私と憲法87号(2008年7月25日発行)


秋の臨時国会でインド洋派兵給油新法の延長を阻止しよう!

臨時国会をいつ招集するか、内閣改造をやるかどうかなどで、福田内閣が揺れている。

洞爺湖サミットの議長を務めることで内閣支持率と党内の求心力の回復を期待した福田康夫首相だったが、鳴り物入りの大騒ぎにしてはほとんど人気の回復効果も政治的効果もあげることができなかった

北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では米国の圧力で一部制裁解除を打ち出したが、党内の反発を受け手詰まりになっているところへ、外交的な計算もなく持ち出した竹島(独島)問題で韓国の反撃を受け、「アジア外交の福田」の看板もどこへやらの様相になってきた。

そればかりか、臨時国会最大の課題である「アフガニスタン問題」で、福田内閣の腰が定まらないのだ。アフガン戦争へのより積極的な加担を求める米国の厳しい要求のもとで、08年1月15日に期限切れになる「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法(新テロ特措法)」をこの臨時国会でどうするのかは、福田内閣の命脈を左右する重大な問題だ。米軍は新テロ特措法によるインド洋北部での多国籍軍艦船への給油だけでなく、追加支援の具体的な内容として、陸上自衛隊CH47ヘリコプターや、航空自衛隊C130輸送機による輸送活動や、海上自衛隊P3C哨戒機によるインド洋での不審船監視活動への参加などを要求してきている。これに対応するには新テロ特措法以外の新法の整備が必要になる。

当初、福田内閣はこれを自衛隊海外派兵恒久法によって法律的に担保しようとしてきたが、今春段階から進めてきた与党協議がすすまず、今秋臨時国会での派兵恒久法の上程は断念せざるをえなくなった。代わりに出てきたのが自衛隊のISAF派遣などを給油新法の改正で可能にする方策であった。このため、臨時国会を8月中旬にも招集して、審議期間を確保するというものであった。しかし、法改正案についても、与党間の調整がすすまず、7月中旬、自衛隊のアフガン本土での活動という方策も断念せざるをえなくなった。

目下のところ、福田内閣に遺された道はインド洋での給油活動の継続のために新法を延長することであり、このためには参議院での否決を見越して、再度の衆議院での3分の2を使った再議決以外になくなった。これは米国にとってはきわめて不満が残る選択に他ならない。自民党の中では、すでにこれなら昨年の臨時国会の再演であり、8月中旬の臨時国会召集は必要がないなどとの意見が出始めている。これにくわえて、福田内閣の主導性を確保するための内閣改造問題も浮上している。内閣改造の断行によって、福田首相が解散の主導権を確保しておくというのだ。しかし、内閣改造が必ずしも福田政権の求心力強化につながるとは言えないことが泣き所のようだ。

福田内閣は安倍前内閣が進めようとした憲法9条の明文改憲を、その発足時点で先送りにし、代わりに追求しようとした派兵恒久法を先送りにし、アフガン本土での陸自・空自などの活動を先送りにした。文字通り「先送りにつぐ先送りの内閣」だ。こうした問題先送りの手法が矛盾を蓄積させるのは疑いない。早晩、にっちもさっちもいかなくなるのはあきらかだ。

とりわけ、給油新法を再議決してまで延長しようと企てる与党の動きを許すことはできない。昨年の再議決自体が言語道断の政治手法であった。言うまでもなく、現在、与党が衆議院で確保している3分の2議席は小泉内閣が郵政選挙で獲得した議席であり、以降、安倍内閣も、福田内閣も総選挙という民意の審判を受けないままに政権についている。あえていうなら先の参院選挙の結果の与野党逆転こそが民意の反映なのだ。にもかかわらず、その衆院の議席を使って参院の意志を無視し、再議決するということは議会制民主主義を政府・与党自らが破壊することにつながると言ってよい。この秋の臨時国会で、参議院が政府の提案する給油新法延長案を否決することは明らかであり、その場合、衆議院で再議決して成立させるということは許されざることなのだ。

給油新法がもしもこの臨時国会で延長されるようなことがあったらどうなるか。ペシャワール会の中村哲医師の警告を私たちはしっかりと受け止めなくてはならない。

「日本国内で議論が沸騰した『インド洋での後方支援=給油活動』は、幸いほとんど現地で知られておらず、『最大の民生支援国』であることが政府・反政府をとわず、好感をもって迎えられていた。在日アフガン大使館も日本が(アフガンの国土に)兵力を送らぬことを望むと述べている。このことが私たちにとって大きな安全になっていたのは疑いがない。しかし、6月になって「日本軍(Japanese Troop)派遣検討」の報が伝えられるや、身辺に危険を感ずるようになった。余りに現状を知らぬ軽率な政治的判断だったと言わざるをえない。日本が兵力を派遣すれば、わがPMS(ペシャワール会医療サービス)は邦人ワーカーの生命を守るために、活動を一時停止する。これまで、少なくともアフガン東部で親日感情をつないできた糸が切れると、自衛隊はもちろん、邦人が攻撃にさらされよう。私たちはアフガン人が『故郷を荒らす日本兵』を攻撃するのを止めることができない。かなしむべきことだが、これが現実である。この末期の段階で軍事行動に協力する愚かさの帰結を、身にしみて知ることになろう」(ペシャワール会報96号)と。

この秋、私たちは野党の結束を要求し、与党内のさまざまな矛盾に働きかけ、国会の内外で「インド洋派兵給油新法延長反対、海上自衛隊をすぐもどせ」の運動をイラクからの空自撤退の要求とあわせて強めなければならない。そして、「海外派兵恒久法反対、9条改憲反対、憲法審査会を始動させるな」の声を強めなくてはならない。

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第33回市民憲法講座(要旨) 

何が問題!? 「裁判員制度」

内田雅敏さん(弁護士・市民連絡会事務局長)

(編集部註)6月21日の講座で内田さんが講演した内容を編集部の責任で要約したもの。要約の文責は全て本誌編集部にあります。

司法での主権在民と民主主義を実現するには

最初に大きな話からしたいと思います。
ご承知のように日本国憲法の3大原理のひとつとして主権在民があります。主権というのは3年に1回、あるいは4年に1回選挙権を行使する、地方議会の議員の選挙をするという選挙権の行使だけが主権ではないわけですね。国の権限は立法、行政、司法の3権分立といわれているわけですけれども、このすべての面について国民として、市民として主権を行使することが憲法の理念であるわけです。だとするならば、裁判に関しての主権の行使、裁判に対して主権の行使とはどういうことなのかを考えて見る必要があると思います。ひとつには、憲法には公平な、公正な裁判を受ける権利という規定があります。裁判所に対して訴えて、そして救済を受ける。あるいは疑いを持たれたときに公正な裁判を受けてそして自分の無罪を証明するというようなことがあるわけですね。

それだけじゃなくて、裁判にも市民が関与する、こういうことが主権在民という中で出てくるわけです。そうしますと、いまの現状が「官僚裁判」、市民感覚から離れた裁判になっているというところで一般常識に沿った、市民の感覚に沿った、そういう裁判のあり方を考えてみた場合に、市民が裁判に参加するのは、考え方としては正しいし、またそこに行かなくてはならないわけです。それが陪審制度としてあるわけです。よく言われることですが、陪審制度というのは単に裁判の問題だけじゃなくて民主主義の問題だ。裁判に参加する中で議論をしてそしてみんなで合意の形成に持っていく、そういう訓練をすることによって市民として成熟するという意味で、陪審制度に市民が参加するのは単なる裁判の問題ではなくて民主主義そのものの問題だというわけです。そういったことからここ10年くらい前から、もっと前かもわかりませんが、裁判に市民の声を入れるべきだという声が非常に強くなってきたわけですね。

ひとつには戦後の裁判の中で、死刑事件でのえん罪事件が、4件、もっとかな、あるわけですね。そういう中で市民の参加がいわれ、そういう流れのところからこの裁判員制度は本来始まったわけです。ところが実際にできあがったものは似て非なるものになっています。アメリカの陪審裁判をひとつの例に取りますと、これは市民だけが陪審員になる。そして全員一致、ひとりでも有罪に対して疑問があった場合には、これは完全に有罪であることが証明されたものにならないということで無罪、協議の不一致ということで有罪にはできないわけですね。

陪審制度と似て非なる裁判員制度

ところがこの裁判員制度では、最高裁の官僚がいかに自分たちの利権を守るかということで、裁判員の中に裁判官を押し込むことによって陪審裁判ではなくて裁判員制度としてしまった。この裁判員は、来年から施行される制度では9名の裁判員、そのうち3名が裁判官、あとの6名が一般の市民ということになっているわけですね。そしてこの裁判員の中に裁判官を何人送り込むかということが国会の中でかなり議論になりました。1名だ、3名だ、いやもっとだ、ということで結局3名に落ち着いたわけなんですけれども、9名のうちプロの裁判官が3名いる。そして訴訟指揮もそのうちのひとりが裁判長としておこないます。実際の裁判員は9名が全員対等だといっても、対等になる面もあるんですけれど、実際にはプロの裁判官にリードされるだろうということは容易に推測できるわけですね。そこに大きな問題があるわけです。

