私と憲法67号(2006年11月25日発行)


市民運動の形態と質の変化から学ぶもの

この11月に「憲法九条と平和を守る大分県民集会」の講演で招かれたおり、その実行委員会の人々と懇談をする機会があった。そこで大分県の憲法運動の歴史について教えていただき、感心させられた。大分県では5月3日の憲法記念日には、1971年以来36年にわたって毎年、各団体・各政党が共同で講演会を継続してきたという歴史がある。36年前には県労評と司法の独立を守る大分県民会議が共同で集会を開き、1983年には科学者会議、青法協、県労評、中央地区労、社会党、共産党の6団体で「第13回憲法記念日集会」を開いている。以降、その6団体主催の集会は2005年までつづき、その延長上に「平和憲法を守る会・大分」が立ち上げられ、このよびかけで、市民団体も含めて県内45の団体がはじめて手を結んだのが、今回の「大分県民集会」だったという。この36年間というのは全国的に見れば社共共闘がほとんどのところで崩壊し、各種の平和運動は分裂した時期であった。大分でこうした共闘が堅持され、こんにちさらに新たな展開を見せていることは注目に値すると思った。

最近の憲法状況と関連して、「なぜ60年安保闘争のような巨大な共同行動ができないのだろうか」という質問にしばしば出会うことがある。総評、社会党、共産党、文化人などによる安保改定阻止国民会議が全国各地の2000におよぶ安保共闘を基礎に大闘争を組んだという歴史との比較での問いなのだ。これへの私なりの回答や、今日の「九条の会」の意義などについては様々に語ってきたので、ここでは割愛するが、考慮すべき一つの問題がある。それは市民運動の問題だ。60年安保闘争で果たした「知識人」の役割は決して小さくないが、市民運動としての登場とは言いにくいし、全体としては社共共闘を軸にした団体共闘であった。数十年を経て、今日、明らかにこの平和運動に「市民運動」が登場し、成長している。古くは「べ平連」に源流をもとめる人もいるが、それはさておき、このところの「WORLD PEACE NOW」にしても、「九条の会」にしてもその背後に個人の、市民の力強い登場がある。この変化は「平和憲法を守る会・大分」が個人参加形態で700人弱で構成され、それがさらに様々な45の団体を結集した共同行動となっていることと共通しているのではないだろうか。

165臨時国会の衆議院における教育基本法改悪法案の強行採決に抗議し、参議院段階で教育基本法の改悪を阻止するためのあらたな運動の開始を決意する国会前ヒューマンチェーンが取り組まれたことも重要だ。このヒューマンチェーンは11月8日、2300人を結集した第1波行動に続いて、16日、5000人の市民や諸団体、労働組合などの人々の参加を得て、大きな、画期的な成功をおさめた。この行動の呼びかけ人は現場に駆けつけることのできない全国各地の人々を含めて1800人。行動の事務方は教育基本法や共謀罪、憲法改悪などそれぞれに取り組んできた市民団体が共同してあたった。夕闇に包まれた衆参議員会館前の通路には何重もの人の列ができ、350本を超えるキャンドルと100本あまりのペンライト、それぞれの声を書いたリボン、横断幕、のぼり、ピース旗などが色とりどりに掲げられ、2分間アピールでは次々と人びとが声を上げた。運動が「国会前ヒューマンチェーン」という、1人1人の市民が自発的に参加し、行動し、連帯する、またあらたな形態を生み出したのだ。(事務局 高田健)

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第17回市民憲法講座(要旨)靖国神社・その虚実

辻子 実(ずし・みのる)さん(「靖国参拝違憲訴訟の会・東京」事務局長)

(編集部註)10月21日、市民憲法講座で辻子さんが講演したものを、編集部の責任で大幅に要約したものです。文責はすべて編集部にあります。

【講演に先立ち台湾・高砂族の元日本兵の遺族を追ったドキュメンタリーを上映した】

どんなに靖国の虚を暴いたとしても、いま見ていただいたビデオのおばあさんのあの悲しみの深さをくつがえすことはできないだろうと思います。でもそれゆえにこそ、靖国問題を日本人は日本人としてちゃんと知っていかなければならないという思いに駆られるわけです。今日はみなさんのお手元に「やすくに大百科」と遊就館のパンフレット、それから南部利昭という人が書いた印刷物が配られていると思います。これは靖国神社で無料配布しているものを取ってきてもらいました。私がどんなに用意しても、ここまできれいにできないし、靖国神社のためにお金をかけることはないと思うので、靖国神社で配布されているものを使ってお話を進めていきます。

『やすくに何でもQ&A』に見る神社の矛盾の数々

まず「やすくに大百科」の中ページを開いて下さい。「物知りポッポの『やすくに何でもQ&A』」が書かれています。これは小学校4年生程度に理解できる基準で書かれているそうです。「白鳩のポッポ」というのが登場しています。この白鳩の説明で「ポッポの仲間が約500羽います。1万羽に1羽しか生まれないという、真っ白な伝書鳩です。「毎日2回、レオポルド・モーツァルト作曲の『おもちゃのシンフォニー』が境内に流れると、ポッポたちの食事の時間です」とありますが、実は今行われていません。というのはドバトと交配して白鳩がいなくなっているんです。前は靖国神社はドバトが混ざってくると、人間の手で捕まえてどこか郊外で放していました。それでもドバトの方が強いので、今では鳩小屋の中で餌を支給しているものですから、鳩はなかなか鳩小屋から出ずに、白鳩の乱舞はほとんど靖国神社では見られません。鳩の餌の自動販売機も今はなくなっています。

ここに「靖國神社って、いつごろ、誰が建てた神社ですか?」と書いてありますけれども、1869年に最初に東京招魂社という名前でつくられてその10年後に靖国神社という名前になっています。ここでは「明治維新で亡くなった人々のことを、いつの世までも伝えるために明治天皇は」と書いてあって一般的には明治天皇が靖国神社をつくったといわれています。それはそれで間違いないですが、この前段があって、最初の招魂社の始まりは山口県でつくられています。官軍、賊軍に分かれて明治維新の内戦が行われましたが、そこで長州藩の高杉晋作などの戦没者を祀ったものが最初です。そのあとが桜山神社という神社になっていますけれども、仮設の神社みたいなものをつくってそこに魂を呼んで、「非業の死」を遂げた人を祀った。官軍側が上京して、江戸城の中で招魂式が開かれ、その次に東京招魂社がつくられた。招魂社はある意味で仮設のイメージがあるんで、そこを神社として代々天皇のために死んだ人間を合祀することが靖国神社の役割になっていった。ですから戦前でも、あれは長州の神社だから認めないという発言を右翼の中でもしている人がいます。そういう神社なので、靖国神社は重箱の隅を突っつくと矛盾があるわけです。それが今日、「靖国神社-その虚と実」というタイトルにさせていただいた由来です。「靖國ってどういう、意味なのですか?」というのはここに書いてある通りで、これがいいか悪いかは別として、「安国」という意味で名前を付けたという由来になっています。

