私と憲法82号(2008年2月25日発行)


海外派兵恒久法など改憲の流れを食い止めよう!
~第11回市民運動全国交流集会、大きな成果あげる

  

小川良則

総裁在任中の改憲を掲げて教育基本法の改悪や改憲手続法を強行した安倍内閣が倒れた後を受けて登場したにもかかわらず、参院選で示された民意に背を向け「派兵給油新法」を強行した福田内閣が施政方針演説で海外派兵恒久法の制定と憲法審査会の始動や消費税の引き上げに言及するしている一方、内外の民衆が声を合わせ手をつなぐ新たな取り組みとしての「9条世界会議」の準備が進められるという情勢の中、11回目を迎えた「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」が全国24都道府県から130人の参加を得て、2月16日・17日の両日,東京都内で開催された。

今年の集会は、「9条世界会議」との連携を前面に打ち出し、その呼びかけ人たちによる公開シンポジウムを開催するとともに、テーマ毎の報告では,商業新聞ですら元旦の社説で取り上げざるを得なかった「貧困」という生活に直結した課題や、米軍再編がらみの動きや今国会の焦点である海外派兵恒久法などが取り上げられ、多彩な企画となった。

《基調提起と来賓あいさつ》

冒頭の基調提起で、事務局の高田さんは、改憲議連とほぼ同時期にスタートした運動の歩みを振り返り、個別立法による憲法の破壊が進みながらも、この10年間,明文改憲を食い止めてきたのは、「九条の会」が全国各地に作られるなど有名無名の多くの人々が草の根から声を上げてきた成果であることを指摘する一方、福田内閣は安倍内閣をほぼそのまま受け継いでおり、総理自身もかねてからの派兵恒久法推進論者であり,自民党新憲法草案の安全保障部分の小委員長であること等も踏まえ、改憲側の動向を見定めながら、具体的な行動を粘り強く展開していこうと呼びかけた。

来賓あいさつでは、「憲法会議」と「平和フォーラム」から、集団的自衛権にまで踏み込んだ立法によるなし崩し的改憲の阻止について、それぞれの立場からのアピールがあった。また、「全労協」からは,食い詰めた若者が働き口を軍隊に求めざるを得ない米国の状況を紹介しつつ、人為的につくられた格差社会についての問題提起があった。また、「九条の会」の小森事務局長は、参院否決後の衆院再議決の前例は1951年のモーターボート競走法案で,その背景には朝鮮戦争がらみの利権があったことを指摘しつつ、歴史を見据えることの重要性を訴えた。このほか、「九条世界会議」に合わせて広島から東京までを歩き通す「九条ピースウォーク」の実行委員会からも、若者をはじめ従来の活動家とは異なる層を巻き込むことを目指した取り組みの報告があった。

《テーマ毎の報告》

改憲を阻止できるかどうかは,ひとえに世論への働きかけにかかっており、それには日々の暮らしと結びつけて訴えていく必要があり、格差社会の問題はとりわけ重要なテーマである。「NPO法人もやい」の湯浅さんは、1000万人が生活保護基準以下での暮らしを強いられているなど,日々の生活に追われて政治について考える余裕すらない現状を指摘した上で、戦争と貧困をセットで考え、社会としての抵抗力をつけることの重要性を訴えた。また、「障がい者権利擁護センター」の金さんからは、「自立支援」という名の法律の下にサービスの低下と負担の増加が進む障がい者の現状が報告されるとともに、個人が大切にされる社会づくりが問われているとの問題提起があった。

貧困といえば、日本よりもはるかに深刻なのがアフガンの民衆だが、「日本国際ボランティアセンター」の谷山さんは、自らの現地での体験を交えながら、貧困が武力による抵抗を生み出す構造や、軍隊が復興を担うことで、かえって治安の悪化の悪循環に陥っている現状を指摘するとともに、軍事協力は日本に対する信頼を自ら破壊するものであり、武力による紛争解決を放棄した日本だからこそできることをすべきだと訴えた。

にもかかわらず集団的自衛権の解禁と自衛隊の海外派兵を強行しようとしているのが日本の政府と財界であり、今国会の最大の焦点とも言える「海外派兵恒久法」について「憲法を生かす会」の筑紫さんから、いわゆる「石破試案」を基に、その構想の危険性が指摘された。具体的には,国連決議がなくても「国連加盟国(米国単独でも)の要請」があったり政府が必要と認めただけで派兵を可能としたり、国家間の戦闘行為でなければ活動できるとしたり、デモ隊鎮圧のための武器使用に道を開くなど、これまでの歯止めをことごとく取り払うものとなっているのである。

しかし、こうした内容の立法は必然的に集団的自衛権や交戦権の行使に関する憲法上の疑義を呼び起こさざるを得ない。そして,そのために内閣法制局に替わって国会自らが憲法判断を下せるための仕組みとして改憲手続法に組み込まれたのが憲法審査会であり、決してこれを始動させてはならないという提起も行なわれた。

また、米軍再編と日米軍事同盟の強化が進む中、沖縄や岩国からは補助金による国の恫喝と懐柔の問題が、習志野や愛知からはパトリオットの配備と防衛利権の問題が報告されるとともに、北海道からは米軍の艦船の入港に関して外務省が港湾管理者に圧力をかけた事例が、練馬からは防災を口実にした治安訓練の問題が報告された。

しかも、見逃すことができないのは,こうした動きに対する抗議行動への有形無形の制約が強まってきていることである。これに関しては、反戦ビラ配布弾圧事件(立川)に加えて、右翼による集会の妨害(浜松)や自治体による会場使用拒否(北海道)、沖縄戦の記述に関する政治介入や旧日本軍の「名誉回復」を目指す動き、さらにはマスコミの自主規制もあって、精神的自由の侵害が進んでいる状況が指摘された(「子どもはお国のためにあるんじゃない!市民連絡会」・「VAWW-NET」ほか)。

一方、こうした動きに対する草の根からの取り組みとして、各地から「日本の青空」の上映運動(狛江・中野)や意見広告運動(関西・大分),基地騒音訴訟(岩国)、月例デモ(座間)等の事例が紹介され,宮城からは,保守系の自治体首長経験者が改憲は住民の安全を脅かすとして、「九条を守る会」を発足させたことが報告された。

《シンポジウム》

時間は若干前後するが、1日目の夜に200人を超える人々の参加を得て「9条世界会議」の呼びかけ人による公開シンポジウムが開催された。

「9条世界会議」の川崎事務局長(ピースボート共同代表)は、日本国内では、日本が「特別な国」であることを後ろ向きにとらえ、「普通の国」を目指すと称して改憲の動きが進んでいるが、1999年のハーグ世界平和市民会議や2005年のGPPAC、2006年のバンクーバーでの世界平和フォーラムに見られるように、世界は9条を選び始めていると指摘し、「9条世界会議」の意義を訴えた。

映画監督のジャン・ユンカーマンさんは、とかく憲法問題は「理想」対「現実」の枠組みで語られがちだが、本当は9条こそ現実的なのに、それがなかなか浸透していないと指摘し、歴史を分析しながら掘り下げた議論をして、憲法の実現に向けて戦略的に考えていく必要があることや、今なお軍拡の渦中にある北東アジアの安定が焦眉の課題であることを訴えた。

作家の朴慶南さんは、自らの体験や取材を基に,改憲側は「日本が攻められたらどうするのか」と言うが、これまで日本が攻められたことがあったか、攻めていったのは日本の側ではないかといった指摘をするとともに、「北」を悪者にすることでナショナリズムが進んでいるが、9条の精神は民衆が手をつなぐことだと訴えた。

詩人のアーサー・ビナードさんは、憲法には政府に無視されても民衆の間に定着して動かせない力があり、これが運動の足場になると指摘した上で、テレビが伝える情報だけが真実ではなく,自分の目で見て、自分の頭で考えることの重要性を訴えた。

その後、会場を交えた討論を経て、「9条世界会議」で得たものを持ち帰って運動に生かしていこうという「まとめ」でシンポジウムを締めくくった。

《まとめと決議》

集会は、2日間にわたるテーマ毎の提起や各地からの報告を受けて討議に移り、最後に「暮らしを土台に取り組みを根付かせ世界に発信していこう」という富山さん(日本消費者連盟)の集約で締めくくり、派兵恒久法反対の全国共同アピール運動の展開や、「9条世界会議」の成功の上に、9条を拡め実現していく国際的な流れを大きく発展させていくこと等を内容とする「集会アピール」を採択して,全ての日程を終了した。

あっという間の2日間であったが、この成果をそれぞれが持ち帰り、日常の取り組みに反映させていこう!

