9月11日、東京・原宿では雷と豪雨の中、WORLD PEACE NOWのデモが行われた。1000人を超す人びとがかかげたスローガンは「Vote for Peace 平和のための投票を、 すぐもどれ自衛隊、終わらせようイラク占領、戦争も暴力もない世界を」であり、それはおりしも投票が行われていた衆議院議員総選挙に対する市民運動側の意思表示でもあった。このデモの参加者たちの多くは、9.11をきっかけにしてブッシュの米国が先制攻撃戦略に公然と転じ、いまなおアフガニスタン・インド洋の戦線とイラクの戦線で自衛隊が米国の戦争に協力を続けており、また8月1日には自民党が新憲法第一次案を発表し会見への足取りを早めようとしている中で行われる総選挙が、「郵政民営化賛成か、反対か」「改革に賛成か、反対か」「殺されても自民党をぶっ壊す」などというスローガンに極めて矮小化され、争点がゆがめられて行われることに危機感と腹だたしさを感じつつ、雨の中、ずぶぬれになりながらシュプレヒコールを叫び続けた。総選挙はシングルイシューの争いなどではないし、問題は「改革」に賛成反対などでもない、ましてや「ぶっ壊す」と騒いでいる当の小泉首相本人が自民党の党首であり、主流派であることなど、視聴率優先で煽り立てるマスコミ報道の洪水の中で、実は少し考えればおかしいことだらけということに気がつく暇もなく多くの有権者もまたこのカラ騒ぎの中に引きづりこまれていった。駅頭に立つ小泉首相への聴衆の異常なほどの数の結集は、かつてのドイツがワイマール憲法体制への熱に浮かされたような反発からナチスを急成長させたこともかくありなんかと思わせるような熱狂であった。そして結果は誰もが予想し得なかった自民党の大勝であり、与党が議席の3分の2を占めるという事態であった。政権交代を叫んだ民主党は沈み、その反動で新党首には僅差とはいえ改憲派の前原氏が当選してしまった。かなりの人びとが選挙結果をみた直後はとまどいを示していたが、やがてもしかするとこれは大変なことになっていくのかも知れないという冷静さを取り戻すものも出てきた。そのひとつの例が「おごらず、恐れず」と題した9月19日の「東京新聞」社説である。
驚きのあとに、心配も広がり始めたこの秋です。圧勝をすなわち圧倒的支持、と錯覚する向きが多くはないか。で、おごり、畏怖(いふ)萎縮(いしゅく)しては世が危うくなります。
総選挙はだれも予想しなかったほどの、自民党の地滑り的、歴史的大勝でした。議席数のうえではです。自民296、民主113。党得票率で決まる比例代表では、両党77対61なのに、各区1議席を争奪する小選挙区はじつに219対52。やや優勢の党が軒並みに勝ってこの大差になる小選挙区制の猛威は、周知のことながら、これほど顕著になったのは今回が初めてでした。
<圧勝は圧倒的支持でない> 忘れてならないのは、やや優勢が圧勝につながってしまう偏りです。小選挙区で自民全候補の得票率は47・8%。民主36・4%の1.3倍にすぎなかったのに、議席は4・2倍も得たのでした。党の支持率を問うなら、それは議席数じゃない。得票率に表れます。自民が全議席の61・7%を占め、公明と足して3分の2超の巨大与党になったとはいえ、得票率はといえば自民が5割に満たないこと、自公合わせても小選挙区で5割を切り、比例ですら5割そこそこ。この事実 を勝者も敗者も銘記すべしです。争点を「郵政民営化」一本に絞り「改革」連呼に徹した首相演説は、難題を棚上げした分、単純で分かりやすい。敵味方を 峻別(しゅんべつ)し「刺客」も揃(そろ)えた選挙劇場へ、かねて永田町不信の募る国民を「国会より国民が頼り」と巧みに誘う。「死んでもいい」「ぶっ壊す」・そんな過激な言葉も「ネット語」に似て今ふうか。小泉流は大成功でした。自民圧勝、いや「小泉圧勝」。自民の議席占有率は1960年11月総選挙での63・4%に次ぐと聞いて思い出します。60年総選挙も自民勝利に驚いたものです。安保闘争、岸首相退陣後の池田政権下、社会党浅沼委員長暗殺の翌月選挙で自民苦戦のはずでしたから。でも、池田首相の「10年で所得倍増へ」「どの家にもテレビと電気冷蔵庫を」「うそは申しません」のフレーズが支持され、自民は57・6%もの得票率を上げたのでした(社会も小勝、民社惨敗)。…(中略)…首相の高姿勢と党内の対首相低姿勢。他党も気おされ、腰が引けて、自民、首相の思うがままの政治になる気配濃厚です。政府与党は対米配慮のテロ対策特措法再延長の方針を決めました。与党と民主は衆院憲法調査会を特別委員会に衣替えし、改憲のための国民投票法案審議へ進もうと早々に合意です。参院で否決された郵政民営化法案も、今度はまず原案通りで成立するのでしょう。逆らえず、逆らわず、審議もろくにせずに進められる政治の、行方が気掛かりです。国民の支持率よりもはるかに水ぶくれした3分の2勢力と強腰の首相が、国民支持を錯覚して独裁に陥らないことを願わずにいられません。強い、非情の指導者が求められたとの時代分析があります。異論を嫌い封じる気分も世に広がった感。飛び交う言葉は短く、どぎつく。いろいろ、どうもファッショ的です。
マスコミ流の表現ではあれ、私が今回の総選挙についていま言っておきたいことのかなりの部分がここに代弁されているように思う。商業紙の論説でもまだこうした批判精神が残っていることを示したくて長い引用をしてしまった。つけ加えるなら、今回の総選挙の分析には、社民党、共産党の善戦の意義を確認することが必要である。選挙中、多くの論者がこの両党の後退あるいは壊滅的な打撃という事態を予測していたはずである。しかし、この両党に投票した人びとが900万近く存在したのである。
小泉首相を支える勢力がこの国を「戦争ができる国」にしようとし、9条をはじめとする憲法改悪を狙っていることは疑いない。本年7月と8月にだされた自民党憲法草案がこの勢力による国家社会の改造綱領であることも論を待たないであろう。11月22日の自民党50周年記念大会とそこで公表される予定の憲法案は、こうした計画の重要なステップである。
そして圧倒的多数をとった与党が、163特別国会の冒頭に憲法調査会に代わる特別委員会としての憲法調査委員会(日本国憲法に関する調査特別委員会)を強行的に設置し、憲法改悪のための国民投票法案の審議を始めようとしている。従来、言われてきた常任委員会的な憲法委員会でなく、特別委員会の設置であれば「国会法」の改定の必要もなく、本会議の議決だけで行うことができるのである。
市民連絡会を含む市民団体が国会開会冒頭の21日午後に緊急院内集会を開いてこれに抗議した。憲法「改正」国民投票法案についての見解は今のところ、与党案と民主案には相当の開きがあるものの、今回の選挙結果を受けて民主党の前原執行部がこれにどのように対応するのか、楽観は許されない状況になってきた。悪法=「憲法改悪のための国民投票法案」に反対する運動は待ったなしの課題になった。与党法案の問題点を徹底的に暴露し、民主党の妥協を許さないキャンペーンを強めつつ、11月に発表されるであろう自民党改憲案の批判を通じて彼らが企てる「戦争ができる国」づくりの狙いを暴露する運動が急務になっている。すでに超党派の市民団体で構成される「5・3憲法集会実行委員会」は10月6日の院内集会の開催につづいて、この11月22日には抗議集会を予定している。
