「皆さんはすばらしい。この歴史的なイベントにようこそ!」9条世界会議の全体会第一部で基調講演にたったコーラ・ワイスさんはそのスピーチをこう切り出した。コーラ・ワイスさんは1999年、オランダのハーグで開かれた「世界市民平和会議」のリーダーであった。このハーグ市民会議はその「ハーグ・アジェンダ」第1項目で「日本国憲法第9条のような考え方を各国政府が取り入れるべきだ」と確認した。幕張の「9世界会議」は、ハーグ以来9年目に再び世界的な規模で国際市民社会が日本国憲法9条の価値を確認し、それをいっそう全世界に広げていくことを確認した歴史的な会議となった。
2008年5月4~6日、千葉県幕張メッセで開催された「9条世界会議」には、のべ2万人を超える人たちが来訪した。初日の全体会には12,000人が参加し、ほか3,000人が満員のため入場できず、屋外集会などに参加した。2日目の分科会には6,500人が参加し、当日券完売のため500人が入場できなかった。3日目のまとめの総会には、300人が参加した。
海外からの参加者は、31カ国・地域から150名以上にのぼった。参加国・地域は、アメリカ、イギリス、イタリア、イラク、インド、エクアドル、オランダ、オーストラリア、カナダ、ガーナ、韓国、北アイルランド、ケニア、コスタリカ、スイス、スリランカ、セネガル、台湾、中国、ドイツ、ニュージーランド、ネパール、パキスタン、パレスチナ、フィリピン、フランス、ベトナム、ボスニア、香港、モンゴル、ロシア。
なお、5月5日の広島は1,100人、5月6日の仙台は2,500人、大阪は8,000人が参加した。9条世界会議は、3日間に全国でのべ3万人以上が参加するという大きな成功をおさめた。
この「9条世界会議」はGPPACなどの国際平和実現の運動に取り組んできた日本の国際NGOピースボートや国際法律家協会などと、この間国内で憲法改悪に反対して持続的に運動を積み重ね、発展させてきた市民・民主諸団体・個人が広く共同して準備し、実現したものである。この共同こそ、成功のための原動力であった。
9条世界会議が採択した「戦争を廃絶するための9条世界宣言」は「日本国憲法9条は、戦争を放棄し、国際紛争解決の手段として武カによる威嚇や武カの行使をしないことを定めるとともに、軍隊や戦力の保持を禁止している。このような9条は、単なる日本だけの法規ではない。それは、国際平和メカニズムとして機能し、世界の平和を保つために他の国々にも取り入れることができるものである。9条世界会議は、戦争の廃絶をめざして、9条を人類の共有財産として支持する国際運動をつくりあげ、武力によらない平和を地球規模で呼びかける」というメッセージを全世界に向かって発信した。「宣言」は全世界の政府に対して13項目の要求を示し、最後に「日本の憲法9条やコスタリカ憲法12条のような平和条項を憲法に盛り込むことなどを通じて、戦争および、国際紛争解決のための武力による威嚇と武力の行使を放棄すること」を強く求めた。また「宣言」は日本政府に対して9条を実行するなど、3項目の要求をした。
そして「宣言」は市民社会自らの約束として9項目の行動目標を確認し、「『21世紀の平和と正義のためのハーグ・アジェンダ』(1999年)、GPPACの世界および地域提言(2005年)、『バンクーバー平和ピール』(2006年)、『暴カのない世界に向けたノーベル平和賞憲章』(2007年)などのさまざまな平和文書に盛り込まれた提言を、実行に移すこと」を誓約した。この21世紀初頭の国際的な市民社会の力強い平和を求める潮流は、ハーグから幕張に受け継がれ、さらに全世界に発信された。人類がそれと共存不可能な核兵器まで生み出した戦争と動乱の世紀であった20世紀から、人類の夢であった戦争のない世界を実現する21世紀へ、巨大な市民のプロジェクトが動き始めたのだ。
この9条世界会議の成功は、改憲派が派兵恒久法など海外における武力行使法を制定しようとするなど、不可避的に国際性が要求される情勢のもとで、今後の日本国内における9条改憲反対の運動に、平和勢力の国際連帯の力を刻印する歴史的なものとなった。また世界会議は米国の反テロ報復先制攻撃戦争が、世界に戦火をまき散らしている国際情勢のもとにあって、それに反対して9条の価値を確認する大きな契機となった。これは全世界で戦争に反対し平和のために闘う人々を大きく励ますこととなるにちがいない。
私たちは「9条世界会議」の成功が示した国際連帯の旗をしっかりと握りしめ、9条を持つ国の市民としての責任を果たし抜くため、とりわけ9条改憲反対と、目前の自衛隊海外派兵恒久法の制定に反対し、インド洋北部での戦争加担を容認する新テロ特措法(派兵給油新法)とイラク特措法の延長を阻止するために全力を挙げなければならない。(事務局 高田健)
憲法を生かす会・小川良則
主権国家の独立・平等と多国間の対話を通じた紛争の解決という近代国際法の枠組みの基礎を築いたヴェストファーレン条約(1648年)が6回目の還暦を迎えた今年2008年,「世界は9条を選び始めた」と題して,武力によらない世界平和について考える「9条世界会議」が5月4日から6日までの3日間にわたって開催された。期間中,幕張メッセには31の国と地域からの海外ゲストを含めて内外から2万人もの参加者が詰め掛け,会場に入りきらない人たちのために,屋外に急遽しつらえた「第二会場」で発言者たちが再びハンドマイクを握って語りかけるという一幕もあった。また,広島(5日),大阪・仙台(5日)の地方会場を合わせた参加者総数は約3万人にものぼった。
初日の全体会の冒頭,主催者を代表して挨拶に立ったピースボート共同代表の吉岡達也さんは,泥沼化するイラクの状況を引き合いに出しつつ,「世界最強の軍隊でもバグダッドという中規模の都市に平和をもたらせていない。武力で平和はつくれない。世界は9条を望んでいることを確信した」と力強く訴えた。
北アイルランド紛争の解決への取り組みでノーベル平和賞を受賞したマイレッド・マグワイアさんは,先制攻撃をも正当化するブッシュの戦争政策で世界が危機に陥っていることや,テロ対策と称して進む人権の侵害が逆にテロの連鎖を生んでいることを指摘した上で,自らのアイルランドでの体験を交えつつ,偏見と憎悪を捨てて相互理解と思いやりの心を持ち,資源を戦争に浪費せず,生活の向上に振り向けようと呼びかけた。
また,各国が9条のような法規範を盛り込むよう呼びかけた1999年のハーグ平和会議を主宰したコーラ・ワイスさんも,紛争の真の原因は飢餓や貧困や病気であり,武力では解決できないと指摘した上で,社会保障費や教育費を遥かに上回る軍事予算の削減を訴えた。また,既にコスタリカやパナマも軍隊を廃止し,ボリビアでも間もなく国民投票が行なわれるなど,世界は9条を選び始めていることを指摘し,アパルトヘイトですら廃止できたのだから,戦争も廃止できないはずがないというハーグ会議での南アフリカ代表の発言を紹介した上で,みんなでいろいろな国にメール等で呼びかける「9条大使」になろうと,身近なところからできる具体的な取り組みを提起した。
ここで,2月に広島の原爆ドーム前を出発し延々900キロを歩き通してきた9条ピースウォークの一行が登壇し,傷つけたり壊したりしないことが真の文明であるなど,参加者たちが思い思いにメッセージを伝えた。
続いて日本側からのスピーチに移り,画期的な名古屋高裁判決を勝ち取ったイラク派兵違憲訴訟の原告で,「世界がもし100人の村だったら」の翻訳者である池田香代子さんは,平和憲法は市民が日々選びとり,努力して維持し続けてきたものであることや,ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞の中に国家の交戦権が放棄された世界の姿が謳い込まれていることを指摘するとともに,支配層の側のグローバル化に対抗する市民のネットワークのグローバル化を呼びかけた。
また,日弁連の元会長の土屋公献さんは,軍隊を持たない国は今や30を数えるなど歴史は前進しており,世界有数の軍隊を持つ日本が世界に9条を呼びかけるのにおこがましさを感じる現状の矛盾を打破していこうと訴えた。
全体会第1部の締めくくりは音楽コーナーで,まずは,広島の中学生による平和の一言メッセージを基に世界中の人々によって書き継がれた「ねがい」の合唱である。音楽九条の会の呼びかけ人で,N響アワーの解説者としておなじみの池辺晋一郎さんの指揮により,民族衣装をまとった人たちがそれぞれの言語で唱和して,ハーモニーを奏でていく様は,多国・他民族共存・共生の世界を謳い上げていくようだ。
続いては,市民と弁護士たちの合唱によるベートーベンの「第九」の第4楽章である。第1楽章から第3楽章までの主題が断片的に登場しては打ち消され,最後にバリトンの独唱によって「この音ではない」と否定され,シラーの頌歌「歓喜に寄す」につながっていくところは,侵略と戦争に明け暮れた20世紀の反省の上に九条的な世界を築こうという人類の希望を象徴しているようだ。元最高裁判事さんのテノール独唱による行進曲の部分が通常慣れ親しんでいる演奏より速く聴こえるのは,楽曲の解釈と奏法にこだわりを持つ内藤彰指揮・東京ニューシティ管弦楽団らしくブライトコップ版を使用しているためで,この部分は通常のテンポの倍に設定されている。そして,後半に登場する賛美歌のような旋律の部分の「幾百万の人々よ,手を取り合おう」という歌詞も9条の世界にピッタリであり,東西ドイツが統一選手団を組んだ1964年の東京五輪の際に国歌代わりに使用されたり,EUの国歌的な位置づけを与えられたりしているのも納得できる。
内外のゲストのトークで構成される第2部は,豊かな資源に恵まれ多様性あふれる大地・アフリカが貧困から脱け出せないのは,打ち続く武力紛争のためであり,正義と公平の精神を体現する九条こそが貧困を終わらせ,人間的発展をもたらすという西アフリカ平和構築ネットワークのエマニュエル・ボンバンデさんの訴えで始まった。
憲法の人権条項の起草者であるベアテ・シロタ=ゴードンさんは,外来のものを否定するなら漢字も陶磁器も否定されなければならないというユーモアを交えつつ,GHQが関与したのは松本烝治国務大臣が明治憲法的な案しか書けなかったためであり,決して「押し付け」ではないと指摘した上で,各国の憲法典や学者グループの試案等を参考に最新のものを盛り込んだ現憲法には,明治の自由民権運動の先覚者たちの試案をはじめ人類の歴史的叡智が結実していると訴えた。
隣国である韓国からは,弁護士の李錫兌さんが,相互信頼に基づく近隣諸国との交流こそが紛争の防止に必要であり,平和を求める人類の願いを込めた9条の実効性を保証するため,その内実に対する捻じ曲げに抗すしていこうと訴えた。
1949年の憲法で常備軍を放棄した国・コスタリカからは,国際反核法律家協会のカルロス・バルガスさんが,9条の精神が米国という軍事的超大国の圧力に抵抗する力の源となったのであり,各国にとっても平和を維持する最も強力な法的手段である9条を維持するため,それぞれの国で平和憲法を採択するよう自国政府に求めるなど,世界の市民1人ひとりの支援と行動が必要だと呼びかけた。
続いて「イラク・アメリカ・日本」と題したトークセッションに移り,元米軍将校で現在は反戦活動家のアン・ライトさんは,安全保障の名の下に武力攻撃や拷問が行なわれているが,民衆の意思に反した戦争に対する防波堤が九条であると指摘し,戦争への人材派遣業を含む軍事産業に劣らない平和産業をと訴えた。イラクの人道支援ワーカーであるカーシム・トゥルキさんは,イラク戦争時の体験を振り返りつつ,軍隊は国民を守るものではなく,非暴力こそ人々を守る最善の方法だと訴えた。アブグレイブでの虐待を見て兵役を拒否した元米兵のエイダン・デルガドさんからは,兵士になることが高貴なことだと教え込まれた若者が人生の目的なしに軍隊に入る米国の現状が述べられた。また,作家の天宮処凛さんは,民営化された戦争では戦地への派遣もビジネスであり,貧困層が軍隊へとリクルートされる構造についての問題を提起した。最後にイラク支援ボランティアの高遠菜穂子さんが,日本が自衛隊を派遣したとはいえ,ボランティアが現地で9条の精神を実践してきたから殺されずに済んだのであり,これを捨てる訳にはいかないと訴えて,このコーナーを締めくくった。
2日目はテーマごとに分科会が開かれ,いずれも立ち見の出る盛況となった。
今日の世界情勢の背景にあるグローバリゼーションに関する分科会では,国際平和ビューロー代表のフレデリック・デュランさんは,多国籍企業主導のグローバル化で格差拡大と環境破壊が進んでいるが,1兆ドルの世界の軍事費の1割で国連ミレニアム開発目標は達成できると指摘し,社会的責任を求める医師の会のポール・サオケさんは,世界銀行やIMF主導でサービスの切捨てやリストラが進むアフリカの現状を訴えた。
メディアに関する分科会では,日本ペンクラブの小中陽太郎さん,韓国記者協会元会長の李成春さん,東大新聞研究所元教授の桂敬一さん,朝日新聞記者の伊藤千尋さんらによって,マスコミの論調の変遷等について議論されるとともに,小泉劇場的なプロパガンダに乗せられないよう,主権者たる読者の自覚も重要であるとの提起があった。
世界会議は3日目に宣言を採択して全日程を終了したが,現下の憲法情勢の中で,こうした企画が成功したことは大きな収穫であったと言えよう。メディアはこれを「9条に世界からエール」と報じたが,内外の心を一つにして,声を合わせ,力を合わせて,世界中で9条を実現できるよう,努力していこう。
松本美智恵
松本さんは4日の全体会に参加し、そのレポートを書いてくれました。当日入場出来なかった人たちのために少しでもその雰囲気を伝えようと書いたそうです。(編集部)
約15,000人が参加。
うち約3,000人が満員のためイベントホールに入場できず。中には北海道や沖縄からの参加者もあり、近県からバスをチャーターしてやっていきた団体もあったらしい。前売り券を買っていたのに入場できなかった人々の怒りは十分理解できる。
が、そのうちに集会の輪ができ、集まった人々と日ごろの活動について報告しあったり、意見交換をしたり、大いに交流をしたという。その上、基調講演が終わったマグワイアさんたちゲストスピーカーがこの集会に参加してくれて、スタッフも参加者もたいへん元気付けられたとのことを後で知った。
また、隣の国際会議場に設営された98のブースには、100以上もの団体が様々な展示に工夫を凝らし、多くの人々が関心を持って訪れ、ここでも大いに盛り上がった。
私が所属する「コスタリカに学ぶ会」でも、用意していた資料や本が売切れるなど、嬉しい悲鳴をあげていた。(私は5日の終わりごろ少し手伝っただけで申し訳なかったが)
海外からの参加者は、31カ国・地域から約150名だったそうだ。
アメリカ、イギリス、イタリア、イラク、インド、エクアドル、オランダ、オーストラリア、カナダ、ガーナ、韓国、北アイルランド、ケニア、コスタリカ、スイス、スリランカ、セネガル、台湾、中国、ドイツ、ニュージーランド、ネパール、パキスタン、パレスチナ、フィリピン、フランス、ベトナム、ボスニア、香港、ロシア、モンゴル。
ピースボートの吉岡さんの開会宣言は、満場の参加者を前に、かなり興奮気味で、且つ主催者としての喜びや感動にあふれていた。
―終始にこやかで穏やかな普通のお母さんという感じの方。が、その笑顔を絶やさぬまま、厳しい指摘もしっかりなされた―
日本国憲法9条は60年間に渡って世界中に希望と勇気を与えてきた。特にアジアの地の平和に大きく貢献してきた。しかし、いま日本政府や国民の中にこの9条を放棄しようとする動きがあることを深く憂慮する。
日本の皆さんは、ヒロシマ・ナガサキという核のホロコーストを忘れてはならない。憲法9条を蔑ろにするのは被爆者に対する重大な侮辱である。いつの日かアメリカが日本に謝罪するのを望む。
また、日本は過去の行為に対して、アジアの国々に謝罪し和解の道を歩むべきである。決して武力で平和は生まれない。私たちは核兵器と心の中の武装解除を始めよう。
アメリカや一部の国々はテロへの対処を誤った。安全保障という名のもとに国家によるテロ行為そのものが行われてきた。真の平和を求めるなら、私たちは政府に「人間の安全保障」を求めよう。唯一の手段は対話である。対話のみが役立つ。多様性を受け入れ民族主義を乗り越え、平和を勝ち取ることは時間がかかる。しかし、可能である。私は、祖国北アイルランドで30年間続いた暴力の中でそのことをはっきりと学んできた。
「皆さんは素晴らしい!この歴史的なイベントにようこそ!」といきなり大きな声で力強く呼びかけるワイスさんに満場の拍手。「私は9条を・・・るためにここへやってきました」と、通訳の声も拍手で聞き取れない。すかさずワイスさん「拍手が多すぎるのでスピーチの時間が短くなりそう!でも、拍手ください」と言って、また会場を沸かせた。
コスタリカの平和憲法12条に触れ、また、この憲法に違反しているとして、たった24歳の青年がイラク戦争を支持した政府を訴えた話を紹介。会場におー!というどよめき。その訴えは認められ、支持国リストの中からコスタリカの名前は消えたそうだ。「コスタリカではたった一人の若者が国の歴史を変えた!そして日本では名古屋高裁が憲法9条を支持する判決を出しましたね。おめでとう!」
ワイスさんの話は終始前向きだった。昔は女性に参政権はなかった。奴隷制度があった。法律は、永遠ではない。時代の変化によって変わる。「世界は変えられる!」
私たち一人ひとりが9条大使になりましょう。インターネットで、どこかの国の国会議員やNGOを選び、メール交換をしましょう。そして、その国に9条のような法律を作るよう説得しましょうと。
そして最後にこう結ばれた。「私たちがこうやってあきらめないで平和を作る努力を続けるならば、きっといつかそういう世界はやってきます。そのとき、こどもがこういうでしょう。『ねぇ、ママ、むかしはセンソウがあったんだって?センソウってなぁに?』ってね」
2月24日に広島を出発して71日間歩いてきた人々が到着した。みんな元気で楽しそうに横断幕をかかげ入ってきた。のべ7000人の人々が参加したそうだ。
「ウォークを通して様々な人々と交流するうちに、9条は自分たちの生活の中にあることに気づいた」「ウォークは終わったが、これからも9条がいかに大切か自分から発信していきたい」等々、若い人々の感想が爽やかだった。
外国人の男性に続いて、お坊さんも語った。「文明とはテクノロジーを駆使することではない。人を殺さぬこと、物を壊さぬことである。9条ピースウォークは、非暴力を求める祈りの行進でした」
このウォークに参加できなかったことがつくづく残念!
