10月21日、第170臨時国会の衆議院本会議は米国などの対アフガニスタン・テロ作戦「不朽の自由作戦」支援のために、インド洋・アラビア海などで活動する海上自衛隊の給油活動を延長する「新テロ対策特別措置法改正案」(インド洋派兵給油新法延長法案)を野党各党が反対する中、採決し、参議院に送付した。同時に衆院本会議は第168臨時国会から継続審議にされてきた民主党の対案「アフガニスタン復興支援特別措置法」を否決した。私たちはこの給油新法延長案に反対して、衆議院段階での3波にわたる国会前抗議行動や、国会開会日の院内集会をはじめ、さまざまな抗議行動を行い、ひきつづき参議院段階でも抗議して闘うものであるが、自公民3党の合意で今月中にも参議院での否決と衆議院での再可決、成立という方向が濃厚である。この麻生内閣の暴挙に心からの怒りを込めて抗議したい。
米国のアフガン戦争開始から7年を経て、アフガンでは数百万の難民と多数の民間人戦争犠牲者をつくり出しながら、米国など多国籍軍の戦争はますます泥沼化している。いまや、米国によってつくり出されたカルザイ政権も「タリバンとの和解交渉」を主張し、交渉が始まっている。現地イギリス軍の司令官も「もはや軍事的勝利は不可能だ」とのべるような状況だ。まさに私たちが主張してきた通り、「武力で平和はつくれない」ことが証明されている。先ごろ、日本の先駆的なNGOペシャワール会の伊藤和也さんが何者かに殺害されるという極めて残念な出来事が発生したが、これは自衛隊の多国籍軍への給油活動などの中で現地に緊張がつくり出されていることと無関係ではない。にもかかわらず、麻生首相は「各国が軍隊を増派しているときに、日本だけが引き上げるという選択肢はない。給油新法は日本にとってもっともよい方法だ」などと、この法案の正当性を主張した。これはアフガンで進んでいる事態に逆行する弁明である。この問題をめぐって、政府は懸命に世論工作を行い、キャンペーンをしてきたが、いまなお、「国論」は2分されている状態である。多くの人々が納得していない。
にもかかわらず、この国会において、審議促進のため衆院本会議での法案の主旨説明は省略され、衆院テロ対策特別委員会での審議は2日、採決の本会議を入れてわずか3日の審議という異例のスピード審議であった。
このスピード審議は民主党による与党の国会対策への協力ではじめて成り立ったものだ。この国会において「衆議院解散―政権交代」をめざす民主党は、「いたずらに審議引き延ばしをしない」「早期解散を求める」などとして、異常な国会対策をとった。他の野党各党が主張したように、新法延長案は時間をかけて審議すべき多くの問題があったし、廃案にすべきものであった。
民主党執行部は「解散先送りが濃厚」と判断した参議院段階でも「早期成立容認方針は変えない。方針変更すれば与党が解散先送りの理由を『野党の審議引き延ばし』とするからだ」などという方針をとっている。これでは全くの与党ペースである。かつて同党がこの法案に反対して論議を展開したことを考えると、これは全くの裏切り行為である。
さらに問題なことは衆議院テロ対策特別委員会での審議における民主党の主張である。
もともと民主党の対案は国連決議の下でのアフガンへの陸上部隊の派遣と、恒久的な自衛隊の海外派兵の可能性を含んだ危険なものであった。与党は168国会で民主党の対案を継続審議にすることで、みずからの土俵に引きずり込むことをねらったのであった。
私たちはこの対案の問題を幾度も指摘してきた。ISAF(国際治安支援部隊)やPRT(地域復興チーム)への参加や協力が憲法第9条に反するものであることは明らかで、加えてアフガニスタンの民衆生活や復興の支援に逆行し、多国籍軍のアフガン作戦を助けるものとなることは、現地に駐在するNGOなどによってつとに指摘されてきたことである。民主党案はアフガニスタンでカルザイ政権とタリバンなどとの抗争停止合意があるばあいにそうした部隊の派兵を可能としているが、これは小泉元首相が主張した「非戦闘地域」問題同様にイラク特措法と同じ誤りを含んでいる。
この国会での民主党の主張のもう一つの重大問題は長島昭久衆議院議員の発言などで、「ソマリア沖での海賊被害に対してシーレーン防衛のため海上自衛艦を派遣する」ことの検討を政府に迫り、麻生首相が「海上警備行動として極めて有意義」と新法制定の検討を表明したことだ。浜田防衛相は海自のみならず、P3C哨戒機の派兵も検討すると語っている。もとより、自民党筋から一時期流されていた「海賊対策のためにも給油新法延長を」などという宣伝は、海賊対策に名をかりて新法延長を有利に進めようという、ためにする議論であり、この派兵給油新法の主旨を混同したでたらめな議論であった。
今回、新たに語られている自衛隊法82条の「自衛隊による海上警備活動」は、もともと領海内において海上保安庁(警察力)の手に負えない事態が発生した場合に自衛隊に出動を命ずるもので、領海外の活動は全く想定していない。まして、アラビア海やソマリア沖での海上警備活動での適用などは考えられない。この地域での海上警備では、海賊に対する臨検や海賊との武力衝突も想定されるが、それは言うまでもなく憲法9条に反するものだ。こんなことをシーレーン防衛新法で許せば、自衛隊の際限のない海外軍事活動を認めるものとなり、まさに海外派兵恒久法につながるものだ。民主党の長島議員らの議論は海賊対策を口実に危険な海外派兵恒久法に道を開くものだ。10月18日付の産経新聞主張は「海賊掃討を含め、国際平和協力のための恒久法制定は必要とされながらも、与野党による具体案づくりは進んでいない。自民・民主両党は海賊問題への関与を詰めると共に恒久法でも合意をまとめてほしい」とあからさまにその意図を表明した。
海賊制圧に名を借りた海外派兵恒久法の動きを許してはならない。
派兵給油新法延長問題は安倍内閣、福田内閣が政権を放りだした重要な要因であった。福田内閣は参院で同法延長に反対する野党が多数を取っていることから、衆院再可決という異例の手段をとった。ところが、このところ公明党までが世論の批判の強い再可決に反対の姿勢をとりだしたことから、福田首相は首相の座を断念し、総選挙で勝てる者を首相にするとして、辞任した。そういう中で登場した麻生首相はもともとこの延長法案の成立は困難で、解散しかないとあきらめていた。それを救ったのが民主の審議促進協力である。これを見て、公明党も再可決賛成に転じた。これは、まさに、麻生首相にとっては「棚からぼた餅」であった。
新テロ対策特措法の延長は米国政府の強硬な要求であった。米国の要求は歴代日本政府にとってはまさに「国際公約」である。
さらに最近のアフガン情勢の悪化の中で、米国などは軍隊を16000人も増派し、日本に対しても陸上への支援の要求を強めている。7月にはウィルクス国防副次官が来日して「ロシアをのぞく主要国で部隊を出していないのは日本だけだ」と重ねて陸上部隊の派兵を要求した。防衛省筋によると、米国防総省はP3C哨戒機の追加派遣を打診した防衛省幹部に対して、逆に(1)CH47輸送ヘリによるアフガン国内輸送、(2)C130輸送機による海外からアフガン拠点空港への輸送、(3)地域復興チーム(PRT)への人的貢献などを要求したという。10月にはモレル米国防省報道官が、アフガン国軍育成費用として、今後5年間で170億ドル以上の負担を、地上部隊を派遣していない日本などに要求する意向を表明した。日本はすでに総額14.2億ドルの財政支援を行い、5.5億ドルの追加支援を約束しているが、これでは問題にならないというわけだ。アフガン国軍への援助は軍事用途を禁じているODA大綱にも抵触する重大問題である。
来月初めには米国大統領選が行われるが、イラク撤兵を主張し、優勢と伝えられるオバマ民主党候補も、アフガンへの力の集中を主張しており、米国のアフガン戦争への関与は強まる可能性がある。日本政府が懸命になって派兵給油新法の延長を決めても、米国の対日要求は強まる情勢にある。
一部で語られている11月末総選挙の可能性は消えていないが、民主党の党利党略の対応を逆手にとって、好機到来とばかりに、政権の座にしがみつく麻生太郎首相は、出来るだけ解散を引き延ばしたいと考えているようである。いま、もくろまれている派兵給油新法延長の再可決など許されないし、それを強行しようとしている麻生内閣の責任は重い。
麻生首相は眼前の金融世界恐慌もみずからの政権の延命の角度でしか見ていない。人々が景気の悪化で苦しんでいるときに、総選挙で信任を得ていない麻生内閣に有効な経済対策など打てようはずがない。麻生は「米国経済がガタガタな時期は日本がきっちり支えなくてはならない。米国は11月4日の大統領選挙のあと、来年1月の就任式まで政治空白だ」などといって、衆院解散を新年度予算の成立後まで先送りすることを正当化しようとしている。こうした麻生内閣に国民は嫌気を強めている。内閣支持率が好転する気配はない。この道は安倍、福田と同じように、行き詰まって政権を投げ出すしかなくなる道にちがいない。(事務局 高田健)
日隅一雄さん(弁護士)
(編集部註)9月27日の講座で日隅さんが講演した内容を編集部の責任で要約したもの。要約の文責は全て本誌編集部にあります。
いま紹介いただいた日隅と申します。なかなか「ひずみ」と読んでいただけることが少なくて、「ひぐま」とか、一番びっくりしたのは「しろくま」さんと言われたことがあって、日が白というふうにちょっと飛び出ていたんですね、私の家に来た宅配便の人に「しろくまさん、しろくまさん」と呼ばれたんです。弁護士をやってもう10年くらいになります。その前はなんと産経新聞に4年半くらいいまして、そのあとしばらくオーストラリアとニュージーランドにいて日本に帰った後、弁護士の資格を取ったものです。