同時に、考えておかなければならないことは、もし2007年の参議院選挙が今回の総選挙の結果と同様の事態、改憲派の圧倒的な勝利を招くなら、その後、両院での憲法改正の発議は現実のものとなり、国民投票の実施という局面が訪れるかも知れないということである(この年は石原慎太郎の東京都知事選挙もある)。その意味で2年弱の先にやってくる2007年参議院選挙は憲法問題の前途にとって極めて重要な位置に置かれることになる。ここで9条改憲反対派が参議院の議席の3分の1以上を確保できなければ憲法改悪国民投票実施となるのは必然である。
そうであるならば、私たちは全力をあげて、ここで指摘したような諸課題に取り組みつつ、合わせて憲法改悪の国民投票による改憲の企てをうち破る準備も進めなければならない。
私たちにとって、これらの運動に「奇策」も特効薬もない。私たちは小泉らのような支配層の奇策に対して、「王道」で対抗して行かなくてはならない。この場合の「王道」、勝利のための確実な準備こそが、例えば、いま全国各地で生まれつつある「九条の会」のような思想信条政治的立場のちがいを超えた横断的な、「同円多心」の共同のネットワークの形成である。
「自民党に入れたが、憲法九条の平和の精神だけは守ってほしい」(東京新聞9月12日)などという声がマスコミ報道にも見られるように、9条改憲に疑問を持つ人びと、9条改憲に反対する人びとは今回民主・公明に投票した人びとの中はもとより、自民党に投票した人びとのなかにも少なくない。こうした人びとも含んだ「九条の会」が文字通り全国各地の草の根に組織され、連携することができるなら、9条改憲を阻止する決定的な力となるだろう。
この観点から見るなら、「九条の会」が来年に開催すると提起している「全国交流集会」を成功させる意義は大きい。この成功は巨大なネットワークを形成していく決定的な契機となるに違いない。
憲法「改正」国民投票においては、日本社会に住む者が初めて主権者として、憲法という国政の最大の課題で、直接に発言し、行動するのである。その結果は以後の政治のあり方を大きく決定づけるものとなるに違いない。いやそれだけでなく、21世紀の東アジアにとって極めて重大な歴史的意味を持つものとなるに違いない。
(事務局・高田健)
宮崎優子(赤とんぼの会)
33年目の赤とんぼの護憲広告も、みなさんのご協力で無事掲載することができました。本当にありがとうございました。
ホッとしたのもつかの間、残務整理も終わらぬうちに衆議院の解散・総選挙、ご承知のように小泉首相の一人勝ちでした。新聞の川柳に「結果見てゾッとしている有権者」という投句があって、苦笑してしまったのですが、ほんとうにそうだろうと思います。自民党に投票した人たちも「しまった!勝たせすぎた」と思っているにちがいありません。郵政民営化一点だけを争点にして、○か×かを問う小泉琉選挙は、わかりやすいといえばこれほど単純なことはありません。投票率が高くなれば野党が有利という、私が持っていた常識も完全に覆されてしまいました。
歴史上、これ程民主的な憲法はないといわれたドイツのワイマール憲法の下で、民衆の熱狂的支持を受けて現れたヒットラーを思い出しました。ヒットラーは弱者が自分たちの代弁者として選んだのです。
今度の選挙では小泉首相の演出が見事に当たり、争点とされた郵政民営化の陰で、憲法も、年金も、道路公団も、イラクも、一言も語られることはありませんでした。世界中が、あのアメリカさえも撤退を考え始めているイラクに、自衛隊は置き去りにされようとしています。特別国会では、通常国会で審議未了、廃案になった法案を一気に成立させる方針で、自衛隊のイラク駐留も延期が検討されています。そして8つの特別委員会を設置して、そのなかの憲法審査会であの国民投票法案を提出する計画です。民主党との協議がどうなるか、今度の選挙で護憲派の議員が多数落選した民主党、一体どんな国民投票法案を出してくるのかも心配です。3分の2という多数を背景に政府は思い通りの国会運営が可能です。
反面、これだけ与党が強力になると、バランス感覚を持った国民は大きな不安を感じることになります。日本全国に3200もできたという「九条の会」はもっと増えると思います。大分県にも、臼杵と津久見に「九条の会」ができました。先月も「月光の夏」の朗読劇を上演して、熱気ムンムンの大成功を収めました。このうねりは佐伯にも波及しそうです。県北の中津や宇佐、西部の日田にも新しく九条を守る会が発足しています。
今、大分はとても元気です。既存の団体、組織と草の根グループが手を結んで、新たな活動を始めています。頻繁に交流会や学習会を重ね、11月には講演会がつづきます。11月12日、澤地久枝さん講演会(これは教組主催です)、11月25日きたがわてつさん「憲法はラブソング」コンサート、11月27日佐高信さん講演会、みんなで協力しあって成功させたいと思っています。去年、高田健さんにきていただいた「憲法教育基本法・市民連続講座」は今年も盛会です。12月には「米軍基地と日本をどうするローカルネットおおいた日出生台」の松村真知子さんを講師にお招きしています。
誰からも強制されない自由な市民が、自由な発想で議論し合い、行動するという私たちの活動が、どこまで波紋を広げられるか、とても楽しみです。蟷螂の斧でもかまいません。あきらめてたまるか!です。
赤石千衣子(ふぇみん婦人民主クラブ)
(編集部註)8月27日、市民憲法講座で赤石さんがお話しされたものを、編集部の責任でテープ起こしした上、大幅に要約したものです。文責は全て編集部にあります。
憲法24条は第1項「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」。2項が、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」という条文です。それでこの憲法24条、結局、「婚姻・家族における両性の平等」と「個人の尊厳」をうたったものとして、非常に画期的な内容をもっていたし、今ももっていると思うのですけれども、これの改悪案、見直し論というのが本格的に出てきたのが、2004年6月10日に発表されました自民党憲法改正プロジェクトチームの「論点整理案」でした。それでこれが出てきた時に、「大変だ」ということで、だいたい女性たちですけれども、『STOP!憲法24条改悪キャンペーン』を立ち上げて、私も関わっておりまして、いろいろなキャンペーンをやっているところです。