(おがわよしのり 事務局)

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第11回 許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会基調

当日、時間の関係で省略せざるを得なかったところも補足しました(高田健)。

(1)今回で11回を数える「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」は、この間、9条改憲反対を軸に、憲法3原則を擁護し、実現していくための自立した市民運動の全国的連携と、その強化という仕事をすすめる上で果たした役割は決して小さくなかったと、私たちは自負している。

とりわけ1997年5月、改憲議連の結成に抗議する運動を始めて以来、10年に及ぶ改憲手続き法の制定に反対する運動は、多くの成果をあげ今日に引き継いでいる。

2001年5月、それまでは別々に開いていた憲法記念日の集会が統一して、「5・3憲法集会」が日比谷公会堂で開かれ、社民党の土井党首と共産党の志位委員長が壇上に立った。当時では画期的な一日共闘で、メディアも大きく注目した。これは以来7年、今年の5・3憲法集会で8回目を迎える。

2003年春からはWORLD PEACE NOWの大規模な運動がくり広げられた。

こうした共同の運動の拡がりの中で、2004年6月に9人の著名な知識人のみなさんにより「九条の会」の呼びかけが発表された。以降、九条の会は急速に全国に組織され、今日、その数は約7000箇所になろうとしている。私たちも全国各地で、積極的にその発展に協力してきた。

とりわけこの数年の間、9条改憲反対の声は全国各地で、実に多様に、多彩に、大きく盛り上がってきた。私たちはその一部に過ぎない。

例えば芸能界の皆さん達の努力をみただけでも、太田光君の数十万部も売れたという新書本の果たした役割、たとえばすでに70万人がみたという吉永さんの「母べえ」が訴える反戦の思い、「日本の青空」の制作、渡辺えりさんの劇団、坂本龍一さんの反戦のメッセージ、などなど数え上げればきりがないし、そうした有名無名の多様な人々の努力のうねりが憲法9条を変えさせるなという巨大な世論を作り出したことを見ておかなくてはならない。

昨年の読売新聞の世論調査が示す「V字型」のグラフは、この10年の中で、後半の3年が明らかに「9条改憲するな」の声が増大していることを示した。

この10数年の運動の中で、共同し、持続して奮闘すれば、運動は大きな成果を収めることができるということを確信している。

(2)安倍前首相の暴走によって改憲手続き法は成立したが、憲法審査会はいまだに始動していない。任期中の改憲を豪語した安倍首相は、内外の困難の前に行き詰まり、退陣した。

代わって登場した福田内閣の評価だが、福田首相は改憲暴走の安倍首相とは異なり、野党との対話を看板にしている。これについては運動圏で若干の議論がある。

この安倍政権の崩壊の結果、登場した福田康夫内閣は国会の「衆参ねじれ状況」を反映して、政権を維持するために「背水の陣」で、強権政治に終始した安部とは反対に「低姿勢」の形をとり、「野党との対話」を掲げざるを得ない立場にある。例の小沢民主党代表との「連立騒動」もその一環だ。戦後の日本政治をほとんど一貫して担ってきたわが国の保守政治勢力には、政権への執念とそのためにはあらゆる手段を駆使するしぶとさがある。それをもって彼らは幾度も見舞われてきた政府危機と政治危機を乗り切ってきた。「解釈改憲」や、「連立」「政治再編」などはその代表的な手段だった。

しかし、「福田内閣」が官房長官と文科相を除いて、安部内閣の居抜き内閣であり、閣僚には安倍的な部分も多いこと、福田が官房長官の時代に海外派兵恒久法が検討されたという事実。恒久法の提唱者は福田康夫(12月31日の産経)。福田康夫が自民党の新憲法草案作成の過程において、安全保障部分(9条部分)を担当した小委員長であったことは周知のことだ。そして、就任後すぐに米国に飛び、その後、参院で否決された派兵給油新法を憲法59条を使って衆院で再議決を強行した。またその施政方針演説を見ても、福田首相が自民党綱領にうたわれる明文改憲という党是を捨てていないことも事実だ。ゆえに私たちは論者の一部にある「福田=ハト派論」には与(くみ)しない。

しかし、当面、福田内閣は安倍晋三のように明文改憲を喫緊の課題として掲げることはない。「丁寧に、ねばり強く、話し合う。福田康夫です」などと臆面もなくいう(1/31官邸メルマガ16号)。嵐が過ぎ去るのを待って、ひたすら我慢している内閣。チャンスと見れば、時々牙をむく。運動の一翼を責任を持って担おうとする私たちは、安倍も福田も同じだという「本質論」で切って捨ててことたれりとするドグマ主義にも与することはできない。

重要なことは第1に、安倍首相を倒した重要な要因のひとつに改憲を望まない広範な民衆の力があったことを確認することであり、第2に、この時期の改憲勢力の動向を見定め、この時期にふさわしい運動の方向を確定しなければならない。

(3)福田内閣は当面は憲法問題では解釈改憲をすすめ、究極の解釈改憲としての自衛隊海外派兵恒久法の成立をねらい、本年中に動きを強めてくる。これによって自衛隊は「専守防衛の自衛隊」という看板を完全に投げ捨て、海外で軍事行動のできる軍隊となる。

あわせて、福田施政方針演説で「今後の国会のしかるべき場において、国民投票法の審議過程で積み残された諸課題や、改憲するとなればどのような内容かなど、すべての政党の参加の下で幅広い合意を求めて、真摯な議論を」とのべたように、憲法審査会の始動と、改憲原案づくりを進めたいという意向を柔らかく表現している。2010年に改憲手続き法は改憲案作りの凍結解除になるわけで、年齢問題の検討など、これにむけた準備に入っている。

要するに、福田の改憲戦略は、1年スパンでは派兵恒久法、明文改憲の準備は数年スパンでということに尽きる。

④わたしたちの対応はどうあるべきか。この点で、さきの九条の会全国交流集会での加藤周一さんの発言はたいへん示唆的だと思う。

「安倍内閣から福田内閣に代わって、政府の言説はもう少し手の込んだ理屈になり、行動様式も非常に細かくなって来ている。現に状況の判断がより現実的に細かくなってきている。2つの内閣には、そういう変化があるんですね。福田内閣の方が、はるかに洗練されていて、比べものにならないほど手強い相手だと思います。明日改憲しようと言うのではなくて、もう少し様子を見ようと言うふうに変わってきた」

「ですから、わたしたちの運動も……9条を守ることがもちろん第一義的だけれど、同時にそれだけではなくて、『生かす』ことが念頭にくる必要があります。権力側で改憲を望む人は、いきなり改憲ではなくて、むしろ解釈改憲の伝統を……1年の内にという話ではなくて、おそらくこれから何年かかけて次第にそういう風に持って行くのではないか。おそらくこれからは長丁場になるでしょう」

「第1は、……今年だけ運動が活発なのではだめで、長く活発にやる。……第2はあまり抽象的なことばかりではなくて、すべての問題を日常性に結びつけなければいけないということですね」

(5)加藤さんのいう、①長丁場を意識して、長く活発にやる。拡大した組織はゆっくり大きくなる。②抽象的なことばかりではなくて、問題を日常性に結びつける。対外的な戦争の容認という動きに、日常生活のあらゆる手段をとって反対する。つまるところ、憲法を生かしていく。

まさにこれであるし、本日準備されている特別報告や各分野からの報告は結果として、まさにこれに対応するものだと思っている。私たちは、9回の広島で日韓連帯とあわせて、「9条と24条」をテーマにし、昨年の大阪では「9条と25条」をテーマにした。本集会はこれらの積み重ね、継承の上に計画されている。

