過ぎた2007年は日本の現代政治史に特記されるべき年となった。
歴代政権では約50年ぶりに自らの「任期中に明文改憲を実現する」と公約して登場した安倍晋三首相が、昨年9月、その野望を断念し、任期途中で政権を投げ出した。安倍内閣は「美しい国づくり」「戦後レジームの転換」などのスローガンをかかげ、政治的には「日本会議」などの極右勢力に基盤をおいた新国家主義を基軸とし、経済的にはブッシュ米国政権が世界的に推進し、小泉政権が積極的に導入した新自由主義を受け継ぐという、歴代自民党政権のなかでも特異な政権であった。
安倍政権は小泉首相の後継政権として、小泉政権がほとんどバクチまがいの「郵政民営化選挙」で手に入れた衆議院議席の3分の2の絶対多数を元手に、わずか1年の任期中に国会で17回もの強行採決を行い、教育基本法改悪、改憲手続き法、米軍再編関連法、防衛庁の「省」昇格関連法などなどの諸悪法を相次いで成立させた。さらに集団的自衛権行使の合憲化に向けて「安保法制懇」を設置し、「国家安全保障会議(日本版NSC)」の設置による官邸主導体制作りなどを準備しつつ、その最大の政治目標である憲法改悪に向かおうとした。
しかし、「格差拡大」に象徴される内政の危機と、年金問題や「政治とカネ」の問題など官僚と政治家の腐敗の露呈による民衆の不信は増大した。加えて、その特異な価値観から来る歴史認識、近隣アジア諸国との摩擦の激化、米国からの不信など外交的行き詰まり、強硬な改憲論への民衆の不信などの諸要因が参院選の大敗北を招き、安倍内閣の政治を破綻させることになった。
代わって「背水の陣内閣」を自任する福田内閣が登場した。
もとより福田康夫首相は町村派(旧森派)に所属しており、自民党のハト派系列の人物ではない。彼は2005年11月の自民党立党50周年の際の「新憲法草案」作成においては、9条改悪の「安全保障問題」小委員会委員長をつとめた人物であり、そこで9条2項の削除と自衛軍の保持、海外派兵などの規定を盛り込んだ。また小泉内閣の官房長官時代には「自衛隊派兵恒久法」づくりの検討に積極的に着手した。首相になってからも幾度か「改憲の必要性」に言及しているし、福田総裁の下で準備されている自民党の08年度運動方針原案には「新しい憲法の制定や靖国神社参拝の継承」がうたわれている。
にもかかわらず、安倍政権の無惨な失敗は福田政権の運営に一定のタガをはめており、とりわけ国会の「衆参ねじれ現象」が福田政権に強制している「野党との対話」からは逃れようがない。福田内閣はあたかも60年代初めの岸内閣から池田内閣への移行時のごとく、野党と国民に対して「対話と低姿勢」で臨まざるを得なかった。
しかし、成立以来、数ヶ月、はやそのメッキははげ落ちつつある。新テロ特措法での対米追従と強硬姿勢や、自民党の年金公約への無責任ぶりをみた世論は、各メディアの調査によれば軒並み急速に内閣支持率を低下させている。
2008年の新年をむかえ、福田内閣は内政においては深刻な貧困・社会的格差問題や「消えた年金」問題、薬害肝炎問題、原油の高騰など経済・財政の危機への対応に四苦八苦している。新テロ特措法では福田訪米の際の首脳会談での約束に従い、参議院と世論の多数の反対を押し切って、憲法59条の適用による衆議院での異例の再議決を強行せざるを得ない立場に立たされている。インド洋北部への再派兵という憲法と国の進路に直接関わる重要議案を、参議院が否決したにも関わらず、有権者の審判を経ないままに再議決するのは議会制民主主義の蹂躙に他ならない。
福田首相と自公連立与党の責任は重大である。自民党08年運動方針原案が「今、わが党は立党以来の最大の危機に直面している」「不安の蔓延は、国民が時の政権に別れを告げる引き金となる」などと述べているのは、彼らの深刻な危機感の表現である。
先頃の小沢民主党代表との党首会談での「大連立」騒動は、窮地に立つ福田内閣にとっては、苦し紛れの活路の模索のひとつであった。この大連立策動が破綻した後も、福田首相は12月中旬の記者会見で、新テロ特措法に関連して「国連平和維持活動(PKO)と規定されない活動は日本は何もできない。一般法(恒久法)を整備し、いつでも国会の承認を得て飛び出せる体制は必要じゃないか」と発言、「(恒久法制定で協力の可能性はあると党首会談で確認したように)野党とも相談し、なるべくはやく国会にのせることができればいい」と述べ、民主党の歩み寄りへの期待を表明した。かように、与野党協力と大連立問題は、衆参ねじれ国会状況がつづくかぎり、くりかえし浮上せざるを得ない。 しかし、さきの参院選では有権者は自公与党の政治に審判を下し、野党を支持したのであって、これを無視した与野党の妥協による大連立の動きは民意に反するものである。
一方、メディアの一部には「ねじれ国会」状況が法案の成立数を低下させていることから、あたかも不正常で、良くない状況であるかのような論調がある。しかし、これは正確ではない。今日では「ねじれ」が安倍内閣時代のような強行採決の連続による反動立法の立て続けの成立という特異な状況の到来を不可能にしている。与党の独裁的議会運営が阻まれているのである。議会制民主主義における「ねじれ」国会状況は憲法が想定した範囲内の状況である。不十分ではあっても、この状況は民意を反映しやすくしている面があることを見逃してはならない。
この延長線上に衆議院解散、衆院選における与野党逆転がありうるし、私たちはまずそれを実現したいと考えている。
民主党が野党第1党であるかぎり、与野党逆転は民主党的政治の実現にとどまるという限界があるのは自明のことである。いうまでもなく民主党の政策は「保守2大政党」状況と言われるような問題を数多く含んでおり、とりわけ憲法や安全保障問題などの政策においても、曖昧で、危惧されるものが少なくない。
にもかかわらず、与野党逆転の実現は、議会政治の一歩前進である。この168臨時国会で、イラク特措法廃止法案が参議院で採択されたことや、給油新法が参院で否決されるに至っていることは、このことを証明している。与野党逆転の達成は、このもとで市民・民衆の運動が自らどれだけたたかい、前進を勝ち取るかによって、実現する政治の内容もまた変化するに違いない。
新テロ特措法と派兵恒久法は「解釈改憲」の最たるものとして、明文改憲に直結する重要問題である。日本が恒常的派兵国家化し、大資本とともに海外で恒常的に軍事的活動を展開し、国内においては社会の軍事化を促進する道の選択という、21世紀における国の進路を左右する問題である。
再延長された臨時国会で、与党が民意に反して衆院再議決を企てている派兵・給油新法(新テロ特措法)に加えて、先の大連立騒動を契機に、さらに今後の重要問題として「自衛隊海外派兵恒久法」が浮上しつつある。
すでに自民党は06年8月に防衛政策検討小委員会(石破茂委員長・当時)が「国際平和協力法案」を作成している。そこでの「恒久法」の考え方は、自衛隊の海外派兵を「国連総会、同安保理又は経社理」の決議及び「国際機関の要請」を根拠とし、さらに「決議がない場合」でも「加盟国その他の要請」で派兵できるとしているのが特徴である。確かにここでは従来の特措法に似て、憲法9条第1項の「武力行使禁止」の制限を受けて「非戦闘地域」派兵を原則としているように見えるが、先に問題となったイラクにおける自衛隊の佐藤正久隊長(現参院議員)の「駆けつけ警護」発言に見られたように、その枠を超え戦闘も行うであろうことは法案作成者においても、派兵現場においても想定済みである。
07年2月の「第2次アーミテージ報告」はこうした「海外派兵恒久法」の制定を日本の政府当局者に要求して、以下のように述べていた。
「一定の条件下で日本軍の海外配備に道を開く法律(それぞれの場合に特別措置法が必要とされる現行制度とは反対に)について現在進められている討論も、励まされる動きである。米国は、情勢がそれを必要とする場合に、短い予告期間で部隊を配備できる、より大きな柔軟性をもった安全保障のパートナーの存在を願っている」と。
最近、日米軍需産業と癒着していることが暴露されたアーミテージのきわめて露骨な対日要求である。
自民党のねらう「自衛隊海外派兵恒久法」は憲法9条を骨抜きにし、米軍の要請に従い、いつでも、世界のどこへでも自衛隊を派遣できるようにするための究極の解釈改憲による希代の悪法構想である。
加えてこの恒久法問題をさらに複雑にしているのが、民主党小沢代表らの「恒久法」への見解である。小沢氏は旧自由党時代以来、国連の平和活動への自衛隊派遣は日本国憲法9条に抵触しないという独特の憲法観の持ち主で、これにもとづき「国際的テロリズムの防止と根絶」のための活動の法整備としての「恒久法」制定を主張している。この主張は雑誌『世界』の07年11月号で改めて展開された。
福田内閣は従来、小沢代表の「自衛隊ISAF派遣」は違憲と主張してきたにもかかわらず、最近になってこれを合憲とする方向で動き出した。この際、小沢見解に便乗して、自衛隊の海外派兵の枠を拡大しようとする意図が見え見えだ。あわせて、今回の民主党の新テロ特措法への対案が、あらためてアフガンへの自衛隊の「非軍事活動的派兵」を打ち出し、派兵恒久法の早期制定まで主張していることは重大な危険を含んでいる。政府がこの民主党の「対案」を丸呑みできる条件は整いつつある。両党の動きは自公民3党による「自衛隊海外派兵恒久法」の制定や、そのための「国家安全保障基本法」の制定につながるおそれがある。
とまれ、私たちから見て、国連決議があるなしにかかわらず、自衛隊を恒久的に海外に派遣しようとする企てが日本国憲法第9条に抵触しないという主張は、尋常な憲法解釈ではありえない。まさに自民党、民主党の派兵恒久法案は究極の解釈改憲であり、憲法9条を破壊し、日本を恒常的な派兵国家に変質させるものといわなければならない。
