私と憲法65号(2006年9月25日発行)


安倍・改憲政権に立ち向かう私たちの構え

9月20日の自民党総裁選で安倍晋三氏が当選し、これをもって26日の臨時国会開会日に次期首相に就任することが確実となった。

憲法公布60周年にあたる今日、「美しい国へ」というスローガンのもとに、教育基本法の改悪と憲法改悪を公然と具体的な政治課題に掲げて登場する安倍晋三自民党総裁の特質は新国家主義だと言ってよい。安倍は戦犯裁判にかけられた祖父の岸信介・元首相を信奉し、影響を受けたというレベルの歴史認識であり、勝共連合=統一教会と結びついたりするような程度の雑ぱくな思想性の持ち主である。政治家としての実績は拉致議連=救う会運動のみという安倍晋三は、政策では日本の言論界の極右に属する伊藤哲夫・日本政策研究センター所長、西岡力・東京基督大学教授、島田洋一・福井県立大学教授、八木秀次・高崎経済大学教授、中西輝政・京都大学教授らのブレーンに依存している特異な人物である。彼がしばしば口にする「戦後レジーム(体制)からの新たな船出」は、20年前「戦後政治の総決算」を掲げて登場し、果たせなかった中曽根康弘・元首相の受け売りである。実際に安倍の憲法観は自民党新憲法起草委員会前文小委員会で中曽根小委員長の下、小委員長代理を務めたときから全くの中曽根亜流である。そして、その極右・国家主義的な言動は保守派としてのバランス感覚すら欠如しており、先輩の中曽根康弘以上に危険な要素を持っている。

イラク戦争で泥沼に陥って急速に凋落しつつある米国ブッシュ政権の基盤の一つがネオコンと呼ばれる特異な新国家主義勢力であることは広く知られている。しかし、その没落期に日本ではそれに類似する安倍政権が新しく登場したというのは、歴史のいたずらであるにしても、冗談ではないと言わねばなるまい。解釈改憲で集団的自衛権の行使のワクを押し広げることを主張する安倍晋三政権は、日米同盟一辺倒とアジア軽視で行き詰まった小泉純一郎前政権に輪をかけた日米軍事同盟至上主義者であり、北朝鮮「制裁」を売り物にして世論の支持を得ようとするなど、危険な排外主義的な傾向を持った政権である。早晩、この外交もまた小泉前政権同様に行き詰まりに陥るであろう。

私たちの憲法運動にとって、安倍問題をどう見るかはとりわけ重要な問題である。

彼は現行憲法下での集団的自衛権の行使容認論者である。もっとも彼がそれを口にした瞬間から巻き起こった世論の反発で、現在では政策的には集団的自衛権の行使合憲論から一歩下がって、従来、集団的自衛権行使に該当するとされてきた諸ケースを研究し、腑分けして、個別的自衛権の行使に分類すべきものとそうでないものに分けて定義しなおし、個別的自衛権の範囲を拡大する、という方針を採りつつある。この場合の「個別的自衛権」の定義の拡大は、たとえばイラク占領における米軍と一体化した自衛隊の武力行使や、日本海での米軍への攻撃への共同対処などが含まれ、米国の侵略戦争における日米両軍の共同作戦体制への参加に道が開かれることになるのは明らかである。

そして明文改憲を実現するには「5年のスパンがかかる」だろうが、全面改憲をしたい、また自民党の新憲法草案は見直して第2次草案的なもの(前文の再見直しや集団的自衛権行使の明記など)をつくりたい、国会の力関係の中で手直しはあるにしても、それによってまず自民党の立ち位置を明確にしたいとの構えをとっている。

しかし、この「5年のスパンで明文改憲」という主張は強硬な主張のように見えるが、実は改憲派、あるいは安倍政権の強さを示すものではない。イラクなどで泥沼にはまりこみ、イラン、北朝鮮などへの対応が思うに任せないほど、米国の世界戦略には揺らぎがでている。米国の日本に対する集団的自衛権の行使と、米英同盟なみの日米同盟への飛躍の要求は強まるばかりである。しかし、その障害になる憲法第9条を変えようとしても、世論の動向や「九条の会」をはじめとする全国の改憲反対運動の高揚を見ると、それは容易なことではないのは明らかである。改憲の大前提の「改憲手続き法」すら成立を阻止されている。

安倍らは当面の短期間で9条を変えて、米国の要求に応える道を不可能だと見たのに違いない。彼は5年と言ってみた改憲のスケジュールすら、「簡単ではない」と認めている。安倍が「全面改憲」とか、「新憲法草案の第2次草案の作成」などというのは、当面、憲法の明文改憲が極めて困難だと認めていることの裏返しの表現なのではないだろうか。

これこそ安倍が「集団的自衛権行使合憲論」を、いま、ことさらに持ち出した背景である。米日政府にとって今日の世界情勢の動向をみれば、このままでは9条を変えるテンポが間に合わないのである。

誤解をおそれずに言えば、90年代を経て21世紀冒頭からとりわけ顕著になった改憲の動きとの闘いの第1ラウンドで、9条改憲反対の運動は改憲の動きを押し返したのである。

問題はそこでつまずいた改憲派が、返す刀で現行憲法下での「集団的自衛権の再定義」、およびその行使などという危険な路線の具体化に踏みこんできたことである。

歴代の自民党政権が第9条との関係で固く封印してきた「集団的自衛権の行使」を、現行憲法下でも「合憲」とすることは、名だたる改憲派の山崎拓・元自民党幹事長ですら「それではいままでの自民党政府が間違っていたことになる」と批判するほどの重大事である。これは「戦後の立憲主義、民主主義」の屋台骨を崩壊させる動きになる。政治と社会の基準・枠組みがガタガタになるほどに一大事である。これを「戦後レジーム(体制)からの新たな船出」などということで許してしまうとすれば、政治は一種のモラル崩壊状況にならざるを得ない。果たして安倍新政権はそこまで踏みこむ覚悟と用意があるのだろうか。それもまた極めて不透明である。

いずれにしても、改憲阻止の運動は第2ラウンドに入った。私たちにはこの安倍の懸命な攻撃に如何に立ち向かい、勝利するかが問われている。

先ずはこの臨時国会において、国会内外の運動があい呼応し、安倍新政権がねらう教育基本法の改悪、防衛省昇格や海外派兵の本務化を内容とする自衛隊法の改悪、共謀罪の新設、改憲手続き法の強行、テロ特措法延長、イラク派兵の延長などを阻止する闘いを巻き起こし、勝利しなければならない。