きょうは「マスコミはなぜ『マスゴミ』と呼ばれるのか」という本に基づいてお話をしたいと思います。最初にみなさんに質問ですが、電力会社の原発推進CM をご覧になった方いますか。みなさんがどう考えるかなあということを最初にうかがいたいと思うんです。私企業が行うんだから別にどんなCM を流そうが自由じゃないかと考えるのか、それとも一方的なCMを流すのは変だとは思うけれども仕方ないかなと思われるのか、法的に問題があるんじゃないかと思うか。要はこの3つをどうお考えになるかなということをちょっと頭においていただきながら次の話に進んでいきたいと思います。
ついでにもうひとつの質問です。インターネットの有害情報対策についてみなさんはどうお考えになるかということです。ひとつは何もしなくていいんじゃないのという考えもあるだろうし、政府が責任を持って自ら対策をするべきであるという考えをお持ちの方もいるでしょうし、業者に対策をとらせるべきであるというふうにお考えになる方もいるだろうなと思うんですね。みなさんがそれぞれどうお考えになるかということですね。こういうことが表現の自由に直接、間接に関わってくるということです。
憲法の講座なので憲法の話をしますね。憲法21条「表現の自由」、第1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」。第2項で「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」というのが21条の規定ですね。この21条は、もちろんご存じのかたもたくさんいらっしゃると思うんですけれど、これは優越的な権利だとされるわけです。表現の自由というのは人権のカタログとして憲法上に規定のあるたくさんのさまざまな権利よりも優越的な権利であるとされているわけです。ではなぜ表現の自由が優越的な権利とされているのかというところ、これがとっても大切ですけれども日本では非常に軽視されているということがあります。教科書的にいうとこの二つです。「自己実現」と「自己統治」に適うから、というふうに言われます。自己実現というのは個人の人格形成、自己発展にとって表現の自由あるいは精神的な自由は必ず必要な権利だから、ということがひとつ。自己統治というのは民主主義を正しく成立させるために必要不可欠な条件であるということになるわけです。
これね、だいたいこういう順番で教科書に出てきますよ。これは間違っているんですね。こういう順番で出てくること自体が日本の憲法の先生方に反省してほしいんですよ。どう考えたって二番目の方が大事なんですよ。一番目は、生存権だって自己実現するためには必要な権利です。そうでしょ。生きていかなきゃ、ご飯が食べられなければ、自己実現はできないんだから。ところがなぜ表現の自由が優越的な権利とされるのかというとまさに二番目の「自己統治」なんです。お互いに意見交換をして民主主義の自らの選択というものを正しくおこなうためには表現の自由がなければ、情報が自由に流通するという前提がなければダメなんですね。これがなければ、例えば生存権が侵されているとしてもそれを回復することすらできなくなっちゃうんじゃないかということで、本来は自己統治と自己実現という順番にするべきであって、むしろ自己実現なんていうのはたいした問題じゃないんですよ、優越性を議論する上ではね。ところがこれが並列的になっている。私も試験勉強ではこうやって覚えましたけれども、そのときにはまったくわかりませんでしたね。
この自己統治をもう少し詳しく見ていくと、こういうことです。表現の自由とか精神的自由が制約される法律とか規制が出来てしまうと、社会内で自由な議論をおこなうことが出来なくなって民主主義の過程が正常に機能しなくなる。そうすると困るから裁判所は健全な民主制の過程を確保するために、表現の自由や精神的自由を最大限保障しなければならないということになる。したがって表現の自由を制約する法律などについては合憲性が推定されない。「推定されない」、つまり法律が表現の自由を制約することは違憲だ、違憲な法律であり違憲な制約だということを前提に裁判所は判断しなければならない、これがまさに優越性なんですね。表現の自由が優越的だといわれるのは、裁判所が表現の自由を制約するのは違憲だということを前提に判断して下さいということ。これがまさに優越性の議論なわけですね。ところがみなさんご存じのようにそうなっているかというと、非常にお寒い状況だということですね。
みなさんは現在マスメディアに対していろいろなご不満をお持ちだと思うんです。ではどういう不満をお持ちかということをちょっと頭の中に思い浮かべていただきたい。いろいろあると思うんですが、例えば市民運動について放送しないとか、事件取材が加熱してとんでもないことをやっているとか、政府の批判が不十分であるとか、大企業の批判をしないとか、変な判決が出てもきちんと報道しないとか、いろいろな問題がありますよね。こういう問題を総合していまのマスメディアの状況を見ると、どういうことが見えるかということです。民主主義の過程が正常に機能していないんじゃないかと思うんですよ、常に。だから外の国の人が、日本をいちおう民主主義の国だということでG8なんかの仲間に入れてくれていますけれども、実際にそういうところに入るだけの資格のある国なのか。外形的には民主主義のシステムがあるようには見えますけれども、実際のメディアの報道を見る限りはすでに民主主義の過程は機能していないんじゃないかということです。
じゃあ、なぜマスメディアがダメなのか。例えば私の経験でいうと、私は産経新聞時代に大阪でしたので、関西電力にときどき「ご招待」をされて、関電の施設を見学したりするんですよね、食事付きで。われわれとのあいだでそういう関係がある。実際に火事なんかがあるわけですよ。みなさんのところにも来ている電線が、火を噴くことがときどきあるんです。こういうのってニュースにはならないじゃないですか。われわれはそれを知るわけです。何でかというと毎日各警察署に電話したり各消防署に電話して「何か起きていませんか」ということを必ず聞くわけです。毎日何回も。そうするとそういう情報が入ってくるわけです。「いまどこそこで電線が火を噴きましたよ、それで出動しました」と。それを上司にあげるんですよ。そうすると、「もういい」「そんなのはニュースじゃない」と言うんです。私は大ニュースだと思うんです。家に来ている電線が火を噴くんですよ。そんなのたまったもんじゃないですよ。でも「いい」って言うんです。
こんなこともありました。高速道路でエンジンが火を噴くんですよ。一時、三菱のことで騒ぎになりましたが、あの騒ぎの前ですよ。火を噴いても「取材しなくてもいい」って言うんですよ。そういう状況です。そういう状況が何でなのかということですよ。こんなことが言われます。やる気がないんじゃないかとか、お金をもらいすぎているんじゃないか、だからふつうの市民の気持ちがわからなくなっているんじゃないかとか、記者クラブがあるから仲良し状態でぜんぜんきちんとしていないんじゃないかとか、こういうことがよく言われたりしています。確かにこれはうそじゃないです。一番目がそうかどうかは私はわかりません。少なくとも私がいた頃にはそういう人はあんまりいなかった。あんまりいなかったというのはいたからね。
私が一番印象的だったのは「黒田軍団」って知ってます? 読売新聞の「黒田軍団」というのがあったんですよ、大阪でね。いまの社長と同期で一生懸命頑張ってた、あの人が読売新聞の舵取りをしていればずいぶん違ったんじゃないかと思われるような、市民のことを一生懸命書く方で、大阪本社を中心に黒田軍団、黒田清さんが社会部長をしていた頃の社会部はいろんな記事を書いていました。いまの社長がだんだん出世していく中でとばされちゃって、「黒田軍団」は解散させられた。その「黒田軍団」が解散された頃に私はいましたから、「黒田軍団」の方々は非常にやる気をなくして、朝から晩まで麻雀をやっていましたね。基本的にはそういうことがない限りはやる気があるんだろう、少なくとも入るときにはやる気はあって入ってくるんだろうと思います。ただ二番目、三番目はそういうことはあるだろうなと思います。じゃあそれが根本的な原因かというと、必ずしもそうではないということです。日本のメディアというのは権力によって自由を圧殺されている状況にあるんです。それは他の国と比較をすればわかります。他の国にはない状況が日本のメディアを取り囲んでいるということです。
一番大きいのが、政府与党というところから総務省というところがあって総務省が直接テレビ局、ラジオ局いわゆる放送局に免許を与えたりいろいろな規制をする仕組みが出来ていることです。これは他の国にはありません。他の国は必ず独立行政委員会を一本噛ませています。直接政府ではなく、政府が替わっても独立行政委員会のメンバーが替わらないか、替わる場合もありますが少なくともワンクッションおいて独立行政委員会が免許を与えたりいろいろな指導を行う仕組みになっています。これが非常に大きいですね。
2つめがクロスオーナーシップ、これは五大新聞社が五大テレビ局をそれぞれ持っているということです。こういうのは日本だけです。日本以外の国でテレビと新聞を同じ資本が持ったり、非常に密接な関係にある国はありません。アメリカのメディアは巨大で寡占状態で表現の自由がなくなっているんじゃないかと言われたりします。こう言われるアメリカでさえ、新聞社とテレビ局が同じ資本でいいということはまったく考えません。一時メディア業界の方が圧力をかけてそういう方向に動いたんですけれども最高裁がストップをかけました。そういう制度にしてはいかんということで。それくらい他の国では新聞とテレビ、つまり異なるメディアをひとつの資本が持つということについて危険をちゃんと感じているわけですね。