最初の自民党の論点整理案の冒頭、「21世紀にふさわしい憲法のあり方に関して」というところでは、「人間の本質である社会性が個人の尊厳を支える『器』であることを踏まえ、家族や共同体が、『公共』の基本をなすもの」というふうに言っています。その後の「国民の権利及び義務」のところでは、公共の責務の中に「社会連帯・共助の観点からの『公共的な責務』に関する規定を設けるべきである」、また「家族を扶助する義務を設けるべきである。国家の責務として家族を保護する規定を設けるべきである」、そしてまた「国の防衛及び非常事態における国民の協力義務を設けるべきである」というふうになっています。
そして、「見直すべき規定」として、「婚姻・家族における両性平等の規定(現憲法24条)は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである」となっていて、さらにこのあとに「社会権規定(現憲法25条)において、社会連帯・共助の観点から社会保障制度を支える義務・責務のような規定をおくべきである」となっています。つまり、家族や共同体の公共の基本をなすと位置づけ、そして「国防の義務」というのと並んで「家族を扶助する義務」というのを設ける。また、社会連帯・共助の観点からの公共的な責務を「社会保障制度を支える義務」という規定もおく、というふうに言っているわけです。となると、では国防の義務というのは誰に課せられるのか、ということなんですが、この国防の義務のほとんどは男性に課せられる。軍隊に出て行く。あるいはそういったことがまず想定されているとしたら、家族を扶助する義務というのは誰に課されるのか。これが「家族を扶助する」とニュートラルに書いてありますけれども、やはり高齢者の介護あるいは育児といったものを考えろ、これは女性に課せられるものであろう、というふうに読み取れると思います。ということは男性に国防の責務を負わせる。同時に家族を扶助する義務を女性に負わせるというふうな規定に読めるということです。
それでは男女は不平等になるわけですから、次の婚姻・家族における両性平等の規定、24条は見直されなければならないとなるわけです。家族や共同体の価値を重視する観点から見直す。つまり性別の役割分担、男性が国防の義務、女性が家族を扶助する義務というのを負った男女不平等な家族を構築するためには、24条はじゃまであると。婚姻・家族における両性平等の規定をもっている24条は見直さなければならない、ということをまず言っているということです。
さらに25条において社会保障制度を支える義務・責務のようなものを設けると言っているわけです。この25条というのは「国民の文化的な最低限度の生活をおくる権利」という、生活保護およびいろいろな社会保障制度を支える義務を、国民に渡すということになっているわけですから、国家の社会保障を行う義務ではなく、国民に社会保障を支える義務を預けてしまう。ということは、国家は社会福祉や社会保障をやらなくて良いですよというか、減らしていって良いですよということをここでいっているということになるわけです。その背景として家族を扶助する責務、高齢者を介護したり、育児をしたり、あるいは障害を持っている方たちを介助するといった社会保障の責務を女性に負わせることで、国の社会保障・社会福祉を小さくしていきますよということがここから読み取れるのです。憲法学者の皆さんがおっしゃっているところを聞きますとこのようになります。つまり小さな政府をめざすと。それから国防と家族の扶助義務をそれぞれ男女に分けて負わすことで、日本の国のあり方を大きく社会福祉国家から軍事優先の国家にするために、家族のあり方を変えていきますということが論点整理案に書かれているということなんだそうです。これは根本的に憲法の精神を変えていくことになるわけで、非常に大きな問題だろうと思います。これは自民党の当時の論点整理案でした。
さらに本音が出てきたのが、今年4月5日に出ました自民党の『憲法改正案要綱』だと思います。家族のところは、かなりもっと書き込まれました。非常に問題が大きいと思いますが、国防の責務のところでも、はっきりと「国防の責務」を位置づけ、さらに「社会的費用を負担する責務」というのをもって、ここで納税の義務に加えて社会保障制度の保険料など社会的費用を負担する責務を書いた。年金の不払い40%という時代にこういう責務を負わしたい気持ちはわかりますが、これが果たして妥当なのか。国がやはり社会福祉や社会保障を充実させる責務を負っているわけですから、逆をいうことはおかしいんじゃないかと思います。
つづいて「家庭等を保護する責務」というの置いておりまして、「国民は夫婦の協力と責任により、自らの家庭を良好に維持しなければならない」とありますから、これは夫婦がいるのが家族であるというふうに言っているわけです。ですから夫婦でない家族、一人親もそうですし、あるいは単身高齢者の一人住まいの人もいる、いろんな方がいると思いますが、その人たちはここでは家族の定義から外れるということをはっきり言っているわけですし、また「夫婦の協力と責任により自ら家庭を良好に維持なければならない」ということは、離婚するということは憲法違反だとまで言いませんけれども、そういったニュアンスがここから出てくるということだと思います。もちろんこれは、違反したら罰せられるというような規定としては出てきてなかったわけですけれども、かなり踏み込んだ要綱になっていると思います。
次の「国民は自己の保護下にある子供を養育する責務を有するとともに、親を敬う精神を尊重しなければならない」。昨年の論点整理よりもさらに明確になって、家族の扶助責任、扶助義務といっていたのが、子供を養育する責務と親を敬う精神、要するに老人介護をちゃんとしなさいよ、ということがここの憲法の中に書き込まれるということだったわけです。その「国及び地方自治体は、家庭の社会的、経済的及び法的保護を保証しなければならない。」とか、「地域社会の秩序を良好に維持しなければならない」というような、「地域社会」というようなことも書き込まれたわけです。
離婚が激増しています。それは良いか悪いかは別にして、離婚が激増しているということがありまして、経済が悪いときには離婚が増えるというのが今までの統計上明らかなんですけれども、それは借金だとかいろいろなことがあって、離婚が増えるということもあります。、これは自民党からしたら「けしからん」というような議論になっているので、ここまで書き込みたいというような気持ちになったのだろうし、やはり子供の養育責任は親にあるんだと。子供が何か問題を起こしているときには、親が責務を果たしていないからだという論理と親を敬うという精神というので介助・介護を女性にもっとやらせなければ、介護保険といった予算が破綻していると、今、介護保険ができたために、それは国が主導してつくったのだけれども、介護保険の予算が破綻するほど利用する人が増えてしまったと。嫁が老人介護をしないで、ヘルパーを家に入れて、予算を使っている。けしからん。やはり親を敬う精神というものを憲法に書き込まなくてはいけないんじゃないか。こういった議論がされているのではないかと思うわけです。