臨時国会開会日の26日、「共謀罪法案反対NGO・NPO共同アピール/共謀罪の新設に反対する市民と表現者の集い実行委員会/共謀罪に反対するネットワーク」が12時半から、「5・3憲法集会実行委員会」が「憲法破壊の暴走政治を許さない」のスローガンを掲げて2時半から、「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」が6時から、連続して国会で集会を行い、誕生したばかりの安倍新政権への反撃の運動を開始する。このあと、さまざまな秋期の行動も準備されている。

私たち市民連絡会はこれらの場において運動の共同をいっそう促進し、野党の結束を要求し続けながら、全力をあげて闘いたいと考えている。

合わせて、全国各地で「九条の会」をはじめとする市民の運動をさらに大きく巻き起こし、改憲を阻止する運動の力量を飛躍的に高めることである。とりわけ、今年の11月3日の憲法公布60周年記念日の集会は、大阪、兵庫、広島各県でそれぞれ大規模な集会が準備され、これ以外の全国各地でも従来にない運動の高まりが見られる。

これらの中で、先に「改憲手続き法案への意見書」を発表した日本弁護士会など、各界の様々な人びとの運動との連携を強め、さらに世論を盛り上げる必要がある。そして昨年につづき今年も東京の「11・3憲法集会」が韓国・ソウルの市民運動と呼応して取り組まれること、あるいはGPPACの「グローバル9条キャンペーン」が今年も意見広告運動に取り組んでいること、さらに「九条世界会議」構想が提起されつつあることなど見られるような、運動の国際化を大胆に推し進めることが重要である。

私たちは狭い経験主義のワクをうち破り、こうした積極的で力強い運動の波を巻き起こし、安倍改憲政権に対決して行く必要があるのではないか。                 (高田健 事務局)

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第15回市民憲法講座(要旨)
財界にとっての憲法『改正』-その思惑と矛盾

小沢隆一さん(九条の会事務局員・憲法研究者)

(編集部註)8月26日、市民憲法講座で小沢さんが講演したものを、編集部の責任で大幅に要約したものです。文責はすべて編集部にあります。

財界はもともとお金儲けの集団、企業のトップの皆さんが集まっているところですから、こういうきな臭い政治がらみの話はできればしたくないという人が大多数だろうと思うんです。ところが1990年代頃から財界は改憲に口を挟むようになってきました。なぜか。それは財界の本来の土俵である経済、あるいは財政や経済に直結する政治の世界でどんなことが起きたのかを見ておかないと、財界の改憲論の背景は読み取ることができないのではないかと思います。そいうことで、最初になぜ財界が改憲論に口を出すようになったのか、そのあたりのことをお話ししてみたいと思います。

1990年代改憲論の特徴

財界の改憲論の出発点は1990年代にさかのぼることができます。その前からも財界は部分的には改憲論に口を出してきました。例えば中曽根さんが政権を取っていた頃に関西経済連合会(関経連)の人たちが、ここで一発戦争をしてくれないと経済が冷え込んでしょうがない、という物騒な発言をしたこともありました。でもそれはやっぱり個人意見的な色彩が強かった。ところが90年代になりまして財界が総ぐるみで改憲論を言い出すようになった背景には、第一に当時の国際状況の変化があります。いわゆる米ソ冷戦が終結をして、平和がやってくると思いきや、すぐに湾岸戦争が始まった。湾岸戦争で日本もお金とか後始末の掃海艇を出したけれども、それでもクウェートなどから感謝もされない。財界は、そんな日本の政治に対して不満を持つようになります。

90年代は財界だけではなくマスコミもこの改憲に首をつっこむようになります。マスコミも一つの大きな企業、大資本ですからこれもある種の財界の一部で、とりわけ読売新聞が1994年に改憲案を発表した。そして経済同友会が改憲論を言う、あるいは社会経済国民会議といいまして、これは財界と労働界とマスコミ界が合体したようなシンクタンク、これが当時政治改革だけでなくて改憲論にも口を出すようになってくるという動きが出てまいりました。

実は90年代には改憲論だけではなく、さまざまな改革について財界が口を出すようになった。1980年代には中曽根さんがやった臨調行革に財界は大々的に関わっていく。経団連のトップである土光さんをトップに据えて臨調をやったわけです。例の「めざしの土光さん」といって、ご本人はつましい暮らしをしているとイメージアップしながら、国家財政を削れ削れといった臨調行革です。90年代になりますと、二大政党のどっちかでなければ小選挙区では勝てない状況が作り出された政治改革法、これも財界の強力なバックアップによって作られました。同じく政党助成法などもその時作られています。96年には橋本内閣が構造改革路線で行政、経済構造、財政構造、金融構造、社会保障、教育を6大改革として打ち出した。

冷戦終結により拡大した市場権益をまもる

当時からマスコミや財界は政治や経済、財政のトータルな改革を打ち出していたわけです。なぜかというと冷戦終結でソ連と東ヨーロッパが市場経済化した。それに中国やベトナムも改革開放で、国内の市場を開放する政策に出てきます。そうすると日本、アメリカあるいはヨーロッパの世界を股にかけて経済活動をやっている大企業にとっては自分たちが金儲けをするエリアが一挙に広がったんです。グローバルな市場経済を、それまでは主にアメリカがその権益を軍事的に守るのを一手に引き受けてきたんです。例えばベトナム戦争、あれは実際戦場で闘ったのはアメリカと韓国ですね。ほかの国は軍隊をベトナムに送ったわけではない。ベトナム戦争に負けてアメリカは、日本とかヨーロッパの国々と一緒になって闘わなかったからこの戦争は失敗したという勝手な総括をして、これからの戦争は同盟国にもっと協力してもらうという路線を敷くようになった。その結果が例の湾岸戦争で、うまいこと国連決議を引き出しながら同盟国の協力を受けて戦った。そういうかたちでアメリカを中心にした軍事態勢が敷かれてくるようになります。

