注目の参院選が終わった。結果は野党が議席の過半数を獲得し、民主党は目標の55議席を上まわる60議席を獲得し、参院第一党となった。安倍自民党は37議席という歴史的な敗北を喫し、与党公明党も議席数を後退させた。改憲反対などを掲げた共産党、社民党はそれぞれ2議席、1議席づつ減らしたが、沖縄、東京などでは無所属の護憲派候補が議席を獲得した。投票率は58.63%と前回よりも増え、有権者の関心の高さを示した。
2006年秋、約50年ぶりに改憲を正面から掲げて登場した安倍内閣は、この選挙で憲法問題においては二重の意味での敗北を喫した。
第一に安倍首相と自民党は、この参議院議員選挙の「155の重点政策」の筆頭に<新憲法制定を推進する>という項目を掲げ、「次期国会から衆参両院に設置される『憲法審査会』の議論を主導しつつ、平成22年の国会において憲法改正案の発議をめざし国民投票による承認を得るべく、新憲法制定推進の国民運動を展開する」と書いた。安倍首相は本年年頭の記者会見では「新しい時代にふさわしい憲法をつくるという意思を今こそ明確にしなければならない」と述べていた。そして「当然、参院選でも訴える」と改憲を争点にする考えも示したはずである。
だがこの選挙戦において安倍首相と与党は、この改憲の主張を有権者の前で全く展開しなかった。与党は選挙戦の全ての期間において、その改憲の主張を鮮明にできず、主張する改憲の中身の説明を全くできなかったのである。彼らは全選挙戦を通じて、その主張のほとんどを「年金問題」での空約束と野党に対する攻撃に終始し、憲法問題を素通りした。改憲を至上命題として登場したはずの安倍内閣の選挙戦術は、まさに羊頭狗肉そのものであった。安倍内閣と与党がこの選挙で堂々と改憲を掲げて有権者に信を問うことができなかったこと自体が、安倍内閣の重大な敗北であったといわねばならない。
第二に、にもかかわらずこの選挙で有権者は、発足以来、「改憲」、「戦後レジームからの脱却」などの主張を掲げて、新保守主義的政治色を濃厚にしてきた安倍内閣の強権政治に「NO」という判断を突きつけたということである。たしかにこの選挙戦の大きな争点が「年金」問題にあったことは疑いない。しかし有権者の安倍内閣に突きつけた不信任は、それだけではなく「日本会議議連」など安倍晋三首相の特異な同志、とりまきを主体に構成された安倍内閣の強権政治や政治的腐敗への不信を強め、教育基本法改悪や防衛省昇格、集団的自衛権の行使や日米軍事同盟の強化などにはやる安倍晋三首相の危険な政治路線に待ったをかけたものだと言って間違いない。その意味で、まさに今回の選挙の「争点は安倍晋三」だったのであり、安倍晋三首相は有権者によって拒否されたのである。
安倍内閣はこの有権者の審判に従い、ただちに総辞職しなければならない。にもかかわらず、安倍首相は開票後、「私の国づくりはスタートしたばかりだ。これからも首相として責任を果たしていかなければならない」などと述べ、「続投」を表明した。二院制のもとでの参議院の選挙だから政権選択選挙ではなく、安倍首相は敗北の責任をとる必要がないなどという与党幹部諸氏の言辞は重大な欺瞞であり、有権者に対する冒とくである。まさに今回の選挙は安倍内閣が初めて有権者に信を問うた選挙であり、有権者の審判がはっきりとでた。安倍内閣は民意に従い、総辞職してその政治責任を明確にしなくてはならない。そして自民党は自らの「新憲法草案」など、改憲の策動を中止しなければならない。
また小泉・安倍内閣とつづく新自由主義的経済政策を後押しし、推進することで、自らの莫大な経済的利権を確保し、未曾有の格差社会をつくってきた財界、特に御手洗富士夫会長の日本経団連など財界の責任も重大であることを指摘しておきたい。同時に、この安倍内閣の与党として自民党と共にそれを支えてきた公明党の責任もまた問われなくてはならない。公明党は「加憲」などといいながら、9条改憲をすすめる安倍内閣に協力してきた責任を明確にし、それを清算して連立政権から離脱すべきである。選挙の結果、参議院の第一党の座を占めた民主党は、この選挙を通じて「世の中の状況が変化し、国民のためになるなら(憲法を)改正すればいい。ただ、参院選で憲法問題を掲げる緊急の必要性は認識していない」と言いつづけ、憲法問題の争点化を回避しつづけた。これは当面、民主党が改憲策動に加担しないと公約をしたことを意味することを忘れてはならない。
この間、私たちがくり返し指摘してきたように、各種メディアの調査によれば安倍内閣や改憲派が企てる憲法9条改憲を支持する声は世論の少数でしかなく、9条支持は世論の圧倒的多数である。そればかりか、この数年らい、9条に限らず憲法のどこかを変えよという声すら減少傾向を示してきている。今回の安倍政権与党の敗北にはこうした背景がある。人びとはとりわけ小泉内閣から安倍内閣へとつづいた対米追従、日米同盟強化、「戦争のできる国づくり」の路線に大きな不安と不信を抱いてきたのである。
私たちは安倍内閣とその与党が、次の国会から両院に設置される「憲法審査会」を、改憲案の審議の場にすり替えようとするくわだてに強く反対する。先の通常国会で成立した改憲手続き法は、明確に改憲案の作成作業を3年間凍結している。今回の選挙結果を真剣に受け止めるなら、まず憲法審査会がやるべきことは、この「改憲原案作成の3年間凍結」規定を厳格に守り、同時に「法」の強行成立に際して付けられた18項目の付帯決議の慎重な審査と、それによる改憲手続き法の抜本的再検討から始めなくてはならないし、その結果として「出直し」のために同法は廃止されるべきである。