そして陪審裁判との違いは有罪か無罪かを判断するだけではなくて量刑まで決める。いま問題になっている死刑か無期かというような場合、陪審裁判だと有罪か無罪かだけを市民が決め、量刑は裁判所が法律の定めによって決めるということになっているんですけど、裁判員制度では量刑も決めるということで、かなり問題があるんですね。そしてさらに問題がいろいろと出てきています。ここ数年、裁判における被害者の権利がないがしろにされているということで被害者の権利を擁護すべきである、「裁判では被告人の権利だけが守られているんじゃないか」、こういう一見耳に通りやすいことがよく言われるわけですね。被害者や被害者の関係者が裁判所に、法廷に登場して意見を述べる、そういう制度の中で裁判員制度が発足した場合にどうなるか、というような問題点があるわけです。

この裁判員制度はグローバル化、新自由主義の中で裁判に時間がかかりすぎる、一般の感覚から外れているという意見を利用して、法曹人口の増大化と裁判の迅速化という要請の中で生まれてきたいきさつがあります。もともと法曹一元――法曹は裁判官、検察官、弁護士で構成されているわけですけれど、日本の場合には研修所を出てそれぞれが分かれていくときに最初から裁判官、検察官というかたちになっています――最初に弁護士を経験する、そして弁護士を経験する中で次に裁判官、検事に選任されていくというのが法曹一元になるわけですね。こういう制度にするべきだと弁護士会などはかなり前から言っています。それが実現しないで、いきなり検察官、裁判官になるわけです。研修所を出ていきなり裁判官になったからといって、世の中のことがすべてわかって判断できるかといったらそんなはずはないわけです。そういう法曹一元の要求と、こういう問題を逆に回避しながら、陪審制度とは似て非なる裁判員制度をつくってしまったわけです。

裁判の迅速化による歪み――身柄拘束、証拠開示、調書と録画など

その裁判員制度では、だいたい2日から5日間の期間で裁判が行われることになっております。最高裁の見解ですと、2日以内に終わるのが2割、3日以内に終わるのが5割、5日以内に終わるのが2割、全体の9割が5日以内に終わることになっています。連日法廷、連日開廷です。5日以上かかるのは1割となっています。裁判が非常に早くなる。そのこと自体を取り上げてみれば別段否定することはないですが、早くなることによってどのような歪みが生ずるか。早くなることによっていま起きている問題を根本的に変える、その上で裁判員制度を導入するならばいいんですが、そうではないんですね。

まず身柄の問題があります、切実な問題として。みなさんの中で被告になったことがある方、あるいは裁判を支援した方、これから被告になる可能性のある方、いろいろいると思いますけれども、とにかく否認をしていたら身柄を出しません。立川の件でもビラを配ったというだけで75日間入れられていたわけです。それでもこれは割合早く出した方です、裁判所の流れからいくとね。このように身柄を拘束しておいて非常に短期間の裁判を、十分な準備ができない状態でやるのは非常にきついわけですね。裁判というのは原告と被告、原告は国、検察官、被告は被告人、それが対等にたたかうわけだからたたかうための準備をしなくちゃいけない。準備をするためには自分は外に出ていなくてはいけないわけです。そういうような現在の「人質司法」をまず改める。こういうことがなされてはじめて裁判員制度なり陪審制度が考えられるんですが、抜本的なことがなされないままに裁判員制度だけが先行してしまっている。

次に問題なのは証拠の問題です。検察官、警察は国のお金を使って強力な権限を持って証拠をかっさらっていきます。最近では、特に公安事件等においてはもう当然のことのようにあらゆるところにガサをして、あらゆる証拠を持って行ってしまう。そしてその証拠を裁判にすべて出すわけではありません。自分たちに都合のいい、有罪を立証するのに都合のいい証拠を出してくるわけです。そうすると被告、弁護側としては持って行かれた証拠、資料の中に自分の方の有利な点を証明するものがあるかもしれない、実際あるんです、そういうものを出せということをしなくちゃいけない。証拠開示といいます。ところがこの証拠開示が完全になされていない。それで裁判所に対して申し立てをして、ようやく出てくる、あるいは出てこないというケースがあるわけです。

かつて松川事件というのがあって、あの事件で「諏訪メモ」が問題になりました。松川事件は国鉄の労働者と東芝の松川工場の労働者が首切りに反対して、そして引き起こしたという、そういう一大フレームアップがなされた。過酷な取り調べの中で、やっていないのにやったという自白調書がつくられていく。自白調書がつくられていく中で、ある人物がその謀議に参加していたという調書がつくられました。ところがその人物が、その謀議がおこなわれていたという自白調書の時間帯に東芝での団体交渉に出ていた。東芝の労務の担当者、諏訪という人物が組合側の出席者をメモしていた。そこにAという人物が団体交渉に出ていた。ところが警察が非常に長期の取り調べの中でつくりあげた調書の中には、そのAという人物が実はその時間帯に列車を転覆させるという謀議に参加していたという、そういうことがあったわけです。 検察庁はこの「諏訪メモ」をひた隠しにしていた。ようやくのことでこの「諏訪メモ」が出てきて、この調書は誤りだ、架空の調書だということで崩れていって、無罪になった。他にも証拠はいろいろあったんですが、ひとつの契機になったんですね。そういうふうに検察庁が証拠をすべて開示しなくちゃいけない。そしてそれを弁護人に見せて、弁護人がその証拠を活用する、そういうふうに証拠開示の法則を変えなくちゃいけない。

つぎに問題なのは調書ですね。いま、法廷で言うことと警察の取調室あるいは検察の取調室で言ったことが食い違う場合に、裁判所は法廷では嘘を言っている、警察や検察で言ったことの方が信用できるという裁定をすることが非常に多いわけです。日本の裁判は「調書裁判」だと言われている。本来ならば法廷で言ったやりとり、直接それを聞いて判断しなければいけないのにほぼ調書の内容だけで判断している、この「調書裁判」の弊がいろいろ言われています。もう調書を証拠とはできない、客観的な他の証拠でなくてはいけないと証拠法則を変えなければ、裁判員がそんな長々とした調書を読むことはできないし、その調書の内容が正確かどうか判断することはなかなかできないわけですから、そういう証拠法則を変えなくちゃいけない。しかしそれがなされていない。なされようとしていることは、「じゃあ調書の作成過程を録画すればいいじゃないか」、その録画を証拠として出すことが出てきています。

この録画は、取り調べの過程をすべて最初から最後までずーっと録画をして出すならば、これはいいわけですね。しかしいまの調書の取り方は、毎回毎回調書を取るわけではありませんずっと長時間の取り調べをして警察、検察がメモをする、ある程度メモがたまった段階で警察がそれを調書にまとめます。そして長い調書をつくるわけです。その調書を読ませて、「これで間違いないな」と署名させるわけですね。その最後の過程だけを録画して、この調書は強制によるものではないというのを出しても、これは何ら正確な取り調べ過程を出したことにはならないわけで、取り調べ過程の可視化という要求が、都合のいいようにねじ曲げられているわけです。こういうような中で裁判員制度だけが先行してしまう。本来は市民が参加して、双方が十分な準備をした上で、集中的に審理をするというのが陪審制度の趣旨です。十分な準備をしないままに裁判員制度が導入されて、そこで裁判の迅速化という2日以内、3日以内に終わらせなければいけない、最大限5日以内にやらなければいけないというかたちでなされているのが裁判員制度です。

刑事裁判の目的は治安ではなく人権擁護

裁判員制度にしても陪審制度にしても、市民の感覚を研ぎ澄ましていかなかくてはいけない問題があります。ある学者が書いていました。「一般的に言うと、一般の人は刑事裁判の目的は悪いやつを裁判にかけて処罰をする、そして社会を防衛する、これが目的だろうと思うだろう。しかし法律をかじったことのある人ならば刑事裁判の目的をそうは捉えない。確かに刑事裁判の目的には広い意味での一般予防ということはある。しかし本来の刑事裁判の理念はえん罪の防止、つまり自分がやっていないにもかかわらずやったとされることから防止する。もしやっていた場合でも、やったこと以上の責任を負わされることのないようにするのが裁判制度だ」。わかりますか。つまり刑事裁判は治安の目的ではなく人権擁護の最後の砦だということです。警察、検察は治安目的で取り締まる。取り締まったものを裁判所が人権の最後の砦として、本当にこの者が犯人だろうか、本当にこの者がやったことについてこれ以上の責任を問うべきかどうか、そういうことが刑事裁判制度の目的にならなくちゃいけないわけです。これが「無罪の推定」ということになるわけです。

