私と憲法70号(2007年2月25日)


STOP!改憲手続き法――
  3・12国会へ行こうアクションの呼びかけ

憲法9条をターゲットにし、自らの任期中の改憲を公言する安倍内閣と与党は、憲法施行60周年にあたる5月3日までに「改憲手続き法」を成立させたいとしています。
昨年末に強行成立させた教育基本法の改悪や防衛省昇格法によって、「戦争のできる国」への歩みを大きくすすめた安倍内閣は、この改憲手続き法に加えて、「改定教育基本法関連3法改悪」「米軍再編特措法制定」「少年法改悪」「共謀罪制定」「イラク派兵特措法延長」など次々と反動立法を準備しています。こんなことを絶対に許すことはできません。
私たちはいまこそ国会内外で呼応して「安倍内閣の暴走を許さない」という声を大きくしなければなりません。
昨年の「教育基本法改悪」に反対したヒューマンチェーンにつづいて、全国各地のひとりひとりの自覚した市民による「呼びかけ人」を募り、「STOP!改憲手続き法―国会へ行こうアクション」という、市民の非暴力の大きな行動を作り上げたいと思います。

 3月12日(月)は国会(衆議院第2議員会館前)に行こう! 国会に市民の声をこだまさせよう! ヒューマンチェーンとリレートークは18:30開始、19:30まで。できるだけペンライトなどの光り物や、メッセージを書いたリボン、プラカードなどをお持ちください。
この日、全国各地で同時にそれぞれ可能なアクションをつくりあげよう!

呼びかけ人を募集します。この主旨に賛同する市民の皆さんは、以下のFAX番号かメールアドレスに3月8日までに「お名前」と居住「都道府県名」、「連絡先」をよせてください(連絡先は公表しません)。
       FAX 03-3221-2558
       メールアドレス  kokkaieikou@yahoo.co.jp
       お問い合わせは 070-5212-0275へ。

とりあえずの言い出しっぺのグループ 
学校に自由の風を!ネットワーク/基地はいらない!女たちの全国ネット/教育基本法「改正」反対市民連絡会(継承準備中)/憲法改悪阻止各界連絡会議/「憲法」を愛する女性ネット/憲法を生かす会/子どもと教科書全国ネット21/子どもと法・21/市民憲法調査会/女性の憲法年連絡会/盗聴法に反対する市民連絡会/平和憲法21世紀の会/平和を実現するキリスト者ネット/平和をつくり出す宗教者ネット/許すな!憲法改悪・市民連絡会/

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10回 許すな憲法改悪・市民運動全国交流集会
改憲手続き法阻止、9条改憲阻止を決意

2月17・18日の両日、「第10回許すな憲法改悪・市民運動全国交流集会」が大阪市内で開かれた。交流会に先立ち大阪市住まい情報センターで132人の市民を集め「戦争のできる国づくりをとめよう!許すな憲法改悪・全国草の根市民集会」(とめよう改憲!おおさかネットワークと市民運動交流集会実行委員会の共催)も開かれた。

市民集会は、山本将嗣さん(関西共同行動)と土井登美江さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)の司会で進められた。はじめに中北龍太郎さん(とめよう改憲!おおさかネットワーク共同代表)が主催者挨拶をした。中北さんは「昨年の165国会で教育基本法改悪、自衛隊の海外派兵本務化、防衛省昇格など外堀が埋められた。今後米軍再編などで自衛隊と米軍の一体化がいっそう進む今国会の改憲手続き法の成立で内堀を埋め、本丸の改憲を狙っている。市民パワーを発揮してこうした動きを止めよう」と力強く話した。

記念講演・山内敏弘さん(龍谷大学)

山内敏弘(龍谷大学)さんが「改憲がめざす『戦争国家』とその布石」と題して1時間にわたって記念講演した。はじめに山内さんは、安倍内閣がめざす「美しい国」つくりの中身を検証した。(1)「女性は子どもを産む機械」発言の柳沢大臣の首を切らなかったのは安倍内閣が柳沢と同じ「美しからざる」内閣である。(2)「戦後レジームからの脱却」として改憲を明言する内閣である。(3)防衛二法改悪・教育基本法改悪・改憲手続法案を改憲の布石として進めている、と3点の指摘をした。

改憲手続き法案については、いま法案が提案されることの政治性を問題視し、もし本当に公正中立なものならば、じっくりと時間をかけて検討すべきだ、とした。法案については、投票権者の範囲を公選法のみならず民法や少年法、子どもの権利条約などとの関連も含めて慎重に検討すべきだ、最低得票率制度の不採用、「内容的に関連する事項」の場合、自民党の新憲法草案の場合はどうなるかなど、問題点を指摘した。

発言・高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)

高田健さんが当面の闘いの方向について発言した。高田さんは与党が改憲手続き法を5月3日までに国会を通そうと言っている。民主党では電話やFAXによって寄せられる多くの市民からの声に驚いている。こうしたことも続けながら、(1)3月2日の日比谷野外音楽堂での集会と国会誓願に加えて、国会前の行動や4月には日比谷集会などを波状的に取り組みたい。憲法施行60年にあたる5月3日は、全国的に9条改憲阻止の大きな運動にしよう。(3)08年5月4・5日は「9条世界会議」を東京で開く9条擁護の大キャンペーンにしようと提起した。

発言・高良鉄美さん(琉球大学)

高良鉄美さんは沖縄が平和憲法の下に復帰をねがってきたが、復帰後は憲法幻想ならぬ日本政府幻想だった。米軍再編受け入れを交付金の条件にしていることに怒っている。昨年はパトリオット配備に反対行動を起こした。昨日もステルス機の配備に抗議した。国道に銃を向けたり、新しく石垣島で軍事訓練がはじめられたりして被害が広がっているなどの沖縄の状況を報告した。そして昨年、365日主権者であるために新聞に「憲法カレンダー」を掲載する企画を行ったことや、「大学人9条の会」の報告をした。

