私と憲法57号(2006年1月25日発行)


この国会期間で、悔いを残さない積極的な闘いを!

第164通常国会が始まった。小泉首相は開会冒頭の施政方針演説でこの国会に「国民投票法案」を提出することを表明し、「教育基本法の改悪」や、「皇室典範の改定」について言及した。この通常国会は「地獄の釜のふたが開いた」といわれたほど悪法を量産した1999年の145通常国会に匹敵するほどの歴史反動の国会になる可能性がある。

自民党の軍事大国路線推進派や防衛族の念願であった防衛省設置法案も公明党との合意がはかられつつあり、国会上程は目前だ。国際平和協力活動を自衛隊の「本来任務」とするための自衛隊法改正案は、1990年代初期のPKO法の成立と自衛隊法の「雑則」にこの任務を規定して以来の制服組などの念願であった。そして2005年秋の日米首脳会談で確認された「日米同盟」の拡大強化をはかるための米軍再編推進関連法案が用意されている。またこの間、国会で阻止され続けてきた「共謀罪」法案も再々度の強行が目論まれている。

自民党憲法調査会の船田会長は1月初め、共同通信のインタビューに答えて「(国民投票の実施は)3年以内、08年には最初の問いかけを実施したい。以後は5年に1回ずつ、段階的に2回か3回かけて新しい憲法の姿にするのが現実的だ」と述べた。
この「2008年国民投票論」には、この年を置いては少なくとも2011年まで難しくなるという日程上の判断もある。すでに与党と民主党の間には改憲の国民投票は国政選挙と同時には行わないという合意がある。同時投票実施は実務上も難しいだけでなく、「憲法改正」という問題を政策の相違を争う選挙と一緒にすべきではないという合意である。そうであるなら国政選挙のある年にそれとは別の時期を選んで国民投票を行うのは至難である。2007年と2010年は参院選がある。衆院選は2005年に与党が大勝したため、次は与党が減る可能性があり、与党は解散を好まない。一般には衆院選は任期ギリギリの4年後の2009年が予想される(もとより、突発的な解散があり得ることはいうまでもない)。ということで、船田会長の2008年説は一定の根拠があるのである。しかし、これはもし国民投票法の制定が遅れたり、改憲案の策定が遅れれば、2011年以降になるということでもある。

今年、改憲反対のたたかいが盛り上がれば、こうした局面をつくりだすことは可能なのである。私たちは国会内の9条改憲反対勢力と連携しながら、当面、この改憲のための国民投票法案の国会上程に反対し、その採択に反対して闘う必要がある。そのために可能なあらゆる手だてを尽くす必要がある。
通常国会の開会日、私たちの市民連絡会も加わっている「5・3憲法集会実行委員会」は議員会館の会議室に超満員の170余名の人びとによる「改憲暴走を許さない、国民投票法案反対」の院内集会を開いた。これには社民、共産、無所属の14人の国会議員が参加した。1月17日には民主党の枝野幸男衆議院議員に市民連絡会から公開質問状を提出した。また1月18日を締切とした憲法改悪のための国民投票法案に反対する団体共同声明には全国から285団体が連署した。私たちはいまこうした行動を全力で展開したい。3月の「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」はこうした運動にいっそうドライブをかけるものとなるだろう。
(事務局・高田健)

このページのトップに戻る


2006年1月17日
民主党衆議院議員枝野幸男様
「憲法改正国民投票法」に関する質問

日頃のご活躍に敬意を表します。
貴下は民主党内だけでなく国会においても憲法問題で重責を担っておられますが、今年はその役割はさらに重大になることでしょう。そこで、1月20日に開会される通常国会を前に、私たちは当面の焦点となっている「憲法改正国民投票法案」について貴下のお考えをお聞かせ願いたく、以下の通りお尋ねいたします。ご多忙中とは存じますが、1月31日までに文書で下記連絡先までご返事戴ければ幸いです。ご返事は私たちのネットワーク(全国各地の草の根の市民グループなど約200団体が参加)を通じて各地の市民団体に紹介したいと考えております。

1)民主党憲法調査会が05年10月31日に発表した「憲法提言」では、憲法改正の理由として、「その時々の政権の恣意的解釈によって、憲法の運用が左右されている」「いまや『憲法の空洞化』が叫ばれるほどになっている。いま最も必要なことは、この傾向に歯止めをかけて、憲法を鍛え直し、『法の支配』を取り戻すことである」との認識が語られています。そうすると、「憲法の空洞化」をもたらしたのは、恣意的解釈によって憲法を運用してきた時々の政権と、それを許してきた国会に第一義的な責任があると思われますが、その責任を糾さずに憲法のほうを変えることによって「法の支配」が取り戻せるのか、はなはだ疑問です。どんな憲法を作っても、それを政府と国会が守らないのであれば、「法の支配」は実現しないのではないでしょうか。この点はいかがお考えでしょうか。

2)、憲法改正問題が浮上してきたのは、国際社会や日本の政治・社会の変化に現憲法が適合しなくなったからだという主張がありますが、本当にそうなのでしょうか。むしろ、政府・自民党などの恣意的解釈による憲法の運用が限界に来たこと、いわゆる「護憲派」とされる社民党や共産党が大きく議席を減らしたこと、最大野党となった民主党が憲法改正に積極的な立場をとったことなど、日本の政治構造の変化によることが大きいと思われます。実際に、憲法改正の最大の焦点とされる「9条」問題では、国民の多くは9条を変える必要性を認めておりませんし、いわゆる「新しい人権」は現憲法下での立法や施策で具体化・保障できるものばかりです。民意や立法・行政の責任を度外視して憲法改正を唱えることは、立憲主義の原理からも大きな問題だと思いますが、いかがお考えでしょうか。

3)、「憲法改正国民投票法」の問題は、自民党などの憲法改正の要求から浮上してきたもので、決して「憲法改正に中立的」な問題ではないと思います。そもそも「憲法改正国民投票法」は、憲法改正を求める人びとにとってだけ必要なもので、現憲法を守り生かすべきだと考えている人びとにとっては必要ないからです。いわゆる「立法不作為」論も、多くの国民は国民投票法がないことによって何らの権利侵害や損失を受けていないのですから、私たちは憲法改正を求める人びとが改憲プロセスを進めるための口実として持ち出しているものにすぎないと考えざるをえません。この点はいかがお考えでしょうか。

