3月11~12日、広島に於いて開催された(主催・許すな!憲法改悪市民連絡会、以下市民連絡会)には、12都府県から41団体90人が集まり、韓国からも参与連帯のパク・チョウウンさんが参加。憲法第9条を共に、東北アジアから発信し、世界へその理念を広げていくことが確認されました。以下、紙面の許す限りのご報告です。
11日 進行:土井登美江さん(市民連絡会)、藤井純子さん(第九条の会ヒロシマ)
第1部:○勧迎の挨拶・岡本三夫さん(第九条の会ヒロシマ世話人代表)
高田健さん(市民連絡会、九条の会事務局)から、国民投票法案をめぐる厳しい状況の報告と当面の具体的な課題として、全力で「国民投票法案」の今国会成立阻止のための行動提起、9条改憲阻止で一致する広範なネットワーク作り、改憲案の国会上程阻止の5000万署名運動、国民投票で勝利する体制の構築等が訴えられた。
ついで 川崎哲さん(ピースボート)が、「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ」(GPPAC)の取り組みについて報告。3月初旬に行われたGPPAC東北アジア地域協議会(会場・金剛山及びソウル)では、「日本の憲法9条維持と各国の平和憲法促進」を掲げ、今後5年の活動計画の一環として、2006年11月3日(憲法公布60年)共同行動を展開、08年には、「9条世界会議」の開催が提案されたという。
韓国のパク・チョウウンさん(参与連帯)は、9条をしっかりと位置づけ、市民の権利として平和な市民国家を築いていくことを目指したい。日本の米軍基地再編の問題と同様に韓国でも平澤への基地移転問題がある。平和的生存権を積極的に解釈し、9条を中心に据えて東北アジアの平和の構築を共同の取り組みにしていこうと呼びかけられた。
赤石千衣子さん(ふぇみん 婦人民主クラブ)は、「ジェンダーの視点からの憲法『改悪』問題とは」と題して、24条見直し論では家族や共同体の価値を重視する、「男は国を守り、女は家を守る」ことが意図されている。9条は、国家の暴力の禁止、24条は家庭内における暴力の禁止が規定されており9条と24条はらせん状の関係にあると指摘。
若尾典子さん(広島県立大 憲法学)は特別スピーチで、沖縄に在住されていた体験を踏まえ、軍事力を性暴力の視点から把握し、9条と24条は連携していると強調された。
第2部では、岩国住民投票特別報告を受けて、「3・12岩国住民投票を成功させ、米空母艦載機部隊移転に反対する岩国住民と連帯する」アピールが採択された。
第3部では、「高校生反戦行動ネットワーク」の菱山南帆子さんが、改憲勢力から未来を奪い返すために政治に真っ向から向き合おうと、仲間たちと共に卒業式に向けて「座ろう『君が代』!降ろそう『日の丸』!」と訴えたチラシを配ったと報告された。
12日 第4部 : ファシリテーター:筑紫建彦さん、久野成章さん。
様々な分野、各々の取り組みの場で9条改悪反対をつなげていく、軍事同盟に依拠しない、アジアの平和を築くという観点から9条を広げていく、その原動力として、地域のたゆみない、きめ細かい取り組みが一層求められる。非暴力を掲げて共に憲法改悪反対をめざしていく。
「国民投票」は誰が言い出し何を意図しているのか、それにより私たち一人ひとりが失うものは何か、各々が培った言葉で声を上げていこう等の提起があった。閉会の挨拶は横原由起夫さん(元原水禁事務局長)。決議案採択、「9条改悪のための国民投票法案を許さず、全国津々浦々に9条改悪阻止の幅広いネットワークを生みだしましょう」 提案・島村真知子さん(YWCA 夾竹桃)。
(報告者・富山洋子)
湯浅一郎(ピースリンク広島・呉・岩国)
3月12日、午後4時過ぎ、岩国市内の錦帯橋に程近い「住民投票を成功させる会」の事務所に歓声がわきおこった。投票率が50.53%となり住民投票が成立したのである。最終投票率は58.68%。最終的には、反対、43,433票。賛成5369票。投票した人の87.4%が反対である。更に重要なことは、全有資格者84,659人に対しても反対票は全体の51.3%に当たる。岩国市民の意志は、「厚木から空母艦載機は来てほしくない」ことが示された。快挙である。思わず、私の目にも涙がにじんできた。20数年のヒロシマでの平和運動でこれほど感動したことはなかった。
岩国市民は「静かな変革」を望んだと思われる。配備される機数が倍増することで、騒音や墜落の危険性が倍増することが一番大きいと思われるかもしれない。それもないことはないが、最も根強い反対理由は、政府が市民に嘘をつき、しかもその釈明すらなかったことへの怒りである。現在進行中の滑走路沖合移設の目的は、「日常的に悩まされる騒音と墜落の恐怖を少しでも和らげるためであり、基地の強化のために認めたわけではない」。ところが、米軍再編の過程で、いつのまにか、敷地が40%拡張することを前提に、「厚木の空母艦載機を岩国に移駐する」とすり替わっていた。しかも、その釈明は事前に一切なかった。「今回、黙って受け入れれば、きりがなく、また別の部隊の受け入れが待っている」という危機感があった。「これ以上の基地の強化に反対」という次元とはいえ、政府の政策に明確にノーを突きつけた意義は計り知れない。岩国の近現代史が変わろうとする歴史的な日となった。民主主義、主権在民を実現するには、まずは市民が自分の責任で意見を述べることから始まるのだ。これこそ、憲法の精神を定着させる大きな一歩である。
