私と憲法66号(2006年10月25日発行)


戦争のできる国づくりをすすめる安倍内閣と対決し、広範な共同の力で改憲手続き法など悪法の阻止へ

「改憲手続き法」案を巡る国会情勢が緊迫してきた。
中山太郎衆院憲法調査特別委員長は18日、「11月中に衆院で採択して、参議院に送付したい」と語った。翌19日に開かれた衆院特別委理事懇談会では保岡興治・自民党筆頭理事が、(1)26日午前、NHKを入れて、特別委員会全体で総括質疑を行い、(2)それ以降はテーマ毎の小委員会を設置して審議したいと提案した。こうして手続き法案の11月の衆議院での強行を阻止するための闘いが緊急の課題になっている。国会の内外で、教育基本法改悪反対、共謀罪反対、自衛隊法改悪反対などの運動と結びつけつつ、「改憲手続き法案を廃案へ」の運動の強化を押し進めることが極めて重要だ。

先の通常国会に出され、継続審議となった「改憲手続き法案」については、この間、法案の内容や名称がコロコロ変わったため、運動圏でも最新の法案についての分析や批判が必ずしも浸透していない面がある。早急にこうした弱点を克服し、隊伍を整え、「廃案」をめざして運動を広げる必要がある。

当面、市民連絡会は各界の人びとと協力して、様々なネットワークを生かし、重層的な行動を提起している。

5.3憲法集会実行委員会による10月31日の昼休み国会デモ(12時、日比谷公園霞門集合)、憲法共同会議やGPPACジャパンなどによる11月3日の憲法集会とデモ(14時、千駄ヶ谷区民館)、大東文化大の井口秀作さんをゲストにした8日の院内集会(14時から、衆議院第2議員会館第4会議室)などの諸行動と、10月28日の「けんぽう市民フォーラム」のシンポジウム「安倍政権と集団的自衛権」も重要だ。11月8日には市民連絡会と共謀罪の新設に反対する市民と表現者の集い実行委、および教育基本法の改悪に反対する市民諸団体が共同する安倍内閣の暴走を許さない国会ヒューマンチェーン(16時衆議院議員面会所)も開かれる。10月はじめから緊急に呼びかけている「改憲手続き法に反対する団体共同声明」もすでに100団体以上の賛同を得ており、これらを使った民主党などへのロビーイングなども重要だ。私たちはこの臨時国会期間に於いて、全国の皆さんと協力して改憲手続き法案の廃案をめざす運動を全力で組織しながら、可能な限り広範な人々と共同し、安倍・新国家主義内閣による「戦争のできる国づくり」をめざすの危険な策動に反対し、教育基本法改悪をはじめとする諸悪法に反対する共同の推進力の一翼を担っていきたい。

憲法公布60周年を契機にした各地の11.3集会などの高揚に見られるように憲法改悪を許さない機運は全国でかつてなく盛り上がっている。この力を「九条の会」などの組織化に生かすことが大事だ。

市民連絡会は来年2月17~18日に大阪で第10回全国交流集会を開き、これらの運動の成果を基礎に、さらに大きな運動展開をはかりたい。(事務局・高田健)

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第16回市民憲法講座(要旨)
ジャーナリズムから見る現在の憲法状況

岡本 厚さん(『世界』編集長)
(編集部註)9月23日、市民憲法講座で岡本さんが講演したものを、編集部の責任で大幅に要約したものです。文責はすべて編集部にあります。

「改憲」を掲げた安倍政権の登場

今日は「現代のジャーナリズムと憲法」、あるいは「ジャーナリズムから憲法はどういうふうに見えるのか」ということを話したいと思います。もちろん私はジャーナリズムあるいはメディアの中でも最も古いといっていい出版、雑誌というメディアの編集を長くやっているもので、新聞記者とか放送記者とつきあいはしていますけれどもジャーナリズム全体の動きの中でどういうことが起きているかという全体を知っているわけではありません。きわめて限られた中でのジャーナリズムの状況や、憲法をどうあつかおうとしているのかをお話ししたいと思います。

ついに安倍内閣が来週発足ということになります。この安倍晋三という人はソフトな顔つきと語り口で、世論調査などでは女性に人気があるようです。けれどもその発想、思想は、たびたび彼が登場する文藝春秋の「諸君!」や、「正論」という産経新聞社の雑誌や、「SAPIO」という雑誌でわかるように、極右といっていい思想の持ち主だと思います。彼の歴史観、さっそく95年の村山談話について非常にあいまいなことを言い出しています。あるいは靖国観とか憲法観、それから核武装を必ずしも否定していないことがこの間の言動から明らかになっています。首相になって彼のもともとのイデオロギーがどういうかたちで政策に反映されてくるのかは、時間をおかなければわからないけれども、彼の「地金」はそういうところにある。それから昨年、NHKの放送への介入問題が起きまして、その時に安倍さんと一緒に名前があげられた中川昭一の入閣が有望だと今日の朝日新聞に出ていましたね、彼もまた安倍さんと同じようなイデオロギーを持った人間です。ちょうど私と同い年であり、まったく余談ですけれども中川昭一は私の高校時代の同級生でして、まことに恥ずかしい思いを私はしているんです。

