私と憲法61号(2006年5月25日発行)


緊急声明 憲法改悪のための国民投票法はいらない~与党による法案強行上程に抗議する

憲法9条の改悪をねらう自民党は「国民投票法」案の3党共同提出に失敗するや、与党だけで23日にも法案を作成し、来週中に提出するよう方針転換をした。その上で、民主にも対案を出させ、それへの更なる妥協も含めて修正協議で法案の成立をめざしている。

中山憲法調査特別委員長(自民)らは与党と民主党の主な意見の乖離は3点で、・国民投票の対象範囲(一般的国民投票を含めるかどうか)、・投票権者の範囲(20歳以上か、18歳以上か)、・投票用紙への賛否の記載方法(賛成○、反対×とし、有効投票の過半数で決するか、賛成○とし、投票総数の過半数で決するか)に絞られているなどととしており、マスコミも大方このような評価である。

しかし、これが自公による「日本国憲法の改正手続きに関する法律案(仮称)・骨子素案」の問題点の全てではない。それどころか主な問題点の全てでもない。特別委員会の議論の中でも社民党、共産党からは多様な問題が指摘されているし、日弁連をはじめ、市民運動など各界からも多くの問題点の指摘がされてきた。民主党案自体が重大な問題を多々含んでおり、まだこれらの問題点がほとんど「全国民的」な議論になっていないのである。これらの膨大な問題点が中山氏のいう3点に矮小化され、取引されるとすれば禍根を後世に残すことになる。

与党案は言うまでもなく、民主党案にしても多様で重大な問題が数多くある。与野党それぞれの案で問題になるのは、・投票権者は民主のいう18歳でも問題はないか。15歳でいけない理由は何か。定住外国人は切り捨ててよいのか。・過半数の分母は投票総数か、有権者数か。まして与党のいう有効投票総数などは論外である。・投票期間は民主の60~180日にしても極めて短すぎる。・やはり国民投票の成立か不成立かの基準としての最低投票率の規定は必要だろう。・「改正案広報協議会」の構成のありかたの問題。・与党は投票方式で抱き合わせの「一括投票」は撤回したようであるが、「関連する事項」でくくられるという問題は残っている。・運動の規制で、公務員・教員の「地位利用」にかこつけた弾圧の危険性の問題。外国人の運動規制の問題。・報道機関の「自主規制」の名による権力の干渉の危険性。・政党のテレビ放送、広告の国庫負担問題。カネさえあれば無制限のテレビ、ラジオ広告の問題。・国民投票無効の裁判の問題、などなどである。

これらの重要問題が国会の一部政党間での党利党略の取引で妥協され、修正案が作られるようなことがあってはならない。

そして何より、与党がなぜこうも急いで法案の成立をねらうのか。与党議員がいうような「立法不作為」の解消のためなどではさらさらない。今国会でも問題になっている米軍基地再編の動きにも見られるように、そこには一刻も早く、日本を世界的な規模で米軍とともに戦争のできる国にしようとする9条破壊のねらいがある。やはり私たちは「憲法改悪のための国民投票法はいらない」との主張から一歩も引き下がるわけにはいかない。
2006年5月18日

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2006年5月3日 憲法集会
作り上げてきた広範な共同行動の力が試されるとき

59回目の憲法記念日は自民党与党が、憲法改悪のための「国民投票法案」、「教育基本法」の改悪案、「共謀罪新設案」の成立を狙い日増しに圧力を強めるなかで迎えることになった。人々の危機感はこれまでになく高まり、集会開会時間前にはすでに日比谷公会堂の1階、2階席は人で埋められ、会場の外に設けられたオーロラビジョンを見ながら参加した人をふくめ4000名を超える人びとが集まった。発言者の話に熱心に聴き入りながら、プログラムのなかほどで<ミユージカル・ギルドq>によるQちゃんサンバの歌と踊りで肩の力を抜き、宮城(きゅうじょう)と九条を掛け合わせた巧みなコントは会場を笑いに包んだ。

高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)は開会挨拶で情勢と、5・3実行委員会が作り上げてきた共同行動の意義を確認し、5月19日に再度の集会と行動を提起した。

各界からの発言はまず「日本国憲法について思うこと」としてジャン・ユンカーマン(映画監督)さん。
日本国憲法で一番大事なのは「交戦権を認めない」ということですが、自民党はそこを消して日本を海外で戦争できる国へもって行こうとしている。だからこそ改憲問題は国際的な問題だということです。いろいろな歴史の解釈ができるが日本の第9条があるかぎり、日本は二度と戦争を繰り返さないことを誓っていることになる。第9条を弱めることになるとその誓いを放棄することになります。何よりも広島、長崎と原爆体験をし、戦争のむごさを判っているのが日本だということ、もう二度と戦争をやらないと誓っているのは世界的に有名なのです。また戦争の出来る国になってしまうのは世界的に絶望になってしまうのです。

一年前に僕が感じたのは皆が憲法が変えられるんじゃないかと恐れ必死になって心配していたことです。しかし一年経ってだんだん態度がかわってきた。俺たちの力で止めることができるのだと変わってきた。いろいろな九条の会があって憲法を考える会が何千ヶ所あったり、人が集まって憲法や平和のことを考える機会になったことは戦後60年で初めてではないでしょうか。憲法を勉強すればするほど憲法を変える必要がないという確信が強くなるのです。世論調査をみて思うのですが、改憲側の勢力はもうピークは過ぎているのではないか、これ以上は広がらないと思うのです。

つづいて、東本久子(教育基本法「改正」反対市民連絡会)、大野芳一(新横田基地公害訴訟団)、 笹本潤(グローバル9条キャンペーン、日本国際法律家協会)など各界からの発言があった。
集会のゲストスピーカーとして、環境問題で活躍している富山和子さん(立正大学名誉教授)が発言した。

今年は大変厳しい年です。信じられないような恐ろしい法案が目白押しです。「国民投票法案」、また「共謀罪」、教育基本法の改悪などです。いま「愛国心」といいますが、国を愛する心だったら私ほど愛国心を持った人間はいないとおもいます。お米を愛しているのですから。私はいつも言ってきました。日本人が世界に誇らかに言えるものは2つ。1つは平和憲法、もう1つは木を切っても植えついで緑を絶やさなかったこと。世界の奇跡です。飢えていたけれども敗戦から最高に輝ける時代、憲法と教育基本法のおかげです。もうこれで戦争もない、民主主義で自分たちの国を造って行くということで燃えていた時代です。

