私と憲法62号(2006年6月25日発行)


始まった憲法をめぐる歴史的な激突

1月20日に始まった第164通常国会は、当初の大方の予想を覆し、幾多の重要法案を積み残し、会期延長をしないまま6月18日をもって終了した。小泉純一郎首相は6月末の日米首脳会談と7月のロシアで開かれるサンクトペテルブルグ・サミット、8月の敗戦記念日と靖国問題、9月の自民党総裁選と自らの退陣という政治日程を残して通常国会を閉会させたのだ。

この通常国会は実に異例続きの国会であった。
小泉首相は開会冒頭の施政方針演説で、この国会に「憲法改正国民投票法案」を提出することを表明し、「教育基本法の改悪」や、「皇室典範の改定」などについて言及した。この国会は「地獄の釜のふたが開いた」(佐高信)といわれたほど悪法を量産した1999年の145通常国会に匹敵するほどの歴史反動の国会になる可能性があった。

国会開会後、間もなく4点セット(耐震偽装疑惑、ライブドア事件、米国産牛肉輸入問題、防衛施設庁談合事件)問題が浮上し、「小泉内閣の終わりの始まり」の様相が現れた。だが民主党の永田寿康議員の「偽メール」質問事件で民主党の四点セット追及作戦は吹き飛び、大揺れを経て前原誠司代表の辞任と小沢一郎新代表体制への移行となった。新自由主義改革路線という大方向で小泉内閣との共通性を持ち、与野党の争点を基本的には「改革競争」と捉えていた前原代表に代わって、ベテランの小沢代表体制になり、国会での与野党対立局面が多くなった。

与野党の対立局面が出てくると、これに対応し自民党執行部は「先出し」と呼ばれたような手法での重要法案の相次ぐ強行上程に走った。国会会期の後半、会期延長を前提としない限り成立するはずのない重要法案、教育基本法改定案、憲法改正手続き法案が継続審議覚悟で相次いで上程され、さらに「防衛省設置法案」まで出してきた。「共謀罪」法案にいたっては、その成立のため民主党の対案を「丸呑み」することを宣言するという離れ業まで強行しようとした。

しかし、通常国会は政府にとって緊急課題でありながら上程もできなかった米軍再編関連法を含め、改憲手続き法案、教育基本法改悪法案、共謀罪法案、防衛省設置法案など重要法案を軒並み継続審議にして閉会した。

これらの諸懸案は秋の民主党代表選挙、公明党大会、自民党総裁選挙を経て開かれる秋の臨時国会以降に先送りされた。こうした事態をつくり出した要素の重要な位置を、国会内での野党の闘いと結びつき、それを激励しながらさまざまに闘われた院外の闘いがしめることを、少なからぬ人びとが確認している。実際、私たちはこの点で確かな手応えを感じることができた。

改憲手続き法案の上程に見られるように、憲法をめぐる歴史的激突が始まった。秋の臨時国会までの2ヶ月あまり、運動側が獲得したこの時間をどのように有効に使って闘いを準備することができるのか、今、私たちは極めて重要な局面に立っている。(事務局・高田健)

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世論の過半数の結集に向けた跳躍台に!
6/10 九条の会 全国交流集会

池上 仁(神奈川 「野庭九条の会」準備会)

千駄ヶ谷駅に降り立つと、市民連絡会のNさんが案内係で立っていた。「やぁ」と挨拶して会場の日本青年館に向かう。彼女は集会自体に参加する余裕もなく、裏方の仕事に大忙しだろう。一応地元の九条の会(まだ準備会だが、7月9日の発足が決まっている)の推薦を受け参加が叶った私だが、なんだか申し訳ない気がする。前後に同じ参加者と思われる人々がせっせと道を急ぐ。途中警察の警備車両と警察官の姿が目に付く。私は出くわさなかったが、後で聞くと右翼が押しかけたのだそうだ。憲法問題がいよいよ焦点化し、反動の側もこの運動をターゲットに擬しているのだろう。

6人の呼びかけ人から心に沁みるアピール

開会には十分ゆとりをもって受付をしたのだが、会場はもう一杯。それでも最前列近くに席を取れたのはラッキーだった。小森陽一さんの司会で全体会が始まる。9条の会発足から満2周年のこの日現在、全国で5174の九条の会が活動しているとの報告に会場がどよめいた。この日は6人の呼びかけ人の方々が駆け付け、時間の制約の中でこもごも実に個性的かつ真率に参加者に語りかけた。

三木睦子さん
九条の会を始めたのは、戦争体験の悲惨さを若い人びとに味あわせたくないと思ったから。こんなに多くの若い人たちが応えてくれて本当に嬉しい。九人の呼びかけ人は戦争の苦しさを体験し、もう力尽きかけている・・・でもそうでもない。93歳になる私が訴える。戦争のない平和な国を!やさしく楽しい世界にしていこう。
鶴見俊輔さん
昭和のはじめ「戦争は文明の母」という小冊子を当時の政府が出した。確かにアメリカは文明の名において日本の戦争責任を裁き、今はイラクに戦争を仕掛けている。こんなアメリカと日本の文明に取り残された耄碌の個人として戦争に反対していく。戦争を起こす文明に耄碌人として反対していく。
澤地久枝さん
鶴見さんがある対談で「どうしたらまともになるのか」の問いに「答えはない」とおっしゃったことに共感する。困難でも希望をもって進んでいくしかない。もしかしたら今は新しいあけぼのが見えている時かもしれない。市民は成長している。にしても今のマスコミはひどすぎる!
加藤周一さん
日本は九条をめぐって戦争か平和かの岐路に立っている。九条の会を作る前から国民の声と議会の声とは異なっていた。市民の運動はあったが散在していた、それを何としたいと考えて会を作った。今この運動は上り坂だ、勢いのある運動がさらに広がれば勝てるかもしれない。ここでがんばろう。
小田実さん
5月3・4日にNHKラジオに呼ばれて、松本健一・寺島実郎といった人々と対談した。2人とも改憲論者だが、彼らは夢想的だと思った。自衛隊を軍隊と認めて憲法で縛るというが、九条の下でも勝手にやってきた、もっと好き勝手にやるようになるだけだ。日本はそもそも「自衛」できるのか?石油、食料だけ見てもできるわけがない。非暴力で平和をという理想論こそが最も現実的なのだ。
大江健三郎さん
ここ日本青年館で、1969年、沖縄復帰運動の闘士古堅宗憲さんが不慮の事故で亡くなった。そのことも記した「沖縄ノート」の、慶良間列島での集団自決強制についての記述をめぐって裁判に訴えられている。私は悲観的な人間だが、倫理的想像力ということを考え続けこの運動を持続していきたい。