各地の報告

「九条の会・はつかいち」(広島県)の新田秀樹さんは、昨年11月に開催した集会の美しいチラシを示しながら、7000人を集めた感動と苦心談を披露。今年は5月3日まで毎月、県内で行動を設定し、街頭宣伝などで改憲反対のキャンペーンを強めていくと話した。また自転車による平和行動として3月に「スプリング・ピースサイクル」を行って県内各地の平和メッセージを集め国会へ届けることも報告した。
「憲法を生かす会・京都」の園田裕子さんは、2000年からの1日共闘から始めて次第に大きな行動に拡げてきたことを、苦心談も交えて報告し、会場の共感を得た。学習会や署名活動、講師の派遣などをしているが、昨年の11月3日は円山公園で4000人の集会を成功させた感動も語った。いま5・3集会を準備しているが、さまざまな違いを越えて手をつなごうと発言を結んだ。
「赤とんぼの会」(大分県)の井倉順子さんからは、毎年8月15日に新聞の1ページを使った意見広告を20年にわたって出し続けている取り組みを紹介した。賛同する人に協力してもらうために、誰とでも平和や憲法の会話が出来るようにしている体験が話され、なかでもバス停で1分間にどうしたら見ず知らずの人と会話が出来るかの実演では会場が沸いた。
集会は最後に、ほっかいどうピースネットの山口たかさんが集会アピールを読み上げ全員で確認した。

第10回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会

つづいて開かれた市民運動全国交流会交流集会は、20都道府県から78人が参加して、藤井純子さん(第九条の会ヒロシマ)と原田惠子さん(関西共同行動)によって進められた。実行委員会あいさつをした高田健さんは、政党や団体を越えて市民運動が接着剤になって大きな運動を拡げよう。昨年の教育基本法反対のヒューマンチェーンのように市民一人ひとりの力を生かす努力も強めよう。九条の会の拡がりにも役割を果たしたい。九条擁護で韓国との交流を重視しよう、などを提起した。

大阪憲法会議の上原省吾さんも連帯のアピールにかけつけた。
つづいて「脅かされる生存権」をテーマに憲法25条について二人から特別報告が行われた。
津村明子さん(大阪生協連会長)は、九条の会大阪の呼びかけ人もしている。自民党の新憲法草案で、憲法25条は権利から生活保障に変えられている。いま働く女性の半数は非正規雇用となっている。一人親の母子加算が減らされ、高齢者への福祉削減もひどい。憲法25条のとおり安心した暮らしを取り戻すために、声高く発言していく、と話した。

中澤冬美さん(NPO法人しんぐるまざあず・フォーラム事務局長)は、NPO法人の相談で接している、年収の実態が180万程度、男女差別もあり子育てしながら働く条件にないなど母子家庭の実情をたくさん話した。そして憲法25条のいう「最低限度の生活」とは何かといえば「生きる希望のもてる生活だ」と断じて、憲法25条はまったく守られていないと訴えた。

韓国・平和ネットワークの李俊揆(イ・ジュンキュ)さんの連帯のメッセージ(別掲)が寄せられた。
各分野からの報告がつづいた。宗教者の松浦悟郎さん(日本カトリック正義と平和協議会会長)は、「宗教者九条の会」などをつくり憲法のおかげで新宗教・仏教者・キリスト者が一つになりつつある。憲法20条の研究をしているが、宗教者である前に市民であり主権者だ。市民とともに活動できることが嬉しい、と話した。

弁護士の松本七哉さん(大阪弁護士9条の会)は、2004年12月に会を発足させ、弁護士会を対象に過半数アピールに取り組んていることや、戦争体験の聞き取りを始めたことなどを報告した。市民運動からは、古川佳子さんが靖国合祀取消訴訟の原告として、箕面忠魂碑訴訟を始めた思いや加害に自分が手を染めている自覚、再び戦争責任を問われないために原告となったことなどを切々と語った。

女性運動をしている赤石千衣子さん(ふぇみん婦人民主クラブ)は、自民党の新憲法草案では24条を変えていないが、家族を国の最小単位に位置づけるなど戦争のできる国にくみこもうとしている。柳沢発言は人間をモノ扱いし、女性の出産を女性の権利の主体と認めていない。格差社会にもうがまんできない生活貧困に対する行動を起こしていきたいと話した。

つづいて各地からの報告と討論が2日にわたって行われた。池田年宏さん(ピースサイクル大分)は、毎年のピースサイクルの活動や連続講座、九条の歌を作ったことを報告した。小武正教さん(念仏者九条の会)は、門徒の中での呼びかけを紹介し、また二度と“鐘の出征”がないようにしたいと話した。中北龍太郎さん(関西共同行動)は、昨年「とめよう改憲!おおさかネットワーク」を結成したこと、署名や毎月の9の日行動を報告した。星野芳久さん(憲法を生かす会・東京連絡会)は政党や労組、職場に呼びかけ、国会情勢に対応して運動を進めると決意を語った。坂本照子さん(いせ九条の会)は、市内を区分して戸別に署名を呼びかけている。竹内浩三の紙芝居を作ったり、詩に曲をつけたりしている。「文化9条の会」も作ったと報告した。山本みはぎさん(愛知・不戦へのネットワーク)は、イラクに派遣されている空自の兵站基地になっている小牧空港の周辺地域へのビラ入れや、沖縄の辺野古問題などに取り組んできた。なしくずし改憲と明文改憲を止めていきたいと話した。富山洋子さん(日本消費者連盟)は、毎年の消費者大会で平和と暮らしの分科会を設け、九条と憲法を取り上げていることを報告した。大村忠嗣さん(長野ピースサイクル)は、松代大本営跡からピースサイクルを出発していることや県内の憲法運動の状況を報告した。山口たかさん(ほっかいどうピースネット)は、北海道からイラクに自衛隊が派遣されるときにできた会の活動を報告し、「明日の天気は変えられないが、明日の政治は変えられる」と、希望を語った。

その後、集会は「9条世界会議」の準備状況の報告を、ピースボートの川崎哲さんが行い、改憲手続き法反対の運動を全国的にまきおこすための問題提起を筑紫建彦さん(憲法を生かす会・東京)行い討議した。最後に集会決議を採択して閉会した。
2日間にわたる集会は熱気と確信に満ちた画期的な集会となった。(どい)

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第19回市民憲法講座(要旨)

憲法改正手続法案~何を問題にするのか?

