私と憲法64号(2006年8月25日発行)


次期首相候補安倍晋三の危険な役割
「勝ち馬」に乗り、集団的自衛権行使とナショナリズムの翼賛体制に向かう自民党

■小泉首相はただただ己の引き際の演出のために、その意味するところも深くは知らず、それがもたらす深刻な結果への対応を考えることもなく、内外の反対の声を押し切って8月15日の靖国神社参拝を強行した。「借金王」の小渕恵三と、「神の国」の森喜朗に続いた3代目の軽薄首相・小泉純一郎が間もなく退任するが、こんどは安倍晋三という、この3人に輪をかけた軽薄な人物が首相になることが確実となった。この残暑の寝苦しさがいっそう増す思いだ。

小泉首相の任期切れを前に、自民党の国会議員たちは、その後の党と政権の中での位置を求めて、雪崩をうって「勝ち馬」の安倍に乗ろうとしている。祖父がA級戦犯容疑者で60年安保の当事者の岸信介元首相であり、大叔父が佐藤栄作元首相であり、父親が中曽根政権の外相であったことと、本人が「拉致議連」の主要メンバーである以外に何の実績もない安倍晋三が首相になることで、この国の危険なナショナリズムが増幅させられようとしている。

秋の政治日程は9月上旬の秋篠家・第3子誕生フィーバーにつづき、9月20日には自民党総裁選挙、そして29日の第165臨時国会開会が予定されている。自民党・公明党はここで164通常国会で継続になった諸悪法の強行を虎視眈々と狙っている。

■安倍晋三は昨年の自民党50周年記念大会に向けた新憲法草案起草委員会の前文小委員会(中曽根康弘小委員長)で小委員長代理を務めた、根っからの改憲派だ。安倍の憲法問題のスタンスは、「占領軍に付与」されたとする現行憲法の「全文改憲」論であり、廃案になった自民草案「前文」に見られるような保守色、国家主義色、天皇主義色の濃厚な、偏狭なナショナリズムの主張が基本だ。この安倍の憲法への姿勢は注視しておく必要がある(もとより、安倍がこれを基本姿勢とした上で、具体的な改憲案については「でもわれわれは思想家ではなく、政治は現実であると知っていますから、ある段階にくれば妥協する」(註(1))と言っていることも見逃してはならない)。

重要なことは、安倍が「いずれにせよ次の内閣は、政治日程として憲法改正を取り上げる初めての内閣になるでしょう。一内閣でできるかはわからないし、そう簡単にいかないかも知れない。なんといっても60年間ずっと変えてこなかったんですから。しかしそれにトライすることはとても大切です」(註(2))といっていることだ。彼が明確に改憲を意識して首相になろうとしていることは間違いないし、この点では中曽根とも小泉とも違って、具体的に改憲に着手しようとする現憲法下で初めての、極めて危険な首相となる。

安倍は憲法第9条を敵視し、米日支配層にとって焦眉の課題である「戦争のできる国」「戦争をする国」づくりのための「集団的自衛権」問題では、「権利があっても行使できないとする論理が果たしていつまで通用するだろうか」と言って、「日本も自然権としての集団的自衛権を有している」「行使できるということは、行使しなければならないということではない」(註(3))と主張する。安倍はかつて「(小泉内閣は集団的自衛権に関する政府の解釈の変更は)次の世代に任せたということでしょう。日米安全保障条約の前文にも、そして国連憲章51条にも書いてある集団的自衛権について、真剣に向かい合わねばならないときは必ずやってくる」(註(4))といっている。この安倍の論理は明文改憲がなくても、解釈で集団的自衛権の行使は可能であるという立場だ。この点で安倍の主張は中曽根元首相のそれに似る。9条の明文改憲が困難になったり、あるいはそれに時間がかかると見た場合には、明文改憲の前に、議会での多数を恃んで政府の憲法解釈で集団的自衛権の行使も含む国家安全基本法を制定するなどして9条を破壊する可能性がある。この点でも安倍が首相になるとすれば歴代首相の中でも際だって危険な人物だ。

安倍は拉致問題やミサイル実験問題などを通じて、北朝鮮の危険性を声高に叫ぶことで、「闘う政治家」(註(5))を演出し、ことさらに「千万人といえども、われ往かん」とか、激動期にはこうした姿勢が求められているとか、「長い歴史を紡いできた日本という『美しい国』を守るために一命を投げ出す覚悟」(註(6))などを言い立てて人びとの支持を集めようとしている。

これらを改憲にもフルに利用しようとするその政治手法は、ファシズムに通ずるものがあることを指摘しておかねばならない。小泉首相の「抵抗勢力」を仮装した手法と似て、安倍にとっては北朝鮮がそのターゲットの一つだ。しかし、こうしたメディア戦略とは別に、実際には、安倍自身は「(北朝鮮が)日本に向けて、ノドンを数発発射し、万が一、着弾する、そんなことはないでしょう。金正日委員長は極めて合理的な判断ができる人だとの印象を受けた」(同前)などと言い、いまの北朝鮮は戦争のための「軍事的能力がない」と見ているし、「(北朝鮮が)ミサイル攻撃をする可能性は、極めて少ない」(註(7))と見ているのだ。

安倍は北朝鮮をこのようにみたうえで、与党や安倍自身への政治的求心力を得るために、ことさらに「制裁」を煽り立て、実行し、東アジアの緊張を激化させている。このような無責任な「火遊び」を許しておくことはできない。

小泉首相の靖国参拝について、安倍はかつて自身が総理になったらどうするかという問いに答えてこういった。「一国のリーダーがその国のために殉じた方々の冥福を祈り、手を合わせ、尊崇の念を表する。これは当然の責務です。…次のリーダーも当然、果たさなければなりません」(註(8))

安倍は「そもそも靖国参拝問題は、政教分離の問題でした。過去の最高裁判決などを見ても、参拝自体は政教分離に反しないとされてきました。首相の靖国参拝に対する国家賠償訴訟も原告敗訴となってきた経緯があります」(註(9))などとでたらめなことを言っている。しかし、この問題で合憲判決は1つもなく、2005年大阪高裁や福岡地裁の判決で違憲判決がでているのだ。まさに憲法20条の問題を小泉や安倍が「心の問題」「内政干渉の問題」だなどとすり替えてきたのだ。安倍がすでに今年4月に靖国に参拝していたことや、今後も「行ったか、行かないかも言わない」などということ自体が、この問題について何もわかっていないことの証明だ。

安倍の歴史観は「天皇はタペストリーの中心の糸」などというもので、15年戦争についての認識も極めて薄っぺらな、誤りに満ちたものだ。「美しい国」と題する本の中で彼は「その時代に生きた国民の目で歴史を見直す」と称して、「歴史を単純に善悪の二元論でかたずけることができるのか」と「先の大戦」での責任を「マスコミを含め民意の多くは郡部を支持した」として、戦争責任の在りかを曖昧にする立場を展開し、「この国に生まれ育ったのだから、わたしは、この国に自身を持って生きたい」などという主張をしている。この本では国家論や「教育改革」などについても言及しているが、先人の議論を都合の良いところだけ、断定的に引き写しただけという類で、思考されたあとがない。

いま、私たちはこの国がこの安倍の主張するような道を選択し、突き進むことの危険性を警鐘乱打し、9条改憲阻止の広範な共同を作り上げ包囲する必要がある。

註(1)「桜井よしことの対談」(「Voice」2005年6月号)
註(2)(「Voice」2005年12月号)
註(3)「美しい国へ」(「文春新書」p132)
註(4)「桜井よしことの対談」(「Voice」2003年5月号)
註(5)「美しい国へ」(「文春新書」はじめに)
註(6)「文芸春秋」2006年9月号「『闘う政治家』宣言」
註(7)「美しい国へ」(「文春新書」p59)
註(8)(「Voice」2005年12月号)
註(9)「文芸春秋」2006年9月号「『闘う政治家』宣言」

