私と憲法81号(2008年1月25日発行)

究極の解釈改憲=自


衛隊海外派兵恒久法の企てを阻止しよう

【はじめに】

福田首相は1月18日、第169国会冒頭に「施政方針演説」を行った。それは昨年の参院選における与野党議席逆転と安倍内閣の無惨な退陣、福田内閣の支持率の急落などを念頭に、自民党が「立党以来の最大の危機に直面している」(1月17日自民党大会運動方針)との認識に立って、政権の延命をめざして有権者の支持の回復をねらい、「生活者・消費者主役」「国民本位」などの言葉を羅列したものとなった。従って、福田演説は各方面から分析検討されなくてはならないが、本稿では前任者の安倍晋三首相とは対照的に概略しか触れていない「改憲問題」と、今回の福田演説の重要な特徴である「世界の平和と発展に協力する外交」(含む、自衛隊海外派兵恒久法問題)について、分析しておきたい。

【いわゆる『一般法』の検討をすすめる与党のねらい】

福田首相の国際情勢認識は「世界は今、テロとの戦いを含む安全保障の課題に加え、地球温暖化や貧困など、1つの国家では解決できないさまざまな問題を抱えている」というもので、ゆえに「日米同盟と国際協調を基本に……世界の平和と発展に貢献する『平和協力国家』として、国際社会において責任ある役割を果たす」と述べた。そのために「テロとの闘いや大量破壊兵器の不拡散問題に積極的に取り組む」「(紛争地域の)治安の確保と復興を同時に進める(ために)、迅速かつ効果的に国際協力活動を実施していくため、いわゆる『一般法』の検討を進めます」と述べた。「(また国連)安保理常任理事国入りをめざ」すこと、「在日米軍再編(を)着実にすすめる」ことなどを強調した。

高村外相も18日の「外交演説」で、日本を国際社会から信頼される「平和協力国家」だと位置づけ、「(恒久法制定について)的確かつ機動的な協力の推進という観点から必要だ」と主張した。

一方、福田首相はこの演説で改憲問題についても触れ、「今後は国会のしかるべき場において、国民投票法の審議の過程で積み残された諸課題や、改正するとなればどのような内容かなど、すべての政党の参加の下で、幅広い合意を求めて、真摯な議論が行われることを強く期待」すると述べた。この問題は党大会方針では「新憲法制定に向けた国民的議論の喚起」という項目になっていることとあわせ見ておく必要がある。

福田首相は安倍のように「任期中の改憲」などという表現はとらず、国会で与野党の間で粛々と改憲論議が進むことへの期待を表明すると同時に、まずは、実質的な9条改憲に相当する「自衛隊海外派兵恒久法」を制定するよう検討を進めると表明したのである。これは「解釈」すら成り立たないような究極の「解釈改憲」によって、海外で、いつでも、どこででも自衛隊が米軍などとともに軍事活動をできるようにするための法制化を進める決意表明である。

それは日米安保体制を軸とした「日米同盟」=日米軍事同盟のグローバル化であり、日米軍事同盟の米英軍事同盟化への布石である。ここまでくれば9条を柱とする平和憲法は首の皮1枚残すだけとなり、9条の明文改憲へあと1歩残すだけとなるのである。

福田内閣の明文改憲への戦略はいまだ明確に定まっているわけではないが、安倍前政権が試みて失敗したような集団的自衛権の従来の解釈の強引な変更と、「9条明文改憲」にむけての正面突破戦略ではなく、「派兵恒久法」による9条の解釈改憲によって、米国や財界が求める9条改憲状態を既成事実化しながら、明文改憲をめざすという、より巧妙で「現実的」な2段構え(あるいは本稿の後半で、船田の発言に関して触れるような「3段構え」)戦略となっていくようである。

実際問題、福田首相と自衛隊海外派兵恒久法は切っても切れない関係にある。この問題への福田康夫のこだわりは軽視できない。小泉政権時代に福田官房長官の私的諮問機関として明石康・元国連事務次長を座長にした「国際平和協力懇談会」(海老沢勝二・NHK会長、小島明・日経新聞論説主幹、小林陽太郎・富士ゼロックス会長、千野境子・産経新聞社論説委員、西本徹也・元統幕議長、新田勇・元大阪府警本部長、山崎正和・東亜大学ガキ長ら)がおかれ、2002年12月には「懇談会報告書」が出されている。また、昨年秋の福田・小沢会談でいったん合意した大連立構想の政策的支柱は「派兵恒久法」であった。

こうして今国会以降、福田内閣下においては9条改憲問題をめぐる争点は「自衛隊海外派兵恒久法」を軸に展開されることになった。

【なぜ自衛隊派兵恒久法なのか~今日までの経過】

自衛隊の海外派兵については従来から米国や財界の強い要求があった。
政府・支配層は1992年にはPKO協力法を成立させ、自衛隊の海外派兵に道を開いたが、憲法第9条の強い縛りがあり、米国などの多国籍軍の軍事活動を支援することは難しく、この問題ではテロ特措法やイラク特措法など、地域を限定した時限立法によってその限界を突破してきた。しかし、限定的な法律では米国などの要求に応えきれないことから、前述したように福田官房長官の私的諮問機関として設置された「国際平和協力懇談会報告」は02年12月に平和協力活動に関する一般法(派兵恒久法)の整備を提言し、03年からは内閣官房にその法整備のための作業チームも立ち上げられたのである。

また、2004年11月には経済同友会も海外派兵恒久法の制定を提唱するなど、財界からもこうした声が高まってきた。

自民党では石破茂を座長とする防衛政策検討小委員会が06年8月、「国際平和協力法(案)」をとりまとめた。その「総則」では、(1)国連決議などのある場合に限らず、国際法上合法な活動を国際的強調の下で幅広く実施。(2)いわゆる「非国際的武力紛争地域」において国際平和協力活動を実施。(3)新たな活動として、安全確保活動、警護活動、船舶検査活動を規定するとともに、人道復興支援活動の活動内容を拡充、などとした。

安部内閣の下では防衛庁の省昇格法と同時に行われた自衛隊法の改定によって、自衛隊の海外での活動は、従来、附則で規定されていた付随的任務から、「本来任務」に格上げされた。

