の調印に反対する行動のちらしなども配っています。今日の6時までに、ヒラリー・クリントンへの手紙をまとめて、アメリカ大使館を通して明日中にはクリントンへ届けられることになっていますけれども、そのなかでわれわれが要求していることは、3つです。
これは、色々な人がいて、非常に穏和な要求になっていますけれども。1つは新基地建設、辺野古あるいは高江のヘリパッドの中止要求。それから米軍再編合意のパッケージ取引というのはこれは強者どうしの取引の論理であって、沖縄の民衆は自決権の名の下にこれは認めない。無条件での普天間返還を要求する。それと、米軍基地の一層の縮小、彼らの言っているところの嘉手納以南の米軍基地の返還を含む、を求めるという3つを、声明として出す予定でいます。
あとは皆さんが論議されるなかで、それぞれの行動の課題ということを組み立てていっていただきたいわけですが、私の話が多少とも参考になれば幸いです。
司会:ありがとうございました。では次に琉球大学教授の高良鉄美さんにお話をお願いします。
高良鉄美:ご紹介いただきました高良です。
今日、安保条約と地位協定の問題が沖縄でどのように現れているのか、そして9条の力、9条が関連しているところをご紹介したいと思います。パワーポイントを使って話そうと準備しましたが、パソコンのソフトが合わなくて、急遽やりなおしたので画像だけは何とかなると思います。
まずは帽子の紹介から。国会の傍聴規則に書かれてありましてかなり昔のものですが「帽子、外套、えりまき、かさ、つえ」。そういうものを着用したりすると入れないのですね。高齢化社会で襟巻きも、つえなどもハンディキャップがあっても入れないのかというと、実は憲法調査会の際にもやはり同じ傍聴規則でした、つえは最近抜けたようですけれども。このルーツがどこかというと、実は帝国議会なんです。臣民とわれわれは違うでしょう、と。どうして一度もこれをチェックしなかったのかといいますと、1947年の憲法が施行されて最初の7月1日の傍聴規則制定の議事録を見ましたら、2行でした。「ご提案どおりの傍聴規則でよろしいでしょうか?-異議なし」ということです。結局われわれは臣民と変わらないまま今に来てしまっているということがあって、やはり会議はオープンにするべきではないか、要するに傍聴というのは非常に重要なものです。知る権利です。この知る権利も地位協定ではかなり制約されているということも関連してきます。
知る権利の重要性ということで、沖縄戦のシミュレーションというのはいったいいつできたのかといいますと、日露戦争で日本が勝った時。沖縄戦の始まる40年前ですね。日露戦争で日本が勝ったということで、これにはアメリカはすごく警戒したわけです。そうすると、これはもう、「しょうがない、これは日本と戦争になるかもしれない」と、その時に情報をもう集めていくんですね。1945年にオレンジ作戦計画、オレンジオペレーションというのを作るんです。これが、太平洋の南から島伝いに攻略していくというものです。実際にそうでした。太平洋の南の島から日本の首根っこを押さえるという作戦。それが沖縄上陸作戦まできますけれども、サイパンなど南から行って、結局沖縄の作戦も、分断するということで、沖縄の情報も色々知っているんですね。情報というのは戦争にとって非常に重要で、だから戦争をする前には情報を隠すということになる。情報というのは逆に言うと、全部知られると戦争ができなくなるということが、ひとつの方法かもしれません。そういう意味では情報は非常に重要です。
沖縄戦も、全然知らされていないというのがありますし、もう大本営発表でコントロールされているんですよね。戦艦武蔵を含めて日本の連合艦隊は戦艦大和を除いてほとんど壊滅状態なんですけれども、逆の発表をした、ということです。国民に情報が知らされず操作されて決戦、というところまで行ってしまう。現在は臣民ではありませんので、主権者ということで、情報を収集して権力を監視する、これが非常に重要です。特に戦争を監視する、戦争の準備を監視する、早い段階でのそういうことが非常に重要な意義を持ってくると思います。
憲法ができる際に議論があったわけですが、帝国議会の衆議院で1946年の6月25日から審議されます。その際に芦田均がスタートにあたり言うわけです。「これから審議をしてもらうのだけれども、いったいどんな憲法をつくるのか」ということ。その時に、「憲法というのは戦争に負けたから作るのか?そんなものではないでしょう」というのが彼の演説でした。
つまり議事堂は6月でムシムシしています。1946年ですからエアコンはありません。暑い中で、「窓をあけて議事堂の外を見よ」と。窓をあけますと議事堂は攻撃を受けていません。戦災ではない。ところが外はこういう様子なわけです。そこに見えるのは何なのか。女性ばかりで男性がほとんどいない。いても怪我をしている。戦争がもたらしている「この家はなんだ」。これは壊された家ではなくて建てた家なんですね。中には子どもがいる。子どもと女性の姿が目立っている。その日をどう生きようかと。その姿を見たら私たちがどういう憲法をつくらなければいけないか、分かってくるでしょう、ということです。だから、憲法というのは押し付けとかいうことではなくってこの光景から生まれてきている。そして実はこの光景は、日本だけではないんです。いわゆる戦勝国という、連合国でもそうです。ロンドンの町も空爆を受けました。上海でも、ウクライナでも同じようなことがある。ということは人類共通の根本問題、それが憲法の中で作られねばならないのではないか。
それで何ヶ月も審議されますが、憲法条文は「案」の時から衆議院で17箇条修正されています。2ヶ月かけて、一つ一つの条文をチェックしている。有名な憲法の先生の宮沢俊義さんは貴族院の学識選出の委員でしたが「目からウロコが落ちた。明治時代の憲法と根本から違う」と言っていますね。そういうものがどこから生まれたかというと、戦争の体験から生まれてきたわけです。当時、衆議院の帝国議会から決議がだされます。それは、この憲法はすすんで地球の表面から一切の戦争を駆逐せんとする、というものでこれが憲法9条の根本ですね。こういう高遠な理想を表明したものです。よく「憲法は理想」と言われます。当然です。憲法が理想を書かずにどうするのですか。でも、理想だからといって実現しなかったら意味がない、でも理想だからこそ相当力を入れないといけない。
