私と憲法88号(2008年8月25日発行)


福田改造内閣とインド洋派兵給油法延長問題

8月初め、福田康夫首相は自民党の執行部人事と内閣人事などの大幅な改造を行った。

福田首相は昨年、安倍前首相から総裁と首相の職を受け継いだときには、「衆参ねじれ国会」のもとで「背水の陣」状態の政権の安定をねらって、ほとんど安倍内閣の閣僚の「居抜き状態」で新内閣を発足させた。そのためこれまでの福田内閣は安倍前首相が自らの政治を実行しようとした安倍色の濃いメンバーで占められていた。以来1年を経た今回の改造内閣では17人の閣僚のうち、13人を入れ替えるという大幅な改造に踏み切った。

福田首相は遅くとも1年以内に迫った総選挙を控えて、この第2次福田内閣で臨時国会において何をしようとしているのであろうか。

新しい自民党執行部人事では幹事長に麻生太郎をおいたことが注目されている。麻生新幹事長は安倍内閣の外相と幹事長を務めた人物であり、安倍辞職後の総裁選では福田康夫と争った人物である。その後、麻生は党と内閣の要職に就かず、HANAの会などと称して安倍前首相との連携を誇示しながら、次期政権をねらって福田内閣に対しては非主流を任じてきた。この間、福田内閣は「外交の福田」などと謳うことで、対米協調のもとで、安倍内閣で行き詰まっていた対中国、対朝鮮半島外交の打開を看板にしようとしてきた。昨年の自民党総裁選では「拉致問題は私の手で解決したい」と述べ意欲を示し、この間、行きづまった安倍の「対話と圧力」という名の強硬路線とは異なる方向に切り替えをはかろうとした。

しかし、小泉「構造改革」以来の経済の危機はより深刻になっている。「2002年2月以来の経済の拡大傾向」も途切れ、諸物価の高騰、貧困・格差の拡大にくわえ年金政策、高齢者政策など民生の課題での失敗が相次いだ。「国民本位の行財政改革」「国民目線の政策」などといううたい文句に反して世論の不満は高まる一方であり、鳴り物入りで演出したG8サミットを含めて「福田外交」も内閣への支持の拡大に結びつかなかった。

今回、福田康夫総裁が党の幹事長に次期首相をねらう麻生太郎を据えたことに、福田体制の直面する危機の深刻さがあらわれている。福田首相がこれをもって挙党体制の成立を演出し、比較的マスメディア受けのする麻生を党の看板にすることで、内閣支持率の回復と総選挙準備態勢を敷こうとしたことはマスメディアの指摘するとおりである。しかし、その結果、福田自民党は安倍で失敗が明らかになった「日本会議」的な右翼的政治路線の持ち主の麻生を取り込んだことになった。これはタカ派色の強い派閥の町村派の代表である町村官房長官を留任させたことや、高村外相を留任させたこと、「救う会」のバックボーンになってきた中山恭子を拉致担当大臣に就任させたことなどとあわせて、福田内閣の危険性、危うさを象徴する人事である。

内政においては福田首相は「安心実現内閣」と称して「生活不安にしっかり対応する」とする経済財政政策を打ち出すことで、小泉内閣以来破壊され、深刻化した国民生活の安定化に取り組む姿勢を示した。消費者庁の設置を謳って、郵政造反組の野田聖子を大臣にすえ、小泉改革との差異を鮮明にしようとしたのも、経済政策の危機、国民生活の困難への対応をねらったものである。しかし、米国を震源とする今回の世界的な経済危機を突破する手だてを見つけるのは、深刻な財政危機をかかえる日本経済にとっては容易ではない。

第2次福田内閣の危機をより深刻にしているのが連立内閣の相手である公明党の動向である。福田内閣成立直後の大連立騒動で蚊帳の外に置かれて不信を強めた公明党は、基盤の創価学会の総選挙での動きを意識して、福田内閣の支持率の低迷、とりわけ国民の批判を浴びている経済財政政策に不満を強め、ことあるごとにその連立政権における独自性を示そうとしている。これが福田首相の政策の桎梏となっている。

福田内閣にとって、ともすると日米関係に齟齬をきたし困難に陥った安倍前政権の教訓からも、安定した日米関係の維持は至上命令である。孤立しつつある米政権の世界戦略にとって、それを支持する強固な「日米同盟」は不可欠である。安倍政権が失敗したように、9条改憲による日本の集団的自衛権行使による日米攻守同盟体制構築が短期間には困難であるとすれば、米国にとってはその代替措置として「自衛隊海外派兵恒久法」の成立は不可欠である。しかし、その「恒久法」もまた公明党の抵抗で見通しが立たない状況である。

福田内閣は成立以来、アメリカの対テロ報復戦争に協力するための「インド洋派兵給油新法」の成立に力を尽くし、本年年頭、憲法59条の「3分の2条項」を使った強引な衆議院での再議決に踏み切ったが、間もなくこの新法の期限の1年目を迎える。一方、イラク特措法は国連安保理決議1441号が年内で期限切れになることから、これを前提にした特措法による現在の航空自衛隊のイラクでの活動は不可能であり、継続にはあらたな体制(イラク・マリキ政権との地位協定など)が必要であることから、与党内からも空自撤退不可避論が出ている。このままでは米国によるイラクとアフガンの両戦線で自衛隊の共同が不可能となる。これは米国から見て「日米同盟」への日本政府の背信である。すでに8月12日、シーファー駐日米国大使が林新防衛相と会談して福田内閣に申し入れているように、「給油新法」の延長による海上自衛隊の多国籍軍の作戦への協力は日米関係の維持にとって至上命令である。しかし、多くのメディアの調査が示しているように世論の多数は新法の延長に反対である。福田体制は麻生や高村外相を配置した体制であるにもかかわらず、臨時国会の開会時期の選択に見られたように連立与党の公明党の総選挙を考慮した消極姿勢で、3分の2再議決行使を前提にした体制をとれていない。加藤紘一・元幹事長らのように自民党の中からも消極論が出始めている。総選挙を目前に控えたこの臨時国会で、福田内閣はその経済政策とあわせて、対米協力の戦争法の成立で内閣総辞職含みの重大な困難を抱えているのである。麻生幹事長は先の新テロ特措法での民主党の対案提出にみられる政治姿勢に妥協の成立の可能性を求め、事態の突破をねらっているようであるが、私たちは総選挙を前にして民主党がこの妥協を選択することのないよう、院外の運動を強化しなくてはならない。

年末には米国大統領選挙が行われる。有利といわれている民主党のオバマ候補は、イラクからの16ヶ月以内の戦闘部隊の撤退とアフガン対テロ戦争重視を掲げている。あわせて共和党のマケイン候補はいうに及ばず、日米同盟重視の政策をとるオバマ候補の下では、日本に対する米国のアフガン戦争への協力要求が強まるのは明白である。日本の総選挙を前にして与党がこうした反テロ戦争で対米協力を継続するなら、有権者からの強い批判を浴びることは必至である。

わたしたちはこの臨時国会における攻防の中で、9条改憲反対の世論を背景に、9条を破壊する自衛隊海外派兵恒久法反対、新テロ特措法(自衛隊インド洋派兵給油新法)延長反対、イラク特措法廃止などを掲げて戦争法制に反対し、また憲法審査会の始動に反対して、院外での広範な共同行動を組織し、行動を強めなくてはならない。そのために、臨時国会冒頭での「院内集会」を配置して課題と方向を明らかにし、9・20「PEACE DAY」、平和に生きたい「11・3憲法集会」、などを軸に、大衆行動を強めて、「衆院解散」を要求し、福田内閣の危険な企てを打ち破らなくてはならない。 (事務局 高田健)

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第34回市民憲法講座(要旨)

憲法から考える介護保険制度の現状

鹿倉泰祐さん(前文京区議会議員、介護保険市民オンブズマン・文京)

(編集部註)7月19日の講座で鹿倉さんが講演した内容を編集部の責任で要約したもの。要約の文責は全て本誌編集部にあります。

今日は横須賀に行ってきたと聞きましたが、暑い集会に出て、こちらにも来ている方もいるかと思いますが、この介護保険の話もみなさんにわかっていただけるように話をさせていただければと思います。

私の肩書きの「介護保険市民オンブズマン・文京」は簡単にいうと、介護保険発足の時、市民の間に介護保険の相談がいろいろなかたちであるだろうと発足しました。私は事務局なので、普段、区民のみなさんから相談があったときにおたおたしないように現状について日常的には勉強会をやっています。後期高齢者医療制度など、毎月一度の勉強会ですが、ご興味がありましたらぜひよろしくお願いいたします。

「憲法と介護保障」というテーマですので、大変難しい内容だなと受け止めました。憲法をどう理解するのか、それから現状を把握することを抜きにして語れないわけです。そこから、望ましい介護保障はどうすべきなのかが出てくるわけです。そういう面からいうと、3つのことをお話ししなくてはならないと思うんですが、私は専門家ではないので、このことについて市民のスタンスで考えようという運動をやってきた立場で、いろいろな方々の意見を参考にしながら、今日この場所からお話をさせていただきます。