グローバルな市場経済を守る上で同じようなことが必要になります。というのは広がった市場は非常に不安定でおちおち経済活動ができないわけですね。例えば革命やクーデターで投下した資本が全部おじゃんになってしまう。そうなると結局アメリカは軍事力を使って、出て行った先の国をひっくり返らないようにコントロールするわけです。コントロールの仕方は2種類あります。ひとつは軍事独裁政権をアメリカの軍事力の後ろ盾で支えるというやり方です。かつてのフィリピンのマルコス政権とかインドネシアのスハルト政権などですね。他方、そういう政権が危なくなると(実際に国内の国民の力でマルコス政権もスハルト政権も倒れました)、今度は倒れ際に体制移行をスムーズにやらせようと圧力をかける。例えばマルコス政権も国内ではそれほど問題にならない格好でアキノ政権に代わりました。スハルト政権だって首都ジャカルタを中心に大規模の戦闘状態になりかけたところが、アメリカは空母を派遣してスハルトに身を引かせインドネシアの政変を終わらせました。どっちになるにしてもアメリカは軍事力の威嚇を使うことを常に考えるわけですね。

90年代になってからは、拡がった市場経済を支えるにはほかの国の軍隊にも加勢してもらわなきゃダメだということをアメリカは考えるようになった。例えば中央アジアやウクライナとか、いろんな新しくできる国々が、アメリカにとって都合のいい国になってもらうためには、やっぱり軍事的なプレッシャーをかけ続ける必要がある。しかし自分たちの軍隊だけでは手に負えないからほかの国に一緒に出て行ってもらうとか、あるいは日本みたいに後方支援してもらうというのが90年代になってから新しい情勢として生まれてきた。これが日本との関係でいえば1997年の新ガイドラインで日本が後方地域支援をやるということですし、また1999年、例のユーゴスラビア、コソボ紛争でNATOが出て行ったのもそういう流れの中で理解することができます。グローバルな市場経済の形成、それを主導するアメリカの意向が90年代改憲論の大きな下地にあります。

日本企業の海外進出拡大と改憲論の台頭

もう一つはそういうアメリカの思惑に日本の財界もある意味ではのるわけです。日本の財界も90年代になってからグローバルに経済活動を展開するために海外に出て行くわけですね。1980年代の末あたりから日本企業の海外進出は急速に増えていく。それまでは国内でつくったものを海外で売りさばくのが日本経済のパターンでした。そうではなくて海外に出て行った方が労働力が安い、現地生産ですからコストも安上がりだと、どんどん海外に進出していった。

ちょうど橋本政権ができたくらいの時に日本企業の海外生産が、国内でつくったものを輸出する額を上回った。当然国内の工場は閉鎖とか労働者のリストラが進む。国内の企業が縮小すると国内の税金が入らず、これからは労働や福祉や教育に潤沢にお金をかけない、あるいは中小企業や農業への補助をなくそうということを考えるようになったのが橋本構造改革の中味でした。一方、海外に出て行った財界の権益を守るひとつとして、アメリカと一緒になって日本の自衛隊が応分の負担を海外で軍事的に果たす。場合によっては自衛隊単独でも紛争を解決する、在外邦人を救出することを考えるようになった。そこで財界は、だったら九条を変えて海外派兵をやってくれ、あるいはアメリカと一緒になって集団的自衛権の行使――日本政府は今の憲法のもとでは行使できないとしています  これを変えてくれと言い出してきた。これが90年代の財界で9条改憲論が首をもたげた背景にあるものだといっていいかと思います。

日本経団連の改憲構想と奥田ビジョン

財界の改憲構想は、2005年1月18日に日本経団連が「わが国の基本問題を考える」という文章で、9条と96条(憲法改正手続きを定めている条文)の改憲を優先して取り組め、といっています。

経団連が9条改憲を言い出した背景には、奥田碩会長が2003年に出した日本経団連としての新しいビジョンを見る必要があります。六つほどの項目で書いてあります。まず、これからの日本企業はもう「メイド・イン・ジャパン」ではなくて「メイド・バイ・ジャパン」の路線で行くと言い出している。「メイド・バイ・ジャパン」ですから海外に進出した日本企業がつくったものを、日本ブランドで全世界に売る方針に転換することを打ち出しました。もちろん90年代半ばからそういう状況はできていたけれど、はっきり日本企業の方針にすることです。そうすると日本企業の中でも国内に残った企業・工場と海外に出て行った企業・工場とは競争関係になる。日本の企業が払う法人税が高いと国外産に負けてしまうから国内に工場が残れるだけの生産状況を確保するためには法人税を高くするなと要求するんです。

そんなことをやっていたら結局日本国内で税金はどこからも入ってきませんよね。労働者をリストラして所得税が減ったらますます税金がなくなる。財界は税金を取るには消費税を増税しろという話です。奥田ビジョンでは、2015年くらいには消費税は15%くらいにしろ、1年1%ずつの割合で増やしていけといっています。その分の消費税を年金財源にあてろと言っている。これは今自民党の総裁選で谷垣さんが自分の売りだと言っている。でもこれは彼の独想ではなくて財界が要求している話です。

それから、日本はこれから現場の労働者、あるいは雇用は少なくなる。日本国内がそこそこ儲けていくためには、高度な技術者、高度な科学技術を開発するんだ。高度な特許を取って、自動的にお金が日本に流れ込んでくるような状況をつくりたい。そのために教育改革をやる。日本全国に教育費を平等に配分するような予算の使い方ではなく、特別の大学とか研究室にお金をつぎ込んで高度な科学技術を開発してもらおうと考えるようになってきた。国立大学の法人化なんていうのもその枠組みです。結局大学間格差を大きくし、とんでもないことが起こっている。あの早稲田大学の女性の先生が、国策に関わったあげくに使い切れなくて財テクに使っちゃったという笑えない話が現実に起きてきている。

それから東アジア自由経済圏構想ということで、日本の企業がよりお金儲けができるようにすることです。財界が考えているのは、とにかく一番都合のいいところでつくって、一番利益が上がるようなやり方の生産体制をつくることを狙っているわけです。例えば、中国では優秀だけれども安い労働力がたくさん生まれています。その中国の労働力めがけてアメリカも日本も投資をしています。そうやって東アジア全域で儲けていこうというのが財界の考えです。ただ、そこには9条改憲とは違った動きも一方では見ることができることを後ほど述べていきたいと思います。