住民投票の結果がもたらす波及効果は、まだよくはわからないが、まずは、岩国の市民社会の構造を変え、岩国の新しい歴史を作ることにつながるはずである。投票日の前日、午後、市民会館での3者主催による初の集会は、数日前に決めたことにもかかわらず約500人が集まり、熱気があった。山下三郎廿日市市長の講演に会場からの大きな拍手が続いた。川下地区のある飲み屋では、店の主人は「反対」で、お客は「賛成」との会話がごく普通に行われていたという。あるスーパーのレジの女性は、レジを通るお客に対して、「投票に行った?」と皆に聞いていたという。街のそこかしこで、住民投票が話題になっていたことは間違いない。これは、岩国に民主主義が根付き始めていることを示唆している。 沖縄、神奈川を初め、韓国のピョンテクなど米軍再編で悩む各地の自治体、住民を勇気づけたことも大きい。「あの岩国で住民投票が成功し、日米政府の方針に拒否の声が公然と示された」のである。「そこまでして政府は何をしようとしているのか?」これまで、米軍基地、安保問題は、沖縄の問題のごとく扱われてきた。ここに来て、岩国という名が出ることで、日本全体の問題として市民の関心事になりうる状況を作り出すかもしれない。
人間の信義にもとずいてみたとき、政府のやり方に正義はない。私たちは、1994年8月、冷戦が終わった後になって、基地の拡張になる「滑走路沖合移設の埋立」が政府予算で認められたとき、世界的に見てきわめて異例なことで、「沖縄の普天間基地を全体として移駐する」計画を引き出す公算が強いと考え、反対運動を進めた。永遠といえる藻場・干潟の存在よりも、有限で刹那的な安保を優先する愚かさを訴えたことはもちろんであるが、市民には「欺されてはならない」と言うことをくり返し訴えた。普天間が厚木に代わったが、住民投票は、その思いが、底流にあっての岩国市民の選択である。
高田 健
●衆院憲法審査会を中心に「国民投票法案」をめぐる動きが活発になってきた。
自民は14日にも「論点整理」を作り、16日から、自民党と各党の「協議」を始め、与党としては3月中に法案提出をしたいという意向。
船田元自民党憲法調査会会長「通常国会での国民投票法案の可決と2008年国民投票、あとは5年ごとの改憲」、最近の発言「何が何でも今国会成立というのではない」に党内から批判。
国民投票法案をめぐる動向~自民・公明は一括→章毎個別投票、20歳→原則18歳(公選法改定までは20歳)、報道は原則自由、などを主張。与党内にも、民主党内にも改憲では矛盾があるし、その支持勢力・世論のなかではさらに大きな矛盾がある。
●この1~2年に見られる9条改憲反対の新たな運動の高揚。
高田 健
憲法をめぐる状況はいよいよ重大な時期にさしかかりました。
任期切れを今年に控えた小泉首相は日米同盟を全ての政策に優先し、そのもとでの「戦争のできる国づくり」をすすめ、これを次の政権に継続させようとしています。自衛隊のイラク派兵はつづいており、原子力空母の横須賀母港化や沖縄・名護の新基地建設や岩国・座間をはじめとする米軍基地の再編・強化と日米軍事同盟と共同作戦体制のいっそうの強化がすすめ羅列津あります。こうして日本の支配層にとっては憲法第9条の破壊がいよいよ不可避となってきました。
05年11月の自民党立党50周年で「新憲法草案」が発表されたのにつづいて、連立与党の公明党は9条第3項加憲論にシフトしてきましたし、民主党の前原誠司代表も国会対策で自民党に見苦しいほどの屈従をしつつ、憲法9条改憲とシーレーン防衛など危険な路線を主張しています。この164通常国会では自公両党が「憲法改悪のための『国民投票法案』」や教育基本法の改悪案を提出しようと、民主党との協議を進めつつあります。憲法の改悪、とりわけ第9条の改悪を許すかどうかの問題は、現実の、最大の政治的課題となってきました。
この動きに対して、すでに多くの人びとが9条改憲反対の声を上げつつあります。全国各地で「憲法改悪は許さない」とさまざまな運動を進めてきた人びとだけではなく、この間、次々に新しい運動が生まれ、憲法問題に取り組む人びとやグループが急速に増えてきました。一昨年夏に発足した「九条の会」はすでに全国各地に4千数百グループが結成されていますし、その他さまざまな運動が誕生し、あるいは強まっています。また沖縄・名護での闘いや、岩国・座間・横須賀などでの基地再編強化に反対する闘いも大きく盛り上がりつつあります。教育基本法の改悪に反対する運動や、共謀罪に反対する運動も高まりつつあります。
これらを次第に大きくネットワークし、9条改憲の動きをうち破る具体的な力に変えていくための積極的な方向・方針を持った力強い運動がいま切実に望まれています。
こうした中、今回で9回目を数える「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」は広島で開催され、全国各地の市民グループや、東アジアの平和を求め、憲法9条の堅持をねがう韓国の民衆運動の代表も参加し、大きな成功をおさめました。今回の交流集会は、憲法改悪反対の市民運動のいっそうの飛躍をめざして、・全国の市民運動の連携をさらに拡大するよう奮闘することと合わせて、・憲法9条改悪反対の運動の、とりわけ東アジアをはじめ国際的な連携を広げるために奮闘することを確認しました。
また、焦眉の課題である憲法改悪のための国民投票法案の国会上程に反対し、この悪法を阻止するため、可能なあらゆる手だてをこうじて、全力で闘うことを確認しました。
9条改憲に反対するという一点で国際的にも、国内においても大きな共同行動を作り出す上で、私たちの「許すな!憲法改悪」という立場に立った市民運動の役割は大変大きいものがあります。私たちは内外のさまざまな反戦平和・民主主義と人権の実現を求める運動を大きく連携させ、巨大な9条擁護の運動をつくり出すことに貢献する必要があります。とりわけ本年6月に予定されている「九条の会全国交流集会」と、2008年に呼びかけられている「九条世界会議」の成功を実現することは、重要な意味を持つものと確信します。