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全国各地からの報告

会場からの満腔の拍手に送られて呼びかけ人の方々が退座された。元気に手を振る三木さんのお元気そうな姿が一際印象的だった。司会の小森さんも、マヨネーズで9の字を描き、それをきっかけにお客さんと九条やヒロシマ・ナガサキについて語り合うお好み焼き屋さんのエピソードを紹介するなどして会場を沸かせた。

続いて5つの会から報告があった。市町村合併で多くの「元○○長」を会員に擁する新潟阿賀野市の会、04年11月に発足し「九条まもる」の一点で定例学習会やグッズ作りをしている千葉小金原の会、沖縄で運動をしている大学人の会、全教・日教組の枠を越えた協力場面もある大阪府立高校の会、全市11地区と青年のグループがそれぞれ独自の運動を展開している神奈川横須賀市民の会。

後半は11の分散会に分かれての討論。予め申し出ていた各団体からの5分間ずつの活動報告があった。私の参加した第5分散会では27名の方が発言した。アトランダムに紹介すると、「週刊新潮」の表紙を画いている長野県安曇野の方、市議会へ請願を行い保守系議員からの賛同もあって勇気付けられた取手市の方、仏法の教えに適うと運動を始めた大分の僧侶の方、楽しい素敵な詩が書きたくて参加しているという詩人の会の方、戦争になれば真っ先に徴用され、自分たちの作り上げたものが破壊されてしまうという建設業界の方、「沈黙は同意である」と考え活動を始めた札幌の保育園の方、月2回の行動日を設けて活動している市内51の会の嚆矢という青森市の女性の会の方等々。

多くの団体が工夫している憲法グッズについて、「九条の会」で統一したバッジをつけたらどうかという意見に対し、中央集権的な運動では駄目との反論が出される一幕もあった。ブローガーズ・リンク九条の会から、インターネット上だけの九条の会が紹介された。272のサイト、高校生から70代までの参加がある、改憲派は組織的に資金力を持ってこの方面で活動しているとのこと。

各地の報告は様々だったが、いまひとつ多様性に欠ける憾みがあった。持ち時間5分では会の経過を報告するのに精一杯ということでやむをえなかっただろう。来年の交流会では1年間の蓄積をもとに、より具体的な議論が展開されることだろう。

「九条の会」からの訴えを確認

後に、当日呼びかけ人から発せられた「訴え」が提起された。要旨は

  1. 本当に広範な人びとが参加する「会」をつくり、過半数世論を結集しよう。
  2. 大小無数の学習会を開こう。「九条の会セミナー」を全国数箇所で。
  3. 工夫をこらしてアピールし、「会」の仲間を増やそう。
  4. 全国津々浦々網の目のように「会」をつくり、来年第2回全国交流集会に成果を持ち寄ろう。

分厚い全国の九条の会のチラシの袋詰めなど、裏方の方々の苦労をしのびながら充実した思いで散会、全国に散っていった。当日はおよそ900団体、1500人以上が参加したとのこと。翌日の新聞は「毎日」「東京」が写真入りで報じているのに対し、「朝日」はベタ記事の扱いで際立っていた。斉藤貴男「改憲潮流」(岩波新書)を読むとさもありなんという気がするが、こうしたマスコミの姿勢を崩すのも運動の力に俟つということだろう。

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第12回市民憲法講座
「憲法を活かすコスタリカと反米化する南米」

伊藤 千尋(朝日新聞元特派員)
(編集部註)5月27日、市民憲法講座で伊藤さんが講演したものを、編集部の責任で     大幅に要約したものです。文責はすべて編集部にあります。

テロ~管理社会のアメリカ、正反対のコスタリカ

新聞記者生活30年以上のうち、20年間国際報道をでした。最初に行ったのが中南米で80年代。90年代はヨーロッパ。2000年代に入ってアメリカでした。2年前に帰ってきましたが、そこから見た日本の平和憲法あるいは日本の国のあり方をお話ししてみたいと思っています。

最後のロサンゼルスに赴任したのが2001年8月の終わりです。赴任して2週間目ですよ、あのテロが来たのは。今でも覚えているのは、あの日、ロサンゼルスは全米第二の大都市ですけれども、その中心部ひとっこひとり通らなかったですね。ニューヨークに続いて同じ日にロサンゼルスがテロ攻撃に遭うという噂が瞬く間に広がり、テロ攻撃されるというのがロサンゼルスで一番高いビルで、そのビルは支局の目の前にありました。そういう噂って本当にあっという間に広がるんですね、だから、誰一人出勤してこないわけなんです。あの日からアメリカの社会は、ぐんぐんぐんぐん変わっていきました。テロに対する恐怖、みるみる街を走る車は星条旗を掲げる、家とかアパート、デパート、銀行から大きな星条旗が垂れ下がる、街中が星条旗だらけになる。もう本当に戦争ムード一色だったですね。あっという間だったですよ。要するに一言でいうと、アメリカがどんどん嫌な国になっていたですよ、管理、管理で。

平和憲法に誇りを持つコスタリカのひとびと

そういうときに、僕が持っていた範囲は、カリブ海、中米地域ですからコスタリカも範囲なんです。で、コスタリカに取材に行くと、何かアメリカとまったく雰囲気が違う、国家としての行き方がまったく正反対だというのを感じる場面がいくつもありまして、今日はそれを中心にお話したいと思います。