戦争は人を殺したり家を焼いたりするだけでない。例えば日本列島の森林が最も破壊されたのが戦争だった。松脂をとるため根っこまでとったので禿山だらけになりました。戦後ちょっと雨が降れば死者何千人の水害だった。伊勢湾台風の時は5000人以上が死んでいます。そういう列島をいまの緑の列島に変えたのは山村の人たちです。苗木を背負って登山して一本一本植えていった。それは山村の人たちは、もう戦争はない平和になったと希望に燃えていたのです。一本植えても50年80年かかる。いま私たちは植林のお蔭で水が飲める。経済が立ち直ったのも土台に9条があるからです。外に対しては9条は日本の顔になった。日本は大変ひどいことをやってきました。でも、永久に戦争をしないと約束したので、被害を受けた近隣国の人々は日本は変わったのだと認識してくれ、信用が取り戻せたのです。だから時代が変わったなどと簡単に言ってほしくないのです。

環境、福祉をみなさん勉強したいという。福祉の最大の敵は戦争です。福祉は環境につながり、福祉を得るなら戦争に反対しなければ。防衛庁の元幹部の小池清彦さんがこういっています。「もしも9条2項がなかったら朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、みんな駆り出されたのですよ」と。憲法の精神は美しいから読めば読むほど姿勢が正されます。世界中の人々の憧れが日本国憲法です。

つづいて韓国から来日した李俊揆(イ・ジュンキュ 民主労働党平和軍縮運動本部政策委員)さんの発言があった。
私は日本の平和憲法改悪に対し共同して対応するために、韓国の平和団体を中心につくられた市民連絡会のコーディネーター役をしています。この連絡会の目的は韓国市民に、何故韓国の人々が日本の憲法改定の問題に関心を持つべきなのかを知らせていくことなのです。韓国では日本の憲法9条に関してわかっている人はいません。もう一つの目的は日本の平和憲法の理念を韓国に紹介し、韓国のなかにそういう理念を拡大していくことです。

昨年11月、日本と韓国の市民団体の共同声明が出された。そのポイントは・日本の憲法9条は過去に対する反省と和解を示したアジアの人々への約束であること・平和憲法はこれまでアジアと日本の信頼関係を維持する基盤であること・平和憲法は日米同盟、韓米同盟の一体化によって起こる東アジアの緊張を克服して軍事力によらない平和のアジアをつくりだすことが大切ということです。

日本の平和憲法は戦後冷戦に入った国際情勢と東アジアの状況にあってそれほど歴史清算ができなかったが、日本と東アジアの間に不安定ではあるが最低限の信頼関係をつくるようにしたのは明らかです。憲法改悪はその最低限の信頼関係を崩すことになるでしょう。しかも日本の改憲勢力は靖国神社参拝や歴史教科諸問題を起こしている勢力と重なっている現状は、周辺国からみると問題です。私たちは日本で全国的に広がっている憲法改悪反対運動と連帯し同じ課題にとりくんでいる市民団体は力を合わせ発信していけば出来ないことはないと思います。

日本共産党委員長の志位和夫さんは次のように語った。
憲法を護ることはアジアの人々に対しても私たちの責任であると感じています。小泉首相が決っていうのは「憲法を変える目的は、存在する自衛隊を憲法に書き込むだけです。海外での戦争など毛頭考えていない」と。しかし憲法を変えて自衛軍を持てると書いたらどうなるか。「在るものを書き込む」だけではすまない。日本が海外で戦争できる国に変えられてしまう、ここに狙いがある。昨年11月自民党は「新憲法草案」を発表しました。これは9条の2項を削除し、自衛軍を持つと明記しただけではありません。自衛軍の任務として国際社会の平和を確保するために国際的に協調しておこなわれる活動への参加を明記している。

日米両国は米軍再編の「最終報告」をきめアメリカは「日本国政府による地元との調整を認識し再編案の実現可能であることを確認した」と、徹底して実施をいうが何をもって地元との調整というのでしょうか。米軍再編の目的は基地強化だけではありません。米軍と自衛隊が共に戦争に乗り出す体制をつくることです。

いま国会では「国民投票法案」の審議を進めていこうとしている。これは無色透明な形式法の協議ではなく9条改悪のための投票法という黒い意図を持った法案でありこれを防ぐ為に力をを合わせていくことを強く訴えたいと思います。もう一つは「教育基本法」。与党が出しているのは、現行法が禁止している国家権力による教育内容への介入を公然とする内容がもりこまれている。改悪を許さないとりくみを共にやっていきましょう。

社民党党首の福島瑞穂さんは次のように語った。
自民党の「新憲法草案」の前文には「国民は国家と共同体に対し愛情と気概と責任感を持つように規定しています。愛国心を憲法のなかにもうけているのは世界でも稀です。国民に「俺を愛せ」という憲法、こんなものは近代憲法は認めません。「新憲法草案」ではなんと言っても9条が最大の問題です。国会の承認なく自衛軍を海外に出し武力行使をすることも合憲とするものです。多くの憲法違反をやってきた自民党政府のたった一つだけ出来ないことがある。自衛隊を海外に出し米軍と一緒に戦闘をおこなう、これはあの小泉首相も出来ない。自衛隊をイラクに出す時も「戦闘にいくのではない、行くのは非戦闘地域、多国籍軍の指揮の下には入りません」と言わざるを得ませんでした。9条がなければイラクのファルージャで沖縄の海兵隊と共に市民を殺し爆弾を落としていたでしょう。憲法9条の効用です。また見落とせないのは「憲法草案」には「過去の戦争の反省」が削除されていることです。これはアジアに公約したことです。

いま国会で問題になっている悪法があります。「凶暴罪」、現代版治安維持法です。与党の修正案によっても労働組合、市民団体に適用される中身となっています。「教育基本法」の改悪案がある。99年の「国歌・国旗法」成立後年々、学校現場はすさまじくなり処分者が出ています。「教育基本法」改悪で、小学校で国を愛する態度を評価するなどできるのか、愛国心がないといって人を差別し排撃していく社会がこようとしています。子どものための教育が国家のための教育にしてはならないのです。
憲法9条を改悪するための「国民投票法案」は、いま衆議院の特別委員会で協議が続けられまだ国会に上程されていませんが、いつ上程されるかわからない緊迫した事態を迎えています。これは抽象的な国民投票法ではなく、9条を破壊するためのものです。絶対に成立させてはいけないのです。
集会後、参加者は銀座をデモ行進した。 (H・Y)

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第11回市民憲法講座
「沖縄の現在を考える~米軍再編・基地強化の中で

新崎盛暉((沖縄大学教授・市民連絡会共同代表)