祭神には子供も女性も賊軍も

次に「『靖國神社』にはどんな神様が祀られているの?」という質問です。「戊辰戦争のお話をしましたが、その時戦死された三千五百余柱をお祀りしたのが最初の神さまです」と書いてあります。靖国神社の性格は、これは非常におおざっぱな分け方ですけれど、明治維新前後の合祀の基準と日清戦争以降、いわゆる侵略戦争に向かって1945年の敗戦に至るまでの合祀の基準と、さらに戦後の基準はちょっと違っています。今日は女性の方々がいるので、女性の祭神のことに最初に触れたいと思います。最初に「三千五百余柱」として3500人余の人たちが神様になるわけですが、その中に川内みゆきという女性祭神がいます。何人か最初の女性祭神がいます。土方歳三が「箱館戦争」の時に幕軍の松前城に攻め入った。その時にいわゆる「賄い婦」として城内にいて、敗れたことで悲憤慷慨してはさみでのどを突き刺し自決したというのが公の合祀理由です。はさみで自決したかどうかはちょっとわからないんですけれど、この川内みゆきという名前は実は実家の名前なんです。私は妻とは別姓にしていますが、一般的には日本の世の中、男性側の名前を取ることが多いけれど、川内みゆきの場合は結婚しているにもかかわらず、生まれて最初に名付けられた名前になっているんです。どういう理由が考えられるかというと、ひとつは離婚された、これはありません。結婚していたんですから。三行半を突きつけられたということはありません。もう一つ考えられるのは、亭主が賊軍だった。相争うのはよくある話ですから。もっとも有力な説は亭主が一緒にお城にいたけれど、先に逃げちゃったという説です。そうでもないと、わざわざ実家の名前を祭神名にする必要がないわけです。靖国神社は最初からこういう矛盾を抱えてきているわけです。

次に「神さまのこともっとたくさん教えて下さい」といろいろな神様の名前を出しています。例えば、橋本左内、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、みなさんよくご存じのように戦死でなくて肺病で死んでる人間だってここにはいます。この人たちが「靖国でまた会おう」なんて言っているわけないです。高杉晋作とか吉田松陰が「靖国でまた会おう」なんて言ってもいないんだけど、ひっくるめて「靖国でまた会おう」になっているトリックがあります。それからみなさんよくご存じの西郷隆盛とか白虎隊は賊軍だから祀られていないといいますよね。官軍しか祀られないというんですけど、重箱の隅をつつくとその答えは間違いです。

実は賊軍が祀られている。明治維新の「禁門の変」もしくは「蛤御門の変」の時に京都御所を守ったのは徳川です。まだ孝明天皇の時代、そこの護衛に入ったのは松平の会津藩です。それに対して長州が攻め入るわけです。これは「2.26事件」と同じですよね。天皇のそばにいるものをはずして「玉」を獲得しようと攻め入るけれど、長州は敗れます。敗走の途中で悲憤慷慨して自決した人も祀られているんです。ということは、このときは明らかに長州藩は賊軍です。にもかかわらず、靖国神社の最初は長州藩の戦死者を祀ることから始まっていて、そこにあった名簿は全部靖国神社の名簿になっているから賊軍まで祀られるというおかしなことが起こる。その時京都御所を守った人間はどうなったかっていうと、彼らは会津藩だからしばらく祀られなかった。長州の人間は祀らないですよ、会津の人間を。それではあまりに論理破綻するというので50年近く経ってから彼らは祭神になる。ここを覚えておいて下さい。靖国神社の祭神になるのは死んでから3年、4年でもいいし、100年経っても靖国神社の祭神になれることはひとつ覚えておいていただきたいと思います。

次に「また、軍人ばかりでなく、女性の神さま5万7千余柱もいらっしゃいます」と書いてあります。例えば沖縄の有名なところでは「ひめゆり部隊」「白梅部隊」ですね。このほかに「従軍看護婦」がいます。それらが祭神になっていくわけですけれど、次の文章を読んで下さい。「少年少女や生まれて間もない子供たちも神さまとして祀られています」と書いてあります。ここで「少年少女」は何かというと、「この沖縄から、鹿児島へ疎開(空襲のため引っ越しすること)するため対馬丸という輸送船で航行中、敵潜水艦の魚雷攻撃を受けて悲しい最後をとげた七百数十人の小学校児童もいたのです」とあります。なぜ彼らが祀られたかというと、「疎開」というのは国の命令で「僕は九州に行きます」って手を挙げたんじゃなくて、国の命令で行けといったんだから、児童でも軍部に従属しているという扱いで彼らは祭神になるんです。彼らが「靖国神社でまた会おう」なんて言ったなんて誰も思っていないですよ。当然ですよね、死ぬ気で疎開船に乗ったわけじゃないですから。これは沖縄戦の歴史を学ぶ中でよくご存じのように、ともかく非戦闘員は沖縄の地から離して戦闘員だけ残して本土決戦の盾にしようというのが沖縄戦の実態だった。

次に「生まれて間もない子供たちも神さまとして祀られています」と書いてあります。この前、靖国のツアーガイドをしたけれど、「あそこは軍人しか祀られていないんじゃないですか」とか、「戦死者の方々を祀るところじゃないですか」って質問されます。この「生まれて間もない子供たち」が何で戦ったと認定されたかというと、これは沖縄です。ガマというか防空壕に避難していて日本軍が来る。日本軍が陣地を構築しようとなると「女子供」はじゃまですから、出て行けということになる。それで「出て行けと言われて私は出て行って爆撃で死んだ」というのは靖国神社の祭神にならない。「私は日本軍の方々にこの壕を明け渡しますよ」と言って赤ん坊をおぶって出て行った人間は軍に協力したということで靖国神社の祭神になる。これが沖縄戦の最大の問題です。

