私と憲法91号(2008年11月25日号)


田母神前航空幕僚長問題とは何か
~90年代改憲運動のあだ花

【田母神懸賞論文と背景】

田母神俊雄航空幕僚長が、元谷外志雄が主催するアパホテルチェーングループが募集した懸賞論文「真の近現代史観」に応募し、同氏の「日本は侵略国家であったのか」が最優秀賞を受賞したことが明らかになり、同職を更迭され、自衛隊を退職させられて以降、この問題はさまざまに議論されている。

田母神氏は航空自衛隊小松基地のある第6航空団司令、統合幕僚学校長、航空総隊司令官を経て、2007年3月、航空幕僚長に就任した。アパの本社は石川県金沢市にあり、アパグループの代表の元谷氏は安倍晋三の後援会「安晋会」の副会長で、「小松基地金沢友の会」会長を務める特異な右翼的思想の企業家である。報道によると、元谷氏は自著「報道されない近現代史」の出版を記念してこの懸賞論文を設立、同書では「鬱積する愛国、憂国の思いを、半ば書き下ろした」と書いた。田母神氏とは彼が小松基地指令だったころからの親密なつきあいという。元谷氏は田母神との飲み友達であり、昨年8月には田母神氏の承認で小松基地でF15戦闘機の体験搭乗などもするなど、癒着ぶりがはなはだしい。

今回の懸賞論文は、空幕教育課が全国の部隊にファクスで紹介し、田母神氏以外にも航空自衛隊から235人の投稿者全体の4割を占める94人が投稿した。田母神氏は周囲に「こんな論文がある」と紹介し、航空幕僚監部教育課は全国の部隊にFAXでしらせたという。しかし、田母神氏は国会で「私が指示をすれば、1千を超えるような数が集まると思う」と豪語し、「指示」を否定した。

田母神氏の「論文」(早大の水島朝穂教授らの「論文の名に値しない」という指摘がある)は「わが国が侵略国家だったというのはぬれぎぬだ」などと決めつける、極めて杜撰な「大東亜戦争史観」に基づいたものであり、日本の侵略を認め謝罪した1995年の「村山談話」を攻撃し、憲法9条のもとで「集団的自衛権が行使できない」とされ、「武器使用や攻撃的兵器の保持にも制限がある」現状を「東京裁判によるマインドコントロール」として攻撃しているような噴飯ものである。

【90年代改憲運動に呼応した田母神幕僚長】

田母神航空幕僚長の懸賞論文事件以前にも、田母神氏はその航空自衛隊内での地位を利用して、くりかえし同趣旨の文章を発表したり、発言したりしている。「航空自衛隊を元気にする10の提言」という文章がある。これは田母神氏が統合幕僚学校長在任中に自衛隊幹部学校幹部会発行の「鵬友」という印刷物に連載したものを2003年にまとめたものだ。これは、軍事戦略を論じる自衛隊の最高幹部が書く文章なのかと笑わせるようなものなのだが、今回の懸賞論文にも通じるようなものであり、見逃せない観点が書きつづられている。

「10の提言」は「はじめに」で「誰がシナリオを書いているのかわからない。しかし、何か日本の国を弱体化するような大きな流れが少しずつ進行しているような気がしてならない」と書き始めている

「バブル崩壊後の景気低迷が長引くにつれ日本人が自信を失いはじめ、また政治家や高級官僚の不祥事が明るみにでるにつけ国民の国家に対する信頼が揺らぎはじめた。一歩上は東京師板史観すなわち日本悪玉論を信奉するグループなおは、これを機会に日本弱体化の動きを加速させつつあるような気がしてならない。例えばわが国が近年推進している男女共同参画社会、夫婦別姓、情報公開、公務員倫理法等は、その有用性を否定するものではないが、他方、これが日本弱体化のために利用されているのではないかという危惧を禁じ得ない」「自衛隊にもその傾向は現れている。……日本全体が縮み志向の今こそ元気を出す必要がある。元気がなければ、各種変化を察知し、来るべき行動に備えることは困難である」と言うのだ。

この田母神氏の「不安と憂国」の思いに満ちた危機感は「気がする」などという極めて主観的なものだが、90年代に改憲の動きを強めた勢力と相似形であることを見逃せない。田母神論文の「大東亜戦争史観」「東京裁判史観批判」「陰謀史観」は、むしろ、その稚拙な引き写し、受け売りではないかと思われる。90年代改憲運動は安倍政権の崩壊でいったん挫折したのであるが、田母神氏の動きはこれに呼応したものであり、今回の論文はそのあだ花である。「元気がなければ、各種変化を察知し、来るべき行動に備えることは困難である」というフレーズは、とらえようによっては何とも不気味な言葉ではあるまいか。こういうことを自衛隊のトップは考えているのである。

90年代に改憲をすすめたリーダーの一人、中山太郎衆議院議員は最近の彼の著書「未来の日本を創るのは君だ」(PHP研究所)でこう述べた。

「1990年ごろから、どこか日本という国が危うくなってきました。バブル経済の崩壊によって景気はどんどん悪化し、失業する人たちも増えてきました。そういう状況が引き金になって、さまざまな犯罪も増加してきました。われわれ政治家もなすすべがなく、やがて21世紀に突入していきました。……この『失われた10年』を取り戻さなくてはなりません。そのために私たち政治家は何をするべきか。新しい国の形を創るためにはどうすればいいのか。その唯一の手段が、わが国にあった憲法を作り直すことだと私は考えています。憲法というのは『国のかたち』『国の心』を書き上げるものです。ところが現在の憲法は日本人が主体になって書き上げたものではなく、アメリカによって、半ば強制的に示されたものです。そして50年以上にわたって、一度も書き換えられることがなかった、このあまりにも硬直化した条項の中に、日本の悲劇が潜んでいるのです」と。

中山太郎氏を中心にした「90年代の改憲運動」は湾岸戦争と、93~4年の朝鮮半島の核危機をバネにして、94年の読売改憲試案をはじめとして、憲法の改悪と教育基本法の改悪をめざして、日本を「戦争のでき来る国」に変えるための動きを強めてきた。日米安保体制を見直し、新ガイドラインを策定し、有事法制をつくり、国会に憲法調査会を設置した。そして小泉内閣の時代に、ブッシュ政権に追従し、経済構造改革とあわせて、テロ特措法、イラク特措法を制定し、自衛隊の戦時・戦場派兵を実現した。こうして90年代改憲運動のホープとして登場した安倍晋三が教育基本法を改悪し、防衛省の昇格と自衛隊の海外活動の本務化をすすめ、改憲手続き法を強行制定した。この安倍内閣が憲法における自公民協力体制を破壊したうえ、参議院選挙で敗北し、日米関係をも危うくした結果、政権をなげだして、明文改憲運動を頓挫させたのである。

田母神はこの時期、航空自衛隊内においてこの改憲運動に呼応してきたのである。田母神氏は2004年に統合幕僚学校長だったときに職務権限を行使して幹部教育カリキュラムに「国家観・歴史観」を新設し、日本会議系の右翼の論者を講師に招請して異常な教育を推進しはじめた。この幹部教育の学校である統幕学校とは、陸海空各自衛隊の1佐、2佐クラスを対象にした将官、上級博労への登竜門だといわれている。ここで「大東亜戦争史観」「東京裁判史観批判」などの極度に偏った教育が堂々と行われていたのである。

講師には富士信夫・元海軍少佐(故人)、東京裁判研究家「東京裁判」、福地惇・大正大学教授「日本国憲法の成立概要、日本国憲法の本質」、高森明勅・國學院大学講師、日本文化総合研究所代表「国家観概論、日本国の国家間の本質」、井沢元彦・作家「日本国の歴史概要、日本国のあるべき歴史観」、坂川隆人・元統幕教育課長「歴史観、国家観変容の概括、東京裁判の本質、東京裁判史観」、八木秀次・高崎経済大学助教授「東京裁判」、櫻井よしこ・ジャーナリスト「日本思想の生成と発展、日本人の価値観の特徴、現代日本の思想と課題」、田中久文・日本女子大学教授、郷田豊・クラウゼビッツ学会名誉会長「非常事態法の概念と主要国における状況、わが国における非常事態法整備の経緯と現状および問題点」、(各人が何回も講義しているので、紹介した講義テーマはその一部)等がついている。これらは多くが「新しい歴史教科書をつくる会」や、「日本会議」に属している特異な極右派の論客である。