そして、本集会に、事務局から、自衛隊海外派兵恒久法に反対する「全国共同アピール」運動を提案している。派兵恒久法に反対する運動の手始めに、この賛同募集を行い、この課題の重要性についての警鐘をならし、全国各地各分野の市民・民主運動のひとびとに共同を呼びかけたい。

(6)ひとつ加えたい。加藤さんが指摘する「支配層の狙う対外的な戦争の容認」ということは、まさに日本の軍隊がグローバルな規模で米国とともに戦争のできる体制を作ると言うことだから、私たちの憲法運動もまた一国的にとどまらない国際的な運動でなくてはならないということだ。

本集会の大きなテーマのひとつである「9条世界会議」はこの課題へのひとつの回答だ。1999年のオランダのハーグで開かれた「世界平和市民会議」、2005年のアナン国連事務総長の呼びかけで始められたGPPAC、2006年カナダのバンクーバーでひらかれた「世界平和フォーラム」などにつづく、国際的な「9条の価値」を広め、実現しようとする流れの飛躍的な発展は、まさに「世界から」のこの戦争のできる国づくりに対抗する有力な運動となるに違いない。

「9条を世界へ」というとき、私たちには一種のためらいがある。それは日本で9条を実現していないことに対する痛みから来るものだ。その痛みを引き受けつつ、日本の私たちは世界の市民社会が9条の価値を支持することを歓迎し、合流していくべきではないか。

(7)本日、お忙しいところおいでくださった各界の友人の皆さん、あるいは各地/各分野でこの1年奮闘してきた皆さんのご出席に感謝し、今後のさらなる1年をともに共同して奮闘したいと願っております。

ありがとうございました。

2008年2月16日

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第29回市民憲法講座(要旨)
憲法25条と現代の貧困

湯浅誠さん(自立サポートセンター・もやい事務局長/反貧困ネットワーク事務局長)

(編集部註)1月19日の講座で湯浅さんが講演した内容を編集部の責任で大幅に要約したもの。要約の文責は全て本誌編集部にあります。

多様化する相談事例の数々

私は1995年から野宿の人たちの支援活動をしていました。「もやい」という団体は2001年からはじめて、私が関わっている活動の基点です。今日は日本の貧困問題がどうなっていて、それがどういう問題か、自分たちは何が出来るかを憲法の問題なども視野に入れつつ、お話できればと思います。

最初に、具体的なイメージを持っていただくために、いくつかの事例を紹介します。「もやい」の活動はもともと野宿の支援から始めたこともあり、当初は野宿している人の相談が多く、元野宿者、DVの被害者も少なくなかったんです。いわば古典的な貧困層といっていいと思いますが、こういう人たちは日本が高度経済成長期で、一億総中流といわれる頃からずっと貧困でした。日本社会はそういう人たちの存在を基本的には忘れていたというか、視野に入れていませんでした。今日、それが「もやい」の活動でも非常に相談が多様化してきました。いままでのカテゴリーに当てはまらない人の相談が急速に増えています。そういう人たちが新たに貧困状態に追い込まれていっているということだと思います。

去年の12月26日に「反貧困たすけあいネットワーク」で「年越し電話相談会」をしたら、「年を越せない」という人の電話が1日中鳴りやまなかった。その中のひとつが44歳の男性と両親の例です。この方はお父さんが80代で寝たきり、お母さんは70代、グッドウィルで日雇いの登録派遣で、年収60万円だと言っています。この年収で3人家族で食べている、生きている。このままでは年を越せないというご相談でした。

19歳の男性は52歳のお父さんと一緒の父子家庭で、ある時電話をかけてきて「死にたい」といいます。すぐ来てもらって話を聞いたらお父さんは日給月給の警備の仕事で28万円稼いでいたんですね。この仕事で28万円を稼ぐのは相当無茶な働き方をしていたと思います。夜勤やってそのまま昼勤をやるとか、休日返上で働くとか。そのせいでうつ病になってしまい働けなくなった。本人は中学2年から、両親の離婚が影響しているようですが、ずっと不登校だった。二人とも収入がなくなり生きていけない、と相談に来ました。親子関係が煮詰まっていたので、いまは一緒に暮らさないほうがいいだろうということで、この19歳の男の子はこれからひとりで生きていかなければいけません。

より最近では18歳の男の子が転がり込んできました。彼は実の両親と思っていた家庭が里親だったと言い渡されて、施設に預けられ、施設を出た後に転々としながらホームレスになってしまった人でした。仕事もしたんですが、だまされたりして自分でアパートを借りるのには至らなかったということです。

31歳の女性は、この方もグッドウィルの日雇いで働いていました。ご実家住まいでしたが、両親が非常に本人に辛く当った。「何やってんだ、お前はいつまでたっても」というふうで、実家にいたたまれずにネットカフェに泊まったりしていた人でした。人の紹介で連れてこられ、実家の話になると涙ぐんじゃって言葉が出てこなかったですね。とりあえず1人暮らしした方がいいと、生活保護を受け1人で暮らして今は仕事を探しています。

34歳の男性は大宮でネットカフェで7年間暮らしていた人です。この方はフルキャストで働いていましたが、フルキャストがつくった子会社に転籍になって本人の給料が減っちゃった。相談に来た段階では月8万円くらいしか働けていませんでした。それで毎晩ネットカフェに泊まることもできずに、週3日位は夜通し街を歩いた。これは野宿の人が冬場には、寒くて眠れないので夜通し歩くんですね。それで朝、彼の場合は始発に乗って、京浜東北線で大宮から大船あたりまで、長くて仮眠が取れるので2往復くらいするという、そういう生活をしていました。

それから小学生の子どもがいる愛知県の夫婦は、車中生活をしているというんですね。メールでやり取りをしていたので私は会ってはいません。子どもさんは児童相談所で保護されていて、そこから学校に通っています。公機関とつながっているので、児童相談所の職員さんにあいだに入ってもらって福祉事務所に相談したらどうですかとメールを返してみたら、もうそれはやったけれど、役所の人に、子どもは保護するけどあなたたちには何もできないよ、と言われてそのまま車中生活を続けていた。「本当に何もできないのか」というから、そんなことはありませんよ、と話しました。今は近くでサポートしてくれる人を見つけて、おふたりは寮に入りました。奥さんは車中生活をしながら派遣で働いていたんですけど、旦那さんも仕事を見つけ、今は子どもを引き取るのを唯一の楽しみにがんばりますというメールをもらいました。

それから60代の男性4人がぞろぞろと来たんですが、ご兄弟でした。お一人が難病を持たれていて、残りの3人が今まで何とか生活を支えてきた。ですが自分たち自身がリタイアすると、自分たちの生活に不安があるわけです。当然ですね。この長寿社会ですから。しかも負担が増えているとなれば、もう難病を持った兄弟を支えきれないと相談に来られました。こういう感じですね。もう「こういう人たちが相談に来る」ということがなかなか予測ができない。家族持ちの人の相談を受けた後に若い単身の人が来て、男性が来たかと思ったら女性が来て、働いている人が来たと思ったら病気の人が来る。どんな人が来てもおかしくない状態になってしまっています。

3層のセーフティネットに穴

この間の貧困の問題を、一部の人は「就職氷河期世代の問題」だと言うことがありますが、私は、それは問題の矮小化だろうと言っています。就職氷河期世代の人がわりを食ったのは事実ですが、問題は、日本全体が貧困化していることです。じゃあ何故そんなことになったのかですけれど、世の中には3層のセーフティネットがあるということになっています。雇用のネット、社会保険のネット、公的扶助のネットの3つがそれぞれに機能して、1番目でダメでも2番目で受け止める、2番目がダメだったらいよいよ生活保護で受け止める、こうして人々が貧困まで落ちていかない社会構造になっている。ここがちゃんと機能しているのが普通の福祉国家ですが、日本の場合はここにいろいろ穴が開いています。

