湯浅一郎(ピースリンク広島・呉・岩国)
岩国での米軍基地再編の問題は、大きな山場を迎えている。自民党中央が、現職の井原岩国市長を見限り、4月の市長選で対立候補をたて、首のすげ替えをすることで、厚木からの艦載機の移駐を容認させようと画策する中で、2月7日、井原市長は、その前に、布石を打ち、あわよくば市長選に勝つべく任期が切れる直前の3月12日に、住民投票をすると発表し、いわば賭けに出たのだ。岩国市議会の保守派は、自民党中央の動きを受けて、「いつまでも絶対反対では、交渉のテーブルにも着けない」との立場を鮮明にし始め、「条件闘争への転換」をほのめかしている。
この時期、私たちは、岩国、広島から6人で沖縄での米軍の世界再編に関わる2つの重要な集会に参加していた。一つは「日米軍事再編・基地強化と闘う全国連絡会」の結成総会。70人が集り、熱気にあふれた集会となった。市民運動の全国的なネットワークには、私も運営委員を務めるキャッチピースがあり、それはまだ生きている。が、当事者性を持った運動体が、時宜を得てつくったものとして、全国連絡会の結成には大きな意義がある。米軍基地の再編で、焦点となっている沖縄、神奈川が核となり、岩国・広島が加わった。二つめは、作年10月の広島での「日韓のつどい」をきっかけに沖縄、韓国、ヤマトの連携で、GPR(米軍の世界再編)に対して共同の取り組みをめざすこととなった「東北アジアの平和構築のための国際シンポジウム」である。その間、田村さんの携帯電話は鳴りっぱなしだった。前日、市長が住民投票の実施方針を発表し、コメントを求めるマスコミ、仲間・他の議員などからの問い合わせがあいついだのである。3日、議会の約8割に当たる23人が、井原市長に対し、「議会の反対決議は生きているし、時期尚早だ」と議会を無視し、税金の無駄使いだとして、住民投票の中止を求めて相次いで直談判した。そして、5日、自民党山口県連は、4月の市長選で井原氏の対立候補となる人物の推薦を決定した。
岩国では、今、誰もが不安を持ち、浮き足立っている。住民投票に打って出た市長も、ある種の賭であり、議員の余りにも多くの住民投票反対の声に不安はあるはずである。ただ、艦載機受け入れに条件付賛成の人々にとっても、仮に住民投票で反対が多数を占めてしまったら、全国に与える影響、安部晋三氏の総理大臣就任などに大きな悪影響がでる不安がある。だからこそ、必死に住民投票をしないよう市長に迫っているのである。そして、市民も……。ここは、冷静に、全国のネットワーク、世論を集めて勝負に挑むしかない。
岩国市での住民投票は何としても成功させねばならない。ここで、勝つのと、投票率50%に届かずやぶれるのとでは、全国に与える影響が余りにも違う。この闘いは、間違いなく全国問題になる。政府・自民党は、米軍再編の突破口を開くために、必死になって大物を送ってくるはずである。それに対抗して、市民が小さくても、自分たちの将来を選択するチャンスである。今、岩国市民は、岩国の市民社会の構造を変える決定的に重要な機会に遭遇している。ラムズフェルド国防長官は、「歓迎されないところには基地はおかない」と言っているのだから、そのように意思表示することが第一義的に重要である。
10日、岩国では「住民投票を成功させる会」が発足し、徳島、沖縄などからの応援も受けながら、精力的な取り組みが進んでいる。3月5日には、錦帯橋の河原で、「イテンNO!」の人文字行動が計画されている。カンパやステッカーの購入など全国のみなさんのご協力をお願いしたい。
呉東正彦(弁護士)
(編集部註)1月28日市民憲法講座で呉東さんが講演されたものを、編集部の責任で大幅に要約したものです。文責はすべて編集部にあります。
昨年の選挙の後、10月28日に横須賀原子力空母母港化の話が出てきて、同じ日に自民党の改憲案草案が発表された。10月29日に米軍再編の中間報告が発表された。今日は、この中間報告をアメリカは一体どういうことを目指しているのかということを全体で捉えた上で、我々が何をやっていくべきかというヒントになるようなお話をできたらと思っています。
米軍再編の問題ですが、名護のヘリポートやキャンプ座間の問題として言われていますが、根本的には、日本をアメリカと一緒に戦える国にしていこうというアメリカの考え方がこういうものとなって現れているという事になろうと思います。
まず、キャンプ座間は余り使われずわずかな規模のものでしたが、ここにアメリカのワシントン州にある陸軍の統合作戦司令部である第一軍団司令部を持ってこようとしています。統合作戦司令部というのは太平洋地域、韓国、もっと西のほうまで含めたアメリカの陸軍の、場合によっては海、空、海兵隊まで含めた司令機能を果たすものです。
皆さん「安保条約に違反するじゃないか」ということをお考えになると思います。日本はアメリカに対して「極東アジアを守る」という限定付きで貸している訳ですから明らかに契約違反のことをやろうとしている。米軍再編の話のなかで、外務省の役人は、「これは必ず問題になる」と青くなったと物の本に書いてあります。安保条約そのものも壊し、それにかかっている憲法も壊してしまおうという中味が、考えられている。
もう一つ重要なのは、キャンプ座間の中に、陸上自衛隊の中央即応集団司令部(テロなどにすぐ展開できるような司令部)を米軍と同じ所に置こうとしているのです。これはまさにアメリカの軍事行動と自衛隊を一体化させようというものに他ならないのです。
二番目に横田です。当初は横田の在日米軍、第五空軍の司令部を、グアムに移転しようという話が出ていました。ところがいつの間にか話は消えて、そのかわり多少は縮小されるにしても、航空自衛隊の司令部が、横田を米軍と自衛隊が共同で使い、共同で訓練していく下地をつくるようなことが進められてしまっています。
それから3番目には、普天間基地の移転の問題で、今まではキャンプ・シュワブ沖、海上につくるということが計画されていました。しかし沖縄の人たちの粘り強い闘いで、現実にはボーリングもほとんどさせないような状態でストップしていたものが、今度は大幅に陸上部分に移して、陸上部分と海上部分にかかるような形で作るということで日米政府は合意したと言われています。しかしこの計画は沖縄県知事が反対しています。実は県知事の持っている「海」に対する権限というのは、強いんですね。日本の法律は、陸上は誰かのものであるが基本的に海は公のものであるし、公というのも国のものではない、自治体が権限を持っていると考えておりますので、この場合、ここのキャンプ・シュワブの海面は、沖縄県知事が管理権限を持っている。それを政府が取り上げようというとんでもない立法の動き、今年になるとまた出てくるかもしれません。
