4月8日に発表された「読売新聞」の世論調査(3月15、16日実施。調 査方法=全国の有権者3000人に250地点、層化2段無作為抽出法で戸別訪問面接聴取法、有効回収1786人、59.5%)で、画期的な結果が出た。読売新聞が過去に行ってきた憲法に関する世論調査(81年、86年、91年、93年以降は毎年)で、93年(改憲賛成50.4%、改憲反対33.0%)以 来、15年ぶりに、改憲反対派が改憲賛成を上回ったのである。改憲賛成42.5、反対43.1%である。改正反対の理由の最多は「世界に誇る平和憲法だから」が52.5%(反対意見中、複数回答)を占めた。ここでいう改憲賛成とは、改憲問題の焦点の「9条」に限らず、環境など「新しい人権を付加する」という意見などを含め、憲法のいずれかの箇所を変えた方がいいという意見の人を指している。この意見は2004年にピークに達し、その時点では改憲賛成65.0%、反対22.7% となっていた。以降、この意見は年々減少傾向を示し、昨年の調査では賛成46.2%、反対39.1%まで接近していた。
「第9条を今後どうするか」については、積極的護憲の「厳密に守り、解釈や運用では対応しない」が23.9%で昨年より3.9%増、消極的護憲の「これまで通り、解釈や運用で対応する」が36.2%で昨年より0.4%増加、この合計60.1%が改憲に反対か現状維持であり、「解釈や運用で対応するのは限界なので、改正する」は 30.7%と昨年より5%減で、両者の差はほぼダブルスコアとなった。2004年以来の改憲反対の増加傾向は、ここにきて「憲法全般」、「9条」の両指標とも、改憲賛成を追い越したのである。9条については、さらに別に第1項と2項に分けて、改憲の必要性が設問されている(こうした設問自体は本来第9条が分離できないという観点からすると不当なものではある)。戦争放棄の第1項については「改憲」は12.5%、「改憲必要なし」は81.6%である。戦力不保持、交戦権否認の第2項は「改憲」36.8%、「改憲必要なし」は54.5%であった。この第2項についての数値はさきの「9条について改憲の必要なし」の60.1%に類似している。
9条についてだけでなく、憲法全般について15年ぶりに改憲反対が改憲賛成を上回ったということは、今世紀に入って以来、とりわけ2004年以降、全国各地の草の根に急速に形成された「九条の会」の運動をはじめ、この間の急速に高揚した改憲に反対するさまざまな人々の運動の成果だと見てよい。無数の民衆の運動がこうした目に見える形で世論に影響を与えたという点で、この結果はかつてない意義を持っている。この間、実に多様な「市民」が、さまざまな立場から、さまざまな方法による自らの表現で改憲反対、9条擁護の発信を次々としてきた。市民も、知識人も、タレントも、ジョージ・W・ブッシュ大統領の報復戦争・先制攻撃論による反テロ戦争に追従するこの国の政権による「茶色の時代」の到来への危機感を強め、勇気を出して発言し、行動してきた。こうした多様な努力が世論を掘り起こし、耕し、育てたのである。小泉内閣から安倍内閣にいたる経過の中で、新自由主義的な「改革」を旗印にして、「日本会議議連」など新国家主義的な改憲派がこの国の政治の中心に座り始めた。これに対して、憲法3原則に代表される「戦後民主主義」的な価値に根ざしたこの社会の良心的な人々が危機感をもって反撃した。特に自らの「任期中の改憲」を主張して2007年の参院選に臨んだ安倍政権与党を少数派に追い込み、与野党逆転を実現し、安倍首相を退陣に追い込んだ世論の力が、この読売の憲法世論調査にも反映していると見て間違いはない。
この調査での集団的自衛権についての設問は異常に誘導的なものであった。設問は「日本と密接な関係のある国が武力攻撃を受けたとき、この攻撃を、日本の安全を脅かすものと見なして、攻撃した相手に反撃する権利を『集団的自衛権』と言います。政府の見解では、日本もこの権利を持っているが、憲法の解釈上、使うことはできないとしています。この集団的自衛権について、次の中から、あなたの考えに最も近いものを、1つだけあげてください。
・憲法を改正して、集団的自衛権を使えるようにする
・憲法の解釈を変更して、集団的自衛権を使えるようにする
・これまで通り、使えなくて良い」とした。これは従来の政府解釈をアプリオリなものとして、そのうえで、「持っている権利を使えないというのはおかしい」とする改憲派の論理に結論を誘導する意図を持った設問である。この設問では日本国憲法9条の下では、「集団的自衛権」は成り立たないとする原則的な見地があらかじめ放棄されている。しかし、かくも誘導質問的なものに対して、調査の結果は、「改憲して」が18.7%、「解釈拡大で」が 22.1%、「これまで通り」が51.6%であった。先の9条改憲反対の世論と同様に、平和憲法への確固たる支持の堅さが見える結果である。
今回の世論調査を発表した同紙の中で、駿河大学の成田憲彦学長(政治学者・元細川護煕首相秘書官)は「(この結果は)安倍内閣の失敗の影響」だと断じて、「昨年の参院選前に、野党の反対を押し切って国民投票法(改憲手続き法 =筆者)を成立させた。これが与野党が協調して憲法改正に取り組むという雰囲気を失わせ、いまだ国会の憲法審査会で論議が始まらない状況に至っている。参院選後は『ねじれ国会』が自民、民主の対決色を強め、一緒に憲法改正に取り組もうというムードはさらに後退した。憲法を改正しないほうがよいという理由では『世界に誇る平和憲法だから』が増えている。イラク戦争の泥沼化と、安倍内閣が憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認めようと結論を急ぎすぎたことが、ここでも影響している」と評価した。これらの評価はおおむね妥当であると思われる。この評価は私が市民連絡会のサイトのブログで昨年5月14日、「この10年のたたかいをふりかえって」で書いたことに通じるものがある。当時、私は「強行採決による改憲手続き法の成立は市民運動にとって政治的には敗北だが、運動として敗北感はない」と、安倍内閣の強行策は失敗だと主張していた。まさに「安倍は究極の護憲派だ」(枝野・民主党憲法調査会長)ったのである。この10ヶ月余り、それを裏書きする事態が進んできた。しかし、こうした安倍内閣の失政を失政として世論に定着させたのは、そのために奮闘した全国の市民たちのさまざまな努力である。これなしにはこうした結果は生まれない。私たちは確信を持ってよいのではないか。
それにしてもこの調査で、自衛隊海外派兵恒久法の必要性を回答した人が、反対を上回った点はどう評価すべきだろうか。調査では、自衛隊の海外派兵恒久法を必要と思う人は46%で、「そうは思わない」の42%を若干上回った。まず、この設問もさきの集団的自衛権問題以上に誘導的な仕掛けがあったことを指摘しなくてはならない。それはこうである。「政府は、国連のPKO、平和維持活動以外で、自衛隊を海外に長期間派遣するときには、その都度、特別な法律を作って対応してきました。あなたは、これを改めるために、自衛隊の海外派遣のルールを総合的に定めた新しい法律、いわゆる『恒久法』が必要だと思いますか、そうは思いませんか」というものである。これではうかうかすると「その都度やるのは大変だから一般法は必要と思う」といってしまいそうな設問である。しかし、設問が誘導的であるにしても、集団的自衛権では拒否が多かったのであるから、この問題は軽視できない。これは自衛隊海外派兵恒久法がいかに9条の理念を根こそぎ破壊するような危険なものであるかの暴露の作業が進んでいないことの現れであろう。