また安倍内閣は米国の要求に従って、「集団的自衛権の行使」の口実づくりのために設置した首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」をただちに解散し、憲法違反の企てを止めなくてはならない。なぜなら、首相のとりまきのみで構成された不公正な「有識者懇談会」が出すであろう結論は、最初から誰の目にも明らかであり、歴代の内閣の見解すら踏みにじってすすめようとする集団的自衛権行使の「合憲解釈」は憲法違反そのものだからである。立憲主義の立場に立つならば、一安倍内閣にそのような憲法蹂躙をする権限など断じてあり得ない。
今後の国会に於いて、安倍内閣はしゃにむに改憲策動を強める可能性がある。憲法9条の改悪に反対する院内の全ての勢力は連携を強めて安倍内閣の企てに共同して立ち向かうべきである。私たちはこうした院内の共同を断固として支持しながら、ひきつづき憲法改悪に反対してたたかう全国の市民運動、民衆運動と連携し、とりわけ「九条の会」をはじめとする全国各地の草の根の人びとと連携して、思想・信条・政治的立場の違いを超えた「9条改憲反対」の大きなネットワークを形成し、発展させ、改憲を阻止し、アジアと世界の平和を実現するために奮闘する決意である。
2007年7月30日
許すな!憲法改悪・市民連絡会
既に報道されているとおり、今回の参院選は自公の歴史的敗北と野党の過半数獲得という結果に終わった。非改選と合わせて109議席を獲得した民主党は第1党の座に躍り出た。これに伴い、参院は議長も議運の委員長も野党側が握ることとなった。
統一自治体選と重なる年の参院選は投票率が落ちるというジンクスに反して、今回は期日前投票が前回の1.5倍となり、投票率も6割には届かなかったものの、前回を上回るところとなった。これは、市民の関心の高さを示している。
暮らしを直撃する年金問題が、所得格差が、地域格差が与党離れを促した。相次ぐ閣僚の不祥事や強行採決の連発が安倍内閣への不信を加速した。報道各社の出口調査は、従来の自民党支持層までもが、今回は野党に投票したことを伝えている。
しかし,野党側の地滑り的勝利とはいえ、民主党の一人勝ちの陰で、共産党と社民党は現有勢力を維持することができなかった。すなわち、郵政解散の時と比べて振り子は逆方向に触れたものの、二大政党への集中という現象は変わっていない。
また、民主党の109議席の内訳を見ると、
(1) 改憲議連や日本会議系の確信犯的な改憲派 20人
(2) 官僚や財界の出身者や元自民党議員(自治体議員を含む) 27人
(3) 在任中の発言や公約等の中で改憲を容認している者 28人
(4) 少なくとも9条改憲については消極的な姿勢の者 16人
⑤ 明確に改憲反対を主張している者 18人
という分布で、改憲容認派と消極派の割合は75:34となっている。つまり、参院民主党の中で改憲派は3分の2を超えているのである。
この結果,参院全体としては、下記のような構成となった。
改 憲 派 190(自民83、公明20、民主75、諸・無12)
改憲消極派 52(共産7、社民5,民主34、諸・無6)
このように、憲法を巡る情勢には引き続き厳しいものがあるが、それでも、必ずしも悲観材料ばかりではない。
まず、政党支持率と憲法に対する意識調査とが必ずしも連動していないのは、以前からのことだ。企業経営者や皇室に敬愛の念を抱く人たちの中にも「戦争は嫌だ」という人たちは少なからずいる。イラクやインド洋からの自衛隊の撤退を求める声は引き続き根強いものがあるし、9条改憲に反対する声は依然として多数派だし、憲法の危機に反比例するかのように、近年むしろ増加傾向にある。
また、安倍政権への批判票の受け皿となることで第1党となった民主党も、有権者の支持を失うリスクを冒してまで安易に与党と妥協することは難しい状況にある。
憲法12条や97条にもあるように、近代立憲主義と民主主義は、人類が多年にわたって幾多の試練に堪えながら獲得してきた成果であり、私たちには、こうしたことに思いを馳せつつ、不断の努力によつてこれを保持していく責任がある。それには、私たち主権者が常に関心をもって政治の動きをチェックし、マスコミの姿勢をチェックし、声を上げ続けていく必要がある。
伊勢﨑賢治(東京外国語大学大学院教授)さん
(編集部註)6月23日の講座で伊勢﨑さんが講演した内容を、編集部の責任 で大幅に要約したもの。要約の文責は全て本誌編集部にあります。
下のフロアで隊友会の会合をやっていますね。自衛隊の人たちですかね。僕は自衛隊の使い方が悪いと言っているだけで、自衛隊を悪く言ったことは一度もなくて、年に2回必ず目黒にある自衛隊の幹部学校で、これからお話しするようなことを講義しているんです。幹部学校ですから未来の幕僚幹部の集団ですけれど、非常に反応はいいです。あえてチャレンジングな言い方をしますと、国連で多国籍軍とつきあうことが多かった立場からみても、自衛隊は大変に優秀な軍事組織です。その使い方が悪いだけの話ですね。僕は自衛隊の幹部学校で「僕がもしあなたたちの立場だったら、これだけあほな使い方されたらとっくにクーデターやってるでしょうね」といったらみんな苦笑いしていました。
今日はアフガニスタンを題材にお話しします。武装解除プロジェクトで、日本の血税を約90ミリオンドル、日本円にすると100億円くらいをODA予算で使い、一昨年の7月に完了しました。武装解除というのは武装集団の武装を解いて軍事組織を解体してアフガンを幸せにする目的のためにやられたものであります。今日は「国益」ということを考えてみたいと思います。国際協力をやっている分野で国益というと「おまえは体制寄りか」とよく言われますが、世界益という言葉があるとしたら、国益と世界益を対峙させるのではなくて重ねて考える必要があると思います。たぶんそれができると成熟した民主国家になるんでしょう。僕の中ではこの国益と世界益、国際協力も含めた世界益は相反するものではなくてむしろ重なっているものであると思っています。