私たち日本の市民は、この憲法9条を選び取り、日々選び取り直し、61年間努力して維持し続けてきた。毎年5月3日の憲法記念日に全国各地で行っているシール投票では、9条を変えないという人が今年は81%だった。この数字は年々増えている。
しかし、今この時も、日本政府はイラクに輸送機を送り、アラブ海に補給艦を出している。これはあきらかに戦争に加担している。
私たち世界の市民が協力すべきこと、できることはいっぱいある。例えば世界に広がっている非核地帯をさらに広め、核保有国を包囲し、核兵器が意味をなさなくなるようにしよう。もう戦争をしている場合ではない。
「さあ、皆さん、2008年5月4日という日を、幕張という地名を後世の人々に喜びと共に思い出していただくために、持ち場に戻って仕事に取り掛かりましょう!」と、優しさと温もりのある声で高らかに宣言。
―私たち合唱団席はステージの真後ろに位置し、残念ながら土屋さんの言葉はあまり聞き取れなかった―
第二次大戦の後、軍隊を持たない国は7カ国だったが、いまや30ヶ国に増えた。これは相当なスピードである。
我々日本は軍隊を持たない。交戦権を持たないと言っておきながら、立派な軍隊を持っている。こんな矛盾した話はない。それで9条を広めようなんて、おこがましい。その矛盾をなくして、堂々と9条を広めたい。
「ねがい」
2002年広島市立大洲中学校3年生の詩にたかだりゅうじさんが作曲。世界30ヶ国でうたわれ、その歌詞は1300番を超えている。池辺晋一郎指揮。市民合唱団900人と、4人のソロ(ケニア、イラン、アメリカ、ウクライナから)の力強く思いを込めた歌声が感動的だった。その中にいる自分が幸せだった。
「第九」
弁護士と市民による400人の合唱団で歌う。弁護士さんのソロも素晴らしかったが、美しく力強い合唱に圧倒された。しばし、拍手が鳴り止まず!
みんな素晴らしい演奏や表現だった。感想は書ききれないので省略。
世界の中でアフリカほど日本の憲法第9条を求めている地域はない。アフリカ各国が憲法の中で9条を取り入れれば、あらゆる紛争を終わらせ、貧困から抜け出すことができる。戦争を根絶する9条の精神を広めることは、アフリカ大陸の発展にとっても最も重要なことである。
豊かな国々は、世界の平和と安全保障は大規模な軍隊を使って維持しようとし、そのために軍事支出を益々増大させる、という考え方に囚われている。しかし、それは間違っている。平和を軍事的手段で追求しようという試みは、これまで成功した例がない。今後も決して成功しないだろう。
私達は、日本国民と日本政府が9条のヴィジョンと精神を放棄しないように訴える!
マッカーサー元帥は、松本蒸治(国務大臣、法学者)に憲法作成を任せようとしたが、彼はどうしても民主主義的な憲法を書くことができなかった。だから、自分のスタッフに草案作成を命じた。私は朝から晩までいろんな憲法を読んで、何が日本の国に合うか、日本の女性にはどういう権利が必要であるか、一生懸命考えた。民生局の他のメンバーも、同じようにいろんな憲法を参考にした。また、日本の憲法研究会、社会党、共産党や他の組織もGHQに良い草案を送ってきた。つまり、新しい日本の憲法には、いろんな国の歴史的英知が入っているのだ。
GHQが日本に押し付けたという人がいるが、そうだろうか?日本は昔からいろんなものを輸入してきた。漢字・仏教・陶器・雅楽など他の国からインポートし、それを自分たちのものにしてきた。だから他の国の人が起草した憲法であっても、それがいいものであったら、それでいいではないか。
「普通、人が他の人に何かを押し付けるときに、自分の物より良いものを押しつけるでしょうか?」と言う言葉に会場は拍手喝采。ユーモアの中に、憲法起草者としての自信があふれていた。
悠久の昔からアジアは文物の交流で栄えてきた。過去の一時期、日本の帝国主義はそのアジアの人々を傷つけ、自らも大きな代償を払った末に憲法9条を手に入れた。
9条は平和の保証書であり、日本国民の道徳的決断を表わし、ひいては平和を求める全人類の願いを込めたものである。従って、平和憲法は守らなければならない。
また、その存在を守るだけでなく、その内実を曲げて変化させようとする勢力に、その問題点や不当性を指摘していくことが平和を愛する私たちの課題である。
コスタリカの市民社会は、1949年に発効したコスタリカ憲法第12条に、日本の第9条の価値感を維持することに成功した。
日本は決して1人ではない。日本の市民は世界中の市民に支持されている。私たちは、お互いの経験から学ぶことができる。コスタリカの憲法は、アメリカの軍事的圧力に抵抗する力をコスタリカに授けてくれた。コスタリカには軍事基地は一切ない。
9条の主要原則は、各国にとって平和を維持する最も強力な法的手段である。9条を維持するためには、市民社会の支援、みなさん一人ひとりの支援と行動が必要である。
それぞれの国で平和憲法を採択するように、自国政府に対して圧力を加えていかなければならない。この会議は、共通のヴィジョンを現実のものとするためのインスピレーション・原動力となるだろう。私たちは、できると信じ、今から行動を始めようではないか!」と力強く結び、また、途中通訳に詰まったスタッフを優しく労うように去っていく姿が印象的だった。
改憲の圧力は主にアメリカから来ている。2005年、アーミテージ国務副長官は、「9条が日米同盟の障害になっている」とこぼした。
アメリカは有数の武器輸出国で、クラスター爆弾や劣化ウラン弾などの兵器だけでなく、今や軍事会社まで輸出している。我々は軍需産業に負けない平和な産業を作り出すべきだ。日本の皆さんが9条を守り、世界を平和に導いてくださることを願う。
入隊のきっかけは、決して愛国心に燃えてではない。人生の目的が見つからなくて、なんとなくという感じ。私の国では戦争を美化するようなテレビ番組や映画があふれている。また、兵士になることはもっとも高貴なことだと教えられる。
イラクに行き、アブグレイブ刑務所で実際に経験したことにより、考えが変わった。戦争は正義であると思っていたがそうではなかった。アメリカ兵がやっていたことは罪も無い市民への暴力だった。戦争は人殺しであり破壊だった。
間違いを感じたらそれを口に出さねばという気持ちになった。
2003年イラクの兵士だった。国を守る、敵をうち負かさねばと思っていた。
しかし、兄や従兄弟、仲間をたくさん失い、被害者になって思ったのは、破壊されたものを再建しよう、軍事行動を続けることに終止符を打とう、平和を構築する側になろうということだった。武装して戦うことはさらなる破壊を生むだけ。最良の選択は誰とも敵対関係にならないこと。
(いま一番問題なのは?という質問に、「人道支援をしているとアメリカ軍やアルカイダのスパイかと誤解を受けること」と答えていたが、その意味がよくわからなかった)
貧困層が増えてきた日本で、憲法25条の生存権がおびやかされている。職場がないので自衛隊にいく若者が増えている現状は、貧困層の若者がイラク戦争にリクルートされていくアメリカの状況と似ている。またさらに派遣会社が関わっている。戦争がビジネスになる社会になってきた。貧困は戦争につながる。
解決策?それは、軍事費を削って「生きさせる」ことに使うこと。(会場から大拍手)
2004年イラクで人質になったときのことを今でも考える。なぜ、私たちが殺されなかったか、解放されたか、それはその地で丸腰で支援活動を行っていることをわかってくれたから。それは9条の精神そのものだった。日本に9条があったから、私は命を救われたと思っている。(高遠さんの一言一言に満場の拍手)
いま日本の若者が置かれている過酷な状況、その先にはどうやら生存権と引き換えに戦地に行くという選択肢が待っている?そう考えると戦争は決して遠い話ではないようだ。この流れにブレーキをかけられるとすれば、それは、このように国境を越えて手を取り合い、知恵を出し合い、それを世界に向けてに広げていくことだろう。
今日は「戦争のない世界を創る」というテーマで話を聴いてきたが、その核心部分に、日本国憲法9条があることをあらためて確信できた。
ありがとうございます!
5月3日、2001年の第1回以来、今年で8回目になる憲法集会の共同行動は、日比谷公会堂の内外に4300人の人々を結集して開かれた。当初、あいにくの雨模様であったが、集会が終わるころは雨もあがり、公会堂前のオーロラビジョン前には数千の人々が集まった。この日も右翼は約80台にのぼる街宣車をくりだして、集会とパレードの妨害にでた。
集会では堀江ゆりさんの開会挨拶の後、音楽評論家の湯川れい子さん、9条世界会議のゲスト、米国の元陸軍大佐、反戦運動家のアン・ライトさん、共産党委員長志位和夫さんと社民党党首福島瑞穂さんのスピーチを受けた。スピーチの間に舞台には「子どもパレード」の数十人と、2月にヒロシマから幕張の9条世界会議めざして歩いてきた「ピースウォーク」の人々が立って、満場の拍手をあびた。以下のテープ起こしは憲法会議のご協力で採録する。
健康は健康の間に、平和は平和なうちにしか守れない、守るのは私たち一人一人の力と責任
みなさまこんにちは。湯川です。私の年齢をいうのはいろいろはばかられるのですが、67、8、9年、70、71年ぐらいになります。その間にいろいろなことを経験してまいりました。政治的なことは置いておいて、しかしこれは非常に政治的マターではありますが、私は自分の経験のうえでお話したいと思います。
ちょうど61年前に日本国憲法ができたとき、私はその意味がわかりました。そしてほんとうにうれしかった。うれしかった。どんなにありがたかったか。その思いを語り続けていく責任がある、そういうところに私がいると思ってこういうところに出てまいります。
ちょうど61年前に日本国憲法ができました。私は、今日は9条に絞ってお話させていただきます。一人も人を殺してこなかった。サマワに行っても殺さなかった。国の内外で人を一人も殺してこなかった。私は、このことを日本が世界に最高に誇れることだと思います。
商売人として石油がほしいから、いろいろあっちこっちの顔色を見て政治を続けてきたしわよせが今、憲法9条に集まろうとしています。それを私たちは、何が何でも、何とかして守っていかなければ日本という国は本当に何一つ世界に誇れない国になってしまいます。
先日、アイスランドという小さな島国に行ってきました。そこは地熱発電と水力発電、さらに太陽光発電で120パーセント自力で、自然エネルギーで生活をしています。そして軍隊を持ちません。その分、お金を環境と教育費にまわすという大変すばらしい政治を行っています。コスタリカというところもそうです。
私たちのこの小さな島も、これは感性の問題だと思います。もし強力な軍隊をもったとして、さらにはとんでもない人がいて、核兵器を持ったとして、さあどうなるでしょう。逆に、よくぞ持ってくれた、お前が刀の柄に手を掛けるならいつだって攻撃するぞという巨大国が周りにはいろいろあります。そんななかで私たちが生き残っていくためには、絶対に刀の柄に手を掛けるようなことをしてはいけない、どこまでいっても外交、これが大事だと思います。そしてこれについては、アイスランドでの経験が、とてもいい勉強になりました。自然エネルギーをふくめて、日本も地熱大国、温泉大国です。地熱と太陽光、そして今はドイツに抜かれてしまいましたが太陽光発電とか、技術の国としての日本、世界にまねのできない、信頼できる環境政策、そして世界に信頼される技術力をもっています。安全な食物、こういったことで世界のお役にたっていて、あの国はすばらしい国だな、と信頼して貰える方法はいくらでもあると思います。
もう一つ、どうしても戦争体験者として言っておきたいことがあります。
私の父は海軍の軍人でした。海軍の軍令部の中央にあって作戦会議のために徹夜が続き、高熱で肺炎となり、たった3日間で死んでしまいました。その時、私の2番目の兄は海軍兵学校に行っており、やがて特攻隊の分隊長として出撃し、戦後3年帰ってきませんでした。
私は、18歳上の兄から一番影響を受けています。この兄は音楽が好きで、絵が好きでした。大学を出たところにたった1枚の赤紙が来て、徴兵され、フィリピンで死んでいます。この兄が残してくれた絵があります。私はだんだん大きくなって、この兄が画き残してくれた絵をわかるようになったとき、本当にびっくりしました。それはたぶんジャズが好きだったんでしょう。どうやって聴いていたのかわかりませんが、金髪のきれいな女性が真っ赤な帽子をかぶり、マイクロフォンの前で歌っている姿、そこにはコロンビア・レコーズなどと画いてあります。そして白い、アメリカの海軍の水兵さんの服を着た3人がラインダンスをして、バンジョーを弾いていて、上ではスズメが踊っていて、その後ろには大きな星条旗がなびいています。「ザ・スターズ・アンド・ストライプス・フォーエバー(ダンスマーチ)」(ビクターレコーズ)などと画いてあります。そのレコードジャケットデザインを戦地に行く直前まで画いていたのです。どんな思いで逝ったのだろう。そしてどんな思いで、この村を死守せよと言われて、あの小さな妹を守ってやるために、あるいは病弱の母を守るために自分はここで死ななければならない、と覚悟を決めていったのかと考えます。
そして兄が戦争に行く3日前まで、防空壕を掘ってくれながら吹いていた口笛の曲がありました。3日間聴いていた私は、すっかり覚えてしまいました。
やがて戦争が終わり、東京の中学校に行くようになりました。中学校1、2年の頃だったと思います。風邪をひいて寝ていて聴いた進駐軍放送から突然、そのメロディが飛び出してきたのです。どうして?どうして?どうして?…。あの兄が吹いていた口笛が…、と思ったことをきっかけに、私は毎日、学校から飛んで帰ると進駐軍放送を聞くようになりました。そしてそこからやがてエルビス・プレスリーが飛び出してきて、いつの間にか私は今のような職業に、高校を出た後、投稿原稿をもとに今の仕事をしています。これは兄からの大きな遺産でありメッセージであったと思っています。
なぜなら、兄が吹いていたその口笛というのは、実は真珠湾攻撃の翌年、1942年にアメリカで大ヒットしていたハリー・ジェイム・スオーケストラというジャズの大きなバンドの「午後の入江(スリーピーラグーン)」という曲だったのです。兄はあれをどうやって聴いていたんだろうか。「その歌は何?」と幼い私が聞くと「これは僕が作った曲だよ」といって出て行ったのです。そして2度と帰ってきませんでした。これは私にとってものすごいメッセージとなりました。なぜなら真珠湾攻撃があったその翌年でも、そうやって音楽を聴いていた、やがて終戦の年に兄は戦死しました。死んでしまいました。
戦争というのはあっという間に起きるんです。あっという間に起きて、取り返しがつかない状況になるのです。絶対にそうなってはいけません。健康は、健康の間にしか守れません。平和は、平和なうちにしか守れません。それを守るのはみんな、私たち一人一人の力であり、責任であると私は思っています。
そして私がいつも思うのは、そうやって夫を失い、自分の男の子二人、一人は奇跡的に生還してくれましたが、大事な長男を失った母は、私を一生懸命育てながら、涙一つ見せなかった。これは本当に怖いことだと思います。なぜならばそれが教育だからです。母は、戦争に行って子どもたちが戦っているのだからこんなところで負けてはいけない、一生懸命自分たちのために戦ってくれたんだもの、ここでくじけてはいけない、とお化粧一つせず、モンペをはいて、歯をくいしばって細い体で生きていたのを見ています。
私は泣く女でいたい。そんなときに自分のおなかを痛めて生まれてきた子どもが戦争にとられていって、悲惨にも食べるものもなく、蛆虫だらけになって死んでいった。私はその戦場へも何回か訪れました。兄の慰霊に行きました。どうして、人が同じ人を殺して、こんな愚かなことをしなければいけないのだろう。どっちが勝ったとか、負けたとか。今も日本で言う人がいます。日本が世界に堂々とでていくためにはやはり軍備しなければいけない、強い軍隊をもたなければいけない、と。そして次にくるのは経済力だ、と。
私は違うと思います。さっきもコスタリカやアイスランドのことを言ったように、私たちは何をもって誇れるでしょうか。自らの人間としての理念、お金持ちであるとかよりも何よりも、人を誰も殺していない、人が人として支えあうことができる。