私たちは今回の全国交流集会の成果を糧にして、さらに大きく飛躍する決意です。憲法9条の旗を高くかかげ、韓国をはじめ、東アジア・世界の人々と共に、平和と共生の世界をめざして前進しましょう。憲法9条の旗を高く掲げ、共に日米軍事同盟の強化に反対し、戦争のできる国づくりに反対しましょう。思想・信条・立場の違いを超えて憲法9条を擁護する運動を全国の津津浦々につくり出しましょう。
2006年3月12日
第9回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会参加者一同
憲法改悪を許すな!国民投票法案を上程するな!と全国でたたかっている草の根の市民運動の仲間たち41団体100人は3月11日、12日、広島に集い、平和憲法をまもり生かすために憲法運動をさらに前進させようと交流を深めています。
私たちは、憲法の平和条項を無視した米軍基地の強化に反対して住民投票を成功させようと奮闘されている皆さんに熱い連帯の挨拶をお送りします。
岩国基地の拡張・強化は、米軍の世界再編にともなって日・米両政府が、自衛隊と米軍の一体化を進め、日米同盟を世界に広げようとするものです。その一環として、米空母とその艦載機の「長期にわたる前方展開能力を確保する」ために、艦載機部隊を厚木(神奈川県)から岩国(山口県)に移駐しようというものです。岩国市をはじめ、周辺の住民や自治体の強い反対の意向をことごとく無視し、強行しようとする政府の方針は、主権在民、民主主義国家にあるまじき政治であり、許すわけにいきません。
艦載機の移転により、岩国基地に配備される軍用機は現状の倍の120機余りとなり、空中給油機の移転まで取りざたされています。中国山地での対地攻撃訓練や低空飛行訓練が激化します。山陽側では、その行き帰りの飛行も増大するのは必至です。「世界遺産=宮島」の上空で戦闘機が飛び交うことを許すわけにはいきません。
今回の艦載機移転計画は、離着陸訓練、特にNLP(夜間離着陸訓練)ができる恒常的な訓練施設の建設の可能性や2008年に横須賀の空母は原子力動力に変わる計画から将来、岩国に原子力空母が来ないとも限りません。イラク戦争、アフガン攻撃にも見られるように、空母とその艦載機部隊は、近年の戦争で攻撃の中心にいます。だからこそ「長期にわたる前方展開」が必要なのです。ひとたび移駐されれば、100年先も空母の艦載機がいる街のままです。私たちは、アメリカの戦争の中心を担う部隊が、半永久的に居座ることを許しません。
更に、その全てが防衛施設庁による組織談合によって進められてきた岩国基地滑走路移設事業によって、基地が40%拡張し、滑走路が沖に出ることをいいことに、空母艦載機を移駐し、基地を強化するのは、絶対に容認できません。これは、滑走路沖合移設の目的をねじ曲げるものです。
私たちは、岩国市民の皆さんとともに、3・12岩国住民投票を成功させ、岩国への米空母艦載機部隊移転を許さない、そして軍事力によらない平和外交に徹することを求めてたたかうことを誓います。ともに頑張りましょう。
2006年3月11日
許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in広島
この決議は12日の投票を控えて、11日のうちに岩国の市民団体に届けられました。
渡辺治(一橋大学教授)
(編集部註)2月25日、市民憲法講座で渡辺さんが講演されたものを、編集部の責任で大幅に要約したものです。文責はすべて編集部にあります。
天皇問題について、特に女性天皇、女系天皇問題をめぐって非常に大きな議論になっておりまして、保守的な支配層内でも靖国神社と並んでこの問題が非常に大きな問題になっているということは事実です。なぜ今、この女性天皇かというとで言うと、グローバリゼーションと構造改革の中で解体している日本の社会を再建していく中で、皇室の断絶問題をきっかけに女性天皇を容認して国民統合の切り札として天皇を利用したいというグループがある。一方で女系天皇ということになりますと、この伝統的な権威に非常に大きな権威の根源に傷を付けることになるわけですね。女性天皇をめぐる保守支配層の対立は、天皇の権威をどう使い、それを根拠づけている伝統との関係をどう調整させるかという問題になってくるわけです。もう少し深く入ってみますと実はこの問題は日本の社会を今後どういう形で統合していくのかという問題にも関わってくると思います。
天皇問題が、社会的な問題としてクローズアップされている背景には改憲問題と同じく90年代以降日本が既存の保守政治を変えて軍事大国化し新自由主義外交をやっていく、社会も大きく変化をしてきている問題とからんでいるのではないかと思います。最初に戦後日本の保守政治の中で天皇制がどうあつかわれてきたのかということをお話して、その天皇の利用の仕方が90年代以降の軍事大国化と構造改革の中で非常に大きく変わってきているということを次にお話をし、天皇制をめぐる問題点を最後に少し提起していきたいという形で話を進めたいと思います。
