自民党は11月22日、都内で「立党50周年記念党大会」を開いた。大会では党の「新理念」と「新綱領」、「自民党立党50年宣言」、および「新憲法草案」が採択された。
この大会は先の総選挙で「大勝」した自民党が、小泉総裁の下でその余勢を駆って内外の歴史的な危機に直面した状況を乗り切るべく、自民党とこの国を「改革」していくための宣言をするセレモニーとなった。そのために改憲の課題が中心に据えられ、新憲法草案が採択された。今回の大会で小泉首相と自民党が採択した路線は、米国の世界覇権体制のもとでその世界戦略を積極的に支えながら活路を切り開くため、自らも「戦争のできる国」「戦争をする国」となることであり、国内においては新自由主義的「改革」を進め、政治的には社会の軍事化や管理・監視態勢を強める諸方策を推進しながら、経済・財政的には上層の保護と下層の圧迫をすすめる道を選択したに他ならない。同日、自民党行政改革推進本部が総会を開いて「防衛省」昇格法案を次期通常国会に政府提出法案として提出することを決定したことは、これらを裏書きするような象徴的な動きだった。
すでに私たちは幾度も自民党の改憲草案については批判してきた。これらに付け加えるとすれば、今回の改憲案が「改憲」ではなく、「新憲法草案」であり、まさに政治的クーデターまがいの憲法違反そのものである点だけだ。一部には今回の自民党の改憲案が「思ったより穏当である」かのような論評もあるが、それは全くの見当違いで、改憲派のターゲットである9条改憲を実現する上で、いよいよその改憲策動を具体化しようとするという極めて危険なものだ。私たちは心してかからなくてはならない。「綱領」ではあらためて新憲法制定を掲げ、教育基本法の改悪と「小さな政府」推進と「安心・安全」社会の実現などを掲げた。また愛国心や家族の絆の重視と、「男女がともに支え合う社会」の実現もうたった。これらの自民党の主張がこの国をどこに導こうとしているのか、本紙の読者の方々にとってはすでに周知のことだ。次期通常国会からは具体的な形で憲法改悪のための「国民投票法案」に関する審議も始まる情勢だ。
この重大な時期に際してあらためていくつかの主張をしたい。これらの運動を推進する上で、決定的なことは憲法9条に反対するための可能な限り広範な共同を実現することであり、その運動を強めることだ。かぎりなく多様な運動、個人がこの一点において連携することだ。これはそれぞれの多様性の意義を否定するものなどではさらさらない。しかし違いのみを強調し、この壮大な運動の将来に責任を持とうとしないならばそれはほとんど役に立たないものとなる。政党はもとより、運動にかかわる全ての人びとがこの点で、真の意味での日和見主義と狭いセクト主義を克服できるかどうかが問われている。同時に内ゲバの歴史(現実でもあるが)に象徴されるような、意見の違いに暴力とそれを伴う脅迫で対処したような排除のやり方を清算せず、あるいはそれに曖昧な態度をとることも誤りで、たとえ善意からであれ、これを容認する形で「排除の論理反対」などと主張するのは天に唾するものとならざるをえない。いまこそ全力で「九条の会」をはじめとする広範な市民の共同のネットワークを発展させ、共同して自民党大会にみられる危険な動きに立ち向かう時だ。(事務局・高田健)
愛敬浩二(名古屋大学)
(編集部註)10月22日、市民憲法講座で愛敬さんがお話しされたものを、編集部の責任でテープ起しした上、大幅に要約したものです。文責は全て編集部にあります。
最近、憲法を改正したいと思う方々も憲法改正にそれほど賛成しない方々も、ある共通したものの言い方があるんです。私は「改憲イデオロギーの貧困と護憲アレルギーの流行」という言い方をしています。実は改憲派って「憲法改正をすべきだ」というそれほど強い正当化理由を持ってるわけではないのです。今この憲法を改正しなければ日本が困るという言い方は絶対しない。例えば「今憲法9条を改正してアメリカの意向に従うかたちで海外での軍事行動を行わないと日本がダメになってしまう。だから、それは人を殺すかもしれないし、殺されるかもしれないけれども、それでも憲法9条を改正して海外で戦闘行動にもある程度関与して、責任ある軍事大国として国際社会に関与していくんだ。だから憲法9条改正が必要なんだ」といえば、僕はひとつの政治的争点をつくると思うんですが、改憲派は絶対こういう言い方はしない。だからなぜ憲法9条改正が必要かということがよくわからない。9条を改正したあとにどういう社会に持っていきたいのかということをあまりいわないで、「60年も憲法改正していないのだから改正すべきだ」、「国民に1回も憲法改正国民投票させないような護憲派の連中というのは国民を信じていないのだ」、そんな言い方をすごくしたがるのです。
このように改憲派のイデオロギーが貧困な中で、特に最近人気が出てきている言い方が「解釈改憲最悪論」(これは渡辺治さんが命名しました、すごくいい命名だと思う)です。「憲法9条というのは確かに理想としてはいいのかもしれない。けれどもまずPKO協力法で海外への派兵体制はつくられ、次にイラクの戦争にまで参加できるイラク特措法というのができてしまった、さらに有事法制もできてしまった、ここまで9条が形骸化してしまったのであるならば、もはや9条を守ることはあまり意味がない、逆にここまで形骸化しておきながら様々な手練手管の政府解釈を使って自衛隊を派遣してしまう、その方が問題ではないか」という言い方がかなり強まってきています。
例えば、中山太郎さんもこれ以上解釈に基づいて自衛隊を海外に派遣するシステムを作っていくと歯止めができなくなるといいます。これはすごく変な言い分だと思います。自分たちで派遣しておきながら、9条を改正しないと歯止めがなくなるという言い方をするんです。麻薬患者がここで何かしとかないと注射打たなきゃいけなくなるというのとちょっと似ている理屈です。「自分たちに歯止めがないから、歯止めをしてもらうために憲法9条の改正だ」という言い方を中山太郎さんはしています。改憲派の方々は解釈改憲が一番よろしくないから明文で「できること・できないこと」をはっきりさせようという言い方をする。
この解釈改憲というのは憲法9条、特に憲法9条2項が明文で軍事力を禁止しているにもかかわらず、政府が手練手管を使って自衛隊を正当化してきた、自衛のための必要最小限度の実力組織は憲法に違反しないというあの言い方です。その自衛という事柄をどんどん解釈を繰り返して、今はイラクまで自衛隊を派遣できるシステムを作ってきたわけです。「これが最悪だから憲法9条を改正しましょうよ」という言い方が、実は今憲法9条改憲を正当化する上で流行しているんじゃないかと思います。だからこそあえて、憲法9条が本当に形骸化しきっているのかということを現代の文脈でも、議論してみる必要があると思うのです。