4)、以下、議論されている「憲法改正(等)国民投票法案」の具体的内容についてお尋ねします。
(1)投票権者の資格年齢について
自公案は「20歳以上」とし、民主党案は「18歳以上(内容に応じ年齢要件を下げることができる)」としています。憲法は、一般の法律や4~6年間の議員などの選挙と違って、国のあり方や人びとの自由・人権という根本原則を長期にわたって規定するもので、その改定はあらゆる世代に大きな影響を及ぼし、特に将来の日本を支える若い世代の運命を決すると言っても過言でない問題です。したがって、憲法改正の是非を問う国民投票においては、一定の判断能力を持つ国民はできるだけ多く選択権を保障されるべきです。現実の立法や一般的な社会生活においても、就職(義務教育修了=15歳)、少年法の刑罰適用(14歳)、婚姻(女性16歳)などとされており、市町村合併に関する住民投票で中学生(12歳以上)が参加している例もあります。この点では民主党案は自公案よりは進んでいますが、18歳よりも年齢要件を下げることができるのは「未成年者の人権に関わる場合など」と限定的で、憲法についてはさまざまな権利・義務、社会生活を認められている若い世代のかなりの部分を除外してしまうことになります。この点はどうお考えでしょうか。

(2)国民投票までの期間について
国会の改憲案発議を受けて国民投票が行われるまでの期間は、単に「周知手続き」や「投票事務」に基づくのではなく、国民が改憲の是非、改憲案の意味内容を熟慮し、議論・検討するために十分な余裕があるものでなければなりません。その意味では、発議から「60日以後180日以内」とする民主党案は、「30日以後90日以内」という自公案より長くしているのは一歩前進ですが、日常の生活に追われる一般の国民が自ら考え、確信できる判断をするには、まだ短すぎるのではないでしょうか。まして多数の条項にわたる改憲案が発議された場合、最大でも180日というのは、議論・吟味が未成熟なまま投票を強いることになりかねず、憲法への信頼や安定性からも禍根を残しかねません。まして、この法律の下で日本は初めて国民投票を体験するわけです。また枝野さんは国会の審議の中でも、たびたび低投票率に終わらせてはならないことを強調されておられます。その意味からも十分な期間が必要でしょう。「60日以後180日以内」とされた理由は何でしょうか。

(3)国民投票公報の作成について
民主党案では,「国民投票公報の作成」「憲法改正案の要旨及びその解説資料の作成」「周知・啓発活動」にあたる機関として,国会に委員6人で構成する「国民投票委員会」を設け,このうち発議に反対した者は「2名以下」としています。また,これとの関連で,貴下は昨年,慶応大学で行われたシンポジウムで,国民投票公報には「反対意見も3分の1の分量で載せることも保障してはどうか」とも言及されています。

これは,発議の議決が3分の2以上の賛成でなされることとの関係から,「国民投票委員会」の構成も公報のスペースも賛成と反対の割合を2:1にそろえたという点で公平を期したかのように見えます。しかし,発議を受けて判断し,投票する国民にとって何よりも重要なのは,判断材料としての正確な情報がきちんと提供されることではないでしょうか。あらかじめ紙面構成に差をつけた場合,国民に予断を抱かせ,一定の方向に誘導することになりかねません。票決の多寡とは切り離して,それぞれの考え方を公平かつ客観的に示し,その判断・選択を投票権者である国民に委ねるべきではないでしょうか。
また,「公正・平等・中立」という観点からは,「国民投票委員会」は発議の当事者である国会ではなく,中立的な第三者機関に置いた方がふさわしいのではないかという意見に対しては,どのようにお考えでしょうか。

(4)内閣の関与について
一部には、内閣にも改憲案の提出権(発案権)を認めるべきとの意見がありますが、主権者の代表である国会が改憲案を発議し、主権者である国民が投票によって是非を決するという憲法制定権力の行使にあたって、行政機関である内閣が関与したり主導権を握るようなことは許されないと思います。したがって発案権はもとより、国民投票運動への内閣の関与・発言は厳しく禁止されるべきだと考えますが、いかがですか。

(5)投票用紙及びその様式について
「投票用紙及びその様式」について、自公案は「発議の際に別に定める法律」に委ねていますが、これでは国民の選択権を大きく制限し、事実上否定することになる「一括投票」方式の可能性を排除していません。この点、民主党案は「個別投票」を原則とし、「憲法改正の議案ごとに」投票用紙を調製して、「内容的なまとまりごとに、それぞれ一の議案」としているのは、かなり合理的です。しかし「内容的なまとまり」とは何を基準に決めるかによって大きく変わります。例えば9条に関連して、自衛隊(自衛軍)を憲法に明記するかどうかということと、その自衛隊(自衛軍)がどのような活動をどこまで認められるかということには異なる判断が成り立ちうるので、国民はそこまで立ち入った選択権を保障されるべきではないでしょうか。また「新しい権利」についても、「知る権利」「プライバシー権」「環境権」「犯罪被害者の権利」などが挙げられていますが、これらはそれぞれ別個の権利であり、「新しい権利」と総称されるからと言って「内容的なまとまり」があるとは言えません。「内容的なまとまり」の判断基準についてご説明ください。

(6)投票の方式について
投票の方式について、自公案は「発議の際に別に定める法律」に委ねていますが、その原案とされている議連案では「○又は×」を記載し、民主党案は「憲法改正(案)に賛成するときは投票用紙の記載欄に○の記号を記載」することになっています。この点、「○の記号以外の記載又は何らの記載もしていない場合」、自公案はそれらの投票を「無効票」として除外するのに対し、民主党案はそれらを「反対票」とするのが大きく異なっており、民主党案の方が合理的です。これは絶対に譲れない原則とすべきだと思いますがいかがでしょうか。
(7)過半数の「分母」問題について
「過半数の賛成」について、自公案は「有効投票の過半数」とし、民主党案は「賛成投票の数が投票総数の2分の1を超える場合」としています。民主党案の方がより広い「分母」を採っていることは認めますが、それでも改憲という重大問題の決定には適切とは思われません。投票率が低い場合、ごく少数の賛成票で憲法改正が成立することになりかねないからです。原理的には、「投票権者の2分の1を超える賛成」とすれば、この問題は解決できるでしょう(あるいは少なくとも「投票権者の4分の3以上の投票で国民投票が成立し、その2分の1以上の賛成で改憲案を承認」などと投票率を高く設定すれば、かなり「投票権者の過半数」に近づけられます)。国民の大多数が参加しなかった投票で「国民の憲法」が決まるなどは、何としても避けるべき事態でしょう。この点を制度設計にインプットするかどうか、ご意見をお聞かせください。

(8)テレビ広告について
「国民投票運動」に関して、自公案が設けているメディア規制は自民党側が緩める姿勢を示してきていますが、これは当然です。一方、「運動の自由」原則は、宣伝・広告・費用などについて無制限ということにもなります。その際、最も懸念されるのは、例えば「テレビ広告」も無制限でいいかという問題です。テレビ広告には多額の費用がかかりますが、影響力も大きく、資金力の豊かな側が朝から夜中まですべての(あるいはほとんどの)広告時間を買い占めた場合、国民は心理的にも偏った判断に導かれかねません。「運動の自由」が国民の自由で自主的な判断をもたらすための基本原則だとすれば、テレビ広告の独占はその逆の結果をもたらすことになりえます。スイスがテレビ討論は認めても、テレビ広告を禁止しているのはそのためでしょう。この問題について、いかがお考えですか。

