自民党新憲法起草委員会は,去る7月7日,「新憲法要綱第1次素案」を発表した。これは,4月4日に公表された「試案要綱」があまりに復古主義的と批判されたこともあり,「国防の義務」等については先送りしたものの,軍事力の保持を明記し,改正要件を緩和するという点において,基本的には,これを踏襲したものとなっている。
では,復古主義的な色彩を当面は薄めておいた上で,焦眉の改正課題として軍事力の保持と改正要件の緩和の2点を強調したのはなぜか。舛添要一事務局次長の言葉を借りれば,最大の動機は「自衛隊の海外での活動を解釈で拡大するのは限界」だからであり,そのためには「単なる理念遊びではなく,改憲実現のために妥協」も必要だが,「改正発議要件を緩和すれば,風穴をあけることができる」というのが本音なのである。
つまり,大まかな色分けとしては改憲勢力が院内の9割を占めるようになったとはいえ,総論賛成・各論まちまちでは,実際に憲法を変えることはできないのである。改憲案を具体的に条文の形で整理し,3分の2以上の特別多数で議決するには,与野党間で合意できる最大公約数的な水準でなければ不可能なのである。もっと言えば,対米関係と国連のいずれに軸足を置くかという点さえ素通りすれば,自衛隊の認知と軍事面も含む国際貢献で自公民をまとめることはできても,自民党内でさえ異論があるのに露骨に「天皇陛下バンザイ」と叫んでしまっては,せっかくまとまりかけた話も壊れてしまうから,今はおとなしくしておこうという訳である。
今回の素案では,天皇を元首として明記することだけは見送られたが,内容的には,実質的な元首化と言っても過言ではない。
まず,前文で「天皇とともに歴史を刻んできた」などと,天皇中心の歴史観を持ち出してきている。これが学問的に正しくないのは,天皇家の権威を説明するために書かれた日本書紀自身がしばしば各地で反乱が起きたことを記していることや,室町時代後期の朝廷の没落ぶりを見ても明らかだ。どうしても前文で歴史を書きたいのならば,主権在民を前提にすれば,主権者・民衆の歩みと決意を示すのが筋であり,憲法に皇国史観を持ち込むのは,明治の民権運動など民衆の側の「自由と人権の獲得の歩み」を過小評価し,神話を法制度の上に置こうというものでしかない。
また,本文にしても,天皇を元首として明記すること自体は見送ったものの,国事行為の他に,現在,法的根拠が不明確なまま既成事実化している公的行為に正式に憲法上の位置づけを付与し,天皇の役割を拡大・強化しようとしている。
例えば,現在,国会の召集と解散は天皇の国事行為とされているが,開会式に出てきて挨拶していいとは憲法のどこにも書いていない。しかし,実際には,天皇臨席の下での開会式が慣習化している。それも,下院優位の原則を無視して,貴族院時代の名残で「玉座」が置いてある参院に両院の議員を集めてである。このほかにも,植樹祭や国体への出席など,法的根拠なしに行われ,憲法上疑義があるとされている行為は多くあるが,その追認は実質的な「元首」化を図るものというほかない。
さて,既成事実を積み重ねて憲法の方を事実に合わせて変えてしまえと言えば,その最たるものが自衛隊である。「戦力は保持しない」と定めた憲法の下で,半世紀もの間「必要最小限度」と唱え続けるうちに,自衛隊は世界第二位の軍隊へと育ってしまった。しかし,どんなに大きく育っても,憲法がある限りどうしてもできないのが,集団的自衛権と海外における武力行使であり,歴代内閣は「専守防衛」と言い続けることを余儀なくされてきたし,海外派兵についても,その都度,「テロ対策」や「人道支援」等の口実を探してきては,時限措置の特別立法で対応してこざるを得なかったのである。
それを一気に突破してしまおうというのがこの改憲案の最大の狙いである。その背景には,多国籍資本化した財界が在外権益と市場を確保するため,常時,海外に軍隊を送り出せるシステムを作りたいという動機がある。それも,かつてのような列強間で権益を争う図式に替えて,いわゆる「主要先進国」が共同して「共通の利害」に対処するために局地紛争等に介入していこうというものである。近年立て続けに財界から出された改憲案のいずれもが集団的自衛権の解禁を目指しているのも,このために他ならない。