井口秀作(大東文化大学大学院助教授)

(編集部註)1月27日の講座で井口さんが講演した内容を編集部の責任で大幅に要約したもの。要約の文責は全て本誌編集部にあります。

法案をめぐる状況

「国民投票法案」というときが多いですが、私は極力「憲法改正手続き法案」と言うようにしています。この法案は昨年の通常国会の会期末に与党案と民主党案が別々に提案されて、継続審議になりました。臨時国会で実質的な審議が始まって、年度末にいくつかの修正が為されて継続審議になりました。それで今国会を迎えています。5月3日までには通すと政府筋、中川幹事長なんかはっきり言うようになっていますし、安倍首相は他でぱっとしないからということでしょうか、「憲法改正」を参議院選挙の争点にすると言って、憲法改正手続き法について今国会で「成立を強く望む」と施政方針演説でも言っています。

この法案の審議は、衆議院では憲法調査会のあとに出来た「日本国憲法調査特別委員会」で審議されています。参議院は前回の臨時国会までは、憲法改正手続き法を審議する委員会がなかったわけで、だからこそ衆議院で採決できなかったという側面があります。今国会で最初に参議院に憲法調査特別委員会を設置しました。ですからいつ衆議院で可決しても、参議院に受け皿が出来ている状況が生まれています。自民党は意欲を見せている。他方で民主党はしばらく判断を先送りということが報道されています。腰が据わっていないというか、政治的なタイミングを見ているということだろうと思っています。
実は2005年の年末に、当時は国民投票法案と言っていましたが、議員立法で提出をして自公民で成立を図る、というのが3党合意でした。その流れからみたら、ふたつ法案があること自体がちょっとアブノーマルでして、3党合意の修正の動きの中のひとつと見ておく必要があると思います。何となく与党案と民主党案が対立しているように見るときがありますけど、むしろその3党合意の動きが続いているという構図で見た方がいいと思います。

今後は、3党合意の延長で修正協議を続け、共同修正案を自公民でつくって3党で可決をする、というシナリオがひとつ考えられます。多分民主党が「それでいい」と判断した時には早いと思います。おそらく衆議院ではいつ可決しても大丈夫という状況ではないか。参議院ではもう受け皿がありますから、すっと通ると参議院選挙よりもずっと前に成立することも考えられますね。民主党が乗らなかった場合はどうするのか。これは微妙だと思いますが、自公だけで通すことはあり得るのではないでしょうか。その場合は、与党は民主党案をかなり入れていますから「何で民主党はこれに賛成しないんだ」ということをあぶり出すという側面もある。ただそれをやった場合に、今後に憲法改正案を策定するときに民主党に協力を得られなくなる点をどう評価するかということです。逆に言うと中川幹事長が昨年の秋に言っていたように「政界再編してでも」という動きもあるわけです。民主党が共同修正に乗らなかった場合は微妙だと思います。法案をめぐる現状はそんなところです。

憲法改正国民投票制度について正しい理解を

私は「正しい理解が為されないまま法律が制定されること自体について反対である」という立場です。同時に、現在の政治状況からして好ましくない憲法運用をもたらす意味でも反対です。内容が悪いから反対だというと「じゃあこういうふうに変えるからいいだろう」となると反対できなくなる。正しい理解のもとに制定が進まないまま法案が出来ることに反対です。そう言っておくことが、仮に国民投票法あるいは憲法改正手続き法が制定されたとしてもその後の動きに影響を与える、適正な運用に資することが出来ると思っているからそういう立場を取っています。みなさんの中には現在考えられているような「憲法改正」は「憲法改悪」であって、それにつながるような憲法改正手続き法には反対だ、こういう立場があり得るはずです。私自身は憲法改正国民投票制度について正しい理解をして、立法というものはそのもとでつくるべきであるという立場をとっています。

憲法改正国民投票あるいは国民投票法とは何か

日本国憲法96条には、(1)この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する、という条文があります。
これが日本国憲法の定める憲法改正のプロセスです。憲法自体が憲法改正を認めている。

この憲法改正のプロセスはだいたい3つに分けられます。ひとつは国会が憲法の改正を「発議」する。発議と提案というふたつ言葉が使われていますが、一般的には発議と提案は同じです。発議というのは国会が憲法の改正案をつくって国民に提案することです。この憲法改正案については衆参両議院のそれぞれで、過半数ではなくて2/3以上の賛成を必要とする、これがひとつめのプロセスです。

それを国民に提案して「承認」を経なければいけない。この承認には「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」。この「国民の承認」のプロセスが一般的に「国民投票」といわれます。「特別の国民投票」というのは、ある日に国民が、憲法改正に賛成か反対かということを投票する、これが「特別の国民投票」という意味です。「国会の定める選挙の際行はれる投票」というのはたまたま何かの選挙がその時にあって、例えば衆議院の選挙があったとします。今の衆議院の選挙だとまず小選挙区で投票します。それから比例区で投票します。さらに衆議院の総選挙の時には最高裁判所の裁判官の国民審査で投票しますね。そして、ついでに憲法改正案について賛成か反対かの投票をするということです。つまり特別の国民投票か国会の定める選挙の際行われる投票なのかというのは、憲法改正の国民投票だけやるのか、選挙と一緒の日にやるのかというそれだけの話です。その国民投票で「その過半数の賛成を必要とする」となっている。これが国民による「承認」のプロセスです。それが2つめのプロセスです。

3つめは形式的な行為だということになるわけですが、もし憲法改正案が国民の過半数の賛成を経た場合には天皇が国民の名で公布をする。天皇の「公布」ということになるわけです。国会の発議、国民の承認、天皇の公布という3つのプロセスが憲法改正の手続きとしてあるわけです。一般的に国民投票は真ん中の国民の承認のプロセスです。憲法を忠実に理解するとこの国民投票は国会が発議した憲法改正案を承認するかどうか、これが問われるわけです。憲法の条文からすると当たり前の話です。しかし実はこの当たり前の話がよく理解されないまま、議論されているときがあると思います。そのことを少し強調したいと思います。