昨年2月の「アーミテージ・レポート2」は「海外派兵恒久法」の制定を日本の政府当局者に要求、「一定の条件下で日本軍の海外配備に道を開く法律(それぞれの場合に特別措置法が必要とされる現行制度とは反対に)について現在進められている討論も、励まされる動きである。米国は、情勢がそれを必要とする場合に、短い予告期間で部隊を配備できる、より大きな柔軟性をもった安全保障のパートナーの存在を願っている」と述べた。

とりわけ、安倍前首相がブッシュ大統領に約束した「テロ特措法」の延長が、どたばた騒ぎの結果、07年11月をもって限切れになってしまい、インド洋北部に派兵されていた海上自衛隊が帰国せざるを得なくなった。その上、派兵給油新法は異例の臨時国会再々延長と憲法59条の「3分の2条項」による衆議院再議決の強行によってようやく成立するという事態になったのである。

そしてこの過程で、派兵給油新法(新テロ特措法)への対案を民主党が提出し、そのなかで「国際的なテロリズムの防止及び根絶に寄与するための法制の整備その他の措置」の必要性を主張したことが、先の福田・小沢党首会談でのやりとりと「大連立」騒動と重なって、さらに派兵恒久法の流れを促進することになった。実際、与党は1月11日に与党案の再議決して新法を成立させたあと、15日の会期末に民主党案は否決せず、「継続審議」としてこの通常国会に持ち越した。そのねらいは、民主党案との妥協による恒久法の成案化にあるのは間違いないところである。

福田内閣は08年年頭から自衛隊の海外派兵恒久法制定の具体化に着手、1月8日には町村官房長官、高村外相、石破防衛相が会談し、その具体化を進めることを確認した。そして自公与党もプロジェクトチームを早急に発足させることに合意した。

福田首相は年頭に「やったほうがいいんじゃないか。なぜかというと、暫定措置法のような形で国会の審議をいただくことは時間がかかる。むしろ、国際平和協力の形ならば、もう少し積極的、迅速に活動できる態勢があってもいいんじゃないか」と述べた。町村官房長官は「今の特措法というスタイルでやるのもひとつの方法だが、迅速性に欠けるなどの批判があり、一般法の必要性は理解されつつある」などとのべ、石破防衛相も「野党も提起しており、恒久法が必要であることは共通認識が得られている」などと語った。

この169通常国会は解散・総選挙含みの国会である。そうでなくても、遅くともこの秋、サミット後には解散・総選挙になるとの観測がある。総選挙前の「大連立」はほぼない。しかし、総選挙の結果によっては、その動きが再燃する可能性がある。派兵給油新法は1年の時限立法である。自衛隊海外派兵恒久法の「政策協議」による妥協、大連立による成立の可能性が残されている。これを規定する力は院外の運動と世論の動向である。

【自衛隊海外派兵恒久法を阻止し、憲法改悪を阻止するために闘おう】

すでにみたように、自衛隊海外派兵恒久法は究極の解釈改憲であり、究極の欺瞞であり、憲法破壊である。

福田内閣が成立した168臨時国会期間中は明文改憲の動きは表面ではストップした。しかし、冒頭に見たように明文改憲の策動は止んでいない。すでに「そろそろいいだろう」とばかりに改憲派がさまざまに蠢(うごめ)きだしている。

中曽根康弘を会長とする改憲議員同盟は憲法審査会の始動を要求する国会議員署名を300人以上集めて両院議長に提出した。衆議院では過半数の署名を集めたという。

一方、船田元・自民党憲法審議会会長代理は新年の共同通信へのインタビューでこう言っていることは、改憲派の改憲戦略の可能性として留意しておくべきである。

「(憲法審査会で最初から憲法改正の中身を話すのは難しいので、まずは慣らし運転として)積み残された宿題を解くことから始めたい。国民投票の年齢を18歳以上にしたことによる民法や公職選挙法などほかの法律改正問題や、民主党が提案していた国民投票の対象・範囲の見直し、その辺からはじまるべきだと思う。改正の中身を扱うにしても、いきなり憲法九条というのは、小学生が大学入試の問題を解くようなものだ。できるだけ折り合えそうな地方分権など統治機構や新しい人権、憲法裁判所を設置するかなどの問題が妥当ではないか」と。

そして「最短で2011年に改憲実現というスケジュールはちょっときつくなってきたが、改憲案審査の凍結が解除される10年以降、そう遠くない時期に成案を得るのは可能だと思う」とも言っている。

船田のいうような問題から着手するにせよ、明文改憲の時期は明らかに遅れることになった。まして9条改憲は昨年の自民党の参院選政策で2010年までに改憲と主張していたようなところからは明らかに後退せざるをえなくなった。

とすれば与党にとって不可避な課題は解釈改憲をさらに拡大することで米国や財界の要求に応えることだ。しかし解釈改憲といってもすでに限界に来ている。人びとをごまかすに値する解釈を作るのは容易ではない。とすれば、与野党で共同して新しい解釈を作って、世論の支持を獲得するしかない。与党はこの民主党をも巻き込んだ派兵恒久法制定の道を懸命に探っているのである。

まさに当面する憲法問題の最大のポイントはここになる。
船田はいう。「恒久法は恒久法で地道な論議が必要で、憲法問題についても民意を反映した政党間の協議が正しい」と。船田はこの間、憲法調査会以来追求してきた自公民協力以外に成算はないと確信し、その道を進めようとしている。

しかし、恒久法では公明党にも躊躇がある。民主党にも、国連の要請という問題に絡んで、自民党の恒久法には乗れないという空気もある。そして、これら与野党の動きは国会外の運動と世論の動向に大きく規定される。改憲派は一歩後退した。しかし、明文改憲が可能になるまで指をくわえているわけではない。派兵恒久法で反転攻勢に出て、明文改憲までの間をつなごうとしている。そうせざるを得ないところに追い込まれているとみたほうが正確である。これはこの間の9条改憲反対のたたかいが勝ち取った新たな条件の下で生ずる改憲派の動きに他ならない。私たちの前進が生み出した新たな反動とみるべきである。

与党が一定の準備期間を経て(遅くとも秋にもあり得る総選挙の後)、臨時国会で恒久法問題を出してくる可能性が濃厚になってきた。この連中も必死だ。私たちはこれとのたたかいを準備し、必ず自衛隊海外派兵恒久法の企てを阻止しなくてはならない。

もとより、私たちがこの間の闘いが獲得した時間は運動の休憩の時間ではない。時を争って陣形をさらに強化していく好機なのだ。前々号の巻頭で主張したように、例えば私たちの「市民憲法講座」が数年にわたって追求してきた「9条と25条」「9条と24条」「9条と20条」などなど、改憲を許さず、9条をはじめ憲法3原則を生かし、獲得していくような、より豊かな憲法運動の形成が具体的に求められている。一で「9条世界会議」のような国際的連携の拡大もきわめて重要である。

これはこの間、私たちが提唱してきた「9条改憲阻止のもっとも広範なネットワークの形成」、その最大の運動は「九条の会」であるが、これらの運動を支えるものである。私たちはこうした2層の陣形を形成し、闘っていかなければならない。(事務局 高田健)

有利な条件を生かし、改憲の動きをうち破って、
運動の飛躍的前進を実現しよう!