(9)運動規制について
国民投票運動に関して、自公案にある「公務員・教育者の『地位利用』禁止」条項は、拡大解釈・適用の恐れが大きく、数百万人の公務員・教育関係者の「個人としての運動」を大きく萎縮させる効果を持つことになるでしょう。その点で運動は原則自由でなければならないと思います。そもそも「地位利用」とは何を指すのか、どのような行為が禁止・規制の対象になりうるのか、公職選挙との異同は何かなど、具体的に示されなければならないと考えますが、いかがですか。

(10)定住外国人の意見表明権などについて
自公案は「外国人の国民投票運動」を禁止するとしていますが、少なくとも定住外国人は長期にわたり憲法とそれに基づく法令で権利・義務を付与され、それに従って生活しています。これら「日本の住人」にとって、憲法が変わるかどうか、またどう変わるかということは、彼らの権利・義務と生活にとって大きな影響を及ぼします。それに対して「意見表明」さえ禁止することは、日本の社会を国際的に開かれた多様性あるものにしていく必要に逆行するのではないでしょうか。実際、例えば外国政府が日本の憲法改正について言及・評価することはこれまでもあったし、これからも避けられず、それが瞬時かつ大々的に日本社会に伝えられるのですから、「国内の外国人」だけに意見表明を禁止することは無意味です。民主党案には具体的言及がありませんが、この問題はどうお考えでしょうか。また、一定の要件を満たす定住外国人には、国民投票に際しては「国民とみなして」投票権を付与すべきだとの意見についても、お考えを聞かせてください。

(11)訴訟提起について
「国民投票の効力」あるいは「成否の効力」の無効、または「効果発生の停止」などの訴訟について、自公案は「30日以内に東京高裁に提起」とし、民主党案は「○日以内に東京高裁に提起」としています。これら訴訟は憲法改正の成否をめぐる重大な訴訟ですから、主権者たる国民が訴訟を提起するのに十分な時間と適切な条件を保障すべきです。そもそも「30日以内」に提訴に必要な証拠や書類を整えるのは不可能に近く、事実上、国民の提訴権を認めないに等しい規定ですが、貴下はどの程度の期間を考えておられるのでしょうか。その理由も含めてお聞かせください。また提訴先を「東京高裁」に限定したのはなぜでしょうか。どの地方に住む国民にもアクセスが容易になるように、少なくとも「各高裁」としないのはなぜでしょうか。

以上について、できるだけ分かりやすくご返事いただければ幸いです。

許すな!憲法改悪・市民連絡会事務局長 内田雅敏/事務局次長 高田健/日本消費者連盟 富山洋子/日本YWCA 毛利亮子/ ふぇみん婦人民主クラブ 山下治子

このページのトップに戻る


共同声明 憲法改悪のための手続き法案(「憲法改正国民投票法」案)の国会上程に反対します

小泉首相と自民党などは郵政民営化をかかげて争った総選挙で与党が圧勝したことから、憲法第9条を変えて「自衛軍」の保持を明記し、そのことで集団的自衛権の行使をできる憲法にしようとしています。

そのため国会に憲法審査会を設置し、憲法改悪のための手続き法案(憲法改正国民投票法案)についての議論を始め、2006年の通常国会への法案提出をめざしています。
現在、自公両党と野党民主党の間で法案の協議に入っていると伝えられています。

法案としては、すでに改憲議連(憲法調査推進議員連盟)によって2001年秋に作られた「憲法改正国民投票法案」を基礎に2004年末に自公与党が作成した「日本国憲法改正国民投票法案骨子」(案)があります。これに対して民主党も2005年春に「憲法改正国民投票法制に係る主な論点」を発表し、自公案に批判的な立場を表明しました。

自公案はいつでも都合よく憲法改悪ができるようにするための危険な法案です。その主な問題点を要約して指摘すると、与党の「法案骨子」は、(1)複数条項の改憲案の場合、逐条で投票するか、一括で投票するかを明らかにしていない(その実、自民党は一括投票を狙っている)、(2)国民投票の有権者資格を「公選法通り」とすることで、18歳(または15歳)以上の若者や、定住外国人などの投票権を排除している、(3)成立のための「過半数規定」を有効投票の過半数として、考えられるかぎり狭めているし、投票率の最低限を示す成立規定もない、(4)国民投票運動の期日は30日以上90日以内と極めて短い、(5)国民投票運動について多岐にわたる制限や刑罰規定があり、公務員、教員、外国人などを運動から排除し、また報道の大幅な規制条項を設けている、等々です。

今回の総選挙では、小選挙区制という民意を正確に反映しないいびつな選挙制度の下で、自民党の小選挙区全候補は47.8%しか得票していないにもかかわらず、61.7%の議席を占めました。この小選挙区制と同様に自民党は、今度は改憲のための国民投票で、少ない支持でも憲法改悪ができるような手続き法案を作ろうとしているのです。それだけに「手続き法案」といえども国民投票の結果を左右することになる重大な法案であり、絶対に軽視できないものです。

すでに中山太郎憲法審査会長は「自公民3党の合意を得て、来年の通常国会での国民投票法案の提出をめざす」と語っています。そのため自民党も民主党執行部の立場に配慮して、与党案にあるメディア規制条項の削除をほのめかしており、それらの駆け引きがおこなわれつつあります。しかし、メディア規制の重大性もさることながら、その他の問題も極めて重大です。自民党のこの程度の譲歩で法案が作成されてしまったら、悔いを千載に残すことになります。

この間、さまざまなメディアによって行われてきた各種の世論調査でも示されているように、多くの人びとがいま9条の改憲を望んでいないことは明らかです。この点で永田町と世論の間には大きな乖離があり、憲法「改正」について、主権者市民の間の合意はいまだまったく作られていません。このような中で国会の憲法審査会が、拙速に憲法「改正」国民投票法案を審議しようとしていることは民意から大きく遊離したもので、不当としかいいようがありません。

私たちは21世紀をブッシュ米国大統領がいうような「新しい戦争の時代」にしたくはありませんし、日本政府がこれに協力することを絶対に許しません。21世紀を日本国憲法が掲げる平和と人権、民主の理念が全世界で花開く時代にしたいと願っています。私たちはあきらめることなく、この理想の実現に向かって全世界の人びととともに歩み続けたいと願っています。いまこそ、とりわけ第9条を堅持し、世界と日本の平和のために生かすことが必要です。

この憲法の理念をねじ曲げ、ゆがめ、破壊するための「憲法改悪のための手続き法」(憲法改正国民投票法案)は要りません。
以上、285団体の連名をもって声明します。

2006年1月18日
連絡先・許すな!憲法改悪・市民連絡会 
東京都千代田区三崎町2-21-6-301   
TEL03-3221-4668 FAX03-3221-2558