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「平和の灯を! ヤスクニの闇へ」キャンドル行動共同アピール

「平和の灯を! ヤスクニの闇へ」キャンドル行動実行委員会は、戦後61年目の夏を迎え、一人ひとりがキャンドルの灯をともし、ヤスクニに象徴される日本の闇を照らし、日本・アジア、そして世界の平和を実現するために結成された。

これまでの靖国参拝違憲訴訟および合祀取り下げ訴訟などの闘いを通じて培われた東アジア4地域(韓国、台湾、沖縄、日本)の連帯を基礎にして結成された実行委員会は、退任を目前にして予想される小泉首相の靖国参拝とアジア外交が争点となる自民党総裁選を念頭におき、レバノン・イラクでの虐殺をはじめ、今なお戦火のやまない世界の現状をふまえ、世界的な靖国反対共同行動を推進すべく、8月11日から15日までの連続行動を企画・運営し、広範な市民の参加の下にキャンドル行動を行ってきた。また、このキャンドル行動の関連企画として7月20、21日の韓国・ソウルで行われた世界初めての靖国国際学術シンポジウムでも、靖国の深い闇の究明が行われた。

キャンドル行動には、裁判原告、戦争被害者をはじめとして、韓国からは国会議員12名を含む市民約250名が、また台湾から国会議員を含む原住民の方々約50名が、さらに日本・沖縄から多数の市民が参加した。このキャンドル行動では、講演や証言などを通じて、侵略戦争や植民地支配を肯定し、靖国の戦争を美化する歴史認識と軍事的機能が明らかにされた。また、遺族らの合祀取り下げをかたくなに拒絶する靖国の理不尽な姿も浮き彫りにされた。

キャンドル行動の趣旨に賛同する多くの市民が集会に参加し、靖国に関する正確な認識を深め、市民の連帯の輸が大きく広がっていった。そして、「ヤスクニの闇」を世界の人びとの前に照らし出し、日本の戦争責任を追及して真の東アジアの平和を構築していくために、今後とも4地域の市民が世界の人びとと共に行動を継続していくことを確認した。

私たちキャンドル行動参加者は、これらの成果を踏まえ、次のようにアピールする。

1)日本政府に対する要求
(1)韓国、台湾、沖縄、日本の戦没者の靖国への強制合祀をただちに取り下げるよう、措置せよ。

(2)日本の首相や閣僚は政教分離原則を遵守するとともに、戦犯を神格化し、戦死者を英霊として祀りあげ、侵略戦争を美化して、国民を戦争へと駆り立てる軍事施設である戦争神社・靖国への参拝を止めよ。

(3)靖国を再び戦争動員の道具とし、東アジアの平和と安定を脅かす憲法改悪の試みを捨て、平和主義の原則を遵守せよ。

2)平和を愛する世界の友人たちへ
(1)レバノンやイラクなどでの武力攻撃・虐殺を含む全ての戦争に反対して、世界を平和のキャンドルで埋めつくそう。

(2)戦犯を神格化し、戦死者を英霊として祀りあげ、侵略戦争を美化して、国民を戦争へと駆り立てる軍事施設である戦争神社・靖国に対し、共にNO!の声をあげよう。

(3)朝鮮半島への先制攻撃論を唱え、再び戦争への道へ進む日本の軍事化に反対しよう。

2006年8月14日
「平和の灯を! ヤスクニの闇へ」キャンドル行動参加者一同

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「平和の灯を!ヤスクニの闇に キャンドル行動」が連続行動

土井とみえ

8月11日から15日まで、東京では台湾、韓国、沖縄、日本の4地域民衆の共同行動として「平和の灯を!ヤスクニの闇に キャンドル行動」の連続行動が行われた。同実行委員会の共同代表は今村嗣夫・弁護士、徐勝・立命館大学コリア研究センター長、金城実・彫刻家・沖縄靖国訴訟原告団長、高金素梅・台湾立法院議員・靖国アジア訴訟原告団長、李熙子・韓国太平洋戦争被害者補償推進協議会ら14名で、事務局長は内田雅敏・弁護士。

はじめの行動は8月11日、8名の韓国国会議員と各地域の参加により参院議議員会館で開催された。日本側は社民、共産、民主、無所属の国会議員が発言した。その後、各地域の代表団が内閣府へ要請書を提出した。一方では参加者の多くは、靖国参拝や遺族の意思に反した靖国神社への合祀を取り下げ、魂を遺族と故郷に帰すよう首相官邸前で行動した。さらに11日午後7時からは弁護士会館で集会を行ったあと、日比谷公園まで「YASUKUNI NO!」のプラカードとキャンドルを手に官庁街をデモ行進した。これにはデモがしばしば中断されるほど、内外の報道関係者が取材に押しかけた。

12日は、東京駅近くの常盤橋公園から日比谷公園まで、土曜日の銀座通りをキャンドルをかざして行進し、キャンドル行動をにぎやかに宣伝した。ここで合流した台湾の代表団のシュプレヒコールは、ものすごい迫力と団結で周囲を圧倒した。

13日は午後から日本教育会館で、1000人を集めて証言と講演と音楽の集会が行われた。講演は東大教授の高橋哲哉さんで、靖国神社が満州事変以前から日本のアジア侵略を正当化するために使われていたこと、現憲法の政教分離違反であること富田メモによる天皇発言の危険性など、幾多の問題点を指摘した後、緊急課題として(1)小泉首相の靖国参拝中止、(2)一方的合祀の取り下げ、(3)新たな国家護持の阻止、について話した。

証言は光州遺族会会長の李金珠さん、沖縄靖国訴訟原告団長の金城実さんのあと、台湾立法委員の高金素梅(原住民族名・チワス・アリ)さんがDVDを使いながら、なぜこの4年間裁判を起こし「祖先の霊を返せ!」と抗議活動したかを話した。チワス・アリさんは台湾原住民族が日本軍国主義の侵略を受け50年間にわたり支配された中で、一度は虐殺され、次には日本軍国主義の兵士として死んだ者が、遺族の了解もなく靖国にまつられていることの不当性を訴え、その祖霊を取り戻すために起こしている訴訟の活動を報告した。

韓国国会議員の金希宣さんは11名の議員を紹介しながら、訪日の目的を(1)日本政府と靖国神社への質疑書の提出、(2)靖国神社と遊就館の現場調査、(3)千鳥ヶ淵墓園、昭和館、祐天寺の訪問などと述べ、小泉首相と靖国神社の歴史認識を批判し、連帯して頑張ろうと呼びかけた。合祀取消訴訟韓国人遺族代表の李熙子さん、実行委員会を代表して今村嗣夫さんも発言した。

二部のコンサートでは、台湾の「飛魚雲豹音楽工団」が、民族楽器やアカペラでやさしく、楽しく、ゆったりとして、力強い、生命の歌や大地の歌や豊穣の歌を披露した。韓国の子どもたちは幸せな日常を歌にした。日本からは「朴保」が演奏し、最後には会場から韓国代表団の一人が舞台に上がり、アリラン峠の歌で会場全体が立ち上がっての大合唱になった。7時30分からはキャンドルを掲げて、靖国神社に迫るコースをにぎやかにデモ行進した。