(編集部註)4月22日、市民憲法講座で新崎さんが講演したものを、編集部の責任で大幅に要約したものです。文責はすべて編集部にあります。

在日米軍再編は世界的米軍再編の一環

いま連日新聞で報道されているのは、辺野古の基地が、滑走路はどっちを向いているかとか、どう合意するかという話です。問題なのは、この在日米軍再編協議が、「中間報告」として発表された文章、「日米同盟 未来のための変革と再編」という、タイトルを持っていることからも明らかなように、米軍基地の形や配置の問題-これも含んではいますけれども-よりもこれは、世界的な米軍再編の一環であって、日米の軍事的一体化をおしすすめようとするものである、ということです。この世界的な米軍再編は、米軍のトランスフォーメーションと称する様々な、基地の再編成だとか、核兵器の開発だとか、色々なものの一部としての同盟国と米軍の配置結合関係をどう再編成していくかということにつながっているわけです。それは、アメリカの権力中枢の世界支配の野望、アメリカが望む世界的秩序の維持・強化を、軍事力を背景にしておしすすめる野望の表現であります。同時に、アメリカ単独ではそれができなくなっている、ということを明確に表明している弱点の表現でもある、という具合にとらえておかなければいけないだろう、と思います。

さらにもうひとつの特徴としておさえておかなければいけないのは、在日米軍再編協議は、いわゆる安保再定義の次のステップ、新しい段階である、ということです。いわゆる安保再定義というのは、1996年のクリントンと橋本による「日米安保共同宣言」で具体的に表明されたものです。これは、これまでの東西冷戦対応型の日米同盟を別のかたちする。アメリカの一極支配に対応できるものとして、日本が、「ソ連などから攻められた時にアメリカと一緒に防衛してもらう」という建前による安保の性質を基本的に定義しなおそう、ということがここから具体的に出発していると言っていいだろうと思います。

安保再定義の次のステップ

それからもう10年がたちます。その間に、ブッシュ政権や小泉政権の成立がありました。2002年の末に、在日米軍再編協議始まっています。ただこの時には、明確にこれを始めるというかたちで始まっていたわけではありません。これは日米安保協議委員会、いわゆる2プラス2に始まるということを去年の中間報告「日米同盟 未来のための変革と再編」に明記されているわけですから、まあそこから、新しい段階の協議が始まっている。で、日本政府はこれが始まっているということをひた隠しにしていたわけで、そこでもう一度あらためてしきり直しをやるのが2005年の2月19日の日米安保協議委員会。ここでいわゆる共通の戦略目標を明らかにする、などということになっていくわけです。

つまり、在日米軍再編協議というのは安保再定義の次のステップである、というのは、そういう意味だということです。10年前に冷戦対応型から一極支配型へ対応する(ように)日米同盟が変質していく、その中で再編協議というもので、去年の10月末の文書が明らかにしているのは、次の段階に進むのだということを、明確にしている、ということだろうと思います。

それで、96年の日米安保共同宣言によって、安保再定義がなされた。この安保再定義の中味でいえば、後方支援体制の整備、つまり新ガイドラインを策定し、それを周辺事態法というようなかたちで法制化し、というようなものが日本とアメリカとの関係、あるいは日本の中では着々と進んでいく。地方分権推進一括法の中では、米軍用地特措法の大改定が行われていることもあります。

進んだ日本の後方支援体制、停滞したSACO合意

そして、9・11に対応するための対テロ特措法の制定だとか、自衛隊のインド洋への派遣だとか、アメリカのイラク攻撃に対応するイラク特措法だとか、いうようなのが-これは「特措法」としてですから、安保再定義が、それ自体として想定したものとは必ずしも言えませんけれども、そういうものが着々と進んでいるけれども、沖縄基地の再編というのは、いっこうにすすんでいない。その象徴的な位置にあるのが、「普天間代替施設」と称する辺野古への新基地建設の問題です。これを、市長や知事に納得させる、そして市長や知事を抱き込んでもなおかつ住民、市民の抵抗にあってこれが停滞をしている。辺野古だけの問題ではありません。面積的に一番大きなものでいえば、海兵隊の北部訓練場の半分を返還するというのがSACOの合意の中にあります。「沖縄の基地縮小」と称するものの8割はそれなのですけれども、これは、北部の返還するところにあったヘリポートを南部に全部集約するというような条件が出ていて、これが住民の抵抗によって実現していない。象徴的なのは辺野古ですけれども、SACO合意という形での米軍基地の再編はまったく進んでいない、という状況が、一方であります。

後方支援を超える軍事的一体化へ

 そういう中で次のステップを始めざるを得なくなってきたわけです。それが、「日米同盟 未来への変革と再編」に組み込まれている「共通の戦略目標」です。日米同盟というのはもう、地域と世界をにらんだ同盟関係なんだというようなのがあり、安保再定義の段階までは、アメリカの軍事行動を「後方支援」する、というのが日本の主たる役割であったのが、その「後方支援」という部分をこえた軍事的一体化、つまり「共に戦う」という方向へ展開をしようとしている。そのために日米合同の司令部をつくるとか、基地・情報の共有化、共同使用をはかるとか、こういうことが大きく出てきているわけです。その関連で基地問題が、日本政府がこれまで沖縄に閉じ込めておきたかった基地が、全国的に拡散せざるを得ない状況が出てきます。

沖縄基地の役割変化

 次に沖縄基地の役割です。一つは軍事的な役割であり、もうひとつは政治的な役割でもあります。まず最初に、沖縄の基地の米軍時戦略上の相対的な価値の低下です。例えば一番新しいQDR(四年期国防見直し。米軍戦略の指針、節目の時期に基本戦略・兵力構成の妥当性などを検討)-などでは、アメリカの基本的な戦略目標はあくまで米本土の防衛である、それから、長期にわたる対テロ戦争の展開が必要だ、ということになってきているわけです。それに応じて米軍を再編成しよう、という場合に、東西冷戦対応型の、あるいは中国を封じ込める、などという目的を持っていた60年代の沖縄の基地とは、基地の役割というのが大きく変わってきていて、そういう意味では、相対的には、沖縄の基地のアメリカの軍事戦略上の価値は低下してきている。

しかし、政治的には、非常に利用価値は依然として高い。また高めておくことによって、これを色々な政治的取引材料とすることができる、ということがあります。この新しいQDRなどにもふれられているのは、例えば具体的な国の名前があがっていて、中国とかインドとか、そのなかでインドはパートナーで中国は潜在的な対抗勢力、というような位置づけがなされていたり、日本や韓国、特に日本などを、重要な同盟国としてあげている。沖縄の位置からいうと、特に中国の潜在的脅威をあおることによって沖縄の基地の相対的低下をある意味では防いで、その利用価値を高からしめようとしているという動きがあると思います。