憲法ができる1年前の沖縄戦の中で、憲法の理念が相当生まれてくるんですね。日本全国同じ体験をしたようなものですが。一体誰が、戦争を始めたのか? 沖縄の人たちは誰も「沖縄で決戦をやろう」とは言ってない。だから「大事なことは皆で決めよう」、これが国民主権の考え方です。そして何が失われたか? 人間の尊厳が失われた。教科書の問題で出ている集団死ということがあります。人間の人権が失われた。だから基本的人権を尊重しようということは当然入ってくる。そしてとにかく正しい戦争と言われようと、報復戦争だからといわれようと、戦争をしたらおしまいだということが沖縄戦から出てくることです。
緑の植物におおわれています。60年以上経つとまるっきり光景は違って青々と緑が出ていてほとんど何もない。これは硫黄島の決戦と同じことで、米軍からすれば自分たちで、“占領”したわけです。この意識で沖縄をそのまま占領していく。米軍統治はそういう考えなんです。だから沖縄の法律よりも米軍が出す命令の方が上だという考えです。この占領意識は安保条約にも出てくる。日本は安保条約だが沖縄は条約すらない。米軍が占領したんだから、という考え方で、安保条約はかかっていないけれど意識はそういうことです。復帰して沖縄が安保条約の下に入っても、やっぱり意識はそのままなんですよ。だから本土とちがうんですよ。
(沖縄の現実:沖縄県の面積2割を、本土の面積2割の図で示す。また県中南部を本土の中央部で図示)
1952年4月28日は安保条約が発効して、対日平和条約も発効して、沖縄が切り離された日です。私が子どもの頃は4.28の行進とかありました。沖縄には安保条約さえ適用がない状態です。安保条約の前には何があったかというと、安保条約を必要とするような状況を作っていった。警察予備隊はアメリカが作っている。ナショナルポリスリザーブというプランを朝鮮戦争が始まる前にアメリカが作っています。そうすると、自衛隊はどこが作ったかというと、アメリカが作っているわけですね。自衛隊が何故できたかというと、つくられたのは安保条約以降です。安保条約ができて保安隊ができて、それから自衛隊になっています。
警察予備隊は安保条約と関係ないように思われますが、じつは安保の最初の体制である旧安保条約は米軍が日本を一方的に守る、という内容です。日本は日本の内部を、国内の治安維持をするために警察予備隊へといった。しかし安保条約になるともう少し規模が大きくなるので保安隊になる。戦車も大きくなり海上まで警備の対象になります。そのきっかけは安保条約です。
警察予備隊をGHQがつくって、それを発展させて安保条約を間において、さらに1954年には日米の相互防衛援助協定が結ばれる。それができたので、そのあと自衛隊に変わる。つまり相互防衛援助協定を結んだために日本も防衛援助をすることになり、保安隊ではダメだ、ということで自衛隊ができました。自衛隊をさらに強くしたいとなると、これが安保改定、現在の安保条約になります。これは日本も防衛義務を明らかにもったということです。そうすると規模も全然変わって来て、防衛義務ももつことになります。
さらに今の安保条約には経済協力も入っています。経済協力が入るとなかなか抜けられない、変えられなくなる。経済をたてに脅されるわけです。現在まで日米間では色々と貿易摩擦もあったが、安保の際に経済のことを言われる、という状況になってきますと、簡単には変えられない。がんじがらめになっていく。日米の運命共同体のようなものがうまれてくる。その後安保は発展していくが、安保条約そのものは実は変わってない。再定義され、再再定義されていく。つまり日米の合意のなかで安保条約(の条文)は変わっていないのにどんどん変わっている。
国民保護法というのがあります。これは消防訓練のようにいっているが違います。空襲のためのものです。沖縄は米軍統治のときに色々こういうのがありました。台風の時にコンディションレッドとかグリーンとかいう訓練です。沖縄のCIVIL DIFENCEといって民間防衛です。朝鮮戦争の時に沖縄から米軍が空爆していますから、報復があったらいけないと、台風訓練の時に電気を消して灯火管制もしました。みなさんが沖縄に飛行機で夜来るとすぐわかることがあります。那覇市にはワーと光が続いていますが、その明かりが北の方にポッカリ空いているところが普天間基地で、さらに大きくあいたところが嘉手納基地です。レーダーを使わなくても分かります。これは電気がついていたらすぐわかるから、バッと消す訓練をしている。今は現実ではないように思われますが、国民保護法の実施となると、すぐそういう管制をすることになります。
アメリカの解釈では安保条約の下ですでに合意になっているということです。安保条約の条文そのものは変わらなくても、どんどん日本の法律で展開していっているということになります。
住民基本台帳法のことでも、11桁の自分の番号。あれだけ法律が問題になったのに国民のほとんど誰も自分の番号を知りません。県外で住民票が取れるというけれどあんまりそういう利用もありません。でも自衛隊がそれをチェックしているようです。昭和50年生まれで男性、と打つと何名、と出てくるわけです。そういうデータを蓄積していくとどうなるか。たとえば戦争に必要な無線免許をもっていて50代の前半、と入れるとぱっと出てくる。これは1938年の国家総動員法であったことなんですね。当然ながら当時はパソコンはないから出せません。何から出すかというと国民職業能力申告令を申告するようになっていた。それで、機関士や無線や運転手などいろんな資格がでてきた。現在はこの申告令は要らない。はじけば指で出て来ます。こういうものも安保体制の下で出てきています。
新ガイドラインの後でできたいろんな法律があります。安保条約をもとに安保再定義をして、新ガイドラインができて、国民が協力するようになった。安保条約は変わっていないけれども国民が協力するようになっている。その時の体制としてどのような能力をもっているか。医師免許を持っていれば一発ですね。そういう形で実は色々な法律が安保条約に関連して作られていっている。
周辺事態法とか武力攻撃事態法などありますが、この法の中に安保条約という文言が入っています。「安保条約に従って」「安保条約に基づいて」、行動する「米軍」に対して支援する、協力をする、と書いてあるわけです。そうすると、本来日本のものではなくって米軍が安保条約に基づいて行動する、と書いてあるけれども米軍はどんな行動をするのか分からない。イラクみたいに米軍が先制攻撃することもあり得る。この先制攻撃に安保条約にもとづいてわれわれが米軍に協力する、というのができているわけです。安保条約というのは国と国との約束となっていますが、全然国と国の約束じゃない。国民、私たちの生活が入っているわけです。本来条約は、個人は関係ないということなのに、安保条約は私たちの生活が入ってしまっています。