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「私と憲法」で~す。お話聞かせてくださ~い!

「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」共同代表・呉東正彦さん
なぜ再び新・原子力空母住民投票署名運動なのですか

今年8月、米軍は横須賀を原子力空母の母港にするという。このことにはっきりと疑問の声をあげ、06年11月の直接請求運動では予想をはるかに超えた41,591筆の署名を集めることを成功させた「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」。

残念ながら07年2月の横須賀市議会では、条例案は10対31で否決されました。しかし「成功させる会」は今年3月6日から1ヶ月間、5月末の市議会をめざし、再び住民投票条例の制定を求めて署名運動に取り組む。すでに受任者(署名の集め手)集めを始めています。「成功させる会」の共同代表で弁護士の呉東正彦さんにお話をうかがい、市庁舎近くの事務所も訪ねてみた。

アンケート結果は74%が「住民投票で決めよう」

横須賀市長は、はじめ原子力空母母港化に反対を表明していたが、05年に日米政府の原子力空母配備の発表があった後、06年6月に容認に転じた。昨年2月、市議会が条例案を否決した後、4月には横須賀市が米軍の12号バースの浚渫工事を認めた。12号バースは原子力空母ジョージ・ワシントンが入港予定の埠頭だ。

これに対し母港化に反対する市民は、横須賀市に対する「浚渫取消の行政訴訟」と、1000人の原告をもって国を相手に「浚渫の差し止め訴訟」という2つの裁判を起こして闘ってきた。裁判では、汚染土壌の拡散による魚の奇形の発生や、横須賀の活断層の実態と地震による海面低下での危険性、米原子力空母の原子炉の安全性の非開示の問題などを明らかにしてきた。これらの裁判はいずれも2月末に結審する。

一方、市議会が条例案を否決した直後の3月に行った「市民アンケート」。この結果は署名運動から継続している市民の動きを感じさせるものだった。NPOの調査機関が無作為の市民1000人を対象にして実施した調査だが、“原子力空母が配備されることについて、どう思いますか?”という問の回答は、賛成の22%に対して、反対が65%と大差となっている。さらに“原子力空母配備の是非について、住民投票を行うことをどう思いますか?”という問いには、74%が“必要だと思う”と回答しており、“必要ではないと思う”は16%にすぎない。

配備反対・賛成の問いで原子力空母の配備に賛成と答えた人の中でも、半数以上が「住民投票は必要」と答えているという結果が出ている。「市民はあきらめていない!!」この結果は「成功させる会」にこのままでは終われないという思いを強くさせている。

実態のない、米軍と日本政府の安全確認

 ところが、条例案否決後の横須賀市と国、米軍の対応は市民に不安を解消させるのではなく、逆に疑問を強めるものばかりが明らかになった。

まずアメリカ海軍はこれまで何回も起きている原子炉を使っている軍艦の事故を認めず、軍事機密を理由にしてその原因も明らかにしてきていない。また、横須賀市が昨年の夏に10回も行った「原子力空母安全安心対策説明会」では、安心の根拠となる技術的なデータが何も示されなかった。日本政府が安全性の根拠とするのは米軍が示した「ファクトシート(原子力空母の安全性に関する文書)」だけであり、要するに「米海軍が安全だというから安全だ」といっているにすぎない。さらに横須賀市は「国が安全というから安全」だという。

「ただ安全です、を繰り返すだけ。こんな伝言ゲームのようなことはやめてもらいたい」というのが呉東さんの率直な気持ちだ。市の担当者は「説明会」に参加した市民の再質問には答えられず、回答を拒否。「本来こうした説明会には担当者ではなく市長と国が出席して答えるべきなのに、公開討論を要求しても予定は全くないという回答しか返ってこない」と呉東さんは怒りをぶちまける。

いまどき原発でもマンション建設でも、会社が住民に説明するのは当たり前。しかし未だに国や米軍からは安全性について何の説明もない。「原発は情報公開制度の下で国は会社に安全性を提出させているから、かろうじて事故を防いでいる。米海軍の原子炉はアンタッチャブルになっていて誰も安全性を確認できない。こうしたものが人口3000万人を越える首都圏にやってくるのがおかしいんです」という呉東さんの不安は、横須賀市民だけでなく首都圏に住む私たちの思いでもある。

「安全」で、国・米軍に引き寄せられた横須賀市 

 これまで横須賀市は、原子力軍艦の事故がおこりうることを想定した避難・医療訓練を毎年行ってきた。しかし米軍は、安全だから必要ないと、これまで市の行う訓練には参加してこなかった。ところが昨年は、空母の受け入れと交換条件のような形で、日米合同の防災訓練を共同して行った。この合同訓練の前提は“微量の放射性物質が漏れた”というもので、事故は起こらないことを前提とした米軍と国に、横須賀市が引き寄せられたことを示している。

「今まで安全対策では国と闘ってきた横須賀市が、国と一体化して事故は起きないという立場に変わった。これでは市民の安全は放置され、守るものがなにもなくなってしまう」と呉東さんは危機感を強める。市の公報の「Q&A」でも「事故は起きない」が前提となっている。

前提が違えば当然に対策も変わってくる。これまでは事故の発生した場所を特定し、それに沿った避難対策計画を作ってきた。被害の規模も10キロ圏を想定していたが、昨年は3キロの想定だからと住民の避難訓練もなくなった。何も変わっていないのに横須賀市は後退した。こうした変化に市民のあいだで危機意識が増してきている。

