私と憲法92号(2009年1月1日号)


憲法審査会の始動を許すな~改憲手続き法から1年半

2007年の第166通常国会で改憲手続法が強行されてから1年半が過ぎたが、次の国会から設置するとされた憲法審査会は、第170臨時国会が会期末を迎える2008年末に至っても、全く始動のメドが立っていない。一度決めたことが4国会連続して流れてしまうというのは極めて異常な事態ではあるが、もともとの法案成立に無理があった以上,その後の段取りがスンナリ進む訳がないとも言えるし、そもそも、どの世論調査を見ても、今すぐ改憲をという切羽詰った民意はどこにも存在しないのである。

しかし、拙速の愚を冒してまでも改憲手続法に固執した側にとっては,この状態は非常に我慢のならないものであるようだ。最近の産経や読売の社説や論壇は、こうした勢力の焦りを反映したものが登場することが多い。

そんな中、2008年11月に中山太郎元外相が「実録・憲法改正国民投票への道」というタイトルの本を上梓した。中山元外相と言えば、改憲議連の発足時からの中心人物であり、衆院憲法調査会の会長を務め、憲法審査会が発足した際の会長にも擬せられている人物である。参院における与野党逆転を背景に政権運営が手詰まり状態に陥っている状況下で、こうした人物の新著が出てきたことは、決して偶然ではあるまい。

この本の最終章(212~213頁)で、法律上は設置された憲法審査会が有名無実化しているのは構成や運営手続を定める「憲法審査会規程」が野党の反対で成立していないためであるが、立法府が自らの決定を蔑ろにするのは言語道断だと述べた上で,民主党の決断を促している。その理由として、改憲原案審議の凍結が解ける2010年までに積み残した宿題の整理を挙げているが,その「宿題」には、技術的な瑣末な事項の「積み残し」ではなく、一般的国民投票や最低投票率、発議方法、運動規制、成人年齢など制度設計の根幹部分に関するものが多く含まれている。つまり、本来ならば一旦白紙に戻して仕切り直しすべき性質のものであり、付帯決議が18本にものぼったこと自体、立法者自ら欠陥法案であることを告白しているに等しい。

本稿をここまで書いたちょうどその時、12月17日の自主憲法制定国民会議の会合で、山崎拓が改憲を軸とした政界再編と大連立による改憲の断行を訴えたとのニュースが入ってきた。2007年末の読売の主筆も絡んだ一連の動きもそうだが、何としても民主党との関係を修復し、改憲翼賛体制を復活させたいというのが彼らの本音らしい。何故なら、改憲には両院での3分の2の特別多数による議決と国民投票という2つのハードルを乗り越えなければならず、郵政解散で300を超える議席を得た時でさえ与党の得票率は選挙区で49%、比例区で51%に留まっていたことを考えると、事実上、与野党の合意なしに改憲はできない制度設計になっているからである。だからこそ、事前の論点整理の段階から船田・枝野コンビの協調体制で進めてきた(90~134頁)のに、安倍前総理が粛々と進んできた法案を政局化させて以降、政党間の空中戦になってしまったことに苦言を呈する一方、民主党にも憲法を徒に政局化させないで議論のテーブルにつくよう、秋波を送っているのである(136頁以下)。

しかし、彼らが憲法審査会の始動に執拗とも言えるこだわりを見せるのは、改憲手続法の単なる「残務整理」のためだけであろうか。それとも改憲原案の検討を前倒しで行なうためであろうか。確かに、それもあるだろうが、「あれば便利」かもしれないが、さりとて「どうしてもなければ困る」というものでもあるまい。

それよりも注目したいのは、「海賊対策」に名を借りたソマリア派兵の動きや、海外派兵恒久法を巡る動きである。こうした問題は、必然的に集団的自衛権の問題や武力行使の問題に行き着かざるを得ない。実は、10月1日の赤旗や9月30日の時事通信が伝えるところによれば、麻生首相と中山氏の会談の中で、これら憲法上の課題を憲法審査会で議論をという話が出た模様なのである。

戦力の保持と交戦権の行使を禁じた憲法の下で、既に世界有数の軍隊を持ち,戦時・戦場派兵まで行なっていながら(われわれの立場からすれば決して認められる話ではないが)、それでも改憲しないと不都合な点と言えば、集団的自衛権と海外での武力行使以外に考えられない。安倍内閣が総裁任期中の改憲を公言していたのも、「米軍再編」が完了し、日米両軍が物理的にもシステム的にも一体化する2012年までに集団的自衛権を解禁する必要に迫られていたという側面もある。

そこで、改憲を政局にしたために頓挫した安倍路線に替わって「実質的に」改憲を実現するための仕掛けとして、憲法審査会を利用しようというのである。もともと、憲法調査会の議論の中で、憲法裁判所についての議論と関連して、これまで内閣法制局が独占的に行なってきた憲法の有権解釈を立法府自ら行なうようにすべきだという主張が自民・民主両党の委員から出されていた(2004年10月14日:民主・枝野幸男、2004年12月2日:自民・永岡洋治、2005年2月17日:自民・船田元、2005年2月24日:自民・葉梨康弘)。だからこそ、自公民による改憲翼賛体制の「夢よもう一度」ということなのだろうが、そんなものを認める訳にはいかない。

われわれはこの5月、「九条世界会議」の成功を勝ち取り、改めて、世界は九条を望んでいるとの確信を深めることができた。7000を超えた「九条の会」は、全国津々に、各分野や職域に、そして海外にも拡がりつつある。雇用の不安、年金をはじめ老後の不安、崩壊する地域医療など生活に不安を抱える人々にとって、幸福追求権や生存権を掲げた憲法は生きる上での拠り所である。こうした人々と心を一つにして、声を合わせ、力を合わせて、何としても展望を切り拓いていこう。
(小川良則・憲法を生かす会)

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海賊対策に名を借りたソマリア沖自衛隊派兵特措法の制定は憲法違反であり、取りやめるべきである

171通常国会に特措法案上程か

麻生太郎内閣はソマリア海賊対策に名を借りた海上自衛艦の派兵のための特別措置法案を、次期第171通常国会に上程しようとしている。

麻生内閣は第170臨時国会で、当初、ほとんど成立をあきらめていた「インド洋派兵給油新法延長法(テロ特措法延長法)」を民主党の拙劣な国会対応でタナボタ式に衆院再可決という非常手段によって手に入れた。先ごろ浜田防衛相は今春の名古屋高裁判決で違憲とされた航空自衛隊のイラク派兵を年内に引き上げる命令を出したが、このことで、自衛隊の「反テロ戦争」における主要な国際的プレゼンスはインド洋での補給活動のみとなった。米国はオバマ新大統領の誕生で、その対テロ戦争戦略の重点をイラクからアフガンに移そうとしている。米国の新政権の下で、日本政府に対するアフガン戦争などへのいっそうの加担の要求は強まる方向である。政府与党には米国などの要求に対応して、ソマリア沖海賊問題をテコに特措法を制定し、自衛隊の海外派兵を拡大し、これをさらに一般法化して、自衛隊の海外派兵恒久法の制定につなげたいとのねらいがある。

任期中の明文改憲実現を唱え、9条改憲をめざした安倍晋三内閣の崩壊で、90年代からの9条明文改憲の動きは一頓挫した。これは安倍内閣が教育基本法の改悪や改憲手続き法の強行成立に成功したものの、世論の支持を失い、明文改憲の野望が挫折した結果であった。改憲派はいま、再び迂回戦略に方針を転換し、解釈改憲による9条の事実上の破壊をすすめようとしている。海賊問題に名を借りたソマリア派兵特措法の制定は、そうした危険なねらいの一環である。いま衆議院解散を前にした171通常国会で、このソマリア派兵特措法を制定させないことは、平和を求める日本の民衆運動の重大な課題となっている。

ソマリアの海賊の状況

ソマリアは東アフリカのアフリカの角と呼ばれる地域を領域とする人口840万人の国家で、ジブチ、エチオピア、ケニアと国境を接し、インド洋とアデン湾に面する。海岸線はアデン湾とインド洋をあわせて約3000キロ。アデン湾は欧州とインド洋を結ぶスエズ運河に通じており、対岸はイエメンで、この湾は年間約2万隻の船舶が航行する。うち日本関係船舶は1割の約2000隻。1991年に勃発した内戦により国土は分断され、エチオピアの軍事支援を受けた暫定政権が首都モガディシオを制圧したものの、依然として内戦状態が続き、無政府状態である。

麻生内閣と自民党は東アフリカ・ソマリア沖で頻発する海賊問題に対処するためと称して、海上自衛隊の現地派遣を可能にする特措法を制定しようと、その準備を進めている。防衛省によると、ソマリア沖やアデン湾では、今年、未遂も含めて102件の海賊被害事件が発生しており、日本関係は3件にのぼる。4月には日本郵船の大型タンカー「高山」が襲撃され、8月にも日本のタンカーが海賊に乗っ取られる事件が起きた。

ソマリアの「海賊」はそのほとんどが漁民出身であり、漁船を改造した母船を中心にした高速艇に自動小銃やロケット砲で武装しており、全体で300人ほどを数えるという。そのねらいは人質に取った船員と船の身代金奪取にあり、人質に危害を加えた例はまだない。

11月15日の『朝日新聞』の報道では、海賊の一人が「みんな漁民だった。政府が機能しなくなり、外国漁船が魚を取り尽くした。ごみも捨てる。我々も仕事を失ったので、昨年から海軍の代わりをはじめた。海賊ではない。アフリカ一豊かなソマリアの海を守り、問題のある船を逮捕して罰金を取っている。ソマリア有志海兵隊(SVM)という名前もある」と語っている。

国連安保理は6月8日(決議1816号)と10月9日(1838号)に、海賊対策の決議を出した。各国も対策に動いており、11月20日にはカイロで紅海沿岸諸国による国際的な対策会議が開かれていたし、すでに欧米諸国からは10カ国ほどが艦船を派遣している。しかし、海賊は活動領域をアデン湾からケニア沖に移動するなど、掃討作戦はいたちごっこで、続発する海賊事件を防ぐことができないでいる。

ソマリア沖派兵特措法制定に向けた動き

<民主党長島昭久議員と麻生首相の同調>

これに関連して、第170臨時国会の10月17日、衆院テロ防止特別委員会で民主党の長島昭久委員が行った質問に麻生首相が「いいことだ、検討する」と同意するという出来事があった。これは民主党と麻生内閣が共同して同法を制定する動きに直結するような驚くべきやりとりであった。
そのあらましを民主党ホームページでは次のように報じている。

長島昭久議員は、17日午後の衆議院テロ防止・イラク支援特別委員会で、海上における日本の国益を守るため今緊急に必要な政策は日本関係船舶の安全確保だという見解を示し、麻生首相らと議論した。(中略)

また、ソマリア沖アデン湾の海賊脅威の拡大に言及して「1年間に起こった新しい現実を踏まえて、新しい法律案も含めて議論しなくてはならない」と対策の必要性を提起、……首相は「海上警備行動としては極めて有意義だ」として、海賊被害対策として建設的な議論を進めることに前向きな姿勢を示した。

長島議員は、海賊対策に関する国連決議について、共同提案国である日本の対応を中曽根外務大臣、浜田防衛大臣と議論。P3C哨戒機による警戒監視などの海上阻止活動は現行法のもとでも可能であるとして実効的な対策を求めた。海上警備行動の発令における地理的制約を問われた浜田防衛相は「任務達成に必要な限度において公海に及ぶ」と答弁。長島議員は「日本関係船舶が実際に海賊に襲われる事例が頻発する場合、当該海域を危険として海上警備行動を発令することは可能か」と質し、「ソマリア沖の海域が必ずしも排除されているものではない」とした。

長島議員は、武力行使を目的とせずに派遣された海上自衛隊の護衛艦が船舶をエスコートすることについて海賊襲撃の抑止効果があるという見解を示し、国連決議の存在や欧州諸国の本気の取り組み例を挙げて「いつまでもただ乗りのそしりをうけるわけにはいかない」と主張した。

政府案の燃料の無償提供については「間接的な協力貢献」、政府の進める沿岸国の能力強化については「中長期的課題」との認識を示し、直接的に日本関係船舶を自衛隊によりエスコートし、安全確保するための政策の立案が今緊急に必要で、海上における日本の国益を守るとした。麻生首相は「こういった提案をいただけるのはいいことだ。検討する」とした。

<日本政府、国連安保理決議の共同提案国に>

すでに述べたように、国連安全保障理事会は今年6月、ソマリア領海内での海賊取り締まりを認める決議を採択した。この二つの決議は米仏などが主導し、そのいずれにおいても日本政府は共同提案国に加わっている。ソマリア沖ではすでにアフガン戦争に関する「不朽の自由作戦(OEF)」の一環と位置づけて米国などの多国籍軍が「海上阻止活動」を実施している。くわえて、この安保理決議を受けて欧州連合(EU)の有志国が海軍軍艦を派遣しようとしている。すでに米国は陸上での作戦も不可欠として、ソマリア沿岸部での空爆を含む拠点制圧作戦実施を1年の期限付きで認める決議案を安保理各国に配布した。

この自衛隊ソマリア沖派兵は、自衛隊が海賊に対して武力行使した場合、憲法第9条が禁じている「武力の行使」に抵触するおそれがあり、また同地域で外国船が海賊に攻撃された場合に海自艦船が駆けつけて応戦することは政府が憲法が禁じていると解釈している「集団的自衛権の行使」に該当する恐れがあると、各方面から指摘されている。憲法違反の可能性が指摘されている自衛隊のソマリア沖派兵について、日本政府が国会でこの問題を検討する以前に、国連での共同提案国になっていることは重大な問題である。そのうえ、この国連決議を根拠に日本政府が憲法破りをすすめようとするのは、まさにマッチポンプであり、許されない違憲行為というべきである。

<『産経新聞』主張が「法的不備をただせ」と>

この特別委員会での長島議員と麻生首相のやりとりの後、『産経新聞』主張(10月18日)は、「中東に原油の9割を依存する日本にとって、シーレーン(海上交通路)の安全は死活的に重要だ。国際社会は海賊を取り締まる行動をとっており、日本としても国際共同行動に参加できるとすれば、意味は大きい。自国のタンカーなどの護衛は、どの国にとっても当たり前のことだが、日本は海自にそうした任務を与えていなかった。……こうした海賊行為を排除することができない法的な不備は一刻も早く是正されねばならない。首相がこうした問題の解決に意欲を示したことを率直に評価したい。……首相は『法制上どういう問題があるかを含めて検討する』と語った。海賊掃討を含め、国際平和協力のための恒久法制定は必要とされながらも、与野党による具体案づくりは進んでいない。……国連安保理も海賊制圧の決議を行っている。日本は共同提案国だ。世界の平和と安定のための役割をきちんと担いたい」と。この産経紙の主張は憲法に関わる「法的不備」を正せと言い、海外派兵恒久法制定を推進することを主張している。