さらに、安保条約のもとで地位協定があります。これは実は協定ではなくて条約なんですね。条約何号、となっています。この地位協定と安保条約の下で、25の特別法があります。これ法律ですけれども、その下に取り決め、さらに合意事項、メモ、などというものがあるわけです。この「メモ」というのも大変な、重要な文書なんです。沖縄ですと「5・15メモ」という、1972年5月15日の復帰したときの「メモ」です。
復帰したときの合意メモというのは沖縄の中での米軍の行動や訓練ができるもの、色々なことが合意されている。沖縄の人に関係ないかというとすごく関係ある。いきなり県道が封鎖されて実弾訓練が始まったと。復帰してすぐ、「これ何なんだ」と言うと、「合意されている」という。パラシュート訓練があると「何故ここでやるのか」と言うと、「合意されている」と。どうして沖縄の人に知らせないのか、ということです。
こういったことの頂点が結局は安保条約であり、地位協定です。この中にある取り決めやメモ、これは公開されていると言いますけれどもインターネットで探せばあるし、新聞でも全文でました。あるけれどもこれだけ膨大なもので、普通は何が国民に関係するのかは知らせるべきではないのかと思う。でもそれは、「自分で読めばわかるでしょう」といっても、あんな膨大なもの、むずかしい条文を読むわけがない。国民を中心に考えれば、国民に知らせる、教えるというのはすごく大事なこと。情報というのはそういう意味で非常に大きい。
地位協定の問題はいろいろありますが、色々な面が分からない、難しくなっています。
この写真は毒ガス事故、復帰前です。サリン。VXガス。沖縄のほうがオウム真理教の地下鉄のサリン事件よりずっと早いです。沖縄が原点です。しかもこれが漏れたというのが分かったのは発生して一年後です。それも米軍の機関紙のなかに書かれていた。後で知る。
皆さんツアーに行かれると思いますが、これも「撤去した」とは言っていますけれども、本当に撤去したかというと、分からないと思います。
もっと怖いのは、米軍基地のゲートに怪しい格好をして近づいていくと、もちろん止めるわけです。すると何も質問していないのに「核、ないよ」と言います。エッ?こんなこと聞いていないのにどうして言うのか、と思うわけです。(核が)あるんじゃないかと思うのですけれどもね。こういうものを知らせないということ、毒ガスを撤去したといってもそれでも2年かかっています。米兵がたおれて重症になって新聞にのって、それで初めて沖縄には毒ガスがあったんだ、となる。わからないままずっと暮らしているわけです。ですから米軍基地のところで変な光景があったらちょっと注意をしてください。
サリン事件の調査の時にはカナリアがいました。動物はにおいに敏感です。米軍基地にヤギがいたら注意してください。アメリカ人が沖縄の人みたいにヤギ食べるわけではないですから、これはやはりにおいに敏感だからですよね。非常に異様な光景です。
そういうものも、地位協定で調査できないんです。調査拒否。地位協定の壁があって米軍の管理権だ、となるわけです。中で火事があったりしても化学物質があったら大変なことになるわけです、異臭がしたりして。58号線をずっといくとキャンプキンザという米軍倉庫で火事があった。米軍の消防署よりも沖縄の消防署のほうが近いのでワーと行ったわけですけれど、「入るな」というわけです。どうしてかというと見られたくないのでしょう。「燃えているから消しにきました」というと「もうおさまった」という。「いやおさまってない、燃えているでしょう」と言っても、「おさまった」と言うのですね。それくらいの秘密主義です。住民にも影響を与えることになります。
また火事の場合、普天間基地の反対側にある消防署は、ぐるーと基地を回らなければならず、遅くなってしまいます。これも地位協定の壁です。この調査拒否されたのは93年のことです。2007年5月にも燃料漏れがあった。これも拒否された。現在も復帰前の毒ガスと同じことが、あるわけです。
この写真は嘉手納で、1962年に民家に落ちて7名死亡しています。この6年後、B52が墜落します。B52というのは大型核戦略爆撃機です。核戦略というのは飛行機から撃つか、潜水艦から撃つか、地上のミサイル発射台から撃つか、この3つしかない。大型の戦略爆撃機、日本語では「核搭載可能」と書いているんですね。英語では「搭載可能」じゃなくて、「搭載している」という意味だという発言がアメリカからありました。「核搭載可能」というのはいちいち持ってきて、ハイ載せられるかな、とチェックしている訳でもないし、いちいちとりはずしますかというとそれはめったには取り外しはしないで、載せておく。大型核戦略爆撃機というのは、基本的に核がのっているわけです。
そうすると、嘉手納基地でB52が落ちた。その時米兵はずいぶんあわてたわけです。知っていますから。核兵器はふだんあるんだ、ということです。このあわてた姿をみて沖縄の人はあわてるわけです、分からないから。まさか核兵器が積んであるとは普通思わないですね、当時。ところが、たまたまですが積んでいなかった。普通だったら、沖縄は消えていた、と言っていいと思います。沖縄には復帰前に600発の核兵器があったと新聞報道がありました。600発ではありません、ということが訂正されて一年後にわかりました。1200発です、と。(会場どよめき)え~!ということです。
この写真は沖縄国際大学の事故の現場です。これも地位協定の壁があり調査できなかった。事故の原因を米軍がもっていってしまいました。沖縄は米軍基地の中に浮いているような感じで怖いです。これは普天間の低空飛行の写真です。「操縦士の顔が見える」あるいは「近くの人は石を投げる」といいます。ふつう飛行機に石を投げる人はいないんでしょうけれど、届くと思うような高さに飛んでいます。「燃える井戸水」というのも67年にありました。復帰後の93年にもありました。
最後です。憲法9条というのは、9条がある、というだけではないのですね。平和に生きる権利だけではなくて、個人の尊厳を守り平等を守り苦役からの自由をまもり、こういったこと全部が9条にかかわってくる。いまの「派遣切り」の問題なども、防衛費からみると全然違いますよね。教育も学問もすべて9条に影響してくる。9条というのは9条だけの問題ではなくて、9条が憲法の基本の大きなものをつくっている。これがなくなることによって、ここの意味は全然変わってくる。
終わりたいと思います。どうもありがとうございました。
加藤(司会):
高良鉄美さんの憲法と地位協定、もりだくさんのお話でした。
次は辺野古と高江へのカンパの訴えを。
県外からきた皆さんは明日辺野古と高江にいってこようということになっています。主催者も用意していますがこの場でカンパを集めて送りたいと思いますのでぜひご協力下さい。カンパの間に辺野古と高江の状況を少し報告します。