私たちの憲法に関する市民運動は08年の新年をかつてない可能性を秘めた条件のもとで迎えている。
2004年夏の発足以来、「九条の会」運動はすでに全国の草の根に6800の「九条の会」を生みだし、9条改憲阻止の画期的な水準の運動を展開している。全国各地の改憲阻止、憲法を生かす運動はそのたたかいの中で、25条、24条、20条など具体的な課題と結びつき、発展する様相を示している。私たちの運動が憲法9条や憲法3原則の理念の擁護にとどまらず、歴代政権の悪政が生み出した諸矛盾とのたたかいの中で結びつき、支えることは運動の前進を切り開く上で重要な課題である。この過程で憲法擁護の運動はさらに多くの民衆運動との合流を実現していくことができるだろう。
あわせて新年の5月4日、5日には千葉県の幕張メッセで、6日には仙台、大阪、広島で「9条世界会議」が準備されている。この会議は日本国憲法9条をテーマにして1万人の規模で開催される国際会議であり、質量ともに日本の憲法運動史上、画期をなす運動である。集会の基調報告者の一人がノーベル平和賞を受賞した女性たちでつくる「ノーベル女性の会」を代表して参加するマイレッド・マグワイアさん(アイルランド)であり、もう一人の基調講演者のコーラ・ワイズさん(米国)はその10のアジェンダの第1項に「日本国憲法の9条のような考え方を各国政府が取り入れるよう」要求した1999年の「ハーグ世界会議」のリーダーである。国際的な市民運動の流れのなかで、日本国憲法9条の価値を確認したハーグ世界会議、06年のバンクーバー世界平和会議の流れを受け継いで開かれるこの「9条世界会議」の意義は強調してあまりあるものがある。この「9条世界会議」を成功させ、日本の改憲阻止の運動を新しい段階に引き上げるとともに、「武力で平和はつくれない」という非暴力の理念による国際的な反戦平和の潮流の飛躍的な発展を勝ち取らなければならない。
わたしたちはこれらの重要課題を支え、推進する一翼を担うために、2008年2月16~17日、「第11回 許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」を東京で開催する。
2007年、私たちは改憲手続き法など悪法の成立阻止をめざして全力でたたかった。追いつめられた安倍内閣は強行採決で臨まざるを得なかった。院外のたたかいが今後の運動の新たな局面を切り開くうえで重要な原動力となったことに、私たちは確信をもつことができる。2008年の新年を、力を合わせて改憲の逆流を打ち破り、創造的で、豊かな憲法運動を作り出す年にしようではないか。(事務局 高田健)
(編集部註)12月1日の講座で西野さんが講演した内容を編集部の責任で大幅に要約したもの。要約の文責は全て本誌編集部にあります。
「慰安婦」問題についての世界の関心は、これ以上の事実の確保、事実の確認を求めているわけではありません。この17年間に出された事実、被害者の方たちの証言以上のものを、また真相に疑いを持っているわけではありません。むしろ「慰安婦制度」は女性に対して犯された国家による組織的な暴力であり重大な人権侵害だということに尽きます。
被害女性たちは長らく「尊厳の回復」を訴え、「正義の実現」を繰り返し主張してきました。尊厳の回復は言い換えれば人権の回復であり、正義の実現は「慰安婦制度」という犯罪、そして戦後もそれに加害側が明確に向き合わず、責任もとらず頬かぶりしてきた、不正義が糺されてこなかった状況の中で、人権回復を求め「正義の実現」を訴えてきたわけです。
国際社会はこの被害者の声に注目し、彼女たちの壮絶な体験、その訴えが世界を動かしてきました。ここにまさに日本との意識のギャップがあると言えます。
国際社会が注目するのはなぜか。日本では本当に伝えられていないので、ただ人権、人権といってもピンと来ないかもしれないのですが、20世紀はまさに戦争の世紀で、人、社会が暴力によって破壊され、そしてまた失ったものはたくさんあった。人々の悲しみが次世代に引き継がれ、悲しみの連鎖が繰り返され、女性に対する暴力もさまざまな戦争、民族紛争のもとで繰り返されてきました。戦時性暴力は、ときにはレジスタンスへの報復あるいは脅迫の手段として、あるいは「戦利品」として兵士への「報償」として、あるいは性的欲求不満のはけ口として引き起こされた。
性暴力が拷問の手段として使われたのは、もう至る所にあるわけです。アブグレイブ刑務所でのイラク人男性に対する性的拷問がいっときニュースで流れましたが、あれもジェンダーの視点があり、実は同じように女性たちにすさまじいレイプによる拷問が繰り返されたことはまったく報じられていません。
自白強要のための性暴力もあり、またジェノサイドの手段として、性暴力は組織的、集団的、権力的、構造的に行われてきました。これはもう延々と繰り返されてきました。
90年代になり初めて「戦時下の性暴力」は戦争犯罪、人道に対する罪であると裁かれはじめた。国連による旧ユーゴとルワンダの戦犯法廷がはじめでした。
それまで、「戦争中にレイプなんて当たり前だ、それが戦争だ」という容認の仕方、黙認の仕方、沈黙がありました。しかし戦争だったら性暴力も犯罪じゃないのかといったら大間違いで、これもジュネーブ条約で禁止されています。陸戦の法規関連に関する条約で、慰安婦制度が展開された戦時中もありましたが、国際法にもジェンダーの問題がある。それは、「強姦は家族の名誉と権利の保護を侵害する」、つまり強姦は「家族の不名誉」だからいけないという規定です。まさに強姦が被害を受けた女性の人権侵害であるよりも「名誉」の問題として禁止されてきたことこそ、この性暴力が封印されてきた最大のジェンダーの壁であったと思います。ながらく戦時性暴力は不処罰という歴史を繰り返してきました。それが動き出したのが90年代でした。
世界に衝撃を与えたひとつが、いわゆるレイプを奨励し、強制妊娠を「戦術」とした旧ユーゴの紛争でした。「エスニック・クレンジング」の名のもとに強姦が奨励された。ボスニアのムスリム女性に対するレイプは、「大セルビア」という「正常な民族国家」樹立のためにユーゴからイスラム教徒を一掃する企ての中で、セルビア人勢力であるチェトニックの子どもを産ませることが民族を浄化する、という恐ろしい戦術、戦略として行われました。被害者は5歳から70歳までの女性に及び、レイプチャイルドも生まれています。この結果、子どもを産んだ女性はその子を捨てたり殺したり、あるいはすさまじいPTSDに耐えながら育てているわけです。この事件については1993年に設立された旧ユーゴ国際刑事法廷で裁かれるようになったわけです。
同時期に戦犯法廷で裁いたのはルワンダの民族紛争における性暴力です。ルワンダではツチ族を完全に一掃する企てのもとに700万人の人口の国で80万人が虐殺され、女性たちは組織的に強姦されました。多くは市庁舎とか市の建物の広いところでレイプされ、見つけ次第強姦しろといわれたという証言もルワンダ国際刑事裁判所の法廷で出されています。ルワンダでは強姦が集団を破壊する手段として使用され、集団の構成員のツチ族の女性を強姦した事件はジェノサイドを構成すると裁かれました。こういった状況が紛争の中で繰り返された。
一方、国家による組織的な性暴力は戦時下だけではなく、軍隊のあるところでは行われたと言えます。最近も沖縄の嘉手納基地での在米空軍兵士による性暴力事件、岩国での海兵隊員4人の性暴力事件もあった。米軍基地下の性暴力事件は繰り返し、繰り返し発生しています。
じゃあ平和維持軍ならいいのかというと、とんでもないわけで、この10数年だけを見ても平和維持軍が支援物資と引き替えに現地の女性をレイプした事件が繰り返されてきました。例えばリベリア、ケニア、シエラレオネでは、国連難民高等弁務官事務所がついに発表せざるを得なかった。リベリアの国連難民高等弁務官事務所、国際平和維持部隊の兵士、現地で働くNGOも含めて40の組織70人以上が食糧や支援物資と引き替えに現地の女性をレイプし、中には13歳、18歳の少女に性的虐待が行われ、10代で出産した少女もいることが明らかにされました。またケニアに30数年に渡って駐屯してきたイギリス軍では、1960年代から2001年まで最大2000人の性暴力被害があったことが明らかにされ、イギリスも一部調査するなんていっていましが、真相の全貌解明には至っていません。コンゴでも国連監視団、数万人のPKOや文民要員も含めて、支援物資と引き替えにコンゴの少女たちに性暴力がおこなわれていたことが報じられています。7歳の少女がビスケットと交換に性暴力を受けたり、たった3歳の少女が「幼い子どもを強姦すればエイズが治る」という迷信のもとで1年に2回も強姦され、結局その子は泌尿気管が傷つけられ、おしっこが我慢できなくてお漏らしをしてしまうようになっています。2000年に東京で開かれた女性国際戦犯法廷で、南京虐殺下7歳で性暴力を受けた楊明貞さんが、両親が虐殺され彼女はまだ小さな子どもだったのに性暴力を受けた。彼女が「私の人生はおむつなしではいられなかった」と訴えていたことの意味を思い浮かべます。
国際社会では、90年代に暴力はまさに人権侵害だということが大きな動きになっています。1993年ウィーンで行われた国連世界人権会議、1995年の北京女性会議、こういった国際的な潮流の中で女性の人権は大きなうねりをつくりあげた。そのうねりの中で慰安婦問題がいかに重大な人権侵害であるかという意識を持ってきている。ところが日本の中ではなかなか報道もされないし、国際社会の人権感覚が入っていません。
今日は、日本の意識ギャップに焦点を当て、慰安婦問題について、日本は過去の加害を認め、責任を認め、明確な謝罪をすることをなぜこうも拒むのか、「謝罪の抵抗」の正体は何かを考えたいと思います。