「靖国神社でまた会おう」と語らなかった祭神も

ところがもう一つ問題があって、その赤ん坊をおぶった母親もしくはその赤ん坊が自ら出て行ったか、追い出されたかという証明は誰がするのかということです。そんなとき誰も証明できないじゃないですか。そこで出てくるのは「お金」です。戦後、沖縄で年金が援護法によって遺族に出されます。年金を出される基準が軍に協力したということなんですよ。そうすると例えば僕が誰かに「一筆書いてくれないか」と、「あなたが俺の妻は自ら軍に協力して壕を出たと目撃者として書いてくれれば、援護法でお金が入ってくる」んです。それが沖縄の問題をより複雑にしているひとつの理由です。ここでも「靖国神社でまた会おう」なんて言った人間は誰もいない。靖国神社も「生まれて間もない子供たちも神さまとして祀られています」と書いているにもかかわらず、例えば8月15日のニュースで「戦友」にインタビューすると「わたしは靖国神社でまた会おうといわれたから首相が来てくれるのは当然だろう」という。みんなそう思っていると思うから、「それは否定できないな」みたいな話になってくる。でも現実的には靖国神社自体は嘘を書いていないで「生まれて間もない子供たちもいくさの神さまになっているよ」とちゃんと書いていることをやっぱり私たちは忘れてはいけないと思います。

「ひめゆり部隊」とか、当然学徒動員で工場で死んだ人たちは軍属です。例えばここから後楽園に遊びに行こうと僕が言った、そしてみなさんの中で同じように軍に協力してお弁当でも届けに行った、そこで爆撃があった。巨人戦を見に行った僕は祭神にならなくてお弁当を届けに行った人は祭神になるというような矛盾が起きてくるわけです。原爆の被爆者の中で靖国神社の祭神になっていないとか、東京大空襲で靖国神社に祭神になっていないとか一概に言っては決していけないんです。そこで祭神になるかならないかは、どういう状態で死んだのかなんです。例えば大空襲のとき隣組で火を消していて同じような状態で死んでも、隣組の組長で火を消していたら靖国神社の祭神になります。一緒に火を消していてもただの民間防衛隊では、民間のおじさん、おばさんが火を消していたら祭神になっていないんです。この辺も靖国神社の矛盾があります。

次に「昭和二十年八月二十日のことでした。もう戦争が終わっているのに突然攻めてきたソ連軍の行動を日本全土に通話し続け、敵の迫ってくる中で『みなさん、これが最後です。さようなら』の声を最後に全員、みずからの生命を絶った樺太真岡の女子電話交換手さんたちがいらっしゃいます」とあります。真岡の電話交換手の写真が遊就館にありますが、これもちゃんと読んでおかないといけない。何で彼女らがいたかというと、男がいなくて全員女性です。男性は全部ひっぱられてあらゆる職場に女性が動員させられたと錯覚しそうですけれど、実は彼女らの上司の男性が「お前たち、ここで職務をまっとうしろ」という「残地命令」を出している。その男性は、戦後、北海道に帰ってきて「慰霊祭」に出ようとして遺族の人たちから拒否されています。そういうことは書いていない。書いていないけれど、じゃあこれは「嘘」かというと「嘘」ではない。彼女たちが職場を守って、自決したことは嘘ではない。靖国神社の遊就館ではこの辺の問題の立て方は非常によく見ていかないとわからないです。

イギリス人は祭神にせず、台湾・朝鮮半島の人は祭神に

同じような死に方で、靖国神社の境内に「慰霊の泉」の入り口側に「常陸丸の殉難碑」という、どでかい石碑があります。「常陸丸の殉難碑」というのは、日露戦争のときに常陸丸がロシア軍に撃沈されて乗員のほとんどが死んだ碑です。常陸丸は満州に行く牽引輸送船だった。常陸丸自体は日本郵船の持ち物だったけれど、戦時中なので海軍に徴用された。フォークランド戦争の時にイギリス軍がエリザベスⅡ世号という世界一の豪華客船を徴用して、イギリスからフォークランドまでイギリス軍の兵隊を運んだのと同じようなかたちで、普通の貨客船です。それが撃沈された。当然ですよ、単なる貨客船なんですから軍艦と勝負したって勝つわけはない。そのために殉難碑があるんですけど、そのときの船長、航海士、一等機関士、これはイギリス人です。ところがイギリス人ゆえに彼らは祭神になりません。要するに外国人だからということで、靖国神社が決定するんです。靖国神社のどこにも「その船を運行したトップはイギリス人でした。その人たちは外国人だから靖国神社の祭神にされません」なんて一行も書いてありませんよ。

じゃあ何で先ほどの台湾人、いわゆる高砂族の人たちが靖国神社の祭神になっているかというと、彼らは「日本人だったから」という理論です。朝鮮半島の人たちもそうです。日本人だったから。これも保守系の『正論』とか『諸君』という雑誌を読んだとき、たまに出てくる。非常に気をつけておかないとわからないのは、何で朝鮮半島の人たちや台湾の人たちを合祀して悪いのか。「彼らを合祀しなかったら民族差別じゃないか」ということを書く人がいる。代表的な言い方は東条由布子が、東条英機の孫娘が韓国のKBS、NHKに相当する番組でてい談で話している。てい談の相手は一人は台湾のチワス・アリという人で、もう一人は「あんにょん・サヨナラ」という映画を観た方はご存じかもしれません、李熙子 (イ・ヒジャ)という人です。東条由布子がイ・ヒジャに向けてどういう言葉を投げつけたかというと、「あなた達のお父さんに、日本は国としてあなた達が死んだら靖国神社に祀るんですよと約束したんですよ」なおかつ「あなたたちのお父さんたちは、本当にいろいろあっても日本の国のために戦ってくださったんです。それは私たちは感謝しているんです。だから祀るのが私たちの責任なんです。祀らなければ民族差別といわれませんか」って彼女はイ・ヒジャに向かって言い放っています。さらに「いま60年経ってから、あなたはお父さんの名前を靖国神社の祭神名簿から削ってくれって言うけれども、あなた、お父さんの気持ちがわかりますか。あなたにはわからないんじゃないですか」というところまで言っている。この論理は結構つぶせないですよ。