戦前の日本帝国主義において明治憲法で定められた天皇の役割は極めて強力なものがありました。敗戦によって占領軍が日本を改革するときに、改革の対象となった制度は軍隊以上にこの天皇制があったんですね。連合国は第二次世界大戦で日本を打ち破った時に日本の軍国主義、帝国主義の復活をどうやって阻止するかということについて1941年くらいから非常に強い関心をもって改革の取り組みを進めていたんですね。ですから占領軍がいなくなっても軍隊が軍国主義的な復活の根源にならないような社会改革という問題意識を非常に強く持っていた。したがって天皇制の改革あるいは廃止という問題は連合国にとって非常に重要な課題であった。同時に、日本の保守勢力にとってみても天皇制をどうするかという問題はいわば敗戦、ポツダム宣言を受け入れるかどうかということの最大の争点だったんですね。昭和天皇自身が敗戦を認めるポツダム宣言を受諾していく背後にその万世一系の天皇制を自分の代で終わらせてはならない、これをどう存続するのかということが非常に大きな争点だったんですね。ですから、国民統合にとって天皇制というものが持っている強力な役割というものをどう戦後にまで引き継いでいくのかということが、日本の戦後の保守勢力の大きな思惑といいますか問題関心としてあったし、それが講和を遅らせたり、様々な占領軍とのやりとりの背景にあった問題だと思います。
ただし、敗戦によって日本の保守勢力が天皇制を利用しようとしたときに明治憲法下の天皇制をそのまま利用しようなんてことは彼らも考えていなかった。あれだけの侵略戦争をやってまた国民統合上も、国民にも非常に大きな迷惑をかけたわけですから、あの天皇制をそのまま使うということはできない。したがって帝国主義の記憶を取り去るために改作して利用しなければいけない、明治憲法下の天皇の力を利用しながら、負の側面をどう除去するかということが最大の関心の対象になるわけですね。また敗戦ののちに政治を担った保守勢力の人たちもだいたい戦前から戦時下にかけて様々な形で軍部の弾圧を受けたり、抑圧を受けたりして、特に政党政治の場合には苦い経験を持っていますから、ああした戦前型の天皇制支配というものは自分たちにとっても存続したくない、しかし天皇は利用したい、こういう目的から天皇像をめぐるいろんな再建の試み、改作の試みというのが行われた。大きくいって私は二つの天皇像が敗戦直後から現れたと思います。
ひとつの天皇像は元首的天皇像。大日本帝国下の天皇は国家元首としての天皇なんですね。この元首的天皇は非常に大きな問題があったということは当時の新しい保守政治家層あるいは昭和天皇自身が関心を持っていた。最大の問題は明治憲法下で天皇主権体制があって統治権を総攬するような天皇制があったからではない、それはイギリスの立憲君主だってどこの立憲君主だってそういう権限を持っているわけで天皇の神聖不可侵ということ、あれは天皇の無答責、政治的には責任を負わないという規定だと考えればどこの立憲君主も、憲法でもあるんですね。ですから日本の天皇制の限界は何かというと、この天皇の軍事的、政治的な決断が内閣のコントロールを超えて、軍部が天皇を利用して戦争遂行の決断を行った、この体制が問題だ。この体制は何かというと統帥権独立ということで統帥に関しては議会はおろか内閣も、内閣総理大臣もそれに対して口を挟むことはできない。ところがこの統帥権の独立というのは明治憲法上の規定には無いんですね。大日本帝国憲法の第11条では統帥大権を規定しているんですが、この統帥大権というのは天皇は統帥の大権を持っているだけで、大権の行使に当たっては「内閣の相談も受けないでやることができる」なんてどこにも書いてないんですね。
じゃあどうしてそういうような事になってしまったのかというと、明治後年、日露戦争後に特に制度上確立して、陸海軍が直接輔弼をするという形で軍部と天皇の直結体制で戦争遂行が行われる。軍部と直結して戦争遂行に関して内閣の意思も排除してやるような体制さえなくせばいいんだ、こういう主張をしていった人々がいます。その代表的な人は、佐々木惣一とか美濃部達吉といったような有名な学者です。美濃部は1935年の天皇機関説事件で貴族院議員を辞め、佐々木惣一は京都帝国大学教授を辞めていく。明治憲法をきちんと自分たちの解釈の通りに行っていればあんな軍部の横暴は起こらなかった、軍部寄りの解釈によって悪用した結果として、悪くなっちゃったんだ。こういう考え方を佐々木とか美濃部というリベラルな学者たちが持ったんですね。彼らは戦後の憲法改正論の時に、明治憲法は変える必要はない、という意見だったんですね。
1946年の4月号、「世界」が創刊された当時の編集長だった吉野源三郎は、創刊した最初の雑誌に美濃部達吉とか津田左右吉とかに書いてもらったんですね。ところが届いた論文には、日本国憲法の戦後の民主主義化は大事だと、しかしそれは天皇のもとで行われるべきだという議論が書いてあったんですね。おそらくこれは吉野源三郎の考え方と相当違う考え方が出ていたんです。美濃部は明治憲法下の天皇制というのは十分民主主義的な制度になり得るんだということを書いているんですね。美濃部は、日本の国民にとって天皇が持っている国民を団結させる力は非常に強いんだと。それは日清戦争とか日露戦争じゃなくて今度の「大東亜戦争」にとって非常に大きな役割を天皇は果たした。天皇のポツダム宣言受諾の「玉音放送」で、あれだけの強大な帝国軍隊がいっせいに収まってしまった。こんな力がなければ戦後の国民統合とか戦後の日本の再建というのはありえないんだということを美濃部は実感した。佐々木惣一も、帝国議会の中での憲法改正についての演説で彼は明治憲法の改正案について貴族院で反対の演説をするんですが、天皇が統治権を持っている、立憲君主、元首として存在しているから日本のまとまりができるんだ、ということをいっていたわけですね。