自民党の『憲法改正案第一次案』が8月1日に発表されました。ここでは24条の条文は現行憲法とまったく同じで発表されています。ただしタイトル「婚姻における両性の平等と個人の尊厳の原則」になっておりましたが、それが抽象化されて、「婚姻及び家族に関する基本原則」というふうになり、個人の尊厳とか、両性の平等という言葉がなくなっているんです。やはり表題を変えたということは、今後どっちにも転べるような「婚姻および家族に関する基本原則」ですから、ここにいろいろないままで要綱にあったようなものを盛り込むことも可能な道を開くために、わざと抽象化したことをとういう意図があるのではないか。ですからこの議論の過程で、憲法調査会なんかを見ていますと、かなり戦前の「家」制度に戻るような議論がされていることに対しては、自民党の中でも異論がある。これから新憲法案を作っていくときに、民主なり公明なりがある程度、同意していく内容をつくっていくとしたら、あまりにも戦前の「家」制度ばりばりの案を出しても呼び込めないというのがあると思うので、ある程度本音が出たり引っ込んだり、出したり引っ込めたりしているというのが今の現状で、8月1日にはある程度押さえた案を出してきたなという気がします。今後どこまでこれを入れていくのか、ということはわからないけれども、しかし本当にやりたいこと今までの案の中でかなり見えてきている。やっぱり家族に関するいろいろな費用、社会的な費用、社会福祉など削減したい。女は働くのはいい。働くのは良いけれども、家族の扶助・介護や育児は女の責任だよ。その代わり男に国防の責務を負わせるんだよということを、どのようにソフトに書くかという程度の問題で争っているんだとということだと私は思います。そのような状況にあるということなんです。
「個人の尊厳と男女の平等」「婚姻や家族における個人の尊厳と男女の平等」といったことは、実は本当に国家においての根幹をなす問題じゃないかなと思います。その証拠には、戦後の日本国憲法の制定過程でGHQが憲法草案をつくるわけですけれども、この24条の原案というのは、GHQの中のベアデ・シロタ・ゴードンさんという22歳の若い女性が書いたと、ご本人も十年ぐらい前からは名乗り出ています。彼女の書いたものは非常に膨大なものだったんです。それがGHQの運営委員会-男性が多いわけですけれども-その中で削られて、GHQの中でも削られて、かなりダイジェストになりました。ベアデさんというのは、戦前に日本で5歳から15歳ぐらいまで日本で暮らしていたので、日本の女性がいかに無権利な状態に置かれていたのかということをかなりよく知っていたわけです。ですから自分が女性の権利について書くことを分担したときに、日本の女性のために多くの権利を書き込みたいというふうに強く思ったわけです。それで乳幼児の医療とか、婚外子の差別を禁止するとか、年金のこととか、ありとあらゆることを書いたわけです。でも結果的には削られて、24条の原型になるようなものと、今の14条の性による差別をなくすという規定に生かされたわけですが、日本側とその草案づくりに最初に交渉したときに非常に抵抗を受けたのがこの24条の規定なんです。天皇と9条と同じくらいかそれ以上に抵抗されたのがこの24条の規定だった、と言われています。それほど家族のあり方、というのが軍国主義国家を支えるものだという認識が、国家を支える根幹であるという認識があって、そこをいじることに非常に抵抗した。さらに岸内閣のときに憲法改悪の動きが出てきますよね。このときにも9条と24条の改正がでてきたということで、この時には戦前の「家」制度の辛苦をなめてきた女性たちが立ち上がって、日比谷公園からかなり大規模なデモをやって「『家』制度復活反対」ということをやったそうですけれど、それで断念されたということを聞いていますが、9条と24条が常に改正のセットで提案されてきた。ということはそれが社会の根幹をなすものだという認識がやはり為政者の側にもあったということだろうと思います。
私は、このブックレットをつくる過程でなるべくいろいろな分野のことを盛り込みたいと思いました。というのは、憲法24条というのは非常に広いです。だからさっき言ったように高齢者介護のことから、育児のことから、それから男女の性別役割分担のこと、子育てのこと、労働の条件のこと、障害者の介助のこと、子供の人権のこと、そして家族制度、夫婦別姓制度とか、離婚のこととか、婚外子のこととか、リプロダクティブヘルス&ライツのこととか、女性に対する暴力のこと、そして性的マイノリティーのこと、農業女性のこと、在日の女性のことも含めれば、非常に拡がりがある。その中で24条というのは60年間で非常に生きてきたことがわかるブックレットにしたいなと思って、いろんな人に原稿を依頼しました。
時間がないので、多くのことは言えないのですけれども、一番皆さんが危機感を感じるのは、多くの人が対象になっているので、高齢者のことは関心があります。「嫁は介護しなくなった。けしからん。」というのが、どこかでまた国会議員の古いかたたちの中にはあるわけですよね。ただ今の高齢者介護の状況というのは、果たして嫁が介護しなくなったという状況なのかどうかちゃんと位置づけた方が良いと思います。
まず人口分布が違う。圧倒的に高齢者のパーセントが増えている。より少ない人数で、より多くの高齢者を支える社会になってきている。ですから自分の親の面倒をみられないで、夫の配偶者の親の面倒を見に行かなくちゃいけない人たちって、世の中にたくさんいるわけです。実は、自分の親のほうにも行ってあげたいなと思っていても、夫の配偶者の方の親が痴呆になってしまったとか、介護で心配だということで、こちらに遠距離で通っている、というような女性がたくさんいるわけです。何も嫁が介護しなくなった訳じゃなくて、介護する人数が減ったからですよね。子供の数が全然違う。昔はたくさん兄弟がいたので、誰かは同居して、誰かは遠くにいても、この遠くにいる人はいかなくても同居している子供たちがいるという時代がありました。今は子供が二人とか一人とかになれば、その人が面倒をみざるを得ない。だから社会的な人口分布が兄弟の数と違ってきているので、「嫁が介護をしないのは、けしからん」とか、そういう議論じゃなくて、社会が変わってきている。けれど、どうしても観念的に高齢者の介護は女性が担うべきだ、という議論が未だにあるとということで、ここの負担がこれから増えていくことが非常に政府にとっては重荷になるわけで、何とかしてこれを減らしていきたいということになります。そうすると女性たちはこれはとても本当は心配で、新聞にこの24条のことが出たときにも一番関心を持って、問い合わせがあったりしたのは介護問題だったというふうに聞いています。
でもたとえば子育てのこともあるわけです。まず少子化になっていますから、子供を産むのは当たり前だという世の中にしたい。「子供生まない女がいるのはけしからん」というのは、たとえば森首相が「今の若い女性たちは、子供も産まないで年金だけもらおうとしている。けしからん」といったのは3年ぐらい前だったでしょうか。本音が出てきている訳です。さらにその後は配偶者控除のことで「主婦は昼寝ばかりして、けしからん。ちゃんと家の中のことをするために控除をつけてやったのに」といったのは、税調のときの議論です。配偶者控除を減らしたいといっているわけです。それで税収を増やしたいということを言っているわけです。それはともかく、「子供を産め」という圧力は、やっぱり何とかして少子化を克服したい、ひいては子供を産ませたいという希望があるということです。