現在の裁判において裁判官は本来ならば有罪判決を書く場合に、もしこの人が真犯人ではなかったらどうしよう、有罪だと自分は思うけれど、もしかして無罪なのかもしれない、その場合にはどうしよう、というおののきをもって判決を書かなくちゃいけないわけですね、理念からすると。ところが現在の裁判官は無罪判決を書く場合に、もしかして犯人だったらどうしようかと考えるわけです。犯人を社会に放すことになる。ちょっと哲学的な話になりますが、要するに皆さん方は自分がやっていないにもかかわらずやったという誤審を受けることよりも、真犯人を逃す結果になった方がいいのかどうかです。真犯人は絶対逃してはいけない。そのためには自分がやっていないにもかかわらず、やったといわれても仕方がない。こんな考え方をする人はいませんよね、誰も。ところが裁判官は自分が裁判にかけられることは絶対ない、最近は裁判にかけられる裁判官も出てきましたけどね。今日ここに集まった人も、もしかしたら自分が何かをやってしまって裁判にかけられるかもしれない、やらなくてもかけられるかもしれない、やったとしてもやった以上のことでかけられるかもしれない、こういう危惧を持っていると思うんですよね。裁判官はそういうことを思っていない。だからどうしても犯人を逃してはいけないと考える。

かつて「土田邸・日石・ピース缶爆弾事件」という事件がありました。えん罪でした。長期間の裁判があって弁護団活動、被告側の活動があって、アリバイがあったことが明らかになって、無罪判決が出ました。その無罪判決を言い渡したときに、大久保太郎という裁判長がなんと言ったか。捜査員の苦労を考えると本当に気の毒だ、非常に遺憾であるというようなことを裁判長が言った。もしそこで裁判長が言うとしたら、被告人たちにあなた方はやっていないにもかかわらず捜査機関によって長期間の取り調べを受けて、その後も長期間の裁判に苦しんだ、そして今日無罪判決になった、いままでのご苦労に対して、自分の正しさをずっと主張してたたかってきたことに敬意を表する。こういうことを言うべきではないでしょうか。裁判というのは、真犯人は誰かを捜す場ではないんですよ。起訴されたものが犯人なのかどうか、有罪なのかどうかということが逆転しているわけですよね。この大久保太郎は最近、新聞では裁判員制度は憲法違反だと反対の論陣を張っています。その限りでは正しいけれど。どうも彼は合議で負けたらしいんだよね。3人の裁判官が合議をして両陪席が無罪、彼は有罪で負けたらしい。それで悔しくてそういうことを言ったらしいですね。そういう裁判官の意識を変える。市民の意識も、刑事裁判の本来の趣旨は人権擁護なんだ、そういう場だという具合に変わっていかないといけないわけですね。

裁判官の説示と評議に向かう陪審員の態度

よく外国映画なんか見ていると、陪審員の審理を聞いていて最後に結審した時に裁判官が説示をするんですね。「陪審員のみなさん、これからあなた方に評議をしてもらいます。そして証拠に基づいて判断するのです。有罪の確信をもってはじめて有罪にすることができるのです。少しでも疑問があったならば有罪にしてはいけませんよ」。こういう説示をする。裁判員制度になった場合に裁判官がどういう説示をするのか。その説示をした裁判官が評議に参加してやるわけだからね、ちょっとおかしいですよね。

「ヒマラヤ杉に降る雪」という映画を見られた方いますか。戦時中の日系人の強制収容を背景にして、殺人事件で日系人が起訴され、最終的に無罪判決が出るという話です。映画では十分に展開されていなかったけれど、早川文庫から「殺人容疑」という原作が出ていて、その説示がすごくいいんですね。裁判長がまずこのように説示します。「被告人を有罪と求めるには、あなた方は、容疑のあらゆる事実を、合理的な疑いの余地なく確信しなければいけません。合理的な疑いの余地なく、です。おわかりですね。もしも、あなた方の心の中に、合理的な疑いがあれば、あなた方は被告人を有罪にはできません。もしも、被告人に対する容疑の真実に関して合理的な不確かさが、あなたの方の心の中にあれば、あなた方は被告人を無罪と認めなければなりません。それは、法律によって課せられている、あなた方の義務なのです。あなた方は、ほかの仕方で行動したいといかに強く思おうと、合理的な疑い余地なく有罪と認めるのが正しいと確信した場合にのみ、有罪と認めることができるのです」こういうふうに説示をするわけです。

そしてまだまだ続くんです。「あなた方は本件で陪審員に選ばれました。あなた方の各人が、恐れたり、えこひいきをしたり、偏見を抱いたり、同情したりせず、正しい判断力を働かせ、やましさを覚えずに、私の説示通りに、証拠にもとづいて評決を下すことができると信頼されたからです。わが国の陪審制度がまさに目指しているのは、陪審員同士で見解を比較し合い、討論することによって評決に達するということです--そのことが合理的に、かつ、各人の良心的な確信に一致するようなやり方でできるのならば。各陪審員は、他の陪審員の意見と議論に、素直な気持ちで耳を傾けなければいけません。陪審員が、審理されている事件に関する自分の意見を評決に反映させようと固く決心して陪審員室に入ることは法律上認められていません。また、陪審員が、自分と同じように正直で知的であると思われている他の陪審員の討論と議論に耳を貸さないということも認められていません。要するに、あなた方は、お互いの意見に耳を傾けなければいけないのです。客観的で合理的でなければなりません」。「陪審員が、審理されている事件に関する自分の意見を評決に反映させようと固く決心して陪審員室に入ることは法律上認められていません。また、陪審員が、自分と同じように正直で知的であると思われている他の陪審員の討論と議論に耳を貸さないということも認められていません」。こういうことを言うわけですね。

民主主義―議論で意見を変える用意があるか

「12人の怒れる男」という映画があります。あの中で最初、ひとりのものが、すぐに有罪にすることについては疑問を感ずる、必ずしも無罪と思っているわけではない、議論をしたい、と提起していく中でいろいろと議論が発展していきますよね。その中でいろんな人物、みんな魅力的ですけれど、議論が有罪説、無罪説の真ん中くらいになってきたときにイタリアからの時計職人がこういう発言をします。「私たちはあの少年が有罪であるか無罪であるかについて何の利害関係もない。ある日突然陪審員の呼び出しが来てここに来た。自分は有罪だと思う。だけどもっとみんなの意見を聞きたい。これがアメリカの民主主義の強さだ」。イタリアからの移民らしいんですけれどね。自分は有罪だと思うけれども、無罪を主張する人の意見をもっと知りたい、これが民主主義だ、という言い方をしますよね。そして最後まで有罪説を主張していた株の仲買人が、理詰めに説明されると、「わかった。自分は無罪に転ずる」というわけです。

最初に陪審員制度は民主主義の問題に通じる、と言ったのは議論をするということです。議論をして合意を形成していく。合意を形成していくことは相手の意見に耳を傾ける、少数説を尊重すること。少数説を尊重するというのは「どうぞ言ってください。少数意見を言いましたね。はい、採決」。これでは少数意見の尊重にはならないんですね。少数意見に耳を傾ける。自分はいまこういう見解を持っている。しかしあなたの意見にもし説得力があるならば自分はいつでも考えを変える用意があるよ、こういう姿勢を持つ人の意見に耳を傾ける。私がこう言うと、うちの同僚は笑いますけどね。「言うは易し」って言いますけれど。まさにそういうように少数説が多数説に転回する可能性が保証される制度、それが民主主義の制度であるわけですね、議論をするっていうことは。だからまさに「自分の意見を評決に反映させようと固く決心して陪審員室に入ることは法律上認められていません」というのはそういうことを言っているわけです。

そしてね、最後がすごくいいんだな、この説示の。涙が出るくらいいい説示。アメリカの北部で、外は吹雪です。そのときに、法廷の外で吹雪が吹いていることに触れて、「これは刑事裁判なので、おわかりですね、あなた方の評決は-有罪であれ無罪であれ-全員一致でなければなりません。急ぐ必要もありませんし、審議をしている間われわれを待たせていると感じる必要もありません。当法廷は、この裁判であなた方が尽力されたことに対し、前もって感謝します。停電したため、あなた方はアミティー港ホテルで辛い夜を過ごされた。自宅の様子や家族と愛するものの安否を気遣いながらこの裁判に注意を集中するのは、あなた方にとって容易なことではなかったでしょう。吹雪は、われわれの力の及ばぬものですが、この裁判の結果は、そうではありません。この裁判の結果は、いまや、あなた方次第なのです。あなた方は陪審員室に席を移し、審議を始めて結構です」。こう言うんですよね。「急ぐ必要もありませんし、審議をしている間われわれを待たせていると感じる必要もありません」、こう言うわけです。