注目すべきことは、田母神氏のカリキュラムが特異な東京裁判批判史観、陰謀史観によっている点である。これらは「日本会議」「つくる会」系右派の論客の中に見られる傾向であるが、安倍晋三・元首相の「戦後レジームの見直し」「押しつけ憲法論」と同一線上の思想であり、90年代改憲運動の主流とは異なるイデオロギーである。この人々は日米同盟を否定しはしないが、対米自立的なナショナリズムの復古主義的な要求を持っている。

これらの講師によって教育を受けた自衛隊幹部はどのような思想の持ち主になるか、いうまでもない。田母神はこうして自衛隊の中に特殊な右翼ナショナリズムの精神を持った幹部集団を育成していたのである。これは一種の秘密結社づくりであり、クーデター準備である。防衛省はこれらを「チェックしていなかった」(浜田防衛相)と答弁した。まさに文民統制などは全く機能していなかったということである。こうした人物を空自のトップに据えたのは安倍政権であり、それを福田、麻生政権が継承したのである。

【田母神問題と憲法】

田母神氏は今回更迭されるや国会の参考人招致の中などで、「自衛官にも言論の自由が認められているはずだ」「言論統制だ。これでは日本は民主主義国家か」等と反論した。驚くべきことに田母神氏は憲法問題が全くわかっていない。今回の田母神氏の問題は憲法21条の言論の自由の問題ではない。憲法9条と、99条の公務員の「憲法尊重擁護義務」の問題だ。田母神氏は武力組織自衛隊の最高幹部である。自衛隊の違憲・合憲問題はさておき、自衛隊は憲法の下で自衛隊法、その円滑運用のための自衛隊の内規などでしっかりと拘束されている。田母神氏はこの憲法と法令に違反したのである。

もちろん、自衛隊員にも思想信条の自由はある。勤務時間以外の一般自衛官の言論・思想などを統制すべきではない。「制服を着た市民」としての権利は認められなくてはならない。しかし、現在の自衛隊ではそうした言論の自由は認められていない。監視し、抑圧されているのが現状である。それどころか、自衛隊は一般市民の反戦運動まで敵視し、監視してきた。田母神氏は「10の提言」のなかで、「えこひいき大作戦」などとして、それら自衛隊に協力的でない市民への敵対を合理化している。田母神氏はそうした自衛隊の現状をつくり出しておきながら、自己の言論の自由のみを主張する。一私人ではない、最高幹部であり、組織的な影響力が大きい田母神氏には一般隊員に認められるべき言論の自由は当てはまらない。最高幹部の言論と行動は憲法と文民統制に無条件で服しなければならない。こうした幹部が公然と「村山談話」を批判することが許されようはずはない。村山談話は政府見解であり、国会が認めた対外公約でもある。田母神の地位は権限も強く、部下に対する影響力は重大だ。それを招致で田母神氏は地位と職権を利用して、反憲法的な史観で幹部教育を工作したのである。

このような特異な史観、憲法観を持った人物の活動を容認したのは自衛隊の「戦争のできる国」への変容である。

田母神は防衛相に問題を指摘されると、「元首相の2人が私を支持している」と居直ったという。森喜朗と安倍晋三である。この2人は元谷代表と深い関係にある。防衛大臣は「田母神がすすめていた教育について知らなかった」などというが、自衛隊の中で公然と行われていたことである。これは安倍内閣の下で行われた防衛庁の防衛省への昇格と海外派兵の本務化など、自衛隊の変容と密接に関係している。自衛隊の中で、これを当然視する風潮があるということである。今回の問題を一種のクーデターに等しいという批判は決して大げさではない。

麻生政権は田母神問題の徹底糾明を回避し、更迭と退職で収めようとしている。自民党の中にも田母神氏を擁護する勢力がいる。6000万円の退職金も論外ではあるが、事は更迭・退職で済む問題ではない。田母神問題は明らかに違法・違憲行為であり、解任・罷免処分こそが、文民統制を貫徹するために無条件に必要である。そして、田母神氏の憲法観、歴史観の何が問題なのかを麻生内閣自らが明らかにし、防衛省・自衛隊の中にも徹底して再発を防止しなければならない。
今回の田母神問題を徹底して批判し、芽のうちにつみ取っておくたたかいが求められている。悔いを千載に残さないために。(事務局 高田健)

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第36回市民憲法講座(要旨)
東アジアの平和、日韓の市民にできること-韓国からの視点

李俊揆(イジュンキュ)さん(明治学院大学国際学部付属研究所研究員 前 韓国・平和ネットワーク政策室長)

(編集部註)10月18日の講座で李さんが講演した内容を編集部の責任で要約したもの。要約の文責は全て本誌編集部にあります。

今日の話のタイトルは「日韓の市民にできること」になっているんですけど、この「日韓の市民にできること」というのはみなさんと討論の時間にぜひ考えてみたいと思います。その前に討論のための前提として、私の話を聞いて考えていただければと思います。今日の私の話は3つのパートになっています。第1は、最近、みなさんも関心があると思うんですが、北朝鮮の核問題、そして日本の問題、最後は私たちがいままで何をやってきたのか、これから何ができるのかという話です。

朝鮮半島平和問題の核心・北朝鮮の核問題

北朝鮮の核問題から考えてみると、私は韓国の「平和ネットワーク」という平和運動団体で働いていました。去年の秋からは専従はしていないんですが運営委員として関わっています。「あなたは韓国で何が専門だったんですか」と言われると、ちょっと困ります。平和運動をやっている人間って専門がないんです。何でもやりますから。でも「平和ネットワーク」という団体の最初の名前は、「朝鮮半島 平和のための市民ネットワーク」だったんです。その名前から見るとわかると思うんですけれど、朝鮮半島の平和という問題に取り組もうとしていた団体が平和ネットワークという団体です。

1999年に創立されたんですけれども、大学を卒業したばかりの若者たち3人、5人くらいが集まってホームページをつくってそこから始めましょうという話になって始まった団体です。ちょうどその頃、韓国で朝鮮半島の問題を平和という観点からアプローチする団体がなかったんです。韓国の朝鮮半島問題というのは最初から最後まで統一の問題だったんですね。とにかく同じ民族なんだからひとつの国にならなきゃならないという観点から運動をやっている、いわゆる伝統的な統一運動はあったんですけれども、平和という観点から朝鮮半島問題にアプローチする運動団体がなかったんですね。だからそういう団体としては、けっこう意味のある出発だったんです。

けれども、それからは平和を自分の団体の看板に掲げている団体は多くなって、特にみなさんご存じの通り韓国で一番大きい団体じゃないかなと思うんですが「参与連帯」という団体があります。「参与連帯」と「環境運動連合」は日本の方々にも有名だと思うんです。この「参与連帯」は“総合市民運動”というキャッチフレーズを持って始まったんですね。総合市民運動って何でもやっていいという話なんです。「参与連帯」に例えば司法監視センターとか政治監視センターとか経済改革センターとかがあって、平和軍縮センターができたのは2000年に入ってからです。だから韓国で平和運動というのはそんなに長い歴史を持っている運動ではないんですね。もちろん広い意味で平和って何かという話をすると韓国の平和運動の歴史は長いんです、独立運動から考えれば。でも一般的に考える平和運動という観点からみると韓国の平和運動はそんなに長い歴史を持っている運動ではなく、若い運動です。