民主党の鳩山幹事長は翌18日、記者会見で「日本の船だけでなく、海外の船を守るのであれば、法律の制定は必要だ」「政権交代の後、積極的、前向きに検討する」と問題のありかすら知らないかのように無責任な評価をした。しかし、民主党はこのあと、党内外の批判を受けて「衆院選後、正当な政府ができた上での責任ある議論が必要だ」(直嶋政調会長)などと、消極姿勢に転じたと言われている。民主党は先の国会におけるテロ対策特措法の民主党対案が含んでいたISAF(国際治安支援部隊)やPRT(地方復興チーム)協力などによるアフガン陸上派兵と海外派兵恒久法の容認につながるような問題点を撤回し、ソマリア沖海自派兵に明確に反対すべきである。

<『日本財団』、提言発表>

その後、政財界での特措法への動きは急速に強まった。
日本財団(笹川陽平会長)と海洋政策研究財団は14日、「ソマリア沖海賊対策提言」を発表し、自民・民主の議員に賛同を求めた。提言は<1>海自艦を調査目的でソマリア沖に派遣、他国艦船に情報提供する。<2>海賊行為があったら自衛隊法の海上警備行動を発令して対処する、<3>抵抗する海賊に武器使用を可能にするため特別法を制定する、などが盛り込まれた。

<自民党、PTを発足>

10月24日、自民党国防関係合同会議は「ソマリア沖海賊対策新法」制定に向け、プロジェクトチーム設置を決めた。この会合で防衛省は「護衛艦の派遣は自衛隊法の海上警備行動の発令で可能であり、現行法で対処できる」との見解を示したが、出席議員からは「海上警備行動は日本周辺での事態を想定している」「護衛艦は日本船舶しか守れないので、他の海軍と協力する上で問題が生じる」などの異論が続出、今後、PTで検討していくとしたという。

28日、浜田防衛相はテロ特措法で活動していた自衛隊補給艦がソマリア沖で海賊退治の活動をする米海軍などの艦船に給油していたことを認め、「二重任務」の実施を認めた。これは昨年問題になった、イラク作戦に従事する米艦への給油と同様に「新テロ特措法」違反である。

<超党派議連『若手議員の会』、法案とりまとめへ>

11月20日には自民・公明・民主などの議員でつくる議員連盟「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」(101人が加盟、世話人代表は中谷元=自民・元防衛庁長官、前原誠司=民主党副代表、上田勇=公明党政調副会長。会の取りまとめは安倍晋三元首相の側近の西村康稔衆院議員=自民が担当)が特措法案のとりまとめと、次期通常国会への提出をめざすことを決めた。特措法案では武器使用につながる海賊取り締まりより、被害を未然に防ぐ対策に重点をおくと説明。具体的には護衛艦による日本関係船舶の護衛や、P3C哨戒機による監視などを想定しているという。

<政府、特措法案素案をとりまとめ>

11月20日、政府は6月の国連決議を法的根拠とする「海賊行為防止活動特別措置法案」(仮称)素案をまとめた。同素案は自衛官の正当防衛、海賊が武力で抵抗した場合の武器使用を容認し、護衛対象に外国船も含めた。

活動範囲は「日本領海とソマリア沖」と規定し、自衛隊部隊による活動として(1)同海域を航行する船舶の監視や伴走(2)海賊船への停船命令や立ち入り検査、を例示。周辺海域で戦闘行為が発生した場合は、活動を中断して避難する。(3)武器使用については「海賊行為防止活動の実施に対する抵抗を抑止するため武器を使用できるほか、自衛官は、自己保存のための武器を使用できる」と明記した。

報道によれば、この特措法案と並行してソマリア沖に限らず公海上すべてで活動が可能になる「一般法」も検討されているという。これはまさに自衛隊海外派兵恒久法の先取りに他ならない。

ソマリア沖特措法の問題点

<1>「まず自衛隊派兵ありき」の発想の問題

この問題に対する各界の反応は、「日本が大きな経済的利益をこうむっているのに何もしないでよいのか、日本も積極的に貢献しなければならない」ということで、まずなにはともあれ自衛隊を派遣しようという動きで、そのための法整備をはかろうとしているのである。「国際貢献は自衛隊で」という発想はこの間のイラクやアフガン支援の問題で明らかになったように平和の実現に逆行するものであり、大きな問題がある。この動きは「海賊から商船を守るのは当然」という世論の支持があるであろうことを前提にした動きである。海賊対策に名を借りて「まず自衛隊派兵ありき」の立場から、自衛隊の海外派兵を恒常化させたいという危険なねらいによるまやかしをうち破らなくてはならない。

ことは民間船舶の商業活動の防衛の問題である。商業船舶の運航なのであるから、危険があらかじめわかっているスエズ運河廻りを通らないで、比較的安全なアフリカ南端の喜望峰を廻るということは考えられないのかという当然の疑問がある。この疑問に対しては「所用日数が大幅に増え、費用が大幅に増大するから困難だ」というのである。いまなされているのは、民間の商業活動による利潤の追求のために、憲法が禁じている行為を行い、膨大な国家財政をかけて自衛艦やP3C哨戒機を派遣するという度し難い議論なのである。

海賊対策がどうしても必要というのなら、本来、こうした海賊船の襲撃に対処するのは自衛隊の問題ではなく、警察活動である。この場合、海上警察活動は日本では自衛艦ではなく、海上保安庁の巡視船が行うべき問題である。

早稲田大学の水島朝穂教授は「ソマリア沖の海賊と自衛隊」という論文(12月8日、水島氏のブログ)で以下のように述べている。「国連海洋法条約100 条は、『すべての国は、最大限に可能な範囲で、公海その他いずれの国の管轄権に服さない場所における海賊行為の抑止に協力する』と定めている。海賊船の拿捕は、『軍艦、軍用航空機その他政府の公務に使用されていることが明らかに表示されておりかつ識別されることのできる船舶又は航空機でそのための権限を与えられているものによってのみ行うことができる』(107条)。それぞれの国は『最大限に可能な範囲で』協力すればよいのであって、憲法上疑義のある自衛隊海外派遣ではなく、もしどうしても必要ということになれば、『政府の公務に使用されて』おり、かつ海上警察権限をもっている、海保の巡視船を派遣するのが妥当だろう。」「海上保安庁は、ヘリコプター搭載の大型巡視船(PLH型)を13隻保有し、とりわけ『しきしま』(第3管区海上保安本部所属、全長150メートル、排水量6500トン)は、ヘリ2機(AS332L1)搭載の世界最大クラスの巡視船である。『はたかぜ』級護衛艦と同クラス。航続距離は2万海里の遠洋型で、日本から欧州まで無寄港で航行できる。35ミリ連奏機関砲2、20ミリ機関砲2を装備。高性能レーダーを備え、武装した高速船にも対応可能とされる。海賊は組織犯罪であり、それに対応するのは海の警察であるべきだろう」と。にもかかわらず、政府与党が考えるのは「はじめに自衛隊派兵ありき」なのである。

しかし、それにしても海上保安庁の任務として、日本領海をはるかに超えてアフリカ東部のソマリア沖まで派遣できるのかという法的問題が残るのである。

<2>自衛艦の派兵は海賊対策に役立たない

なぜ自衛隊派兵しかないのか。それは本当に有効なのか。
  前出の『朝日新聞』(11月15日)の記事では、ソマリアの隣国イエメンから来日したアルマフディ沿岸警備隊長は「自衛隊より財政援助を」として次のように語っている。

「(海上自衛隊の派遣は)高い効果は期待できず、必要ない。むしろ我々の警備活動強化に支援をしてほしい」とのべ、交通の要所であるアデン湾は、向かいのソマリアが無政府状態のため、約2300人のイエメン沿岸警備隊が主に海上警備を担っている。だが現態勢では約1200キロの海岸線の3分の2は手が回らない。「この海域では麻薬密輸や人身売買も横行している」として、基地港5カ所の新設や高速警備艇10艇導入などの財政支援を求めた。海上保安庁からは警備の技術指導も受けたいという。「日本から自衛隊を派遣すれば費用がかかるはず。現場をよく知る我々が高性能の警備艇で取り締まった方が効果があがる」という。

当然である。広い東アフリカの海域や海底の地形が複雑なアデン湾で、その海に詳しくない自衛艦が地元の漁民を主体にした海賊を追いかけても、いたちごっこになることはあきらかであろう。

外務省も「ソマリア周辺地域における海賊行為は、沿岸諸国の治安維持能力、国境管理能力の欠如が大きな要因のひとつであると考えられ、わが国はこれらの能力の向上を目的として以下のプロジェクトを実施中」として、1)ソマリア暫定政府の国境管理強化セミナーに100万ドル拠出。2)暫定政府警察官の治安維持能力強化訓練に400万ドル拠出予定。3)イエメン海上保安能力強化のため沿岸警備隊2名の研修実施。4)タンザニアの税関行政、イエメンのテロ事件捜査セミナー、イエメン、タンザニアの上級警察幹部セミナー、ケニア、タンザニアの警察行政セミナーなどの研修員受け入れ、等に取り組んでいる。こうした支援の本格的な延長で、例えばこのイエメン沿岸警備隊の要請など、東アフリカ諸国との協力強化の要請に応える方が、より現実的で、効果的であろう。

従来、大きな問題になったマラッカ海峡の海賊問題でも、日本政府は1)ASEAN諸国、中国、韓国、インド、バングラデシュなど関係各国の協力円滑化のための法的枠組み整備、2)各国海上保安機関にたいする無償資金協力、3)海上保安機関の連携強化、4)各国海上保安機関取り締まり能力向上支援、⑤)ASEAN地域フォーラムにおける海上安全保障会機関会合、などによりその対処に取り組んできたのである。これが教訓とされるべきであろう。

派兵論者がこうした具体的な対策をとるのではなく、まず自衛隊派兵だととなえているのは、「海賊被害」問題を真に解決しようとするところとは別の危険なねらいがある。

<3>国連決議の問題点

派兵論者は国連決議を盾に派兵を主張する。すでに紹介したように、国連安保理は6月8日(決議1816号)。10月9日(1838号)、海賊対策の決議を出した。いずれも日本政府も共同提案国である。「同決議は、ソマリア暫定『政府』(Transitional Federal Government, TFG)(日本は政府承認していない)による安保理への要請に基づき、国連憲章第7章下で、関連する国際法の下で海賊に関し公海上で許容される行為に合致する方法で、対象地域、目的、期間を一定のものに限定しつつ、TFGに協力する各国に対して海賊・武装強盗対策のために必要な措置をとることを承認する等を内容としている」(外務省)。

これはソマリアの海賊の掃討のためソマリア領海内での武力行使を含む制圧行為など「必要なあらゆる措置」をとることを加盟国に認める決議である。しかし、この決議には重大な問題がある。国連憲章第7章は侵略国家対策とは異なる海賊行為などの組織犯罪に適用できるとするのは無理があるとの指摘がある。

そしてなによりも、この両決議のいう武力の行使を含む「必要なあらゆる措置」は日本国憲法第9条の禁ずるところであり、日本の自衛隊はこの軍事行動には参加できない。決議1816、1838のいう海賊対策には日本政府は参加できない。言うまでもないことであるが、このこと自体、日本は何ら恥ずべきことではない。これを日本政府が国連に於いて共同提案すること自体が憲法違反である。

<4>政府案は憲法違反

政府がいう自衛隊法82条の「海上における警備行動」を適用して自衛隊を派兵するというのは、同法の主旨が自衛隊の出動は海上保安庁の手に負えない事件であり、また立法当時の主旨から見てその活動は日本の主権の及ぶ領海内での活動と考えられ、遠くソマリア沖などという領海外の活動は隊法の想定外であり、権限逸脱になるのではないかと考えられる。

さらに政府案がいうような派遣自衛艦の活動として「海賊船への停戦命令や立ち入り検査」「抵抗抑止のための武器の使用と自衛官の自己保存のための武器の使用」「外国船も護衛対象」などの任務を規定しようとするのは、憲法が禁ずる「武力の行使」と「集団的自衛権の行使」に直結するものであり、憲法違反になる恐れがあるので、目的、対象、期間などを限定した特措法をもってしても、憲法上不可能である。

これと並行して検討されているという同法制の「一般法制化」は、いつでもどこへでも海外派兵できるものであり、この間、自民党が狙ってきた自衛隊海外派兵恒久法制定の先取りそのものである。

根本的な解決はソマリアの内戦の終結以外にない

すでに指摘したように、ソマリア沖の海賊の実態は困窮した漁民である。漁民が困窮する原因はソマリアの内戦と無政府状態である。

ソマリアはイタリアとイギリスの植民地だったが、1960年に独立した。言語・宗教は単一だが、多くの氏族、準氏族に分かれており、60年代に社会主義を名乗るバーレ政権が政権掌握、米ソの経済・軍事援助競争の舞台になる。80年代に北部はソマリア国民戦線、中部は統一ソマリア会議、南部はソマリア国民戦線が分割支配、三つ巴の内戦が起きる。1991年、アイディード派の統一ソマリア会議がバーレ大統領を追放し、首都モガディシオを支配するが、内紛で分裂し、米ソから供与された武器を使って内戦が起きる。内戦は全国に拡大して無政府状態となる。「独立から31年目、ソマリア国はなくなった」と言われる。飢餓が広がり、隣国のイエメン、ケニアなどに脱出する難民が激増した。国連やNGOによる『援助』は武装勢力により阻害された。国連は「人道目的初のPKF活動」を決議。米軍を主力とする国連平和維持軍がソマリアに派遣されるが、アイディード派が激しく抵抗。米軍は多数の死傷者を出し、1994年、逃げるように脱出し、国連PKFは失敗に終わる。2000年には国外でソマリアに基盤を持たない暫定政府が発足、首都モガディシオを支配していたイスラム法廷連合に、エチオピアの支援を受けて攻撃。エリトリアの支援を受けた法廷連合との内戦が激化した。現在も無政府状態が続いている。