それに対してそれでは戦後の日本の天皇制は維持できないだろうという考え方も保守勢力の中に当時芽生えていました。そもそも政治そのものに天皇が関わり合っていたということが近代日本の帝国主義の一番大きな問題だ、だから戦後の民主主義の中で維持されていくためには天皇を政治から遮断しなきゃいけない、という考え方なんですね。ここでは象徴天皇像と書きましたが、そういう形によって天皇を国民統合上利用していきたい。そのためには明治憲法が持っていた天皇の強大な権限を全部なくすことこそが実は天皇制の伝統なんだということを強調した人がいたんですね。これも「世界」の創刊第2号で津田左右吉が「建国の事情と万世一系の思想」という論文で書いています。津田が展開した天皇制擁護論というのは明治憲法下の天皇というのは、実は日本の天皇制の伝統の中で異例だ。天皇制の伝統って何かというと天皇は政治に関わらない、政治の実権は将軍とか関白とか摂政とかが握っている。天皇は社会的、文化的な伝統でもって政治には関わらない、全体として日本国の統合のまとまりを象徴をする。二元的な体制、文化的・社会的な統合と政治的統合を分けたから天皇は国民の信頼を得たのに、大日本帝国憲法のように天皇が政治の全面に躍り出る、こうなったら天皇が敗戦の責任を負う、侵略戦争の責任を負うのは当たり前だと、こういう天皇制は日本の天皇制の伝統じゃない。日本の天皇制の伝統は不親政の伝統だ。
戦後の日本の再建は天皇をもう一回政治から切り離してそういう天皇制を使って国民を統合していこう。文化的・社会的な伝統にしようという考え方を打ち出したんですね。GHQの主流は天皇制を擁護するという意見だったんですね。GHQが天皇制を残したいと考えた最大の理由はやはり8.15にみられるような、天皇制が持っている国民に対する強烈な統合力を恐れたからなんですね。この力を使って天皇が改革、民主化にゴーサインを出しているということで国民を占領改革に引っ張っていきたい、という意欲があった。ただし天皇が軍と密着して軍国主義の復活になってしまったら、元も子もないわけですね。だから軍国主義との関係、政治権力との関係を周到に遮断してしかし天皇のもっている国民統合力を使う。これが占領権力の考え方だった。この考え方は実は津田左右吉の考え方に非常によく似ているわけですね。津田左右吉の2月号の論文には「象徴」という言葉が出ているんですね。
しかし1940年代から1950年代に占領軍がいなくなった時の日本の保守勢力は、津田や占領軍のような国民統合の考え方には賛成しなかったんですね。今日本の社会は分裂して特に共産党とか労働組合運動が非常に強い時に社会の分裂、階級対抗を押さえる力として、外形的には立憲君主としてきちんとした権限を与えて、危機的な状況の時には天皇が命令一下安保条約を賛成するとか講和条約に賛成するとか日本の方向性を指し示すことができる、という考え方を持ったんですね。ですから50年代の保守勢力の憲法改正論の中にはすべて天皇を元首化するいくつかの憲法改正案が出ています。
しかしこれは戦前の天皇制の復活ではないという点を彼らも改憲案の中でも示しているんですね。自由党の改憲案の中で「皇室典範を改正し、女子の天皇を認めるものとし」と書いてあるんですね。この女子の天皇を認めるということになると、軍事的な大元帥としての天皇というのはこの場合には想定しづらい、しかし女性の天皇を認めることによって統合力を増そうという案が一つ出ていた。また国民統合上使いたいんだけれども戦前型軍国主義には戻しませんよとなっている。50年代の自民党の政治家たちはこの立憲君主的な天皇を復活したいという考え方だったんですね。あの天皇の力をもう一回使わない手はない、と。
しかし、むしろ天皇は象徴として残して天皇を国民の団結とか国民の分裂が起こったときに使っていく。非政治的に使っていく。そういうほうがいいんじゃないかということを主張する保守政治家が出てきたんですね。その代表が中曽根康弘さんです。中曽根さんはよくタカ派の巨頭みたいにいわれるんですが、民主的な国民主権とナショナリズムをドッキングさせた、そういうナショナリストとして戦後登場してくるんですね。
自由党と民主党が合併して自由民主党が1955年にできるんですが、この自由民主党はご存じのように政治綱領の中で自主憲法の制定というのを謳うんですね。自民党の憲法調査会で中曽根さんは高村坂彦とか当時の保守政治の巨頭に対して若手を代表して天皇論を展開する。この天皇論をひとことでいうと憲法の一条については変える必要がないという意見を出すんですね。つまり象徴でいいと。中曽根さんはもちろん九条を改正してあるいは首相公選制にするとかいろんな改憲論を出すんですが、天皇に関しては今のままでいいと。こういっているんですね。
実はこの考え方が、それから3年後に小泉信三と宮内庁の手によって皇太子の結婚という形で実現するんですね。保守政治の中で天皇をむしろ戦後の民主的な家族や民主的な国民の中に浸透させ、その国民の支持を得るような皇室像に変えていく必要がある、立憲君主的な天皇というよりはむしろ象徴天皇をそのままの形で国民統合に利用していった方がいいという考え方が当時出ていたということがこれでわかります。これは当時の皇室や昭和天皇自身の考え方とは真っ向から反しているわけで、昭和天皇自身は政治に復権したいと非常に意欲を持っていましたし、皇太子の結婚には彼は内心では非常に強い反発をしておりました。
この考えが決定的になったのは60年安保です。60年安保のようなときに、従来であればまさに天皇が出てきて安保条約の改正に賛成する、国民は静かにしろというのが本来の役割なんですね。ポツダム宣言の受諾の時でも天皇はそういう聖断を行ったし、1946年の段階でも食糧メーデーのときには天皇が出てきて国民に静かにするように訴えをするわけです。ところがこの60年安保のときには、天皇をそういう形で使ったら天皇制そのものが国民の反対の矢面に立つという状態で、天皇は使えなかったんですね。使うという試みはありました。当時の岸内閣の中で天皇や自衛隊を出そうということに対して非常に強い反対論が出ていたんですね。その反対論を当時科学技術庁長官として閣内で展開したのが中曽根なんですね。この5月31日に中曽根は「アイクの訪日を延期する」と。アイゼンハワーが来て、そこに天皇を出して石でも投げられたら大変だと。天皇を出さないためにはアイゼンハワー大統領を来させない、これしかないというのが中曽根や保守勢力の反主流派の意見ですね。「天皇は自民党の天皇であるとともに、社会党の天皇でもなければならぬ」と、要するに安保条約の改定問題にタッチしたらこれは自民党の天皇ということになってしまう、これはまずいんだと中曽根さんはいうわけです。万一「御料車」がデモ隊によってストップするようなことがあれば「天皇の威信は崩れ、天皇制の前途に由々しき結果を引き起こすであろう」とこういうふうにいって中曽根は反対します。