とにかくそういう運動の中で私がちょっと関わってきたのは朝鮮半島問題で、そして北朝鮮の核問題はその中でも核心的な課題でしたし、最近もいろいろな話題になっている、イシューになっていることなんですけれど、これは例えばいろいろな声明とか合意とかあります。日本のみなさんにとってはこれが一番の記憶じゃないかなと思うんですが、1998年8月31日、私の誕生日でもあるんですが、8月31日に何があったのか、覚えていますか。これは「テポドンミサイル」の発射があったんですね。アメリカの新聞とか韓国の新聞とか日本の新聞はテポドンミサイルと呼んでいるんですけれど、北朝鮮の公式的な名前は「光明星1号」なんですね。この「光明星」は金正日なんですよ、金正日国防委員長が飛んで、太平洋に落ちたんですね。とにかく北朝鮮はこれを人工衛星だと呼んでいて、ミサイルじゃないという話ですけれども、これは北朝鮮の話じゃなくてアメリカのCIAの情報レポートにも人工衛星発射と書かれているんです。だからミサイルではないんです。でもやっぱり人工衛星の技術とICBM、大陸間弾道ミサイルの技術は同じですから、技術的には変わりはないんですけれども、正確に言いますとミサイルじゃないんですね。

そして2005年9・19共同声明(第4回6者会合に関する共同声明)とミサイル発射実験、そして2007年の2・13共同合意、10・3合意のことはあとでまた出ると思うんですが、最近日本の方々が関心を持っているテロ支援国家指定の解除の問題、この問題もあとでまた話ができると思うんです。なぜ私があとで問題提起をしようとするかというと、これは「北朝鮮核問題」なのか「コリアン・クエスチョン」、朝鮮半島問題なのかという問題提起に関わるんですね。特にこのテロ支援国家指定の解除の過程を見ながら私が思ったのは、去年までは朝米、北朝鮮とアメリカとの関係が進展するとすごく困った表情に変わってしまう国がひとつありました。どの国でしょう。

でも今年になってふたつに増えました。韓国もすごく困っています、いま。なぜなら、いわゆる「通米封南」と呼んでいるんですけれども、北朝鮮はアメリカとの直接の交渉をしようとしながら、その反面、南との話はしようとしない、そういうことを韓国では「通米封南」というんです。アメリカとはするけれども南とは話をしないということです。これを公式的におとといの労働新聞で発表しました、北朝鮮が。いままでの李明博政権の行動とか言動を見たらあなたたちとは話ができない、しかもいまの北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国はアメリカと直接話ができるからお前たちとは話はしない、だからお前たちが決断をしろという発表をしました。いま韓国の李明博政権は重大な岐路に立っていると思います。

「制度化」がすすむ日本の右傾化

日本の話は細かい話は控えたいのですが、「立法改憲」という言葉は私がつくったわけではなくて日本の方々に聞いた話なんですね。解釈改憲から明文改憲の流れからいまは立法改憲の流れになっているんじゃないかと聞きました。そして「右傾化」という言葉ですけれども、私は日本ではあんまり聞いたことはないんですよ。でも韓国では日本というと右傾化ですね。韓国から見ると、日本というと特に冷戦が終結してからの動きは、右傾化という表現で対応されています。冷戦時代と脱冷戦時代の、日本のいわゆる右翼の動きの一番大きい違いは、冷戦時代には右翼運動だったとしたら、冷戦が終わってから――失われた10年とか1990年代、2000年代、特に小泉総理の時代の動きを見たら――昔は運動だとしたらいまは制度としてひとつひとつ、その成果が出ているというところが一番大きい違いじゃないかなという話も韓国ではあるということをみなさんにお話ししたいと思います。こういう表現はほとんど韓国の日本専門家が使っている表現です。たとえば国旗国歌法もそうなんですが、日の丸・君が代、特に日の丸の歴史は韓国人にはよくわからないと思うんですよ。でも君が代の場合は、とくに裕仁が戦犯にならなかった歴史とかがありますから、君が代に対しての感情というのはちょっと考えてみる必要があると思いますが、でも君が代の内容についてはよくわからないですね、韓国人も。

アメリカヘゲモニーの危機と米軍再編

3番目はアメリカのヘゲモニーの危機に対して米軍の世界的再編という言葉を使っているのは、サブプライム問題とかリーマンブラザーズの崩壊とかいまの金融危機の問題をみて、みんなアメリカのヘゲモニーの危機の話をしているんですけれど、でもアメリカのヘゲモニーの危機というのは、もっとずっと前からだったと思うんですね。その代表的なあらわれが例えばイラク戦争とか。そしてその前のクリントン政権の時代に新経済という、ニューエコノミーという経済回復の雰囲気があったんですね。でもそれはほんの短い期間だったんです。アメリカの経済は財政的な赤字がすごくて、その赤字を東北アジアの国が埋めてきました、いままでずっと。中国、日本、韓国そして台湾まで、この4カ国がほとんど補助してきたわけですよね。今回アメリカの金融危機を迎えてアメリカの国債を中国、日本、韓国、台湾が買っているんですよ、いま。中国は経済規模が大きいですけれども、日本と韓国はアメリカのATMだと言われています。これは本当だと思うんです。

アメリカのヘゲモニーが弱まっている、その中でアメリカが前面に掲げていたのが対テロ戦争、その対テロ戦争をきっかけに軍事面ではそのヘゲモニーを復活させようと思った。でもそれも結局はアメリカの足を引っ張ることになった、それを乗り越えるために提起されたのが米軍再編です。もちろん米軍再編の話が出たのはラムズフェルドがブッシュ政権で国防長官になる前からです。すごくお金がかかりますし、在日米軍と在韓米軍、在独米軍ということでは柔軟性がない、ドイツのためにアメリカ軍が何万人も配備されて、朝鮮半島に何万人も配備されて、在日米軍もある。こういう米軍の配備、運用を柔軟化しようというのが米軍再編です。けれども、米軍再編というのはコスト、費用を減らそうという思惑もありますし、それは結局アメリカの赤字、財政赤字や力の限界をどうやって乗り越えるかという発想から始まっていると思います。

その中で中国の話ですけれども、ほとんどの人たちは中国とアメリカの対立関係はアメリカが中国をけん制しているという話が多いんです。けれども、そういう葛藤というか対立関係を持ちながら、同時にお互いに協力しなきゃならない関係になっているというのが現実じゃないかなあと思うんです。これはアンビバレントなんですね。これには極端な両方の側面があります。いいところと悪いところがあると思うんですけれども、いいところは新冷戦、新しい冷戦にならないところです。この東北アジア、東アジアの外交安保、平和安保の構造が結局はこの超大国のふたつの国によって決まってしまう、そういうところもあるので両面を見た方がいいと思うんです。

朝鮮半島の3つの核問題

そして北朝鮮核問題かコリアン・クエスチョンなのかという話ですけれども、こういう質問をすると、これは私の目的がここにあらわれちゃうんですね。北朝鮮核問題ではなくてコリアン・クエスチョンです、という話をしようとするんですけれども、朝鮮半島の核問題、私は韓国でワークショップとか討論会とか集会とかで論争をすることがあるんですが、韓国で北朝鮮核問題じゃなくて朝鮮半島核問題という言葉を使うべきだという人は結構います。でも私はそれは選択の問題じゃないという考え方を持っているんです。何が違うかというと、朝鮮半島に関わっている問題というのは3つの問題があります。北朝鮮の核問題、これは北朝鮮が核を開発して問題になっているから、それは確実に存在している問題なんです。

それからアメリカの核及び核政策ですね。日本の方々はよく知らないかもしれないけれども、朝鮮戦争の時代にマッカーサーが核兵器を使用するべきだという要請をアメリカ政府に言ったことがあります。中国が参戦した、その中国軍を破るためにはやっぱり核兵器が必要だということで。だから朝鮮戦争は核戦争になったかもしれないんですよね。そういう歴史もありますし、1960年代後半頃にアメリカのプエブロ号という漁船が実はスパイ船だったんですけれども、このスパイ船が北朝鮮の海岸に接近してスパイ活動をしたんですね。北朝鮮って無鉄砲なんですね、そのスパイ船を連れて北朝鮮に帰って来ちゃった。いわゆる拉致ですよね。アメリカは民間の漁船だから解放してくれと言った。そしてアメリカの軍艦が北朝鮮の海岸に接近した歴史があります。その軍艦には核兵器がありました。だから朝鮮半島を取り巻く、韓国を取り巻く周辺では、いつでも核戦争の危険性がありましたし、その危険性というのは核を持って先制攻撃をやる、やれるというアメリカの核政策があったからですね。だからこそアメリカの核政策と核兵器の問題は朝鮮半島の核問題で必ずつながっているんです。