先週、オーストラリアの総選挙で、京都議定書の問題とイラクからの撤退を掲げた野党労働党が勝利しました。これは国際社会の中では衝撃を与えたと思います。日本だって、民主党が参議院選で勝利し、この給油新法に歯止めをかけている。こういった動きを見ても、「反テロ」の名のもとでの戦争の正義化、あるいは自由と平和の名のもとに仕掛たイラク攻撃の破綻が国際社会の中で浮かび上がり、戦争を主導するブッシュへの追随国家からの脱却も始まっているんじゃないかなという期待をこめた地殻変動の始まりを感じています。
この地殻変動は、日本政府に明確な謝罪を求める決議がアメリカ下院で可決されたことにもかいま見ることができます。この決議採択をブッシュはいやだったわけですけれども、この下院決議は実はブッシュの力さえ及ばなかった結果だったといえます。
下院決議は7月30日アメリカ合衆国連邦議会下院本会議で可決されました。日本政府に明確で公的な謝罪を求めるというのがこの決議の中心的な部分です。1996年からアメリカ議会では日本の戦争犯罪に対して決議が出されています。1997年には慰安婦被害者への賠償を含む決議案が出され、2001年には慰安婦問題に特化した決議案が民主党のレイン・エバンス議員により提出されています。
ところがこれまでそれが採択されなかった。しかし昨年、民主党のレイン・エバンス議員が中心となり下院外交委員会で「慰安婦決議」が可決されました。これは本会議にかけられれば可決間違いなしといわれていたのに、すさまじいお金を投じて日本政府はこの決議採択阻止のロビーイングを行った。昨年は強硬派といわれる共和党のハスタート議長のもと、本会議の議題に提出されず廃案になってしまいました。
転機になったのは昨年秋の選挙で民主党が勝利し、下院議長に民主党のナンシー・ペロシさんが就任した。外交委員会の委員長にはホロコーストの被害者、生存者であるトム・ラントスさんが就任する、つまりアメリカの議会の構造が変わったわけですね。
そういう民主党の勢いを背景に今年の1月31日、カリフォルニア選出の民主党のマイク・ホンダ議員がレイン・エバンス議員から引き継いでこの慰安婦決議案を提出しました。レイン・エバンス議員は議員を引退され、マイク・ホンダ議員がその意志を引き継いだのです。すったもんだの攻防戦の果て、6月26日に外交委員会を通り、7月30日には本会議で満場一致で可決されました。最後は、何と民主党、共和党、超党派168名を提出議員に名を連ねることに成功した。
アメリカの下院はここまで本気でこの決議に向き合ったといえます。
この決議が日本政府に求める4項目は、1つめが、明確で公式に慰安婦問題の事実を認め謝罪をすること、2つめが日本の首相が公式な声明を通して謝罪をすること、3点目がよく日本では慰安婦は公娼だとか商行為だとか強制していないとか「歴史修正主義」の言論が絶えないわけですけれども、そういったリビジョニストの言動に対して日本政府が明確に公的に反駁しなければいけない。ドイツではリビジョニストは犯罪で、法的に規制されているけれど日本は野放しになっているわけで、きちんと日本政府として反駁せよということです。そして4点目がこの間1992年から国連人権委員会で慰安婦問題が取り上げられ、国連人権委員会はじめ女性差別撤廃委員会、国連拷問禁止委員会、ILO条約適用専門家委員会それからアムネスティとか民間機関もそうですが、国際社会は数々の勧告を出してきました。しかし日本政府は一度たりとて向き合ったことはありません。そこで日本政府はそういった勧告に向き合いそして未来の世代に向けた教育をしなければいけない。この4項目がこの決議の中身です。つまり「賠償せよ」とは言っていないんですよ。本当に「謝罪」に焦点化した内容でした。
今年1月31日に出されてから、安倍首相をはじめ自民党とか民主党もそうですが、声明を出したりワシントンポストに全面広告で意見広告を出したり、本当にすさまじい反論を繰り返していきました。そういったいかなる反論にもこの下院決議は最後まで頑張ったという見方もできますが、この決議は2カ所修正が入りました。4項目の2項目目、これは最後の採決で修正された内容です。もともと修正案は「日本政府は、この公式謝罪が日本国総理大臣により、総理大臣としての公的声明を発表する形で行なわれるようにすべきである」と強い口調でした。実際採決されたのは「もし日本の首相がそのような謝罪を、首相としての資格で公式声明として発表するならば、これまでの声明の誠実さと位置づけについて繰り返されてきた疑問を解決する姿勢を示すこととなるであろう」です。それまでのダブルスタンダードとか謝罪の不信を解決していく信頼回復につながるだろう、という書き方に緩和されました。
もう一点修正されたのは前文です。前文で日米関係の重要性を強調する文章が入れられました。「日米の同盟関係はアジア太平洋地域における米国の安全保障利益の礎であり、また地域的安定・繁栄にとって基本的なものであり、冷戦後の戦略的展望の変化にかかわらず、日米同盟は、政治的経済的自由の保護促進、人権・民主的制度への支援、両国ならびに国際社会の人々のため繁栄を確保することなど、アジア太平洋地域における共通の重要な利益と価値に基づくものであり続けるもの」、つまり日米同盟は重要だということをあえてここに入れました。
この修正の背景には日本政府の強力なロビーイング、とりわけ日米同盟をめぐる決議への脅しがあったので、それが影響を与えたと思います。
外交委員会の採決は当初3月といわれていました。ところがいつまでたっても採決される気配がみえない。そのうち安倍さんがアメリカに来るので、日米首脳会談が終わってからということになり、結局6月に外交委員会で採決されたわけです。日米首脳会談が行われた4月26日、めずらしく日本でもすごく報道しました。安倍首相がブッシュ大統領に謝罪をしたという報道でした。安倍さんは「慰安婦の方々にとって非常に困難な状況の中、辛酸をなめられたことに対し、人間として首相として心から同情している。そういう状況に置かれたことに申し訳ない思いだ」と言った。ブッシュ大統領は「首相の謝罪を受け入れる。大変思いやりのある率直な声明だ」と発言したと報じられた。
なぜかこれが安倍さんの「謝罪」ということでメディアは報じました。産経新聞は大見出しでこうつけました、「慰安婦問題 大統領『謝罪受け入れ』日米首脳会談」。これは「なんじゃあ」と思うけれど、安倍発言をとにかく謝罪として位置づけようという意図がみえる。もうひとつ重要なのはブッシュ大統領がそれを受け入れたことを流した。
これが何で謝罪かということはもとより、「謝る相手が違うだろう」という批判、そして「同情」とは謝罪なのか、さまざまな批判が各国からわき起こり、そしてこの謝罪劇は意図から外れ、むしろ採択に向けて追い風になっていった。このあと支持議員はどんどん増えて、採択を阻止する側に非常に逆効果だった。この謝罪劇と産経新聞の謝罪報道には非常な政治的意図が感じられました。
安倍訪米は謝罪が目的ではなく、最大の目的はゆるぎない同盟関係の確認と強化にあったわけです。安倍首相はブッシュ大統領に戦後民主主義を覆すこと――戦後レジームからの脱却は戦後民主主義の否定ですから――を宣言しました。今となってはどこかに消えた懐かしい言葉のようになってしまったようですが、安倍さんがやったことは現実にさまざまなかたちで残っています。ひとつは教育基本法改悪体制の全面化。まさに愛国心の名のもとに子どもたちの教育から国民統制を法制化していくのがひとつ。ふたつめは安全保障。集団的自衛権行使を現憲法のもとでもやっていくのに彼は非常にこだわった。そしてみっつめは憲法改悪、9条改悪が最大の目標だった。「手みやげ」として持って行ったのが9条のもとでも集団的自衛権行使を可能にする研究の推進です。安倍首相の謝罪劇はまさに日米同盟の強化を背景とした安倍・ブッシュによる巧妙な決議阻止の伏線であったのではないだろうかといまにして思うわけです。
11月9日、共同通信が面白い記事を配信していました。それは、安倍前首相が「慰安婦は強制はしていない」と、あの慰安婦否定発言が繰り返された後、シーファー駐日米国大使が日本の高官らに会って「これはまずい」と言った。安倍さんの発言がこれ以上大きくなれば北朝鮮の日本人拉致問題に対しアメリカがこれ以上支援しにくくなる、「何とかしろ」と言った。そしてシーファー大使は、日米関係がこの歴史認識の問題で危険水域まできているということを言ったと報じました。
このシーファー警告が伝わった後、安倍首相は当時の塩崎官房長官、麻生太郎外相らと論議し、その結果、河野談話継承を強調していこうということになったと報じられた。河野談話は都合のいいときばかり使われる道具になっていると思うけれど、安倍さんが「河野談話を継承しています、しかし日本は強制していません」と言えば言うほどダブルスタンダードが露骨になり、これまた逆効果でした。どんなに取り繕おうが、加害性に向き合わない限りこの矛盾を解消することはできません。こういった報道から振り返るとブッシュの圧力がそこにみえてきますし、それもまた決議採択の追い風になりました。
日本政府の、そして一部の超超超タカ派の動きを見たときに、その日本の姿は「謝罪への抵抗」ということが言えます。この謝罪への抵抗は、当初は強制への否定でした。ところが次第に本音がむき出しになり、日米同盟を楯にした反論が前面に出されてきました。平沼赳夫元経済産業相、あるいは自民党の島村さん、民主党の松原仁さんとかが集まって声明文を出しました。そこには「このような事実に基づかない対日非難決議は、日米両国に重大な亀裂を生じさせ、両国の未来に暗い影を落とす」と書いて、つまり脅しをかけた。