「優しい」という字は、中国から来た漢字です。「人」という横に「憂うる」という字を書きます。他人の痛みがわかって、他人の苦しみがわかって、優しくその人の横に寄り添える人。人という字もそうです。支えあってはじめて生きられるものです。そういう国を私たちの力で作っていくことができたら、今のように年間3万人もの死ぬような人たち、子どもなのに痛ましくも自殺していくような少年や、友人を傷つけるような子どもたちに対して、そういう子どもたちに誇れる国を作ってこそ、はじめて子どもたちが生きていく力と希望を見つけるのだと、私はアイスランドで思いました。「将来、2050年から2055年にはアイスランドは地熱発電を使って、世界中の水素電池を充電していくのを国のビジネスにするんだよ」と、子どもたちが目を輝かせて、言うのです。そんな未来をどんなことをしてでも残してあげたいと思います。
男であり、女であり、日本人であり、アメリカ人であり、何人であり、という前に、人間として、もし子どもを失うようなことがあったら、もし自分の息子が銃を持つようなことがあったら、そして人間同士が殺しあうようなことがあったら、どんな理屈もいらないから、それは悲しいこと、恥ずかしいことと泣いてわめける娘でありたい。母の姿を覚えているだけに心からそう思います。
政治的にはさまざまな思惑があるでしょう。だけどこの小さな国は小さいなりにすばらしい資源を持っています。それは私たちが知らずに身につけてきた自然観、唯一神というのではなく、ありとあらゆるものが命をもってつながりあって生きてきているんだ、生かされているんだ、というその自然観。そして美しい国土とみごとな四季。その中で温暖化が迫っていますが…。そのことに絶望するのではなく、私たちの知恵と、もともと志の高い伝統と国民性を持ったすばらしい国です。「愛国」というのは、その国そのものに私たち自身がその国に本当に誇りをもてるかどうかというこであり、私は武力ではなく、私たちのDNAの中に流れているこの知恵と力に誇りがもてる国だと思っています。このことを子どもたちに伝えていきたい。孫たちに伝えていきたい。私の気持ちはいつもそういう思いでいっぱいです。そしてこれからもそうやって音楽を語り、自然を語り、憲法9条─コンスティチューションナンバーナインを、若者たちが踊って歌えるようなロックンロールにしたいと思っています。
これで時間になりました。みなさんごいっしょに、力でもなく、政党でもなく、イデオロギーでもなく、私たち自身の根幹的な理念として、人間として生れてきたことの理念と理想として、憲法9条を世界の宝にしてください。
どうもありがとうございました。
みなさんこんにちは。
今日、憲法の日の憲法集会にお招きいただき、本当にうれしく思っています。
ただいま私の経歴のご紹介をいただきましたが、私は元アメリカ陸軍の大佐になった人間でありますし、退役後は外交官としてアメリカの政治に深く関わってきた、そういう人間です。ブッシュ大統領が起こしたイラク戦争、侵略戦争をどうしても許すことができませんでした。それで退役したのです。むつかしい決断ではありましたが、退役してその後、平和運動に入ってきました。今日、みなさんとお会いできていることを光栄に思います。
私の平和運動といいますのは次のようなことです。日本では憲法9条、軍備を持たない、戦争放棄ということをはっきりとかかげた憲法をもち、その憲法を守ろうということでみなさんはがんばっておられます。アメリカにももちろん憲法はありますが、残念なことに日本の9条のような戦争放棄ということは掲げていません。しかしアメリカの憲法も国民のための憲法であり、守っていかなければなりません。私は、みなさんが日本の憲法を守りたいとがんばっていらっしゃるように、アメリカの憲法を守りたいと思います。そしてアメリカの憲法を踏みにじっている、破っているのがいまの政権、ブッシュ政権です。ブッシュの政党、政府が憲法違反をしています。私は憲法を自分たちのものとして、憲法でもってたたかいたいと思います。このたたかいはみなさんと同じ、憲法を守ろうというたたかいを一緒にやっているということを感じています。
アメリカは、今イラク戦争という侵略戦争を起こしています。そういう国になってしまっています。アメリカは戦争を続けるために日本の政府に対してもアメリカの戦争に協力しろ、自衛隊もそのために、アメリカのために働けと強要しています。私は、自衛隊にアメリカに協力させないでほしい、自衛隊に戦争協力をさせるなという声を大きくあげていただきたいと思います。
私がもう一つ申し上げたいことは、武器の輸出の問題です。アメリカは戦争をし、武器をつくり、武器を外国に売っている、売った国で紛争を起こしています。アメリカは世界一の武器の輸出国でもあります。武器を使う、武器を売るという行為を日本のみなさんから、日本の国にさせないでいただきたいと思います。日本が武器を輸出するような国になってほしくないと思います。みなさんにがんばっていただきたいと思います。
核兵器の問題です。日本に来て原爆が広島、長崎にアメリカによって投下されました。このことではアメリカの国民として、みなさんに深くお詫びしたいと思います。またその教訓を生かして、日本のみなさんは、日本が核兵器を持つ国にならないように、また核兵器の輸出・輸入することを禁じた非核三原則を守って、非核の日本であってほしい。そのためにもみなさんにがんばっていただきたいということを申し上げたいと思います。
今は世界で戦争が起っており、戦争の中の世界にいるわけですが、どう平和な世界をつくっていくか、平和な世界にしていくかということを考えた時に、そのモデルになる憲法を持つ国が日本、9条をもつ日本です。ですからこの9条を世界の国の平和をめざす世界のモデルにしてほしいと思っています。どうかみなさん、世界の国に憲法9条を発信してください。お願いします。
日本人のみなさん、国民のみなさんは、日本の政府に対しても、またブッシュ大統領に対しても、特に日本の政府はブッシュ政権のいいなりになって政策を進めようとしていますから、そういうことではなく、日本の国民はアメリカのブッシュ大統領の戦争には協力しませんとはっきりと大きな声をあげていただいて、政府にもそういうことをさせない大きな運動をみなさんでがんばってやっていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。
みなさん、こんにちは。日本共産党の志位和夫です。きょうは、会場いっぱい、そして会場外にもあふれるみなさんがお集まりいただき、感激しております。
この一年間を振り返りますと、憲法をめぐる状況は大きく前向きに変わったと思います。参院選で国民が下した自公政権ノーの審判は、「任期中の改憲」を掲げた安倍政権を退陣に追い込み、安倍さんが掲げた「戦後レジームからの脱却」「美しい国」なるスローガンは、いまとなっては懐かしくもむなしく響く、文字通りの時代錯誤のスローガンとなりました。
世論調査にも、この変化は、はっきり示されました。読売新聞は、4月8日に憲法に関する連続世論調査の結果を発表しました。私は、3つの点に注目しました。
1つは、改憲反対が43.1%となり、改憲賛成は42.5%、反対が賛成を何と15年ぶりに上回ったことです。2つ目は、改憲反対と答えた人の理由のトップは、「世界に誇る平和憲法だから」で53%だったことです。3つ目は、なかでも9条については、改憲反対が60%と改憲賛成の31%の2倍にのぼり、圧倒的多数になったことです。
「読売」といえば、独自の憲法改定試案を発表するなど、憲法改定の旗振りをしてきた新聞だけに、この調査結果には真実性と説得力があります。逆の結果が出ていれば1面トップになったでしょうが、この結果は1面肩のわずか3段見出しで悔しそうに扱っています。
この連続世論調査の結果をみますと、憲法をめぐる国民世論の前向きの変化は、2004年から始まっています。この年の6月に結成されたのが「九条の会」でした。この会が年々草の根の組織を増やし、7千を超えるところにまで成長したことが、国民世論に変化をつくりだした。ここに大いに確信をもっていいのではないでしょうか。
もちろん改憲派の新たな巻き返しの危険は軽視できません。9条改憲を狙う議員集団「新憲法制定議員同盟」が3月に新役員体制を発足させました。これまでは自民党中心の議員同盟だったのですが、今度は民主党の幹部も役員に参加したのが特徴です。会長は中曽根元首相で、自民党の伊吹幹事長、民主党の鳩山幹事長がそろって顧問に就任し、自民、民主の幹部が顔をそろえました。
憲法審査会を始動させ、海外派兵の恒久法をつくり、憲法改定案をつくろう――これがこの議員集団のプログラムですが、この間の一連の動きをみていますと、彼らが何よりも恐れているのが国民の世論と草の根の運動なのです。
中曽根会長は、最近の集会で、こういいました。「最近のある新聞によると、(改憲)支持と不支持が逆転しつつある。どういう理由によるかわからないが、国民もいろいろお考えなのだと思う」。ずいぶん戸惑った様子ですね。
議員同盟の愛知和男幹事長は、「われわれと正反対の勢力、『九条の会』と称する勢力が、全国に細かく組織づくりができており、それに対抗していくにはよほどこちらも地方に拠点をつくっていかねばならない」と語っています。
ここまで憲法を守る草の根の運動が相手に高く評価されているのですから、その評価にこたえて、改憲派を包囲する、ゆるぎない国民的多数派をつくりあげるために、いよいよ力をそそごうではありませんか。
私が今日、こうした状況の前向きの変化のなかで呼びかけたいのは、憲法を守ることと一体に、憲法を生かそうということです。憲法を平和に生かし、暮らしに生かすための攻めのたたかいを、あらゆる分野で発展させよう、憲法の力で政治を変えようということを訴えたいのです。
憲法を平和に生かすという点では、4月17日、名古屋高裁で、自衛隊のイラク派兵に対して真正面から憲法違反と断じた歴史的・画期的な判決が下り、昨日、確定判決になったことを、私はみなさんとともに喜びたいと思います。
とくに私は、高裁判決が、政府と同じ憲法解釈を前提とし、それでもなお自衛隊の活動が違憲・違法だと断罪したことは、重要な意味をもつと思います。
政府はこれまで、「海外での武力行使はしない」、「武力行使と一体となった活動もしない」、「戦闘地域には行かせない」という建前を強調し、「だから憲法違反にはならない」というごまかしの議論をつづけてきました。判決は、こうしたごまかしの議論を前提としても、バグダッドは「戦闘地域」であり、そこに多国籍軍の武装兵員を空輸する活動は、他国の「武力行使と一体」となった活動であって、自らも武力行使をおこなったとみなされるとして、違憲・違法と断罪しました。
つまり政府の作った土俵、相手の土俵のうえでもなお相手を断罪した。ここには憲法9条のもつ奥深い生命力が示されているのではないでしょうか。
政府からすれば、自分の土俵で投げ飛ばされ、完敗した以上、論理のうえでは容易に覆すことができないことになります。ですから、福田首相は、「傍論でしょ」という暴論しかいえません。高村外務大臣は、判決文について、「大臣をやめて暇でもできたら読む」といいました。早く読めるようになるために「暇」をとらせてあげたいものです。
航空幕僚長は「そんなの関係ねえ」というふざけた暴言をはきました。これは、危険な発言ですが、自衛隊の制服組のトップ級幹部が、「自衛隊は憲法と関係ねえ」と日ごろから思っている、自衛隊は憲法の外の存在、憲法違反の存在であることを、自認する発言ではないでしょうか。これらはみな、論理的に反論不能におちいったことの告白であります。
政府は、司法の判断を重く受け止めて、イラクからすみやかに自衛隊を撤退させよ。このことをいっしょに求めていこうではありませんか。
いま一つ、この高裁判決は、平和的生存権について画期的な見解を示しました。
判決は、「平和のうちに生存する権利を有する」と明記した憲法前文、戦争放棄と戦力不保持を決めた9条、幸福追求権を保障した13条などを引いて、平和的生存権は、「全ての基本的人権の基礎にある基底的な権利」であり、「憲法の基本的精神や理念を表明したものにとどまらず、具体的権利」である――国民にたいして具体的に保障すべき権利と認定しました。
具体的権利とは、政府が仮にそれを侵害する行為をおこなえば、その行為の禁止や損害賠償を裁判所に求めることができるということです。
これは憲法を平和に生かす素晴らしい可能性を開いたものだと思います。
判決では、この権利侵害の具体的な事例として、「戦争の遂行や戦争の準備によって、危険や被害、恐怖にさらされた場合」を例示していますが、たとえば沖縄、岩国、神奈川などに、米軍基地が存在することによって、日夜、犯罪と事故の危険に脅かされている現状は、平和的生存権の侵害として是正をもとめることができるわけです。
また判決では、「戦争の遂行への加担・協力を強制される場合」を例示していますが、有事立法による土地や家屋の強制収用、港湾・空港などの強制使用など、国民の権利侵害も、平和的生存権の侵害として中止をもとめることができるわけです。
こうして9条は、海外派兵をやめさせる力となり、米軍基地による生命や安全への危険をとりのぞく力となり、さらには有事法制を無力化する力ともなります。9条を、平和な日本をつくる道標(みちしるべ)として、大いに生かそうではありませんか。
憲法を暮らしに生かすという点はどうでしょうか。いま貧困と格差にたいして各分野で国民的反撃がわき起こっています。どれもたたかいの根本の立脚点となるのは憲法そのものだと思います。日本国憲法は、世界に誇る平和憲法であるとともに、30条におよぶ人権条項をもつ世界で最も豊かな人権憲法でもあります。貧困と格差をただすたたかいでも、憲法を生かし、憲法の大義をわが手に握って勝利への道を開きたい。
たとえば、後期高齢者医療制度に対して、日本列島で怒りが沸騰しています。これは高齢者に耐え難い負担増をおしつけ、必要な医療を抑制して命と健康を危険にさらす点で、憲法25条が保障する国民の生存権を正面から破壊するものにほかなりません。さらに、年齢を重ねただけで安上がりの差別医療を強要するという点で、憲法14条が定めた「法の下の平等」に反することは明らかではないでしょうか。憲法25条、14条にたって、稀代(きだい)の高齢者差別法を撤廃させるまでがんばりぬこうではありませんか。
人間をモノのように使い捨てにする働かせ方をただし、人間らしい労働を求めるたたかいのよりどころになるのも憲法です。
憲法27条は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」――人間らしく働けるルールをつくることを求めています。さらに、労働基準法は、第1条で「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」とありますが、これは、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とした憲法25条を踏まえたものです。
憲法25条、27条にてらせば、派遣労働をはじめとする人間使い捨ての働かせ方が、どんなに反憲法的なものであるかは明らかだと、私は考えます。それは「労働者が人たるに値する生活」とはほど遠い奴隷的労働であり、そこには「賃金、就業時間、休息」などの労働の最小限のルールすらありません。
この間、労働者のたたかいと国会論戦の力で、派遣労働の規制緩和から規制強化への潮目の変化が起こってきています。とくに私がすばらしいと思うのは、若者たちが、憲法28条が保障した勤労者の団結権・団体交渉権を行使し、「ユニオンをつくって生きさせろ」というたたかいをはじめたことです。これは未来への大きな希望であります。憲法25条、27条、28条を生かし、人間らしく働ける労働のルールをつくっていこうではありませんか。
みなさん、憲法を生かして、戦争をなくし、貧困をなくしましょう。
いま、憲法を生かすたたかいに攻勢的にとりくみ、そのたたかいのなかで国民の多くの方々が憲法の輝く値打ちをみずからの体験をつうじてつかむことが、憲法改悪のたくらみを阻止する一番の力となるということを、私は訴えたい。
憲法を生かして、平和でも暮らしでも攻めに攻め、憲法にそくした新しい日本をつくっていく運動をあらゆる面で広げることによって、改憲策動を打ち破っていきましょう。ともにがんばりましょう。
会場いっぱいのみなさん、こんにちは。2階のみなさん、こんにちは。雨の中にもかかわらず外で聴いてくださるみなさん、こんにちは。
今日のこの5月3日の集会のために準備をしてくださった主催者のみなさん、そして出演者のみなさん、とりもなおさず雨にもかかわらず、今日ここにきてくださったみなさん、ほんとうにありがとうございます。