9・11選挙はご承知の通り郵政民営化に関わるかたちで行われた選挙でして、圧倒的に自民党が勝った、自民・公明あわせると衆議院の2/3をとってしまった。日本国憲法96条は衆参両院の2/3以上の賛成による改憲案の発議と国民投票の過半数による承認を求めています。いままで2/3を政権政党が占めたことはなかった。だから野党との協力なしには憲法改正が発議できないという状況にあったわけです。ところが今回自民・公明両党合わせて2/3を衆議院では確保しましたから、そうすると憲法改正が政治状況としては、かなりリアリティーを持ってきたわけです。
民主党は憲法改正に対して積極的な態度はとっている、少なくとも消極的ではない。けれどもあまり自民党と仲良くしすぎると、それはそれで政権交代という話とはズレるという中で、えらく曖昧な対応をしてきました。市民社会のレベルで、憲法9条の改正の問題が極めて重大な問題であるという意識が高まっていくと、そう簡単に民主党も自民党と手を握れないという状況がある。どうでもいい問題になってしまえば手を握れるわけです。
岡田民主党は憲法改正に対しては比較的消極的な態度を示しつつ、だけど国民投票法案に関してまで非積極的だといってしまうと財界とかそういうところからかなり嫌われるでしょうから、国民投票法に関しては積極的だという状況にあった。すなわち改憲派としてみれば民主党を抱き込む上で結構厳しい状況にあったと思うのです。ところが9・11選挙によってまず民主党が惨敗し、かつ前原さんが代表になられた状況の中でやはり改憲問題が極めてリアリティーを持ってきているというふうに思います。
前原さんは9条2項削除が持論だそうですから、自民党の憲法改正派とどれだけ差違があるかというのは非常に微妙な方だと思います。というわけで9・11選挙のあとかなり厳しい状況になってきているというのは確かだと思うには思います。ただもはや万事休すかといわれると僕自身はそうは思っていません。といいますのは、やはり一旦改憲草案を作り始めると、野党の民主党は政権交代を考えますから、そう簡単にズブズブと与党のいいなりになるわけにはいかないという状況はあるはずです。憲法9条改正を許さないためには、このハードルをどれだけ強めていくかというのはすごく重要だと思う。さらに国民投票法を念頭におかなければいけません。
ご存じの通りEU憲法でオランダとそれからフランスでノンというかたちで排除されてしまった。そうしたらシラクさんの政治力っていきなり落ちましたよね。国民投票法にかけておいて、それで一旦51対49でも負けてしまえばまた5年後にもう1回憲法改正をなんていうのはそう簡単にできなくなります。やる以上勝ちたいわけです。逆にいうと勝つ見込みがないところでは憲法改正案を作ることもだんだん難しくなっていくわけです。とすると改憲したい側もこれだったら通るというかたちで案を出してくる。でもそうするとバリバリの改憲派からすれば「こんな改憲案ならどうでもいいじゃないか、そんなもの作ってもしょうがないじゃないか」といいたくなってくるわけです。
例えば元々自民党の2004年段階の改憲案というのは憲法24条、婚姻関係における両性の平等、これをはずすっていうわけです。バリバリの改憲オタクの方からするならば日本国憲法のように個人の尊重とか個人主義とかそういうことを認めようとする憲法なんか気にくわないわけです。だけどそういうものを改正したいという思いを改正案に入れていってしまえば国民投票を通らないではないかという意見が改憲派の中でも出てくる。そういうぐちゃぐちゃした中で成案を作りにくくなるということもすごく重要だと思うのです。 その際、ほうっておいたら妥協はできると思う。いまの自民党と民主党というのは、僕たちがほうっておいたならば憲法改正問題に関して比較的簡単に妥協ができる状況になりつつある。けれども、市民社会のレベルで憲法9条を含めて憲法改正に反対だという意見がある程度強くなっていけば、妥協はすごく難しくなってくる。その際に解釈改憲最悪論、「憲法9条があったって現実にここまで軍事大国化が進んでいるじゃないか、いまさら9条を守ろうといったってしょうがないじゃないか」というのに対して、「いやそうではないのだ、まだ憲法9条があることによってこれだけの意義があるのだ」ということを語っていく必要があると思います。
憲法9条は極めて現実的だったということをあらためて再確認する必要があると思います。憲法9条にはもともと侵略国の武装解除という側面があったわけです。海外に出かけていって戦争をして、結果負けた。負けた国ですからその国の軍事力をどうするかって問題になる。戦争に負けて、無条件降伏というかたちでのんで、そのうえで新たに国を作り直そうとしている国がそもそも軍事力を持っているということ自体が非現実的です。さらにそれは、「日本の安全保障」ではなくて、「日本からの安全保障」だったということです。すなわち日本を武装解除し民主化することによってアジアの平和を獲得していく。そういう流れの中で、憲法9条というのは極めて現実的な意味を持っていたというところを確認しておく必要があると思います。
もう一つはGHQの間接統治というのがあります。GHQが天皇を中心にした日本政府に命令をして国民を支配するというやり方です。外国軍が直接国民支配すれば国民の怒りが直接外国軍に行くことになりかねません。外国軍が直接統治しようとすればそれに必要な軍事力やお金も莫大な数になるでしょう。アメリカを中心にしたGHQは、この天皇を中心にした政府を温存させてそれに日本国民を支配させる、もしこの政権が思い通りにならない場合には直接関与していくというかたちで考えていたということです。もし昭和天皇の戦争責任を追及して排除してしまえば、ここに誰をおくかという問題が起きます。今の天皇は当時確か13歳か14歳ですからそんな人をここにおいたらそんなもの傀儡政権であるのが明快になりますよ。マッカッサーが考えたことは昭和天皇をここに据えようと思ったわけです。ところがGHQというのは、今の日本の政治制度にいいかえますと内閣に近くて、内閣の権限をある程度制約する国会みたいな存在として1946年2月か、3月から極東委員会というのが設置されることになりました。