もうひとつ財界が狙っている問題として武器輸出禁止三原則の緩和があります。アメリカはいろんな国々と戦闘状態に入っていますから、戦争をやっている国には武器を輸出しないという武器輸出禁止三原則に触れちゃうわけですね。武器輸出禁止三原則の例外をアメリカだけ設けてくれと、政府に対して強力に財界はプッシュしてきたわけです。なぜならアメリカは日本の企業よりもはるかに高いミサイル技術、軍事技術の水準を持っていて、日本企業がそれに相乗りしなければ置いてきぼりを食ってしまう。ビジネスチャンスを確保できないという思惑があるんです。

成果主義の政治献金版

武器輸出禁止三原則も含めてもろもろの政策を実現してくれる政党に対しては加盟企業の企業献金を斡旋しますよ、という考え方を経団連は取るようになったんです。実は日本経団連として企業献金の斡旋はこの間ずっと停止されていました。リクルート事件が1989年に発覚したのを契機に、財界による企業献金はもの凄く国民から批判、反発を浴びました。そしてクリーンな政治を実現することを政治改革のひとつのお題目に掲げたために、1993年に経団連は、企業献金の斡旋はせず個別の企業が独自の判断でやるとしました。政治改革すなわち小選挙区制を通すために、いわばダミーとして政治献金の斡旋禁止をやったわけです。

ところが政治改革が実現し、財界の求める自民党・民主党の保守二大政党が着々とできるようになってきた。そこで財界は、企業献金の斡旋を再開することを決めました。これが2002年の日本経団連の発足にあたっての奥田さんの最初の主張でした。しかもこの政治献金の斡旋は政策本位にやると打ち出したんです。それまでの政治献金はいわば田中角栄さんのロッキード事件のように、一番力のある政治家に対して「げんなま」をぶつけて利益を引っ張りだすといういうものです。政治献金の一番のお得意さんは自民党に決まっていた。ところが奥田日本経団連の政治献金は、自分たちが要求する政策をやってくれる政党ならどこにでも出しましょうと言いだした。これはいわば成果主義の政治献金版なわけですね。

政治家とか政党をお得意さんにする政治献金だと「振り逃げ」もありうる。政治献金は見返りを求めてやると贈賄、あるいは贈収賄ですから、建て前としては見返りを求めちゃいけないことになっている。だけど政策という見返りを求めるならば、これは贈収賄にならないというのが財界の勝手な理屈です。それに政策めがけて献金をするのは財界からみてより効率的な政治献金の出し方ですよ。「政策本位」の政治献金は自民、民主の両党と財界との政策をめぐる意思統一を密にする上で、もの凄く効き目のあるやり方ですね。しかしこれは財界にとって取りこぼしのない政治買収ができるようになったことで、私たち主権者、国民の立場からすれば、よりひどい方向へ政治がねじ曲げられようとしているということを問題視しなければいけないと思います。

財界の改憲論は何を要求しているか

この3、4年に、財界が団体としての改憲の意見をまとめた文章が、経済同友会の意見書と日本経団連の意見書と日本商工会議所の報告書、この3つです。この3つの財界団体を簡単に紹介しておきます。まず経済同友会は財界の人たちが個人で加盟する団体です。経済同友会のホームページを開いてみますと、改憲問題も、政治、経済、財政、社会、教育、色んなことに口を出しています。ですから財界の中の意見提出団体という性格を持っているのが経済同友会です。それに対して日本経団連というのは、経済団体連合会と日本経営者連盟が合体して2002年にできたんですね。経済団体連合会は財界の企業のトップたちが、いわば企業をしょって形成する団体で、財界の総本山でした。日本経営者連盟は主に財界の労務対策のため、例えば春闘で労働組合にどう対処するか、かつて労働組合がまだ元気だった頃、これをいかに懐柔するか、第二組合をつくって労組つぶしをどうやるかとか、そういうことに知恵を絞ってきたのが日経連です。日経連の活動の結果、組合の力が残念ながらだんだん弱くなって日経連固有の役割はもうあまりないだろうと2002年に経団連と日経連が合体して総本山中の総本山になったんですね。日本商工会議所は各地域の商工会のとりまとめ役みたいな、その全国組織ですね。それぞれ性格が違う団体が全部そろって改憲に口を挟むようになったのはかつてないことで、やはり重要な画期だと思います。

憲法9条関連

これら3つの団体の報告書で、どんなことを改憲論として言っているのかみてみたいと思います。まず憲法9条に関連しては、2003年の段階で出された経済同友会の意見書では集団的自衛権の行使に関する政府の見解を変更しろ、と言っています。まだ武力攻撃事態法とか国民保護法などができていない段階で、それらの法律を早急に整備しろと要求しています。2003年段階ですので9条の明文改憲については経済同友会の報告書は特に論じておりません。

2005年の日本経団連の報告書では9条2項を変えろ、9条2項を変えて自衛権を行使するための組織としての自衛隊の保持を明確にして、単に国の防衛だけではなく国際社会と協調して国際平和に寄与する活動もできるように明示すべきだ、と言っています。日米安保体制の維持強化を前提にしながら、集団的自衛権を行使するようにしろ、それが行使できないのは国際社会から信頼・尊敬される国家の実現に向けた「足かせ」になっているというんです。集団的自衛権の行使は堂々と主張し、集団的自衛権を行使できる旨憲法上でもはっきりさせろということを2005年段階の報告書では言うようになっています。一番新しい商工会議所の報告書はもっと踏み込んで、9条2項を変えるのは日本経団連の報告書と一緒ですが、同時に9条3項を新設して国際社会の平和の維持、回復並びに人道支援ができるようにしろ、こんなことを言っています。

このように、年を追うごとに3つの団体は上手く役割分担をしてより具体的な改憲要求に踏み込んできた。商工会議所は2004年に中間報告を出した段階では、集団的自衛権についてはあまり踏み込んでいなかった。私はその段階で、財界の中で地域経済のとりまとめ役というのは改憲に対して少し引いた立場なのかなと踏んでいたんですが、実はさにあらずでした。日本経団連の報告書のあとに出た商工会議所の報告書は、経団連よりももっと具体的でした。