さらに、普天間基地からは空中給油機を海上自衛隊の鹿屋基地に移転するということが言われています。空中給油機は、飛行機が長く飛び続けるために空中で給油ができればどんどん航空距離が伸びていく訳ですね。そういう重要な意味をもったものを、自衛隊の鹿屋基地に移して、共同使用しようというような話が出てきています。
嘉手納基地のF15の部隊を九州にある築城基地や新田原基地に動かして、やはり共同訓練をやろうという動き、さらには、沖縄の陸上自衛隊の一部を、キャンプ・ハンセンへ移して共同使用しようというような話も出ています。また、厚木基地のNLP訓練を岩国基地に移して訓練をやろうという動きもあります。そのような流れの中で横須賀の原子力空母の母港化という話も出ている。様々に米軍の基地の配置を変えることによって、基本的には強化しようという動きになっているわけです。
この基本的な考え方の背景には、幾つかの要因がありますが、一つは、今アメリカは「軍事革命」をやろうとしています。
軍事革命というのは、アメリカの軍隊の非能率的になった部分を新しいものに変えていこうという動きです。例えば、飛行機が落っこちると兵隊が捕虜になったり死んだりする。だから「無人の飛行機にしようじゃないか」とか、中には「空母はもう時代遅れだからなくしてしまえ」という考え方があります。同時に、アメリカから紛争地帯へ即応的に展開できるように、米軍を固定しないで派遣できるような機動性を強化しようということが出てきている。アメリカの基本的な戦略が、冷戦時代とは変わって「テロとの闘い」のなかで「不安定な弧」と言われるインド洋とか西南アジアを重視するような戦略になってきている。もう一つは、中国あるいは朝鮮など東アジアを非常に重視したような配置になってきている。そういうなかで、日本をパートナーとして積極的に位置づけてアメリカと一緒にたたかわせようという発想が、米軍再編の根底にはあるわけです。
こうしたなかで、アメリカの目指していることが米軍再編の報告書の中に書いてあるんです。
在日米軍と自衛隊は、それぞれの司令部がありますが、司令部を同じところにおいて一緒に情報交換をしながら一緒に軍事的な行動をやっていこうとしています。テロとの闘い、イラクへの支援、インド洋における津波や南アジアにおける災害支援などをはじめとする国際的な協力、それからミサイル防衛構想などもあるんですね。日米の役割任務、能力に関する安全保障や防衛政策における最新の成果と発展を確認し、その中で二国間の関係の強化を図っていく、ということを言っているんです。「緊密かつ継続的な政策及び運用面の調整」ということです。今までは、あくまでも米軍が主であって、自衛隊はそれをサポートするということであったものが、自衛隊と米軍が一緒になって、それぞれが補完しあいながら共同で動こうということが目指されていると思います。
自衛隊の役割が、最初はヒヨコであった、それがだんだん米軍を助けるようになった、今は、米軍と一体化してくる。つまり自衛隊はだんだん米軍の一部のような形になってきて、米軍とともに動かせることを目指すような方向が書かれています。その中では「相互運用性の強化」ということが言われていまして、同じような情報を使い、同じような機械を使い、同じような中味で軍事的な作戦をやっていく、あるいは共同作戦計画をたてるということで、色々な想定をしている。
もう一つの問題があります。自衛隊は今までは、日本が攻められた時だけのために動くことができるし、米軍が日本にいるのも、日本が攻められた時のためだけである、という前提だった。それが自衛隊そのものが、米軍が攻められた、あるいは米軍の活動に積極的に助太刀をしていこうという動きが出てきています。これは今まで憲法の禁じてきた集団的自衛権の行使を、憲法を踏みにじっていこう、そこから踏み出していこうという動きがこのなかには書かれていることになります。
例の有事法制の関係も色々とふれられています。有事法制の本当のねらいは、米軍をサポートするために日本の自衛隊や、それ以外の私たちも協力させようというのが有事法制の本質だというのがよく分かるような書き方なのです。
例えばこういう書き方をしています。「日本は、日本の有事法制に基づく支援も含め、米軍の活動に対して事態の進展に応じて、切れ目のない支援を提供するための適切な措置をとる。双方は、在日米軍のプレゼンス及び活動のために安定的な基地を確保するために、地元と協力する」というようなことが書いてあります。ここで言っている「米軍の支援」というのはいわゆる米軍の後方支援ということです。後方支援というのは明らかに一緒の軍事的作戦行動なんですね。今までできなかった米軍への積極的な支援を、自衛隊がやるのと同時に、有事法制で色々な義務が課された例えば民間業者などについても書いてあるわけです。軍隊を支えるための民間のインフラの活用ですね、港湾、空港、道路、水域、空域、及び周波数帯の使用、などということが書かれています。かつて日本がそうであったように、戦争のためにすべての国民の物資を動員していく、そのために統制していくという枠組みというものが謳われている。つまり、有事法制は米軍の要求なんだということがハッキリしているような内容となっています。
さらにうたわれているのは、「米軍基地の警護」ですね。それから「双方は、よく連携のとれた協力のためには、部隊、戦術レベルから国家、戦略レベルまで情報の共有及び情報の協力を向上させる。そのために、より幅広い情報共有が促進されるよう共有された秘密情報を保護するために必要的な追加措置をとる」ということが書いてあります。これは何かというとつまり、スパイ保護法をつくれということです。米軍の情報が日本側から漏れないように、機密保護法のようなものをつくるところまで協力することがうたわれているわけですね。
最近私たちの仲間が神奈川で基地を監視していたら逮捕されました。そういう基地監視とか軍事的なものに関する制裁措置というようなものも、つくろうという動きが出てきている。あるいは、「空港及び港湾を含む日本の施設を自衛隊及び米軍が緊急時に使用するために、日本の有事法制を反映した形で協力する」というようなことが書いてあります。