映画のことばかり話すけれど「それでもボクはやってない」という映画、あの裁判官、すごくリアルですよね。弁護士連中はみんな「あの裁判官、すごいな」っていっていましたけど、その中で審理している最中に、こうやって後ろの時計をすっと見るんですよ、裁判官が。気づかれた方いますか。時間ばっかり気にしている。そういう現状なわけですよ、日本の裁判っていうのは。とにかく決めたらそのスケジュール通りにやる、時間内にやる。ところがこの説示、「急ぐ必要はありません」そして「吹雪は、われわれの力の及ばぬものですが、この裁判の結果は、そうではありません」。なんか都知事選かなんかの時に「明日の天気は決められないけど、明日の政治は決められる」とか言った人がいましたけれど、これを聞いたときにあの説示と同じだなあと思いながら聞いたんだけれど。こういう諸々のことを整備して、初めて陪審制度は成り立つわけです。

現状の裁判員制度は、そういう根本的なことを変えずに、単に技術的なところで裁判員制度を導入し市民の意見を聞くという体裁を取りながらも、事実上裁判官がリードする。しかも多数決ですよ、全員一致じゃない。そういうやり方で真の民主主義の学校としての裁判になるのか。最初に被告人になった人はどうですか、そのうちにだんだん良くなるからとりあえずやってみればいいじゃないかと実験台にされたらかなわんでしょう。しかも多数決で決められるわけですから。ということで私は、裁判員制度が現状のままで進むとしたらとんでもない制度になると思っています。本来の、市民が裁判に参加するという主権の行使としての裁判参加がねじ曲げられてしまった。官僚が常に自分たちの利権を確保するというかたちで、ねじ曲げてしまったのが現在の裁判員制度であるわけです。

一定の心証を与える公判前整理

細かな点に入る前にもうひとつ、公判前整理制度というのがあります。裁判員制度になると、裁判が非常に短期間におこなわれる。したがって事前に検察官、弁護人、裁判所の人間が非公開のところでどういう具合に審理をおこなっていくかを整理します。日本の裁判は起訴状一本主義とよく言われました。起訴状一本主義というのは裁判所が事前に見るのは起訴状だけ。いっさい証拠もみずに何の予断もなしに法廷に臨む。そして法廷で被告人の認否をして、検察官が冒頭陳述をやって時間を物語風に語る。それから検察官が証拠を出す。こういうふうに裁判は進んでいきます。裁判官はいっさいの偏見も持って臨んではいけないということから起訴状一本主義になるわけです。ところが実際には手錠をかけられて、草履みたいなのを履いて、やつれた感じで来て、裁判官も裁判になれている。実際には有罪判決も多い、という中で無罪の推定をもって臨むなんて無理なんだよ。

裁判員制度になると、法廷に出る前に争点は何かを整理するわけです。そうするとそこで一定の心証を取っちゃう。だから白紙の状態で法廷に登場することはなくなってしまう。この公判前整理制度はものすごく負担が大きいんです。公判前整理制度で整理した通りにやっていくわけです、基本的には。ところが裁判は生き物じゃないですか。その中で新たな事実が出てきて、それに対しての証人が必要だとか証拠が必要だとかということになる。最初にがんじがらめにスケジュールが決められちゃうと、さっきの時計を見る裁判官じゃないですけど、とにかく3日以内に、2日以内にやらなくちゃいけないという大前提があるわけだから、公判前に整理した段階で、もう決まっちゃうんですね。そこに市民が行ったって、裁判官は一定の心証を持って参加するわけで、その裁判官が評議をリードしていくのは明らかなわけですね。こういう問題点があるわけです。裁判が変わってしまう。

対象は重大犯罪で量刑も決める

 裁判員制度の細かい内容についてですが、参考資料として共同通信の社会部次長の竹田昌弘さんが書いた「知る、考える 裁判員制度」(岩波ブックレット)をあげておきます。戦後補償なども取り上げていた人で私も一緒に南京に行ったことがあります。

まず、刑事裁判がすべて裁判員制度の対象になるわけではありません。対象になるのは法定刑――法定刑というのは、刑は最低から最高まであるけれどその範囲内で裁判所は刑を決めることです――が死刑もしくは無期の懲役、禁固刑、重大犯罪で、殺人事件とか強盗とかですね。一般の傷害事件とか詐欺とか横領は裁判員制度の対象になりません。だから立川のビラ配りの事件は対象になりません。社会保険庁の事件もそうです。板橋の「日の丸・君が代」の強制に反対した藤田さんの事件もなりません。そうすると、市民が参加するといっても日常に起こりうる事件、もちろん殺人事件も日常一般に起こるけれど、むしろ市民感覚を大事にして判決をして欲しいような事件については裁判員制度の対象じゃないわけです。だから「裁判員制度、裁判員制度」って鳴り物入りで、市民が参加、素晴らしい、主権在民だ、というけれど実際にはそうじゃない。だから、狙いは重大事件が非常に短い時間に裁判がなされてしまうということです。そしていま鳩山法相がやっているようにどんどん死刑を執行してしまうという、こういう流れの中にあるわけです。

裁判員候補者名簿が毎年つくられるようで、公職選挙法で選挙権を有する者の名簿の中からつくられます。この名簿は毎年11月か12月につくられて名簿記載通知が届けられます。この名簿に記載されると「やばい」という感じを持つわけですね、みなさん。呼ばれる可能性がある。裁判員候補者名簿記載通知と調査票が届きます。その調査票に対して回答するわけですね。

裁判員の辞退事由というのがあります。まず欠格事由として、(1)国家公務員になれない人、(2)義務教育を終了していない人、(3)禁固刑や懲役刑に処せられた人、(4)心身の障害で裁判員を務めるのには大きな支障がある人、は裁判員にはなれません。就職禁止事由には国会議員、各大臣、国の行政機関の幹部職員、都道府県知事、市区町村長ら立法・行政の中枢をになう人、裁判官、検察官、弁護士、司法書士、警察官、裁判所職員、法務省職員、大学・大学院の法律学の教授・准教授ら司法関係者、緊急事態に出動する自衛官のほか、死刑・懲役・禁固刑が定められている罪で起訴され、裁判が終わっていない人、逮捕・拘留されている人、こういった人は裁判員を務めることはできません。裁判官、検察官、弁護士は辞めたあとも同様に務めることはできません。

辞退事由としては(1)70歳以上、(2)地方自治体の議員で、議会の会期中、(3)常時通学する課程に在学中の学生・生徒、(4)過去5年以内に裁判員や検察審査会の審査員を務めた人、(5)過去1年以内で裁判員候補者として裁判所に行った人、(6)重い病気やけがで、裁判所に行くことが困難、(7)親族や同居人の介護や育児、入通院の付き添いをする必要がある、(8)重要な仕事があり、自分がやらなければ大きな損害が生じるおそれがある―みんな重要な仕事はありますよね、「自分がやらなければ大きな損害が生じるおそれがある」、これはだれでも該当すると思うんですよ。―(9)親族の葬式、結婚式など、日程を変更できない社会生活上の重要な用事がある、(10)妊娠中や出産後8週間以内、(11)妻や娘の出産に立ち会う必要がある、(12)裁判員候補者名簿に記載された後、遠隔地に転居し、以前の住所地を管轄する地裁に行くことが困難、(13)裁判員を務めた場合などに、自分や第三者に身体上、精神上、経済上の重大な不利益が生じる、こういうような場合は希望すれば裁判員を辞退できます。調査票を返送するわけです。

そしてある日突然、「裁判員等選任手続期日のお知らせ(呼出状)」と事前質問票が来ます。裁判員裁判の対象事件が起訴されて、その裁判員候補者として名簿からくじで選ばれたということになるわけです。この「対象事件」は殺人、強盗殺人、強盗致傷、現住建造物等放火、強盗致死傷、身代金目的誘拐、通貨偽造、覚せい剤の密輸・製造、銃の発射など、こういう事件です。この呼出状に応じないと罰則があります。10万円以下の過料を支払わされることがあります。そして裁判員の選任手続があります。午前中をかけて選任手続をします。通常の事件では50人くらい候補者が呼ばれる。この50人というとだいたい660人に1人の割合になるらしいですね。いろんな事情をいっても特別な事情があって、重要な仕事があって自分がやらなければ大きな損害が生じるおそれがあるという場合、自営業ではこれには当たらないという扱いです。