ソマリアの内戦と人道被害、無政府状態は、旧来の帝国主義の植民地支配と米ソの覇権争奪による無責任な軍事介入の結果である。この問題の解決なくして、ソマリア海賊問題の真の解決はない。日本政府のいうような海上輸送路の確保などという自国の利害から、自衛隊を派兵し、介入することでは問題の解決にはならない。大国の支持を受けた隣国による内戦への介入でも問題は解決しない。

東アフリカ地域においても和平を模索する動きはある。9条を持つ日本のとるべき道は、いかに困難であってもアフリカ連合(AU)などによる和平の道の模索を支援することである。 (2008年12月14日 高田健)

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第37回市民憲法講座(要旨)激動する政局と現在の憲法問題

高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)

(編集部註)11月22日の講座で高田さんが講演した内容を編集部の責任で要約したもの。要約の文責は全て本誌編集部にあります。

世界史的変動の時代

今頃は選挙直後で揺れ動く情勢になり、そういう問題は学者もなかなか話してくれないので、と引き受けて仮題で準備したんですね。ところが選挙は早くても来年の春だろうという話で、当初の狙いとは違ってきていますが、最近の田母神論文とか含めて憲法状況は大変揺れ動いていますから、その辺のことについて今日はお話しをしたいと思います。

私がいま強く感じるのはこの世界全体が非常に行き詰まって、いままでのようなやり方では続かない時代が来ている、明らかに歴史的に大きな変化の時代が来ているということです。しかしここから何に変わっていくのかはなかなか見えないんですね。そういう時代で、いろいろな人が展望を模索していると思います。

例えばいま金融世界大恐慌が吹き荒れていますが、従来ずっとアメリカ中心のカジノ資本主義などといわれた、ドル基軸体制のもとでのアメリカの産軍複合体を中心とした経済体制がこの間ずっと続いてきたわけです。特に90年代初めの冷戦体制が崩壊してからはそのアメリカの市場経済万能主義が世界全体を支配して、それが世界基準になってきたんですね。10数年、20年近く経つ中で、それが破綻をしてきた、そういう時代だと思うんです。それが昨今の株価、金融市場の乱高下、大暴落という事態になって、この日本も巻き込まれ、世界全体も巻き込まれてG20とかのかたちでいろいろな各国の首脳がこれをどう打開するかということに必死ですけれども、なかなかその打開の方策が見えないという時代にいまは入っているんだと思います。

この経済体制、金融の体制を支えてきた理論に金融工学という理論があるんですね。これはノーベル経済学賞をもらった理論ですけれども、実はこの金融工学自身が徹底的に破綻をしたことがいま明らかになった。最近、湯浅誠君が日本で「貧困ビジネス」、彼はそういう言葉を使って、いま日本で貧困ビジネスが横行していることを言っていますけれど、この金融工学はいわば世界的な金融市場での一種の貧困ビジネスのようなものですね。貧しい人たちにどんどんお金を貸して、そこから収奪をしていく、そういうアメリカ経済のやり方がいま破綻したことが証明されたと思うんです。湯浅君は貧困ビジネスの説明で、たとえばゼロゼロ物件の話をします。アパートが借りられない、そうすると敷金や権利金などがゼロということで入れますという不動産業が非常にはやっているんです。そこへ行くと実際は1日でも支払いが滞るとすぐにたたき出されてしまうような、一番困って、明日住む、今日住む家がない人たちから収奪して儲ける。これはもう資本主義のやり方として最悪のやり方がいまこの国でもまかり通っています。貧しい人から徹底して収奪するやり方です。

彼はそういう例のひとつに自衛隊をあげています。先日も彼に話を聞く機会がありましたが、「もやい」に自衛隊から話が来る、湯浅君にこの間ずっと会いたいと自衛隊が言ってきた。しばらく会わなかったけれど、この4月くらいに会ったそうですが、自衛隊から“あなたのところにいろいろと仕事のない人が来るでしょう、その仕事がない人を自衛隊に紹介してくれませんか”という話が来たと言っていました。彼は、自衛隊も国家的な貧困ビジネスだと言って本当に怒っていました。

そういう一番貧しくて苦しんでいる人たちからまで収奪するような資本主義がいま破綻しつつある時代だと思います。大変な時代になっている。このあとの新しい対抗的なシステムをなかなか見いだせない。暗い感じが、閉塞感が社会を覆っていますね。官僚に対する連続した襲撃事件、あれも本当にテロなのかどうなのかという問題もあって、一概には言えませんけれど、暗い状況の中で嫌な事件が起きている、そういう時代だと思います。

憲法9条は対抗社会に活かせるか

そういう時代に憲法9条を本当に次の対抗社会を考える上で活かすことができるのかどうかということがいまひとつの大きなテーマになっているんじゃないかなあと私は思っています。この前の戦争、1945年に終わった、日本で言えば15年戦争、世界的に言えば第二次世界大戦ですが、城山三郎さんはあの戦争で得たものは9条だけだったという、非常に有名な言葉を言いましたよね。あの戦争はいいところは何もなかった、ただひとつ言えるとすればあの中から憲法9条が生まれた、それがこの新しい21世紀に憲法9条のような考え方が世界の中で指標になっていくのかどうか。いま憲法9条はあまりにも理想主義に過ぎて実際には無理だという話が改憲派の人たちから言われます。

前田朗さんという先生が実際に自分の足で歩いて確かめて、世界に軍隊のない国が27カ国ある。いま国連加盟国が193ですか、国連に加盟していない国もありますから200ケ国くらいで軍隊のない国が、小さい国が多いけれど27カ国ある。1割以上ですよね。そしていま南米のボリビアで新しい憲法を採択しようとする国民投票が目前に迫っています。この憲法はすばらしい平和憲法です。日本の憲法9条のように軍隊を持たない、戦争をしないというだけではなくて、外国の基地もいっさい置かせない条項が、国民投票にかけられようとするボリビアの憲法の中に入っています。もっと早くこの憲法は国民投票にかけられる予定でした。安倍さんが首相の時代にボリビア大統領が日本に来て、日本国憲法の9条のような平和条項を今度自分たちの国の憲法に入れようと思っている、と憲法9条を持っている国の首相だから褒められると思ったのかもしれません、報告をしたんですね。安倍さん、まったく無反応だった。だから新聞には小さいベタ記事しか載りませんでした。それから紆余曲折がありながら、まもなくボリビアでもこの平和憲法が多分採択されることになっている。世界の中で軍隊がない国などというのは夢物語だ、単なる理想に過ぎないと言われながら27カ国、もしかしてボリビアが加わって28カ国、そういうところがいま世界に存在していることも私は希望のひとつではないかなあと思っています。

アメリカ経済が破綻した原因ははっきりしていますよね。この間のイラク・アフガン戦争で戦費だけではなくて帰ってきた人たちの手当なども含めてアメリカが投入したお金は3兆ドル位になっていると思いますね。あの国の国家財政を大きく揺るがしている。アメリカの貿易・財政の双子の赤字の最大の原因が戦争を進めてきたところにあるわけですから、この戦争をやめることがもしできるとすれば世界はどんなに変わっていくだろうということが、私は27カ国の中にわたしたちのひとつの希望があるんじゃないかなと思っています。ですから9条は夢物語だといわれながら、しかしわたしたちはそうではない、ということをこれから言って行かなきゃいけないと思うんですね。

「90年代改憲運動」の登場と3つの背景

この9条を変えようと本格的に起こった最近の運動を、私は「90年代改憲運動」と言っています。1990年代から日本国憲法9条を変える運動が非常に強まりました。90年代、最初の頃に湾岸戦争があった時代です。あの時点で日本はPKO法を成立させるんです。湾岸戦争に対して日本は自衛隊を出せませんでしたから、当然にも。そこでアメリカからの要求で戦費をたくさん出した。にもかかわらず、血を流さないで金だけ出したとちっとも評価されなかったのが当時の日本政府の大きな後ろめたさになったわけです。こういう状態を何としても変えなきゃいけないというのが90年代初めの日本政府の問題意識でした。当時の自民党の幹事長はいまの民主党党首の小沢一郎さんですけれど、小沢さんが自民党の幹事長だった時代に日本は湾岸戦争の中で「普通の国」になろうという動きをはじめます。アメリカやヨーロッパと同じように戦争のできる国、それが彼らの考えた「普通の国」ですね。最近誰かが普通の国というのは本当は憲法を守る国だって言っていましたけど、私もそう思います。でも彼らの中では普通の国というのは、憲法を変えて戦争ができる国になろうとする運動でした。これが90年代改憲運動のひとつの要因です。

要因は3つあるんです。もうひとつは、1993年から94年にかけて「朝鮮半島の核危機」がありました。いまもその問題はありますが、いまから15年前、北朝鮮が核兵器を開発しそうだという事件がありました。当時のアメリカの政権は北朝鮮が核保有国家になる前にこれを叩き潰そうと考えました。アメリカはクリントン大統領でしたが、もしアメリカが先制攻撃をすれば、朝鮮半島、東アジアは火の海になるような大変な事態になるわけです。それでシミュレーションをやると、反撃もあるから朝鮮半島で100万人近くが死に、米軍兵士は7~8万人死ぬだろう、それでもこれをやり抜くためにはまず日本の支援が必要だ、日本を基地にして朝鮮半島を叩かなければいけない。わたしたちは93~94年頃日米政府の間でこんな話がされているなんてゆめゆめ思わないで毎日生活をしていましたが、彼らはこういうことを真剣に考えていました。そして日本政府に対して1059項目のアメリカへの戦争支援の要求を出してくるんです。日本はこの項目に支援できますか、支援して下さいという、細かい話まであります。岩国の基地からこういう物資をアメリカに支援して下さいとかいろいろなことが出ています。それがあればアメリカは先制攻撃ができる。北朝鮮を叩くときにアメリカ本土から行って叩くだけでは戦争にならないわけですね。すぐそばの日本のような基地から実際に兵隊と飛行機を出して攻撃をしないかぎり、戦争であの国の核生産体制をつぶすことはでませんから、日本の支援が決定的に重要だった。

日本政府は検討をしましたけれども、全然できる態勢にありませんといって断ります。それは、ないんです。その当時はアメリカの戦争に日本が協力できる仕組みというのはないわけです。憲法9条のもとで戦後何十年やってきたわけですから。これにアメリカは「なんだ日本は、日米同盟といいながらアメリカが必死になってやろうとすることに対してきちんとした支援態勢もとれないのか」と言って非常に怒るんですが、これはしょうがないんですね。それで、クリントンは元大統領のカーターを北朝鮮に送り金日成と手打ちをします。その緊張関係をいったん手打ちをして北朝鮮の核危機の問題を収めることにします。アメリカにとっては非常に屈辱的なことだったと思うんですね。一方日米政府の間では朝鮮半島有事になった場合に日本が本当にアメリカと一緒に戦えるか、あるいは戦えないまでも全面的な支援態勢を取れるのかどうかが大変大きな日米同盟の課題になるわけですね。以降10年間この態勢を整えるために政治はどんどんどんどん進められていきます。それが90年代改憲運動のふたつ目の動機です。

もうひとつあるんです。実は80年代はバブル経済だったわけですね、日本は。それが崩壊した。いまいろいろな論者は「失われた10年」なんて90年代のことを言います。日本の社会全体が非常に低迷した。これをどうやって突破するかという話がもうひとつ重要な課題でした。改憲運動はこれと結びついています。

自民党の中で改憲を進めてきた中心的なリーダーに中山太郎という人がいます。最近こんな本を出しました。「未来を創るのは君だ!-15歳からの憲法改正論」(PHP研究所)、これは15歳の子どもたちを相手に書いた本だというんです。八重洲ブックセンターのベストセラーの第7位か8位に入っています。この中にこういうことが書いてあります。「1990年頃からどこか日本という国が危うくなって来た。バブル経済の崩壊によって景気はどんどん悪化し失業する人たちも増えてきました。そういう状況が引き金になってさまざまな犯罪も増加しました。それでもわれわれ政治家はなすすべがなく21世紀に突入しました。90年代から21世紀初めにかけての10年間は失われた10年と表現されるようになりました。この再生のために憲法は国のかたち、国の心を築きあげるもので、この憲法があまりにも硬直した状況の中に日本の悲劇が潜んでいる」。

日本がこういう状態だと彼は考えまして、何とか日本に元気を与えたい、元気を与えるにはいまの憲法を変えることだと彼は結論するんですね。ですからこういう理由からも90年代初めから改憲運動が盛んになってくるんです。景気が悪くなってみんな元気がなくなってくる、犯罪が起きたり社会が非常に不安になってくる。それを変えるためには日本の心をもう一回取り戻すことだというふうに中山太郎は考えたんです。

実は最近、田母神俊雄の文章を読んでいて彼が同じことを考えているのに気付きました。愕然とするほど似ています。いま一番有名になっている田母神の論文は懸賞で300万円取った論文です。しかし実はこの前にも彼はいろんな文章を書いていまして、その中に「航空自衛隊を元気にする10の提言」という文章があります。彼は航空自衛隊の指揮官でしたから、これを元気するために「10の提言」をしているんですが、その中で中山太郎さんと同じようなことを言っている。

「誰がシナリオを書いているのかわからない。しかし何か日本の国を弱体化するような大きな流れが少しずつ進行しているような気がしてならない」、と書き始めています。そして「バブル崩壊後の景気低迷が長引くにつれて日本人が自信を失い始め、また政治家や高級官僚の不祥事が明るみに出るにつけ国民の国家に対する信頼が揺らぎ始めた。一方では東京裁判史観すなわち日本悪玉論を信奉するグループなどは、これを機会に日本弱体化の動きを加速させつつあるような気がする。例えばわが国が近年推進している男女共同参画社会、夫婦別姓、情報公開、公務員倫理法等は、その有用性を否定するものではないが、他方これが日本弱体化のために利用されているのではないかという危惧を禁じえない。」「自衛隊にもその傾向は現れている。」「日本全体が縮み指向の今こそ元気を出す必要がある。元気がなければ各種変化を察知し、来るべき行動に備えることは困難である。」と言うんですね。

