私と憲法(2009年2月25日号)


改憲反対運動の新しい段階と、反戦・反安保・反基地をいかに闘うか

第12回全国交流集会は13日の公開講演会、14日の嘉手納・辺野古・高江のスタディツアー、そして本日午前の各地の報告と、すでに大きな成功を収めつつある。午後は、これからの運動のあり方をめぐる討議でさらに大きな成果を上げたい。

(1)まず確認したいのは「90年代9条明文改憲運動」との闘いの「勝利」のについてだ。改憲の危機感を煽って運動を進めるだけではダメで、私たちは成果は成果として確認し、確信を持って運動を進めていきたい。今国会での麻生首相の施政方針演説には改憲の「か」の字も出てこない。安倍内閣当時との大きな変化だ。この変化をつくり出した力は全国7千数百の「九条の会」をはじめとする、さまざまな民衆の改憲反対の運動であり、それが世論をつくり出した。その反映は08年の新聞の世論調査であり、イラク派兵差し止め訴訟の名古屋高裁判決であり、9条世界会議の圧倒的な成功だ。

(2)それだけに改憲派は「解釈改憲」にシフトし、9条破壊をすすめようとしている。明文改憲を言い出せなくなったが、アーミテージレポートの「1」と「2」が指摘していた「集団的自衛権が行使できる日本」への米日支配層の欲求はなくならない。それだけにさまざまな戦争法の準備と軍事力の強化が進められている。新テロ特措法延長の強行、ソマリア海賊新法、集団的自衛権の解釈変更と、派兵恒久法。米軍基地の再編強化と日米軍事同盟の強化など作戦能力の向上など。

(3)この全国交流集会の歴史。
第9回広島集会の「9条と24条」、第10回大阪の「9条と25条」、第11回東京の「9条を世界へ世界から」(9条世界会議協賛)につづいて、2010年の日米安保条約50周年を前に、このテーマのもとに沖縄で開催することの意味は極めて重要な意義がある。9条の世論を平和的生存権の実現へ、9条と基地、安保問題の結合を。憲法12条はこの基本的人権を実現するのは国民の不断の努力にかかっていると言っている。

(4)解釈改憲攻撃の新段階。オバマ政権のもとで米軍基地の強化と日米同盟の強化が強まる可能性が濃厚だ。来年の日米安保50周年を機に、安保の50年を総括し、暴露する闘いが重要になっている。

(5)運動論でいえば、「九条の会」で「すべて」をやる考え方の誤りの問題。九条の会が実現した幅広いネットワークの形成という高地を生かして、そのもとで反戦・反安保・基地撤去をたたかえる市民運動を強化し、共同を強化しよう。

総選挙についていえば、私たちは政党と市民運動の間の緊張関係を保ちながらも、憲法を破壊し、戦争のできる国づくりをすすめてきた自民・公明与党を打ち破り、衆議院でも与野党逆転を実現するために、野党、とりわけ「護憲」を掲げる野党と候補者を支持して闘うことが重要だ。私たちは2大政党制に賛成しない。多様な市民の要求は2つの政党で吸収されない。(第12回全国交流集会3日め午後の討議への問題提起・要旨/高田健)

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「第12回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会:憲法9条を燦々と、沖縄から基地・安保体制を問う」の成功の画期的な意義

2月13日~15日、沖縄県那覇市を中心に「第12回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」が「憲法9条を燦々と、沖縄から基地・安保体制を問う」をテーマにして開かれた。交流集会は北海道、東北、関東、中部、関西、中国、九州など12都道府県からの参加で、13日の公開集会には180名の人々が出席し、新崎盛暉・沖縄大学名誉教授、高良鉄美・琉球大学教授と韓国からのゲスト、チョン・ウクシクさん(平和ネットワーク代表)の報告と、本土のいくつかの反基地闘争現場からのアピールをきいた。

14日は参加者は2台のバスに分乗して、嘉手納の安保の見える丘、名護市辺野古のヘリ基地反対運動のテント村、東村高江のヘリパッド基地反対闘争の現場を訪れ、住民の皆さんと交流した。

15日午前は全国交流集会として、冒頭に琉球大学准教授の山口剛史さんから「教科書問題から考える過去の戦争と現代の戦争」と題して発題していただいた後、韓国のチョン・ウクシクさんから韓国の反米軍基地運動の報告を受け、全国各地の運動の報告があった。午後は冒頭に市民連絡会の高田健から今後の運動についての問題提起があり、熱心な討議が行われた後、「全国交流集会アピール」が提案され、拍手で承認をえた。憲法9条と安保・沖縄問題を結びつけて闘っていく上での画期的な全国交流集会になった。

以下、それぞれの報告である(講演などの詳細は次号「私と憲法」に掲載の予定)。

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13日、那覇で180名が参加して、新崎盛暉、高良鉄美、チョン・ウクシク 各氏の講演と、横須賀、座間、習志野の反基地運動の報告

13日にはてんぶす那覇ホールで、公開講演会がひらかれた。初めに主催者の高田健さんから「政府はいま明文改憲を公然とは言えなくなっているが、解釈改憲の動きは続いている。沖縄の問題を憲法の重要な課題としてとりくんでいこう」と挨拶があった。

新崎盛暉さんからは「沖縄から憲法・安保・基地を問う」と題して講演が行われた。象徴天皇制と憲法の絶対平和主義、そして沖縄の分離軍事支配が一体となる状況下で、占領政策の一環として日本国憲法が成立した歴史、安保条約のもとに在日米軍基地を自由に使うための抜け道として沖縄が使われ続けてきたこと、そして沖縄が返還されたのは平和憲法の空洞化しつつある日本へであったこと、など歴史的な視点からお話しいただいた。その後、現在の状況について、明文改憲状況は後退し米オバマ政権で大きな変化が起きるような幻想がふりまかれているが、現実には辺野古や高江など新基地建設への動きやグアム移転協定問題等は、むしろ進行している実態が問題提起された。

続いて琉球大学の高良鉄美さんから「憲法と安保条約・地位協定」についてお話しいただいた。高良さんは、戦争を起こさせないために知る権利と情報が重要であるとまず訴えた。そして戦争の経験を背景とした憲法制定の議論がどのようなものだったか、芦田首相の演説をひいてお話しいただいた。戦後の再軍備に始まり経済協力まで含む安保条約を通じて「運命共同体」とでもいうべき日米関係がつくられ、安保条約の条文は変えないままに周辺事態法等により日米の軍事一体化が進行してきていること、沖縄国際大への墜落事故などを例とした地位協定の問題点、そして憲法9条は9条だけの問題ではなく憲法の大きな基本であることを強調してお話を終えられた。

韓国のゲスト、鄭旭湜さんからは「日朝関係と東北アジアの平和」をテーマとして、東北アジアの情勢が転換期を迎えており日朝関係正常化が日本にとって大きな利益となることを、安全保障の不安解消・拉致問題の解決・国連安保理常任理事国入り・日本の経済発展・多国間協力秩序の構築、等の視点からお話しいただいた。加えて、朝鮮半島の分断の歴史を終わらせるため努力すべき日本の責務についてもふれられた。

講演の間に加藤裕弁護士から、辺野古でこの一年間行われてきた環境影響調査に基づき近く出される準備書に対しぜひ多くの批判の声をあげていこうとの呼びかけ、そして高江ではヘリパッド反対で座り込みをしている15人を通行禁止の仮処分で国が訴えるという前代未聞のやり方が登場しており今後もぜひ注目してほしいとの訴えが行われ、会場からは7万円を超える支援カンパが寄せられた。

その後、各地からの報告が行われた。原子力潜水艦の母港化とたたかい続ける横須賀からは市議の瀧川君枝さんが「今も続けて街頭で毎週アピールしています」と元気な声を、神奈川・座間市から参加した「バスストップから基地ストップへ」の藤谷操さんたちは、バス停で掲げる「だまっていたら百年先も基地の町」等のパッチワークを持って、市長が基地容認に転じて町の軍事色が強まり市民に銃を向ける訓練が行われている現状から、派兵恒久法の危険を訴えた。最後に、自衛隊再編の拠点とされている千葉からは、習志野基地のPAC3配備に反対する「市民ネットワーク千葉」の吉沢弘志さんが、ミサイル防衛に6兆円もの税金が使われ地方自治を踏みにじっていること等を訴えた。

会場では来日するクリントン宛てメッセージをとの呼びかけも行われ、盛り沢山な一日だった。(前田かおる)

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全国交流集会2日目(14日)は辺野古、高江などのスタディツアー

朝8時半、食事を済ませて宿泊ホテルの前から2台の大型バスに分乗して約60名で出発。それぞれにガイドさんがついてくれた。1号車は元教員の与儀喜一郎さんで、私がお世話になった2号車は弁護士で憲法普及協議会事務局長の加藤裕さん。