今日は憲法施行61周年、私は日本国憲法のもとで、日本国憲法の施行を祝うこのような集会に参加できることを本当にうれしく思っています。今日は社民党から保坂展人副幹事長、そして日森文尋国対委員長も一緒に参加していることをご報告します。
さて、憲法状況はどうでしょうか。わたしは今日憲法の力、国民の力、人びとの力、ということでお話したいと思います。
先ず生存権、生きていくという問題です。私たちの周りには、ワーキングプアと呼ばれる人たちがたくさんいます。あのグッドウィルで2交代で働いたという若者にも会いました。夫が過労死で亡くなってしまったという妻にももちろん会ったことがあります。名ばかり管理職の問題、偽装請負の問題、多くの人たちに会ってきました。
今働く人の4人に1人が年収200万円以下、なんと女性の57.8%が年収200万円以下で、働いています。憲法は25条で生存権を規定しています。どんな人も健康で文化的な生活を営む権利を有する。25条2項は国の責任を決めています。しかし実際はどうでしょうか。雇用の劣化は目を覆うばかりです。正社員は死ぬほど働かされ、非正規雇用の人たちはとことん安くこき使われています。また社会保障費のカットはどうでしょうか。2003年、3000億円、それ以降は毎年毎年、2200億円ずつを政府は社会保障費をカットしてきました。2006年の骨太方針でもなんとこれから5年間、2200億円ずつカットし続けることを政府は決めています。私は、国会のなかで福田総理、舛添大臣に対し、「これはやめたらどうか」「これから5年間、社会保障費をカットしたらとんでもないことになる」と訴えていますが、残念ながら自民党は、政策転換を決してやろうとしません。そして後期高齢者医療制度はどうでしょうか。社民党は先日、3時間3本の電話で、「社民党後期高齢者医療制度怒りのホットライン」をやりました。私も電話に出ました。「終わりが近いと政府に言われる筋合いはない」と怒りの電話がきました。本当にそのとおりです。最近のニュースでも、黒枠で通知をだしたということが報道されていました。私は2年前、強行採決・成立で頭に来たのですが、参議院の厚生労働委員会で質問しました。「厚労省、世界の中で年齢で区切る健康保険制度はありますか」と聞きました。厚生労働省は「そんな制度はありません」というのが答えました。世界のどこにも健康保険制度を年齢で区切る制度などありません。75歳以上と以下で診療報酬体系も違ってくる、終末期医療で、サインをしてもらったらお医者さんに2000円の報酬が入る。こんなのはひどいです。「高齢者は病院に来ないでね」、「高齢者はあんまりお金を使わないでね」、という制度ではないでしょうか。そしてもっとひどいと思うのは、65歳以上の一級、二級の障害者の人たちが、この制度の中に入らされていることです。「75歳以上と65歳以上の障害者の人たちは、お金をあんまり使わないでね」、「もうあんたたちは違う制度に行って頂戴」、という制度です。
私は以前、ポーランドのアウシュビッツに行ったことがあります。列車は最後の終着駅がアウシュビッツになっていました。「あんまりお金をつかわない列車に乗って、あっちに行ってよ」と人間扱いしないこの制度に私は怒っています。みなさん後期高齢者医療制度は、今の政治が、高齢者をどう扱っているか、人間をどう扱っているか、人の命をどう扱っているかということをまさに端的に表していると思います。みなさんどうお思いでしょうか。
道路特定財源ではジャブジャブお金を使う。先日再議決をしました。自分たちのことしか考えない。そんな政治をまさに表しています。私たちは、佐世保の例えば1キロ200億円という道路をみに行きました。東京の環状線は1キロなんと1000億円かかるともいわれています。
社民党は「産声の聞こえる街づくりプロジェクト」で全国の産婦人科の状況、産む状況を視察しているところです。全国の自治体の半分は産婦人科がもういません。秋田県の秋北にいきました。そこの市立病院は、お医者さんが2億円の赤字で苦しんでいるということを私たちに話してくれました。お金の使い道を間違っています。私たちの貴重な税金は人の命を生かすことにこそ使われるべきだ、と私は考えています。
憲法25条、この問題でみんなに悲鳴があがっています。憲法25条を守れと悲鳴が上がっています。「生きさせろ」、ワーキングプアーの問題は、若者たちから、自由と生存の叫びが起きました。高齢者の人たちが、普通の労働者の人たちが、「生きさせろ」、「この社会の中で生きさせろ」、「憲法25条を守れ」と立ち上がっています。
ところで憲法21条もある意味で危機です。「三題自粛噺」─あの「靖国」という映画、今日からロードショウができるところもありますが、「靖国」という映画は、一旦上映中止に追い込まれました。日教組の教研集会にプリンスホテルが裁判所が命令をだしたにもかかわらず貸さないということが起きました。そして茨城県つくば未来市では、ドメスティックバイオレンスの講演会が圧力で中止に追い込まれました。
表現の自由、集会・結社の自由が危機です。良い判決が出ることもありますが、イラク派兵反対やいろいろなビラ配り、国家公務員がビラを配ったりする、このことが有罪とこの国でなっていることに大変危機感を感じています。
格差の拡大と貧困の問題は、憲法が規定する「法の下の平等」にも触れる問題です。また憲法24条は家族の中の個人の尊厳と両性の本質的平等を決めていますが、ジェンダーバッシングもまだまだ止まりません。
私、福島みずほが憲法の中で一番好きな条文は、憲法13条です。
どんな人も生きていていいんだ、すべての人に幸福追求の権利がある、個人の尊重がある、この社会に生れて、生きていてよかった、とすべての人が思うべきだ、と書いてある憲法13条は本当にそのとおりです。今の政治がすべての人を幸せにするということを踏みにじっているからこそ、私たちは憲法をもとに政治を変えていこうではありませんか。
私は3年前、ぽくぽくぽくと街を歩いていました。みずほ銀行の前に「みずほならあなたの人生応援します」と書いていました。「これだ」と思いました。政治とは何か、人が涙を流さないためにある。政治とは何か、人を幸福にするためにある、すべての人が幸福になるための仕組、それが政治であるべきです。しかし今の政治はそうなっていません。
憲法九条のことを話します。
最近とってもうれしいことがありました。ご存じ、愛知県名古屋高裁が、自衛隊イラク派兵が違憲だと判決をだし、2日前にこの判決が確定しました。
「戦闘地域」、「非戦闘地域」、「武力行使」─あれは戦闘地域で、武力行使で、米軍とともに戦争に加担する、それは憲法違反だ、と明確に言ったわけです。「なんだ。私たちがずーと主張してきたことじゃないか」とみなさんそう思われませんか。小泉、安倍、福田総理はそれぞれ耳をかっぽじってちゃんと聞け、と私は言いたいと思います。
しかしなぜこんな判決がでたのか、ある種司法が気迫を示したのだと私は思います。国会では三分の二、あるいは強行採決のオンパレード、政治があまりにもひどい、憲法を無視する、イラクの状況は本当にひどい、だからこそ司法権は力を振り絞って違憲判決を出したのだと思います。この裁判長がこの判決を出した後、定年前に退職しました。とにかく司法の責任でこの判決をだしたのだ、と私は心から感謝したいと思います。
司法が判断をしました。この判断によれば違憲ですから自衛隊はイラクから帰って来なければなりません。しかし政府の態度はどうでしょうか。高村外務大臣は、大臣を辞めて暇ができたらこの判決を読むといいました。福田総理もひとごとのようです。航空自衛隊の幕僚長は「こんなの関係ねえ」といいました。「こんなの関係ねえ」というのは「憲法は関係ない」「国民は関係ない」ということではないでしょうか。
ボールは司法から、政府、国会と国民に明らかに投げかえされました。みなさん、この判決の趣旨にそって憲法を実現する、そのことを力強くやっていこうではありませんか。
この判決は、平和的生存権は具体的権利であると言っています。私たちみんなには平和的生存権がある、具体的権利だ、しかもそれはすべての基本的人権の基底、根っこにあるということをはっきり言ってくれています。
国会の状況はどうでしょうか。憲法審査会は形式的には設置されています。これを作動させないようにがんばります。
ところで新憲法制定議員同盟は356名の人たちによって最近作られました。自民党、公明党は36名、民主党は26名がこの中に入っています。憲法審査会を動かし、かつ自衛隊派兵恒久法案を年内につくり、将来憲法改正・改悪をしたいということを掲げています。
去年、小沢代表と福田総理の大連立の話が、とりもなおさず自衛隊派兵恒久法案をめぐって行われたことに、社民党は大変危機感をもっております。特別立法をなくしてドラえもんの「どこでもドア」のように、ドアを開けて世界の戦場と日本の自衛隊が直結していく。これはまさに憲法違反の行為です。みなさん、私たちは力を合わせてこの自衛隊派兵恒久法案の息の根をとめるためにがんばりあおうではありませんか。
憲法状況は危機です。しかし私は、ここ数年来何より憲法の力、国民の力、人びとの力を実感しています。「生存権を保障せよ」という動き、「14条守れ」、「24条大事だ」という叫び、「表現の自由が大事だ」という動き、そして9条を守るためのたたかいです。九条の会ができ、行脚の会ができ、明日からは9条世界会議が開かれます。今日はそのレセプションが行われます。みんなで力を合わせることで政治を変えられます。
政治は人を生かすか殺すかを決めることができるところです。政治は一部の人たちのために憲法を変えようとする人たちで多く占められています。憲法改悪を根っこにもちながら憲法をなし崩しに、骨抜きにしようとする人たちが国会の中に、与野党問わずいます。だからみなさん、政治を変えていこうではありませんか。
政界再編ということが次のレベルでは、自衛隊派兵恒久法案を作ったり、憲法改悪につながっていくことを私たちは望みません。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意し、主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と日本国憲法は言っています。平たく言うと、政府があんぽんたんに、愚かなことに、ひどい戦争をしないように、主権者である国民に「あんたたちはしっかりしなさい」と憲法前文は言っているのです。
ご参加のみなさん、憲法の力を手にして、人間を大事にする、人間を尊重する幸福の政治を、この社会を力強く作っていきましょう。みんなで憲法を生かしていくことをともにやろうという、今日この集会が、その大きな一歩になるよう心から期待します。
いっしょにがんばっていきましょう。
丹羽雅代さん(アジア女性資料センター運営委員長)
(編集部註)4月19日の講座で丹羽さんが講演した内容を編集部の責任で要約したもの。要約の文責は全て本誌編集部にあります。
アジア女性資料センターという小さなNGOの運営に関わっております丹羽と申します。機関誌をいくつか持ってきました。最新号は刑法というものがいったいこの社会で本当に人権をどういうふうに扱っているのかということを特集していますのでぜひ見ていただきたいと思います。わたしはずっと東京ウィメンズプラザや大学で女性の人権ということにこだわって、相談、サポートを仕事としてずっとやってきていまして、もうほとんどリタイアしたんですけれども、そういう関係から現在もいろいろ裁判のサポートなども関わっています。そういう立場からみなさんにお伝えすることができたら、私が知り得ている現実をみなさんと共有することでそこから一緒に考えていけたらと思っています。
今日のタイトルもう結論はわかりますよね。軍隊は人権を守るわけがない。これは行き着く結論なわけです。戦争をする軍隊という機関、装置は人権をないがしろにする、人権なんざかまっていられないというか、そういうことはほとんど考えない存在であるということはみなさんよくご存じだと思いますけれども、それをできるだけ最近のことにつないだかたちでお話をさせていただきたいと思います。
大きくふたつの切り口からお話をしたいと思います。ひとつは沖縄という場所での性暴力、これは米軍という軍隊ですね。在日米軍による性暴力を考えたい。それから二番目には自衛隊ではどうなのか、ということを見ていきたいと思います。性暴力ということに注目した分け方だということをご理解いただきたいと思います。まず最初に沖縄の話をしたいと思います。沖縄における米軍犯罪はとんでもなくひどい状況がずっと続いてきているということはみなさんじゅうぶんにご存じだと思いますが、特にそれを性暴力ということに集中して見ていきたいと思います。
まず沖縄での米軍犯罪が目も当てられない状態というふうにいわれたのはもちろん沖縄戦の直後からずっと一貫してあったわけです。ただし沖縄の人にとってみたら、日本軍の人権蹂躙なんかのほうがものすごくひどくて、そのことのショックというのも大きかったわけですから、そのあと米軍が救いの手に見えたということもいっときはあったようです。でもそのあとすぐに朝鮮戦争が繰り広げられていき、沖縄はその朝鮮戦争の前線基地になる。その前線基地で東アジアの要石だといったような言葉でもって基地のための強制接収などが次々とおこなわれていく中、そういう背景の中では必ず性暴力とか殺人といった凶悪犯罪が多発していったということとがあります。これは日本軍が何を中国でやってきたか、アジア全域で何をしてきたのかということを見ていけばよくわかることなわけですけど、同じことが沖縄でもおこなわれていきます。そしてこのあと今度はベトナム戦争になるわけですね。このときに一挙に沖縄に駐留する、というか当時の沖縄は日本ではありません、日本が完全に売り渡したわけですから、そこで米軍の数は一挙に増大していきます。さすがに朝鮮戦争時代のようなひどい事件の多発ということは避けたいということもあったと聞いていますけれども、ベトナム戦争の時代に積極的に、「休養」と「お楽しみ」、「R&R」といいますけれども、そういう場所として沖縄は役に立つんだよ、といわれてくるわけです。実はつい最近も言われたことで愕然としたわけですけれども、Aサインバーというのがあったんですね。Aサインというのは米兵がどんどん入っていいよというしるし、アルファベットのAを掲げたお店なんですけれども、つい最近も沖縄で性暴力事件が多発した、そのことが大きな問題になっていった中で一部の人たちの中でAサインバーを復活させるべきだといったような声が上がってきているということも、その意味するところを考えたいと思います。
具体的にどんな事件が起きていたか。いくつかのおもだった少女たちに対しての性暴力事件を並べました。1955年には由美子ちゃん事件、6歳の、6歳ですよ、6歳の女の子が強姦されて殺害をされる、米兵によって。という事件が起きてきています。59年には戦闘機が小学校に墜落して子どもたちも含めて17人が死亡するという事件が起きました。それから1960年に日米安保条約が締結されて、ここで日米地位協定、今も重大な問題になっている日米地位協定を日本は沖縄のことを忖度することなくアメリカとさっさと締結してしまった。この1960年に結ばれた、今から48年前の日米地位協定というのがいまの沖縄の状況を固定化してしまってきているということも絶対に忘れてはいけないことではないかと思います。65年には演習中の米軍機からトレーラーが落下してその下敷きになった少女が死亡するという事件がありましたし、金武町で米兵による女性殺害事件が起きています。68年、読谷村で米兵による女性殺害事件、69年、コザ市で米兵による女性殺害事件、もう毎年のように強姦と殺人ということが繰り返されていきます。こういったことの積み重ねの中で70年にいわゆる「コザ暴動」、沖縄の人たちがもうこれ以上我慢できないと直接行動に出たという事件がおきました。それで本土復帰ということが強いプログラムとしてあがってくるわけですけど、でもその間にもまだやっぱり北中城村、宜野湾市、コザ市といたるところで米兵による女性殺害事件が次々起こっています。本土復帰が72年のことでした。本土復帰がされてもやっぱり73年コザ市で米兵による事件、金武町で戦車がひき殺しをするという事件、74年名護市で米兵による女性殺害事件、95年になって宜野湾市で米兵による女性殺害事件、そしてその後に少女に対する性暴力事件が起きた。ここで沖縄の人たちのもう我慢できないよという声が再度起きて85,000人(主催者女性たちは11万人といっていますが)の大集会がおこなわれたというのは記憶に新しいのではないかと思います。