もちろん核の傘の問題、日本にもあると思います。あるいは、韓国の核主権論や核武装論はみなさんもご存じだと思います。核武装論は、まあ右翼はどこの国にもいます。でも核主権論は説得力があります。特に一般の市民には説得力があります。朝鮮半島非核化に関する南北共同宣言、1992年に発効したんですけれども、この共同宣言では韓国はウラン濃縮もプルトニウムの再処理もできないんですよ。禁止されています。これはアメリカとの関係がありまして禁止されています。でも日本はやっているじゃないか。日本はやっているから韓国ではプライドというか、主権が侵害されているという意識は強いですよ。そしてNPTの加盟国家には原子力の平和的利用という権利が保障されているんですよ。もちろん環境運動をしている人たちは核とか原子力の平和的利用という言葉は、なんといいますか「形容矛盾」という言い方をしています。けれども現実的にはそういう平和的利用の権利は保障されているんですから、韓国はNPTの加盟国家で、核の査察も受けているし、そういう国なのになぜウラン濃縮とプルトニウムの再処理はいけないのかということは韓国で説得力のある論理なんですね。だから日本の六ヶ所村の核再処理の問題とかはこういう論理に力を入れてくれる、そういう動きなんですよ。日本はいまもできるのにもっと大規模にやろうとしている、でもなぜ韓国はプルトニウムの再処理ができないのかという問題意識につながっているんですね。

北朝鮮の核開発は体制の安全保障

北朝鮮核問題なのかコリアン・クエスチョンなのかで二つの質問ですが、ひとつは北朝鮮が核を放棄すれば、朝鮮半島にまたは東アジアに平和は訪れるのか。みなさんはそう思いますか。いますぐ北朝鮮が核を放棄したら朝鮮半島と東アジアは平和ですか。もちろん、その質問は二つ目の質問ともつながっていると思うんですよ。私たちが望んでいる平和というのはどのような平和なのか、という問題です。例えばいまの東北アジアは平和なのか、いまの朝鮮半島は平和なのか、日本は平和なのかということなんです。戦争のない状態が平和なのかというと「平和」ですね。朝鮮半島も50年、半世紀以上平和でした。そして日本も平和ですね。戦争がない状態を平和だというならば。でもそれは平和なのかという問題提起ができるのではないかと思います。

戦後の日本で沖縄の人は平和だったのか。私はそう思っていません。沖縄の人は戦後の日本で、半世紀以上戦争状態だったんじゃないでしょうか、生活が戦争だったんじゃないでしょうか。そう思いますし、韓国で、みなさんご存じだと思いますが平沢(ピョンテック)というアメリカの基地が移転されるところですが、ピョンテックの住人って平和なのかということなんですね。そして金大中大統領の時代に韓国と北朝鮮は急激にその関係が良くなりました、交流も増えました。でもその金大中大統領の時代も韓国の西の海、西海では2回、3回の軍事的衝突があったんです。北朝鮮の海軍と韓国の海軍が戦闘をしたんです。人も死んでします。そういう戦闘があったんです。それって平和ですかという質問なんですね。だから結局はもっと広い視野が必要ではないのかという話をしたいんです。北朝鮮の核問題の背景を見ても、北朝鮮の核問題を解決するためにももっと私たちには広い視野が必要ではないのかと思うんです。

北朝鮮はなぜ核開発をしているのか。ひとことで言いますと、体制の安全保障です。自分の体制の安全保障です。ここで一番大きな問題は、いったい体制の安全保障って何だろうということです。アメリカはいままでは言葉で、私たちはお前たちを攻撃する意思はないよとかお前たちの主権を認めるとか、言葉でいったんです。でも北朝鮮は「私たちはそれを信じられない」ということで、だから協定とか条約が必要だ。だから不可侵条約、侵略をしないという条約とか平和条約を要求してきたのが北朝鮮なんですね。特に韓国とか中国とか日本はいらない、アメリカと直談判で、アメリカが交渉しなければ体制の安全保障というのは意味がないという、そういう要求をしてきたのが北朝鮮です。そういう認識の違いというか、認識の乖離というか、そういうことがいままでずっと続いてきたのが北朝鮮核問題の本質です。私はそう思うんです。

もちろん北朝鮮が核開発をしているのは経済面、エネルギー面の問題もあります。北朝鮮は日本や韓国と同じで、資源がないんです。エネルギーの材料がないんです。だから原子力を開発しているという側面もあります。でもみなさんは私より詳しいと思うんですけれども、核開発をしている国というのはエネルギーの開発だけを考えている国はないんですよ。近い未来には武器にもなるという考えを持っているのが原子力開発をしている国の当たり前の考え方ではないですか。それは韓国もそうです。韓国もいまは原子力発電所を持っている、原子力発電所のために原子力を開発している、そういう考え方を持っているんですけど、それを「デュアル・テクノロジー」と呼んでいるんですね。原子力は民間でも活用できるけれども軍事用にもすぐに活用できるから、そういうことも念頭に置いて原子力発電所とかに取り組むのが一般的です。だから北朝鮮がもともと核開発をしているのは核兵器を持ちたいからですよ、とか言っているのは、それは「人間はいつか死にますよ」といっているのと同じです。そういう話は意味がないんです。どうやって北朝鮮の核開発をやめさせられるのかという、その話をやらなきゃならないんですよ。

「共同の安全保障」を見いだす

わたしは北朝鮮核問題を解決するためにも、多様なレベルで、相互的なアプローチが必要だと思います。これは現実におこなわれているんです。例えば朝鮮半島条約、平和協定の話もいま出ていますよね。そして6カ国協議を東北アジアの多国間協議に発展させようという話も出ていますよね。東アジアの多国間秩序構築の話も出ています。なぜ北朝鮮核問題を巡る6カ国協議なのにこういう話が出ているのかというのは、むしろ私たち一般市民とか私たち市民運動をやっている人たちにはあまり実感がないのに、いわゆる外交官、エリートたちはわかっているわけです。

わたしはもっと大切だと思うのは「共同の安全保障」ということで、日本では「共通の安全保障」と翻訳しています。これはヨーロッパの経験からですが、ヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)という、もともとCSCE、ヨーロッパ安全保障協力会議だったんですね。これが「共同の安全保障(Common Security)」の代表的な成果としていわれているんですね。特に「共同」という言葉、このCommonという言葉についてですけど、これは例えばわたしのいまの一番の関心はこれからどうやって研究者としての道を歩んでいけるかということです。でもここにいる方の興味は違うと思うんですね。このふたりの興味を、ただ合わせたら協力的な関係になるのかという問題提起なんですよ。単なる私の興味とか、私の利益とかとみなさんの利益をプラスするんじゃなくて、ふたりとの関係で新たにできた何かの目的、何かの共通の利益があるんじゃないかということなんです。それをヨーロッパでは軍縮、軍備縮小とか核兵器の軍縮とか通常兵器の軍縮とか、そういう新たに共通の目的をつくってそのためにともに取り組んでいきましょうという、そういう安全保障の枠組みがこの「共同の安全保障」ということです。だから単なる協力の問題じゃなくてお互いに共通している新しい目的をつくりましょうということなんですよ。それが大切だと思いますし、わたしはそれは軍縮だと思うんですよ。軍備を縮小して平和をつくることだと思うんですよ。軍事による、武力による平和じゃなくて、そういう軍事による平和を乗り越えることが共通の安全保障の目的にならないといけないと思いますし、その話をするためにこのCommonという言葉を使いました。

「コリアン・クエスチョン」をてがかりに

あまり現実的な話ではないでしょうか? 理想的な話だと思いますか? 私はそうは思っていません。ヨーロッパでCSCE とかOSCEができたのは冷戦時代です。冷戦時代に西ヨーロッパと東ヨーロッパがこのままだったら私たちはお互い滅亡してしまうかもしれないという、そういう危機意識、特に核戦争に対しての危機意識があって西ヨーロッパと東ヨーロッパが協力して共通の目的をつくってそのための取り組みの枠組みをつくりましょうという、そういう歴史的な成果がいわゆる「ヘルシンキ プロセス」となっているんです。ヘルシンキという都市でプロセスをつくっていまも続いています。もちろんどれほど力があるのかというのは別の話ですけれども、でもこういう歴史的成果があるというのはむしろ現実的だということを強調したいですね。