14日は正午から明治公園でコンサートや展示・出店が行われ、19時からは「YASUKUNI NO!!」の人文字を作った。文字数が多いので時間がかかったが、7時45分、闇の中にくっきりと人文字が輝き、参加者の「ヤスクニ ノー」の声が大きく響いた。「ザ ニュースペーパー」も小泉首相の物まねで喝采を受けた。

8月15日は8時半からの早朝デモ。折からの雨をついて、小泉首相の靖国神社参拝に怒りの抗議行動となった。金融街にほど近い坂本町公園には、すでに早朝から1時間、靖国神社に座り込んだ台湾の代表団が首尾良く合流し、首相の参拝に抗議の声を挙げ、合祀の取り下げを要求した。デモ隊は進むにつれてふくらみ、早朝にもかかわらず700名ほどになった。東京駅前や銀座通りで、台湾、韓国、沖縄、日本の地域の言葉でヤスクニの侵略性と不当性を訴え、出勤途中や周囲の人びとから関心や注目を集めた。

250名近い韓国の代表団の一部は九州から来日して、かつての朝鮮通信使のように各地を回って東京にきた人たちもいた。台湾からは、8月11日、国会議員の高金素梅さんらが大阪で、靖国神社と国に対して「合祀取り下げ」と損害賠償の訴訟を日本人とともに起こしている。

一連の行動は、靖国問題が歴史認識と人権の問題であり、その解決は東アジア民衆の連帯がなければならないことを明確に示したものとして、またそのための具体的な行動として大きく成功したと言える。

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第14回市民憲法講座(要旨)
「変容する日米安保と自衛隊」

山田 朗さん(明治大学教授)
(編集部註)7月22日、市民憲法講座で山田さんが講演したものを編集部の責任で大幅に要約したものです。文責はすべて編集部にあります。

必要とされる議論の前提

私は現代軍事問題の専門家とは違って軍事史、軍事の歴史について調べてきた者です。現代の軍事にも当然関心はありますが、その軍事力はどのように作られてきたのかを調べていたのです。「護憲派」の方も、「改憲派」の人たちも、日本の軍事力の実態を前提にした議論をされていないような感じがしています。特に改憲論のひとつとして「憲法と現実が大きくかけ離れてしまったんだから現実に合わすべきだ」という言い方をする人がいる。しかしその「現実」がものすごく歪んでいたらこれはやはりまずいわけです。

憲法第九条第二項で「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」わけですから、あくまでも政府の見解は自衛隊は戦力じゃないといっています。「戦力」とは「自衛のための必要最小限度を超えるもの」だという定義をしていますから、自衛の範囲を超えてしまって他国を攻撃する能力を持つものが戦力であって、自衛隊はそこまではないので戦力ではないと、ずっと言ってきたわけです。これは非常に苦しい解釈です。どんな軍隊だって他国をやっつけるためだと公言しているところは現在ではほとんどありません。ですから「自衛のための軍事力」とそれを超える「戦力」の線引きは現実にはできないですね。攻撃的な兵器か防御的な兵器かという議論の線引きも現実には難しい。自衛隊では名前で区別している。例えば「爆撃機」は「支援戦闘機」、「駆逐艦」は「護衛艦」です。1960年代までは「戦車」も「特車」といったんですが、これはあまりにも滑稽なので今では戦車といっています。はっきり言って「ごまかす」というのは今でも続いているんですね。

(1) 戦力としての自衛隊の世界的ランキング

日本の軍事力の特徴としてアウトラインをみると、まず軍事費ですが、何をベースにするかでかなり変わります。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)のデータをもとに米ドル換算で作ると、日本の軍事費は95年以降ずっと世界第2位でした。ここのところイラク戦争の関係でフランス、イギリスの軍事費が絶対額で多くなったので4位くらいになっています。92年から93年に日本のランキングは6位から3位に上がった。これは円高が進んで見かけで上がったんですが、実態とかけ離れているわけではありません。その証拠に、アメリカが断然トップです。イギリス、フランス、日本、中国、ドイツ、イタリア、ロシアそれから10位くらいまで取ると韓国とかインドがときどき顔を出します。

アジアは世界有数の軍拡地帯

中国の軍事費については推定値が本当に色々あります。SIPRIはだいたい中国の公表値よりも100億ドルくらい多い推定値を取っています。200何十億ドルというのが中国の公表の軍事費です。「ミリタリーバランス」というイギリスの国際戦略研究所の統計雑誌ですと500億ドルくらいという推定で、日本を抜いて世界第3位、フランスととんとんくらいの推定になっています。アメリカの推定値はもっと高くて700億ドルくらいで、アメリカに次ぐ世界第2位の軍事費に位置づけられます。日本、中国、韓国、インド、台湾、がかなり世界の軍事費ランキングの上位に出てくるということは、我々が考えている以上にアジアが軍拡モードになっていることを示すものです。軍事費という点では、日本は2位から4位くらい、中国を大きめに見積もると5位くらいかもしれません。しかし決して少ないわけじゃありませんね。

日本円に換算するとアメリカは一年間で50兆円くらいの軍事費を使っている。世界の軍事費がおよそ100兆円、そのうち半分をアメリカ一国で使っているので、2位のイギリスとかフランスあたりはアメリカから見るとおよそ10分の1くらいです。アメリカ以外の上位10位がよってたかってもアメリカを超えないという、とてつもなく大きな状態にある。近代の歴史を考えてもこれほど極端に大きな軍事大国が存在した例はなく、今のアメリカの状態は、歴史的にも異常な事態になってます。

海上自衛隊(43.8万トン)は世界第5位の海軍

自衛隊でいま一番目立っているのは、海上自衛隊の総トン数438,000トンで、アメリカ、ロシア、中国、イギリスに次ぐ世界第5位の海軍力です。トン数で海軍力を表します。アメリカは500万トン、ロシアが200万トン、中国が90万トン、イギリスが70万トンくらいでしょうか。その次に少し離れて日本が43万トンでフランス、インドが40万トンと同じくらいです。世界でも海上自衛隊はそれなりに大きな存在になっている。アメリカは異常な大きさですけれど、フランス、それにインドって結構な軍事大国です。空母なんか持っていますしね。

海上自衛隊はこの15年間で急増している。1990年に湾岸危機があり、翌91年に湾岸戦争がありました。その時点で海上自衛隊は、護衛艦と潜水艦を合わせた数の主要艦艇が75隻、319,000トンありました。それが2005年は数の上では69隻で少なくなったけれども、トン数は438,000トンで、30万トン台からいっきに40万トン台に拡大した。10万トン以上の増強で、割合からすると相当大きい。ただ、船の数が変わらない。これが「防衛計画の大綱」のトリックです。

防衛計画の大綱は、護衛艦何隻という数で表していて、質が問われていない。数が増えなくてトン数が増えているということは、一隻一隻が大きくなって遠距離進出能力を高めている。もともと海上自衛隊は、専守防衛のためで遠くへ行く能力はいらないから、たくさん燃料を積まない、船も小型でいいという考え方が基本にあった。世界のどこへでもいける能力を持つとなると当然燃料の搭載能力を大きくし、長期間航海のために乗っている人の居住性を重視しないといけないから船が大きくなります。

古い船を更新したとき極端な大型化が行われている。例えば輸送艦の「おおすみ」は、もともと「あつみ型」という輸送艦の代替として作られた。「あつみ型」(海上自衛隊では船の名前はひらがな)は排水量が1480トンだった。これを更新して「おおすみ」にしたときに、8900トンにした。これ、古いものを新しくしたのとは違って、どう考えても別物です。本州から北海道くらいまでの輸送を前提にした船から、世界展開を前提にした船へと質的に違うものにした。ただ、予算上は「あつみ型」の更新、古くなったので新しくしました、それだけの説明なんですね。