「介護地獄」から「新介護地獄」へ

介護保険発足以前によく「介護地獄」と言われていました。この毎日新聞社の「介護地獄―重荷を背負わされた家族たち」という本ですけれども、介護の問題は本当に大変だったというのがいろいろなところで語られてきました。ですから、そういう問題については共通認識があったんだろうと私は思うんですね。この本には病院の前に親を捨てたエピソードが最初に出てくるんですね。長女と次女が争って次女が留守の時に長女が親を置いてきた、それを次女がもうどうしようもないと病院の玄関前に捨ててきたという事件です。これについては非難をする意見と擁護する意見が当時も結構あったといいいます。本当に苦しい、そういう思いを持っている人たちは「私は病院の玄関の前には親を捨てなかったけれども、病院の中に親を捨ててきた。でもしょうがなかった。それしか選択肢がなかった」という話なども含めて出ています。そういう面では高齢者が置かれている現状がどういうものなのかをきちんと把握することが重要だと思うんですね。

こちらは昨年「週刊ダイヤモンド」が特集した「介護地獄」という本です。これは「介護地獄」とはあるんですが、お金を持っている人は介護地獄にはならず、お金を持っていたら何ができるかという選択肢がだいぶ出ている本です。ただ実際にお金がないときにどうなるのかということですね。レジメに「孤独死・貧困・老老介護・虐待」と書きましたが、そこに着目して現在の介護の実態を考えたらどうかと、ここからはじめます。

例えば、東京23区内で孤独死は厚生労働省の平成16年度の発表では2718人いた。東京都の監察医務院事業報告書では、東京都で三多摩も含めて65歳以上の孤独死は2006年度に2611人というデータがあります。また全国で約1800団地77万戸の賃貸住宅を管理している都市再生機構(旧日本住宅公団)のみの調査で、孤独死が 99年から06年度の比較で2.5倍になっている。そのうち65歳以上は3.5倍なっている。同じ旧日本住宅公団の調査で、65歳以上の世帯主が全体の64.9%にもなっている。まさに大都市の「限界集落」だ、と毎日新聞の7月6日付け記事の表現ですけれども、こういうふうに出ています。

それからいまジニ係数という言葉がよく言われますが、貧困率を示す数値です。これについて日本はいま非常に悪いといわれています。世界のOECDの中で6番目にこの貧困率が高い、もしくは高齢者人口の中での貧困率はOECDの中で7番目だといわれている。またひとり暮らし高齢者世帯の27.8%が月収入10万円未満、全高齢者世帯では17.2%が月10万円未満の収入だと言われています。

それで介護保険料が全体の平均でいまは4000円以上です。今度、後期高齢者の保険料も入ってきました。後期高齢者の医療保険の方は合わせると1万円くらいが年金から天引きされるわけですね。今度は8月15日ですか、2ヵ月に1度の天引きがやってきます。前回は6月13日でした。これは私の誕生日だったんですけれどね。社会的にこういう天引きされる日になって、みんな大変だなとその時思いました。ただ、今は全部天引きがはじまってはいないんですね。一部の自治体では10月からというところもありますし、それから間違って取ったり取られたりという問題もありましたけれども。

「高齢者は所得が多い」は嘘

さて高齢者の所得の状況を考えてみます。
厚労省の「低所得者の新たな生活支援システム検討プロジェクト報告書」の中で、所得200万円未満は母子世帯の48%、高齢者世帯の41%が該当している。それから「所得第14位部位」、これは低所得者世帯のことをいっていますが、1/3が高齢者世帯、その半数は単身世帯です。これはやはり本当に所得の低い方が多いことをいっています。それで高齢者世帯の81%は年金収入ですね。それから「被保護世帯の世帯類型別状況の推移」という、これは生活保護の方ですけれども1975年から2004年までの数値が厚生労働省の資料で出ています。高齢者のところでは22万世帯だったものが46万世帯、2倍以上に増えていますね。それから、高齢者の中で単身者の世帯の割合は1975年が77.1%だったわけですね、生活保護に関して。それが2004年時点では87.6%の方が単身です。

こういう所得状況を前提としてどういうふうに社会保障システムをつくるべきなのかが問われています。そういうことが基本的に政策として出てこないことが大きな問題です。だから、高齢者の自殺もこれから増えるという「自殺白書」が昨年発表されました。団塊の世代の方にストレスが非常に強くかかっている。会社でも大変だし、社会的にも大変だし、その人たちが高齢者になったときこの自殺率がもっと増えるんじゃないかということが「自殺白書」の中で心配されていました。いま日本における高齢者の状況を、本当にきちんと捉えた政策をやっていかなきゃいかない。特にひとり暮らしの高齢者の4人のうち3人は女性です。女性の収入は男性の1/3だといわれているわけです。

厚労省は高齢者は所得が多いというようなことも言っています。2006年度版の「高齢社会白書」では貯金額の平均が、高齢者で2504万円だと言っているんですよね。これとんでもないことですよね。ひとり暮らしの27.8%くらいの方が月収10万円未満だといっているのに、それからいま日本の国民の4人に1人は貯金がないといっているときに、厚生労働省の「高齢社会白書」では貯金の金額の平均が高齢者は2504万円だ。これは平均値でして、4000万円以上の貯蓄世帯が18.6%、2割くらいいるんですよね。片一方で収入のない人が大量にいて、もう一方で2割の方が4000万円以上ということは、この方々は1億円程度の預貯金があることを前提にしなければ、平均値で2504万円なんて数値は出てきません。ですから、この高齢者の状況をどういう視点で見ていくかということをちゃんとやっていかないと、厚生労働省のように「豊かな高齢者がいるんだから自己負担をさせればいい。介護保険料もどんどん上げてもかまわない」、もしくは後期高齢者医療制度のように、年金から一緒に取ってしまう、こういう発想になってしまうわけです。

介護保険導入以前も、最低生活保障水準を下回る所得水準、つまり生活保護程度の方々は高齢者全体の3割に該当するんではないかということが政府機関の中でも言われていたました。けれども、そういうことが今にもつながっているところを見ておく必要があると思うんです。 「エンサイクロペディア社会福祉学」という、1000ページ以上もある百科事典があって、監修者は一番ヶ瀬康子さんなどですが、その中で参考になる数値が889ページにありました。「高齢者世帯は単身者世帯が04年度に87.6%となっており、高齢者世帯は類型別に見ても全世帯の47.6%と高い割合を示し最も多くなっている。EU、ドイツなどの先進国と比較しても高齢者の割合がこのように高い国はほかにない」、これは生活保護のことを言っているわけです。「その主な理由は年金水準が保護基準を上回っているかどうかということになる。わが国は基礎年金受給額が保護基準よりも低いことから制度設計の問題が生活保護の動向に反映をしている」。つまりこういう状況を放置すればますます高齢者が貧しくなって生活保護に追い込まれていく、しかもなおかつ十分な介護も基本的に受けられないような状態になるとするのだったら、まさにそこに私は「新介護地獄」ということがでてくるのではないか、こう思っています。

裁判で問われた日本の介護制度と生活保護行政

実は最近の裁判事例でちょっと興味あるものがありました。「介護殺人」は最近しょっちゅうあります。インターネットのニュースの配信ですが、日本福祉大学の加藤悦子さんという方が以前調査をしたとき、200件以上の介護殺人があって、被害者が60歳以上だった258件の事件を分析しています。

その事件は、平成18年6月に京都地裁で母親殺害の公判で被告人が延々と述べ、まわりからも減刑の嘆願などもおこなわれた事件です。それは失業保険が切れ、収入がなくなった後も男性は福祉事務所の窓口を訪ねることはなかった。実は福祉事務所に行っていたんです。失業保険が切れて収入がなくなったんで生活できないから、京都の区役所に相談に行った。だけど失業保険の収入があるので生活保護は受けられない、「がんばって」といわれたというんです。失業保険が切れ収入がなくなった後も男性は福祉事務所の窓口を訪ねることはなかった。その一方で86歳のお母さんを56歳の失業した男性が、母だけには食べさせてやりたかったと、自分の分を2日に1回にして母の食事をつくった。公判で当時の心境を「本当に苦しい。骨がきしむような中、息をこらして耐えるだけだった」と振り返った。こういう裁判があったんです。

判決が懲役2年6ヵ月、執行猶予3年で、裁判長は判決の後にこう言った。「問われたのは日本の介護制度と生活保護行政といっても過言ではない」、まさにここに憲法が問われる、そう私は思うんですね。憲法がどういうふうに日常の生活の中で機能してきたのか、ここをやはりきちんと私たちが見つめなければ、こういう事件はあとからあとからどんどん出てくる、そう思っています。みなさんもニュースを注目していただければこういう事例がたくさん出てくると思います。

自分のまわりでこういう方々が悩んでいたら一緒に役所に行くなり、一緒に考えるなり、相談をされたら一緒に悩んであげる、こういうことがひとりで苦しんでいる人たちをなんとか持ちこたえさせることにつながっていくと思いますので、そういう立場でみなさんも頑張っていただきたいと思います。