辺野古はほぼこの一年間、環境影響評価法にもとづく環境調査が行われてきました。現時点でほぼこの環境調査も終結しつつあります。防衛省としてはこのあと、環境影響調査にもとづいて「準備書」というアセス法にもとづく書面を公表する段取りが、整えられつつあるようです。この3月下旬から4月にかけて、これが公表されるでしょう。
この「準備書」は環境影響調査にもとづいて、基地建設による環境影響の予測、環境が悪化すると考えられる場合にその回避、低減、代償措置、どのようなものをとったらいいのかという案を示した文書として提示されます。どうせ今の日本のアセス法というのはいい加減な法律ですから、きちんと環境が保全されるような文書は出てくるはずがありません。この準備書が出た段階で公告縦覧をして、住民が意見を出せる期間が公告されてから1ヶ月半あります。この間にぜひ全国の皆さんが準備書を見て、けしからん、と、こんな基地建設で環境が守られるわけがない、この準備書はおかしい、と環境保全するために環境影響調査を見直すべきだ、という意見を出してほしいと思います。沖縄の運動団体ではいまどのような意見書を出すかを考えていますのでぜひたくさん意見を出してほしいと思います。
環境影響評価というのは手続きの法律ではありますけれども、今は環境の時代です。環境を無視して公共事業をおこなうことはできません。名古屋の藤前干潟の埋め立ても中止になりました。宍道湖の干拓も中止になりました。サンフランシスコではジュゴン裁判が起こっています。この裁判でサンフランシスコの連邦地裁はジュゴン保護のために国防総省はきちんとコンサルテーションしなさい、という命令も出しています。こうしたなかで環境保全という観点からきちんと意見をいうことが基地建設を止めるひとつの力になります。ぜひご協力いただきたいと思います。
私は弁護士で、高江の弁護団もしております。高江は今、一昨年の7月から座り込みしています。それに対して国の側・防衛局が座り込みをしている現地の14人、プラス那覇の運動団体の方1人に対して、通行妨害禁止の仮処分というものを申し立てました。ここの基地建設の現場の入口は県道であったりしています。それで、県道をふさいで座り込んでいるので通行妨害だから立ち退け、という裁判を国が申し立てたわけですが、国がこんなことをするのは前代未聞です。防衛省としてもこんなことはやったことがない、と言っています。
普通ならば機動隊を使って排除するわけですけれども、もっと「洗練」された手口で裁判所を利用して運動を妨害しようとすることが行われようとしています。この審理の2回目が3月23日、3回目が5月11日に予定されています。弁護団もがんばりますけれどもぜひ高江の問題にも注目を続けていただきたいと思います。
鄭旭湜(チョン・ウクシク) 韓国・平和ネットワーク代表
不幸な世紀、アジア人の貴重な財産である日本の平和憲法を守るためのみなさんの努力に尊敬と感謝の意を表します。このような意義深い席に招いていただき、発言の機会を与えてくださったことを光栄に思います。私は今日、主に北朝鮮と日本の関係正常化の必要性について、お話致します。日朝関係の正常化は日本の平和憲法を守る上でも非常に重要な課題であるためです。
東北アジアの情勢が転換期を迎えている。アメリカでは単独主義の象徴であるブッシュ政権が退陣し、多国間協力主義を打ち出したオバマ政権が誕生した。日本は麻生政権の支持率急落と、自民党の内紛、および民主党の浮上によって政治的不確実性に見舞われている。金大中・廬武鉉政権を経て、和解協力段階に差し掛かっていた南北関係は、李明博政権の誕生以降再び葛藤と対決の時代に逆戻りしている。六カ国協議はさまざまな進展があったにも関わらず、核の検証問題をめぐる議論によって将来の見通しが困難な状況だ。また、最近北朝鮮の長距離ロケット発射準備説とアメリカがミサイル防衛体制(MD)を利用し、迎撃に出るという警告が同時に出て東北アジアの情勢をさらに不安にしている。
このように東北アジアの情勢が不安定なもっとも根本的な理由は、ベルリンの壁の崩壊で始まった冷戦の終息が20年近く経ったにもかかわらず、東北アジアのクロス承認の構図は完成されていない点にある。これは東北アジアの平和の重大な条件が朝鮮半島の非核化と平和体制の構築とともに、米朝、日朝関係の正常化にあることを意味している。
日本はなぜ北朝鮮との関係正常化を図らなければならないのか?
では、日朝関係はなぜ正常化しなければならないのか?そして日本はなぜ北朝鮮との国交樹立に積極的に努めなければならないのか?日本の平和憲法改悪の動きが「北朝鮮脅威論」を最大の口実として展開されてきたという点で、米朝関係の改善と正常化は平和憲法を守るためのもっとも重要な条件ともいえる。また、日朝関係の正常化は決して日本が北朝鮮に対して施しをするというものではない。日本にとっては、敵対国のひとつを減らすこと自体が大きな利益だ。その具体的理由は次の通りだ。
第一に、日朝関係正常化は日本の安全保障の不安を解消する上で大きく寄与することができるだろう。米朝間に武力衝突が勃発する場合、それは朝鮮半島に止まらず、東北アジア戦争として飛び火するだろう。したがって、米軍が駐屯している日本はやはり、どのような形態であれ、介入するしかなく、これは、日本も北朝鮮の弾道ミサイルの攻撃の可能性から逃れられないことを意味する。戦争が起こった場合、たとえ可能性が低くても北朝鮮のミサイルが日本の原子力発電所や、東京などの人口密集地域に命中する場合、大惨事が起こりうる。またそれが、北朝鮮の崩壊によるものであれ、戦争によるものであれ、大規模の脱北者が発生するのであれば、日本もやはり難民問題に直面する以外にない。
日本が北朝鮮の脅威に対応する方法は大きく2つある。(1)、膨大な軍事費を投入しMDなど軍事力を備えるということと、(2)、北朝鮮との関係正常化を通じて、北朝鮮が日本にミサイル攻撃をする動機や環境自体を除去することがそれである。どちらの方法がより効果的で、安全で金がかからないかは明らかだ。日本は脱冷戦以降に北朝鮮の脅威に対処するという名分のもとに、膨大な軍事費を支出すると同時にアメリカとの同盟を強化してきた。この結果、果たして日本が安全になったかどうかは、日本自らが、問うて見るべきだ。反面、日本が北朝鮮との国交樹立に必要な戦後賠償金(経済協力金)として推定される70-100億ドルは日本の年間軍事費の約5分の1にすぎない。