裁判員の選任がなされて、正規の裁判員のほかに補充の裁判員も選ばれる。そして当日は質問票がわたされて、その手続きがいろいろあって、映画なんかでは陪審制度の中ではどういう陪審員を選ぶかといういろいろな駆け引きがありますよね。理由をいわないで拒否できるのが何名とか、理由をいって拒否できるのは何名とか、シンプソン裁判では2ヶ月かかったらしいですね、1000人くらいの候補者の中から2ヶ月かかって選んで、そして無罪の評決を得たということがあったらしいんですけれども、どういう裁判員を選ぶかということがかなり大きな問題があるんですね。そこでは予断を持ってはいけない、事件についての報道などは当然見ているわけなんだけれども、白紙の状態でここに臨むのは非常に難しいことになるわけです。

評決の仕組み、一生背負う守秘義務

評決の仕組みですけれども、9名の裁判員がいて有罪の場合には過半数、5名以上が有罪の意見を言わなければいけないわけですね。その場合でも、その中には裁判官をひとり必ず入れなくてはいけないことになっています。だから有罪になるには裁判官ひとりと裁判員の4名以上の意見が必要になります。そして量刑の決め方は、ひとつの意見が裁判官、裁判員、それぞれひとり以上をふくむ過半数になるまで、もっとも重い刑の意見の人数を次に重い刑の意見の人数に加えていくということです。例えば懲役12年の意見が裁判員2名、懲役10年が裁判員3名、そして懲役8年が裁判官2名、7年が裁判員1名と裁判官が1名だというふうに意見が割れた。そうすると懲役10年以上のところで5名になる、しかしこの中には裁判官は入っていない。そして懲役8年のところで初めて裁判官が入った上で過半数に達する、こういうことになるわけですね。なんか非常に複雑だよね。いま裁判所に行きますと1階のロビーで合議の様子をビデオで流していますね。

しかしこういうようなかたちでやっていけるんですかね。あの「12人の怒れる男」のようにだんだん議論が深まっていくような議論が、裁判官が3人いる中で果たしてできるんだろうかと思います。先ほどの説示との関係から言うと、説示をした裁判官が参加して評議をするというのは何かおかしいとおもいませんか。「みなさん、こういう姿勢で審議をしなくてはいけませんよ、証拠はこういうふうに判断するんですよ」という説示にもとづいて議論をしていくことになりますよね。これはやっぱりむちゃくちゃだという感じがするんですね。

とにかく裁判員制度がなされて3日間で終わったとしましょう。みなさん方、裁判に参加して終わって良かったとなるわけですが、さらに問題があります。守秘義務というものです。「一生背負う守秘義務」。実ははわれわれ弁護士、裁判官、検事も守秘義務は負っているんですけど、酒を飲んでるときなんかは守秘義務なんかはないよね。裁判官もきっとそうだと思うんだよ。弁護士の悪口ばっかり言ってると思うけれど。われわれも裁判官の悪口を言ってるんだけれど。そういう守秘義務は、裁判員として参加した場合は一生背負っていかなくてはいけないわけです。その義務の内容は「評議の秘密」、(1)裁判員や裁判官が述べた意見、各意見を支持、反対した人の数、(2)評決の結果などですね。

さっき松川事件のことで「どうも評議が割れたらしいよ」と言ったのは守秘義務を誰か違反したんだよね、合議の結果が流れているわけですから。最高裁の意見が分かれたというのは、少数意見を言うからわかりますが、ふつうはその中で裁判官はどういう意見を言ったかわからない。けれども、だいたい漏れ聞こえてくるんだよね。そういう評議の秘密、経過や結果を述べるのはいかん。それから職務上知り得た秘密、それは裁判員の名前や裁判記録などに記載されていた事件関係者のプライバシーなどですが、裁判官が職務上知り得た秘密で女性に電話をかけたりメールを送ったりした犯罪がたまにあるけれども、これから裁判員になった人がこういうことをやる可能性もないとは言えませんよね。これはしかし本質的な問題ではありません。陪審裁判を実現した場合でも同じような問題が起こりうるわけです。こういうことをした場合には秘密漏示罪に問われて6ヵ月以下の懲役または50万円以下の罰金になるわけです。

官僚により換骨奪胎された裁判員制度

こういうような問題点がある裁判員制度ですけれど、さっき9名と言いました。しかし中には9名ではなくてもう少し違った構成、裁判官1名、裁判員4名の5名ですることもできる。そういうことも裁判員法に書いてあります。どういう場合かというと公判前整理手続きにおいて公訴事実について事実関係を争わない場合には、その関係者の同意を得て裁判官1名、裁判員4名でやってよろしいという変形があります。

それから対象事件からの除外というのもあります。さきほどいったように対象事件は死刑または無期の懲役もしくは禁固刑に該当する事件という大きな取り決めがあるわけです。けれど、対象事件からの除外として地方裁判所は各事件について「被告人の言動、被告人がその構成員である団体の主張若しくは当該団体の他の構成員の言動又は現に裁判員候補者若しくは裁判員に対する加害若しくはその告知が行われたことその他の事情により、裁判員候補者、裁判員若しくは裁判員であった者若しくはその親族若しくはこれに準ずる者の生命、身体若しくは財産に危害が加えられるおそれ又はこれらの者の生活の平穏が著しく侵害されるおそれがあり、そのため裁判員候補者又は裁判員が畏怖し、裁判員候補者の出頭を確保することが困難な状況にあり又は裁判員の職務の遂行ができずこれに代わる裁判員の選任も困難であると認めるときは、検察官、被告人若しくは弁護人の請求により又は職権で、これを裁判官の合議体で取り扱う決定をしなければならない」、という、わかりにくくつくった条文です。

つまり、被告人からあるいはその関係者から脅される、危害を加えられるおそれのある事件、現にあった事件、裁判員がもう怖いから嫌だと出てこない、あるいは裁判員を選任することができないような状態、そういう場合には「検察官、被告人若しくは弁護人の請求により又は職権で」裁判所はもとの裁判に戻していいですよ、ということになっています。つまり某暴力団の組織が脅しを声明した。裁判員に対し「殺す」といった、裁判員はみんな嫌だと言った、そういう場合には裁判所は職権でもって本来の裁判に戻すことができる。これも何か変だよね。本来の市民が参加する裁判ということからするとね。

そういうようなことで換骨奪胎されている。本当に最高裁と法務省の官僚によって本来の市民が参加するという、そういう裁判とは違う制度が、似て非なる制度が来年から行われるようとしている。これが「市民の参加だ、裁判は短い期間に終わる、いまの裁判は長すぎる、被害者の権利が守られていない、被害者の意見も法廷に持ち込まれるべきだ」という流れの中にある裁判員制度です。そして立川の判決のように、表現の自由が保証されているからといって他人の権利を侵害してはいけませんよ、入っちゃいかんというところに入っちゃいけませんよ、ということを裁判所が何の躊躇もなく、わずか3人の裁判官で判決を出すというような、そういう流れの中に今回の裁判員制度がある。民主主義を促進させる、裁判を通じて市民として成熟する、行使する主権の担い手として成熟させるような、そういう方向への改革ではまったくないということがいえると思います。

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平和憲法に関する日韓の市民の国際会議に参加して
日韓の運動の大きな変化の中で、平和憲法と平和な北東アジア作りの構想を議論

高田 健

2005年からの学習会の積み重ねを経て、2006年に韓国の5つの市民運動団体(「KYC(韓国青年連合会)」「アジアの平和と歴史教育連帯」「参与連帯」「平和ネットワーク」「平和博物館建立推進委員会」)で結成されたネットワーク「平和憲法市民連絡会議」は、従来は「日本の市民社会からの要請に対する応答や情報交換などを必要に応じて行う連絡ネットワークの性格が強かった」といわれますが、2008年に入って多様な取り組みを共同で企画してきました。その第1は、先の5月2日~6日に20名の参加の下で行った<日本平和紀行:憲法9条から模索する東アジアの平和>という行動で、「5・3憲法集会」や「9条世界会議」に参加しました。第2は、5月29日~7月3日まで、6回に渡って毎週行う連続企画講座<分断政府樹立60周年「市民がつくる韓日市民連帯~歴史を通じた記憶の共有、連帯を通じた平和づくり」>です。そして、第3は、今回私も招待されて訪韓してきた7月16日の韓日国際会議<平和憲法と平和国家づくり>です。タイトルは「分断政府樹立60周年、『市民がつくる日韓平和連帯』 再び読む憲法と平和国家づくり」というものです。7月17日は韓国の憲法記念日「制憲節」で、これに関連した企画でもありました。このシンポジウムには日本側からは私以外には、ピースボートの川崎哲さん、立教大学の石坂浩一さんがパネリストとして参加しました。