バスは新都心から高速道路に入り、嘉手納基地へと向かった。ガイドさんから基地が存在するために起こった米兵による事件のさまざまや、「思いやり予算」の使途などの説明を聞きながら、「安保の見える丘」に到着。嘉手納基地を見下ろしながら説明を聞いた。ここから軍用機がイラクへ出て行ったこと。クラスター爆弾やナパーム弾の投下訓練がやられていること。核兵器が貯蔵されているということ。思いやり予算でさらに米兵のための施設がつくられているということ等々。雨が降ったり止んだりする天気の中での見学だが、目の前に巨大な物体が不気味に横たわっている米軍基地をみんなで眺めていた。

再びバスに乗り、辺野古に向かう。辺野古ではヘリ基地反対協の安次富浩共同代表が待っていてくださった。安次富さんから詳しく闘いの経過と現状報告を聞いた。V字型滑走路の予定地はジュゴンが食料を求めてやってくる藻場であり、ジュゴントレンチ(はみ跡)が確認されていることなどもうかがった。私たちからは昨日の集会や全国から寄せられたカンパをお届けし、皆で昼食を取りながら座り込みをした。

思いもかけず、希望者には体を張った海上の闘いで使っているカヌーに乗せてもらえることになった。救援にも使うというゴム製のものだ。船を操ってくれたのは「基地をなくしたい」というお母さんの願いを聞きながら育ったという若い女性。「専門の人に訓練を受けた」と言いながら巧みに操る。ボートは左右に揺れ、緊張した。きれいな海だ。すでに雨は上がっていた。

高江へ向かった。
米軍北部訓練場には5つのダムが点在しており、沖縄島の生活用水の60%をまかなう貴重な水源地だ。そこに投棄された弾薬類が1万発以上もあり、さらにここではベトナム戦争時には枯れ葉剤を散布していたことも明らかにされた。ヘリパッド建設によってさらにダムが汚染されることは明らかだ。私たちはN4ゲートにつくられた「ヘリパッドいらない住民の会(通称:ブロッコリーの盛りを守る会)」の座り込みテントに案内された。迎えてくださった方は、ここから400メートル程離れた集落で島米や野菜作りで生活を立てている地元の村民と、那覇から座り込み当番で来ている若い女性だ。

東村高江は人口約160名の小さな集落。「夜もヘリが低空飛行で家の上を跳ぶ。大爆音と共にヘリコプターが間近に現れる」という。北部訓練場は世界一のジャングル戦闘訓練場として使われている。ゲリラ戦やサバイバル訓練をする。日米政府は1996年のSACO合意によって、海からのヘリ進入路を建設することに合意した。

やんばるの森はヤンバルクイナやノグチゲラなど、世界にも珍しい動植物の宝庫だ。防衛庁はノグチゲラの産卵期間中は工事を控えると約束しておきながら、夜間に侵入して測量をやった(産卵期は特に敏感になるのに)という。

小さな集落の人々が各地の支援を受けて、建設を阻止するために24時間体制で座り込みをつづけているのは大変なことだ。08年12月16日には防衛局が高江住民15人に対して那覇地裁に通行妨害排除の仮処分申し立てをした。そのなかには8歳の子どもまで入っていた。住民の方から「私たちは生活道路だ」ということを主張し、座り込みを闘っているという説明をうけました。テントでは畑でとれた大根やジャガイモ、タマネギなどの野菜や、ピースマークをモチーフにやんばるの豊かな自然を描いたTシャツなどの販売をして、カンパを呼びかけていました。ここでも私たちは多くの皆さんから預かってきたカンパをお届けした。

15時30分頃、私たちは高江での学習・交流を終えて那覇に向かった。車窓からはブロッコリーの森と呼ばれるブナ科の植物など、やんばるの原生林が次々と続いて目に飛び込んでくる。美しい亜熱帯のさまざまな植物に見とれた。峠を越えるとバスは西海岸をくねくねとすすむ。沖縄でマングローブを見たのは初めてだった。「ロケーションが美しく、変化に富んでいるので、ツーリングの人々が好んで走る海岸線です」とガイドさんのコメントがあった。緑豊かなやんばると美しい沖縄の海を破壊させてはならないとあらためて思う。

途中、「道の駅」などで休憩をしながら那覇の交流会の会場のホテルに19時ちかくに到着した。夕食を兼ねた交流会には沖縄ピースサイクルの仲間たちも合流した。1人2分スピーチと短いけれども沢山の仲間たちの参加をお互いに知る場にもなり、よかったと思う。盛りだくさんの企画を準備してくださった山吉さんをはじめ沖縄の実行委員会の皆さん、ありがとうございました。(中尾こずえ)

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15日、交流集会~相次いだ全国各地の多様な運動の元気な発言~琉球大学の山口剛史さんも問題提起

3日目の交流会は、午前中を松岡幹雄さん(とめよう改憲!おおさかネットワーク)、午後を筑紫建彦さん(憲法を生かす会)の司会ですすめられた。

はじめに山口剛史さん(琉球大学教育学部准教授)が「教科書検定問題を通してみる過去の戦争と現在の戦争」と題して30分ほど報告した。報告の1つは、沖縄戦の集団自決の教科書検定にかんして、2007年に116000人の県民大会を闘った枠組みを維持しながら智恵をこらして運動をすすめていること、次の教科書採択では中道的な教科書づくりを目ざしている八木秀次らの「改善の会」の中学校社会の採択が広がる危険性を指摘した。2つめは歴史歪曲のことで、沖縄戦の犠牲を避難計画がなかったからとして、だから有事法制が必要だという議論に導こうとしている傾向があることを批判した。

つづいてゲストのチョン・ウクシクさん(韓国・平和市民ネットワーク代表)が、沖縄基地を見た感想などを交えながら、韓国での東アジアの平和に関する活動や日本の平和憲法との連帯活動について報告した。また、在韓米軍基地についてはピョンテクの米軍基地建設の完成がどんどん遅れていること、建設費用の韓国負担が増大し政府が批判にさらされていることにふれた。そして会場からのいくつかの質問にも答えた。

糸数慶子・参議院議員(無所属)もかけつけ、全国から来た市民が沖縄基地の実際を見たことを歓迎し、自らも沖縄にこだわって国会活動を続ける決意を披露した。

午前中は各地の活動報告を中心にすすめられた。基地関連では、釧路から、北海道別海町にある矢臼別の日本最大の自衛隊演習場で97年から行われている米軍の実弾演習がより実戦に近くなり、公開日もなくなったことの報告があった。米第1軍団が来ている座間からは、相模原補給廠も座間基地も米軍は一体として扱い、直接戦地に発進していること、千葉からはPAC3の配備反対のとりくみ、横須賀からは原子力空母母港化に反対する住民投票や基地外住宅、米軍観光による町おこしの問題などが報告された。岩国からは新しく爆音訴訟に取り組む準備の報告もあった。

昨年5月の「9条世界会議」に向けての各地での苦心談も、生々しい報告がいくつも行われた。5・3や11・3の憲法集会への取り組みや意見広告、各小学校区に九条の会をつくる運動への挑戦と難しさ、講演会や学習会、署名や街頭宣伝をはじめとした日常活動が話された。また有事法制の具体化である県民保護条例の実動訓練への対応、東京大空襲訴訟にとりくんだことで戦争を伝えていく基盤が出来たことなどのほか、戦争政策や人権侵害についてできるところから行動していることが報告された。沖縄からは辺野古基地建設反対の闘いなど、クリントン米国務長官来日で、米軍のグアム移転と辺野古新基地建設の促進の政府間協定への抗議行動が報告された。また市民への憲法普及のための「本」作りの取り組みも報告された。

課題としては若い人への参加を呼びかけることや、基地問題の取り組みの中から“基地問題は国の専管事項”なのか、という問題も提起された。

こうした報告がされた後、午後からは高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)から問題提起が行われた。その後、自由討議を行った。

討議はソマリアへの自衛隊派兵の課題から始まった。この課題では情報不足もあるが、明確に反対の声をあげること、行動しながら市民と対話し学習して深めていくことが必要ではないかとないうことになった。このほか様々な発言が実に元気よく行われた。教育と教科書問題、監視カメラ、格差・貧困問題、定額給付金、ジュゴン訴訟をはじめとする基地関連の課題、課題山積の中での闘い方、さまざまな課題とのつながり方などなど時間はあっという間にすぎた。

最後に渡辺多嘉子さん(キリスト者平和ネット)がアピール(本誌別掲・15頁)を朗読し、大きな拍手で確認され、集会は終了した。約60人の参加者は元気いっぱいに各地に散った。(土井とみえ)

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第38回市民憲法講座(要旨)イラク戦争を検証する

吉岡 一さん(朝日新聞・元中東アフリカ総局員)