これを皮切りに日米同盟に亀裂を生じると、日本側では盛んに言うようになりました。その頃、やはり日系人でハワイ州選出のダニエル・イノウエ議員が、日米関係に悪影響をもたらすといってマイク・ホンダ議員の決議案に反論を、下院のトム・ラントス外交委員長とか複数の関係議員に書簡を出した。ですからこの頃決議阻止で動いた背景に事実の否定だけでなく、水面下では非常に日米同盟が楯にされたわけです。
決議が採択された後、日本のメディアの論調がまさにここに行きました。日本経済新聞は「過剰反応を見せる必要はないが、日米関係に及ぼす悪影響には目をつぶれない。これで米国での対日イメージの悪化と日本国内での反米感情につながって両国に有害な結果をもたらすだろう」。読売新聞は「明確に事実誤認にもとづいている。法的拘束力はないがそれでも見過ごせない。誤った歴史が独走すれば未来の米日関係に禍根を残すだろう」。フジサンケイは 「この決議が今後、日米間ののどに刺さったトゲとなるだろう。慰安婦決議に関してアメリカ下院ごときに何を言われようとも謝罪をする筋合いはない」。こういうことをメディアは延々と流す。誰もが慰安婦問題はどうなっているとか、どこまで資料が見つかっているとか思い始めてしまい、こういう情報を与えられると世論に確実に影響を与えられてしまいます。
決議の修正は、日米軍事同盟を巡る議論によって採択が阻止さないようにするための先手であり、それほどまでして下院ではこの決議を通そうとした。
なぜなのか。決議が出されて以降、日本から出た否定論は、まず1つは安倍さんの発言に象徴される「軍による強制を示す証拠はない。だから、軍による強制連行はなかった」です。2つめはこれも安倍さんが言った「間に入った業者の強制という狭義の強制はあったけれども軍はやっていない」、つまり強制したのは業者だという業者への責任転嫁です。3つめが、これも安倍さんです。「慰安婦狩りのような官憲による強制連行があったと証明する証言はない」。つまり被害者は証言しているけれど、誰の目撃証言があるか、「被害者の証言を証明する証言がない」という証言の否定。4つめがワシントンポストへの意見広告「THE FACT」の中でもいわれていましたが、「慰安婦」は性奴隷ではなく、商行為の女、いわゆる売春婦と彼らはいうわけです。「商行為として日本軍の責任を無化する」という、この4点にまとめることができます。
こういう否定論をもって加害を認めることに抵抗し続けてきた。これが実は日本の軍事国家化、戦争国家化と関係しています。慰安婦攻撃の激化、あるいは教科書の記述に対する攻撃は、1996年の中学歴史教科書全社に慰安婦が記述されたことがわかった検定結果の発表から表面化してきます。その同じ時期に日本の戦争国家化がどんどん法制化され、「国旗・国歌法」、メディア規制法などもその中で着々と進められてきました。この決議に抵抗してきた政治家たちは、戦争ができる国づくりのために過去の戦争を美化し、「皇軍」を正義の戦争の軍隊であったとし、南京虐殺や慰安婦はでっち上げあるいは「まぼろし」であるといい、慰安婦の軍関与や強制性を否定してきた人たちでした。
アメリカ下院決議への抵抗は、過去の戦争の美化の流れの一環にあり、愛国心を鼓舞し国民意識の国家統制を図り戦争国家に歩みを進める、日本の憲法9条改悪の動きに連なっているものです。
安倍さんとか中川さんが立ち上げてきた、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が声明を出した。その中で「いわれなき非難に対しては毅然として反論すべきである。これは日本人の尊厳を守り、先の大戦で犠牲となられた多くの兵士や一般国民の名誉のためでもあり、そうした先人のおかげでいまこの日本で平和に暮らしている私共の責任である」。かつて小林よしのりさんが「新ゴーマニズム宣言」の中で「お国のためにたたかって死んでいったじっちゃんたちを強姦魔にするのか」というように漫画に書いて反論したことがありました。そういうことを思い出します。つまり彼らの「謝罪への抵抗」の本質は「皇軍の名誉」、過去の戦争の肯定に結びついている。過去をそこまでしがみついて美化するのは、いまそしてこれからの日本の世論が戦争に対してアレルギーを持っては困る、日本軍にアレルギーを持っては、これから「日本軍」をつくれない。
憲法改悪、自民党の新憲法草案を見ても、軍隊を持つ国の前提として軍隊アレルギーを払拭しなければいけないわけで、みんなそういうことに結びついていると思います。
今回のアメリカ下院決議は、ある意味では日本政府のダブルスタンダードへの批判ということも出来ます。1993年河野官房長官談話が発表され、歴代総理・内閣が河野談話を継承してきたわけです。河野官房長官談話の時にはもう軍関与は認め、それを前提とした上で、軍の強制を認め、謝罪し、反省を表明し、そして「われわれはこのような歴史の事実を回避することなくむしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれはこのような問題を長く記憶に止め同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意をあらためて表明をする」と、ここまで表明したわけです。
この表明をその後政府はきちんと向き合い、進めていればこの90年代そしていまを迎えることはなかったのに、河野談話の一方で93年、同じ年の8月、歴史検討委員会が設置されました。この歴史検討委員会は自民党の大物、影響を与える議員たちで設置された。中心メンバーは南京とか「慰安婦」とかを否定をし続け、あの戦争がアジア解放の「良い戦争」だったと言い続けて来た議員たち、板垣正、奥野誠亮、橋本龍太郎、梶山静六、塩川正十郎、鈴木宗男、中山太郎、森喜朗、片山虎之助、村上正邦、それから歴代の文部大臣とか派閥の領袖など自民党の幹部です。大物議員とともに委員としてこの中に参画してきたのが、次に表面に出てくる安倍晋三、衛藤晟一、河村健夫、中川昭一、平沼赳夫といった人々です。
歴史検討委員会が93年8月、つまり河野談話と同じ時に設置され、解散したのが1995年、戦後50年です。解散時に「大東亜戦争の総括」を発表して解散、その総括を受けて動き出したのが安倍さんや中川さんです。その総括は5点あります。第1点が「大東亜戦争」は、自存・自衛のアジア解放戦争で侵略戦争ではなかった。2点目が南京大虐殺や「慰安婦」は事実ではない。3点目は加害・戦争犯罪はなかった。4点目が侵略戦争や加害の記述を教科書から削除させるための「新たな教科書の闘い」が必要である。そして5点目が学者を中心に国民運動を展開する。いままで教科書問題は文部省への圧力のかたちだったが、「市民運動」にしなければダメだということで右翼の側のかたちが変わったのはこの時です。つまり官・学・民、三位一体で国民運動のかたちをとって教科書攻撃を始めた。これがある意味では「大成功」というか大影響を与えた。この総括を受けて1997年1月、国民運動として「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」も発足し、そして「つくる会」と議連が一緒になって「慰安婦」記述攻撃を展開していきました。
ですから戦争国家化の動きは、まさに加害の記憶の否定と両輪で推し進められてきたと言えます。NHKの番組に対して安倍さんや中川さんたちが圧力を加えたあの事件は、実は教科書問題の一環です。2002年度版中学歴史教科書、「つくる会」が登場して2000年はもう大騒ぎでした。安倍さんたちはその頃勢いを増して攻撃を続けていました。結果として2002年度版中学歴史教科書は4社から記述が後退することになりましたけれど、あの時に、その勢いで安倍さんたちはNHKにもいろいろ言ったわけです。高裁ではNHKはあの議連のメンバーの意を「忖度」するかたちで改ざんし、編集権を逸脱したという判決が出されました。NHK裁判では、本当に驚くような事実が出てきました。中川さんは衆議院会館の自分の議員室で会って、証拠がないので、会ったのは放映の後だと言っていますが、国会で彼らが答弁に立ったときも矛盾ばっかり言っている。こんな番組つくるのはダメだといったと言いながら、いやあとで見てわかったんですと言い換えている。でも議事録は全部それが載っていますから彼が事前に会ったことは明らかです。
安倍さんが否定できなかったのは、彼は当時官房副長官で官邸だったからです。官邸は面会の記録が残るわけで、安倍さんは事前に会ったことを認めざるを得なかった。ほかにも亀井さんや何人かに会ったことも裁判では明らかになりました。
NHKの問題をみているとオンエアの4時間前にまた削除命令が出て、中国人の女性のところと東チモールの被害者のところと元日本兵の加害兵士の証言をカットしたんです。カットすると音やナレーションを全部入れ替えなくてはいけなくて、もう間に合わなくて実際オンエアされたのは口と音がずれていたりしてぼろぼろ状態だったわけです。その背景がこの裁判の中で明らかになりました。本当に彼らがやりたい放題のことが行われたのが、過去に向き合う時の「空白の10年」の出来事でした。そしてそれが日本のさまざまな悪法が通り、また悪法が出されてくる10年でもあったわけです。
このアメリカ決議の後、国際社会は大きく動き出しました。フィリピン議会では上院・下院に「慰安婦決議案」が提出されました。否決されたもののオーストラリア上院にも日本政府に公式謝罪と補償を求める決議案が提出されました。メディアでは大差で否決されたみたいに言われますが、実際は一票差です。カナダ下院では「正式な謝罪をする国会決議と公正な補償を提供することを日本政府にカナダ政府が要請しろ」という動議が提出された。カナダでは、11月28日に下院で「慰安婦問題」を巡り日本政府に謝罪などを求める決議案を全会一致で採択しました。ここにもまたバネが働いています。この決議は、日本政府に公式で誠意のある謝罪をするよう、そして完全な責任をとるよう求めるものです。