僕はどこに取材に行っても、まず普通に生活している人にいろいろ意見を聞くんです。街を歩いている女子高校生とか、八百屋さんとか、銀行の前に立っているガードマンとかに聞きます。例えば「あんたのとこは平和憲法を持っているけれども、よその国から攻められて、心配ないの」というように。コスタリカの人で共通しているのは「私たちはこの国が平和な国であるために努力してきた。自分の国が平和であるだけじゃなくて、地域全体を平和にするために努力してきた。このような国を攻める国があるわけがない」とすごい自信を持っているわけですね。この辺がすごく日本と違う。日本国憲法の前文に「世界の平和のために名誉ある地位を占めたい」ってあるじゃないですか。コスタリカの人はみんな自分の国が「平和のために名誉ある地位を占めている」という確信を持っている。

大学生が違憲訴訟おこし勝利

そのコスタリカで大学生が大統領を憲法違反で訴えて勝利したというのがありましたね。去年日本にやってきたロベルト・サモラ君。あれが象徴的だと僕は思うんです。2003年3月にアメリカがイラク戦争を始めました、その時にいろんな国の指導者がアメリカに賛成とか反対とか言いました。賛成の中に小泉さんもいました。アメリカのホワイトハウスのホームページに「アメリカの友好国 日本」とちゃんと載っちゃう。同じようにコスタリカの大統領がアメリカの戦争に賛成と言った。これに対してコスタリカの大学生、ロベルト・サモラ君24歳が「おかしいじゃないか、うちの国は平和憲法を持っている。その国の大統領がよその国の戦争に賛成するというのは憲法違反である」といって訴えちゃったんですね。で、どうなったかというと1年半の審議の後に彼の言い分が全面的に認められて全面勝訴ですよ。

その判決の内容は2つありまして、ひとつは平和憲法を持っている国の大統領はそんなことをいっていいはずがない、だからあの発言は「なかったことにする」ってなっちゃったんです。もうひとつはホワイトハウスのホームページにコスタリカの名前が友好国、同盟国として載っているのを削らせろというんですよ。これが判決の内容です。大統領は「何も自分はイラク戦争に賛成と言ったわけじゃなくて、ブッシュ大統領がテロに賛成か反対かという聞き方をしてきたので、自分はテロに反対だというようないい方をしたら、それがああなっちゃった」と、いいわけをして、すぐホワイトハウスに連絡してコスタリカの名前を削らせたんでよ。

ロベルト君24歳の訴えがそのまま成功したわけですけども、それを聞いて僕は面白いな、と思ってすぐ彼にメールを打ったんです。「大学生が大統領を訴えるってすごいね」って書いたら、翌日すぐ返事が来て「全然すごくないよ、コスタリカでは小学生でも憲法違反訴訟してるよ」、それを聞いて僕はびっくりしたですね。そんなこと全然知らなかった。

違憲訴訟の最年少は8歳

取材して知ったのは、コスタリカで憲法違反訴訟の最年少記録は8歳ですよ。ちょっと我々には理解できないですね。日本だったらまず訴状を書かなきゃいけない、つまり法律用語を知らなきゃいけない。2番目にそういう訴訟を起こすために弁護士さんを雇わなきゃいけない、つまりお金がいる、とまず我々サイドは思うわけです。

いろいろ例を探したんですが12歳の少年の例がわかりました。12歳の少年の家でお兄ちゃんが突然誰かに連れ去られた。この少年はすぐ憲法裁判所に電話しました。電話一本で憲法違反訴訟を受けるんです。電話を受けた憲法裁判所は調査官を派遣して調査した結果、少年のお父さんが少年のお兄ちゃんを虐待していた。近所の人が、このまま放置できないと福祉施設に連絡して、お兄ちゃんを一時的に引き取ったんです。調査官は調査記録を持ってこの少年に縷々説明をする。その上で、「君は憲法違反訴訟をまだする?それともしない?」と聞いたら、少年は取り下げた。もし少年が納得できなければ憲法違反訴訟になる。

いまコスタリカでは年間1万2千件の憲法違反訴訟がある。コスタリカでは憲法違反は憲法違反の疑いを通知すればいいわけです。調べたり訴訟にもっていくのは国の役割だという発想なんですね。日本の場合はとにかく違反の訴訟ができにくい。法律は国民が使わないように、憲法は国民が読まないようにという発想に立っている。

でも子どもが、憲法違反訴訟ができるのはまず憲法を子どもが知らなくちゃいけないですね。それで小学校1年から人権教育をしてる。小学校に入った時点で人間はおぎゃあと生まれた瞬間から人権を持っていると教える。そしてそれが侵されないように国が存在するんだ、もし侵されたら憲法裁判所というところに訴えるのを小学校1年から教えるんです。小学生がね、自分に権利があるうのを認識していて、しかもそれを実行する社会ってすごいと思いません?その一点だけをとってもこの国はすごい民度高いなって思う。ついでにいうと、コスタリカでは小学校で最初に習うのは、人は誰も愛される権利がある、ということです。コスタリカって平和憲法もすごいけれどもそれ以前に基本的人権がすごいというのを僕は今回ロベルト君の事件を調べていく中で痛感したんですね。

コスタリカの憲法とは

平和憲法というのは単によその国を侵略しないというだけじゃなくて、軍隊を持たないということが要件ですね。世界中でいま平和憲法といえるのは日本国憲法とコスタリカの憲法とたったふたつだけです。しかし日本の場合、実際は軍隊を持っていますよね。コスタリカの場合は、警察が6400人、ほかに国境警備隊が2000人いる。これがすべてですよ。そして国境警備隊は軍艦の代わりにボートです。戦闘機の代わりにセスナ機です。上空から密輸か何かが入ってこないかを見るだけの飛行機で、攻撃のためのじゃない。日本の警察は棍棒とピストルを持っているけれど、コスタリカの警察って棍棒だけですよ。

すごいと思うのは、コスタリカがある中米地域はちょっと前まで内戦をみんなやっていました。今も自動小銃だらけが当たり前の地域です。そういう地域でコスタリカだけは警官さえピストルも持っていない。日本からコスタリカに行っても何も感じないかもしれませんけど、いったん中米地域をまわってコスタリカに行くとこの国のすごさというのが見えてくる。