東条由布子が言っているのはナンセンスだっていうのは簡単ですけれど、僕も言葉としてその論理をつぶす論理をなかなか見いだせない。イ・ヒジャに限らず朝鮮半島で強制連行や強制徴用で軍隊にひっぱられたじゃないかと言ったとしますね、それに対して東条由布子は「そういうこともあったでしょう。でも日本の国は国としてあなたのお父さんに約束したんです。韓国人が差別されたことがあったでしょう。申し訳なかった。そういうこともあったけども、お父さんはそれでも日本の国のために戦ってくれたことに対して私はいまでも感謝しています」と豪語している。この辺の保守層の論理をどう乗り越えるかは靖国問題の非常な難しさです。これは東条由布子が言っているだけで、その人はそういう言い方もあるという言い逃れもあるわけですから、いちおう紹介するにとどめておきますが、靖国神社の言い方って必ずこういうことなんですね。

「忘れめや 戦の庭に たふれしは 暮らしささへし をのこなりしを」という昭和天皇が詠んだ歌が書いてあります。その左側にその和歌の意訳がありますが「忘れることができようか、戦場で倒れたのは、みんな、家庭のくらしをささえていた男の人たちだった、ということを」。違うでしょ、赤ちゃんもいたわけでしょ、女性もいたわけでしょ。にもかかわらず、同じ文書の中でこういうことを平気で言う。こういうことを聞き慣れていると、みんな「靖国神社に祀られている祭神は戦死した方」ってうっかり言っちゃうんですよ。戦死したというと何か戦ったんだな、っていう言葉のトリックがあります。

「東京裁判全員無罪」パール博士の顕彰

先ほどの話に続きますけれども「また、大東亜戦争が終わった時、戦争の責任を一身に背負って自ら命をたった方々もいます」。これは言わんとしていることはA級戦犯ですよね。この靖国神社「空からマップ」に書いてある「パール博士顕彰碑」が建てられています。「空からマップ」の説明文を読んでみます。「昭和21年から行われた極東国際軍事裁判(通称 東京裁判)のインド代表判事であったラダ・ビノード・パール博士は、事実を曲げた訴えに対し、裁判官の中でただ一人、被告団を全員無罪とする意見書を出されました。その勇気と情熱を称え、後の世へ伝えるために平成17年に建立されました」という碑が建っています。パール博士の顔写真があって、結構近代的なモニュメントです。この中には「敗戦国日本」って言葉が書いてありますが、靖国神社の中で僕の知っている限り唯一「敗戦」という言葉が使われているのがこの文書です。靖国神社は「敗戦」なんて言葉は使わずに「終戦」なんです。それが、この宮司の南部利昭の優れたところだと僕は思います。この人、ずっと電通のサラリーマンでした。なんで宮司になったかというと南部藩の末裔で旧華族だったから、それだけです。例えば國學院大学を出なくても宮司になれるんです。なぜかというと、これが面白いシステムですけれど、例えば僕はクリスチャンですけれど、牧師は説教するでしょ、仏教でいうと、当たり前のこととしてお経はそらで言う。宮司はそういうのはない。祝詞はちゃんと書いてあるものを読み上げればいいから、あとは儀式です。僕だって、ちゃんとした人が後ろについて、衣冠束帯すれば宮司ができるんです。いまの前の前の宮司で、松平永芳は自衛隊の人で、この人は自分で「無免許宮司」なんて言っていましたけれど、その人もある日突然宮司になって、もちろん1ヶ月や2ヶ月くらいの研修期間はあるんでしょうけど、宮司の役割はできるんです。歩き方と万葉仮名みたいな「なんとかかんとか天照大神」というのを読めればいいわけです。靖国神社がすごく変わったという意味では、彼は非常に「読めている人」です。靖国神社が非常に巧妙に変わりはじめていることが事実だと思います。

海外版で消えた「東京裁判無罪論」

もう一点説明したいのが『SAPIO』という雑誌です。10月11日号でかの小林よしのりが「ゴーマニズム宣言」を連載していますが、ここで遊就館にある東京裁判の説明について次のように言っている。「驚いたのは唐突にパール判事の言葉が展示されているのだが、肝心の東京裁判の説明が一切ないことだ。これは変だ。東京裁判が占領軍の軍事行動であり、国際法上は戦争の継続であることを外国からの訪問者にも訴えればよい。東京裁判だけで一部屋くらい使う展示が本当は必要なくらいだ」と怒り心頭です。パール判事の写真くらいしかないから、展示としては本当に小さいスペースしかない。小林よしのりは一部屋くらい使って、パール判決は正しいんだ、東京裁判はナンセンスだという展示をしろと訴えている。実は今年の6月から配られている英語、ハングル、中国語の3カ国語版の「やすくに大百科」があります。「やすくに大百科」の「空からマップ」をもう一度見てください。これは1から17まで説明があります。3カ国語版の方は16までです。どこが抜けているかというと、いまの「パール博士顕彰碑」なんです。これはすごいことですよ。編集ミスじゃないです。これは南部利昭のすごいところだと思います。外国で「東京裁判無罪論」なんて通用しないって彼はわかっている。これが靖国神社なんです。靖国神社は嘘は言わない、でも本当も言わないのが靖国神社です。何か書いてあれば問題だけど、消したのは編集上の問題だから、それが悪いなんて誰も言えない。ただし小林よしのりみたいなまじめな人間が一部屋使って説明しろっていったら、本当は3カ国語版の中で3倍も4倍も、日本語の「空からマップ」以上に説明しなきゃいけないのにそこだけすっぽり抜かしている。これはやっぱり靖国神社のすごさで僕は「感心」している。3カ国語版だとアメリカから来た人、韓国から来た人は読んでも全然わからないですよ、だって出ていないんだもの。

嘘は言わないが全部も言わない靖国神社

遊就館にいったら南京事件の展示説明を見てください。「靖国神社は嘘をいわない」という典型的なものです。つけ加えると、パール判事は南京事件に関して虐殺があったということは認めています。「パール判決意見書」という分厚い講談社学術文庫にありますが、それは靖国神社はいっていません。パールは大虐殺なんて書いていませんが、南京事件は認めているということを一切抜きにして、意見書は正しいといっています。じゃあ僕は南京事件、大虐殺は正しいね、といいたいんですが、そこは靖国神社はいわないです。