まず1番目の雇用のネット、この10年間で非正規労働者が600万人増え、正規労働者は520万人減りました。10年前に比べて正規の仕事に就くのは昔の何倍も努力をしなければいけない。日雇いの人や母子世帯の人にとっては「働いても食べていけない」状態は以前からありましたが、いよいよその神話性が露呈してきてしまった。「働いても食べていけない」人が大量に生まれています。自営業、たとえば農家も昨年は米価が非常に暴落し、米をつくっていたら食べていけない状態になってしまい、これはサラリーマン、給与所得者に限らない全国的な状況です。

働いても食べていけない、あるいは働けないという中で次に社会保険のネットは機能しているのか。いちばんわかりやすいのは失業給付だと思います。1980年代には失業者の50%が失業給付を受けていました。今は、去年か一昨年の統計では失業者の中で失業給付を受けられる人は20%まで減っています。しかも期間が短くなっています。つまりここからも漏れちゃう人が増えています。そうすると最後のセーフティネット、生活保護までいかざるを得ません。生活保護はというと、北九州の事件等でも有名になりましたが「水際作戦」という、申請させない、申請させずに追い返しちゃうということが、全国的におこなわれていて、ここからも漏れる人が出てきている。そういう中で貧困状態にある人がどんどん増えていっています。

これは非正規で働いている稼働年齢層、特に若い人たちをみるとさらに違ったように見えてきます。非正規で働いている人たちの年収は150万円といわれています。ほとんど生活できるレベルにない、最低生活費以下ですね。しかも失業のリスクが極めて高く、その究極の形態は日雇い派遣です。日雇い労働は日々働いて、日々失業することなので、毎日失業しているような状態です。そういう中で次のネットで支えられているかというと、ここでは支えられていません。非正規の人はたとえフルタイムで働いていても非正規であるがゆえに会社が雇用保険に入ってくれないですね。実際は失業のリスクが高い人ほど失業保険が受けられない構造になっています。失業保険を受けられるのは大企業の正社員だったり公務員だったり、実際には失業のリスクのない人です。失業リスクの高い人ほど2番目はスルーしてしまっています。

次の生活保護についても、今は生活保護は「働ける人が受けるものではない」というイメージが定着しています。これは歴史的につくられたもので、1960年代の半ばまでは生活保護受給者の4割は働いている人だったんです。しかし生活保護の第二次適正化という行政の方針転換で、働ける人間は生活保護から締め出された。そういう歴史は忘れられ、働ける人は生活保護なんか受けるもんじゃないと一般の人が普通に言っちゃうわけです。福祉事務所でもそれに便乗するかたちで水際作戦がおこなわれるから、ここにも引っかからず、非正規で働いているような人にとっては1枚目で落ちちゃえば、もう2枚目、3枚目は自動的にスルーする構造になって貧困化が顕著に進んでいくことになります。去年から若い人たちの貧困が驚きをもって受け止められていますが、私はこういう構造をみたら別に驚くに値しない、当然なるべくしてなっていると思っています。

「5重の排除」が貧困の背景

ただここには書いていないもう1枚のセーフティネットが実際はその貧困化するかしないかを分けています。それは「家族」です。例えばフリーターで月収10万円の非常に不安定な仕事をしていても、親御さんと同居していて、親御さんがちゃんと稼いできてくれていれば、自分の部屋はあるし冷蔵庫を開ければ何か食べ物がある。親がいないとか、親に頼れない事情のある人は、そこで支えられないので貧困化してしまいます。また家族が支えている場合は事実上公的な社会保障の肩代わりを家族がさせられていることですから、非常にストレスが高い、過剰な負担を強いられています。そういう中でたとえば児童虐待であるとか、子どもさんが親を殺してしまう、親が子どもを殺してしまう、そこまでいかないにしても様々なトラブルが出てくるわけです。

児童虐待の問題は日本では貧困と結び付けて語られることはほとんどありませんが、アメリカでは児童虐待と貧困はもっとも強い結び付きを持っているのは常識になっています。日本の場合もデータによれば、児童虐待の起こる家庭の50%以上は所得税非課税家庭で、貧困が背景にあります。いろんな問題に同じことが言えます。たとえば、日経新聞の昨年8月6日の記事でも報道されましたが、高齢の受刑者の7割は再び刑務所に舞い戻ってしまいます。その人たちの半数以上があげる理由は生活困窮です。「塀の外では食べていけない」ということですね。だとすれば、その人たちが地域で暮らせるようにサポートすることが、そういう犯罪を減らす効果を持つわけですけど、いつまでたっても見当外れの対策が打たれているということです。

落っこちていく立場の人から見れば、私はそれは「5重の排除」というふうに映るだろう、その「5重の排除」が貧困の背景にあると言っています。まず教育課程からの排除です。たとえば、いま高校進学率は97~98%を維持していますが、ネットカフェで暮らしている人の学歴は中卒の人が2割、高校中退の人が2割、つまり公式的な最終学歴が中卒の人が4割に達しています。路上で暮らすホームレスの人たちは5割が中卒です。生活保護受給世帯の調査が昨年大阪で行われましたが、やはり中卒と高校中退の人を合わせると7割を超えます。

低学歴で出てきた人に社会的な不利益が集中する構図はいまでも全然変わっていません。その結果、なかなか有利な条件の仕事には就けませんから企業福祉からも排除される。さらに家族から支えられないという家族福祉からの排除を受ける。最後のセーフティネットとして相談に行った福祉事務所でも水際作戦にあって追い返される。こうして排除が重なっていくと最終的には「もう別に生きていたってなにも良いことがないわい」という気になる。それを私は「自分自身からの排除」と言っています。こういう「5重の排除」が貧困の背景にあります。

さきほどの7年間ネットカフェで暮らしていた人の例をいうと、彼は実は人に連れられて相談にきたんです。最初のうちは「自分はこのままでいいんスよ」とずっと言っていました。そこにはそれなりの背景があって、彼は母子家庭で、お母さんは高校1年生のときに帰ってこなくなっちゃって、そのときからずっと自分1人で暮らしてきた人です。そういう中で日雇いの派遣で自分なりにはちゃんと働いているけど、子会社に転籍させられて自動的に仕事が減った。「これは何ともならない世の中だから今のおれがこういう状態なんでしょ」という気持ちがやっぱりどこかにあるわけです。

「結局なんともならない世の中なんだから」ということで折り合いをつけるしか本人としてはないわけですね。そうじゃなければ死ぬしかないわけですが、彼は少なくともいのちを絶たずに今まで生きてきた。これは彼が弱いとか根性がないという話ではなく、何年間かそういう状態におかれると、誰でもそうなってしまうんだ、人間というのはそういう生き物なんだというふうに私は言っています。そういうことを背景として貧困状態に追い込まれていく。

「溜め」がない状態

その貧困状態をどうイメージすればいいかといえば、私は「溜め」がない状態だと言っています。この「溜め」というのはいろんな意味があるんです。たとえばお金がない、貯金がないという金銭的な「溜め」がないこと。だけど貧困はそれだけじゃないんです。たとえば人間関係の「溜め」があるかどうか、これは決定的に重要なことです。親御さんに頼れるか、困ったときに転がり込める友人がいるかは人間関係の「溜め」です。また自分に自信がある、やると思える、あるいはたたかえる、こういうのは精神的「溜め」があることです。総合的な概念として「溜め」というのがあって、その全体がぎゅーっとちっちゃくなっているのが貧困だとイメージしていただきたい。

私は「貧困」と「貧乏」は違うと言っています。「貧乏」はお金がないことです。脱サラして田舎暮らしで一家四人、楽しく暮らしている親子は、現金収入は少ないかもしれないけど、家族があって地域とつながり子どもが生き生きと遊びまわっていて、それはそれで幸せそうで別にいいわけです。しかし「貧困」はそういうことを含めて失っていることなので、「貧困で幸せ」ということは定義上あり得ません。貧乏は時に笑えますが、貧困は笑えないということですね。