安倍さんが当選した1993年は、自民党が下野した時で、彼が当選したとき自民党は野党でした。その前の宮沢政権から細川政権そして村山政権まで、日本の戦後の歴史の中で最もリベラルな時代だったんじゃないかと私は思っております。例えば歴史観でも宮沢政権で「従軍慰安婦」について正式に認めましたね。これは日本の軍部の関与が否定しがたい、というかたちで認めましたし、細川内閣では侵略、植民地支配について認めて謝罪をしました。羽田政権は短いけれど、村山政権では95年に「村山談話」を出して、国策を誤った、植民地支配と侵略について反省し謝罪をしなくちゃいけないということが出てきたわけです。それに対する非常に激しい反発が自民党の中で起き、民間では「新しい歴史教科書をつくる会」がそれ以後出てきた。一種のバックラッシュですね。村山内閣では地方分権一括法と、これは橋本内閣ですけれど情報公開法、それから男女共同参画基本法やNPO法ができた時代です。わずか10年前に日本はそういう方向に歩み始めようとしていた。冷戦が終わって新たにそういう方向に行くべきではないかということがひとつのコンセンサスになっていたんだろうと思います。それに対する激しいバックラッシュが、民間でも自民党を中心にした議員の中にも起きた。若手議員の中で、あの戦争は侵略戦争ではない、自存自衛の戦争である、「大東亜戦争」は必ずしも否定するべきではない、占領下にできた憲法は見直さなくちゃいけない、という非常に反動的な声が出てきた。

そのバックラッシュの果てに、この安倍政権が誕生しようとしている。非常に経験の浅い総理大臣なので、短命ではないかという声もすでに出てきています。私も短命であることを願っています。「憲法改正」を明らかにして政権についた人はいないわけですが、これに徹底的な批判をして退陣に追い込むことが、現在のこの流れを反転させるひとつの大きなきっかけになりうると思います。ただ短命かどうかはわかりません。残念ながら自民党の中でも人材が枯渇していて、他にいないんですよね。なぜ66%の支持を得たのかというと、やっぱり議員たちは国民的人気のある人の横でポスターの写真を撮りたいらしいんです。次がいないので、彼がいろんな失策をしてもなお、政権を維持させておくという判断もあり得るかもしれません。一番私が心配をしているのは、ここで何か危機が起きたときのことです。例えば北朝鮮の問題とか、国内でテロが起きるとか、そういう時に安倍政権の施策が必要以上に強硬になる可能性がある。あるいは情緒的、感情的になる可能性がある。それにメディアが巻き込まれ、それを煽る中で国民全体の雰囲気が非常に大きく変わる可能性を恐れています。安倍さん本人を恐れるより、彼がそういう状況をつくってしまうことを私は一番恐れます。

小泉政権の5年は何を破壊したのか

小泉政権の5年間、彼は自民党を破壊すると言ったけれど、何を破壊したか。一番大きいのはアジアとの関係、中国とか韓国との関係を破壊したといえます。憲法との関係でいえば海外派兵をしたことです。初めて戦地に武器を持った自衛隊を送った。これは無事に帰ってきたからあまり議論になっていませんけれど、やはり戦後60年で非常に大きな憲法違反、憲法破壊の行為だった。さらに驚くべきは、国会でしばしば、「自衛隊?あれは軍隊でしょ。当たり前じゃないですか」ということを繰り返し言ったことです。憲法9条第2項には「陸海空軍その他の戦力はこれを認めない」と明らかになっているわけで、それまでの総理大臣は思っていても言えなかった、言わなかったわけです。憲法との絡みでいろいろ弁解をしなければいけなかった。それを彼はまったく弁解をせずに「軍隊でしょ」と、つまり自分の政権は憲法違反をしていますよとはっきり言ったわけです。はっきり言った総理大臣は初めてだけれど、その勢いに飲まれて批判が有効にできなかった。野党もジャーナリズムもできなかった。そこで決壊したかのように憲法軽視というか、憲法原則の下で政治を行ってきたという当たり前のことがずるずるずるずる壊れていってしまった。

靖国参拝もそうです。あれは中国や韓国からいわれる以前に、政教分離の原則からいっても違憲です。最高裁での判例はまだ出ていませんが、福岡地裁と大阪高裁は違憲を出している。彼は、そういうことをいっさい顧みることなく私の心の問題だといっている。私は彼が破壊したものは非常に大きいと思います。その他に自民党のなかの「田中角栄的」なもの、地方に公共事業などを媒介にしながら票を獲得していく構造を破壊しました。小選挙区制もあったけれど、自民党の派閥は完全に崩壊した。それと関わる「族議員」も、自民党の中の利益共同体的なものから官邸中心の政治になりました。

官邸中心の経済財政諮問会議のような少数の人間が施策を決定し、それを閣議決定して国会におろして絶対多数を持つ与党でどんどん通過させていくという意味では、国会がかなり空洞化したと言えます。自民党も空洞化し、国会も空洞化し、私は「総理専制政治」と言っていますが、戦後ずっと働いてきた民主主義的な仕組みが、これは橋本内閣の時からですが、かなりの形で壊されました。

もう一つは、中曽根さんが非常に上手いことを言っているんですが、国民はかつて粘土だった。例えば医師会、農協、郵便局の大樹会、労働組合も、いろんな中間組織が積み上がってひとつの権力をなしていた。ところが粘土が崩れてだんだんと砂になった。だから支持をくみ上げていくことが非常に難しくなった。それを小泉君はポピュリズムという方法で行った、と中曽根元総理大臣が言った。小泉さんは自分の権力を維持するために、砂のようになってしまった人々を撹拌して支持を吸い上げていったということだと思います。

これからどうやって砂のようになった国民の支持を得ていくのかは、安倍さんだろうと、民主党であろうと方法が問われていくのです。その状況の中で最大の役割を果たすのがメディア、ジャーナリズムなんですね。この「砂」はざーっと向こうに行くかと思うとまたこっちへ寄せられたり、非常に流動が激しくなりますし予測がつかないような動きをします。昨年の9.11選挙で自民党ですら予想がつかなかった票が集まった。ファシズムというものも多分そういったところから生まれてくるんだろうと思います。この危うさをどうコントロールしていくかが日本社会全体、あるいは私たちを含めたメディアが考えなければならないことだ思っています。