3つめが電通などの巨大広告代理店、これが一業種一社制を採用していないことから生じている問題です。「一業種一社制を採用していない」というのはどういうことかというと、他の国ではトヨタとか日産とかを一緒に広告出来ないということです。日本はトヨタ、日産、ホンダを全部電通がやろうと思えば出来る仕組みになっています。けれども他の国はトヨタをやっていれば日産は出来ない、日産をやっていればトヨタは出来ないんですよ。これが当たり前なんです。それは考えてみればわかることです。トヨタの広告費で一生懸命つくったネタを日産に売るかもしれないですからね。利害の対立するところから受けるなんておかしいわけですよ。弁護士が被告と原告の両方から受けてお金をもらっているのと同じですよ、はっきり言えば。こういうことが許されている。それによって非常に巨大な広告代理店が出来てしまっている。この3つは日本にしかないんです。日本にしかないというのは言い過ぎかもしれませんけれども先進国の中では少なくとも日本しかないわけです。これが私が言いたいことなんです。もちろんこれから派生するいろいろな問題がありますけれども、この3つは少なく この3つは少なくとも他の国にはないんです。
もう少し詳しく一番目からやっていきますと、総務省の支配ということですが、これは放送事業は電波に限りがありますから、免許制とせざるを得ない。免許制にしないとあちこちに海賊放送が出来て電波が干渉しあってまともに聞こえないし見えなくなってしまうから、これは仕方がないんです。免許制にすること自体はね。ところが免許制にしたあと、その免許権なり免許の更新なりの判断をどこがするのかということです。日本は政府がやるというわけです。政府がやるということはテレビ局などに直接政府の圧力がかかるわけですよ。そうするとテレビ局が権力監視機能を果たせないのは当たり前のことです。
私はNHKの事件もやりましたけれども、NHKの事件も結局そうですよね。政府が予算を握っているとかいろいろな問題がある中で、圧力をかけられて番組が改編されてしまった。あるいは民間放送に関しては一時すごい行政指導がありました。軒並み行政指導が出された時期がありました。ああいうことをすれば当然民放だって政府のいうことを聞こうかなというふうになっちゃう。わかりやすい例でいえば、これはNHKですけれども、拉致の問題で放送命令を出した。あれは海外の放送の話でしょ。だけど国内の放送でも拉致の放送がどんどん放送されるようになって、他の民放ではやってないときでもNHKではトップで放送することも多々ありました。それくらいテレビ局は政府の圧力を受けやすい状況にあるということです。直接的な指導などがあると余計にですね。
他の先進諸国では政府や議会が選んだ独立行政委員会、これは有識者ですよ、あるいはメディアの経験者であるとか視聴者の代表者であるとか学者であるとかそういう人です。もちろんやり方によっていろいろ問題があるということはあります。しかし少なくともここでワンクッション噛ますことによって萎縮の程度は減りますよね。少なくとも政府が直接やるよりもね。典型的なのは田中角栄がやった免許の付与です。これは地方の新聞社をばーっと呼んで1~2日の間にその新聞社たちにテレビの免許を与えたんですよ。新聞社だけでなくて地方の優良企業とかを呼んだわけですが、それは本当ならいろいろなところが手を挙げているわけだからそれぞれ単独で、選べばいいわけです。競争させればいいんだけれども談合させて新聞社を必ず噛ませているところにテレビ局の免許を与えたんです。だから地方のテレビ局は新聞社とセットになってその新聞社のニュースを流すわけです。そういう関係にしちゃった。
それはなぜ出来たかというと政府が直接免許を与えていたからです。もし田中角栄が直接テレビ局の免許を与えるという関係がなければ、いくら何でもそういうことは実現することは出来なかったはずです。2日くらいの間でやっちゃったなんていうことは独立行政委員会が入っていれば、恥ずかしくてできなかった。そういうことです。この独立行政委員会は一時日本にも導入されました。これはGHQですね。アメリカは日本が戦争中にラジオとか新聞で「勝ってる、勝ってる」という訳のわからない報道をして、それによって国民が騙されてひどい結果になったということはじゅうぶん知っているわけです。これからはメディア、放送ということが非常に重要な役割を果たすだろうというのは明らかですから、独立行政委員会をつくって政府の直接の圧力をかけないようにしようということでアメリカが導入したんです。
ところが、日本が主権を回復して吉田茂さんが一番最初に行ったことのひとつは、独立行政委員会をつぶすことだったんです。この独立行政委員会がつぶされたことによって政府が直接テレビ局、ラジオ局に圧力をかけることが出来るようになった。この独立行政委員会が日本にあったときに本当に正しく機能したかどうかということについては議論は分かれています。議論は分かれてますが、少なくとも政府と違う判断をしたことは間違いないですね。政府はNHKに最初にテレビの免許を与えようとした、ところが独立行政委員会はがんばって日テレに与えたわけです。そういうことが出来るわけですよ。それが結果的によかったかどうかということはわからないけれども、少なくとも政府とは違う判断をすることが出来る制度だった。
なぜ自民党の一党支配がいまに至るまで続いているのかは、まさにこれだと思っています。この時にテレビ局の支配をすることが出来たから、これがもしなければ、途中で、何度も政権交代があったと思います。総務省支配による弊害というのは行政指導だとか政治的な圧力をかけるだとか放送免許を恣意的に公布する、免許の更新の時にさまざまな圧力をかけるということですね。これは直接この番組はおかしいぞと圧力をかける必要はないんですよ。例えば深夜番組なんかで人気のあるちょっとエッチな番組ね、あれエッチすぎるぞといって圧力をかければ、財布をつぶすわけですからね。財布をつぶされれば民放は一番怖いわけです。いろいろなやり方があるわけですよ。だからこそますます総務省支配、政府の支配は避けなければならないんだけれども、いまはそういうことが続いているということです。
さっき言った系列化、テレビと新聞あるいはラジオが系列化しているということですね。テレビにはテレビの利点があるんです。電波の使用料金が非常に安いんですね。これは携帯電話の会社が払っているよりもよっぽど安い料金を放送局は払って、それで莫大なカネを稼いでいるわけです。あるいは地デジの問題、これは公的資金がかなり流れています。新聞を見ると新聞にも利点があるわけです。再販の問題とか特殊指定とか、これはどういうことかというと新聞は一律一ヶ月いくらで売っていますよね。これはあり得ないんです。例えば携帯電話は卸した先がいくらで売ろうが勝手にしろということなんです。ところが新聞は卸した先である新聞販売代理店がいくらで売ることは決まっています。そこはさわっちゃいけないことになっている。しかも全国一律で、新聞にとっては非常に安定的な収入になるわけです。これは公正取引委員会が非常に問題視しています。なんで新聞だけそんな例外にしていいのか。ところが自民党に対して新聞社が一生懸命お願いをして、圧力をかけるというか、お願いをしてそれで何とかしている。
こういう新聞、テレビの利点があるわけですが、これが新聞とテレビが一体化しちゃうとお互いに批判が出来なくなる。他の国は新聞の利点をテレビがたたく、テレビの利点を新聞がたたくんですよ。そうすることによって、新聞とテレビが政府と距離を置くことが出来るわけです。そうすれば、政府をきちんと批判をすることが出来る。ところが日本の場合、テレビ、新聞、ラジオが一緒になっちゃっているからその利点をお互いに守って批判しない。新聞の再販の問題を公正取引委員会が本気でつぶそうと思ってかかった時期があったんですよ、去年。ところがそれは自民党に新聞社が何とかしてくれとお願いにいった。テレビはそんなことをひと言も批判しない。だからそういう密接な関係が持続するということです。一般的には言論の多様性が失われるという言い方をするんです。例えばフジテレビと産経新聞は同じじゃないかというようなことですよね。
もっと大切なのは、権力との癒着を相互批判されないために強固になる、それによって権力チェックが出来なくなる。権力チェックが出来なくなることが系列化の重大な弊害です。「言論の多様性が失われる」というのは非常に抽象的でよくわからない。だけども、「権力チェックが出来なくなる」ということからものごとをみていけば、いかに系列化が問題か、だからこそアメリカであれだけ巨大なメディアの資本があってもそれはあくまでも違うメディアは持たない、違うメディアを同じ地域では持ってはいけないということになっているんです。
三つ目の巨大広告代理店の問題ですね。トヨタ、日産、ホンダという会社をひとつの会社が契約できるのは日本だけです。実際は広告代理店がテレビ局なり新聞社の財布を握っているわけです。テレビ局にCMを流したい、新聞に広告をうちたいと思っても出てくるのは代理店です。代理店がCMの枠を持っていて、それを当てはめていくんですよ。完全にテレビ局、新聞社は財布を握られている。そうするとひとつの会社が新聞社に対して、これは問題だ、なんでうちのことをそんなに悪口を書くんだといって圧力をかけようとしてがんばることはできても、広告代理店を通して圧力をかけられたら、これはもうたまったもんじゃないですよね。しかもテレビ局と新聞が一緒になっているから新聞を止めようと思ったらテレビ局まで干上がっちゃうという、新聞がなんかやったら系列の新聞社まで干上がっちゃうということになったら大変ですよね。そういう状況になってしまっている。
いまはこういう状況が長らく続いたために広告主が増長していますね。批判的な記事を書かれている会社、この間の派遣の問題がありましたよね、その社長が堂々ともう広告を出さないと公の場で公言するんですよ。「もうあそこには広告を出しません。あそこの会社に広告を出したらうちの悪い記事を書かれたことのイメージが思い浮かぶので恥ずかしくてたまらないからもう広告を出しません」、そんなことを平気で言うんですよ。これは言っていることと本当の狙いは違うわけです。昔であれば他のメディアが書いて「ふざけんな」という話になっているはずですけれども、もうそういうことすら言えない状況になっている。これはもう個々の記者のレベルの話じゃないということです。