確かに,素案の文章上は集団的自衛権という用語は巧みに避けている。しかし,軍事面も含めた加盟国の権利義務を定めた国連憲章に対して,日本はこれまで,国の最高法規で軍事力の行使を放棄していることを理由に留保を付してきており,常任理事国入りが外交政策の問題にとどまらず,憲法問題に直結することの意味を考えなければならない。つまり,最高法規による軍事力の行使の放棄という制約条件が外れたとたん,同じ憲法の「国際法遵守義務(現98条)」を媒介として,自衛権の解釈に集団的自衛権の根拠規定である国連憲章51条がストレートに持ち込まれる構造になっているのである。
なお,話が脇道にそれるが,ここで国連憲章と集団的自衛権の問題について付言しておきたい。実は,国連憲章の当初の原案では,加盟各国による武力行使の原則禁止と国連への一元化というシンプルな構造になっていたものを,これと前後して締結された中米条約という攻守同盟との法的整合性を図るため,急遽,「自衛権」の前に「個別的及び集団的」という修飾語を挿入したという経緯が存在する。9条のことになると「芦田修正」や「ケーディス修正」を持ち出す人たちが,こちらの問題については沈黙しているのはダブルスタンダードの謗りは免れないであろう。
また,「地球いずこにおいても圧政や人権侵害を排除するための不断の努力」という前文と自衛隊による国際貢献をつなげて読むと,「ならず者国家」に対する先制攻撃すら容認するブッシュの論理と何ら変わるところがない。もちろん,公務員の殉職に伴う葬儀は政教分離の対象外であるとして,戦死者を靖国に祀る道筋まで用意されている。
もう一つ見過ごせないのは,結社の自由とは別立てで政党の憲法上の位置づけを図ったことである。現憲法も採用している議院内閣制はその典型例だが,近代政治が政党抜きで語れないのは事実である。しかし,これを憲法で定めるとなると話は別だ。
どこまで憲法自身に規定するかはともかく,これまでの憲法調査会の議論等では,党首の選出方法や党財政にまで国が関与するシステムが想定されている。これは政党の国家機関化であり,国による政党の選別に他ならない。やがて,かつての治安維持法のように,特定の路線を掲げる政党を非合法として排除しないという保証はどこにもない。
いま,国会はマスコミが「郵政政局」と報じるような状況になっている。国鉄の民営化では,ローカル線が相次いで廃止され,通勤・通学,通院,買物など,暮らしそのものが成り立たなくなってしまった地方も多い。郵政の民営化でも,市町村に1つは郵便局を残すと言ってみたところで,コミュニティと大幅に乖離した広域合併が前提とされている以上,何の意味もない。そこにあるのは,「構造改革」の名の下に進む憲法で保障された生存権の破壊でしかない。
訪欧中に「ワンパッケージ方式」でのEU憲法批准投票が否決されるのを目撃した憲法調査会長の中山は,焦点を絞り,どういう国をつくるかイメージしやすくすることが重要だと述べた。私たちもまた,彼らの描く国家像が私たちの暮らしにとってどのようなものか,時々の課題を身近な暮らしの具体的な問題に引き付けながら,その本質を広く知らせていかなければならない。
(憲法を生かす会・小川良則)
西原博史
これは6月25日に開かれた市民連絡会主催の市民憲法講座での西原さんのお話を事務局の文責で大幅に要約したものです。
私が大学に入ったのが83年ですので、その時から憲法学を専攻しています。最初に「思想および精神の自由」というテーマを設定しました。基本的人権に関して関心があったわけですけれども、基本的人権で一番わからなかったのが、19条で保証されている「思想および思想の自由」というテーマでわからないんだから研究して意味があるんだろうと思ってやってきたわけですが、「変わっているね」というのが当時の評価でした。日本の民主主義がそれなりの水準に到達してきて、成熟性ある社会があるんだから、心の中に権力が踏み込んできて、特定の思想を押しつけるとか、弾圧するとか、およそありそうもない話なので、あまりやっても意味ないでしょう。というのが1980年代の感覚でした。
ところが1990年代にはいりますと、自分たちの大切な人たちの思想・良心の自由が守られていないかもしれない。守られるために裁判を起こさなくてはいけないかもしれない。だったらどういうふうに言ったら良いか手伝えという話が入りちらりほらりと出てきました。これは、一つには権力が使う手がかりとして「国旗・国歌」というシンボルに対する同調を迫っていく動きが目立ち始めていく。いろんなところで子供たちの心に圧迫がかかっている状況が見え始めていた。1999年の「国旗・国歌法」制定以降、これは大問題じゃないかという思いを持つ人が全国的に増えてしまった。