これを航空自衛隊の最高幹部が言っているということを考えて下さい。この文章を読んだときに私はすごいなあと思いました。中山さんと共通しているのは、やっぱりバブルが崩壊してこの国がおかしくなった。失われた10年のような状態になった。こういうときには元気を取り戻さなければいけない。そしてそのためには憲法を変えなければいけない。そういう発想ですね。

1990年代に憲法を変えるという運動が急速に強まってきたその背景にあるものを3つあげました。湾岸戦争をきっかけにして「普通の国」になるということ、元気が出るような国にするということ、これによって90年代改憲運動が朝鮮半島の核危機を含めて、この3つを背景にして1990年代から日本の憲法を変えるという動きが急速に強まってくるんですね。

読売改憲試案と日米安保体制の変容

思い出すかもしれませんが、1994年です、日本最大の部数をもつ読売新聞が、会社の憲法改正私案というものを出します。日本の新聞は前の戦争の反省がありまして、新聞が戦争をあおり立て、戦争のお先棒を担いで戦争へ戦争へと国を持っていったという反省から戦後新聞は各社とも「公正・中立」などということを社の綱領にすることが多くなりました。読売新聞も例外ではありません。日本のマスコミはそういう立場を装ってきたんですね、自分たちは公正中立だという。アメリカの新聞などとは違います。今度のアメリカの大統領選挙でも、例えばニューヨークタイムスはオバマ支持だ、などということを明確にして論旨を展開します。日本の新聞はいちおう中立を装ってやるのが戦後の新聞のあり方になっていたんですね。ちっとも中立ではなかったんですけれども。それが公然と1994年に読売新聞社の改憲私案というものを出しました。これがいまの改憲のいろいろな動きと呼応した大きな動きで、これから憲法を変えるという議論が読売新聞を先頭にして積極的に展開されていくようになります。これは大きな変化だったと思います。

それから日本が朝鮮半島の核危機に対応できる態勢がなかったということで、そのあと日米安保体制の再編がずっと進みます、10年間で。日米安保条約は1960年につくられてから条文自身は変わっていませんが、日本とアメリカの政府はガイドラインを出すことによってその都度その都度、日米安保体制、日米軍事同盟を進めるようにしてきました。そしてこの日米安保のガイドラインをもう一回、1996年頃に見直そうという確認が日本とアメリカ政府の間でされて、新ガイドラインが確認されます。日米安保条約は1960年当時には「極東条項」があり、極東に適用されるということになっていました。朝鮮半島、日本、台湾、そのあたりが極東の範囲。しかしガイドラインの再定義によって、1996年の時点ではアジア・太平洋地域全体に適用される日米安保条約になります。そして新ガイドラインが1997年に締結されて1999年には周辺事態法が制定される。それから2001年には9・11事件を受けてテロ特措法がつくられ、そのあとイラクに派兵するためのイラク特措法が2003年につくられる。2004年には有事関連7法がつくられ、そして2005年に自民党の新憲法草案ができるということで、この10数年のあいだに日米安保体制が大きく変容していきます。日米安保体制がアジア・太平洋全体の中でアメリカの戦争に積極的に日本が加担をして、そこで戦争協力ができるような法律が次々とつくられていきます。わたしたちはひとつひとつ大変な運動をやって反対をしてきて、あるときにはそれらを何年か止めるような運動もしてきましたけれども、この10年以上にわたって日米安保体制は大きく変容し、いまのイラクやアフガニスタンで自衛隊がアメリカの戦争に協力するような、そういう体制がつくられてきた10年でした。

しかしそういう戦争法をたくさんつくってもどうしても突破できないものがありました。それが憲法9条です。憲法9条があるために特別措置法とか時限立法というかたちで、日本の自衛隊が自由にアメリカと一緒に戦争ができる仕組みにはなっていません。ですからアメリカが要求する集団的自衛権を行使するためには、憲法9条を変えないとどうにもならないというところが、いつもこの勢力のネックだったんですね。

90年代改憲運動の中心的なターゲットはこの憲法9条を変えるところにありました。いろいろなことが言われました。例えば人権の問題とか、そういう問題でもいまの憲法は遅れているので変えなければいけないとか言われましたけれど、90年代改憲運動のもっとも肝心の狙いは9条を変えるところにあったのは間違いないと思います。そしてこの9条を変えないことには、いろいろな戦争法をつくってもアメリカが要求するような日本の自衛隊の共同作戦態勢が完成できない、そのことがずっと彼らのネックになってきたわけです。

安倍内閣の破綻

これを何とかしようとしたのが安倍内閣です。安倍内閣ははじめて明確に自分の任期中に憲法改正をやると断言した内閣です。はじめてというか、鳩山内閣以来です。自分の任期中、自民党の総裁が3年ですか、それで任期6年のあいだに憲法改正をすることが安倍内閣の公約になりました。安倍内閣は90年代改憲運動の集大成として任期中の憲法改正を公約をしたけれど、1年間で政権を投げ出しました。安倍内閣が成立したときはものすごい勢いでしたね。9月に成立し、任期中に改憲をするためと言って12月に教育基本法の改悪をやります。それから防衛庁を防衛省にするとかいろいろ矢継ぎ早にやって、翌年には改憲手続き法を成立させます。憲法を変えるための、いわゆる国民投票法と呼ばれたものを成立させました。そして参議院選挙に向かって、彼らは155の公約を発表しました。その公約の第一番目が憲法改正でした。安倍内閣はそれを掲げて選挙に打って出ましたけれども、ご承知の通り過半数を失うという惨敗をします。安倍内閣はそれが大きな理由になって倒れますが、自民党が90年代改憲運動のもっともホープとしてたててきた安倍内閣が倒れたことによって、改憲の動きは大きな打撃を受けます。

これと裏腹ですが、このように急速に改憲の動きを強めたときにこの国では、この社会では、これを阻止しようとする運動も非常に大きくなりました。安倍内閣が非常に急いだことの「成果」というかその反動ですけれど、多くの人たちがこのままでは日本はもう一回かつてのような道に行くんじゃないか、憲法9条を失ってしまったら大変なことになると、運動がこの時期に急速に伸びます。ことしの4月に調査した読売新聞の世論調査の結果も多くの人がご存じだと思います。そういう危機感を背景にして15年ぶりに憲法を変えない方がいいという世論が、変えるべきだという世論を上回ったんですね。実に15年ぶりです。90年代改憲運動が始まって以来ずっと、読売新聞のキャンペーンなどによって憲法を変える方がいいという人が増えてきたけれど、今年の世論調査ではそれが逆転しました。もちろん9条に関して言えば過半数どころか変えた方がいいという意見のトリプルスコアの割合で、9条を変えない方がいいという世論が増えました。安倍内閣が非常に意気込んでなんとしても憲法を変えようとしてやってきた結果がこういう事態になった。

わたしはいろいろな要因をこの中で感じるんですけれど、例えば「九条の会」の運動もそういうもののひとつだと思っています。2004年から始まってわずか3~4年のあいだに、「九条の会」という運動は全国で7000いくつに広がりました。全国に自発的な「九条の会」がたくさんできる、その「九条の会」にはこれまでの左派政党だけではなくて保守的な部分からもいろいろな人たちが、特に高知県などでは自民党の県の幹部という人たちが「九条の会」に加わってくるという事態がこの時期に生まれました。いままで黙っていた人たちがなんとか9条の運動をしたいということで、「九条の会」に参加してくるようになりまして、各地でも数千人規模の集会がたくさん開かれる事態になりました。

それからいろいろな各界の人々もこの時期に憲法9条について発言するようになりますね。一番最近では、私がよく言うのは沢田研二さんの話です。彼のような立場にある人も憲法9条を守らなければいけないという発言をするようになるんですね。これはこの間の全体の憲法9条を変えるという流に対する危機感だったと思うんです。「9条世界会議」の時は宮沢りえちゃんが憲法9条を変えちゃいけないという発言をします。彼女は核兵器の問題などではときどき発言をしていましたが、憲法9条についてはことしの5月が初めてだと思いますね。しばらく前に爆笑問題の太田光君などがそういう発言をする。

芸能界だけでなく、この時期の非常に特徴的なことですけれど、多くの年配者が自分の戦争体験を発言しはじめます。軍隊に行った人で戦争の経験をしっかり言わないで口を結んでいた人たちがたくさんいました。戦争がどんなにひどいことだったかを話す人たちもたくさんいましたけれど、絶対に言わない、自分のかあちゃんにも子どもにも言わなかった人が多かった。しかし、この何年間か戦争の話をする年配者が非常に多くなりました。死ぬ前にこれだけは言っておきたい、自分がどんな戦争体験をしたのか、あの戦争はどんなことだったのかということを言っておきたい。それはこのまま放っておいたらもしかしてこの国はもう一度、9条をなくしてかつての戦争のようなところに行くかもしれないという危機感だと思います。そういういろいろな人の危機感がこの時期にいろいろなかたちで反映したことがこの世論の逆転につながったのではないかと思っているんです。

安倍晋三君は「究極の護憲派」?

実は安倍さんは、その内閣が倒れるときに大きな失敗をしています。憲法を変えるにはご承知の通りですけれども、国会で3分の2以上の国会議員の賛成がないと、国民に対して憲法を変えますと国会が提案できません。確かに郵政国会で小泉首相は衆議院では3分の2を与党が取りました。これも、改憲の提案にこの3分の2全員が賛成するかどうかわからないところがあるんですが、それにしても衆議院で与党は3分の2を取った。しかし参議院では当時も3分の2はないし、いまは逆に半数以下になってしまったわけです。改憲するにはこれでは間に合わない。改憲をするためには自民党、公明党だけではなくて必ず民主党の一定部分の賛成が必要です。彼の任期中に、2010年くらいまでに改憲をやろうと考えたと思いますけれど、そうすると自民党と公明党だけでなく民主党も賛成しなければ3分の2にはならない。それで自民党の憲法改正のリーダーだった中山太郎という人は、これはなかなか手強い人だと私は思っているんですけれども、そこをよくわかっていて憲法調査会のあいだ中ずっと彼は自民党、公明党、民主党、この3党の協調体制をつくることに非常に心を砕きました。彼の番頭のようにやってきたのは船田元という比較的若手の議員と民主党に枝野幸男という人がいます。この船田、枝野の協調体制を憲法調査会の中でずっと系統的につくってきた。民主党の「わがまま」もこの船田はずいぶん受け入れる。それで民主党を巻き込むことをこの何年もやってきました。ものすごい苦労をしたと思いますね。

ところが最後になって安倍さんは任期中の改憲を急ぐあまり、この改憲手続き法の採択にあたって民主党の反対を無視するんです。民主党の抵抗を切って捨て、強行採決をして改憲手続き法を通しました。議長席からマイクが飛ぶとかいろいろなことがありました。そのときに民主党の中心メンバーだった枝野さんは「安倍晋三君は究極の護憲派だ」と怒鳴ったんですね。安倍は改憲のために努力しているつもりだけれど、実は究極の護憲派であって絶対改憲ができない道をいま進んでいる、と安倍を糾弾した。私は枝野さんの立場に同調するわけではないけれど見事な表現だと思うんです。安倍晋三は非常に焦った結果として自公民の協調体制を壊し、自分の任期中に憲法改正ができる仕組みを壊してしまった。せっかく中山太郎がえんえんと努力してつくった、そういう態勢を壊してしまった。だから民主党は自民党の憲法改正に協力しないという動きになり、ますます展望がなくなってしまうんですね。

いまでもこの状態は続いていて、国会に憲法審査会があることになっているんですけれど、野党の抵抗でいまだに委員も決まっていませんし、会議も開けません。国会の中ではこの憲法審査会が開けなければ、改憲に向かって歩みを進めることはできません。これがまったく止まった状態になっている、この何年間か。まさに究極の護憲派だったんですね。それまで系統的に進めてきた改憲の流れを安倍晋三が非常に焦って断ち切ってしまった。その結果自分の公約もできなくなり首相の座に座っているような精神状態ではなくなってしまった。大変な状態だったと思いますね。

湾岸戦争から朝鮮半島の核危機あるいは失われた10年の構造改革、そういうものを背景にずっと系統的にやられてきた90年代改憲運動は、2005年に自由民主党の新憲法改正草案まで出るんですけれども、最終的にその動きは大きく暗礁に乗り上げてしまった。いま明文改憲の動きは非常に下火になりました。特に安倍さんのときには改憲、改憲という話が国会の中で飛び交っていたけれど、福田さんになったときから改憲という話はぴたっと沙汰やみになりました。麻生さんというのは安倍さんとは思想的にはほとんど同じ人で、本当は改憲をやりたい人です。ところが麻生さんが就任したときの所信表明演説では憲法の問題はいっさい出てこないという非常に奇妙なことになったんですね。憲法の問題を語ることは国民の支持を得られないといま政治家たちは考えている。そういう状態になったんだと思います。

田母神論文は90年代改憲運動の鬼っ子

私は田母神論文は90年代改憲運動の一種の鬼っ子で、こういう状況に我慢できなくなって、何とか突破しようと飛び出してきた、そういう事件ではないかと考えています。田母神論文について少し触れておきたいと思います。田母神さんは国会で追及され、防衛省から更迭されましたがまったく反省していません。反省していないどころかもっとそういうことを言い続けようと思っていて、12月8日には明治記念館で表彰式とパーティーをやるそうです。パーティーのよびかけ人には安倍晋三とか森喜朗とかも並んでいましたが、最近降りたみたいですね。これは元谷外志雄という人がやっているアパホテルチェーングループが募集した憲法論文ですよね。「真の近現代史観」というテーマの論文で、彼は、「日本は侵略国家であったか」という論文を懸賞に応募して最優秀賞を取ったわけです。

田母神は自分の部下にこういう懸賞論文を募集していることを全体にFAXで周知徹底しています。その結果航空自衛隊から98人の人たちが応募するわけです。この産経新聞に論文が掲載された日は田母神が国会に喚問された日で、産経新聞はわざわざ喚問された日に全面広告を出して、側面援助するようなかたちをとりました。田母神は自衛隊の小松基地に勤務していた。金沢ですから、アパグループの本社があるところで、このアパグループがそういう論文を募集した。この2人の間には非常に密接な関係があって例えばF15などに体験搭乗を社長がやるとか、いろいろな関係がこの両者の間でできていたようです。

さきほど中山太郎の問題意識と非常に共通していることを田母神論文の特徴として言いましたが、田母神論文の問題点は2つの角度から論じる必要があります。ひとつは彼の歴史観の問題、それから彼の憲法観の問題です。歴史観に関しては陰謀史観が彼の特徴です。事実から見てもこの間の学会の歴史的な成果とまったくかけ離れた史観で、ほとんど議論に値しないようなことですが、もうひとつ憲法との関連の問題があります。