ここから天皇を立憲君主として復活したいという試みは完全につぶれます。この30年間の間に出てきた考え方というのは象徴天皇、つまり日本の経済繁栄、企業社会で家族を中心にして安定する社会の象徴として天皇家がある。天皇というのは日本社会の安定の象徴であり、憲法を擁護し学者としての天皇、こういうものが全面に押し出されるということになります。この時代の代表的な天皇論として津田左右吉の天皇論を敷衍して中曽根が展開した議論だと思います。昭和天皇自身は学者天皇といわれることを非常に嫌ったわけですね。統治権の総攬者なんだというのが彼の意識だったわけですが、実際にはマスコミでは学者天皇、平和天皇という形で訴えられるという時代が続きました。
それが再び変わったのが1990年代なんですね。90年代の軍事大国化と構造改革の中で、元首的な天皇から象徴的な天皇になり、それが再び変わろうとしているのはどうしてなのか、またどういうふうに変わろうとしているのかを次にみたいと思います。日本は90年代に入って、憲法の下で自衛隊は海外に派兵しないという小国主義的な日本の外交安保政策と、自民党の利益誘導型政治というものをふたつながら壊して、グローバリゼーションの中で、軍事大国アメリカと一緒になって大国として軍事的なプレゼンスを行い、同時に既存の利益誘導型政治を改革して構造改革によってグローバル企業の競争力を回復するための改革に着手するわけです。その中で今までの象徴天皇像とは違った天皇に対する保守政治の側の役割期待というものが生まれてきます。
大きくいって二つの問題があるんですが、ひとつは軍事大国化に伴って天皇を新しく使いたいという役割が出てきます。しかしそれは天皇をもう一回軍事的な統帥の中心として復活しようというんじゃないんです。アジア諸国の警戒心と日本の国民が戦前型の軍国主義になるのは嫌だな、という内外の国民の批判にどうそれを克服して日本の自衛隊の海外派兵と憲法改悪と軍事大国化を進めていくか。ここに日本の保守政治の一番の関心があるんですね。
90年代の保守政治の側は自衛隊の海外派兵が戦前の日本の軍国主義とか植民地支配とは違うんだということを証明するためのさまざまな試みをやることを余儀なくされていきます。保守政治家の中で、小沢一郎はどういう議論を展開したかというと司馬遼太郎さんの議論を使って日清、日露戦争までは日本は列強の帝国主義に対抗して日本の独立と日本の国家を守るために戦った、そういう意味でいえば国民の健全な精神のもとにナショナリズムがあった時代だ。それが日露戦争で勝ったとたんに韓国・朝鮮を植民地支配する、このへんから日本の堕落が始まる。だからそれ以降の日本帝国主義の植民地支配と戦争というのは全く正当化できない。1930年代以降の戦争で、アメリカやイギリスに敵対してそして日本が統帥権独立の名のもとに侵略戦争を行っていった、これが間違いだったんだということを彼はいうわけですね。
橋本龍太郎はそれと逆に、30年代前半に満州事変をやったことが間違いなんだ。帝国主義と植民地支配と侵略戦争は間違いだ、しかしアジア太平洋戦争はちっとも間違いじゃない。それは日本帝国主義とアメリカやイギリスの帝国主義の戦いであってせいぜい両方悪い。それから日本は帝国主義との戦争でアジアの解放ということをいった。
いずれにせよ日本帝国主義の侵略戦争についての一定の反省とそれを踏まえた戦前との断絶ということを現代で強調する。むしろその役割に天皇を持って行きたいということを出すんですね。
1989年に昭和天皇が亡くなった。彼はまさに太平洋戦争を戦った本体ですね。ところが今の明仁天皇というのはその戦争の経験を持っていない。それどころか明仁天皇は日本国憲法と共に生きてきているわけですね。そして彼は沖縄に行きたい、中国に行きたいということをずっといってきたし、日本国憲法について彼は非常に親和感を持っているわけですね。昭和天皇とはその点で非常に違うんですね。
そうすると今までの伝統的なナショナリストからいうと今の明仁天皇というのは最悪なんですね。何だこいつは、と近代日本があれだけがんばってやった戦争を否定する、平和憲法がいいなんていっている。こんなものは使い物にならない。だから日本の右翼は今の天皇を早くスキップして今の皇太子を持って行きたいというのを、彼らはさかんに言っていたんです。昭和天皇が亡くなって平成の天皇、明仁天皇が代替わりをした朝見の儀というのがあるんですが、このときに日本の右翼が初めて公然と天皇制を批判するんですね。西部邁がこう言っているんですが、だいたい右翼が「お言葉」を批判するなんて無かったんですね。「今度の朝見の儀の時の『お言葉』というのは、民主、平和、繁栄、福祉、憲法擁護という、私に言わせればほとんど嫌いな五点セットの言葉が並んでいる」。彼はそのあとにすごいことを言っているんですが、「これまで天皇を守るということを中心に置きながら戦後進歩派と戦ってきた人々が、ひょっとしたら天皇を批判することを覚悟することによってしか、戦後進歩主義、民主主義に対しての批判を継続できなくなるかも知れない」。つまりそのくらい嫌いなんです。