なぜアメリカ側が日本国憲法制定を急いだかというと、平和的で民主的な憲法の中に昭和天皇をはめ込んでしまう。そのことによって諸外国の承認も得てしまおうと思ったわけです。それなのに日本政府側はGHQ、特にマッカーサーの言い分を理解しないで、まだ天皇の地位を残そうとするし、それも明治憲法の焼き直しに近いような案を何度も何度も出してくる。マッカッサーからすれば昭和天皇を守るってことに関しては本気だった。民主的で平和的な憲法をまず作ってしまってその中に昭和天皇を入れてしまったらそう簡単に例えば東京裁判での被告にはしづらくなってくる。新しい憲法の象徴の地位につくわけですから。1946年の3月あたりから東京裁判の被告の選定とかしはじめますから、これはもうギリギリです。改憲派の方々は、2月の2週間でアメリカ側が勝手に憲法草案作って日本に押しつけたっていいたがります。それは確かに全く押しつける面がなかったとは思いません。戦争に負けて占領されている状況の中で憲法制定しているわけです。さらに日本はポツダム宣言を受諾していますから基本的に平和で民主的な政府をつくる責任を国際社会に対して負っています。確かにその条件に合うような憲法を作らざるを得ません。ところが当時の日本の支配層はつくれませんでした。だからGHQ側がつくって提示した。それを受け入れて作ったわけです。
このように憲法9条は実はこの天皇制を温存するための避雷針としての役割を果たしています。結局憲法9条がなかったらどう考えたってこの天皇制を維持することは難しかったという状況があるわけです。当時の国際状況の中で極めてリアルな政策選択として、まずはじめに侵略国の武装解除ですから、まず軍隊はなくなる、その軍隊がなくなったところで、昭和天皇を生き延びさせるためにも9条というようなものを憲法の中に入れる。極めて平和的な憲法で侵略することはありえませんから、侵略戦争の責任を持つべき人である昭和天皇もこの日本国憲法の中に押し込むことができたという、そういう意味では9条というのは極めて現実的な規定として始まったと僕は理解しています。
これで終わっちゃうと、じゃあ9条はそんなに原点が汚れているんならば改正しちゃえばいいじゃないかという話になるかもしれません。話が違うのは日本国憲法が制定されたあと冷戦になっていく。
当時日本は冷戦の最前線にいきなりなるんです。中国も1949年に共産主義化しますし、それから朝鮮戦争が始まって、ベトナムもラオスも共産主義国でしたし、それからモンゴルも社会主義国です。東アジア地域には猛烈な勢いで共産主義政権が誕生してくるわけです。資本主義と共産主義の対立が極めて深刻になっていく中で、日本は単独でアメリカが占領していますから、冷戦における前線基地としてまたとない存在となってしまう。そこでアメリカ側が自衛隊を押しつけたんです。朝鮮戦争が始まってアメリカ軍が出撃する、その出撃したあとに、日本がいきなり共産主義革命とか起きたらそれは困ります。どれだけ起きる条件があったのかよくわかりませんけれども、そういう社会主義革命、共産主義革命が起きて、ここもアメリカ軍がいることができなくなってしまったらどうするか。だけどアメリカ軍は出撃せざるを得ない。すると日本の治安を守る組織が必要になってくる、そのために設置されたのが警察予備隊です。ですから警察予備隊というのはもともとアメリカ軍の下請けとして始まっているわけです。さらにこれは旧日米安保条約の内乱条項、日本国内で内乱が起きた場合には米軍が介入するっていう話です。要するにアメリカに基地を提供するような政権が転覆されるようなことが起きた場合には介入していくという、そういう条項が旧安保条約にはありますよね。このように考えると実はアメリカを中心にした冷戦のもとで軍事戦略は変わっていって日本は冷戦の最前線として基地として必要不可欠な存在になった。日本の安全のために自衛隊ができたというよりは、日本が共産主義化するのを防ぐために導入されたといってもいいのかもしれません。
この時日本の平和主義運動は急に高まっていくわけです。朝鮮戦争が起きた頃にはワシントン講和もだんだん見えてきていましたから、日本が独立した場合には憲法改正をするべきだという意見が高まってくる。実は憲法9条というのは実際に施行されたのは1947年ですけど、その時からずっと評価が高くてそれで最近落ちてきたっていうんじゃないのです。制定された直後は世論は憲法9条にすごく好意的なんです。ところが9条の支持率というのは朝鮮戦争が起きてまさに身近なところで戦争が起きた段階でいきなりがーんと下がるのです。一旦下がるんですが、その後冷戦が本格的になっていく中で本当に冷戦の最前線で米軍に基地を提供し続ける形で日本を運用していくのがほんとうにいいのか、という疑問が50年代に表れてくるわけです。憲法9条を支持する意見が高まっていくのは実は1955年以降なのです。55年体制に入ってその中で憲法9条を改正するべきではないという意見がどんどん強まっていく。それは確かに巻き込まれ拒否意識なのかもしれません。でもこの時代状況の中で巻き込まれたくないという思いは極めて重要だと思います。それは米軍基地を抱えているからです。
アメリカというのは冷戦の一方当事者ですから、その国が軍事行動をするかもしれないという状況の中で、基地提供していることに関してリスク感を感じないのは驚きます。これは例えばヤクザ同士の抗争があって、ものすごい乱暴なヤクザのトップの人間を自分の家に泊めておきながら相手のヤクザからは攻撃されないと安心しているような人間と似ているような感じがします。貸している人間が本当に戦争するかもしれないし、実際にベトナム戦争での朝鮮戦争でも戦争の一方当事者になった、そういう国に基地を貸しておきながらそのリスクを感じないということ事態が非現実的だと思っています。
このように50年代に朝鮮戦争などをきっかけにいったん憲法9条を改正するという意見も強くなったのですが、だんだんそれが弱まっていく。その上で極めて重要だったのがビキニ沖での第5福竜丸の被爆事件です。ここでやはり広島・長崎の経験を持っている日本国民としてみれば核兵器の使用ということに関して極めて否定的な評価をして、そこから平和運動が構築されていくということもあった。冷戦時代というのはソ連とアメリカがお互いに核兵器を持っていて片方が一発うっちゃうと世界戦争になってしまって地球が滅亡する。だからお互いにうたない。ダモレスクの剣といわれてましたけど、自分の上に紐につった剣の下にいるという状況とよくいわれましたけど、その状況の中で、反核というか核兵器に対する消極的な評価、反核平和運動が高まっていく、その中で憲法9条も再評価されていくという流れ、これは忘れてはいけないと思っています。