国民投票制に対する間違った認識

憲法改正の国民投票は、国会が発議した憲法改正案を承認するかどうか、それだけが問われるわけです。よく護憲派と改憲派とふたつが対立していて国民投票でどちらが多いか決めるという見方があります。これは明らかに間違いです。だって国会が発議した憲法改正案に賛成するか反対するかが問われるわけで、賛成するかどうかは改正案によって決まります。改正案が出来る前から賛成する人・反対する人が決まっているわけではありません。あくまでも憲法改正の国民投票は憲法改正案に対して賛成か反対かが問われるわけです。よく「国会の中では改憲派が多くたって国民の中では護憲派の方が多いんだ」という意見があります。そういう議論をすると「大多数の国民が改憲を望んでいないという改憲反対派の主張を立証するためには、国民投票で否決するのが筋である」という。これは憲法調査特別委員会での民主党の枝野氏の発言で、社共の議員に対する発言ですね。立証するためには「国民投票が必要だろう、そのためには」という立場です。改憲派と護憲派が最初からあって、国民投票はどっちが多いかを決めるプロセスだとしたら、これはその通りですよ。

でもこれは明らかに間違っています。というのは国会が発議した憲法改正案について承認されなかったとします。それは何を意味するんでしょうか。これは単に「国会が発議した憲法改正案を過半数の国民が賛成しなかった」ということだけが決まるわけです。国民の中の一部は国会がつくった憲法改正案には反対だけど、こういう憲法改正案だったら賛成だという人間がいるかもしれない。とすると憲法改正案が否決されたとしても、それだからといって護憲派が圧倒的多数だとかそういうことを示すものではないわけです。これは、そう考えないと困るんです。だからこそ、国会に与えられている権限は「憲法改正を発議すること」だけなのであって、「憲法改正をしないこと」を発議する権限は、憲法96条からは出てきません。確かに「憲法改正をしないこと」を発議して、国民の圧倒的多数が「そうだ」といったら護憲派が多いというということになる。しかしその権限は実は与えられていません。だから憲法改正の国民投票法は、国会が発議した憲法改正案を承認するかどうかなのです。改憲派、護憲派が対立していて、国民投票でそれが多いか少ないかどっちかを決めるというプロセスではないわけです。だから「国民の中には護憲派の方が多いんだ」という主張は、だからといって「国民投票でそれを問わなければならないんだ」ということにはつながらない。そこを間違ってはいけないと思います。

護憲派が国民の中に多いと言った上で「じゃあそれを国民投票で証明した方がいいだろう」ということに対しては「この国民投票はそれを証明する手段ではない」と答えなければいけないわけです。憲法改正の国民投票は、あくまでも国会が発議した憲法改正案を承認するかどうかということに過ぎないわけです。民主党の枝野さんの発言は多分そういう誤った図式で見ているわけですね。憲法改正をする側も反対する側もそういうふうに見ている側面があるわけで、その点は、注意が必要ではないかと思っています。

憲法改正手続き法とは何か

その次ですが、憲法改正手続き法あるいは国民投票法とは何かということです。これも誤解をされていることがあります。一言でいうと「憲法96条の具体化法」です。大まかにいうと国会が発議、国民が承認、天皇の公布、ということだけが決まっています。例えば「国民に提案してその承認を」となっていますがこの国民の範囲は選挙と同じ20歳以上なのかそれとも18歳なのか、それから「その過半数の賛成を」となっていますがその過半数の「分母」はいったい何なのか、をはっきり決めなくてはいけない。それから発議していつ投票するのか、これはどういうふうに決めるのか。その細かいことを決める、そういうものであるわけです。

もうひとつは、国民投票の具体的なやり方を決める法律ということになります。「国会がこれを発議し」という国会の発議のプロセスがありますね。国会は法律をつくる立法機関であるわけで、じゃあその立法手続きはどうやって決めるかということです。例えば何人の賛成があれば法案が出来るかとか、そういうたぐいのものを決めなければいけません。これは、国会法という法律で決まっています。これまでは法律についてはその国会法で決まっていたわけです。ところが憲法96条でいう憲法改正案を発議するわけです。憲法改正案を国会が決める手続きについては今まで国会法が定めていなかった。そうすると憲法96条のプロセスを具体化するためには、憲法改正のための国会法の改正が必要になってきます。以前は国民投票法と国会法の一部改正とふたつに分かれていて、一般的には国民投票法の議論がされていました。ところが昨年国会に提出された憲法改正手続き法は、その国会法の改正の部分と、国民投票法制定の部分の両方が入っているものです。なので、僕自身は国民投票法と言わずに憲法改正手続き法と言うようにしています。

住民投票と国民投票の相違点

憲法改正手続き法あるいは国民投票法を、いわゆる住民投票と一緒に考える人がいます。それも誤解があることです。日本でも新潟県の巻町の原発に関する住民投票や、最近では岩国の米軍基地の移設に関わる住民投票などが行われています。この住民投票は、議会が個別に住民投票条例をつくっています。これと、国民投票、憲法改正手続き法をならべて、住民投票に賛成にしている人たちが何で国民投票法をつくることに反対するんだ、といわれるときがあります。しかしここは重要な違いがあるんです。地方自治体が住民投票をやるときになぜ住民投票条例をつくるのかというと、もちろんルールを定めなければいけないということもあります。けれども、現行の地方自治法上も憲法上も具体的な政策について賛否を問う住民投票制度は定められていません。だから住民投票条例をつくらないと住民投票できないわけです。そうして住民投票は、法律上正規なものじゃないからその結果については法的拘束力がない、とされています。実をいうと圧倒的多数は地方の議会が否決して住民投票はやられていません。じゃあ、国民投票法に反対して国民投票運動をやらないのは同じじゃないか、といわれるときがあります。これは誤解です。

というのは地方自治体で「具体的な政策について住民投票を行いますよ」ということは、憲法にも地方自治法にも書いてないです。ところが「憲法改正の場合に国民投票をやりますよ」ということは憲法96条に書いてあります。60年前から決まっている事柄です。それを、法律をつくらないでやらせない、ということはもともと出来ないことです。そこの点が住民投票条例の場合と違うわけです。住民投票の場合は住民投票をやるかどうかということ自体が論点です。憲法改正の場合に国民投票をやるかどうかというのは論点じゃないわけです。住民投票条例をやっても法的拘束力はないから市長や議会は拘束されないわけです。しかし憲法改正の場合は国民投票が行われないからといって、勝手に内閣や国会だけで憲法改正をやっていいということになりません。繰り返しますけど、憲法改正の場合には国民投票が行われるということについては憲法で決まっている事柄なわけです。