この問題を克服することが、9条改憲反対運動を進めてきた私たちの今後の緊急の課題である。私たちには今回の読売の調査に見られるような広範な9条支持の世論を基盤にして、自衛隊海外派兵恒久法が9条を根底から破壊する悪法であることを暴露する仕事に取り組まなくてはならない。おりしも、自衛隊イラク派兵違憲訴訟で、名古屋高裁で画期的な違憲判決がでた。この判決を無視しようとする福田内閣を追いつめて、この運動と派兵恒久法反対の課題を結合しなくてはならない。
この号が届く頃、間もなく9条世界会議が始まる。会議では「9条世界会議宣言」など重要文書が採択される。9条世界会議は日本の憲法運動が到達した新しい地平である。私たちはこの会議を実に2年半以上にわたって構想し、準備してきた。その決算が迫っている。この会議を必ず成功させ、その成果を広め、さらに改憲阻止の運動を飛躍的に強化しようではないか。
(事務局 高田健)
色平哲郎さん(長野県南佐久郡南相木村診療所長)
(編集部註)3月29日の講座で色平さんが講演した内容を編集部の責任で大幅に要約したもの。要約の文責は全て本誌編集部にあります。
私は長野から来たので、善光寺から来たということでお坊さんのように見えるんですが、お医者さんです。お坊さんとお医者さんは似たような仕事をしてますね。「お看取り」が多いということです。都会のお医者さんと違って山の村ではお看取りが多い。残念なことですが、お葬式が多いです。
お医者さんは嫌われているって知っていますか。人の不幸で飯を食っているんですね。今日この場に医学生さんもおいでになっていますが、われわれは嫌われているということを忘れてはいけないと思います。人の不幸でご飯を食べている。
今日の演題では、「日本全国で医療に対する不信や不安が広がっている」と書いてあります。不信、「信じられない」、不安、「安心でない」、これはなかなか簡単には解決できないことですね。「たらい回し」も言われています。みなさんにうかがいますが、人間の死亡率は何%でしょうか。……100%です。人間の死亡率が100%だというのはとかくわれわれは忘れがちですね。このへんからお坊さんの話とつながってくるかもしれません。
次に「医療の市場化、商品化が進んでいる」と書いてあります。医療が市場化される、商品化される、これはいいことなのか悪いことなのか。そういう動きがとうとうと進んでいます。この会で1月に湯浅誠さんもお話になったとうかがいました。湯浅さんはホームレスの方の支援、若い方々で生活が立ち行かない方々の
生活相談を受けておいでになります。私もむかしホームレスだったことがあるのでよくわかります。若かったから。その後「立ち直って」学校で勉強し直しましたけれども、ホームレスをやることで世の中の仕組みもちょっとわかったような気がします。人は自由です。しかし路上で飢え死にする自由もあるわけです。自由であることは恐ろしいことだということを思い出します。屋根があって壁があるだけで、そういう場所は非常に寝るにはいいところです。私は今でもそれを思い出します。死亡率は100%ですから、蒲団があって天寿を全うできれば、いかに幸せであるのかということですね。
私が親不孝で、家出をしてキャバレーでボーイをしていた時期があります。そのあとホームレスをしていた時期、そのあと「改心」して医学部で勉強してお医者さんになって太ってしまったということです。若い頃外国を回ったりして、貧しい人がたくさんいる国はたくさんあります。日本の中にいますと、安全や安心があって当たり前となっています。その安全や安心の期待が高い、すごく期待があることの裏返しで不信や不満も広がるものだと思います。
今日は憲法講座ですが、「憲」という字はどういう意味でしょうね、みなさんわかりますか。あるいは「太平」、これは平和って意味でしょうね。「憲」という意味は「教え諭す」ということです。上から諭す、下に兵をつけると「憲兵」になっちゃいますね。今はあまり使わないですね。今日お配りした「竹矢来」という詩ですが、この詩は京 土竜(きょう もぐら)というペンネームの京都にお住まいの方がお書きになった実話です。憲兵のいた時代、みなさんは21世紀の日本で平和とか憲法のことを勉強される数少ない方々だと思います。数少ない方々にとって学ぶべき時代というのは、この憲兵が跋扈していた、憲兵政治がおこなわれていた時代ですね。日本においては「國體」、「国のからだ」、天皇を中心とした神の国のことです。こういう時代、60年以上前のことを忘れてはいけないということです。
次に「太平」という言葉を書きました。太平というと何でしょうね、「太平天国」なんて言葉を思い出します。太平洋の洋は海という意味ですね。「平和の海」というんですね。これ、誰の平和か考えたことがある方いますか。誰の平和か。わかります? 原語知っている方いますか、原語は日本語じゃありません。ご存じないですか、太平洋は平和の海っていう意味でしょ、誰の平和か、どなたかお考えのある方いますか。正解はあるんです。それから不信や不安が広がっている。1億人みんなが医療に対して不満を持っている、残念なことです。日々みなさんの前でお医者さんとの関係で具体的に不信や不安が広がっている、これを解決するにはどうしたらいいでしょう。医療の市場化や商品化が進むのは、そういうことを解決する手段になるんでしょうか。いのちにも格差がつけられている、その通りなのかもしれません。
「憲」というのは教え諭すという意味ですが、加藤周一先生とはときどきお目にかかります。同業の医者だから。加藤先生から学んだことをいくつか申し上げましょう。私は3年前の9.11の選挙の日に軽井沢の加藤邸で数時間しゃべっていました。そのときに加藤先生は、自分の前半生は医者で後半生で歴史家になったとおっしゃいました。医療についていろいろな方が今期待を持っている、でもその期待に対して、われわれ医者はなかなか応えることができない、残念なことだとおっしゃいました。先生、それどうしたら応えることができるでしょうねと言ったら、「医療とは何なのかということをみんなに知って欲しいものだなあ」とおっしゃいました。「この薬が効くか効かないか」について、加藤先生はお話しされたんです。この薬が効くか効かないかはどうやって決めることができますか。これはみなさんに質問です。医学生の君、この薬が効くか効かないかは医学部で習うよね。この薬が効くか効かないかというのは、人口を半分にして男女とか年齢を半分にして、その半分の方々には本当の薬を渡し、もう片方の方々には同じ形をしているが中が砂糖だったりするような別の「にせ薬」を渡して、その中で効いたか効かないかのアンケートなりデータを取って、その間に有意の差があればこの薬が効いたっていうんですよ。
みなさんこれ知ってました?。加藤先生はこれをそのままおっしゃいました。しょせん薬というのは、効くか効かないかは、100人なら100人を割り付けてプラセーボというものとふつうの薬を渡して効くか効かないかで有意差があるかどうかで決めるようなもんなんだよね、実はつまらないもんなんだよねって加藤先生がおっしゃいました。それがわれわれ医学部や理科系の人間の薬が効くか効かないかの常識です。ところが、人間は自分の運命について知りたい、自分がどうやって生きて死んでいくのかを知りたいもんだから、この薬が効いて欲しいという願いがあったり、期待感がこもってくる。
そこで難しいことが起こるって加藤先生はおっしゃいましたね。患者さんは自分の運命を医者に聞いている。でも医者に言えることって何でしょう。しょせん「確率」、あなたのような病気を100人集めて治療したら何%の人は良くなったが何%はうまくいかなかった、そういう話なわけですよ。つまり医療というのは確率の問題なんですね。もっと言えば実験なんです。人体実験という言い方は良くないですけど、われわれが医学部に入って最初に習うことはそれです。医療はしょせん実験に過ぎない。誠心誠意やらせていただきますけれど、この薬がこの人に効くか効かないかはやってみなければわからないんですよ。みなさん、これ聞いて愕然としません?僕は医学生として愕然としました。もっとお医者さんってすごいと思っていたんです。これは加藤先生がおっしゃいました。