高い沖縄の政治的利用価値

辺野古への新基地建設というのは、言うまでもなく、新基地が必要なのであって、それは「普天間代替施設」などというものではない、ということをまず第一におさえておく必要があると思います。普天間の基地は既に老朽化した欠陥基地なのであって、アメリカにとっても使い勝手が悪い。で、これをいわば返還する代償としていかに高く売りつけるかということが、この間試みられてきたことです。例えば普天間の軍事機能を即時停止したからといって、アメリカの軍事戦略上の致命的打撃になるわけではない。にもかかわらず、普天間基地は危険だ危険だと一方で強調しながらこれを自由に使い続けてきている。これは、欠陥基地をいかに高く売りつけるかということと密接に結びついてくるわけです。

たとえば、今回の再編のなかで、沖縄の海兵隊を7000~8000グアムへ移す、というようなことが強調されています。嘉手納南部の基地の相当分を返還するとか言われてもいます。そのことは「沖縄の負担軽減につながるであろう」ということで、辺野古新基地には真っ向から反対している稲嶺知事なども高く評価する、ということになっています。しかしアメリカが、沖縄住民の負担軽減のために海兵隊をグアムに引き上げようとしているのかどうなのか、このことをきちんとおさえておく必要があるだろうと思います。

海兵隊をグアムに、特に司令部を移すというのは、いずれ沖縄の海兵隊を引き上げるということも含んでいないとは言えないのですけれども、それは「住民の負担を軽減する」ためではなくて、グアムとか沖縄とか日本本土も含めた在日米軍基地、あるいは日米共同使用基地の再編成をいまアメリカは着手している。その時に、グアムへの基地建設のために、日本に、途方もない経費の負担をさせようとしている。それを正当化する論拠は何か。「沖縄の住民の負担軽減」です。これだけ(沖縄住民に)負担を負わせてきた。だから、その負担軽減のためにこれぐらい経費を負担するのはやむを得ない。アメリカが要求する根拠にもなるし、日本が金を出すことを正当化する根拠にもなる。彼らが、沖縄住民のためにグアムへ兵隊を引き上げるなどということがあり得るだろうか。

60年間の歴史を位置づける

60年間、沖縄の基地は存続してきているわけです。その間沖縄住民の闘争がどのように展開されてきたか。その時に、アメリカ側が、住民の立場にたって何かを考えてきたことがあるのか、ということです。そのへんを例えば単なる新聞記事に惑わされることなく、歴史がどのように進んできたのかを私たちは客観的に整理をしておく必要があると思います。沖縄の現在(いま)は突如として出てきたわけではない、これは60年のタテの歴史とか、ヨコの広がりとか、そういうものの中に位置づけられている。そのためにこの『沖縄現代史 新版』というのをぜひ読んでほしい。それがベースになって今がある。沖縄で戦争があった。沖縄が米軍政下に27年間もおかれてきた、そして沖縄返還というのはいったい何だったのか。本当にこれも住民のためだったのか。たしかに米軍政下から抜け出そうという、その道を日本復帰という方向に選択したのはまぎれもなく住民でした。ただ、そういう住民の運動におされていった最後に、彼らが、もう沖縄を維持できなくなった時に、彼らの立場で考え出した沖縄返還のありようというのは一体何だったのか。そういうことを踏まえて、安保再定義もあり、SACO合意もあり、そしていまの米軍再編というものもあるのだ、そういうとらえかたをしてもらいたい。

沖縄のために海兵隊を引き上げる?

そういう重みがあって現在があるわけですから、アメリカが、この間の歴史のなかで、住民のことを考えて、負担をどうやって軽減しようかと、ことを起こしたことなどはあり得ない。沖縄返還もそうです。沖縄返還が行われようとした時に、嘉手納に常駐していたB52を撤去させるためのゼネストが行われようとした。当時の琉球政府、これはは革新主席・屋良朝苗さんが中心で、これは大衆運動の高揚の成果の一つとして存在した訳ですけれども、その時に日本政府は、彼に対して圧力をかけた。いま沖縄を返還してもらうために一生懸命交渉をしている。米軍基地の維持に不安を与えるような事態が起こると、米軍部の反対によって沖縄返還がダメになったり、あるいは遅れたりするおそれがある、ということだったんですね。それで結局この2・4ゼネストは、屋良主席の「耐え難きを耐え」という、住民の気持ちはわかるけれども中止してほしいという呼びかけで、崩れるわけですね。

沖縄返還がどういうものであったのか。返還後の現実が明らかにしている。アメリカが、当時のベトナム戦争の泥沼のなかで、沖縄を単独支配することができたか。基地労働者の大量解雇ができたか。軍用地主に膨大な軍用地料を払ってこれを懐柔することができたか。日本政府の金で基地を整備することができたか。いずれもできなかった。彼らは沖縄を、手放さざるを得なかった。しかしこれは、住民の願望を尊重して、住民の願いにそって沖縄を返還する、だから高く買え、というのであの密約問題などで、核の密約ともうひとつの密約が最近またクローズアップされていますね、あの西山記者の問題。あるかないかもわからないのに膨大な核の撤去費用を払っている。米軍基地の整理・縮小とか、海兵隊の整理・縮小というのは行われています。アメリカ軍の必要に沿って。

もうひとつだけ例をあげると、ちょうど90年代の中頃に、ずっと復帰後一貫して激しい闘争の対象にされてきた、県道104号線越えの実弾砲撃演習というのがある。これがちょうど95~96年のさなかに、「沖縄県民の負担軽減のため」に本土に移転されるということになりましたね。矢臼別から日出生台まで分散移転した。これは住民の負担を軽減するためだったのか。70年代から行われていたあの演習はすでに手狭な沖縄で行うことは出来なくなっていた。だから沖縄ではできなかった夜間演習、沖縄でやっていたときの射程距離は2倍になる。沖縄ではできなくても北海道ではできる。ということですね。しかし、アメリカ軍が訓練にかける経費その他、それから受け入れた自治体への対策費、すべてこれは「思いやり予算」その他で、日本が負担しているわけですね。