闘わないと市民の安全はまもれない

「市は交付金のこともあり、国と米軍との友好関係と安全性を交換した。友好関係で情報が出たことがありますか。いざというとき米軍は軍事機密を理由に情報を発表しません。闘う安全対策でなければ機能しません。市民の声をバックにして闘わないと市民の安全はまもれません。」呉東さんの話に力が入る。

「だって原発と比較すれば分かります。電力会社は原発も絶対安全だといってきました。しかし闘って情報を出させてきたら問題が出てきた。何もしなければ何も出てきません。そのとき情報を出させる根拠があったから出てきたんです。根拠がなければ今でも安全だと会社は言い続けたでしょう。同じことが空母でも言えます。安全だという言葉をそのまま信じてしまうのか、情報を公開させる立場なのか、市の立場は後退しました」。どちらがリアルな立場なのかが問われ、市民も真剣に向き合っている。

もう一度チャレンジしよう

それにしてもどうして再び住民投票を求める署名を集めるのですか?

呉東さんは「まだストップできる」と言います。
その一つは12号バースの浚渫工事にある。すでに工事は始められているが、これは通常型空母を前提とした市長の認可工事なのだ。工事を認めたとき市長は「原子力空母の使用に変更した場合は再度港湾法の協議を求める」という前提条件を国に申し入れている。12号バースを原子力空母が使う場合、市長は再協議を国に求めなければならない。再協議のとき住民投票によって原子力空母の是非について市民の意思が示されていれば大きな意味を持つ。

もう一つは、住民投票によって、国と米軍の情報公開による安全性の説明が十分かどうかを市民に問うことだ。不十分だという答えが出れば、横須賀市が、国や米軍により強く情報公開や安全対策を求めていくことの強力な後押しをすることが出来る。これは市民の不安に答えることになる。

前回の署名運動は2200名の受任者により41,591筆の署名を集め、有効署名数は37,858筆だった。実に42万人の人口で有権者の11%を超える数だった。

誰もが思いつかなかった住民投票による意思表示。取り組んだ誰もが、法定ギリギリの有権者の50分の1、7000筆が集まれば、と考えていた。しかし、市民の反応は予想を超えていた。受任者の多くが署名運動に取り組むのははじめてという人たちだったが、署名に次々と応じてくれる市民に励まされ、署名簿を何冊も重ねていった。基地の町・横須賀の市民は動いたのだ。

8月の寄港を前にして、何もしなくていいのか!、もう一度チャレンジしよう。今回は3000名の受任者で60,000筆の署名を目標にして市民の声をぶつけようとしている。これ迄にもまして安全性のあり方をなげかけて、いままでよりも更に幅広い層にひろげていこうとしている。

手応え感じる市民の動き

それにしても署名運動の現場はどのように展開されるのか。そこを呉東さんはこんなふうに話してくれた。

「2200名もの受任者が町々で署名を集め始まると、迫力があり一部の人が動いているというような状況ではなくなります。普通の人が網の目状に動いていて、いろいろバッティングしたりしてインパクトがある。友達、親戚、職場などいろんな場で発見もある。横須賀のような保守的な町のあちこちでネットワークができて、一人ひとりが動けるような工夫も必要だ。生活が米軍や自衛隊などと関連する人びとも多く、母港化には反対だけれど、署名はしたいけれど出来ないという人も出てきます。いつか憲法問題で国民投票がやられるときにはこんな状況が作られネットワークができていくのかなという感じがします」

成功に向けてあなたのできること

最後に第2回の直接請求運動に向けて横須賀市内の人びとには「受任者になって下さい」と、市外の人びとには「応援」を呼びかけている。

応援の内容 1、住民投票事務所の手伝い 2、ビラ貼り、宣伝カー乗りなどの街頭応援 3、カンパをする 4、横須賀市の知人友人に紹介する 5、原子力空母について集会などで理解を呼びかける

連絡先:原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会
横須賀市若松町1-12 諏訪ビル3階B 
電話&FAX 046-824-6663 
郵便振替00200-6-80423
「住民投票を成功させる会」
(土井とみえ)

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「9条を世界へ 世界から」、「九条世界会議」を成功させよう
~「世界会議」のもつ画期的な意義について

すでに本誌で何度も紹介してきたように、国内外の著名な人びと多数の呼びかけと賛同(国際賛同人はすでに100カ国を超えている)のもとに、今年5月4~6日に千葉県の幕張メッセ、および大阪、広島、仙台で「9条世界会議」が開催される。

「9条世界会議」には、ノーベル平和賞受賞者のマイレッド・マグワイアさんをはじめ、1999年の「ハーグ平和アピール」の中心となったコーラ・ワイズさん、2006年にカナダのバンクーバーで開かれた「世界平和フォーラム」の中心メンバーであったエレン・ウッズワースさん、GHQから日本国憲法の起草に関わったベアテ・シロタ・ゴードンさん、米国で陸軍大佐や外交官を歴任した経歴を持ちながらイラク戦争に反対しているアン・ライトさん、国連事務次長補を務めてイラク戦争に反対しているハンス・フォン・シュポネクさん、ほか、世界各地の平和活動家、法律家など多数の海外ゲストが参加する予定である。また、この世界会議にはノーベル平和賞を受賞した女性たちでつくる「ノーベル女性の会」のジョディ・ウイリアムスさんや、ワンガリィ・マータイさんなども熱烈な賛同のメッセージを寄せている。

こうした国際的な多彩な顔ぶれの参加者と、メイン会場の幕張メッセの計10000人規模の大集会と、3地方での大きな集会の開催に見られるように、このような規模と質をもった「九条」に関する国際会議は世界でも日本でもまったく初めてであり、画期的な意義をもっている。

平和運動家の間ではよく知られているように、9年前の1999年、オランダで開催された「ハーグ世界会議」は、その「ハーグ・アジェンダ」第1項目で「日本国憲法第9条のような考え方を各国政府が取り入れるべきだ」とで確認した。06年のバンクーバーでの会議も「日本国憲法第9条の価値」を確認した。

こうした9条の価値を評価する国際的な流れを受け継いで、この08年5月、日本の幕張メッセで「9条世界会議」が開かれることの、国際的、国内的意義は大変大きいものがある。