去年、外資系のジャーナリストから取材を受けたときに、こういう話をしたら「自分にも『溜め』があったんだなあ」と言い出しました。彼は前に勤めていた通信社をリストラされて3年間失業していたときはつらかったけれど、運良く友人の紹介でいまの通信社に勤め、またジャーナリストとして活動できている。自分は少なくとも3年間失業していられる金銭的「溜め」があって、仕事を紹介してくれた友人という人間関係の「溜め」があり、そうやってはじめて今の自分がいる。「溜め」とはそういうものです。この「溜め」は残念ながら目に見えないのですが、一人ひとり持っている「溜め」の大きさは違うはずです。

ですが人々はどうしてもみんなが同じような「溜め」を持っていると考えがちです。そうすると、うまくいっている人ほど「がんばれば何とかなる」と言っちゃうんですね。なぜなら自分が何とかなってきたからです。しかも普通は「溜め」があったおかげで何とかなってきたとは考えません。たとえばいまは親御さんが1000万をかけなければ大学には行けないといわれています。しかし自分が大学に受かった時に、「親が1000万円かけてくれたから大学にいけた」と思う人はあんまりいないですね。「受験勉強を頑張ったからだ」と思い、「誰だって頑張ればできるよ」と、ついつい条件の異なる人に言ってしまいます。持っている「溜め」、条件が違うにもかかわらずそう言ってしまいます。

その「溜め」を見えるように努力しなければいけない。見えない「溜め」が見えるようになる、特に学校の先生とか福祉事務所のケースワーカーとか援助的な仕事に就く人は対象者の「溜め」が見えるようにならないといけないんじゃないか、あるいは少なくとも見えるように努力をしなきゃいけない。そうでないと「みんな頑張って勉強すれば成功するんだ、死ぬ気になって頑張れば仕事はあるんだ」ということを、それぞれの条件を無視して繰り返しているだけでは何事もうまくいかない。そう考えると貧困問題に対応するためにはこの「溜め」を増やしていくことが必要なわけですね。それは金銭的に所得を保証することであり、あるいは人間的なつながりをさまざまなレベルで回復していくことであり、またそういうことを通じて自信をつけていくことであるわけです。

「自助・共助・公助」とは「自分でやれってことですね」

いまさかんに言われているのは「自助・共助・公助」の3セットがあって、まずは自助努力でやってください。それが無理なら共助で、家族が支えあい、地域が支えあってください。それが無理なら公的に出動しましょうという構造です。3層のセーフティネットの話でいうと、働くことは主に「自助」で、自分で頑張って働いてください。社会保険は「共助」で、支えあいです。若い世代が年金受給者層を支える、働ける人が働けない人を支えるといわれます。そして「公助」が生活保護だというふうに、暗示的に3層のセーフティネットに対応していわれます。実はかなり違いますがね。共助といわれる社会保険、国民健康保険にしても国民年金にしても税を投入しなければ成り立たないシステムです。その中には公助の部分が入っていますが、厚生労働省はそれを相互の支えあいのイメージに持っていこう、持っていこうとしていますね。それは税金の投入を妨げたいからですね。

今この「自助・共助・公助」がどういう組み合わせで使われているかというと、それは福田政権のタイトルに明らかですが「自立と共生」です。「公助」はどこに行ったんだと思います。彼が言う「自立」は自分で働いて何とかしてください、家族の中に介護の担い手がいるなら介護保険は使わない、これが「自立」だと総裁選の時に言っていました。「共生」は家族で支えあう、地域で支えあう民間の努力です。極端な言い方をすると、貧困者がいるのなら一家心中するまで家族で支えあってくださいということです。

安倍政権の再チャレンジ政策も基本的には何も変わっていません。安倍政権は死ぬ気になればできるはずだから誰でも再チャレンジしてみてください、職業訓練校に行く費用は少し出しましょう、でも生活費は自分で何とかしてね、というわけです。そういう状態が進行して貧困がどんどん進んできました。このあいだフジテレビの番組に出たら、タレントのカンニング竹山さんが見事に言い当てていました。この話を自民党の人が説明したら「つまり自分でやれってことですね」と言っていた。これがもっとも的を得た再チャレンジに対する批判だと思って感心しました。

セーフティネットの修繕屋「エム・クルーユニオン」

私は貧困問題に対して「反貧困」と言っていて、その反貧困の活動は、それぞれのセーフティネットを強化していく活動で、「セーフティネットの修繕屋」になりましょうと呼びかけています。これは誰かが修繕してくれるわけじゃないです。政府はどちらかというと壊す方ですから、われわれ自身が、市民や社会が修繕していくしかない。たとえば私は「エム・クルーユニオン」という労働組合をつくっています。それは労働のセーフティネットだけではなくて、日雇い雇用保険という社会保険のネットにも絡む活動です。

「エム・クルーユニオン」ですが、エム・クルーはグッドウィルやフルキャストとは比べものにならない小さい日雇い派遣の会社です。私はここで労働組合を、派遣ユニオンの人たちと一緒につくっています。ここのシステムは8時間働いて日給が原則7,700円です。そこから意味不明の天引き、安全協力費とか福利厚生費という名目で500円が引かれ、8時間働いて手取りが7,200円で、ここに交通費等も含まれます。エム・クルーに依頼する会社はエム・クルーに通常価格で12,380円払っていますが、本人の手元には7,200円しか来ないので42%ピンはねしている。職安法で定められた有料職業紹介の中間マージン率は10%ですから、日雇い派遣会社は3倍から4倍のお金をピンはねしてあれだけの急成長を成し遂げています。しかもこの会社から派遣される仕事先は8~9割が建築業です。建築現場への派遣は、派遣法がどんどん緩められている中でもまだ港湾や警備と並んで派遣してはいけない業種になっていますが、そういう所への派遣を日常的にやっている会社です。

なぜ私がこのエム・クルーという会社で労働組合をつくったかですが、この会社はホームレス化したフリーターに対して宿舎と仕事の紹介をセットで行っています。私がこのエム・クルーを最初に知ったのは、2005年7月17日の朝日新聞です。「1泊1500円 フリーター歓迎」「37歳社長は元路上生活者」。そして、ここを底にしてステップアップしていってほしいというふうなことを言っているユニークな仕事が立ち上がったと報道する記事になっています。ちょっと昔のことを知っている人ならば、これは昔の飯場と似たようなものだとすぐわかります。仕事と住居がセットでしかも両方から搾取、ピンはねされるわけで、いつまでたっても貧困から抜け出せないことは、そういうことを知っている人だったらすぐわかりますが、そういうことは社会的には知られていません。マスメディアも知らない。そういう中でいくら頑張っても貧困から抜け出せない、自分の努力が足りないんじゃないかと自分を追い詰めていくことになります。

この記事を見た時から「いつかやってやらないかん」と思っていたので、2007年10月1日に組合を作り要求書を持っていきました。天引きした500円を創業時にさかのぼって返せという要求をはじめ15項目の要求を出しました。10月16日に最初の団交の冒頭、開口一番に天引きしていた500円は返しますとあっさり認めたんです。ただ2年間分しか返さないということで、いま創業時にさかのぼって返せと争っています。ここは年商8~9億円ですから、返す金額をざくっと計算すると1億円になり決して小さいお金じゃない。なんで返すかといえば、この件はいくら争っても勝ち目がないと判断したから認めたわけです。もちろん良かったのは良かったけれど、複雑な気分になりました。わずか5~6人で作った労働組合にすんなり返すと認めざるを得ないくらい、明らかに違法なことをこの10年間やり続けてこられちゃっているわけです。それを誰も指摘してこなかったという事実にちょっと複雑な思いをしたんです。

この会社は明細書も渡さないんですよ。日払いですから、働いて終わったら、裸のお金をじゃらんと渡してくるんですね。みんなそれを受け取って帰ります。自分がなぜこの金額をもらうのかわからないんです。われわれが組合をつくって社前行動で呼びかけたときに、「みなさん500円引かれてますよ」というと「えー」って言って足を止めるんですよ。「嘘だと思うなら明細書をもらってみてください」と、そこではじめて明細書をもらって、500円引かれていること確認するわけです。