憲法25条が日常の生活にどう機能するか

日本国憲法が定める権利ということでは、社会保障法学における通説的見解は憲法25条なんですね、生存権だと。ただしこの生存権、憲法25条で裁判事例はあまりないんです。基本的には朝日訴訟はみなさんもよくご承知の通り憲法25条の生存権規定をはじめて裁判の争点にして、これは生活保護のことです。ただしこれは途中で朝日さんが亡くなってしまって、養子の方が裁判を継続するといっても基本的に生活保護は継承できる権利ではないと門前払いをくったわけです。憲法25条の生存権規定において裁判でまともな議論がされていないんですね。つまり裁判所はこういうものについては予算の問題もあるから憲法は憲法なんだけれども立法裁量権だということで、基本的に憲法原則を日常生活の介護や福祉の問題に落としこんでいくということはないんです。憲法13条については多少規範的根拠とすべきだということで出てきてはいますが、憲法13条については25条の生存権規定に代わるものとはちょっと違ってくるわけです。

憲法13条に関しては、具体的にはいくつかの裁判でこれが主張されています。また憲法14条に関しても年金問題で夫婦の受給制限を老齢福祉年金でやったものについては憲法14条に違反、もしくは福祉年金と児童福祉手当の併給禁止に関しても憲法14条に違反、そういうふうにほかのところでは援用されているケースはあります。しかし生存権という観点から見ると憲法25条が一番大事なんですね。これが裁判上で考慮されなかったら憲法25条に書かれていることはまったく意味をなさないんですよ。

憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」といっている。「権利を有する」といっているのに裁判になったらこれはまったく無視をされています。憲法25条の第2項は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」、「努めなければならない」とここに書かれているものが基本的に立法裁量権ということで無視をされる。学説でいうとプログラムだ、プログラムをつくるのは行政だ、法律というかたちで行政がつくるものについては国民がどうのこうのというかたちで争うことはできない、という判決が実は多いわけです。

実際に堀木訴訟というのがありまして、最高裁の判決まで行きました。これも広い立法裁量論により生存権保障に関する司法審査は極めて限定される。つまりやっちゃいけないとはいわないけれども、当てはまらないケースが多いと最高裁の判例は言っています。ですから結局憲法があっても、国の政策における制度の変更で権利の内容は変化しても違法性を問われることはない、という考え方が現在の裁判の判例で出てきてしまっているわけです。ですから一部、憲法14条違反の判例があったり、13条の問題が援用されてはいるんですが、これは基本的に25条の問題をやはり私たちは常にこだわらないといつも立法裁量論の中で国民の生活が考慮されない、こういうことが出てくるんだと思っています。結局、国や学説などでは「社会連帯」とか「社会扶助」の方にだんだんと流れてきていると言われています。社会保障制度については1950年度に勧告がされて、社会保障制度における勧告は2回しかないんですけれども、年金とか医療制度は全部この勧告によって整備されてきています。1995年にも社会保障制度の勧告が出ていますが、ここでも生存権規定を否定はしないけれども、社会連帯の理念がだんだんと社会保障制度の基本理念になるべきだというかたちで流れてきています。相互扶助の理念は戦前にも実はありました。1938年に制定された旧国民健康保険法の理念であり、憲法25条とはちょっと次元が違うということを私たちはおさえなければいけないと思っています。

憲法25条の生存権規定の理念と措置制度

憲法25条の生存権規定の理念と措置制度ですが、措置制度ということはあまりポピュラーではないですね。介護保険が入る前までは措置制度で特別養護老人ホームなどの決定をしていたました。憲法25条は戦後の社会福祉の分野では措置制度というかたちを以て実際は動いていたわけです。保育所に入るときも役所に申し込みに行きますよね、直接保育所と契約をするわけではないです。つまり行政処分というかたちが措置制度のことだったわけです。本人が直接契約はできませんよ、ということです。ただ予算がないので数が限られていた。「予算がない、予算がない」と言えば立法裁量権と同じように国や地方自治体の責任は免れると思っているわけです。

措置制度というのは、入所やサービスの提供などから、それに伴う公費負担までの一連の行政機関の行為を一般に「措置」と呼び、措置を行う権限を持つ行政機関を「措置権者」と呼んできました。例えば、従来の特別養護老人ホームの入所は、福祉事務所に入所の申し込みがあれば入所判定委員会を開催し判断し、決定していました。しかし予算の壁があったので入れる人が限定されていたわけです。介護保険になってから多少施設やサービスは増えましたけれども、従来は本当に大変でした。全国調査に見る「寝たきり老人」の「寝たきり期間分布の推移」という表があります。「寝たきり老人」問題は介護保険の直前にかなり議論されてきました。実はこの「寝たきり老人」の問題は1968年から社会問題になっていて、1968年の総数は19万1千人、これが1992年になると28万9千人です。いまは推計の仕方にもよりますけれども、厚労省なんかは200万とか300万とかいっています。そのごく一部の方々が特別養護老人ホームとか病院に入っています。措置制度の時代は「予算がない、予算がない」ということで基本的に低所得者を中心とした制度になっていましたから結局官僚主義的、恩恵的に運用してきたと言われています。

権利じゃないと言ってきたので、じゃあ何かというと「反射的利益」だということです。反射的利益というのは、「道路があるときにあなたが道路を歩くのは権利ではない」、というんです。「道路があるときにたまたま歩けるだけだ」、これを「反射的利益」というんです。つまり何かものがあって、それを使う権利ではない。「たまたまあなたが歩けただけだ」というような言い方をするのを反射的利益というんです。措置制度のもとでは保育園にしても特別養護老人ホームにしても障がい者のサービスにしても結局は反射的利益なんだ。つまり予算の範囲内、行政の提供する範囲内で運用していく。そうすると結局はやっぱり家族だということですよね。措置制度のもとでそういう制約があると、結局は家族だ、こういう問題が、さきほど出てきた「介護地獄」の問題につながっているということです。

ただし、介護保険があるから家族だということがいまでは言われないかというと、実は三鷹市で制度が始まってから2002年くらいに家族の負担は減ったかという調査をしました。そのときに東京都がやった老人福祉研究所だったかな、確かにサービスは増えたけれども、減っていないということを調査されている方がいます。結局何が問題かというと所得保障にとどまらない介護保障等の「健康で文化的な最低限度の生活」水準を明確化していく作業が、憲法25条の生存権の重要な課題として残されている、ここが重要なところです。ここが議論になっていない。さきほどの厚労省の低所得者の問題を調査会をつくってやったことはあるけれども何も結論を出していない。具体的に政策にどうつなげるのかということはまったく出てきていない。

介護保険制度の導入までの道のり  福祉か保険か

1996年に老人保健審議会が「最終報告」を出した。そして11月に介護保険関連3法案が臨時国会に提出された。1997年4月に消費税が5%になった。12月に介護保険法が成立。重要なのは、11月に成立している財政構造改革法と連動し公費削減の性格を帯びていたことで、財政抑制策の一環だという考え方は政府にあります。介護は待ってくれない、何とかはやく介護保険制度をつくってくれという国民の声はまた別ですけれども、国の考え方は土光さんのときの第二臨調から一貫して財政抑制策の流れでずっと来ています。土光臨調が確か1981年ですが翌年1982年には老人保健法ができて一連の高齢者の福祉のサービスの流れがあります。1994年に細川内閣で国民福祉税の騒動に失敗してからは、基本的に社会保険制度の流れになっていく。実は国民福祉税の失敗以前はデンマークの話が結構厚生労働省の中にあって、だから消費税を上げて、という話がありました。

結局、細川内閣が大失敗したあと、1994年4月にドイツで介護保険法が成立したので、一気に介護保険という社会保険の方式に流れていったわけです。これは時系列的に見ると明確で、ある面では厚生労働省は妥協を図り、やりやすいものをやったかたちになっています。厚生労働省はいつからかわかりませんが、非常に適当な仕事をしているのはみなさんよくわかっている通りです。国民に対しては隠すものは隠して、ごまかすものはごまかして、財務省や大蔵省にいわれるとそれに従ったようなことを言って、そこで変な理屈を出す。この変な理屈しか実は見えてこない。いまも介護療養型のベッドの全廃の話が出ていますけれどもでたらめです。

基本的にみなさんが見ていないところで非常に悪いことをやったり、でたらめをやったりしているということをもっと見つめなければいけないと思います。前の厚生労働省の老人保健局長の林さん(いまは大阪大学で教授)は、厚生労働省が医療制度改革をやっていることについて「あんな危険なことをやってはいけない。あんなナチスばりに、人の健康に手を突っ込んで、健康管理を国家がやってはいけないことなんだ、本来は。」非常に危険だと言っています。でも厚生労働省にいたら言えないことです。この介護保険制度についてもそういう目をきちんと持たないといけないんですね。

世界的には少ない社会保険方式

世界各国の状況ですけれども、ドイツを真似たけれど、ドイツとも違うんですよ。ドイツは保険料が1%くらいでしたよね、確か。全国保険方式で、民間事業者は大きな非営利団体が6団体くらいあって、その非営利団体が全国的にサービスをほぼ網羅しています。宗教的な団体もあるし労働組合的な団体もあるしNPO、ボランティア的な団体もあります。ドイツ以外でやっている国を探すとルクセンブルグ大公国が介護保険制度を導入しているようです。韓国は2007年に導入しています。世界的な流れから見ると、こういう保険方式でやっているところは少ない、というか異端なんですよ。異端の原因は、税で調達ができないと判断したが故です。こういう制度をつくるにあたって財源をどうするのかという観点からきているわけです。この問題は医療制度に関わる費用を削減する目的もあって、その部分が介護保険に流れてもいますけれども、現在は健康保険事業も介護保険の中にどんどん突っ込んできていますから、特定検診とかいろんなかたちで保険じゃないものまで突っ込んできているので、結局財政問題として箱の整理をしているのが現状です。