I女性会議東京都本部/I女性会議北海道/赤とんぼの会/アジェンダ・プロジェクト/あだち憲法問題懇談会/アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局/いせ九条の会/いたばし100人村/生命の環・むすびの衆/生命を大切にしようねの会/イラク派兵と憲法改悪に反対する女たちの集まり/うちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会/NPO法人平和と人権フォーラム/海老名平和憲法を守る会/援助修道会JPRIC/大阪YWCA/岡山・星野文昭さんを救う会/沖縄県憲法普及協議会/沖縄人権協会/沖縄と日出生台をむすぶ大分県女性の会/沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック/女のサポートライン/「輝け!九条」新護憲市民の会・神奈川/学習グループコスモス/過去と現在を考えるネットワーク北海道/学校事務職員労働組合神奈川/神奈川教育労働問題研究会/かながわ平和憲法を守る会/川越ともに生きる会/関西共同行動/樹花舎/共生のまち―狛江をめざす会/協同センター・労働情報/9条の会・おおがき/九条の会・ちがさき/京都ー滋賀地域合同労働組合/京都ー滋賀地域合同労働組合・伏見織物加工支部/京都ー滋賀地域合同労働組合・労災被災労組合員会/京都YWCA/キリスト者平和ネット/熊本YWCA/グローバルピースキャンペーン/軍事力廃止を求める会/群馬県憲法を守る会/群馬県平和運動センター/恵泉バプテスト教会社会部/刑法改悪を阻止する兵庫県民会議/原発を考える品川の女たち/憲法9条を広める女たちの会/憲法9条を守る非暴力市民の会/憲法・教育基本法改悪に反対する市民連絡会おおいた/憲法勉強会ベアテの会/憲法を生かす板橋の会/憲法を生かす会/憲法を生かす会・京都/憲法を生かす会・世田谷/憲法を生かす会・高萩/憲法を生かす会東京連絡会/憲法を生かす会・灘/憲法を生かす会・八尾/憲法を生かす千代田の会/憲法を生かす練馬の会/憲法を生かすみどりの会/憲法を考える集い/国際経済研究所/国鉄闘争共闘会議/国連・憲法問題研究会/子どもと教科書全国ネット21/子どもの未来を望み見る会/ごまめ通信舎/「婚外子」差別に謝罪と賠償を求める裁判を支援する会/相模原の教育を考える市民の会/札幌YWCA/狭山事件を考える青森県住民の会/JPIC-MMB日本/自衛隊イラク派兵差止訴訟の会/市民運動ネットワーク長崎/市民と かしもと景司を結ぶ元気ネットワーク/市民のひろば・憲法の会(立川)/自由大好き!市民の会/週刊金曜日岐阜読者の会/住民アクション新宿/食政策センター・ビジョン21/庶民のネットワ-ク/自立労働組合連合/自立労働組合連合/関西支部自立労働組合連合埼玉支部/信教の自由と平和を求める香川キリスト者の会/杉並教育アクション/杉並の教育を考えるみんなの会/STOP!改憲・市民ネットワーク/STOP!24条改悪キャンペーン/聖公会神学院学生会/青年法律家協会弁護士学者合同部会/セルフ・エスティーム・リンケージ(SEL)/全国一般全国協神奈川/全国一般労組東京南部/全国一般労働組合全国協議会/全国労働組合連絡協議会/全国労働組合連絡協議会東京協議会/全水道東京水道労働組合金町支部三郷分会/全水道東京水道労働組合金町浄水支部金町分会/全水道東京水道労働組合三多摩支部/全水道東京水道労働組合三多摩支部小作分会/全水道東京水道労働組合三多摩支部境分会/全水道東京水道労働組合三多摩支部東村山分会/全水道東京水道労働組合水質センター支部/全水道東京水道労働組合水道特別作業隊支部/全水道東京水道労働組合西部建設支部/全水道東京水道労働組合西部支部/全水道東京水道労働組合西部支部杉並東分会/全水道東京水道労働組合西部支部中野分会/全水道東京水道労働組合西部配水支部/全水道東京水道労働組合玉川浄水支部玉川分会/全水道東京水道労働組合多摩水道対策支部/全水道東京水道労働組合多摩水道対策支部多摩対分会/全水道東京水道労働組合中央支部営業分会/全水道東京水道労働組合中央支部文京分会/全水道東京水道労働組合中部下水道支部芝浦分会/全水道東京水道労働組合南部下水道支部/全水道東京水道労働組合北部第一下水道支部三河島分会/全水道東京水道労働組合中央支部/全水道東京水道労働組合東一支部営業分会/全水道東京水道労働組合東一配水支部/全水道東京水道労働組合東部第一支部墨田分会/全水道東京水道労働組合東部第二配水支部/全水道東京水道労働組合東二支部/全水道東京水道労働組合東二支部足立西分会/全水道東京水道労働組合東二支部葛飾分会/全水道東京水道労働組合東部第二下水道支部/全水道東京水道労働組合東部第二下水支部足立東分会/全水道東京水道労働組合東部第二下水支部葛西分会/全水道東京水道労働組合東部第二下水道支部東二分会/全水道東京水道労働組合東部第一下水道支部/全水道東京水道労働組合東部第一下水道支部有明分会/全水道東京水道労働組合東部第一下水道支部東一分会/全水道東京水道労働組合東部第一下水道支部砂町分会/全水道東京水道労働組合東部第二下水支部小菅分会/全水道東京水道労働組合南二支部営業分会/全水道東京水道労働組合南二支部渋谷分会/全水道東京水道労働組合南二支部世田谷東分会/全水道東京水道労働組合南二支部目黒分会/全水道東京水道労働組合南部第一支部大田南分会/全水道東京水道労働組合南二配水支部/全水道東京水道労働組合南部第一配水支部/全水道東京水道労働組合中央支部台東分会/全水道東京水道労働組合北部支部北分会/全水道東京水道労働組合本局給水支部/全水道東京水道労働組合森ケ崎処理センター支部/全水道東京水道労働組合流域下水道支部/全石油昭和シェル労働組合/「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)/戦争に反対し、行動する市民の会/戦争はイヤだ!市川市民の会/戦争反対・平和の白いリボン神奈川/戦争への道を許さない北・板橋・豊島の女たちの会(略称:KIT)/戦争への道を許さない女たちの文京の会/戦争をなくそう!多摩フォーラム/戦中生まれの女たちによる「九条の会」/全野党と市民の共闘会議(設立準備会)/即位礼・大嘗祭違憲住民訴訟の会/田上町・憲法を守る会/田上町平和共闘会議/男女平等をすすめる教育全国ネットワーク/地域の中で教育を創る会/地球的課題の実験村・杉並/千葉県高教組東葛支部「ひょうたん島研究会」/つくろう! 平和を 流山市民の会/鉄建公団訴訟原告団/東京全労協/東京・南部全労協/東京YWCA/盗聴法(組織的犯罪対策立法)に反対する神奈川市民の会/苫小牧の自然を守る会/戸山教育基本法勉強会/長野ピースサイクル実行委員会/ナマケモノ倶楽部/西東京平和遺族会/日本キリスト教会横浜長老会靖国神社問題委員会/日本キリスト教婦人矯風会松山支部/日本山妙法寺/日本消費者連盟/日本女子総長管区長会障害養成コース/日本YWCA/命どぅ宝ネットワーク/ネットワーク500/NO!レイプNO!ベース女たちの会/<ノーモア南京>名古屋の会/ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン/ヴァンテアン通信・九条の会/阪大・9条の会/ハンドインハンド岡山/Peace Media/ピースサイクル全国ネットワーク/ピースサイクル新潟/ピース・チェーン・リアクション/ピース・ニュース/「日の丸・君が代」強制に反対!板橋のつどい/「日の丸・君が代による人権侵害」市民オンブズパーソン(大阪)/「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会/平塚YWCA/ヒロシマピースサイクル/ふぇみん大阪 あびこ支部/ふぇみん大阪 池田箕面支部/ふぇみん大阪 東淀川支部/ふぇみん婦人民主クラブ/ふぇみん婦人民主クラブ川崎支部/ふぇみん婦人民主クラブ渋谷支部/ふぇみん婦人民主クラブ枚方交野支部/ふぇみん婦人民主クラブ・南高槻支部/ふぇみん婦人民主クラブ町田支部/ふぇみん婦人民主クラブ南多摩支部/ふぇみん婦人民主クラブ横浜支部/ふぇみん婦人民主クラブ米子支部/福岡スピ-チ・クリニック/婦人民主クラブ全国協議会/不戦へのネットワーク/ベアテ憲法ゼミ/平和憲法とともに歩む中野の会/平和憲法21世紀の会/平和憲法を活かす熊本県民の会/平和憲法を生かす新宿の会/平和憲法を生かす東京港区の会/平和憲法を守り、日米安保と軍事基地をなくす会・東京/平和憲法を広める狛江連絡会/平和憲法を守る市民の会/平和と緑の会/平和の芽/平和をつくり出す宗教者ネット/平和をつくる大和市民の会/「孫の世代の戦争責任って……?」実行委員会(MAGO-SEN)/守ろう憲法と平和 きょうとネット/守ろう!平和憲法群馬ネットワーク/水俣・ほたるの家/宮城合同労組/民主主義の会/民族差別を考える会・むくげ/有事法制反対ピースアクション/郵政4・28ネット/郵政労働者ユニオン右京分会/郵政労働者ユニオン大村郵便局支部/郵政労働者ユニオン九州地方本部/郵政労働者ユニオン京都北分会/郵政労働者ユニオン京都地区協議会/郵政労働者ユニオン近畿地方本部/郵政労働者ユニオン京阪地域支部/郵政労働者ユニオン左京分会/郵政労働者ユニオン吹田千里支部/郵政労働者ユニオン大東分会/郵政労働者ユニオン中央本部/郵政労働者ユニオン東海地方本部/郵政労働者ユニオン東京北西支部/郵政労働者ユニオン東京多摩地方支部/郵政労働者ユニオン東京貯金支部/郵政労働者ユニオン東京東部支部/郵政労働者ユニオン東京地区本部/郵政労働者ユニオン東京南部支部/郵政労働者ユニオン長崎中央郵便局支部/郵政労働者ユニオン長崎中央郵便局支部第一集配営業課分会/郵政労働者ユニオン長崎中央郵便局支部第2・3集配営業課分会/郵政労働者ユニオン長崎中央郵便局支部郵貯・保険課分会/郵政労働者ユニオン長崎中央郵便局支部郵便分会/郵政ユニオン天竜支部/郵政労働者ユニオン長崎東郵便局支部/郵政労働者ユニオン寝屋川分会/郵政労働者ユニオン浜松支部/郵政労働者ユニオン浜松東支部/郵政労働者ユニオン浜松支部磐田分会/郵政労働者ユニオン浜松支部積志分会/郵政労働者ユニオン浜松西支部/郵政労働者ユニオン枚方分会/郵政労働者ユニオン枚方北分会/郵政労働者ユニオン向日町分会/郵政労働者ユニオン洛北支部/ゆめの会/許すな!憲法改悪・市民連絡会/許すな!憲法改悪・市民連絡会(仙台)/許すな!憲法改悪・北部市民連絡会/ゆるすな戦争!香川の会/横浜南部平和憲法を守る/横浜YWCA/洛南地域合同労組/「歴史は消せない!」みんなの会/老人党リアルグループ「護憲+」/(285団体)