小泉さんが「痛みに耐えなければ国は再建できない」と言いましたけれども、負担がどんどん増えています。10月からは医療費の値上げもあります。介護保険も「改善」されて負担が重くなりました。あちこちで悲鳴に近いものが上がっています。生活保護もどんどん切られています。小泉さんは痛みが上がってきたところでやめるところが非常に上手い、天才的なずるさを持った人ではないかと思います。これから不利益を割り振らなければならない中で、小泉劇場なき自民党政治はどうなるのか。

まず憲法を安倍さんはどう使うのか。「憲法改正」って、彼も5年以内にとか言ってるけれど、すぐできるものではないわけです。憲法改正だとか教育基本法だとか、そっちの方に人の目を吸い寄せておいて、実は下の方で痛みを強制していくかたちで使われるんじゃないかという疑いを持っています。

「憲法改正」とはどういうことか

さて現在は、はたして憲法政治の時代なのかということですが、これはアッカーマンというアメリカの政治学者が、政治には憲法政治の時代と日常の政治とふたつあると言っています。憲法政治の時代というのはひとりひとりが自分の私利私欲を抑えて、全体のために何かを考えたり情熱を燃やす時代である。自分の代で終わらない将来、未来の世代に向けてある規定をするような原理をつくっていく、すごい議論をしながら命をかけてそういうことをやっていく時代があるんだと。しかし普通の時代というのは、個人個人が自分の私利私欲、自分のビジネス、そういう自分の生活の中に入っていく時代である。政治は経済とかそういったものをコントロールしていく時代があり、そっちの時代の方が長いわけですね。憲法政治の時代はそんなに多いものではなくて、例えばアメリカでは独立戦争とか南北戦争の前後であるとか、あるいは第二次世界大戦前のルーズベルトのニューディールの時代であるとかそういういくつかの時代しかないんですね。あとは普通の時代です。日本でも例えば幕末から明治維新の前後、それから敗戦直後から多分1960年代くらいまではいろんな意味で自分の利益とか自分の人生を超えながらこの社会、国家はどうあるべきかという議論をしていた時代だったと思います。

じゃあ今はどうかというと私利私欲にまみれた時代であって、ホリエモンとか村上ファンドなんかもそうですし、政治家も官僚もジャーナリストもいろんな人たちが自分の私利私欲の中に没入している時代ではないか。その私利私欲のために政治をし、自分を超えて全体のために奉仕しようという精神がみなぎっているかというと、私はそうは見えない。憲法に対する関心もそんなに高くない。朝日新聞でしたか、新政権に何をやって欲しいかの調査で、一番は年金・福祉で54%、憲法は2%でしたね。憲法改正については非常に関心が少ない。憲法は言うまでもなくその国の最高法規です。これを議論して変えていくのは非常に大変なエネルギーが必要です。今この社会に、この憲法をこう変えて欲しい、これを変えなければ私の生活が成り立たないとか生きていけないと、何十万という署名が集まったり国会を十重二十重に囲むような状況があるのかどうかを見れば、ないわけです。こういうときに基本的な法規を変えていいのだろうかと思うんです。

発議のために必要な総議員の2/3というのは非常に大きな数です。日本は硬性憲法ですから、なかなかこれを変えられない。変えられないラインをつくったのは、それだけの相当な関心と情熱が必要であり、同時に合理的な判断として2/3の議員の納得が必要だと、憲法を制定したときの人たちは考えたと思います。今のように政党の組み合わせでいかに2/3をつくるかとは考えていなかった。

「上からの革命」としての憲法破壊

準憲法的な位置づけのある教育基本法の改定案をお読みになりましたでしょうか。無惨な法案ですよ。何が書いてあるのかわからない。現在の教育基本法は11条ですけれども、いろいろ問題はあると思いますけれども、きわめて明快な筋が通っているわけです。そして言葉もそれなりにきちっとしたものだと思います。それはやはり書いた人の精神がそこに入っていると思いますし、日本国憲法の精神に沿いながらこれから主権者を育てるにはどうしたらいいか悩み抜いた末での文章がそこにあります。でも今出ている改定案はつぎはぎだらけです。多分公明党が言ったんで「不当な支配に服することなく」を残したんでしょう、あるいはどこかに日本国憲法の精神を残したんでしょう。ところが妥協に妥協を重ねたものですから、全体として何が言いたいのかわからなくなっている。この無惨な法案が成立したときに果たして日本の教育はどうなってしまうのかと強く思います。これが通常政治の時代において根本法をいじろうとするところの最大の問題です。将来に対して禍根を残します。

憲法調査会は昨年5月に5年間の任期を終えた。高田さんは毎回傍聴されて学級崩壊状況だって書かれていました。議員ですら憲法について真剣に議論なんかしていない。そして5年やったにもかかわらず、憲法調査会を知らない国民が非常に多く、その中の議論も全然知らない。何でそんなに憲法を変えようとしているのかというと、私はこれは上からの革命ではないかと思っているんです。変な言い方ですけれども下から憲法を変えようといった声がわき上がるのではなく、上の統治者、権力者が日本社会を変えてしまいたい、国家も国民も変えてしまいたい。そのために憲法を変え、社会を変え、革命をやる構造ではないかと思っています。かなり強引にがんじがらめにした上で、国民の議論をできるだけさせないようにして、あわよくば変えてしまいたいと進めているのではないか。これが第1点です。

憲法の根幹を変えるのが「改正」といえるか?