ハーグからバンクーバーへ、そして幕張メッセへ、この「9条」がつらぬく国際的な流れは、今後の世界平和を考えていくうえで、大きな役割を果たすに違いない。

「なぜ、いま9条世界会議か」という声がないわけではない。

この問いに答える上で、非武装の憲法をもつコスタリカのロベルト・サモラ君の発言(「世界」08年2月号)はたいへん示唆的である。

「日本国憲法9条を維持し、それを世界の人びとへ広げていくことは、日本の人々による平和への取り組みとして非常に重要である。私は1年半にわたり、東京のNGOピースボートに在籍して憲法9条に関するキャンペーンに従事してきたが、日本における憲法9条関連の活動が、やはり日本国内でとどまっている傾向があると感じてきた。しかし憲法9条は、日本国内にとどまらず、平和を愛する地球市民全員が共有し、今の世代から未来の世代へ受け継いでいくべき、この世界を守っていくための宝物である」

「憲法はその国の国民のものである。憲法は、国民の権利拡大につながるものであり、自由と繁栄を育てるものである。政府の暴走を食い止め、政府が国民を弾圧しようとすることを防ぐための必要不可欠なメカニズムなのである。政府は憲法に基づいて働き、その憲法は国民によって守られる。これが本当の健全な憲法であると私は思う。私は、日本国憲法9条を支持する。これは日本国内だけではなく全世界に通用するものであるし、普遍化させるべきものである。軍隊や戦力を保持し、戦争をすることが『普通』であるような世界を、私は望まない」

私たちが「9条世界会議」を構想し始めたとき、これを直接、日本の改憲阻止闘争に役立てることを考えたのではない。その意味で「ガイアツ頼みではないか」などという疑問は全くあたらない。9条改憲阻止のたたかいは、本来的に、私たち日本の民衆の責務であることは十分に承知している。

しかし、憲法問題というまさにその国の特有な個性の問題にかかわる課題であるにしても、従来の日本の改憲反対運動は「あまりにも一国的すぎるのではないか」という意見は傾聴に値する。

私たちは世界から9条の価値を評価して集まってくる人びとの声を直接に聞き、議論を深めることにより、9条の価値を新たに発見し、今後の憲法の運動をひろげ、飛躍させるきっかけにしていくことができるのではないかと考えている。この「世界会議」をつうじて、改めて憲法9条が到達している国際的な水準を確認し、私たちの9条に関する思想を豊かにすることは、日本における私たちの改憲反対の運動を豊かにし、発展させていく上で重要であると思う。

参加してくる世界の人びとにとっての世界会議の意義はロベルト君の引用で十分だろう。こうした思想は21世紀の世界において、戦争に反対し、平和を作り出す運動の一翼を担いうるのではないだろうか。まさに「武力で平和はつくれない」のである。

これだけの規模の世界会議を成功させるためには、今後の準備過程で困難も数多く残されている。全国の皆さんのいっそうのご協力を呼びかける。
(K)

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特別寄稿:「9条」署名の2年が終って

2007.12.29   蓑輪喜作

拝啓
いつもお励まし、ありがとうございます。その後の署名ですが、現在8880です。しかし、いまは寒くなって公園も人が少ないので、以前のようになるのはしばらく待たなければならないと思っています。

「毎日」の記者が「万になったらまた取材させてください」と言ったことも、8800というと、私の体調さえよければ、4月の末頃になれば届くのではないかと思っています。

同封のものは、年末にチラシの裏などに自分のひとつの区切りとして書いたものをまとめたものです。
いろんな方々から、取材やお話の依頼がありますが、体調を考えながらやってゆきたいと思っております。

2008・1・18
高田健様
蓑輪喜作

今年も余すところあと2日となった。そんなことで寒くなったこともあって公園も今までと違って人は少なく、また居ても、署名をいただいた人達でこれまでのような数は望めないが、それでも先ほど回ったら休みでボール遊びの若者がいて、8名ほどの署名をいただいた。そんなことで今日現在の署名数8620、この数は昨年の末が3700であったからこの1年が4900ということになり、すごい数で、私にとってはこの1年は78歳というこの年になって人生最高の経験をさせていただいたものと思っている。

5月に昨年1年間のものをまとめて歌文集「九条署名の一年」という冊子を出したが、売って下さる方が沢山いて8月が来ないうちになくなって増刷、そして6月に入って赤旗の日曜版が、8月には朝日新聞が夕刊と「天声人語」に、11月に入って毎日新聞がほぼ1ページ大で夕刊にとりあげていただいたことで「九条おじさん」「署名おじさん」の名前はかなり広がった。

それに9月にはじめに署名で知りあったのが縁で私の署名おじさん役も登場する、ある私立学校の演劇を友人たちと観にゆき、また「九条の会」の事務局からの訪問もあって、「九条の会」の11月24日の全国交流集会でも報告させていただいた。1000人を前にしての報告は40年前、故里・新潟で農村労働組合を作ったとき以来で、故里の友人たちも喜んでくれた。

さて振り返ってみると、署名をはじめた半年くらいは、ピンポンを鳴らしての個別訪問ということもあって、みなさんの関心もうすく大変きびしく、とてもいまのような数は考えられるものではなかったが、署名を人の沢山来る公園にきりかえたことと、靖国派と言われる安倍内閣の登場で教育基本法の改正、改憲手続き法などロコツにしゃにむに押し進められたことで、これではヤバイのではないかと、みなさんの関心が高くなり、若者にとっては危機感をもつものもあり、昨年の夏頃から署名も急速に増えてゆき、まだ今と違って体力もあったので2つの公園をフルに廻り、署名にのめりこんでいった。

言ってみれば最初は大変だったが、やっているうちに応援してくれる人も沢山出て楽しくなり、いまでは雨などでゆけず家にいるときの方が体がおかしくなり、朝日や毎日の新聞のコピーを持って歩くと、さほど私が話さなくとも人さえ集まれば一定数の署名をいただいている。もう地元の犬を連れた人たちのものなどはいただいているので、それを除いたものでも集まっているので驚いている。よく私に「あなたはどうしてこんなことが出来るのか」という人が多いのだが、考えてみるに言えることは、最初は困難であってもやり続けたからだと思う。なにごともそうだと思うが、1つか2つの山を越えると後は楽になるものであり、そういうことで一番大切なことは、やるかやらないか自分自身とのたたかいではないかと思う。