(編集部註)1月24日の講座で吉岡さんが講演した内容を編集部の責任で要約したもの。要約の文責は全て本誌編集部にあります。

イスラエルによるガザ攻撃の意味

最近、ガザでたくさんの人が殺されています。そのことにちょっと触れたいと思うんです。僕が2006年にレバノンにいたときも、今回と同じように1000人くらいの人がイスラエル軍の空爆とクラスター爆弾の不発弾を故意に撒いたことで殺されています。僕もパレスチナに何回も行って、イスラエル軍の戦車に何回も撃たれているし、イスラエル兵にも何回も銃撃されている。ベイルートでは本当に至近距離にバンカーバスターという巨大爆弾を落とされて、小便ちびる思いを何回もしています。そこに外国人がいようとジャーナリストがいようと関係なく戦車で撃ってくるのはあの人たちくらいで、米軍もそこまでひどいことはしなかった。

今回のガザでの1300人の虐殺は明らかにオバマさんに対するメッセージです。政治的なメッセージを出すためにイスラエルという国は平気で千何百人も殺すんです。2006年にベイルートでレバノン人を何百人も殺したのも、ちょうどイラク撤退、あるいはイラク攻撃がおかしいんじゃないかという話がアメリカ国内で出ていた頃で、アメリカがちょっと引こうとしていたときです。あれもすごく明確なメッセージでした。カーターがハト派で登場したときも強力なメッセージを送っています。イスラエルという国は常にアメリカの世論のどこか痛いところをつかんで、自分たちの国の生存を守るという戦略をずっと持っています。それと日本との(6頁へ)関わりとをじっくりと考えなければならないと思います。

ぶっちゃけ、何でイスラエルのための戦争に日本が税金払わないかんのや、という話です。このあいだ明治大学の学生さんの団体で話しました。学生さんは、私たちはイラク戦争が始まったときに中学生、高校生でほとんど意味がわからなかったけれど、あの戦争に日本がどう関係があるのか話してほしいという事でした。実はあの戦争には日本は何の関係もない、なのに関係があるかのように装ってお金と人を出したというのがイラク戦争だったのではないか。ドイツやフランスやトルコなんかはあんな戦争に関わりたくないとそっぽを向いた。あれはフランス人もドイツ人もあの戦争が何のためかをよく知っていたから、だから協力しなかった。

日本の外務省は国連をかけずり回って途上国を脅しあげ、アメリカに賛成しないとODAをあげないぞと言って無理矢理安保理決議を取った。最初は有志連合というかたちで国連のお墨付きを得て、しかも大量破壊兵器があるとか大嘘ばかり並べてあの決議を得てアメリカ賛成の旗を振ったわけです。その第一人者が日本ですよ。ニューヨークで日本の外交団がイラク戦争を米国にやってもらうための尽力をずっとやっていた。それも全部私たちの税金です。

僕はアメリカの占領政策のかなり部分の責任を日本は負っていると思っています。だからあのイラク戦争が何で行われたのかを徹底的に検証して見直すことは日本人の義務でもあると思っています。ひとりひとりの人がそう思っていただけたら、次の過ちは繰り返されないんじゃないかなあということです。

アメリカの戦争史上2番目に長い戦争

イラク戦争はベトナム戦争に次ぐアメリカの戦争史上2番目に長い戦争でした。ベトナム戦争が12年、イラク戦争は2003年3月19日から2009年1月20日までだとしたら5年10カ月、ほとんど6年です。ベトナム戦争のときは世界中で反戦運動が吹き荒れて、日本でもすごかった。当時はイデオロギーの対立といわれましたけど、一方では共産主義が攻めてくるから資本主義を守らなくちゃいけないというのがはっきりしていた時代です。それからベトナムの植民地支配から脱しようとする人たちを応援する、しかもベトナムの人たちがイデオロギーの旗の下で虐殺されているのを多くの人が理解して反戦に立ち上がれた。いまはイラク戦争反対もありましたけれども、小泉さんに「世論にも間違える世論があるんだ」みたいなことを言われたりして、それっきり当時の熱気はないわけですよ。これはイデオロギーが隠されているからだと思います。いまはイデオロギーの対立が見えないんですよ。あの戦争が何のために戦われたのか誰にもわからない。

でもそんなことはありません。本当はわかっている、でも書けない、言えない、タブーになっているから、怖くて。イスラエルのためだった、なんて言えないんですよ。それを言っている学者が何人かいます。その人たちはいま職を失いかけています。そこには隠された宗教イデオロギーの対立があったんですが絶対に言えないから、石油のためだとか、大量破壊兵器があるからだとか、対テロ戦争だとか、いろんな事をこじつけているんですよ。現代的な、訳のわからない言葉でまぶされているから明確な対立軸が見えない、ということで反戦運動もやりにくい。そういう中で世界中の関心が薄れ米軍がやりたい放題をやる。学者によっては60万、70万人というイラク人が殺されているというんです。この15万人という数字はWHOという世界保健機構が発表したお墨付きのある数字だから僕は選んでいます。70~80万人といったらすごい数字です。

イラク戦争の実態

僕がイラクに行ったのが2003年7月23日でした。当時はまだかなり平和でした。日本の企業の人もいっぱい来ていて、パレスチナホテルに泊まっていました。アメリカに言われて日本政府がイラクの債務を帳消しにした。イラクに債権を持っている日本企業は中小企業が多くて、80年代に発電機とかいろんなものを納入しています。債権が未だに残っているという中小企業の社長さん、もう引退して、おれがやった商売で会社に迷惑をかけている、いま日本政府が債務帳消しにするというのでそれはやむを得ないけれども、その代わり新しいビジネスチャンスを見つけて会社に貢献したいと、60代半ばくらいのおじさんがファルージャやラマディのほうにビジネスチャンスを探しに行くと言っていた頃でした。バクダッドで会った韓国の人も、韓国料理はまだここの人たちに食べてもらえないけれども、すしだったらいけるからということでした。当時は地価も高騰して、イラクディナールはすごく強く、まだ平和でいろいろな期待が持てる頃でした。現実にはその頃にすでに米兵が街中をうろちょろしていて、ペプシコーラやアメリカの半分以下で買えるマルボロを買ったりしていた。またシーア派のイラク人の家に行くと、歓迎されて飯をおごってもらうような平和な時代がまだあったんです。

ところが、初めてバクダッドに向かう車の中での話ですが、アメリカ兵が暇つぶしに突然偵察車の上から買い物中のイラク市民を殺してしまうとか、イラクの一般市民がいきなり夜中に米軍部隊に急襲され、拘束されてそのまま砂漠の刑務所に放り込まれて何ヶ月も帰ってこないとか、そういう話をうじゃうじゃ聞かされました。最初は「まあ、例外的な事件だろう」くらいにしか思っていなかったんです。ところが最初に取材に行ったのが小学生の殺害です。バクダッドは昼間50度、夜でも45度という世界ですから、当然クーラーがないと生きていけません。でも停電がずっと続くものだから子どもたちは夜は屋上で寝る。屋上は真っ平らで満天の星空で、そこにマットレスを敷いて寝ます。殺された子どもの家は5~6人の兄弟がいて輪番制でマットレスを敷いていましたが、その夜は、殺されたムハンマド君の順番でした。

当時、米兵が暗殺される事件が相次いでいて、アメリカ軍は「武器狩り」をやっていました。イラク人は一家に一丁銃を持っているから行けば必ず銃があります。それで米軍は、これは楽な仕事だと、適当に行くわけです。そして銃があったとして、男は全員拘束、銃は没収しついでにそこにあった現金を全部持っていく、ということをそこら中で繰り返していた。それでアブグレイブ刑務所に無実の人がいっぱいつながれ、赤十字国際委員会は調べたら刑務所にいる6割から9割のイラク人は無実だったと発表しています。むちゃくちゃな話で、それで砂漠のテントに放り込まれて拷問を受けていたわけですよ。

殺害、暴行の続発とレジスタンス

ムハンマド君の事件は、米兵が裏の家の武器狩りをしているときに、男の子がマットレスを敷きながら屋上から見ていたんです。武器狩りをしていた家から出てきた米兵がその少年に向かって銃を向けた。赤いレーザービームのポインターがピューッと男の子の方に伸びていく。武器狩りをされていた家のイラク人の男の人がそれを見て、あわてて止めるんですよ。「やめろ、あれはベイビーだ、ベイビーだから絶対やめろ」と。米兵は銃床でその男の人をドーンと突き飛ばして「あれはベイビーじゃない」と言っていきなり撃った。 6発の銃弾を撃ち、1発が心臓の近くに命中して、即死ではないんですが瀕死の重傷状態で横たわる。家族が助け出して病院に連れて行こうとしたところへ米兵が15人くらい「ここに武器を持って米軍を襲おうとした男がいる、出てこい」となだれ込んできました。そこには身長130㎝くらいの少年が撃たれて転がっているんです。それでも絶対外に出さない。となりの人が心配してとにかく病院に連れて行かせろと言っても、ダメだということで2時間くらい捜索した。その家には武器もなかったらしいです。何も出てこないので行っていいことになったけれど、車で運んでいる途中に男の子は死んでしまうんですね。