僕は80年代に中南米の特派員をやっていた。その頃の取材って内戦の取材だらけだったんです。そういうところに行くと10歳から兵隊が当たり前だった、若者はみんな戦場に行っているから畑仕事をする人がいないわけで、畑に作物は何もない。牛は骨が見えるくらいやせているし、道路なんて穴ぼこだらけですよ。そういう国から国境線を一歩コスタリカに入ったら風景は一変する。道がいきなり3倍くらいに広くなって、成田空港に通じる道のようで、穴ぼこなんかひとつもみあたりゃしない。両側の畑は青々と茂って、牛はまるまると太っている。えらい違いです。

1949年に「常備軍を廃止する」を謳う

そのコスタリカの平和憲法はどうやってつくられたのか。1948年にこの国でも内戦があった。内戦といってもほんの2ヶ月で終わりました。今でも人口400万人くらいですけど、小さな国で2000人が死んだ。親戚同士で銃を撃ち合ったりして、みなさん反省しちゃった。その内戦を起こさないために、このさい軍隊をなくそうとなったわけです。ひとつにはですよ。1949年にできた今の憲法は、第12条で「常備軍を廃止する」というのを謳った、ここで平和憲法が成立した。本当に軍隊はなくて、警察と国境警備隊のみ。日本でいうと警察と海上保安庁のみ、そういう感じですよね。

日本国憲法と違うのは、「自衛権」は認めている。軍隊がないのにどうやって自衛するのかというと、もしよその国が攻めてくるという緊迫した事態があったら、大統領が国民に呼びかけ、義勇軍を募り、義勇軍に応じた人が兵隊になるという格好です。

地域の集団安保・米州相互援助条約に加盟

もう一つの装置は、集団安全保障への加入です。米州相互安全条約という中南米地域の集団安全保障条約です。日本の場合、アメリカと日本と一対一ですが、コスタリカの場合集団安保です。加盟した国のうち、ひとつが攻められたら残りの国がよってたかってその国を守るという発想の集団安全保障条約です。リオ条約といいます。本当にそんなことができるのかとお思いでしょうが、実際に2回例があったんです。となりのニカラグアから武装勢力が侵入しようとした。大統領が、これは危ないといったら条約に加入しているパナマとかメキシコとか周りの国々が、ある国は武器を送る、ある国は軍事顧問団を送ってきたんです。それによって武装勢力は入ってくることを断念しました。だから現実に効いているんですよ。

しかし、そういう集団安保に入るためにはコスタリカだって、他の国が攻められたら軍隊を派遣しなきゃいけないとお思いでしょう。コスタリカは加入するときに条件を付けた。「うちの国は軍隊を持ちません、だから他の国が攻められても軍隊は出しません。しかしかわりのことをやります」と。例えば難民を引き受ける、食糧を送る、介護のための人を出すことで軍隊に換えます。これを条件に加入した。こういうことだってできるわけです。コスタリカの場合は集団安全保障と自衛権を認めること、この辺が日本と違う点です。

中米の内戦時代に永世非武装・積極的中立宣言

コスタリカのすごいところは平和憲法を活かしていることです。80年代、まわりの国が内戦をやっていたときに、アメリカのレーガン大統領がコスタリカに、ただで飛行場を作ってやるから使わせてくれと、いってきた。当時アメリカはニカラグアの左派政権を倒すためにCIAが金で人を集めて、ゲリラを作ってニカラグア政府を攻撃した。これがニカラグア内戦です。そのゲリラを助けるために、アメリカはコスタリカに基地を作ろうとした。当時のコスタリカの大統領、モンヘはそれを見抜いてきっぱりと断った。中米の小さな国がアメリカにノーというのは大変なことなんですけれど、これは国是に反するときっぱり断っちゃった。モンヘ大統領は永久非武装中立宣言というのをやったんです。自分の国は永久に非武装であり中立である、領土を戦場に貸さない、紛争に援助しない、というのを明言するわけです。これは実質的にアメリカに対していうんだけども、うちの国は中立なんだよ、ということをそういう時期に世界に示したわけですね。

アリアス大統領の中米平和活動にノーベル賞

さらにすごいのは、次のアリアス大統領です。自分の国が平和であるためには隣の国も平和でなくちゃいけない、といって内戦をやっていたニカラグア、エルサルバドル、グアテマラの、ゲリラ側と政府側を説得してまわってとうとう内戦をやめさせるための道をつけたんです。この功績でもって1987年にノーベル平和賞をもらいました。

アリアス大統領は平和を輸出したんです。その原点は自分の国だけが平和では有り得ないと、どんどん平和を拡大していった。一般国民が自分たちの国は平和に努力している、現に実績があるそういう国を攻める国なんぞあるはずがない、といえるのはそこですよ。それは内戦を単に終わらせただけではなくてそのあともいろいろやっている。例えばアリアスさんはノーベル平和賞のお金でアリアス平和財団を作りました。平和財団では、女性の権利を高めるための教室をニカラグアで開いているんです。コスタリカは決して裕福な国じゃないですよ。債務国です。そこの国の大統領がノーベル平和賞の賞金をとなりの国の女性の権利のために出しているんですね。

それから、とにかく国連で平和の「へ」の字がでたらすぐコスタリカがかんでくる。例えば、地下核実験の反対アピールに広島市、長崎市と一緒になって国連に平和アピールを出そうと提案国になる。そんなことをずっとやってきた。だから国連の中ではコスタリカが平和の先頭を切っていることをみんな確認してますね。国連の平和大学のを誘致して、世界平和の研究もしている。この国は平和で生きていくんだ、平和立国になるんだというのを本当に実践している。こういうことをやっているから本当に信頼されるわけですよね。

いま、ニカラグアの内戦が終わって出てきた経済難民が、コスタリカに100万人来ています。人口400万人のところに100万人が来ているのをコスタリカは受け入れてるんです。難民の子どもを全部学校に入れて税金で義務教育を受けさせています。日本って難民がほんの一人入るだけで大騒ぎするじゃないですか。平和憲法をつくってしかも活かしているのがコスタリカなんですね。