60年安保闘争の時、6月18日かな、自然承認されるときです。そのとき安保闘争を前にした岸さん、特に池田勇人さんが特にそうだったらしいんですが、自衛隊を突入させようとした、国会を守るために自衛隊を出動させようとした動きがあった。それに対して中曽根康弘さんが極めて消極的だったようです。当時の防衛庁長官であった赤城宗徳さんも拒否したといわれています。
自衛隊はいまだに国民に銃を向けていません。だけどアジア諸国の軍隊ってどうですか、国民に銃を向けたことのない軍隊ってどれほどあるんでしょうか。確かダグラス・ラミスさんの話だったと記憶しているのですが、フィリピンでは軍隊が国外で殺した人数よりも国内で殺した人数のほうが圧倒的に多いというふうに彼はいった。お隣の韓国だって政権を守るためだけに軍隊が国民に発砲したことがあります。実はある種の分水嶺だったのかもしれません。ここでもし本当に自衛隊が出動されていれば似たような運動が起きた場合には軍隊が来たかもしれません。日本ではそれはできなかったんですよね、なぜできなかったか、それはやっぱり憲法9条のもとでそもそも正当化根拠が曖昧である自衛隊を今使ったらもたないと考えたようです。中曽根さんの回顧録を読んでもそうですし、そういう感じで彼はいっています。岸家の軍隊ではないと言い方を彼はするんですけど、もしこの時点で憲法9条が改正されていて正真正銘の軍隊として存在していたならば、治安を維持するという名のもとにたぶん出動しています。憲法9条との関係で極めてその正当化根拠が曖昧であった、曖昧であったところ出動できなかったわけです。日本が軍事独裁政権にならなかったということを当然のように思っている方って想像力を欠いていると思うのです。
お隣の韓国は米韓条約に基づいてベトナム戦争に参戦しているんです。確か3000人くらい死んでいる。当時のアメリカのマクナマラ国防長官でさえ「意味のなかった、大義のなかった戦争だ」といっているベトナム戦争に韓国は条約に基づいて派遣していて3000人くらい死んでいる。日本は軍隊として派遣されていませんし、戦死者はいない。
さらに90年代にさまざまな形で軍事法制が展開していきます。まずPKO等協力法で海外に自衛隊を派遣するシステムが作られ、さらに周辺事態法では国連決議に基づかないでアメリカの軍事行動に対して後方地域支援という形で海外で支援する形が整えられていく。さらにテロ特措法、イラク特措法という形で海外まで自衛隊を派遣することができる、さらに有事法制という形で日本の軍事法制はかなり整備されてきているわけです。それでもまだできないことがある、だから改憲派は明文改憲をしたいと思うわけです。例えば小泉首相はイラクに自衛隊を派遣するときに「戦争に行くわけではない」、といわざるを得なかったわけです。それは憲法9条2項との関係で何とかイラク特措法を正当化しましたけれども、これは結局、非戦闘地域に派遣するのですといわざるを得なかった。だから戦争に行くわけではないのですといわざるを得なかった。だから軍隊としての活動ができないでいます。だけども軍隊を派遣しているという事実がどうしても欲しかったということだと思います。
例えば小泉さんの2004年11月の有名な答弁です。「自衛隊が存在するところは非戦闘地域である」というい方をしました。これは確かにすごくいい加減な答弁です。自衛隊が存在するところが非戦闘地域である、これはすごく恥ずかしい答弁なんですよ。小泉さんだって気づくと思うんです。だけど彼はいわざるを得ないわけです。イラクは非戦闘地域ではないから自衛隊がいますといったならば、ではなぜ非戦闘地域じゃないといえるんだという形で今度質問されてしまいます。非戦闘地域ではないという判断をした証拠を見せなさいといわれてしまいます。非戦闘地域ではないというふうに実態にもとづいて答えることができない。だから自衛隊が存在するところは法解釈上非戦闘地域です、と答えざるを得ないわけですよね。だからこそ戦闘に参加するとか治安を維持するという事柄ができないでいます。その結果としてまだ人を殺していないし殺されてもいないということだと思います。
ですから憲法9条が戦後政治史の中で果たしてきた役割は決して小さくないと思いますし、もし9条がなかったら日本に軍事政権ができたのではないか、こういう想像力も不可能ではないと思っています。
今なぜそんなに憲法9条の改正がシビアにいわれているのかといいますと、2点あると思います。ひとつはグローバルな市場が拡大していっていますが、その拡大維持のために米国の軍事行動というのがかなり行われ始めています。
今回のイラク戦争の理由が大量兵器でもなく、アルカイダとの関係でもなく、石油に対する支配だということがかなり見えてきているというのはおわかりですね。それで最後イラクの民主化っていうふうにいい出しているわけです。そういう形でまで戦争したということの意味というのはやはり、グローバルな市場を拡大していく中で、そのグローバル市場の維持・拡大のためにアメリカは軍事行動を辞さないという方向になってきている。かつては南米で何かアメリカ側にとって不利な体制とかが作られそうになるとさまざま軍事介入してきた。それがソ連がなくなったことによってグローバルに展開しているだけにすぎないという見方は重要だと思います。今までは、自分の裏庭、中南米でしかできなかった事柄を今度、グローバルな形でやり始めている。政権がそれほど民主的ではないような地域に関してやり始めている。アメリカ側が自国の権益との関係で軍事行動を行う可能性っていうのは常に増えている。それに対して日本が協力することを求められているという側面があると思います。
ただし僕が注目しているのは、日本企業が特殊な権益を持つ地域の安定のために軍事的プレゼンスの確保をしたくなってきているのではないかという疑いです。日本国独自の問題としても軍事的プレゼンスを確保したいという思いが強くなってきているんじゃないかと思います。これは多くの帝国といわれる国々が、例えば、ソ連だってハンガリーで政権が壊れそうになれば軍隊派遣しますし、チェコスロバキアで自由化・民主化が進めば軍隊派遣しますという形で、衛星国と呼ばれる地域に関してはその政権が自国に有利であるようにするために軍事的プレゼンスを示してきたわけですよね。日本がその欲望を持ち始めているんではないか。