日本が世界益のためにお金を使うことは、日本の評判もしくはイメージをアップすることです。納税者であるみなさんが、それを「国益」と考えるようになれば、国益と世界益が一致するわけです。アメリカ人はこの辺の感覚って、世界の警察官と自らを思っているわけですから、ちょっと行き過ぎかもしれませんけれども、かなり進んでいる。欧米人と仕事をして日本人と違うなあと考えるのはこの部分です。ODA予算は全部「国益」のために使う。それを100%使ったアフガンでの武装解除を通して日本の国際協力のあり方、それと9条の持つ意味について考えてみたいと思います。
アフガニスタンは群雄割拠という言葉が一番端的です。何世紀にもわたってそういう状態だった。それは周りの国からの影響を受ける多民族国家で戦略的に重要なところです。そういう人たちが、軍閥を築いて周辺国、特に同じ民族である国から支援を得て、代理戦争をしている。ソ連の侵攻が始まって、もといた軍閥たちは、ソ連に対して一致団結して戦います、そのようなふりをした。そのとき軍閥を支援したのはアメリカです。超大国に対してイスラム戦士が戦う構図、いわゆる「聖戦」がどんどん広まっていきます。ソ連への抵抗運動がいちおう成功したあと、また群雄割拠の状態になります。そこにつけ込んで周辺国がそれぞれ軍閥に支援をする。新しく生まれたタリバン勢力はパキスタンから支援を受けていた。タリバンはオサマ・ビンラディン、アルカイダと結託します。これが彼らが犯した一番大きな過ちだと思います。タリバンはイスラムの中のどちらかといえば極右勢力です。対タリバンという報道がかなり過激になされました。タリバンは女性の人権を侵害する、ブルカをかぶるのを女性に強要する、宗教裁判もする。悪いイメージが喧伝されるのは今考えると西側、アメリカ側の戦略だと思われる節があります。
そして2001年9月11日、同時多発テロが起きます。アメリカは報復攻撃をします。もちろん地上戦をアメリカ軍だけで戦うことはできません。市街戦や山岳部はその土地で戦った人間が一番強いわけで、近代国家の軍は太刀打ちできない。アメリカは空爆主体の攻撃で、どんどんどん爆弾を落とします。「コラテラル・ダメージ」、第二次被害で一般市民がどんどん死んでいく。それにプラスして、タリバンに追い出された軍閥をまとめて北部同盟が組織されました。北部同盟と一緒にアメリカ軍は戦います。一時的にタリバン、アルカイダはパキスタン側、この辺は「トライバルエリア」といいますけれども一世紀以上もあまり変わっていない治外法権的な山岳地帯に追い出した状態です。この状態は今も続いていて、今タリバンが少しずつ勢力をぶり返してきて中に入ってきています。
アメリカの戦略は、アフガンは統一国家がつくれなかったことがテロリストの温床になったと考えていますので、戦略的にも大変重要な地域を二度とテロリストの温床にしないために大変強力な親米の統一国家をつくることです。それが今のアメリカが考える「国際社会」の命題なわけです。日本の今の政権と前の政権もまさしくそれをサポートしています。僕もそれをサポートするかたちで現場に送られたわけです。
アメリカの中間選挙でブッシュさんが負けて、イラク戦争をどうやって継続するかしないかずっと揉めていた。外で戦争をすることはとにかく金がかかる。ですから軍事作戦上は、いかに戦争を短く終わらせ、あとをその土地の自前の治安装置で治安を維持させるかということにかかってくる。アフガンの場合もまさにそれに当てはまって、イラクも同じことをやっています。自前の治安装置をどうつくるかは、いかに有能な強い国軍をつくるかです。軍閥に忠誠心がある国軍ではなく、アメリカが考える親米の統一国家に忠誠心を抱く「国軍」と、同様の「警察」をつくることです。それに法と秩序は武装組織だけでは維持できませんから、もちろん「司法」がやります。特に国がほとんど壊れていますから、裁判所の建設から憲法を書き直す作業から、全部司法にはいります。
治安を脅かすもう一つの重要なアフガン特有の要因として「麻薬対策」があります。アフガニスタンは気候的に大変ケシ栽培に適したところで、伝統的に行われ、パキスタンとか周辺国を通じて密輸されています。それが軍閥の資金源になっていた。タリバンは統治時代に唯一いいことをやりました。彼らはイスラム教の中の極右勢力ですから、麻薬とかタバコとかを非常に取り締まり、一時的に生産がきわめてゼロに近い状態になった。しかし、また軍閥の群雄割拠の時代になって一年もたたずにアフガンは世界第一のケシ産出国になり、世界の約80%の天然ケシを産出しています。ヨーロッパで流通している麻薬の100%近くはアフガン産といわれています。
アメリカが考える統一政権の国軍や警察をつくっても、それより強い軍を軍閥が持っていたら全然意味がないわけです。国軍は統一国家の象徴で、一つあることに意味があり、それが統一ということです。ドスタム将軍とかイスマイル・カーン将軍という名前が日本の新聞にも出ましたが、彼らのところに行くと完全に王国です。独自の貨幣なんかも発行している。ですから軍閥が持つ武力を全部解体する武装解除が一番重要なわけです。ふつうこういうことは国連が仲介するのが一番いいんですが、イラクもアフガンもアメリカの戦争のプラットフォームですから、国連はなかなか表に出てない。国連が黒子役を演じるのが当時の国連代表ラクダル・ブラヒミさんの強い意志だった。アフガンは国連ではなく、2国間援助をもとにやるということです。そこで、国軍建設はもちろんアメリカです、軍事の延長ですから。警察はドイツが、司法はどういうわけかマフィアの国イタリア、麻薬はたぶん国内問題でもあるイギリス、それで武装解除が日本になっちゃったわけです。