それからメディアが政府公報を担当している。最近では最高裁がやった記事のふりをして裁判員制度を広告した問題がありました。あるいは自民党の選挙公報をやったり、代理店にとっては政府もお客さんだから、しかも重要なお客さんなんですね、政府は景気に左右されませんからね。ですから政府に反する広告を載せようとすると嫌がる。これは私も経験があるんです。ある広告を載せようとしたら、その会社じゃなくて下請けの会社の契約にしてくれといわれました。うちが直接あんたのところと契約したと思われるのは嫌だから下請けを通してくれって。そういう状況です。
結局クロスオーナーシップの問題、独立行政委員会がない問題、広告代理店の問題が相互にからまりあって、いろいろな圧力を受けたもとでのニュース、番組しかつくれない。権力を監視出来るようなものじゃないんです。そういう情報を与えられた読者、視聴者つまり有権者が与党にあるいは政府に投票している実態がずっと続いてきたということです。だからこれはどこかを断ち切らなきゃいかんわけです。他の国は断ち切っているわけです。他の国では独立行政委員会をちゃんとつくっています。政府の圧力が直接テレビ局に行かないようになっています。クロスオーナーシップ制度は禁止していますから新聞、テレビがお互い相互批判できるような体制が出来ています。代理店も適正な規模、もちろん巨大なのはあります。世界的な代理店があるところもありますが、その他の代理店もたくさんあるんです。そういうことによって権力監視が出来るシステムになっている。
次に政府が何を考えているかということですが、明治2年の新聞紙印行条例は「世に害無き者は皆記載す可し」と、害のないものはみんな書いたらどうですかというのが当時の政府が出しているおふれなんですね。「政法は妄に批評を加ふるを許さず」、政治とか法律とかそういうものには批評を加えちゃいかん、そのかわり「火災、嫁娶、生死、学芸、遊宴、衣服、飲食、諸種の官報、洋書の訳文、海外の雑話、およそ事の世に害無き者は皆記載す可し」と、こういうおふれをそもそも明治時代の頃から出している。これを見ていただければ、いまのメディアはこうでしょう。「政法は妄に批評を加」えていませんよね。火災とか事件とか事故とか殺人とかに集中取材するわけですよ。あるいは衣服、ファッションであるとか飲食ね、飲食は特にグルメ番組ばっかりじゃないですか。「遊宴」、ゲームとか、本当にそうなっちゃっているんですよ。
外国から来たお客さんと話をするとテレビを見てびっくりするんですよ。「なんで日本のテレビは毎日毎日食ってばかりなんですか、朝から晩まで」って。それくらいおかしい。もうひとつ言われるのは、私が聞いた人が女性だったからですが、井戸端会議で政治の話をしないということですよ、日本の女性は。子どもの話しかしないというんですよ。男性は酒を飲みに行ってくだらない話しかしていませんけれども。それはこういうことだと思うんですよ。こういう情報しか入ってこないんです。入ってこない情報について語ることが出来るはずはないわけです。まんまとそういう状況になっている。
具体的な話をもう少しすると、例えば裁判員制度の問題があります。裁判員制度について2003年に枠組みが決まったときにマスメディアについて2つの制約事項がありました。ひとつは偏見報道の禁止で、もうひとつは裁判員に対して接触してはいけないという規定です。偏見報道の禁止というのは容疑者が本当の真犯人だというふうな報道がされることによって裁判員が偏見を持ってしまう、それは禁止しましょうということです。ふたつめの裁判員の接触禁止というのは、自由に裁判員が議論するには裁判員がどういう話をしたかということは表に出ない方がいいということで接触を禁止するということです。これに対してメディアは反対しました。
どっちが本当に反対すべきことだったかということです。偏見報道というのは本来メディア側も自主的に禁止しているわけです。自らのマニュアルの中に偏見報道してはならないと書いてある。もちろんこれを政府から言われて、偏見報道をするなという圧力をかけられて言いたいことを言えなくなったら問題だ、それはそうだと思うんです。だから反対すること自体には反対しませんが、偏見報道というのは本来やるべきじゃないんです。ふたつめの裁判員への接触はできないということ、これはもっと大変ですよ。つまり例えば裁判官が裁判員にむりやり「おれは有罪だと思うんだ。あんたら素人なんだからぐちぐち言うな」という姿勢を持って強圧的に議論を封殺したりしたということがあったとしてもこれを明らかにすることは出来なくなるわけです。そうすると裁判員制度の問題点はぜんぜん明らかにならないから、いつまでたっても弊害が残るわけです。ですからどちらが重大な問題かというと、本来は接触禁止規定の方が重大な問題のはずなんです。
ところが偏見報道というのはメディアにとってはいま「飯の種」なんですよ。他に書くことがないから。他に書けることはないんですよ。「害無き者」の典型が事件報道なわけです。だから偏見報道を禁止されると困る。「飯の種」ということの例としてあげたいのは、市政担当記者と警察担当記者です。市政担当というのは例えば横浜市の市政を取材する記者、市の記者クラブに入っている。あるいは神奈川県警の警察を担当する記者クラブの記者。これは割合はどうかというと、ふつうに考えると市政の方がやりにくいことが多いから2:1とか3:1くらいでいてもおかしくないんですけれども、1:1だったり逆転している状況があります。いかに警察を重視しているかということです。つまりそれは飯の種だからですね。ゆえに偏見報道禁止規定が除外されたらマスメディアの反対は弱まって、結局裁判員への接触禁止規定は残っちゃった。
あるいは西山記者事件の問題がありますね。これはよく考えてほしいんです。沖縄密約事件ですね。これは国家公務員法の秘密漏洩問題が問われたわけですね。では事件報道で記者が夜討ち朝駆けで取ってくる情報、これも日々、秘密を漏らしているじゃないですか。これは記者が問われていますかということです。つまり政府にとって不都合なニュースを取ってきた記者に対しては国家公務員法まで適用して口をふさごうとするけれども、政府にとって都合のいい事件記事、ニュース、こういうのはいいんですよ。騒がれれば騒がれるほど「ああ危険な国だから警察にどんどん頼ろう」という気になって、批判の目でものごとを見ることが出来なくなるわけだから都合がいいんです、事件報道は。そういうのは放っておいて本当にやるべきことをやった人だけがつぶされるということです。
問題は放送に関する現在の規制がインターネットにもかかろうとしていることです。2010年の通常国会で情報通信法が提出される予定です。情報通信法では放送だけではなくインターネットについても総務省が免許なり指導なりをすることが可能になるようなシステムになってしまうわけです。これは独立行政委員会がないからですね。つまり独立行政委員会があればいいんですが独立行政委員会がないままインターネットまで縛ろうという法律が出来ようとしている。
例えば、フィルタリングというのはそれぞれのパソコンの中に組み込んで有害な情報をカットするという、入ってこなくするというソフトです。例えばこのフィルタリングに政府が主導しておこなう「デマ率レーティング」というものを加味したフィルタリングソフトが世の中に出回った場合どうなるか。まず政府主導のデマ率レーティングで、レーティングをつくる会社があって、こういうものはデマだということでレーティングしちゃうわけです。例えば「革命を起こすことが平和を実現することだ」という情報が出た。そうするとそれはデマ率99%というふうにつけちゃう。あるいは「平和を守るためには自衛隊を増強するべきだ」という情報が出てきた。これはデマ率3%だ。これはどうやってやるかというと、他の情報との合致率なんかで決めちゃうわけですよ。例えば政府が出している情報と合致していればデマ率がそれだけ下がる。あるいは世の中にたくさん出ている情報と合致すればそれだけ下がるとかね。それで異論、少論そういうものについてはデマ率がどんどん上がってしまうようなシステムは簡単にできます。
そうしてデマ率を決めちゃう。決めた上でみなさんのお手元のフィルタリングソフトでデマ率が一定割合以上のものについてはカットしてしまうということにしちゃえばいいんです。そうしたら政府に反対するような情報はみなさんのパソコンに届かない、すべて途中でカットされてしまう。そんなことは簡単にできてしまうんです、技術的には。2010年に情報通信法が出来たら、そういう規制が出来るものが成立してしまう。私が本を出したのも、そういう状況ですよ、いいんですかという、そのことが狙いです。せっかくみなさんが自由に情報を発信できるシステムとしてインターネットという手段を手に入れたのに、それが今つぶされようとしていますよということなんです。
じゃあいったい何が出来るのかということです。まずは市民メディアに情報の共有化をしていこう、つまりこういう問題があるんですよということを知らない、私の本に書いたことは別に目新しいことじゃないんですね。研究者の間ではもう知られていることです。ところがそれが一般的に読まれるようなものになっていないから、それが問題なんですね。ですから、こういうことがあるよということをみなさんの間で情報共有していただきたい。それによって独立行政委員会を設置したり、内部的自由を確保したり独占禁止の考え方を適用したりする。 これを具体的に見ていきますと、独立行政委員会についてはさっき言ったとおり政府が直接やるんじゃなくて間に一本噛ます。これはもう民主党は独自の法案をつくっています。なぜ民主党がやるかというと、どっちかというと財界からの要望ですね。財界も政府からいろいろ言われて政府にお金を出さなきゃいかんわけですよ。だから政府から独立してほしいというのは財界も思っているから民主党はそれに乗っかって法案をつくっています。われわれもそれに乗っかればいいわけですよ。マニュフェストにちゃんと入れさせて、我が党が政権を取ったら独立行政委員会をつくるというふうにすればいい。