彼は国会に喚問されたときに、「自衛官には言論の自由はないのか」と反論します。これは考えてみる必要がある問題ですね。19条の思想・信条の自由の問題と21条の言論の自由の問題で議論になっています。私は自衛官に限らず、国民誰にでも思想・信条の自由があることは無条件に保障しなければいけない問題だと思います。しかし田母神がいま問題にされているのは思想・信条の自由の問題ではなくて、国家公務員の、それも最大の暴力装置の最高責任者に、言論の自由があるかという問題です。私は、これは「ない」と思います。彼がそういう要職にある以上、こういうとんでもない見解を対外的に発表するような自由は彼にはありません。憲法99条に公務員の憲法遵守義務がありますが、これは彼が自衛官である以上、それも自衛官の最高責任者である以上、彼は99条よって憲法を守らなければいけないという、無条件の義務になっているんです。今回の田母神の問題ではこれをまったく無視していることが最大の問題だと思うんですね。

学者の中では、言論の自由ではなくて思想信条の自由の問題にすり替えて応援をする人がいます。この国は北朝鮮並みだなどという人がいます。しかし実は自衛隊の中では思想信条の自由も言論の自由も一般隊員にはほとんどないんです。一般隊員でもし田母神のような考え方ではない隊員がいたら、家に帰ってからどういうやつと付き合っているのか、共産党あるいは市民運動と付き合っているんじゃないかとか、そういう調査が自衛隊の中では日常的にされています。それどころか、自衛隊は自衛官だけではなく市民運動も徹底的に調査をする。だから田母神さんはそういう自衛隊の実態をつくりあげている最大の責任者ですね。自分には思想信条の自由、言論の自由を主張して、部下や市民にはそれを認めないという立場の論理ですから、そういう意味でも許し難い事件だと思うんです。

憲法に違反する田母神の幹部教育

それだけでなく問題は、実は自衛隊の中で系統的にそういう幹部教育をしていたことが、最近ますます暴露されてきています。彼は数年前まで自衛隊の幹部学校、統幕学校の校長だった時期があります。そこのカリキュラムの問題です。彼はそれを大変な内容に変えています。防衛省は国会で追及されても、講師のプライバシーに関わるなどといって明らかにしなかったんですね。自衛隊は税金で成り立っているわけで、その公の学校の講師の名前を明らかにしないなんていうのは本当におかしいです。これは読売新聞あたりまでひどいじゃないかと言いだしました。追及の中で防衛省は最近全部明らかにしました。例えば有名な桜井よしこや、大正大学の福地惇という「新しい歴史教科書をつくる会」の幹部、それから特殊な歴史論を振りかざす作家の井沢元彦とか、いわゆる「つくる会」系統の人たちを講師に並べ立てて幹部教育をしたんですね。1人だけ黒塗りの人は肩書きだけはわかっていて、高崎経済大学助教授ということで誰でもこれは八木秀次だろうとすぐわかるんです。この人もトンデモ史観の人ですね。

それによって教育された自衛隊の、次に将クラスになる人たちがどんな思想になっていくか、大変な事態が自衛隊の中で進んでいたと思います。あまりにも偏向しているではないかと追及されて、これを知っていたかと聞かれたら防衛省は「知らない」と言った。本当に知らないとしたら、これはまたとんでもないことですね。シビリアンコントロールだとか何だとかという問題外になります。これは本来もっともっと追及するべき課題です。

私は、先ほどの98人が応募したことも含めて、自衛隊の中でこういうひとつの思想集団ができていることを非常に恐れます。自衛隊の中で「新しい歴史教科書をつくる会」のような考え方にもとづいた、そういう潮流ができている。結社ができているかどうかの証拠はありません。しかしそういう可能性すら今日あるということが、私は非常に怖いことだと思うんですね。自衛隊という組織の中の憲法違反の秘密結社がこういうかたちでつくられているとしたら、昔の軍隊の中でも、例えば2.26事件を起こした側と対抗した皇道派といわれる人たちは桜会という秘密結社をつくっていた。軍隊の中に、自衛隊の中にこういう秘密結社があるかどうかというのは本当に大問題で、絶対に許し難いことです。しかしそのことについて防衛省は掌握していない、そういう教育がやられていたのも知らないと居直る事態ですから、私はこれは非常に大変だと思いますね。

ちょっとだけカリキュラムの教育内容を言ってみます。「東京裁判の本質」「東京裁判批判」とか「日本思想の生成と発展」「日本国のあるべき歴史観」「国家観概論」「日本国の国家観の本質」「天皇の起源と歴史的意味」、こういうものがずらっと並んでいます。私はこの資料も含めてもっともっと暴露された方がいいと思うけれど、詳しく書いた新聞はあまりないですね。ぜひわたしたちの間で広めていかないといけないかなあと思っています。

90年代改憲運動が実際上は安倍内閣の崩壊で失敗した時点で、この田母神の動きが暴露された、これは本当に暴露されてよかったと思います。読売新聞などの評価だと、いままでせっかく自衛隊が国民のあいだで信頼を高めてきたことを台無しにすることだ、田母神はけしからん、そういう角度から批判しています。産経新聞は田母神に対して全面支持の角度からやっています。この2紙がいろいろなかたちでキャンペーンを張っていますけれども、これによって90年代改憲運動がどういう内容によって構成されていたかがいっそう明らかになってきたと思います。先ほどから言っている中山太郎という人は、民主党も改憲派に巻き込んでやろうという考えの人で、どちらかというと改憲派の中では「リベラル」なんですね。そして彼は日本の政治家の中で「ごりごりの改憲派」がいると言って、この「ごりごりの改憲派」と争いながら何とか民主党まで含めて多数派をつくり憲法9条を変えようと考えるのがこの中山太郎などの動きです。

彼は82歳で、最近立て続けに2冊の本を出しました。本来は自民党の中でこんな年齢の人は国会議員をやれないはずです。中曽根も宮沢も年齢が高いことで小泉に首切られたんです。でも彼だけは残っています。これは彼なしではいまの改憲運動は進められないから自民党も置いておくんです。そしていまでも活発に改憲の動きをしています。この中山太郎などのような立場の人、この人はだいたい読売改憲私案と同じような考えだと思っています。いままでの改憲派だとすぐ天皇を元首にするとかそういう改憲案ですけれど、読売私案の改憲案の第一章は「国民主権」から始まります。いまの日本国憲法は第一章は「天皇」ですね。読売改憲私案は「国民主権」から始まる、一種ぎょっとするような改憲案です。しかしもちろん象徴天皇制は堅持ですし、そのターゲットは憲法9条を変えるという考え方です。こういう改憲の展開によっていわば世論の多数を獲得しようとしてきたのは90年代改憲運動の主流派だとすれば、その非主流にいて一緒に同調してやってきたのはこの田母神俊雄に代表されるようなナショナリスティックな改憲の議論だったと思います。このふたつが重なり合って90年代改憲運動をやってきたように思います。

麻生内閣の登場と総選挙

先ほど麻生太郎がいまのところ改憲に触れていないという話をしました。しかしアメリカに行ったときに、彼は集団的自衛権に関する憲法解釈は変えたいと言いました。憲法に関係して改憲の部分としては麻生太郎の口からはこれがもっともはっきりしていますが、日本に戻って野党から追及されると「従来の政府解釈を踏襲する」といいました。それ以外では麻生太郎は改憲の日程などについてはほとんど発言していません。しかし麻生太郎は日本会議という右翼組織の、これを支持するための国会議員懇談会というのがあって280何人かの国会議員が参加していますが、民主党も27人くらい参加していますが、その日本会議懇談会の会長をやっていました。安倍晋三の内閣のバックもほとんどこの懇談会のメンバーですけれど、麻生太郎が首相になったときに非常にアメリカの方は警戒しました。安倍晋三と同じようなことをやるんじゃないかと警戒して、9月25日の社説でニューヨークタイムスがこう書きました。麻生首相が外相時代に戦前の日本の植民地政策の成果を賞賛し、戦時の残虐行為を正当化し、中国を危険な軍事的脅威だと表現したと指摘、喧嘩っ早い国粋主義者として近隣諸国に記憶されていると酷評しました。これは麻生太郎のそれまでの政治的な活動の中でそういう動きをしていたこと、それがいまアメリカが求める日本の首相像とイメージが違うのでニューヨークタイムスはそう批判したわけです。例えば安倍さんは有名な話ですが、軍隊慰安婦の問題でもアメリカから非常に批判を浴びる発言をしたことがあります、麻生首相もそういう考えですけれども麻生首相がアメリカとの関係で非常に特徴的な主張をしているところがあります。

首相になる前に出した「とてつもない日本」という本の中で、日米外交関係のあり方について説明をしているところがあります。非常に面白いんですけれども、「外交について、ここで子どもにもわかるたとえ話をしたい。学校のクラスを想像してほしい」、学校のクラスにたとえています。「一番大きい顔をしているのは誰か。もちろんけんかが強いA君。一方B君は腕力はそれほどでもないが、格好良く頭も良い、一目置かれる存在」、これはどうもフランスとかイギリスを指しているようですね。そしてC君ですけれども「腕力もないし身につけている服や持ち物は個性的で良質なのに、格好良くないけれどお金持ちの子」これを日本にたとえているんですね。アメリカと日本をこのAとCにたとえて、そしてC君の身の処し方というのは「明らかだ」と彼はいっています。「いじめられないためにどうすればよいか。そう考えると国際社会も少しはわかりやすい」、そのC君は「けんかの強いアメリカ、A君に、身の安全を自分だけで守ることができないのであればけんかの強いものと仲良くするというのは子どもでも知っている生活の知恵ではないだろうか」。

麻生首相の日米関係についての考え方、外交についての考え方はこのレベルなんですね。彼の考え方の中にはクラスの中の力関係、腕力の関係しか出てこないんです。話し合いとか平和憲法とか、そういう話は彼の外交の頭の中には全然ないんですね。いろいろ意見が違ったらけんかをして解決するというのは間違いだというクラスをつくってはいけないのか、クラスの中でそういう話し合いをして、先生も含めて意見が違うからといってすぐに腕力に訴えちゃいけないよという議論をするということがこの人の発想の中にはまったく出てこない。今回の麻生首相のこれからやろうとしている日米外交もこういう考え方のもとでやられるとしたら、私は本当に大変なことになるんじゃないかと思います。

解釈改憲、派兵恒久法とのたたかい

最後に当面の問題をいくつか触れてみます。福田首相もそうでしたが麻生首相の場合も、このまま続くのかどうかも大変な問題ですけれど、とりあえず憲法に関しては、いますぐに憲法9条を変えようとは言い出しません。

2010年に改憲手続き法が発効して、いつでも国会に改憲が提案できるので、市民運動の一部には「2010年に改憲案が出てくる、大変だ」と心配している人たちがいます。私はそうは思いません。国民投票をやるときは、改憲をしたい人が自分たちは勝てると思ったときしかやりません。国民投票をやって負けると思ったら改憲のための国民投票などという提案をしません。わたしたちが国民投票を提案はできないんです。9条を守る国民投票をやりましょう、なんていうことが今度の改憲手続き法ではできません。改憲の提案は改憲派しかできない、国会の多数派しかできないんですね。そうすると彼らがやっても勝てるときしかやりません。ですから少なくとも2010年、あと1年2年の後に9条を変えるという国民投票があるなどという心配は、わたしは基本的にはないと思っています。それは日本の国民が許しません。いまの政府は改憲を口にできないほど追い詰められているんです、9条の問題に関して言えば。ですから2010年に国民投票が来るという心配をして大騒ぎするのではなくて、わたしたちはそうじゃないたたかいかたをしていかなくてはいけないんじゃないか。

しかし改憲というのはいまの日本の政府、支配層にとってやってもやらなくていい問題ではないんですね。それはアメリカとの関係なども含めて、9条を変えて自衛隊が世界のどこでもアメリカと一緒に戦争ができる状態にしたいというのは、これは至上命題ですね。しかしできそうもない。国民投票をやって憲法9条を変えるのはすぐには無理だ、であるならば、解釈改憲といままで言われてきた、これをもっと進めようとしているのがいまの政府だと思うんですね。いろいろな戦争法を、9条を置いたままで国会の多数の力でつくる。いまはインド洋の北部に海上自衛隊を派遣して給油する、この新法を延長しようと参議院の外交防衛委員会で審議している最中です。これは本当はできないはずだったけれど、この国会で民主党がとんでもない妥協をして、解散してもらいたいために審議を促進してしまったので成立しちゃいそうですけれど。こういう法律を次々につくっていくことが、いまの政府がやろうとしていることです。

最近は話が非常に具体的になってきました。ソマリアの海賊に対する「海賊対策特措法」みたいなものをいま考えています。ケニアの沖で海賊が出没する、これを守るために自衛隊を派遣しようという法律を1月からの通常国会に出すと言っています。もう政府の原案骨子もできましたね。海賊船に乗り込んで、攻撃されたら正当防衛ができる。乗り込むときに停船させるために攻撃もできる、そういう法律です。日本の自衛隊がソマリア沖で海賊と軍事力を使うことができる、これは憲法9条で禁止されていることですね、武力の行使ですから。それができるために特別措置法をつくるんです。これは、結構「受ける」かもしれません。海賊にタンカーが襲われるなんてとんでもない。自衛隊がいって自分の国のタンカーを護衛すべきだ、海賊が武装しているなら戦って守るべきだという意見は民主党の中にもあって、放っておけば国会を通過してしまう可能性があると思います。

アデン湾の対岸にあるイエメンの、沿岸警備隊の局長が朝日新聞のインタビューで語っています。日本で自衛隊を派遣するような動きがあるそうですけれど、日本から自衛隊が来たらお金もたくさんかかるでしょう、それよりは私たちの方がこの海域をよく知っているので、海賊のことは海上警備隊がやることで軍隊の仕事ではないので、前から言っているように高速艇を5隻くらい援助して下さい。あるいは日本の海上保安庁は優秀だそうだから私たち技術指導して下さい、その方がよほどいいですよと言っています。日本はまず自衛隊派遣ありきなんですね。