秩序編成の裏にあるのは、今の日本の仕組みそのものも変えていって、日本の国全体を米軍がもし何かの事があった時に協力させるようにしていく、そういうような「アメリカによる日本の国家改造」のようなものを目指しているのがこの米軍再編の中間報告というものです。これは言ってみれば日本全体の基地化、そしてそのための国民統制というものに対する布石というのが徐々に行われようとしているということだろうと思います。
もちろんあくまでも有事法制とかガイドラインとか米軍再編とかは「日本を守るため」という建前で行われていますが、しかし実際には違うということが、この米軍再編の中間報告のなかにも、随所に見られます。例えば、「自衛隊及び米軍は、国際的安全保障環境を改善するための国際的な活動に寄与するために他国との協力を強化する」と書いてある。要するに「日本を守るため」ではないんです。日米がどこで一緒に訓練をし、活動をするのかというと、例えば中東であったり、インド洋であったり、「テロとの闘い」で、アメリカの補完をしていくという役割を自衛隊が果たそうとしているということになってくると思います。
もうひとつは、アメリカが、いま中国をだんだん「仮想敵国」化しようとしている。中国はだんだん経済的に台頭してきている。そのなかで多少軍事的には強くなっているんでしょうけれども、「中国は最大の仮想敵国だ」というとらえ方をしている面があるんですね。
アメリカは4年に一度ずつ「QDR」と言いまして、国防計画見直しというものをつくっている。その中では中国を意識し、太平洋にアメリカ海軍の潜水艦を6割、空母も半分以上配備するという方針、それからもうひとつはイラクなど「対テロ戦争」や「大量破壊兵器拡散防止」に重点を移す、と、そういう内容になっているんですね。これは今までの冷戦のような戦略から、明らかに極東、それから中東を重視した戦略に、アメリカが変わってきているということを表しています。特に、朝鮮半島も含めた東アジアに対する軍事力の増強、そしてそこで米軍と日本の自衛隊とが同じような軍事的な作戦ができるようにということを、求めているということは言えるのではないかと思います。
米国自体は、韓国を今までパートナーと考えていたのだけれども、韓国ではかなり反米運動が盛り上がっているというところから、ちょっと米韓関係というのが余りうまくいっていないようなんですね。それを補完するような役割を日本に求めてきていると思います。いま米軍と自衛隊が日本海あたりで行動するのは何のためかというと日本本土を防衛するためではなくて、アメリカの本土を防衛するためのミサイル構想のために、きちんとイージス艦などを置いて行動する、ということが目指されている訳です。
明らかにこれは憲法に抵触してきます。憲法が禁じている集団的自衛権の行使にあたりますよね。集団的自衛権の行使(の禁止)というのは、米軍は日本を守るため自衛隊を助けていいのだけれども、日本の自衛隊が米軍が攻められた時にそれを助けるのはだめだ、という原則です。
それともうひとつ、自衛隊には憲法が枠をはめてきました。枠というのは、日本の周辺でしか活動できないということ、それから集団的自衛権の行使はできないということ、それは明らかに、今までの日本の保守党の政権も憲法の中での自衛隊ということで確認してきたことなんです。それをアメリカは公然と踏みにじれという要求をしてきている。いま憲法の枠を超えた自衛隊をアメリカが求めているというなかから出てきているのが憲法改正の話ということになるんじゃないかと思います。
皆さん自民党の改憲案などもご覧になったかと思いますが、その中で、「自衛軍」という言葉がうたわれています。「自衛軍」つまり自衛隊は軍隊である、それから「国際貢献」をする、ということが書かれています。そこでは集団的な自衛権の行使もできるということが書かれています。今度絶対に憲法改正を許してはならないというのは、もし憲法が変えられてしまうと、自衛隊はただ兵器面で優れるだけでなくて、今まで自衛隊をしばっていた鎖というものが解かれてしまうわけです。憲法はまさに国家をしばる鎖でありますけれども、国家、中でも自衛隊をしばってきた鎖のなかで「海外に行ってはいけない」それから「他の国と共同で軍事作戦をやってはいけない」ということが解かれてしまうと、今のアメリカが海外でやっていることを、自衛隊ができるようになってしまう。むしろもっともっと危険なところに自衛隊がやられるようになってしまうというのは、これは非常に危険なことだと思います。そういうことを要求している中味がこの米軍基地再編の中間報告の中に、随所に見られる。つまり日本はとんでもない憲法違反の合意を、アメリカとしてしまっているということが言えるのではないかと思います。ここまでがまず、米軍基地の再編の話です。
横須賀ではアメリカの要望を受けて、10月28日に原子力空母の母港化が一方的に発表されました。日本政府は「これは『合意』ではない」という言い方をしているんです。アメリカの決定を日本が「ハイ」ということで伝えただけなんだと、堂々と言っているわけですね。これは主権国家のすることではないです。我々から言わせるならば、「アメリカが勝手に決めたことだから日本政府はまだ合意していない」のだから再協議ができる、ということで今後運動を進めようと思っています。
2005年10月から、日本政府とアメリカ政府は、口裏を合わせたように、原子力空母の問題について、5つの明らかなウソをついています。まず第一のウソは「原子力空母は安全である」ということです。皆さん、原子力空母が安全だということは信じられますか?原発でさえ事故を起こすのに、原発よりも船の上にある原子炉は極めて苛酷な状況にあるわけです。いつ敵のミサイルを打ち込まれるかも分からないし、いつ座礁するかもしれない。そして台風に遭うかもわからない。船の上だからいつでも揺れている。原発というのは大きなドームみたいな格納容器があって、そういう空間が事故を防ぐ役割を一つには果たしていますけれども、アメリカの海軍の原子炉は本当に狭いところに閉じ込められています。
しかもアメリカの原子炉は、原発と同じで97%濃縮ウランを使っています。そういうものが何かのはずみで暴走を始めたらどうなるのか、非常に不安です。しかももっと危険なのは、原発にしても、動かしている時よりも止めた時のほうが危険なんですね。今まで日本の国内では原子炉にまったく手を付けなかったものを、これからは少なくとも、簡単なレベルでの部品の交換とか、冷却水の交換を考えているわけです。そうすると確実に、低レベルの放射能が私たちの環境の中に出てきます。それがだんだんに蓄積され、東京湾でとれた江戸前のタコとか鰯とか色々なものが汚染されていく。あるいは三浦大根とかイチゴとかスイカとか、そういうものが汚染されるだけではなくて、環境の中にも影響が出てくるということが言えるわけですね。