しかしここにまず「女性が社会進出して働くようになったから、子供を産まなくなったのだ」ということが言われていますが、これは統計的にも否定されています。フルタイムの女性の子供の方が、無業の女性の子供より多いですよ。安定した職場が得られれば、女性は子供を産んでいる。ですから「女性が働くようになったから、子供を産まなくてけしからん」ということはありません。全体としてみれば、子供を何人産みたいかという数と現実もっている数というのはかなり差がありますので、子供を産み育てられる条件というのが整えばもう少し子供を産むだろうと言われています。ですから結婚したら子供を産むのは当たり前だということを、法律に書き込んだりしていくよりは、子供を産み育てられる条件をつくっていくことしか国はできないはずなんですね。やはり「子供を産め」という圧力をどうしてもかけたいというのがあって、子供を産み育てる義務というのを入れたい。これからこの夫婦というのは、どうしても国防の責務を負わせる子供がほしいわけですから、どうしても強まっていく方向になってしまう。
それから子育ての責任というのは、男女どちらになるのかと言うことですが、やはり今では子育ては女性がやるものという観念はまだ強い。もし家族の価値というものが強調されれば、父親というのは今でも働き過ぎで、長時間労働して、子育てをする時間がないわけですから、もっと24条の見直しになるとすれば、やっぱり「男性は働くのだ。そして女性は子供を育てるのだ。その余りでパートの労働につけばいいのだ」というような圧力が強まっていているだろうというふうに思います。
そして子供の人権のところを触れておいた方が良いかなと思うのですけれども、今、少年犯罪が凶悪化しているというふうに言われています。それからこれは不登校が増えている。過渡の家族・個人主義がこういった事態を招いているんだ。ですからきちんと家族の価値というのを強調して、そして家族が子供の面倒をみる。そういう社会にしなければいけない。ということが強調されています。でもよくよくみると少年犯罪の凶悪化というのは統計上は違う。大きくみると少年犯罪の統計というのは、この何十年かはずっと沈静化しています。凶悪犯罪がちょこっと波はあるのですけれども、実際のところ増えていません。どうしてもこの間も事件がありましたけれども、そういうことで少年犯罪が凶悪していてキャンペーンというかマスコミが大きく取り上げると、みんながどうしてこんなに子供たちはおかしくなったんだろうということで話題になりますが、実際のところ統計上は、戦後すぐが一番多いわけです。少年犯罪というのは。そして60年代を境に減っているわけです。ですから、少年犯罪は増えていない。ということはちゃんと覚えててほしいのですけれども、それともう一つ言えることは、やはり犯罪とか、不登校を一緒にするのも何なんですが、子供にそういう事柄を家族の責任にするということになって、家族が子供を管理し、よい子に育てなければいけないという圧力が高まれば高まるほど、それは家族にとっても負担ですから、子供をもっとがんじがらめにされて、もっとその中で隠れた抑圧が起こっていくというふうになると思います。家族というのは、子供がどういう育て方をしたのというふうに言われるのが嫌ですから、なんとか管理していきたいという方向になりますね。ですから、家族の中で子供が個人として尊重されるというわけでもなく、家族共同体の責務を重視するというふうになれば、もっともっと子供にとって生きにくい社会になってしまうだろうというふうに言われています。また不登校が増えるのは社会問題だと言いますが、もともと不登校というのが問題なのかどうかというのは、論の立て方がおかしい。わがままで不登校をしているというふうな議論になっていると思うのですけれども、果たしてそうなんだろうか。やっぱり子供が学校に行くことができないような状況が生まれているというふうに考えるべきではないかと思いますので、過度の個人主義が今の社会問題を起こして、不登校や少年犯罪を起こしているというのが多くの人々が信じ込まされていることですが、もう一度そこはきちんと考えないと、子供がもっとがんじがらめになっていくのではないか、と思うわけです。こういう個人主義がばっこしていて、電車の中でも化粧をするような若い女性がいてけしからん、というのはこれも議事録に載っているのですけれども、あるんですね。子供たちのマナーの問題と個人主義によるその社会問題とどっかで、社会不適応なのは彼らなのかもしれないけれども、そういった議論の中で家族の責務ということを強調されると、本当にあやうい議論じゃないかと思います。
たぶん24条の見直しということを言い出したもっともきっかけは、たぶん夫婦別姓選択制を求める民法改正の案が出てきたことが大きな原因だと思います。やっぱり民法改正案が出てきたときに反対した方たちが、いまほとんど24条の見直し論をおっしゃっている方と同じだと思うのです。やはり夫婦の姓が同じでないといけない。姓が同じでなければ家族が壊れる。国体が護持できない。というようなことが本当に真剣に議論されていました。しかし、よくよく考えてみますと、夫婦の姓をどちらかに選ばなければいけないという今の民法は男女平等のように見えますが、ほとんどやはり先制という意識を皆さんが引きずっているので、ほとんど97%の夫婦は夫の姓を選んでいる。やっぱり夫の姓を選ぶのが当たり前だというふうに思いこまされてきたのです。ですから実際のところはどちらかの姓を結婚後に選ばなければいけないということは、男女不平等の結果をもたらしているわけです。だから夫婦別姓選択制というのは、結婚して同姓にしても別姓にしてもどちらでも選べるという制度にしてください、ということで別姓を望む人は別姓にしたらいい。でも同姓にしたい人は同姓にしても良いですよという制度ですから、選択肢を増やすという制度なんですが、これが選択肢を増やすことすら許せない。国民は同じような家族にして、家族といったら男性が主導権を握り、そして男性の姓を名乗るのが当たり前だというふうに思ってきているのだと思います。
女性に対する暴力についても触れておいた方が良いと思います。このブックレットをつくるときにも、個人・家族に国家が介入する時ってタイトルにしようという案がありました。でもやめました。家族に国家が介入することがいけないんだという論をたてると女性に対する暴力は含まれません。それは今まで家族の中の暴力。それが女性に対する暴力、子供に対する暴力、児童虐待、それからDV(ドメスティック・バイオレンス)もそうですし、いろいろな他の場面、たとえば学校でも教員から子供に対する体罰、といった問題もそうですし、会社の中でのいろいろないじめの問題もそうだと思いますけれども、こういった閉じられた中での暴力といったものには介入することがなければ、暴力に対して救われないです。女性に対する暴力が発見されるのは遅かった。90年代になってやっとこれが社会問題化し、そして2001年にDV防止法ができてきたという中で、やっと「夫婦の間のこれは単なるけんかでしょ」と言われていたものが、女性に対する人権侵害であり、暴力であるというふうに言われてきました。