それでこのことについては、私には用務員ながら学んだ戦前からの伝統をひく生活綴方教育的な考え方の大きな目標は目標としても、それをいま自分がやっていくにはまず身近から考えていくことを身につけて来たことではないかと思う。そんなことで40年前の故里での農村労働組合のたたかいの経験がいまも大きな力になっているのだと思う。

そんなことで先日いただいた私と同年配の元教師の手紙を紹介したい。この方は、旧制中学から戦争中は江田島の海軍兵学校で終戦を迎え、故里への帰りに見たあのヒロシマの惨状が自分の原点であるという人である。

その手紙

――わたしにとって昭和25年の出会いが(同年のはずが兄貴のような存在)40年の教職生活から現在に続く私の生き方を方向づけて頂いたとつくづく感じられ考えさせられます。

小遣室で炉を囲み生活綴方や丸木先生や松丸先生の著作、そして伊沢の現状や子どもの生き方について口角アワをとばしたり、酒汲み合わせたことを懐かしく思い出しております。

あなたはその後も「人生経験のなかで作られた卓越したオルガナイザとしての“越後魂”で自然体で署名活動を続けられてきたこと。私にその“行動力”がなかったこと、敬意と自責の念で一杯です――。

という手紙をいただいておりますが、自分のことで申訳ないのですが、いつも私の中に浮かんで来るのは私の「九条署名の一年」で小金井の9条の会の事務局長の小山さんも言われているのですが、故里での農村労働組合の頃なのです。このときのものは以前に「山間豪雪地帯に生きる」――1960年代松代町農村労働組合のたたかいと題して発行したのですが、これは私の名前になっていますが、私だけではなくその当時の関係者の合作で、私にはいまも諸運動の法則ではないかと思われるのです。
小さいものから大きいものまで住民の諸要求を次々と実現していったときのものです。この運動は戦後教育の中で成長した青年たちが、10年経って、その頃から始まった農村破壊に対して立ち上がったもので、私の村から隣の町へ、そして県下に、全国に広がっていったもので、住民の要求であれば小さいものから大きいものまでなんでもたたかった。青年たちはまだ20代の前半で、今も当時を振り返って恐ろしいものがなかったと言っている。

大きなものとしては国会をも動かして失業保険法が雇用保険に、豪雪地帯の保安要員制度などいまも生きています。

私には署名は署名ですが、そういう日のことが重なってけっこう楽しい2年間だったと思っています。そしてそのことが正しいもので皆のしあわせにつながるものであれば、まず自分のできることから始めてみる。失敗してもうまくいかなくとも、くじけずに続けてみる。それがみんなのしあわせにつながるものであれば必ず輪は広がってゆくものだと思っています。

それで昨年のことは本にしましたが、今年署名で出会った人の幾人かを書いておきます。
7月頃だったと思います。安倍首相がさかんに暴言をはきゴリ押しをしていた頃で、公園の苗木などの沢山あるところであった人ですが、

――私は現役時代、殆ど海外でくらし、語学が出来るので、いまも毎日ラジオでイギリスのBBC放送から北京放送、それにアメリカ軍のものまで聞いているが、外国では日本が今のようなことをやっていると、もし戦争になったら日本列島などは2、3発でふっとぶだろうと、そして後の考古学者が日本という国があったのだそうだと言うのではないかと揶揄されていると。

それから8月の月は公園の噴水のところで頭をかかえたような青年がベンチにいて、声をかけたら現職の自衛隊員で署名はいただけなかったが、このままゆくとどうなるのか、だいぶ苦しんでいるようだった。

また父親が私と同年で長崎の被爆者で、その時の惨状をくわしく聞き、また教師ということでいまの学校のこともかなりくわしく聞いた。

それから9月頃だったと思うが公園のベンチに退職したということで長編を読んでいるという婦人に――あなたは実にいい顔をしているね。同じことを言ったとしてもいま団塊の退職した人には青年たちは耳を傾けないでしょうと言われた。私が78歳という年令だから青年たちが聞いてくれるのだろうということであった。

実にいろいろの人に会い、私の本も署名で30冊ぐらい買っていただいた。また1ヶ月ほど前、最初の個別訪問で署名をいただいた学生から、お会いしたいという電話があって駅前の喫茶店で1時間ほど話したが、3回も小説を書けと言われた。そのことは私たち世代がどう時代を生きて来たのか、それを熱く語ることを若者は望んでいるのではないかと思った。それに私の目の前で憲法9条をまる暗記していた小学校5年生ぐらいの男の子がいて驚いたこともあった。

さて2年間署名を続けて来て、人には元気に見えるようだが、いくつかの持病もあり、この歳になると1年ごとに体力も落ちてゆくので、出来るだけ健康管理して来年も続けてゆきたいと思っている。

最後にとくに今年に入って本も出し、各新聞にも紹介されたということで、沢山の方からお励ましをいただいたことに厚くお礼を申し上げたい。

それからこの文を書いているときに用務員時代の教師で現在校長職の50歳の教師からコピーの一文が送られてきた。

――M校で歌人で用務員として誠実に勤務されている方に出会った。すごい読書家で若い教師への期待を静に語る蓑輪さんの勧めで斉藤喜博全集を読んだのはこの頃。短歌を詠むのは今も難しいが、短歌を読むことが好きになったのは蓑輪さんのおかげである――

戦後いかに生きゆくか私の出発は学校ということもあって、戦中戦後の教師たちの血のにじむような実践記録を語ることであった。またこの頃、学校規定が作られたとき、その中に用務員は時間があったら読書することの1項目を加えてくれた校長もいて、それが用務員に最後まで保障されたことを書いておきたい。とにかく沢山の応援者があっていまの自分があるのだと思っている。そして歌人の碓田のぼるさんは、歌はその人の総量だというが、署名もその人の生きてきた総量ではないかと、この頃は思うのである。
(了)

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新テロ特措法の衆議院再議決に怒りを 

藤井純子(ピースリンク広島・呉・岩国)

1月11日午後、衆議院本会議で「新テロ特措法」が強行に可決されました。
その夕刻、第九条の会ヒロシマとピースリンク広島・呉・岩国の呼びかけで「衆議院再可決に抗議 呉海自基地を派兵拠点にするな!」と街宣をしました。前夜の急な呼びかけにもかかわらず、16人が駆けつけ、遠方からも「歌で訴えたい」とギターをかかえて来てくれました。