日本政府は国民基金をやっていることをロビーイングですごく強調していて、国連でもそれをやってきましたから多分それが盛り込まれ「日本は敗戦後過去の行為を償い国連を通して国際平和に貢献してきた」ということを明記させられたわけで、そういう意味では当初の決議案よりトーンダウンし、しかも当初の決議案には教科書に慰安婦問題を明記せよという部分があったんですがこれもカットされました。そういうことはありましたが、カナダでも謝罪決議は通りました。オランダの下院本会議でも11月20日、慰安婦被害女性に謝罪、賠償等を求める決議案が全会一致で採択されるということで、国際社会はこの問題に対して大きな動きをいまだ見せ続けています。
日本では日本ばかりが目の敵にされているみたいな言われ方がされますが、国際社会はクマラスワミ報告にしてもマクドゥーガル報告にしても、各国のいろんな人権侵害などを指摘し、日本の部分では「慰安婦」というかたちで取り上げています。これは93年から国連人権委員会で取り上げられてきました。私にとって大きな影響を与えられたのは1993年、国連人権委員会の下の小委員会である「国連・差別防止・少数者保護小委員会」の特別報告者であるテオ・ファン・ボーベンさんが「人権と基本的自由の重大な侵害を受けた被害者の原状回復、賠償および更生を求める権利についての研究」というタイトルの最終報告書を出しました。これが市民運動に本当に示唆を与えてくれた報告書でした。
日本では人権侵害とか被害救済とか原状回復という認識はまだ十分に持っていませんでした。戦後補償運動に取り込むといっても、めざす姿がなかなかみえてこなかったけれど、この中でガイドラインというかたちで明確に示されました。人権とか基本的な自由を侵害した場合はいかなる国家であっても被害回復義務を負う。つまり慰安婦裁判では、「除斥」(時効)、あるいは国家無答責 国際法は国家と国家の間の問題であって個人に請求権はないとか、いろんな理屈をつけては法が被害者の人権救済の壁になってきたわけです。しかしテオ・ファン・ボーベンさんの報告は、そうではない、とにかく人権とか基本的自由を侵害した行為に対してはすべての国家が被害回復義務を負う、つまり被害回復責任には時効はないということです。そしてこの被害回復は「被害者の苦しみを救済し正義を与えることを目的とする」、そして被害回復は「被害者の必要と要望に応じるものでなければならない」、そして被害回復には「その被害を与えた違反者を訴追し、処罰する義務が含まれる」という責任者処罰の考えです。慰安婦問題における責任者処罰というのは2000年に民衆法廷として女性国際戦犯法廷を開きましたけれども、実は国連の勧告の中で言われ続けてきたことです。
謝罪とか賠償とか真相究明だけではなく、犯行者の捜査、訴追、責任者処罰はずっと指摘されてきました。北京女性会議のときにも戦時性暴力の解決には三つ必要だと、ひとつは十全な真相究明、ふたつ目が十全な謝罪と補償、みっつ目が十全な犯行者の捜査、訴追です。ところが日本では何で今さらかつての戦争のときの犯罪者を捜査して処罰なんかするのかと、本当に受け入れられなかった。なにを今さら天皇の戦争責任かと。女性国際戦犯法廷を準備する中で、日本がなぜ過去に向き合えないのかがみえてきたひとつは、天皇の戦争責任に向き合うことに対する強い抵抗でした。それは市民運動に関わっている人の中にも、むしろ戦後補償運動の邪魔になるとまで言った方さえいたくらいに非常に根強い抵抗がありました。けれども大日本帝国陸海軍大元帥、最高責任者の戦争責任が裁かれなかった。そのことに日本の戦後責任への向き合いの弱さの出発点があるということを忘れてはならないし、そこに戻らない限りは日本の戦争責任は「敗戦責任」だということになりかねないわけです。日本の被害だけを強調するのではなく、日本がアジアで何をしたのか、あの戦争は何だったのか、そしていまもなお加害を与えたことで苦しんでいる人たちにどう向き合うのかということなくして戦争を総括することもできないと思います。このテオ・ファン・ボーベン報告はまさに人間の基本的人権、基本的自由の視点を、慰安婦問題の解決に与えたという意味では非常に大きな意義のある報告書でした。
その後93年のウィーンの世界会議とか94年にICJ(国際法律家委員会)が報告書を出したり、有名なクマラスワミ報告とかマクドゥーガル報告などがどんどん続きます。このファン・ボーベン報告はガイドラインとして2005年に国連総会で採択されました。つまりこのアメリカ下院決議は慰安婦問題を重大な人権侵害ととらえる国際社会の関心の流れの一環であって、この人権感覚のギャップが日本の世論の中でなかなか出口がみえてこないひとつの壁ではないかと感じます。
アメリカの外交委員会で決議がなされる日、下院の議会で自分たちはなぜこの問題の決議を採択するのか、それぞれの議員が意見を言ったんです。どれも印象的なものでした。
ひとつだけご紹介します。ニューヨーク選出のアッカーマン議員です。「私が7歳半のころ移民の母はブルックリンから私たちを救い出すために弟と私を山に連れて行ってくれました。バンガローに移ったのですが、そこには腕に入れ墨を入れたような集団がいました。彼らはいったい誰なのかと母に聞くと母は、あの人たちは難民の人たちだ、と教えてくれました。実は彼らはナチスのユダヤ人強制収容所から救出された人々だったのです。しかし彼らは決してホロコーストのことについて話すことはありませんでした。何年もの間私はホロコーストについて耳にすることはありませんでした。彼らは自らの体験について語ることができなかったのです。ながい間自らの抹殺に向き合ったあと70年代、80年代になって彼らはようやくホロコーストについて話すことができるようになりました。それまで話せなかったのに突然話せるようになったのです。『沈黙の壁』を破ることができたのです。私たちはホロコーストについて考えるときユダヤ人が解放の歌を歌いながらガス室へ行進する姿を想像します。歌を歌っていたのだから、というけれども彼らは歌わされていたのです。
日本の慰安婦とされた女性たちも強制収容所に入れられたユダヤ人の人たちと同様自ら慰安所に入ったわけではありません。私たちはとても欧米主義です。私たちはアジアで起こったことに目を向けてきませんでした。忘れてはなりません。そして赦すことができるのはまわりの世界ではありません。この問題を赦すことができるのは被害者だけです。被害者はじきに亡くなってしまうでしょう。歴史において次に進むためにも私たちはいま、決議に向き合わなければなりません」。ほとんどの方が自らの体験として人権の問題を語りながらこの決議の重要性を語りました。
そういう中でこの決議について中心的に動いたマイク・ホンダ議員、彼は決議が採択されたあと、「この下院決議の可決は被害を受けた女性たちにとっての癒しのプロセスにおける重要な一歩を画するものだ」、「私は投票のあとで李容珠ハルモニを抱きしめながら、和解と癒しのプロセスが始まったことを目撃した」と言われました。このとき李容珠ハルモニは、喜んでインタビューに答えて「やっぱり正義は勝つんだ、そしてこの決議の採択はアジアの被害者たちに癒しのプロセスを与えてくれるだろう」とコメントしたんです。その喜ぶ姿、コメントをみながらマイク・ホンダが李容珠さんを抱きしめながら、まさに被害者の姿を「和解と癒しのプロセスが始まったことを目撃した」と証言されたと思います。
今年は南京虐殺70周年で、世界の各地で南京虐殺のシンポジウムが行われました。その皮切りがアメリカのワシントンで私もパネラーとして参加しました。ワシントンまで行くんだからと、マイク・ホンダ議員にインタビューしました。そのときにマイク議員が言われたのはやはり自らの体験でした。彼は日系人強制収容の被害体験、まさに当事者です、赤ちゃんでしたけれども。そしてその後、この日系人強制収容の謝罪補償法を実現することに頑張った方でもあるわけです。
1942年3月から1944年にかけてアメリカ政府は日系人に対して強制転住を命令し、アメリカ国内10カ所の強制収容所に収容しました。命令が出てから1週間で立ち退かなければいけなかった。当時の写真を見るとユダヤ人たちが着の身着のままバッグを持って連行されていくような、日系人が追い立てられている写真を目にします。これは1942年2月19日にルーズベルトの大統領命令として出されました。しかしこの日系人の退去命令は、実は軍事的な安全保障ではなく、本質的には日系人に対する人種差別であったことがあとで明らかにされます。日本人は敵性人種であるという考え方に立ち、国籍ではなく日本人の血を引く人種を問題とした政策でした。日系、アジア系に対する人種差別だという視点と告発が高まったのが60年代、アフリカ系アメリカ人による公民権運動のうねりの中で日系アジア人たちも立ち上がり、日系人強制収容の不正義を明らかにしていきました。当時、白人、ドイツ人やイタリア人は帰化法でアメリカ国籍をとることができていた。しかしアジア系の移民の帰化は認められておらず、2世、3世の中には二重国籍を持っている人がいてもアメリカ人として認められることはなかったんです。こういうことも運動の中で明らかにされていきました。
ところが、アメリカは1948年にすでに日系人強制収容の補償法を制定しています。戦後3年で。ところがこの補償法は動産、不動産に対する損失補償であり、強制収容の政策が誤っていたことを前提にしていませんでした。その後も日系人強制収容はおかしいこと、そして補償が必要なことはどんなにいわれても、アメリカ政府がやるはずがないというあきらめもありました。しかし60年代の運動の中で日系人の意識が変わっていったわけです。アジア系アメリカ人が立ち上がったひとつにはアメリカ社会のマイノリティが自己実現していくたたかいにおいて、過去の過ちは非常に大事なことだったわけです。