そして朝日平壌宣言の4項に「この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認(…)地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であることの認識(…)」とあります。これは私が先ほど申し上げたなぜ北朝鮮核問題ではなくて朝鮮半島問題、コリアン・クエスチョンなのかということです。ここで問題なのは「プロブレム」じゃないんですよ、「クエスチョン」なんですよ、質問、問題提起です。つまり朝鮮半島の歴史が提起しているクエスチョンなんですね。そこから北朝鮮核問題をアプローチしなきゃならないという話です。それが現実的にこうやってあらわれている。朝日平壌宣言の4項です。これが大切だ、意義深いという主張をしているのが東京大学の姜 尚中さんです。

そして2005年の9・19共同声明、これはなぜ重要なのかというとアメリカはCVIDという対北朝鮮政策を持っていたんです。第一次のブッシュ政権です。このCVIDというのは「完全で検証可能かつ不可逆的な廃棄」という意味です。北朝鮮が核兵器を「完全で検証可能かつ不可逆的な廃棄」をしたら国交正常化の話ができるという政策を第一次のブッシュ政権は持っていたんです。その第一次のブッシュ政権が変わって初めて合意した6カ国協議の合意が2005年の9・19共同声明なんです。2005年は第二次のブッシュ政権です。だから意義深いんですけれども。この4項には「直接の当事者は、適当な話し合いの場で、朝鮮半島における恒久的な平和体制について協議する」、「朝鮮半島の平和体制について協議する」、これは日本の外務省の翻訳です。「6者は、東北アジア地域における安全保障面の協力を促進するための方策について探求していくこと」、こういう内容が明記されています。特にこの4項は意義深いと思います。ただこの4項の「直接の当事者」が誰なのかが議論になっているんですね。

そして2007年2・13合意、これは初期段階の合意ということですけど、5つの作業部会、韓国では実務会議と訳しています。1)朝鮮半島の非核化、2)朝米国交正常化、3)朝日国交正常化、4)経済及びエネルギー協力、5)東北アジアの平和と安全のメカニズムなんですけれど、この5番目に「東北アジアの平和と安全のメカニズムに関しての作業部会設置」が明記されているんです。わたしが申し上げたいのは第一次のブッシュ政権の対北朝鮮政策というのはどうやって北朝鮮の核兵器に対しての欲望を挫折させるか、放棄させるかということにポイントがあったんですね。でも第二次のブッシュ政権になってから朝鮮半島の平和体制の問題とか東北アジアの多国間協力の問題とか、もっと広い視野で北朝鮮核問題にアプローチしてこういう成果が出てくるわけです。それは現実的な話だと思いますし、わたしたちに重要な意味を持っていると思います。

東アジアの中の「日本問題」――竹島は?

東アジアの中の「日本問題」(ジャパン・プロブレム)についてですが、そんなに細かい話は控えますけれども、歴史的過去の清算の問題はみなさんよくご存じだと思います。それから領土問題については、日本人の方々の認識と韓国人の認識と一番大きい乖離、格差は「独島」、竹島の問題は韓国人にとって歴史問題です、領土問題ではなくて。なぜそうなっているのか、それはもちろん侵略の歴史、植民地支配の問題から始まっています。

それから今年の「9条世界会議」の在日米軍と在韓米軍の分科会で話をしたんですけれども、話が終わってから質問をされました。「日本人って日本がこんなに弱い国とされて、なめられている。それが結局憲法のためではないのかという論理を持っている若者たちがいますが、どうしたらいいでしょうか」という質問だったんです。それは私が答えられる質問ではなかったので、答えを控えたんですけれども、そのときひとつ答えたのは「日本は弱い国じゃないんですよ」といったんです。

日本の軍事費は世界5位なんですよ。ストックホルム国際平和研究所の2008年版レポートによると、世界軍事費支出の順位は、1位アメリカ、5479億ドル、2位イギリス、597億ドル、3位中国、583億ドル、4位フランス、536億ドル、日本は436億ドルで5位ですね。しかもロシアよりも順位が高いんです。ロシアは354億ドルで7位、韓国は338億ドルで11位です。韓国も高いですね。もちろんアメリカの軍事費を見るとびっくりするんですけれども、他の国の軍事費を全部合わせるとアメリカの軍事費になるんですね。

みなさんは宇宙基本法をご存じですか。ことしの5月に成立したんですけれども、軍事的利用もできるということもご存じですよね。これは韓国で、いよいよ日本は宇宙の軍事化に一歩踏み出したという内容で報道されました。ミサイル防衛の問題もありますけれども、この宇宙の軍事化という問題は日米同盟とか日米の協力関係から始まったと思うんですけれども、それをきっかけに日本のこれからの歩みは周囲の国家から注目されています。これをどうやって乗り越えるのかということは、今日の私とみなさんとの話のポイントじゃないかなと思っています。

アメリカの同盟の再編

次にアメリカのヘゲモニーの問題です。わたしがいま、毎日毎日大学に行って図書館でやっているのは新聞を読むことです。いまは2002年の9月、10月、11月まで読みました。朝日、読売、毎日新聞です。2002年の9月、10月、11月、12月の、特に対北朝鮮についての日本の世論の変化を把握してみようと思っているんです。それともうひとつ、日本での北朝鮮脅威論の形成過程です。いまわたしが注目しているのは1998年ですけれども、昨日私が読んだ論文が浅井基文先生の論文だったんですが、北朝鮮の衛星発射を利用した日本政府の思惑といったようなテーマです。結局その思惑は2つある。ひとつは周辺事態法、周辺事態法というのは朝鮮半島有事を念頭においていますから。そしてもうひとつはTMD(戦域ミサイル防衛)、そのときはいわゆるミサイル防衛、MDではなくてTMDだったんですね。ここに日本が参加することになった。そういう思惑だったんですね。

わたしがもうひとつ注目しているのは集団的自衛権です。これに注目しているのは、もちろん日本の方々とは違う観点に立っているからかもしれないんですけれども、わたしは在韓米軍の再編と在日米軍の再編を一緒に見なければならないという立場です。在日米軍の再編を見ても在韓米軍とどうつながっているのかを見なければならないという立場です。アメリカが同盟の再編をやっている思惑というのは、コスト、人的コスト、物的コストを同盟国に転嫁しようとする思惑を持っていると思うんです。だからアメリカはもしかしたら改憲をしなくてもいいかもしれないんですよ。たとえば解釈を通して日本が集団的自衛権を認めたら、そんなにあわてて改憲を迫る必要はないかもしれないんです。

韓国の在韓米軍の核心的な概念は、戦略的柔軟性ということですけれども、これは韓国を防衛するために存在してきた在韓米軍にほかの仕事を任せたいということなんですね。だから柔軟化したいということで、イラクに派遣したいということです。現実に在韓米軍の一部はイラクに派遣したんです。それと同時に韓国の戦時作戦統制権をいまはアメリカが持っていますけれども、これを返還する。そして韓国の防衛は韓国軍がやれということです。在韓米軍の第2師団は韓国の中枢だったんですよ。その第2師団がピョンテックに移転します。韓国ではこのピョンテックが在韓米軍の核心的な基地になると思うんです。そして米軍の陸軍第1軍団司令部が座間に来るわけですね。

討論のために――自制的な連帯を

討論のための問題提起をします。韓国と日本の両国は東アジアの中でどこへ行くのか、という選択の岐路に立っていると思うんですね。その中で何ができるのか、何をすべきなのかということなんですね。特に韓国は民主化以来最初の保守政権を迎えました。韓国の市民団体の動きを見ると、まだどうしたらいいのかわからない状態だと思うんです。まだ正体がわからないから。韓国は1987年に民主化してから比較的進歩的な政権に変わってきたんです。金泳三大統領よりは金大中大統領の方が比較的進歩的でしたし、金大中大統領よりは盧武鉉大統領の方が比較的進歩的だった。いまの李明博という人間をどうしたらいいのかについてまだ悩んでいると思います。