憲法の話からずれますけれども、みなさんの安心、平和ということ、心の平和のことを安心と言います。心の平和を担保するために医療技術がある、この医療技術は絶対よく効いて普遍的なものであると信じているとすると、加藤先生は実はそうではない、君も私も知っているようにしょせん実験に過ぎない、効くか効かないかは確率の問題だ。ここのところを相手に伝えるのがとても難しかった、50年前私が医者をやっていてそれが難しかった、これ加藤先生がおっしゃったことそのままなんですよ。平和の問題や憲法の問題とちょっと違うでしょ、認識の問題だと思いません? 不確実の問題が世の中にたくさんある、わからないというふうにあなたに差し上げることになるんですよ、本音はね。だけど効いて欲しいでしょ、僕も効かせたいと思って渡す。だから「大丈夫ですよ」って渡すんだけど、本心は違うんですよ、医者の心は。こんな話は聞きたくなかったんじゃないかなあ。医療技術というのは不完全なものなんです。効くか効かないかはわからないんです。やってみて初めて何とかなるかもしれない。突き放していっているわけでもないし、見捨てていっているわけでもないです。そういうものなんです。
さっき憲兵といいましたね。憲兵政治がこの国にあって、東条首相は憲兵を使っていた人ですね。この時代を思い起こすことでいまわれわれが平和であることがよくわかります。そしていま日本が平和で繁栄していることはどういうことだろう。先ほどの正解を言っちゃいましょう。太平洋というのはもともとスペイン語です。スペイン人にとっての平和の海なんですよ。どういう平和を意味していたかというと、大虐殺ですよ。アジア人のわれわれにとってみると、フィリピン人にとってみると、アステカやマヤの人たちにとってみると、スペインの平和は、滅亡しろ、死んでくれということですね。平和は「支配」ということです。支配する側の平和、太平洋というのは「スペインの平和」という意味です。そうしますと、日本が平和であることは、中で平和であることは、外はどうなのかなということを考えざるを得ないですね。加藤先生はそういう方ですよ。
平和というのは、ある人の平和は、ある人の平和ではないことを意味しかねないというふうにヨーロッパ人は考えるんです。ラテン語ではパックスというんですけどね。たとえば私は医者ですね、医者の平和は患者の平和ですか、ちょっと違うでしょ。男の平和は女の平和ですか、ちょっと違うでしょ。親の平和は子どもの平和ですか、教師の平和は生徒の平和ですか、こう言ってくるとわかるように、みんなにとっての平和があればもちろんいいんです。けれども、たとえば「パックス・ロマーナ」はラテン語で「ローマの平和」という意味ですけれども、ローマの平和はユダヤ人にとってどうでした? 聖書を読むとすぐわかりますね。ローマの平和はユダヤ人にとっては滅亡の歴史です。2000年間さまよったあとイスラエルを建国することになった最初のきっかけは、ローマの平和、ローマ人に殺されてしまった、居場所を失ってしまったということです。
平和というこの言葉、日本の平和は別の言い方では「大東亜共栄圏」ですよ。日本の平和はアジアの平和でしたか、違ったでしょ。ここでまた加藤先生の話に戻らないといけないですね、江戸時代に将軍がいて、将軍の下に老中がいた。そして将軍が藩閥になった。藩閥というのは薩長のこと。薩長は自分でやっているとちょっと不安定なので、条約改正ができないから、そこで天皇を持ってきて自分たちが日本政府であるというかたちにした。この時、前の憲法ができるわけですね。この天皇が陸軍になった。加藤説ですよ。戦後、陸軍がマッカーサーになっちゃった。そして今、このところが合衆国政府になっているんじゃないの、というのが加藤説ですよ。これはかなり見抜いているところがあると思うんですけれど。申し上げたいのは、藩閥から天皇にするところは、実質的には自分たち薩長が仕切っているんだけど上に天皇がいることにしちゃったんです。なぜかというと条約改正をしたかったんですね。明治政府は外への体裁を整えたかった。
そこで憲法の「憲」という字が出てきます。当時の憲法ってどういう憲法でしょう。ここで私が「憲法九条を守る会」というのを立ち上げまして、みなさんぜひ入って下さいといったら入る人いますか、実際は入れないんですね、イッツ インポッシブルなんですよ。「九条の会」と「九条を守る会」とは違います。どう違うか。9条は憲法の条文です。憲法の条文を守るのは誰? 99条に書いてあります。憲法の条文を守らなければならないのは公務員です。つまり政府ですね。われわれ国民がそこに入っているか入っていないかはいろんな議論があるんですけど、第一義的には公務員です。公務員ということは要するに国家ですよ。国家にわれわれは守らせなければいけないわけです。12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とある。僕は医者なんで憲法論を申し上げられないですけど、僕は自分が中退した東大にいって国際法だとか憲法を教えたりすることもある変な医者なんで許して下さい。つまり日本政府とか天皇とかいうものを国民が縛るのが憲法です。当時であってもですよ。今ももちろんそうです。だから「九条を守る会」というのには誰が入るかというと閣議のメンバーが入ればいい。第一義的には防衛省の大臣が入るべきであって、われわれ国民は守らせる側だから入っちゃいけないわけ。
25条は国家に義務規定を負わせているとはっきり書いてあるけども、あれこそわれわが守らせなければいけないんですね。守らせるというのは他動詞、使役動詞です。ここが憲法の難しいところであり、平和って言葉の難しいところです。私の平和があなたの平和ではないかもしれないという懐疑、疑いの気持ちから西洋では読み替えて、私の平和があなたをもしかしたら圧迫しているかもしれない、あなたを征服しているかもしれない、抑えつけているだけなのかもしれないという疑いを自分で持てるかどうかがとても大事ですね。日本はそれが持ちにくい国だということを今日申し上げなければいけない。
「厚生」ということですが、ふつうは今の厚生労働省です。厚生労働省は25条にあるように国民の公衆衛生そして健康の増進をする義務を負っているということですけど、われわれ的にはどうですか。厚生労働省に厚生労働省をして「なになにせしむる責任」を負っているんですよね、僕らは。12条からして。だからこの中にたとえば公務員の方が一人だけいるとすると、公務員はわれわれとちょっと違って負わせられてる側になります。その義務があるが故に国民の税金から給料をもらっているという関係になる。公務員と国民とはちょっと違うんですよ。国民が主権者であることはみなさん小学校で習ったと思うんですけれど、国民が主権者であるということはそういうことです。国民が主権者であることは、檻としての憲法で国家や国体、憲兵も含めて公務員、警察を縛っている。憲兵の場合かなり逸脱して、その逸脱のあり方が東条の憲兵政治だったんですけれど、憲兵もまた軍隊の一員であり、警察であれ軍隊であれ、それは国家の統治機構の一部である以上憲法によって縛られている、われわれが縛る責任を持っているわけですね。