補償法は2段階論法というのがあります。日本でも「戦争被害調査会法を実現する市民会議」があって、この運動を非常に参考にしました。まず、さまざまな公聴会を開いたりして何が起こったのかを知り真相解明をする。その次の段階として補償法に展開していく。この2段構え論がこの日系人強制収容補償法でとられたもので、調査委員会の設置がなされ、アメリカの各地で証言集会や公聴会が開かれ、調査結果は委員会勧告として議会に提出されました。実現したのは1988年、レーガン大統領のときでした。12万人の日系人を強制収容したことに対してアメリカ政府は謝罪し、ひとりに対して2万ドルの補償を実現しました。マイク・ホンダ議員はこの意味を、いわゆる「リドレス」とは何かを強く言われた。日系人の強制収容についてはワシントンにメモリアルパークみたいなスペースがあります。ワシントンには戦争の記憶、第二次世界大戦だけではなく朝鮮戦争とかベトナム戦争とか、歴史観はともかくとしてさまざまな戦争のスペースがあります。エノラ・ゲイを展示しているところもある。日系人強制収容のところでは、二羽の鶴が有刺鉄線で絡め取られている像が真ん中に立っていて、まわりは塀があって収容所の名前が全部刻まれています。そして池みたいなのところの淵に刻まれているのは「われわれは過ちを認める。国として法の下では平等であることを断言する」という言葉です。
日系人強制収容について1988年に制定された「市民的自由法」の補償は、人間の苦しみに対する補償であるであるということです。リドレスは、それが過ちであったことを認めることが大切で、認めた上で糺していく。正義が正しく機能しなかったことに対して、補償することによってあやまりを糺していくことが大事で、ただお金をあげることでは補償ではない。これは国民基金に言いたいことですけれど、金銭補償はリドレスではありません。
もうひとつ重要なのは、未来に同じ人権侵害が繰り返されないことの保証です。日系人強制収容はアメリカ合衆国憲法違反であることを認めました。アメリカ憲法にはいかなる人も法の正当の手続きがないままに生命とか自由とか財産を奪われることはないと規定していたにもかかわらず、日系人強制収容はそれを侵害するものであった。つまり日系人に対して認めた補償は憲法上の権利侵害に対する補償であったわけです。そして将来においても憲法に保障された権利が守られる、日系人だから、アジア系だから差別するという不正義がおこなわれないための補償、それが合衆国と憲法に対する信頼性の回復と維持につながる。
こういう話を聞いていると、アメリカ下院でなぜ決議が採択されたのか、という疑問はみえてくるんです。私たちは人種だの国籍だの民族だの、自分を中心としたさまざまなカテゴリーの中で他者との関係性をつくろうとするけれど、そういうものを突破したときに、そこにみえてくるのは、いかなるものにもとらわれず人間というのは人権というのは人間の基本的自由というのは尊重しなければいけない、侵害しても侵害されてもいけないものだ。そして過ちは回復されなければいけない。それは被害を受けた人の被害回復もあるし、加害を与えた者の加害責任としての過去の克服もあるわけで、それぞれがなされなければいけない。その考え、主張が強く流れていることを感じました。
ジョージア州のスコット議員が、議会の議論の中で「非常に不思議なことがある、日本はどうして『ごめんなさい』というそのひと言が、素直に謝ることが、なぜこんなにも困難なのか」といわれた。日本は何度も謝罪しているのに何度言わせるのかというけれど、あれは謝罪ではないわけです。ファン・ボーベンさんの中にもあったけれども、謝罪というのは被害者の心に届かなければそれは謝罪ではない。日本が、慰安婦問題の解決の入り口として、謝罪ということに向き合わない限りは次には進めない。「この国の奴隷の子孫として言いたい、ごめんなさいと言うことにはとても大きな意味があるんだ」と言われました。
インドネシアでのスマラン事件は、判決で慰安所設置の責任者の岡田少佐に死刑判決が出されたBC級戦犯裁判として慰安婦制度を裁いたひとつの裁判でした。被害者のオランダ人のオハーンさんは93年に日本で開かれた国際公聴会に来られたとき、レストランのボーイさんたちの姿を見て日本兵の姿とオーバーラップしてフラッシュバックを起こして食事を摂ることもできなくなってしまった。彼女はついたての陰に隠れて証言しようとしていました。しかし韓国の女性たちが顔を出し、実名を名乗って自らの被害を告発している姿を見てオハーンさんはついたてから出て、前に告白していたお嬢さんと一緒にいらして、マイクの前でお嬢さんの手を握って顔をあらわし実名を名乗り語られました。私もそのとき会場で聞いていましたが、性暴力を受けた被害者がその体験を語ることは本当に辛いこと、苦しい、大きなことだということを感じました。そのオハーンさんが女性国際戦犯法廷に参加され、元日本兵の証言を聞いた後で話されました。
法廷では中国の山東省にいっていた鈴木良雄さんと金子安次さんが証言されました。日本の慰安所はだいたい兵站につくっていた。ところが前線の部隊には、兵站にいる慰安婦たちをトラックで運んで前線を回っていく。部隊のスペースを毛布で仕切り、ひとつひとつの空間に慰安婦をいれて相手をさせそして次に行く「移動慰安所」と金子さんは言いました。金子さんはその警備をやったことがあるんです。その体験や、作戦中に強姦や輪姦が当たり前だったことなど、伝聞ではなく自分が何をしたか話され、そのことについて謝罪を述べられました。それはあまりにも生々しくて、ふたりの証言を被害者の方はどう受け取るか心配だったんです。
検事が「あなたたちはなんでここに来てそこまでいうのか」と質問されたときにおふたりが言われたのは、私たちも性暴力のことは話したくない、今日は妻にも黙ってきた。でも、もしこのことを語らなかったらば無かったことになってしまう、そう思い立って出てくる決意をした。「恥を忍んでここに出てまいりました」と最後に言われました。
これには判事団も圧倒され、マクドナルド裁判長もただただ「ありがとうございました」を繰り返したんです。被害女性たち60余名に感想を聞きました。そしたらオハーンさんが「私はようやくこれで日本兵を赦せる気持ちになった」と言われました。あれだけ公的な場で、伝聞ではなく自らの体験を語り、そして彼は赦しを請うた、それで私はようやく心のつかえがとれて日本兵を赦す気持ちになった、というその言葉は非常に印象的でした。
本当の心からの謝罪、過去の加害の事実を認め詫びるというそれは、半世紀という苦しみを経た被害者に赦しの感情を芽生えさせるということを思いました。そして多分、その赦しが彼女たちにとっては癒しではないか、国民基金は今年3月末日で終わりましたが、この前後から盛んに「和解だ、和解だ」と言われるようになりました。
しかし私は和解というのは誰が言う言葉なのかと思います。やっぱり和解というのは被害者が言うことであり、それは過去の本当の謝罪とか真相究明とか責任の向き合いなくして、それを飛び越えてなぜ和解なんていうことをいうことが出来るのかと強く思います。
過去の向き合いに重要なのは、とにかく謝罪、「悪かった」と心の底から言ってほしい、それを待っているということです。謝罪とは何かということです。この慰安婦問題の犯罪というのは何だったのかという問題に、もう一度日本はきちんと向き合わなければいけないのです。
戦時性暴力、女性に対する暴力は人道に対する罪としていま、国際刑事裁判所(ICC)では裁かれるようになりました、ローマ規程に明記されました。過去には遡及できないので、慰安婦問題はICCでは機能しないのですが、慰安婦とか性暴力、性奴隷は人道に対する罪です。
人道に対する罪というのは「crime against humanity」、つまり人間に対して犯された犯罪、人間の尊厳に対して犯された犯罪、人間そのものに犯された犯罪であり、その被害は回復されなければいけない、その加害に対して向き合わなければいけないということを強く思います。
アメリカ下院議長のナンシー・ペロシさんは「彼女たちはあまりに長く待たされてきたが、その勇気を認めるのに遅すぎることはない」と言いました。日本は慰安婦問題が浮上してから責任回避をしつづけ17年になります。60代だった彼女たちはいま80代になってしまいました。みんな具合が悪くなって、もう日本に来て証言できる方は数えるほどなってしまいました。本当に待たせすぎている。女性たちは生きている間に尊厳の回復をしたいと言い続けてきたけれども、ぎりぎりのときにいま来ています。しかし待たせたけれど、でもごめんなさいということ、心からの謝罪に遅すぎることはない。被害者がいなくなってしまってからでは日本はそのチャンスを失ってしまいます。
慰安婦問題の解決に向けて「オール連帯」が立ち上がりました。その「オール連帯」は運動として何段階かのことをやっていきます。まず公聴会、そして国会の謝罪決議のふたつを求め、福田首相にも要請文を出しそれを中心に行動していきます。まずは被害者の声を国会で聞いてほしい、そしてそれに対してきちんとした被害者の心に届く、納得ができる、満足のいく謝罪を公的にするべきだと、いま動き出しています。
早稲田奉仕園の敷地に「女たちの戦争と平和資料館」というミュージアムがあります。いま「中学生のための慰安婦展」を開催していますのでぜひいらしてください。
アメリカ合州国下院にて
2007年7月30日
日本政府は、1930年代から第二次世界大戦中、アジアと太平洋諸島の植民地支配および戦時占領の期間において、日本軍への性的隷属を唯一の目的として、やがて世界に「慰安婦」として知られるようになった若い女性たちの確保を公式に行わせたものであり、