実はこの事件が起きたとき中国で、北京女性会議といいまして、女性差別撤廃条約を日本は1985年に批准をしているんですけれども、それをちゃんと履行していますかということを確かめる世界会議が95年に北京でおこなわれていました。その北京で、この時は日本からもたくさんの女性たちが出かけていって、世界に約束をしたこと、女性の人権、女性の権利ということがきちんと当たり前のように世界中で進められなければいけないということを確かめるための北京会議のその真っ最中に小学生の女の子が米兵3人に強かん被害を受けるというひどい事件が起きた。沖縄からもたくさんの女性たちが北京に行っていたんですけれども、その女性たちは戻ってきてすぐ沖縄で記者会見を開いて、なんということか、今まさに世界で女性の人権ということが問われているそのさなかにそういう事件が起きる、もう女性たちは我慢できないよ、という声がわきあがっていきました。米軍在沖司令官の代表が「レンタカーの代金で女性が買えるのになんでそんなことをしたのか」というようなことを平気で発言をする、また怒りが燃えさかっていくわけですけれども、その大集会がありましてこの時にはさすがにこれは地位協定をなんとかしなきゃいけないんじゃないかという、つまり日本でおこされた犯罪であるにもかかわらず第一義的な捜査権が日本に全然ない、身柄を渡せということも言えない、逮捕権もないといったようなこと、これがすべて地位協定に基づくものだということからその見直しという声がうわーっとあがっていきました。日本とアメリカはどういうところで手を打ったか、それまでは日本が米軍基地まで出かけていって取り調べをしてそしてじゅうぶんに起訴事実が固まったら検察が起訴をするわけですね、起訴をするとはじめて身柄が渡されるというのがそれまでのルールだったわけですけれど、この時をきっかけに起訴前でも米軍の「好意」によって身柄が引き渡される。つまり安全保障条約、日米地位協定は絶対変えたくないということがはっきりしているわけですけれども、身柄が引き渡されるということになりました。ちなみにこの時身柄が引き渡されて有罪判決、実刑判決を受けた海兵隊員、加害者であった男、当時はまだ未成年だったんですけれども、この男は一昨年の8月にアメリカで、実刑判決を受けてずっと刑務所に入って、その後複数の事件を引き起こし、最終的にジョージア州で女子大生を殺し本人も自殺したということが伝わってきています。彼を、何とかしてあげたかったということではないんですけども、海兵隊員になって沖縄にやってきて、そしてそこでそういう事件を起こし、その後の彼の人生というものがどんなものだったのかということを考えさせられると思います。まだこの時30歳だったんですよね、彼は。戦争、軍隊生活、その国のあり方が人に具体的に何をもたらすのかの象徴のような気がします。そういう中で地位協定にいくら言及して頑張っても、それは絶対嫌だと人々は納得しない、そこでSACO合意ですよね。普天間の飛行場を返還する約束が96年に決められました。これが今もずっと続いていて辺野古や高江の状況になっているわけですけれども、普天間飛行場を返還する約束をした、沖縄の人たちはもう先は明るいと思いたかったんだと思います。にもかかわらず、98年には今度は女子高生のひき逃げ殺人事件が起き、2000年には沖縄市で女子中学生の家に米兵が侵入して強制わいせつの事件を起こす、といったようなことは相変わらず続きます。2001年には北谷町の駐車場でひどい強かん事件が起きてしまいました。03年には金武町で、ここらへんからけっこう本土での事件も目立ってくるようになります。8月には岩国市で、10月には佐世保で、04年にも1月に佐世保で、8月には北谷で、9月にはキャンプ座間で、12月にもやっぱりキャンプ座間で、さまざまな米兵による性暴力事件というのがずーっと続いているわけです。いまも。そして大きな問題になったのが米軍機の沖縄国際大学への墜落事件。これも記憶に新しいのですが、日本の警察は一切の捜査をできなかったわけですね。米軍が全部立ち入り禁止にしてしまって、調査権は米軍のみにある。日本の中の大学で起きた事件であったにもかかわらず、そんなことが起きてくる。というようなとんでもなく厳しい現実の積み重ねがずっとあるわけです。
05年7月にはまた沖縄市で小学生に対する強制わいせつ事件が起きてしまった。それから11月にスービック事件、これはフィリピンの事件なんですね。フィリピンのスービック基地というのが大きな米軍の基地としてあったんですけれども、フィリピンはこの2年ほど前にすべての外国軍の基地をフィリピン国内から撤去させると決めまして、スービックの基地というのはなくなったわけです。スービックの基地はなくなったから米軍がいるはずはないということになりますよね。ところが実はそうではなくて、そのあと今度は米比合同軍事演習が行われたり、そういう中で米兵がスービックで休暇を過ごすとか、訓練の途中で立ち寄るといったことがいまも続くわけです。そしてこの事件が起きてしまいました。このスービック事件というのは沖縄で起きてきた事件などともとても近いのですが、よく似ているケースとしては2001年の北谷町の強かん事件があります。車に乗せられて、女性がそこで性暴力加害を受けるわけです。北谷の場合は加害者はひとりだったんですが、このスービックの事件は、実行犯はひとりだったんですけれども、同じ車の中に5人の米兵が乗っていた、後部座席で何がおこなわれているかということを知りながら、誰も止めるどころかはやし立てるということがあってその関係者全員が女性の訴えで裁判にかけられました。このときも身柄をどうするかということで大問題になったんですけれども、最終的にマニラの地方裁判所の裁判長が、自分の責任においてきちんとマニラ市に身柄を全部を持ってアメリカ大使館には渡さないということをやって裁判を行ったと。そして1名は有罪判決が出ました。だけれどもその直後今度は国と国との問題ということになりまして現在身柄はあっさりとアメリカ大使館に渡されている。あとの人間は全員無罪になりすぐに帰国してしまいました。まだ最終判断は出ていないし、加害者が今もアメリカ大使館にいるのかどうなのかも確かめようがないのですが、女性たちはここまで闘い続けてきていることの重みを、十分実感し大切に考えています。フィリピンの裁判制度の複雑さ、検察などのひどさ等、問題は一杯ありますが、がんばって訴えでたニコル、支えている女性たちの意識、これらが大きな力を発揮したわけで、ニコルは、自分は本当によくがんばったと思っていると誇らしげでした。ここでもやっぱり地位協定を問い直すということにつながってきているということがフィリピンの状況です。
日本での直近のことに話を進めます。こういったことがずっと重なってきて声が大きくなってくると普天間の飛行場返還約束からそれを具体的にどうやって実行していくのか、米軍の基地縮小をどういうふうにするのという話になっていきまして、06年にはそのロードマップが発表されるということになりました。ここで出てきたのがグアムへの移転計画です。海兵隊の沖縄の負担軽減をするということで、海兵隊員8,000人をグアムへ移すということが発表されました。だけれどもグアムの人がどう思ってるのか。これは余談ですけれども、私たちは今年のアジア女性資料センターのスタディツアーでグアムへ行ってきました。グアムの先住民であるチャモロの人たちと出会って話をしっかり聞いてこようということで出かけたのですけれども、グアムの人たちは大きな声では米軍基地反対ということはいえない。いわないけれども本当にそれで何が起きるのかということをとても心配しているということがよくわかりました。私たちがスタディツアーで行きますよということになったらチャモロの活動家の人たちとか女性グループがすぐ準備をしたことがあります。グアム大学で開かれた合同シンポジウムでしたけれど、実際には、主として私たちに話をさせるという計画でした。しかもそれを新聞だとかラジオだとかそういうところに宣伝をして、多くの人たちに日本で沖縄で何が起きているのか、その人たちがグアムに来ると何が起きるのかといったことを一緒に考えるシンポジウムをグアムの人たちが計画をした。あまりにもそれまで沖縄の状況などを知らされていなかったので、それをぜひ共有したいということをグアムの人たちが考えたということです。ツアーでお世話になるだけではなく、少しはお役に立つことができたかなと思っているんですけれども、米軍の世界戦略、その中での沖縄、グアムの位置、そしてイラクでもアフガンでも、もっとも果敢で先頭に立つ海兵隊とその実態、女性たちに対する人権侵害などというものではなく、同じ権利がある人間とは思っていない事実、そしてそれは米軍固有の問題ではなく、いまだ解決をしようとはしていない日本軍戦時性暴力問題、改憲問題、いいたいことを私たちも展開できました。その場所には、議員だとか、知事夫人だとか、おれきれきが勢ぞろいし、夜はゴージャスな大邸宅でパーティーが開かれました。幅広く、じっくり浸透できるような力、それを女性たちがしっかりしたたかに育んでいると実感しました。
日米合意のロードマップ、沖縄の負担軽減に本当になるのかということを注意深く見てみると全然そういうことではない、これからの世界戦略により役立つ形にするための実に好都合な方針だということがわかります。もうすでに古くなってあまり役に立たないような、土壌もひどく汚染されていて使いたくない、そういう場所とか古びた施設は日本に返してあげるよ、そしてもっと性能のいい、効率のいいかたちでの日米の合同の軍隊、より強さを増す軍隊をつくっていこうということがいま進んでいることだというふうに私には感じられます。そういうようなことがロードマップが発表されていまも着々と進みつつあるということだと思います。そんな中でまたまた事件が起きました。07年10月今度は沖縄市で強盗強かん事件が起きます。これは米兵ではなくて女性米兵の息子が起こした事件でした。軍属ですよね。それから同じく10月今度は広島市で岩国基地に来ていたやはり海兵隊の米兵による強かん事件が起きました。この事件、なぜ不起訴になったのかということをお話ししたいと思います。米兵たちは岩国基地にいて広島市まで遊びに行くわけです。ほんの30キロほどしか離れていないところです。広島市で遊んでいて、あるイベント会場で踊りやおしゃべりを楽しんでいた。明け方近くの時間だったんですけれども、そこでひとりの女の子が友達になった米兵のひとりと一緒に車の中で性行為を持とうということをOKした。ふたりでちょっとスリリングだけれど楽しい時間を過ごすものだと彼女は思っていたのになんと3人もぞろぞろついてきてそのまま入り込んで、そして4人の米兵によって彼女は何度も強かんされてしまった。このことが不起訴になる、これは非常におかしい話なんですよね。不起訴理由は何でかというと、彼女は広島の警察で事情を話すときにすごく自分が受けた被害が悔しいし情けない、でもそれ以上に恥ずかしかった、お馬鹿だった、まわりからものすごい大合唱がわんわん来たわけですよね。4人もの米兵に夜明け方に行動をともにしようなんて思う方がおかしい、その女の子はよほどふしだらな子だったんじゃないかとか、何を考えていたんだとか、一緒にいた友達が止めたのにもかかわらずその子はひとりの米兵と行動をともにしようとしたということからあまりにも思慮がないといったような、被害女性をものすごく非難する声がわんわんとあがってきた。そういうような中での警察での調べ、被害を受けた当事者の女性はそのことを非難されるということで本当に憔悴しきっていてだれも自分の言い分に耳を傾けてくれない、警察で事実をありのままに話すということが非常に難しかったというふうに言っていたということがわかっています。最終的に警察はそれは合意があったという米兵の主張をほぼ全面的に受け入れて不起訴処分にしてしまった。ところが何で彼女はそのことをもう放っておいて下さい、そっとしておいて下さいというふうに言ったかのかということの事情がわかってきた。ひとりと合意していただけだったにもかかわらず3人の男たちが入り込んできて強かんされてしまったというひどい犯罪が起きたということの実像がわかったのは、米軍による軍法会議に向けた予備審査の中でだったわけです。それがこの3月におこなわれていました。軍法会議の予備審査も軍法会議も全部都合のいいところは公開するんですね、米軍は。日本の警察は起訴もしなかったようなことなのに米軍が取り調べて、そしてそれはちゃんと犯罪として裁くらしいということでなんだかアメリカのやり方のほうが正しくていい、日本の警察のやり方はまったく正しくはないんだけれども、そういった米軍のやり方のほうが進んでいるかのような印象をばらまくような使い方がされているかなと思います。私たちが正確な情報を知ったのは基地の中にいるアメリカの新聞記者から伝わってきた結果なんですね。軍法会議は4月に予定されていたんですけれども延期をされたということです。この延期の理由もたぶんそれ以外のさまざまな事件との絡みとか、そういうことで時期を見て最も効果的なときにそういう宣伝に使えるやり方を考えているんではないかなと思うのですが、軍法会議は6月に予定されています。ただし、軍法会議というのは別に日本社会に影響を与えたから犯罪を裁くことではないわけですよね。軍隊のルールに彼らがちゃんと従ったかどうか、そのことが問題にされるだけであっていわゆる犯罪行為そのものを裁くのだということとは違うということをちょっと頭に入れておいて欲しいと思います(軍法会議の途中経過では、すでに2名の裁判が終了し、司法取引―反論権を放棄し、すべて明らかにする代わりに刑を軽くする―が行われ、最終的にずいぶん軽い1,2年の刑となったと報道されている)。そういう事件があってそれが不起訴になり、しかも当事者の被害者は「もうお願いだからそっとしておいて欲しい」と言い、そういうことばかりが喧伝されて行く中で、今度は今年の2月になって北谷町で中学生の14歳少女が米兵による性暴力被害を受けました。この女の子は告訴を取り下げています。性暴力事件というのは強かんにしても強制わいせつにしても本人が親告しなくてはならない。親告罪ということになっています。なんで親告罪かというと、本人がそのことについて、もう放っておいて欲しいとかそっとしておいて欲しいという本人のプライバシーとかさまざまなことを大事に尊重するから親告罪なんだといわれていますけれども、私はそれは「嘘だ」と思っています。親告罪でなければならないという理由は本当にあるのかなと思っています。それからこの少女は14歳だったんですね。14歳未満であれば親告罪ではないのです。つまりね、13歳の女の子だったら例えば合意したとしてもそれは犯罪になる。だけれども14歳だったら合意をした、あるいは嫌だとは言わなかったとすればそれは犯罪にはならない、というのが私たちの社会を守っている法律なわけです。私たちの安全を守るはずの刑法ですら私は私たちをまったく守っていないのではないかと思っているんですけれども、それについてはぜひ、機関誌「女たちの21世紀」をお読みください。そういう刑法の実態があって、そしてその女の子は確かに絶対に嫌だとか逃げたいとか助けてということを言ったから助けられたという事実がはっきりわかっているにもかかわらず、それが親告罪で本人が取り下げると言ったから取り下げられてしまった、だからこれ以上問題にできなかったと司法当局は言っているということも忘れてはならないと思います。これが大きな事件として取り上げられたものですから米軍はどうしたかというと無期限外出禁止措置というのを即やりました。ところがそれをやった翌々日には酒酔い運転で事件を起こし、それから民家に侵入して酔っぱらって寝込んでいたりといった事件が次々起きているんですね。無期限外出禁止措置なんていうのは全然役に立っていないということがよくわかると思います。それからフィリピン女性の強かん事件も起きています。これはまだ現在も捜査中です(これも最近不起訴となっている)。それから覚醒剤事件が起きている。といったようなことが次々と現実の事件として起きているというのがいまの沖縄及び米軍基地のある街で起きていることです。