「措置から契約へ」介護保険制度の特徴

介護保険制度の特長としては、社会保障改革のフロントランナーだと厚生労働省は言ってきました。社会福祉も生活保護(公的扶助)を除き社会保険方式に転換し、社会保険については、従来の医療保険なども含め、応益負担原則つまり「負担しなければ給付なし」の原則を徹底したということですね。ですから国民健康保険なんかも大変ですよ。いま資格証明書だとか、保険料を払えない人には強制的に払わせる、10割負担をさせるというかたちで、どんどん所得の低い人たちが困ることをやっています。ある団体が医療に関して所得が低いとどうなるかを調べたら、ほとんど医療機関に行かないという結果が出ていて、我慢しました、歯医者にも行かなかった。これはマスコミにも出ています。だから「負担しなければ給付なし」を原則にしまうと、ただでさえ1割負担があるので払えない方がいる、その上に今度は介護保険も使えなくなってしまう、こういう問題もあります。

介護保険を検討するときの文書では、民間保険をつかえという議論が当初から出ています。介護保険は基礎的なところをやり、それ以上は民間保険をつかえということです。ですからこういう介護保険制度をどう構築するかという問題について、私たちはやはり国民全体が望むものを基本的には保障できる制度として構築することが前提です。いまの医療でもそうですが、民間保険でやれということが規制改革総合会議とか、小泉さんのもとでつくられた経済財政諮問会議でもずっと言われてきました。いまは鳴りを潜めているところもありますが。トータルで見ると、従来、福祉と医療の各分野で公的責任(福祉は主として税金)で行われてきたものを「社会保険方式」として、施設サービスと在宅サービスを介護保険として一本化したけれども、質と量が共に不足したということです。

問題なのは何かというと、またここで出てくるのは「権利」がないんですよ。介護保険法には、「国民の努力及び義務」がありますが、権利はありません。介護保険法の第4条に「国民は、自ら要介護状態となることを予防するため、加齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、要介護状態となった場合においても、進んでリハビリテーションその他の適切な保健医療サービス及び福祉サービスを利用することにより、その有する能力の維持向上に努めるものとする」。権利が出てこないんです。

権利が出てこないのでどうすべきなのか。この権利については自治体ではいくつか定めているところがあります。文京区でも私はやろうと思ったんですが、「総合介護条例のつくり方」という本を内閣法制局にいた方がつくって、これをみて「そうだ」と思ったんですね。文京区でも議員条例で提案をしましたが与党の方が強いので条例案は否決されました。ただし、埼玉県の戸田市とか吉川市とかいくつか総合介護条例というかたちで権利を明記した条例は出来ています。たとえば戸田市の総合介護福祉条例は「すべて市民は、個人としての尊厳が重んじられ、その尊厳にふさわしい自立した生活を営むことができるよう、介護福祉を利用する権利を有するものとする」となっています。こういうふうに国民の権利の問題についてはきちんと法律に明記しなければ、やっぱり恩恵的な世界に戻ってしまいます。もしくは官僚主義的なかたちに戻ってしまうわけです。ですからその点を私は憲法という問題を考えた場合には憲法だけではない、地方自治体でもやれることはある、こういうことをきちんと据えなければいけないと思っています。

介護保険の現状と「日本は高齢者天国」か

介護保険の現状ですが、2000年と2007年の比較では65歳以上人口は2165万人から2692万人へ24%増えている。要介護認定者は218万人から445万人へ倍に増えている。居宅サービス受給者は97万人から257万人、165%増。施設サービス受給者は52万人から82万人、58%の増加。介護保険の総費用に関しては3.6兆円だったものについては7.4兆円。65歳以上の保険料は導入時が2911円、これは全国平均です。いまは4090円。これはもっと上がりますよ。今度、第四期介護保険事業計画が始まりますから。

介護保険の問題を考えたときに「日本は高齢者天国だ」と言われていることをぜひとも考えないといけないんですね。厚労省もマスコミも言います。日本は高齢者にばっかりお金がかかっている、だから子どもにお金が回らないと言っています。そのお金が回らないという子どもはOECDの統計でいうと下から2番目か3番目くらいで、低い。下にいるのはトルコとかギリシャですね。GDP比でOECDの統計は取りますが、本当に子どもには全然回っていないです。OECDの平均でいうと、子どもに関してのGDP比の予算の割り振りが、国内総生産の3%くらいですね。子どもに全然お金を使わない理由を高齢者に使っているからだというわけです。ところが本当にそうかというと実は眉唾ものです。

日本の社会保障給付費に占める高齢者関係経費の割合は、確かに高くて44.67%。その原因は日本の経済規模、つまり国内総生産に比して社会保障給付費が低いからです。GDP費6.26%です。この数値は、アメリカがGDP比で高齢者の関係経費は6.36%です。あのアメリカがですよ。「ルポ 貧困大国アメリカ」という本を読みましたけれど、地獄ですね、あそここそ。でも日本はアメリカと同じくらいですね。ドイツの高齢者関係経費は8.53%、スウェーデンは12.07%です。たとえば、病院と介護施設の介護病床をOECD比でみると 日本は下から7番目です。これは65歳以上人口の1千人に対して27床という数字です。これは介護の方で、病院でも介護に使っている部分の介護療養型の病床と介護で使っているベッドですね。OECDの中で1番はスイスで72床ですね、1千人あたり。2番はスウェーデン71床、3番はアイスランド69床。つまりいろんなところでサービスが不足しているのは日本の根本的な問題なんですよ。子どもの問題だけじゃないんですね。

高齢化率と医療費の対GDP比との関係についての表があります。これは医療の方です。介護の方はあんまりこういう表は一般的に出ていません。金額が低いし、歴史も浅いので。この中でダントツなのがアメリカです。医療費でアメリカが使っているのは公費じゃないんですよ。医療費だから私費利用も入っています。つまりGDP比でアメリカが一番多い。アメリカの医療はいま地獄だといわれています。6000万人の未保険の方がいて、民間保険ばっかり使わされていて、一部の高齢者と所得の少ない方が公費負担の医療保障を使っています。ほかの方々は医療保険をいざ使うとなると、盲腸で200万、300万円とかいわれて、自己破産をする一番大きな原因は医療だとアメリカでは言われています。その次に多いのがフランス、ドイツですね。日本はどこにいるかというと、20%を超える高齢化率の日本がGDP比で6%を切っています。

社会保障国民会議というところがいろいろ資料を出しています。厚労省とか財務省が資料を出してきて2025年にこんなにお金がかかるという資料ですが、GDP比の比較をしない60兆円とか80兆円とかいっています。GDP比でやると実は6%をちょっと超えるくらいです。現実には2005年のフランスがもう11%を超えている。医療費だけですよ。ということはいかに日本が予算を使わないのかが問題だということです。この資料をつくったのは社会保障国民会議の権丈善一さんという慶応大学の教授ですが、日本がここにお金を使わないことによって医療や福祉がいかに崩壊するか、今でも崩壊直前だから、もう「せっぱ詰まっている」という言い方をしています。それから社会保障の全体のことをいっている資料では、「日本の特徴をみると、年々、総体としての公的支出は増加しているが、GDPに対する比率はアメリカに次いで低いグループにとどまっている」と書いています。今度は公費ですからアメリカに次いで低いグループにとどまっている。

結局、日本は総額が少ないだけで政策的に見ると年金とか医療でもう満杯になっている。だから社会福祉サービスの全般が足らないということですね、全般が。この社会サービスの政策分野別支出という資料では「住宅、失業、労働政策、遺族、家族、所得補助、障害等、保健、高齢者」の各分野になっていますが、この全体が足らないと言っているんですね。それでも厚生労働省は「高齢者天国」だからダメだ、医療費も介護も含めて高齢者の費用にはもう使えないと言っている。だけど実際はこの資料であらわれているように、まったくの大嘘だということが現実です。

介護現場の崩壊

問題なのは、介護現場が崩壊しているんじゃないかということです。

たとえば7月15日の読売新聞には、昨年度の介護労働者の離職率は21.6%、前年度に比べて1.3ポイント上昇という内容の記事が掲載されています。これは、財団法人「介護労働安定センター」という厚労省の外郭団体の介護労働実態調査の結果です。調査は昨年11、12月、訪問介護事業所や特別養護老人ホームなどの介護事業所と、介護職員や訪問介護員などの介護労働者を対象に実施し、4783事業所と1万3089人が回答しています。調査によると、1年間で辞めた職員の割合を示す離職率は、介護職員が25.3%、訪問介護員16.9%。双方を合わせると21.6%となり、全産業の平均離職率16.2%(厚生労働省の06年調査)に比べて高い水準を維持している、ということです。

7月3日の毎日新聞では「低賃金」「介護士いない」「老人ホーム開設延期」「訪問サービス応じず」という記事があります。非常に大変です。もう現場も本当に機能しない現状だと思います。介護事業所の経営状況調査の昨年度分が出ていますが、居宅介護では事業所の利益率はマイナス15.8%、去年も赤字だったので2.9ポイント悪化しているそうです。時事通信で報道されていました。