基本的人権関連

2番目として基本的人権の関連ですけれども、これもやはり経済同友会、日本経団連、商工会議所それぞれ年を追うごとに提案が具体的になっています。経済同友会は、日本の基本的人権についての現状を、国民の権利と義務がアンバランスだ、権利、権利ばっかりいって義務が足りないじゃないか、いわゆる教育基本法の改悪にも関わるそういったことが強調されています。あるいは公共意識が足りないことが指摘されていて、国民の公共意識を持たせるような方向性を取るべきだと提言していますが、具体的に人権規定のどこの部分を変えるのかは一切触れていません。

経団連の報告はその辺が少し具体的になっていて、権利と義務、自由と責任は表裏一体を為すものであることを強調しています。これは昨年10月の自民党改憲案でいわれていることです。自民党の改憲案の12条、13条で「権利、自由には義務や責任が伴うことを自覚しろ」と国民に語りかける改憲の中味になっていますが、経団連も同じようなことが考えられていたようです。

商工会議所の報告は自民党の改憲案にもっと近寄った中味になっています。憲法12条、13条の「公共の福祉」という文言は解釈が不明瞭だといっています(これは学会の認識では決して不明瞭ではありません)。私の見るところ憲法学会や判例では12条、13条の公共の福祉は、権利と権利の間の調整の原理、つまり私たちは国民として平等に権利を持っているので他の人の権利を侵害するようなところまでは私たちは権利を行使することはできない、だからその場合は当然お互いに譲り合っていく。そのための譲り合いを定めたものとして例えば民法があり刑法があり、譲り合いの具体的な仕方を憲法より下の法律でもって定めておくというのが憲法の立場です。しかし12条、13条の中に国民は権利だけではなくて義務を持つこと、あるいは自由には責任が伴うことを自覚しろといいますと、この義務や責任が人と人との対等な関係の中での権利、義務ではなくて、国家に対する義務に変わっちゃうわけです。もともと憲法は国家と国民との関係を規律する法ですが、自民党の改憲案の12条、13条は国家に対する責任・国家に対する義務を負っていることを常に自覚しろといっているようなもので、商工会議所の改憲案は同じようなことをいっています。そして商工会議所の改憲案には環境権とかプライバシー権とかあるいは知る権利、知的財産権の新しい権利の明示が必要だということも言っています。

統治機構関連

3番目に統治機構との関連です。これはあまり踏み込んだ形には3つの報告ともなっていませんが、よりスピーディーな政策を実現できるような統治システムに変えていけということをいずれも要求しています。経済同友会の報告書では、官僚の政策決定過程への影響力が邪魔だと指摘する。日本経団連の場合は、衆議院と参議院の役割を明確化して、これは参議院の役割を具体的には縮小しろっていうことですね。衆・参両議院できっちり審議するのを毎度毎度踏んでいるのは、財界が望む構造改革にとっては足手まといだ、郵政民営化のように衆議院の圧倒的多数で政策を実行できるようにしようというのが日本経団連の考え方です。あるいは閣僚が毎度毎度、議会に出席して答弁に立つのはまどろっこしい、というようなことをいっています。財界が要求するスピーディーな統治機構に変えてくれというのが、財界の改憲論の統治機構の規定には見ることができます。

憲法改正手続き関連

4番目の憲法改正手続きについては、一様にそれを緩和してくれと要求しています。今の憲法改正手続きは非常に厳格で、確かに衆議院、参議院2/3の多数がなければ発議ができず、必ず国民の投票にかけて過半数の賛成が求められている。これを発議の段階でもっと楽にできるようにしてくれというのが財界の改憲論の基本的な要求です。発議を楽にできるようになりますと、これは衆議院、参議院で普通の法律をつくる時と同じ程度の多数を取っていれば発議ができることになります。これはあとに国民の投票が控えているから大目に見てしまう向きも下手をするとあるかもしれません。でも私は通常の法律と同じ程度の多数派で発議ができるとなると、発議するタイミングを見計らうことができるわけです。今発議すれば国民が浮き足立っているから通せると考えて発議ができるのと、やっぱり必ず2/3の多数でなければ発議できないということになりますと、これは与野党の中でそれなりにネゴシエーションが必要になりますから、そんなタイミングなんか計っていることはできないわけです。 改憲における発議要件が緩和できることは改憲派にとって有利になると思います。それを財界の改憲案はいずれも主張している。これは自民党の昨年10月28日の改憲案でも同じです。最後は国民の投票があるんだから国民主権はないがしろにしていませんと、弁解するかもしれませんが、発議の段階で融通が利くのとそうでないのとではずいぶん違うのではないかと私は思っています。このようにざっと見た限りですけれども、どうでしょうか、ほとんど全部寄り合わせてみると、だいたい去年10月の自民党の改憲案と似ているところがありますよね。

財界はなぜ改憲をめざすのか

次に財界はなぜ改憲を目指すのかということです。財界としての政治に対する基本的な要求は、2003年1月の日本経団連の新ビジョンである奥田ビジョンに基づいて自民党や民主党に政策要求をしています。その政策要求が優先政策事項と呼ばれています。この優先政策事項は2004年からつくられていまして、当時の衆議院選挙でも自民党や民主党にこれを提示して、財界としての「点数表」をつける基準にしていた。優先政策事項は2005年2月に一度改訂版が出され、そして去年の11月8日、再改訂版、最新版が出されました。第3版ということになります。

第3版の優先政策事項の中で、一番最後の第10番目の項目で「内外の情勢変化に対応した戦略的な外交・安全保障政策の推進」が掲げられています。この中に「憲法改正を視野に入れつつ、自衛隊が国際社会と協調して世界平和に向けた活動ができるよう、国際協力に関する一般法の整備など必要な立法を進める」ことが盛り込まれています。実はこの「憲法改正を視野に入れつつ」という言葉は2004年の段階では入ってなかった。ところが去年2月の第2版で「憲法改正」という言葉が入りまして、第3判でも同じように強調されています。この優先政策事項は自民党や民主党に対してこれに基づいて我々は献金するぞ、加盟団体に献金を斡旋するぞ、と経団連が示しているものです。