もうひとつ重要な点があって、住民投票の場合は住民の中で原発について賛成の人と反対の人とどっちが多いのか聞いて、結果を踏まえて議会なり市長なりが決めましょうというものですね。そうすると賛成派、反対派にとって、議会は中立的な立場ですね。じゃあ憲法96条の場面を考えてください。国会が発議した憲法改正案に賛成か反対かを問うわけですね。それだけが問われるわけです。すでに国会は中立的立場ではないですね。国会は憲法改正案をつくって国民に提案するわけでしょ。提案するっていうのは「賛成してください」というわけです。つまり、国会はもともと憲法改正の国民投票ではニュートラルな、中立な立場ではないわけです。とするとおのずと住民投票と違う制度設計があり得るわけです。

もうひとつ言うと、憲法改正案を国会が提案したら国民投票が行われるわけです、国会が提案しなかったら国民投票は行われないわけです。よく護憲派の人が国民投票から逃げていると言われますけれど、改憲反対の人って逃げようがないわけですね。逃げられるとすれば憲法改正したい側ですよ。本当はこういう憲法改正案をつくって改正したいけどまとまらないし、国民投票をやったらこれは負けるかもしれないからまだ出さないとかね、これは逃げていると言えますよ。反対する側はこれは逃げようがないということです。

制度設計上の基本思想の誤り

国民投票にとって国会は中立的な機関ではないはずですね。もともと与党案では憲法改正案広報協議会が、民主党案では国民投票広報協議会がありました。名称はどうも両案の修正協議のあとで国民投票広報協議会になるようですが、これはかなり問題があります。国会が、国民投票に関わる広報に介入をすることについてあまりにも鈍感ではないのかと思うんです。

無料の広告枠の話もみなさんは知っているかと思います。政党に対して、もともとの案ではテレビと新聞で憲法改正についての無料の広告枠を出すという制度がありました。もとの案は議席に比例して改正に賛成と反対の意見をのせるという案だったわけです。よく考えてみると政党が何でこういうことをするのかということです。国民投票で国民の意見を問うわけです。何で国会に議席を持つ政党が無料の広告枠を与えられるのか。その点でも修正協議の中では政党の指定した一定の市民団体にもテレビのCMなどでの意見広告が認められている。だから例えば「九条の会」などでは認められる可能性があるわけです。国民投票にとって国会は必ずしもニュートラルな機関ではないのに、なぜ国民よりも政党を優遇するのかということです。

民主党が新聞の無料広告枠を取り下げた理由は、紙ベースのものは国民投票公報にのるからいいという議論だった。これはかなり誤った認識ですね。つまり国民投票公報にのるのは国会であった賛成、反対という議論、に尽きるから、新聞にのせることはないじゃないかという議論でした。けれど、さっき言ったような一定の市民団体にも、それをなくすというのはやっぱり問題があります。でも国会がニュートラルではないということに気がつかないで制度設計すると、「国会で反対派の意見を述べていることが国民投票公報にのるんだから問題ないだろう」ということになってしまうんです。与党案のテレビの方はあるとしても、そういう問題があります。

よく賛成派、反対派ということを言われます。だいたいこれが改憲派、護憲派と同じ意味で使われています。これも非常に問題です。国会は改正案を提案して「承認してください」とお願いする立場ですから「賛成派」というのは「国会派」で、国会派と反対派でバランスが取れるはずです。もとの法案では政党の無料枠の主語は政党が無料の広告をすることが出来るという規定でした。政党が主語でした。それが今度は国民投票広報協議会が広報の放送をする、主語が変わっています。その国民投票広報協議会のやる放送の内容の中に国民投票広報協議会の憲法改正案に関する広報その他と、賛成の政党の意見、反対の政党の意見の3つがあるわけです。3つをよくみると、広報協議会の行う憲法改正案の広報は憲法改正案はこういうものですよ、というものです。それに賛成のもの・反対のものとなるわけです。いまやっている議論は賛成・反対の意見を議席配分するのは問題だからこれを半分半分にするとなっていますけれども、よく考えると均等にいったとして2:1で賛成派の方が多くなる。これは基本的な制度設計上の間違いではないのかという点が僕は少し気になっています。そういう制度設計上の問題、制度設計の基本思想のところに誤りがあって少し気になっているところです。

憲法改正に賛成――何に賛成するのですか?

私は憲法改正に賛成だから、憲法改正手続き法をつくって賛成をするから必要なんだ。こういう人たちがいます。最近では学生でも堂々とそう言うことをいうことがあります。そういう学生に僕は「憲法改正に賛成だから手続き法制定に賛成だというけれど、じゃあ何に賛成するの」と聞くんです。すると「憲法改正に賛成」と言います。ところが国民投票では憲法改正に賛成か反対かは問われない。何に賛成するかといったら国会が発議した憲法改正案に賛成せざるを得ない。だから「君が思っているような憲法改正案が出てくるとは限らないのに何で最初から賛成だって言うんだ。君の考えとまったく違う方向の改正案が出てきても賛成するのか」と言うとだいたい黙るわけです。何に賛成するのか。憲法改正国民投票はあくまでも国会が発議した憲法改正案を承認するかどうかです。だから学生には「それはお見合いの写真を見る前に結婚しますといっているようなものだ。結婚したいからって、じゃあお見合い写真も何も見ないでお前は決めるのか」ということだといっています。一定程度の憲法改正案をイメージして賛成だという人は当然いるわけです。比較的まじめな人というか、「憲法の条文と実態が乖離してしまった、だから憲法を改正して現実と実態が一致するような憲法改正をすべきである」という人がいます。その人たちは、そういう憲法改正案が出されなかったらどうするのか、その保証はないわけです。