さらにアフガニスタンですよね。イラクからアメリカ軍を16カ月以内に引き揚げるというのがオバマさんの公約です。「CHANGE」というスローガンで彼が支持された大きな要因のひとつはイラク戦争なんかもうこりごりだという、その反映です。しかしオバマ新大統領はイラク戦争をチェンジしてアフガンの戦争にシフトするといっています。これがオバマさんの非常に危険なところだと思うんです。オバマさんは別に反戦運動のリーダーでも何でもありません。多くの反戦運動の市民から支持され、そういう声を反映して大統領に当選したのも事実です。しかし彼はやっぱりアメリカ民主党で、産軍複合体とかイスラエルロビーとかいろいろな人たちの思惑からも離れきれない。彼はやっぱり強いアメリカとしての戦争を堅持する政策を出さざるを得ないですね。アフガンに全力を挙げる、そしてオサマ・ビン・ラディンを捕まえるとか景気のいいことも彼は言っていますよね。

こうなったときに、日本に対してオバマ次期大統領がどういう要求をしてくるのかが大きな問題で、わたしたちはこの問題を非常に注目をしておかなければいけないと思います。非常に問題が大きいのは、民主党の小沢さんがもともと、そういうことは国連の要求があったらやるべきだと言っているんですね、雑誌「世界」の中で。オバマさんがそういうふうにチェンジをして、国連の中でそういう話になったときに民主党も含めてアフガンの陸上への自衛隊派遣という動きが出てくるかもしれない。これも特措法なのか、法律が新しくつくられると思います。

だから目前の給油法の延長とソマリア沖の海賊対策の特措法とさらにアフガン関連の陸上派遣の特措法、これらの戦争法が早ければ来年のはじめからの国会に出てくる可能性がある。憲法9条は直接手をつけられませんけれども、憲法9条を無視するような法律がつくられる可能性がある。それら全体を集めて、この間福田内閣以来追求されてきた派兵恒久法の動きがずっと続いています。派兵恒久法は憲法9条のもとでいつでもどこにでも軍隊、自衛隊を派遣できるという法律です。これができれば9条はあってなきがごとしの状態に置かれる可能性がある。だから憲法9条をいま明文で変えることに関してはしばらくはあきらめたようですけれども、もちろんあきらめていない勢力もたくさんあるんですが、憲法9条をないがしろにする戦争法がいくつもいま準備され、この解釈改憲に対抗するわたしたちの新しい運動をつくっていかなければいけない時期にさしかかっているのではないかと思います。

どんなに遅くても来年の9月までには衆議院選挙はあるわけです。麻生さんはいま逃げ回っています。何とか少しでもいい条件のもとで解散をしたいということが、いま麻生さんが必死で考えていることだと思うんです。しかし長引けば長引くほど、麻生さんの人気はどんどん下がっていますから、下手をすると麻生さんは解散のしどころすら失ってしまってもう一回替わらなきゃいけないということもあり得る。ただ代わりがいないと言っていますね。でももう次を考えている人たちが自民党の中にいますよね。20何人かの小泉改革を堅持しようという人が公然と動き出しました。冗談ではなくて次の隠し球は女性だという話がもう出てきています。小池さんか野田さんか、9月までに麻生さんが野垂れ死にしてしまえばそういう事態になりかねない。政権としては末期症状に来ています。
  問題はこの総選挙の結果、もしかして自民党が第一党を維持することになった場合にどうなるかですよね。基本的に、麻生さんのもとで解散されれば麻生さんの政権が続きます。そして小沢さんは負けたから責任を取って、従来からの約束通りだと議員も辞めなきゃいけないんですね、民主党は大混乱になります。ぎりぎりでも与党が過半数を取って自民党が第一党になった場合に、参議院はそれでも野党が多数だから、いわゆるねじれ国会が続くんですね。ここで考えられるのはもう政界再編という話しかないと思うんです。ちょうど小沢さんがいなくなる時期でもあるし、民主党に手を突っ込んで政界の再編を狙うという動きがこの選挙の結果当然にも出てくる可能性があります。改憲の問題も再浮上する可能性がある。

この逆の場合はどうか。民主党が第一党になった場合です。民主党単独で過半数になるかどうかも非常に大きな問題ですが、いまいろいろな政党と選挙協力をしながら候補者を立てていますから、民主党が単独で過半数になるというのはなかなか考えられません。やはりいまの野党が共同して過半数になる状態が一番ありそうなことです。その場合には民主党はすぐに改憲は言い出さないように私は思います。彼らは改憲が目前の至上の課題にはなっていません。改憲をしたい人が民主党の中にたくさんいることは事実です。しかしそれは時期を見て改憲勢力を結集しながらやっていくということで、問題は先ほどから言っている、アフガン派兵とかソマリア派兵とかそういうことに対して民主党が先頭を切って法案をつくる可能性がある、民主党が第一党になった場合。しかし、民主党が単独で過半数でなければ野党の一部は反対するでしょう。共産党は当然政権に入りません。これは閣外で野党の立場を取ると思いますね。社民党は連立政権に入る可能性があります。社民党と国民新党、民主党などの連立政権ができた場合に社民党はたぶん連立政権の中でこうした戦争法に反対をするでしょう。しょっちゅう連立政権の中でこういう戦争法を進めるか進めないかという矛盾が激化する状態になっていくと思います。こういうときにそういう戦争法をつくらせないかどうかは、社民党とかそういう勢力の外にある、国会の外にある市民とか労働運動とか、それがどのくらいの力を発揮して新しい政権に圧力をかけるか、そういう政策を阻止していくかということになりそうな気がします。

ずっとこの間、二大政党制が理想だとマスコミなどによっても語られてきました。私はこれはとんでもない間違いだと思います。アメリカでもマケインとオバマが争ったように思わされているけれど、実は第三の候補もいましたね。ラルフ・ネーダーなんかも出ています。しかしアメリカの二大政党のもとではこのふたつしか選択肢がないようにされてしまうんですね、いつの間にか。日本でも自民党と民主党の二大政党制という状態になることがわたしたちにとっていいことなのかどうなのか。私はそれは世論調査にあらわれているように思います。いまの政治が嫌だから、自民党の政権は替わった方がいいというのが世論調査で結構多いけれど、しかし民主党に対する支持はそんなに上がらないですよね。それは支持を表明する選択肢がないんです。自民党はだめだけれども、自公政権はだめだけれども、じゃあ民主党にそんなに期待できるだろうか、有権者が躊躇していることのひとつのあらわれではないかと思います。それにしてもそれ以外の政党も支持が伸びないので、本当に困っちゃいますけれど。

これだけ多様な意見がある、こういう社会でそれらを政治的にふたつの政党に集約するというのは決して民主主義にとっていいことではない、私はそう思います。ですから与野党逆転は、今度の選挙で一歩でも変わらせるためにもぜひ実現した方がいいと思いますけれども、そのことによって先ほど考えたような新しい戦争法、アフガンとかソマリア沖の出兵とかに関係するような危険性も相変わらず出てくるわけですから、わたしたちは与野党逆転で万々歳とはいかない。市民運動や労働運動がそれらの政党と緊張関係を保ちながらそれらの動きを本当にチェックし、わたしたちの要求をつくるような運動をつくりあげることができるかどうかということが非常に重要な時期に入っているんではないかと思います。とにかく大きく変わろうとしているこの時代で、田母神のような人も飛び出してくる、いろいろな動きがありますけれども、わたしたちはこの憲法9条の問題を軸として戦争法に反対していくような、解釈改憲に反対していくような、力強い運動をいまからつくりあげることができるかどうかに非常にかかっていると思います。

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「戦争・経済危機・政治」・混迷する世界と日米の失政

半田 隆

2つの戦争と経済危機は日米が同罪

いま世界は、アメリカ発の2つの害毒で混乱に陥れられている。害毒の1つはアフガン戦争とイラク戦争であり、もう1つは経済危機である。嘘で塗り固められた2つの戦争は世界に先鋭化した対立を生じさせ、経済危機は世界に混迷と困窮をもたらした。いずれも米国の傲慢、強欲がもたらしたのだが、これには日本の政策が密接に関わっている。

アフガニスタン戦争は米国の覇権戦争であって、対テロ戦争ではない。アフガン人は世界にテロ行為をしたことはなかったからだ。イラク戦争は、米英両国がイラクは大量破壊兵器を所有しているとか、アルカイダと関係があるとか、不確実な理由を並べ立てて実行した侵略戦争である。小泉首相は、日米同盟を堅持するためと述べ、2つの米国の戦争を積極的に支持した。しかし、本当の理由は米国向け輸出産業への悪影響を危惧したからだった。大企業の利益のために、憲法違反の疑いの濃厚な「特措法」を、あれこれ理屈をつけて強行採決し、派兵に踏み切ったのだ。

2つの戦争の戦費は表向き5000億ドルとされているが、実際には増大させた国防費が回され、1兆ドルを超えていると試算されている。戦費は国債で調達され、米国の軍需産業を潤した。日本はその米国債を購入して側面から戦争を支援した。ばらまかれた戦費は、国内で投資に回されると同時に、戦争で原油が高騰するとの思惑で投機資金として原油市場や穀物市場に流入した。産油国を潤したオイルマネーの大半も米国に投資され、これがまた米国内に資金をだぶつかせた。

経済危機は長すぎたゼロ金利と金融緩和が元凶

もう1つの害毒である経済危機は、米日の誤った経済政策がもたらしたものだ。主要な要因は、米国の戦費や経常収支赤字の垂れ流し及びFRBの過度の金融緩和にあるが、日本の円安誘導を目的としたゼロ金利政策と金融緩和およびドル買いが米国に資金をだぶつかせ、それが金融危機の原因ともなった。

日銀は01年に再びゼロ金利政策を採用し、財務相は「デフレからの脱却」を理由として掲げた。これはいつもの国民への騙しで、真の理由は、円安ドル高誘導による輸出産業の利益を確保するためだった。5年間ゼロ金利を維持させたのは、ITバブル崩壊後の米政府の誘導と、円安による利益を優先する自動車産業や電機産業を擁する経団連の要請及び政府・与党の日銀への圧力であった。貿易黒字は増大し、トヨタは年間2兆円もの利益を得るまでになった。この利益は、国民を豊にする内需に還元されるどころか、法人税を引き下げさせ、中小企業にはコスト削減を強要し、非正規雇用を増大させて社会を貧困にさせつつ事業を拡大し、米国へのドル投資に使われた。米国は再投資で金がだぶつき、景気の牽引力としての住宅への過剰な投資に回された。住宅価格は高騰し、それがまた余剰資金を生み出して車や家電の購入に回され、日本の輸出産業をさらに潤した。

ゼロ金利による円安誘導は成功したが、やがて深刻な影響を世界経済にもたらすことになる。投資家たちは日本の超低利の資金を借りて円キャリー・トレードを始め、利回りの高い金融商品に投資するようになった。それが、周り回って信用性の低い証券化商品にも、検証のないまま投資されることになったからである。

日銀が貸し出した低利資金の総額は判然としないが、英エコノミストの推算では1兆ドルにもなるという。これに加え、ゼロ金利で利息を奪われた個人預金も世界の金融商品に投じられた。これらの莫大な円がドルに転換されて世界にばらまかれ、それが投機資金としてサブ・プライム・ローン証券への投資を幇助した。

国際決済銀行・BISの07年の年次報告書は、「日本の低金利政策によって流出した資金は、歓迎されない効果をもたらした」と指摘した。長期にわたる日本のゼロ金利政策が、世界の経済を収拾不能な状態に陥らせたのである。

狡猾・愚妹な政府与党に事態を収拾する能力はない

日本の経済危機は、円高による輸出不振という波にも襲われている。円高は、円キャリー・トレードで世界に出回った資金が戻る過程で円が買われるためで、日本経済が評価されたからではない。円高は、経団連や政府与党が推進したゼロ金利政策と円安誘導が、回り回って自らの首を絞めることになったのだ。各国通貨の下落は、逆にこれらの短期資金が引き揚げられたことで起こったものだ。

だが、現在の経済危機が日本の政策に原因があるとの認識は、政府・与党にも経団連にもない。だから、輸出産業の大企業はゼロ金利時代に受けた利益の蓄積があるにもかかわらず、真っ先に採った対策は下請けへの発注の削減と、非正規雇用者の解雇という身勝手な行動だった。

このように、経済危機の原因の一端を担った大企業はコスト削減で逃げを図っているが、深刻な影響を受けるのは原因とは無関係な中小企業と非正規雇用者だ。長期対策としては、輸出優先の産業構造を転換させることが必要だが、現時点での緊急対策は内需拡大と雇用の創出だ。金融危機でドルは減価したが、60兆円の米国債を売却して危機対策に使うべきだろう。

だが、対外的には政治・経済の米国への従属、国内では非正規雇用を3割にも増大させ、派遣労働を制度化し、社会的弱者を切り捨て、輸出産業寄りの政治しか行なってこなかった政府・与党に政策転換は期待できない。失政を自覚出来ない政府与党には、退場を願うしかない。

一方、この経済危機を契機にして非正規雇用を正規雇用に転換させるためのうねりをつくり出すべきではないか。

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2008年を振り返る~私と9条世界会議

竹腰 英樹(平和の物販担当/平和憲法とともに歩む中野の会)

2008年の平和の取り組みではやはり、9条世界会議が印象深い。私の9条世界会議(以下、「会議」と略)との関わりを書いてみたい。

1.平和憲法とともに歩む中野の会では…

私が運営委員長を務める平和憲法とともに歩む中野の会では、「会議」の成功を2008年前半の重要な課題と位置付け、「会議」を知るつどい@中野を3月29日 の私たちの総会の後に行った。「会議」の事務局、松村真澄さんをお招きしての取り組みであり、駅頭宣伝や「区民のひろば」(中野区の街頭掲示板)・インターネットの活用などで 宣伝に努めた。つどいそのものは松村さんからのメディアについてのお話(9-平和-、6-六ケ所(原発問題)-はマスコミではタブー)や「若者が平和の取り組みに少ない と言われているが、子や孫など、身近な若者に働きかけることが大切」という問題提起や、松村さんから逆に「東京大空襲について知りたい。」とのリクエストがあり、 参加者が答えるなど、面白い取り組みとなったが、参加者は30名ほどであり、「会議」の参加者数を少なさを私は危ぶんだ。 なお、平和憲法とともに歩む中野の会では5/4・5の2日間、中野駅からまとまって「会議」に参加を呼びかけ、実行した。ここまでやるのは極めて珍しく、我ながら力の入れよう を感じるのだ。