遊就館の南京事件の説明は次のような構成になっています。松井中将が軍に向かって軍規を守れと命令を出した。次に日本軍が南京に入場したときに便衣隊、いわゆるゲリラですね、正規軍の服から私服に着替えた便衣隊が数多くいて、彼らを確かに殺した。その次は、南京城内は平和になった。これはまったく「嘘」じゃない。「命令」を出したのは事実です。命令を出したから虐殺した人間がゼロなんていうことはないけれど、命令を出したことは「事実」。それから便衣隊の問題は、正規軍が私服に着替えてゲリラを起こすことは戦時法定上、死刑にしたり殺していいんです。正規軍は正規軍として戦えというのがいわゆる国際法です。そういうのが何万人の中に一人や二人はいたでしょう、もしくは十人、百人いたでしょう。日本軍が南京になぜいたかという議論はおいて、そういう人を殺したら国際法上おかしくないというのも「事実」。何をさして平和になったかというのは別にして、南京が平和になった、武力によりゲリラ戦を鎮圧したことも「事実」。これをさーっと読むと、どこに南京大虐殺があったのかということになる。これが靖国神社のすごさです。

「大東亜戦争」の目的についても、「東洋平和のため」ですね。日本が必ず言うのは、物資を取りたいなんて言っていない。台湾を何で日本が取りたかったかというと砂糖とか樟脳(しょうのう)が欲しかったわけです。インドネシアの石油が欲しかった、シンガポールのゴムが欲しかったというのは言わないで、植民地解放の戦いだったわけでしょ。遊就館にいくと世界地図がある。1945年以降、年代ごとに独立した国を色分けしている。アフリカ大陸なんか結構独立国になっています。アジアでも、インドネシア、インド、バングラディシュ、ミャンマー、タイは別として、宗主国でいえばベトナムはフランス、インドネシアはオランダ、フィリピンはアメリカといったものが全部色で書いてある。ところが、台湾、朝鮮半島、満州国は色がぬられていない。戦前から変化がないんですよ。でもね、靖国神社はあれは植民地じゃないとは言っていないんです。ここがすごいところで、靖国神社に言わせれば満州国はあれは海外政権でしょ。溥儀がつくった。台湾は日清戦争・日露戦争の結果、国際条約で割譲されたわけでしょ。韓国も「併合」したんであって侵略したんじゃない。満州国、台湾、朝鮮半島は植民地じゃない。遊就館をパーッとみても1時間くらいはかかります。これが零戦か、これが回天だ、なんてそういう「面白い」兵器をみていると。その中でパーッと通ると「あ、確かにアジアの諸国は解放されているわ」とそれだけは入ってきてサーッと抜けるんです。だって、何か変なことが書いてあれば、昔の日本の領地はここでしたって塗ってあるなら頭にインプットされるけど、色が全然戦後変わってないから、インプットされない。そこで面白いのは、シンガポール、香港、マカオすね。色分けされていない。僕はシンガポールは反日教育が徹底しているから、靖国神社は色を塗りたくないだろうと思うんです。確かにシンガポールは1960年代にマレーシアから独立したわけで、そういうのは書いてないとしても、パキスタンがバングラディシュに変わったのはちゃんと書いてあるので、それも必ずしも統一的な見解ではないということになります。

靖国神社のゆがみ--真珠湾攻撃の捕虜、花嫁人形

最後にパンフレットの中で「真珠湾九軍神」の写真があります。真珠湾に特殊潜行艇で特攻攻撃を掛けた人たちです。みなさんよく間違えるけれど「回天」は一人乗りで、特殊潜行艇は二人乗りですね。開戦当初ですから、特殊潜行艇というのは片道切符の潜水艦じゃなくて、もちろん当然片道切符だと思ってみんな乗っていったけれど、ともかく原理原則でいえば戻ってこられる。「回天」は片道切符でした。二人乗りなのに真珠湾攻撃は「九軍神」。これは有名な話です。もう一人はどこに行ったかというとアジア太平洋戦争の第一号の捕虜ですよ。酒巻和夫という人です。「生きて虜囚の辱めを受けず」なんて時代ですから、一切隠しているんです。いまも靖国神社の展示で「一名を残して九名が祭神になっている」なんて言い方をしていて、一名が捕虜になったなんてことは決して言っていません。それから花嫁人形があります。これはある遺族が自分の息子が未婚で戦死した、結婚もできないで亡くなったのはかわいそうだと花嫁人形を奉納して「どうか魂の世界で結婚してください」という親の思いが伝わってくるわけです。これだっておかしいですよ。花嫁人形を奉納する遺族がいないとみんな結婚できないのかということです。それに花婿人形は不思議にないんですよ。女性は乙女のように清く死んでいけという思想です。これは男女差別があって、誰も娘が結婚しなかったからかわいそうだという発想をしないで「清く散華した」という発想です。これは考えておいてください。

ロケット特攻機というのがあります。靖国神社の一番大きなホール、回天とか艦上爆撃機の「彗星」が展示されているところです。そこにジオラマがあってプラモデルの特攻機をぶら下げて、左の方には沖縄の島々があり、黒い点々でアメリカ軍の戦艦が埋まっている場面が展示されています。そこにある「桜花」は実はロケット特攻機です。回天と同じで、海軍の大きな輸送機の腹にロケット弾を抱えて、離してロケット攻撃を掛けるというのがイメージです。ところがこれはロケット付きのグライダーです。グライダー式なので高々度に飛んでいって放物線を描かなきゃいけない。グライダーだから、低空飛行で飛んで離したら落っこちちゃうじゃないですか。そんな重たいものを抱えたこの部隊は全滅するんです。ですから靖国神社のジオラマの片一方に戦艦があるのも間違いない、離陸したのも間違いない、でも落っこちたところ、撃墜されたところが書かれていないジオラマです。「ロケット特攻機」なんていうからロケットをイメージしちゃいます。でも確か10秒続くロケットが3つ付いている。なぜならグライダーでずーっと飛んで、敵の戦闘機に見つかって追いかけられようなときにロケットを噴射すると、そのロケットのスピードで逃げられるという原理です。さらに戦艦があってその後ろに航空母艦があったとき、またロケットを噴射してその航空母艦にぶつかれというシステムになっている。この辺の説明がなく、飛んだところと標的になるような戦艦は書かれている。ただし「こういう事実は伝えられていません」と後で書かれていて、これも嘘ではないけれども真でもないといえます。