憲法審査会――解釈改憲、国民投票の両にらみの法案

憲法改正手続き法が制定されると憲法「改正」は必ず進むのか。これは必ずしもそうではありません。あんな解釈改憲はよくないからはっきり国民投票をやって明文改正すべきだ。だから憲法改正手続き法をつくるべきだという議論があります。しかし、手続き法はつくったけど、改憲派は逃げられるわけです。発議しないで国民投票をやらないという選択はあります。それを「解釈改憲」というわけです。手続き法は出来たけど、どうも国民投票に負けそうだということになったら、やらないこともじゅうぶんあり得るわけです。

実際に集団的自衛権の見直し論が年末から政府からも民主党からも出てきました。今までは内閣法制局の解釈で集団的自衛権の行使はできないという解釈を取ってきました。これが邪魔だと思っている人はたくさんいます。邪魔なのは憲法があるからで、正当なやり方であれば憲法改正をして、堂々と集団的自衛権を認める憲法改正案を発議して、国民の賛成、承認を得る手続きが考えられます。その手続きを片方でつくっているようなポーズを見せながらですよ、実は安倍首相も民主党も「現行憲法下で出来る集団的自衛権を」とやっています。とすると逆に国民投票法が出来ても「改正」は進まない、解釈改憲は進むということがあり得るわけです。

その点で重要なのは、法案の中にある憲法審査会です。憲法審査会に一定程度国会の憲法解釈機能を与えようとしているわけです。これは内閣法制局の集団的自衛権は行使できない、といっていることをかなり強く意識しているものではないかと思います。安倍首相のような路線に乗ったことを国会で議論して、「現行憲法下でこれくらいの集団的自衛権の行使は出来るんだ」という解釈をやるわけです。そして内閣法制局の解釈を飛び越えることがあり得るわけです。そうすると明文の憲法改正も国民投票も行われないで、むしろ解釈改憲を助長する。この法案のひとつのポイントはそこであると思います。つまり解釈改憲も進めるし、もし勝てそうだったら、まとまりそうだったら国民投票もやる、両睨みの法案だと思います。

主権の行使に反対すべきでない?

主権の行使である国民投票の実施に反対すべきではない、むしろ国民投票で賛成か反対かを問うべきだから、手続き法をつくった方がいいという意見があります。では憲法改正国民投票が行われないはどのような状況なのか。憲法改正について国民投票を行わなければならないというのは60年前から決まっています。ということは国民投票が行われないのは、憲法改正の発議が為されない状況です。それだけの話のわけですね。

60年間、国民投票が行われなかったのは「国会が憲法改正の発議をしなかった」ということに過ぎません。可能性も展望もないから手続き法も制定してこなかったわけです。だからこそ、制定に反対という動きもそれほど強くなかった。国民投票が行われるのは発議されたらです。そうするとこの場合は憲法改正の発議の意味が重要になってきます。憲法改正案をつくることが発議ですから、発議に賛成することは国民投票に賛成することですね。逆に「憲法改正に反対だから憲法改正案に反対」です。そうすると「発議に賛成しようがないわけだから国民投票の実施に賛成しようがない」ということになります。だから憲法96条の枠組みからいったら、国民投票をすべきだと考えたって、憲法改正に反対の人たちは国民投票をしろ、という立場にないわけです。だから「主権の行使だから国民投票を行うべきだ」というのは憲法改正反対の人たちに言ってもしょうがないわけです。

さらにそれを推し進めて、この際国民投票をやって憲法改正案を否決した方がいいという見解があります。憲法調査特別委員会で自民党の葉梨さんが「これは護憲派のための国民投票法でもある」という発言をしています。つまりこれは憲法改正の発議を否決すれば護憲派のためになるということです。しかし憲法改正に反対する側からすると国民投票を求めることはできないわけです。例えば「天皇を国家元首とする憲法改正案」が発議されたとします。今は天皇は象徴という地位です。これを国民投票で否決したらどうなるか。否決したからといって別に天皇制がなくなるわけじゃないです。単に天皇は元首であるという改正案が通らないで現状維持される、何も変わらないです。重要なのは、否決するために国民投票を求める意味があるのかということです。国民投票1回の経費は与党案では約850億円、民主党案では約852億円、その2億円の差は投票者の年齢が2歳違っていたことが試算であった。850億円かけてわざわざ否決するのはかなりの税金の無駄遣です。反対側からしたら、わざわざこんなことやってもらうべきではないわけです。そうすると発議に反対、国民投票に反対する、われわれは反対だから、ということはじゅうぶんに正当な理屈になるわけです。

解釈改憲の克服のために?

解釈改憲をやめさせるために否決した方がいい、あるいは可決されても解釈改憲よりはいいという議論があります。では解釈改憲を克服できるのかというと、これはできない。なぜならば、憲法改正の国民投票で問われるのは国会が発議した憲法改正案に賛成かどうかが問われるだけなのであって、解釈改憲の是非が問われるわけではありません。ましてや憲法改正案が承認された場合、それがまた適切な運用が為されるとは限りません。さらにまた新しい憲法の条文の中で解釈改憲が行われるかもしれません。ジャーナリストの今井一さんなんかは「改正案が否決されたら自衛隊を廃止する」という約束をした上で否決されたらそうなると言っています。僕はそういう約束をすること自体が非現実的だし、やってはいけないと言っています。例えば憲法九条の改正案にこれをくっつけると、ひとつの投票でふたつのことが問われます。つまり、国会が発議した憲法改正案に賛成か反対かということと同時に同じ一票で自衛隊を廃止することに賛成か反対か、というふたつのことが問われるわけです。ふたつのことを一票で答えなければいけない。憲法改正には反対だけど自衛隊を廃止するのも反対だという人は投票しようがない。こういう約束をすることは、自衛隊は憲法違反であると認めることです。国会の2/3以上の発議でこの約束をすることは国会が自衛隊は違憲であるということを認めているということでしょ。そんな国会に、発議する権利なんてないわけです。だからこういう約束はしてはいけないということです。