しかも韓国は1987年から急激に社会経済的に変化してしまって、今回のキャンドルデモを見てもよくわかるように、市民運動をやっている私たちが追いかけられない状態になっているんですね。特にキャンドルデモはわたしたちの予想以上の出来事でした。そして経済的には日本では「格差」と呼んでいるんですけれども、韓国では「両極化」と呼んでいます。そういう両極化の中で「88万ウォン世代」という、ベストセラーになった本のタイトルですけれども、韓国の20代の1カ月の平均給与を計算してみたら88万ウォン(約10万円)だったんですね。ほとんどがパート、派遣、バイトをやっているから88万ウォンになってしまうんです。その反面インターネットなどの文化がすごくはやく変わっている状態です。

日韓の市民連帯で何ができるのか。反改憲運動とか憲法9条を守る運動とか軍縮の運動とかを話してみようと思います。9条世界会議にみなさんも参加されたと思うんですけど韓国ではいろいろと話がありました。もちろん拍手を送りたいという意見もありましたけれども、でもやっぱり何かの違和感があるという話もありました。韓国から見ると、日本の憲法の歴史を考えると、率直に言うと、この話は韓国人もよくわからないんですよ、いまの日本の現実の問題なんですね。9条というその文言が素晴らしい文言だということをみんな認めています。でもその素晴らしい文言と現実との格差があまりにも大きい、その違和感ですね。もうひとつはさっき沖縄の話もしましたけれども、裕仁は自分が生き残るために沖縄をアメリカに捧げたわけです。そして裕仁が戦犯にならないために9条を受け入れたという歴史的真実もありますから。

2、3年前に韓国のMBCという放送局と日本のフジテレビが共同で、日本の国会議員と韓国の国会議員の討論番組を放送したんです。あのとき山本一太とか舛添要一とかが出て、東京裁判は戦勝国が一方的に押しつけた裁判だから、私たちは認めにくいんですよ、とか言ったんですよ。それを見て韓国の国会議員は“東京裁判って何?”というような表情だったんですね。わたしはすごく頭に来たんですけれども。でもわたしも山本一太と舛添に「共感」しているんですよ。わたしも東京裁判を認めないんですよ。認められないんですよ。東京裁判のおかげで裕仁は生き残ったんですから。そうですよね。東条英機とかに全部押しつけてそのトップに立っていた裕仁は生き残ったんです。そして日本が植民地にした東アジアのいわゆる弱い国、その当時の弱い国の声はぜんぜん反映されていなかったんですよ。それはアメリカとイギリスとソ連、そういう国が適当にやってしまったのが東京裁判ですから、わたしたちも認められないんです。

とにかくそういう歴史、現実、それはもちろん韓国から見ても韓国で日本の市民運動に、ちょっと待って下さい、日本は何をやっていますかと言える資格があるのか、韓国の現実はどうかを考えると、そうではないということなんです。韓国でも軍備増強の動きが出ていますし、憲法の平和主義というのはずっと半世紀以上無視されてきましたし、そういうところを見ても日本と韓国の連帯は、もちろん連帯が基本かもしれないんですけれども、お互いに力を合わせることだけじゃなくて、そういう連帯の中で自分の現実を、自分の本当の姿を見つけること、わかること、そういう自省的な連帯が必要じゃないかなと思うんです。

だから7月に高田さんが韓国の集会にいらしたんですけれども、韓国の憲法を見直すという集会だったんですね。韓国の憲法を見て、そこから平和主義とか、平和的生存権という概念の開発はできないのか、復活はできないのかということを考えたのが、あの企画だったんです。それはやっぱり日本と日本の市民団体と9条を巡った連帯の中でわたしたちが気づいた課題なんですね。そういうことが大切ではないかと思っているんです。

軍縮の問題は東アジアの非核地帯問題とか日朝関係の正常化の問題とかあるんですけれども、わたしは最近になってこの問題は大事だと思うんですね。日本から見ると自衛隊を市民が監視すること。日本に来てニュースなどで、自衛隊とか防衛省の問題を見ているんですけれども、韓国では国防監視運動と呼んでいるんですが、そういうことがお互いに必要じゃないかなと思います。これでわたしの話は終わりますけれども、ぜひみなさんと討論がでればいいと思います。

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「九条の会」第3回全国交流集会成功裏に開催
   参加層の厚さ、活動の多様さで大きな前進を確信

11月24日、午前10時30分から、東京・一ツ橋の日本教育会館で「九条の会第3回全国交流集会」が開かれ、全国各地から約900人の人々が参加、熱心に経験の交流と討議を行いました。

午前の全体会では、事務局の高田健さん、渡辺治さんの司会進行で、開会挨拶を九条の会事務局長の小森陽一さんが行い、出席の各よびかけ人のみなさんから、大江健三郎さん、奥平康弘さん、澤地久枝さん、鶴見俊輔さんがあいさつしました。つづいて、特別報告として日本国際ボランティアセンター代表理事の谷山博史さんが発言しました。

小森さんは充分集約しきっていないが、九条の会がこの一年の活動で、493箇所に新たに結成されたことを報告、今回の集会が谷山さんを招いたのはアフガニスタンでの戦争に日本がいっそうのめり込んで行きそうな情勢の中で、そうした動きに反対する運動を創っていくという意志の表れだと報告した。

大江さんは「」子ども、孫、ひ孫の代まで4代にわたって九条の会に入っている人がいる。これが国の伝統になれば日本が平和主義を国際的に樹立する手がかりになる」とのべ、奥平さんは「田母神論文は論文の名に値しない。批判のあるトピックスを独断的にまき散らしているだけだ。これが世に出てくることが問題だ」と指摘、澤地さんは「田母神前航空幕僚長がゆがんだ歴史観を部下に教え込んで、戦争のできる集団にしようとした。しかし九条の会は量的にも質的にも、重層的に確実に増えている。これはやたらなことでは崩されない力だ」とのべ、鶴見さんは「田母神発言は戦前の日本に全く無反省に帰っていく道を開いている」と指摘した。

谷山さんはアフガンにおけるNGO活動の経験から、日本がすべき事は軍隊による国際貢献ではなく、アフガンの当事者が参加する包括的な和平交渉の実現に力を尽くすべきだと強調した。

全国の各地域・分野の会から5人の方々、地域に九条の会を沢山作った経験を黒澤節男さん(福岡・南区九条の会)、経営者たちが集まって結成した九条の会の経験を植田英隆さん(北海道・グリーン九条の会)、系統的な活動を続けている吉田千秋さん(ぎふ九条の会)、前教育基本法の復活をめざしてと、上原公子さん(教育・子育て九条の会)、県内16の首長・前首長を結集した鹿野文永さん(みやぎ・憲法九条を守る首長の会)らが発言しました。

午後の部では12の会場に分かれて、分科会(青年・職場)・分散会で交流・討議を行いました。

最後に集約のための全体集会を行い、各分科会・分散会からの報告と、「九条の会からの訴え」を発表して、成功裏に集会を終えました。「訴え」は以下のとおり。

※一人ひとりの創意や地域の持ち味を大切にした取り組みで、憲法を生かす過半数の世論を。
※継続的・計画的に学習し、条文改悪も解釈による憲法破壊も許さない力を地域や職場に。
※思い切り対話の輪を広げ、ひきつづき小学校区単位の「会」の結成に意欲的な取り組みを。交流・協力のためのネットワークを。

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「私と憲法」で~す。お話聞かせて下さ~い

市民ネットワーク千葉県・平和部会

地域に平和憲法を生かす市民の地域政治団体

千葉県で地域の政治団体として生活者の目線で議会に新鮮な風を吹き込んでいる「市民ネットワーク千葉県」。そのホームページで「市民ネットワークは主催者である市民の声を生かし、地域に仕事を、人間らしいコミュニティーを、そして憲法の理念を力に、地域からの平和と未来をつくっていきます。」と語っているとおり、福祉、環境などに加えて平和部会を置いて憲法の理念を生かす活動に熱心に取り組んでいる。今年5月に千葉県幕張でおこなわれた「9条世界会議」にはブースも出して参加している。地域政党として特徴ある憲法を生かす活動を続けている平和部会リーダー・大西宏子さんと、政策調査室・吉沢弘志さんにお話を聞いた。