軍事費をそっくり教育費に

平和憲法が作られたもうひとつの由来について、元大統領は「金の問題だ」というんです。これから国が発展しようというときに、議論になり「国の基は軍事じゃない、教育だ」となった。それがさらに発展して軍事費をそっくり教育費にまわそうということになった。1948年段階で国家予算の1/3が軍事費でした。それをそっくり教育費にまわし、以後ずっとそうです。今だって21%ですよ。国民の10人に1人が教師の免状を持っています。スローガンが「兵士の数だけ教師を作ろう」です。

高校の憲法教育の授業は、見事に実践教育です。ある日僕が行ったときはこういうふうだった、

先生が「今日は憲法について授業しましょう」というと、30人くらいの生徒がみんな机をがたがたと両側に片づけて、車座になって座るんです。先生が「まもなく皆さん卒業する。大学に行く人もいるし、企業に就職する人もいる。就職して、何らかの理由でクビを切られたら、さあみなさんどうしますか」といって先生は教室の隅に行ってしまう。生徒たちは車座になって憲法のどの条項を使って自分はどうしようかいろいろ考える。ある子は「我々には基本的人権がある、自分が会社を首になったらまず自分が食べられなくなる。家族も養えなくなっちゃう、これは自分と家族の人権が侵されたことになる。だからこれは基本的人権の違反で憲法裁判所に訴えられる」と発言する。ある人は「労働権というのがここに書いてある。クビになるということは労働権が侵されたことだ。これが使える」。などなど思いついたことをばんばんばんばんいうわけです。それが一通り出た段階で先生が、憲法や法律を使って勝った例を出すわけです。すごい実践的ですよ。コスタリカの憲法教育は、どう使うかということで、使い方は自分で探すという教育です。授業中にこれも使える、あれも使えるって、わーわー大騒ぎしながら、めちゃくちゃ面白い教育です。

現場の先生に教育の目的を聞いたら「この学校を卒業した生徒がその時点で自立できるようになることです」と。自立できるようになる、その手助けをするのが教育であり、教師の役目であるといっていました。いかに法律を使っていくか、この辺が日本で一番抜けているような気がします。

模擬選挙

コスタリカでは選挙をとっても重視してるんです。大統領選挙がある時に、その数日前に子どもによる模擬投票というのがあるんです。例えば高校が一校あるとしますね、その高校生たちが選挙管理委員会をつくり、その地区の、2,3の小学校の子どもたちを対象に模擬選挙をやるんです。本物の大統領選に立っている人に投票します。ここに1992年の大統領選挙の模擬投票の用紙があります。「子ども選挙」という1行を除いたら全部本物の大統領選挙の投票用紙で、選挙管理委員会が模擬選挙用に印刷した投票用紙です。こういう本物を使って模擬選挙をやる。幼稚園の子どもの時、大統領選挙がある時期に本当に投票してみるわけですね。そういうふうにして選挙が身近になってくるし、選挙が大切なんだという気持ちになってくる。

同時に、単純にどれでもいいから選べというんじゃないんです。選ぶからにはどの人がいいか子ども自身も考える。友達と議論する、先生と話す、家族の中で話す。家庭で親子で討論をするわけですよ。そういうことを選挙のごとに繰り返すわけですから、小さい頃から投票は大切だ、参加するものだ、参加するためには一生懸命討論して考えるものだとクセがついちゃうわけですよね。投票率は、ほとんど100%だし、この子ども投票の結果が本当の選挙でも合っちゃうので、マスコミが注目するわけです。子どもだけの発想じゃなくて親とも討論しているわけだからですよね。

軍隊を持たないことが資源――環境立国も目指す

もう一つこの国は環境立国を目指しているんです。エコツアーとか環境保全、森を守ろうというものです。この国でも、かつて熱帯雨林の伐採問題がありました。2、30年前は、熱帯雨林をばんばん切って、輸出して儲けていたんです。手っ取り早い現金収入になりますからね。その結果、国の7割くらい森がなくなった。国会で問題になり、結局その年から森の保全になる間伐以外は全部やめて、材木の輸出をやめたんです。

僕は一昨年、環境問題を取材しようと、首都近郊の「エコロッジ」に泊まったんです。山小屋に着いたのが夜中の12時くらいで、すごい雨にうたれながらホテルに駆け込んだら、フロントにいたおじいちゃんが僕のトランクを運んでくれ、次におばあちゃんが傘を差し掛けてたんです。翌朝になって、そのおじいちゃんが元大統領、おばあちゃんは元大統領夫人だと知ったんですよ。「ええっ」って僕は本当にびっくりしましたですね。

コスタリカはつい最近まで大統領は一期という決まりがあったんです。ロッジの経営者、元大統領、カラソさんが国連平和大学をコスタリカに誘致した人です。カラソさんは大統領を一期終えて、一民間人として社会のために尽くしたいと環境問題を考えた。自分の退職金で自然の大切さを知らせるエコツアーをやる山小屋-エコロッジ-をつくったんです。元大統領がトランク運んで、元大統領夫人が傘をさしてくれる国って、僕はそれだけでいい国だってその時本当に思いました。

南米の新しい風

今ね、南米ってめちゃくちゃ面白いですよ。何でこの地球の反対側の南米の話をするかというと、これが密接にいまの日本につながるから話をするんです。1999年以来、南米の大統領選挙で全て反米左派が勝利しています。99年に成立したベネズエラのチャベス政権、2003年のブラジルのルラ政権、同じく2003年のアルゼンチンのキルチネル政権、2005年ウルグアイのバスケス政権、今年成立したチリのバチェレ、これはチリ初の女性大統領です。そしてボリビアのモラレス、みんな反米左派ですよ。6月4日ペルーで選挙がありますけれど、これは決選投票でふたり立っていて、左派と中道左派ですよ。どっちにしたって左派で両方とも反米ですから、ペルーでも反米政権ができるんです。7月にはメキシコ史上はじまって以来の左翼政権が誕生します。なんでなのか。