アメリカの沖縄は既得権という意識

ちゃんと歴史的に立証されてきて、その延長線上にグアム移転の話はあるのです。彼らは彼らの必要性で、対テロ戦争とか東西冷戦型への基地配置から、違う基地配置への移行のために、座間、横田、岩国をどうする、普天間はもう老朽化して要らないけれども、まあ、沖縄には、直接いま中国との問題が起こるわけではないけれども、これをまったく要らないなどと言うと辺野古の反対闘争を奨励するようなことになるとか、反対運動に屈服した印象を与えることになるとか、そういうことも全部計算に入れてますね。そして、ただ負担軽減はやりますよ、だからお金も出しなさい、ですね。
確かに、95年2月の日米安保協議委員会では、その中では、「抑止力の維持と、沖縄など地元の負担軽減」という言葉も文章上は入っています。ただ、アメリカ側の交渉当事者は、一方でははっきりと言い切っていますね。「抑止力の向上こそが問題なのであって、負担軽減は副次的結果に過ぎない」と。自分たちの都合のいいような配置をやってみたら、ここの人たちは負担軽減になり、ここの人たちは負担過重になる、というだけの話。そのへんが政治的利用のところが、なぜ辺野古新基地か、の問題で、アメリカには既得権という意識があります。

日本は将来的対中国軍事拠点

日本も中国の脅威を言い始めて、それを軍事力強化のひとつの根拠にしています。「北朝鮮の脅威と中国の潜在的脅威」。辺野古の基地は、できあがる頃には自衛隊の基地になるかもしれない。あるいは米軍基地になっても、共同使用その他の中で、自衛隊に移行されるかもしれない。それだったら高い金出して作っておいても意味があるか、と考えている部分が、日本政府全体ではなくても、その部分は、間違いなく存在していると私は思っています。

この間、非常に重要なことは、2004年の防衛計画の大綱以降ですけれども、南西諸島有事防衛ということがやたらにクローズアップされています。2005年のあの、何万人を沖縄に移動する「南西諸島有事対処方針の報道(1月16日)」というのはおそらく防衛庁からのリーク記事です。同じ年の、「伊良部町議会自衛隊誘致決議(3月16日)」3月25日に撤回、というのがあります。これは住民の反対で撤回したわけですけれども、この背後には明らかに、自衛隊の動きがあります。この伊良部町の下地島には、民間航空のパイロット訓練所としての整備された飛行場があります。そして今年初めて、自衛隊がアメリカに出かけていって、海兵隊と一緒に離島防衛のための共同演習(2006.1.9~27)をやっています。これは朝日新聞など全国紙にも載っているものです。

アメリカ側のは「既得権」というのは、沖縄戦で自分たちが獲得した、その権利の上にいまだに立っている、そして少しずつはそれを利用しながら、利用の仕方は色々変えてきていますけれども、そもそもの出発点が基本的にあるということです。だから沖縄返還の時も高く売りつける、基地を撤去する時にも高く売りつける、というのは当然の論理として彼らのなかにひそんでいる。日本側は、それを対沖縄というかたちと対米という両方の政治的意味で利用している。

これまで日本政府は一貫して、沖縄に米軍基地を封じ込めるという政策をとってきました。それが、日米安保は、在日米軍基地と同居する問題である、という基地問題の全国化を防いできたわけですね。それで基地の問題は、三沢とか岩国とか厚木とか、局地的な問題になって、重層化している基地問題は、すべて「沖縄問題」と呼ばれてきたんですね。これが韓国の基地問題とおおいに違うところです。

なぜ(辺野古に)舞い戻ったか

 そういう中で辺野古の新基地が作られようとしている。しかし結局、辺野古沖にできなかった。というのは、これは反対運動も勿論ですけれども、彼ら自身あんなところにできる、色々住民の感情とかそういうのから、住民の居住地域から遠くへというような主張や県の位置とかいろいなことがあって、あそこに作ることになったけれども、机上の空論に近い部分も、現実にいろいろな面で直面せざるを得ない。台風の問題も何も、具体的に直面してみて知った問題というのはおそらくたくさんあるはずです。あそこは、米軍の「提供区域」ではあっても「制限水域」ではない。制限水域というのは色々な種類がある。日常的に制限されているところ。中には入っていけるけれどもこういう時にはできない、というところ。「5・15メモ」にちゃんと書いてあるんですね。そこまで我々がきちんと丹念に読んでいなかったという問題があると思うのですけれども、辺野古沖にはずれてしまうと制限がないので、反対運動等に彼らとしては対応しにくい、というような問題もいろいろある。

「なぜ(辺野古に)舞い戻ったか」には2つ理由があって、地元の建設業などを中心とする誘致派の動きもあります。それは、関東一坪の(機関誌に載せた)文章の中でも、「なぜ三度(みたび)舞い戻ったか」の中の、第3要因としてあげてあります。しかしそういうのがなかったら、こなかったのか。必ずしもそうではないと思います。アメリカはできるだけ、利用できるものはトコトン利用しようとするわけですから、そういうことで今回の問題になった。

今回、「あの沿岸案はいかにもひどすぎる」というのがある意味では一致した、これまで基地を受け入れてきた人間たちが言ってきているわけです。たとえば稲嶺知事。「辺野古沖以外であれば県外だ」と彼は言っています。彼らはとりあえず日本政府と何年も協議をしているわけですから、名護市長も入れて、苦渋の選択として決定した。しかし、一言の断りもなしに突如としてどうしてここにくるんだ、これはダメだということでこっちになったんじゃないのか、というのが、彼の論理ですね。

一昨年の9月、再編協議の中で米軍は、もっと日米の軍事的一体化という問題を重視していて、辺野古それ自体にはそれほどの力点が置かれていなかった頃、2004年9月21日の日米首脳会議がありますけれど、このへんで、アメリカとの軍事的一体化、日米同盟の再編強化を日本政府も公然と認めざるを得ないという動きのなかで、沖縄に基地を封じ込めておくことが不可能になってきます。「辺野古の県外移設もありうる」みたいなことを小泉自身が言ったりしはじめるのがこの時期です。この時期から2005年の初めくらいの段階で、ちらちら出ているわけで、色々な取引材料の中にあった。しかし軍事的一体化とか「共通の戦略目標の確認」がどんどん進んできて、地元でも「基地が全部なくなったら振興策はどうなるんだ」なんて動揺しているというのを見すまして、今の新しい提案が出てくる。

地元首長への国の揺さぶり

 今の案は、陸上の弊害と海上の弊害をあわせ持つわけですから、稲嶺も、岸本も皆が反対になるわけです。「論外だ」というような言葉まで彼らは使っていました。そして、そういうなかで名護市長選挙という一つの政治的選択の場がやってくる。したがってここでは、島袋吉和、つまり現市長みずから、「沿岸案は受け入れられない」ということを選挙公約のなかで明確に表明をします。そして当選したあとも、「沿岸案の微修正では協議に応じない」という言い方をしている。