最初の「桜花」、神雷特攻部隊の隊長は野中五郎という人です。この人の兄貴は「2.26事件」の首謀者の野中四郎です。兄貴は賊軍で永久に祀られないです。だって天皇が賊軍って言ったまま死んだから、よっぽどの名誉回復がない限り兄貴は絶対に靖国神社の祭神にはなりません。弟はそれゆえにジオラマになっている。この辺が靖国神社のゆがみ、そういうところが靖国神社なんです。

遊就館は反米博物館

いま靖国神社の中でアメリカが日本を陥れたという表現を変えようとしていますけれど、僕が調べている限りそんなに大勢は変わらないですね。というのは、右翼の巣窟だと思うから「反共宣伝博物館」だと思う方が多いけれど、あそこは違います。「反米博物館」ですよ。なぜなら「大東亜戦争」で特攻を掛けているのは全部太平洋エリアです。ソビエト軍に特攻機が突っ込んだなんて聞いたことないでしょ。中国大陸に特攻機が突っ込んだなんてきいたことない。栄光の特攻隊となると、真珠湾とアメリカ軍の大艦隊に向かって特攻攻撃をかけたのがズラーット並んでいるから、ほとんどが反米なんですよ、あそこは。だから小林よしのりって正しいんです。靖国神社の史観を正しくいっていたら「反共」になる前に「反米」になるはずです。朝鮮半島の侵略もほとんど書かれていない。日清戦争で中国侵略するための橋頭堡みたいな書かれ方をしている。台湾も割譲してということであまり記事がない。南京の記事も文章だけだからよっぽど気が付かないと、歴史の教科書みたいな説明でずっときているからわからない。実物大の展示があるところは「回天」であろうが零戦であろうが全部対米戦争のために使われた兵器ですから、そういうことはぜひ遊就館に行って学んでください。

最後に憲法講座ですのでこの言葉だけは紹介しておきたいと思います。自民党に稲田朋美という衆議院議員がいます。福井でいわゆる小泉チルドレンのひとりとして落下傘で立候補して当選した人です。この人は弁護士ですけれど、大阪の小泉靖国参拝違憲訴訟で、国みたいないい加減な答弁をしていると靖国神社の姿が失われてしまうといって怒り、補助参加人として、わざわざ立候補して法廷に立った人です。この人が「正論」の06年10月号で次のように言っています。「憲法第九条を改正して自衛軍を創設した場合、戦死者をどこで慰霊・顕彰するのかということをも視野に入れて国家として戦死者をどこで祀るのがふさわしいかをまず決めなければならない。私はそれは靖国神社と思っている」。本当に彼女は靖国神社の役割をしっかり押さえている。憲法九条は改悪は当然許されない。あれは表面的な武力です。そのためにはやっぱり死ぬ価値観を見つけなければいけない。さっきのビデオをあえて見ていただいたのは戦後60年経ってもやっぱり「私の夫の魂は靖国神社にある、あの『皇国の母』という歌が私の命です」というところまで皇民化教育をなしてきた。もしくは僕もそういうふうにされてしまう危険性を本当にひしひしと思っています。

本誌67号の「靖国神社ーその虚実」の記述に関連して~「明治民法」による「夫婦同姓(氏)の強制」について

 「ふぇみん婦人民主クラブ」の赤石千衣子さんから、「辻子さんのお話は大変面白く読みましたが、函館戦争のときの『川内みゆき』という女性が実家の姓で祀られていることへの疑問は、ちょっと意味がわからない。明治初期までは日本では夫婦別姓が通例で、明治民法を作って夫婦同姓になったのではないか」とのご指摘をいただきました。

確かに、「明治初期」の日本は夫婦別姓であり、また庶民には名字はありませんでした。庶民が苗字を持つのは「明治3年」の太政官布告からであり、義務化されたのは「明治8年」に「妻は生まれ持っての氏を使用し、家を相続したときに夫の氏を称する」とされたときからでした。

夫婦同姓の強制は「明治31年」に明治民法がつくられてからのことでした(明治民法746条 「戸主及び家族はその家の氏を称す」)。この民法では、夫婦同姓は同じ「家」に入ることを意味していました(明治民法788条 「妻は婚姻によりて夫の家に入る」)。明治元年から2年にかけての函館戦争のときの「川内みゆき」は、苗字があったとしても実家の苗字を名乗ったことはあり得ることでした。

辻子さんのお話の要約のところで、編集部に不注意があったことをお詫びいたします。(編集部)

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とめよう戦争をする国づくり 11.3憲法集会

今年も東京とソウルの市民の連帯した集会として実現

土井登美江

11月3日午後、東京の千駄ヶ谷区民会館で「とめよう戦争をする国づくり 11.3憲法集会」が同実行委員会の主催で開かれ360名の市民が集った。

集会の司会はピースボートの松村さんと全国労働組合連絡協議会の須藤さんで始められた。

主催者挨拶の鈴木伶子さん(平和を実現するキリスト者ネット)は「日本が戦争をする国になるかどうかの最後の分かれ道にたっている。戦争をしない国を願う多くの市民の思いとは違い、私は大きな憤りがある。歴史の経験がふまえられていない。全力で行動していこう」と、自らの戦争体験を交えながら決意を語った。

はじめのゲストスピーチは西原博史さん(早稲田大学教授)は「国家指導者のための国民づくり」と題して、次のように話した。

いま進んでいる方向は民主主義ではなく、国家指導者が国の方向を決め国民は従う社会で、国家と国民の関係が変わることだ。具体例として教育基本法改正の問題点を指摘したい。安倍政権では新自由主義による勝ち組・負け組をはっきりさせる構造改革が進んでいるが、教育も同様にするため法改正が行われている。これでは親世代の勝ち負けが、子の世代にも影響する。学校選択制で公立学校の序列化が始まっているが、各国で失敗に終わっているバウチャー制で更に格差が拡大する。エリート校との格差が生まれ、夢を持てなくなった若者は反社会的行動に走るかもしれない。この制度で国民はバラバラになるが、これをまとめる狙いで導入するのが愛国心を盛り込んだ教育基本法改正だ。

国旗国歌法違反で教師が3ヶ月の停職処分を受けた。重い処分で、邪魔する教師を排除したいからだ。2003年にイラク戦争で宮崎県の高校生が署名を官邸に出したとき、当時の小泉首相は政府の方針を学校が教えるようにと言った。基本法が変えられれば政府の方針どおりに教えない教師は学校から放り出される。