もう一度話を戻しましょう。さきほど映像を見ていただきました。いかがでした?あの映像は問題があります。第一義的には、何年か前の映像なのですでに亡くなった方が多い。みなさんと違って、いろいろと思い入れがわいてくるから見たくない。これは私の気持ちですけど、それとは違って問題がある。来週何人かの医学生が私の村に来てくれますけれども、医学生はあの映像を見ると来たくないはずです。あの中で「ひたすらメモを取っていた」といわれていた学生がいました。あの男子医学生は素朴におばあさんの言うことを聞いていた、ちゃんと聞いていたと僕は思う。でもそれに対して一方的なナレーションをかけて、あの学生はダメ学生であると否定されちゃっているじゃない。それはいけないことだと思いませんか?みなさん。僕はあれを見たとき、のけぞりました。あれは暴力だよ。おまえはダメな人間だよって、テレビを使ってあんなことしたのか。どうしてNHKは何の利害もないのにあそこまで学生をおとしめたのか。僕はネタに使われたんであって、僕の責任じゃないけど、どうしてあんなひどいことをしたのか。
僕が思うに、国民一般の中に日本全国で医療に対する不信や不安がある。そうすると国民はどこかにいいお医者さんがいて欲しいという願望が出るでしょ。山の中で学生を集めて面白いことをやっているお医者さん、あるいは絶海の孤島でDr.コトーみたいにやっているお医者さん、そこに行って美談をつくりたくなるんですよ、メディアって。美談をつくるには、やってきた医学生がなにかしらの影響を受けたというふうにつくりあげるのが一番いいよね。みなさんは私の話を聞いて、変わりますか。みなさんの人生観が私の話を1時間聞いて変わっちゃたら、カルトだよ、それは。変わっちゃいけないの。私の話を聞いて変わっちゃったらみなさんに問題があるんだよ。
だけどね、人間って変わってもいいのよ、でもそんなに簡単に変わらないのよ。それを前提にしましょう。ところが2泊3日の合宿をしたあとで学生たちが変わったと印象づけることができれば、間接的に医者にとはいわないけれども村にそういう魅力があるとかそういう力があるというふうに、みなさんにインプリンティング──印象づけることができると思わないですか。それを使った。メディア的には問題があると思う。みなさんはメディアというものを読み解く「メディアリテラシー」という教育を受けていますか? 新聞とか特にテレビだけど、いかに読み解くのか、あるいはわれわれはどう影響を受けるのかがわからないと、憲法とは何か、平和とは何か、権利とは何か、厚生労働省とはどういうものなのかについてわからなくなっちゃうのではないかなと思っています。
われわれがカナダ人である、カナダに住んでいる人間だとすると、隣に今戦争やっている大きな国がある。あそこは英語でどんどん放送が流れてくるんですよ。それを見てる子どもはどうなっちゃうと思います?アメリカ人になっちゃうんですよ。カナダ人は困るでしょ。カナダはカナダなんだからアメリカになったら困るんですよ。だからカナダ人は、アメリカのニュースやテレビはこういう意図を持って編集されているって徹底的に教える。そうじゃないとカナダ人はアメリカ人になっちゃうから。これは本当ですよ。隣で日本より大きな国があって、例えば中国が日本語でものすごい放送していたら困るでしょう。カナダ人は切実ですよ。メディアリテラシーがないと子どもがカナダ人じゃなくなっちゃうから。メディアがどういう意図を持って流しているのかを読み解くのは実に大事です。僕はこういう話を新聞社の新人記者研修でもして、さっきのビデオを流します。それでひとりひとりに意見を聞く。そうすると手放しで「いやあ、いい映像でした」って。「ちょっとあなた新聞記者辞めた方がいい」って僕は言いますよ。あなたのような人が新聞記事書いたらまずいよ、もっと深読みして色平はアホな人間だよね、たいした医者じゃないよ、だけどこの編集は問題があるって言ってくれる人でなければ、新聞記者はやらないでって僕は言っちゃいます。冗談だけどね。
JICA、国際協力事業団ですけど、同じように僕はあそこの新人職員研修をやります。そんなに簡単に信じていたら君たち「途上国」にいったら大変な被害に遭うよ。「途上国」って裏金の世界、日本みたいに憲法で国家を縛ったことのない世界、そういうところで君たちがポロって行ってメディアの宣伝でもってすごく傷ついて自殺したくなっちゃうからって。僕がなんでJICAに行っているかというと2つ理由があって、こんなアホな医者が生きていることは、JICAみたいな優秀な若い人たちにとっては意味があるみたいね。こんなちゃらんぽらんなヤツが医者ができるんだと思えば、こんな俺でもひどい独裁国に行ってもJICAの職員として通用すると思わせないと退職しちゃう人が出る。行き詰まっちゃって鬱になっちゃう人も出る。 同時に私は医者としてみんなに嫌われている、目の前で文句を言わないだけだ、と話してみんなを笑わせてから、「ところで君たちJICA職員はむちゃくちゃ嫌われている、なぜなら人の不幸で飯を食っているからだ」というとのけぞっちゃうわけ。こういう「のけぞり体験」がなくて現場に出ると危ないと私は思っているんです。また雑談になってしまいました。だけど地域の現場を伝えるという話でさっきのメディアが切り取った枠そのものに問題があることはわかったでしょ。疑わないといけないのね。われわれが世界はこうだなって思っていること、世間はこうだなって思っていることは、われわれの実体験ではないところで操作されている可能性はあるんですよ、怖いけど。
「日本全国で医療に対する不信や不安が広がっている」、これについては僕は言いたいことがある。日本は医療保険の保険証で誰でもかかれるでしょ。世界的にこんな国ないのよ。日本の医療費は高いって思いますか、みなさん。メディアが高い高いっていうからみなさん高いって思っているかもしれないけど、それはみなさんの自己負担額が高いのであって、「先進国」7カ国の中で医療費は一番安い。知らなかった? それはメディアにごまかされているっていうこと。OECDのデータを見れば先進国30カ国で日本の一人あたりの医療費は22位くらいですよ。医者の数が少ないことは最近わかってきたけど、何年か前にみなさんに聞いたら、「さあー」っていったと思うんだよ。ほとんどの人知らなかった。
僕、今でも覚えている、今から6年前、当時の田中康夫知事という変わった男に呼ばれて、県庁に行った。僕は医者が少ない、医者が足りなくなります、今も少ないしこれからも大変ですからと言ったら、そこの審議会に座っていた人みんなに「あほ」って顔された。医師会だったり医学会だったり大学教授たち、みんな、プロよ。誰もそう思っていない。「それはあんたが山の中で10年もやっているから、変な人だからそう思っているんでしょ」って、本当にそういわれた。悔しくてしょうがない。医者だって知らなかった。そしたらみなさん知らないよ。数年前に知っている人がいたらすごい。僕は知っていた、変わり者だから。当時は山の中に行きたいなんていう人いなかったからね。
みなさんは情報を操作されているんです。日本の医療の特徴は何かということを知りたかったら、先進国の医療の平均像を比較してみればわかります。日本の医療費はものすごく安いですよ。たとえば盲腸で手術しますね。日本は一週間入院して医療費は40万円をそんなに超えないです。一週間いて40万、ホテルとすればちょっと高いかな。アメリカなんか200万円以上かかります、州によって違いますけど。入院期間は1日です。ソウルだって北京だって医療費は日本より高いです。お日本の医者さんの不足を解決するのは簡単で、医者を輸入するか患者を輸出するかすればいいんです。財界的にはね。何でこれができないのかといえば、日本語のできる医者が外にいないからです。患者を輸出できないのは、日本の医療費が安すぎて、ソウルでも北京でも高いから全然メリットがないわけ。日本の医療費はものすごく安いんですよ。