取材をしていたら、僕の横にクリスチャン・サイエンス・モニターだったと思うんですがアメリカの新聞の女性記者が、横でずっと聞いていました。彼女が最後にそのイラク人の遺族に「どうしてもらいたいのか、何か補償してもらいたいのか」と聞きます。そうしたらそのイラク人は「補償なんかいらない、金なんかいらない。そのかわり米兵を殺す。われわれには復讐する権利と義務がある」と答えます。こういう人たちが何千、何万と集まっていわゆる「武装勢力」とマスコミに書かれ、僕たちも書いてきました。けれども、あれは明らかにレジスタンス、抵抗運動だと思いました。占領軍のあまりの無謀な行為に対する抵抗運動、フランスやドイツ、ユーゴスラビアで昔あったものと同じだと思います。そんなことがずっと続くと誰でも結束しますよね。取材したらこういう例がどんどん出てくるんです、この2003年の平和だったときでさえ。バクダッドで男の子が殺された事件を取材し、市場で自分の甥が米兵にお金を取られて、それに抗議したら砂漠の刑務所に放り込まれた男性を取材して、それから買い物途中に後ろから撃たれて射殺された市民の話を取材して、そんな話がごろごろ転がっていました。

手当たり次第の拘束、留置、虐待、盗み

いわゆるアメリカ軍に対する抵抗運動、攻撃が盛んなティクリートやモスルという北のスンニ派の地帯ではすでにアメリカ系、欧米系の記者が撃たれた事件はあったけれども、東洋人がやられた例がなかったので、まだ大丈夫だろうと2003年10月くらいにチャンスがあって10日ほど行きました。いろんなところを見ました。一番すごかったのは、サダム・フセインが隠れているといわれていたすごく貧しい農村がありました。「危ないから」といって嫌がった助手とか通訳を説き伏せて入っていったら、村の入り口でいきなりどかーん、どかーんと爆弾が爆発しているんですよ。何だと思ったら、村人は米軍が村人を脅かすために爆弾を爆破させていると言います。多分武装勢力から没収した爆弾を爆破処理していただけだろうと思うんです。有名なサダム・フセインの大統領宮殿というのがチグリス川の向こうに見えて、そこはアメリカ軍の基地になっている。反対側は広大なチグリス川のメソポタミア文明を生んだ緑の大地が広がっていて、そのど真ん中で爆弾をどかーん、どかーんと爆発させている。

まず村の入り口の家が戦車の二本のキャタピラの後で完全にぶっ潰されていました。もう少し行ったら、一軒目の家にA、二軒目にBと書かれています。これは米軍に捜索を受けた家のしるしです。Aの家は何人拘束して、いついつ何回襲ったとか記録を残しているんだろうと思います。わずか何百人の村ですけれどもほとんど全員の男が米軍によって拘束されて刑務所に放り込まれて男の人はほとんどいません。家の中はもうむちゃくちゃですよ。ありとあらゆる家具は壊されひっくり返され、ベッドは穴をあけられドアもぶちこわされている。それも米軍は1回や2回じゃなくて5回も10回も来るんですよ。近くで米兵が殺される度に来るというんです。お前らフェダイン――殉教者軍団の兵士をかくまっているだろうとか、お前のところの誰それがそうだろうということでやられるわけです。村人は違う、違うというけれど、多分違わないんですよね、やっぱり彼らはフェダインなんですよ、抵抗運動をやっているわけですからね。米軍は怒って片っ端からやるわけです。

その村の人たちを取材していると、全部の家から現金を没収していて、ほとんど全財産没収です。僕は駐留米軍のトップに記者会見で聞いたことがあります。どこへ行っても米兵がお金を取っているというけれども、どういうことやねん、と。そうすると「あれは武装勢力の資金源を断つためだ」と言います。米兵が車を捜索し、見つけたお金をズボンの隠しポケットに入れたりする。このどこが武装勢力の資金源を断つためなのか。その後、いろんな米兵の手記を読むとみんな争ってイラク人のお金を盗んだと書いてありますよ。小遣い稼ぎをしていた。イラク人って米ドルしか信用していないから現金の米ドルをいっぱい隠している。僕が取材した、ボストン大学の博士号を持っている教授がアブグレイブ刑務所に何ヶ月も放り込まれるんですけれども、彼はまったく同姓同名の男が隣に住んでいて米軍の狙いはその男でした。そこが留守で、隣に同じ名前の男がいるということで捕まって、何ヶ月も放り込まれた。彼は全財産を没収されて、二度とお金は返って来なかった。抗議すら受け付けてもらえなかったということです。

ウィスキーはどこだ? レイプも

ティクリート近郊の村では、タバコとかキャンディーとかジュースとかを売っている泥でできた2畳半か3畳くらいしかない掘っ立て小屋みたいな商店があるんです。村人がそこに来てくれというのです。確かに民家と同じように商品がぐちゃぐちゃにされている。米兵が二人やってきてウィスキーはどこだといって暴れ回ったというんです。ペプシコーラしかない。コカコーラはユダヤ系だとイラク人は信じているので絶対に飲まなくて、ペプシはユダヤ系じゃないと信じているので、ペプシコーラとペプシコーラが出す清涼飲料は結構あるんですけど、その缶をわしづかみにし、タバコを持てるだけ持って略奪して帰ったというんです。そして銃で冷蔵庫をぶっ壊し、ドアを壊していった。昔モンゴル軍がやってきてイラクで略奪して人を殺しましたけれども、本当にあれと変わらないと思いました。僕のためにペプシコーラを1本出してくれて、飲めとすすめてくれて、代金を払おうとしても受け取らないんですよね。あそこの人は貧しい人ほどお金を受け取ろうとしない潔さがありましたね。

レイプの問題ですけれども、これは僕が向こうにいた間に何回も噂は聞きました。そんなバカな、そこまでするかと思っていました。というのは米軍とイラクの一般市民が接触する場面が少ないですから、ベトナム戦争と違ってそういうことは起こりにくいと思っていました。ところがシーア派の村がある南の方で事件が報じられて、僕自身も短い記事を少し書きました。その後その事件を題材にした「リラクテッド」という映画を見ると、現実に起きた事件を下敷きにしていますが、ひどいです。イラク人の民家に夜中に押し入って、そこに女性しかいないことを知った上で、中学生か高校生の女の子と母親を何人かで襲って、挙げ句の果てに殺して出ていっている。まったくモンゴル軍以来の占領軍ですよ。ベトナム戦争で報じられたひどさと変わらないというか、もっとひどかったと思います。

これはメディアの責任でもあると思います。ジャーナリストの死者が136人、最新の数字ですけれど、ベトナム戦争の66人の倍以上です。ジャーナリストをアラブ側、米軍と戦っている側が敵と見なして攻撃を始めたんですね。僕がバクダッドを撤退したのは2004年10月でしたけれど、その段階ですでに僕自身もターゲットにされていました。誘拐されないようにイラク人に変装してカフィーヤというチェッカーフラッグみたいなものをかぶって、着るのは重すぎるので、流れ弾に当たらないように車の中で両脇に防弾チョッキを置いて、しかも窓の外から見えないように身体を反らして、自分を隠して取材に行きます。外国人が乗っていることがわかると、すぐに拉致されるか、自爆テロで突っ込まれるかですから。ジャーナリストが標的になると、いかに米軍がひどいことをしているかといっても、ひどいことをされている側がそれを報じるなといっているようなものですから、もうどうしようもない状態でした。それがひとつの大きな原因となってイラク戦争の実態が知られないままになっていると思います。なぜそういうことになってしまったのかということは、非常に大切なポイントだと思います。

イラク人の死者数

イラク人の死者は、WHOは15万1000人で、ジョセフ・E・スティグリッツさんというクリントン政権の時代のホワイトハウスで経済顧問だったノーベル経済学賞を受けた有名な学者さんが言っている数字は10万~70万人以上です。イラク軍兵士、警官が8885人、これは米軍と一緒になって戦っている裏切り者だということで殺されている人が大半ですね。さらにテロ、これも最新の数字ですけれども1881件、6年間の数字ですから年間で300件、ほとんど1日に1件ずつですね。現実には1日に3件から10件くらい連続で起きることがよくありました。サマワの自衛隊の基地に向かっては、2年半の間に14回くらい迫撃砲が撃たれています。僕がいたときも一番多い頃でその倍くらいの数が、泊まっていたパレスチナホテルの界隈にわずか1週間か10日くらいの間にとんできていました。迫撃砲とか爆弾とか自爆ですね。そのたびにそこら辺で銃撃戦が起きるという状態で、支局の窓の前には土嚢を積んで流れ弾が入ってこないようにしていました。そんな状態で、爆弾テロのイラク人の死者だけで17639人も死んでいる。負傷者35850人。3人以上が死んだ数字しかわからなくて2人以下なんて数字がありません。