第二に、日朝関係の改善は日本のもっとも大きな憂慮事項である拉致問題を解決する上でも寄与することができる。冷戦時代、北朝鮮の拉致行為は明らかに反人道的蛮行であり、したがって、北朝鮮もこの問題解決に積極的にならなければならない。しかし、日本政府は対北制裁を強化し、敵対関係に固執したことが拉致問題の解決の進展をもたらしたのか自問してみる必要がある。北朝鮮が過去の蛮行を謝罪し、生存者5名を送り返したことは、小泉前首相が平壌を訪問し関係正常化推進の合意により可能であった。しかし、その後日本政府の一角と右翼が拉致問題を政治的に利用したことで、状況は一層こじれた。さらに日本の強力な支持者であったブッシュ政権までも日本の反発にもかかわらず、北朝鮮をテロ支援国から解除した。このような脈略から見る時、日本は拉致問題が解決されない限り、対北朝鮮制裁をつづけ、関係正常化に取り組まないという、硬直した態度から抜け出す必要がある。対北朝鮮制裁を解除し、関係正常化論議を始めながら北朝鮮に拉致問題の再調査を要求することがより望ましい接近法ということができる。
第三に、日朝関係の正常化は日本の国連安保理常任理事国入りに有利な環境をつくりだすだろう。日本は国際社会で経済的地位に相応する政治外交的役割と地位を模索してきた。国連安保理常任理事国入りのための努力はこれを象徴的に表している。しかし、日本のこのような目標は、アメリカを除く東北アジアの他の国々から支持を得られないでいる。日本が、過去の侵略戦争と植民地支配によって苦しめられた近隣諸国に対し、謝罪し賠償しようとする努力は途方もなく不足している上に、過去の歴史を美化し、軍事大国化を目指す姿さえ見せているためだ。また日本が安保理常任理事国入りを果たす場合「リトルアメリカ」になるだろうという憂慮にもやはり留意する必要がある。このような状況で、日本が北朝鮮との国交樹立に積極的に出るなら、近隣諸国を含む国際社会に日本を再評価する契機を提供することになるだろう。日本は北朝鮮との国交樹立過程で歴史問題を解決できるさらなる機会を得ることが出来るだけでなく、日朝国交正常化自体が東北アジアを始めとした国際平和に大きく寄与するためである。
第四に、日朝関係正常化は日本の経済発展にも大きく寄与することができる。今日、韓国であれ、日本であれ沈滞期に陥っている経済を再生できる根本的な解決策は東北アジアで巨大な障壁のような存在になってしまった北朝鮮を国際社会に引き出すことにある。また韓国と日本はともに、エネルギー需給体系の大変化と物流輸送費用の削減が切実に要求されているという点を考慮するとき、日朝国交正常化を前後して本格化するであろう東北アジアエネルギー網の建設および、ユーラシア鉄道の建設はそれ自体として、大規模需要を創出するだけでなく、日韓両国のエネルギー安保および物流輸送費用の削減にも大きく寄与できるだろう。また日朝国交正常化の過程で、日本が北朝鮮に提供する戦後賠償金は相当部分経済協力の形態として提供されるだろうし、これは、日本の経済界に少なくない需要活力を呼び起こすであろう。
第五に、日朝関係正常化は日米同盟の柔軟化にも寄与することができる。日朝関係が正常化されるということは日米同盟が共同の敵として想定してきた北朝鮮が平和的に国際社会に編入されることを意味し、これは、アメリカとの同盟をより柔軟で、より危険性の少ない方向に再編できる契機になることができる。健康な日米同盟関係を発展させるためにも日朝国交正常化は必ず必要なのだ。
第六に、日朝国交正常化はアメリカ主導の同盟の硬直性を緩和させると同時に、東北アジア多国間協力秩序を増進させる重要なキーワードとなりうる。韓国と日本では、東北アジア多国間協力体制が「いい構想」だが可能性が低いとして、アメリカ主導の同盟体制に安住しようとする傾向が強い。しかし、すでに六カ国協議では東北アジア平和安保体制の構築を中長期的な目標として設定している。特に、中国とロシアは東北アジア平和安保体制に非常に積極的であり、オバマ政権下のアメリカはやはりアジアで2国同盟関係を超えた多国間協調主義の構築が必要だという立場だ。これに伴い、日本が引き続き、日米同盟だけを信じ、北朝鮮との敵対関係を維持しながら、東北アジアの平和体制の構築に消極的姿勢で臨むなら、日本の孤立状態は一層深刻化するだろう。
最後に、日朝国交正常化は朝鮮半島と日本との過去100年間の非正常的な歴史に終止符を打ち、新しい100年を設計する上で非常に重要な意味をもつ。1905年乙巳条約から始まった日本の朝鮮半島植民地支配は、それ自体が朝鮮民族に大きな苦しみを与えただけでなく、朝鮮半島の分断と戦争の決定的な要因にもなった。特にヨーロッパの戦犯国家であったドイツの分断とは異なり、東北アジアでは日本ではなく、朝鮮半島が分断された。朝鮮民族の意思に反して分断を強要したアメリカはもちろんのこと、共に日本も朝鮮半島分断解消のために、積極的に努力しなければならない歴史的理由があると言える。日朝国交正常化はまさにこのような日本の歴史的責務を果たすという次元でも大きな意義がある。
1965年締結された日韓協定もやはり東北アジアの冷戦の固定化の要因であった。日韓関係を敵対関係から友好関係に変えなければ、北朝鮮―中国―ソ連の社会主義同盟体制に効果的に対処できないというアメリカの判断によって結ばれた日韓協定は、過去の植民地支配に対する謝罪と賠償が充分に行われず、在日コリアンの人々の法的地位補償を韓国国籍保有者に限定し、朝鮮半島の唯一の合法政府として韓国を明示することによって、朝鮮半島はもちろん、東北アジア全体の冷戦体制を強化させた。日朝国交正常化はこのようにいまだ不十分な歴史を清算する新たな機会を提供し、朝鮮総連の法的地位を保証し、北朝鮮を公式的な国家として認定することによって日韓協定体制の問題点を解消することになるだろう。
このように日朝国交正常化は過去100年間の非正常な歴史を正常化させるという歴史的意義をもっている。これは自ずと朝鮮半島と日本の「明るい未来」を設計することにも大きく寄与することができる。日朝国交正常化は、朝鮮半島が日本が憂慮しているような「日本に向かってのびた大陸の刃」ではなく、「日本のアジアとしての平和的復帰を助ける大陸の手」になることに大きく寄与するだろう。日朝国交正常化を通じて、朝鮮半島と日本が敵対関係を解消し、そして平和と繁栄の東北アジアの時代を切り開いていく上で、主導的役割を果たすことのできる戦略的同伴者になるための土台になるであろう。
皆さんこんばんは。私が議員になったのは07年の選挙ですからまだ1期目で、子どもに何を食べさせようかという生協活動からでした。横須賀にいると環境を守るためには平和を抜きに語れないことがわかり、とうとう議員になってしまいました。
横須賀には原子力空母のジョージワシントンが昨年9月25日にやってきました。この日は、地元である横須賀で小泉元首相が次は選挙に出ないことを発表して、報道をそっちの方へそむけようとした日だと思っています。2006年にも自民党が憲法草案を発表した日に原子力空母の寄港が発表され、報道は憲法草案一色で原子力空母はかき消されました。