陸上自衛隊(実数14.7万人)兵力数で17位、航空自衛隊(作戦機510機)12位前後

陸上自衛隊は実数147,000人で、日本の軍事費が多いのは人件費が高いからだという人がいます。しかし人件費が単に高いだけじゃなく、兵力数も結構多く世界17位くらいです。中国は、陸上兵力だけで160万かな、北朝鮮は100万といわれている。とてつもなくたくさん陸軍を持っている国がありますので日本のランキングは17位くらいですが、それでも実数でイギリスやフランスやイタリアより多い。実際に40数%は人件費、糧食費ですけれど、しかし実数もかなり多いということです。

航空自衛隊作戦機510機、だいたいランキング12位前後です。イギリスやドイツ、イスラエルよりは多いです。冷戦が終わって世界的に軍事力が縮小された。ところが日本の軍事力は横ばい、もしくは微増を続けたので、結果的にランキングがずっと上がってきてしまったということです。

(2) 日本の軍事力の二重のゆがみ

日本の軍事力の現実はふたつの「ゆがみ」を持っていると総括していいと思います。

まず冷戦時代、朝鮮戦争のときに警察予備隊が作られ、米ソ冷戦の中で自衛隊が位置づけられていました。ですから冷戦時代に肥大化した対ソ戦のための能力、特に対ソ潜水艦戦能力が巨大化し、ここに特化したかたちで海上自衛隊が大きくなったと聞いております。その象徴が対潜哨戒機P3C(ロッキード事件のもとにもなった対潜哨戒機)100機の配備です。アメリカ以外の国で100機もP3Cを持っている国はありません。アメリカでも全体で約200機です。日本は、対潜哨戒機P3Cの改良版も含めて110機を導入し、現在でもおよそ100機が稼働しています。

(1)冷戦時代に肥大化した対ソ潜水艦戦の戦力

80年代半ばに日本近海で行動しているソ連の潜水艦が常時30隻から40隻、極東配備のソ連潜水艦は170隻という大変な数だった。対潜哨戒機P3Cはこれに対応するために導入した。ちなみに現在、ソ連を引き継いだロシアの極東海軍の潜水艦の数は15隻です。中国の潜水艦は全体で70隻くらい、日本近海で常に行動しているのは、5~6隻というところです。冷戦のピーク時から比べると、日本近海で行動している他国の潜水艦の数は激減している。にもかかわらず、対戦哨戒機の数は変わらず、多いときの状態のローテンションで哨戒をしています。潜水艦がいないのに対戦哨戒機が飛び回っている状態です。というのは兵器は常にメンテナンスして訓練も兼ねて飛んでいないとダメだということなんです。

もう一つは対潜水艦専用護衛艦の過剰です。80年代に極東ソ連軍の空襲能力が高まったといわれ、ミサイル護衛艦を導入しました。一応三本柱になっていてミサイル護衛艦、ヘリ搭載護衛艦、汎用護衛艦、汎用というのはミサイルもヘリコプターも積んでいるというもので、ヘリ搭載は基本的に対戦作戦用です。これが海上自衛隊の特徴的な形で、ヘリコプター搭載の目的は、対潜水艦戦用です。現在、海上自衛隊の護衛隊群に属している53隻の護衛艦のうち34隻が常時ヘリを搭載している。別に常時は積んでいないが離発着可能というのが6隻にあります。このヘリ搭載護衛艦「DDH」と呼ばれる艦種、これこそが冷戦時代に日本で発達した独特の護衛艦です。護衛艦というのは、世界水準では駆逐艦で、「デストロイヤー」といわれる3000トンから5000トンくらいの船にヘリコプターを3機積んでいる。小さな船にヘリコプターを3機も積んでいるのは、世界的にも極めて珍しいんです。

対ソ潜水艦戦と憲法九条の狭間を繕うDDH

じゃあ大きい船に積めばいいじゃないかというと、大きい船はやっぱり憲法の制約上つくれなかった。ヘリ空母と呼ばれるようなものは憲法九条第二項の縛りがあってできなかったので、ヘリコプターを分散して護衛艦に積もうという考えになった。対ソ潜水艦戦という戦略と憲法九条の狭間をいかにうまく繕うかという、その苦肉の策でDDHと呼ばれる艦種ができあがってきたわけです。

「はるな型」と呼ばれるDDHの1番艦ができて30年以上経ち老朽化した。「はるな型」は5000トンくらいの排水量です。これを今度16DDHという新しいタイプの護衛艦に替えます。16DDHは13500トン、これすごい増量ですよね。これはまだ名前が付いていません。船は進水式のとき名前を付けるので、仮称16DDHといわれています。16というのは平成16年度予算で認められたという意味です。防衛白書に載ったイラストで見ると、旧来の「はるな型」の更新型なので3機ヘリコプターを積んでいるイメージ図になっているけれど、形はどう見ても空母に近いものになっています。

輸送艦の「おおすみ」も右側に艦橋が寄ったタイプで、やはりヘリコプターを離発着できる形になっています。「おおすみ」ができたときも、空母じゃないかという疑念がありました。防衛庁は「いやこれは空母じゃありません。これはヘリコプターを常時搭載せず、やってきたヘリコプターがこの甲板に降りるだけです。常時積んでいると空母といえるかもしれないけれども、飛んできたヘリコプターがたまたま降りるんだから空母といわない」と説明した。ところが16DDHは、あらかじめ3機搭載している。常時搭載していると、これは空母だというとです。空母と名乗ってないから空母じゃないという、もの凄くひとりよがりな説明になっている。このイラストは16年度版以後、載らなくなりました。ヘリコプター搭載機数が4機になっています。将来的にはじわじわっと増えていく可能性もあります。これはヘリコプター搭載空母といえなくもないし、あるいは軽空母への過渡的な船であるともいえるような船です。しかしそれがあくまでも古い船の更新だということで、いま建造中です。

DDHのDはデストロイヤー、駆逐艦のDです。13500トンの駆逐艦は世界的にはありません。13500トンといえば巡洋艦のレベルです。戦前は1万トンを超えたら戦艦の範疇でした。イギリスのジェーン海軍年鑑では一応デストロイヤーって書いて、わざわざそこにコーテーションマークが付いて、「これでもデストロイヤーですって」ってそんな感じで紹介されています。これが旧ソ連、対ソ戦能力に歪んだまま更新されている一つです。

(2)湾岸戦争以降に肥大化した遠征能力

もう一つは湾岸戦争以来、15~16年間に肥大化した遠征能力です。これはまさに専守防衛とはかけ離れた能力で、最近の特徴です。その一つの象徴がイージス艦です。これは単に遠くまで行くだけでなく独自に情報収集ができる強力な船です。イージス艦は空母機動部隊の防空護衛艦としてアメリカでつくられたものです。93年に「こんごう型護衛艦」が就役しました。現在「こんごう型」イージス艦は4隻就役しています。2004年度に「改こんごう型」、つまり「こんごう型」を改造した新しいイージス艦が起工され、去年の10月に進水式があり「あたご」という名前が付いたので、多分この新型イージス艦はこれから「あたご型」といわれると思います。これは来年3月に完成予定です。大きくなりました。しかも「イージスシステム」が更新され、弾道ミサイル防衛システムに対応しているといわれております。イージス艦は弾道ミサイル防衛システムと非常に密接に関係し、それの重要な役割を果たすといわれています。船は独自に行動できる、情報を収集しながら遠くに行けるということが重要でして、その遠征部隊の中核を担うのがこのイージス艦です。