何でこんなことを日本がやったか。ちなみに2001年、2002年に日本がこういうことをやるのは初めてでした。今から考えると、これは完全なババ抜き状態で、内容も知らずに日本が手を挙げた。「武装解除」ができないと他のこともできない。常に外交的にいいわけの余地を残しておけるわけです。アメリカが国軍建設をやってうまくいかなかった場合、これは武装解除がないからだ。警察もドイツが失敗した場合、軍閥が強いからしょうがないとか、みんな武装解除のせいにできる。武装解除だけ残されていたのを、当時の川口外務大臣がこれを引いちゃったんです。これは本当の話です。そのときに武装解除が軍事オペレーションだということが全然わかっていなかった。軍事オペレーションなんてできるわけがないでしょ、日本は9条の制約がありますから。日本はまったく違った印象を武装解除プログラムに抱いていた。最初からボタンの掛け違えだったわけです。
このDDR=武装解除が、国際社会・国連PKOなどでは紛争処理の「特効薬」みたいにいわれています。DDRのD(Disarmament=武装解除)は文字通り武器を取り上げること、次のDはDemobilization=動員解除です。軍事組織は、統制のとれたアフガン軍閥であろうとゲリラ部隊であろうと必ず指揮命令系統があります。「ブラッド・ダイヤモンド」という映画の舞台となったシエラレオネでは大変な大虐殺が起こった。あそこの民兵たちを武装解除したのは僕です。あれは子どもの兵士もいるゲリラ部隊ですが、軍事組織ですから命令を聞かなければ殺されます。動員解除はまさにその指揮命令系統を壊してあげることです。どうやって壊すか、これは単なる「おまじない」です。「一般市民に戻りなさい」というおまじないをかけることです。これは社会のけじめですね。アフガンの場合は勲章をあげて「もうおまえは一般市民に戻ったんだよ」ということをやった。国によってケースによってやり方は全然違うけれど、とにかく「もう命令を聞かなくてもいい」という、そういうおまじないを解いてあげることです。R(Reintegration=社会再統合)は日本で一番考えやすく言えば「復員」です。経済的な理由でまた銃をとらないように手に職をつける、職業訓練です。この一連のシークエンスをDDRといい、パッケージとして提供します。
僕は当時、立教大学の教授で、シエラレオネから帰ってきたばかりでした。外務省はババを引かされたことがわかって、誰かに頼まなくてはいけないとなった。日本でDDRのプログラムの責任者であった人間は当時、僕しかいなかったんですね。それで外務大臣からの任命で一年ちょっとカブールの日本大使館に政府の特別代表としてこのDDRプログラムを始める責任者として行くことになりました。これが2003年2月です。
僕が武装解除をはじめた状態は、タリバンもアルカイダも活動している。元々仲が悪い連中だけれど、9つか10の大きな軍閥が、タリバン・アルカイダという共通の敵のためにアメリカと一緒に戦っていちおう追い出したら、またけんかをし始めた。特に一番熾烈な戦闘を繰り返したのはドスタム将軍とアッタ将軍で、イスマイル・カーン軍閥はイランから金をいっぱいもらって強大な軍をつくってちょっかいを出してくるという状態でした。ここで全員を武装解除することです。この連中が小競り合いしているかぎり統一国家はできない。この状態を許すとまたタリバンが出てくる。
具体的には、まず調査です。各軍閥はどのくらい武器を持ち兵員がいるのかということです。正直に言うわけはありません。殺し合っている状態だから、信頼醸成もできない。これを誰がやるか。もちろん日本は自衛隊を出しません。アメリカにも頼めない。もしアメリカが武装解除をやるために軍閥にプレッシャーをかけたら軍閥はけんかを売っているのかと思いますよね。これはイラクと同じようになる。われわれがとった戦略は、すべて政治的交渉でやることです。銃を突きつけない、命令もしない、命令をするのであれば政治的な命令で、強制的にはやらない。武力は使わない方法をとりました。それも日本人が行くのは怖いしできないということで、アフガン人にやらせる選択肢をとりました。アフガン人の誰か。当時アメリカの傀儡といわれた今の大統領カルザイさんのもとにカブールで統一政権をつくるのがわれわれの使命でした。暫定大統領だったカルザイさんは、軍閥たちからは相手にされなかった。だって軍閥の方が強いわけですから。カルザイさんは当時から「カブールの市長」だといわれていた。僕らはカルザイさんに勇気を奮い起こさせて軍閥たちに命令をする、大統領令を出すことからはじめました。
もちろん軍閥たちは鼻であしらっている状態ですね。しかしそこからはじめないと法的な根拠は何もない。それを持って各軍閥のドアをたたき説得して少しずつ武装解除をはじめる。それがはじまりです。それも日本人がやるのではなくて中央政府の国防省の役人に、日本の血税を使って、軍閥のところに行って、おそるおそるですけれども戦車を何台持っているかとか調査をし始めます。もちろん、正直なことは言うわけがない。ポンコツのものを見せて最新鋭のものは隠しておく。でもそこからはじめなくてはいけないんです。役人が戦車を点検してこれはだめだ、これは回収の対象ではないという点検をします。それは回収された武器は再利用するからです。これは僕がアフリカでやった武装解除と決定的に異なる点です。アフリカでは集めた武器はすべて破棄しました。地上から武器をなくすというモットーのもとに。アフガンの武装解除は統一国家をつくるためです。統一国家の象徴は単一の国軍ですから、軍閥を解体したら使っていた武器は再整備してアメリカがつくっている新しい国軍に使わせます。つまり日本が支援したDDRは新しい国軍をつくるためにやったわけで、そのために皆さんの血税を使ったわけです。