なんと1951年以来の57年ぶり、2回目だという再議決に怒り心頭。インド洋上での日本の給油は戦争を激化させ、人々を逆に苦しめています。しかもアフガン戦争だけではなくイラク戦争に使われたかもしれない… そんな給油をするなら「テロ特措法を延長するな」という世論が高まり、11月、インド洋から海自艦船が帰って来たばかりです。その民意を表したものが午前中に行われた参議院の否決でした。それを無視し、参議院で否決された直後、衆議院の再可決とは! 全く納得のいくものではありません。

1月8日には「新テロ特措法案の成立を許すな! 日米軍事利権疑惑の徹底糾明を! ヒロシマ集会」を共同で行いました。正月気分も抜けきらないこの時期、どうなることやら…と心配をしていましたが、150人もの人々が集まりました。お昼はポカポカ陽気でしたが集会が始まる頃には風が強まり、横断幕やスピーカーを準備する手がかじかみます。しかし寒さを吹き飛ばすようにそれぞれ参加団体の代表者が熱く語りました。

「憲法と平和を守る広島共同センター」代表は、「新テロ特措法を衆議院で再議決を強行することは民主主義に反する。また日米軍事利権疑惑の徹底糾明を求める」ときっぱりとした発言。

有事立法はイケン(違憲)広島県市民連絡会の共同代表は、「米国は軍事偏重政策によって破綻寸前となっており、世界は多極化へ向かっている。日本は米国追従から脱却し、民主主義原則に立ち返り『一票革命』を起こして、自民党政治を終焉させよう」と力説。

続いて「ピースリンク広島・呉・岩国」の広島世話人は、呉海自基地から自衛艦を出してはならないと訴えました。

その後集会アピールを採択し、ピースウォ-ク。繁華街の2キロを、「呉から補給艦『とわだ』も護衛艦『さみだれ』も、もうインド洋に行かせまい!戦争で平和は創れない」と市民に呼びかけながら歩きました。

01年の9・11後、米ブッシュ大統領が対テロ戦争だと叫びアフガン戦争を始めるや否や、日本政府はそれに易々と同意し、11月には広島県の呉海上自衛隊からインド洋に補給艦を派遣してしまいました。

それ以来毎秋、「ピースリンク広島・呉・岩国」はその開戦日に平和船団を出して抗議の行動を続け、自衛官には「専守防衛であるはずの自衛隊が海外派兵させられることを疑問に思いませんか」と呼びかけてきました。昨夏からは、「テロ特措法延長をするな、新テロ特措法=給油新法も反対!」と様々な協働で、行動を重ねてきました。街宣をしても「復興支援なら国際貢献ではないか」「米国に協力しないと困るのではないか」と不安を持つ人もありましたが「これ以上、戦争を続けるのは間違っている」と思う人は多かったはずです。

しかし新年早々、衆議院で再議決をするらしい…との報道があり、年末押し詰まって1月8日のドーム前集会を決定したのです。

隣の山口県岩国市では、空母艦載機部隊の移駐=米軍再編に協力しないなら「市庁舎建設補助金カット」という国に対し、前市長、市民が「これ以上の基地拡張・強化はしないでという自治体の意思を尊重しろ!」と闘っています。

海自関係者の多い呉市民も内実「これ以上呉からの派兵はさせないで、軍転法(旧軍港市転換法)を活かそう」と思っています。それは、海外派兵を見送る家族の涙にも表れているような気がします。軍都廣島、原爆の惨禍を経験したヒロシマこそ、日本を二度と派兵国家にするなという声をあげ続けなくては!

福田自公政権の新テロ特措法再可決の手法は民主主義への裏切りであり、解散総選挙で国民の審判を仰ぐべきではないでしょうか。

また政府は、給油・給水に限定したと言いますが、米国は難色を示しています。情報収集や現地訓練、航路確保などなど、ピースデポの快挙のように、市民が海自の行動を見張らねばならず湯浅一郎さんの責任も重大です。派兵恒久法への企みも見え隠れしています。9条改憲は、今こそなりを潜めていますが、これからの派遣や米軍再編に直結し「ある日、突然」頭をもたげてくるかもしれません。軍備とお金の問題も私たちの税金であり、私たち自身が加害者になるかどうか、平和的生存権の重要問題です。米日軍需疑惑を明らかにさせ、平和をあきらめない私たちの闘いはこれからです。 (08年1月15日)

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「知ってる?私たちの平和憲法」(出版・オープンナレッジ)714円

藤末健三〔著〕 

著者の藤末(ふじすえ)健三さんは1964年生まれの民主党参議院議員。
第一章「日本が経験した戦争」から第七章「世界の中の日本の役割」まで130ページほどの本だが、憲法を巡る歴史的背景や現在の問題などを平易な語り口で解きほぐしてくれる。

「活憲」をキーワードに、「世界に戦争をしない、軍隊を持たない憲法を広げる」、「アジアで国境の壁を越えた、国民同士の信頼関係をつくる」ために議論をしよう、というメッセージが情熱とともに明確に伝わってくる。

個人的には私と同世代の藤末さんが憲法や平和の問題を考えるとき、湾岸戦争などの時の「国際貢献論」などではなく自分の両親の戦争体験をベースにしていることに新鮮な驚きと「信頼感」を覚えた。
総選挙も予想される今年は、憲法にとってとても重要な1年になる。藤末さんが主張する自衛隊や日米安保のあり方などには多少異論もあるが、そのことも含めてこの本の中から関心ある部分を抜き出して考え、議論することもできると思う。

手軽に、気軽に、そして真面目に憲法を考えるときに役に立つ本です。
伊藤塾塾長の伊藤真さんも推薦してます。【「憲法ってかっこいい!」そのことが実感できる本です。若い人にもぜひ読んでいただきたいと思います。】
(星野正樹)

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書籍紹介 書名:「イスラエル・ロビーとアメリカの外交・Ⅰ・Ⅱ」

著者:ジョン・J・ミアシャイマー(シカゴ大学教授)&スティーブン・M・ウォルト(ハーバード大学教授)
出版社;講談社
各巻とも1800円
半田 隆

気になるタイトルだが、所謂ユダヤ陰謀論ではない。保守系の政治学者の緻密な研究論文である。この書の発刊は当初、論文を依頼した出版社が違約して断るなどで難航した。そこで、ハーバード大学のウエブサイトに掲載したところ、称賛と同時に「イスラエル・ロビー」から「反ユダヤ主義」として嵐のような非難を受けた。