事故の危険性も非常に高くなります。アメリカの軍艦原子炉は、日本政府には一切チェックはさせないと宣言をしている。だから何が起こっているのかさっぱり分からない。ただまわりで放射能の監督ができるだけであって、ノーチェックの状態での原子炉が入ってきている。これは危険ではないでしょうか。現実に放射性物質は基地の中に置くか、あるいは船の中に置いて本国に持って帰るということを考えている。将来的には放射能的な作業をやる工場もつくって作業を秘密でやろうと考えているわけです。
そういう状態になってしまうと、いつ事故が起こるか分からない。修理作業を行ったほうが、事故の可能性は少し高くなる。横須賀基地の造船所はすごく色々な施設もあるし、従業員の能力も高くてアメリカは絶対に手放したくないような場所なんですね。おまけにドライドックというのがひとつあって、空母を中に入れたまま修理ができるものまである。色々な修理作業が行われるとやはりその中で放射能もれがあったり、重大な事故につながりかねないようなことが起こってきます。さらに心配なのは、そういう施設ができると、こわれた原子炉を横須賀に持ってきて海の上で修理をしよう、あるいは戦闘で破壊された原子炉を本国に持っていけないから横須賀で修理しよう、そういう話が必ず出てきます。
30年前にミッドウェーが来た時には「母港」という言い方もしていません。「従業員の海外移住計画である、2・3年しかいない」「NLPもやらない」と言っていました。みんなウソだったわけです。いったん原子力空母を受け入れたら、私は最低50年は居着くのではないかと思います。そうすると、50年間のあいだ事故が起こらないと誰が約束できますか。小泉首相なんか50年たったら死んでるわけです。そういう状態のなかで事故が起こった時に、誰が責任をとれるのでしょうか。
それから人的な問題――つまり原子炉を管理しているのはハイグレードな資格を持った人たちだけれども、そういう人たちのなかでも、中には酒を飲んだまま監視していたとか、破壊行為をやったとか、あるいは検査にインチキやごまかしがあったとか――そういうようなことが実際に報告されています。そういう人的なミスで事故が起こりかねないという面もあるわけですね。
今から15年前にアメリカのジャクソン・デービスさんという人が、もし横須賀で原子力潜水艦が事故を起こしたらどういうことになるか、ということをアセスメントしました。そうすると、アメリカの原子炉は20年に1回しか燃料交換をしないから、「死の灰」がたまりにたまっています。それが出てくると、夏など東京湾はほぼ南風が吹きます。一時間に、風下で扇形30度くらい、大体50キロ以内のところに死の灰が降下することになる。東京も入ります。横浜は当然放射能で汚染されることになります。ジャクソン・デービスさんは、条件次第では、「長期的にみて10万人以上の死者が出る」というふうに推測しているんです。
それだけではありません。放射能のこわいところは放射能がいったんとりつくと、建物からも地面からもずーっと出続ける。とりついた建物自体が巨大な放射性廃棄物になるわけで、それを一体、どこに捨てるのでしょうか。結果的にはその辺一帯に、立ち入りができなくなってしまうんですよ。チェルノブイリ原発の回りでは、事故後20年経っていますが数十キロの範囲内で立入禁止のところがまだまだあります。日本の経済自体がマヒしてしまうような危険性が出てくる。そういう危険なものを果たして受け入れるのですか、ということが今まさに問われている。そういうことをまったく小泉首相も考えていない。「横須賀に原発を作りますか」といったら作りますか?誰が納得しますか?それがなぜアメリカの言うことだと納得しないといけないのか。「原子炉が安全だ」ということ、これがまず第一のウソなんですね。
それと関連して2番目のウソは、「日米間の手続きを守る」と言っていますが、手続きというけれど、日本政府は一切、アメリカ海軍の原子炉を見ることもできない、チェックすることもできない。実際に事故を起こした後の原子炉が入ってくるとしても本当にそれを拒絶できるのかどうかも分からない状態だと思いますよね。さらに「横須賀では修理はしない」と言っていますが、軽修理はしないと母港としての用は果たしません。ですから修理することに伴う危険というのがある。
横須賀というのは軍都なので保守的なところなのですが、横須賀市長は「空母そのものの母港撤回を求める」という言い方はしないけれども「通常型の空母を配備しろ」という範囲で反対をしている。そこではかなり頑張っている。それに対してこういうデマもある。一つは、日本の防衛上「通常型より原子力型のほうが優れているんだ、だから良いんだ」、あと一つは「原子力型しかないんだ」という言い方がありますが、でもこれは両方ともおかしいことです。実際は、原子力空母より通常型のほうが即応性があるのです。なぜかというと原子力空母は非常に精密なものだから、何ヶ月かごとの定期点検をきちんと時間通りにやらないとダメなんです。通常型は、出したり入れたりできる。原子力空母のほうが速く動ける、というけれども、湾岸戦争の時に実際到達した早さは変わらなかった。実際には通常型のほうが稼働率は高い。さらにもうひとつ、原子力空母はイラクからのミサイルや機雷の攻撃を避けるために、通常型より後ろで作戦行動をしていたと言うのです。これは日本の防衛を重視する愛国者にとっても、おかしいでしょう?「原子力空母をそんなに前に出せないのに何故(母港化)なんだ?」ということになって、これはおかしい話なんです。
もうひとつの「原子力空母しかない」という、これもとんでもないウソです。今回私たちアメリカに行ってきたのですけれども、アメリカの議会は通常型の空母をはっきりと残すという方向での予算を今年成立させています。そういう意味では、保守的な人も含めて、原子力空ではない現実的な選択肢というのはあるんですね。だから日本政府が、小泉さんが「通常型空母しかダメだよ」と言ってくれさえすれば原子力空母は来なくてすむんです。ところがそれを言いなりにしてしまっている。これは地元の声とか国民の声とか安全よりもアメリカの都合を優先させている。しかもアメリカでは、海軍は「原子力空母を」と言っているが、議会では通常型も考えろ、という言い方をしている。ですからアメリカの、軍の、政府の都合を優先させたものにしか過ぎない。これは本当にまったくけしからんという以外何者でもない。この原子力空母の問題について、決まってしまったものでもありません。