それからもうひとつ、国民の中では九条の護憲派は多いから、他の条文と区別して投票すればいいという議論があります。いまのところ「内容において関連する事項ごとに区分する」ことが法案の立場です。例えば、憲法九条の改正案と環境権を新しくつくる条文が一緒に一票で問われることはない、ということは多分言えるでしょう。だからといって問題は解決しません。憲法九条の改正についても自衛隊を戦力として、自衛のための戦力保持を認めるという改正案と、これは2項の改正案ですね、それに3項をプラスして集団的自衛権を認めるという改正案、ふたつのことが問われますね。自衛のための戦力の保持は認める、だけど集団的自衛権は認めないという意思だってあり得ますね。おそらく自衛のための戦力を認めるという改正案と、集団的自衛権を認めるという改正案は「2項と3項は内容において関連するからひとつである」というかたちで問われることになるはずです。まして全面改正の場合、これを1個1個取り出すことはあり得ないです。その点で、いまのところ自民党の新憲法草案も民主党の憲法提言も全面改正を志向するものです。全面改正の場合には憲法九条も全体の中の一部分となって、そこだけ切り離すことは不可能になると思います。

もうひとつこういう議論もあるんですね。憲法を国民の手に取り戻すために国民投票をやろう、国民投票をやっておおいに憲法の議論をしようという人もいます。でも国民投票をやらないと憲法の議論をしないのかというと、それもまたおかしな話です。むしろ議論した上で必要だったら国民投票をやろうということになるはずです。これは郵政民営化に賛成かどうか国民に聞いてみたいという議論と同じで、つくられた議論です。先に憲法を国民に取り戻した上で国民投票をやるべきなのに、逆ではないかと思います。

60年前に「つくっておくべきだった」のか

手続き法だから存在して当たり前だということです。これは60年前に憲法が出来たときに「つくっておくべきだったのにつくっていないから立法の不作為だ」という議論をします。僕は「つくっておいてもよかった」という程度に過ぎません。これは立法不作為でも何でもないことです。なぜ制定されなかったかというと、国会が憲法改正案を発議する可能性がなかったからです。単にそれだけの話ですね。それから「どれほど空洞化しようとも、その現実を見ることなく、現行憲法の一字一句を守ることが平和を守ることだとする、相変わらずの護憲論がある」とありますが、これを言ったのも民主党の枝野さんです。昨年11月3日の憲法公布60周年の談話です。

しかし「現行憲法の一字一句を守ることが平和を守ることだとする、相変わらずの護憲論」というのがあっただろうか。いわゆる護憲論の人たちは、単に憲法の一字一句を守ることだけをいってきたわけではない。例えば岩国の米軍基地の住民投票で頑張った人たちは、憲法の一字一句を守るのとは関係のない運動ですけど、やっぱり護憲論だと思います。日米安保条約反対闘争は憲法の一字一句を守ることとは関係がないけど、やっぱり護憲運動であったと思います。そう考えてくると、枝野さんの言っているのは何だったかということです。これは歴代の自民党政権だったと思います。というのは、小泉首相が出てくる前くらいまで は「私の総理在任中は憲法改正をしません」と言ってきました。その意味は「憲法の一字一句をいじることはしない」ということ「だけ」を意味するのであって、ガイドラインをつくらないとか、日米安保条約の見直しを行わないことを意味するものではありません。憲法の一字一句さえいじらなければいいというのは、まさにこれは歴代自民党政権です。そうすると、そんないじるための手続き法なんかをつくってこなかったのは当たり前の話のわけです。

もうひとつ、憲法改正の内容が煮詰まってくると公平な制度設計ができなくなると言う人がいます。枝野さんなんかもこう言うときがあります。しかし、60年前にもし出来ていたらいまみたいな議論もまったくなしにもっとひどい法案、多分もともとの公職選挙法とそう変わらないものに規制が加わるようなものが出来ていたと思います。とすると改憲の動きが強くなれば強くなるほど国民の関心が強くなって改憲派の有利な制度設計はむしろやりづらくなるという気がするんです。住民投票条例の場合は住民投票をやること自体が保証されていないから、先に問題があってそれから条例をつくって制度設計をしています。住民に問いかける問題があって、いくらでも公平な制度設計をしているところだってあります。そうすると、地方の議員に出来て国会議員に出来ないのか。やっぱり手続き法だから存在して当たり前で、つくることが正義であるかのごとく言うのはおかしいと思いますね。

いま憲法改正手続き法を制定する政治的意味

最後ですが、いま憲法改正手続き法を制定する政治的な意味を考えておく必要があります。確かに手続き法をつくって明文の憲法改正をしようという方向がなんとなくある。しかし依然として解釈改憲で進もうという動きは強いわけです。民主党も自民党も「現行憲法下でできる集団的自衛権」といっている。そういう動きの中で憲法改正手続き法をつくると、憲法審査会のように解釈改憲を助長する可能性があります。そうすると、国民投票を行うときにはもう憲法改正が完成していることになる。集団的自衛権がここまで認められている、こういう改正案に賛成をしても現状はたいして変わりませんよ、じゃあ反対したらどうなるかというと現状維持です。賛成しようが反対しようが実を言うと同じじゃないかという方向に行く可能性があります。例えば、憲法89条に公の支配に属さない団体にお金を出しちゃいけないという規定があります。私学助成というかたちで公の支配に属さない団体にお金を出しているのは違憲ではないかという議論がありますね。私学助成を合憲だとする憲法改正案をつくって国民投票をして、憲法改正案が賛成だとどうなるかというと私学助成はなくならないわけです。じゃあ否決したら憲法は変わりません。いまの憲法のもとで私学助成はずっと行われていく。そうすると憲法改正案を否決しても私学助成はなくならない、賛成しても私学助成はなくならない、何のための国民投票だったんだということになる。こういう方向に行く、むしろ行っていると思っています。そういう制定の意味を考えておく必要があるんじゃないかと思っています。

それから「国民投票で勝つことが最終目標か」ということです。これは僕は間違いだと思っています。憲法改正反対の立場からしたら国民投票は求めるものではないわけだから、国民投票で勝つことが最終目標だとしたら最終目標に永遠に到達できないかもしれませんよ。いままで護憲派は何を主張してきたのかということを考えておく必要があります。最終目標だと考えるから国民投票をやってもらわなくてはいけない、じゃあ国民投票法をつくらせなければいけない、発議してもらわなければいけない、という非常に奇妙な議論をしなければいけないわけですね。そうではないというふうに思うんですね。国民投票に勝つことだけが目標だとすれば、いま護憲運動は何もすることがない、発議されたらするということになります。憲法改正に反対する人たちは、決して国民投票に勝つことだけが目的でもないし、いまでもやることはいくらでもある。あくまでも、その一環として改憲手続き法反対という運動を位置づけていかないといけないのではないのかなと思っています。