医者がこんなに手薄だったら医療事故は続発するはずです。実際にお医者さんは威張っていたしいろいろ問題はあったね。それは認めます。本当に申し訳ないと思います。しかし日本の医療の特徴は他の先進国と比較した場合にどうなのか。お金をかけて6人部屋だもんね。3時間待ちで3分診療。さっきの映像で私は30分話を聞いていたことになっている。あれ何でだと思う?人気がないから、暇だから30分話を聞いたのよ。山の村はどんどん人口減ってるし、僕はどんどん看取っちゃったからもうあんまり人がいないのよ。だけどものは言い様だと思わない?30分話聞いたらまるで良い医者みたい。じゃあ私にもし30分の話を聞いて欲しいという奇特な人がいたとすると、日本の平均で言うと3時間待ちの3分診療だから、30分話を聞いた後の人は30時間待ちになるんですよね。そのくらい手薄だから。みなさん30時間待ちしてる? 3分診療を15分の5倍にしてみよう。そうすると待ち時間が5倍になるでしょ。その日に見てもらえないですよね。
アメリカでは州によって全然違うし、医療保険もいろいろあるんで簡単に言えないけど、みなさんがアメリカで電話をするとお医者さんの予約ができます。しかしそれは1週間後です。みなさんが風邪だとすると、治っちゃうんですね。医者にかからない。医者にかかったら、スウェーデンでもアメリカでもだいたい7万円から8万円するんです。いろんな保険があるけどね。みなさんみたいにぱっと行って3時間待つかもしれないけど、数千円ではすまない。日本はすごくかかりやすいわけ、良いことですよね。
かかり易すぎるんじゃない。かかり易すぎの延長上にもしかしたら、救急車を呼んだら、救急車で行くとどうなるか、救急車で行くと先に診てもらえるんですよね。救急車で来たのは先に診るってなったらみんな救急車で行くじゃない。問題はあるんですよ。みなさんは学校でお医者さんのかかり方って習いましたか。救急車の使い方って習いましたか。あるいは労働基準法とか。大事な法律ですよね。憲法はちょっと高尚過ぎてよくわかんないよ。労働基準法の方がずっと大事、若者は高校で労基法を勉強しないで卒業して、いいように使われちゃう。権利があるって知らないから。医療についても権利がある。みなさん、保険証1枚で。しかし医療については権利にともなって責任がある。責任って言葉はよく使いますね。これは難しい言葉です。
私は佐久総合病院という農協病院の医者なので、厚生連という農協の病院の医者なんですけど、目の前に来る患者さんはすべて私のボスなんです。だって農協の組合員は農家の方でしょ。農家の方は私の組織のボスじゃないですか。私が市役所の職員、公務員だとすると市役所の窓口に座っていると来るのが全部市会議員という感じね。粗相があったら大変なことになるよね。だから厚生連というのはへりくだらざるを得ないんですよ。厚生連のことを知っている人はほとんどいないんだよね。当然だと思うよ、厚生省の病院だと思うよ、名前が悪いよね。農協の病院って思わないよ。農協ってどうしてこんな医療活動をやっているかというと、むかし、お医者さんと農民が出会ったときにお医者さんが強くて農民が弱かったんです。農民は何も言えなかった。何の権利もなかったんですね。
だからしょうがないから、自分たちで組合をつくって、当時は産業組合っていったんです。そこで変わり者のお医者さん、大学においてもらえないようなお医者さんとかそういう人を雇った。これが厚生連の組合病院の始まりです。そこに雇ってもらったお医者さんたちはある組織、某組織にいじめられたんです。この組織はお医者さん以外を人間と認めていない人たちなので、経営者の会に農協のおやじが来たりすると相手にしなかったんですね。むかしありまして、医師会という、いまもあるけどいまの医師会じゃないからちょっと安心していいかな。むかしの医師会は本当に大変だった。当時私の先輩たち、組合病院の働くお医者さんたちはギルド破り、抜け忍、忍者の組織を抜けると後で追われるでしょ、あれと同じだったんですね。医師会から抜けて農民に雇われるとは何事かって、本当にそういう感じだった。都会でも国民皆保険ではなかったから、戦前はお医者さんに診てもらうことがとっても大変で、自分たちで自前の医療機関をつくろうといろんな活動がなされたということがあります。
平和というのは、お医者さんの平和が患者の平和じゃないことはみなさん見抜いていると思うけど、比較的そうじゃないんだよね。教師の平和が生徒の平和になると信じている人たちはちょっと困るね。僕が学校で「学校の憲法」って話をしたときに、ある先生がとっても納得できなかったと言っていたことがあった。学校で憲法というと先生と生徒が一緒になってつくって、みんなでいいルールができたねっていうふうに彼は「憲」という字を解釈してた。だけど僕は加藤周一先生といろいろしゃべっている人だから、当然のように、学校で憲法というのは生徒が先生を縛るルールのことだといったわけね。それだけはやらないでねと、先生を縛るルールのことを「学校の憲法」だというんだから。もちろん先生たちも文部科学省にこれだけはしないでねっていっていいわけ。そういうふうに向きが逆になっていることがなかなか理解いただけなかった。先生がいいようにやることは生徒にとっていいようになるはずだって信じている先生がいたわけです。それはみなさんがもし先生だとすると、もちろん当然だと思うかもしれないけど、自分が患者でお医者さんの所にいったときに違うってわかるでしょ。お医者さんがいいようにやってくれると、自分にとってどうなのかよく分からないんだよね。普段まかせているけど、しょせん実験に過ぎないとか、そんなひどい、本当のことを聞かされてしまった今ではなかなか全部おまかせするなんてできないでしょ。
さっき申し上げた責任ということですけど、権利と義務というのはローマ法、2000年前のローマ人が使っていた時代からあるんです。法律の関係は、あなたに義務のあるところでは私の権利があるということで必ずコインの裏表になる。国民に権利があるといったら国家に義務がある、患者に権利があるといったら医者に義務があるんです。そういうふうになっている。女性に権利があるといったらそれは男性の義務になっているわけだ、本当はね。そういうふうにちゃんと請求しなければいけないわけです。責任という概念は近代のもので、新しいものです。具体的にいいましょう。もしお酒を飲んで交通事故を起こし、救急車で何度も何度もやって来る人がいたとしましょう。そういう人は責任を果たしていますか。酒を飲み続けて肝臓を悪くした人がいたとしましょうか、たばこを吸い過ぎて肺ガンになった人がいるとしましょうか、その人は責任を果たしていますか。患者の権利ということをみなさんにぜひ考えていただきたい。
佐久総合病院をつくった若月俊一という、2年前に96歳で亡くなったドクターがいます。私どもの大先輩ですね。そのドクターが日本で最初の「患者の権利宣言」を書いたときに、その文章には「患者の権利と責任」って書いてあるんです。患者の権利とともに患者さんが医者と協力してできるだけ療養の実があがるように努力する責任を負っている、言うことを聞く責任、言うことを聞かなくて病気がどんどん悪くなったら困るからね、お互いに。義務じゃない、でも責任を負っている。責任を果たした上でのわれわれの協同作業が医療だというふうに若月ドクターは言っています。これはとても近代的な考え方です。