会場はソウル市役所の近くにある国家人権委員会のビルの11階で、約40人ほどの参加で午後1時30分から6時15分まで、3部に分けて行われました。ローソク少女に象徴される牛肉輸入問題に端を発した大デモ、竹島(独島)問題での日本大使館での抗議行動などが燃え上がっている中で開かれた平和憲法をメインテーマにした韓日国際会議で、有意義なものでした。発表とコメント、会場からの質疑応答と、全体が同時通訳体制であったが、熱心な議論に時間が不足気味でした。

プログラムは第1部が「韓日の憲法の平和主義を読み直す」で、司会は弁護士のイソクテ(李錫兌)さん、発表が高田健と民主労働党国会議員のイジョンヒ(李正姫)さん、第2部は「東北アジアの軍備競争と平和憲法」で、司会は立教大学の石坂浩一さん、発表がピースボートの川崎哲さん、平和ネットワークのチョンウシク(鄭旭堤)さん、第3部が総合討論で、司会がイキホ(李起豪)さん、基調発題が「平和国家作りと韓日市民社会の役割」と題して参与連帯のクカプ(具甲祐)さんですすめられました。

第1部の冒頭、私はこの間の安倍に代表される「90年代改憲運動」の失敗の意味と、福田内閣(現自民党主流派)の改憲戦略(解釈改憲から明文改憲への2段構え)との闘いの方向性と憲法問題などでの日韓民衆、東アジア民衆連帯の意義などについて述べました。

同じ第1部の報告者である民主労働党国会議員の李さんは、韓国でも憲法に規定されている平和主義の原則に市民権を与えようとする試みが、2000年以降、ようやく始まったこと。2004年には平沢(ピョンテク)米軍基地の拡張移転に反対する闘争の中で、平和的生存権の保障を求め、大きな争点になったこと(平沢基地関連の憲法訴願事件で、ようやく憲法10条と37条1項から、侵略戦争に強制されずに平和的に生きるよう国家に要請しうる権利だとして、平和的生存権が導き出され、明示的に認められた)。しかし、いまだ、平和主義原則は現実の規範としての力を獲得できていないこと。その後、2008年1月にソウル中央地方裁判所が、米軍基地監視運動の目的で米軍基地を撮影したことが国家保安法違反で起訴された平和写真作家イ・シウさんに平和運動のために情報を収集したもので無罪だと判断、平和的監視権を初めて認めたこと等により、韓国の平和運動は、韓国政府と在韓米軍の軍事活動を監視・統制する方向へと向かいつつあると、報告しました。

イ議員は私の報告に対しては、9条の明文改憲が止まったと言っても、解釈改憲が進んでいる状況は良くないのではないかという疑問を投げかけました。私はこの間の切迫した課題であった9条改憲を阻止した意義は重要で、この世論の力をもって海外派兵恒久法など、解釈改憲を阻止する運動、9条を活かし実現する運動へと発展させていく展望をもって運動を進めようとしていると主張しました。質疑応答では海外に派遣された自衛隊の派遣先での人権抑圧の問題はないか、という質問も出されました。事実としてはあまりそうした例は日本では聞かれないので、そういう印象が韓国の運動界であるのかなあという感じでした。全体の印象では、韓国の論者たちの中では安倍内閣が倒れた意味についての注目はあまりないのが意外でしたが、私が名古屋高裁判決について報告したところは、李議員の平和的生存権の発言とあわせて、司会のイソクテ弁護士が大いに注目したのが印象に残りました。議論の中で、石坂さんが9条についての世論と北朝鮮の制裁についての世論の落差が、9条の戦後の状況を象徴するのではないか、「北が攻めてきたらどうする」という不安が社会に漂っている、9条はこの点で成功していないのではないかと問題提起しました。なるほど、そういう評価もあるかと思いました。

第2部では川崎さんが「東アジアに非軍事の秩序を構築する」と題して発表しました。川崎さんは冒頭に6者協議がいま確実な前進を見せている、日本でも対話促進と正常化に向けた地殻変動が静かに起きつつある、ことを述べました。川崎さんは東北アジア、東アジアの新しい秩序に向け、いまこそこの地域の市民社会が構想を語るべきで、米中の軍事的経済的な駆け引きの中で模索される新秩序に対して、日本は憲法9条の平和主義をもって、韓国は民主化運動の伝統と実績をもって、東アジア新秩序形成に貢献すべきことを説きました。そしてこの間の9条世界会議が獲得したものについて報告しました。彼が軍事に依存しない経済の参考として例示したノルウェー・モデルは聴衆の関心をあつめました。

チョンウシクさんは済州島への空母基地建設やXバンドレーダー基地建設の動きに見られるように、台湾、沖縄、済州島が東北アジアの大分断線とされ、日米同盟と中国の覇権争いが行われていること。このなかで、市民社会の平和構築の役割が期待されること。消耗で危険な軍備競争が行われているが、平和軍縮体制を構築するには、6者協議の未来に対し、より多くの関心を向ける必要がある。6カ国は中長期の目標として、東アジアにおける平和安保体制構築について合意済みである。6者協議が平和構築ではなくて、サロン化されてしまう危険性をもっていることの危険性を忘れてはならない、市民の側から積極的に未来を建設する作業に参加しなくてはならない、東北アジア平和配当基金の創設も検討すべきだ、などと報告しました。

第3部でク・カプさんは「平和国家づくり」の問題をキーワードに問題提起をしました。
クさんは冒頭に参与連帯・平和軍縮センターが2006年8月、「平和国家づくり」(平和言説)を提案し、2008年5月にはその実践計画を盛り込んだ「平和白書」を出したことを述べました。その平和国家づくりというのは、平和的方法による平和を追求する市民社会の言説と結合した新しい国家作りであり、軍縮先行のような非挑発的防衛や防御的防衛の追求を通して、社会の変化を作りだし、それを基礎に分断体制を崩し、東アジア平和ネットワークを建設し、最終的には地球レベルで平和国家群による平和列国体制を結成しようというものでした。この間批判されてきた「一国平和主義」は可能であり、平和主義は国際連帯に基づかなくてはならないと主張しました。「平和国家づくり」の提唱は野心的な構想で、議論を呼びましたが、「平和国家などありうるのか」という意見を含めて、まだ十分にかみ合う状況ではなかったようです。議論の中では最近の「ローソク抗争」に関連し、80年代の「階級」でも、90年代の「市民」でもくくれない「多重(マルチ)」と表現される状況が韓国の運動のなかに生まれてきており、運動圏ではこの評価をめぐってとまどいもあることなども紹介されました。

今回のシンポジウムは「平和憲法」に柱をおいて日韓の市民運動の問題意識を交換し、今後の連帯の出発にするという上では画期的な試みであり、重要な成功を収めることができたと思います。こうした日韓の市民社会の交流と討論が今後、より必要になっていることを痛感しました。

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  「私と憲法」で~す。お話聞かせてくださ~い!
地域で40年、反戦平和のために行動して

谷島光治さん(安保をつぶせちょうちんデモの会)

あたたかい視線の中で行くちょうちんデモ

「アメリカ軍はイラクから手を引け!」
「原発2個分を積んだジョージワシントンは横須賀に来るな!」
「事故が起これば横須賀だけで済まないぞ!」
「憲法9条をまもれ!」

買い物客や帰宅の人で混雑する吉祥寺駅(東京)近く、夕暮れが迫る薄明かりの中で679回目の「ちょうちんデモ」が出発した。路線バス、車、通行人の間をぬってデモがすすんでいく。この日は20人ほどが集まり、プラカードやちょうちんを手に、三鷹駅まで約1時間のデモになる。ちょうちんデモと銘打っているので、あれこれと工夫を重ねたマイちょうちんを持参する人もいる。宣伝カーからはシュプレヒコールだけでなく、その時々の参加者からの呼びかけがあり、時には歌も流れる。

回を重ねているだけあってバスの乗客からも手が振られる。バス停で待つ人たちの視線もあたたかい。わざわざ路地の奥から出て来て見守る人もいる。自宅近くのコース途中から参加する人もいる。7月15日の今日のコースは奇数月なので南まわり。にぎやかな駅前から住宅地へ、緑の多い多摩川浄水近く、途中で住宅をつぶして造られたという「ジブリの森」の前も通って、商店街の続く三鷹駅南口で解散となる頃には、あたりはすっかり暗くなっている。

デモの片づけの後、都合のつく人は近くの自然食品の店「たべもの村」に行って喉を潤したり、食事をしながらの会になる。

始めてから40年、一回の休みもなく

 後日、その「たべもの村」で「安保をつぶせちょうちんデモの会」の代表格で長老の谷島光治さんにお話をうかがった。

三鷹駅南口は放射状に何本も道路が走っている。始めてから28年という「たべもの村」は駅から1分、車が1台通れる幅の道路から、細くて急な階段を2階に登る。店内は市民運動や映画のポスターなどが所狭しと貼られ、大きなテーブルの中央には本が並べられていて、来店者のだれもが目を通すことが出来る。壁には当時の「ちょうちんデモ」の様子を描いたきりえの作品がかかっている。1975年のアンデパンダン展に出品した作品で、ちょうちんデモに加わっていた金子静枝さんが創ったものだ。