日本政府による強制軍事売春たる「慰安婦」制度は、その残酷さと規模において前例のないものであるとされ、集団強かん、強制中絶、屈従、そして身体切除、死、結果的自殺に至った性暴力を含む、20世紀でも最大の人身取引事件の一つであり、
日本の学校で使用されている新しい教科書には「慰安婦」の悲劇やその他第二次世界大戦中の日本の戦争犯罪を軽視しようとするものがあり、
日本の公人私人が最近になって、「慰安婦」の苦労に対し日本政府の真摯なお詫びと反省を表明した1993年の河野洋平内閣官房長官の「慰安婦」に関する声明を、弱めあるいは撤回する欲求を表明しており、
日本政府は1921年の「婦人及児童ノ売買禁止ニ関する国際条約」に署名しており、また武力紛争が女性に与える特別な影響を認めた2000安保理の「女性、平和と安全保障に関する決議1325号」を支持したものであり、
下院は人間の安全保障、人権、民主主義的価値観および法の支配を促進しようとする日本の努力を、安保理決議1325号支持国となったこととともに賞賛するものであり、
日米の同盟関係はアジア太平洋地域における米国の安全保障利益の礎であり、また地域的安定・繁栄にとって基本的なものであり、
冷戦後の戦略的展望の変化にかかわらず、日米同盟は、政治的経済的自由の保護促進、人権・民主的制度への支援、両国ならびに国際社会の人々のため繁栄を確保することなど、アジア太平洋地域における共通の重要な利益と価値に基づくものであり続けるものであり、
下院は、1995年に日本の民間基金たるアジア女性基金の設立をもたらした日本の公人および民間人の努力と情熱を賞賛するものであり、
アジア女性基金は日本の人々からの「償い」を慰安婦(ママ)に届けるべく5700万ドルの寄付金を集めたものであり、
政府によって着手され資金の多くを政府に負う民間基金であり、「慰安婦」の虐待と苦労に対する償いのためのプログラムやプロジェクトを実行することが目的であったところのアジア女性基金の任務が、2007年3月31日をもって終了し、基金が同日をもって解散することから、
今や以下が下院の認識であることを決議する。日本政府は-
(1)1930年代から第二次世界大戦中のアジアと太平洋諸島の植民地支配および戦時占領の期間において、日本軍が若い女性たちに世界に「慰安婦」として知られるようになった性奴隷制を強制したことを、明確かつ曖昧さのない形で正式に認め、謝罪し、歴史的責任を受け入れるべきである。
(2)もし日本の首相がそのような謝罪を、首相としての資格で公式声明として発表するならば、これまでの声明の誠実さと位置づけについて繰り返されてきた疑問を解決する姿勢を示すこととなるであろう。
(3)日本軍のための「慰安婦」の性奴隷化と人身取引はなかったとする如何なる主張に対しても、明確かつ公的に反駁すべきである。
(4)「慰安婦」に関わる国際社会の数々の勧告に従うとともに、この恐るべき犯罪について現在および未来の世代に対して教育すべきである。
(WAM・VAWW-NET Japan仮訳2007.11.12版)
日本国際ボランティアセンター(JVC)代表・谷山博史さん
給油新法など国際支援のありかたが問われている中、NGO活動で実績のあるJVCを東京・東上野の事務所におたずねして、谷山さんからお話を伺いました。
11月1日にテロ特措法が期限切れし、今国会で最大の課題になっているアフガニスタンへの復興支援。11月27日、アフガニスタンで活動を展開している5つのNGOが共同して衆院議員会館で集会を開き、復興支援のあり方を提言した。この提言の事務局はJVCだが、自衛隊派遣のような、高度に政治的な課題では日ごろ発言しないようなNGOも含まれている。「それだけ現地の状況が深刻でNGOには大きな危機感があることを反映している」と谷山さんは言う。
提言のあらましは次のようなものだ。
この提言発表には与野党議員はともに高い関心をよせ、多くの議員がアフガンの現状に耳を傾けた。その後、各政党に要望書も提出した。公明党や民主党の、外交問題に関係する部会に呼ばれて勉強会も行われ、参議院の委員会でも紹介されるなど、国会の論議に反映させることができた。
現地を知るものとして「対テロ戦争をしているが展望は全くない。対テロ戦争の見直しがなくて自衛隊の派遣の仕方を変えても展望はない」と谷山さんは言い切る。「今まで日本が、非軍事でアフガン本土には自衛隊を派遣せず、民政支援という形で復興を支援してきたことにアフガンの人たちはとりわけ高い評価をしてきたことが実感としてあります。援助の質がどうなのかという以前に、軍隊を派遣することが警戒されます」。
ところが、「テロ特措法の期限切れで、日本の支援の仕方が広く知れ渡って、現地スタッフは一様に反発を受けている。てきめんに『何だ。アメリカの支援をしていたんだ』、こういう意見を言ってくる。多国籍軍が攻撃を中止していない時期に、日本が自衛隊を派遣することは最もタイミングが悪い」
ブッシュ政権ばかりに顔が向いている日本政府は、給油再開が現実主義の政策のように言うが、こうした声にこそ立脚しなければならないのではないだろうか。
JVCは2001年からアフガニスタンの東北部・ナンガルハル県で、地域医療と教育を軸に支援活動を積み重ねてきている。新政権ができてから、麻薬のケシ栽培(違法)の問題が指摘されている。ケシで富を得る人がいる一方で、ケシに頼らない農村の状況は深刻だという。支援活動をしているのもこうした地域の一つで、25000人を対象にする地域医療と、教育支援を展開している。
医療支援は県レベルで持続的に「村人が診療所と共に作る地域医療の輪」の形成を目指す大きなチャレンジだ。センターとなる診療所には医薬品を供給したり施設を増設したりしている。また村レベルでは地域保健員と、アフガニスタンでは家庭分娩が多いので伝統的な産婆の養成という2つのプログラムを行っている。また、それらの能力アップのための定期的なトレーニングを行ったり、出産キットや健康キットの配布もしている。こうした取り組みで、村々で日常的に保健・衛生の意識や手当の質を高めると同時に、手に負えないような症状を早めに見極め、センターである診療所に送るなどが可能になってきている。診療所と地域の連携の輪は、双方向に働いて地域医療の向上を生み出している。
安全な水を確保するために、井戸も作っている。井戸は作るだけでなく、井戸の管理者や管理の方法、利用する人たちへの衛生教育なども行っている。こうして地域の形成や、健康増進に役立てている。
女子学校への教育支援
JVCは2006年度には、ナンガルハル県のシギ女子学校の校舎増設を支援したことをはじめ、小中高のいろいろな種類の学校で教育支援を行った。シギ女子学校には約1500家族から生徒が通っている。村人の力で20年ほど前から作られていた先進的といえる学校だった。タリバーン時代は、女子学校が禁止されていたため、女の先生が家々を訪問して教えていた。タリバーン後に生徒が戻ってきたが、校舎が足りずに低学年は戸外で、冬は寒く夏はカンカン照りの中で授業が行われていた。校舎を増設し、今は戸外の授業は解決されている。
校舎の増設の後に見えてきたのは先生のレベルアップだった。ムチを持っていたり、中には字が読めない先生などもいて、考えさせる教育には遠かった。06年から先生のための研修を実施した。教科書指導書を授業で活用できるような研修をした。JICAの作った教科書が使われていて、これ自体は良いものだったが、現場で使えないのでは困るので、改善点をJICAにフィードバックもしている。
アフガニスタンでは米軍の有志連合と、NATOが主導するISAFが対テロ戦争を展開している。同時に各国駐留軍による「地域復興チーム(PRT)」が復興支援を実施している。こうした中でNGOとPRTの援助の違いの受け止め方が曖昧になってきている。
現地の人は、なかなかのもので、軍隊の援助に対しては「感謝しないがもらってやる。だけど言われるとおりにはならないよ」という態度をとる。くれるものは、もっともっとくれなければと、言わば援助競争を引き起こす。そこに軍の治安出動による銃撃戦で殺されたりすることが重なれば、復興支援が反発と復讐の対象になる。その支援がPRTなのか、NGOなのか、住民は混同してしまう。
NGOの支援は相手の懐に入るしか方法がないから、受け入れてくれる。もし彼らにとって不公正な援助をすれば、すぐに追い返される。だからNGOはどうすれば不公平にならず、紛争を助長せず、受け入れられるにはどうするか、いつも気を遣っている。こういうスタイルでやっているところは活動ができてきた。一方、軍隊は一方的で反応を気にしないが、一回でも発砲すれば、相手は敵と見る。軍隊はうまくいかなければ撤退=逃げ出せばそれで済む。軍隊が復興支援に入ってくると混乱し、NGOの活動の後ろに米軍がいるのか、と見られてしまう危険性も出てくる。
JVCの支援でも、地域保健のボランティアなどは分かってくれば、この人たち(NGO)がいなくなれば困ると思ってくれるようになる。JVCの医療支援では、薬代は無料だが、診療費として10円もらっていて、住民はそれを受け入れている。そこに米軍がばらまきをすると住民のなかに大混乱が起き、診療費をとるという努力は無になる。薬がほしい、もっと良い薬がほしい、無料で診療してほしいということで、混乱をもたらす。
井戸掘りでも極端に言えば掘るだけなら誰でもできる。掘った井戸は誰が管理し、使い方をどうするのか。掘る前に住民のグループができ、村人が参加する形にならないと、掘った後に井戸が誰のものになるか分からない。おそらく有力者のものになってしまう。軍隊は掘るだけで、住民の参加を形成はしない。NGOの支援は住民に気を遣い、受け入れられてきたところでは活動ができてきた。