このページのトップに戻る


身の回りの人びとに 「憲法改悪のための国民投票法案」に反対する署名を訴えて

「そうだ、憲法改悪の『国民投票法』に反対する署名活動をしよう」と思い立った。私は2005年3月に教職生活にビリオドを打って定年退職をした者である。日本はどうなっていくのか、いろいろ難癖をつけて憲法をこねくりまわしてきて、ついに自民党新憲法草案などというとんでもない陳腐な前文で始まる、恐ろしい戦争第一の条文の入るものが出てきた。総選挙では小泉劇場などといって、フィーパーするような国民を多くつくり出してきたし、テレビなんて、ほとんど非政治的で、どうでもいいような問題をおもしろおかしくとりあげているし、とにかく腹わたの煮えくり返る思いで、日々暮らしているわけである。

今や、無職の私は、年休をとらなくても病院に行けるし、映画にも行ける、でも自分のことぱかりして死んでいくなんて、ゴメンだ。何か一つでも世の中の役に立つことをしたいと思っている。「厚木市民九条の会」を結成できたし、この署名を日常生活にしなくてはと思った。会の他のメンバー4人は皆働いていて多忙。日中は皆、職場で監視、拘束されているので、大ぴらに歩けるのは私一人だけである。このチャンスを生かすしかあるまい。私はそう考えた。だれか作家が言ってていた「物事の多くは、今のままではダメで、だからこそ一生懸命やることが必要になる」と。

私は、どこに行くにも、いわゆる9条グッズとしての署名用紙、「九条の会」アビール文、「厚木市民九条の会」学習案内文を持ち歩くことにした。

さて、昔取った杵柄とまではいかないが卓球を週1回やるようになっていて、この卓球に来る高齢の女性たちにお願いしてみることにした。どう切り出したらよいか、ためらいもあり、不安もあった…。しかし、朝一番、準備などすませて、ジャンケンする前に、申し出た。

「あのう…こういうことを卓球する所で御願いしていいかどうか…と思うのですが、署名とかお願いして宜しいのでしょうか。ダメというのでしたら出ししませんけど…」
「ああら、何の署名?」
「内容は憲法9条のことなんですが…」と自民の新憲法草案のことやら、戦争のことやら…鄭重にお話し、「ご賛同頂けましたら、ぜひ署名お願いします」