みなさんがいろんなテーマでそれぞれの立場で陳情にいかれる機会に、この独立行政委員会のことも触れてほしいんですよ。そうすると来る人来る人がみんなこのことを言っているじゃないかということになると、やっぱりこれをつくるべきだということになると思うんです、本気で。これはぜひお願いしたいです。これがすべてのある意味で日本の自民党支配の原因だと思うんですね。
内部的自由というのはメディアの内部での自由です。NHKの番組改編事件なんかは現場の人にこういうふうに変えろといわれても現場の人は頑張れなかった。だけども他の国、例えばドイツなんかではそういうことがあったらそれに対して拒否できる、指示を拒否できたり、指示についてその理由を言えと求めたり、それでもダメだったら世間に上司からこんなことをわれわれは言われています、どないなっているんですか、こんなことでいいんですかということをアピールできる。その上で、もしとばされたりしたらどうしてこの人はとばされたんだという情報提供を求めたりできるシステムがあります。 こういうことによって経営者は確かに政府や広告主からの圧力を直接受けますが、現場の方々は経営から切り離されて、自由に編集ができる。完全に自由とはいかないでしょうから「より自由にできる」という仕組みがある。こういうものをつくっていくということを訴える。
独占禁止というのは、要はもうけ主義じゃないということです。放送とかテレビとかインターネットなどのメディアはお金を稼ぐということを一番に考えていたらもう来なくていいですよということです。もうからない仕組みにしちゃえばいいんですよ。
例えばドキュメンタリーの確保義務。すごくいいドキュメンタリーはありますが、夜中の1時とか2時に流されたって誰も見ませんから、ちゃんとゴールデンタイムにドキュメンタリーを流すことを義務づける。その間はCMは取れません、「いいです、それは義務ですから」、というふうにする。なんでこう言うかというと東京新聞の特報面があります。特報面があるから東京新聞を読むということもあると思います。はっきり言って毎日あれだけの記事を2面、独自取材によって埋めようと思ったら大変ですよ。取材して現場に行けば、どんなに現場が大変な状況にあるかというのはみんなわかりますよ。そうすることによって内部の記者の認識も高まってくる。
視聴率合計の制限というのはドイツでやっています。ドイツの場合は放送局と番組をつくるところが別々で、番組をつくる制作会社が例えば月曜日の9時、火曜日の10時とかっていくつかの枠を持っていて、月曜日の9時の番組がすごい視聴率がよくなったら、一定以上の視聴率になったら火曜日の枠を放さなきゃいけない、あるいは火曜日の番組をつまんないものにして視聴率を落とさなければいけない、そういうシステムです。つまんないものってまじめなものだったりするわけでしょ。そういうことによって制限をかけている。あるいは新聞の寡占率の制限。これは韓国などでやっていて、いまかなり韓国でも巻き返されていますけれども、通常の独占禁止法の寡占率、例えば市場の60%以上を取ったらダメだというものがあったとしたら新聞の寡占率をそれより下げるということです。メディアの場合も寡占率を下げることによってもうからないよ、ということにする。
今日からすぐ何ができるかというと、メディアの特殊性というのは消費傾向による批判が及ばない、つまり新聞は宅配だしテレビは無料です。ですからみなさんの消費傾向によってみなさんの選択によって、この新聞はダメだと批判をすることができないわけです。そうすると直接みなさんが声を出すしかないということですね。いい記事を書けば賞賛をし、悪い記事だったら批判をするということをきちんとするということです。これは本当に効きますね。テレビはどうかわかりません。でも新聞はすごい効きます。北海道新聞が道警の調査予算、本当は何に使っているかわからない予算を批判しました。あれは毎日のように読んだ人から頑張れ、すごいいい記事だという電話が社会部にどんどんかかってきた、こんなことはいままでなかったというくらいかかってきた。それによって上の方の圧力を何とか押さえ込むことができた。上の方は当然道警とけんかしたくないからそんなことは報道するな、という圧力はいろいろあったらしいんですけれども頑張れた。
最初にお話をした、電力会社の原発推進CMについてですけれども、どうですかね。
海外では、調査中ですけれども、そもそも原発の推進CMというのはあまりないみたいですね。公共企業、ガス、電気、水道という生活していく上でどうしても必要でしかも選択の余地がないものはそこが徴収したお金というものは基本的に対価ですから、電気の対価、水道の対価、ガスの対価ですよ。対価として使うことは許されても、それ以外のこと、例えば自民党に献金をするとかあるいは原発CMをするとか、そういうことはできないような仕組みがあるんです。全部ということではないですけれども、調査中なんでね。ですから法的に問題があると考える余地もじゅうぶんにあるんですよ。
ところが私がこういう話をすると同じ弁護士でもそんな私企業が対価として払ったとして払ったあとどう使おうが勝手じゃないか、どんなCMつくろうと勝手じゃないかというのがいるんです。どうしてこういうことが言えるかというと、やっぱり表現の自由の優越性というものに思いが至ってないんです。表現の自由、つまり情報が操作されることによってみなさんの投票過程が傷つけられている。そう考えれば、電気代はわれわれは払わざるをえない、拒否できないんです、その電気代を使って勝手に原発推進のCMをされるなんていうのはとんでもない話なんですよ、本当はね。われわれの表現の自由がまさに直接的に侵害されているといってもいいということなんですけれども、訴えたら裁判所はなかなか認めてくれないだろうなと思いながら、いま研究中です。
話題があれこれいったんですが、私からの話は以上で終わりたいと思います
星川 淳さん(特定非営利法人グリーンピース・ジャパン事務局長)
世界的に捕鯨反対の行動に取り組んできたグリーンピースだが、日本では調査捕鯨の真実を告発する活動の過程で、警察の不当な介入を受けている。一方では9条世界会議や共謀罪反対の行動でご一緒し、その活動スタイルは私たちに新鮮な印象と衝撃を与えている。そのグリーンピース・ジャパン事務局長の星川淳さんにお話をうかがった。
ちょっと世間を騒がす行動で耳目を集めることがいグリーンピース(以下GP)だが、どんなことをしている団体なのか。始まりはどこからなのか。
アメリカをはじめ核保有国が大気圏での核実験をやりすぎて地下核実験を始めた時代。アリューシャン列島での米国の核実験にたいして、カナダでは環太平洋火山帯に属し地震多発地帯でもある場所で核実験を続けたら、ひょっとして地球がぱっくり割れてしまうのではないかというような心配が広がり、核実験反対の世論が非常に高まった。1971年、核実験を何とか止めようとバンクーバーの若者11人が船をチャーターして実験場に向かった行動からGPは出発した。この行動は翌年、アリューシャン列島での核実験停止につながった。若い人やジャーナリストが加わっていたこともあって、緑と平和と豆のグリーンピースをかけた「GREEN PEACE」としゃれのような名前をつけ、以来グリーンピースは現場から発信する斬新な訴え方で世界に問題を喚起してきた。こうした世界的な流れの中で、グリーンピース・ジャパンは1989年に設立された。
グリーンピースは発足の経緯から海に関する活動に縁が深く、捕鯨をやめるよう各国へ働きかけたり、核実験には体を張って反対行動に取り組んだりしてきた。だが、環境保護を掲げるグリーンピースの守備範囲は広い。森林の保護でも実績を上げているし、有害廃棄物処理の問題では日本の豊島(てしま)にも船を周航させた。気候変動について世界で最初に警鐘を鳴らしたのもグリーンピースで、日本ではオゾン層を破壊するフロンガスを使わない冷蔵庫を企業とのコラボレーションで開発したりもした。グリーンピースの大目標は地球全体の生物多様性を守ることで、これがあらゆるキャンペーンの一番の核になっている。
特徴ある問題提起をする。GPはこの点で「世界で始めて非暴力直接行動により環境問題を訴え、解決に導く方法を開発し使ってきたので、ノウハウの蓄積がある。しかし、大原則はあくまでも非暴力」。こういう星川さん。煙突にのぼっておおきな旗を降ろした最近の例を思い出す。「非暴力直接行動の一番厳密な定義は、放置できない破壊や不正が起こっていたら、それを実際に止める、一時動きを麻痺させることで解決に向かう議論を起こすというやり方です」。もう少しおとなしいのは、面白い写真をとって議論を喚起する方法。たとえば、スイスの氷河に世界中から何百人もが集まって集団ヌードの写真をとった。これがメディアに出ると、地球が危うくて傷つきやすいということと、裸の人体をかけて議論をまき起こすことができたという。
こうしたパフォーマンスの土台には、調査研究と分析をしっかりやることが前提になる。もちろん各国の政治家や役人に働きかけたり、国際会議にオブザーバー参加したりしてのロビーイングも得意分野だ。ノンフロン冷蔵庫にみられるように、企業へ代案を提示し実現させる活動もおこなっている。絶対非暴力に徹するので、南極海の捕鯨問題で報道されたシーシェパードのような行動はとらない。