90年代の南米は全て「小泉政権」だった。90年代の初めにソ連が崩壊し、世界中でスーパーパワーはアメリカだけになった。もともと中南米は「アメリカの裏庭」と呼ばれていてアメリカの影響が強かった。ソ連の崩壊で、もういよいよアメリカに頼るしかないというような気分になったんですね。90年代に中南米でできた政権はほとんど親米政権で、アメリカのいいなり政権です。この政権がやったことは「民営化」ですよ。国営企業を全部民営化します、水道局とか郵政公社ももちろん、全部民営化しちゃう、あらゆる企業は首切り、リストラですよ、それからさらに外資の導入ですね、外資って要するにアメリカで、アメリカの企業が入ってくる。スターバックス、マクドナルド。10年近く続けた結果、南米の生活、経済はめっちゃくちゃになりました。企業が黒字になるために、何割もの人をばーんと削っちゃうんです。

そんな結果暴動になり、2002年終わりのアルゼンチンなんかすごい暴動になりました。この国は2週間に大統領が6人替わり、結局左翼が政権について収まった。国民が次の大統領は違うやつ、アメリカにへいこらしないやつ、民営化しないやつ、こういうやつを大統領に選ぼうと90年代からなってきた、それがいまの南米の反米の正体です。いまの南米の反米政権は全部アメリカが作ったもんです。全部しっぺ返しでアメリカに返って来ちゃうわけです。

フジモリも後半は新自由主義で失脚

ついでにいうと日本では有名なフジモリさん。何でフジモリ政権がダメになたかも同じで、小泉になったからですよ。フジモリってね、僕はとっても縁がありまして、彼の最初のインタビューを1990年に新聞にのっけたのは僕なんですね。それから彼が大統領選挙に勝ったあとお忍びで日本にきた時にインタビューしたんです。日本に亡命した時、三崎でインタビューしたし、フジモリについて2冊本書きましたよ。

僕はね、彼の前半はすごく評価しているんですよ。彼が大統領になったこと自体がペルーの歴史で画期的なことだ。というのは、ペルーという国は人口比でいうと先住民の方が圧倒的に多いんですが、どんなに働いてもはい上がれない。それは左翼政党でも右翼政党でも全部そうだった。それに対してフジモリは、働いた分だけ上昇できる社会にしようといって訴えた。大統領になって最初の2年間に彼は1日に学校を5個つくったんですね。学校といっても寺子屋みたいなものですが、学校は学校です。そしてどんな地方にでも、救急車やバスが通れる道をつけたんです。だから貧しい人がフジモリを支持した、最初の6年は。ところが6年を過ぎて彼は民営化をやった。受け皿は何にも作らなかった。結局ひどい社会になっちゃったんです。その結果フジモリの支持はががっと下がり、国会議員の過半数がフジモリ反対派にまわった。この分でいくと国会で大統領罷免決議が出るというのを察知して、逮捕を逃れるために日本に亡命した、それが真相ですよ。フジモリの最初のあとの4年間は完全に独裁で、しかも小泉の手法の新自由主義経済だった。フジモリの失脚も、今の中南米、南米の反米化とまったく根っこは同じなんです。

反米大陸

そういうことで南米ではいま、完全に反米派が大統領になった。しかも、なった人を見ると面白いですよ。ベネズエラで99年に大統領になったチャベスは、カストロのお友達ですけれど、元軍人でクーデターを起こそうとして失敗して捕まった経歴の持ち主です。それからブラジルのルラという人、80年代の軍事政権の時に彼は労働組合のトップでゼネストを指示した人です。軍事政権下でゼネストをやるって大変なことですよ、暗殺覚悟ですからね。共産党以上に共産党的といわれていた人です。これが今大統領ですからね。彼はブラジルの東北地方の貧しい農家出身で、小学校2年までしか行っていないんですよ。彼は7~8歳の時に丁稚奉公に行ったんですよ。その後金属の工場をまわっているうちに労働組合活動を始めるようになって、組合活動のトップになった。この人は単にブラジルの大統領というだけじゃなくて世界の、第三世界の運動の中心にいる人ですよね。世界社会フォーラムを開いて、世界中からNGOが集まっている。この世界をどういうふうにしていけば本当に誰もがともに暮らせる、共生できる、そして持続できる、持続する発展ができる、そういう社会になるか、それを話し合うそういう場ですよね。

アルゼンチンはさっきいったようにすごい暴動が2週間続いた、その末に左派政権ができたんです。ウルグアイは、この国だけは左派政権はできないと昔からいわれていたところです。というのは南米のスイスと呼ばれていて非常に豊かなところなんです。これが、独立以来180年にして初めて左派政権です。アメリカの言う通りになるような指導者なんかいらないぞという怒りがそのくらいすごいんですよ。

それからチリ。この1月にチリの歴史上初めて女性大統領が生まれました。バチェレさん。この人の親父は実は昔空軍の司令官だった。チリの人が「9.11」と聞いて思い出すのは、1973年にピノチェトという将軍のクーデターです。このときチリは選挙で選ばれたアジェンデ社会党政権ですね。このクーデターを起こしたのはアメリカのCIAです。チリは民主的な伝統があり、クーデターに反対した軍人がとってもたくさんいたんです。「サンチャゴに雨が降る」という映画を観られた方はいますか? 当時空軍司令官だったバチェレ、この空軍司令官はクーデターに反対した結果、ピノチェト将軍に捕まえられて拷問で殺されました。その娘が今大統領ですよ。この人は社会党ですよ。

最後にボリビアですね。モラレス大統領は先住民です。ボリビアも今までの左翼政党の政権は全部白人だった。先住民で左翼というのはボリビアの歴史始まって以来はじめてですよ。この人は元コカ生産組合の組合長です。コカって、例のコカインという麻薬の原料ですが、地元の人はコカの葉を煎じてお茶として飲むんです。これをコカ茶といいます。このコカの葉っぱに化学薬品を入れると初めて麻薬になるんです。ところが麻薬にすると売れることに目をつけたマフィアが、ボリビアでできた葉っぱをとなりのコロンビアに持って行って(ボリビアには化学の技術がないらね)、化学薬品の小さな工場で麻薬をつくって、それをアメリカに運んでいる。アメリカはボリビアに軍隊を派遣して、親米政権でアメリカのいいなりですから、コカの畑を火炎放射器で焼き払ったり、ベトナムで使った枯れ葉剤を空中散布したんですよ、人間が下にいるのに。ボリビア人は怒ります。それはそうでしょ。もう一つ、ボリビアは首都が標高3800mにあるんです。コカを煎じたお茶を飲むと高山病の苦しさがなくなるという薬でもあるわけです。それで、コカの葉の生産組合長であるモラレス氏は怒っちゃってデモを組織した。どうしてアメリカの横暴を許しておくのか、そんな政府はいらない、こんな運動をしてきたんです。