動員解除の様子は、大統領が謁見し、そのあとに勲章がひとりひとりに手渡されます。当時の目標総数は約10万人といわれていましたが、最初の1,000人を北部で何とか説得して武装解除させました。まだ1%にも満たない数です。これを積み重ねないといけない。このときのDDRは軍事組織の再編成です。軍閥たちが群雄割拠している状態を、統一国家のもとにまとめていくためのものです。日本が血税を使って国連の仲介でつくった移動武装解除ユニット(Mobil Disarmament Unit)の車両の中には発電機、コンピューターなどを完備して、アフガンの原野に出かけて兵員の登録、各兵員が持っているカラシニコフを回収します。その後に動員解除でパレードをして勲章をもらい、「復員センター」を各地につくりました。武装・動員解除後の兵士たちが、これから一般市民としてどうするかというオリエンテーションを受けます。職業訓練の選択肢は牧畜、農業、大工、左官工といろんなオプションがあります。医者とか宇宙飛行士はありません。一番コストの高いのは地雷探知除去要員です。アフガンは地雷が一世紀かかっても取りきれないくらいです。この地雷除去にも日本政府がかなりお金を出しています。埋めたときの計画図などは全部紛失していますので、金属探知機で人海戦術で地雷を掘る。これも除隊兵士の復員のオプションになっています。
それから新しい国軍のキャンペーンをやりました。これはアメリカと日本政府で覚え書きを交わしていて、アメリカがつくる新しい国軍は基本的に志願制にした。ですから軍閥が自分のところの若い者を新しい国軍に入れてくれという政治的なプレッシャーには絶対に屈せず、日本のプログラムで動員解除された元兵士が一般市民に戻って志願する。アメリカは約10年で7万人規模の国軍をつくる計画です。今のところできたのは約2万5千人で、大変スローです。新しい国軍ですから若い人たち、われわれが武装解除した人間はかなり年がいっていて、ほとんどが一般市民に戻って復員する、そのうちの若くてすこし読み書きができる人が対象のかなり狭き門です。
武装解除の中で大変注目したのは重火器、戦車です。大砲も装甲車もスカッドミサイルも入ります。アフガンは基本的に銃社会で自分の身は自分たちで守る。ですから兵員から集めても彼らが帰れば家にカラシニコフがあと2、3丁あるわけです、。それが普通で、それが「文化」なわけですから、個人携帯武器を相手にしているときりがない。目的は軍閥を解体することで、軍閥の力の根源はやはり重火器です。これが力の象徴です。重火器はほとんど100%無力化して回収し、新しい国軍の管理下に置かれていますので、アフガンではこういう重火器を使った戦闘はこれからは起こり得ません。重火器の回収は信頼醸成のためです。一般市民、有権者の、われわれがお尻をたたいて「がんばれよ」と支援をしている統一国家に対する信頼です。軍閥の王国の中にいる市民は、軍閥の銃の文化、軍の文化の中にいて、その象徴が戦車などでした。その重火器が軍閥の基地から新しい国軍の基地に移動していく。それを見るだけで市民の意識は変わっていく。軍閥の時代は去ったと意識させられ、統一政権に対する信頼が芽生える。それをもって総選挙が行われました。選挙はその選挙に対する信頼、中央政権に対する信頼がなかったら怖くて投票にも行きません。銃で脅されたりするわけですからね。いちおう武装解除が終わった2ヶ月後の9月に総選挙が行われ、今のところ成功裏に行われたことになっています。
ここで言わなきゃいけないことは、個人携帯武器、RPGやAK47、これらは全部旧ソ連製の武器です。カラシニコフは設計したロシア人の名前で、大変丈夫な武器です。カラシニコフのやっかいな点はパテント制になっていて中国でもパキスタンでも、ナイジェリアやエジプトでも同じカラシニコフを製造しています。中国製の武器は、全部漢字で刻印してありすぐにわかります。この統計を全部取ると外交問題に発展しかねないので、意識的にしなかったけれども、感じとして、回収した武器の4割強は中国製でした。なぜこう言うかといえば、つい最近まで中国は日本のODAを使っていて、そのODAが全然感謝されないことを問題にしてきたタカ派の政治家がいました。僕はそれに同調するものじゃない。ODAは貧しい人のために使えばいいわけで、中国の農村部には貧しい人はいっぱいいますから。問題なのは、日本が100億円の血税を使って旧ソ連製や中国製の武器を回収している事実を、ロシアと中国に言っていないことです。「国益」をどう考えているのか、「国益」というのは外交カードをつくることで、僕はこれは大変大きなカードになると思うけれど、外務省はやらんのです。中国への支援をやめろということじゃないですよ。でもね、恩に着せるくらいはするべきです。もちろんアフリカに行けばアメリカ製の武器はいっぱいあり、それが全部内戦に使われている。この3カ国は国連安保理の常任理事国です。アフガンの復興や、アフリカの国のPKOを決定するのが常任理事国です。その常任理事国は武器を製造し輸出している。こういうことを考えると、現場で危険を冒して武装解除なんかやることに対してやる気もなくすんですけれどもね。
僕らが説得に行ったある軍閥で、未だに忘れないのは、パキスタン国境の山岳地帯の道なき道を行ったときのことです。1日半かけて行く山岳地帯で「上から狙われたら絶対に死ぬな」というような大変危険なところです。僕らは地元警察の武装エスコトートでコンボイを組んで行きます。その軍閥は代々その地域の庄屋さんみたいな大変裕福な家系で地元の大地主です。のどかな農村地帯で、畑がいっぱいあるが、奇妙なことに気づかされる。なんか畑がおかしい。よくみると、米も小麦も食い物らしきものが全然植わっていない。ケシとハッシシです。これらを密輸して食料をパキスタンから持ってくればこの農村地帯は自分たちで食料生産する必要がないわけです。もちろんこれは非合法ですが、中央集権が及ばないところで、これがまさに軍閥が支配する王国です。
当時、彼の下には3,000人の民兵がいて、うち400人の精鋭部隊がアメリカのアルカイダ掃討作戦に今でも使われていてアメリカ軍から給料が支払われている。精鋭部隊にも武器その他、ブーツからすべての装備をアメリカから支援を受けている。彼の武器庫を見せてもらったら本当に最新鋭の武器が並んでいるけれど、僕らはタッチできない。これはアメリカの戦争のためにアメリカが支援しているからです。しかし僕らは彼の民兵たちを武装解除しなければいけない。ここが米一極化の中での平和構築の難しさです。繰り返しますが、イラクもアフガンもアメリカの現在進行中の戦争のプラットフォームという手のひらの上での平和を考えていかなければいけない。これがアフリカなどでの和平活動とは決定的に違うところです。