それから第2点目は、憲法改正ってどういうことなのかということです。改正って言って憲法の根幹にある部分を変える改憲はないと思うんです。それこそ革命とか、敗戦といったあとにそういうことが行われる可能性はある。でも通常の時代で、例えばアメリカは修正第1条とか修正第10条が付け加えられています。あの修正をした時代も非常にまれな時代です。けれども、そうしょっちゅう憲法を論じているわけではありません。ドイツも戦後30何回いじっているけれども根本は変えていません。個人の尊厳が最大の守るべきものであるという第1条といった部分は手を触れていません。憲法を変えるといって僕らがイメージするものは、条文を付け加えるとか、何か不都合な場合はそこを削除するかだと思うんですけれど、今自民党が出している改憲案は全取っ替えですよね。新憲法と言い始めています。基本的人権とか国民主権あるいは平和主義、3大要素といわれますけれどそれさえ変えようとしている。いろいろごまかしをしていますけれども、むしろそれを変えようとしています。これをはたして改憲とか改正と言っていいんだろうか。全取っ替えということは一種の革命を起こすことです。こんなことが憲法政治の時代でもない現在にできるのか。

憲法はただその条文があるのではなくていろんな下位法があります。それで社会は動いています。さらにいろんな裁判がたたかわれて、無数の判例があります。それで権利、義務とか様々な問題が積み重ねられているんです。憲法は60年経った中で、60年前だったらひとつの芽のようなものが、だんだん育って幹になっていろんなところに葉を繁らせているわけです。それによって私たちの社会は動き、成り立っています。それのどこか一部を変えようということならまだわかりますが、これを幹から切ってしまおうということは、今の平時においてはきわめて考えにくいことです。弁護士の方などに尋ねれば、ものすごい判例がありますし、それぞれが全部組み合わされている。例えば最高裁の何年の判例、どこの裁判所の判例を全部参照しながら次の裁判にいっているわけです。それを全部崩してしまうということがはたしてできるのかが第1です。

「立憲主義」の否定としての改憲案

日本国憲法は、その西洋民主主義の標準装備をすべて備えた憲法だと思います。第1章、第2章の天皇制と第9条、戦争放棄が日本においては特別ですけれど、それ以外のところはほとんど世界標準装備の憲法です。これを変える意味があるのか、変えることが正しいのかということです。一時、自民党の要綱案には男女平等まで変えることが出てきました、引っ込めましたけれど。また政教分離の原則、これもかなり世界標準だと思いますが、昨年10月の自民党憲法草案ではそれを変えようといい出しています。社会的儀礼、習俗的行為を超えて政治を宗教に関わらせてはいけないと現憲法ではなっていますけれど、新憲法草案では社会的な習慣まではいいと読める。ということは靖国問題をそこでブレイクスルーしようとしているとしか思えない。そういう意味で世界的な標準であるものを、むしろ破ろうとしている。一体これは改憲なのか改正なのかということです。

国民が権力に課した制約であるという立憲主義を、否定したいのが今自民党が考えている改憲の方向です。つまり国家に対する制約を取り払いたい。水島朝穂さんはこれを「国家に対する究極の規制緩和だ」なんて言います。国家をフリーにする、権力をフリーにする、逆に国民の側、主権者を縛る、そっちの方向に向けたいのが自民党なんかが考えている憲法案です。権利を制約して価値観を強制するのが考えてられている憲法の方向です。環境権だとかプライバシー権だとか新しい権利だとかいってちらちら衣を見せますが、その裏側に鎧が見えています。改憲とか憲法改正とかいう言葉ではたしていいのかということです。これはマスコミがずっと伝え続けているので改憲とか改正になりますけれども、自民党はまったく違うことを想定しているんじゃないか。

人権を擁護して統治するのじゃなくて、憲法を否定して統治者の都合のいいように国民を操作するような憲法をつくる、新憲法草案にもそう書いてあります。国民の権利は必ず責務が伴うとか、余計なことを書き込もうとしている。憲法改正の限界は明らかにあって、それは今の憲法の中にはっきり書き込まれています。それを超えようとしている。9条の問題は若干微妙なところがあります。憲法学会の中にも議論があるようですけれど、少なくとも基本的人権と国民主権は変えてはならないものです。これを変えたら世界的には大きなスキャンダル、笑いものになるの。

冷戦集結後、顕れた粗野な資本主義

冷戦が終結した以降、冷戦は構造的には共産主義あるいは社会主義と資本主義、自由主義の対抗だといわれていました。戦後の日本も、自由や民主主義が勝ったと言われました。確かに日本の自民党にも一種のリベラルデモクラシー的な考えを持っていた人がいました。宮沢喜一さんとか後藤田正晴さん、今だったら加藤紘一さんみたいな人がその流れで、あるいは河野洋平さんもなんかもそうでしょう。ところがそれは実は少数で、冷戦が終わってぞろぞろ出てきたのは非常に反動的ないわば戦前的な価値観を復活させようとする人たち、グループが、リベラルデモクラシーの仮面を脱ぎ捨てて現れてきています。例えば家制度を復活させようとしたり、天皇制的なものを復活させようとしたり、かつての秩序、ノスタルジーをもって語ろうとする人たち、――平沼赳夫なんかその典型です  がぞろぞろ出てきている。何でそうなのか、彼らは憲法に対して占領下でできたから反対だ、GHQが作ったから反対だということを非常に強く持っています。それは靖国参拝にも結びついてくるものです。遊就館の思想です。かつての戦争は自存自衛のためにやった戦争で、ヨーロッパの植民地支配から解放するためにやった戦争だったという歴史観をまたぞろ出してきている。リベラルデモクラシー的なものがだんだん消えて、粗野な資本主義、新自由主義という強いものが勝ち弱いものは退場させられる価値観が復活している。