日本の医療は期待が高い分だけ厳しいですね。サティスファクション、満足度というのは、みなさんが私の講演を聞いてどのくらい満足するのかは、私が何をどうしゃべったかというプロセスが大事、次にみなさんの中に何が残ったのかという結果が大事、そうですよね。プロセスプラス結果、しかし引くことの事前期待度があるんですね。私がどんな話をするだろうなと期待してきた人は、絶望して帰るわけ。だってこの間も市民向けに「お金持ちより心持ち」なんて演題で出ています。そうすると、善男善女が来て、「いやあ、申し訳ございません。私は金持ちになりたいと思ってる人間ですけれども、信用がないので銀行がお金を貸してくれなくてお金持ちになれません。だからせめて心持ちになろうと思って努力したら、心持ちになれなくて、村の中で心豊かな人たちに囲まれて何と心貧しい人間であるかということがわかってしましました」といった瞬間バーッて帰っちゃう。つまり期待度が高い分だけ、裏切られたという気持ちがあるんですよ。
お医者さんもふつうの人間、ちょっと勉強したかもしれないけど。失敗もあるとはいわないけど、もともと医療って不確実なのよ。さらに言うと、みなさん死んじゃうわけ、私もそうだけど。そういう人間にとって期待が高すぎるということは、実に怖いことですね。みなさん、お医者さんにかかるときの心構えってなんですか? うちの女房が僕に言うんですよ、家族を長持ちさせるコツは何でしょう。亭主に対して、「期待しない、当てにしない、あきらめる」、この3拍子だって言うんです。みなさん、お医者さんにかかるときのモットーを3つ、思い出してね。「期待しない、当てにしない、あきらめる」。これ、大事だよね。まず期待しない、名医だと思わない。当てにしない、医者が言うことは本当だとは思わない、当てずっぽうだと思ってね、あきらめる、自分の運命をあきらめてから行く。これだったら満足度はぼわーってあがっちゃいます。名医だと思っちゃダメ、ヘボ医だと思って行く。表面はごまかさなくちゃダメよ。表面のごまかし方をみなさんに伝授しましょう。医者に対してどういうふうに相対したらいいのか。格言があるんです。「逆らわず、ただうなずいて、従わず」。これが大事ですね。責任は果たして下さいね。責任を果たしているようなふりをするのが大事なんですよ。そうじゃないとお医者さんはメンツないですからね。そのへんをあからさまにやるとモンスターペアレンツならぬモンスターペイシャンツといわれちゃいますからね。うまく振る舞うことですね。
お医者さんにかかりかたというのは、いかに医者をうまく使うかということですね、専門家をいかにうまく使うのかをみなさんがよく考えていかないと。お上をどう使うのか。これはナイチンゲールの言葉なので、かなり意味深ですけど、「医者の言うことには従わなければいけない」と言っている。なぜだと思いますか、ナイチンゲールが言うんだから医者の前ではへへーっとしろという意味じゃないんですよ。看護婦さんたちの先祖みたいな人ですね、ナイチンゲールって。ナイチンゲールの言葉は、医者は何もわからないから、看護婦がどういうふうに言うか、上申するかによって指示は変えられるということです。これは医者の言うことには従わなければいけない、しかし、この従順さには賢い従順と愚かな従順がある。愚かな従順というのは洗いざらい言っちゃって医者が適当な指示を出すとどうにでもなっちゃうということだよ。相手を誘導するような上申の仕方があるわけですよ。みなさん、それをうまくやりましょう。みなさんには権利があります。しかし責任を伴っています。わたしはかなり厳しいことも言いました。しかし一般のお医者さんはそんなことは知らないし、いい人が多い。そういう人をうまく使わなきゃ。ものは言い様です。みなさんがどういうふうに言うかによって医者の診断が確実になるのか、はやく診断がつくのかはみなさんの表現のしかたによっているんですよ。みなさんはあまり考えたことはないと思いますけど、あなたがどういうふうに語る人なのかは実に大事です。
僕は1年前に引っ越したのでいまは村に住んでいないんですけど、村に住んでいたときはよく電話がかかってきました、夜中に。ほとんどどうでもいい電話です。なぜかというと10のことを100に言っちゃうばあちゃんが電話してくるんだから、3回くらいまではほっといていい。だけどたまに大変なことがある。10を1しか言わないじいちゃんから電話が来ればその瞬間僕は飛んで行かなきゃいけないわけ。つまりその人がどういう人なのかがわかっていることが一番の安全保障になる。医者にとっても。みなさんがどういう表現をする人なのかということを一見さんでわからないから医者も困っているんだよね。私って何かと大げさにしゃべる人なのよということが医者に伝わっていて、その上でやっていれば、「あ、適当に割り引いて聞かないといけないかな」ということはすごく大事な参考になると思わない?私って表現しない人なのよ、その人が痛い、痛いって言うときはものすごく痛いからわかってねというのは、これはあなたが言えないことですよ。あなたが表現できないことをどのようにして事前に知らせておくのか、普段のつきあいの中で知らせておくのか、その情報は大きい。あのじいさんは1回電話があれば飛んで行かなきゃいけない、あのばあさんは5回呼ばれても飛んで行かなくていいという、それは本当に大事なのよ。
僕だって医者だから誤診しないようにしているんですよ。村で誤診したら100年言われる。色平医師の誤診って。言われたくないから僕も必死になってやるんだけど。もう劇みたい。金曜日に朝、電話かかかって来る。「先生、われっちを佐久病院まで連れてってくれや」、僕はばあちゃんの所まで行って佐久病院まで行って後輩に渡して帰ってくるドライバー役を期待されているわけね。それしか期待されていないわけよ。次に、ばあちゃんは今度は「先生、診療所に連れに来てくれ」というわけです。診療所まで連れてきて家に戻さなければいけないわけね。私はしもべでございます。農協の職員だから。そうするとばあちゃんは入院したくないとおっしゃっているので、家に戻さないといけない。私はばあちゃんが一人暮らしで、どうなっているか気になるでしょ。翌日の土曜日。電話してもばあちゃんは耳が遠いからわからない。だから行っちゃうしかないでしょ。たとえばみなさんが東大病院にかかって、次の日、東大病院の先生が家に訪ねてきたらどうですか、のけぞるでしょ。私はそんな怖い病気なのかって思うでしょ。だから私は「ばあちゃん、紅葉がきれいだから来ちゃったわ」、とかいうんですよ。そうすると、ばあちゃんは「先生、暇やねえ」って、ちょっと医者とは思えないでしょ。私の地域医療の師匠は保健婦さんなんですよ。保健婦さんは翻訳作業をしている。村語と医者語を翻訳しているわけ。これが加藤先生が私におっしゃったことです。日本人というのは自分の期待で医者を考えてしまうから、そのステレオタイプに乗ったようにテレビもつくるから、さらにステレオタイプが増強して医療技術に対する信仰心がどんどんふくらんでしまっている。そんなことはないのよ。座ればわかる、占いじゃないんだから、わからないわけよ。占いのつもりできている人がいるんだよね。先生にかかれば何でもわかる、わからないよ、そんなの。患者できているんだから言えないわけね。ましてや農協職員だから言えないですよ。
最後に、佐久病院は「酒病院」と呼ばれていまして、酒を飲む田舎病院なんですけど、ここではテレビが発現する以前に劇をやっていたんですね。この劇をみなさんの前でぜひ上演させていただきたいと思います。
(著作権フリー、とかで知り合いから回ってきただよ
佐久方言でやんす、それぞれ書き換えなすって、使っとくんなんし)
三代沢史子さん(画家・音楽家)
画家であり音楽家でもある三代沢史子(みよさわ ちかこ)さん。1991年に「リフィカと旧ユーゴ基金」を設立して10年間、内戦に苦しむクロアチアのドブロブニクに住む人びとへの救援を続けてきました。その後も日本国内各地で「史子平和展」を開催したり、三代沢さんが住む平塚市を足場にして文化の側面から平和のとりくみを続けています。4月に東京で開いた個展の会場にお訪ねして、物静かで肩をいからせずに平和を願って行動する、三代沢さんにお話をうかがいました。