厚生労働省のホームページでも介護事業所の概況調査の結果報告も出ています。介護老人福祉施設は事業収益に対する収支の差額、つまり利益ですが、昨年度は4.4%でした。一昨年は10.2%だった。ただし東京23区はマイナス5.2%、赤字ということです。訪問介護の収支は微増して3.3%だということですが、23区はマイナス21.3%だそうです。つまり23区では介護保険は収益をあげられる状況ではないことを物語っています。認知対応型通所介護についてはマイナス3.3%、短期入所に関しては全国ではマイナス1.8%、23区はマイナス14%と出ています。居宅介護支援、ケアマネージャーさんとかが仕事をされているところですが、昨年度はマイナス15.8%、一昨年度はマイナス12.9%の赤字です。最近始まった小規模多機能型居宅介護はマイナス18.5%、始まってみたけれどもまったく利益は出ませんということです。

現状はどうかというと、東京都の社会福祉協議会の福祉部会の資料では、昨年の1月ですが、特別養護老人ホームは配置基準のみの職員数では基本的なシフトも組めない状態である、平均すると1ヵ月あたり152名が不足、常勤換算で1日当たり7.6人が不足しているといっています。実は文京区の特別養護老人ホームについて私の知り合いで、全専売というところで労働組合の役員をやった方が施設に行って聞き取りをした。常勤者の数、非常勤の数を計算したら、これは3交代では回りませんね、と言っていました。実際に労働基準法を守っていたら回らない、守っていないから回るんですね。ほかの施設でその話をしたところ「それは事実です、労働基準法を守っていたらやっていけません、それで悪いと言われれば悪いと言われるしかありません」と話していました。ですからいまの介護報酬、ここに問題があることは現場でもはっきりしていることです。

それから「低所得者ほど病院にかかれぬ現実、受診控えた3割」という見出しはことし4月15日の毎日新聞です。お金がないから薬ももらわなかったという人が12%もいたという記事もあります。

惨憺たる現状の「介護予防」

この「介護予防」は、2005年6月22日に改正介護保険法が成立して始まったんですが、惨憺たる現状だと私は思います。東京都の各社会福祉協議会ごとの個別アンケートがあります。行政じゃないので好きなことを書いていますが「介護予防が入ってきてどうなったんですか」もしくは「介護保険が変わってどうなったんですか」と問うと、「今まで利用していた時間や回数を減らさざるを得なくなった」などの不都合があるとした人は8割以上。「4月~5月に認定更新を受けた方のうち9割が以前より介護度が低く出ている」、「要介護3だったのが要支援2に。外出できるまであと1年リハビリをと主治医から言われているが、ベッドも車イスも回収されてしまった」、「生活する上で必要なヘルパーなのに、どうして減らされるのかわからない。仕方ないので自費でも来てもらうしかない。納得できない」、「自治体によっては経過措置がまったく無視されているなど、想定していた以上の問題も起きている。利用者の実態を踏まえた制度の見直しを早急に提言していく必要がある」、こういう状況ですね。

橋本泰子さんという厚労省の審議会の委員などもされている大正大学の教授ですが、「制度改正はそれぞれの事情を考慮せず、一律にサービス利用を制限した。利用者の自立を助けるどころか状態を悪化させる恐れもある」と言っています。平成18年4月に社会福祉協議会介護保険居宅事業者連絡会が最近の状況について提言のかたちで出ています。利用者は「死んでしまう」とか「死にたくなった」という声がたくさん書いてあります。提言の方は「調査結果からは49.3%が制度改正に伴って『今まで利用していた時間や回数を減らさざるを得なくなった』、39.5%が『今まで利用していたサービスが利用できなくなった』と回答している。複数回答であるが何らかの不都合・不便があると回答した割合は81.9%」となっています。

だから誰のための介護保険の改正だったのかということが問われているわけです。結局はお金ですね。財務省から言われました、もっと減らせ、もっと減らせ。小泉さんが言います、毎年社会保障費の自然増のうち2200億円減らせと。福田さんは今も言っていますね。先日新聞に出ていましたね、来年度の概算要求でもいちおうやる、とりあえず重点項目は考えるけれどもやるんだと。

介護保険制度はどのように見直すべきか

結論の部分になりますが、介護保険制度をどのように見直すべきかということです。第四期介護保険事業計画というのをやっています。やっぱりそこに参画しなくてはなりません。意見を言わなくてはいけません。意見を言う直接の場がなければ、手紙でもいいしメールでもいい。何でもいいんです。国の財源を増やせ、こうも言わなくてはいけませんね。基本的にサービスを増やせば保険料も増やす構図になっていますから、単純に国の負担を半分くらいにしろという提案でもいいです。ここに岩波新書で「介護 現場からの検証」という本があります。わかりやすくて非常にいい本です。結城康博さんという障がい者の問題をやっていた新宿区役所の職員で、いまは大学の教員に転身してケアマネージャーもやられています。この本では、たとえば国庫負担を半分にすれば利用しやすい介護保険制度ができるんじゃないかとかさまざまなことが書いてありますけれど、そういうようなことを言うしかない。それから高齢者に分かりやすい制度にしてほしい、制度そのものが複雑すぎる。地方分権で厚労省がいま通知をすごくたくさん出していると思うんです。文京区役所にも介護保険制度に関する通知を途中まではストックしていたんですが、いまは多分やめちゃっているよね。それでも通知はたくさん来ていると思います。それを全部読んでわかる人がいる方がおかしいです。書いた方も忘れている可能性があります。

それから地方分権の制度にしなさいということ。「ひげそりしていいですか」とか「この場合は散歩に行っていいですか」とか、何でもかんでも厚労省に聞くような制度はやめてほしい。文京区は電車で通ってこられるのは同居の範囲、なんていうことをまだ言っているんです。同居の範囲が全然違うんです。荒川区は別世帯になっていれば同じ敷地でも同居ではありませんよと言ってくれます。国分寺市もホームページを見るとそう書いてあります。豊島区も確か同居の範囲をそんなにがちがちにしないで区役所がいいですよと言った事例についてはOKです。ペナルティをかける場合でも遡及はしませんね。ほかは遡及するんですよね、最初にさかのぼって1年2年前から返還しなさいということを官僚主義的にやっています。

それから要介護区分の簡素化、要介護の上限に関してどっちみちみんな半分くらいしか使っていないんですね。昔は軽度の要介護の状態の方が7割、8割とか使っていましたが、いまは利用抑制をしていますから使えません。だったら要支援を2つにしたり要介護を5つにしたりするような判定じゃなくて、行政の方でもっと簡単にすればいいということです。

それから障がい者福祉とは統合させない、ぜんぜん次元が違いますね。64歳まで障がい者福祉の制度でヘルパーの外出援助を受けていた人が65歳になってあなたは介護保険だから外出はできません、そんな馬鹿な話はあり得ないわけですね。ですから「障害者支援費制度」は公費を中心にきちんとサービスを充実させるという立場が必要ですね。「障害者支援費制度」についても自己負担を迫ったおかげでかなり利用抑制が起きています。介護予防や特定高齢者、虚弱老人ですね、高齢者検診事業は一般財源で行うべきだ、こんなものまで社会保険で介護にもってくる理屈がないわけですね。こんなこと言っていたら保健所でやっている事業を全部持ってきて、つまり税金を使わないでみなさんの保険料でやりますという話になってしまいます。それから介護従事者に希望と未来を持つことができる賃金をやっぱり保障することですね。さらに介護保険料と自己負担をできるだけ低額にする。こういうことをやらなくてはならないということです。

憲法25条の生存権  国に対してものを言おう

憲法ということですから、憲法の記事を最後に。読売新聞ですが、このご近所に多田富雄さんという免疫学の先生がいます。この方は脳梗塞で倒れて、いまはしゃべれないのでキーボードでボタンを押すと録音してくれて、再生を押すと「私は介護保険制度は本当に困っている」とかって言うんです。記事では、命の差別をしてはならない、リハビリだったらリハビリがちゃんとできるような仕組みを医療でも介護保険でもつくらなくてはならない。これを憲法が求めているんじゃないかということを言っているんです。当事者の方です。本当に歩くのも大変。私も何回かお会いしています。

こちらは毎日新聞でやはり多田富雄さんが、結局いまの政治は病んでいる、後期高齢者医療制度は姥捨てだ、反乱を起こしたいくらいだと、こういうことを自分自身が働きかけて国民全体に広げていかなきゃいけない。この人はものすごい署名を集めたんですね、リハビリ問題で。障がい者であっても国に対してものを言う権利はある、自分自身は憲法で平等に生きる権利がある、このことをずっと主張し続けています。このことを一人ひとりの方々が言い続けることが、最初に紹介した裁判の事例ではありませんが、殺してしまった後では遅いんですよ。

裁判長が「問われたのは日本の介護制度と生活保護行政といっても過言ではない」と言った。だったら裁判所がちゃんと憲法25条の生存権という立場で、国に対してものを言いなさいということですね。やっぱり言わなければならないわけです。

ですからぜひともきょうここに集まったみなさんが憲法25条、生存権、このことをベースに、私たちは生きる権利がある、憲法25条で最低限の生活は国民の権利だ、そして国は国民に社会保障のシステムを保障する義務がある、「務めなければならない」と書いてある、こういうことを強く言うことが求められていると思っております。

お詫びと訂正

前号87号の内田雅敏弁護士の市民講座記録要旨の9頁に誤りがありました。お詫びして訂正致します。
9頁右段上から8行目、松川事件→土田・日石事件
です。

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「私と憲法」で~す。お話聞かせてくださ~い!