最近例えば中国との関係で海底の資源の開発の問題に関して自衛隊が行くべきではないかという議論をする人も出てきてます。このように自国の権益との関係で軍事的プレゼンスをちらつかせる、という期待もし始めていると思います。そうすると海外へ自衛隊が軍事行動できるという欲望は単にアメリカ側からの要求だけではなく日本独自の要求としても強まっているというところがあると思います。
そういうわけですので改憲派は憲法9条を改正して自衛隊を海外に派遣し軍事行動を行わせる、そのことを本気で考えていると見るべきだと思うのです。自国の安全を守るための自衛隊を合憲とするために憲法を改正することに主眼があるのではありません。そうではなくて海外で正真正銘の軍隊として活動するために憲法改正をしたい、というのが今回の憲法9条に関わる憲法改正の特徴だと思います。
自民党の改憲構想づくりは状況をみながら簡単に妥協する。昨年11月時点での憲法改正草案大綱においては明文で集団的自衛権の行使に踏み切るというふうにしておきながら、8月1日に出た新憲法第1次案では集団的自衛権の行使という言葉、これだと公明党が引くかもしれませんから、それはさっさと引っ込めて自衛軍という言葉に変えている。自衛軍を設置してこの自衛軍を国際的に活用するといういい方になっています。ところが今、自衛隊は軍隊ではないという形で派遣されていますから軍事行動できませんけど、正真正銘の自衛軍として戦場に派遣されれば軍隊ですから当然軍隊として機能することができるようになります。自衛軍という言葉をとにかく入れればある程度達成目標は実現する、改憲派の目的、海外での軍事行動を可能にする。自衛軍というふうにいえば軍事裁判も導入することもできます。今日本では軍事裁判がありませんから、例えば自衛官の方が抗命、命令に違反して争ったとしても、自衛隊法違反を理由にして通常裁判所でやるしかない。まずひとつは懲戒処分があるかもしれませんけど、やめたければやめられちゃいます。それですんでしまいますから、あとは自衛隊法違反を根拠にして自衛隊法で起訴するためには今は通常裁判所を使うしかありません。ですから地方裁判所、高等裁判所、最高裁と3審まで争えます。戦前の軍事裁判所は1審制です、即決です。それに裁判官の構成も違います。だから実は今の自衛隊って本気に軍事行動をしようとすると機能できません。だって戦場に出かけていって、私戦争に行きたくありません、人を殺したくありません、という形で戦線から離脱したってそれは自衛隊法違反ですから、それは通常裁判所で争うか、クビで退職金がもらえないだけの話になりかねません。自衛軍といったん名前を変えてしまえば軍事裁判所を設置できますし、そのことをちゃんと自民党の憲法改正案もいっています。ということは明らかに戦争できる国へのモデルチェンジという性格を持っているわけです。それが非常にシビアな欲望になってきているということだと思います。
「護るだけでいいのか」という言い方に対して、「いや護ることによってこういうさまざまな良いことがある」という話をしてみたいと思います。
まず1点目、国際的効用という言い方をしましたけど、これは憲法9条を護ることによって国際社会にどういう貢献ができるかという言い方です。よく「国際貢献論」というと軍事的に日本が何ができるかという議論になってばっかりいるんですけれども、僕は違った見方をしたいと思います。イラク戦争をみてもわかったと思うのですけれども、アメリカのようにわりと安直に軍事的な手段を選択するというのが国際社会において本当にトレンドなのかということです。
いまアメリカは日本の米軍基地なしには成り立たなくなっているわけです。そうだとしますと、日本国民が憲法9条を有効に使いつつ日本政府によるアメリカへの支援を少しでも抑えていく。抑えていければアメリカ軍だって軍事的選択をするうえでひとつの障害になりうるわけです。アメリカが安易に軍事的な選択を行う場合にそれに対して日本政府が協力しない、日本国憲法を使いながら市民の側が政府による米軍協力をなんとか止めていく、そのことが結果としてアメリカが安直に軍事的な選択を使わないという方向につなげていくことだと思う。いま憲法9条を護って、日本政府によるアメリカへの軍事的な支援を少しでも可能な限り止めていくという行為は、単に一国平和主義という問題ではなくて、武力による平和と武力によらない平和の岐路にある国際社会において、ちょっとでも武力によらないで紛争を解決していこうという流れを強めていく運動だと思っています。そういう意味でも憲法9条を護るということには実践的な意味があると考えています。
さらに国内的な効用として在日米軍恒久化の危機ということをもっとシビアに考えるべきだと思います。少なくとも現在は憲法9条との関係で日米安全保障条約は日本本土と極東の安全のためにアメリカ軍が駐留するという形になっています。日本の安全のためにアメリカ軍がいるという建前になっていますから、冷戦が終わったにもかかわらず「何でアメリカ軍がこんなにたくさんいるの」、という問題提起ができるわけです。さらには日本って海兵隊がすごく多いんです。在日米軍4万人くらいの中で19750人、約50%が海兵隊員です。ほとんど沖縄にいるんですけど。海兵隊員というのは攻撃型の軍隊です。防御型の軍隊ではありません。こういう問題提起ができるわけです、「何で海兵隊が日本にいるんだ、おかしいじゃないか、憲法9条との関係で日米安全保障条約を正当化するんであるならば、日本と極東の安全のためにいるんでしょ、ならなんでそういう軍隊が出て行くのだイラクまで」、というふうに市民運動の側はいえるわけです、実際に言っているわけですよ。
ところが憲法9条が改正されてしまうとこんなことはいえなくなります。自民党の憲法改正案をみますと、まず自衛軍を設け、かつ「国際的に協調して行われる活動に自衛隊を活用する」という言い方になっているわけです。政府の解釈は国際的に協調して行われる活動の中にイラク戦争を含めているわけです。とするとアメリカの行う戦争にすべて関わっていく形になると思います。特にアフガニスタンに行った戦争でアメリカは自衛権の名の下に介入している。9.11事件が起きた、それに対して国連決議なんか一切関係なく自衛の問題として戦争を行っているわけです。それに日本側は協力しているわけですから、アメリカが自衛の名の下に行った戦争はすべて日本が協力できるという形になりかねませんので、ならばアフガニスタンでもイラクでもアメリカが戦争する場合に日本の基地を使えるのであれば、どこの戦争にだって日本の基地を使えるようになってしまいます。憲法9条を改正してしまえば、極東と日本の安全のためにアメリカ軍があるはずですよね、とはいえなくなっていきます。憲法9条が改正されてしまえば米軍を日本から縮小していくということは難しくなっていくと思います。