このきりえは当時のちょうちんデモの様子がよく分かる。秋田の竿灯まつりのように、やぐらの形に高く組んだちょうちんが、デモの先頭にある。ひとつのちょうちんに一つの文字が書かれていて「アメリカはベトナムから手をひけ」とある。

「デモが始まったのは1967年7月で、毎月2回のデモでした。それから40年、今は毎月の15日と1月1日を足して1年に13回、どんな天候の日も必ずデモをしてきました。」
  そして、この7月15日で679回になった。1967年といえばベトナム戦争反対の行動が世界中で盛り上がっていた頃になる。三鷹在住で著述業をしていた“もののべながおき”さんが呼びかけた。その頃は学生が中心で、全国的な盛り上がりもあり、参加者も100人を超していた。

「もののべさんの家は広くって、そこに何人も寝泊まりしていた学生なんかが力になっていました。」

「学生は就職すると、運動をしていた学生は会社でも仕事ができるらしくってだんだん足が遠くなって、役付になると顔を見せなくなってしまう。」

「今は、7時からのデモは無理になったね。仕事で間に合わない人が多くなって、若い人がすごく働かされているのがよくわかる。」

働き方が市民のデモにも影響している。こう言う谷島さんも、仕事をしているときは職場の運動が中心で、リタイア後に地域に軸足を移してきた。

それでも40年。デモの時には宣伝カーを必ず出してきたが、宣伝カーの運転手と谷島さんの2人のときも一度あった。

「大雪のときもあった。この時は警備をする警察から、何回も中止ではないかと連絡があったけれど、そのときは4人の参加でした。」

長年つづけることはいろんな場面に出会う。三鷹では個人商店がまだまだ頑張っているようだが、その地元の商店街の人からは好意的に迎えられている。カンパが寄せられたり、デモに手をたたいてくれたりという反応も勇気づけられたという。

谷島さんにはもう一つ胸を張ることがある。
「ちょうちんデモは出発点も解散地点も道路でしょう。いま、デモは公園などがないと許可しないでしょう。ずっとつづいているデモだから警察も路上解散を認めているんです。」

確かに、デモ申請の時に公園などの広場がないと出発も解散も許可されず、デモコースは事実上決められてしまう。これでは表現の自由が制限される結果となっていることに気づかされる。ちょうちんデモの出発地は、いつも吉祥寺南口の武蔵野公会堂近くの路上になっていて、解散地点は三鷹駅だ。偶数月は北コース、奇数月は南コースをとっている。北コースは若者に人気の吉祥寺の商店街の地域を横切り、武蔵市の住宅街などを通りながら三鷹駅北口で解散する。

いま「反戦平和」「憲法9条まもれ」呼びかけつづける

「このところ長く訴えているのは、戦争反対、反戦平和、それに憲法9条のことです。」
何と言っても世界中で戦争をしているのはアメリカだから、「とくにアメリカが手を出さなくなれば大規模な戦争は地球上からほとんどなくなります。だからアメリカの戦争政策をやめさせること、イラク、アフガンから手を引け!ということですね」。もちろんクラスター爆弾や横須賀への原子力空母配備反対にも力を入れている。

毎月のちょうちんデモの他にも、講演会や映画会などにも取り組んできている。しかし谷島さんは「どうも最近は十分にはお金が集まらない」ことに一つの悩みはあるようだ。でもカンパのお願いなども1年に1度ということで、慎ましいお願いだからかもしれない。「カンパ要請をしなくてもくれる人はくれますよ」。歴史がある強みですね。

「戦争が終わって、軍隊がなくなればデモをやめてもいいんだけれど、アメリカの軍事産業が戦争はやめたくないわけだし、ずっと反戦を訴えていかなければならないでしょう」。

「外国ではデモの参加者数がニューヨークとかパリとか、日本と違ってずっと多いといわれますね。でも戦争がなくなってはいませんね。そう考えると、人数ではなくて戦争反対を言い続けることが必要なのかもしれない。」

そうですね、いまは声をあげられるのに、やめるわけにはいきません。

外国の苦しんでいる人たちと手をつなぎあいたい

「これからは、外国で苦しんでいる人たちと手をつなぐ方法があればいいな、と思っています。」たとえば、アメリカのニューオリンズの被災者にも、一年を過ぎているのにほとんど手がさしのべられていない。アフリカをはじめとする食糧難で苦しんでいる人たちがクローズアップされている。それに中国では格差がものすごく拡がっている。こうしたことを谷島さんは心配している。

「直接の援助は難しいけれど、こういう人たちとも手をつなぐ方法はないものか」。グローバル化のなかで、底辺に置かれたものたちが、生きるために、平和のために手をつなぎあうことが目前の課題となっている時代に来ているのかもしれない。

谷島さんは最後に「若い人が、少しづつでも協力し、参加していることに望みをつなげます」と結んだ。

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警備と称した自衛隊の超法規的活用に抗議・要請

2008年7月10日、福田内閣総理大臣、石破茂防衛大臣に要請文を送りました。
警備と称した自衛隊「超法規的活用」を今後、行わないでください!

第九条の会ヒロシマ   (第九条の会ヒロシマのウェブサイトから転載しました。http://www.9hiroshima.org/

G8会議の警備と称して、北海道に21,000人もの警察官を動員している問題点については各方面で指摘されています。過剰警備であり、人権侵害、不当逮捕が行われているのです。さらに見過ごすことのできない点は、自衛隊の法的枠組みを逸脱する事態が進行していることです。

 今年1月、会場に接近する民間機を撃墜する可能性も検討されました。会場となるホテルのふもとには、陸上自衛隊の着陸誘導装置JTPN-P20の監視レーダー装置が配備されました。第7高射特科連隊(新ひだか町)の部隊が、師団対空情報システム(対空戦闘指揮所装置など)の前進配備を含め、対空戦闘準備態勢に入っている可能性が高く、倶知安か幌別(登別市)の駐屯地に訓練名目で移動しているかもしれません。

『読売新聞』7月5日付夕刊によれば、洞爺湖の上空の半径約46キロが飛行制限区域に指定されました。空自八雲駐屯地には、パトリオットミサイルが前進配備されています。空中警戒管制機(AWACS)が北海道上空に滞空し、F15戦闘機が会場上空を旋回。イージス艦「こんごう」などが海上に展開して、「二重、三重の警戒」シフトを敷いて日本では例外事態〔非常事態〕が支配しています。 F15による「コンバット・エア・パトロール」(CAP)、「戦闘空中哨戒」と呼ばれる活動は「敵機」を迎撃・撃墜する目的で、ミサイルや機関砲の使用を想定した活動であり、自衛隊機が訓練とは別に、実際にこのような活動を行う法的根拠は何でしょうか。戦闘機を常時滞空させ、その空域に入る航空機の撃墜まで視野に入れた活動となれば、武装した軍事出動となり、災害派遣や人道援助では正当化できません。

 F15戦闘機による「戦闘空中哨戒」は、領空侵犯に対する自衛隊法84条は根拠になりません。ハイジャックされた日本の民間機も対象となり、「領空侵犯」ではカバーできないからです。災害派遣(83条)では、もちろんありません。命令による治安出動(自衛隊法78条)の適用も検討されたようですが、そこでいう「その他の緊急事態」は「間接侵略」(外国の武装勢力が国内の運動に働きかけ、武装蜂起を行うケースなど)に準じたものであり、飛行制限区域内に入ってきた民間機に対する措置をカバーできるわけではありません。自衛隊法90条1項には、「職務上警護する人、施設又は物件が暴行又は侵害を受け、又は受けようとする明白な危険があり、武器を使用するほか、他にこれを鎮圧し、又は防止する適当な手段がない場合」が挙げられているが、治安出動命令が出されたことを前提とする権限であり、治安出動命令も適用されないのに、「警護する…施設」を守るためにこれだけで武器使用ができるわけではないのです。

 G8警備と称したら何をしてもよいということにはなりません。自衛隊の超法規的活用をやめ、憲法に基づき、今後一切、このような配備、活動を行わないで下さい!