DDRは成功したのか。一昨年7月に6万人位で終わったけれど、重火器はほぼ100%無力化しました。しかし国軍建設はやっと2万5千人。とても治安を全部任せられる状態ではない。同じように警察も小さく、統制すらとれていない。司法もダメです。イタリアもがんばりましたけど、うまくいっていないです。麻薬もアフガンは世界で流通している80%のケシをまだ産出し続けています。軍閥たちがまだ密輸ルートを握っています。それが現実です。僕らは彼らの軍事組織を解体し、重火器を全部彼らの手から離しました。でも彼らはボスであり続ける。今ははっきり言ってやくざです。現実に何も変わっていない。そこで起こっているのが「力の空白」という問題です。
これは当初から予想していたことです。どこでやる武装解除でも、そういう危険性が必ずあります。この力の空白を埋めるために、アフリカでいえば国連の平和維持軍や、それに替わるものを入れますが、アフガニスタンの場合はそれがない。当然アルカイダは来ます。アルカイダと戦ったのはアメリカ軍だけでじゃなかった。民兵に対しては民兵じゃなきゃ力にならない。どんなに近代的な装備でも山岳戦では戦えない。そのアルカイダと戦った連中を僕らは武装解除した。これが今タリバン、アルカイダがまた勢力を増しているひとつの要因です。これはこれからどんどん悪くなっていくと思います。もしかしたら、必要に迫られて僕らが武装解除した北部同盟をまた武装させたり、回収した戦車をまた与えることになるかもしれません。そうしたらまた元の木阿弥です。
今考えなければいけないのは政治的な和解の道です。これはかなり現実味を持って言われています。政治的な和解とは何か、誰と誰の和解かというと、タリバンです。これは部分的に始まっています。でもあまりおおっぴらにはやらない、なぜかというと、アメリカの世論がもたなくなるでしょう。アルカイダ、タリバンを口実に世界テロ戦を始めたのに、アメリカの傀儡であるカルザイ政権がタリバンと和解なんていうことになったらこれはアメリカの世論は持たなくなる。現に2年前からカルザイさんは独自のイニシアティブでタリバンの中でも穏健派のタリバンと和解を始めた。それは一時ブッシュ政権から大変な妨害にあいましたが、多分この政治的な和解はより現実味を増してくるオプションだと思います。僕はこれ以外にアフガンの安定化の方法はないと思っています。
極悪非道の虐殺を働いたゲリラと和解し戦争を止め、彼らに副大統領のポストをあげた例もあります。これはシエラレオネのケースです。「平和をとるか、正義をとるか」で、「平和をとる」場合もあるわけです。タリバンもそんな悪い連中かということも考えなきゃいけない。人を殺した数で戦争犯罪の「優劣」を比べるのは不謹慎かもしれないけれども、シエラレオネの僕が武装解除した反政府ゲリラは10年間に50万人殺しました。これを和解させました。タリバン・アルカイダはそんなに殺していません。戦争犯罪などの話で言いますと言い方は悪いけれどタリバンは「軽犯罪者」です。それを考えると政治的な和解は簡単です。アメリカがテロリストというブランディングをやめれば済む話です。考え方を変換するだけです。これしかないと思っています。それを誰がやるのか。和解は必ず仲介者が必要です。アメリカは当事者ですからダメです。日本は、今の政権では無理でしょうね。
小泉政権になってからかなり大きな自衛隊派兵をやった。一つがアフガン戦への派兵。これは2001年11月のテロ特措法、もちろん違憲行為です。それから延長、延長で、インド洋における給油活動、海上自衛隊はODA予算ではなく自衛隊の予算です。もうひとつはイラク戦、サマワです。イラク支援特措法で違憲行為です。これもまた延長しました。この特措法は、国会答弁ではイラク復興のための人道援助を目的につくられましたが、今自衛隊のC130が運んでいるのは、ほぼ100%、アメリカ軍の兵員か軍事物資です。はたしてこれが「国益」になったかを考えるべきです。
今アフガンの一般市民は日本が武装解除をやったことは誰でも知っています。日本でなきゃできなかったと僕は思っていますし、リーダーたちに何回も言われました。「アメリカじゃできなかっただろう」と。武装解除をやっているときに、日本はイラク派兵でアメリカと軍事的に同盟だということが知れわたっちゃいましたけれども、それよりもわれわれが培ってきた「経済大国でありながら侵略をしない国」のイメージは本当に浸透しています。アフガンの軍閥でも何となくわかる。日本は裏がないという、本当はいろいろ裏があるんですけれどもね。僕はこれを現場では「美しい誤解」と言っています。だから武装解除を非武装でできたと言われています。
イラク戦に関しては、自衛隊がやったことはいわゆる「国軍」がやる仕事じゃないです。給水事業とか、ああいう民軍支援、軍がやる民生支援は国連でも民営化しています。まして有志連合の戦いでは民営化されている分野で、武装警護が必要ならそれも民間の軍事会社、警備会社を雇います。そっちの方がコストは20分の1から30分の1くらいです。それをわざわざ600人規模の施設部隊を出して、人道援助目的で逃げ切る必然性は全くない。軍事的に見て非常におかしい。事後評価になりますけど、今後のために政策評価すべきです。費用対効果とか、はたして外交上日本の顔を強めるために役立ったのかということです。