昔からそうですが、高校、大学から社会に出る、労働者としての権利、たとえば生活保護の具体的なノウハウとか、サラ金やクレジットで借りたらどうなるか、何一つ学ばないで出てきます。それでも昔は大丈夫だったですよね、本当はそうじゃなかったけど。なぜかというと学校の出口でちゃんと会社が受け止めてくれていたからですね。会社が受け止めてくれない人、女性とかは家族が対応していた。いまは学校の出口でポーンと社会に放り出されます。その時に丸裸だったらこういうビジネスにとっては「おいしくてしょうがない」わけですね。どんなことをやっても文句は言わない、むしろ自分の努力が足りないと思ってくれる。そういう中で貧乏人を食い物にするビジネスが増えて、私はそれを「貧困ビジネス」と呼んでいますが、そういうビジネスが増えてきていると感じています。

もうひとつ「企業組合法人あうん」という団体も雇用のネットにかかわる活動で、仕事おこしの団体です。ここで働いている人たちはおもに野宿している人、あるいは元野宿をしていた人たちです。中高年で失業を理由に野宿をしていて、仕事はしたいが雇ってくれるところがありません。だったら自分たちで仕事をつくろうとやってきました。スコップを使って、「ごみ屋敷」になっているお宅のかたづけの仕事などをして、去年は4500万円くらい売り上げ、一部の人は「あうん」の収入で食べています。

日本のホームレスの人は失業が主たる原因ですが、こういう状況は世界的に見れば極めて珍しいですね。失業と野宿は結びつかないですから、ヨーロッパの人たちには理解できないです。ヨーロッパは失業したって社会保険、失業保険があって失業扶助があります。ヨーロッパとかでホームレスといえば基本的にはアディクション(依存症)の問題、ドラッグやアルコールの依存症の問題だと考えられています。日本で働ける人がこれだけ大量に野宿しているのは、日本の中でいかにセーフティネットがきかないか、いかに当たり前の福祉国家でないかを逆の側から示しています。

「反貧困たすけあいネットワーク」

「反貧困たすけあいネットワーク」は、ワーキングプアの「互助制度」です。月々300円ずつ会費を払ってもらうと6カ月後には受給権が生まれて、仕事を休んで金が入らない時には1日1000円で10日分1万円まで、それからお金が事欠いた時には無利子で1万円の貸付、合計2万円を受けられる制度を自分たちでつくりました。なぜ自分たちでつくったかというとワーキングプアの状態にある人、ネットカフェで暮らしているような人、路上で若くして落ち込んじゃったような人、そういう人にはそのわずかなお金がどこからも出てこない世の中なんですね、日本という社会は。われわれのところに相談に来る人は全財産が今7円しかないとか100円しかないとかいう人がゴロゴロいます。相談に来たくても交通費がないといわれてしまう。そのたったわずかのお金が世の中のどこからも出てこないですね。家族が出してくれない人はどこからも出てこない。

社会福祉協議会には生活福祉資金貸付という制度があります。連帯保証人なしで5万円まで貸してくれる緊急小口貸付がありますが、こういう人たちが相談に行っても貸してくれません。いまどんどんその貸付額は減っています。だから彼らが生活に困ったときに借りられるのは事実上サラ金しかない。そうやってサラ金被害者、クレジット被害者が生み出されていくわけです。サラ金なんかは1万、2万借といったら逆に10万貸し付けられますから、1万、2万だけ借りるのもそれはそれでなかなか難しいんですよ。それでこういう制度をつくりました。ぶっちゃけて言えば、月300円ずつ6か月かけて1800円で最大2万円まで引っ張れますから、どう考えてもつり合いは取れません。民間の保険会社のように運営できる状態にすると、結局その人たちは排除されてしまうわけです。これは国民保険や国民年金と基本的には同じです。国民保険や国民年金だって「入る」と「出る」だけの対比でみたらまわるはずがない制度です。だから税金を投入している。民間保険と社会保険の違いってそこにあるわけで、この活動も、税金は投入してもらえませんので、寄付を集めて貸付や給付、助け合い金に回すことで何とかまわしていこうと立てています。

最後のセーフティネット・生活保護

生活保護、最後のセーフティネットにかかわる活動の話です。北九州市で2005年、2006年、2007年と3年連続で餓死事件が起きて北九州市の保護行政がいかにひどいかが社会的に知られました。北九州市は、まず年間の生活保護予算を例えば300億円と決めちゃうんですね。これは永年そうです。その中で300億の使い道を分けます。職員の人件費やいろんな費用を引いた上で、生活保護の予算を受給者にまわせる額を決めます。北九州市は政令指定都市ですから、たとえば門司区の福祉事務所は「今年の申請件数は120件ね」と年度の初めに決めちゃうんです。「月10件ね」と。そうするとその月に生活に困った人が30人来ようが50人来ようが10人にしか申請させない、このシステムを厳格に守っています。

たとえばこの区は今月9人の申請を受けた、他の区は12人の申請を受けてしまった、ということが毎月速報となって市長と助役に回覧されます。そうすると「この福祉事務所は安易に保護を受け付けてしまっている」ことが市長と助役に一目でわかってしまうので出世に響くわけです。それを部長が気にし、課長が気にし、現場が気にするという構造の中で、ひとりでも保護から追い出すことを40年かけてつくり、その結果ああいう状態になります。2006年5月に発覚した門司の餓死事件あたりから全国的にこの問題に対する取り組みが強まり、私も何回も北九州には行きました。ようやく去年の10月に北九州市が今までのやり方が間違っていたことを認めました。

実は国全体としてもだんだん北九州市のようになっています。厚生労働省が昨年10月に「生活保護基準に関する検討会」を開いて、実質1カ月で生活保護基準の切り下げの結論を出しました。その背景には社会保障給付費の自然増を2200億円程度抑えるというシーリングの問題があります。実際には貧困は広がっていて福祉事務所の相談は増えていますが、水際作戦が横行する状態で、さらに基準そのものを切り下げる動きが昨年暮れに生まれました。それについては反対活動を展開してかなり国会のロビーイングもやり、何とか生活保護の見直しは1年延期させることができましたが、裏を返すと、今年もう一度やりますよということなので今から準備をしているところです。生活保護の問題は、「あれは生活保護を受けている人の話だから自分は関係ねーや」と思われがちですが、実は生活保護にはもうひとつの顔があります。それは「国の最低生活費」だという顔です。この面をもうちょっと広める必要があると私は感じています。

どういうことかというと、いろんな基準、低所得者対策がこの生活保護基準に照らし合わせて決められていることです。たとえば2005年正月に報道されて以降話題になった就学援助です。東京都23区では小中学生のお子さんを持つ世帯の4世帯に1世帯が就学援助を受けています。東京で給食費を払えない家庭がそれだけたくさんあるということです。全国平均は13%、足立区では42%です。この基準は生活保護基準との対比で決められています。たとえば足立区では生活保護基準の1.1倍までの所得の家庭が就学援助を受けられます。中野区では1.2倍までです。生活保護基準が下がれば就学援助費用は連動して下がるわけですから、今まで受けていた人の中で受けられない人が出てきます。その人たちは、収入は増えないのに給食費等を払わなきゃいけなくなり、負担増になります。就学援助だけでなく、地方税の非課税基準とか都立高校の減免基準も生活保護基準です。国民健康保険の減免基準が生活保護基準になっている自治体もあります。

国の最低生活費である保護基準

この問題は最低賃金と比較するとわかりやすいです。最低賃金の問題は、全体の底上げの問題で、最低賃金が上がればそれに応じていろんな賃金も上がっていく。全体の労働条件を改善するためには全体の底をあげなきゃいけないわけです。生活保護も同じ機能を持っていますが、生活保護の話になるとなぜか国民生活全体、市民生活全体の底上げの問題だと捉えられていない。これは明らかに制度のあり方としてバランスを失しています。さらにまずいのは、今回改正された最低賃金法の中に「生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする」と書き込まれました。生活保護レベルを目指して最低賃金を上げていくものですけど、実は最低生活費を下げても整合性は取れるわけで、厚生労働省は最初からそれを考えて「整合性に配慮する」という文言を飲んだんです。最低賃金を上げるべきだと運動している人たちは、最低生活についてはほぼノーガードで、明らかに太刀打ちできないです。いま問われているのは、人々の最低生活って結局何なんだ、ということです。その質の問題をこちらから問いかけないといけない状況になってきていると思います。