それから米軍再編の問題も、決まったものではないですね。皆さんご存じの通り、この発表があってから、すべての自治体が米軍再編計画に反対しています。九州の鹿屋なんて、――薩摩人だから「国防のために」と思ったのかもしれないけれども――彼らは「我々は自衛隊のためならば良いのだけれども米軍はダメなんだ」という。何か、愛国的に反対していますしね、今あらゆる自治体が反対しています。住民も色々と反対をしています。しかも今回の特徴は、小泉政権の全体に共通しているのですけれど、全然地元への根回しをやっていない。まったく完全に一方的に決めてやってきている。これは本当に各地の人たちが一斉に怒っていますし、様々な反対運動が起こっています。
そこで、ひとつの参考資料として、これは相模原市の広報です。我々の「アジビラ」ではありません。私も驚いたのですけれども、この相模原市の広報に「到底容認できない」「戦車にひかれてでも闘う」ということを市長が言ったりしていますし、「黙っていると百年先も基地の町」という垂れ幕が、相模原の市役所に書いてある。面白いですよ。何故かというと、この相模原というのは「基地の町」であって一番中心の相模原駅の北側は相模原補給廠という基地と一体となっていて、道路も都市計画も何もできない。こういう状態なのでやはり黙ってはいられないという怒りがありまして、自治会が中心となって20万人の署名を集めました。「キャンプ座間を返せ、相模補給廠を返せ」というシールがごみの収集車にも貼ってあったりします。とにかく、相模原市は市を挙げて、しかも自治会を挙げて、非常に強力な反対運動をやっている。市長も先頭にたって署名運動をやっています。残念ながら横須賀市はまだそこまではいっていませんけれども、でも市長もいちおう反対はして、この前もアメリカに行ってきました。
こういう動きが全国あちこちで起こっています。岩国でもそうです。九州でも起こっています。様々な自治体がみんな怒っています。そしてそれと同時に、いま自治体を横断しようという動きが出てきています。例えば神奈川県知事と沖縄県知事が一緒に会見をもちました。また神奈川県知事は、座間の問題と横須賀の問題で、市長に呼びかけて色々な行動をとろう、としています。そういう動きがある。それから、民間レベルでも再編問題に対して反対しようという動きがあって、先日1月8日に会議をまずやりましたが、今度2月3日に沖縄でそういう会議をやろう、という横断的な運動が出てきているんですね。
基地のあるところはみんな燃えています。本当にこのまま負担が大きくなるのはイヤだし、決め方がいかにも押しつけでひどいじゃないか、という声は非常に強いです。地元の安全を無視して負担を押しつける日本政府プラス連合軍、対住民と自治体、という大きな綱引きが全国で始まったのかなあと私は思っています。どこも保守的な首長なのにこんなに住民のために頑張ってくれるというのはすごいことだと思いますよ。やはりそれは、街づくりの観点から、政府の話を全部呑んでいたらダメだ、ということで、沖縄の稲嶺知事だって頑張っているじゃないですか。自治体というのは住民のためにあるものだし、住民に支えられた自治体というのは強いものです。と同時に、自治体の様々な権限というものがあるわけです。特に強いのは海に関する権限です。
横須賀の場合でも、市長が反対すれば原子力空母のための新設工事はできない。沖縄でも埋め立てはできません。それはなぜそうなっているかというと、日本国憲法自体が過去の反省からそういうような港湾などを国に持たせたら戦争をやるから、だから自治体のものにしよう、と考えたのだろうと思います。そういう戦後の流れの中で自治体は、いくら軍事だから、非常時だからと言ってそういうものを奪うことはできないということを、憲法の枠組みとして確保している。
つまり地方自治とか、法律による権利の保護というものを例外なく認めているということも、憲法のある大きな意味なのですけれども、しかし自民党はいまこれを取ろうとしている。例えば沖縄県知事に対して埋め立ての許可の権限をとってしまおうとしている。これはルール違反ではないですか。そんなことをしたら、皆さんが沖縄県民だったとしたら「独立だ!」ですよね。反対の動きをする県知事の権限をヤマトのために奪ってしまうというひどいルール違反であり植民地的なやり方を考えている。今年の通常国会ではこの問題が大きな争点となってくると思いますけれども、そういうことで、全国的に、日米政府と住民プラス自治体の大きな綱引きが各地で始まっていると思います。
横須賀では皆さんご存じの通り、正月に米兵による殺人事件が起こりました。本当に街の中でなんですよ。朝の通勤時間帯でしかもあれは、どうも強かん目的もあったようで、最初若い女の子に声をかける、そのうち被害者に声をかけたようで、けっこう着衣の乱れがありまして、強かん目的もあるだろうし、殴って金を取ってという目的もある。けれど実はそういうことは、余りニュースにならないだけであって、横須賀ではたくさんあるのですね。被害者が見つかればいいのですけれども見つからないで泣き寝入りするというケースはけっこうあります。この前八王子でもひき逃げ事件がありましたよね、そういうことが様々に起こっている。
そういうなかで市民はだんだんに変わりつつあると私は思います。特に今回、原子力空母の問題が起こってから、様々に署名も寄せられています。署名をしてくれる人も多くなっていますし、全国的にもインターネットで署名など沢山寄せられて来ています。やはりこの問題はおかしいよ、ということ、そしてこの問題はやはりみんなの安全の問題なのだということは、私たちも運動をやりながら、むしろいろいろな人たちから教えられつつやっているところです。
私はこの米軍再編問題について、反対の民意を強くし、自治体と結びつけ、またそれを、憲法を守る運動などとも結びつけていきながら、これが私たちの大きな民意なのだ、という動きを作りだしていくことが非常に重要なのではないかと思います。要するに、みんな問題の構造は似ているわけです。