もうひとつ、東チモールのPKO派兵です。これは2002年3月です。2002年1月に僕は小泉さんに40分間会っています。東チモールで国連の暫定統治機構の中で県知事をしてから転任して、当時はシエラレオネで武装解除をしていたのですが、話が聞きたいということでした。東チモールのPKO派兵はさっきのふたつとは決定的に違います。東チモールは国連PKOです。自衛隊員はブルーヘルメット(国連)の腕章と「日の丸」をつけています。国連PKO派遣の場合は必ずROE(ルール・オブ・エンゲージメント)による武器の使用基準で、ROEの小冊子を携帯します。国連に出兵することは国連の指揮下に入ることです。ここで自衛隊がやったことは地元では大変感謝されています。日本の顔になって大変いい思い出しか東チモールの人には残っていない。
でも問題はあります。自衛隊が出たのは2002年4月、僕がいたのは1999年から2000年にかけてで、実はこのときが一番危なかった。西チモールから越境してくるテロリストたちの攻撃を受けた。そのときに僕らは掃討作戦をして、国連PKOがここまでやっていいのかというくらい追い回した。2001年中盤から民兵の活動はゼロになり、東チモールは急速に治安が回復し、施設部隊などはすべて帰国して、民営化できる部分は廉価にあがるNGOとか建設業者に委託することが始まっていた状況です。
自衛隊がいったのはその1年後で、もっと安全になっていた。事実彼らがやっていた作業は、すでにNGOが武装警備なしでやっていた仕事です。しかし当時の自衛隊を出すための政局の議論は「危ないから自衛隊を送る」ということだった。実はこのときは人道援助をするために武装組織を出す軍事的なニーズはゼロだった。でも政局の議論は、国連にPKOを出すにしても指揮権は東京にいる防衛庁長官にあるというめちゃくちゃな議論でした。国連への派兵というのは指揮権を委ねるんです。だからこそ外交特権をもらえる。
さらに日本の場合は軍法がありません。自衛隊は特別公務員であって、もし彼らが海外で悪いことをしたらいったいどの法律で彼らを取り締まるのかがわからない。イラク戦の時、サマワの近くでイギリス軍がイラク暫定政権のつくっているイラク警察と交戦し、イギリス兵が警察に拘束された。それを取り戻すためにイギリス軍は警察署に戦車で突っ込んだ。こういうとき日本はどうするかなんです。米兵が捕虜収容所で人権侵害をした。これはアメリカの軍法で裁かれます。日本の場合どうなるか。そういう議論をまったくせずに自衛隊を出しちゃった。だから自衛隊は本当に役に立ったのかといわれますけれど、しょうがなかったですね。僕が彼らの立場だったら中に閉じこもります。傷つけもせず、傷つけられもせず、なるべく外に出ない。彼らにとって当然至極な行動パターンでした。
アフガンの話です。戦争するような状態に割って入り、それを交渉で武装解除するのは高度な信頼醸成の作業をしなければいけません。通常、武装解除は国連の責任として必ず非武装将官でなる軍事監視員を置きます。サッカーのレフェリー、相撲の行司が必要なわけです。アフガンの場合はそれを国連がしてくれなかったので、日本から大使館の駐在武官、一等陸佐がやりましたです。あとドイツとかほかの国が拠出してくれ、延べ20名くらいの非武装のチームをつくりました。これが敵対勢力間の信頼醸成の要となって、武装解除を成功させたもうひとつの要因です。
日本がアフガンでやったDDRでは、武装した自衛隊員をひとりも使わずに武装解除というきわめて高度な軍事的なオペレーションをやりました。もちろんアルカイダがぶり返していますから、いま結果的には治安を悪くしている要因になっていますが。われわれが使った予算はODA予算です。みなさんの血税です。自衛隊の予算とは違う、国際協力の枠組みからの予算です。軍事的なものに非軍事的に関わった、これに徹したわけです。これをふつう「外交」というわけであります。
最後に、憲法9条について思うことですが、ひとつは「国際紛争の直接的介入、措置」ということです。日本は憲法9条を持っているから武力ではなくて、たとえば貧困削減、開発援助をやればいいじゃないか。それは一理あり、やらなきゃいけないことです。もしくはヒロシマ・ナガサキの教訓を大々的に啓蒙することで国際紛争の阻止のために貢献したい、それも一理ある。でもそれは今起こっている局地的な戦争を止めるには何の効力もありません。それには直接的な介入、措置が必要です。それがまず国際紛争を見る上でわれわれの頭の中に入れなきゃならないことです。
2番目は「文民統治能力」です。われわれが紛争を止めるのは一般市民が犠牲になる、虐殺を止めなきゃいけないからです。しかし、昨今の紛争は一般市民と戦闘員が区別できない。下手をすると彼らを助けるために送った軍が逆に彼らを殺すことになる。イラクでもアフガンもそうです。だから文民統治は、現場で政治判断をする、武器の使用基準を変える、その「目」を持たなければいけない。これは軍事組織にやらせてはいけないことです。じゃあ文民統治をする「目」が現場にあるのか、日本にはまったくない。大使館の機能が日本は発展途上国以下、特に情報収集という意味ではそうです。
文民統治は政府だけの問題ではなく市民社会、メディアの問題だと思います。アメリカがすごいのは米兵が人権侵害をすればそれを報道する。同じようなことが日本に期待できるのか。無理でしょう。記者クラブ制、癒着、だいたい彼らは現場に行きません。現場に行くのは彼らが責任を負わなくてもいいフリーランスです。死ぬのは全部フリーランスです。日本のメディアも日本社会全体としてもリスクを取れません。たまたま日本の若者が捕虜になったら「あいつらは反日だ」となっちゃう。
3番目、「多元主義の定義」、これはさっきの「どこまで許すのか」、「アルカイダは軽犯罪者だ」と言った話です。つまり誰を敵とするのかです。和平はどんなに大きな戦争犯罪をした人間とも和解して、戦争をやめさせることがあります。アフリカではそれができて、中東ではない。「軽犯罪者」でもない。いったいそこの基準・規範は何なのかです。多分いま、人類は多元主義を定義する基準・規範を持ち合わせておらず、ダブルスタンダードだらけです。これもよく考えなきゃいけない。