法律との関係では、国によって開きがある。民主主義が根づいている国では、より大きな不正や破壊が指摘されたとき、それを止めるための違法行為が裁判になっても、冷静に秤にかけて判断し、多少法律からはみ出すのは大目に見ようという慣例ができている。たとえば、遺伝子組み換え作物を試験栽培しているところへ、囲った網を破って作物を抜いてしまうとか、大きな旗を降ろすのに建造物侵入に問われるとか――。「海外ではこうした例は珍しくありませんが、非暴力原則は崩しません。日本では法律の枠を踏み出さないほうがいいですね」。
それにしても、2003年のイラク戦争開始の時期にグリーンピース・ジャパンがうった「NO WAR」の新聞1ページの広告。ご記憶の読者も多いかと思うが、あのメッセージ力の巧みさはどこからくるのだろうか? 「もともとメディアっぽいNGOなので、私たちのライバルは『電通と博報堂だ』なんて冗談で言いますが、発信のしかたにはすごく力をいれています。」
でも、土台になるのは調査・研究をしっかりして、根拠のある上での訴えが。そしてコピーもとぎすましていくし、デザインなども世界的なデザイナーから無償でつくってもらえることもあるようだ。「日本ではグリーンピースが誤解されている面もあるので、抵抗感をもたれずに入っていけるように、イメージやメッセージの発信を工夫している。」
昨年はグリーンピース・ジャパンとして憲法問題にとりくんだ。「90年代から右傾化が強くなり、小泉・安倍政権で最悪の状態になった」ので、「9条は捨ててしまうよりこれからの世界にとって意味があることを、参院選を前にして候補者にもできるだけ多くの人々にも考えてもらいたい」。「若い人たちのなかには日本がアメリカと戦争したことがあるのを『ウッソー』なんて感じで、ギャップができている」。だから若い人たちに伝えたいと、アートと音楽に9条のイメージを組み合わせて2回ほどイベントをやった。ほかに学習会もやり、グリーンピース・ジャパンとは別にWEBサイトもたちあげた。参加者の数はいまひとつだったが、「『おっ、9条って考えるに値するんだ』ということは伝わったのではないかと思う」。それに参院選で自民党を敗退させることが出来たのだから、「ちょっとは貢献したかなと思います」
「9条世界会議の成功や5月前後の世論調査の結果を見ても、一時よりは9条を大事にしていこうという人たちが増えて、一番危ないところは一応乗り越えた」「これからは9条をもっと生かしていく方向に向かっていきたいですね」。いま独自のキャンペーンの予定はないが、GREENとともにPEACEはグリーンピースのもう一つの柱なので、個別のキャンペーンというよりも活動をする上で底流としていつももっている。
毎年、広島・長崎の時期には必ずグリーンピース・ジャパンは声明を出し、同時に9条のことをふれている。「機会があってうまく結びつけられるときは、たとえば温暖化問題でもエネルギー問題でも、戦争とか原子力と核とか結びついてきます。そういうときに、なるべく9条や平和の問題にふれるようなメッセージの出し方を心がけています」。
グリーンピースはピースですから平和が底流にある。世界のグリーンピースに対しても、グリーンピース・ジャパンは唯一の実戦被爆国の支部として、核軍縮に対しては一番前向きでありたいと思っている。
「グリーンピースというと、まだまだ外来の団体が日本に支部を置いて外国の翻訳ものを発信しているという偏見が強い。とくに政府などが外圧イメージを植え付けようとしている。そこで、日本の社会に根ざしたNGOにすることが一つの目標でした。選ぶ言葉やキャンペーンにしても、一定の範囲のなかで日本社会に根をおろしていくことを心がけてきて、成果は少しずつ出ています」。
「たとえば一番誤解されやすい捕鯨の問題でも努力したおかげで、この問題を知って、しっかり考えてくれる人が増えていると思います。今回の鯨肉横領告発は、こちらも権力が介入するきっかけを与えてしまった脇の甘さもあったので反省していますが、南極海の調査捕鯨を日本の問題としてきちんと位置付け、かなり掘り下げてきたことは確実です」。
10月には初めて「日本の漁業を守る」という方向でのシンポジウムを開く。「日本の漁師さんたちとも協力して『根づく』ことをめざし、いろいろな可能性が見えてきています」。
捕鯨といっても、南極海はどうしても遠くのこと。活動を理解してもらい、それなりに成果を出すには身近にすることが大事だ。「日本に近い海はどうなのか? しかも、日本人はずっと魚介類をたくさん食べてきたし、これからも食べないと生きていけない。その海はどうなっているのか? 魚介類を食べ続けていけるような漁業とはどんな形なのか?こうした問題を解くことには実利もあるし、環境問題を何か遠くにあるものではなく、身近にものにしていけると期待しています。僕は息子が漁師ですし、魚もサンゴも消えて海の中が砂漠化している状態をよく聞いていますから、後世につながるような取り組みとして展開したいなと思っています」。
「一番大きいのは何といっても気候変動の問題です」。世界全体、人類全体の課題で、放っておくと産業革命前と比べて摂氏2度をはるかに超える気温の上昇が起き、今みているような自然はなくなる。当然、人間社会も今のようには営んでいけなくなる。グリーンピースの目標は、摂氏2度以内の上昇に押さえることで、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)や世界の国々でもおおむね合意されている。グリーンピースは、世界全体で2050年までに温室効果ガスを半減、先進国では80%以上削減という目標を、原子力に頼らず、化石燃料も最小限に抑えながら、自然エネルギーの大幅導入とエネルギー利用効率の飛躍的向上で実現できる「エネルギー[r]eボリューション」というシナリオを出している。
「日本人は、方向を変えれば世界をリードするくらいの力をもっていると思います。方向転換をしていないために、温暖化問題では日本は世界から遅れてしまっています。これを変えるには、たとえば政権交代も産業界への働きかけも必要でしょう。市民セクターの中でも、もっともっと理解を共有していくことが必要でしょう。」。
原子力が温暖化に貢献するというウソを暴いていく必要がある。また日本は世界一の石炭輸入国で、火力発電や製鉄で使われ、二酸化炭素を出している。「石炭についてはまだ調査研究段階ですが、日本人自身が石炭消費の情報を知って考えていけるようなキャンペーンを展開するつもりです」。「『エネルギー[r]eボリューション』で根拠のある筋書きも示しながら、これをうまく伝えて、みんなの気持ちがそちらへはっきり転換するようにしていきたいと思っています」。
地球的規模の転換期を実感する21世紀。グリーンピースと星川さんの活動にとても身近なものを感じ、今後への期待をふくらませることができたお話しをうかがえた。
(土井とみえ)
「選挙管理内閣」と見られていた麻生内閣は、アメリカ発金融危機対応などを理由に解散引き伸ばしを謀った上に、第170臨時国会中に「給油新法」(09年1月期限切れ)の延長法成立を決めてきた。昨年11月、「給油新法」に反対し今回も「延長」に反対の民主党ではあるが、早期解散を焦るばかりに与党と短期審議採決の流れをつくり、ここに再び衆議院の3分の2再可決が現実のものになった。
10月9日、あわただしく「給油新法」延長法審議に入ったこの日、国会前では市民などによる抗議行動がおこなわれた。「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、全国労働組合連絡協議会、日本消費者連盟、VAWW-NETジャパン、ふぇみん婦人民主クラブ、平和憲法21世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、平和をつくり出す宗教者ネット、ピースボート、許すな!憲法改悪・市民連絡会が呼びかけた。
司会の高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)は、「人びとから信任を得ていない麻生内閣は直ちに総辞職・解散するべきだ。アメリカの7年のアフガン攻撃で犠牲者が激増している大変な状況のいま、このような重要法案を選挙のかけ引きに使い急いで採決することに抗議したい」と挨拶した。社民党の保坂展人衆議院議員は、「公明党は衆議院の3分の2議決をやりたくないと言っていたが『解散』を優先。本会議での趣旨説明も省略する国会の異常審議」を批判。福島瑞穂社民党党首は、「重要法案は新国会で徹底議論し、廃案へもっていくべきだ。自民、公明、民主党の取引きは許せないことだ」と述べた。
呼びかけ団体からは「小泉劇場与党議席を給油延長法に使うな」「民主党は<給油延長>に反対しても結果的に法案成立に手を貸すことに変わりはない」「給油延長はアメリカの空爆、誤爆による罪の無い人々の殺傷に加担すること」「伊藤和也さんが犠牲になったことを忘れてはいけない」「イラク攻撃給油転用問題の徹底解明も終わっていない」「海上自衛隊の活動を検証すべきだ」など、人命にかかわる「給油新法」延長法を軽んじる自公、民主党に対する抗議が相次いだ。「私たちは非暴力で正しいことを連帯してやり抜こう」と日本山妙法寺さんからの決意表明もあった。
「麻生内閣は直ちに解散せよ!」「海上自衛隊はインド洋から今すぐ撤退を!」「アフガニスタンを殺すな!」「給油新法延長反対!」
昼時の1時間、50余人の市民の声が国会へ向けて響いた。「派兵給油新法延長法」の強行採決のスケジュールは示されてはいても、この「対米支援法」に強く反対する私たち市民は、引き続き国会前で「給油新法廃案」の声をあげていくことを確認した。(山下治子)
第2波行動は、14日(火)12:30から始まった国会前集会は、あいにくの雨降りになった。そのなかを9日の第1波行動に続いて、50名の人々が1時間立ちつづけて集会を行った。国会議員は共産党の山下芳生さん、社民党の保坂展人さんが国会報告を行い、市民団体の発言は、キリスト者平和ネットの渡辺さん、ふぇみん婦人民主クラブの設楽さん、日本消費者連盟の富山さん、目黒9条ネットワークの宮本さん、憲法を生かす会の星野さん、VAWWーNETジャパンの上田さん、新しい反安保実の国富さん、市民連絡会の土井さんなどが発言した。