さらにひとこと付け加えておきたいのは、解釈改憲は歯止めになってないといういい方をする方が多いのですが、そうではありません。阪田雅裕内閣法制局長官とか内閣法制局に関わった方々がいうんですけど、もし集団的自衛権の行使を認めるのならば、憲法9条にどんな意味があるかってみんないうんですよね。なぜかといいますと、自衛のための必要最小限度の実力組織という形で内閣法制局はずうっと解釈を積み重ねてきたわけです、何十年もかけて。何十年もかけて積み重ねてきて戦争に行くわけではないから今回限り認めましょう、という形で積み重ねてきたわけですよね。積み重ねておきながら、いきなり見解変えて海外でも軍事行動できますよとは法律家としていえませんよ。法律家として恥ずかしいことです。
市民の中には9条なんか形骸化したと思っている人もいるかもしれませんが、実際に法案を作る場合には今までの9条に関する解釈とか政府見解とか参照して作っているわけです。そうするとどうしても一歩前に行けないわけです。戦場で正真正銘の軍隊として活動する、これにはどうしてもいけないわけです。だから明文改憲が必要だという流れがあるわけです。9条は確かにかなり形骸化してきてはいますけれども、にもかかわらず首の皮一枚残っていて、いまその首の皮一枚を護ることには決定的な意味があると考えています。国際的にも国内的にも、ということです。
さらに今憲法改正をすることの危険さについてです。立川テント村事件とか、邦人人質事件の自己責任という言い方ですよね。意見の多様性とかそういうことに対して極めて冷淡な社会の中で、あるいは東京都で起きた事件で、「日の丸・君が代」に反対するビラを卒業式で配っただけで威力業務妨害罪ですよ。そういうことがおこなわれているような社会の中で憲法を変えることの意味というのは、まじめに考えたほうがいいと思います。
樋口陽一先生が日本においては憲法9条は自由の下支えとしての特徴があるのだという話をよくします。戦前は軍事がもっとも優先されていた社会だったわけです。司馬遼太郎さんが良く出す例ですけど、彼が戦争が終わる直前に群馬かどこかで戦車隊の一員としていたと、そこで上官に質問したらしいです。東京湾にアメリカ軍が上陸すれば関東平野の人は北に逃げますよね、それを防ぐために私たちが国道を突っ走っていったらぶつかりますよね、どうしたらいいでしょうと質問したら「轢いていきなさい」といったという話ですよね。これは司馬遼太郎さんはいろんなエッセイで書いています。そのような社会が日本には一度存在したことがあるわけです。さらに僕は以前長野市の信州大学というところに勤めていたので松代地下壕によくいったのですが、本当に広くて4メートルくらい幅があるかな、キャッチボールできるくらいの高さがあって、今公開されているのが確か1/10くらいなんです、今公開されているだけでも相当広いです。地下壕を掘ってそこに大本営だけは移動させようとした。でもそうすると、全国民を収容するわけにはいきませんから、選別しなければいけません。さらにアメリカ軍が侵入してくるかもしれないという状況の中でどうするかっていうと碓氷峠を遮断して止めるというのです。碓氷峠を越えられない国民がいることを当然の前提として軍隊は活動しているわけです。よく軍隊は国民を護るのではなくて国を護るだという言い方をしますけど、これはまさにそのとおりで、沖縄戦なんかも典型ですよね。当時の沖縄戦というのは住民を守るんではなくて守るのは国体だったわけです。僕がこの話をしたかったのは、すごく記憶に残っているのですが、沖縄でガマの経験をしたおばあさんが松代地下壕にきたところ、はじめてみて泣くんですよ。それは自分がいたガマに比べてあまりにも大きいというのです。僕はこれを見て近代日本国家のある種の核心を見せられた気がするのです。普通は国民が住む場所が立派であるべきなのにもかかわらず、国民は本当に小さいところでなんとか生き延びていたにもかかわらず、その地下壕は本当に立派です。これがまさに戦前の日本の社会のあり方だった、それをひっくり返して見せたのが憲法9条だと思うのです。
改憲派だって有事法制をつくるときに国民の安全のために必要だっていいました。あれは軍事専門家からすれば不満だと思います、国民の安全が目的ではありませんから。軍隊というのは国家を守るというのが目的であって、この場合の国家というのは内閣を中心とした組織です、これを守ることが目的であってそのためにはどこか切っていかざるを得ないわけです。防衛線を縮小しなければいけませんし、日本全部をまもる、国民全部を守るなんていっていたら本気で守れなくなってくるわけです。だけど、日本政府はそういわざるを得なくなったわけです。それを見たって憲法9条が戦後社会において果たした役割はすごく大きいと思います。すなわち、国家よりも個人のほうが大切であるという考え方を浸透させる上でも憲法9条は極めて重要な意義を果たしていると思います。
星野正樹
今年の11・3憲法集会は四谷の聖イグナチオ教会ヨゼフホールで、会場いっぱいの450人の参加者を集めて行われた。
冒頭、市民連絡会の高田健さんが「今回の集会は韓国との熱い連帯の中で行われる。ソウルでも日本大使館前での行動やシンポジウムが行われる。また今年の実行委員会は高校生、大学生、ピースボートなど若い世代と戦争を体験した世代がともに参加していることが大きな特徴だ。平和憲法を破壊する自民党の新憲法草案が11月22日に採択されるなどの動きがある一方、毎日新聞の世論調査では憲法九条改悪反対が62%あり、特に20代では改悪反対が高い支持を得ている。この国民と永田町との乖離をどうするのかが問われている。今までになかったような運動をつくるための出発点にしたい。アジアの人々と手をつないで九条の意義を確立しよう」と発言した。