これは日本だけじゃありません。共産主義、全体主義的な統制がある社会に対抗して、自由とか民主主義とか公正とかを標榜していたはずの世界が、冷戦が終わったとたんにそういったものを脱ぎ捨てて元の19世紀的な強いものが勝つという一種の「ジャングルルール」みたいな中に入っていく。一体これをどう考えたらいいのかということです。自民党の政治家たちは頼るものは昔のノスタルジーしかないんでしょうか。今の憲法体制に基づいた社会を展望することができなくて、昔の方が良かったという方向へ行こうとしているふうに私には思えます。それが改憲ではなくて憲法全取っ替え、上からの革命に結びついています。

「戦前」の価値観と米国の要請の合体

同時に今憲法を変えてくれって一番要請しているのはアメリカです。日本を縛っている第9条を改正してともに戦って欲しいということですね。自分の副官になってイギリスのようにイラクでもどこでも一緒に戦争し、介入してくれ、それが世界全体を支配する非常に大事なことだ、アメリカだけではできないから日本もやってくれということです。米軍とアメリカの要請、21世紀型がドッキングしたのが改憲に向かうひとつの方向性です。

当然この19世紀型と21世紀型には矛盾が生じます。多分アメリカは靖国だとか遊就館に非常に苦々しい思いを抱いていると思います。これは自分の占領を全部否定してしまうものですし、第2次世界大戦そのものの意義を否定してしまうものですから、アメリカはこれを承認できません。これをどう調整しようとしているのかわかりませんが、今の潮流としてはこういうものがあるんだろうと思っています。

教育基本法の改定は明らかに実質的な改憲、下から、子どものうちから変えていこうということです。いま教師に対する締め付けが厳しくなっています、教師はロボットになれということです。教えるときに自由な教え方ではなく上から言われた、学習指導要領で決められたことをすべてそのまま子どもに注入せよということになる。そして子どももまたそれを受け入れなくちゃいけない。教育基本法の改定案の中にひどいのがありまして、学ぶ側は教育を受けるにはきちっとした態度を示さなくちゃいけないとある。教育基本法は権利としての教育だったはずです。義務は国家・政府・自治体が負っているのであって、学ぶ権利は主権者にある、主権者を育てるんですから。それを政府が「ああしろこうしろ」と言うのはおこがましい話です。それなのに統治行為として教育をする、教え込むということをはっきり出しています。こんなことを教育基本法に書き込むのはどういう神経かと思いますが、学ぶ姿勢を示さない子どもは教室から排除してもいいことにもなります。政府に都合のいい教育内容を教えていくことは、明らかに教育基本法が否定した考え方です。教育勅語の発想ですね。まさに新勅語、天皇なき勅語といってもいい。これは単なる法律のひとつの改正ではなくて、これも全取っ替えですから、実質的な改憲です。

実質的な改憲としての「武力攻撃自体法」

もうひとつは米軍再編にともなう日米軍事一体化です。日米軍事一体化というのは集団的自衛権を認めることになります。安倍さんは解釈によって変えられるんじゃないかと言っていますが、生半可な知識だろうと思います。日米安保条約は、もともと憲法の規定によって片務的つまり構造的に集団的自衛権が発動できないようになっています。つまり日本の施政区域内においてアメリカか日本のどちらかが攻撃を受けた場合は、ともにそれに対する戦争ができるけれど、アメリカ1国が攻撃を受けたときには日本は関わらなくていいという条約です。だからこれは片務的だ、双務的じゃないと言われますけれども、なぜそうなったのか。米韓相互防衛条約にしても米比にしてもあるいはNATOにしても全部これは集団的自衛権です。つまりアメリカが攻撃されたときは同時にNATOも軍事力を発動できる、韓国もフィリピンもそうです。日本だけなぜなっていないかというと、これは憲法がそうだからです。憲法があるがゆえに集団的自衛権を発動できない。

集団的自衛権があるのに内閣法制局の解釈はけしからんなんて言っていますけれど、実は全然そういう問題じゃないことに安倍さんは気付いているんだかいないんだか、非常に生半可な知識ではないかと思います。核武装についてもそうです。核武装は否定していないと彼は言っています。確かに岸元総理なんかがそう言っていた時代はありました。でもそれはNPT(核不拡散条約)に日本が加盟する前の段階のことです。NPT加盟後にそういう発言はないはずです。にもかかわらず、彼が日本の核武装もあり得ることを言っているのは、一体そういう歴史をどう考えているのかと思います。

あと海外派兵の恒常化みたいなことを安倍さんはやろうとしている。自衛隊の中からはいい加減にしてくれという声が実は出ているんです。自衛隊はたまったもんじゃないですよね。レバノンという話も出ているようですが、これからどこにでも海外に武装した部隊で出ていく(これだけは絶対やってはいけないと、岸信介も確か言っていたはずです)といったものをやろうとしている。これは実質的な改憲としかいいようがありません。しかもこれは国連ではなくてアメリカの要請で行くことですから、まさにイギリスのようになれ、副官になれということになります。本当にあれほど憲法の押しつけを嫌がっていた政治的グループが、ここまでアメリカに押しつけられて、それを唯々諾々と飲んでいいものかと多少「ナショナリスティック」な感じになるわけです。

「改憲」を先導したメディア

一昨日東京地裁で画期的な判決が出ましたが、「日の丸・君が代」に対する締め付け、思想・良心、信教の自由に対する非常に大きな侵害があった。それから立川その他のビラまきについても、逮捕拘留というもの凄く大きな言論・表現の自由の侵害があります。これは非常に大きな問題だと私は思います。ジャーナリズムはこれにちょっと冷たいし、一部のジャーナリズムは何か規制されるのが当たり前みたいなことをいっています。どうして彼らは自分たちの足下が崩されていることに気がつかないのか非常に疑問ですね。ビラまきさえ逮捕されるような国において言論・表現の自由が保障されることがあるのか、あるいはそういうかたちで保証されるジャーナリズムって一体何なのかということを考えなくちゃいけない。これはもうジャーナリズムの思想とか何かを超えて、本当は団結してたたかわなくてはいけない。そういう時代なのにそれについてまったくたたかわないどころか非常に冷たいのが、現代のジャーナリズムの問題です。