それぞれの発言の中で、民主党が解散戦略で国会審議を急いでいることへの厳しい批判がなされ、野党は結束して廃案を目指せとの主張がされた。
第3波国会行動は10月20日(月)12:30から始まり、60人あまりの参加者が次々と抗議の声を上げた。キリスト者平和ネットの城倉牧師、イラク派兵差し止め訴訟名古屋原告団の寺尾光身さん、ふぇみん婦人民主クラブの大束さん、新しい反安保実の国富さん、全労協の中岡事務局長、憲法を生かす会の星野さん、市民連絡会の土井さん、VAWWーNETジャパンの上田さんなどが発言した。各発言の後、参加者は折から開会中の衆院テロ対策特別委員会に向けて、抗議のシュプレヒコールをした。(高田健)
(国富建治/新しい反安保行動をつくる実行委員会)
2002年12月31日発行の奥付のある『改憲・護憲 何が問題か』以来4冊目となる、憲法問題に関する高田健さんの著作が刊行された。忙しい日々の活動の中から改憲派の動向を緻密に分析し、それに対抗する運動の評価と指針をコツコツと積み上げてきた努力にはいつもながら頭が下がる。
今回の著書『自衛隊ではなく、9条を世界へ』(梨の木舎刊)は、「五年以内に改憲を実現する」ことを掲げて突っ走ってきた極右改憲派のホープ安倍晋三が、わずか1年足らずで政権を投げ出さざるをえず、自民党の改憲強行突破戦略の練り直しが必要となったこの間の攻防の中から生み出されたものだ。改憲強行派の挫折は言うまでもなく「九条の会」の急速な拡大に端的に示される市民たちの運動の発展を大きな要因としている。
この市民たちの運動の感動的な姿は、今年5月に「世界は9条を選びはじめた」というキャッチコピーで大きな成功を収めた「9条世界会議」の意味について詳細に論じている本書第1章の「九条の国へようこそ――『9条世界会議』」、そしてたった一人で「9条を守る」署名を地域で1万筆以上集めた78歳になる小金井市の蓑輪喜作さんとの交流を描いた第3章の「憲法おじさん―蓑輪喜作さんのこと」で示されている。「9条世界会議」はピースボートをはじめとした若者たちの、直接に世界に開かれた新しい「憲法感覚」が大きな原動力だった。他方、「憲法おじさん」蓑輪さんの活動は、彼の長い人生体験に裏打ちされた「人間を信じる」草の根の対話の素晴らしさを示している。
高田さんは本書の「あとがき」の中で「ハチドリのひとしずく」と「愚公、山を移す」の二つの寓話を通じて、どんな困難な時にも絶望することのない人びとの力への信頼を改めて確認している。このねばり強さこそ、高田さん自身の信条でもあろう。
当面、改憲派が短期的な強行突破路線を取ることがむずかしくなっている局面の中で、私たちは改憲派の戦略をどのように捉え、それをどのように跳ね返していくことが必要なのだろうか。それは言うまでもなく、自衛隊の海外派兵恒久法と集団的自衛権の行使を禁じている政府の統一見解を変更するという攻撃を阻むことである。「恒久法」は改憲について一言も語らなかった福田政権の下でも一貫して追求されてきたテーマだった。また麻生新首相は「集団的自衛権」に関する政府見解の見直しについて改めて言及している。
米国の強要に積極的に対処するために積み重ねられている、憲法9条の掘り崩しと明文改憲に限りなく近づくこうした動きを主体的に焦点化して闘うことの重要性については本書の第4章「何故、いま自衛隊海外派兵恒久法なのか」で述べられている通りである。
またこうした運動を築き上げていく上で、目前に迫った衆院総選挙で政権交代のイニシアティブを取る可能性のある民主党・小沢一郎の憲法論と、彼の戦略に対して、改憲反対の運動がどのように臨もうとするのかが鋭く突きつけられることになる。それは本書の第5章「小沢一郎の九条論」の中で概括的に書かれている。小沢一郎の「普通の国」論に基づく独特の憲法9条解釈は、「国連」の旗の下での自衛隊海外派兵を積極的に進め、かついわゆる自衛隊の「国際活動」に対する「基本法」(派兵恒久法)を制定しようとする目的を持っていることは良く知られている。高田さんは、この小沢・民主党の立場を丁寧に分析しつつ、憲法9条改悪に反対する運動の側にどのようなアプローチの方法が必要かを論じている。
「9条明文改悪反対運動のなかで、自民党的な改憲論と小沢的な9条論の間にくさびを入れつつ、あらゆる解釈改憲を許さないための理論と運動の強靱さを作っていくことが必要である。この点で市民の運動には高度の戦略を持った運動論が必要である。自民党と民主党が対抗関係にある以上、市民運動は民主党の政策に対しては是々非々という態度をとることが有効と思われる」。この立場に私も同意するが、具体的な個々の局面の中で、どのような方針を取るかは、多様な改憲反対運動の主体の立場を尊重した上での「柔軟さ」と「強靱さ」が問われることなのであって、たやすいことではない。このあたりは現実の場に即した討論で共に深めていきたいと思う。
拝啓
先日はお忙しい中をおいでいただき、また拙いものを「私と憲法」にのせていただき大変有難うございました。
それでその後のことですが少し報告させていただきます。署名数ですが今日も午後出たのですが30分ほどで雨になり9月19日現在で14,350筆です。そんなことで私の体調さえよければ11月はじめ頃までには15,000になるのではと思っています(10月15日で15,000を超したとのことです)。
大変な数になりましたが振り返ってみるに、この夏は8月の署名の数が1ヶ月で800という数には驚いています。先日私のものをのせていただいた「私と憲法」88号のコピーを読んでいただいた上越市の友人から次のようなお便りをいただいておるので紹介したいと思います。
――あわただしい8月も過ぎヒロシマでの子ども代表の「平和への誓い」が心に残ります。「平和な世界にできるようヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そしてそのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます」の1節です。ことしは特にこうしたコトバにひかれました。お互い80歳を目前にして自分の体験や思いを後に伝えていくことの大切さです。――
それで一昨年も昨年も8月という月は署名は多かったのですが、今年特に多かったのは、私は全国に憲法九条を守る会が出来て4年になろうとしていることと、また今年に入って5月の世界9条の会など、大きなひろがりがあってのことだと思っています。こうして署名しているとそれぞれの地域で九条の会に入っているという人も多く、自動車試験場などは東京だけでなく地方の人も多くそのことを肌で感じるのです。
そんなことで、この夏の署名について少し書いてみたいと思います。
たしかに真夏は暑いですが、やっているとこの歌のようにそれなりの智恵も身につき、公園は水の出るところも多く、持参したお茶を木陰の下のベンチで、用務員の日の校庭の草刈りなどからみれば大変らくなものです。特に今年は自動車試験場の前の多摩霊園側は木立の下で直射日光は射さず、2つのバス停にはベンチもあります。しかも今年は8月に入って九条の会の写真をやっている女性が私についてくれ、若者が多いので署名の相手によっては80になろうとしているのに、歳など忘れて少年になったり青年になったり、実にたのしいものでした。そして撮っていただいた写真の中の幾枚かが、この9月25~28日まで国分寺駅ビル8階でリアリズム写真集団「湧水」の写真展に展示されることになっております。
それから実に沢山の出会いがありましたが、手帳のメモを書いてみます。
それから以前にも書いたが、最初署名できなかった人がしばらくすると、させて下さいと言ってくることなど、世の中の動きを感じるこの頃です。
今回は特に書いておきたいことがいまひとつありました。それは私には「九条」おじさんの顔と地域ではいま一つ「坂下にミニバスを」の顔がありましたが、7年かかってこの9月7日から通ることになり、初乗りのテープカットに参加してきました。
私はさきの「私と憲法」88号に九条署名1万筆の原動力は、私の生い立ちと用務員人生と書きましたが、このミニバスを通せの運動もその一つでありました。故里で農村労働組合のことがあったとしても、私はまだ勤めて居て実際の行動は出来ず、相談役で、行動したのは青年たちでした。しかしこのミニバスの運動は最初から参加し、しかも2003年の12月と2005年の1月に市議会の総務企画委員会で、会を代表して2回も発言させていただき、署名集めでも一人の婦人と機関車の役割を果たさせていただいた。
まだきちんとした総括はしていないが、いま言えることは、あきらめずにねばり強く運動をすすめたことと、それをすすめた人が居たからだと思う。最初は坂下地域を考える私たちの運動であったが、ミニバスはなによりも住民みんなの要求であり、やっているうちに署名を集めてくれる人、交渉に参加してくれる人も多くなり、最後には町内会も動いてくれた。いざ走るとなると、あれがやったこれがやったと言う声もあるが、私は礼を言ってくれる人たちには、たしかに火をつけたのは私たちだがみんなで動いたから実現したのだと言っており、それが正しいと思っている。
そして運動というものはどんな運動でもそうだと思うが、決意したら自分の出来るところから始めることであり、言ってみれば名曲を演奏するピアノの鍵盤のようなものである。沢山の人が参加し、なにか一つやっていただくことも大切なのだ。そしてこの運動をすすめる中で九条の会に入っていただいた方もあり、沢山のことを学ばせていただいた。それから運動には垣根を作ってはならないと言うことだ。市議会で1回目の発言のとき、終わったら超党派でやりましょうと握手を求めて来た保守の議員もいた。また長年の市民運動家という女性も交渉に参加してくれるようになり、九条の会にも入っていただいた。そんなことで参考までに総務企画委員会で発言させていていただいた2つの陳情書を同封させていただきます。