第九条の会ヒロシマ

世話人代表:岡本三夫(広島修道大学名誉教授)
連絡先:734-0015 広島市南区宇品御幸1-9-26-413
070-5052-6580 FAX:082-255-6580 (藤井)

なお、早稲田大学の水島朝穂教授の「今週の「直言」(2008年7月7日)洞爺湖サミットがもたらす「例外事態」」を大幅に参考にさせていただきましたが、文責は当会にあります。

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 「日米同盟」の“呪縛”から解き放たれ、裁判官が“正気”に戻るとき
名古屋高裁自衛隊イラク派遣違憲判決

2008.6.23内田雅敏

 2008年4月17日、名古屋高等裁判所第3民事部(青山邦夫裁判長)は、自衛隊イラク派遣違憲訴訟において、損害賠償等、原告らの請求を棄却したものの、航空自衛隊によるバグダッド空港への空輸は戦闘地域における米軍との一体行動に当たり、憲法第9条の禁ずるところであり違憲であると判示した。

この判決が優れているのは、憲法前文中の「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」と謳った、いわゆる平和的生存権について他の立法がなされていなくても、この権利そのものから裁判上の救済を受けることができるとした点にある。

この判決を聞いたとき、裁判官が“正気”に戻ったと思った。憲法9条をめぐるこれまでの政府見解――9条は我国固有の自衛権は否定していない。しかし我国に対する急迫不正の侵害がない場合に、自衛隊が他国の軍隊と一体となって活動するいわゆる集団的自衛権の行使は許されない――。戦闘地域への派遣は許されないというイラク復興支援特別措置法の定め。そして、2003年3月20日、自衛権の行使による先制予防攻撃としてブッシュ米大統領がイラク攻撃をして以降、すでに5年余、米兵の死者だけでも、2001年9月11日の米国同時多発テロによる市民の死者2973名をはるかに上回る4000名近くになっており、これに数十倍するイラクの民衆が殺され、今なお戦闘・テロ等の絶えないイラクの現状。これらのことを考慮するならば、イラクヘの自衛隊の派遣は、「一見極めて明白に違憲」なことであった。

裁判所はこれまで半世紀にわたって法廷における9条論議を回避して来た。その結果が、戦地イラクヘの自衛隊の派遣という事態である。

諸悪の根源は、1959年12月16目、砂川事件――東京立川の米軍基地(当時)の砂川地区の拡張に反対する過程で生じた刑事事件に関し、日米安保条約による在日米軍の存在が憲法上許されるか否かが争われた――最高裁大法廷判決にある。

同判決は、

「(日米)安全保障条約は、主権国としてのわが国の存立 の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有す るものというべきであって、その内容が違憲なりや否 やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこ れを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的 判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違 憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使 命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじま ない性質のものであり、従って、一見極めて明白に 違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司 法審査権の範囲外のものであ(中略)ると解するを相 当とする」

と、悪名高い「統治行為論」を述べ、憲法判断を回避した。

以降、1973年札幌長沼ナイキ判決を唯一の例外――但し、札幌高裁で破棄――として、この国の裁判所は9条問題に関し判断回避をし続けて来た。憲法第81条によって国民により裁判所に違憲立法審査権が負託されている趣旨を十分に理解できないで来た。その結果、裁判所が行政、立法の違憲な行為を制御できず、立憲主義を危くさせて来た。

今、学生時代に見た奇妙な光景が思い出される。

1967年3月29日、札幌地裁恵庭事件判決、無罪判決がなされたにもかかわらず、検察官が抱き合って喜び、反対に喜んでしかるべき被告側が怒っている。

恵庭事件とは、自衛隊の演習騒音に悩まされた牧場主らが自衛隊の通信線を切断したことが自衛隊法違反として起訴されたもので、裁判では、自衛隊の存在が合憲か違憲かが争われた。

審理の経過からして、憲法判断、それも違憲判決がかなりの確度で期待されていた。ところが、裁判所は通信線の切断は自衛隊法に云う構成要件該当性なしとして無罪であるとする肩透かし判決をなして、憲法判断を回避した。だから無罪判決であったにもかかわらず、訴追した検察官が抱き合って喜び、本来喜ぶべき被告側が怒ったのである。裁判官が“正気”を失って憲法判断回避をした結果である。

もちろん、すべての面において裁判所が憲法判断を回避して来たわけではない。2008年6月5日、最高裁大法廷が、目本人の男性と外国人女性との間に生れた婚外子の日本国籍取得について、胎児の段階で認知があった場合は可だが、出生後の認知は不可とする国籍法の規定は憲法第14条「法の下の平等」に反し、無効とする判決をなしたことに見られるように、裁判所は人権論の面では憲法第13条「幸福追求の権利」等を根拠に、判例理論をそれなりに発展させて来た。その意味では裁判所は“正気”を失ってはいなかった。しかし、9条間題に関しては、裁判官が“正気” を失っていたとしか言いようがない実情があった。この“正気”'を失って来た根底には、司法の分野だけでなく、外交・その他・戦後の日本社会のすべてに通底する「目米同盟」の“呪縛” があるように思われる。

2008年4月30日付東京新聞朝刊は、「砂川事件『米軍違憲』判決破棄へ米露骨介入」という大きな見出しで、日米安保条約による在日米軍を憲法違反と断じた砂川事件東京地裁判決(伊達判決)に衝撃を受けたマッカーサー駐日大使(当時)が、同判決の速やかな破棄を狙って藤山一郎外相(当時)に、東京高裁の判断を経ずに最高裁への「跳躍上告」を促す外交圧力をかけたことを報じている。

日米関係史の専門家、新原昭治氏の研究により、田中耕太郎最高裁長官(当時)がマッカーサー駐日大使と密かに面談し、この事件を優先的に審理すると述べたという驚くべき事実も明るみに出された。「日本政府は社会党が新たに司法を尊重せよと騒ぎたてていることを必ずしも不快に思っていない。というのは日本政府は『社会党の司法尊重』が最高裁の段階になったときブーメラン効果をあげることを期待しているからだ」とマッカーサー駐日大使は本国宛打電している。米国からの圧力に裁判官が“正気” を失っていたとしか言いようがない。

裁判所が9条問題に関して判断回避をするといった“正気”を失った状態が続いたことから、遂に自衛隊が海外に出て行くという事態となった。1992年カンボジアPKOである。この背景には、自衛隊とりわけ海上自衛隊を米海軍機動部隊の補助艦船として使いたいという米国の強い意向があった。その後は一潟千里であった。その結果が戦地イラクヘの自衛隊の派遣であった。もはや、止まることを知らない。9条論議に封印をし、判断回避をした砂川事件大法廷の15人の裁判官達は、半世紀後のこのような、すなわち戦地イラクヘの自衛隊の派遣という事態を予想し得ただろうか。

このような流れに「待った」をかけたのが、4.17名古屋高裁自衛隊イラク派遣違憲判決であった。この判決については、原告らの請求を棄却したのだから、裁判所はそれ以上の判断をすべきでなかったと述べる見解もあった。

2004年4月、福岡地裁(亀川清長裁判長)が、小泉首相の靖国参拝は憲法第20条の政教分離原則に違反し違憲であると判示したが、その際判決文末尾において、

「当裁判所は参拝の違憲性を判断しながらも不法行為は 成立しないと請求は棄却した。あえて参拝の違憲性に ついて判断したことに関しても異論もあり得るとも考 えられる。しかし、現行法では憲法第20条3項に反す る行為があっても、その違憲性のみを訴訟で確認し、  または行政訴訟で是正する方法もない。原告らも違憲 性の確認を求めるための手段として、損害賠償請求訴 訟の形を借りるほかなかった」

とした上で、

「本件参拝は、靖国神社参拝の合憲性について十分な論 議も経ないままなされ、その後も参拝が繰り返されて きたものである。こうした事情に鑑みるとき、裁判所 が違憲性について判断を回避すれば、今後も同様の行 為が繰り返される可能性が高いと言うべきであり、当 裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの 責務と考え、前記の通り判示する」

述べた。

自衛隊イラク派遣を違憲と断じた名古屋高裁の裁判官達も同じような気持ちであったと思う。違憲立法審査権を主権者たる国民から負託された裁判所が、その行使をためらい、行政、立法の違憲な行為を見過ごすことが立憲主義の破壊をもたらすことは、“正気”になって考えれば分かることである。

自衛隊の戦地イラクヘの派遣については、これを憲法違反だとして、北は北海道から南は九州まで全国各地の裁判所において100件以上の違憲訴訟が提起された。だが、違憲判断は前記名古屋高裁1件だけであった。この問題に関して“正気”であったのは全国でわずか3名の裁判官でしかなかったことになる。

裁判官を“正気”に戻すために、名古屋違憲訴訟の原告、代理人弁護士、支援者らが費やした労力は大変なものであった。とりわけ、イラクの実状について裁判所に理解させるために、現地を訪れたジャーナリストらの協力も得て、相当綴密に立証したとのことである。このような地道な努力が裁判官を“正気”に戻したのだと思う。

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