参議院本会議は10月29日午後2時、参戦3法案((1)「テロ対策特別措置法案」=米軍報復戦争参戦法案、(2)自衛隊法改悪案、(3)海上保安庁法改悪案)を与党などの多数で可決し、成立させました。
いよいよ自衛隊は軍隊としてアメリカをはじめとする「報復戦争」に参戦することが可能となり、政府は11月中旬派兵をめざしてただちに基本計画の策定に入りました。
自衛隊は戦後初めて、他国の領土・領海を含めた米軍などの戦争の支援行動に入ることが合法化されたのです。この「後方支援」と称する兵たん協力は国際法的に考えればまさに参戦です。戦争協力の地域も無制限で、派兵できる範囲は地球規模にまで拡大しました。
今回の法案の審議にあたって「湾岸戦争の教訓」の轍を踏まないと称して、小泉内閣ははじめから「まず派兵ありき」でした。小泉内閣は、この憲法やぶりの悪法を「常識の範囲でやろう」「神学論争は止めよう」などという無責任な「常識」論で正当化し、憲法の枠を突破しました。
「憲法前文と九条の間にはすき間がある」
「自衛隊は戦力だが、憲法上の戦力ではないことになっている」
「同じ憲法でも自衛隊を違憲だという人も、そうでないという人もいる。そういう中でいかに政治を運営するかだ」
「憲法そのものが国際常識にあわないところがある」
「これは憲法のギリギリの枠内であり、これ以上は改憲になる」
これらの言動はきわめていい加減な論理です。
そして、これまで国会で議論されてきた「専守防衛」とか、「安保は極東の範囲」とか、「後方地域論」とか、「一体化論」などさまざまな議論を一挙にふみにじって、事実上、歴代政府が違憲としてきた「集団的自衛権」の行使にまで踏み切ったものです。つぎにくるのはこの既成事実化した事態の合法化でしかありません。
日本国憲法がかかげる「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という規定は、世論の多数の支持をたのみとする小泉内閣によって、無謀にもふみにじられました。
しかし、憲法第9条は小泉政権によって無視されましたが、それは小泉政権の強さを示すものではありません。逆に憲法問題は小泉政権のアキレス腱なのです。改憲を許さない運動の広範な展開が、いま切実に求められています。(T)
前号で紹介した9月の「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動」の活動につづいての活動報告です。
10月7日(日)に東京・渋谷・宮下公園で集会とデモ。1500人が参加。
翌8日未明、米軍のアフガニスタン空爆開始。同日午後4時、有楽町で街頭宣伝。
午後6時、衆議院議員面会所の内外に600人が結集して抗議集会。
10月9日(火)川田悦子衆議院議員48時間座込み支援。
10月11日、衆議院議面で「市民緊急行動」の抗議集会。
市民連絡会の内田事務局長は共産党系の日比谷野音集会で連帯挨拶。
10月12日、「市民緊急行動」の国会請願デモ(星陵会館から)。
高田は平和フォーラム系の第一波集会で連帯挨拶。
10月13日、14日は「報復戦争と日本の戦争協力を許さない行動実行委員会」の講演と集会・デモ。200人と1100人。
10月15日、「市民緊急行動」の抗議集会と国会請願デモ(桧町公園)。
10月16日、「市民緊急行動」の抗議集会と国会請願デモ(三河台公園)。
10月17日、「市民緊急行動」の抗議集会と国会請願デモ(三河台公園)。
10月18日昼、宗教者や航空関係労組などの呼びかけで、人間のくさり。雨の中、2000名。社民党、共産党なども参加。
夜は「平和フォーラム」主催の日比谷野音集会で8000人。「市民緊急行動」から高田が連帯挨拶。
10月21日、国際反戦デー。市民緊急行動は桧町公園に2000名、米大デモ。
25日、「市民緊急行動」の議面集会。
26日、18日の共闘パターンで国会行動で250人。
27日は「市民緊急行動」主催の第10波集会で、宮下公園に400人。
「第九条の会ヒロシマ」の代表の岡本三夫さんが連帯あいさつ。
29日にはまた18日のパターンで参議院本会議に向けた国会前路上集会。
参戦法はわずかな期間の審議を経て、人びとに問題があきらかにされないまま国会を通過した。この11月、自衛隊はインド洋、パキスタンに派兵される。
これ以上、犠牲者をだすな。
アメリカは報復戦争と称するアフガニスタン攻撃をやめろ。
自衛隊は人殺しをするな。自衛隊員に人殺しをさせるな。自衛隊員を死なせるな。