それから長距離輸送能力の向上ということで、現在「おおすみ型」は3隻就役しています。2番艦「しもきた」3番艦「くにさき」です。「おおすみ」は防衛白書では、大人数の在外邦人救出のために必要だと説明されています。実は在外邦人救出のために船の使用が法制化されたのは1999年です。その時に「おおすみ」の1番艦はすでにあって、それを説明する上で、「あつみ型」の更新ではちょっときついので、邦人救出という理由を後付けしたという感じですね。

「おおすみ」の中には輸送型エアクッション艇、LCAC(エルキャック)、よくホーバークラフトなんていいますけど、それを2隻積んでいて後ろから海の中に出せるんです。エアクッション艇は海の上も陸上も走ることができますから、戦車や兵員を積んだまま海の上から海岸を通って内陸まで一気に運ぶことができます。上陸作戦は波打ち際でスピードが落ちるから攻撃されやすい、一番危険なところです。もし砂浜ならば大きな障害物がない限り、このエアクッション艇で海上から一気に地上部隊を内陸まで運ぶことができる。ですから輸送艦という名前は付いているけれど、明らかに上陸作戦をするための揚陸艦という範疇に入る船です。もちろんヘリコプターを使って甲板上にあるものを運ぶ、桟橋に横付けして戦車を降ろすということも可能です。これは万能輸送艦ですね。

これに似たように「こういうのが必要だ」といわれたときはすでにものができている、あるいはつくっているという事例が2004年度の「ましゅう型」補給艦でして、現在2隻目が建造中です。これも13500トンという非常に大きな補給艦です。これはテロ対策特措法が成立した2001年に起工され、艦艇の大型化、行動の長期化に対応していて、アメリカへ軍への補給を先取りした形でつくられている。テロ対策特措法によって初めてアメリカ軍へ遠距離輸送して補給することが具体的に決められたわけですけれど、その時、すでに起工していて、2004年度に完成しました。

この「ましゅう」がインド洋に行って、テロ対策特措法に基づいてアメリカ軍のなどの艦艇に補給しています。テロ対策特措法はアフガン戦争に対応したものですけれど、補給された米軍の船や飛行機をどこで使うかはアメリカ軍の勝手ですから、イラク戦争にも実際には使われちゃうわけです。そういう意味ではイラク戦争支援は、テロ対策特措法とイラク特措法の二重構造になっている。このように遠距離輸送能力、補給能力が急速に高まっています。本来ならば、これは専守防衛の質問には答えに窮するものです。補給と輸送というと、直接戦闘行動ではないと感じがちですけれども、補給線こそ近代戦争の最も重要な部分です。補給、輸送がうまくいかなくて日本は太平洋戦争に負けたわけで、これは最前線における戦闘と切り離すことは決してできないことです。

(3) 迷走する「新・防衛計画の大綱」

日本の軍事力の3番目の特徴として、2004年12月に策定された「新防衛計画の大綱」の目玉の弾道ミサイル防衛システムがあります。これはイージス艦とパトリオットミサイルで構成されます。これは非常に危険な迎撃思想です。北朝鮮脅威論、北朝鮮がミサイルをすればするほど促進される構造になっている。防衛白書に出ていた弾道ミサイル防衛のイメージ図をみると、この左端の半島のようなところから弾道ミサイルが発射され、ずっとのぼっていって、右の土地に落ちる間、2カ所で迎撃する形になっています。イージス艦から艦対空ミサイルを撃って大気圏外に出て飛んでいる弾道ミサイル-もうこの段階で弾頭は小さくなっています-を打ち落とすのが第1段階。これはミッドコース段階といいます。そして最後はこの弾頭が大気圏内に突入してきます。ここで地上からパトリオット、PAC-3というミサイルを撃って迎撃するターミナル段階という二段構えになっています。

実は、このシステムについて毎年1000億円以上かけてすでに3年間アメリカと共同を研究しています。今年はもう1500億円以上かけています。自衛隊の武器開発予算は、普通年間約1000億円です。それに匹敵する額を弾道ミサイル防衛システムに別立てでかけているので、自衛隊の中でもいろいろと物議を呼んでいるシステムです。

何でこれが危険かといいますと、実はもともと旧ソ連の弾道ミサイルをブロックするためにアメリカで開発されたシステムです。ソ連から飛んでくる弾道ミサイルは非常に長距離を飛んで、大気圏外に出てから再

突入するまでの時間は、15分とか20分とか場合によったら30分になります。ですから弾道計算ができるわけです。ところが、北朝鮮から弾道ミサイルを撃って、例えば北九州に落ちるまで、ものの5分くらいのものです。そうすると弾道計算もなにもあったもんじゃない。ミッドコース段階はあまりにも時間が短すぎるので難しい、落下地点もあらかじめ計算はつかないので難しいということで、もともとこのシステムは現実にはほとんど使えないんです。つまり長距離ICBM用に開発されたシステムを比較的近距離の弾道ミサイル、あるいは中距離のミサイルにうまく応用できるのかは疑問視されている。応用できたとしても、ミッドコース段階でミサイルを迎撃できる可能性は約50%といわれています。最終段階で突入してくる弾頭をパトリオットミサイルで撃墜できる可能性もやはり50%くらいといわれていて、相当漏れちゃうわけです。

この構想は絵に描いていない構想がセットになっています。実は一番撃ち落としやすいのは、ブースト段階というミサイルが上昇していく段階です。弾道ミサイルが上に上がっていく段階はスピードが遅いので一番確率が高く、アメリカはそこを開発している。飛行機からレーザー光線を使って、上昇していくミサイルを撃ち落とす実験は成功していて、かなり現実的なところまできている。この絵には入っていません。なぜならば、打ち上げてすぐ撃ち落とすと、先制攻撃に近づいているわけですよ。そうすると専守防衛からだんだんとかけ離れていきます。もっといえば、発射する前に叩いちゃえ、ということです。これは飛行機から空対地ミサイルを撃つ、あるいは地上から巡航ミサイルを撃ってピンポイントで相手のミサイルを破壊してしまう、これは明らかに先制攻撃ですよね。

実はこの弾道ミサイル防衛システムは、多分アメリカで完成されたイメージでは先制攻撃まで含んでいるものです。その中で、日本はとどまれるのかどうかということです。もうすでに前倒しで新しいパトリオットを配備しようなんていっていますし、敵基地攻撃能力を持たなければならないと防衛庁長官は発言している。これはまさに一番おおもとをミサイル、空対地ミサイルや巡航ミサイルで叩いちゃおうということでしょう。そうなると、限りなく先制攻撃ということになり、「自衛のための必要最小限度」なんていうのはまったくとっぱらわれてしまうわけです。

自民党憲法草案の問題をさぐる

自衛隊と自衛軍は1文字違いですけれども、単なる現状追認ではないです。よく自衛隊が自衛軍になっても普通の人にとっては何にも変わりませんという人がいるけれど、実は憲法九条第二項の意味は大きいんです。戦力不保持というのは非常に大きくて、何でDDHなんていうへんてこな船ができたのかというと、空母を持ちたい、だけど憲法の縛りがある、というこの間を縫ってできたのがDDHです。ですから明らかに日本の軍事力のあり方を制約しているんです。ところが弾道ミサイルなんかを突破口にして、もうちょっと今までとは違った質の、場合によっては先制的に攻撃できるといえるようなものまで持とうという流れができつつあるわけです。