米兵による性暴力犯罪は確実に増えてきています。88年から95年の8年間で、米兵による性暴力犯罪は1,832件といわれています。これが全部の数だとは思えません。もちろん届けられていなかったりまったく米軍が把握していないような犯罪行為はたくさんあっただろうと思いますけれども、それはいまもかわらないわけですね。その中で特に在日米兵による犯罪は216件だったということが明らかになっています。それが06年10月から07年9月の1年間の米兵による性暴力事件、これもアメリカの国防省が発表している数ですから同じリソースですけれども、その数は2,688件というものすごい数になっています。もちろんこれが全部民間人とか日本人を対象にした犯罪ということではありません。2,688件の犯罪のうち民間人を相手に起こした事件は574件、ということは圧倒的に被害者は米兵なんですね、あるいは軍属だったりするわけです。基地の中で起きている事件が非常に多いということです。基地の外で起きている事件は749件だそうです。それから強かん事件というのは全体の中で1,259件、約半数と言っていいと思います。米兵が被害者であった事件というのは867人だそうです。それから総数2,688件というのは世界中で起きているわけですけれどもイラクの軍の中で起きた事件というのは105件だそうです。アフガニスタンの軍内では43件だそうです。アメリカの国防省の発表数というのは非常に増加した背景というものを語らぬままに語っています。アフガニスタンへの侵攻以後急速に増えてきているといわれます。沖縄の人たちは、基地の中で特に海兵隊を含めて米軍兵士の精神が荒廃し、荒れ果てているというふうに、荒れ狂っているという言葉を使って話してくれました。そういう状況がいま起きているということです。だから被害を受けているのは米軍の駐留を許している日本や韓国だけの問題ではなくて米軍そのものの荒廃の問題なんだというふうに見なくちゃいけないんじゃないかと思っています。さてたびたび名前が出てくる北谷町です。北谷町はこの間の北谷の事件から急速に問題になったのが基地外に居住する米兵の問題が大きく騒がれるようになってきたということはご存じだと思います。北谷町、人口27,000人の町です。その町に米軍関係者、基地外に居住している人は2,893人いる、つまり実質的な住民の1割が米軍軍属であるということが明らかになりました。この事件が起きるまでいったいどれだけの人が基地の外に生活しているのかということは、実数は知らされていませんでした。これが今回明らかになったことです。1割の住民、つまり10人に1人がアメリカ軍人なわけですよね。そういう町に北谷の人たちは生活しているということがあらためてわかったということがあります。しかもこの人たちはもちろん入国審査も受けないし自由に日本の場所を歩くことができるわけですよね。一切どこに誰がどうしているということもわからないままにそういうことがおこなわれているということが現状だということです。しかも米兵は頻繁な移動が繰り返されています。6ヶ月から2年というのが基本的な日本に駐留するとしたら期間です。いま日本中に在日米軍軍属関係者がどれだけいるかというと94,217人そのうち沖縄には44,963人が生活しているということがわかっています。それから基地の外に暮らす居住者は10,748人、本土には11,566人います。一番多いのは横須賀市で3,420人が基地の外で生活しています。座間・厚木関係で1,232人が生活している。神奈川県に5,672人いるんだよということです。あらためてこの数字を私たちはじっくり味わっていく必要があるんではないかと思います。こういった事実が明らかになって、米軍では今後の再発防止策を発表しました。いま実際に基地に在日米軍がどれだけいるか、それから基地外にどれだけの人が住んでいるかということを発表する。それから居住条件、基準を検討します。それから防犯カメラを設置します。共同パトロール、日本の警察と米軍の共同パトロールを実施します。夜間外出制限の措置をおこないます。それから性暴力などに対する教育プログラムを強化します。再発防止策の検討を継続します、といっていますけれども何よりも事実がそれがいかに無策であるかということを示していると言えるのではないかなと思います。ちなみに現在の米軍の女性兵士の割合は現在15%だそうです。結婚している女性たちは多いのですけれども、その3分の1の家庭でDVが行われている、これは米軍が発表している数字です。そんな人たちが「私たちの安全を守る隣人」としているのだということをもう一度考えなくてはいけないんじゃないかなと思っています。
次は自衛隊の話をしたいと思います。2006年9月、北海道の札幌近郊ですけれども、そこの航空自衛隊の通信基地で当時20歳の女性自衛官が、勤務中に泥酔した自衛官に性暴力の加害を受けました。このことで彼女は裁判を起こしています。しかも在職したままで。現在も同じ場所で勤務を続けながら彼女は裁判をたたかっています。現職で裁判を起こす人が出てきてくれたおかげで私たちはずいぶんたくさんことを知ることができました。本当に彼女の毎日というのはめまぐるしい日々です。その現実がどんなものかということをじっくり考えていただきたいのですけれども、彼女のサポートに私はずっと関わっているので、そういう中でわかってきたことなどをこれからお話ししていきたいと思います。
その基地の中で女性たちは5人いるんですね。180人中で女性が5人います。その5人の女性自衛官の中で20歳の彼女が最年長。次々と辞めていってたんですよ、先輩は。彼女は最年長なんです。だから頑張らなきゃとすごく思っていました。女性自衛官の宿舎はどこにあったかというと、中心の建物が一棟あるんですね、3階建ての建物が。その建物の1階がいろいろな執務室、2階が食堂とか講話などが行われる広い会議室、そして3階が半分が女性自衛官の宿舎。そういう建物の中に生活しています。そこはね、山の上なんですよ、通信基地ですから。雲の上にあるというくらいの場所なんです。とってものどかでいいところなんですよね。どのくらいのどかでいいところかっていうと、彼女はそこでレーダー整備の仕事をしている女性でした。レーダーの仕事というのはもちろん24時間勤務ですよね、交代制で。3人1チームで交代するわけです。3人1チームですから当然あと二人は男、そして彼女で3人チーム、夜勤ももちろんあります。夜勤のときってどういうふうだったのかというと一応制服を着ているんですけれども、仮眠を取ることが許されるんですね。そうすると男性自衛官というのは本当にシャツとステテコでそこらを歩き回る。一応任務を一通り終えると仮眠に入るんですけれども、非常に狭くてちょうど机と机の間の通路のようなところで仮眠をするわけです、布団があってそれを引っ張り出して。目の前でステテコおじさんが歩くわけですよね。そんな中で仮眠をするというのが日常生活でした。しかも昼間はどんなことをやっているかというと、3人チームでも実際の仕事というのは敵が来襲するわけでもありませんし、ときどき緊急の訓練が入ったりするんですけれども、そうじゃないときってひまなんですよね。私はひまな自衛隊はいいと思ってるんです。忙しい自衛隊だったら困る、ひまな自衛隊はけっこうだと思うんですけれど、そうすると3人の中で彼女は一番下っ端ですよね、当然。あとのふたりは何をしているかっていうと、ちょっと電話をかけてくるといって携帯電話を持って外に出て行って2時間くらいおしゃべりをするとか、女性自衛官は基地の中の宿舎で生活しているんですけれども、ある程度勤務を続けている人は外に自宅を構えることができるんですね、自宅から故障したテレビを車で運んできて、勤務時間中にせっせと修理をするとか。面白いのは山菜採りをしてそしてそれを基地に来たお客さんにお土産であげる。そういうことがごくふつうのこととして、誰も疑わないこととして行われていた。一番下っ端の彼女はやっぱり変だなと、ものすごく正義感の強い人なんですね、だから「こんなことをやっていていいのかな」と思うんですけれども、まず自衛隊では上の人に何か言われたときに「何でですか」ということを言ってはいけないです。「ちゃんと聞け」って言われるだけなので、下から上は質問するということは基本的にはあり得ない。そういうのどかな関係の中ですから、別にそんなに日常的にすごくひどいことがしょっちゅう行われていたわけでもないし、彼女はそんなものだろうと思って、でも他の若い子たちに変なことにならないようにというのをかなり心配をしながらいつも気を配っているという役割を果たしていました。実はお酒をよく飲むんですね、みなさん。一応決まりとしては夜9時まで、それも食堂でというのが規定の飲酒できる場所、ということになっているそうなのですけれども、女性たちは未成年もいる。未成年だということはみんな知っている、でも「まあそういわずに飲め」とかいうようなことは日常茶飯事、それから夜勤の人が宴会をする、それでそこに女性を呼んで侍らせるということもしょっちゅう起きています。それと人里離れたところだからお祭り騒ぎが好きなんですね。例えば彼女は自衛隊の中の英語スピーチコンテストで北警団の中で2位かなんかになったということがあったんです。彼女が帰ってきたらアーチがつくられていて、そして焼き肉パーティーなんですね。何かにつけて、よかったねとかいうときには焼き肉パーティーを行う。お金の出所はどこなのか、上司がお金を出しているのか、特別なお財布があるのかわかりませんけれども、彼女は会費制だったことは一度もありませんと言っていました。というようなことが日常的に行われているわけです。それも別に悪くはないと思うんです。できれば自費でやってもらいたいと思いますし、夜勤中に酔っぱらって寝ない方がいいんじゃないかなとは思うんですけれども。でも寝ててもかまわないくらいの自衛隊だったらいいじゃんって思うんですが。
さて事件はどういう事件だったかといいますとね。夜中の2時くらいに女性の後輩の携帯電話が鳴るんです。何度も鳴るんです。でも彼女はぐっすり寝ていて気がつかないんです。この日は、隊員の交流で出身地対抗別ソフトボール大会があった。すっかり盛り上がって勿論終わったらお酒もでるお疲れさんの会でした。みんなくたくたで爆睡です。女性が電話に気がついたんだけれども、出たくないのかなと思って放っておきました。そしたら今度は固定電話が鳴った。彼女は何かあったんだろうかと思ってその固定電話を取りました。緊急行動などだったらでなければ大変です。そうしたら地下のボイラー室から上司から、全然仕事が違いますから直属の上司ではないんですけれども位は上ですから上司ですよね、その人が「ちょっと話したいことがあるんだ、いまここに数人いていろいろ話をしているんだ。○○を呼んだんだけれども電話に出ないんだがどうしている」というので「寝ています」と答えたら「じゃあお前でもいいから来い」と言われた。彼女はもう遅いから行きませんといったんだけれども、そうしたらいやいや話さなきゃいけないことがあるというようなことを言うので、じゃあちょっとだけ行かなきゃしょうがないかなと思って彼女はスウェットとジャージに、目が悪いので普段はコンタクトを入れているんだけれどもめがねが真っ暗で見つからない、電気をつけるのは禁止だから仕方なくかけずにそのまま地下におりていった。そうしたらそこにひとりしかいないんですよ。3人いるっていったのにひとりだけになっていて、しかもボイラー担当のその男がソファでばたーって倒れている。彼女は大丈夫かな、もしかしたら急性アルコール中毒かと思って、声を掛けた。明らかにお酒を飲んだあとがいっぱいあって泥酔状態です。「いやあ、俺はもう全然ダメだ」とかいって何時になったらボイラーの準備をしなくちゃいけないからお前ちょっとやってくれと言ってまた寝ちゃう。彼女はそんなことをいわれても困るわけですよね。実は彼女はボーイフレンドがいまして彼は調理担当なんです。以前に別の人がボイラーをちゃんと始動しなかったために調理担当の人がとても困ったということを知っていましたので、何とか起こさなきゃいけないと思って一生懸命言ったんですね。そうしたらわかった、わかった、大丈夫だとか言って、用があるというから話を聞かなくちゃと呼び出されてきたにもかかわらず、そのあと突然「花火をあげよう」と突拍子もないことを言うんですけれども、これも自衛隊の結構なお楽しみなんだそうです。何十連発だかの花火が「自分のロッカーにあるから待っていろ」、しかもどこでやるかといったら外へ出てはまずい、ボイラーの高い煙突があるんですね、その煙突に上って花火をやろうという、なんといったらいいんですかね。彼女はめがねもかけていないし困るわけですよね。おしりを持ち上げられてその煙突に無理矢理あがらされて花火を打ち上げさせられる。9月ですから花火もいいのかもしれないですけれど、自分で勝手にやってくれればいいですよね。わざわざ彼女を巻き添えにすることはないんですけれど、そういうことをやる。彼女はそのときにひざ上などにひどい打ち身傷で内出血をしているんですけれども、130センチもの高いところにある段に無理やり上がらされれば当然です。そんなことがあってすっかり気をよくしたそのおっさんは早朝の仕事を彼女にやるよう言いつけて、これもとんでもなくむちゃくちゃですが、そのまま彼女を仮眠のソファベッドに連れて行ってしまいます。内鍵を彼がかけてしまう。電気が消されて被害を受けてしまった。強制わいせつ行為、強かん未遂の被害を受けています。「コンドームがないんだけどいいよな」といったんです。「絶対それは嫌です」と彼女が言ったので強かん被害は免れた、これも変ですよね。彼女が絶対それは嫌だと言って必死でやめさせたので強かん被害ではなかった、だから強制わいせつで罪は罪は軽いんだということになるのがいまの社会の刑法のルールなんですけれども。そのあと彼女はくたびれ果てていて、部屋に帰ろうとしたんだけれども、彼女の洋服を全部からだの下へ相手が敷き込んでいて逃げることができなくてそのままそこで仮眠をしてしまった。それで合図が鳴ったので飛び起きて彼女は部屋に戻ったということです。そのあとどうしようと思ったんですけれども、最終的に彼女は仕事を平気な顔をして続けるということができなくなって、それで夕方からの勤務中に、上司に報告をしました。その男から加害を受けたということをすぐ翌日にいっています。そのあとからまたまた大変なんですね。話をする相手というのは、とにかく男しかいないわけですから、その人に言ったわけですけれどもそうしたらそのことを最初はちょっとは同情気味に話を聞いてくれたということです。それなりに調査をするわけですけれども、あんまりそれが辛かったので恋人に電話をかけて呼ぶんです。その人も自衛官なんですけれどもその人は知人の結婚式で札幌に行っていたんですね。彼女がただならぬ様子でしゃべるので急いで戻ってきた。彼女は上司に言って、ちょっとだけ話をしてきたいのでということで仕事を離脱して車の中で話を聞いてもらったりしています。