現行の教育基本法は国家が教育を振り回してはいけないとしているが、改正案の目的は国家に必要な人間を育てるためになっている。問題があることに気づいたら、家族・地域・職場で話し合おう。今闘わなければ私たちの将来はない。

同じ3日に「平和憲法改悪反対と東北アジアの平和のための韓日市民団体共同声明」が、ソウルの日本大使館前で発表され、午後はシンポジウムが行われているという司会の紹介の後、次のゲストスピーカーのカン・ヘジョンさん(アジアの平和と歴史教育連帯・国際協力委員長)は次のように問題提起した。

今の日本は危ない方向に大きく変化している。軍事政権下に育った私は80年代に日本にきて日本の民主主義と言論の自由が羨ましいと思った。しかし、90年代後半の日米安保ガイドライン、周辺事態法、国旗国歌法、盗聴法、そしてアメリカの9・11や日本人拉致問題などにより、右傾化が法制度を伴って進んでいるのを心底心配している。安倍首相が任期中に憲法9条を変えるというのも危機感が強く、もうギリギリのところだ。

「韓流」というが日本ではヨン様と金正日は善玉と悪玉の代表のようだ。日本の軍備拡大は北朝鮮を理由にしてきた。日本の憲法は人類の理想を現実化したものであり、もう一方で他民族への植民地支配の反省を担保している。分断国家であり朝鮮戦争が未だ停戦状態にある韓国からみれば9条による民主国家の日本は素晴らしいし、9条がアジアの安定剤になっている。9条を変えることは東アジアの軍拡を生み出すことにつながり、東アジアに住む人びと全体の問題だ。

韓国の市民運動のなかでも日本の憲法や9条が関心の第1位になっている。もはや日韓の連帯運動はこれまでの交流の域から脱しなければならない。日本の市民運動は、日本社会のベクトルを変えるために何をするのかを示す時がきているのであって、単に自分の生き方として拒否を続けたというのでは間に合わないのではないかという憂慮もお伝えしたい。

その後、ラップグループのKP(Korean Power、Korean Pride、Korean People)による演技のあと、集会参加者は「集団的自衛権の行使を許さない」「教育基本法の改悪反対」「改憲手続き法案を廃案へ」などのスローガンを掲げ、人出でにぎわう表参道などをパレードした。

なお、途中、私服の右翼が5人ほど、パレードの先頭に突っ込んでくる事件があった。東京や首都圏ではこのところ、こうした憲法集会にたいする妨害がひんぱんに起きていることには留意しておく必要がある。

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広島でおおきく広がる9条の輪

11月3日、9条ピースフェスタin ヒロシマに 7000人!

第九条の会ヒロシマ 藤井純子

「9条はとっても大切」、この1点で、広島のグリーンアリーナに様々な人権問題に取り組む幅広い人々7000人が大集合! 子どもたちも「戦争をする国にしないで」と舞台いっぱいに繰り出し、私たちが願った楽しい集会になりました。

2005年3月の「九条の会・広島講演会」ではかなりの参加申込みをお断りしました。「もう断りたくないっ。次は広島でイチバン大きな会場だ!」とグリーンアリーナを早々に押さえました。そして「成功させよう1万人集会」を合言葉に、広島県内の憲法改悪に反対している人々や各地・各分野の「九条の会」に呼びかけて準備をしてきました。

実行委員会は1ヶ月に1回のペース。しかも、ゆるやかなネットワーク作りに延々と時間をかけたため、出演者が決定し、チラシができたのは9月下旬。1ケ月半ではチラシやチケットを広めるのが精一杯で、どれだけの人が来て下さるか不安が募るばかりでした。でも新聞やラジオに広告を出したり、記事を書いてくれたからでしょうか、広島市の有名なプレィガイドではチケット完売という思いもかけない嬉しい事態もおきていました。

第1部は、地元ミュージシャンのおとぎぞうし、演謡組、オワガワテツヒロさん、ひげGの4組。プロにもかかわらず、この集会の趣旨に賛同するボランティア参加。「好きな音楽をやれているのも平和があるからこそ!」と素敵な歌を披露して下さいました。

1部は12時からだったので、まだ参加者が少ないかも?と心配でしたが、開場11時前から列ができ、12時前には1階はいっぱい。その後も途切れることなく、2階へと埋まっていきました。こんな大きな会場での開催は初めて、プログラムも盛沢山でしたが、多くの参加者を得て、順調に進行しました。

第2部は、保育園児90人と合唱団のオープニング。保育士、保護者の皆さんの応援で舞台にはナンと280人。広島の高校生が作った「願い」の意味をしっかり理解し、一生懸命に歌う子どもたちの、のびやかな歌声が響きました。挨拶は、呼びかけ人の一人、江島弁護士で、広島の財界にも知られ、平素は私たちと対極にある存在です。しかしシベリア抑留の経験もあり「9条だけは何としても!」という気骨のある方ですが、元気な子どもたちの登場には喜びを隠せないといった様子でした。

松元ヒロさんの軽快なコントに大爆笑。「安倍さんが言えるのは北朝鮮だけ。その上、小泉さんよりアメリカ寄りだからその内、合併するかも…」と言って「君が代」をアメィジンググレイスのメロディーで熱唱。「憲法君」では憲法前文を一気に謳いあげ、その熱演に感激し、涙ぐむ人もあるほどでした。最後の「僕を皆さんに託します」には、参加者の皆さんの顔が引き締まりました。

「世界がもし100人の村だったら」著者の池田香代子さんは、戦争に繋がる政治とお金儲け、またそれが格差社会を広げる教育基本法など様々な悪法に繋がることを分かりやすい言葉でお話下さいました。

小田実さんは日本の憲法の素晴らしさを「日本だけではなく世界を見ても9条は、今こそ旬。24条や25条などの人権条項も類をみない。小さな人間の人権から出発し、前文では世界を見据えている。」と独特の小田節で力説。「9条こそ現実的、私たちこそ多数派」だと確信しました。

久保田弘信さんは、命がけで撮った膨大なイラク映像を必死の努力で20分に編集。「憲法を変えようとする人はこんな現実を知らない」との現場からの言葉は重く、改憲派こそ見るべきだと思いました。

歌は、早苗ネネさんの「サヨナラ戦争」、タケカワユキヒデさんの「イマジン」や「ビューティフルネーム」などピースフルな歌をたっぷりと聞くことができ、皆さん大満足。被爆者の思いを引き継ごうとする若者の「アピール 9条大好き」も力強く、最後は「イマジン」の大合唱。とても感動的でした。