自爆は689件、700件近い数です。自分の身体に爆弾を巻いたり、自分の車に爆弾を積んで、自分をいわば起爆装置にして突っ込んでいく。これを一番よく議論しました。「なんでそんなことをするんや」と聞いたら「これはカミカゼアタックじゃないか」「日本人に教えてもらったんだ」というわけです。アラブ人に何回も言われましたけれど、日本人が発明した戦法だろうというわけです。僕はカミカゼの攻撃についてはよく知らないけれど、こんなには死んでいないと思います。先ほどの数字は3人以上の死者の出た自爆の数ですから、推定したことがありますがこの4割増くらい、千数百件くらい自爆攻撃が起きています。わずか5~6年の間に1000何人の人間が爆弾を巻いて自爆をするなんていうことは、もしかしたら人類の歴史始まって以来じゃないかと思います。しかも執拗に2008年の末まで続いていました。自爆をすることができるのは、これはすごいことだと思うんです。第2次世界大戦末期の極限状態のときに、しかも組織的にやってやっと日本では特攻攻撃ができたわけですけれど、いまアラブ世界にはそんなものはないですよね。

自爆テロを支えるイデオロギー戦争

この自爆している人はイラクにとっては外国人ばかりです。サウジアラビア人、アルジェリア人、パレスチナ人、エジプト人、レバノン人、こういう人たちがイラクまで行って、そこで自分の身体を吹っ飛ばすわけです。なんでこんな事ができるのか不思議でしょうがないし、なんでこういう事が続くのかを世界中が疑問視しないのも、また不思議です。その部分はかなりこだわって取材しました。パレスチナの自爆した子どもの親御さんにも会いました。イラクに自爆をしに行くには、組織がないと行けないし、これだけ何年も続くということは社会が、そのコミュニティの応援がなければダメです。それだけじゃまだダメで、特攻隊が「死んだら靖国で会おう」と言って死んでいったわけですが、同じように「死んだら天国で会おう」ということを信じることができなきゃダメなんです。強烈な信仰心というか宗教心と、宗教共同体みたいなものがあって、その中で死後が完全に保証され、現世に残される家族が経済的にも保証されなきゃダメですよね。

政治的にも、宗教的にも、経済的にも、さまざまなバックアップがないとこれだけ何年も続く自爆攻撃なんてできるわけがないんですよ。つまりアラブ世界のどこかに総力を挙げてイラクで自爆する戦士を助けている社会的な、大きな運動があるはずです。それはまったく知られていないけれど実際にあるわけです。外国人がそれに接触することはほとんどできないけれど、しつこく回れば見えてくる。レバノンに行ったときも、イエメンに行ったときもそうでした。そういう社会があり「応援団」があり、そういうことを教える宗教指導者がいました。イスラム教では自殺は絶対にタブーですが、殉教攻撃はさにあらず、聖戦、ジハードにおいて敵を倒して死ぬことは天国への切符を入手することだ、と。「近くにまったく無関係な子どもや女性がいたらどうするんだ」と聞いたら、宗教指導者は、「それは巻き添え死、気の毒だけれどもやっぱり殉教する。同じように天国に行けるんだ」というわけです。天国に行ったらどうなるか。ずっと悪い冗談だと思っていたけれど、男は「72人の処女が永久に侍ってくれる」そうです。そこにはワインの川が流れているというんですね。

パレスチナに行ったときにイスラエル軍に突っ込んで自爆した男の子のお母さん、直接ではなくお父さんにインタビューしたんです。お父さんによると、お母さんはテレビで結婚式の晴れやかな様子を見て突然泣きながら叫びだしたんだと。「自爆した息子のイスマイルは今頃72人の処女に侍られてもっと華やかで素晴らしい生活をしているだろう」といったというんです。本当に信じているんですね。自爆した女性は好きだった人と一生添い遂げられるそうです。女性は一人で、男性は72人かと非常に差別的なものも感じますが、あまりその辺を強調するとイスラムに対する偏見を助長すると怒られるんです。ともかく彼らはそう説明します。「靖国で会おう」というのとどっこいどっこいかなという気もするんですが、イラク人じゃない人たちが行くわけですから、そこがイデオロギー戦争のイデオロギー戦争たるゆえんだろうと思っています。

イラク国内の混乱

一番ひどかったのが2006年。最初は米軍だけを攻撃していたのに、米軍が攻撃しにくくなるとイラクの武装勢力は外国人全般を狙いはじめた。外国人がいなくなると、シーア派という南の方のイランと仲のいい人たちはアメリカと表向きけんかはしないようにしていた。その態度がけしからんとスンニ派がシーア派を攻撃するようになります。宗派対立が宗派戦争になってしまった。サダム・フセイン政権の下でシーア派はいじめられていたんですね。イランと同じ宗教だとかいろんな理由があります。パパ・ブッシュが湾岸戦争のあと、助けてやるからフセイン政権を倒せというのにまんまと騙されて、蜂起するんですよ。でも結局助けてもらえなかったからシーア派は政府軍に何十万人も殺された。ブッシュがやった虐殺に匹敵するくらいの虐殺だと僕は思っています。その大虐殺から助けてくれた米軍への感謝がもともとシーア派にはあります。民主化して選挙で政府をつくればシーア派の方が数は多いわけですし、米軍に解放してもらったんだから、ちょっとめちゃくちゃするけれども、時が来るのを待っていればシーア派の国ができるとシーア派は我慢しているわけです。

実際選挙をやったらシーア派が勝った。首相にもなってシーア派の国になっていくわけです。特権も権力もすべてシーア派に取られるということでスンニ派は、米軍が逃げ回って攻撃できなくなって、外国人がいなくなったところからシーア派に対する攻撃を強めた。シーア派はシーア派で一度握った権力は二度と手放さない。つい数年前まで虐殺された歴史があるから今度権力を失ったらまた酷い目に遭う、もっといえば復讐もしたい、と権力を握ったシーア派が対スンニ派の復讐政策をはじめます。「死の部隊」といいますがシーア派の政権ができると急にスンニ派狩りをします。警察官やイラク特殊部隊のようなものがいっぱいできるんです。スンニ派を捕まえては拷問をして情報を聞き出した上で殺す。スンニ派はそれに対抗してさらにシーア派攻撃を強める。

それでもイラクはスンニ派とシーア派がずっと仲良くやってきた国ですから、和解の機運も盛り上がって「とりあえず、やめようじゃないか」となった。そうするとアルカイダは外国人ばっかりです。彼らがやってきてシーア派の市場とか大学、シーア派の日雇い労働者の募集所のようなところにいって自爆をやります。50人、100人単位でシーア派が殺される。シーア派はスンニ派がやったということで、それまで殺し合いを自制していたのを再び復活させる。アルカイダというのはすごいです。僕は毎日毎日イラク人がどこで死んで、それが何派で、ということを全部分析していました。それを見ると、殺し合いが高まっているときアルカイダはじっとしていて、殺し合いが収まってくるとアルカイダがいきなり動き出して自爆テロをやるんです。もう彼らは誰が敵で何のために戦っているのか訳がわからなくなっているんじゃないかと何回も思いました。

ここでおそらく世界中が見失っていたように思いますが、イラク人がイラク人同士で血なまぐさい戦争をやっているという感覚になっていました。違うんですよ。全部米軍、米国を軸にしてやっているんです。スンニ派は、シーア派が米国と手を握ってイラクの富を牛耳ろうとしていると思っているし、アルカイダも同じように思っている。シーア派は彼らの中にも米軍が大嫌いなマフディ軍というのがいて、彼らはシーア派の本流からのけ者にされて酷い目に遭うんじゃないか米軍と戦う。とにかく米軍がいるからお互いがに疑心暗鬼になって戦っているわけです。

もともとシーア派とスンニ派のイラク人たちは本当に仲良くやっていたし、結婚もお互いにしていたし、混ざり合っていて殺し合うような関係ではありませんでした。多くの人は米軍がいなくなると内戦になるといいますが、僕は絶対そんなことはないと思っています。いったんそうなるかもしれないけれど、彼らの和解する力はすごく強いですから、占領軍がいなくなれば何とかなるはずです。イラク人はみんなそう言っていますよ。内戦が一番ひどいときでも、自分の身内が相手方に何人も殺されていても和解を呼びかける勇気あるイラク人はいくらでもいました。それでも連日100を超える遺体がごろごろとしていました。2006年に一番殺し合いがひどくて、毎日120とか200の遺体がどこでもあった。拷問されて殺されている、目がえぐられている、首がない。ひどいときは、スンニ派とシーア派は住む地区が分かれていて、スンニ派の地区でシーア派のスパイが見つかるとその場でひっつかまえてみんなの前でのこぎりで首を切って処刑する。それをビデオで撮影してインターネットで流すという、この世の果てのような状態が続いていました。