DV法だとか、ストーカー法というのが女性に対する救済の措置に警察の力を使って女性を救済しますね。たとえば警察官を教育して、女性とのDVで申し立てた人がいたら、警察官がすぐ行って、その人を保護し、そして接近禁止命令を出し、夫を接近させないようにするというようなことをします。ストーカー規制法でも警察権力を使います。そしたらそれは「警察権力が良いというわけではないんですが、女性に対する暴力を救っていくためには、そういうふうなある種の公権力を使わないと、それは救っていけないからです。ところがけっこう憲法の先生たちの議論の中であるのは「警察権力に対して同調させることにつながる法律だ」というような議論がありまして、「どうしてストーカー法まで警察権力の拡大に入れるんだ」ということで私は議論したことがありますけれども、そういったことがちょっとぶれちゃってるんですね。やっぱり家族や個人のあり方に国家介入しないということだけでは、今の閉じられた中での暴力の被害を受けている人たちを救うことはできません。家族の中での暴力被害者を救うにはある種の公権力を使っていく。それは限定的に使っていかなければならないんですけれども、そういうことも必要になるということもこの60年の歩みの中で、そういうことを女性たちが主に運動して、勝ち得てきたんです。そこら辺あたりを共通の認識にしたいなという気がします。
あと性的少数者についてですけれども、憲法24条は先ほど言いましたように、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として…」云々となっていますので、両性、男女ということを前提にしていると読めます。やっぱり性的少数者の方たちから憲法24条の規定というのは、同姓婚を認めていないものではないかという議論があることは事実です。それについていろんな議論があって、24条は両性の合意のみに基づいて婚姻が成立していくとあるのは、今まで明治の民法の中では、戸主によって婚姻を承認すると。そういうことなしには、婚姻が成立していなかったので、戸主の支配に服することなくという意味で両性の合意のみに基づいてというのを言っているのであって、両性というところで、男女だけでない同姓婚も認めうる解釈も成り立ちうるという憲法解釈をしている人もいます。私たちが24条のキャンペーンをするときには、そういう性的少数者の人も含めて、24条の見直しになればもっとこういった家族のあり方が、非常に狭くなる。家族というのは、本当にこういったお父さんがいて、お母さんがいて、子供がいてという家族しか許容できなくなるという意味では24条の改悪には反対していきましょうということで、それだけでスクラムを組んでいるというのが実態ですから、もちろん同姓婚についても認めていきましょうという方向性で考えているんですが、この条文の解釈では大きなズレがあるかなと思います。
それから農業女性のことですが、やはり農業女性というのは自営業者ですので、「家」制度が一番色濃く残っているところで、暮らしている方々だと思います。農業女性の運動をしている方にこの間聞いたら、24条の見直しという情報が届きつつあって、非常に危機感を持っておられる。自営業ですから、たとえば農業労働していても個人の報酬は全くない。だから自分名義の銀行の口座も持っていない。そういった農業女性が非常に多いわけです。でしかも嫁が介護するのは当然と言われ、そして夫がたとえば亡くなったという中で、そして両親がその夫の死後亡くなったとしますと本当に悲劇的なんですが、何の相続権もなく、夫の兄弟に財産を奪われるというような悲劇もまだ聞くところです。そういった投書が農業新聞の中にたくさん出てくるわけです。だからただ働きをさせられ、ただの介護をさせられた後に、無権利で放り出されるような女性たちがまだ農村地域の中ではあるということなので、やっぱり24条が見直しになったら、どんなことになるのだろうかという危機感というのがあるというのを聞いています。それで戦後すぐに「24条会」という農村地域にいろんなところで生まれてたというのを聞きました。それだけ「家」制度の圧力のもとで女性たちが24条を勉強していこうということが農村地域でもあったのではないでしょうか。
私、参議院の憲法調査会で公述人に応募したら当たってしまいまして、2月に話しをしました。その時にやっぱり戦後女性たちがどういうふうに権利を獲得してきたかという話しをしたわけです。それは非常に輝かしいというか、女性たちが少しずつ権利を獲得してきた歴史というのがあると思います。私はこれは9条と大きく異なるのかなと、これは難しいところだと思うのですけれども、9条の中でいろいろな法解釈とか、違憲判決とかを勝ち取っていくのが非常に厳しい状況だったのに比べ、やっぱり14条24条に関しては、ある種、判例が積み上がっていったんだなというふうに思います。それでたとえば、戦後の民法改正ももちろんそうでしたけれども、結婚退職制度というは違憲判決が出たのが1970年6月です。これは日産自動車だったかな。結婚したら退職しますという念書を書かされていたわけです。昔の女性は。だけれども結婚しても働き続けている女性がいます。そしたら解雇されたわけです。これは違法・違憲であるという争いをして、そして念書を書いていたんですけれども、この方は、この結婚退職制度というのは違憲だという判決を勝ち取るわけです。それがこれまでの制度を変える大きな意味があったわけです。
定年差別というのが違憲判決がありました。どこの会社だったか、50歳と55歳。定年差別があったのを、やっぱりこれは違憲であるということで判決をしています。男女平等の歴史でやはり画期的だと思うのは、女性差別撤退条約というのが批准されたことだと思います。
日本の憲法というのはアメリカの憲法や各国の憲法よりも先駆けて、性差別、男女の差別を禁止する条項をもっているんですが、実際にはその後もいろいろな男女の格差が、不平等がずっと戦後残されてきたわけです。それは何故かというと形式的に男女の平等があっても、たとえば教育では、大学に女性が通えるようになったりしましたが、結局、実質的に男性のもとで働き、女性は家事・育児という性別別役割分担・性別役割分業に基づくいろいろな差別を克服することができなかったわけです。でも女性差別撤廃条約を批准されることによって、もう一度24条の見直しというのが起こり、24条の解釈が新たになったという歴史があります。たとえば夫婦同姓というのは違憲の疑いがあるのではないかというふうな提起がされたり、今の婚外子の差別もおかしいのではないか、という議論がされてきたのも、女性差別撤廃条約が批准された後ですし、男女雇用機会均等法、非常に不十分な形ではありましたけれども、制定されたのもこの条約を契機でした。