湾岸戦争のころから「国際貢献」のありかたがさまざまに問題になってきました。しかし、9条に代表される平和主義に基づく世界との関わり方は、すでにこうしたJVCさんなどの貴重な経験がいくつも積み重ねられていることに、私たちは確信を持つことができます。お話を伺いながら、グローバル化する経済は、「外交」も政府だけのものではなく、市民の課題にもしていることの実感を持ちました。(どい とみえ)
文・星川淳 川崎哲
絵・成瀬政博
定価・1000円(税込)
申し込みFax03-3363-7562
「戦争のない世界なんて、夢ものがたりでしょうか。いいえ。戦争は、人がつくり出すものです。だから、人は、戦争のない世界をつくり出すこともできるのです。」
『イマジン9』の9つの“想像してごらん”を読みすすめていくと、“戦争のない世界”がみえてきます。あともどりせず、夢に向かって進む勇気を、この絵本は与えてくれるでしょう。この9つの想像は、世界から寄せられた多数のメッセージをもとに考えられました。
武器貿易に苦しむアフリカの青年、はびこる基地の問題を抱えながら沖縄に暮らす女性、多額の国家予算が軍事費に使われるアメリカの男性、平和憲法と共存するコスタリカの若者など、いまこの時代に存在する生の声が基盤となっています。
もはや9条を守る時代ではなく、つかっていく時代だということを、この絵本は実感させてくれるでしょう。
そして、それを裏付ける戦争の歴史や軍事費の現状、紛争予防へ向けた世界の動きなどを知らせる「解説」は、9つの想像を実現することが、今すぐにも必要なことを教えてくれるのです。
絵を担当したのは、「週刊新潮」の表紙を連載する傍ら、長野県「松川村9条の会」の代表を務める成瀬政博さん。文章は、環境問題に取り組む星川淳さん(グリーンピース・ジャパン事務局長)と、核廃絶、イラク戦争反対運動などの活動を続けてきた川崎哲さん(ピースボート共同代表)が手がけています。
この絵本の販売資金は、彼ら3人を含む日本の市民団体や法律家たちが実行委員会を構成し、2008年5月幕張メッセにて行われる1万人規模の国際イベント、『9条世界会議』の資金として使われることになっています。
★女優の宮沢りえさんも、メッセージを寄せてくれました★
「心から愛する人を一瞬にして灰にしてしまう原爆とゆう悪魔を、憲法9条とゆうエネルギーと私たちの強い想いで、この地球から追い出せたらいいのにな」
(松村真澄 「9条世界会議」事務局)
入れるな核艦船!飛ばすな核攻撃機!ピースリンク広島・呉・岩国 世話人 新田秀樹
初冬の12月1日、天候に恵まれた山口県岩国市、観光名所・錦帯橋の河原において「国の仕打ちに怒りの1万人集会in錦帯橋」が1万1千人の参加で行われた。
1時間余りの集会は「怒り」と「熱気」に満ち、応援に行った私たちが逆に岩国市民から今後の運動の可能性と元気をもらう形となった。
建て替え工事がつづく岩国市役所、総事業費のうち49億円を「SACO」合意による新たな基地負担の見返りとして国が補助されることが約束されていた。その負担が今回の「在日米軍再編」にも含まれている空中給油機部隊の普天間基地からの岩国基地への移駐である。
しかし、昨年5月の「ロードマップ」合意から一転した。空母艦載機の受け入れに反対する井原勝介岩国市長をはじめ、岩国市民に対する国による「仕打ち」が始まった。07年度予算から残った市庁舎建設費35億円の補助を中止する暴挙に出たのだ。空中給油機の移駐の名目が「SACO」から「再編」に変わったというのが国のいう理屈である。「米軍再編推進法」の成立でこのことはより鮮明になった。「再編」に協力する岩国市の周辺の町や市にはお金を出し、反対する岩国市には一切金は出さない、まさに「アメとムチ」の仕打ちが始まった。
それに対し、井原市長をはじめ岩国市民は昨年3月の住民投票以降、「空母艦載機移駐反対」の意思を貫いている。しかし、「アメ」に惑わされた一部市会議員が「賛成」へと方向転換していった。市庁舎建設資金として、「合併特例債」を原資とする予算案は4度も否決され、市庁舎建設資金が注に浮いた状態が続いている。 そんな中の11月9日に市民の意見を代表する超党派9人の市議団の呼びかけで今回の集会が企画された。わずか3週間、準備期間のない、しかも、あの岩国で大規模な集会が本当に可能なのだろうか。一体どれだけの人が集まるのだろうかと不安が交錯していた。しかし、決まったからには成功させなくてはならない。ピースリンクも大型バスをチャーターし、広島・呉からの参加を呼びかけた。
当日は13時から前段イベントが始まる。大筆で集会のキーワード「怒」の文字を岩国市内の書道の達人が書き上げ、民主党参議院議員でもある喜納昌吉さんのステージが始まる。この時点では地方からの動員組で一定の数はいるが、まだまだといった感じである。それでも喜納さんが「花」を最後に歌い、会場は盛り上がっていった。
14時に開会。実行委員会代表であり、井原市長の後援会を中心に結成された「市庁舎募金の会・風」代表岡田久男さんから地方自治を守るために、岩国市長が先頭に立って、9人の議会少数派になった議員とともに市民の声を代弁している。今日の集会を成功させたいとあいさつした。つづいては井原岩国市長の登場。今日が民主主義の第一歩だ、あきらめないと強い決意をのべ、会場からはひときわ大きな大きな声援や拍手が起こった。
このころには広い河川敷もいっぱいに埋め尽くされた。1万枚用意されたプログラムは全てなくなったがまだまだ人が集まってくる。会場にて、集会の運営資金カンパや、市庁舎建設の募金で224万円も集まったそうだ。次に超党派9人の国会議員も国の姿勢を糾弾し、決意を述べた。最後に、当日配られたプログラムの裏に刷り込まれた「怒」の文字を、「国の仕打ちはゆるさんど(怒)」の掛け声とともに掲げ、アピールした。
今回の集会の大成功は、今後の岩国の闘いにとっても大変有利に働くだろうし、そうさせなければいけない。民主主義を根底から否定する「地方自治」の否定、社会的「いじめ」といえる国の姿勢、利権にまみれた「防衛省」の体質を徹底的に追及しなければならない。
また、その国に追従する一部市議会議員も同じである。12月市議会で5度目の「合併特例債」を原資とする補正予算案が提案されるようである。市民を裏切る市議会も追及していかなければならない。
岩国における「米軍再編」は全く進んでいないといっても過言ではない。「これ以上の基地強化は許さない」をスローガンに市民が一体となって跳ね返さねければならない。
2007・12・1
在日本東京・韓国YMCA
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
9条アジア宗教者会議に参加した私たちは、日本政府にたいして、平和憲法の言葉と精神を尊重し、日本が、これ以上戦争において加害者とならないこと、また憲法の前文に述べられているように、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を脅かすいかなる暴力の行動にも加担しないことを要求します。宗教者として私たちは、「殺すな」「不殺生」、すべてのいのちを育むという教えは、憲法9条と共鳴していると信じます。
この会議において、私たちは、戦後62年を迎えた今日、日本政府が猛スピードで戦争への関与のかたちを変貌させようとしていることに気づかされました。
日本政府は憲法9条を変えることによって、「戦争への加担、協力」から、自ら「戦争をする国」へと変貌しています。
私たちは、平和は決して軍事力では実現しないこと、忍耐深い対話と多様性に開いた対話のみが、正義、平等と相互の尊敬をもたらすことを確認しました。
日本政府による現在の動きが、米国の「世界的国防態勢の見直し」と直結していることは言うまでもありません。日本は、東欧から中東、インド、東アジアにいたる「不安定な弧」における軍備態勢の確立を支え、協力しています。アジア・太平洋地域では「朝鮮戦争以来最大」の大規模な米軍再編が行われ、これによって日本がミサイル防衛体制、反テロ体制、破壊作戦、情報収集、大量破壊兵器整備に全面的参加を実現し、日米新ガイドラインに基づき、自衛隊と米軍の一体化によって、米軍が日本国内の港湾、空港、道路、水路、空路、電波網をコントロールし、自由に使用することができるようになっています。
これらの動きに呼応して、近年、日本では、愛国心を強調する「日の丸・君が代=国旗・国歌法」、「盗聴法」、「有事法制」などが制定されました。 さらに、愛国心教育を軸として「教育基本法」が制定され、さらに政府は9条を焦点とする憲法「改正」への準備を進めています。憲法「改正」を目的とした国民投票法が、2007年5月14日に成立して、改憲への道が大きく開かれ、平和憲法の「改定」は現実的な政治日程に組み込まれています。
このような危機的現状にたいして、宗教者は座視していることは許されません。それぞれの宗教の教義に基づき、
アジアと世界の宗教界は、「9条アジア宗教者会議」への招きに応え、韓国、沖縄、台湾、香港、フィリピン、マレーシア、シンガポール、インド、スリランカ、米国、英国、スイス、ドイツから日本に参集しました。2007年11月29日から12月1日まで、東京の在日本韓国YMCAホテルを会場にして、約220名が参加し、参加者は基調講演、パネル討論、発題に耳を傾け、平和コンサート、祈りの集い、平和巡礼を共にし、フィリピン、ビルマの参加者からの緊急アッピールを受け、行動計画を協議しました。また、私たちはこのような集いを今後も継続して開催することを確認しました。
私たちは、今、「非暴力・平和」への動きを推進するために行動することを決意して、以下を要請し、呼びかけます。
(1) 日本政府にたいして要請します
(2)日本の宗教界、宗教者に呼びかけます
(3)アジア、世界の宗教界、宗教者に呼びかけます
「9条アジア宗教者会議」参加者一同
2007年12月1日
日本、東京