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許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会への
韓国/9条市民連絡会議からのメッセージ

皆さん、お元気ですか。韓国・平和ネットワークの李俊揆(イ・ジュンキュ)です。
韓国と日本の市民は2005年の11月3日、2006年の5月3日、そして2006年の11月3日まで3回にわたって「平和憲法をまもり、その理念を北東アジアと世界に広げていく」ための日韓共同行動を行なってきました。その間、韓米・日米同盟の再編、北朝鮮の核実験など色々と情勢の変化もありましたが、むしろそのような北東アジアの情勢は平和憲法の大切さを教えてくれました。

韓国では、2005年NGOの活動者や研究者を中心にした「日本平和憲法勉強会」の一年間の活動に基づいて日本の憲法改悪に対応するための「市民連絡会議」を結成しました。そのネットワークには平和ネットワーク、平和博物館建立推進委員会、民主社会のための弁護士の会、アジア平和と歴史教育連帯、参与連帯平和軍縮センターなど五つの団体が参加しています。3回にわたって平和憲法に関する日韓連帯ができたのは日本市民社会の積極的な提案と、そのような韓国での動きがあったからであると私は考えます。しかしまだ韓国では活発な活動には繋がっていない状態です。勿論その一つの理由は韓国の場合、何よりも北朝鮮核問題や韓米同盟再編が起こしている問題が多すぎからであります。

しかし理由はそれだけではないと思います。皆さんご存知のとおり、日本の平和憲法には歴史的、現在的、そして将来的意味があると思います。歴史的に日本の平和憲法は、特に第九条は過去に対する反省と和解を基礎にした日本とアジア民衆の約束であり、日本が再び戦争をする国にはならないという宣言でもあります。ですからこそ、色々な紆余曲折がありましたが日本の平和憲法は現在まで日本と周辺国の信頼関係の基盤です。

ところが、日本の平和憲法はもっと大切な意味を持っています。去年11月3日の共同声明が明らかにしたとおり、「日本の平和憲法は東北アジアに平和と人権の共同体を創設するために」、そして北朝鮮核問題やアメリカの主導している同盟再編による「東北アジアの軍事的緊張を克服し武力的衝突を予防するために」現在にも将来にも大切な資産です。韓国で平和憲法に関する運動が持続性を持つことができない理由はそこにあると思われます。そのような日本平和憲法の現在的かつ将来的意味の現実感が足りないと思います。ですから、これから平和憲法に関する日韓連帯の重要な課題は「平和憲法」と「平和憲法の理念」がどうやって現在の問題や東北アジアの平和に寄与することができるのかを具体化することになるかもしれません。勿論、そのためにはもっと日韓市民レベルでの議論や交流が活発にならなければと思います。

皆さん、「平和憲法を守り、その理念を世界に広げていく」ための日韓市民の連帯は意味深い成果を出してきました。韓国と日本で同時に共同行動ができたことがその証拠なのです。その中で日韓連帯のネットワークも強化しました。2007年には日本の参議院選挙、韓国の大統領選挙があります。平和を熱望する「市民の力」を、そして日韓市民連帯のパワーを発揮する時期です。お互いにがんばりましょう。

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第10回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会(in大阪)アピール

2月17~18日、私たちは大阪で「第10回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」を開き、憲法改悪阻止の市民運動の全国的連携をいっそう強化し、発展させる決意を新たにしました。

いま開かれている第166通常国会では、任期中の改憲を公言する安倍内閣のもとで「改憲手続き法案」が最重要法案とされています。改憲派は5月3日の憲法記念日までに同法案の成立をはかると公言しています。私たちは「戦争のできる国づくり」をめざす9条改憲のための「改憲手続き法」はいらないとの基本的立場から、この法案の廃案をめざしてたたかいます。当面、この法案の問題点の広範な暴露をさらに強めつつ、全国的に「STOP!改憲手続き法案」の運動を急速に強めなくてはなりません。

あわせて、安倍内閣がこの国会でおしすすめようとしている米軍再編関連法案、少年法改悪法案、共謀罪法案、改悪教育基本法関連3法案、派兵恒久法案などの諸悪法に反対し、集団的自衛権行使のための解釈改憲に反対し、改憲暴走に歯止めをかけましょう。

今年は憲法施行60周年にあたります。憲法記念日の5月3日を全国各地で大規模な共同した改憲反対のキャンペーンとして闘い、9条改憲反対の世論をいっそう強化するために行動しましょう。この運動を通じて、「九条の会」など9条改憲阻止で共同する幅広いネットワークを全国津々浦々の草の根につくり出しましょう。憲法9条を高く掲げ、反戦平和の運動を大きく発展させましょう。きたる統一自治体選挙と参議院選挙では9条改憲反対を掲げる良心的な候補者を一人でも多く当選させるために協力しましょう。

9条の改憲に反対し、それを生かす課題は日本国内だけの問題ではありません。米国のブッシュ政権は「テロとの戦い」を旗印に、イラクへの米軍の増派を決め、「この重要な時期に米軍を増派することが、イラクにおける暴力の連鎖を食い止め、駐留米兵の帰還を早めることになる」などと叫んでいます。しかし、米国内でも、また世界各地でも「武力で平和は作れない」「武力が作り出すのは破壊と憎悪だけだ」という声が広がっています。

いまこそ世界の人々と手を結び不戦・9条擁護の国際的な連帯をつくり出しましょう。とりわけ、この数年来、強化されてきた日韓の市民の9条連帯の運動を強め、さらに東北アジアの9条連帯の運動を強めることで、アジアにおける軍事的緊張激化の逆流をうち破っていきましょう。そのためにも2008年5月に日本の各地で予定されている「9条世界会議」の歴史的な成功をたたかいとりましょう。

2007年2月18日 許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会参加者一同

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