弁護士の呉東正彦さん(原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会)は「米軍再編と日本」というテーマで、「米軍基地再編の目的は自衛隊基地・米軍基地の共同使用、作戦司令部の統合などによって日本を米軍の支援基地にして自衛隊を米軍と一体となって戦う『軍隊』とすることだ。また、日米合意の中間報告では『どこで戦うか』を書いていない。憲法がある以上書けない。そのためにアメリカは改憲を迫っている。アメリカに代わって戦争のできる国への集大成として改憲がある。横須賀が原子力空母の母港になることによって、事故の可能性が大変高くなる。原発より危険なものが東京湾にやってくることになる。地元での反対署名は34万5千集まっていて特に若者の反応が良い。県知事や市長も反対している。自治体を支えながら日米政府のごり押しとたたかっている。また市長が反対すれば基地使用などはできなくなる。地方自治権が力になる。そういうたたかいを『人権を侵すような基地建設はできない』というかたちで憲法が支えている」と話をした。
韓国から参加した李俊揆さん(韓国平和ネットワーク政策室長)は「韓国から見た日本国憲法」と題して「憲法九条は、戦争を起こした責任追及の意味があり、戦争を二度と起こさない、東アジアで平和国家を作るという約束である。平和のためには信頼感が一番大事だ。しかし教科書問題や小泉首相の靖国参拝などで東アジアの中に不信感が生まれている。平和憲法がなくなることによって新たな悪循環を招くことになる。憲法九条を守り前文と九条の理念を東アジアの財産にして世界に広げることは、不幸な過去を清算し現在の不安定を克服し平和と共存の未来を作ることになる。韓国と日本の『記憶の国境』を乗り越えよう」と発言した。
伊藤真さん(法学館伊藤塾塾長)は「今こそ憲法を考えよう-憲法の本質と自民党新憲法草案の問題点-」と題しての講演で「自民党の案は『改正』ではなく『新憲法』となっていることに注意が必要だ。『新憲法』とは現在の憲法の価値を否定し、新しい秩序を作ることで、99条違反であり、一種の政治的クーデターである。私たちは今の議員にそんな権限を与えていない」「多数の国民は間違う可能性をもっている。だからこそ多数決で奪ってはいけない価値=人権を定めたものが憲法である。そして人権とは主張し、たたかうことによって獲得されるものだ」「自民党の新憲法草案には『自衛軍の保持』の明記以外にも、政教分離を緩和し靖国参拝をしやすくし、総理大臣の権限を強化することによって戦争へのハードルを低くする、憲法改正発議の要件を3分の2から過半数にして改憲を容易にする、などの問題がある。さらに地方自治体との『役割分担』という言葉で自治体の権限を制限したり、公を強調することで人権を制限するなど憲法の本質を変えようとしている」「憲法は実践してこそ意味がある。志を高く持って理想を語っていこう」と明快に語ってくれた。
続いて高校生反戦ネットワーク、明治大学学生、GPPACからの発言、日本山妙法寺から沖縄で不当逮捕された木津上人の解放を訴えるアピールを受け、最後に「日韓市民共同声明」と「自衛隊撤退を求めるアピール」を採択した。その後、パレードに出発し防衛庁前での抗議行動などを行った。
今年は若い人たちの参加も多く、パレードもカラフルに元気よく行われた。
憲法は決して「一国平和主義」などではなく東アジアの平和を創造するための指針として、これからますます重要になってくるということが確信できる集会だった。
活かそう憲法!北摂市民ネットワーク松岡幹雄
11月3日憲法公布59周年をむかえ、水島朝穂さんを講師に市民集会を大阪国労会館で開催した。120名を超える市民が参加し熱心に講演に聞き入った。
まず、主催実行委員会を代表して中北龍太郎さんが開会のあいさつ。「9.11刺客を送り込んで勝利した小泉自民党が今憲法を殺す刺客となっている」と述べ来年の国民投票法案とのたたかいを呼びかけた。
つづいて「憲法9条を変えて何が悪いねん?」と題しての講演に移った。水島さんは、なぜ新憲法草案になったのかについて「憲法改正なら逐条ごとの○×にならざるをえない。EU憲法が国民投票で否決されたフランスやオランダのさまをみて全部一括にできる新憲法草案とした」「これなら自主憲法制定という自民党の党是とも合致する」と分析。しかし、現行憲法の修正と中曽根前文の否定に自民党の右の部分からの反発がでていることについて、「これは、逆にそれだけ自民党の本気度がしめされている」とのべ、今後「自民党はさらに矛盾を深めていくだろう」と述べた。
つづいて、今回の新憲法草案の問題点についてまず何よりも9条2項への正面攻撃であると述べた。とりわけ、「9条2項の規範力は今でも生きている。これを取り払うことで海外派兵と集団的自衛権の行使に道を開くことが可能になる」とねらいを明らかにした。さらに、正面攻撃の2つ目として、96条の憲法改正手続きの「規制緩和」をあげ、「過半数へハードルを下げることが大きなねらいとなっている」と指摘した。
また、立憲主義との関連で「そもそも憲法とは何か」ということについてあらためて次のように指摘した。「憲法とは、みんなで守る決まりではない。『憲法を暮らしの中に活かそう』というスローガンが勘違いの始まり。この国の憲法論の弱さの一つは、憲法とは権力者をしばるものという理解の弱さ。9条を守る運動でなく、9条を守らせる運動こそ必要」と語った。
さらに日本国憲法の先駆性について、「国連憲章はヒロシマ、ナガサキの前につくられた。日本国憲法は、核攻撃という惨事を踏まえ、かつ、アジア諸国のまなざしを踏まえてつくられたものだ」「今世界では、軍隊でない紛争予防や介入が研究されている時代だ。軍事的合理性を否定した日本国憲法は世界の国々の里程標だ。GPPACの展開など憲法9条をアジア全体の目標にすべきだ」と結んだ。
集会は、連帯のアピールにうつり、日本軍の性的被害者運動団体=リラピリピーナのピラールフェリアスさん大阪憲法会議の副代表の梅田章二さん、途中質疑をはさんで小泉靖国参拝違憲アジア訴訟団より服部さん、11.6戦争あかん基地いらん関西のつどい実行委員会より星川さんがそれぞれ連帯のアピールを行った。続いて、集会決議案がYWCAの村田さんが提案し満場の拍手で採択された。
最後に、実行委員会よりのまとめが司会の松岡より行われた。「まず、改憲キャンぺーンという段階から新たな段階へ進んでいる。いかにして国民の過半数を獲得するかが課題。『九条の会・おおさか』が来春計画している大阪での大集会を成功させるために協力を進めよう。さらに、本日署名をご紹介したが国民投票法案反対の運動をこの集会を契機として来春へ続けていこう。そして、身近な地域や職場から即座に自民党新憲法草案の問題点を明らかにする学習・集会を開催していこう」と締めくくった。
藤井純子(第九条の会ヒロシマ)