八幡智子さん(関東ウタリ会事務局長)

アイヌがいるんだよ!と知らせなければ

北海道では先住民サミットが開かれた。6月の国会では衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択された。そんななかで、関東地域に住むアイヌ同胞が互いに励まし合ってきた「関東ウタリ会」の事務局長・八幡智子さんにこれまでの活動や今後の抱負などのお話をうかがった。

私が行かなければ誰がいく」

国会で「決議」が採択される日、八幡さんは仲間たちから「国会に行くの?」という問い合わせをいくつも受けた。自分が何十年も活動してきたなかで「私が行かなければ誰がいくの」という気持ちで、先輩の宇梶静江さんと本会議を傍聴した。嬉しくて涙が出そうになった。「アイヌ民族が、先住民族として認められたのはすごく嬉しいこと」。だけど反面こらからが大変。「北海道のウタリ会と一緒にいろんなことを考えなければいけない。政治の中心の東京ということもあり、大変なことになりそう」というのが、東京周辺のアイヌ同胞をつないできた八幡さんの喜びと今後への期待感だ。

東京で同胞にであう

「関東ウタリ会」のこれまでの活動について訪ねると、それは、会を作るところからかかわっている八幡さんの人生をお聞きすることとなった。

八幡さんが社会に出て働き始めたころ、当時あった「東京ウタリ会」が取り組んでいたアイヌの生活調査を一緒にやらないか、と声をかけられた。しかし八幡さんは、そうでなくても差別があるのに「何でわざわざ差別があるかを聞かなければならないのか」とすごく反発した。でも、声をかけた宇梶さんに会ったら本当に良い人で、調査を一緒にやるようになった。生活調査は貴重なものであったが、東京ウタリ会はその後自然消滅してしまった。

そのままではいけない、みんなで手をつなごうと1979年の秋頃に「関東ウタリ会」の準備が始まった。ちょうど長男を身ごもっていたので「できない」というと、逆にそういう人こそやってほしいと言われ、準備段階からやることになった。1980年、会の名前も「関東ウタリ会」として対象とする範囲を拡げた。当時の目標は、北海道と同じように家を買ったり、風呂やトイレ修理への住宅資金や、教育資金などの福祉対策を自治体に要求していくことだった。ちょうど八幡さんも子どもが出来る時だったので「そんないい話があるならとはじめたけれど、未だにありません」と笑う。「北海道から東京に来て高卒や大卒で就職したのは良い方で、中卒の場合は働いて家賃を払い、そのうえ何かのスキルアップをしようとしても、とてもその費用は出せないのが現実でした。ですから自分たちでお互いに何かをして手をつなぎあっていくことが必要でした」。東京を歩いていても“あいつは男か女か”と見た目での差別を受けた。仕事も長続きできない人が多かった。一人で死んでいく同胞の、葬式にも数え切れないほど立ち会った。

アイヌのことを全部知らない

中学2年生の時に一家で東京に出て来た八幡さん。以前から病気だったお母さんを前年に亡くし、北海道が冷害に見舞われたこともあって、仕事を求めて一家で移り住んだ。父母ともにアイヌだった八幡さんだが、子どもの頃、家の中ではアイヌのことは話さなかった。学校で「アイヌ」「アイヌ」とバカにされ、小さい頃から「アイヌってなんだろう」と思ってはいた。八幡さんはアイヌの歌も踊りもアイヌに関わることが全然ないところで育った。お母さんを早く亡くしたこともあって、関東ウタリ会を始めてアイヌのことについて何も知らなかったことに八幡さんは気づいた。

叔母さんにに相談したら「お前は生きていく以上はアイヌだし、産まれる子どもがどういう選択をするか分はからない。お前みたいにアイヌのことを何も知らないで差別だけがのしかかって生きていくよりも、アイヌのことを少しでも知って生きる方が子どものためにもいいと思うよ」。さらに「難しいことからじゃなくて、アイヌの人の顔を見て話を聞いて、似たような悩みを交換しあうところから始めなさい」と言われた。「宇梶さんや叔母さんからの話しがなければ、今までやってこられなかったと思う」と述懐する。

大地にしっかり根を生やして踊る

会は、アイヌの刺繍、彫刻、歌、踊り、言語などについてもとりくんできた。八幡さんはアイヌ語を聞いたことがなかったという。大学の研究者から習ったが、発音が難しくあまり得意ではないようだ。今は29歳にもなる息子さんは、乳飲み児のころから連れて歩かれて「聞き取りや発音がいい」とちょっぴり自慢そうに話す。

伝統文化の源は年配者だ。北海道から東京へ一時的に働きに来る人がいる、という知らせをつかむと集まりに出てくれるように頼み、教わる。年をとって子どもの世話になるために転居してきた人たちも先生だ。政府が1世紀以上も同化政策を進めた結果の現実の厳しさは生半可なものではない。伝承文化を知っている人を発掘し、教わり、引き継ぐことには大きなエネルギーが要る。
  今は亡くなってしまったおばあちゃんからアイヌの踊りを教わったときは、月1回の会合で、一日中足を踏み続けて、足が痛くなってパンパンに腫れたこともあった。ほっぺたが上下に揺れ続けるくらい大地に足を踏みつけて踊るためで、おばあちゃんは「大地にしっかり根をはやして踊るのが、アイヌの踊りだ」と伝えようとする。

八幡さんはアイヌの衣装も見たことがなかった。初めて目にして「お前にも出来るよ」と言われた。18~9歳の頃、「マタンプシ」という鉢巻きようなものから刺繍を始めたが、きれいだと思って赤やピンクや青い糸ですごく派手に刺繍した。「アイヌ模様は黒と白だよ」と言われ、良い作品を見て回って上達していった。「作品が出来るのは嬉しいし、刺繍は好きみたい」と八幡さん。衣装ができあがり、娘さんに良かったねと言われると「私はやる気が起こる」と語る。

八幡さんたちは1.3メートルほどの大きな木の楽器「トンコリ」も演奏する。演奏のやり方も楽器の製作も自分たちで研究してきた。国立博物館にあるトンコリを参考にして気に入った模様を彫り込んでいる。文化の発掘や継承には、時間も体力もお金もかかるけれど、「それが好きみたい」で「自分の文化として身につけたい」と思っている。

作品展と講演会

「関東ウタリ会」は1年に1回「アイヌ文化と人権の集い」と「アイヌ模様作品展」に取り組んでいる。「集い」は講師を呼んで講演会を行い、「作品展」は刺繍の衣装などを中心の展覧会だ。「作品展」では朝から晩まで何も言わないで座っている人が何人もいた。声をかけると「毎日働いていて、この作品を見ると心が癒やされます」という。「次はいつやるにかが楽しみです」と書く人もいる。これには八幡さん自身が驚いている。近所の人でたまたま作品を見た人からも「すごくホッとして今までのいろんなことを忘れさせてくれる」という声を聞かせてくれた。八幡さん自身は作品の完成に喜びを感じるが、こういう反応に「やっていて良かった」思うようだ。

小学校や地域で話すことも機会が増えている。静岡の高校の家庭科の時間では、刺繍を教えた。先生は「変な質問や抜け出す子がいるかもしれない」と事前に話していた。行ってみると「アイヌの人って普通の顔してるジャン」なんて言う。アイヌことや国の政策を説明すると「へぇ~」という反応だった。アイヌ刺繍を教えると、抜け出る生徒は一人もなく、下手な子にも「これはあなたの個性であなたの糸目になるからがんばって」と話す。後でできあがったときの便りをもらうのが嬉しいことだ。

これから望むこと

今年は八幡さんにとって不思議な年だという。4月に八幡さんのおばあちゃんが歌うアイヌの歌声がレコードされていて、これと出会ったことだ。おばあちゃんがアイヌのことをやっていたなど夢にも思っていなかった。それだけアイヌのことを教えられない時代に育ったことになる。

国会決議もあった。アイヌがいることが認められたんだから、「アイヌがいるんだよ!と知らせなければ」。これからは全国で北海道と同じ政策がほしい。第1は、東京に出て来て高校・大学で健康で学べること。第2は、北海道では雇用が少ないので年金を出してほしい。最後に、政府はこれまでのことを謝ってほしい。ことばも全部とりあげられたなかで文化をまもったきたことは大変なこと。亡くなった人たちも含めて謝ってほしい。

そういう八幡さんも、例会の場所を確保するのに会館側から「日本語は通じますか」とか言われずいぶん嫌な思いをしている。国会決議が通った後なのに、サミット警備で外国人と間違われ何回も警察官から職務質問を受けたりもしている。国の素早い対応が必要だ。 (どい とみえ)