去年、厚生労働省が生活保護基準を下げていいという時に出した資料は、もっと貧乏なやつがいるのに生活保護はもらいすぎだという話です。二つの類型がありました。夫婦子ども1人の3人世帯と60歳以上の単身高齢者お1人世帯です。ともに低所得の人たちより生活保護の方が上回っているっていうんです。じゃあその人たちはどういう暮らしをしていたかというと、「夫婦子ども1人世帯」では月の教育費に740円しかかけられない世帯です。子どもにドリル1冊買い与えたらもう来月までは何も買えない、筆箱を1個買ったらドリルは来月まで待ってもらわなきゃいけません。単身高齢の世帯では月の食費は22000円です。3食食べるとすれば1食換算200円です。ほうれん草1把しか買えない。こういう人たちと比べて「生活保護はもらいすぎだから削っていい」といっているんですね。そこで本当に暮らせるのかという話が見えてこないんですね。

だから本当に暮らせるのかという話をしなければいけないと思っています。そのためには、最低生活費がどういうものか一人ひとりが知らないといけない。例えばこの中でご自分のご家庭の最低生活費が言える人はいますか。東京の場合は20代から40代の1人世帯だと13万7400円です。憲法25条に書いてある「健康で文化的な最低限度の暮らし」に基づいて生活保護法が決められていて、それに基づいて毎年最低生活費を厚生労働省が、1世帯ごとに1円単位まで決めています。だから憲法25条で保障されている生活は1円単位まで言えます。だけどそれが知られていません。最低賃金で働いているかどうかはわかりますけれど、最低生活費を下回って、憲法25条違反の状態に自分があるかどうかほとんどの人がわかりません。それは、おかしい。憲法25条を知らないということです。

国連が定める「絶対的貧困」は1日1ドル以下です。その基準で見れば日本ではたとえ野宿している人も貧困じゃないことになります。じゃあ1日1ドル以上あれば日本で暮らせるかといったら暮らせないですね。それは日本には日本の絶対的貧困という基準があってそれが生活保護基準です。そういう意味で生活保護の話はぜひとも今までより注目していただきたいと思います。そうでないと漠然とワーキングプアが増えているといったときに、どういう人たちなのかイメージできません。あるいは自分のまわりに生活が大変という人がいたとき、本当に生活保護を受けられるのかどうかがそもそもわからない。たとえば労働組合の人は最低賃金以下で働かされているという人が相談に来たら怒りますが、最低生活費以下で暮らしている人が来ても怒れない。これはおかしいはずです。

反貧困たすけあいネットワーク

われわれは昨年「反貧困たすけあいネットワーク」をつくりました。どうしてかというと、貧困問題は個々の問題の後ろにどうしても隠れちゃうんですね。たとえば借金の問題は多重債務問題として、クレジット、サラ金、「借りる方が悪いんだ」といろいろ語られていますが、サラ金とかクレジットに手を出したりした人の一番の理由は、生活苦です。だけど多重債務問題というと貧困の問題はなかなか出てこない。児童虐待にしても多重債務にしても、シングルマザーやホームレスの問題も、貧困の問題を解決しないとそれぞれも解決しない構造になっています。非正規の労働組合の人が言っていましたが、いまは何か不当な扱いを受けて、じゃあ会社と争議しましょうというと、かならず争議が解決するまでの間の生活を一緒に相談して考えないと、争議解決までの生活が持ちません。多重債務を何べん解決しても、もともとの家計が回っていない状態を放置していたら解決しないわけですね。しかもそれぞれの問題は相互に重なり合って起きます。

旦那の暴力から逃げて、DVで離婚して、母子世帯になって、子どもを預けるところがなかなか見つからないから正規の仕事に就けずパートタイムで働いて、まっさきに首切りにあって、生活できないから福祉事務所に相談に行ったら「旦那に養育費をもらってこい」と追い返されて、どうしようもないからサラ金に手を出して、多重債務になった、という人は現実にいるわけです。われわれに相談に来るレベルでは珍しくありません。その人の問題はDVの問題なのか、パートの問題なのか、生活保護の問題なのか、多重債務の問題なのか。そうして切り分けてもあんまり意味がないです。われわれは行政の縦割りを批判しますけど、運動も縦割りです。それは本人の本当の要望に応えていることにはなりません。もともとの生活の再建を成り立たせるためにはそういうものが横につながっていかなきゃいけないと「反貧困たすけあいネットワーク」をつくりました。

私は貧困問題について日本はまだスタートラインに立っていないと思っています。それは社会全体の状況、たとえば自分自身の最低生活費がわからないことやそれが知らされていないことです。あるいは政府は日本に貧困が大きな問題としてあることをいまだに認めていないし、そういう調査をかたくなに拒否し続けて、政府は実態を明らかにしていません。なぜなら対応しなきゃいけないからです。格差と貧困の違いは、貧困があっていいか悪いかが議論にならないところです。格差は、小泉だの安倍だのが「あっていいじゃないか」と言えちゃったわけですが、たとえ彼らといえども「貧困はあっていいじゃないか」とは絶対に言えない。なぜなら貧困問題を解決するのは政治のきわめて重要な役割だというのは世界の常識だからです。それを「あっていい」なんて言っちゃったら世界中から袋だたきあいます。結局、貧困問題は「ある」か「ない」かが勝負なので、ないっていうことにしておきたい、たいしたことないっていうことにしておきたい、だから調べないわけです。たとえあのブッシュであってもアメリカの貧困問題は解決しなければいけない、とは言います。建前としてそれは言わざるを得ない。昨日の施政方針演説で福田は「貧困」という言葉をひと言も使っていません。まだ政府には貧困問題は存在しないことになっています。そういう意味では貧困問題はまだスタートラインに立っていないというのが私の意見で、これをスタートラインにつかせなきゃいけないと思っています。

この「反貧困ネット」のシンボルキャラクターですが、なんだかわかりますか。「お化け」です。何でお化けにしたかというと貧困は「あるのにない」と思われているからです。「ある」と「ない」のあいだにあるという意味でお化けにしました。これを「ヒンキー」と名づけていますが、以後お見知りおきを。バッジもあります。「ヒンキー」には物語がありましてね。「ヒンキー」は世の中の人が無関心だと怒ってどんどん大きくなりますよ、世の中の人が「ヒンキー」に関心を向けて、どうするか、あの手この手でやっているとそのうち安心して「成仏」してくれますよ、「ヒンキー」を成仏させてあげなきゃいけない、貧困の最大の敵は無関心ですから、それに関心を寄せていただきたいということです。

9条の話もちょっとだけ言いますとね、アメリカでアメリカ軍が底辺校の高校の学生に、さかんにリクルートしてそれを兵隊に引っ張っていっている、応募させている。そういう人たちが大量にイラクに行っている。そういう話は堤未果さんの本などで読まれたことがあると思いますが、日本もいま徐々にそうなってきています。これはまだ未確認ですが、実際に高校で学校が自衛隊のリクルーターを呼んできて、就職説明会みたいなのをやっているという話を聞きました。それで学校も歓迎しているというわけです、全体の雰囲気は。いまどき自衛隊ほどの「優良企業」に高卒ではなかなか就けないからです。そこで3年間生活が保証されるんだったらいいじゃないかと、アメリカと同じような状態に日本もなっている。いまのは関東の圏内の話ですが、もっと厳しい地域はもっと進んでいるかもしれない。そういう中で同じように貧困が放置される国は、戦争に対しても脆弱になっていきます。そういう意味でやはり貧困の問題はいろんなかたちで深く憲法の問題と関わっていると思っています。

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「私と憲法」で~す。お話聞かせてくださ~い!
番外編:沖縄・米軍海兵隊の移転計画のあるグアム島を訪ねて