今年の11・3憲法のつどいは、自民党が改憲案を出し、在日米軍の再編について日米両政府が合意し中間報告を出したすぐ後の重要な時期となりました。抗議や街頭宣伝で慌しく、また緊迫した状態の中で、500人の会場に650人が押し寄せて下さいました。講師は、3月の「九条の会・広島講演会」に続いて、知の人として知られ「九条の会」のお一人である加藤周一さん。加藤さんは1945年9月、被爆者の調査をされた医師の一人で広島との関係も深く、90分たっぷり! 補助椅子を全部出しても足りず、床に座りこんで話を聞きました。憲法改悪を許すまじ!という熱気に包まれた2時間半でした。
お話は、改憲論の背景と、いま私たちのできること。敗戦後、平和憲法が圧倒的に多くの人々から受け入れられながら、市民主権や人権、非武装を受け入れない指導者たちが政治を行ってきた戦前からの連続性を指摘。非武装の九条より「戦争にどう対処するか」の日米安保を優先して軍備増強に走る政府に対し、しっかり意思表示をしていくことが大切だ、と日本型集団的思考に陥らないよう、生き生きとした様々な「9」の活動を示されました。しかし講演中「北朝鮮は日本を攻める意思も力も無い」と話されたにもかかわらず「北朝鮮や中国が攻めてきたら…にどう答えたらいいの?」という質問がやっぱり出てきます。それに対して「共和国の体制は歴史的に日本の我々こそ理解できるのではないか。中国も忙しいはず。(笑)こちらが追い詰めないことだ」とユーモアを交え丁寧に答えて下さいました。だからこそ、加藤さんも言われたように、1対1でじっくり説得する力をつけることが私たちに問われているのだと思いました。最後に、ヒロシマの声は国際的にも力があるはずだと結ばれ、参加者の表情が引き締まった瞬間でした。
開会挨拶は呼びかけ人の一人、前広島市長であり、今「広島マスコミ9条の会」代表でもある平岡敬さん。「マスコミは戦前、国家権力に追従し、戦争を賛美し、国民を戦争に駆り立てた辛い歴史をもつ。マスコミが憲法問題をどのように報道するか、これを監視することは重要だ。本日を私たちの不戦の決意を固める日にしたい」と力強い挨拶でした。
呼びかけ人は、平岡さんと、仏教者信楽元龍谷大学長、カトリック三末司教、そして弁護士の江島さんの4人です。江島さんは、広島銀行顧問弁護士という私たちと対極の立場でありながら、シベリア抑留の経験から九条は絶対守るべしと言われる、こんな時こそ心強い方です。
講演後、広島県内各地、各ジャンル(音楽、宗教者、マスコミ、弁護士)から来られた皆さん約40人で意見交換を行いました。加藤周一さんも言われたように市民運動はバラバラにやっているのでつぶされにくい、しかし小さなままでは力が無い、だから今後も交流、意見交換をし、今日の熱気を明日につなげていくことを確認しました。
参加者の満足度120%。11月3日は、2001年に「憲法調査会ひろしま見張り番」を設立して以来、広島では幅広い実行委を組んできましたが、今年、若い人も感激し、皆さんに明るい顔でお帰り頂けたことが嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。
中森圭子
11月3日、憲法を考える11.3集会が神奈川県座間市で行われた。当地は米陸軍第1司令部が移転されようとしているキャンプ座間をかかえている。現在神奈川県はキャンプ座間を抱える座間市と相模原市、原子力空母が配備されようとしている横須賀市と米軍の再編によって大きく揺れ動いている。今回の憲法集会は『アジアの中の日本国憲法ー憲法と「護憲」を問い直すー』として林博史さん(関東大学教授・現代史)にお話を伺った。
はじめに「護憲という言いかたに違和感を持っている。戦後日本人・社会が日本国憲法を受け入れてきたわけだが、アジアへの視点を欠いたまま戦争被害者として9条を容認してきた。9条と自衛隊・安保条約を矛盾なく受け入れてきた戦後の平和主義を問い直し、一国的な視点ではなく、東アジアのなかで憲法はどうあるべきか、問題提起をしたい」と前置きがあって始まった。まず戦後の出発点となった東京裁判は「昭和天皇は平和主義者」としたイメージを作り上げた。憲法1?8条と9条は相対するはずであるのに、天皇制を残すために制定された9条であるが、侵略戦争の象徴としての「天皇」とセットでともに平和主義の象徴となっている。さらに‘47年の昭和天皇メッセージで明らかになったように、沖縄へ基地負担が集中し、強化され続け今に至っている。「基地は安保に刺さった刺だから本土には置かない。」との発言もあるように戦後本土から切り離されただけでなく、復帰後も負担増大している。侵略戦争・植民地支配への反省の認識を持てないままきた戦後の平和主義は責任なき平和主義ともいえる。「戦争だからとか、戦争が人を悪くする」といったように、「戦争」だけを抽象化し責任転嫁し、個人の責任を問うことなく戦争の被害者として戦争放棄を支持した。戦争(戦時体制)を特殊化し極限状態とみなすことは、自衛のための軍事力を認め、日米安保や自衛隊の肯定する結果となった。そこに加害者になるかもしれないという自覚はない。「靖国」も外交問題として捉えられているが、「名誉の戦死者」として祀ることで軍の責任を問えなくしている。加害と被害は表裏一体であるのに日本社会は兵士も被害者であるという視点に立てなかった。アメリカの東アジア分断政策によって封じられていた周辺各国の戦争責任・戦後補償の声は、一国平和主義ではいられないという問題提起であった。東アジアでの非軍事的役割を拡大していくために、非武装中立に立つのではなく多国間での協調的安全保障や人間の安全保障で連帯していくべきである。9条にしても内向きな議論はナショナリックになってしまうため、多国間で議論することで9条の理念を生かせるようになる。
「護憲」という感覚は憲法が輝いていた時代の人たちのものであり、そういう感覚を持てない人たちには「護憲」といえないものがある。国際的な警察力(海上保安庁など)をとっても非武装中立はありえなく、これからのイメージが創られていない。東アジア多国間(11面より)で捉えることで憲法が見えてくるのではないか。最後に語弊を招くかもしれないが「創憲」の感覚で憲法改正問題を捉えていると結ばれた。
戦後60年の今、監視・管理社会が進み、教育基本法改悪や共謀罪新設など人権が脅かされる状況が次々つくられようとしている様を見るに付け、改めて憲法が私と結びついた。個が国家に従属されることなく、平和に生きる権利を行使し、暮らしを守っていくために憲法改悪だけはさせてはならないと思う。