日本経団連の優先政策事項

この優先政策事項を私なりに整理してまとめたものが、(1)国民向け財政支出の徹底的な削減(2)企業の税負担の軽減と国民への転嫁(3)規制改革・民間開放による企業のビジネスチャンスの拡大(4)企業に対する周到な優遇措置(5)軍事産業への露骨な支援、というところです。これをみると、まず国際競争力強化に向けた税・財政改革が要求されている。社会保障支出の抑制とか国、地方を通じた公務員人件費の削減といったものが要求されています。医療保険制度の効率化、重点化もいわれています。このようにして国民向けの支出を減らす一方で、大企業の税負担を減らして、減らした分を国民に転嫁しろと要求しています。法人税率を今よりも引き下げることによって、日本企業の国際競争力をつけといわれています。

3番目には国家による規制を緩和しろ、あるいは今まで公がやっていた事業を民間に開放することによって企業のビジネスチャンスを拡げてくれということを要求している。最近できた法律で市場化テスト法ということで、民間にまかせるのと、公がやるのとどっちが損か得かというのをテストして、民間にまかせても得ならばそっちを選択できるようにするものです。こういった動きに対しては、例えば横浜市などで保育園の民営化に対しては裁判所がこれは違法であるという判決を書いたりして、反対する、抵抗する動きもできています。株式会社が学校を作れるようにしろとか、ホワイトカラーエグゼクションといって、ホワイトカラーの労働時間を柔軟にして裁量労働制みたいな融通の利く時間管理にして、残業代は払わないということが狙われている。農業なんかも競争力のある農業だけの育成が狙われています。

それと企業に対して優先政策事項が要求されていまして、例えば研究開発、設備投資のための減税措置や、科学技術創造立法といって高度な先端技術にだけお金を特化してつぎ込めるようにすることが狙われているように、そんなことが4番目の企業に対する優遇措置ではいわれています。環境政策については、環境を保護するための企業の負担として環境税を取るようなことは断じてやるなと、まなじりを決してプレッシャーをかけています。

最後には軍事産業への露骨な支援を要求しています。武器輸出禁止三原則の緩和を、アメリカとのミサイル防衛についてはやってくれと要求しています。財界は自らの要求を是が非でも通そうと自民党や民主党を中心に優先政策事項を突きつけて、これを実現してくれるところにはお金を出すということを、この間強力にいってきています。こういう政策が全体として組み合わさると、結局アメリカと一緒になって軍事技術開発にどんどん入り込んでいって、日米安保体制を維持強化していく方向を財界としても取っていく構造になるわけです。ですから財界も9条改憲をやれと言うことによってひとつの政策としての体系性が保たれることになっていくんです。

財界の改憲論の矛盾

こういう財界の改憲論には私は矛盾も含まれていると見ております。その矛盾の具体的な表れは、財界の東アジア共同体という言い方です。これは東アジア全域で平和的、友好的な地域を作り出していって、お互いが経済交流を活発にして豊かに金儲けができるようになろうというものです。この構想は、改憲の方向に進むひとつの要素でもありながら、他方では改憲とは相容れない、相矛盾する意味合いも含まれているんです。財界がそれこそ中国や韓国や北朝鮮やロシアや台湾やもろもろのアジアの国々と、ともかく本当に友好的な形で経済交流をしていくつもりがあるならば、むしろ改憲なんかできなくなるという意味が潜んでいる構想だといっていいと思うんですね。そのあたりの意味を最後に強調しながら、実は財界の改憲論は体系的で完璧なビジョンであるように見えてほころびがある。そこに我々が改憲反対の声を大きく拡げていく条件もまたあることを最後に強調したいと思います。

東アジアにおける経済構想ですが、奥田ビジョンあたりから東アジア自由経済圏を言い出すようになった。2005年1月の報告によりますと、東アジア地域はいろいろと体制の違う国々があることに留意しつつ、早く韓国や中国やASEAN諸国との間で経済連携協定をつくって、民間による投資や貿易を通じた、経済面での連携を深めていく必要がある。そして東アジア地域の経済連携を政治・安全保障面での連携・協力へと発展させていく、このようなことを報告書は言っています。

日本経団連の報告書は、一面では財界がこの間推し進めてきた、経済のグローバル化の中で一番都合のいいところでものをつくって、日本国内や海外市場で売りさばいていこうという路線の流れです。ですからこういう言葉が出てくる。「最適地生産」、一番生産に適した地域でものをつくる。だから労働者の賃金が中国が安ければ中国に、ベトナムが安いといえばベトナムに行く、という最適地生産を東アジア地域でやりながら、東アジア全域の経済分業体制を構築していく。この分業体制を構築するには東アジアで自由に資本移動ができる、工場を出したり引っ込めたりすることが自由にできる自由経済圏が必要だという発想になっている。日本経団連が考える東アジア連携は、財界にとって虫のいい、徹頭徹尾自分たちの金儲けのための構想という面が強く出ています。

経済同友会の「東アジア共同体実現に向けての提言」

ところがこの構想を進めようとすればするほど、だんだん経団連が考えているような虫のいい話ばっかりではできなくなることが、ようやく財界もわかってきたんでしょう。あるいは少なくとも財界の一部はわかってきた。それが今年になってからの経済同友会の構想です。経済同友会は財界の中の個人加盟の団体ですから比較的自由にものが言えるわけですね。そういう経済同友会が最近、小泉靖国参拝は、アジアで仲良くしていく上では障害だということを言っている。これからアジアと仲良くやっていくためには、ともかく日中、日韓のところで政治のパイプを太くして、日中、日韓で歴史教育をお互いにフランクな立場でやって、次の世代につないでいこう、それをしなければ東アジアの連携・協力は有り得ないということが、今年の3月29日の「東アジア共同体実現に向けての提言」と5月9日の「今後の日中関係への提言」という形で出てきているわけです。

もちろん小泉靖国参拝はいろんな要素があって、今の日本の政府、財界の中でもコンセンサスはそれほど広くはない。逆に9条改憲は政界、財界の中でかなり広いコンセンサスを持って提言が出されようとしている。ですから財界が「護憲派」にすぐにひっくり返るとは必ずしもいえないと思っています。しかしこういう形であらわれたアジアとの関係のつくりかた、今後のアジア政策における財界の中の意見の不一致は、これは私たちが真剣にこの問題に食いついて、私たちなりの政策提言を出していけば、最後のところのどんでん返しでやっぱり9条が大事だと考えるようになる、口には出さなくても声高に9条改憲が叫べなくなるような、そういう状況が財界の中でも作られるひとつの芽になると思っています。