以前の個展で筆者が出会った三代沢さんの作品には、風に流れるリボンのように音符が連なり小鳥が爽やかに飛んでいて、画面から音楽があふれ出るような強い印象を受けました。美しいドブロブニクをイメージしたものでした。今回のテーマは聖ブラホ。ドブロブニクにイタリアから派遣された宣教師で、医師でもあった人のようです。街に病気が蔓延したのを救い、後に聖人として街の守護神となりました。旧市街地の入り口の門に石像があり、道祖神やお地蔵様のように街のあちこちで見かける像です。名前を被せたブラホ教会もあります。街を抱いているブラホ像に、幾度か繰り返された戦争や内戦に平和を求める三代沢さんの気持ちを重ね合わせて製作したものです。
ところで、三代沢さんとクロアチアのドブロブニクとの縁はどのように生まれたのでしょうか? リフィカさんとの出会いはまったく偶然と言っていいものでした。三代沢さんは1989年、画家の方たちとの旅行でドブロブニクを訪れています。初めての海外旅行でした。空港に降りると銃をもった警官に囲まれ、厳重な入国審査がありました。三代沢さんは初めてなので、それが普通かと思ったそうです。小柄な三代沢さんは子どもかと思われたらしくあまり厳しい検査はありませんでした。しかし、同行の方たちは厳しく審査されて、次の訪問地のベニスに入って“ほっとした”ようです。すでに内戦の緊張はあったのです。
その時ドブロブニクには1週間ほど滞在し、ドラム缶のストーブのようなものがついた木炭バスに乗るという経験もしました。三代沢さんは自由時間に、市街地を高いところから見たらきれいではないかと思って、山の方へ坂道を登っていきました。思った通り、眼下には「アドリア海の真珠」と言われる旧市街地が一望できました。そこでスケッチをしていると、上から買い物カゴをさげた女性が来て、話しかけられました。「もっといい景色が見える私の家にきませんか」と言われ、旧市街地が眺められる場所に建てたばかりのリフィカさんの家に招待されました。リフィカさん宅でお昼をご馳走になり、ホテルまで送ってもらいました。リフィカさんはアジアにも興味があったようです。
帰国後、文通が始まりました。ことばが出来るわけでもないので絵はがきに一言を添える程度のものでしたが、返事を出すとすぐ返信が来るという具合でした。1991年になると封筒に「HELP」と書かれたものが届くようになりました。内戦が始まっていたのです。自身が戦災に遭ったこともあり、またお母さまから「あの頃は、何がなくて困った」と聞いていたのを思い出して、思いつくものを送りました。今封筒を見ると、リフィカさんは自分を助けてくれと言うのではなく、「ドブロブニクを、クロアチアを助けて」と書いてあります。
リフィカさんに送る荷物を郵便局にもっていくと、大きな荷物なのでだんだんと周囲に関心が広がっていき、日用品などを送り続けました。でも本当に届くのかどうか分からない状態でした。その頃、京都新聞で下岡万寿美さんがクロアチアへの募金をしていることを知りました。下岡さんはクロアチアの方と結婚されていてルートもあります。大きな組織ではなく、友だちどうしで集めた少ない品物を減らさないように届けるにはと、下岡さんのお力もかりました。1991年に「リフィカと旧ユーゴ救援基金」を設立しました。だんだんと内戦の状況を知るようになりました。当時は貨幣価値が日本の十分の一くらいだったので使い手があるということで、お金を届けるようにしました。よせられた募金やチャリティーの個展や救援物資を集め、下岡さんに託しリフィカさんに届けました。救援活動は2001年まで続けられました。
リフィカさんは横浜で開かれた世界医師学会にクロアチアの代表として来たこともあります。代表に選ばれるのは難しかったようですが、日本に行かれるということで難関を突破して代表になったようです。そのとき、関西を案内したり平塚市民との交換会をしました。リフィカさんは「クロアチアとこんなに遠く離れた国で、こんなにたくさんの人が支援してくれることが生きる希望になります」と語りました。
ほんとうに内戦の状態はなかなか外部には伝わりにくいです。「HELP」の手紙が来たころ大使館に問い合わせても、政府などの大きな機関はセルビアの勢力が押さえているので、「何事も起こっていない」「平和です」という答えしか返ってきません。一般に報道されるようになったのは3年後ぐらいです。数年前に個展に来たセルビア人で女性の留学生は、その時点でもクロアチアで何が起きたかを何も知りませんでした。話しをしたらご自身でも事実を知るようにすると言ってくれました。
多くの民族、言語、宗教が異なった国の内戦は複雑です。ドブロブニクの山の上から反対側に広がる山裾は、もうボスニアとの国境です。すぐに外国になるところです。石を投げたくらいの小さなことが内戦に繋がる危険性があります。日本の方がクロアチアでアンケート調査をした報告書があります。内戦の原因は何かという質問に、“何が原因か分からない”という回答があることをみても、小さなことが紛争、内戦に繋がることが分かります。
でも、内戦のときに90歳になるリフィカさんのお父さんは「前の戦争の時、かくまってもらったから」とセルビアの人を守っていたそうです。ドブロブニクはクロアチア領からは離れていて、しかも豊かな街なので、長い間うばいあいの舞台となった街に住む市民のつながりを感じます。
2005年6月にリフィカさんの提案で、ドブロブニクで「史子平和展」を開きました。初めは小さな個展のはずでしたが、大きな作品もあり、計画はだんだんと広がって、スポンザ宮で開催されました。この宮殿は一部がまだ復興されていない状態でした。平塚からは日ごろの三代沢さんのお友達が集って、七夕、振り袖、おひな様、能面、茶の湯などたくさんの日本文化を持ち込みました。干菓子を用意した茶の湯の実演は、夜の8時から始まりドブロブニクの市民が300人も参加して、とても面白い経験をしました。この市民文化交流はクロアチア全土の新聞、テレビ、ラジオで報道されました。「10年にわたる基金も、文化交流も多くの方々のご協力があってのこと」と三代沢さんは語ります。
今年、三代沢さんは7月に、平塚市民による平和へのメッセージ・「平和を語りつぐ」の6回目を市民グループと一緒に準備しています。みんなの発案を大事にしながら考えたテーマは「手をつなごう平和のWA展」。長崎、中国、パレスチナ、韓国、イラク、そしてクロアチアからも、各国の子供たちの等身大の絵を集め手をつなぎあった大きな輪を作ります。各国の市民から「必ず間に合うように送ります」というメッセージが届いています。
「リフィカさんのように、隣に彼女がいればお互いに分かりあえます。どこの国の人でも同じように、友だちになれば国境はなくなります」。三代沢さんの市民交流の経験に裏打ちされたことばです。(土井とみえ)
簑輪喜作
2年と4ヶ月、9条署名を続けてきて、このほど4月5日についに1万筆となった。今年はいつもよりさくらの花びらも多く、いろも美しく、この私をねぎらうように咲き盛る中で、5日に88筆、6日に70筆、11日の今日現在で1万110筆である。
しかし、今年は正月の3が日は昨年と変わらず人も多く署名も多かったが、その後は昨年より寒く人も少なかった。
そして私自身、長くつきあってきた持病の心臓(30年)、前立腺(20年)が、秋頃から前立腺の数値が高く、検査がつづく中での署名であったが、散歩をかねて続けることができた。