「そうねえ」、このあと「ワッ、どうしよう」という感じになった。皆さん卓球を始めちゃった。
こりゃダメかな?…自問自答しながら私も卓球をやったのだった。少しの休憩タイムになったら「あなた、この字見えるの?」「字書ける?」という話になって、ワーッ、書いてもらえたのだった。なあんだ、老眼で…。そうかそうか…と。

買い物に行ったお店で、お客がいない所を見計らって店員さんにお順いしてみた。すると、自民党が新憲法草案を出していることなんて知らなかった。しかも、日本国憲法もほとんど読んだことがない、とのことだった。9条がかわって戦争のできる国になるのは反対ということで快く署名してもらえた。もしも、日本国の政府、政治家たる者、憲法を自己のタガとして国民のために誠実に行動しているのならば、文科省を通して、小、中学生、高校生…に、憲法とその解説書(学年に応じたもの)を配布し学習を高めるようにしていただろう、と。だいたい、金の無駄、資源の無駄、人の心を蝕むばかりの「心のノート」なんていらない、アホな政府のせいで憲法について知らないとか、政治について無関心とか、たくさんの弊害が生じてしまっているよ、と思う。

たちならぶ家々、住んでいるのは人、人、人。道を歩いているのも人、人、人。この人々に働きかけることが必要だ。街頭で署名活動…これ一人でやるには難しそうだ。よし、戸別訪問しよう。できる日はいつでも戸別訪問し、宣伝し、署名してもらう、という方針をもって展開を始めた。人と人とのコミュニケーションがない限り、この今の日本はよい方向に行けるはずがない。自公民の動き、国民投票法案のこと、職争に行くのは国民、税負担するのも国民…なんてことを、直接話する。態度表明し、行動していく人をつくり出すことが大切なのだから。

戸別訪問での署名活動で、うまくいかなかったことは1つなかった。中には『こういう署名って大事ね。戦争に行くのは国民なんだしさ、お偉い人は自分は行かないから戦争やってもだいじょうぶなのよ、腹立つわねえ、これ、みんな、賛同して暑名してくれるはずよ」「私も戦争に行きましたよ。中国ですよ、つらかったですねえ。今は平和でいいが、また戦争ってのはごめんですよ」。沖縄出身の人は「沖縄戦の時は、日本兵に殺された人がたくさんいたんですよ。戦争では何もかもメチャクチャにされる。税金の無駄使いだし、戦争は困ります」「この署名なら○○さんもやってくれる と思うから電話してみるね」と言ってくれる人もいたし、「家族全部やってもらうので、あとで届けます」といってくれる人もいた。戸別訪問で、のぼり調子の私であった。そうだ、ためらっていたって、足踏みしていたってダメだ。ギターだって、弾かなきゃ音は出ない。歩こう、声かけよう、という思いを強くしていった。

ある日、横浜に行く用事があって、相鉄線に乗った。すると、私の隣に、一人のご婦人が乗ってきて座った。ようし…と思って「あのう、突然で恐れ入ります。こんな所で…驚かれたと思いますが…」と切り出して、憲法9条のこと、などを語り、署名をお願いした。

すると、「すみません…」と断られた。かつて、何かで署名したことがあるが、それで、空き巣に入られた苦い経験があるのだ、ということだった。「主旨には賛同します。あなた様もまじめそうな方ですが、すみません」ということだった。海老名にお住まいというので、「海老名九条の会もありますから、友人、知人の方にたのまれましたら、ぜひ署名の方、宜しくお願します」ということで別れた。今、人間不信の時代、街頭署名の難しさは、こんなことにもあるんだろうな、と思った。

1880年代の自由民権運動では、相州(厚木が入る)で3戸に1戸の割で国会開設の署名に参加したという。このエネルギーたるやすごいものだ。民権家たちの活動に学ぷような気持ちで署名活動、九条を守り、生かすたたかいを継続していきたいと思う。
厚木市民九条の会 角田京子

このページのトップに戻る


映画「男たちの大和 YAMATO」考

(1)

正月早々、映画「男たちの大和 YAMATO」を観た。あらためて映画の批評というものは難しいものだと感じている。批評するものの問題意識、思想と離れた客観的な映画評などはあり得ない。観る人によって、それぞれの持つ思想のフィルターによって、評価が異なるだろう。特にこの「男たちの大和 YAMATO」の場合はそうだ。

私について言えば、「戦争礼賛映画だろうけれど、いまどきの戦争映画がどんなものか見ておきたい」という程度の関心で見に行った。見終えた後、あとで読もうと思ったまま放置しておいた「週刊金曜日」元旦号に載っていたこの映画の監督・脚本を担当した佐藤純弥監督とドキュメンタリー映画などで活躍する森達也監督の「対談 『男たちの大和 YAMATO』は反戦映画か!?」を読んだ。映画館でパンフレットも買ったのだが、これにはシナリオはついておらず、グラビアや配役紹介以外は、簡単なストリー紹介や、阿川弘之の「YAMATOを思ふ」、防衛庁海上幕僚監部広報室長の伊藤俊幸の「舵は少年に託された」などの文章が載っているだけだ。私は映画のせりふなどで確かめたいことも多かったので書店にも足を運んでみたが、いまのところシナリオは入手できていない。

題名の由来でもある「男たちの大和」の原作は、制作者角川春樹の姉である辺見じゅんが長年にわたって戦艦大和の生存者や乗組員の遺族に取材して書いたドキュメント。佐藤監督がこれを素材に新たに構成して脚本を書いた。配給は東映。

この映画のキャッチコピーは「もう会えない君を、守る」であり、パンフレットの冒頭では「昭和20年4月、桜の咲き誇る故郷を後に、永遠の海へと旅立っていった巨大戦艦大和。艦には3000人を超える乗組員が搭乗していた。彼らはただ、愛する人を、家族を、友を、祖国を守りたかった.....。」と紹介されている。

(2)

物語はこうなっている。
2005年4月6日、戦艦大和の乗組員内田二等兵曹(中村獅童)の養女・真貴子(鈴木京香)が鹿児島県枕崎の漁港を訪れた。真貴子は内田が育てた11人の戦災孤児の一人で、養父の遺言に従い、遺骨を散骨しにきたのだ。かつて特別少年兵だった漁師の神尾(仲代達矢)は、内田の名を聞いて衝撃を受ける。神尾は15歳の新米漁師の敦(池松壮亮)を同乗させ、3人で大和が沈没した東シナ海の北緯30度43分、東経28度4分地点に向かう。その航海の中で戦艦大和の記憶を封印していた神尾の脳裏に、60年前の光景がよみがえってくる。

1941年12月8日、日米開戦の日、日本海軍の総力をあげて建造された世界最大の戦艦大和が試運転をする。真珠湾の奇襲には成功したものの、その後の日本軍は翌年の42年6月のミッドウェイ海戦の大敗以降、制空権を失い、急速に追いつめられていく。