その点でやはり私が注目したいのは、経済同友会の終身幹事である品川正治さんの言葉で、ことし1月の『世界』で元外交官の小倉和夫さんとの対談で「もしこれ(憲法9条)を日本が守り抜いたら、日中関係は靖国問題のレベルを超えて新しい展開が可能になると思います。日中関係が変われば米日関係も変わらざるを得なくなる」、9条を守るということは日中、日米の関係を、大きく変えることにつながると言っている。これは本当に卓見だなと私は思っております。

9条堅持はアジアの平和構築

私たちが憲法9条を守るということは、9条が守られるような国際環境を常に頭に思い描く必要がある。そして、この日本において9条が守られることによって、9条が持っている意味が国際社会に対して発信する影響力も頭に描きながら、この9条を守る運動を進めていく必要がある。そういうふうに考えますと、9条を守ることとアジアの連携強化は、相互がより良くなっていく促進的な関係にあると思うんです。私たちが9条改憲を阻止することは同時にアジア諸国から信頼を勝ち取ることになります。9条を変えてしまってアメリカと一緒になってミサイル防衛などに突き進んでいけば、北朝鮮は「なんだあの国は、やっぱり」というふうになるでしょう。また中国や韓国も日本に対する脅威意識を当然持つようになるわけです。そうすれば中国の軍備拡張も止まらなくなってしまうわけです。

一方私たちが9条を維持し続けることによって、東アジアの国々は軍縮の方向に持って行かせることができます。日本がそうなら我々も身構えなくてもいい。その分を国内の経済開発に振り当てることができる。そして軍事費を国民生活の改善に振り当てることができる。そうして賃金水準が向上していけば、賃金が安いから日本の企業は海外に進出しているけれども、場合によっては戻ってもくることもあうわけですよね。日本国内で生産してもじゅうぶん割があるじゃないかということで、海外に一方的に進出している日本企業のあり方が変わっていくんですね。そういうもろもろの波及効果を、9条を守るということは持っているわけです。そして憲法9条を守り続けることは、最終的にはアジアにおいてアメリカを中心にした覇権体制がじんわりじんわりとではあるだろうと思うけれども、変わっていく。覇権国のないアジアができればアジアにおけるそれぞれの国の経済発展はもっと平等に、もっと豊かにできると思います。

このように考えますと、アジアとの連携強化は日本経団連がいっているような、自分たちだけ一人勝ちのための経済協力じゃダメなんですよ。いまの圧倒的な経済格差のある東アジアの状態を、より格差が縮小する方向に持って行かなければ東アジアの連携強化はできない。私が注目したいのは、なんと経済同友会の今年の報告は「東アジアにおける格差是正」というところまで踏み込んでいる。これは品川さんが書いたんじゃないかと思うくらい、よくそこまで言ったと思いますけれども、そういうことを言わせるだけの現実があるんです。そういう現実に自信を持ちながら、その現実をいい方向に持って行くために、私たちは今9条をつかんで放さない取り組みをしていく必要がある。それをしていくことが私も関わっている「九条の会」の求めていくところの先にあることではないだろうかと思っております。

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「2006平和のための戦争展」報告

「あの戦争」は「たった61年前のこと」

今年の「平和のための戦争展」も、写真展示や証言、さまざまな現場からの発言など盛りだくさんに行われた。今年は8/17~19というお盆の時期を過ぎた日程だったため例年よりは参加者は少ないかなと心配したが、遠くから参加してくれた方もいて活気のある戦争展になった。

今年は特別展示として「阿媽(あま)たちのまなざし~台湾の元日本軍「慰安婦」被害者の現在」(協力:台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会)を行った。台湾の日本軍「慰安婦」被害者たちは1999年、日本政府に対して謝罪と賠償を求める裁判を起こした。しかし1審、2審ともに事実認定もしないという「血も涙もない」判決が出され、2005年2月25日に最高裁で申し立てが「不受理」とされたことで原告たちの「全面敗訴」となった。しかし阿媽(台湾の言葉で「おばあさん」の意味)たちは「裁判では負けても私たちの心は負けない」と現在もたたかいを続けている。今年の戦争展では、その阿媽たちの姿を台湾人と日本人の3人のカメラマンが撮影した作品を40枚ほど展示した。

韓国・朝鮮、フィリピン、あるいは中国などの「慰安婦」被害に比べ台湾の被害があまり知られていない中で貴重な取り組みだったと思う。台湾の被害者たちが自分の体験や過去を恥じて、社会から隠れるように孤独に生きてきたこと、傷ついた身体や心はけっしていやされないという事実が写真を通して伝わってきた。しかし、その中でとても印象に残っているのは、彼女たちが、現在、台北市内で行われているワークショップでさまざまなかたちで自分を取り戻す作業を行っていることを撮影した作品だった。背もたれの高い椅子を自分の身体に見立てて、いろいろなアクセサリーや洋服で着飾ったり、マスクをかぶってポーズをとったり、絵を描いたりすることで自分の「過去」を取り戻し、今までの「恥ずかしい」という気持ちを克服するための試みを行っているということを知って強い感動を覚えた。と同時に、私たちの「無関心」の陰で、こんなにもつらい時を過ごした人たちがいることに胸がつぶれる思いをした。「慰安婦」問題は裁判もほとんど終わり、日本での関心は以前に比べて必ずしも高いとはいえないという状況になっている。しかし被害者たちの苦しみは決して終わらない、私たちの責任もなくなってはいないということを改めて感じた。

その他、展示では加害者・被害者の証言、米軍再編と国民投票法の問題点などを取り上げた。かつて日本兵として出征し侵略戦争を戦い、中国の戦犯管理所での認罪を経て現在も自身の体験を証言している元中国帰還者連絡会(中帰連)の方たちの加害者証言をパネルにした。その際には実行委員が直接お宅にお邪魔して取材をし、お話をうかがった。「元戦犯」のおじいさんたちはなぜ戦争に参加してしまったのか、戦争にならないためにどうするべきなのかということを熱っぽく私たちに語ってくれた。体験者たちが年々減っていく現実を見るとき、こうした証言を聞き取ることの重要性を改めて感じている。