「イスラエル・ロビー」は、資金量、規模、能力、熱意、忠誠心が他に類を見ないほどの強力な団体だが、単一の組織ではなく75団体からなっている。目的は、徹頭徹尾イスラエルの行動を支持し、有益な政策を米政府に実施させることにある。そのためには、連邦議員、大統領、官僚、メディア、学界・教育界などあらゆるところに編み目を張り巡らして監視し、関与し、干渉する。

最も影響を受けているのが連邦議員である。上院議員の70~80%、下院議員の60~70%が「イスラエル・ロビー」の影響下にある。コントロールのやり方は、立候補した議員の全てに面接し、「政策方針書」を提出させる。それによって推薦や献金を決める。好ましくない連邦議員には対抗馬を立て、対象議員には激しい批判や非難を浴びせる。これで落選させられた連邦議員が多数に上るので、議員たちは恐怖にとらわれ、「イスラエル・ロビー」の要請に従うことになる。議員に当選してからの言動や投票行動も全てチェックされ、「イスラエル・ロビー」の意見書や政策提言に連署させられる。これを拒めば、無数の抗議の手紙やメールなどを殺到させる。この米連邦議会で、イスラエル問題が真剣に討議されることは殆どないという。

大統領は連邦議員ほどではないにしても、補佐官や官僚の中にユダヤ系米国人が送り込まれており、有力な働きをする。大統領が「パレスチナ」問題に解決の意思を示しても、またイランやシリアが米国との関係改善の意向を表明しても、「イスラエル・ロビー」がすぐさま潰してしまう。大統領が、イスラエルへの支援を抑制する政策を発表すると、連邦議会は逆に支援予算を可決して大統領の政策を無効にしてしまう。これらの成果は莫大で、イスラエルは05年までに米国から1540億ドルもの直接支援金を獲得している。大統領選の候補への献金の60%はユダヤ系米国人からで、候補者は例外なしにイスラエル支持を表明する。

メディアの全てがコントロールされているわけではないが、上層部やコラムニストは殆ど親イスラエル派で占められている。大学では教授の人事にも介入し、イスラエルに批判的な教授は採用されないか、移動などで干渉される。「イスラエル・ロビー」の非難のキーワードは、「反ユダヤ主義」である。このレッテルを貼られると、米国では社会的信用を失い、出世は覚束ない。

イラク戦争は、一般にいわれているように石油のためではなく、イスラエルの安全保障のためにネオコンやイスラエル・ロビーが米国を戦争に引き込んだのだという。イラク戦争開戦時にもイスラエルの影響は囁かれていたが、イスラエルの国益のためにイラクの国土を破壊し、世界を混迷に巻き込み、自衛隊が「特措法」で破壊の手助けをしたのだとしたら、何という悲劇であろう。

この論文は、米国の国益を中心に据えてイスラエルとの関係を分析しているのだが、著者は最終章で、「何をなすべきか」を20項ほど提言。その幾つかを上げると、「イスラエルは米国にとって負債なので、通常の国家関係に戻せ。イスラエル・ロビーを抑えよ。イスラエルは67年戦争で占領した地域から撤退せよ。米国は、イラクから速やかに撤退し、シリアと国交を回復し、イランの核開発問題は交渉によって解決し、中東問題は地域外から均衡を図ること」など正鵠を得た指摘をしている。日本のモラトリアム対米外交に是正を迫る貴重な内容の研究書なので、外務省にも一読を薦めた。

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市長選を迎える岩国市を訪れて

竹腰 英樹(平和の物販担当・平和憲法とともに歩む中野の会)

「米軍基地再編については、私は基地撤去を求めているわけではなく、5条件提示を行い、国と話す姿勢である。守屋前防衛省事務次官の強引な姿勢、市民・国民の声を聞かず、アメリカの声ばかり聞く政府の姿勢はおかしい。市役所新築の補助金と米軍再編は関係がないはずであり、補助金ストップの政府のやり方はひどい。9年前、私は市民本位の政治を行うため、岩国に帰ってきた。自民・公明が推す対立候補は『井原だと岩国市は財政破綻し、病院や市バスが無くなり、税金が上がる』と言っているが、とんでもないデマである。行財政改革を行い、市の借金も着実に減少させている。正しい認識のもとに議論を求めたい。利権がはびこる政治に戻すのではなく、目先の利益を追うのではない孫子の代を考える市政を実現したい。民主主義や地方自治という観点からも重要な選挙だ」

これは山口県岩国市の前市長、井原勝介さんの街頭での訴えの要旨だ。  
1月19日の1日だけだったが、私は岩国市に向かい、2月10日に投票が行われる岩国市長選に出馬する井原さんの応援を行った。街頭での宣伝同行、1,700人が集まった「風を力に!! 草の根大集会」のスタッフ、チラシ折りなど、様々な取り組みに参加した。冒頭の訴えはクリーム色のマフラーを巻き、市民の方の応援を受けて、ス-パー前などで行なう井原さんの主張である。

私は米軍基地撤去を求める立場であり、その点では井原さんと意見が異なる。しかし、その違いを認識しながらも手弁当で急遽、岩国に向かったのは、米空母艦載機の岩国移転案の是非を問う旧岩国市の住民投票の結果を大切にしてぶれない井原さんの姿勢に共鳴し、基地強化を推進する自公推薦の候補に負けてほしくないという一心からだった。

その日も東京都、兵庫県西宮市、広島県からも応援の方が来ていたし、事務所には全国からの激励メッセージが貼られ、このことは前回までの選挙ではなかったことであり、全国的な関心の高まりが感じられるとのことであった。

来たる2月2日には東京都世田谷区で、3日には同じく港区で『「今、岩国で何が起こっているの?」 06年住民投票以後の岩国を記録した映画「消えた鎮守の森」東京・上映とお話の会』が開催される。関東でも岩国に連帯して政府のひどいやり方を正していきたいと思う。

(なお、1月下旬に週刊金曜日から「岩国問題」のシンポジュウムの記録を中心とした単行本が緊急出版されるとのお知らせも大集会でチラシ配布されていた。)

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