憲法が変わって自衛軍になると戦力不保持原則がなくなりますので、それに制約されてきた武器も相当変わってくる。つまり戦闘機あるいは支援戦闘機の航続距離はあんまり問題じゃなくなってくる。遠距離を飛んで相手にミサイルをぶち込む能力を持っても、今までは戦力不保持原則があるからまずかったけれど、軍になってしまえば可能になってくると思います。

軍事裁判所とシビリアンコントロール

軍事裁判所もこの憲法草案に出ています。軍事裁判所は平たくいうと軍法会議です。軍事を裁くための別の裁判所です。軍法会議ができるということは当然憲兵ができることです。ミリタリーポリスができなければ軍人を法的に裁判所で裁くことはできませんので、憲兵ができる。憲兵は軍人だけを取り締まるのかというと、軍事機密を守るのが憲兵のひとつの重要な役割ですから当然民間人も憲兵による取り締まりの対象になってきます。

そうなりますと単に自衛隊が自衛軍になったでは済まされない。当然、軍の論理が登場する。法的に自衛軍を認めてもシビリアンコントロールが効けば問題ないという意見もありますが、先ほどのどんな武器をつくるかでも本当にシビリアンコントロールが効いているんでしょうか。ほとんどコントロール効いていないですよ。自衛隊が自衛軍になったら、これをきっかけにシビリアンコントロールが強化されるということはあまり考えられないです。自衛軍になったら軍の独自性が高まり、軍事機密の壁が極まります。一般の司法や行政が介入できない聖域が出現することですからやはり自衛隊と自衛軍は相当違う、しかも憲法の後ろ盾を得ているわけですからもう怖いものなしですよね。

米軍再編とは何か

米軍再編とは何かということですが、もともとアメリカ軍は米ソ冷戦の中で旧ソ連を押さえ込むために巨大な軍備をつくりました。アメリカにとっても軍事システム自体が巨大化して、スリム化したいのが率直なところです。それから機能の細分化、高機能化も進めたい。地域紛争、対テロ戦争が重要視されてきた。地域紛争に対応するだけでしたら早期展開だけで良かったんですが、対テロ戦争というイラク戦争、アフガン戦争以降は長期展開が問題になっている。つまりピンポイントでがんとやってさっと引き上げることがなかなか難しいことが現実になってきた。そのためにはアメリカ軍を対テロ攻撃のために少数精鋭化すると同時に、補給能力、後方支援能力をがっちり固めておかないと長期展開は難しい。さらにどう展開するかわからない対テロ戦争の、見えない脅威にどう対処するかということです。これは情報戦も関わってきます。また長期間にわたって対テロ部隊を貼り付けるとすれば、それを支援する能力がどうしても必要になってきます。

米軍はやはり先端的な介入戦力を保持しておきたいわけで、補助的な攻撃戦力としての同盟軍が要ります。これはイギリスが典型的なものです。さらに日本が担っている支援補給部隊としての同盟軍、この役割が非常に高まっています。ここが特にいま強化されつつあります。日本はもう十分に支援補給能力を持ってきています。さきほどの「おおすみ」にしろ「ましゅう」にしろ、こちらから考えると持っている意味合いがわかってくるんです。

つまり自衛隊が専守防衛からかけ離れて遠くに独自に派遣されるよりも、アメリカ軍の全世界的な展開に自衛隊もお供しながら米軍にも補給できる能力を持つことがより求められているということです。イラク戦争段階になって自衛隊の支援補給部隊としての位置づけが確立しました。北朝鮮危機段階という段階があるの知りませが、仮にそう名付けると、次第に補助的な攻撃能力、現在イギリスが担っているものもある程度日本に期待するようになってくるんじゃないかと思うんですね。それがいまの弾道ミサイル防衛構想です。

弾道ミサイル防衛構想は、数年後にはアメリカ軍は明らかにブースト段階-上昇していくミサイルの迎撃に進んでいきます。そうなると北朝鮮に隣接する日本がどうなるかということです。ここに踏み込む可能性も出てくる。さらに敵基地攻撃力なんていう議論が出ていますから、当然巡航ミサイル-これは日本で開発しなくてもアメリカからトマホークか何かを導入してもこういう能力を持つことはできます。それから軽空母を持って、常時危険なところを監視しながら場合によっては攻撃するということです。軽空母に近いものが開発されつつあるのは、下手をするとこれに近づいていく可能性もあるということです。

確かに日本の軍事力は大きなものになってきたけれど、今まで憲法九条第二項の縛りによって、それでも一定の歯止めはあったんです。一応おおやけに自衛隊が進められるのはミッドコース段階とターミナル段階でのミサイル迎撃です。ところが憲法が変わってしまうと前提が変わってきて、ブースト段階や敵基地攻撃に進むということで、いまあるような縛りはないということです。

現実を直視する必要性

終わりに、イラク派兵、「新憲法草案」、「ミサイルショック」の次に、朝鮮半島、対中国情勢の悪化が予想されるところです。ただ、軍事的にそんなに脅威にさらされているのかをもう少し考えてみないといけないと思います。

まず北朝鮮は確かに、核兵器を開発したり弾道ミサイル実験をしたり物騒で危険きわまりない。けれども、なぜかを考えてみると、現実には北朝鮮は通常戦力がほとんど無力化していると思われるんです。特に空軍力は使えない状態じゃないかと思われます。というのは、この数年間に大規模な空軍の演習が行われていません。知らないうちに空軍の演習はできません。軍事衛星で常時空から見張られていますから。何十機というレベルで飛行機が飛んだ事例はここ数年間ないんです。ということは空軍パイロットは組織的に作戦をやる訓練をしていないということです。

ちょっと考えてみて下さい、よく北朝鮮の平壌で軍事パレードで勇ましく兵隊たちが行進している映像があります。あの上空を飛行機が飛んでいる映像をご覧になったことがありますか。意外に気が付かないけれど、「うちは強いぞ」っていうのを見せるときには、必ずいい映像を撮ろうと上空に戦闘機なり爆撃機を飛ばして撮るのが普通です。地上軍はえらく勇ましく行進してますけど、地上軍のもっとも強力な打撃力である戦車がいっぱい出てくるとか、武装ヘリコプターが出てくるとか、あるいは空軍力を誇示するようなデモンストレーションってないんですよ。隠しているという見方も当然できますけれど、しかし飛行機をずーっと何年も隠していると、これは使えないんです。パイロットはやっぱり技量は落ちちゃうんですよ。地上シミュレーションも考えられますけれど、やっぱり飛行機を実際飛ばさないと訓練にならない。

空軍力がほぼ無力化していると考えますと、制空権を取らないで組織的に地上軍が侵攻することはちょっと考えられません。100万の地上軍が一気に動いたら燃料がどうなるのか。そうすると大規模な北朝鮮軍が海を押し渡ってやってくる作戦はできそうもないと判断した方が合理的です。上陸させてみても補給も続かない。北朝鮮はほとんどいま商船を持ってないんです。上陸部隊を送り込んでもそこに補給するすべがないんです。小規模なゲリラ部隊を送ることはできるかもしれませんが、長期間にわたって組織的な軍事力を使っての戦争はまず不可能な状態になっている。だからミサイルだとか核兵器で威嚇するという、こっちに出ていると見た方がいいと思うんですね。

ミサイルの核弾頭化が完成したかどうかはわかりません。核兵器開発をしたといって、ミサイル実験もしています、けれども「核ミサイル」を開発できているかどうかはわからないんです。一応核兵器があることは事実なんでしょう、しかしそれが実戦に使えるものかどうかはわかりません。実戦に使うためにはある程度小型化して飛行機に乗せるかミサイルに乗せないといけません。しかし動かせないようなものでも一応核兵器です。例えばアメリカが初めて開発した水爆は、大きすぎて動かせないような兵器だったけれど、一応それでも核兵器だったんです。