加瀬俊一は、新天皇が記者会見で2回憲法を守ると言っていると、一般的に憲法を守るというのはいいんだけれど日本国憲法を守るとは何事かと、これは政治的な介入だということを言っていて、何をいってるんだという感じですけど。それから中国に行くなんていうのはとんでもないと。
ところが象徴天皇派である河原敏明はそれを擁護するわけです。「日本が中国に進出したわけですね。それを今の陛下は非常に遺憾に思われて、ある機会をみて、一言遺憾の意を表したいというお気持ちがある、これは私は立派なことだと思うんですがね」と。
ところが村松は「私はそういうことには陛下はかかわるべきじゃないと思いますね。イギリスがインドでどれだけひどいことをしたか。イギリスの王様や女王様がそんなことで謝ったなんて話は私は聞いたことがない。・・・君主はそれこそどこでも無答責です。」しかし、薗部なんかにいわせるとやっぱり中国とか韓国の元首に対して昭和天皇だって謝っているじゃないかというと、いやいや謝っていないとかいってけんかしているわけですね。
これは天皇というものをどうやって使っていくのか、軍事大国化のときにやっぱり天皇を軍事的な統合の象徴に使っていきたいという伝統派と、そうじゃない、むしろ天皇を平和の使者として使いたいということになってくる。これは実は明仁天皇だからできるわけですね。明仁天皇は「平和主義」だし、沖縄を「支持」しているし、日本国憲法を「支持」している、そういう天皇を使って今の自衛隊の海外派兵は安全ですよ、アジアの皆さん安心して下さい。こういうふうに使うということが、外務省や日本の保守支配層の主流の人たちによって出されていくわけですね。外務省が「日本の大国化のためにははっきり謝って、もう二度と再び彼らにいわせない、そういう状況を作る必要がある」ということでその中心に天皇を持って行きたい。
盧泰愚大統領が来たときに、明仁天皇が最初に出した「お言葉」なんですが、この「お言葉」をめぐって非常に大きな議論になります。これはふたつの点で重要だったんです。いままで「遺憾であった」ということしかいわないんですけど、この時に「日本の植民地支配が、日本の責任により」ということをはっきりと言っているんですね。もうひとつは謝罪ということはいわないけれども非常に深刻な思いで「沈痛な思いをしている」、このふたつ。つまりひとつは日本の韓国に対する植民地支配が日本の手によって行われたということを認めたということと、それに対する謝罪をはっきりと責任とはいわないんですけど「痛惜の念を持っている」ということをいったんですね。このふたつをめぐって保守政治の中で、盧泰愚大統領に対する「お言葉」を出した方がいいのか、いけないのかということが侃々諤々の議論になるんですね。
当時の政府は海部でこれを支持するわけです。外務省はこれを支持して自衛隊の海外派兵をアジアの中で認めさせていこうとした。これに真っ向から反対したのが小沢一郎なんです。小沢一郎は、日本が悪かったのはアメリカと戦ったことだ。アメリカだって韓国併合を認めたんだからこれについて謝る必要はない。有名な言葉で、このときに自民党幹事長だった小沢は「何回韓国に土下座をすれば済むのか」といったわけです。ところがこの「土下座発言」が週刊誌にのって大々的な非難になるわけですね。韓国やアジアから猛烈に。批判の中で小沢も結局のところこの「お言葉」を認めざるを得なくなった。もっと右派を刺激したのが明仁天皇の中国訪問なんです。明仁天皇は韓国にも行きたいと言ったんですね。これだけは今絶対に防ぐということで、まだやらせていません。外務省は日本の軍事大国化、アジアでのリーダーシップをとるためにもアジアの中できちんとした反省をしなければいけない、「従軍慰安婦」の問題についても一定の政治責任を認めようと、十分ではありませんけれど、そういう方向が出てきた。ナショナリストの反動と天皇
ところがそれに対して出てきたのが反動です。そんなことをいったら天皇の権威、日本の国のナショナリズム、日本の国民の権威というのが保たれるのか、とんでもない、という話が猛然と保守支配層の反主流派から出てくるわけですね。このグループが1995年の「自由主義史観」であり「新しい教科書をつくる会」なんですね。だから「つくる会」というのは最初から日本が軍事大国化するので右翼的に出てきたんじゃなくて、日本が軍事大国化するために外務省や日本政府が一定の反省をしなきゃいけない。天皇を使ったことに対する猛烈な反発からむしろ古典的な「帝国のナショナリズム」みたいなものが出てきます。
加えて90年代の末から構造改革による社会統合の破綻からも天皇というものが改めて利用されてくるという問題が出てきます。中高年の正社員のリストラ、新入社員は正社員ではなくて非正規で雇用させていく。中小商店とか農業とかをほぼ切り捨てていく。そういう中で日本では破綻がホームレスの増大とか自殺者の増大とか犯罪の増大とか、ドメスティックバイオレンスとか家族の解体とかとかいったかたちで噴出するわけですね。そういう破綻した社会を統合するためのかなり有力な手だてとして共同体を再建する、家族を再建する、そのためには家族の再建。日本の伝統的なまとまりを象徴している天皇の復権、天皇を中心とした日本社会の共同体的なまとまり、こういうものを強化しなければいけないという「ネオ・ナショナリズム」が出てきます。