改憲の動きに、平和部会を発足させる

地域の政治団体として市議会や県議会で発言をするには調査研究と運動は欠かせない。「その一つの柱が平和を考えること」と大西さん。市や区のネットでは早くから憲法や平和の問題が話題になっていたが、県のネットとしては、改憲の動きが目立ってきた2004年に平和部会を発足させ、集中的な活動を始めた。まず、外部から講師を招いて連続学習会にとりくんだ。人権派の弁護士の話を聞き、国民保護法と生活安全条例の問題、護憲のあり方についてなどをテーマとした。

戦後60年でドイツと日本の違いを検証

2005年は自民党、民主党、公明党の改憲へのスタンスを比較する学習会をもった。ここでは吉沢さんが報告者となり論議が深まり、集団的自衛権と自衛隊の問題について県ネットとして合意が作られていった。ちょうど2004年12月に出た新防衛大綱と米軍再編を研究する中で、千葉県にある自衛隊の存在の重要性がはっきりしてきた。習志野と木更津の自衛隊に中央即応集団が置かれることが明らかになったのだ。中央即応集団は有事の際に海外派兵する先遣隊だ。加えてミサイル防衛の一角をになう新型迎撃ミサイルの「PAC-3」が習志野基地に配備されることも明らかになった。「政府の首都圏防衛構想のために千葉県の基地は重要な意味をもつことが分かった。習志野の基地は最大の役割を果たすことになるでしょう。」と吉沢さんは強調する。

一方、2005年11月には、ドイツ・スタディーツアーを派遣した。当時の小泉首相による靖国参拝が問題になっていた時期である。また、この年の5月、通称「ホロコースト記念碑」が第2次大戦後60年を経てベルリンの中心地につくられたたことも派遣の動機になっているようだ。戦後60年にあたり、日本とドイツで「戦争責任」「歴史認識」「戦後補償」がどう違うのかを実際に体験しようというもので、その成果として各地で報告会がおこなわれた。まとめられた報告集では、訪問の先々での関係者との話し合いのなかから、ドイツ市民が戦争にの向き合う姿勢が映し出されていて、ツアーが実りあるものであったことがうかがわれる。

地域政党として“しっかり物を言っていく”

首都圏防衛構想と日米軍事一体化は着実に進められている。これに対し市民ネットワーク千葉県は、習志野の自衛隊部隊へ「中央即応集団をおくな」「イラク派兵をするな」という申し入れを繰り返しおこなっている。習志野の部隊は2005年1月16日にイラクに派兵された。この時は横断幕をもって行き、抗議行動をしている。

昨年の11月29日には、PAC-3の習志野基地搬入が強行された。これには実行委員会をつくって取り組んでいる。また、自衛隊の問題は地元自治体の問題でもあるので、議会の質問につなげている。

今年の7月28日には展開訓練がおこなわれ、習志野基地から防衛省敷地内にPAC-3が運び込まれた。大型車両14台で、一般道路を使ってPAC-3が運ばれたという危険な訓練なのに、地元の自治体には一切連絡がなかった。「千葉県にも事前も事後も連絡がなく、市の担当者が翌日の新聞で知るというのが実態です。」「生活圏で危険なものが走り回ることになります。ここにも地域政党としてはしっかり物を言っていかなければなりません。」という吉沢さん。この訓練には時をおかず抗議声明を出した。

実情知らせ少しずつ浸透

習志野基地は市街地にあるといっていいほど、すぐそばまで住宅地になっている。「設備を拡充しているのがわかります。大きな格納庫が新しくできていて、中には迷彩色の車が並んでいる。有事の際にすぐに車両が出動できる態勢をつくっている。」と、基地をウォッチングしている吉沢さん。実行委員会では毎月1回、最寄り駅といえる津田沼駅でチラシまきをして、こうした実情を知らせている。これまで習志野基地があるのはみんな知っていても、中にどういうものがあるのかは知らない人が多かった。しかし、自分たちの住んでいる近くに“こういうものがあるんだ”という反応は出てきている。「少しずつは浸透しているとおもう。」と大西さんも手ごたえを語る。

とにかく知らせたい、知らせなければと毎月1回のチラシ撒き、チラシの受け取りは悪くない。それに何ヶ月に1回は基地に申し入れを行い、年に1回は集会とデモをやっていこうとしている。昨年の強行配備に抗議する300人のデモは、津田沼駅周辺では何10年ぶりかの行動だった。今年も11月24日に集会とデモが行われる。

沖縄基地の実情を視察

2007年11月、千葉県で国民保護法の実働訓練が行われた。不審船に乗った外国人の武装グループがサリンを撒くという設定で、陸上自衛隊が参加するものものしい訓練だった。加えてPAC-3の配備強行があり、市民ネット千葉県は危機感をつのらせた。そこで基地のある危険ととなりあわせで戦後ずっと暮らさざるを得なかった沖縄を訪ね「軍備・住民・平和」についてみてこよう、と今年の1月には平和部会の10人が沖縄の視察を行った。さらに沖縄では、4つの自治体がまだ国民保護計画を策定していないということもあり、平和部会は「右へならえ」をしないまちづくりにも関心を寄せていた。

沖縄では辺野古と高江の基地建設予定地を訪ね、応援メッセージとカンパを手渡した。また沖縄戦の実態にふれ、基地に囲まれている住民生活も視察した。帰ってからは沖縄報告会を数箇所で開き、また、「沖縄視察報告集」にまとめて現実を知らせてきている。日本の米軍基地の75%が集中する沖縄の報告をたくさんの人が聞きに来ている。これからも“サンゴとジュゴンの海を守ろう”と、DVD「辺野古の闘いの記録」上映会を計画している。大西さんは「沖縄の現実をみて認識を新たにした。映像は力になるのでDVDの上映会などをして何回も何回も訴えていきたい」と語った。

反核・六ケ所再処理工場稼動やめてのとりくみも

平和部会では反核の課題も重要な柱にしていて、原子力は平和な生活に逆行するものとして運動をしている。六ケ所再処理工場稼動やめてのとりくみと、核燃料サイクル全体についても力を入れている。講師を招いての講演会は何回も開いていて関心も高い。

六ケ所再処理工場の問題は、海が汚れ食べ物が汚染されるということで、自分たちの生活に直接関係があると賛同をもらえた。「稼動しないでという署名活動は、生活クラブ生協にも呼びかけて13600筆を集め、青森県庁まで直接署名を持っていきました。」と大西さんは運動のひろがりを喜んだ。

東京、神奈川、千葉と地域政党としてのネットの運動は、それぞれに特徴がある。憲法問題で鮮明な立場を示す市民ネットワーク千葉県だが、現在地方議員28名を擁している。十分な話し合いと納得いくまでの行動が、その裏づけとパワーになっている。そんな印象を強くしたインタビューだった。(土井とみえ)

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生きたい!平和に 2008年11・3憲法集会
  韓国からのゲストを招き日韓市民の連帯を決意

憲法公布62周年にあたる11月3日、午後1時半から、東京・永田町の星陵会館で「生きたい!平和に」をメインスローガンにした2008年11・3憲法集会が開かれた。集会を主催した実行委員会には「憲法」を愛する女性ネット 憲法を生かす会 憲法を生かす会東京連絡会 市民憲法調査会 全国労働組合連絡協議会 日本消費者連盟 VAWW-NETジャパン ピースボート ふぇみん婦人民主クラブ 平和憲法21世紀の会 平和を実現するキリスト者ネット 平和をつくりだす宗教者ネット 許すな!憲法改悪・市民連絡会などの市民・労働団体が参加し、共同で成功のために努力した。

当日、集会には300人を超す参加者があり、集会後は会場近くの自民党本部前でキャンドルやペンライトなどを掲げて、「派兵給油新法延長反対」「衆議院を解散して民意を問え」などのシュプレヒコールでの抗議行動を行った。