また、中帰連の方々は会場での証言に連日参加してくれた。初日は西野瑠美子さんの司会で、「命ある限り訴えます」というタイトルのてい談、2日目は「どうして日本は戦争をしたのか」を体験者と考える企画、3日目には女性戦犯法廷でも証言した金子安次さんが、台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会の柴洋子さんとともに「慰安婦」について語ってくれた。どの人も現在の日本の政治・言論の状況に強い危機感をもって若い人たちに語りかけていた。その姿を見て「これは本当に大変な事態なのだ」ということがリアルにわかるという、そんな感じがして自分の感覚が鈍くなっている(させられている)、もっとしっかりとものを見てだまされないようにしなくては、ということを考えた。

その他、中野区で小学校の入学式のあいさつで「日の丸・君が代」の強制を批判したことでPTA会長を辞任に追い込まれた高橋聡さんとジャーナリストの池添徳明さんに現在の教育状況についてお話を聞く企画では、お二人が強調した「民主主義とはまず議論をするということ」という言葉が心に残った。

くしくも今年の8月は「慰安婦」問題解決を求める「世界連帯行動 水曜デモin東京」や「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル連続行動」など歴史認識、戦後補償に関わる行動がさまざまに取り組まれた時期だった。この戦争展もささやかではあったが、そうした呼びかけに連帯できたとすればとてもうれしいことだと思う。

そして加害者にとっても、被害者にとっても「あの戦争」は「たった61年前のこと」なのだ、ということに気づいたことも、自分にとってとても大事な「何か」なような気がしている。

星野正樹(「2006平和のための戦争展」実行委員会)

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報告 戦争も暴力もない世界を 終わらせようイラク占領 終わらせよう戦争の時代
多彩にくり広げられたWORLD PEACE NOW9・9

2006年9月9日、東京・明治公園において、私たち、「WORLD PEACE NOW」(WPN)は、「戦争も暴力もない世界を~終わらせようイラク占領 終わらせよう戦争の時代」という熱い希求を高く掲げて、明治公園で集会を開いた。

「BE-IN」による「平和を祈る 愛といのちとARTのまつり」が 同時開催された同会場は、朝から準備等で賑わっていた。何しろ朝から暑かったが、この暑さを一層かきたてたのが、会場すぐ横の日本青年館の前に陣取った右翼街宣車からがなり立てる、私たち集う者への罵声であった。支離滅裂な罵倒には、ほとんどの人が嫌悪感を持っただろう。私たち一人ひとりが、意志や願いを伝えるためのかけがえのない言葉を貶めていた行為だ。

集会は13時半に開催。司会は須黒奈緒さん。大塚照代さんが主催者挨拶。

田浪亜央江さんの中東情勢についてのお話が続く。

田浪さんは、昨年までイスラエル・ハイファ大学に留学。最近中東・パレスチナ問題についての対話の広場「ミーダン」を結成。『インパクション』の編集委員でもある。アラビア語を専攻された田浪さんがイスラエルを留学先に選んだのは、日本という国家が選択している道がイスラエルとよく似ているからだと、冒頭言われたのが印象的だった。

アメリカと結託しているイスラエルは、中東に生きる人々を敵に仕立て上げて、彼らのいのち・暮らしを脅かしている。日本は、その轍を踏み始めているのではないか。

ついで、日本国際ボランティアセンター(JVC)代表理事の熊岡路也さん。JVCは、アジア、アフリカ、中東で国際協力活動を展開。パレスチナでも2002年から活動を行っており、今回は、イスラエル、ヒズボッラー間の争いが始まった直後、パレスチナに入った。熊岡さんは、本来人々を苦しめるいかなる戦争・紛争はあってはならないが、そのような地域には、どこにでも出かけていくと、中東情勢を述べながら決意を語られた。最後にWPNへのカンパを、あらためて呼びかけて下さったのはうれしかった。

基地の町横須賀で、長年平和運動を続けておられる新倉裕史さんは、非核市民宣言運動ヨコスカや平和船団のメンバーでもある。原子力空母の横須賀配備が2008年と発表された。ケリー在日米海軍司令官は、ことあるごとに原子力空母の安全性を宣伝しているが、原子力空母の原子炉は、日本の安全審査は行われていない。そして、安全審査を受けた日本の原発でも事故は発生している。

イラク戦争に参戦した米空母は5隻。横須賀を母港とするキテイホークはイラクの一番近くに陣取り、艦載機は5375回も出撃したという。しかし、知事、市長は、配備を容認した。かねてより、自治体の平和力について言及されているが、住民の直接請求による住民投票がその底力を発揮するよう、取り組み進めていくと表明された。

基地に蝕まれている沖縄から参加された高里鈴代さんは、 沖縄の基地からもイラクへ米軍が出撃した。軍事基地を撤去させない限り、日本は戦争に加担することになると、訴えた。

米軍再編がアメリカの意のままに進められてしまえば、世界は、アメリカの軍事力で席捲されてしまう。戦争も暴力もない世界をめざす私たちは、軍事基地・米軍再編の問題にもしつかりと取り組むことが求められている。

締めくくりは「はなこりあ」の踊り。高知県の「よさこい鳴子踊り」と朝鮮半島の民謡「アリラン」を合わせたような「ヨサコイアリラン」だ。はなこりあの「はな」は、ひとつという意味。様々な違いを超えて「平和」を共有しようとの願いを込めた若者のエネルギーが炎天下にはじけた。

15時、パレード出発。賑わう表参道に私たちのコールが響く。信号待ちの人々に「戦争も暴力もない世界を!」と訴えると頷いてくれる人もいた。パレードには、「韓国山本労働組合」の方たちも参加された。韓国山本は、主に時計の文字盤の生産を行ってきた会社だが、本年始め経営に行き詰まり稼動停止、労働者は解雇。山本本社に交渉を求めて来日された韓国山本労組遠征団の方々の連帯の挨拶と歌を最後に、パレードは明治公園で解散。参加者は1000人だった。BE-INのピース・キャンドルは、闇を待って始まる。

この度の集会・パレードには、アメリカの市民団体、CODEPINKからメッセージが寄せられた。同団体に結集する反戦・平和を求める女性たちは、ホワイトハウス前で果敢な坐り込みを続けている。メッセージは、平和を創るために一緒に進んでいきたいと結ばれている。

私たち、WPNは、2003年1月18日に結集以来、世界の人々とともに平和を創る非暴力アクションの渦の中に息づいていることを実感した。
(日本消費者連盟・富山洋子)

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