建物の構造計算の問題にしても、元々なぜあのような問題が起こったかというと、要するに、アメリカは「対日要求書」を毎年出している。それをアメリカ大使館のHPで見ると、日本に「こういうことをしろ」というようなことを、日本政府に色々と言ってきているわけです。建築基準法をゆるくして、民間の検査機関を入れろと最初に要求したのはアメリカです。郵政民営化もアメリカの要求が入っています。もちろん、牛肉輸入解禁はアメリカの要求です。ライブドアがやるようになった株式の分割とかそういうようなものができるようにしたというのは、元々それはアメリカの要求からです。アメリカによる日本の国家改造計画の元締めになっているのがこの「中間報告」であり、憲法改正の動きである訳です。
最後に、私たちの原子力空母の問題も、米兵問題などもからめながらこれから頑張っていきたいと思っておりますが、当面は2年後の問題ですからやはり今年大きく盛り上げていきたいなと思っています。いま皆さんからご協力いただいている署名が35万集まっているのですけれども、それを何とか3月末までに50万の大台に持っていきたい。それで再度県知事とか市長に出しつつこの計画の撤回を是非迫っていきたいと思っています。
様々な全国の運動と提携しながら、盛り返していくということが必要なのではないかと思います。 そしてやはりその時に忘れてはいけないのは、憲法が守っている一人ひとりの価値、みんなを守っている、そういったところへの共感というものはみんなが共有していけるものではないかと思いますので、ぜひ各地の色々な運動が手をつなぎながら、この今の憲法の危機とか平和の危機というものをはね返していければいいなと思っています。
衆議院議員 枝野幸男(民主党憲法調査会長)
貴団体の日頃の熱心なお取り組みに深く敬意を表します。
先にいただいた質問状につきまして、以下の通りご回答申し上げます。
1)民主党「憲法提言」では、新しい憲法を論議する第一の理由として、日本国憲法の基本理念の深化・発展という方向のなかで、新しい時代にふさわしい「未来指向の憲法」を構想する必要があるという立場を表明しています。憲法の空洞化に歯止めをかけ、「法の支配」を取り戻すということも、その具体的要素の一つであると位置づけています。
この点について、貴団体のご質問状では憲法を変えるよりも恣意的解釈を行ってきた政府やそれを許してきた国会の責任を糾すことが先決であるとのお考えを表明されているようです。もちろん、私たち民主党は、国民から立法権や国政調査権を委ねられた者として、多数党や政府の暴走を監視し歯止めをかけることを、とりわけ野党第一党である自らの重要な使命と認識しており、その使命を果たすために日夜奮闘してきました。しかし、最終的には、現在の情勢のもとで憲法そのものが政府の行為についての明確な歯止めになるように、その条文を見直していくべきだと考えます。同時に、違憲審査制度のあり方などを見直し、しっかりとした憲法保障の仕組みを憲法の中に組み込んでいくことも必要だと考えます。
2)「国民の多くは9条を変える必要性を認めておりません」とありますが、このことは新聞等の世論調査によってではなく、憲法制定権者たる国民自身による憲法改正国民投票によって決せられるべきものであると日本国憲法は定めています。国会はその改正案を発議する権限を憲法によって付与されておりますので、一般論として、なぜ改正が必要か、どのような改正を行うべきか等について政党や国会が国民に提案し、国民との対話を活発に繰り広げていくことは当然であり、「立憲主義の原理からも大きな問題」だというご指摘はまったく当たらないものと考えます。
また、人権諸規定をめぐる問題についても、質問状は「いわゆる『新しい人権』は現憲法下での立法や施策で具体化・保障できるものばかり」だと切って捨てています。しかし、課題は個々の「新しい人権」規定の創設だけではありません。多数党や政府が「国家・公共対個人」という対立図式を前提にした「国民の義務」論を声高に叫ぶなかで、これに代わる新たな公共哲学をどのように構築していくかは、「公共の福祉」概念の再定義や違憲審査基準の明確化とあわせて、きわめて重要な憲法的課題だと考えます。
3)近年の国民投票法制をめぐる議論が、主に自民党などの憲法改正論の一環として浮上してきたことは否定しません。しかし、議論のきっかけは何であれ、国民投票法制はもともと日本国憲法の附属法典として整備されることを予定されていたものであり、日本国憲法下で立憲主義が真に機能するための不可欠の手続き法の一つであることは間違いありません。むしろ、「多くの国民は国民投票法がないことによって何らの権利侵害や損失を受けていない」から憲法改正国民投票は必要ないのだ、という論法こそ、「立憲主義の原理からも大きな問題」だと言わざるを得ません。
民主党は、立法府や行政府にどのような権限を委ね、どのようにこれをチェックさせていくかということに国民が不断の関心を持ち、日々その権限を行使していくということが立憲主義の核心であり、そのための不可欠の前提が憲法改正国民投票法制の整備であると考えます。
4)
(1)投票権者の資格年齢について
国民投票の投票権者資格年齢については、諸外国の多くの例も踏まえると、18歳とすることが妥当だと考えます。民主党は、選挙権年齢についても18歳に引き下げることを提案していますが、選挙制度はあくまでも憲法という土台の上に構築されているものであり、その土台そのものの是非を問う憲法改正国民投票について、必ずしも同一の年齢資格によるべきものとは考えません。未成年者の人権に関わる憲法規定の改正など、個々の改正のテーマによっては、両議院の議決により年齢要件を下げることができることとしています。
(2)国民投票までの期間について
ご指摘の通り、国民が憲法改正の是非、改正案の意味内容を熟慮し、議論・検討するためには十分な期間が必要です。また、周知期間は、一律に決めるべきものではなく具体的テーマごとに検討する必要もあります。他方、憲法という国の根本に関わる法規範について改正が発議された場合、国政にも少なからぬ影響を及ぼすものと考えられます。特に、改正が発議されながら長期間にわたって結論が出ないという状況が続く場合には、国民生活全般にも影響が生じる可能性もあり得ます。これらの事情を勘案し、民主党案では発議の日から60日以後180日以内で国民投票の期日を定めることとしました。
(3)国民投票公報の作成について