その「狂気」に至るまでには段階がある。その段階を忠実にみていくと誰がその「狂気」を持ち込んだのかははっきりしています。それが僕の本で一番言いたかったことです。「狂気」は連鎖していく、でもその「狂気」を最初に持ち込んだやつがいるじゃないかということですよ。もともと調和していて、豊かで仲良くやっていた社会をぶちこわした張本人がいるわけです。2008年の累計で国内の避難民277万人、国外が220~240万人、計500万人近い人が家を失っています。全人口が2710万人ですから6分の1というすさまじい状況です。これがイラク戦争の状況でした。

アメリカの払った代償

これは僕が取材の後勉強した数字ですけれど、去年の末までにアメリカが使った累積戦費が8450億ドル(85兆円)、これは公式に予算計上された数字です。開戦前にイラク戦争の戦費は2兆円くらいかかるといって、ラムズフェルドに、そんなに金がかかるわけがないだろうと怒られ更迭されたアメリカ政府の会計関係の高官がいました。この戦費だけでベトナム戦争の1.5倍、湾岸戦争の10倍というすさまじい数字になっています。スティグリッツという学者が「世界を不幸にするアメリカの戦争経済 イラク戦費3兆ドルの衝撃」という本をかいています。彼が計算したら3兆ドル、300兆円でした。「経済的にみればイラク戦争の敗者は明らかに日本であり、欧米である」、イラク戦争によって原油の高騰が起きたと論じていました。出版当時の原油価格で計算すると、180円の半分、90円くらいはイラク戦争による高騰分だという計算です。明らかにイラン、アラブ諸国およびアメリカが大嫌いなベネズエラなど産油国は大儲けして、欧米と日本、日本なんてそのおかげで何兆円という余分なお金を持って行かれたわけです。それは全部イラクでの戦費だと思って間違いないというくらいの書き方をしていました。

これだけ莫大なイラク戦争の戦費をアメリカはどうやって調達したのか。ブッシュさんは減税していますよね。どうやったのか、それもスティグリッツさんが書いていました。要するに超低金利政策をやってバブルをあおったわけです、住宅バブルを。それがいまの結果でしょ。バブル崩壊で金融危機どころか経済崩壊まで来ている。原点がすべてイラク戦争にあるわけです。イラク戦争の戦費を調達するためにつけを後の世代、子どもたちにまわす方式を採用した。この考え方の背景には新自由主義という、いわゆる神の見えざる手に任せればいいという発想があるわけです。そのもっと向こうには、ここにも宗教的なアメリカの超保守層の発想が色濃く影響しています。

それから死者です。4227人がアメリカ軍で死んでいます。2009年1月14日までの数字です。これだけの死者に耐えられなくてブッシュ政権が倒れたという見方もできますよね。ここで「死に方」の1位がIEDです。IEDというのは仕掛け爆弾です。米軍がいつもパトロールで車列を組んでいく、それを狙って道端に爆弾を仕掛けるわけです。遠隔操作で爆弾をドーンとやって米軍を痛めつけるという手法がずっと取られていて、これが米軍の死者1702人、全体の40.3%を占めるすさまじい状態です。米軍はこの仕掛け爆弾対策のためにものすごいお金を投じた。軍事評論家の江畑謙介さんに言わせると広島・長崎の原爆をつくったマンハッタン計画に匹敵するような規模でこのIED対策をしたというんです。それでも全然効果がなくて殺されまくった。

どうも最近バクダッド市内で携帯電話が不通になることがある、それからラジオがザーッとなることがある。それが起きてしばらくすると必ず近くでドカーンという音がするんです。あれはいったい何だろうと噂になっていて、それから米軍の車列が通ると必ず同じ事が起きる。これに最初に気がついたのは、僕がバクダッドで親しくしていた助手のモハッラブと雑談をしていたときです。実は米軍の車両から妨害音波が流れていたわけです。バクダッドなどの都会では車のリモコンとか携帯電話を使って爆弾を起爆させるんです。米軍はその電波を妨害すれば起爆しない装置を持っています。1台何百万円、何千万円という装置です。米兵はみんな行き過ぎて、その後をついてきたイラクの一般市民はみんな死んじゃうわけです。バクダッドの米軍を狙った爆弾事件で、なぜかイラク人ばかり死んでいるので最初は爆弾を仕掛けた奴が下手くそで失敗しているんだろうと思っていたんです。後でよくよく調べたら米軍のIED対策の妨害電波のおかげだったんですね。要するに米軍というのは一般市民のことなんか何も考えていないわけです。ただ田舎に行くと、みんな顔見知りで武装勢力の友だちというか協力者なんです。そして田舎では有線を使うから妨害電波はまったく効かないので、パトロールしている米兵はこの攻撃で死んでいます。田舎では一般市民は死んでいない、でもバクダッドのような都会では一般市民が死んでしまうという状態が2006年頃は続いていました。

日本の関与

バクダッドに行ったとき知り合った人があまりにも次々と死んでいきました。例えば亡くなった井ノ上さんという外交官とは亡くなる1ヶ月前にバクダッドで一緒に食事をしました。日本の外交官ってすごい官僚主義的でジャーナリストと食事なんてしてくれない人が多いんですが、井ノ上さんは現場が大好きで大使館に閉じこもらないであちこち走り回っていた。僕らが誘ったときなどは、夜7時くらい、新聞の締め切りが終わり食事に行くんですけれど、当時は危なすぎて夜間外出禁止令は出ているし停電で家の中真っ暗です。そういうときに井ノ上さんは自分でランドクルーザーを運転して大使館からパレスチナホテルまで迎えに来てくれるんですよ。「怖くないんですか、こんな時間にひとりで運転して出てきて」と聞いたら「日本人はやられることはないよ、イラク人の目線に立てば彼らは襲ってくるような人たちじゃない」。ものすごくイラク人への信頼が厚いんですよね、彼は。ところが彼は殺されてしまうわけですよ、ティクリートの近郊で。奥さんもそうでした。「アメリカの外交官は全然現場に出てこない。怖いのかもしれないけれども現場をみなければ現地のニーズなんてわかる訳がないだろう」と言っていました。結局そういった現場主義の人が死んでしまうということを、あの人たちが殺されたときにまず思いました。

怖くて一歩も外に出ない人がゴロゴロいて、某新聞社なんて早々に記者を引き揚げておきながらイラクの治安は改善しているとか、米軍はうまくやっているとか書きまくっているわけです。僕なんか行くたびにどんどん行動範囲が狭まって爆弾や銃撃が増えていっているのに、治安が改善しているなんてよく書けるなと思うんです。NGOの人たちが捕まったときに自己責任論でむちゃくちゃやりましたけれども、それもその新聞社でしたが、「自作自演」なんてことも言っていました。外国人の拉致は彼女たちが拉致される前はひとりだけでしたが、そのあとに確か300人か400人が拉致されています。要するに武装勢力、レジスタンスたちはそのころ戦術転換をして外国人を拉致したら非常に効果的だと気付くわけです。その最初の犠牲者が高遠さんたちだったんですね。

もうひとり橋田信介さんが殺されてしまいましたけど、あのときに一緒に殺された若い人、橋田さんの甥ですけれども、僕はあの人と亡くなる1週間前にバクダッドのパレスチナホテルのカフェでお会いして、名刺交換をしました。僕らは大金をはたいて情報収集したからわかるんですけれど、あの2人が殺された現場はすさまじく治安の荒れた状況で、外国人が行ったら100%殺される場所でした。すでに遺体損壊、外国人の外交官を殺した後に遺体を切り刻んで無惨な状態にするという、イスラム教では絶対のタブーをやってしまうような「狂気」がもうあったところです。

そんなところに無防備にも助手席に顔をさらして日本人が乗ったランドクルーザーが行くと、そこら中に見張っている連中がいるわけですからすぐに連絡が行って殺されるのは目に見えています。そういう情報を持っていなかったんですね。小川さんが最後に「ジャパン、ジャパニーズだ」と撃ってきた連中に言っているんです。これはさっきの井ノ上さんが言ったことと同じですよね。イラク人の目線に立てば絶対に日本人はやられない。ずっと僕らもそう思っていました。日本人はアメリカと戦った国だ、原爆を落とされてもいまなおアメリカと対等にやりあっている国だ、だけどアメリカ軍基地がいっぱいあって情けないよねという言われ方をしょっちゅうされます。どちらにしても日本人はアラブの味方だし、頑張っているということで好感度は抜群です。それから圧倒的な日本製品の洪水ですよね。もう「メイド・イン・ジャパン」というだけで素晴らしい、人間のメイド・イン・ジャパンだったら最高だというイメージがすごく強固ですよ。