1944年春、大和に神尾、西(内野謙太)、常田(崎本大海)ら海軍特別少年兵たちが送り込まれてくる。憧れの大和に乗艦した喜びもつかの間、厳しい訓練の日々が続く。少年兵たちは大和の下士官のなかでは異質ともいえるような理性と優しさを持つ森脇二等兵曹(反町隆史)や内田二曹に目をかけられながら、次第に鍛えられていく。
44年10月、レイテ沖海戦に出撃した大和は米軍の攻撃を受け、無敵を誇った日本海軍の連合艦隊は壊滅的打撃を受ける。少年兵たちが初めて経験する恐怖の実戦だった。内田ら大和の乗員も多数死傷し、内田は大和を下船し、呉の病院に入る。

東京大空襲をはじめとして全土が米軍の大空襲を受けるようになった45年3月、大和の乗組員は出撃前の上陸を許される。兵士たちはこれが最後の上陸であることを知りつつそれぞれに別れていく。神尾は恋人の野崎妙子(蒼井優)から神尾の母が妙子をかばって空襲で殺されたことを聞く(のちに妙子も勤労動員で行った先の広島で被爆し亡くなることになる)。故郷の母に郵便局から最後の仕送りをする貧農出身の西。森脇の計らいで、自分を養子に出した実母に会い、ぼた餅を食べさせられた常田。妻との待ち合わせができず傷心のうちに艦へに向かう内火挺(大和に収容されていた陸地と大和の間の兵員輸送用船艇)に乗船したとき、桟橋に駆けつけた妻と子を見つけ、身を乗り出して別れの挨拶を叫ぶ唐木(山田純大)。病院を抜け出して恋人の芸者文子(寺島しのぶ)に別れを告げ、軍紀を犯しながら大和に戻る内田。それぞれの兵士の思いが描かれる。

3月26日、米軍は沖縄慶良間列島に上陸する。28日、裕仁天皇は「海軍ニモウ艦ハナイカ、海上部隊ハナイノカ」と下問する。軍令部はこの言葉を天皇の叱責と受け取り、「大和が無傷で敗戦を迎えるのは申し訳ない」と特攻を決意する。4月1日、米軍は沖縄本島に上陸。5日、軍令部から大和に沖縄への水上特攻の命令が出る。6日、大和は10隻の艦隊を引き連れて、片道分の燃料だけを積み、水上特攻にでる。当初は米軍に行き先を知らせまいと航路を曲げて偽装したが、米軍によるこれ見よがしの暗号も使わない無線交信を傍受して、大和は偽装をやめ、沖縄に向けて直進する。7日、米軍に発見される。米軍の猛攻と大和の防戦。大和の最後の闘いが映し出される。鉄が飛び散り、兵士が跳ねとばされる。沈没する大和から逃れることができたのは僅かな兵士のみだった。

戦争が終わって、神尾は西の故郷を訪ね、田んぼで働く西の母に戦友の死を告げ、自分が生き残ったことを詫びる。そこは西の仕送りで手に入れた小さな田んぼだった。西の母はすぐに「息子が死んだはずがない」といい、やがて神尾に「なぜあんたが生き残ったか」と詰問する。地に頭をつけて詫びる神尾。翌日、その田んぼで泥まみれになりながら黙々と草取りをする神尾がいた。やがて西の母は神尾ににぎりめしを差し出した。

映画の最後で漁師の神尾がいう。「60年前、...たしかに命を賭けて戦った。...だが、家族も仲間も誰一人守れなかった。いや、何ひとつ守れなかった」と。

(3)

主題歌は長渕剛の作詞・作曲による「CLOSE YOUR EYES」と「YAMATO」だ。
~それでも この国を たまらなく 愛しているから もう一度 生まれ変わったら 私の名を 呼んでください
~桜舞い散る あの川のほとりへ行こう 大和の国で 君が待っているから
長渕はいう。「台本を読んで、もう、たまらない気持ちになった。じっとしていられないような...。これは、ただ戦争の悲惨さを語る映画ではない。戦争という舞台を借りた、人間愛の映画なんだと思った。そして俺は、2曲を書きあげた。ふたつとも究極のラブソングとなった」と。

私は長渕は分かっていないなあと思った。
仲代の最後のせりふとあわせて、この映画には例えば谷川俊太郎と武満徹の「死んだ男の残したものは」のほうがずっといいと思った。

~死んだ兵士の 残したものは 壊れた銃と ゆがんだ地球 他には何も残さなかった 平和ひとつ 残せなかった

(4)

「海軍ニモウ艦ハナイカ、海上部隊ハナイノカ」、天皇裕仁がこのように問うたことが映画ではさらりと触れられている。私はこの天皇の言葉にふれた映画を見たことがない。さすが佐藤監督だ。1945年3月28日のことだ。「軍令部総長及川古志郎が戦況を帷幄上奏した際、飛行機をもって特攻作戦を展開する旨奏上した」(パンフレットの「実録大和グラフィティ」より)ときの天皇の問いだ。この報告を受けた豊田副武連合艦隊司令長官は「畏レ多キ御言葉ヲ拝シ、恐懼ニ堪ヘズ、臣副武以下全将殲死奮戦誓ッテ聖慮ヲ安ンジ奉リ....」との緊急電報を大和などの所属部隊に発した(同前)という。戦艦大和と乗員3300名の決死の特攻がここに決まった。

話は多少それるが、かつて評論家の山川暁夫がこのように指摘したことを思い出す。「(1945年2月14日、近衛文麿は一日も早く戦争終結の方途を講ずべきという)上奏文を天皇に提出していたのであった。だがこの意見書を天皇は却下する。藤田尚徳の『侍従長の回想』によると、天皇は近衛に『もう一度、戦果をあげてからでないとなかなか話は難しいと思う』と言ったとされ、細川護貞の『細川日記』では『梅津(陸軍大将)及び海軍は、今度は台湾を敵に誘導し得ればたたき得ると言って居るし、その上で外交手段に訴へてもいいと思ふと仰せありたり』という記録になっている。その結果、何が起きたか。翌3月10日の東京大空襲から敗戦前夜の大阪空襲までの全国都市への空爆、そして多数の国民の死、6月の『沖縄決戦』による島民の4分の1、約20万人の死の惨劇、そしてヒロシマ、ナガサキの悲劇などである。もし天皇が近衛上奏文を容れていれば、こうした悲劇・惨劇の一切はむろん起きなかったであろう」(山川論文集「国権と民権」)。そしてもちろん大和の沖縄水上特攻もなかったのだ。

(5)

週刊金曜日の対談で森達也は「真っ直ぐな反戦への意識が描かれている。『愛する人と国を守るため』式の美辞麗句などどこにもない。むしろ完全に否定している」と語った。

佐藤監督も「いろいろな見方をされるだろうなということは覚悟していました。たとえば中国からも『軍国主義だ』と批判がきたようですが、それにたいしてはもう『まず観てくれ』と開き直るしかないんです」「実はこの映画は、その中で一言も『反戦』とは言っていないわけですけれども、初号試写のときに岡田さん(東映相談役)が『これは立派な反戦映画じゃないか』といってくれましてね。『きけわだつみの声以来、こんなに感動した映画はない』って」と応じている。