昨年の10月、毎日新聞の記者に「1万になったらまた取材させてください」と言われたときにはまだ7千で、「はい」と」返事をしたものの、切実感はなかったが、しかしやっているうちに、3月に入って9千を超えるようになってから、もしかしたらゆけるのではと思うようになって、次第に自然体から少し義務感のようなものも出てきて、公園だけでなく、土、日を除いて、沢山人の来る東八道路のところの自動車試験場のバス停なども廻った。ここは公園と違ってじっくりというわけにはゆかないが、それでも30分くらいすると、10人くらいのものをいただいた。ここもやはり若者のものが多く、3月になって花時となり、ついに1万を超えたのである。
さて、万になってつくづく思うことは、有形無形の沢山の応援をしてくださる人が居たからだと思う。
先日、公園の関係者の話として聞いたことだが、管理所に「今日は九条おじさん来ていますか」と聞く者もあるという。また2、3日署名に行けないと、「体調を崩したのでは」と心配してくれる者も居る。そんなことで沢山の人に支えられてここまで来たのだと思う。
昨年のことは以前に書いたので、今年になってからのことを少し書いてみたい。
そのひとつとして、今年に入って、野球場からも声がかかって、ベンチにまで入り、署名をいただいたこともあった。こんなことははじめてであった。また、穴あきのジーパンなどをはいた若い女性が私の本を買ってくれて、「必ず感想を書くから住所を教えてください」と言われたこと。そして手紙の来ないうちにまた会い、「いま友達が読んでいる」ということであった。他のところでも廻し読みされているところも多く、おかげさまで手持ちの本も僅かとなった。
また50代の方で、「自分たちで憲法を学ぶ集まりを持っているので、何か集会があったら知らせてほしい」と言われ、九条の会にも入っていただき、自分たちで出しているニュースに載せるということで、私の写真も撮っていった。
昨年も喫茶店をやっている青年に「月一度、憲法のことで集まりを持っているので話のできる人を紹介してほしい」と言われたことがあったが、九条の会とも他のどこともつながりのないところで、いまこういうグループもできているということだ。
先ごろ、「読売」の世論調査でも「改憲反対」が15年ぶりに上回るとあったが、2年4ヶ月、署名を続けてきて、まさにその通りで、以前と違って、みなさんの関心も高くなり、私がそんなに長々と話をすることもなくなっている。
ところで、2、3日前、犬を連れた60才くらいの方に、「あなたのその九条署名の力はどこからでているのですか、私のような団塊世代には不思議に思うのです」といわれ、昭和の初め、満州事変から敗戦まで生きてきたことと、徹底せる軍国主義教育を受けたこと、また戦後の出発が学校用務員という職ながら日本の教育が良くなっていく過程、悪くなっていく過程を、教師ではないが、この目で見てきたこと、そして44年という長い間、沢山の生徒や教師、村人と接する中でなにが一番大切かを学んだこと。
たとえば今、為政者はカネと権力にものを言わせて、何万人という集会でも気に入らなければマスコミを押さえて国民に知らせない。学校教育も自分たちの意のままに。こういうときに私たちはどのような方法でたちむかうべきか、それには自分の周りにある組織での闘いも大切だが、要はどれだけ幅広く不特定多数の人の間に入ってゆくかということではなかろうか。それも持続的に。そして下からの声が多くなればマスコミも元気を出してくれるのではないだろうかと話した。とにかく粘り強く、創意工夫して、それぞれの人が、組織が、どれだけ普通の人の間に入ってゆくことではなかろうかと話した。
それから以前にも書いたことがあるが、九条署名をやる前から取り組んでいる地域の「坂下にもミニバスを」の運動がようやく実り、先日市役所に説明を聞きに行ってきたが、実現まで5年近くかかったが、言えることはあきらめないで、絶えず運動を続けてきたこと、それを推し進める人が居たことである。そんなことで、もう歳をとってしまって書くエネルギーもないが、故里での農村労働組合のこと、そして今の署名、ミニバスも、それぞれ違うものではあるが、運動の法則には共通したものがあると思っている。
それから最後に今年は沢山の方から年賀状をいただいたので、その一部を書いておきたい。
それから、これはかつて私の学校で教頭だった人のものですが、
もう20年以上も前のことですが、こういう手紙をいただくと、用務員冥利につきます。
そしてわたしの学校の教師でないが、それだけに私をよく見ていてくれた同じ町内の元作文教師で、現在上越市在住の方から。
「私と憲法」81号読ませていただきました。孟地の学校の地炉端から簑輪さんがはばたかせていった青年教師がどんなにいっぱいいたことか、管理職から子どもたちまでどんなに影響を与えられたことか、そして大勢の若い衆と農村労組の存在の大きかったこと、改めて噛みしめています。北から南まで日本列島の隅々まで勇気を与えている「憲法おじさん」、どうぞお体を大切に。
私にとっては涙の出てくるような文です。
最後に、2月11日、毎年、集まる関東圏にすむ私の学校の卒業生が、今年も自分たちの人生の出発点であった上野に集まり、私はいつも自分の故里の短歌などをコピーしていくのですが、今年は毎日新聞が出してくれた私の署名をコピーして参加しました。70名の参加でしたが、配ってくれたのは60代のはじめの人で署名まで取ってくれました。
私はよく人が好きだと言うのですが、署名を続けていて、とくにこの頃、その思いが強くなっています。人、人です。誠実に愛情をもって接すればかならず応えてくれる。そんな思いがしています。署名も愛だと思うようになりました。歳はとりましたが、これからもその時々の体調に合わせて続けてゆきたいと思います。
とにかくここまでこれたことは、沢山の皆さんの暖かい応援があったればこそ、声を大にして皆さんにありがとうございましたと、お礼を言いたいと思います。
2008年4月12日(タイトルは編集部)簑輪喜作様
1万筆達成のお手紙ありがとうございました。2年と4ヶ月で、とうとう1万筆の九条署名を達成されたこと、心からお祝いと感謝を申し上げます。達成された翌々日、事務所にお知らせのお電話頂いたとき、留守にしておりまして、大変失礼しました。その数日前に思い立って簑輪さんにお電話差し上げたとき、「この土、日は天気もいいし、人出もあるから集まるに違いないが、体調のこともあるから先延ばしにしようかと思う」とおっしゃっていたので、公園には出ないものと思っておりましたので、驚いた次第です。桜の咲く季節に、持病をおして達成されたこと、簑輪さんもどんなにかお喜びのことかと拝察致します。北海道新聞のコラム卓上四季にA論説主幹が、その日の簑輪さんの句「念願の一万筆を果たし来て夜の炬燵(こたつ)に足のばしおり」を紹介していましたが、4月5日の簑輪さんの姿が目に浮かぶようでした。
お手紙で「1万が近くなって、少し義務感のようなものがでた」と書かれていますが、簑輪さん、本当にご無理をなさらないでください。簑輪さんのような方がいらっしゃること自体が、全国のみなさんの大きな励みなのです。ここまできたら、記録は二の次です。続けてさえいれば、いつかは記録は付いてきます。簑輪さんなら1万5千だって、2万だって、やってのけるに違いないと思います。まずはお体です。上越の方が書いておられるように、「北から南まで日本列島のすみずみまで勇気を与えている『憲法おじさん』、どうぞお体を大切に」という言葉は全く同感です。
「人が好きだ」という簑輪さんの言葉は市民運動をやる私たちにとって、とても大切な言葉だと思います。まだまだですが、私も気負わずにそう言えるようになりたいと願っています。
お送り頂いたお手紙、「私と憲法」の次号、84号に掲載させて頂きます。よろしくお願い致します。
高田 健