集会での講演者は香山リカ(精神科医)さん、湯浅誠(NPO法人自立生活支援センターもやい事務局長)さん、谷山博史(JVC国際ボランティアセンター代表)さんと、韓国からのゲストとして金英丸(キム・ヨンファン、韓国・平和憲法市民連絡会議)さんが発言した。

香山さんはこの間、改憲をすすめて来た人々が「元気のない日本を元気にする」などと言ってきた事が一つの特徴であることを指摘、湯浅さんは「もやいに自衛隊募集にくる自衛隊は、米国並みの国家版の貧困ビジネスだ」と話した。谷山さんは「アフガンで9条をもつ日本がすべき事は自衛隊の派兵ではなく、困難でも紛争の和解のための仕事だ。」と述べた。キムさんは韓国で燃え上がったロウソク闘争を紹介し、日本と韓国の市民の連帯のために奮闘する決意を述べた。

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ブックレット紹介「高知新聞社発行9条しあわせの扉」
高知県政界の保守重鎮たちの参画する「こうち九条の会」

東京の「11・3憲法集会」に韓国からのゲストとして参加したキム・ヨンファンさんが「僕も原稿を書いた」と紹介してくれ、高知新聞ブックレットNo.13「憲法の過去、現在、その未来を考える」を送って頂いた。

このブックレットは高知新聞社の発行に「こうち九条の会」、女性「九条の会」高知が協力したもので、「九条の会かくありたし」と思うような内容の濃密なブックレットである。高知県でさまざまな九条の会にかかわる「10代から80代まで、男性8人、女性7人、全部で15人の貴重な論考集」である。本書の特徴は高知新聞企業文化出版局 局次長の足羽潔さんが「編集後記」で語っている。

イラク戦争と軌を一つにするように、日本国内での改憲の動きがあわただしくなり、同時に大江健三郎さんや小田実さんらの呼び掛けで『九条の会』が2004年に旗揚げされ、高知でも『九条の会』が結成の運びになる。高知が全国を驚かせたのは、高知県政界の保守重鎮たちの『九条の会』への参画だった。その人たちは例えば、平山公敬さん、梅原一さん。高知市政、県政、そして国政のありようをめぐって國澤さん(元県評議長)たちと政治的な闘いを演じづけていた人たち。その平山さんや梅原さんが『こうち九条の会』の輪に入ったことが、『護憲』の意味をあらためて問うものとなった」と。

このブックレットは文字通り「九条を守る」の一点で高知県内の幅広い人々を結集して活動する「こうち九条の会」の人々の姿を鮮やかに浮かび上がらせている。

本書で九条の会よびかけ人の故・小田実さんの次のような言葉が紹介されている。小田さんは高知で開かれた九条の会の講演会で、元自民党高知県連総務会長で、元須崎市長の梅原一氏と同席した。その感想である。

元自民党県連総務会長、前須崎市長の梅原一氏が『みなさんの力で九条改憲阻止を』と題して、教育にはいかに教育基本法が大事か、自分は市長としての市の教育現場でいかにそれを実践させようとしたか、教育基本法の土台にある憲法は大事だ。改悪させてはならないと話した」「今時野党の政治家も言わないようなことを自民党の地元の政治家が話したので、さすがに『自由民権』発祥の地だとおどろいたが……」とし、宇都宮徳馬氏の「自民党、いや『自由民主党』とはそうしたまともな『保守』の政治家がかたちづくる、そのはずの政党だった」の考えを紹介、そして再び、梅原氏を「そう考えれば、教育基本法と憲法の重要性を説き改憲阻止を訴えた自民党の前市長はまともな『保守』の政治家だ」とたたえ、「まともな『保守』の政治家が改憲阻止の声をあげるとき、自民党はまっとうな『保守』の政治をおこなう政党としてよみがえる」と述べる。小田さんの梅原さんへの賛意と感謝の思いがあふれる。(本書より)

 「民権運動の地、土佐の国からの『日本国憲法9条を守ろう』との力強い叫びが、高知新聞ブックレット『9条 しあわせの扉」のページをめくるたび、心に響く。戦争は人間が起こすもの。戦争を許さず、止めることのできるのも人間。戦争を国家の目でなく、人間の目で見て、絶対に許されないとの成文憲法を持つ日本は、世界の未来を導く道を歩くことができる。私たちの琴線に触れるこのブックレットこそは一度手にとってほしい」との品川正治さん(経済同友会終身幹事)の推薦の言葉がある。

ちなみにキム・ヨンファンさんは「東アジアで平和憲法を『実現』するために~市民の抵抗と連帯によるアメリカの呪縛からの脱却」という文書を書いている。

 A5判124頁762円+税 
お問い合わせは高知新聞企業文化出版局調査部の足羽潔さん
TEL088-825-4330 
FAX088-825-4329まで。

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  「知らなかった私」が知りたかったことを中心に
『えほん日本国憲法』をつくりました

野村まり子

野村 まり子:絵・文, 笹沼 弘志:監修
発行:明石書店
A4判変型 48ページ 上製
定価:1,600円+税
Amzon

8月末に、明石書店より『えほん日本国憲法』を出版いたしました。
憲法といえば9条くらいしか知らなかった23年前、前文を読む機会がありました。日々の暮らしの中で「こうだとよいのに」と思い描いていた世界が、分かりやすい言葉で、端的に書かれていることに驚き、希望と解放感を覚えました。当時、挿絵などの仕事を始めていたため、いつかその世界を絵本にできたらよいなと思ったことがきっかけです。

本格的に作ろうと思い始めたのは、1990年代にはいり、改憲の声が喧しくなったことからでした。「改憲」の動きにすこしでも歯止めをかけるために、自分にできることは何かと考えたとき、仕事として手掛けることが一番確実にかかわれる、と思いついたからです。

とはいえ、憲法に関心を持っただけの、一市民でしかない私が憲法を伝えるのですから限界があります。ですから、「知らなかった私」が知りたかったことを中心に、最低限「憲法って何?」にこたえられるものにしたいと思いました。構成は、小熊英二さんの「憲法は祀り上げるものではなく、使いこなすもの」という新聞記事にヒントをもらい、絵本作家ピーター・スピアの『合衆国憲法』の絵本の手法に学んで、イメージ作りを始めました。監修は、静岡大学の憲法学者で、「路上」から憲法を語る笹沼弘志さんにお願いします。

でも、「なんとかなる、作ろう!」と踏みだせたのは、なんといっても、それまでに出会った多くの友人、知人たちがきっと支えてくれる、教えてくれると思えたからです。みんなの暮らしに関わっている憲法ですから、私たち、一人ひとりがまさに憲法の現場を生きていることになります。一人で子育てをする人、厳しい労働条件で働く人、理不尽な生き方を強いられる人、尊厳をもって生きることから無縁とみなされる人、さまざまな市民運動にかかわる人、そしてごく「普通に」生きている人、みんなが憲法の働きをあきらかにすることや、私の力の及ばないことに、必ず力を貸してくれると思い浮かべたからでした。

この本では、日常の様々な情景を、コマ絵で数多く描いています。憲法がくらしに直接かかわっていることを感じとれるようにしたかったことと、その数多い絵のどれか一つにでも共感を覚え、憲法を身近に感じてもらえたらと思ったためです。作る作業は「知らなかったこと」を知っていくことでもあり、自身の表現力に限界を感じつつも、それをもとにどういう世界を描くか思いめぐらす、張りのあるものでした。

なぜ、「絵本」で憲法なのかと聞かれることがあるのですが、そのようなわけで、自分にできる範囲のことを選択した結果であり、またかつての自分のように、関心はあっても、手の届かないものと無意識に思っている人に、気軽に見てもらえるようにと思ったからです。

憲法の目的が、一人ひとりの人権にあり、誰もが一人の人間として尊厳をもって生きることを、憲法で保障していると知ることは、希望につながるものだと思います。子どもの時から常識としてそのことが身についていれば、生きることの支えになると思いますし、また「改憲」の目的のおかしさにも気づくと思います。この本が、少しでもそういうことに役立つと良いなと願っています。

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