終了後も20を越えるロビーの9条ブースはごった返し、上気した顔、顔… 「成功してよかったね」と明るい声があちこちから聞こえてきました。

今回、「マスコミ九条の会」、「弁護士九条の会」、「宗教者九条の和」の活躍は欠かせないものでしたが、県内各地・各分野の「九条の会」も大奮闘でした。11・3に向けて設立したり、それぞれ学習会などを行いつつ「11・3はヒロシマへ行こう」と全力集中。

「九条の会・はつかいち」の1周年記念集会では「九条の会」事務局の小森陽一さん、「九条の会・三原」の設立総会では高田健さんが講師で来て下さり、「安倍政権になった今、ヒロシマの11・3ピースフェスタの成功は全国に大きな影響がある」と私たちを奮い立たせて下さいました。

私たち「第九条の会ヒロシマ」もできるかぎり事務所に詰めました。結果は、2004年の人文字「NO WAR ・NO DU」の6000人を上回る7000人。これは2001年に結成した「憲法調査会ひろしま見張り番」を母体に「憲法調査会広島公聴会」への対抗集会、「九条の会広島講演会」など次第に9条の輪が広がってきました。それに今回、スタッフも倍増し、女性も増え、企画に関しては40代前半が主流。ここに来て花が開きかけているのだと感じています。

ヒロシマの9条ピースフェスタの成功は、神戸や全国各地の成功とあわせ、大きな意味があったと確信しています。

安倍政権は、戦争好きで右翼異端児ばかり。核武装論まで飛び出したにもかかわらず「論議はいいんだ」などとする危さ。国会でも政府・与党は、衆議院で問答無用の教育基本法改悪案の強行採決を行い、共謀罪、防衛庁の省昇格法案などの強行採決に次々に踏み出そうとしています。それは、時間をかけるとますます反対の声が高まることを知って、慌てているのではないでしょうか。

私たちは、この11・3ピースフェスタの成果を活かし9条改悪を許さないよう、ヒロシマの地で輪を広げ、行動を重ねていきたいと思います。決して留まることなく!

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平和憲法改悪反対と東北アジアの平和のための韓日市民団体共同声明

●北朝鮮核実験を理由にした日本の平和憲法改悪の動きに反対する。
●北朝鮮核問題の平和的解決を目指す韓日両国政府の努力を要求する。

11月3日は、日本の平和憲法公布60周年である。北朝鮮の核実験以後、北東アジアの不安と緊張が高まっている状況の中で、平和憲法公布60周年を迎えた今日、私たちは平和憲法の「恒久的平和主義」の精神、そして憲法九条の「戦争放棄と戦力保有及び交戦権禁止」条項がどれほど大切な資産であるかを改めて実感している。

去る10月9日の北朝鮮の核実験に対して、私たちは断固として反対の声をあげる。北朝鮮の核実験は、朝鮮半島と東北アジアの非核地帶化を推進してきた韓日市民の熱望に反し、絶対許されない行動である。しかし、同時に北朝鮮核問題の迅速で平和的な解決のためには、韓国と日本をはじめとした関連国の真剣な対話努力が必要であることを強調する。特に、北朝鮮の要求に対し無視と制裁、圧迫政策で一貫してきたブッシユ政権は、対北朝鮮政策の失敗を認め北朝鮮との直接対話に乗り出さねばならない。私たちは、10月31日に、北朝鮮、中国、米国によって六者協議の再開が合意されたことを歓迎する。六カ国政府は誠実に対話を進めるべきであり、事態を悪化させるようないかなる行動も慎まなければならない。

しかし北朝鮮核実験以後、日本の安倍内閣は右傾化と軍事大国化を目指す政策を強行している。この間論争になってきた右傾化を一挙に処理し、平和憲法の無力化と改悪を強行しようとしている。このような政策と行動は、周辺国の憂慮を招いている。日本政府は独自的な追加制裁を強行し、「周辺事態法」の適用も視野に入れながら、海上自衛隊の北朝鮮船舶検査参加や米軍および第三国の北朝鮮船舶検査活動への後方支援まで推進している。これは事実上、交戦状況を想定したことであるとも言え、北東アジア地域での武力衝突を誘発する火種となるだろう。これら一連の対北朝鮮強硬政策は、集団的自衛権の行使を解禁しようとする動きともつながっている。

それだけではなく、安倍内閣は「教育の平和憲法」と呼ばれている教育基本法の改悪を強行している。そして、防衛庁を「防衛省」に格上げし、海外派兵を自衛隊の「本来任務」に位置づけ、さらには海外での武力使用の根拠法になる「自衛隊海外派遣関連法」も狙っている。特に、麻生外相と中川自民党政調会長の「核武装」発言は「被爆国日本」の国民世論にも反するものであり、東北アジアの核軍備競争を呼び起こす危険きわまりない発言である。一部の政治家の不注意な行動は破滅的結果につながりかねないことを警告しなければならない。

日本政府と改憲勢力は、朝鮮半島だけではなく、日本国民の安全と東北アジア全体の平和を脅かす動きを即刻中断すべきである。 そして安倍内閣と日本の改憲勢力は、平和憲法に立脚し葛藤の平和的解決をめざし努力する「平和国家日本」が、日本と東北アジアの市民の望む日本の姿であることを肝に命じるべきである。

私たちはこれまでも、日本の平和憲法は東北アジアに平和と人權の共同体を創設するための大切な資産であることを強調してきた。北朝鮮とアメリカの対立によって東北アジアの不安が増している今、東北アジア地域の軍事的緊張を克服し武力衝突を予防するためには、日本平和憲法が提示している「恒久的平和主義」と「国際紛争の解決における戦争の放棄」という理念がきわめて重要なのである。

北朝鮮核実験によって起こされた北東アジアの危機は、平和憲法がもつ理念の大切さを今一度確認させてくれた。韓日両国の市民団体は、今後も日本の平和憲法改悪を阻止するための連帯にとどまらず、核も戦争もない東北アジア共同体をめざし平和憲法の理念を積極的に広げていくことを決議する。

2006年11月3日
11.3韓日共同行動韓国委員会

日本側参加・賛同団体(50音順)
国際法律家協会、GPPAC JAPAN、ピースボート、許すな!憲法改悪・市民連絡会・・・

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