「9.11」以降、アメリカでもパトリオット法――愛国者法によって、盗聴は自由になりました。それから人身の拘束も自由になり、法の支配からの逸脱が起きている。逸脱してもテロは防がなくちゃいけないという理屈です。ひどい例は、あなたを捜査しますという令状が発せられたときに、自分が捜査されたことを言ったら罰せられたというように、どこでどういう捜査が行われたかわからないのがこの愛国者法で、だいぶ問題になっています。テロとか犯罪に脅迫されて、自由が脅かされている。言論・表現の自由、思想・良心の自由というのは基本的人権の基本の「き」みたいなものです。それが非常に深く侵されているのが現状だと思います。これは日本だけじゃありません。けれども、日本もまた強い侵害を受けています。これは犯罪だとか北朝鮮の拉致問題とかミサイルとかをひとつのテコにしながら、脅しながらやってきています。恐怖は理性を凍らせてしまうところがあるんです。ブッシュ政権にしても日本の公安にしてもそれを利用しています。現状では実質的に憲法のさまざまな権利、憲法秩序が侵されています。

メディア規制――内側にある危機

メディアについては権力の側からさまざまな規制が掛けられようとしていますし、実際掛けられています。個人情報保護法では、例えば公務員の情報が全然出てこないとか、出さないということが起きています。そういう個人情報なしにジャーナリズムは通用しない部分があるんです。ですからいまかなり危機的な状況になっています。それから国民投票法案。いちおうメディアの規制ははずされたとはいいますけれども、これはむしろ規制するより操作する方法に変わったと言っていいと思います。意見広告なんかは自由ですから、金がある側はどんどんメディアで広告できることになります。それから憲法の意見広告について、政党の議席の配分によって行うことになっています。そうすると改正しようとしている側は2/3は必ず取っているはずですから、少なくとも2/3は改正賛成の意見がメディアを通じて出されることになります。それに対して反対のものは1/3以下しか出せないことになる。これは本当におかしい。つまり全政党が賛成した改憲決議であっても、市民の側が反対したらやっぱり同等の権利が与えられなくちゃいけないはずです。

人権擁護法案でも、多少はずされたけれど、メディアに対する規制は掛けられようとしています。それから有事法制、武力攻撃事態法の中では指定公共機関というかたちで、メディアは政府の一種の広報を努めなくてはならないことになりました。いま全国で160法人といわれている放送局、ラジオ、テレビ、なんかは指定されています。ある危機が起きたとき、放送局は政府の放送の情報を流さなくちゃいけないことになります。いちおう言論・表現の自由は侵してはならないといいますけれども、はたして指定公共機関である放送局と、報道機関である放送局とどう区別ができるのか。出てきた情報をきちっと批判的に伝えることができるのか、これは本当にきちっと報道機関の中で決意すればできると思いますけれども、私はいまのメディア状況はきわめて危ういと思います。

アメリカはイラクを軍事攻撃して非常にひどい状況をもたらしました。だけど同時にアブグレイブのあの虐待問題、拷問問題を暴露したのはアメリカのメディアだった。放送局と「ニューヨーカー」という雑誌でした。私ははたして日本の新聞とか放送、メディアがああいう事態になったときに、自分のところのまずい情報を本当に出せるだろうかと思います。出せないんじゃないでしょうか。イラクの人質事件なんかを見たときもわかりますけれど、そういうものを出したら「じゃあ自衛隊の安全を脅かす気か」というような声が出て、そういうところはつぶされていく気がします。自主規制に入っちゃうんじゃないかなと思います。つまり日本のジャーナリズムの危機は外から来る危機じゃないんですよ。基本的に内側にある危機だと私は思っています。

イラク戦争にみる報道自主規制

その端的な例が、イラクの戦争報道、イラクのサマワに行って2ヶ月くらいで報道機関は帰って来ちゃったんですけど、そこで報道機関は防衛庁との間で申し合わせを結んでいるんです。その中には報道しても支障のない情報と、安全確保等に影響しうる情報、つまり検閲を認めているんですね、すでに。これは民放と新聞協会との間で結ばれてしまっている。例えば、これは報じちゃいけないよという例ですけれども、部隊の勢力の減耗状況、減耗状況というのは攻撃を受けて何人か死んだ、それを報じるなということです。爆弾なんか受けて何人か死んだとか怪我したとか、そういうものは報じるなということです。部隊の人的被害の正確な数、これは報じるなということです。宿営地外で個別の復興支援活動に従事する隊員の正確な数、装備品、補給品等の正確な数、そういったものは報じてはいけないと言われています。

もっとひどいのは、部隊行動基準事態つまりR・O・Eというのが軍隊にあるんです。ルール・オブ・エンゲージメントといって交戦規定です。何かの時は撃っていいとか何かの時にはここまでしなさいとか、それは作戦によって全部決められています。日本ではなぜか交戦規定を使わずに部隊行動基準と訳しています。でも絶対おかしいんです。「エンゲージメント」は交戦ということですから。端的な例では「9.11」の時に、ホワイトハウスの周辺に戦闘機を出して近づく航空機はすべて撃ち落とせというR・O・Eが出ています。ですからどういうときに撃っていいか、どういうときには隊長の命令に任すのかというのを全部細かく決められています。そうじゃないと軍隊は行動できないし戦闘できない。それを部隊行動基準と変に訳した上で、それ自体を報じるなということです。つまりどう自衛隊が行動するのか、どういう基準で行動するのかを一切報じられなくなった。それを受け入れているわけですね。安全のためにというのはまだわかりますけれども、何でこのR・O・Eまでやめるのかということですよ。