2.前日の5/3も中野駅頭で…

せっかくの「会議」だから、多くの参加を実現したい-と思った私は、上記の宣伝に加え、一人でも「会議」の宣伝を行った。 家の近くのJR東中野駅西口(家からは反対側だが、人通りが多い)に何度立ったことか。きゅうとのポスターがぼろぼろになった。きゅうと、ご苦労さん。 数回宣伝を重ねると「UAがいつ頃歌うのですか?」と聞かれたり、チケットも数枚売れた。駅頭の見も知らないおじさんからチケットを買うなんて、やっぱり「会議」への注目度が高ま っていたのですね。

前日の5/3は5.3憲法集会だった。市民連絡会の物販コーナーであれこれ販売してからパレードに合流し、東京駅から、中野駅に戻った。「会議」スタッフのKさんか ら「8000人くらい」という参加予想を聞いたので、「さらに参加者を伸ばせねば」と思って、ぼろぼろなきゅうとと中野駅北口に立ったのだ。

3.幕張泊まりの3日間

「会議」のことを最初聞いた時、「大風呂敷ではないか(失礼)」「幕張、遠いな(失礼)」と思ったものだが、2008年になって「今年のゴールデンウイークは平和の週間じゃ」 と決めて、インターネットで幕張の安いビジネスホテルを確保し、(当然自腹だ)幕張泊まりの3日間となった。 市民連絡会の物販ブース担当となり、市民連絡会の仲間と詰めた。どんどん人が来る、どんどん売れる。メイン会場は長蛇の列で、入場制限という情報も入ってくる。 販売を仲間にお願いして、お詫び係兼案内係となったが、この関係はあえてここに書かない。

ブースの斜め前は週刊金曜日のコーナーだった。急遽、佐高信さんのサイン会が行われたりして、私も大声で人集めを加勢した。新人Aさんも頑張っていた。 秋田から、神戸から、さまざまな人が来た。折り鶴を折る人も来た。売上の一部について、高田健さんと相談し、反貧困ネットワークとあしなが育英会に1500円ずつカンパをした。これも「会議」の知られざるヒトこまである。

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9条のこと戦争のこと平和のことを考えないでいられた日があっただろうか ~2008年をふりかえって

 私の2008年は、第11回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会への参加を経て、「9条世界会議」の成功に向けて、長野県から幕張へ「9条ピースサイクル」を走らせる取り組みから始まりました。ピースサイクルを通じてできる「9条世界会議」への参加は、自転車のペタルを漕いで会場まで行くこと、その過程で生まれる出会いを「9条世界会議」に繋げることだと考えたのです。

長野ピースサイクル実行委での呼び掛け、全国へのメッセージの発信を通じて2月末から準備をしました。そして、5月2日から5月4日までの3日間、長野県上田市から千葉市幕張メッセまで約220kmを長野、東京、千葉、埼玉の仲間達10名のペタルが繋ぎました。伴走車と共に行動した人や途中での支援者を加えれば数十名になりました。伴走車には、「憲法9条の心を日本から世界へ」「9 IN THE WORLD TO ABOLISH WAR」を掲げ、自転車走者は「9条世界会議」をアピールするゼッケンをつけて走りました。

広島から自分達の足で歩いたピースウォークとは比べものにはならないですが、参加者は坂あり風あり雨ありの3日間を「9条」への思いをこめてペタルを漕ぎ、多くの出会いを体験しました。それは素晴らしい記録となり、反戦平和運動の活力となりました。参加した面々は、会場から溢れて野外集会への参加となりましたが、それでも余りある感動を「9条世界会議」に関わった世界中の人々と共に味わうことができました。

その後、夏18年目の長野ピースサイクルを経て、ピースメッセージと「憲法9条の心を日本から世界へ」とともに走った総走行距離(自転車マイレージ)は約5000kmとなりました。そして、何度かの「9条世界会議参加報告会」を行ない、新潟、長野両県で多くの人にその意義を伝えました。

後半は福田内閣の崩壊や田母神問題などもありましたが、長野県では有事法制の一部である国民保護法にもとずく「長野県国民保護訓練」が強行されました。内容は「11月26日G8に反対する犯人(外国人)によってイベント中のビッグハット(長野オリンピック施設)にサリンがまかれ、犯人は逃走して長野駅に立てこもった」という「化学テロ」想定で、「避難・救助訓練と犯人制圧訓練を行なう」というものでした。総勢2500名、1500万円の費用をかけて、国・長野県・長野市・警察・消防・自衛隊はもちろん、日赤の看護学生や周辺住民、労働者が動員され、さらには日赤奉仕団やドクターヘリまでが「訓練」に参加しました。まさに防災訓練の顔をした問題だらけの「軍事訓練」でした。住民の避難路の途中にはこれ見よがしに自衛隊の装甲車などの軍事車両が多数並べられていました。戦争への不安を醸成し、危機感をあおりたてる何ものでもありませんでした。

村井長野県知事(元国家公安委員長)は記者会見で、「日本は戦争を放棄したが、戦争は日本を放棄していない」とか「国民保護法は権利の擁護ばかり言っていて、個人的には行動の制限が不十分という感想をもっている」というような発言を繰り返しました。

私達市民グループは訓練計画の存在が明らかになってから、「対テロ戦争時代の銃後の訓練」であり、「憲法9条に違反する」として反対行動を展開しました。「国民保護訓練」の情報公開請求や県への申し入れ、県議や市議、労働団体や護憲団体への働きかけを通して、「訓練中止」を求めて闘いました。街宣やビラ、デモ行進などを繰り返す中で、県議や市議、労働団体や護憲団体も動き出して、地元新聞には「県民理解は十分なのか」と題して「日本の安全を守るには有事への備えにも増して、外交努力によって緊張のレベルを下げることが大事だ。この機会に、あらためて確認しておきたい。」とする社説も掲載されるようになりました。

「訓練」当日は20名程度の抗議行動を何十倍の警察官が強圧的に包囲されました。しかし、多くの市民や護憲団体の監視団、県議や市議の視察団の前で、徐々に退かせ緊迫しつつも逮捕者を出さずに「訓練」収束まで抗議行動を続けました。憲法9条を矛に人権(表現の自由等)条項を盾にして闘う強さを改めて実感しました。

昨年の秋以降、明文改憲は遠のいてはいますが、田母神元航空幕僚長のような人物が自衛隊の中に存在し、更迭されたとはいえ退職金もかすめとり、かえって公然と発言を続けている政治的現状もあります。長野県知事のような憲法認識の政治家がいて、福田内閣によって一旦は棚上げされた「安全保障のための法的基礎の再構築に関する懇談会報告」のような「集団的自衛権行使」に関する究極の「解釈改憲」も蠢いています。「アフガン」(テロの温床とか)や「海賊」を口実にした「恒久派兵法」もちらついています。

来年は日米安保条約50周年、アメリカ軍と自衛隊の軍事的存在と、9条と無防備による平和がいよいよ鋭く対峙する時代の始まりになっていくのかという感もあります。

いつ暴動が起きてもおかしくないような、深刻な経済状況の中で、「生きるために」自衛隊や米軍関連、軍需産業へ人口がシフトする可能性もあるかもしれません。それを「社会保障制度」の悪さが後押しをするかもしれません。失業対策や社会保障の財源問題が語られても、アメリカ軍への支援を含む防衛費の積極削減は政治の場で出て来ません。マスコミでも具体的にあまり語られません。そこに大きな問題があると思います。

2008年をふり返えって、9条のこと戦争のこと平和のことを考えないでいられた日があっただろうかと思ってしまいます。しかし、2009年も自治体に対する「非核平和宣言」(合併等で反古になっている自治体が多いので)再宣言や「無防備都市宣言」などを要求する取り組みも含めて、力強く「戦争への流れを止める」ためにペタルを漕ぎ続けたいと思います。
(長野ピースサイクル  大村忠嗣)

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2008年から2009年へ 希望の未来へつなげよう

安倍首相が、任期中の改憲、戦後レジームからの脱却を掲げて07年参議院選挙で敗北したことは、日本国民の、二度と戦争はしないという強い意思の表れだと思う。しかし、福田首相によって、新テロ対策特別措置法が、衆議院議員定数3分の2の数の力で、再議決され、給油活動は継続となった。麻生首相に変わってからも12月に、インド洋での給油活動は再々延長された。

12月でイラクの航空自衛隊は撤退したがアメリカ追随のイラク戦争とは一体なんだったのか。武力で平和は作れないことは、一層明白になったにもかかわらず、自衛隊海外派兵恒久法制定の動きや、ソマリアの「海賊」対策のために、自衛隊がまた海外へ派遣されようとしている。「平和基本法」制定の動きも危うい。明文改憲は、遠のいたように見えるが、なし崩しの憲法9条破壊が進行している。

国内的には、裁判員制度の導入や、犯罪の厳罰化、共謀罪制定の動き、国民総背番号制など、そのベクトルはすべて、警察による監視強化、治安対策の強化を指し示している。行きつく先は、戦争のできる国への道である。

また、小泉首相からの「構造改革」「規制緩和」「三位一体改革」などの政策の矛盾が、社会のあらゆる分野で、噴出している。派遣社員や契約社員という非正規労働者たちの大量解雇や雇い止めがひろがっている。不安定な賃金と過酷な労働条件のもと、どうやって明日に希望をつなげることができるのだろう。更には、社会保障費を毎年削減してきた結果、医療が、福祉が、介護が崩壊している。

北海道では、地方の疲弊が一層すすみ、泊原発3号機でのプルサーマル(ウランとプルトニウムの混合燃料を使用する)計画があり、道の有識者検討会議は、12月14日に安全性は確保されるとした、報告を提出、GOサインのレールが敷かれている。道民の不安に何も答えない検討会議だ。
まさに「生存権」と「平和」そのものの否定である。

では、われわれには、絶望しか残されていないのかといえば、NO!である。
5月に千葉で行われた「9条世界会議」は、世界が9条を選び始めたという視点が、画期的だ。2万人もが参加し入場できないほどの人の波をみて心が熱くなった。国内外からの多彩なゲストに、勇気づけられ、地域へもどりまたがんばろうと気持ちを新たにさせてもらった。憲法9条は、日本だけのものでなく、世界に平和をもたらすための道具であることが共有できた「9条世界会議」の成功の底流には、武力によらない平和を求める世界の人々の強い意志があると思う。

7月のG8洞爺湖サミットは環境をテーマに掲げたが、CO2削減目標は長期計画として2050年までに、現在の50%まで減らすとしたが、中期も短期も数値目標を示すことができなかった。逆に、脱CO2のために原発推進という、とんでもない合意を表明して終結した。サミット期間中、北海道の港は、全国から動員された機動隊の制圧下におかれ、幹線道路には、検問や、監視カメラが増設された。しかし、大国が小国を支配する構造は間違っている「G8に異議あり」の声は5000人を超えるピースウォークとして結実した。G8市民フォーラムや、世界から集まった数々のNGO、先住民族サミットのパワーは、反グローバリゼーション運動に新たな地平を切り拓いた。

そして今、「生きさせろ」と、非正規の労働者が声を挙げ始めた。また、反G8のために札幌に集った世界の人々のなかに若い人が大勢いた。六ヶ所村再処理工場反対や脱原発にも若い人がどんどん参加している。希望の光は見えているのである。

私たちは、箕輪登さん、小田実さん、加藤周一さんや筑紫哲也さんを失った。しかし、8月に札幌で主催した行った講演会で、小田実さんの、人生の同行者・玄順恵さんが述べられたように「小さい人々がつながることで社会は変わる」のである。この間の労働現場での闘いや、平和を求める市民の運動、すなわち9条や25条を、現実のものとしていく活動をしっかりと拡げ、若い人たちへつなげていくことが、旅立った方たちの遺志を受け継ぐことである。命のリレー、平和のバトンだ。(山口たか 市民自治を創る会代表、ほっかいどうピースネット事務局)

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今年をふりかえり、来年は主権者力を磨く年に

今年1月11日新テロ特措法の衆議院再議決に明け、12月12日、またもや延長の再議決に暮れました。広島でも国会前に連動して抗議の声をあげましたが、オバマ米次期政権もアフガニスタンへの増派を明確にし、日本政府は、どうしてもアメリカの対テロ戦争に加担するつもりのようです。その上、集団的自衛権の行使も予想される「ソマリア沖自衛隊派兵特措法」の制定を次期国会でと急いでいるようです。9条改憲は出来ない、自衛隊を海外派遣させるためには具体的なテロ、海賊という敵を作っていくしかない、と考えているのでしょうか。

思えば今年前半は「9条世界会議」一色でした。幕張へ向けてピースウォ-クがヒロシマから出発したのは2月。広域な連携が必要で準備も大変でしたが、予想の3倍を超える400人もの人々が原爆ドーム前に集まり、繁華街を長い列、晴れやかなパレードで送り出すことができました。いかに9条世界会議への期待が高かったか、幕張に1万5千人が詰め掛けるだろうことは、既にこの時、予想できたのかもしれません。5月5日、ノーベル平和賞受賞者のマイレッド・マグワイアさんの来広で行ったヒロシマ9条世界会議は1100人の参加で会場は2階席まで埋まり、幕張、仙台、大阪と同様、広島でも9条世界会議の成功の喜びを分け合うことが出来ました。「人を殺させない」日本の憲法9条を世界が選び始めていることを実感させてくれた歴史的な成功でした。

「第九条の会ヒロシマ」は今年も二つの柱を立てて活動しました。1つは、一人でも多くの人に「STOP!改憲」を呼びかけること。92年から8・6新聞意見広告を続けてきましたが、今年は始めて読売新聞に掲載しました。ここまできたら同じ考えの人たちの間での確認作業ではすまされない、異なる意見の人との対話を始めようと少々冒険でしたが、無事クリアし、これまでと違う反応にも対応して、一定の目的は達成できたのではないかと皆さんのご協力に感謝しています。