 日米両国政府の手で、実態が明らかにされないまま、軍事一体化が急速に進められています。米第1軍団司令部の座間への移転や、横須賀への原子力空母配備、さらには首都圏の数カ所へのパトリオットミサイル(PAC3)配備などが住民の心配、反対を無視して既成事実を積みかさねています。ついには都心の新宿御苑でPAC3の実戦活動をさせるために調査活動が行われました。しかも、これはさまざまな理由をつけて自治体や住民への公報なしで強行してしまった。

日米の軍事一体化が私たちの暮らしに見えるまでになってきたことに危機感を強めていた矢先、「アジア女性資料センター」の“高里鈴代さんと行く、米軍基地と立ち向かうチャモロ女性と出会う グアム・ツアー”に誘われました。この機会に米軍の移転先の一つであるグアムの状況に触れてみたいと思い、参加したので、次にスタディー・ツアーの感想を報告します。

自治領という位置とくらし

数年ぶりの寒い冬の東京と異なって、気温30度前後のグアム島は、思いのほか空気も柔らかく、細い驟雨に出迎えられました。珊瑚礁の島らしく、とにかく美しいの一語に尽きる海と、豊かな緑にあふれていました。冬だというのに美しい花もいっぱい咲いていて、至る所に椰子の木が青い実をたくさんつけていました。世の中の流れとずれている私はあまり意識していなかったけれど、グアム島は日本にとって手近な南国のリゾート地そのものでした。私たちのホテルは、日本人観光客の向けに開発された、タモン湾周辺地域にありました。ここでは日本語しか話せなくても殆ど不自由を感じません。

空港ではアメリカ合衆国に入国するということで、審査などについて少し緊張していました。けれども私は新しく発行されたパスポートであったためか、USビジット制度の指紋採取と写真撮影は免れました。アメリカ入国といっても、グアムは米国の自治領という位置です。住民は大統領を選ぶ選挙権も、連邦議会の議員も選出できません。議会に代表は出ていますが、議決権は与えられていません。長い間ほとんど重視されなかった米軍基地の拡張問題に対してもグアムから発言する力は大変弱い立場だそうですし、計画自体も住民には詳しく知らされません。もちろん国の安全保障問題ということで日本でも住民の声は押しつぶされているのが現実です。しかし住民に主権が保障されていないという、米国の植民地の状態におかれ、法的に権利がないこととは大きな違いがあるといえます。

自治領という位置は暮らしにも響いています。食糧など暮らしの基本的な部分でも島外からの輸入に多くを頼る経済が形成されているのが実情で、物価も安くはありません。しかし基地で働いている島民は、基地内の商店で生活物資や食糧に至るまでを安く買うことが出来るそうです。基地で働きたくなくても基地で働く方が暮らしやすく、病院なども基地関係者なら利用が有利になるなど、すべてにわたって基地に従属するようなしくみができているなかでの島民のくらしです。

整備・拡充が始まっている米軍基地

「チャモロネーション」というグループで活動しているチャモロの若い女性・ファノイさんが、グアムの米軍基地周辺などを案内してくれました。島の北部にあるアンダーセン空軍基地の奥深くは、島民でもめったに行くことがないところです。そこではすでに道路を2倍ほどにする拡幅工事が進んでいて、赤土がむざんに露出していました。また道路と基地の境界は緑の木々で隔てられ、中はほとんど見えにくくなっているところが多いです。しかし、そのみどりが極端に薄くなって、中では土が掘り返されたり地ならしされて工事が行われているのが透けて見えます。島民の目が届かないところで基地拡充がすすんでいます。ファノイさんは、祖先の土地が荒らされ、チャモロの文化の源である自然が破壊されることを非常に悲しみ、憤っていましたし、環境破壊でもあるといっていました。

また都市の近くにあって返還予定だったり、一部で住民に居住が許されていた基地でも、最近になって撤去指令がでたり、基地内の病院施設が新しく拡充されるなどの変化がおきていました。チャモロの人たちのなかには、こうした地域に住み続けることで基地の拡張を防ぎ、また基地の変化を監視していく行動をしている人たちがいます。

チャモロ文化を育てる アートビレッジや食事

ファナイさんは、日本人の観光拠点であるタモン湾の南端に作っている、チャモロの芸術家村にも案内してくれました。ここはまだ建設途上で名前もつけられていません。チャモロの若いアーティストがチャモロの文化を復興し盛んにさせようとしているところです。

この場所はどうやら、かつて病院に勤務する医者などの住宅が放置されジャングルのようになっていたところを、公的機関から譲り受けることが出来て建設が始まったようです。2年ほどかけてジャングルを切り開くことから始め、今ではきれいに整理されペンキを塗った幾つかの棟が出来ていました。このアートビレッジの若い芸術家が、「ここでは海を見渡しながらチャモロの歴史物語を語ります」「ここでは楽器を使いながら詩を朗読します」「ここでは……」などなどたくさんの計画を語ってくれました。島に古くからあって、今では珍しくなった原種のプルメリアの木も大切に育てようとしています。できあがったときにまた訪ねてみたいものです。

グアムではチャモロ料理が有名だという。私たちも何回か出会って、いずれも大変美味しく日本人の口には馴染みやすいようです。ココナッツミルクを使ったものが多いようで、全体としてはマイルドな優しい口あたりでした。東南アジアの料理より甘味もうすく、魚介類が使われているのも健康的でした。チャモロは、パンの木からとった実を原料にしたパンを主食としていたようですが、いまではカリントウのようにして食べていました。

慰安婦問題の聞き取りとパブリック・フォーラム

グアム海洋大学は特徴ある大学として、近隣の島々からも学生を集めていて、グアムにある唯一の総合大学です。構内は広大な敷地で緑の中に建物が点在し、伸びやかな学習・研究環境が準備されているようでした。この大学の日系3世である小野寺教授の話を聞きました。この方はグアムの従軍慰安婦被害者から話を聞き、それをもとに数年前に戯曲を書いて上演しました。また従軍慰安婦や戦争体験者の相談を受けている心理学者でお医者さんからもお話をうかがいました。

「グアム大学女性・ジェンダー学プログラム」などによるパブリック・フォーラムにも参加しました。ここでは日本からの報告と、グアムからの、米軍基地がマリアナ諸島の女性に及ぼす影響、などについての報告が行われました。たくさんのグアム大学学生の参加もあったフォーラムでしたが、詳しい内容はアジア女性資料センターの会報などでご覧ください。

日本とグアム

私くらいの年令だと、サイパンやグアムと言えば、かつて日本が占領し、敗戦によりたくさんの日本兵が戦死した島だということは知っています。靖国神社に行けば、その島々の地図と、日本名が印された碑も見ることが出来ます。今回も、アンダーソン基地近くにある「南太平洋戦没者慰霊公苑」も訪問しました。慰霊公苑にある「平和寺」という名の寺や慰霊碑に違和感を覚えながら、日本軍が立てこもった壕や、島民を使って作った、低いところにある井戸から水をくみ上げて高台に設置した石造りの給水施設も残っていました。日本人観光客相手には、ツアーが用意されているほど「戦跡」が残っています。

グアムは日本の淡路島くらいの大きさで、人口も17万と淡路島とほぼ同じ。島の3分の1を米軍基地が占領している。帰りの飛行機から見えたアンダーソン基地は島の北部地域を大きく占領し、空港に比べても太く幅広く滑走路が広がっていました。このグアムに私たちは沖縄基地の負担軽減ということで、米海兵隊などの移転を認めることは、やっぱり出来ません。

グアムの古代建築の土台として使われていたと考えられているテッサストーンはグアム島を象徴するような造形・図案として島のどこでもみることができます。チャモロの英雄レオン・グレオ・サントスを記念し、そのテッサストーンの石組みがある公園で、一段高い石に、素足になって上がったファノイさんは、チャモロの詩にメロディをつけて、やさしく生きようと歌ってくれました。こういう人たちと手をつないでいくことにこそ未来があります。

「基地負担の軽減」は、グアムに、またはどこかに基地を持っていくのではなく、無くしていく以外はありません。(土井とみえ)

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