これは通信社の社内向けの広報誌に載ったものですけれど、2004年だと思います。サマワに部隊が行った1月20日です。「検閲じゃないか。1月20日、陸自の活動を支える空自のC130輸送機がクウェートに初めて到着するのを前に現地で開かれた取材説明会で、一部の記者からこんな声が上がった。空自広報担当の一尉が突然、テレビ生中継用の予定稿の事前提出やデジタルカメラで撮影した画像のチェックを求めてきたのだ。説明会は騒然となった。このふたつのチェックについて一尉は『私はみなさんを信用していますが、米軍とクウェート軍の幹部に対して日本のメディアが軍事機密を報道しないことを証明しなければならない』と説明した。取材を希望する社は統制に従うとする誓約書の提出を求められた。C130輸送機が到着するアリアルサレム空軍基地は各国の空軍が共同使用している」。しかし、ここでこういう反応です、「テレビ局のある記者が『検閲なんて言い方は大袈裟、私たちは生中継できればいい。実利を取りましょう』と主張、一尉は『国民への説明責任を果たしたい。そのためにメディアの力を借りたい』と仕切り直した。だが空自側の提案よりもショックだったのは、ほとんどの社が無批判にその場で誓約書にサインして提出したことだった」。この通信社は、軍事機密は尊重するが現段階ではこのような誓約書は出せないと伝えた。しかし疑問を持たずあっさりと誓約書にサインした他社の記者に苦い思いが残ったというふうに書いてあるんです。ここでは完全に放送記者、新聞記者たちの意識が、検閲はダメだとか軍の統制に対して抵抗しながら報道する姿勢がまったくないという恐るべき事態をここで表しています。

アブグレイブのような事態を日本のジャーナリズムは多分報じられないだろうと言ったのはこういうことです。アブグレイブみたいな事態を知ったとしても、自衛隊の安全にとって悪い影響が出ると判断したらそれを報じなくなるでしょう、あるいは事前に検閲をさせられるでしょう、誓約書を書いているんですから。こんなジャーナリズムはジャーナリズムの基本からもうすでにはずれています。さらにこんな誓約書を書かされた上で、2ヶ月か3ヶ月で危ないからといって全員退去した。それ以後私たちはサマワの状況についてほとんど知ることなく1年半、2年経ってしまったわけです。危ないのに行けということはできませんけれども、しかし他のジャーナリズム、アメリカを含めて、やっぱり行って現地で見て取材して、どういう問題があるかを書いています。批判的に書いています。それを日本のジャーナリズムは今回できなかった。

二分される新聞、報じないテレビ

これからはたしてどうでしょうか。北朝鮮との間の危機であるとか、日本のどこかでのテロが起きたときの対応だとか、そういうときに今のような状況で、本当の報道はできるのか。批判的な報道はできるのか。非常に大政翼賛的というのかな、大政翼賛というともうちょっと意識的だから、もっと体制に流される型といいますかね、みんな一緒に流されよう型というんですかね、そういうような状況にいまのジャーナリズムはあるということです。

もちろんその中に、いまこの社内報で書いているように意識している記者もいます。防衛庁との申し合わせに抵抗した社もたくさんあります。新聞社は、反対して、二分したといってもいいかもしれない。ところが「いや、おれたちは署名するよ」という社が出てきちゃうんですよ。まあ、読売新聞と産経新聞を中心にですけれど。そうすると、例えば朝日や毎日は行けなくなってしまう可能性がある。ジャーナリズムは現場に行かないと話にならないから、そこでやっぱり妥協せざるを得なくなり、実はそういうのがずっと続いています。二分される新聞というのはそういう意味ですね。これは憲法についても教育基本法についても人質事件についても全部同じように二分されています。そういう中でついつい批判する側も妥協せざるを得ない状況に追い込まれている。

妥協する側は政府と一体になっている。どうも読売新聞は政府より自分が偉いと思っている気配もあるんです。小泉君にこういうふうに言ったけれど、あいつは言うことを聞かないとか何とか、某社長が言いますね。俺が指示しているという意味だと思います。そういう新聞っていったい何でしょうかということです。いま、日本のジャーナリズムはそういう状況になっているということです。そういう新聞なりテレビなりが、ビラの事件とか今度の「日の丸・君が代」に対する地裁の判決について非常に批判的だったり、冷たいのもわかると思うんです。ただ、その読売新聞社の社長ですら靖国は行き過ぎだと言っているわけで、中曽根さんですら靖国はやめた方がいいと言ってる。そこまで政治は行ってしまっているという状況です。

これもあまりいい話ではないですけれど、ジャーナリズムの中で安倍晋三氏にくっついている記者もたくさんいます。安倍政権をつくるために本当に命をかけるというNHK某記者もいた。非常に親しくなってワシントンに行ったら、ワシントンからいちいち「安倍ちゃん、今度ワシントンではこうだったんだよ」と情報を伝達する記者たちもいる。確かにジャーナリストと政権はどこかで通じ合っている部分もあるので、それを一概に否定はしないけれど、そういう記者たちがまわりを囲みながらいろんな情報を与えたりしている。そうして政権ができていることも見なくてはいけない。