私たちは原子力空母の寄港に対してどうしようか。横須賀市は、岩国のように住民投票の制度がないので直接請求に取り組みました。1回目はだめだったんですが、空母が入る前にもう一度やろうと2008年の5月に再び取り組んだときには、35万の人口の5万人が署名をしてくれ、大変大きな数になりました。だけど議会は自民党の小泉さんのお膝元ということで、さんざんな結果でした。
寄港前に空母は艦内で火事が起きてしまい、どうなるかと思いましたが、結局1ヶ月ちょっとの遅れで来てしまいました。直接請求だけでなく裁判にも取り組んでいますが、原告適格がない、として取り上げられていません。私たちの町は120年間ずっと基地の町で、米軍に接収されてからも安保という言葉の下に、どんどん横須賀が変わっていることを実感しています。
一番実感するのは、配備されてから実に多くの米軍人や家族が町にあふれていることです。米軍基地は町の真ん中、一番の繁華街と隣り合わせにあります。米軍の方たちも街を楽しみに出て来ます。私たちは空母が来た後もめげずに月曜日と金曜日に駅前でアピールをしています。女性を中心に「いらない原子力空母」という会をつくり、横須賀市民九条の会などの会とともにとりくんでいます。駅前では、たくさんの軍人たちも通りますので、手渡しでチラシを撒いています。めげずにがんばっているということをお伝えしてみなさんへのあいさつにします。
キャンプ座間の前で毎週水曜日の座り込みを続けています。2005年10月から始めています。会の名前は、座り込みを始めるときに警察とのやりとりで「道路は道路交通法があってだめだ」といわれ、「それではあそこのバス停ベンチはどうですか?」と聞いたところ、「バス停は道路ではない」との一言で、バス停ベンチでの座り込みが始まったからです。
ベンチで座っていると寒いから膝掛けをしているといって、「基地はいらない」とアップリケした旗をかけていました。今は色とりどりの旗を基地の土手にバーッと20数枚ひろげて張り付け、夏は日陰で、冬は日が射すところでと、ベンチからも離れて毎回女性を中心に10人ほどで毎週水曜の座り込みをしています。そして毎月第3土曜日には定例デモを続けています。
キャンプ座間には米軍再編で2007年12月に米陸軍第一軍団前方指令部が30人で発足、昨年9月には要員が70人に増強され、最終的には300人といわれています。2012年には陸上自衛隊中央即応集団司令部が配備されることになっています。アメリカの誇る戦争の司令部と陸上自衛隊の海外派兵専門部隊の司令部がキャンプ座間に同居し、すぐ隣にある相模総合補給廠につくられる戦闘指揮訓練センターで一緒に戦争のシミュレーション訓練をして満を持し、改憲もしくは解釈改憲で自衛隊も一緒にアメリカの戦争に出かけていこうというものです。
座間市は米軍再編に反対する自治体として残っていましたが、昨年7月28日に容認に転じました。9月の市長選を前に大きな圧力がかかったものと想像されます。ミサイルを撃ち込まれても反対する、と明言したにも関わらず容認に転じた星野市長の後継者、遠藤氏が市長に当選しています。11月に再編交付金の支給も決まりました。遠藤市長は米軍に対して友好ムードです。第一軍団司令部移駐で町は軍事色が強まっています。軍用車の通行が多くなり、迷彩色の米兵と街中で会うようになりました。昨年2月には銃口が市民側に向けられた訓練が行われ、目撃した市民はもちろんのこと多大な不安と恐怖を市民に与えました。
8月25日には在日米陸軍部隊20人が、相模補給廠から対テロ戦争のためにクウェートへ出動しました。これは日米安保の極東条項を越える出動です。これに対し外務省は「クウェート出動に関し米軍に照会するつもりはない」「米軍の活動は日本の安全に寄与し、国際の平和および安全維持に寄与しているため、極東以外の範囲を超えていてもそれについて言わない」「事前協議がなかったということは事前協議が必要なことはなかったということだ」と私たちに口頭回答し、見ざる聞かざる言わざるの姿勢を決め込んでいます。
ソマリア沖派兵、派兵恒久法がすすむことは、座間の状況を考えると危険きわまりないことです。私たちは国会議員にも働きかけ、キャンプ座間での安保条約を無視した基地機能強化に、“この町から戦争にいくな”という大きな声をあげつづけたいと思います。この米軍再編はアメリカの戦争政策により多く加担することであり、日本の戦争準備です。それが私たちの町ですすんでいます。まさに平和のうちに生きることを願う平和的生存権の侵害が進行しています。沖縄と連帯し、米軍再編見直しが国会の中で論議されていく機運をつくりあげていきましょう。
はじめまして。習志野基地のある船橋市からまいりました、市民ネットワーク千葉の政策秘書をしています吉澤です。
先ほど横須賀と座間の活動を紹介いただきました。ちょうど米軍再編という動きの中で、米軍よりの部分が神奈川県そして沖縄であるとするならば、米軍再編は自衛隊再編に他なりません。自衛隊が米軍とともに国内だけでなく積極的に海外へ戦力を展開していく、米軍再編、自衛隊再編の自衛隊側の中心が実は千葉県です。ジョーワシントンは単なる原子力空母ではありません。ミサイル防衛全体の統御的機能をもっている巨大な情報ネットワークの中枢としての働きをもち、周辺にSM3ミサイルを搭載したイージス艦を配備して日本とアメリカが合同して行うミサイル防衛の、まさしく海に浮かぶ中枢となるものです。
座間に来た米陸軍前方司令部は、2012年に中央即応集団の本部と合体します。中央即応集団は防衛大臣の直属部隊としてテロ、有事、そして海外派兵の最前線をになう部分です。その中央即応集団の3つの部分が千葉県にあり、その最前線をはしる特殊作戦軍という300名の部隊が習志野基地にあります。どんなときにも目出し帽をかぶり素顔を見せない秘密部隊が特殊作戦軍です。
習志野基地には2007年11月29日、私たちの反対を押し切ってミサイル防衛のための、地上からの迎撃ミサイル・新型PAC3が強行配備されました。首都圏の4つの基地にも配備が終わり、この2月中にも岐阜県の各務ヶ原にも配備され、さらに年内に三重、滋賀にも配備されようとしているところです。今年11月には中央即応集団の300名の特殊作戦軍と、2200名の第1空挺団の即応性を担保するための新型の弾薬庫を、21倍の規模で一気につくろうということが密かに進行していることが分かりました。