90年代の初頭の改憲論は九条に焦点をあわせていた。自衛隊の海外派兵の正当化に焦点をあわせていた。90年代の末になると突然、天皇の元首化とか家族の法的保護とか24条の「改正」とか教育は伝統と文化を大事にしなきゃいけないとか、今度の自民党の新憲法草案の前文にみられるような日本という国は象徴天皇を伝統としてきたんだ、というようなことを打ち出してくるような議論がおこってくる。これは明らかに軍事大国化のための天皇とは違った筋で日本社会の解体を、天皇を中心として、あるいは家族を中心にしてまとめる、その中心に天皇を使いたいという新保守主義的な動きだ。40年間近く、問われなかった天皇条項を改正して元首に復活し、社会のまとまりを強調しなければいけないという議論が出てくる背景になったと思います。
今保守派の中でふたつの考え方が出てきていると思います。ひとつの考え方は、新保守主義者の天皇利用策で、解体した社会の共同体的な統合の中心に元首としての天皇を復活させたい、これが自民党でいえばおととしの11月に出た憲法改正草案大綱で天皇を元首にするということが書かれているものです。中曽根さんも改憲論の中で元首にするということを書いている。
ところが一方では天皇を社会統合の破綻を食い止めるために使いたい。だいたい女系天皇は日本の伝統にないといったって、民間人から皇太子妃や天皇妃を導入すること自身が前近代には無かったことなんですね。伝統の破壊なんです。それから男系、男子だけを天皇に承継するというのも近代の皇室典範の伝統なんですね。前近代には無かった伝統なんです。つまり伝統とはいっても日本の近代帝国主義の中でつくられた伝統が非常に多いわけです。だから現代社会の中で女系天皇、女性天皇を認めて国民の半分をもっとがっちりと天皇制を社会統合のために使うんだったらそうやっちゃっていいじゃないかという議論が女系天皇論、女性天皇論という形で出てくる。
それに対して、天皇を伝統的な権威としてこれから使っていきたいというときに女系天皇、女性天皇もいいんだと、伝統をどんどん破壊していってはいったい天皇は本当に国民統合の象徴になるのかと、それじゃ危機の時に使い物にならないじゃないかという意見も出てくる。支配層の中で、対外的にも天皇を謝罪のために使うのか、それとも軍事的なナショナリズムの統合の中心にして使うのかというところも争われているけれども、一方で国内的にもこの天皇をどう利用するかということで様々な議論が進められていると思います。
最後になりましたけど、政党とか運動の側でこの天皇の問題というのをどう考えるか、ということについてもいくつかの問題が提起されていると思います。天皇制をめぐって戦後の民主主義や平和主義との関係で、われわれの運動や国民意識の変化によって天皇像が大きく変わってきた。だから保守政治の中でもただひたすら復古的な軍国主義的な天皇像を追求するということはなかったんですね。しかしそれにもかかわらず天皇というものが持っている非民主的な権威といいますか国民統合上の神秘的な権威というものを保守政治は常に、特に危機の時にはそれを利用しようとしてさまざまな試みを繰りひろげてきたと思います。保守勢力はなぜ天皇をひっくり返しとっくり返し使おうとしているのかということを考えると、やはり天皇制というものが日本の社会や日本の国民の中で持っているかなり強いある種の統合力というか存在感というものは無視することはできないんじゃないか。だから私たちも日本社会の中での天皇制というものが持っている負の側面といいますか、それをどうとらえていくのか、どう批判し克服していくのかということは非常に大きな課題だというふうに思うんですね。共産党が今度の段階で憲法の第一条の象徴天皇制も含めて認めるという態度になりました。その結果日本の革新政党は現時点ではほぼすべてこの第一条を含めた象徴天皇制を認めることになったんですね。共産党はほぼ一貫してこの天皇制に最も激しい抑圧をされ弾圧をされた歴史を踏まえて「護憲」ということをずっといわなかったんですね。彼らは「憲法改悪反対」「憲法の平和的、民主的条項を守る」というスローガンでずっときたわけです。
女系天皇や天皇を謝罪の特使として使うのか使わないなどさまざまな議論がありますが、そもそもそんなふうな形で天皇制を使うって事はおかしいじゃないかという議論は全くマスコミの中ではないんですね。この天皇というものが持っている日本社会に対するインパクト、刻印は非常に大きいと思います。天皇制をわれわれ日本社会が持っていることによって、さまざまなかたちでの格差と差別、自由に対する侵害というものは大きいと思いますが、こういうものが今の憲法改悪反対運動の中ではどんな形であつかわれる必要があり、私たちはそういうものに対する批判的な眼を持ちながら憲法全体を守っていく、もし守っていくとするのであればそういう問題をわれわれが運動の中でどうやって克服し害悪を防いでいくのかということについての、ある種の戦略と方針というものを持たなきゃいけないんじゃないかと思っています。
イラクにも日本にも軍事基地はいらない 9条は世界への不戦の誓いイラク戦争開戦から丸3年になる20日を前に、全世界の反戦の声に呼応して、「WORLD PEACE NOW」は18日、東京・日比谷公園に2000人を超える人びとが集まって平和のための行動を行った。市民連絡会もWPNの一翼を担って行動した。
集会では自衛隊イラク派遣違憲訴訟弁護団の中島通子弁護士は「若い人たちと私たちの世代がつながらないと、世界は変えられない」と訴え、漫画家の石坂啓さんは「この国はイラク派兵で、曲がり角を曲がりきってしまった」と怒りを表明、憲法9条の大事さを訴えた。ミュージシャンのソウル・フラワー・モノノケ・サミットは音楽に託して平和を訴え参加者の共呼んだ。参加者は「イラク占領反対」「自衛隊撤退」などをコール市ながら、銀座をパレードした。
18日から20日にかけて、札幌、仙台、名古屋、津、大阪など、全国各地で市民によるイラク反戦の行動が行われた。またアメリカやイギリスをはじめ世界各地で反戦の行動が繰り広げられた。