全体的なことを知った上司たちはどうしたかといったら、これが面白いというと不謹慎ですが、彼女の上司と加害者の上司とが話し合うんです。そしてそれは悪かったから、お前いくらなら慰謝料を払えるかといって上司同士が相談をしてそしてその加害者に聞く、そしたら100万円ならなんとかとかいう話までいった、100何十万という話も出た、ということも彼女は自分の上司から聞いています。それで手を打っていいかといわれて、彼女としては手を打っていいかといわれても納得はできない、「相手は罰せられないんですか」と聞いたら「慰謝料払えばいいじゃろう」という話になっていくわけです。その話は最終的になくなるのですが。相手のほうもその金は払えないということになって示談の話は決裂するんですけれども。上司と上司が「ごめんなさい」を言い合うんです。本人に謝罪があるわけではないのですよね。階級社会というものの非常に具体的な判りやすいかたちなんです。そういうことがまずおこなわれようとした。彼女としては納得がいかないなと思いながらも上命下達の組織ですからしょうがないのかなと思って上司がやるままにまかせていたんだけれどもうまくいかない。最終的に彼女はきちんと調査をして欲しいと言いました。警察に訴えることはできないんですかと聞きました。「できない」といわれます。自衛隊の中で起きたことは内部組織が責任を持つ、警務隊という組織があります。これは一般の警察にかわる組織なんです。「警務隊が調べをします」ということになりました。彼女はその前にまず自衛隊の中のセクシャルハラスメントの被害を相談できる窓口を探します。最新のパンフレットもあるんです。監督者用と一般用とがあるんです。これは彼女の裁判がきっかけでこんなにきちんとしていますと言うアピールのためではないかと思いますが。とにかく自分が相談できる人がいるということを聞いたのでその人にコンタクトを取りました。そしたらその人はどういったかというと「俺にいわれても困るんだよ、そういう話は」。彼はもうあと1年、2年で退職する定年間近の自衛官。そういう人がちょっとした研修を受けて相談員という役割を果たすのだそうです。相手を罰して欲しいとかあの人をここに置かないで欲しいという彼女の訴えに対して「それは僕に言われても困る」といって何の役にも立たなかった。それから上司に「お願いだから私の目の前でうろつかないようにさせて下さい」といいます。彼女は食事が摂れなくなってしまいます。食堂に行けばそいつがいるということがわかっていますからいっさいご飯も食べられなくなってしまった。そしたら上司はお昼休み前半の20分間だけでその男は食堂から退去する。それから男は彼女が普段使う場所へ足を踏み入れてはいけない。3階はもともと足を踏み入れてはいけないですけれども、使わせない。それから出入り口は裏側を使うとかいろいろと制限をしてやるから大丈夫だ。全然大丈夫じゃないんですね。彼女が訴えた数ヶ月あとにセクシャルハラスメントの研修があったんだそうです。それは講堂でおこなわれました。彼女のななめ前にその加害者が座っている。そういう場所でおこなわれるセクシャルハラスメント研修を彼女はどんな気持ちで受けたか、何にも耳に入らなかったと言っています。それから食堂に相手がいなくなったかどうかを相手の上司が彼女に連絡を取ってくれて、それから彼女は食堂におりていくということになっていたんですけれども電話がかかってこないので聞いたらまだそこにいたとか、そういうことはしょっちゅう繰り返されるわけです。そのたびに彼女のストレスはひどくたまり、上司もだんだんここまで配慮してやっているのに、お前の態度は何だという話になる。これはごく普通の会社や大学などでもよくある事ですが、解決が長引けば長引くほど、いたずらに有効な手立ては考えないからこそなのですが、状況は申し立てた側に不利になって行く。彼女がやっぱり精神的に非常に負担が大きくなってしまってもう仕事ができないということで、レーダーの仕事から離して事務仕事に移された。結果的にはずいぶん助かった、大好きだったレーダーの仕事から離れなきゃいけなくなったんですけれども。事務の仕事っていうのは8時から5時まで、土日休みです、夜勤も変則勤務もない。たとえばもしも私が基地に電話連絡をする、あるいはファックスを入れると彼女はそれを受け取るんです。で宛先の人に持って行く。防衛省からの連絡でも。彼女は見ない、ことになっている。そこがなかなか面白いなと思います。
さて、警務隊が調査をしました。しましたけれども、警務隊が警察と一緒だったら、当然それを検察に送らなきゃいけないわけですよね。でも検察に送ったのか送ってないのかも全然わからないままに日にちが経っていきました。彼女はだんだんだんだん元気が出てくると「もうちょっとちゃんとやってくれませんか」ということを言ったりする。すごい反発が返ってくるようになります。上司たちにも「お願いですからちゃんとことを進めて下さい」というふうに言うと彼女が入れるお茶を飲まない、無視、それから「2ちゃんねる」に彼女のことにかんして実名でいっぱいひどい書き込みが出てきて、当然基地の中で誰かが書いていると思えるようなことがずっと出てきたわけですが、その「2ちゃんねる」の書き込みをプリントしたものを彼女の目の前にドンと置く。やめて下さいと彼女が抗議をして印刷の束を持って出ていこうとすると缶ジュースか何かのの缶をぶつけたりするわけです。それはトップも含めて「上司」なんですよ。こういうことが日々続くわけです。
そして最終的に退職強要が始まります。「被害者面をするのではない、お前も加害者だ。いっしょに酒を飲んだじゃないか」とか、彼女は上司の許可を取ってから彼の所に行って話をしているんですが「職務離脱をした」、それから彼女は本来ボイラー室には入っちゃいけない立場なんですね、「そういう部屋へ呼ばれたからといって行ってはいけない」とかね、さまざまな「彼女のほうも規律違反をしている」ということをいっぱい言い出すわけです。もう彼女は辞めるしかないって思って、そうしたらお前はあと休暇がこれだけ残っているからそのあいだ親のところへ行って退職するということを書いた紙に親の印をもらってこいと上司から言われます。彼女はそうするしかない、がっかりしてしまって親のところへ行ったらお父さんが、お父さんは自衛隊員になることに反対していた人ですが、自衛隊を辞めるのはけっこう、だけれども悪いことは悪い、裁判を起こすことだってできるんじゃないかということで、お父さんが知り合いに連絡を取り、その知り合いの人がまた連絡を取って、北海道の佐藤博文さんという、実はイラク訴訟の全国弁護団事務局長なんですね、この佐藤博文さんにコンタクトを取るように下準備をしてくれました。ただ彼女はそのつもりはほとんどなくて、休暇を取って明日、明後日には帰らなきゃいけないというときに北海道に戻って佐藤さんの事務所に連絡するんですね、だけれども彼はいなかった。それで事務の人が彼女の話を聞いて、そしてその事務の人も偉かったんですが、彼女は「もういいです」と言っちゃたんですね、だけどいちおう携帯電話の番号だけ教えておいた、そうしたらその事務の人が佐藤さんに「やっぱりこれは連絡を取った方がいいと思います。頑張って時間をつくってあげて下さい」と言って佐藤さんがそれを聞いて、明日帰隊するという日の夜に彼女にあうことができました。彼女の話をつらつらと聞いて、佐藤さんはだいたい自衛隊反対の人ですからね、同い年の娘さんもいる、自衛隊なんか辞めた方がいいよって本当は思っているわけです。辞めた方がいい、だけど裁判はやったらいいと彼女のお父さんと同じようなことを思っていたんですけど、本人には言わないで、彼女に最後にぽろって言ったんですね。彼女は「もう辞めます」って言ってたんです。それに対して「本当は辞めるのはあなたじゃないよね」って言っちゃったんですね、佐藤さんが。そうしたら彼女の顔がぱっと輝いたんです。彼女はやっぱり自衛隊を辞めたくなかった。なんでかっていうと、彼女は経済的事情もあって大学進学をあきらめて、自衛隊に入って、通信制の大学でいま頑張っている真っ最中なんです。大学を卒業したい。それから弟の学費を自分が何とかしたい。それからフォスタープランに毎月3千円位ずっと定期的に送っている。自分自身が経済的にも大変だったのでそういう援助もしたいという気持ちも持っている。そういったことがいっぱいできる、18歳の女の子にとってそれなりの収入がある。国家公務員ですからね。国家公務員はいま50万人いるそうですがその半分以上が自衛隊員だそうです。彼女は本当は辞めたくない。安全な場所の自衛隊に残りたい。それまでそれなりにカブトムシをとりにいくおっさんとか山菜をとりにいくおっさんとか、いろいろな人がいて、ステテコで歩かれるのは不愉快だけれどもでもレーダーの仕事は好きだった、そういう自衛隊員として仕事を続けることをほとんどあきらめていたのにその佐藤さんが「辞めるのはあなたじゃないよね」って言った言葉に飛びついた。それで「お願いします」といって「それじゃこの紙(退職願い)を渡されているんですけどどうすればいいか」とかいろいろ作戦を佐藤さんに相談にして、佐藤さんは適当なところできっとやめるだろうなと思いながらいろいろ情報を与えて、彼女は隊に戻っていきました。そして「私は辞めますがやめたくて辞めるのではありません」と言ったわけです。もうみんなは準備をしていてね、彼女が判子を押すもんだと思って待っていて、判子を押すどころではなくて上司がちゃんと彼女の名前の判子まで持ってきて、預けてあるわけですけれども、その判子までわざわざ持ってきていつでも彼女が辞めるという届けを出せる状態にして彼女を呼び入れたら、彼女は「私は自分の意志で辞めるわけではありません、辞めたくないけれども辞めさせられるなら仕方がありません」ということを言っちゃったわけです。辞めたくないのに退職強要を表立ってするわけにはいかないので、きょうのところはここまでという話になりました。
そのあと、2007年5月に民事訴訟を起こします。裁判を起こす、現職で。自衛隊はもう本当に青天の霹靂ですよね。職務上の話以外はみんなぴたっと口を閉ざすようになります。唯一そのボーイフレンド君だけは応援をしてくれています。唯一の味方が彼だけ、あとはみんなひどい状態なんですけれども、一年前の5月に提訴をしました。そうすると何が起こったか。検察に書類が送検されました、警務隊から。やっとです。それから即座に加害者は別の基地へ異動をさせられました。裁判を起こすまでそれはされなかったわけです。閉じた空間の中で加害者がずっといるということがどんなことかということは想像していただきたいと思います。そして裁判がスタートしました。その裁判は実は来週4月25日が第5回の公判になっています。裁判はどうなっているかといいますと、国側はそういう組織ですから、何が起きたかという具体的な起きた事実というのはかなり早い段階で全部把握をしていると思います。そこで描いたストーリーというのは、彼女が呼び出されたというところは認める、それで彼女は地下へ行った、それは呼ばれたから行ったということは了解した。だけれどもそこから先に起きたことというのは「私的行為」であるのであずかり知らぬという主張をしています。つまり合意があって個人と個人の独立した人間同士で好き勝手なことをしているんだから知らないという話です。ということで裁判をやっていくというのが国側の方針となっています。合意を主張しています。さて刑事告訴はどうなったか。検察に送られました。去年のクリスマスの日に検察が事情聴取をするということで彼女は呼ばれていきました。札幌地検に呼ばれたわけです。頑張りやさんというのはつらいなあって思います。8時間半、お昼からですから夜遅くまでずーっと検察官の聴取を受けた。ふつうだったらもうへたばります。でも彼女は頑張れる人なんですね。それと意地でも頑張るといういろんな思いが錯綜したんだと思いますけれども、8時間あまりにわたって延々と事情聴取を受けました。25日に彼女の聴取があって、26日に加害者の事情聴取がおこなわれています。27日、はやばやと不起訴処分となりました。つまりあらかじめ検察はストーリーを決めていた、といえると思います。それで不起訴となってしまいました。この不起訴処分を受けて今年の1月に本人の名前および弁護団で検察審査会に審査請求の申し立てをしています。不起訴処分は不当であるという申し立てです。
さて、いま基地ではどうなっているか。実はトップが代わりました。それからかなりの上部機構の人たちが異動しました。どこへ行ったか、多分市ヶ谷。作戦会議がやりやすくなったでしょうね。
そして代わりに来た上司、司令は、いわば非常に筋を通す人です。来て何をしたか、隊内で飲酒が日常的に横行していたという事実、それから業務中にテレビを修理していたり山菜を採りに行ったりカブトムシを捕って売ったり、インターネット販売をしていたということもわかっているんですけれども、そういう「非行行為」、それがあったかなかったかを全部調査をしました。そうすると彼女も調査の対象なんです。全部調査事実が明らかになってくるわけです。そういう調査で被疑事実が出てくるわけです。AさんならAさんの被疑事実、何月何日にどこどこで何をした、そのことで事実審理をします。あなたは審理を受ける権利を持っていますと言われるんです。自衛隊員はどうするか。どうすると思いますか。「おまかせします」というんです、みんな。全員が被疑事実について「一切合切私は何にも申し開きなんかはしません、おまかせします」といって審理がいまだかつて開かれたのは数えるほどだそうです。今回彼女についてが二度目らしいです。一回目は反戦自衛官の小西誠氏が設けたそうですからそれ以来ということなのかもしれません。
その審理ですが、相手方の男がいますよね、小さな基地へ動かされた。そしていまはそこが身柄が置かれているところだからそこで被疑事実の審査がおこなわれるんです。そのときにその男は重大なことをやっているから審理が開かれる、ついては彼女は重要な証人なのでその基地へ行かなきゃならないと呼び出しがかかったんです。誰が付き添っていくか。上司ふたり。おっさんばっかりですよね。そして車で何時間もかかるところです。一日では帰れません。その行った先の基地は女性隊員はゼロ。ちゃんとあなたの寝る場所も女性専用のトイレも準備します、だから来て下さい。彼女は嫌ですと言ったんです。だって相手の男がいる部屋で、相手の男の審理に彼女が立ち会わなきゃいけない、そんなこと絶対嫌ですよね。どんな事実がそのときにあったかという相手方の一方的な言い分を聞かされ、そしてそれに対して彼女に反論せよというわけです。彼女はまず「向こうの基地へ行くのは絶対に嫌です」。だって女の人ゼロですよ、まわりは全部男ばっかり。加害者もいる。「そんな場所へ私は行きません」。当たり前のことですよね。それを拒否した。そしてその次、こちらへ来てもらうならいいです、あるいは基地の外だったらいいです、「ただし相手と同席することは嫌です」。いろいろ譲歩案が出ました。相手と同席はさせないよ、それから外で会うのもいいよとか。彼女はどう言ったか、「これは裁判にも直結することだから私の代理人、弁護士を同席させて下さい」。絶対それはダメ。なぜか。さっき警務隊のことを言いましたけれども、基地の中のことは基地の中で始末をしなきゃいけないんですよ。そこのトップの司令の責任において全部やらなきゃいけないというのが軍隊のルールなんです。そうしたら弁護人はいないのか、ちゃんと自衛隊法に書いてあるんです。弁護人を指定することができる、ただしもちろん基地の中の人です。でも彼女にしてみたら基地の中に自分の弁護人を頼みたい人なんていないわけすよね。そうしたらこういう人がいるよ、この人をあなたの代理人にしたらどうか、と言うんです。その人のところに彼女は会いに行って聞くんですよね。話をしたことなんか一度もない人ですよ、「被疑事実を知っていますか」と聞いたら「知らない」。「でもいろいろそれは審理の中で話を聞いていく中でわかってくるじゃないか、僕はちゃんと全体の話をよく聞いて判断するから」と。それは裁判官の仕事であって弁護人の仕事じゃありません。弁護人というのは被疑者の立場に立ってその人を守るために就くのが弁護人のはずですよね。ところが違うんです。そんな馬鹿げた自衛隊法はおかしいじゃないですかと言ったんですよ、彼女はそういう勉強もいろいろしていくので、いちいち反論していくんです。「それは自衛隊法のどこに書いてあるんですか」、「いや・・・」、「第○○条です」とかね。そういうことを言っちゃうわけです。そうするとますますむかつくわけですよね。そういう日々でいまもやっています。彼女が最後に言ったことは「自衛隊法と憲法とどっちが大事なんですか、どっちが上位法なんですか」。そうしたら答えられなかった、責任者は。それでおかしいというふうに言ったんです。航空幕僚本部から言われていることなんですね。「じゃあ航空幕僚本部の人に問い合わせて下さい、私が聞きたいことをちゃんと言ってください」と言ったら自衛隊もおかしいんですよね、答えに窮したトップは幕僚幹部に直接電話をかけて「お前、代われ」っていったんですよね。それで幕僚幹部の人と彼女は電話で話をして、そうしたら彼はぺらぺら立て板に水でしゃべるんですけれども、でも彼女の質問には答えられずに答えに窮してしまった。
問題はそのことがどんな空気をつくるかっていうのが大変なんですよね。でもそういうことを繰り返して彼女がどうしても弁護士抜きでは審理は受けないというものですから審理はまだ一度も開かれていません。彼女に関しての被疑事実も、それから彼女に関しての処分も出されていません。最初のうちは彼女の被疑事実の審理が行われなければ他の人の処分を決めることができないから、だからやらなければいけないと言われていたんですけれども、それはいい加減なことでした。何人かの人たちの飲酒の事実だとかについては処分が出たんです。戒告とか。きわめて軽い。本人実は少しほっとしているわけです。飲酒だの、行動範囲だの、そんなことで辞めさせられることはないとわかって。