女性差別撤廃条約の批准は1985年です。79年にできた条約を日本政府は1985年に批准した。ここから女性の運動の色合いが形式的な平等から実質的な平等に勝ち得るところに向かって憲法の条文を再解釈して生かしていくというふうになってきたと思います。さらに90年になって女性に対する暴力に関して大きく関心が寄せられ、これは「慰安婦」問題で日本軍による性奴隷制度が、告発が始まったこととも絡みながら軍隊が性暴力がもたらしているっていうことが、大きくクローズアップされる中で女性に対する暴力に対して、関心が向かっていきました。そして最近10年ぐらい前に家族法改正についての提案も進めてきたということなんです。ですからここら辺について少しずつ判決が積み上がり、法律ができ、そして女性の実質的な平等というのが、積み上がってくる課程にあったんじゃないかなと思うのです。それが憲法24条見直しということになれば、大きく停滞するか、あるいは今までできあがってきたDV防止法も男女雇用均等法も介護保険法も、男女共同参画社会基本法もすべて否定されていくということになりかねない大きな条項の見直しだと思います。
先ほども言いましたように憲法9条と憲法24条というのは非常に大きな関係があります。「つくる会」の教科書は男女平等の視点からもおかしい。高校にも描かれていることですけれども、この写真は2つとも新しい公民にあるものですけれども、左の写真は鹿児島県知覧基地から飛び立つ特攻隊の戦闘機を見送る知覧女学校です。お花をもって見送ってるんですね。特攻隊が飛び立つところです。ここには特攻隊としていく兵士が乗っていて、敬礼していますよね。そして見送る男が戦いに行くところを女性たちは見送る役をさせられていたわけです。右側の写真はイラク派遣の北海道の名寄の地区の自衛隊を見送る家族の写真です。象徴的だとおもいます。こういった同じ構図というのが繰り返されてくる可能性がある。この時にやっぱり軍事国家作りの中で家族のあり方を再構築したい。男は国を守って闘う、女は男を支え家を守る、という家族を作っていきたいということがあって、9条と24条の見直しで実現するというふうにとらえられているんじゃないかと思います。
最近「愛する家族のために」という言葉がけっこうこういうふうに使われるわけです。小林よしのりも使っているし、非常に右派的な人たちが、個人を尊重したりなんだりしてきたことのないような人たちが、愛する家族のために戦うんだという。たとえば「愛する人が襲われていたときに、おまえたちは戦わないのか」というような台詞として使われるようになってきた。戦う時には何か論理が必要なんです。その時に「国家のために」というのはまだ距離があるわけでしょ。でも愛する恋人のために、愛する妻のために、愛する子供のために、というとそれはある種、今の国家のことについてはあまりイメージがわかない人でもわくだろう。そこを基軸にして愛国心にもっていきたいということがあって、愛する人のためにということをすごい使われるようになっている。だからそういう意味でも家族ということが一つワンステップになって、戦争国家体制の中に組み込まれていくような気がします。
もう一つの憲法9条と憲法24条のつながりというのは、9条は国家間の暴力を禁止しています。24条は家族の中の暴力を禁止しています。この2つがセットであるということは、非常に日本憲法の中で大きな意味を持つというふうに言われてきて、私もそう思うのです。戦争というのはもちろん暴力行為なんですけれども、戦闘行為なので。90年代以降それが大きな問題になってきた中、さらに戦争というものが女性に対する暴力、性暴力が伴ってきた。これはいろんな事例をみますと、ほぼ例外なくといって良いと思いますが、性暴力を伴ってきた歴史があります。たとえば南京事件ですけれども、本当に聞けばおぞましいほどの性暴力をやっています。しかも善良な日本の市民だった人たちが南京に行って、本当に証言集を読むだけでもどうしたらいいのかわからないほどの性暴力を行っています。その後作られたといわれている日本軍性奴隷制度でも本当にたくさんの人たちが暴力被害にあってきました。それから沖縄に駐留する米軍による性暴力というのもずっと占領下から今に至るまで絶えていません。
それから他国をみてもドイツ軍によるソ連の人々に対するレイプがあったと聞いていますし、ソ連軍がベルリンに進駐してきたときに多くの女性たちがレイプにさらされたと聞いています。
それから、インド・パキスタン戦争下でのパキスタン軍によって非常に多くの女性たちがレイプされたと聞いております。それからもちろんベトナム戦争の時もそうだったし、最近ではボスニア・ヘルツェゴビナでも民族浄化といわれて、多くのイスラム女性が性暴力にあったのは記憶に新しいことと思います。ほとんど戦争と軍隊が性暴力を伴ってきた。それは歴史上の事実。何故かというと、たぶん性的な欲求でなくて、優越性を示すとか、支配するためには性暴力を伴って支配するということが、まだ一つの必然をもって行われているんじゃないかと思っています。
軍隊でそういった性暴力が伴っていた。戦争から帰ってきた男性が多いのですけれども、戦争帰還兵による家庭内暴力というのが非常に多くあります。アフガニスタンから帰ってきた米兵がアメリカで妻を何人も殺しています。それが社会問題にもなりました。ベトナム帰りの人が、それはPTSDだと思うのですが、妻に暴力をふるっていることも聞きます。日本の多くの戦後の家庭の中でも父親が暴力をふるってきたなかにこうした歴史があるのではないかと思います。
憲法24条は、男女平等と個人の尊厳を定め、家族の中の暴力断ち切る。そのための条文として機能している。としたら、憲法9条は、国家間の暴力を否定することで、またもう一つの暴力の連鎖を断ち切る。そういう条項なのではないかというふうに思いますと、憲法9条と24条があることで、この世の中から暴力をなくす。この大きなよりどころになる二つの条文なのではないのかなって気がしています。
そういう意味で憲法9条と24条の関係性というのは、らせん状というか、非常に大きな関係を持っているのではないか。日本国憲法の中にこの二つの条文があることの意味というのは、私たちが大きな価値を持っているのかなというふうに思っています。
湯浅一郎(ピースリンク広島・呉・岩国世話人)
ヒロシマ・ナガサキから60年に開かれたNPT再検討会議は、実質的な成果のないまま閉幕した。この最大の障害は、9.11を契機に、「世界の情勢は大きく変化し、2000年NPT再検討会議での約束に拘束されるものではない」との見解を押し通し、包括的核実験禁止条約CTBTに批准せず、核の先制使用をも正当化しようとするアメリカ政府にある。他方で、被爆、敗戦という重い体験を通じて、平和憲法を自らの意志で選び取り、決して戦争に関わる国にならないと決意したはずの日本では、その意志を変えようとする政治勢力が国会を占拠しつつある。9.11を口実とした二つの特別措置法により、自衛隊は、アフガンでの対テロ作戦を行う米軍などへの燃料供給と「人道復興支援」を名目としたイラク派兵を続けている。