どのくらいまで核開発とミサイル開発が結びついているかはわからないんです。ミサイル実験やって核兵器を持っていると、ミサイルに積んだ核弾頭を持っていると自動的に結びつけて思い込んじゃっているんですけれども、本当かどうかはちょっとわからないですね。そういう軍事力の段階であるということと、もし弾道ミサイルだけですと軍事的にはさほどの脅威ではないんです。

弾道ミサイルが一番大規模に使われたのは第二次世界大戦の末期にドイツがイギリスに向けてV2号というロケットを5000発くらい打ち込んでかなり「効果」があった。これが何十発というレベルですと、通常弾頭だとほとんど軍事的意味がない。かつての湾岸戦争の時にイラクがイスラエルに向けてスカッドミサイルを撃ちました。これは軍事的な効果ではたいしたものではなく、いつミサイルが降ってくるかという心理的な影響を与えたことは確かです。現在の北朝鮮のミサイルショックもかなりそれに近いですね。しかしその心理的な圧迫感というのは下手をすると逆効果です。それに対応しようとして大軍拡が始まってしまう危険性を常にはらんでいます。そのあたりを直視しなきゃいけないということがあります。

目の付け所を変えて軍事情報を見る

中国の軍事力も、冷戦時代のソ連に比べると実はまだ相当小規模なものであることは間違いありません。軍隊の質、――それが本当に強力な軍隊かどうかを割り出すためのひとつの指標として、兵士ひとりあたりにどれくらいお金がかけられているかという指標があります。この指標はよく「ミリタリーバランス」なんかに載っているけれど、ほとんどマスコミで使われません。強力な軍隊ほどひとりあたりのお金の使い方が高いのです。アメリカが32万ドル、日本やフランスが18万ドル、イギリスは21万ドルでドイツやイタリアよりも高い。やはり日本はかなり高く、かなり高度な軍隊といえます。中国は2万5千ドルで、この点でいうと軍隊のアベレージはかなり低いです。北朝鮮は5000ドルくらいで、さらに何ランクも低いですね。世界に5000ドルというレベルの軍隊はほとんどないです。

このように指標の取り方をちょっと変えてみるとイメージががらっと変わってくる。例えば北朝鮮陸軍100万というとすごい脅威に感じるけれど、ひとりあたり5000ドルというと、これは相当質的には低い軍隊ということになってしまう。それが海を押し渡ってくることは有り得ないということです。数字が一人歩きするとそれが脅威をつくってしまうということがあって、これはひとつの情報戦です。

今度のミサイル問題も北朝鮮側にしてみるといかに心理的な圧迫感を与えるかという心理戦、情報戦として行っているわけですよね。アメリカもこういうのを利用して弾道ミサイル防衛構想なり、自衛隊も含めて、進めたいという意思があるものですから、どうしてもエキサイトした報道になります。我々もどうしてもそれに流されてしまいます。けれども、情報戦、心理戦じゃないのかっていうところをやっぱり言う必要があるんです。

実態は何かを考えないとどうしてもこういう脅威論に煽られてしまう。脅威論はあとから見ると「何だ」ということが結構多いです。それが歴史の教訓といえば教訓で、必ず軍拡の前に「何とか脅威論」が出てくる。80年代半ば、ソ連脅威論が非常に強くて明日にも札幌の街にソ連軍が現れるみたいなことを描いた本が結構ありました。多分に情報戦、それはソ連側が流す情報だけじゃなくてアメリカ側が流す情報にもかなり踊らされていたということがあると思われます。それは現在でも同じですね。軍事情報は、私たちは判断するすべがあまりありません。ただちょっとした目の付け所で変わってくるんです。さっきの平壌の軍事パレードでですね、空はどうなっているんだというようなことをちょっと考えてみると、少しものの見え方が変わってくるのかなという感じがします。

映画「母たちの村」

事務局・中尾こずえ

舞台は西アフリカのサヘルと呼ばれる半乾燥地域に生を営む人びとの村。ある日、割礼(性器切除)から逃げてきた4人の少女を、1人の母が「モーラーデ」(保護)することから物語は始まる。

<物語> 深く澄んだ青空の下、簡素な土造りの民家が点在している。道端では「兵隊さん」と呼ばれている若い商人が自転車の荷台に山積みにした衣類や食糧、雑貨などを、女たちを相手に陽気におしゃべりしながら商売している。

村の女性コレは第1夫人ハジャトゥ、第3婦人アリマや子どもたちに囲まれ、仲良く暮らしている。一夫多妻のこの家庭は1つ堀の中にそれぞれの妻が住む家が独立してあり、夫は3人の妻の家を回って生活する。ある日、4人の少女がこの村に古くから伝わる割礼の儀式を嫌がって逃げ出し、モーラーデを求めてコレのところに飛び込んできた。中には10歳にもなっていない少女もいる。この性器切除手術の際のミスや出産時の大量出血で命を落とす女性も少なくない。一生治らない障害を負ってしまう女性は多い。コレもまた割礼を受けていたが、そのため2人の子どもを死産し、娘のアムサトゥの出産では帝王切開で大変な思いをした。コレは自分の経験から娘には割礼をさせなかった。このことを知って4人の少女たちはコレを頼って来たのだ。

コレは少女たちの保護を決心した。入り口に綱が張られ「モーラーデ」が始まった。コレがやめると宣言するまで、保護は続けられ、誰も入ることはできない。村はじまって以来の出来事に、村中は大混乱となる。夫からも非難されるがコレはあきらめない。はじめは巻き込まれるのを嫌がっていたハジャトゥ、アリマもコレを応援するようになる。そんな最中、村長の息子がフランス留学から帰国する。村人たちは彼をお祭り騒ぎで出迎える。この息子とアムサトゥは婚約していた。しかし、この事件で婚約にも影が差す。村長はこの婚約に反対するが、息子は「自分が決めることだ」と言って、村長を怒らせる。村の男たちは「問題は全てコレが原因」「モーラーデを止めさせろ」「新しい情報が入るラジオも問題だ」と激怒する。村の女性たちの唯一の楽しみであるラジオも没収され、燃やされてしまう。ついに村の権力者である夫の兄から、夫にコレへのムチ打ちの刑が命令される。村中の人たちが集まる中、夫はコレをムチで何度も叩く。男たちや割礼師の女たちは夫を応援し、村の女たちはコレを応援する。浄めの言葉を強制されながらムチを受けるコレ。「言わないで、唱えないで、ガンバって!」と女性たちの声が次第に大きくなっていく。鞭打たれ、血がにじみながらも、口を固く結ぶコレ。ついに商人の「兵隊さん」が助けに入った。倒れそうなコレの両腕をハジャトゥたちが支えて行く。最後までモーラーデを取り消さなかったコレの勝利だ。後日、コレは会議をしている男たちのところへ行き、「もう2度と娘たちを切らせない」と高らかに宣言する。母親たちが見守る中、うずたかく積まれ燃やされているラジオのなかに、割礼に使われたナイフが投げ込まれた。女たちから歓声があがる。真っ黒な煙の下で赤い炎が踊っている。女性の歌声が流れてくる。乾いた大地に凛と響きわたる美しいソプラノ。母たちの、女たちの「もう切らせはしない」の歌声はいつまでも響く。