占領の片棒担ぎの自衛隊派遣

その「日本人だ」と叫んで殺される状況をつくったのは明らかに自衛隊の派兵です。自衛隊を送るということは、サマワの人は復興支援だ、お金が落ちる、いっぱい仕事が来てくれる、ありがたい、ということで大喜びだった。共同通信、朝日新聞などが一生懸命世論調査をしてサマワでは歓迎されているなんて報道されていましたけれども、サマワ以外のどこへいってもあんなものが復興支援だなんて思っている人はいなかったですよ。米軍がやってきてイラク人を相手に殺戮している。アルカイダとの戦争じゃなくて、ほとんどイラク人との戦争でした。マフディ軍とスンニ派武装勢力に対する掃討作戦で、殺されるのは常にイラク人でした。イラク人のほとんどは、日本がサマワに自衛隊を派遣することで米軍の占領を精神的に支援したと見なしていますよね。だってサマワに行って復興支援しても何の役にも立たないことは当のイラク人はよく知っています。

サマワの人は目の前の道路や病院がよくなるから少しはプラスになるだろうと期待をしていたようですけれども、現実にはほとんど贈り物は壊れちゃって、サッカー場はずたずたで、道路は穴が開いて、発電機はオペレーターが逃げちゃって、しかも新品を買うはずが業者にだまされて中古がきちゃって、それも動かない。浄水場も壊れて動かない。さんざんな状態ですね。何百億円かけてそんな状態かという、泣きたくなりますけれどもね。おまけにサマワの人からはがっかりされて、他のイラク人からは占領の片棒担ぎをしたと言われたんですからね。バクダッドの僕らの助手たちでさえも日本は占領軍でしょ、侵略の片棒担ぎでしょとみんな言っていました。誰ひとりイラクの復興のために来たなんて思っていないですよね。アメリカ軍の人殺しを側面支援しているとしか思っていないですよ。だから日本人だと言ったら「お前らも占領軍の一派か」ということで殺されるのは目に見えているわけです。ちょっと言い過ぎたかもしれませんけれども、でもそれは現地での常識でしたよね。日本で言うと怒られそうですけれども。

米国はなぜイラク戦争を始めたのか?

ブッシュさんは大量破壊兵器があると言ったけれど、それはなかった。ブッシュさんもそれは認めた。それはいいでしょう、次は何か、民主化です。イラクを民主化して、やがて中東全体を民主化する。しかし現実に起きたことはイラクですら民主主義は根付かなかった。アメリカはものすごい妨害をしましたからね。投票の結果通りの政府をつくるとシーア派の単独政権になり、これはアメリカの大敵であるイランの意をくんだ政府になってしまう、こんな事は受け入れられない。だからいろんな派閥を入れることで、政府が実権を握れないでイラクは大混乱に陥りました。民主主義じゃないですよね、こんなことは。イラク人はがっかりした。せっかく民主主義だと命がけで投票所に行ったのに、その結果をアメリカに反古にされた。いろんなところで投票に行くんじゃなかった、だまされたと、みんなが怒っていました。例えば次の選挙で国民が民主党を選んで、民主党政権になったのにアメリカが気に食わんといって、自民党も社民党も公明党、共産党も入れた政府にしろと言われたら、民主党政権を望む人は怒りますよね。それと同じ事ですよ。こうしたことがイラクでは平気で行われてしまう。イラク人は高等教育を受け、すごくレベルが高いんですよ。そういうところに民主主義を根付かせようというんですからスムーズにいくはずでした。でもその結果をねじ曲げたから民主化は大失敗しました。

目の前に事例がふたつあります。まずレバノン。民主主義が発達していて、日本と同じくらいの豊かな国でレバノン人もすごく賢くて、ブッシュさんまで中東における民主主義の優等生だ、イスラエルに次ぐくらい民主化されている、といいながらイスラエル軍にずたずたにされてしまった。もうひとつ民主主義が成功したのがパレスチナのガザのハマスです。僕は選挙の前後に取材に行ったことがありますが、完全に民主的な選挙でした。自由、平等な選挙でした。その結果生まれたハマスの政権が気に食わんといってハマスを爆撃して1300人も殺してしまう。アメリカもイスラエルもいかに民主主義に興味がないか、ということです。本当に最高に具体的な例だと思います。民主主義を徹底的にやれば、エジプトでもガザでもイスラム原理主義的な政権になる。国民はみんなそれを支持していますから。それが民主主義なんです。それを受け入れる覚悟はアメリカにはまったくないですよね。民主化というのも大嘘だった。

テロリストを作ったアメリカ

それから対テロ戦と言っていました。日本は未だに言っていますけれども、イギリスは何ヶ月前からか政府は公式にいっさい対テロ戦争と言わなくなりました。あれは対テロ戦争ではなかったんです。やっと認めたんですよ、イギリスは。それはそうですよね、アメリカがイラクに行ったときに普通の市民だったイラク市民がこぞってレジスタンスになって、ついにアメリカと戦い始めた。シーア派のゲリラがカラシニコフの旧式の銃を下から一発撃つと、上からヘリコプターでミサイル3発をお見舞いされるという戦争でした。

僕が取材した例が象徴的ですが、スンニ派武装勢力が1回IEDの爆弾テロをやるとその近くの村を掃討作戦と称して空爆されずたずたにされるわけです。男たちが20人くらいで集会をしていたら無人爆撃機で上から爆弾を落とすという映像も見ました。その人たちが何をしていようとお構いなしです。「テロリストだ」ということでやるわけです。これは虐殺以外の何ものでもないです。その集会に参加した人が、ひとりひとりが何をやったんだということを立証して刑を執行するのであればともかく、ただ集まっているからということでミサイルを上から撃つわけです。インターネットでもアメリカ兵がリークしたものが流れています。虐殺に次ぐ虐殺です。

ファルージャ攻撃が2004年にありました。あのとき公式には千何百人殺されたとなっていますけれど、一般市民が逃げずにいっぱい残っていたんですよ。でもアメリカ軍は警告したから一般市民は全部逃げた、残っているのはテロリストだけだと言って殺しまくった。動いているものはみんな殺したといわれたんですね。ところが実際には町を捨てたくないと老人とか女性がいっぱい残って、みんな殺されてしまいました。対テロ戦争の現実がこれでした。結局テロリストはもともといなかったのに、つくったのがアメリカですよ。9.11の報復のはずだった。9.11はアフガニスタンです。アルカイダはアフガニスタンに基地があった。もし9.11の犯人を罰するならサウジアラビアを調べなくてはいけないです。ほとんどがサウジアラビア人、一部にエジプト人がいただけです。イラク人はゼロでした。イラク人の自爆テロリストなんていなかったんです、まったく。

アルカイダが90年代に生まれて、ケニアとかイエメン沖とかでテロをやっていますけれどもその中にひとりもイラク人はいません。クルド地域の山奥に行きましたが、アルカイダのクルド人のコマンド部隊がいましたが、彼らはフセイン政権と戦っていた。フセインはアルカイダをつぶすために拠点を徹底的に攻撃していたんです。だからアルカイダとはなんの関係もなかった。それもアメリカ政府は公式に認めています。アメリカの政権の内幕を暴露した、有名な記者が書いた本にありますが、9.11の直後にラムズフェルドは「アルカイダとイラクの関係をすぐに探せ、とにかくイラク攻撃だ」とそのときすでに言っています。とにかくアフガニスタンだけだと足りないわけです。

アフガンではなく、なぜイラクなのか

なぜイラクか。ターゲットは3つの国です。シリア、イラク、イラン、この3つに共通しているのがイスラエルに包囲網をつくっている国です。その共通項以外にないんです。よく石油だといいますよね。石油だというとすごく説得力があって日本も何となくだまされてしまっています。外務省もそういう説明をしていました。日本は中東から石油を9割ももらっているからその安定のために協力するのは当たり前だと。ところがアメリカは中東からの石油は全体のわずか1割です。だから中東の石油というのは死活的に重要ではないんです、戦略的にも。もっと言うと、石油はその国が独裁だろうと王政だろうと関係ないです。そのいい例がサウジアラビアです。絶対王政の宗教原理主義国家ですけれど何の問題もなく石油を買っています。だからサダム・フセインの独裁政権であろうが関係ないんですよ。石油業界にとって一番利益が上がるのは、その国が安定して石油を出してくれればいいわけです。オフショア戦略といいますが、80年代からずっと続いています。要するに力の均衡を保つのがアメリカの外交政策でした。石油がじゃぶじゃぶと出て、それを売りさばくのが石油メジャーの仕事ですから、別にその国を占領して石油をぶんどるなんて事をする必要はないんです。そんなことはできるはずないですよ、植民地主義の時代じゃないですから。だから石油ということでは説明がつかないんですよ。