彼はさらにいろんな運動をやった。ボリビアは天然ガス、銀、金と資源が豊富です。天然ガスを当時のアメリカべったり政権がアメリカにただ同然の価格で輸出したんです。アメリカの企業からリベートをもらって自分のふところだけ肥やして、ボリビアの資源をただ同然にアメリカにやっちゃった。これに対して国民が猛然と反対運動を起こした。その先頭に立ったのがモラレスさんです。

南米国家共同体

今南米は完全にアメリカに対抗する南米連合みたいなものをつくったんです。南部共同体というのがある。ちょうどヨーロッパのEUみたいなものです。例えばベネズエラは石油がとれる、ブラジルは鉄鋼がとれる、アルゼンチンは小麦がとれる、それぞれ安く融通し合い、助け合おうとなっています。90年代はアメリカとの1対1だった。ちょうど日本がいまアメリカとやっているのと同じです。今の南米は横の結束を強めている。南米の共同市場というのができて、やがて共同通貨をつくろうとか、EUそっくりになってきています。まあ、あそこまでトントンと話が運ぶとは思いませんけどね。去年、ベネズエラに南米共通のテレビ放送局をつくった。ちょうどアラビア半島のアルジャジーラみたいなものですよ。

米国に対抗し結束する南米

なんでかというと、アメリカが10年ほど前から南米の国々を巻き込んで米州自由貿易協定を結び、アメリカと中南米を全部まとめてアメリカの経済圏にしようとした。これはかなり進んじゃった。それに対して99年以来、どんどん反対の動きが起きて、今やもうそれから離れようという方向になっているんです。現にアメリカと自由貿易協定を結んでいるメキシコがそうです。これは94年にメキシコとアメリカは自由貿易協定を結んだ。メキシコで来月左翼政権ができる、なぜか。自由貿易協定の結果、アメリカから安いトウモロコシがなだれ込んできた。メキシコの主食はトウモロコシで、農民たちはほとんどトウモロコシをつくっている。ところがメキシコでつくったトウモロコシの値段よりもアメリカから輸入した値段の方が安いんです。これには「からくり」があって、アメリカは穀物を輸出する農民にはすごい援助をする。それでいながら、よその国に対しては農民に援助するなと言ってるんです。メキシコの農民は食えなくなった。畑を売って、街にホームレスとなって出るしかなくなった。ところが街に出ても仕事がない、しょうがないから大挙してアメリカに不法移民として入っていった。これが今アメリカで不法移民の問題になって、つい先日100万人デモがあった。これもやっぱりアメリカがつくったものなんですよ。アメリカの政策が中南米をめちゃくちゃにして、それがアメリカに跳ね返ってくるんですよ。簡単な原理ですよね。アメリカ人ってそこまで気がつかない。

ブッシュ離れするアメリカ

南米のうねりはおわかりでしょうか。その理由を見ることで日本への希望が出てきます。ただ違うのは、南米の人々はおかしいと思ったら行動を起こしたわけ、この辺が日本ではちょっと不安ですけれどね。そのためにも、政治家に任せじゃなく自分たちでつくりあげる社会だという自覚をしていないといけない。法律を日頃から使っている、憲法を普段から活かすということだと思うんです。

じゃあどう活かすのか。アメリカの連邦議会で、大統領に戦争を起こす権限を与える法案が通ったとき、たった一人だけ反対したバーバラ・リーという黒人の女性議員がいました。ブッシュの提案に反対するってものすごく大変だった。そういう中で彼女は敢然となぜ自分が一票を投じたかというのを説いて回ったんです。彼女はこう言ったんですよ「私はそんな勇気があるすごい人間ではない。平凡な人間です。でも、私がなすべきことは何か、その責任は何かを考えただけです。それがあの合衆国憲法を読み直すという行為につながった。そして憲法通りに行動した結果があの一票です」と淡々と言うんですよ。

もう一人、その頃アメリカで反テロ愛国法という法律ができました。これはテロリストを捜し出すために警察は誰でも電話の盗聴ができる法律です。つまり治安維持法です。カリフォルニアのパロアルトという街にFBIの職員が来て地元の警察署長に協力しろと言ったんです。この警察署長はなんと「ノー」と言った。理由は「警察署の役割は地域の市民を身体的に守ることであり、精神的に守ることである。よってたつ根拠は合衆国憲法である。盗聴は認められない。憲法違反である」といって彼はFBI職員を追い返しちゃった。こんな警察署長もいたわけです。そういう勇気ある人があちこちにいた。それが運動となってどんどんと出てきた。

たった一人の行動から始まる

あの2003年の3月にイラク戦争が始まる1ヶ月前、全米で大規模な反戦デモが起きました、戦争するなと。アメリカの歴史で戦争が起きて犠牲者が出てから反戦デモが起きるのはあったけれども、戦争が起きる前に大規模な反戦デモが起きたのは初めてです。そういう中でアメリカの雰囲気は今がらっと変わってきています。アメリカで戦争をやっているときの大統領を戦時大統領といいますが、戦時大統領の支持率って必ず7割あるんですよ、これが今3割切っちゃってます。なぜそうなったか。2003年2月に僕が住んでいたロサンゼルスの市議会が反戦決議を出しました。全米第2の都市がですよ。なぜか。戦争を始める頃になると国家予算のかなりの部分が軍事とか、テロ対策に使われていったんですね。その結果、戦争が始まる前から教育と福祉予算が削れられて、学校のトイレットペーパーがなくなっていく、教員がクビになる。すごいのは、シアトルである日突然刑務所から囚人が200人釈放されるんですね。刑務所の予算が削られちゃったからです。つまり市民生活にすごい影響が出ていたんですよ。だから市民は戦争が起きる前でさえこうだった、戦争が起きたらもっと大変だぞ、と思って反戦デモをやったわけです。