<ウスマン・センベーヌ監督のこと>
1923年、セネガル南部生まれ。83歳。初等学校卒業後、ダガールに出て職につく。25歳の時、密航し渡仏。マルセイユで港湾労働者になった。沖仲仕時代にベトナム戦争の武器積み込み拒否という大きなストライキを経験する。この体験から小説「黒人沖仲仕」を発表。38歳の時にフランス語を読めないアフリカの人々にメッセージを伝えるため映画監督をめざす。代表作に「エミタイ」(1971)、「チェド」(1976)などがある。「母たちの村」では画面いっぱいに広がる豊かな色彩、人びとの端正な振る舞いとユーモアなどが、重く奥行きの深いテーマを心温まる自然なものにしている。コレは気迫と誠意で村の主流の勢力に抗し、ジワジワと味方を作っていく。その場面は日常的でさりげないものからサスペンス感あふれるものまでさまざまだ。状況の進展の中で、夫や男たちが良心を問われ、まっとうな決断をしていくところが良い。 上映にあたって監督は次のような言葉を贈っている。「アフリカ連合54カ国中、およそ38カ国で女子割礼は行われている。どんな方法であれ『切除』は女性の尊厳や誇りを傷つけるものです。この古き風習を廃止するため闘う母たちにこの映画を捧げます。…これは『自由』を描いた映画なのです」と。おおらかな優しさで闘う女たちの勇気と尊厳を伝える感動作だ。
ウスマン・センベーヌ監督作品
2004年/フランス・セネガル合作映画
カラー35ミリ/124分
第57回カンヌ国際映画祭ある視点部門グランプ リ受賞

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2006 今年の8・6ヒロシマ

  第九条の会ヒロシマ 藤井純子

●今年も8・6新聞意見広告を掲載しました。この「私と憲法」を読んでいらっしゃる多くの皆さんからもご協力頂き、心から感謝しています。毎日新聞8・6朝刊大阪本社版に全15段、朝日新聞東京都心版に5段を掲載し、8月6日早朝、原爆ドーム前でコピー4000枚を配布しました。この日、全国から、世界からヒロシマに来てくださる方々、とりわけドームの周りに体を横たえ、61年前の原爆投下で亡くなった人に思いを馳せるダイ・インに参加する人たちは、受け取ってその場で熱心に読んで下さり、とても励まされます。

今年の紙面では「みんなを守ってきた9条を変え、戦争をする国にしますか?」と問いかけました。もし9条2項を削ると… 米国の世界戦略に組み込まれるだけです。賛同して下さった皆さんのメッセージを掲載させて頂きましたが、その中に「海外で軍事行動をすると日本が争いの火種になりかねない。ますます日本の信用がなくなるのでは?」という心配がアジアの人からも寄せられました。秋の国会が気になる国民投票法案、教育基本法改定、共謀罪など書きたいことはいっぱい。でも、子どもさんにも読んでもらいたいと思い、言葉が足りないと感じられるかもしれませんが最小限に選びました。そして「9条こそが平和のために必要です。黙っていないで声をあげていきませんか」と呼びかけるスタイルにしたのです。

6日の夜、家に帰りメールを開けると、意見広告を読んでいろいろな意見や感想が寄せられていました。「政府は九条を守れ!」「なぜ戦う国にしたいのか、争いからは何も生まれない」「憲法9条は大切な世界の宝。私もピースフェスタで父の戦争体験を話しました」など私たちと同じ思いの意見。

一方、メールだからか反対の意見も多く「国民の命を守るためには軍事力は不可欠」「凶暴で理解不能な国がわが国を攻めてくる時、憲法守って国が滅ぶくらいなら憲法なんて不要」とか…。よくわからないのは「日本は世界に友人はいないといわれますが、これは集団的自衛権を認めていないからです。」…?…。つまり国際社会で責任を果たすため日本も国連軍やPKFに入り、軍事力で国際社会に貢献すべきということなのでしょうか? イラクをみても武力では、何も解決していないのに…。

またハガキや封書で来るメッセージには心のこもったものが多く、感謝の気持ちでいっぱいになります。しかし今年もお名前に関しては、何度も確認し、校正を繰り返しましたがやはり落ちや間違いがあったようで、申し訳なく思うばかりです。

●8・6早朝「市民による平和宣言」も配布しています。これは名前を変えながら20年以上続いている市民集会「8・6ヒロシマ平和へのつどい」参加者200人に採択されたものです。この集いの今年のテーマは「ヒロシマ・ナガサキからイラクまで… 核時代の戦争に抗して」。

スピーカーはいつも多彩です。メインスピーカーの梅林宏道さんの「米軍再編」への冷静な視点やピースボートの活躍は、東北アジアを超え世界の広範な人々とのよりいっそうの連携の必要性を感じました。田村順玄岩国市議の特別アピールは、イラク、イスラエル、ヤスクニ、改憲の動きを見ても希望が持てないのでは?と暗い気持ちになりそうですが、岩国住民投票と市長選は「これ以上の基地拡張強化はNO」という自治体と市民の2連勝。沖縄・神奈川など基地周辺住民、自治体の粘り強い運動が、岩国を元気付け、また私たちにも勇気を与えてくれました。

またこの集会の面白さは、8・6ヒロシマにやってくる様々な方々の飛び込みです。劣化ウラン兵器禁止を訴える国際大会で来広中のイラクの運動家やイタリアのジャーナリスト、「被爆者はどこにいても被爆者。差別なく国家補償を!」と訴えるブラジル在住被爆者の渡辺淳子さん。性教育バッシング裁判に挑む産婦人科医の河野美代子さん。性教育をバッシングの背後には戦争をする国にし、改憲を目論む人たちが透けて見えます。毎年長崎から駆けつけて下さる舟越耿一さんがこの問題をしっかり捉えて書いて下さった文章を裁判の証拠に頂いたのも不思議なご縁です。若い参加者が多かった今年、ぜひ聞いて欲しかったアピールの一つでした。

●「NO DU劣化ウラン兵器禁止を訴える国際大会」は、今年8・6のもう一つの大きな集会でした。参加者は海外からの40数人を含め約270人。英語の同時通訳も整い、市民集会とは思えないほど大掛かりで充実した内容で、展望のあるものだったと言われています。私自身はとても落ち着いて参加できる状態ではなかったので残念でしたが、大会の様子は、http://www.noduhiroshima.org/icbuw2006/ NO DUヒロシマ・プロジェクトのホームページをご覧下さい。また報告集は来年1月の予定です。「報告集予約」明記の上、お申し込み下さいとのこと。(1冊2000円 郵便振替:01310-0-83069「ICBUW・国際キャンペーン」

●新型核の開発にいそしみ、宇宙の核支配まで目論む米国。原爆投下で多くの民間人が一瞬の内に亡くなり、放射線の影響が今も被爆者を苦しめています。現在までイラク占領諸々の米国の横暴さを許している原因の一つは「米国の原爆投下は違法だ」とヒロシマ・ナガサキが声を上げ、国際社会がそれを裁かなかったからではなかったかと、今年7月法律家中心の「原爆投下を裁く国際民衆法廷」が開催され、この判決は12月に出る予定です。

また「世界社会フォーラム」や、中・南米の国をあげての新自由主義に対する闘いに見られるように、地球規模で「もう一つの世界」をめざす広範な人々の努力が続けられています。8・6を終えた今、世界の人々と9条を共有し、小泉の靖国参拝、小泉後をもにらみ、私たちに何ができるか考えているところです。8・6新聞意見広告にご協力下さった皆さんに力を頂き、これからもヒロシマで頑張っていこうと思います。

2006・8・16 

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