私はこれらの評価に反対ではない。そして森氏が以下の阿川の文章は、完成された映画を観ないままに書いたものではないかと指摘するのも、「さもありなん」とは思う。

阿川はこういう。「大和を沈めて60年、ちゃうどその忘却への節目の年に、迫真満々の『男たちの大和』が出来上がる。私どもの次の戦争を知らぬ若い世代も、此の映画を見れば、死者の声が聞こえてくるのを感じるであらう。彼ら乗組員が身につけてゐた規律、勇気、礼儀正しさ、国家への忠誠心、正確明晰な言葉遣ひを自分たちも身につけたいと思ふであらう」と。

こんなことはこの映画からは少しも出てこない。阿川は作品の完成を待たずに、勝手に思いこんで、いわば騙されてこう書いたのであり、それは滑稽ですらある。

同時に、映画を制作するということはスポンサーなどとの妥協が避けられないことだ。
佐藤監督は「映画を撮る場合、お金を出す方の意思や計算を、作り手側の意思とどう融和させていくかという問題は常に出てくる。そこはいろいろと考えた結果、自分の中で60%納得するものが作れれば、あとの40%はお金を出すひとに合わせることでしょうがないのかな――という形で納得している部分はありますけれども」と言っている。商業映画という媒体のなかでの仕事はこうした面があることは了解していいと思う。

「さもありなん」、しかし「さは さりながら」とも私は思うのだ。
たしかにこの映画には戦争映画にありがちな「お国のために殉ずる」などといって死んでいった者は描かれていない。泣きながら、苦しみながら、あるいは呆然としながら、あるいは時代の強制の結果として受け入れ、死んでいった将兵が描かれている。理不尽さへの怒りを胸の奥にしまって、戦場に向かう兵士に向かって、映画は「死ニ方 用意」として兵士を教育する場面で白淵大尉(長島一茂)に「敗れて目覚める。それ以外にどうして日本は救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか」と言わせている。決してありふれた戦争映画のように「新生日本の礎としての散華」などとは言わせていない。

だからこそ、この映画は「反戦映画」であるかも知れない。

(6)

しかし、思うのだ。今、この感覚こそ、私たち日本人は再検証しなければならないのではないか。
兵士の背景としての日本の民衆の苦しみと悲しみはこの映画で十分に描かれている。それは佐藤監督のすぐれた技量であろう。しかし、それと対照的にこの映画から同時代の沖縄が、さらにいえばアジアがまったく見えないのだ。この10余年、日本の平和運動の中であらためて問われ、浮き彫りにされてきたこの戦争における加害と被害の問題が、ここでは消えている。中国からの抗議を「観ればわかる」とはねつける佐藤監督の問題意識のなかにこの陥穽があるのではないか。佐藤監督には、自分は過去に「陸軍残虐物語」「未完の対局」「空海」「敦煌」などですでに十分、戦争や中国を撮ったし、アジアは理解しているというような思い違いはないのか。

佐藤監督は言う。「戦争とは人間の犯す最大の愚行であり、悲劇でもあります。かつて僕は日中合作映画『未完の対局』で日中十五年戦争を見つめ直す作業をある程度できたのですが、太平洋戦争とは何だったのか?という自分なりの結論を、映画を作る過程で検証する機会が得られずにいたところ今回の話があったので、喜んでお引き受けしました」(「パンフレット」より)

佐藤監督の中ではつながっているのかも知れないが、この映画は日中十五年戦争とまったく切り離されている。日米戦争を含むアジア太平洋戦争は二つに分離できるものではないし、分離すれば「十五年戦争」が分からなくなるのではないかと思うのだ。佐藤監督が言うとおり「映画というのは、完成するまでは作り手のものですけど、できあがってからは観客のもの」(「対談」)なのだから。まさに「観てもわからない」のだ。

佐藤監督のみを責めてすむことではないのかも知れない。もしかしたら、すでに私たち日本人は平和運動に携わる多くの人びとを含めて、またもアジアの人びとと分かりあえない歴史空間に入り込んでしまったのではないのだろうか。日本国家の戦争国家への道へのしばりであった憲法第9条が変えられようとしている時代に、「戦争のできない国」「戦争をしない国」から、「戦争のできる国」「戦争をする国」に転換しつつあるこの時代に、そして小泉首相が南北朝鮮と中国などとかくも関係を悪化させながら相手のせいだと平然としているような恐るべき排外主義が台頭しつつある時代に、この大和を描いた「反戦映画」は果たして、反戦の役割を果たすことが出来るのだろうかと思うのだ。今、平和を築くために「有効であるのか」、「有用であるのか」、「これでいいのか」と問わねばならないのではないか。

あえて、へそ曲がりをいうつもりはない。あえて異を唱えて、ためにしようというのではないのだ。このような作品を作ることがいかに大変で、大事業であるか、それなりに理解し、尊敬の念も持っている。そして、正直に言って、映画を見ていて感動に涙がこみ上げる場面に遭遇したのも一度ならず、だ。

にもかかわらず、この映画を見終えて帰る道では私は足が重かったのだ。日本ではいまこのような映画が最良の映画でしかなくなったのだ。これは本当にやばいのではないか。

このページのトップに戻る


第9回 許すな!憲法改悪 市民運動全国交流集会のご案内

市民連絡会参加の諸グループ・個人のみなさん
憲法をめぐる状況はいよいよ重大な時期にさしかかりました。(中略)
こうした中、今回で9回目を数える「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」の役割への期待は大きいものがあります。今回の全国交流会はわが国の平和運動で特別の位置を占めるヒロシマでの3回目の開催です。憲法第9条が重大な時期を迎えている中、ヒロシマの地で開催される今回の交流集会は、憲法改悪反対の市民運動のいっそうの飛躍を賭けて、(1)全国の市民運動の連携をさらに拡大することと合わせて、(2)憲法9条改悪反対の運動の、とりわけ東アジアをはじめ国際的な連携をも広げるものとして企画されつつあります。多忙な時期ではありますが、全国各地で奮闘している皆さんが万障お繰り合わせの上、ヒロシマにおいで下さいますよう、ご案内致します。
なお、この交流集会は不要な摩擦を避けるために、すべてセミクローズドの会議として設定しました。参加には集会事務局の同意を必要とします。参加希望の御連絡、及びご質問は、許すな!憲法改悪・市民連絡会事務局にお問い合わせください。

開催日時 3月11日(土)午後1:00
~12日(日)正午まで
開催場所 広島市内
呼びかけ
第九条の会ヒロシマ fujii@jca.apc.org
許すな!憲法改悪・市民連絡会kenpou@vc-net.ne.jp
なお、この交流集会を支えるために賛同カンパを  募ります。送金先は
郵便振替口座01390-5-5309第九条の会ヒロシマ

このページのトップに戻る
「私と憲法」のトップページに戻る