 ところが、突如3月末に上京して、というか呼びつけられてですけれども、協議をするようになった。はじめは抵抗しているのだけれども、4月7日に滑走路2本ということで合意をした。この間、彼の立場は、一つは振興策はどうなるか、もうひとつは何か自分たちが意思表示しないと政府案通りに強行されてしまうおそれがある。彼が協議に応じたことを正当化する理由は、応じなければ政府案が強行されてしまって、住民の被害、騒音あるいは危険性その他が非常に大きくなる。そういうおそれから、交渉に応じたんだという言い方をしていますね。

だけどその間、3月だけで、山崎拓が8回沖縄に来て、延べ15日も滞在しているのを計算している人がいたんです。何をやっているか。自民党の安保調査会長でしたかね、沖縄振興開発の何かの委員長でもある、両方の委員長を兼ねている彼が、それだけ出没していた。特に北部、名護市だけではなくて、周辺の市町村長にいろいろ揺さぶりをかけている。2月から3月の新聞記事を追ってみても、もう地元説得は断念だ、強行するんだというようなことを言ったり、一方では山崎が200メートルは沖に出せる、と言ってみたり。センチ単位なら動かしてもいいと小泉が言ったとか、そういう形で強行策がありうるという揺さぶりをかけているわけですね。

彼らが高圧的に出る時は、必ず弱みを何か覆い隠しているというのもこれ一つの歴史的教訓ではあります。まあ、はじめからフラついている名護市長なんかは、ずるずると引きずり込まれていくことになる。しかし宜野座村長とか、恩納村長とか、ヒガシ村の村長とか、名護市を囲んでいる関係村長が、まず山崎拓や防衛庁に先に落とされている感じがあるわけですね。ですから、名護市長合意というのがもちろん大きな記事になっていますけれども、これ名護市長合意だけではない、というのが大きな問題です。

防衛施設庁長官と名護市長合意の意味

 防衛庁長官と宜野座村長及び名護市長との基本合意文書全文、があります。二つは同じものかというと同じもののように見えて同じものでないところがあるんですね。
違いというのは名護市のほうは、「今後、防衛庁と沖縄県、名護市及び関係地方公共団体は、この合意をもとに、普天間飛行場の代替施設の建設計画について誠意をもって継続的に協議し、結論を得ることとする」。と書いてあって、ここでおしまいなんです。宜野座村のほうをみると、「…結論を得ることとする。」の後に、「また、…」というのが入っている。「また、基本的な建設案のイメージは、この合意した図面に示すよう、政府側が示した沿岸案を基本とし」。島袋吉和は選挙公約のなかに「沿岸案は受け入れない」と言っているんですね。宜野座村はそれには関係ないんですね。「政府側が示した沿岸案を基本とし、宜野座村長の要請である、周辺地域の上空を飛行しないとの観点から、二本の滑走路を設置することとしたものである。メーン滑走路とサブの滑走路からなり、サブ滑走路の飛行コースは海側に設定され、離陸専用の滑走路として設置される」。重要なことはこっちに書いてあるんですね。名護市のほうに書いていない。市長との合意は、辺野古や豊原、安倍の上空を回避する、ということしか書いていない。
これから先がまた問題になります。つまり日米両政府の頭越しぶりを彼らは批判していたわけです、宜野座村長も、名護市長も。今度は自分たちが住民の頭越しに合意をしてしまった。で、当然説明会等で、つるし上げをくう。そこで、名護市長は「これは、海上案のバリエーションの範囲だ」と、がんばっているんですね。「沿岸案ではない」とがんばっていますが、窮地に追い込まれているところがあります。名護市や宜野座村の地元もぐちゃぐちゃになって、基本的におかしいじゃないか、という声が大きい。それを抑える。結果どうなったかといったら、名護市のほうは、辺野古や二見10区なども含めて、「金で解決しよう」という方向にズレ始めている。例えば辺野古などだったら、1世帯1億5000万の補償費を出せとか。これまで振興策というのは、これらの地域を直接うるおさない、というのは証明済みですね。国立高等専門学校をつくったりITの何とかの建物をつくったり、公園を整備しても、日雇いの口がちょっと増えるかどうか、というぐらいの話なんですね。
一方、宜野座では、たぶん村議会議長が委員長になっていますけれども、沿岸案反対の実行委員会があって、村長が合意する数日前に村民大会をやっている。ここは基本的に6つある部落の区長を含めて、この実行委員会が「村長はこの合意を撤回すべきだ」という。まあ、そういう状況で、日本政府としては、まず名護を包囲して、これに合意をさせる。そのことによって、沖縄の世論を分断する。反対闘争から正当性をうばう。防衛施設庁の首脳が「一点突破で名護をおとす」と言ってますね。名護市をおとして、そして全国へ。あるいは、県をゆさぶる。それから先が、そのようには、必ずしもいかない。世論は分断されたのか。世論はよけい硬化したのか、という問題が出てきます。

世論調査に見る民衆の意思

まず世論調査の数字だけをざっと見ておきます。琉球新報の2006年4月14日には沖縄県内の11の市で、500の有権者を抽出した調査結果があります。それで、Q1「新沿岸案についてどう思うか」では、「高く評価する」が5.8%、「どちらかといえば評価する」が21.0%、という数字が出ている。「名護」だけでは、「高く評価する」「どちらかといえば評価する」は合わせて10.0%です。それで、「絶対に容認できない」「どちらかといえば容認できない」をると(11市平均で)70.8%ですが、名護市をとると、86.7%です。名護市のほうが、圧倒的世論が、この新沿岸案を否定しているんですね。
次に、「島袋吉和市長の判断を支持しますか」というのが、「支持する」27.6%、「支持しない」59.0%となっている。これを名護市だけで見ると「支持しない」が76.7%、つまり地元でより支持されていない、という結果なんですね。
沖縄タイムスの方は、全県的な調査ですから、800名対象としています。ここでも同じような結果です。いくつか拾いあげてみますと、まず最初に「あなたは小泉内閣を支持しますか。支持しませんか」。全国的には「支持する」が多いんでしたよね。ここでは「支持する」33.3%、「支持しない」53.1%です。「稲嶺知事を支持しますか。支持しませんか」では、稲嶺は非常にいま評価が高い、よく頑張っていると。「新合意案に賛成かどうか」では、反対71.4%です。それから、「稲嶺知事は従来の『辺野古沖移設案』か、県外移設を主張し、新たな滑走路2本に反対しています。知事の姿勢を支持しますか。支持しませんか」。これは支持が73.4%という話なんですね。稲嶺は自分の論理にしたがって、「辺野古沖案でなければ県外移設だ」と言わざるを得ないですね。一度賛成したという立場があるから。