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 簑輪喜作さんの「9条」署名、間もなく14,000筆に

 拝啓、先日はお電話有難うございました。
写真は7月に入ってから私の署名に同行して写真を撮ったり、署名の人と話したりしている50代の女性と、去年の全国交流集会の時、バックの映像の写真を撮っていただいた方にもお願いしてあります。

同封のものは7月26日のネルソン講演のとき発言を求められたときのものと、8月1日の年金者組合の「戦争と平和を語る集い」でこれは年金者組合の事務局が決めたタイトルですが「9条署名1万人突破の原動力は?」と題して話したもので拙いものですが何かの参考になればと思いお送りします。

これからは暑いので午前のまだ少し涼しいうちになど、体調のことを考えながら続けたいと思っています。お励ましいつも大変感謝しております。
2008年8月2日
蓑輪 喜作
高田 健様


2008年7月26日 
東京学芸大学「アレンネルソンさんと語ろう」で
蓑輪 喜作

ただいまご紹介いただきました蓑輪喜作です。ネルソンさんのものは以前、本で読ませていただいたときにも大変感動したのですが、こうして直接ご本人のお話を聞くと内容も深く迫力があり、明日からの9条署名でもみなさんに紹介してゆきたいと思います。

さて私ですが、いま79歳でいくつかの持病につきあいながら署名を続けています。始めてから2年8ヶ月、今日現在で12,945です。

なぜここまで続けることが出来たのかと言うことですが、ここにおられる皆様をはじめ、沢山の方々の応援と署名での日々新しい人々との出会いがあったからで、人生80を前にして最高の経験をさせていただいていることに心より感謝して居ます。

それで最近の署名ですが、公園はもう土地の人は殆どいただいておるので、都心から人の来る土、日以外は、毎日新しい人の来る東八道路の自動車試験場前の多摩霊園側のバス停でやっています。

公園と違ってバスの待ち時間ですので長いお話は出来ませんが、それでもいろいろな人に会います。昨年、早稲田大学で学生の9条の会が出来たときアピール文を読み、11月24日の9条の会の全国交流集会で私の報告を聞いたという学生にも会っています。また主人が政府関係に勤めているので署名は出来ないが心から応援しますというご婦人、現職の自衛官など沢山の方とお話しています。それで最近の特徴として最初署名出来なかった人が、しばらくすると署名させて下さいと自分の方から言ってくる人も多くなったということです。

ここも相変わらず高校生から35~6歳くらいまでの署名が多く希望を持ってやっています。それから各地の9条の会に入っている人も多く、励ましたり、励まされたりです。

さて暑くなって心配して下さる人も多いのですが、霊園の木立の下で一日中陽が射さず、風通しもよいところなので、今後も体調をコントロールしながら続けたいと思って居ます。

それから今年に入って署名が万を超えたことから、なぜそんなことが出来るのか、その力はなにかと問う人が多くなったのですが、そのことにつきましては、8月1日の午後1時半から小金井の年金者組合の「戦争と平和を語る集い」、東小金井のマロンホールで、私の生い立ちと用務員人生を語ることになっているので、もし関心がありましたらお聞き頂ければ有難いです。

発言させていただき、大変有難うございました。
(2008年8月1日 年金者組合小金井支部『戦争と平和を語り継ぐつどい』)

私の「9条」署名について

蓑輪 喜作

みなさんこんにちは。今日は「戦争と平和を語り継ぐつどい」なので戦争体験について話すべきなのでしょうが、私のいまやっている憲法「9条」を守る署名の数が多くなったので、そのことについて話せということで少しお話しさせて頂きます。

ただいまの私の署名数ですが、2年と8ヶ月になりましたが、13,072、いつのまにこんなに、ほんとにバカみたいな数で自分でも呆れています。私としては散歩もかねての、ただ淡々とした平常心でやっているのですが、今年に入ってそれをやる力はどこから出るのですかと聞く人も多くなったので、今日はそこのところを自分なりに考え話してみたいと思います。

2年ほど前ですが、ある新聞記者が取材で私の故里の友人二人に電話したそうですが、その時二人とも私のことを頑固でねと言ったそうです。その頑固さは振り返って見ると多分私の生い立ちと関係があるかと思います。

私は昭和4年生まれで現在79歳ですが、1歳と10ヶ月の時に木挽き職だった父親を事故で失いました。当時の農村では夫を失った女性は子どもを連れての再婚が多かったのですが、私の母はそうはしませんでした。以来、母と子が肩を寄せ合い生きてきました。当時のことを歌った短歌です。

●電気代を払えずランプの灯の下に縮を織りて耐えたる母よ

また昭和8年、9年と豪雪が続いて、私が1年生になった時、母が過労で入院。そして小学5年生の時、私が盲腸の手遅れで長期の入院で母のおもわくは外れて蓄えはすべて使い果たして東京で商売をやっていた叔父の援助を受けましたが、その叔父も空襲の続く中で過労であの世に。いま考えてみるとよくぞここまで来たかと思います。

またその頃は、私たちのような農村にあっては一軒一軒その家に格というものがあって人の呼び名も違っていました。本家、大本家は子どもでも「坊ちゃん」「あんにゃさ」と呼ばれ、私のような小ものは呼び捨てで、それも名前の半分の「き」か「きさ」で呼ばれていました。優等賞をもらえば女子先生のエコヒイキといじめられました。そしてその呼び名は用務員になっても20代に入っても続きました。先生にも子ども達にも「きさく」と呼ばれ、「おじさん」と呼ばれるようになったのは25歳過ぎてからでした。

さて用務員ですが、その頃はなりてのない職で私の前は2年くらいの間に4人も変わっていました。

しかし百姓村に生まれてカラスにぶっつける土さえ特にない私にはやめることもならず、母をおいて都会に出て行くこともならず、いつやめようかの毎日でしたがやめることは出来ませんでした。

その頃の用務員は小使いと呼ばれ、夜も学校に泊まる24時間勤務で、それまで学校の先生といえば神様のように思っていた少年の私には次第に学校社会の裏も見えてきて耐えられない日が続きました。その頃を詠んだ歌に次のようなものがあります。

●宿直の教師のためにドブロクを求め歩きし17歳の冬

だがそうこうしているうちに戦時中疎開していた日本鋼管に勤める友人と青梅市の米屋さんに勤める友人から『新日本文学』や『人民文学』などが送られて来て、また『新日本歌人』も紹介されて入会もするようになり、次第にプロレタリア文学も読むようになり、いま青年の間で小林多喜二の『蟹工船』が話題になっていますが、同じくその頃知った啄木歌集とともに新しい世界への私の出発でした。世の中の仕組みは、歴史の発展してゆく方向はと模索する中で現在の憲法も出来、学校も戦後の新しい教育を受けた教師も来るようになり、やがて戦前戦後の教師たちの実践記録『山びこ学校』詩集『山芋』、村山ひでさんの『北方の灯とともに』などに接し、次第にものごとは身近から考えてゆかねばならぬことを学ぶようになり、よく見る、よく考える、そして行うを合言葉に、教師は子ども達の文集『山の子』を、私は村の友人たちと詩のサークル『新しい村』を作りました。

そんな時代がしばらく続くのですが、やがてそれから10年、私の学校の卒業生である青年たちが、その頃からはじまった農村破壊の政治に対して自分たちのたたかう組織、農村労働組合を作って立ち上がり、組織はたちまち県下に、全国に広がってゆきました。はじめは職安は保険金をくれるところではなく仕事を紹介するところだ、農繁期でもあそこに行け、ここに行けという締めつけから始まった窓口でのたたかいでしたが、農民の要求はなんでもたたかいました。いまもその頃の成果として、国会をも動かして、失業保険を雇用保険に、豪雪地に冬季保安要員制度などが残っています。
その頃の歌を一首、

●高々と農村労組の旗なびきたる村の夜明けをいまも思えり

ここでもう少し話をもどしてみたいと思います。いまの用務員は私のような者は一人もいないと思いますが、その頃のへき地の用務員は教師は3年サイクルで変わってゆき、町役場教育委員会も離れていて、学校の除雪、学校役員会のあとの飲み会などは私が鶏をしめ、料理して、会場作りから飲み食いまで、教員の下宿探しから、給食調理員を捜すのも、裏門校長の私の仕事でした。決して自分の権利は主張せず。

しかし、ここでさきの農村労働組合のたたかいがすすむなかで、やがて民主的な人々に請われて、その中心的な26歳の青年がはじめてそれまでの「おもだち」政治に対して町会議員選挙にいどむことになり、当選するのですが、その黒幕が私であるということで、かなりの攻撃がありました。しかし、校内と町当局からはそんな攻撃はありませんでした。

そして44年の用務員人生が終わるとき、お配りした歌集『学校用務員のうた』には、私を攻撃した人々も礼を言ってくれ、離村の時には餞別までいただいております。

そんなことで話は行ったり来たりで申し訳ないのですが、その頃に書いた私の信条のようなものが最近見つかりましたので、紹介します。

これはある新聞の読者欄に載せて頂いたものです。

――1949、50年ころだったとおもうが、手にした雑誌に学校用務員は権力者、校長の言うがままに教師を押さえる役割を果たしている者が多いと書かれてあって驚き、そんな用務員には絶対ならないぞと心に誓ったのが出発だった。常に軸足を児童、生徒、若い教師と、まがりなりにも貫き通した半生であった――と。