この米軍再編にともなうPAC3配備と、中央即応集団のための新しい弾薬庫の建設は、単に憲法9条が禁じている集団的自衛権の行使を踏みにじるだけではありません。PAC3ミサイル1発5億円と、私たちは算定していましたが、新しい算定基準で見ましたら7億円となりました。昨年11月に見事に失敗したSM3ミサイル実験は、1発20億円です。それを2発使い60数億円を使って、学芸会みたいな失敗劇を演じました。こうしたミサイル防衛に最終的には6兆円もの税金が使われようとしています。憲法25条が認めている生存権を、一方であれほど踏みにじりながら、全世界の安全保障のバランスを軍事優先に変えていくミサイル防衛に、何と6兆円とは許されるものではありません。
さらにPAC3配備、弾薬庫の建設、沖縄での辺野古、高江をみても、地方自治の本旨を踏みにじっているではありませんか。憲法92条が認めている地方自治の本旨を踏みにじり、憲法を全体的に骨抜きにしているのが、米軍再編・テロとの戦いを名目にした税金と軍事利権をつぎ込んだ事態の進行です。
PAC3は配備されましたけれど、私たちは千葉県で弾薬庫の建設阻止に向けて全力で闘っています。神奈川県の人たち、そして沖縄のみなさん。ともにがんばって米軍再編の進行を、人類全体の尊厳を守るために阻止していきましょう。
司会・原田惠子:みなさん、ありがとうございました。いろんな取り組みを知ることが出来ました。今日知った報告をまわりにひろげていただきたいと思います。
集会に来られない方はいろいろな事情があります。私の友人も2年前まで改憲反対の運動をすごく元気にしていましたが、病気になって寝たきりです。自分は何の運動も出来ないと嘆いていましたが、それでも一緒にたたかっていける運動はないものかと、大阪でも意見広告にとりくみました。声をあげたくても上げられない方、このところの経済状況の中で集会に来たくても来られない方、休みがとれない方、そういう方がいっぱいおられます。そういう方に、得られたものを分け合い、ひろげていくことが大事だと思います。
今日は本当に長い間ありがとうございました。
3月20日午後2時から、東京・中央区の坂本町公園でWORLD PEACE NOW3・20の集会とパレードが行われた。集会には600人を超える市民と労働者たちが参加し、銀座から日比谷公園までのデモを行った。
米国のブッシュ政権が「テロとの戦い」を叫び、アフガニスタン戦争を開始して7年あまりが経過し、イラク戦争もこの3月20日で開戦から6年が経った。この間、イラクでは数10万とも100万ともいわれるイラク市民が犠牲となり、イラクの国土も途方もない破壊が行われた。アフガニスタンでも戦闘が激化し、市民の犠牲も増えつづけている。オバマ新大統領は、イラクからの撤退とアフガニスタンへの兵力増強を唱えているが、それでは戦争の終結は不可能だ。
昨年暮れからイスラエルが行ったパレスチナ・ガザ地区に対する攻撃で1300人以上の死者を含め7000人以上の市民が被害を受けた。私たちは、この野蛮な殺戮を許すことはできない。イスラエルはパレスチナ占領をやめ、真に公正で永続的な和平をすべての当事者とともに受け入れるべきだ。
日本政府は、イラクから自衛隊を撤退させたが、アフガン空爆に向かう米艦等への給油は続けており、洋上給油は実質的な米軍の戦争への支援・参加にほかならない。
日本政府はまた、「海賊対策」と称してソマリア沖への海上自衛隊の派兵を強行した。これは憲法に抵触し、「専守防衛」を前提にする自衛隊法も逸脱している。「海賊問題」は、ソマリアの内戦による無政府状態と、漁民などの貧困に根本原因がある。それを放置して安易に軍隊を派遣しても、解決にはならない。
この日の集会は司会を市民連絡会の土井登美江さんが行い、最初にJIMネットの大嶋愛さんが、アメージンググレイスに峠三吉さんの「人間をかえせ」の詩をつけた歌と、イラクの女の子が書いた詩に曲をつけた「青い空と白い鳩」を歌った。
「ガザに光を! 実行委員会」からはパレスチナで活動する日本国際ボランティアセンター(JVC)の藤屋りかさんと「パレスチナ子どものキャンペーン」の大河内秀人さんがスピーチ、つづいて最近もガザを取材した志葉玲さん(ジャーナリスト)と、アフガンで活動するNGOの長谷部貴俊(JVC)さんが発言した。詩人のアーサー・ビナードさんのスピーチのあと、横須賀原子力空母反対運動にとりくむ三浦地区労の小原事務局長が発言した。
パレードは大虹旗を持った子どもたちを先頭に、「アフガンから多国籍軍の撤退を/イラクから占領軍の早期撤退を/いますぐパレスチナに平和を/ソマリア沖への自衛隊派兵反対/自衛隊は戦争協力するな/自衛隊海外派兵恒久法をつくるな」のシュプレヒコールをあげて3キロあまりを行進した。
私たちは、ヒロシマの軍事拠点化を問い、自衛隊の海外派兵に反対し、国際平和都市ヒロシマの真の姿を追求し、20年にわたって活動を続けています平和市民団体ピースリンク広島・呉・岩国です。
政府は昨日、安全保障会議と閣議を開き、自衛隊法82条の海上警備行動の発令を承認し、浜田防衛大臣は海上警備行動を発令し、本日3月14日、海上自衛隊呉基地を定系港とする護衛艦「さみだれ」「さざなみ」の2隻を「海賊対策」と称して、日本から遠く離れたアフリカ・ソマリア沖への派兵を麻生総理も見送る中、強行した。このことに対して強く抗議する。
また、あらゆる国籍の船舶を保護できるようにし、また武器使用基準を緩和する「海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法案」(海賊対策新法案)を恒久法案として閣議決定し、今国会での成立をめざしている。自衛隊法82条の海上警備行動で規定する正当防衛と緊急避難に限りみとめられた武器使用を、海賊対策新法案では海賊行為を制止するため海上保安庁法を拡大し、自衛隊にも船体射撃を認めるなどこれまでの自衛隊の海外作戦で制限してきた武器使用が緩和され、海外で自衛隊の武力行使へと道を開くものである。これはこれまで建前としてきた「専守防衛」を逸脱し、「海賊対策」をてこに「海外派兵恒久法」の第一歩といえる。事実上、そこにはもはや憲法第九条の精神は押しつぶされていく。私たちはこの海賊対策新法案の廃案を求める。麻生内閣が海賊対処法案の成立を待たず、こうした見切り発車で派兵を強行する背景には「まず自衛隊派遣ありき」とする前のめりの状態にあることを明白に示しています。
いうまでもなく、海賊行為は犯罪であり、その対策は海で警察業務を行う海上保安庁の仕事です。実際、今回の派遣に対しても、海賊に対する警察司法業務は同乗する海上保安官8人があたることになります。それではなぜ、派遣されるのが海上保安庁ではなく自衛隊なのか。自衛隊にとっても大変危険な任務になるため、昨年「訓練」中に死亡事故のあった、江田島にある特別警備隊も同乗します。このことは自衛隊員の命にかかわる重大な問題です。