そしてその新しい司令のもとでお酒を飲むルール、外出をするルール、生活上のさまざまな規制、綱紀粛正が強まっています。面白いことがあるんですね、彼女、住民票を役所に取りいかなきゃいけないというときに、すごく不便な場所にあるのでみんなは公休で行くんですね、仕事としてそこを抜けていいということにそれまではルールでなっていたんです。彼女はたまたまその書類をどうしても取りに行かなきゃいけないので、これをお願いしますって公務外出届を提出したら、その上司が「何をしに行くんだ」、「住民票を取りに行くんです」っていったら「待て、だめだ」と言うんですよ。ダメだっていってもみんなやっていますよと言ったらその司令はどうしたか、全部の部署の責任者を呼んで、本当にみんなやっているのかを聞いたんです。本当にみんなやっている、翌日から禁止、です。てなことが日々、次から次に起きています。といったような中で彼女はいるわけです。
私たちもぼーっと待っているわけではなくて、たびたび防衛省に要請に行きました。そしたら防衛省も面白いんですね。最初は広報の人が出てきて話を聞くだけだったんですけれども、これじゃらちがあかないということで国会議員の人にお願いして内局の人と話をさせて欲しい、つまり例えばセクシャルハラスメントとかそういった風紀に関することはどこが統括するか、内局だというのでじゃあ内局の人にあわせて欲しいといいました。そうしたら内局の人が出てきてくれたんです。それで話をしまして、要望だとか、日々こんなことが起きていますということを全部洗いざらい言いつけたわけですよね。そうしたら内局の方からちゃんとアンケートをやって対策を考えていますと。10年ぶりですね。99年に第1回目のアンケートが行われたんですけれども、そのときのアンケートの結果があまりにもひどかったんですね。セクシャルハラスメントについてのアンケートです。自衛隊員2000人に対して行ったアンケートがありました。その結果があんまりひどくて、例えばどういうことがわかっちゃったかというと、性暴力、強かんあるいは性関係の強要という被害をどのくらいの人が受けているかといったら、どれくらいの人だと思いますか、18%の人がそういう強要を受けた、ということが1回目のアンケートででちゃったんです。それでびっくりしてね、アンケートを取るのをやめちゃったんではないかと思っているのですが、自衛隊は。だけど今回は仕方がなくてというのはかんぐりですが、取りました、去年の8月にアンケートをやっています。そしたらね、今度はね、同じ性関係の強要があったかなかったか、3.4%に減りました。セクシャルハラスメントの研修は受けましたか、受けましたというのがぐんと増えています、いまは女性で86%、男性で93%。誰が相談員か知っていますか、知っています、80%位の人が知っています。でも相談員を活用したことがありますか、あるという人は女性の4%に止まっています。というふうになかなかに面白い結果なんですけれど、このアンケートは防衛省のホームページで発表されました。
彼女を孤立させたくない、がんばってほしい、何よりも私たち自身が現実に責任を感じる、そんな思いから、私たちも国会議員の方たちにお願いしたり内局の方にいろいろ連絡をしたりすることによってかろうじてちょっとずつは動いてきたということがあります。でも、そもそも女性の隊員なんかいないところで、ひとりとかふたりしかいないところで、例えば彼女のいまいる場所で女性相談員を置かなきゃいけないんですよね。本来なら彼女が女性相談員を任命されるだろうと思います。でもそうではない、誰が任命されるかというと実は共済会の事務職員の人が相談員だそうです。普段見たこともない、そういう人が相談員に任命されています。そういったさまざまな矛盾が否でも応でも出てくる、そういう日々ということが明らかになってきています。事実が明らかになればなるほど彼女の立場は苦しくなって、もう毎日毎日非常に「エキサイティング」というかジェットコースターに乗っているような日々だったりするわけですけれども、でも彼女が言っていました、「自分は本当に世間知らずだった、基地の外にいる人たちとちゃんと話ができることによって私たちの社会の常識というものがどういうものなのかということがよくわかるようになってきた。そしてつくづく思う、九条で自衛隊が守られているんだ」って。そんなことが言える彼女がいまいます。私たちは、いつでも彼女はやめたかったらやめたらいい、苦しかったらやめたらいいって思っていますけれどもでも「もうちょっと頑張る、もうちょっと頑張る」と言っている彼女がいます。いま心理学の勉強をしたいと言っています。最初のうちはこういう夢を語っていたんですよね、「内局に入ってそこで自分が自衛隊の女性の人権を守る、そしてちゃんと人権が大切にされる自衛隊になるために私がいい働きができる」、最近はそれはちょっとあきらめたみたいですね、「やっぱり私を守ったり私を雇ったりはしないだろうな」と、その悔しさみたいなのはすごくよくわかるんですね。毎年毎年、評価が出るわけです。A評価だと腕だか、肩だかにラインが一本増えるんだそうです。彼女はいまだに最初にもらった一本だけ。後輩の女性たちは二本、三本とその線が増えていく、それが悔しい。自分は仕事のミスなんか全然していない、頑張ってやっている、それがそういうかたちでいつもB評価。それが悔しいという彼女を私たちは「不思議だなあ」と思いながら見ているんですけれども、でも何とかサポートしながらもう一頑張りと思っています。
軍隊組織というものが人権をどう扱うのかということは、この裁判を通して、彼女がいることから、とてもよくわかってきたのではないかなと思っています。彼女はいま、「自衛隊のシビリアンコントロールということがどういう意味か、このことをまっとうに扱わないのだったら、シビリアンコントロールということはできるはずがないと思っています」と言っています。そんな自衛隊の状況というのもよく伝えることができたらうれしいなと思っています。
自衛隊でどのくらい過去に処分が出ているのかということも、国会議員さんを通して調査権を使って取ってもらいました。海上自衛隊なんかもすごくすごく軽いし、内部の処分に関するルールがあるということもよくわかりました。外でばれちゃったやつは仕方がない、でもばれなかったら、中だけのやつはめちゃくちゃ軽い、戒告とか止まり。外でばれちゃっても、例えば外で痴漢行為をやったり携帯で写真を撮ったりしても停職10日とかね。某大学の教員は辞めて裁判を起こして今度最高裁まで行くとかいっていましたけれども、そういうことと同じことを自衛隊員がやっても停職10日がいいところだとか、位が高い人ほど刑は軽いということだとかがよくわかる資料などもみせてもらうことができたりしています。そういう自衛隊の実態を片一方であぶり出しながら私たちの社会の状況をクールに見ていくことということを併せてやって行かなくちゃいけないんじゃないかと思っています。軍隊が守るものは何か、民主的なルールの通る軍隊というものは成り立ちうるのか、私はそうなればおのずと崩壊すると思うので、もっとも軍隊をなくす早道は民主的な軍隊を作れ、人権を尊重されるような軍隊にしろ、ということかもしれないなどと冗談をいったりしていますけれど、現実課題として、彼女が裁判を起こしたことで私たち市民が受取るべきメッセージはとても大きいものだと思います。
聞いてくださって、ありがとうございました。
寺尾光身(自衛隊イラク派兵差止訴訟原告)
憲法違反状況が日本を覆っている中、希望の一灯がともされました。私も原告の一人である自衛隊イラク派兵違憲訴訟控訴審で名古屋高裁が、航空自衛隊のイラクでの輸送活動が違憲である、との判断を下したのです。
判決主文は「1.本件控訴をいずれも棄却する。2.控訴費用は控訴人らの負担とする」のたった2行。控訴人各人の1万円の慰謝料請求、そして自衛隊のイラクからの撤退要求については共に却下し、形式的に被告である国に勝訴させました。国は勝訴したことによって、最高裁へ控訴することができなくなり、敗訴した控訴人が上告しないかぎり、この判決は確定することになります。もしこの訴訟が最高裁に移されれば、最高裁はこの違憲判決を破棄し、違憲判断をしないに違いありません。当然私たちは上告せず、違憲判決は確定しました。
負けるが勝ちとはこのことです。それも大きな勝利です。第一審3268人、控訴審1122人、全国の関連訴訟では5500人の原告と関わられた弁護士の皆さん、原告にならないまでも支援してくださった全国の仲間の皆さん全員の勝利だと思います。このような画期的な判決を出された名古屋高裁の青山邦夫裁判長を始めとする3人の裁判官に、心から敬意を表したいと思います。
「命を懸けて、職を賭して判決を書いてくれた」とは市川弁護団長の言ですが、私も同感です。大げさと言われる方もいるかもしれません。しかし戦後に限っても、60年旧社会党浅沼委員長が右翼少年に刺殺され、87年朝日新聞阪神支局で小尻記者を殺し犬飼記者に重傷を負わせた事件、90年本島長崎市長銃撃事件等々があり、全く杞憂とはいえませんし、職で言えば、権力者の気に入らない判決を出したのですから冷や飯を食らわされることは十分考えられます。現に、72年に長沼ナイキ基地訴訟で違憲判決を出した東京地裁の福島判事は、その後福島家裁、福井家裁にまわされ、定年まで9年を残して89年に裁判官を辞めています。青山裁判長は定年を数カ月残して今年3月に退職していますが、これは大学の教職に就くためだったので実害が無かったのは幸いでしたが、まだ先の長いお二人の陪席判事のこれからの処遇のされ方が気がかりです。
判決文は全体で26ページ、それほど長いものではありません。際立っているのは「本件派遣の違憲性について」の中の「認定事実」の項です。3ページから16ページまで、つまり判決文中54%も占めています。これはイラクで何が起こっているかを示す映像を含めた資料を、弁護団が裁判所に提出し続けた成果です。例えば1996年10月に医学専門雑誌のランセットでだされたイラク戦争が原因での死者数が65万人を超えるという報告が、イラクボディーカウントの推計と共に書かれています。今年1月31日の結審の日に行われた明治大学教授の山田朗さんの証言が、C-130輸送機がバグダッド空港でミサイル回避のためのフレアの使用についてとりあげられています。山田証言は又、「現代戦において輸送等の補給活動もまた戦闘行為の重要な要素であるといえる」が採用されています。
また、一人1万円の損害賠償は退けていますが、「控訴人らは、それぞれの重い人生や経験等に裏打ちされた強い平和への信念や心情を有しているものであり、そこに込められた切実な思いには、平和憲法下の日本国民として共感すべき部分が多く含まれている」とまで書いて、われわれとの共感を示しています。
被告国にとっては勝訴であり、そのために上告できないことは先にも述べましたが、このことに福田総理は大変不満であると言いました。しかしこの訴訟で国は一貫して事実の認否さえ行なおうとしませんでした。私たちが敗訴したことを私は本当に良かった、と思っています。そして裁判官の皆さんはこの訴訟を最高裁に上げて違憲判決を無いものにされないように、違憲判決を確定させるために意識的に原告敗訴としたに違いないと私は確信するものです。このような素晴しい判決を書いた裁判官に当ったことが奇跡のようにさえ思えますし、負けなければ勝てないということ自体が、現在の司法の大きな退廃を象徴していると思います。町田顕最高裁長官が04年に新任の裁判官に「上ばかり見る『ヒラメ裁判官』はいらない」と訓示したそうですが、最高裁判事にこそ最もよく当てはまることではないでしょうか。
このような司法状況になってしまったのは、一つには、敗戦後裁判官には戦争責任が問われなかった事が大きいと思います。裁判官は一人も追放されませんでした。横浜事件の再審請求が結局認められなかったことはまだ記憶に新しいところです。
第二に、最高裁裁判官の任命権は内閣にあることです。時の政府の意に沿わない裁判官を任命するわけがありません。そのような最高裁判所が高裁以下の裁判所の判事の人事権を握っているのですから、裁判官も人の子、ヒラメになる人も多いようです。
第三に、憲法第79条に規定されている最高裁裁判官に対する国民審査が全く機能していないことがあります。衆議院総選挙の投票の際、辞めさせたい裁判官の名前に×をつけるものです。何もつけなければ信任とみなされます。これまで×は有効投票数の多くて10%程度で、国民審査が始まって以来これまでに、国民審査によって罷免されたことはありません。有権者のほとんどがわからないので何もつけずに投票するためです。せめて罷免に×、信任に○をつけるように変える必要があると思いますが、それでもわからない人は○をつけるでしょうから、何も変わらないかもしれません。ここでもやはり、国民の資質が問われているのでしょう。
日本国憲法は、47年5月3日の施行以来ないがしろにされる道を歩んできました。新憲法制定時、国会での共産党議員の「自衛戦争、自衛軍まで放棄するのか」との質問に対し、吉田首相は「自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄した」と答えていました。文部省が中学1年生用に作成した「あたらしい憲法のはなし」という教科書には、戦車や爆弾などが「戦争放棄」と書かれた坩堝の上から入れられ、下から電車やはしご消防車などが出てくるイラストが載せられていました。それが50年6月朝鮮戦争が勃発すると8月にはGHQ(連合軍総司令部)の司令によって警察予備隊が発足させられました。52年4月サンフランシスコ条約が発効し曲がりなりにも日本は独立しましたが同時に日米安保条約を締結した結果、アメリカ軍の占領が続きました。そんな中、52年10月保安隊に、そして54年7月には防衛庁を設置すると共に陸上・海上・航空自衛隊にとエスカレートしてゆきました。そして今や憲法制定時には思いもしなかった海外派兵まで行なわれ、米軍との統合が進み、大陸間弾道弾や原子爆弾までいつでも造れるまでになっています。軍拡によって儲かるものたちが政治を動かし、徐々に徐々にこの国を作り変えてきた結果です。前大戦で日本はアジア諸国民に多大の加害を行いました。そして被害者に対する誠実な謝罪も補償も行わないうちに、いつか来た道をたどろうとしているのです。
違憲判決の翌日、この違憲判決に従ってイラクから航空自衛隊を撤退させるよう要求するために、川口弁護団事務局長、弁護団の一人、そして原告数人が防衛省を訪れました。私もついてゆきました。(余談ですがこの門をくぐるのは私にとってはこれが2度目です。最初はもう70年近く前の太平洋戦争中です。ここには日本軍の中枢である大本営がありました。私は大本営の正門前の町、牛込区市谷本村町で生まれ育ち、当時は国民学校、今の小学校の低学年生でした。その頃はお寺の鐘も献納するという金属不足でした。壊れた三輪車を持って行くと衛兵が中に入れてくれました。ご褒美にくれる靖国神社の戦争博物館、遊就館の入場券を持って、喜んで見に行くという軍国少年でした)。
申し入れへの回答は「検討してから」の一点張り、誠意の無い対応でした。福田首相、石破防衛相、高村外相は、違憲と言っているのは「傍論」だとして無視する態度をとっていますが、とんでもないことです。「傍論」であろうがなかろうが裁判官の「違憲」との判断が判決文の中にきちんと書かれているのですから、三権分立の原則から言って、行政は司法の違憲判断を受入れ、違憲でない状況に引き戻す義務があるのです。田母神航空幕僚長にいたっては、お笑いタレントを真似て「そんなの関係ねぇ」と放言しました。これは軍部独走を示す許されざる発言であり、田母神航空幕僚長は懲戒免職に値します。
司法が立派な違憲判断を私たちに投げかけてくれました。私たちはこの判決を実質化する重い責任を引き受けなければなりません。幸い、名古屋の「自衛隊イラク派兵差止訴訟の会」が、「私たちは、政府に対し、名古屋高裁違憲判決に従い、憲法違反のイラク派兵政策を反省し、直ちに自衛隊をイラクから撤退させることを強く求めます」という内容の、福田首相にあてた署名を提起しています。署名用紙は訴訟の会のホームページhttp://www.haheisashidome.jp/shomei.htm からダウンロードできます。第1次集約6月末、第2次集約7月末、第3次集約8月末です。
私たちの力が試されています。軍隊は資源の浪費、戦争はそれに加えて破壊と人殺しと最大の環境破壊しかもたらしません。人類の生き残りのためには、戦争をしている余裕はありません。日本の違憲状況を正し、憲法9条を世界に広め、21世紀を戦争のない世界にして子孫に手渡すために、精一杯頑張りましょう。