民主党案では、憲法改正案の発議に反対した議員があるときは、「国民投票委員会」に「反対の表決を行った議員」のうちから各議院「二人」を超えない範囲内での委員を選出しなければならないとしています。これは、憲法改正案については、国民に判断材料としての正確な情報が提供されるために、反対議員が一人でもいる場合には、国民投票委員会が行う周知・啓発活動に賛否両論の意向が反映されるようにする意図です。
国民投票委員会をどこに設置するかについては、日本国憲法が改正案発議・提案の権限を国会に付与しており、会計検査院のような憲法上の独立機関を設けることとしていないこと、発議案をめぐる賛否それぞれの当事者が直接その周知・啓発にあたることができることなどから、国会に置くこととしたものです。
(4)内閣の関与について
民主党案では、内閣による憲法改正の発案を認めていません。また、国民投票の実施に関する事務についてのみ中央選挙管理会、都道府県・市町村の選挙管理委員会が行うものとしており、国の行政機関や地方公共団体の執行機関が改正案の内容について意見・論評を発表してはならないものとしています。
(5)投票用紙及びその様式について
民主党案では、投票用紙を国会の発議に係る憲法改正の議案ごとに調製しなければならないとしており、投票実施事務を行う機関が「内容的なまとまり」を判断して投票用紙を調製するものではありません。
なお、憲法改正案の発議にあたっては、国民がこれに対する賛否を適切に判断できるよう、内容的なまとまりごとに、それぞれ一の議案として議決することを発議機関である国会に対して義務づけることとしています。したがって、何をもって「内容的なまとまり」と判断するかは、法律の立法趣旨を踏まえて発議機関である国会が適切に判断すべきものと考えます。「内容的なまとまり」の判断基準としては、例えば、「当該条項のみの改正によっても改正目的が達せられ、かつ他の条項と齟齬を来すこととならない最小単位」と言えるかどうか、「改正目的が相互に密接に関連し、同時期に一体として国民に判断を求めることが合理的」と言えるかどうか、などが挙げられるものと思いますが、いずれにしてもこれらの判断は法律の規定とその趣旨を踏まえて国会が行うこととなります。
(6)投票方式について
憲法改正国民投票は、国民の積極的な賛成意思を基準に考えるべきです。よって、記載欄への○印以外の記載は、反対票とされるのが妥当だと考えます。
(7)過半数の「分母」問題について
法律的に投票率50%未満の場合は国民投票自体が成立しないという規制をかけると、改正案反対派の不戦勝になるという弊害が考えられます。そもそも国会は投票率が50%を超えないような発議はすべきでないですし、投票率が50%未満の場合は、発議者が政治的責任を負うべきだと考えます。
(8)テレビ広告について
テレビ広告については、例えば人の顕在意識を通り越して潜在意識に繰り返し働きかけるような、いわゆる「サブリミナル効果」などを狙ったスポット広告などの問題があることは認識しております。しかし、テレビ広告一般について一律の法的規制を行うべきかどうか、そもそもどこまで有効な法的規制が可能か、などについて十分な検討が必要と考えます。
(9)運動規制について
民主党は、基本的に刑法や国家公務員法等、他の法律で刑事制裁が定められている行為類型については、国民投票法制のなかで加重類型などは設ける必要はないと考えます。また、例外的に運動を規制する場合は、政治的表現の自由を不当に制限する運用がなされないよう、十分な歯止めを設ける必要があると考えます。
(10)定住外国人の意見表明権などについて
特定候補者の当選を目的とする選挙運動と異なり、憲法改正問題について政治的な意見表明と国民投票運動の切り分けはほぼ不可能と言わざるを得ないことから、民主党案では、運動規制は基本的に「規制ゼロ」から考えることとしています。定住外国人はもちろん、外国報道機関や外国人旅行者であっても政治的な意見の表明、政治的意見にわたる論評を行う権利は通常保障されるべきですので、これらの者について特別な規制は困難であるし、設けるべきではないと考えます。
一方、投票権については、日本国憲法を基礎づける国民主権原理に照らして、その制定・改廃権限が日本国民に属しているものと考えるのが適切であり、永住外国人等にこれを付与する考えはありません。
(11)訴訟提起について
出訴期間を何日かにするかは、国民投票の効果の早期確定の要請と出訴準備に必要な時間的余裕を踏まえ、検討していくべきだと考えます。
国民投票無効等の訴訟は、中央選挙管理会を被告として提起することとしていること、個々人の利害に基づく紛争ではないことや、別に定める投票効果停止決定の手続きとの関係などからも、東京高等裁判所1か所で集中的に審理させることが適当であると考えます。
富山洋子(日本消費者連盟)
私は、1947年5月3日、日本国憲法が施行された時の胸の轟きを忘れることができない。
私は、殺したくない、殺されたくという願いは万人共有のものであり、土着の思想であると捉えている。戦争は国家の命令によって、人々を殺したり、殺されたりする立場に追いやる。 前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し」、「全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、第9条に「戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認」を規定した日本国憲法は私にとって宝物であり、平和憲法を施行した日本という国家に希望を託した。同時に戦争の加害者にも被害者にもならない生き方を選びたいという志が芽生えていた。当時、私は女学校2年生だった。
しかし、この宝物が無傷であったのは、施行後3年間に過ぎず、1954年には、防衛庁が設置され、陸海空の自衛隊が発足した。
日本政府は、2001年10月にテロ対策特別措置法を成立させ、自衛隊をインド洋に派兵、ついで04年12月には、イラク人道復興支援特別措置法(03年7月成立によりイラクへの自衛隊派兵を遂行、アメリカが仕掛けたイラク戦争・占領に加担してきている。
私は、主権者の一人として、政府によるこれら憲法破壊の行為を阻止できなかった無念さ噛みしめつつ、「WORLD PEACE NOW」を始めとして、仲間たちと共に、戦争反対、憲法破壊を許さない、憲法改悪反対の取り組みを続けている。そのひとつとして、2004年5月、自衛隊のイラク派兵の差し止め、イラク派兵が違憲行為であることの確認等を求める訴訟を、東京地方裁判所に提起した。イラク派兵違憲訴訟は、各地域で多様な形で取り組まれているが、私は、代理人なしの原告として、裁判を続けている。