そもそも、ソマリアの海賊問題は、欧米各国が介入した内戦による無政府状態の中、漁民の困窮や大国の海洋支配への反発が根本原因であり、この問題の解決なくして「海賊問題」の解決はありません。日本政府は、アフリカ・中東諸国の和平努力に協力し、この地域の平和と安定の為にあらゆる平和的援助をすべきです。
また、現地の状況を理解しているイエメンの沿岸警備隊作戦部長は「海上自衛隊への支援の高い効果は期待できず、必要はない。むしろわれわれの警備活動強化への支援がほしい」として、部隊の基地となる港湾の新設、高速警備艇の導入、海上保安庁による技術指導などを要請しています。東南アジアのマラッカ海峡では、数年前から日本の海上保安庁も参加して近隣諸国で海賊対策がとられ、海賊の出没は急減しています。このアデン湾でも海賊対策の国際協力が動き出しています。
海外派兵の恒久化につながる平和都市ヒロシマからの派兵は許されません。麻生内閣の「まず派兵ありき」の海賊対策に強く抗議します。武力で平和はつくれない。軍艦の派遣ではなく平和的な民生支援を改めて訴えます。
2009年3月14日
入れるな核艦船!飛ばすな核攻撃機!ピースリンク広島・呉・岩国(28団体)
カトリック正義と平和広島協議会、共育・共生を進める広島連絡会、呉教育労働者研究会、呉ピースサイク、呉YWCA79女たちから、8・6広島集会世話人会、芸南火電阻止連絡協議会、原発はごめんだ!ヒロシマ市民の会、在日韓国青年同盟広島県本部、更紗の会、市民運動交流センターふくやま、障害者サポートセンターTOGETHER広島、ストップ・ザ・戦争への道!ひろしま講座、全国水平運動研究会、第九条の会ヒロシマ、毒ガス島歴史研究所、トマホークの配備を許すな!呉市民の会、広島キリスト者平和の会、広島平和と生活を結ぶ会、日本キリスト教団広島西分区牧師会、日本軍「慰安婦」問題を考える会・福山、広島YWCA、ピースサイクル広島ネットワーク、日本キリスト教団西中国教区基地問題特別委員会、平和を考える市民の会・三次、米兵犯罪を許さない岩国市民の会、 わたしたちの性と生を語る会・広島 リムピース岩国
海上自衛隊の護衛艦2隻が14日にソマリア沖へ向けて出発した。さらに麻生内閣は一般法としての新法「海賊処罰取締法」と称する、海賊対策に名を借りた憲法違反の「海外派兵恒久法」をも今国会で成立させようとしている。
この背景にはイラク、アフガニスタン情勢の変化のもとで、「なにはともあれ自衛隊を派遣したい」との日本政府の強い願望がある。国連安保理では08年6月と10月に、日本政府が共同提案国になった「海賊対策決議」が行われ、12月にはソマリア領土内で「あらゆる必要な措置をとる」ことを求める決議がだされた。海賊対策は第一義的に海上保安庁の責務である。にもかかわらず政府は、欧米諸国や中国などの艦艇派遣を引き合いに出して「派兵で肩を並べる」ことを目的に、自衛隊法82条を適用して、海自艦を領海内からはるかに遠いソマリア沖に派兵しようとしている。しかしそれは、「専守防衛」を前提にしてきた自衛隊法の立法趣旨を逸脱するものである。また、小型の火器しか持っていない漁民などの「海賊」に重武装した自衛艦による軍事行動を対置するのは、憲法第9条の精神に真っ向から反するものと言わなければならない。先般来日した隣国イエメンのアルマフディ沿岸警備隊長をはじめ、各方面から、海自艦の派兵が海賊対策に役立たないとの指摘もされている。麻生内閣の立場は「まず派兵ありき」の極めて危険な動きである。
そもそもソマリアの海賊問題は欧米各国の介入がつくり出したソマリアの内戦による無政府状態と漁民など住民の貧困、大国の海洋支配への反発が根本原因であり、この解決なくして「海賊問題」の解決はない。いまソマリアの近隣諸国は海賊対策で海上での警察力を強化しようとしている。憲法第9条をもつ日本の政府がまずなすべき事は、アフガン戦争以来、極めて安易になった列強の軍事介入に加担することではなく、アフリカ諸国の和平努力に協力し、沿岸諸国の自主的な努力に協力し、この地域の貧困と破壊を食い止めるためのあらゆる可能な平和的援助の努力である。
麻生内閣の「まず派兵ありき」の「ソマリア海賊対策」に反対する。
自衛隊法82条を適用した海上警備活動派兵は行うべきでない。即刻撤退させること。
海賊対策に名を借りた憲法違反の派兵法「海賊処罰取締法」に反対する。
武力で平和はつくれない。軍艦の派兵ではなく、平和的な民生支援を。
大分県教委は10日、勤務評価を人事や給与面での処遇に反映させるため、新しい教職員人事評価システムを10月から「試行」することを明らかにした。私たちは、このことが県教委の汚職事件を狡猾に覆い隠し、大分県の教育を破壊する暴挙であるととらえている。そもそも件の汚職事件は大分県教育委員会が採用に際して不正を働いたものである。問題をすり替え、個々の教職員に対する締め付けをすることで、「幕引き」を対外的にアピールするものでしかない。
教育は自由な空気の中でこそ花開く。しかし、2006年には教育基本法が愛国心の押しつけを盛り込んだものに改悪され、以前にも増して教職員に対する統制が加速している。人事評価システムによる教職員の差別化はその象徴的なものである。これにより、本来協働により成り立つであろう子どもたちへの教育活動が破壊されることは明白だ。このことは先の戦争に突入する時代に、国による教育への介入が、まず教職員の差別・分断・思想統制によって行われたこととも無関係ではないだろう。それは、中山成彬元文部科学大臣が「日教組の強いところは学力が低い」「日本の教育の『がん』である日教組(日本教職員組合)をぶっ壊すために、私が頭になる」と述べて悪名高き全国学力テストを一斉に実施したことや、麻生太郎首相が「我々は教育基本法を変え、いい加減な教科書を変えた。相手の方はご存じ日教組。私どもは断固戦っていく。それが自民党だ」と述べたことと軌を一つにする。教育という営みを政争の具にした許されざるべき行為であり、平和で民主的な国家を目指そうとした日本国憲法がその第28条で保障している「勤労者の団結する権利」を踏みにじるものでもある。
子どもたちの人格の完成や健やかな成長にとって、安心して自信を持って日々の暮らしを送っていくことこそが大切である。他の先進諸国に比べても劣悪な環境に子どもや教職員を置いておきながら、自らの愚策は棚に上げて無用な競争を強いるなど、厚顔無恥も甚だしい。今回の新しい教職員人事評価システムは、教職員を萎縮させ創造的な教育活動を奪うことになるだろう。一番の被害者は子どもたちである。
私たちは「新しい教職員人事評価システム」の導入に断固反対するものである。
2009年 3月15日
憲法・教育基本法改悪に反対する市民連絡会おおいた
2009総会に