4番目、「非戦主義は究極の国防力になりうるか」、まさに憲法9条がこれです。日本は「美しい誤解」をされており、これは大変な防衛力になっています。僕が当時いた日本大使館は先進国の中で武装警備がない唯一の大使館でした。あれでよく狙われないなと思っていましたし、事実、狙われなかった。いままでアルカイダによって日本資本のホテルが狙われたことがあるでしょうか。これはすべて防衛力です。「美しい誤解」による防衛力です。これをなくしたときにそれに替わる防衛をしなければならない。日本の若者がNGOとして民間援助、人道援助でアフガンに行っています。誰も殺されておりません、まだ。欧米人はいっぱい殺されています。これも防衛力です。
もしこの「美しい誤解」がなくなったときに、われわれが自分たちを防衛しなければならないコストはいかほどのものか、これ算出しなきゃいけないですね。9条を変えることがコスト的に見合うものなのか。いまのところ非戦主義は「美しい誤解」ですけれど防衛力になっている。こういうイメージは崩れるのは早いですよ。これを再構築するのは大変な努力が必要です。 非戦主義は多分PRだと思うんです。敵が「われわれが戦う意志がない」ことを知らなければ非戦主義は意味がないわけで、戦う意志がないことを効果的に、くどいくらいに言い続けることで初めてこれが防衛力になるということです。このPRということにかけては、日本は戦略的には何もやっていない。外務省のホームページ上には憲法9条の中文、韓国語文くらいあってもいいですよ。でも、ありません。
2008年5月4日~6日、幕張メッセにて「9条世界会議」が開催されます。
これは、憲法9条を支持する世界の声を集め、9条を世界へと広げるための国際イベントです。ノーベル平和賞受賞者や、世界の著名人や市民とともに、9条と向き合い、9条の理念である「武力によらない平和」を実現するために世界の市民にできることを議論し合う場を作りたいと考えています。
現在60人の呼びかけ人のもと、日本実行委員会、そして学生や社会人ボランティアの皆さんが、「9条世界会議」への1万人以上の参加を目指して日々活動しています。
オリジナルグッズ完成!
~グッズにこめられた想い
「9条世界会議」キャンペーンの一環として、先月オリジナルグッズが完成しました。「9条と、子どもと、そして虹」をコンセプトとしたイラストは、週刊新潮の表紙を担当している画家で、呼びかけ人の一人でもある成瀬政博さんが手がけています。
「9条世界会議」に寄せられた成瀬さんのメッセージを紹介します。
「大きな物語」
(このメッセージは、オリジナルグッズ・ポストカードセットに同封されています)
これまでの歴史は「平和を欲すれば戦争に備えよ」という、ギリシャ・ローマ時代の格言をもっともなことだと考え、実現してきた歴史です。でも、それで戦争がなくなったかといえば、答えはノーです。いま、ぼくたちは、この格言を言いかえなければならないことを知っています。
「平和を欲すれば武器を捨てよ」と。9条を守り、実現し、世界に広げること、それは人類史にあらたに始まった大きな、大きな物語です。この物語に参加する人たちがふえること、ふえつづけること、そのことがきっと、いつの日か戦争のない世界を未来の僕たちが手にすることにつながるでしょう。
2008年5月に開催される「9条世界会議」が、大きな物語に参加する人たちを勇気付け、歴史の波となり、うねりとなることを、ぼくはとても期待します。「武力で平和を作れない」
長い間戦争を繰り返し、悲しみや苦しみを体験し、やっと気付いた大きな指針を、私たちは実行するときにさしかかっています。日本に存在する9条の会は、すでに6000以上。それは、もはや海外にも作られ始めています。
9条を政府に守らせたい考える多く人の願いは、歴史の過ちを繰り返さず、戦争のない未来を世界の子どもたちのために開く、ということなのではないでしょうか。各国が周辺国に影響されてどんどん軍事化されていく世界の風潮を、ダイナミックにストップし、逆の動きを作る「大きな物語」を、9条を使って創造していきたいと私たちは考えています。
みなさんの手に届く
「9条世界会議」オリジナル・グッズたち
完成した「9条世界会議」オリジナル・グッズは、下記4種類です。
○Tシャツ(ノーマル2,500円・オーガニック3,500円)
地球の中の9条をイメージしたフロントデザインに加え、砕かれた武器や戦車が小さくバックプリントされています。
○ポストカード(1セット9枚入り2種類/1,000円)
一枚一枚作家さんのメッセージがこめられたカードです。上記の「大きな物語」メッセージも同封されています。
○缶バッジ(1セット9個入り/2,000円)
思わず微笑んでしまうかわいらしいバッジセットです。揃えて持つのもよし、プレゼントにしても喜ばれます。
○DVD『Rainbow World ~ 世界が9条に恋してる』(1枚1,000円)
武器貿易がはびこるアフリカ、紛争に苦しむイラクをはじめ、各国市民が寄せる9条へのメッセージを約20分のDVDに収めています。勉強会などに最適です。
このグッズを手に取った方々には、「こういうものが欲しかった!」「友達にも知らせたい」と大好評です。
<お申し込み方法>
同封された「9条世界会議」オリジナルグッズ注文書を記入し、9条世界会議事務局(03-3363-7562)までFAXにてお申し込みください。
このグッズの頒布収入はすべて、「9条世界会議」の基盤となる資金源とさせていただきます。「9条世界会議」を広めるため、成功させるために、ぜひご協力ください。
「9条世界会議」日本実行委員会では、各イベントや集会にてリーフレットの配布、オリジナルグッズの頒布等のボランティアを募集しています。
お問い合わせ先:03-3363-7561
9条世界会議事務局 ピースボート内(担当:松村)