去年10万人ワシントンデモというのがありましたけれど、そのきっかけはたったひとりのシーハンさんという女性の呼びかけでした。この人は、イラクの戦争で亡くなった息子は、何のために死んだんだ、ブッシュ教えてくれ、とテキサスのブッシュの牧場の柵の外でハンガーストライキをやった。それに共感してその輪がふくらんでワシントンで10万人デモになった。行動しなければ世の中は変わっていかないんです。それはたったひとりの行動から始まるんです。自分の息子が死んだという個人的な理由ですよ。何も国家の大義のためじゃない、息子が、自分の息子が、それだけで良い。教えてくれ。その叫びがみんなに共感を呼ぶわけですよ。

対米追従は日本だけ

国会議員なら国会議員が、そして警察署長なら警察署長が、市民なら市民が自分が言うべきこと、果た

すべきことそれをすることによって、まわりの雰囲気を変えることをできるし、現にできた。ブッシュ政権の凋落は目を覆うばかりです。はっきりしているのは次になる政権はブッシュとは全然違う政権です。アメリカは今のやり方とまったく違う政権が数年後に誕生するわけです。中南米は完全に反米政権です。ヨーロッパをみるとEUというこれまたアメリカと一線を画してイラク戦争が始まった時、ドイツとフランスというEUの中核の2つの国はイラク戦争に反対いたしました。イギリスだけですよ、あの離れ小島の。そうするとヨーロッパもアメリカと全然別個の道を行く。

ヨーロッパもアメリカもそして中南米も、中国は中国で全然別個。そうするとアメリカに追従するのはいまや東洋のどこかの国だけだという、こんな結果になっちゃうんですね。小泉氏がなんでさっさとやめるかというと、そういうときにいたくないなと思っているからですよ。あの人は「いい格好しい」だからいい格好できるときしかいないということなんだろうと僕は思ってます。世界の流れは今や完全に反ブッシュ、反民営化ですよ、民営化とかリストラとか、それを良いことのようにやっていく、これを新自由主義といいますけれど何が自由かと思うんです。そういうことに対する反発が世界中に広がっている、それが現に政治に跳ね返っているのが南米の現状だし、アメリカに反発する、グローバリズムに反対して別のやり方をやるのが世界の潮流ですよ。そういうところに向かっているのがはっきりしている中で、日本だけ見ていると、ああもうこの世の終わりかと思っちゃう。

でも違うんですよ。地球は違う方向に行っていますよ、そこは確信した方がよい。ただ、それをこの日本でやるのは、ほかの国の人がやってくれるわけじゃない、この国を変えるのは、この社会を変えるのはわれわれだけだということを言って終わりにしたいと思います。

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いせ発!「平和憲法九条を守る署名 始まりの会」報告

いせ九条の会 栗田 淳子

私たち「いせ九条の会」では、上記の賛同署名に取り組み始めました。九条を守りたい想いは強まるものの、なかなか一般の人に伝え切れていない現状を打破するために、「押し掛けてでも話し込まなきゃ、護憲は広まらない」とスタートさせました。

5月28日の署名「はじまりの会」では、高田さんに「改憲をめぐる最新情勢」というタイトルでお話を頂きました。内容は、「日本国憲法の改正手続きに関する法律案」=「国民投票法案」のたくさんの問題点。日米首脳会談で日米安保条約が再定義され、アメリカの全世界的な戦略に取り込まれる危険性。九条を骨抜きにする「派兵恒久法」のこと。小泉だけでなく、米英主導で世界各国が進めた「新自由主義」は、福祉や生活をダメにし、今は南米・欧州でその反動が起こっていること。そして、会場からの質問「自衛隊が自衛軍に変わったら、何が変わるのか」についての答えなどなど。メデイアからは掴みきれない国会内外の攻防や、日本だけではなく世界の動きの中での分析、新しい視点での指摘に一段広い視野から九条を捉え直すことができました。最後に紹介された「徴兵は命賭けても阻むべし、母・祖母・おみな 牢に満つるとも」という石井百代さんの短歌が印象に残りました。

長年平和を追求し続けた高田さんの言葉は揺るぎがなく、冷静な分析と熱い想いだ伝わりました。希望を持って運動の未来を語っていただき、署名運動のスタートに大きな力を頂くことができました。

参加された伊勢市連合自治会会長さんも同じ思いを持たれたようで、挨拶の中で、「連合自治会の会議にかけたい」と決意を語って下さいました。この発言には、あいさつを頼んだスタッフも驚きました。自治会が動いてくれれば・・とみんなが勢いづき、大きな拍手が起きました。

また、「戦争の作り方」(根岸季衣さん朗読)のビデオも上映しました。この絵本と根岸さんの朗読が訴える力も大きく、始めての方にも良く理解してもらえたのではないかと思います。

そして、11日に始めての統一行動をしました。団地一軒一軒を訪ねての戸別署名です。すでに九条や改憲のことを知ってる人は、署名率も高かったのですが、私の担当の所は、反応が悪かったです。九条も改憲の動きも知らない人、「九条の文章は変えられない」と誤解している人、内容も聞かずに断る人など。今までの環境運動での署名以上の難しさを感じます。署名用紙と九条や改憲についてのQ&Aを使って説明を広めています。

たいへんですが、国民投票直前では周り切れないので、今始めて良かったと思っています。

署名は、伊勢市有権者の過半数を集めるまで続け、署名数を新聞などに公表します。いろいろな形で、各地で過半数が押さえられれば、改悪の動きは止められると思います。

目標が定まったので、あとは動くだけ。署名を通じて、九条を語り護憲の議論を広めることと、国民投票の時に核となる護憲勢力・人をつなげることを目指します。と書くと硬いけど、今回の連合自治会長さんの例のように、同じ思いの人と出会え、共鳴し、つながることを楽しみながら、広げていきたいと思います。伊勢からのささやかな動きですが、ねばり強くやっていこうと思います。がんばりましょう。  

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