民衆の闘い・世論・選挙

最後の、「民衆の闘い・世論・選挙」というのをふれておきたいと思います。これは非常に微妙な問題ですが、ここでは三つの文章をあげています。一つは「名護市長選挙から何を学ぶか」(『けーし風』50号)、これは、ぼくが2月上旬の選挙直後の情報だけで書いて、若干甘いなあ、という感じがしています。それから目取真俊が「名護で考える」(『世界』4月号)を書いています。彼は分裂した革新、いわゆる革新側の大城敬人を最終的には支持するという立場で書かれています。それから浦島悦子、彼女が「ああ、名護市長選! 極私的回顧」(『インパクション』151号)を書いています。一つだけ読むならぼくはこの『インパクション』の文章を読んでいただきたいと思います。彼女たちが最も深く、長く、直接的に辺野古のたたかいに一貫して加わり、そして選挙の時に一番悩み、二見以北10区の会は、最終的に、我喜屋宗弘という候補を支持しています。なぜそうならざるを得なかったのが書いてあります。

全野党共闘と糸数選挙

 沖縄では小泉内閣の支持率は決して高くない。逆に言うと、「反自公」という勢力がつよい。まず「全野党共闘」が実現したのは、2004年7月に行われた参議院選挙で、糸数慶子社会大衆党副委員長が無所属候補として当選をしたことがごく最近の出発点としてあります。糸数選挙もあわや分裂選挙でした。最後で統一が可能だったのは、辺野古があったからだと私は思っています。糸数統一が決まるのは2004年の3月末ですけれども、その時にはもう4月から辺野古でボーリング調査が始まるという危機感、緊張感が高まっていた時期でした。それがある意味ではこの共闘を可能にした、と私は思っています。
その勢いがついているところをみて、下地幹郎に代表される「反自公」がのっかってくる。この時はまだ水面下です。糸数慶子大勝という結果が出て、それで、「まず反自公ありき」という話になったんですね。ところが次の那覇市長選挙では、高里鈴代を出して負けている。「反自公」が沈みかけたら、9月の衆議院選挙で、沖縄選挙区の第1区で、「反自公」の下地幹郎が、自民、公明、安倍晋三はじめ応援に駆けつけていた白保台一現職を落として当選するんですね。また「反自公」ありきになるんですね。『けーし風』50号の私の文章の中に引用してあります。
その衆議院選挙の総括特集を琉球新報が2~3回書いています。その中に「反自公の逆襲」というタイトルがあって、沖縄社会民主党の平良長政という書記長は、「那覇市長選挙がなぜ負けたか。早く候補者が決定できないで、しかも出てきた候補者は、チャキチャキの革新だった。いち早く保守票を取り込める候補者を選ばなければいけない」。自分たちが推していた候補者に対してずいぶん失礼な話だと思うけれども、沖縄でなお大きな勢力を持っている社会民主党書記長の発言なんですね。そういう感覚、「まず保守票を取りこめる」候補を「反自公」で推さなければいけない。そして名護市長選挙で彼らがかつぎ出したのが、我喜屋宗弘さんという方です。で、この人は、辺野古沖案などは支持した部分ですが、その後いわば反・岸本派になっていた。

名護市長選の苦闘

ところがその前に、大城敬人さんという人が「名護市長選挙に出る」と言っていた。大城敬人さんは元共産党の市議ですが、共産党を除名されている。この人は除名されてもトップ当選していて、それなりに個人的な支持基盤を培ってきている人なんですね。この辺野古の闘いなどにも、常時現場に顔を出し、皆に親近感を持たれている人でした。 ただ問題だったのは、この人は自分の周辺の支持を頼って、政党とか労組の支持は求めない、と初めから言っているんですね。

一方では、選挙のボスたちがもう、我喜屋を推す、と決めちゃっているんですね。統一の話し合いも実質的にはなされていない。我々が若干試みはしましたけれども、それはうまくいかないであろうという見通しのなかで出されたのが、この2006年1月12日の「緊急声明」です。「緊急声明」の重要なところは、「今回の名護市長選に関する状況は、これまで一致団結してきた関係に亀裂を生じさせかねないように思われます。それぞれが自分の良心に従って候補者を選び、支援することは当然のことですが、選挙戦が仲間たちの分裂を生むとしたら、一番喜ぶのは基地建設を推進しようとしている勢力です。」「名護市長選に関わっているすべての仲間たちに呼びかけます。選挙が終わった時に、もう一度一致団結できるような選挙戦を展開しましょう。」です。こういう呼びかけをせざるを得なかった部分は選挙にタッチできないかたちになります。我喜屋を支持するか、大城を支持するか、例えばテント村で座り込んで来た人たち、最初は過半数は大城支持です。しかし、実際の選挙が進んでいくなかで、「ここで勝たなければ」と思う人たちは我喜屋のほうに行かざるを得ないような思いを抱く人たちも出てきます。しかし「それをやったらあとで禍根を残す」という人たちは、金縛りにあって動けないようなかたちになります。最も影響力を発揮し得たはずの部分が、動けなかったという状況にあります。その中で、例えば二見以北10区の会は、いわば泣く泣く我喜屋についた。これは浦島さんの文章を読んで下さい。

前回の名護市長選挙で岸本がとった票よりも、島袋吉和の票は、がくんと減っています。それで我喜屋と大城の票を足して単純計算すると、差は1千何百票です。投票率はこれまでで最低です。我喜屋の1万1千何票に対して、大城は単独で4千何百票かをとっている。つまり、いわゆる革新、既成の力というのもこれくらいはある。かなり批判されたにもかかわらず。しかし、「市民だけでやれるぞ」と言った部分は、これだけしかなかったけれどもこれだけはあった、という非常に微妙なんですね。

私たちはあくまで、この「緊急声明」の線にのっとって、まずは、選挙よりは大衆運動を重視した、しかし決して選挙を無視しているわけではない。選挙と相関関係を持っているというのは、例えば糸数選挙で糸数が勝ったということが、ボーリング調査を強行しようとしているほうに、一定の影響力を及ぼしているのは明らかです。そういう相関関係をつくり出さなければならないことは事実なので、まだ今後の努力の余地が残されているところなのです。

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「スリー9阪神」結成しました「スリー9阪神」結成しました

 5月5日、兵庫県西宮市内で「99条+九条の会・阪神」(略称・「スリー9阪神」)を結成しました。憲法記念日を過ぎた休日にも関わらず100人近くの方の参加をいただき、改憲に危機感を感じる市民の熱気が伝わってきました。

全国に「九条」の会はたくさんありますが、本会はその前に「99条」を足してその99条に規定されている「憲法尊重擁護義務」を政権担当者に改めて突きつけ、一般市民は彼らに憲法を守らせる側であることをもう一度確認していこうというのが、大きな目的です。