被告・国は、「平和のうちに生存する権利は抽象的な概念であり」、「原告らが主張する人格権は具体的な権利とは認められず、国賠法上保護された利益と認められない」とし、また、「本件における自衛隊のイラク派遣それ自体は、原告らに向けられたものではなく、原告らの具体的権利が侵害されたということは、およそあり得ない」と主張している。
私は、これに対し、反論してきているが、2月の法廷では、次ぎのように述べた。
日本国憲法は、平和を国家の政策としてだけではなく、一人ひとりが権利として享受する人権として位置づけている。平和の阻害自体が人権(平和的生存権)の侵害である。
長沼ナイキ訴訟第1審判決では、基地周辺住民の平和的生存権が侵害されることを認めた。「有事」の際の攻撃対象になるなどの不利益は決して許されるものではないが、日本国憲法における平和的生存権は、国家による「平和」を阻害する行為、戦争に協力することはもとより軍備や基地をを保有する等を許さない、排除していくための権利、一人ひとりの生き様につながる積極的な権利であり、血肉化した権利である。この権利を抽象的な権利とは言い得ない。
憲法第9条こそ主権者の平和的生存権を体現する中核をなすものであり、9条を踏みにじった自衛隊の海外派兵は原告の平和的生存権を著しく侵害するものである。
4月には結審と言い渡されたが、判決の如何によらず平和的生存権を余すことなく行使・確立していく生き方を、仲間たちと共に貫きたいと思う。
小針英子(仙台)
私がそもそも新聞、特に地元紙に投稿しようと思ったのは、只々自分の意見を公表したい、活字に取り上げて貰いたいという不純?な動機からでした。
私が書いた文章で、誰かを動かすとか、問題提起をして少しは世の中のお役に立ちたいなどと高邁な考えは露もありませんでした。少なくとも当初は。それほどいい加減と言うか、辺りを気にせず、思うが侭の文章を書いていました。
ところが、2001年8月に「つくる会」の歴史教科書を批判する投稿を載せたところ大ブーイングを喰らったのです。これには驚きました。頭をガツンとハンマーで殴られたような思いでした。
充分な下調べをし、緻密な文章を書き上げたつもりでしたが、表現不足を突かれて、徹底的に〃叩かれて〃しまいました。
その時悟りました。「一字一句手を抜くな」と。あまりの衝撃で立ち直れない状況下に、何と〃援軍〃が現れたのです。次から次と読者の投稿欄に私の意見に同調する人が出て来たのでした。私はもう嬉しくて、涙が出そうになったほどです。
今まで何の反応もなく、ただ掲載されているだけの投稿に些か不満も感じていただけに、この時ほど新聞の影響力を思い知らされたことはありませんでした。
それから、2002年3月に「平和への思い」と題して、アメリカやNATOのアフガン侵攻に抗議するエッセイを投稿し、掲載されたのですが、その直後新聞社から賛意の声が届いたとの連絡が入りました。見も知らぬ一女性からの賛同や励ましの手紙、メールは、爾来延々と続き、今では私にとって〃掛替えの無い〃友人になっています。
2004年11月の「憲法9条を守る宮城集会」時には、一緒に事務局のお手伝いをして頂き、本当に助かりました。また、署名運動などにも積極的に協力して下さり、とても心強い存在となっています。
このように、投稿によって得られるものは数多いのですが、昨年4月に掲載された「9条を守ろう」という私の一声が、一人の女子高校生に、そしてまた、主婦の方に引き継がれて行ったのでした。
実は、この投稿、河北新報社のコラム欄に書かれていた文章に私が共感、同調した形で送ったものでしたが、それがちょっとした鎖で繋がったのには感動してしまいました。
これがご縁で、その女子高校生とは〃メル友〃となって、お互い情報の交換をしたり、投書を見せ合ったりと楽しいお付き合いをさせて貰っています。
投稿歴まだ7年足らずですが、少年法「改正」の動きに警戒感を強めて初投稿して以来、脳死臓器移植に関する疑問や意見、靖国参拝及び歴史認識問題について、またアフガンやイラク戦争反対のメッセージ、更には憲法や教育基本法「改正」のうねりに抗してなど折りに触れて意思表示を続けて来ました。
本当に小さな、ささやかな社会参加、提言ですが、時に大きな反響を呼ぶこともあり、一層気を引き締めて、これからも新聞、雑誌に投稿をし続けたいと願っている次第です。
但し、ボツになる確率も私の場合結構高いので、あまり過激?にならないよう、内容も硬軟取り混ぜて、多種多彩な(まだまだですが…)発想、表現に取り組むことも原稿採用のコツではないかと実感する今日です。
マスコミも殆どが右傾化している昨今、特に政治的発言はどこまでが許容範囲なのか、常に念頭に置いて書く必要があります。できるだけ怒りや憤りといった感情を抑え目にして、慎重かつ丁寧に言葉を選んで書くより手はないかと考えます。
そういう意味では、忍耐と根気が要る作業ですが、採用された時の〃喜び〃はまたひとしおですので、是非皆さんにも新聞や雑誌に投書してみることをお奨めします。特に、地元紙は中央の大新聞に比べて掲載率が高いことと読者層の大半が地元住民ですので、より身近に感じられ、影響も大きいような気がします。
デモや集会に直接参加できない方、しない方、それでも現在の社会や政治に対して、不満のある方や一言物申したい人は沢山おられると思います。一人でも社会参加できるマスコミへの「投書」は、貴方にとっても確かな「人生の証し」となるでしょう。
例えボツになったとしても、少なくともその担当者は見ているはずです。決して、原稿が無駄になることはないのです。さあ、貴方も思いの丈を文章にして、マスコミに送ってみませんか。
民主党の枝野幸男憲法調査会長に対する市民連絡会の質問への回答がきた。「漸く」という感じだが、ともかく回答を寄せた枝野さんには敬意を表したい。回答に対する私たちのコメントは別途発表することにしたい。自民党はこの国会で何としても「国民投票法案」を通したいと、妥協策を含めて民主党に秋波を送っている。ここは民主党の真価が問われていることを枝野さんには心してもらいたい。いよいよ山場になった。市民連絡会はいまできることを何でもやって、この法案を阻止したいと考えている。志を同じくする全国の皆さんの共同を呼びかける。(T)