イラク石油省は米軍がバクダッドに来たときにすぐに守られたなんてメディアは報じました。僕はその1年後にいきましたけれど、石油省に米軍は全然いなくて、イスラム原理主義のポスターがべたべた貼ってあった。そのポスターは米軍が追い出されるポスターなんですね。石油省の人に「こんなポスターいいの?」と聞いたら、「当たり前だろう、イラクから米軍を追い出すのはわれわれの念願だ。」と言います。石油省の役人がですよ。それもたった1年後に。アメリカ人を捜したら、ひとりだけ重武装の兵士に守られていました。石油省はちょっと離れたところにあって、その道中でしょっちゅう自爆でやられて何人も死んでいるんです。アメリカ人はもう石油省をほったらかしでした。

あんなうそがなんでまかり通ったかというと、石油戦争を強調することで日本やヨーロッパの協力を得るためだったと思います。なおかつ、最大の目的が隠せる。つまりイスラエルのための戦争だったという部分です。僕もそんなことがあり得るなんてどうしても思えなかったんですけれど、2006年とか2008年頃に出てきた本やアメリカの超党派の議員でつくるレポートなどを見ると、「もういい加減にやめよう、イスラエルのためにそこまでする必要はないじゃないか」ということが匂わされています。特に「イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策」という講談社から出た本は衝撃的でした。アメリカの保守本流、左翼でもない学者の書いた本が、はっきりあの戦争はイスラエルのためだったと書いています。いつも誤解されますが、「ユダヤの陰謀」とか「9.11は陰謀だった」とかいう話はいっさい事実じゃないと思っています。けれどもイスラエル人という、絶滅寸前まで追い詰められた彼らの結束力、ネットワーク力、戦略、アメリカの世論を押さえてアメリカをイスラエルのために動かすことがアメリカの中で徹底的に行われているんですよ。

それにキリスト教右派が結びついているんです。ものすごい宗教原理主義者です。キリスト教右派の超保守層はユダヤ人でもないしユダヤ教徒でもありません。だけど徹底的なイスラエル擁護者です。世界中でイスラエル以外の国は人間がつくった国だが、イスラエルだけは神がつくった国だと言っています。彼らは学校で進化論を教えないで天地創造を教える運動をやっています。私たちの父祖の時代ならとっくにイランを爆撃しているのに、なんでいまの政権はやらないんだ、やらなくちゃいけないのはシリアとイランの爆撃だ、ということまで平気で言うような人たちです。2004年、2005年頃にイランとシリアに行きましたけれども、みんなびくびくしていました、次はわれわれがやられるということで。イラク戦争はイスラエルのための戦争であり、次はシリアとイランであるというのは中東では常識でした。

だからイランも必死になってイラクに介入するわけです。武装勢力に武器を送りアメリカが困るように仕向けるわけです。要するにそういう本質を持った戦争に日本が何百億円もの税金を投入して助ける意味があるのかということです。フランスもドイツもそっぽを向いたのはそういう事じゃないのかということです。ドイツはユダヤ人を何百万人も殺してしまった国だし、フランスは新生イスラエルに武器を供与して世界中からそっぽを向かれていたイスラエルを最初に助けた国です。イギリスは植民地支配をしていて、イスラエル人のテロ組織がイギリス人を標的にして爆弾攻撃をしていた事がありました。

ですからアメリカの外交政策あるいは戦争をしっかり見極めて、日本がもうちょっと距離を置く、お金なんか出さないし支援もしませんよということをはっきり言う外交政策が、堂々とできるようになってほしいと思っています。

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ヒラリー・クリントン国務長官に向けた平和への訴え イラク・アフガニスタン・パレスチナに平和を。辺野古、高江の新基地建設をやめ、「米軍再編」プランの撤回を。米軍基地の撤去へ

私たちWORLD PEACE NOWは、米国のブッシュ前政権が始めたイラク戦争に反対する、草の根の市民運動やNGO約50団体によって作られたネットワークです。

私たちは、さる1月20日、オバマ新大統領の就任式にあたり、「オバマさんへの平和の手紙」アクションを行い、10団体・10個人からの手紙を米大使館に届けました。

私たちは、クリントン国務長官の初訪日にあたって、あらためて私たちの意思を伝えたいと思います。

第1は、中東、アフガニスタンでの公正で持続可能な平和にかかわる問題です。
オバマ新政権が2011年までにイラクから米軍撤退を完了させることや、戦時国際法を踏みにじる人権侵害の象徴だったグアンタナモ収容所の閉鎖を発表したことを私たちは積極的に評価します。

私たちは約束通り、すみやかに米軍を完全に撤退させ、被害者への必要な補償を行うことを求めます。

しかし重要なことは、ブッシュ戦争の対イラク戦争の根底にあった「対テロ」先制攻撃戦争という考え方そのものを転換することです。

オバマ新政権はイラクからの米軍撤退の一方で、「対テロ」戦争の主戦場をアフガニスタンに移し、米軍を増派するとしています。これがイラクでの米国の過ちを繰り返すことになるのは確実です。すでに現地のNATO軍の担当者も「アフガニスタンの戦争」には勝利できないと語っています。あなた方の「武装勢力掃討作戦」で多くの一般市民の命が奪われるにつれて、外国軍の占領に対する民衆の批判が強まり、タリバンへの支持が広がっていると報じられています。

さらに深刻なことは、このアフガンでの戦争が隣国のパキスタンへ波及していることです。アフガニスタンにいる米軍はパキスタンを越境攻撃し、パキスタンの住民にも多くの死者が出ています。
  泥沼から引き返し、占領の終結・外国軍の撤退を前提にしたアフガニスタンの平和と再建に向けて勇気をもって舵を切ることが必要です。

次にイスラエルによるパレスチナへの占領・封鎖・侵攻・虐殺にかかわる問題です。
  昨年12月27日から始まったイスラエルによるパレスチナ自治区・ガザへの猛攻撃により少なくとも1300人以上が殺され、7000人以上が負傷し、ガザの町はめちゃくちゃに破壊されました。多くの子どもたちも殺されました。これは一方的な虐殺であり戦争犯罪です。責任が何よりもイスラエルの不法な占領や封鎖にあることは言うまでもありません。

しかしイスラエルの最大のスポンサーである米国政府は、「イスラエルの自衛権」をたてにとってこの戦争犯罪を擁護しています。オバマ新政権になっても、その姿勢に大きな変化は見られません。私たちは中東における持続的で公正な平和を達成するため、パレスチナの人びとの権利を阻むイスラエル政府を支援する態度を転換するよう、米国政府に強く訴えます。

第2は、日米軍事同盟と沖縄を初めとした在日米軍基地にかかわる問題です。1996年の日米安保宣言、さらに米国のグローバルな軍事戦略に沿った「米軍再編」を通じて、日米安保同盟は質的にも強化されてきました。

今最大の焦点の一つが、沖縄の辺野古、高江での米軍基地新設です。日本全体の米軍基地の75%が集中する沖縄の「住民負担」削減を名目に進められてきた辺野古での新基地建設は、住民の平和な生活を脅かすだけではなく、ジュゴンが泳ぎ、サンゴが群生する貴重な自然を破壊するものです。また高江のヘリパッド建設も、住民の生活の安全を脅かすだけではなく、生物多様性に富むやんばるの自然環境に深刻な被害を脅かすものです。

もともと外国軍基地の存在は、基地周辺の住民にレイプ犯罪を初めとする深刻な人権犯罪を引き起こします。沖縄の人びとは、米軍の直接統治が終わった1972年以後も、頻発する米軍犯罪の恐怖にさらされています。

沖縄だけではありません。「米軍再編」を通じて新たな米軍基地機能の強化にさらされる神奈川県の座間、山口県の岩国などでも住民の反対運動が広がっています。新しく原子力空母ジョージ・ワシントンが配備された横須賀でも、多くの市民が反対の声をあげています。

日米安保同盟、日本、沖縄や韓国、グアムなどの米軍基地は、決して「平和と安全」に貢献するものではありません。むしろ住民の生活と権利を破壊し、東アジアと世界の平和を脅かす存在になっているというべきです。

私たちは、新たな基地建設を断念し、沖縄、日本「本土」、そして韓国から米軍基地を撤去することを強く望みます。

ヒラリー・クリントン国務長官、こうした声は、あなたが接する日本政府の代表からはなかなか聞こえてこないでしょう。しかし私たちの訴えは、決して「とるにたらない」少数派のものではありません。むしろ多くの人びとの未来に向けた「チェンジ」への希望をこめたものと受け取ってください。

2009年2月16日
WORLD PEACE NOW

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