次にこれは私が50代に入ってからですが、私の学校にいた女性教師が新潟の『日本海』という短歌雑誌に書いたものです。

――簑輪さんとの本当の出合いは本校勤務になってからだと思っている。ある日、斉藤喜博氏の『可能性を信じて』という古ぼけた本を貸して頂いた。私はそれこそ夢中で読んだ。――中略――その後、自分の歌はもちろんのこと、金沢嘉市氏の著書やいろいろな方の歌集をポツラポツラと私に紹介して下さった。私はおじさんの長年の信条が少しづつ理解できるようになっていった。そして、教師たる者、何を大切にしていかなくてはならないかも、少しづつ教えて頂いたような気がしている――

以上ですが。

さて、いまとなっては遠い日のことですが、土曜も日曜もなく、子どもや教師のいるところわれありで、私は学校生活にのめり込んでいった。50代になると交通事情がよくなって、自家用車を持つようになって、土曜に帰って月曜に来る教師も多くなったが、月曜日には私は朝7時には学校へ行って、文書などを持ってゆく二つの分校の教師たちにあったかいコーヒーを出し、送り出したものだ。特に昭和4年に中学校閉校になってからは私の役割も大きくなっていた。

そんなことで、いまでもここ小金井まで来てくれる教師もおり、沢山の元教師、まだ40代の現職教師との交流が続いている。若いころは悔しさにトイレの中で泣くこともあったが、振り返り見れば沢山の児童、生徒、教師との交流は天国であった。

さて、私にとっては何がいちばん大切だったのだろうか。ふまれても、けられても、雑草のように根づよく、私はよく署名の青年たちに「うすらうまく生きることだ」ということがあるが、これはへんな言い方ですが、決してどうでも良い投げやりということでなく、進むべき目標は持ちつつも、ではそれに対して自分に何ができるのか、つぶれては終わりだからつぶれないように牛のあゆみのようにのろくとも一歩一歩前を見て積み重ねてゆけば道は拓ける。一滴の水も集まれば大河となるように、持つものをしっかり持ってストレスをためないようにやっていこうではないかと言うのです。

さて、私の「九条」署名ですが、もう2年以上になるので、地元の人は殆どいただいており、土、日以外は今年に入ってからは、毎日新しい人のくる東八道路の自動車試験場のバス停でやっています。ここはバスの時間があるので、会話は少なく、公園ほど面白くはないのですが、1日60筆ぐらいはいただけます。最近では2年前署名できなかったという人が署名してくれるのですが、先日、最初署名しなかった20代の女性が5分ぐらいしてから私のところに自分で署名させて下さいと言ってきました。次々と声をかけ署名をしている私の姿に心動かされたのだなあと思いました。

私はよく、「こんなじいちゃんがいるということを頭のどこかに置いて下さい」というと、署名した人も、しない者も、必ず「ハイ」と答えてくれます。

それから「国民投票になったら、あなたがたのこれからのことですから守って下さい」というと、これもみんなハイと答えてくれます。

それから、「もしこの『九条』がなくなって、戦争に参加するようになったら、あなた方はきっと戦争体験者がいてなぜ動いてくれなかったと言うでしょう。そういわれないためにやっているんですよ」と。

さて、以上話してきましたように私の署名は自分の人生の積み重ねがあってやっているので、一人一人、人生はちがいますので、みなそれぞれやり方は違ってくると思います。

また「九条」を守る運動は署名ばかりではありません。先日、平和展でDVDをつくるということで若い女性が来てくれましたが、そういう仕事は私にはできません。それからマイクを持っての駅頭宣伝なども。人それぞれが自分にできる活動をやってゆくことだと思います。

たしかに流れは変わってきましたが、改憲派があきらめたわけではなく、むしろ巧妙になっているのではないかと思います。以前は「ぶっ殺すぞ」といわれたこともありましたが、今年に入ってから、私に歳をきいたあと、「その歳だったらもう長生きするため署名などやめてください」と哀願するような泣き落としにもあいました。しかし、攻撃は少ないのですが、私は決して言い返さず、「年寄りをいじめないでください」とやわらかくかわすようにしています。そんなことでこれからが一番大切な時とおもいますので、みんなで気を引き締めてやってゆきましょう。それには歴史の生き証人である私達が元気で生きて、子どもたちのため、孫たちのため、この国の未来のため、世界のために頑張っていくことです。

そんなことで、最後につたない歌ですがもう一首、

●せいいっぱい生きて愛してたたかってこの世終われば悔いなかるべし

それから年金者組合のニュースにもかきましたが、故里にいたら町の全人口いただいたとしても4000人、人の沢山集まるところに来たから、そして沢山のみなさんの応援をいただいたから、ここまで来れたのだと心より感謝しています。そんなことで大変とりとめのない話になりましたが、おつきあいいただき今日はたいへんありがとうございました。

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(ヒロシマ)市民による平和宣言2008

イラクの事態は開戦から5年を経て完全に泥沼化し、アフガニスタンでも打倒されたはずのタリバンが復活して、両国では今も毎日のように死傷者が出ています。かくして、米国ブッシュ政権が始めた「反テロ戦争」は文字通り混迷状態にあります。その上、経済グローバル化がひき起す世界的な規模での格差社会化、温暖化を含む環境破壊、金融・食糧・農業・エネルギー危機のために、多くの人たちが貧困にあえいでいます。そのグローバル化の中枢部国家群であるG8が7月に開いた洞爺湖サミットでは、それらの国家が支える投機資本の破壊的活動によって、地球全体が危機的状況に追い込まれていることが明白になりました。また、この9月2日に広島で開催されるG8下院議長サミットは、「平和と軍縮に向けた議会の役割」をテーマにしていますが、米国・ロシア・フランス・イギリスの4大核保有国(核弾頭97%保有)の核軍縮が実行されない限り、核不拡散の対応についても説得力がありません。何よりも唯一の原爆投下国・米国のナンシー・ペローシ下院議長による被爆者への謝罪が必要です。

そんな状況の中、昨年度の世界の軍事費総額は、前年度比6%増の142兆4千億円にものぼり、冷戦後最高額となりました。とりわけ米国は、膨大な赤字を抱えて国家経済が破綻しつつあるにもかかわらず、史上最高額の国防予算52兆円を要求。さらに、「老朽化」した核弾頭を「信頼性代替用核弾頭(RRW)」に置き換える計画を進め、あくまでも核兵器を手放さない姿勢を示しています。核兵器による先制攻撃の可能性を含む米国のこのような核・戦争政策と外交政策こそ、北朝鮮の核開発計画廃止への躊躇やイランのウラン濃縮・核開発を助長し、NPT体制を崩壊させつつある重要な要因の一つであることは明らかです。人間を大量抹殺する核兵器に「信頼できる」ものなど一切ありません。

そのような米国の政策を、日本政府は、宇宙の軍事的利用を図る宇宙基本法の成立、ミサイル防衛、在日米軍再編などの面で米国の要求を全面的に受け入れることで支え、基地周辺住民や(イージス艦事故被害者)漁民、ひいては日本国民全体の生活と人命を脅かし、環境を破壊することになんら留意しない態度を取り続けています。米軍再編による沖縄の「負担軽減」には全く実体がなく、同時に岩国、神奈川など他の地域への負担増加が押し付けられ、横須賀には原子力空母が初めて配備されようとしており、日本はますます核化・軍事化されつつあります。軍事費は5兆円弱(一般予算の6%、世界第5位)という膨大な額にのぼっており、在日米軍駐留経費や再編事業のためには、今年度だけでも4200億円近い額の私たちの税金が文字通り浪費されています。さらに、全く経済的に採算が合わないだけではなく、環境汚染と核兵器開発という両方の面で大いに危険性をもつ六ヶ所核燃料再処理工場にも膨大な予算を充てています。その一方で、後期高齢者医療制度、障害者自立支援法に見られるように、社会保障面での予算を抑制し、当事者負担増の結果、私たちの生活は追いつめられるばかりです。

しかも、航空自衛隊のイラク空輸活動が憲法9条に違反するという名古屋高裁判決を頭から無視する態度を日本政府はとり、政府自らが憲法違反を犯していることになんら責任や恥辱を感じないという驚くべき事態にあります。戦後補償を求めるアジア民衆の法廷闘争や被爆者の認定をめぐる集団訴訟では、日本政府の責任が厳しく問われているにもかかわらず、相変わらず政府は全面的にその責任を認めることはせず、戦後63年もの間苦しんできた人たちの念に真摯に応えようとはしません。平和主義と人権尊重の基本である憲法をないがしろにする政府や政治家に対して、私たちは人道的怒りの声を今こそ上げなければなりません。

市民の力の連帯で世界を変えることができるということを、最近の「クラスター爆弾禁止条約」の成立が証明しました。私たちが行動すれば、DU(ウラン)兵器や核兵器廃絶も可能です。ヒロシマの願いは、日本国憲法の前文や第9条と同じく、「平和」という一言に尽きます。地球規模の平和を求める私たちは、戦争に備えるのではなく、揺るぎない平和を創り上げる不断の努力を重ねていく活動を広げていきましょう。

2008年8月6日
8・6ヒロシマ平和へのつどい2008(代表 湯浅一郎)参加者一同

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