そもそも、憲法の明文改憲を狙っている者たちは誰なのか。少なくとも主権者自ら積極的に改憲の声を上げているわけではありません。それは他でもない、本来憲法を遵守し、そこに書かれている条文にそうように国政を動かすべき者たちがこともあろうに積極的に改憲の方向に持って行こうとしているのはご存じのとおりです。

一昨年、現職自衛官が自民党の憲法改正草案大綱素案の作成過程に関与していた事件がマスメディアでも大きく取り上げられました。それは、シビリアンコントロール(文民統制)違反というだけでなく、憲法尊重擁護義務にも反すると一部マスメディアは触れました。

しかし、これはおかしい論調です。そもそも憲法尊重擁護義務は自衛官はもちろんのこと、天皇、首相、国務大臣以下すべての公務員に課されている義務なのですから。2001年4月、小泉内閣が成立したとき、小泉首相はいち早く「憲法改正」を口にしました。上記の自衛官が99条違反であるならば、小泉首相もその時点で憲法尊重擁護義務違反のそしりは免れなかったはずです。そして今、せっせと改憲作業に取り組んでいる国会議員や官僚がいるのだとすれば、その者たちはすべてこの99条違反に他なりません。
一部を除いて多くのマスメディアがそのことには全く触れなくなった今、私たちは改めて99条の意味を訴え、結果として政権担当者らに「9条」を守らせようと考えています。 
「99条+九条の会・阪神」四津谷薫

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憲法改悪のための国民投票法はいらない憲法改悪のための国民投票法はいらない
5・3集会実行委員会が緊急行動

5月19日、東京・日比谷野外音楽堂で「憲法改悪のための国民投票法はいらない5・19集会」が開かれた。呼びかけは2006年5・3憲法集会実行委員会。国会に国民投票法案の上程が危ぶまれる中、5月3日の憲法集会での共同行動を重ねてきた同実行委員会が緊急に呼びかけたもの。当日は雨模様の中を市民、労働組合員など2200人が集まった。

集会はのむぎ平和太鼓の元気な音ではじまり、大津健一さん(キリスト者ネット)が「憲法9条はアジアと日本の平和についての約束事。改憲をねらう国民投票法に反対しよう」と開会の挨拶をした。次に出席した国会議員の中から福島瑞穂社民党党首と市田日本共産党書記局長が発言した。福島さんは「今国会は国民投票法、教育基本法、共謀罪、医療制度改悪など悪法山盛り国会になっている。小さな政府をいう現政権が、福祉を切り捨てて大きな政府につながる軍隊を強化するのはおかしい。政治の流れは必ず変えられる。力を出し合いがんばろう」と元気に訴えた。市田書記局長は「共謀罪は現代版の治安維持法、教育基本法改悪は戦争のできる国に従順な国民づくりだ。怠慢なのはこれまで憲法による国づくりをしてこなかった政府だ。あらゆる場面から力をあわせて改憲勢力を包囲しよう」と語った。

連帯挨拶として3氏が発言した。教育基本法改悪をとめよう全国連絡会から小森陽一さんが「教育基本法の改悪は国民の精神、言論活動に国家が統制をかけようとすること。戦争を担う人間作りのために教基法を変えてはいけない。主権者という意味をかみしめ、はっきりと世論を形成しよう」と話した。日弁連憲法委員会からは内田正敏さんが挨拶した。内田さんは「日弁連は職能団体で、様々な考えの弁護士によって構成されている。しかし日弁連の全国大会でも、また会長選の候補者全員が改憲には反対の態度表明をした。このことは会の性格からみても重要なことだ。多くの人びとに届くような運動を展開しよう」と訴えた。グリーンピースジャパン事務局長の星川淳さんは「4月末に市民運動団体やNGO、表現者などが出した共謀罪反対の共同声明は急速に賛同が広がっている。悪法をつぎつぎ出しあべこべの世界をつくろうとしている人たちがいる。曲がり角を曲がらせないようにがんばろう」と力強く連帯の挨拶をした。
集会後は銀座・東京駅を経て常盤橋公園まで夜の街にシュプレヒコールを響かせデモ行進した。(D)

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【事務局から】少し長い編集後記

政権末期になるとこんな話も飛び出してくる。
毎日新聞の5月12日の「記者の目」で政治部の伊藤智永記者が次のように語っている。
「5年前、小泉純一郎首相が自民党総裁に選ばれることが確実になった前夜、山崎拓前副総裁から聞いた小泉評は忘れがたい(もう時効と考え、山崎氏にはオフレコ解禁をお許しいただこう)。

『いいか、君たちびっくりするぞ。30年も国会議員やっているのに、彼は政策のことをほとんど知らん。驚くべき無知ですよ』
すぐにそれは証明された。記者会見や国会審議で、小泉首相は集団的自衛権とは何か理解していないことが露見したのだ。憲法を変えるの変えないのと迷走し、陰で家庭教師役の山崎氏は四苦八苦していた」

私もいくつかの講演でこのことに触れたことがある。実に、当時の小泉純一郎は集団的自衛権のなんたるかを全く知らなかった。その人物が首相になり、憲法解釈をもてあそぶことの危険性について、警鐘乱打したつもりである。はからずもそのことが朝永記者の述懐によって露呈し、証明されたのだ。

アメリカのブッシュ大統領にしてからが同様だといえばそれまでであるが、実に5年にわたって、このような愚かな首相を持ったことは、この社会と民衆の不幸であった。対抗すべき野党第一党の民主党も前原某という、小泉によく似た薄っぺらな党首をもって、結局、破綻した。
この5年、権力への批判の役割を発揮すべき責任があるメディアもまた、ただただ「改革」を呼号するこの愚かな首相に追随してしまった。商業メディアの上層部はジャーナリズムの誇りを失った「権力追従志向」の者が多くを占め、翼賛的な第4権力状況を作ってしまった。

「ぶっ壊す」などと言った自民党は壊されずに温存され、市場原理主義ともいうべき新自由主義「改革」のもとで地域社会はいっそう壊され、「勝ち組と負け組」の格差が急激に拡大し、人びとの心が壊され、社会の憲法体系と戦後民主主義が壊されつつある。なんということであろうか。

しかし、いたずらに嘆いていてもはじまらない。私たちはこの冷厳な事実を見据え、いかに困難であろうとも、未来に向けてここから出発する以外にないのだ。憲法九条をこの連中による破壊から救い出し、あらためてこの社会の価値の基本に据え直すたたかいは、この歴史的事業の端緒になるのだと思う。希望は全国で盛り上がる九条改憲反対の声にある。 (K)

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