もう一つの柱は、ネットワーク作り。5月3日憲法記念日は例年通り、市民運動ネットで憲法、反核、脱原発、反基地、子ども、女性の人権… リレートークを行いました。また、県内9条ネットの協働では、04年の大江健三郎さん、澤地久枝さん、鶴見俊介さんに来て頂いた「九条の会広島集会」、06年のグリーンアリーナ1万人集会、07年の11月憲法集会と大きな構えが定着してきました。そして今年、憲法公布62周年記念の11月は「広島市に集まって下さ~い」ではなく、県内の九条の会が各地、各分野それぞれで拡げようと取り組みました。東部三原と南部呉では、元広島市長平岡敬さんの講演と音楽、西部廿日市では、浅井基文さんの講演に憲法朗読劇にチャレンジ。その他書き切れませんが、県北三次は、ピアノ、オカリナ音楽中心のピースフェスタ、子どもたちとお母さんたちの参加、高校生の朗読など、これまでにない若い人たちの参加が嬉しく、この出会いを大切にしていきたいという報告でした。大~きな成果です。広島市では、九条の会事務局長の小森陽一さんの憲法講演会「主権者力を磨く」を開催しました。「元気をもらった」と満足して下さった人も多く「新聞を見て思い切って来て良かった。今度は友人も誘いたい」という一般参加者があったことは主催者としては嬉しい限りでした。各地・各分野、分散開催にもかかわらず、広島市の会場は550人の参加者を得て2階席までいっぱい。今年5月の9条世界会議ヒロシマ集会に続いて、1年に2回の大きな集会の成功は、改憲STOPと活動してきた私たちに大きな励みになったことはいうまでもありません。

ある原爆被害者は「これまで9条は生きる支え」と言われます。原爆ドームの前に立つと、9条がいかに大切か、原点に立ち返ります。だから私たちはいつも原爆ドームから発信するのです。クラスター爆弾の禁止に日本も調印したことは、たとえ米露は含まれていなくても前進であり、更に先に進もうとBAN DU NEXT「次は劣化ウラン兵器禁止だ!」(写真)に向かっています。来年2月、許すな!憲法改悪・全国交流会が沖縄で開催され、最も9条が活かされていない沖縄で、なぜ今憲法なのか? 全国の皆さんと共に向き合います。この会を引き受けて下さった沖縄憲法普及協議会の思いに応えるためにも、沖縄と憲法の問題を共有し、参加される皆さんがそれぞれ抱えている様々な問題、基地、PAC3配備、原子力空母、軍都が再び…etc…。それらを持ち帰り、広島でも9条を選びなおす作業に取り組みたいと思います。米軍基地が強化されようとしている岩国、出撃基地になりつつある呉にとって9条とは…

「STOP!憲法改悪」、これは憲法を再び選び取る運動です。来年は、主権者力を磨く09年にするべく、11月には大きな仕掛けを考え始めています。原爆被害者、軍都廣島の不戦兵士の方々の「頑張れ!」という声に支えられ、次世代につなぐために。
08年12月21日 藤井純子(第九条の会ヒロシマ)

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あれから14年

沖縄 加藤 裕

来る年は、もう2009年である。思い起こせば、沖縄の日本復帰後最も反基地運動が高揚した1995年の米兵による少女強姦事件から早14年目、96年の普天間基地返還合意からも13年目となる。この間、沖縄の米軍基地は、読谷村の「象のオリ」が撤去返還されるなど小規模の返還があった他、まったく何の変化も起こらなかった。今、沖縄県民の多くは、その存在が当然のように目の前にあることを感じている。

しかし、14年というのは、本来ならば大きな変化が生じるほどの長い期間である。沖縄で日本復帰がいまだ現実的に受け止められなかった1960年に祖国復帰協が結成されてから、「わずか」12年で実際に返還が実現した。湾岸戦争から今次イラク戦争まで12年。トンキン湾事件による米軍の積極的介入からヴェトナム戦争終結まで11年。

今、目の前にある巨大な米軍基地の存在感に圧倒されながら、その小手先での「整理・縮小」を主張するのが現実主義とされ、まかりとおる。しかし、歴史の流れをみれば、冷戦終結から反「テロ」戦争への突入、そして今アメリカで起こるかもしれないブッシュ路線からの転換と言った大きな変化の中で、在沖米軍基地だけが変わらない、ということはありえないはずである。今、沖縄の米軍基地を固定化されようとするのは、現実主義と言いながら積極的にその固定化を図ろうとする人たちがいるからに他ならない。

歴史は動いている。それが現実である。日本政府は、来年度予算案において、辺野古への普天間代替の新基地着工のための予算を一部計上したと報道されている。環境アセスメントの遅れのみならず、現実主義の名のもとに、計画中の滑走路をちょっぴり沖合に移動することだけを求めている沖縄県知事の動きもあり、来年度着工はほぼ困難であるにもかかわらず。それは、歴史を誤った方向に導こうとしている一つの大きな力である。また、この力は、東村高江でヘリパッド建設反対のため座り込みをしている地元住民へも襲いかかろうとしており、緊迫した状況をもたらしている。

しかし、沖縄に米軍基地をこれだけ維持しておくことが、今の世界の中で果たして現実的かと言えば、それを必要とする人たちからも何らの論証もない。それも軍隊だから当然であろう。あればあったでその必要性はいくらでも創り出されるし、なければないで、誰も困らない。

確実に変化は訪れる。それを作り出すのは、そこに住む人々の意思と決意である。2009年は、沖縄に大きな変化を生み出す年にしたい。そして、米軍基地を撤去させた沖縄こそが、ノルウェーを初めとした北欧諸国などの小さな国々が果たしてきたような平和の使者として、世界にはばたくことを実現させたい。
(沖縄憲法普及協議会)

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「私と憲法」で~す。お話聞かせてくださ~い

坂本洋子さん(mネット・民法改正情報ネットワーク共同代表)

国籍法の改正  多様な生き方を認めあい人権原理を豊かにさせるために

臨時国会で審議されていたインド洋派遣給油新法の延長に対して、私たちが参議院会館前で反対行動をしていた11月18日、衆議院会館の前で日の丸の小旗を振る一団が気勢を上げていた。何事かと思ったら、この日衆議院本会議で国籍法改正案が採択され、全会一致で通過した。日の丸の一団はこれに反対する人たちの行動で、横断幕にメッセージボードなど市民の意思表示の方法と見まがう行動をとっていた。その後、この国籍法は12月5日に参院を通過・成立した。この間、国籍法改正にとりくんできた「mネット・民法改正情報ネットワーク」共同代表の坂本洋子さんをお訪ねし、国籍法改正の意義や、この問題をめぐる社会的背景などについてお話しいただいた。

最高裁の違憲判決で早期改正された国籍法

国民の権利及び義務を定めた、憲法第3章・第10条には「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とされている。その国籍法で日本国籍の取得については定められている。婚姻関係にない日本人の父親と外国人の母親との間に生まれた場合、これまでは胎児認知には国籍を認め、出生後認知では婚姻が条件になっていて、生後に認知されても事実婚では国籍は認められなかった。今回の改正は、生後に認知された婚外子にも日本国籍の取得を認めるように改正されたものだ。

2008年6月4日の最高裁大法廷による違憲判決から、翌日に当時の鳩山法務大臣が国籍法改正を表明し、今の臨時国会に改正案が提出されていた。この違憲判決は、婚姻関係にないフィリピン人女性と日本人男性との間の子どもの国籍確認を求めた裁判で、最高裁大法廷が、父母の婚姻を国籍取得の要件としている国籍法第3条は、法の下の平等を定めた憲法14条に違反している、という違憲判決を下した。この判決に原告の笑顔がメディアにあふれたことを思い起こす読者も多いのではないか。

坂本さんはこの判決について「世界の人権基準が最高裁の国籍法違憲判決を出した判断基準になっていて、素晴らしい判決だった」と話す。子どもの人権条約や女性差別撤廃条約を日本が批准しているといっても、これまで憲法判断の基準にされてこなかった。「この基準が他の判断にもあてはめられれば、世界の人権基準でどんどんいけるはずなのに」といういきごみで判決後、坂本さんは鳩山法務大臣に国籍法改正について面会を申し入れた。15分の約束を1時間も話し込み、大臣から繰り返し「僕は子どもに優しいんだから」という法改正に向けた積極的な言葉を引き出したという。

国籍法改正に反対する歴史修正主義者

ところが国籍法改正には組織的な妨害活動が起こった。ネットで国籍法改正に反対しようという呼びかけがあり、衆参の国会議員には大量の反対意見がメールやファックスで送られた。会館前で見かけた反対行動の人たちのボードにも踊っていた「偽装認知」「国籍売買」「DNA鑑定の義務づけ」といった内容だった模様だ。

衆議院通過の直前には議員連盟(代表・平沼赳夫元経産相)が結成され、DNA鑑定の検討や偽装認知の対策強化を求めた。稲田朋美衆議院議員(自民)は「これは司法権による立法権への介入の恐れ」などと委員会で発言した。参議院では参考人からの意見聴取がおこなわれ、“DNA鑑定は人権侵害の恐れがある”などの指摘があった。しかし田中康夫参議委員議員(新党日本)は、欧州11ヵ国がDNA鑑定を義務づけているから「すべての認知にDNA鑑定を義務付けるべき。偽装認知奨励にほかならない」と言った。坂本さんが調べたところDNA鑑定を義務づけている国はなく、「平気でウソを言い、同じ会派の人を巻き込もうとしている」ときびしく語る。参院の採決では偽装認知への対策が不十分などの理由で、国民新党と日本新党、無所属の川田龍平議員など計9人が反対した。法案は偽装認知の防止策として新たに罰則規定を設け、付帯決議を付けて国籍法は改正された。

坂本さんは「立法趣旨がなんだったのかを考えることが第一ではないか。子どもが産まれたときに父親がいないかもしれないということのないように胎児認知を認めた。それなのに出産後の認知は認めないというのはおかしい。認知の時期がずれただけで国籍があるかないかというのはおかしなはなし。国籍法改正はこれを改善しただけなのに何で大きな問題になるのか」「要するに多様化した婚姻形態を認めない。国籍法反対は、法律婚もしないで国籍なんか認めてやらないぞ、という排外主義、歴史修正主義者の動きで、分かり易かった」と今回の改正反対の動きを分析した。mネットは国籍法改正について声明を出し、遅ればせながらではあるが改正されたことを歓迎し、また立法府での人権侵害や立法権の侵害という歴史修正主義者の動きを明確に批判している。

民法改正の情報を発信して

ところで「mネット」はこれまでどんなことをしてきたのか。坂本さんは90年代に夫婦別姓にとりくんできた。1996年には法制審議会が民法改正要綱案をまとめた。要綱案は選択制夫婦別姓や相続差別撤廃などを盛り込んだ内容で、案外早く実現するかもしれないと希望を持たせるものだった。しかしその後、夫婦別姓などの法改正はすすまず、運動をしていた人たちも実態をつくっていく方向になっていき、動きは下火になった。そこで民法改正の情報を共有しようと2001年に「mネット」をメディアとして立ち上げた。国会や全国の動きを情報として発信することで、地方との情報を共有してきている。情報は国会議員とマスコミの人たちにも多く利用されているという。

離婚後300日の問題もここ1年ほどメディアの報道が多かった。民法772条2項の規定では、女性が離婚後300日以内に出産した子は前夫の子と推定している。この課題では「マスコミになかなか広がらなかった」「国会で勉強会をやって、国会質問に取り上げてもらったり、ニュース23にものせたりして、しだいにひろげていった」と坂本さんは苦心談を話す。民法のこの規定は戸籍を持つことができない子どもをうみだした。「これは子どもも母も、前夫も実父も、誰も幸せにしない規定なんです」として、親子関係の実に不都合な例をたくさん話してくれた。婚外子の相続差別規定の解消も継続課題だ。

ここでも坂本さんは「立法趣旨が何のためにあるかに立ち返ることが第一」と語る。「法律は子どもの福祉を第一にして、スムーズに生活していけるようにということでいい。そのルールがかえって人を傷つけたたり人権侵害になることがある。そこを直していかなければいけない」「法律制定当時には分からなかったことが、いまでは分かるようになっていることがたくさんあります。技術の進歩で200日経たないで生まれても、生きていけるようになっているし、親子関係も調べられる。何の責任もない子どもが、無戸籍、無国籍という社会的身分の責任を負わせることはいくら何でもひどいのではないか」。

「この問題では与党の動きが良く、当時の法務大臣が『子どもがかわいそう』と動いてくれた」。その結果、2008年7月7日、総務省が通達を出し、無戸籍の子どもの住民票作成を認めることとなった。この通達で多くの子どもたちが救済された。しかし、またまた歴史修正主義者が反対し「根本的な解決のための民法の改正にはならず、通達で終わってしまいました」と坂本さんはちょっと無念そう。

想像力と多様性をキーワードに繋がる

戸籍のない子、国籍のない子、婚外子差別などマイノリティーの声をどうやって政策に反映していくのか。当事者である子どもや差別されている人が声をあげていくのは本当に大変だ。坂本さんは「これには想像力と多様性がキーワード」という。民法ができたころ離婚は想定されていなかった。今は4組に1組は片方か双方が離婚している。社会の多様化によって、子ども、高齢者、障害者、女性などこれまでマイノリティーと言われた人たちがもはやマイノリティーではなくなっている。

「制度や法が人々の多様な生き方に中立であること、一つの生き方が優遇され、別の生き方が排除されてはいけない」という坂本さんの見方には共感がひろがるにちがいない。

こうした社会の多様化に対し、保守勢力は、日の丸・君が代を法制化して強制し、教育基本法を改悪し、憲法9条と24条改悪を画策してきた。「多様な生き方を認めない歴史修正主義者は9条と24条と教育基本をまとめて攻撃してくるし、人格的にも繋がっている。私たちの方も繋がらなくては」。だから縦割りの運動ではなく繋がっていこう、という坂本さんのことばに力が入る。

世界の人権基準をクリアしておかないと

最近、坂本さんは「法に退けられる子どもたち」(岩波ブックレット)を著した。民法や国籍法により奪われた子どもたちの人権回復のための本だ。やさしく読めるので一読をおすすめするが、そのなかで驚いたことがある。世界の人権意識は急速に進んでいて、「戸籍」や「嫡出子」などをあらためていないのはごく少数の国になっている。日本は世界の流れから孤立していることが分かる。「日本は先進国という自負をもち、常任理事国入りを目指すなら、世界の人権レベルぐらいはクリアしておかないと」という坂本さんの話。日本政府への国連の勧告もあいついでいる。政府は憲法に保障された人権尊重義務を今日の世界基準ぐらいにはするように、一刻も早く真剣に取り組んでもらいたいものだ。(土井とみえ)

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