2003年12月10日総務企画委員会での発言。(別掲)
2005年1月14日総務企画委員会での発言。(別掲)
●あきらめず7年続けし運動なりいま目の前をココバスがゆく
●ミニバスの「九条」署名の顔と言われいつしかこの地も故里となる
さて「九条」署名もやがてまる3年、かなりはばも広がって来たが「こんなじいちゃんが居るということを頭のどこかにおいて下さい」と署名の若者に言うのだが、健康に気をつけながらさらに続けてゆきたい、
それからまた、最近昨年取材していただいた毎日新聞の記者の訪問があった。今回は朝刊全国版で、日が決まったら連絡するということで、これも沢山のみなさんの応援があったればこそと感謝している。いくつかの持病をかかえながらも80歳になろうとしているのに、このようなことが出来ることはほんとにしあわせ者だと思っている。
2008.9.23
蓑輪喜作
高田健 様
蓑輪喜作
まず自己紹介をさせていただきます。中町1丁目に住んでいる蓑輪喜作と言います。私は、新潟の過疎の村から夫婦で移って来て、今年で9年目に入りました。現在年齢は74歳です。
なぜ、この会に加わったたかということですが、いま私の住んでいるところが中町1丁目の野川のほとりということもあって、来た当時はまだ60代の半ばで体力もあり、2つの公園と野川の側だったので、山の中だった私の故郷よりもむしろ自然に恵まれていて大変良いところに来たと思っておりました。ところが、途中で心臓発作を起こしたこともあって、70代に入ってから体力の衰えを感じるようになり、毎日があの「白伝坊」の坂や「むじな坂」を登るとき大変だなあと思うようになりました。そのうちにお医者さんに行くにも、毎日の買物にも大変不安を覚えるようになりました。やがて、そのことは私だけでなくて沢山の皆様の不安でもあることを知るようになり、今回14名の仲問といま北の方に通っている、ミニバスをぜひこの坂下にも通していただくことにしようじゃないかということになりました。
それにはまず自分たちの足で坂下を歩いてみようということになり、一日みんなで巻尺を持って道幅を計ったり、どこに停留所が作れるかなど、実際に自分たちの目で見、足で歩いて今回の住民の皆様への署名に入つたのです。
最初は、名もない私たちのような者がと、とても心もとなかったのですが、はじめてみたら「ぜひ坂下に、ミニバスを」という声が圧倒的に多く、新しく世話人に加わって下さる方もあり、「用紙を下さい」署名を集めますという人も出てきて、私たちの予想していたよりも遙かに多い署名をいただくことが出来ました。
そこで署名に廻ったときの皆さんの声を紹介したいと思います。なぜ市は、あの平な北を先に通したのか、いちばん不便な坂下をなぜ後まわしにしたのかという声が沢山ありました。また私たち老人の要求と思っていましたら、子育ての若いお母さん方の要求も強くママさんバレーなどのグループで署名をとつていただいた方もおりました。
またコースの選定については業者に依頼するやの声も聞こえてくるが、走らせるには業者まかせにするのではなく市当局がしっかりと住民の声を聞いて業者を指導するようにという意見も出ました。それから私たちは、坂下を足で歩くとともに、みんなで北のココバスにも乗り、また武蔵野市、立川市などはもう少し小型なものを走らせていることや料金のこと、シルバーパスで乗れるところもあるということなどを調査し、さらに仲間の一人は長野の松本市へ行つたときに武蔵野市よりももっと小さなものを走らせていたと見てきております。
いざ通すということになると道幅の問題などがあり、法は守らなければならないと思うのですが、法も住民あっての法だと思いますので、そこのところを議会も市当局も力を合わせて、出来るだけ皆さんの要求にそうよう努力して欲しいと思います。
それから、バスの問題ではありませんが中村美術館の先に時間で交通規制になっているところがありますが少しも守られていない。市や警察はどうしているのか、標識ぐらいはもっと大きくしてもよいのではないかという声もありました。また私の囲りは若いお母さんと子どもたちの多いところですが、坂下にも保育所を、児童館をという強い声があったことを報告しておきます。
もう1つの問題として、小金井は野川の自然をと言うけれども駅前からその野川にゆけるバスが出ているということになれば大きなピーアールになり、さらに沢山の人が来られるのではないか、それもいま話題になっている美術館をどう生かすかということ、また現在、私の家から歩いて多摩霊園は6、7分で近代史を生きた人が眠っており、私も年に二、三回都心の友人たちを案内することがあります。
また前原では、交通の便が悪いからつい買い物は府中に行ってしまう。もしミニバスが通れば小金井の商店街にも行けるという声も出ております。いま地方に行くと町村がいかに自立するかということで住民がいかに地元に金を落とし、外には出さないと言うことに力を入れているというころがあり、これを「循環式」というのだそうですが、小金井は都会ですからそういうわけにはゆかないと思いますが、どう野川の自然を生かし商店街を活性化するか、また小金井の農業を新鮮な地元の野菜をと大きな視点にたって考えていただきたいという声もありました。
そして最期になりますが、署名に廻ってみて、1人暮らしの老人の大変多いということでした。しかも昨今の老人をとりまく情勢はきびしく、中には生きる意欲を失っているように見える方もおられました。しかし、いまのお年寄りたちは、あの敗戦の廃きょの中から立ち上がり家族を育て、日本経済を底辺から支えて来た人々ですので、どうかこのミニバスを通すことによって、いままでと違って少しは外にも出られるようになると思いますので、どうかいろいろの問題もあると思いますが、以上のことを願って早期実現を願うものです。
そして最後にもう一言、老いも若きも小金井に住んでいてよかったと言えるような街づくりを、その一端としての坂下にミニバスをと要望して発言を終わりたい思います。
蓑輪喜作
私は中町1丁目に住む蓑輪喜作です。一昨年の12月10日のやはりこの総務企画委員会で「坂下地域に早急にコミュニティバスの運行を求めること」で発言させていただきました。新潟の山村から出て来た私のような者が、こうした市議会で発言させていただいたことなど前回のとき、おそらくあとにもさきにもこれ1回だろうと思っていたので、よもやこの私がまた発言するなど考えていなかったので大変複雑な思いです。
というのは先の私たちの陳情が採択され、市当局のその部局を通じて仕事を進められており、その時々の報告も受け、私どもの会としても地域の住民のみなさまも大変喜んでいたのですが。
ところが運行をこの3月に控えた平成16年12月17日の交通防災課の説明では、私たちにとってはまさに晴天霹靂の言葉でした。東町も貫井南町もみんな通すが、12月10日の警視庁の実地調査で坂下は無理ということになりました。ということでした。出席していた仲間のみなさんはしばらく声もありませんでした。
坂下は市でもいちばん不便なところで、というのは集会所が一つあるだけで公共施設は一つもなく、なにごとも上にあがらねばならず、それだけにコミュニティバスを通して欲しいという要求は強く、いただいた署名は1,170とほかのどの地域よりも多く、これではおさまらないという思いでした。
たしかに現在の道路では道幅も狭く無理だろうと思い、私たちの会としても陳情するときに武蔵野市など小型ものを走らせている各地の例をあげ、もう少し小型のものを走らせてはと言っていたのですが、市当局としては今のココバスでということで説明があり、また金蔵院の前の道の角をひろげるなど努力をされておりましたので、私たちも大丈夫かなあと思い、住民のみな様もそう思っていたのですが、ここに来ての結果は私たちの最初に危惧していた通りとなりました。怒りを禁じ得ません。
しかし今回の続いての市の説明では、警視庁の実査では坂下については別の方法で小型のものを考えられたらとの指摘もあったということですので将来、道路問題が解決したら現行のバスを走らせることにして、さしあたり今は警視庁の許可できるものを、ほかの東町、坂上、貫井南地域に走らせるときに同時に坂下にも走らせていただくことを強く要望致します。もしそれが準備等で間に合わない場合は、いついつまでに走らせると期日ぐらい明記していただかないと坂下地域の人たちは救われません。約二千世帯の人たちが取り残されることになるのです。
昨年1年間、地域の署名をいただいたみなさんには市との話し合いのことなどその都度報告して来たのですが、今回は今日の委員会が終わるまではということでまだ報告しておりませんが、私の身近な人にお話しましたところ、その返ってきた言葉を紹介しておきます。
「町内会では警視庁の許可も出たと聞いていたので、これはなにかの間違いではないか」。
また「通さなかったら税金を払いませんよ」と聞き、私がびっくりしたら「蓑輪さん、税金というものは市当局のものでも議員さんのものでもなく、私たち住民のもので一時預かっていただいておるだけのものです」と言われた方もおりました。
もしここで議会も市当局も坂下地域になんらかの形で手を打たなければ行政への信頼がそこなわれることになります。
そして最後に私自身、署名ではかなりのお宅を廻り、その後親しくなった方も多いのですが、前回も申し上げたのですが「死ぬ前に1度でいいからミニバスに乗ってみたい」と言った80歳半ばのお年寄りの言葉が耳を離れません。もうこういう人たちには時間がないので急いでなんらかの形で早急に走らせていただきたいと思います。
さて発言の機会をいただき大変有難うございました。ぜひこの陳情を採択いただき、市当局には平成17年度予算で措置されますよう、重ねてお願い申し上げ発言を終わります。