私たちは、そうした厳しい状況の中で被爆60年の8.6を迎えた。60歳定年制の職場では、原爆や空襲体験のある人は一人もいない時代が始まった。その年に、重要な方々が相次いで亡くなった。ヒロシマの象徴的存在であった詩人の栗原貞子さん。ヒロシマ平和へのつどいの元代表である松江澄さん。ヒロシマで反原発と反核をつなぐために尽力したプルトニューム・アクションの大庭里美さん、環太田川の原哲之さん、芸南火電反対の田房さわ子さん。どなたも自分なりの生き方を精一杯貫いた方々であり、その生き様、想いをどう受け継ぐのか? 私たちは、この問いを踏まえながら、60年前に起こったことを、心に刻んでいく機会として8.6のつどいを設定した。テーマは「60年・忘却・継承」である。広島・長崎で60年前に何があったのかを忘却せず、その体験を記憶・継承し、一人一人の行き方と交差させる作業が不可欠である。
例年と違うのは、4-6日の日程で開催されていた平和市長会議の総会に、ブースの設置などで、私たちも一部、関わっていることである。記念講演で中堅国家構想のダグラス・ローチ氏は、「6条フォーラム」キャンペーンの開始を提案し、平和市長会議は、国連第1委員会(軍縮委員会)に核兵器禁止法を求めるための特別委員会の設置を求めるキャンペーンの実施を決めた。
5日、午後6時からは広島YMCAで「8・6ヒロシマ平和へのつどい2005」を開催した。参加者は約2百人。メインは、栗原、松江さんという先達の思い出を聞く企画である。まず九十二歳で亡くなった詩人・栗原貞子さんの思い出を友人の伊藤真理子さんが「特高から目をつけられ、アナーキストの夫のことで家族からも縁を切られた栗原さんは、天皇制への深い違和感を抱いた理想主義者だった」と述べた。次に爆心地から750mの市電に乗っていて被爆した米澤鐵志さんは、松江さんが戦後の中国新聞労組副委員長や日鋼防衛闘争委員長としての労働運動の経験を出発点とした「階級闘争としての平和運動」を中心で担った後、ビキニの第五福龍丸事件以後、独自の領域としての原水禁運動に転換していった経過を述べ、「あらゆる国の核実験反対」という原則に立って妥協を許さなかったエピソードを語った。全国被爆二世教職員の会の岸本伸三さんは「ヒロシマを忘れさせないための闘い」という故石田明・被爆教師の会会長の言葉を思い起こしながら被爆二世としての決意を表明した。
その後、戦争被害者を悼む英文を刻んだ重さ1トンの石碑を、長崎から広島まで運んできた「ストーン・ウォーク」のヨーコ・ワトキンス・カワシマさん、在ブラジル原爆被爆者協会の被爆者、フィリピンからきたイサベリタ・デラクルス・ビヌヤさん、沖縄ピースサイクルの比嘉さんがアピール。どなたも「被爆60年に、歴史を忘却せず、記憶し、継承する」というテーマに即した熱のこもった発言だった。私は、マトメとして「被爆60年に海田基地から自衛隊がイラクに派兵され、呉は海外作戦行動を担う町になり続けている。岩国への米艦載機の夜間離着陸訓練の移転も取り沙汰されていることを許さない」ことを訴えた。
翌6日は、朝からハードなスケジュール。7時前から「市民による平和宣言」を配付。8時、原爆ドームに集合し、原爆投下の時刻に合わせたダイインのあと、「グラウンド・ゼロのつどい。原爆が投下された同じ時刻に、その場所で何が起こったのかを毎年思い起こすことで、想像を絶する核兵器の威力と非人間性を感じることはとても大切な経験である。原爆ドーム近くでの熱線と爆風、そして放射線は尋常ではない。ピースウォークには、「ストーンウオーク」も参加し、250人は集まった。中電本社前では、恒例の反原発座り込み。午後4時からは核兵器廃絶をめざすヒロシマの会の国際対話の夕べに参加。翌7日は、広島湾スタデイ・クルージング。これも12回目になるが、190人とかつてなく参加が多かった。呉湾には、「おおすみ」「くにさき」が沖合停泊しており、船長の計らいで、フェリーはこの2隻の間を8の字型にまわり、参加者は見たこともない角度から揚陸艦を視察した。
60年前のことを想起しながら数日間、ヒロシマで過ごした。そのとき、私たちは、誰もが核兵器、戦争、科学技術、人類、宇宙について、色んな思いが錯綜したはずである。自己史や体験、そのときの心的状況などに応じて、こみ上げてくるテーマは、皆違うだろう。それほどまでに、広島・長崎が私たちに投げかけている問題は、総合的で、系統的なものだ。人類が水の惑星で生き続ける限り、広島・長崎の歴史的出来事は、消えることのない重大な体験としてのこり続け、21世紀の私たちの生き方に一筋の明かりを示しているはずだ。 核廃絶は、地球上の全ての生命体の共通の意志であり、そのメッセージを世界に広げていくことは、ヒロシマ・ナガサキの責務である。国際的な視野を持って、市民が相互につながる必要がある。今こそ、被爆・敗戦、逆にアジアから見れば解放・自立など総合的な視点から60年前の日本の有り様を正面から見すえ、その体験の継承・発展を意図して、改めて核と戦争の廃絶を追求するべきときである。
世界史に大きな波紋を投げたアメリカ東部の事件のメモリアルである9.11に行われた日本の総選挙は、都市部の無党派層の人気投票さながらの軽い気持ちの選択で、自民党の大勝をもたらした。そして野党としての民主党も自民党との違いがほとんど見えない。第3極をどうつくれるのかが、依然として問われている。このツケは大きいが、この構図を崩すために、公正の根付いた社会をつくることをめざした、民衆による事実に即した具体的取組が粘り強く続けられれば、必ず光明は見えてくるはずである。
163特別国会の開会日に際して、21日16時30分から衆院第2議員会館で「小泉内閣の暴走を許さない、市民と国会議員の緊急院内集会」が、平和を実現するキリスト者ネット、戦争反対・有事をつくるな!市民緊急行動、平和を実現する宗教者ネットの呼びかけで開催され、社民党、共産党、民主党の国会議員8名を含む150名の市民が参加しました。平日の午後にもかかわらず、会場は立ち見が出るほどの熱気でした。
はじめに呼びかけ3団体を代表して、市民緊急行動の高田健が挨拶。多数をカサに着て悪法をつぎつぎにだそうとしている小泉内閣と、共同でたたかい、情勢を切り開いていこうと訴えました。
集会には教育基本法の改悪を止めよう!全国連絡会、郵政労働者ユニオン、共謀罪に反対する運動などからの決意表明と、日本青年団協議会、航空安全会議からの連帯挨拶、婦人有権者同盟からのメッセージがありました。1時間半の集会を通じて、参加者は、多数議席を背景にした小泉内閣の暴走を許さず、憲法改悪のための国民投票法案、郵政民営化法案、共謀罪法案、障害者『自立支援』法案などの悪法に反対し、院内外の運動を強めることを誓い合いました。