安倍政権ができたからただちに改憲ができるとは思いません。いろんな駆け引きがあるでしょう。私は9条2項が最大に狙われている部分で、いろんな理屈を言いながら9条2項を削除したり3項をつけてその効力をなくすことが今度の改憲の眼目だろうと思います。そこに向けていろんなことを仕掛けてきます。来年の参院選は非常に大きな剣が峰、大きな分岐点になると思います。一部では衆参同日選挙の説も流れています。衆議院の議席があれだけあるから自民党はしばらく解散しないと思うけれど、参院が負けるとうまくいかないわけです。法律なんか通らない。となると衆議院は50人位余っているから減ってもいい、参院が勝てばいいという計算をしているらしいのです。だから衆参同日選の可能性もある。あとはそれだけの決断ができるかどうかですね。はたして来年の選挙でどういう選択を国民がするか、です。

もうひとつは民主党です。いま小沢さんはリベラルの方に軸足を移して、例えば教育基本法改正だとか共謀罪だとか国民投票法案も反対だといっています。しかし、いろんな数の計算からいうと私は改憲案を出すときは、自民党と民主党の一部がくっつくことしかないと思うんです。そうじゃないと2/3はクリアできないと思います。いつの段階でそうなるのか、そうなったら公明党ははずれていいことになると思うんです。自民党と公明党と民主党が一緒になったら、もう完全な大政翼賛会的なものになり、そこまで私は想像ができないんですが。ただ民主党の中にも非常に強い改憲派がたくさんいますから、そういう連中が民主党を1/3でも割ればそういうことになるんじゃないかなというふうに思います。

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報告 憲法破壊の暴走政治を許さない!院内集会

集団的自衛権行使容認発言を許さない! 改憲手続き法案、教育基本法改悪、共謀罪法案、自衛隊法改悪、海外派兵「恒久法」、テロ特措法延長、イラク特措法延長などに反対します

第165国会開催日の9月26日午後、衆議院議員会館で国会議員と市民による院内集会が開かれた。当日午後は国会で首相指名選挙が行われた。新憲法制定を公言する安部内閣発足という緊張したなかで超満員の150名を超す参加者があった。主催は5・3憲法集会実行委員会。

主催者挨拶で高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)は「安倍首相は集団的自衛権が現憲法下で可能だと発言し、批判があると個別的自衛権の行使で可能だとする研究をはじめるという。こうした発言を許すことはできない。今日は今国会に予定されている悪法を全部スローガンに並べた。5・3集会実行委員会は6年間共同行動の実績を積みあげ、5月3日以外でもさまざまな行動に取り組んでいる。ネットワークを強化し安倍首相の危険な動きと対決していきたい」と語った。

すでに沖縄知事選の野党統一候補と報じられている参議院議員の糸数慶子さんは、非公式だが出馬表明のようだと前置きして「国会では戦争への法案が目白押しだ。安部首相はキャンプ・シュワブに米軍基地を作ることをにおわせている。基地づくりと戦争への道を争う知事選になり、沖縄から日本が変えられるかが問われる。野党共闘で県政を奪還したい」と熱い決意を語った。安倍政権発足後初めて行われる沖縄知事選挙で、野党統一候補の勝利は重大な影響をもつだけに、会場は割れんばかりの激励と共感の拍手であふれかえった。

民主党・衆議院議員の平岡秀夫さんは、今日民主党の『次の内閣』の法務大臣に指名された立場で話すと前置きし、「法務大臣だから共謀罪も改憲手続き法も受け持つことになる。前国会では共謀罪を阻止するため体を張って闘ったが、院外の動きが力になった。今度は安部との闘いだが市民の皆さんの力がぜひとも必要になる。集団的自衛権について私の考えは、すでに『世界』4月号で表明している。その観点から民主党内でも議論していく」と話し、喜納昌吉・衆議院議員とともに挨拶した。

社民党の福島瑞穂党首は「集団的自衛権が現憲法下でも可能だとし、国民の命を国のために捧げるのが美しいという恐ろしい人が首相になった。戦後のすべてを否定することになる。ナチスドイツが登場した時にドイツの知識人は長続きしないと思っていたこともあったというが、間違った。野党が連携して安部と闘えるようにしたい」と元気よく訴えた。社民党からは辻元清美さん他5名の衆議院議員が出席した。

日本共産党の志位委員長は「安部政権は集団的自衛権を行使して海外で戦争のできる国にすることを狙っている。安部はむきだしですすめているのでわかりやすいのが特徴だ。臨時国会では改憲手続き法と教育基本法の強行が危険だが正面から対決していく。韓国を訪問した時、各所で日本の右傾化を心配する声を聞いた。暴走政治にストップをかけるのは日本だけの問題でなくなっている」と語った。共産党からは笠井亮さん他6名の衆・参議員が出席した。

参加した市民からは、教育基本法の改悪を止めよう!全国連絡会の八尋麻子さんが、「愛国心を強制する教育基本法の改悪を何としても止めたい。一歩も二歩も踏み込んで出来ることを全部やろう!」と連帯の挨拶をし、当日夕方に開かれる官邸前行動への参加を呼びかけた。

ネットワーク反監視プロジェクトの小倉利丸さんは「もし共謀罪が国会を通ってしまったら、改憲反対運動へも不当な捜査が可能になり、運動の萎縮や弾圧を生む。また阿倍の言う新憲法制定は国家を乗っとるクーデターだ。自民党の新憲法草案策定のチームは解散させなければならない」と連帯して話した。

主催の構成団体からは都教組の山本さん、新婦人の安達さん、平和を作り出す宗教者ネットの武田さん、平和を実現するキリスト者ネットの鈴木さんが発言した。それぞれ改憲反対の取り組みを報告し、平和の行動への逮捕者が出ていることなどが話され、共同して戦争政治を止めようと話した。

最後に、国会の動きに併せ、有効な行動に取り組むことを確認して終わった。   (土井とみえ)