私自身は、「思想・良心の自由」というテーマは、1995年に1冊の本にまとめて出版して、一応ケリをつけたつもりでした。そこから次に考えていたのは、「人権」とは何だろうテーマです。憲法改正ということを問題にし始めたときに、基本的人権とは何かということがかなり深刻な問題として浮上してくるのではないか。そして同時に国家とは何か、憲法とは何か、という部分が事柄の本質になりつつあるのではないか。そこで今日は「憲法を守るのは誰か」というテーマを設定させていただくと言うことになります。
まず今の改憲論がねらっているのは9条改正がもっとも本質的なねらいであって、9条の枠を外すことによって日本が海外でも軍事的なプレゼンスを持ち、日本の国益や権益を、場合よっては武力を通じてでも守る。そこで語られる日本の国益というのは、たぶん日本人みんなの利益じゃなくて、日本の資本を守るために軍隊が戦える、という部分に憲法改正論の非常に大きな本質があると思います。
ただし、この9条改正本質論というのは私の大学の学生たちになかなか伝わらない。そのこと自身は伝わるんですけれども、だから憲法改正をやってはいけないという感覚にはつながっていかないという非常に強いジレンマがあります。何でこいつらわからないのか。戦争を知らない人たちが実際に国を動かすようになり、国民として憲法を動かせるようになったときに、戦争の持っている痛みを忘れるという時代状況の問題があります。
ただそれだけで説明できないところがあるような気がしまして、何で戦争が怖くないのか。それは自分が戦争に関わると思っていないという現状があるわけです。戦争で何を想像するのか。降り注ぐ爆弾の中で逃げまどった幼児体験のある人たちにとって、戦争はその情景を指すわけだし、追体験しようとしてきた人間たちにとってまさに爆弾が降り注ぐのが戦争だという意識でいるわけです。ところが1990年湾岸戦争をテレビで見た子供たちが今大学生をやっている。2回目の戦争体験はイラク戦争で、あれは非常に強い報道統制の中で「悪い奴らをやっつけるシーン」だけが戦争として放映された。すると戦争は悪い奴をやっつけるために必然的な力の行使であって、悪いことではないというイメージがまず作られやすい。その上日本は悪い奴かと考えると日本は悪い奴であるはずがない。アメリカの標準から考えても日本が悪者に転落する心配はない。従って日本は攻められる心配はない。日本はアメリカ軍と常に一緒に闘うことができるはずだ。ならば日本が戦争で負けることが想像できない。戦争はあくまで自衛隊が海外に行って、世界の警察アメリカのお手伝いをする。そこで日本人が外国の人々を殺すという状況ぐらいしか、戦争という言葉のもとに想像できない。自分たちが被害を受けるということすらないという状況になっています。
それに対して、徴兵制の問題を考えてみなさい、あなたが戦争に行くか行かないかが実は問われているんですよと言うわけですが、これがまたなかなか説得力を持っていかない。というのはアメリカの現実をみていると徴兵制は必要ないという計算が彼らの計算の中で出来ています。若年失業者の間から十分リクルートできるのであって、早稲田大学の学生という競争を勝ち抜いた人たちのところまで、軍隊がくるはずがない。日本の貧乏人の若者たちからリクルートして消費すれば十分であるという認識が出来上がってしまった。そこまで計算高い人たちに、「だからおまえはそれで良いのか」と問うと、「それで良い」という答えが少なからず出てくる。こういう頭の人たちに、憲法改正は良くないことだということをどうやったら納得してくれるだろうかと、私の一つの悩みの種でもあるわけです。
そこで憲法改正の本質は9条改正にないのではないか。むしろ人権保障のあり方が変わること、あるいは憲法が持っている意味が変わるところに今、改憲論を唱える人たちが追求している憲法改正の本当の怖さがあるのではないかとという意識が私の中でも段々伝染してきてしまうと言うことになります。
「この憲法は日本国の最高法規であり、国民はこれを遵守しなければならない」。この文章は去年の5月3日に出た読売新聞改憲試案の前文の最後の文章です。前に何が書いてあるかというと「日本国民は民族の長い歴史と伝統を受け継ぎ、美しい国土や文化的遺産を守り、これを未来に生かして、文化および学術の向上をはかり、想像力豊かな国づくりに取り組む」。それから「国際協調の精神をもって国際社会の平和と繁栄と安全の実現に向けて不断の努力を続ける。そして地球環境の保全に努め、人間と自然との共生をはかる」。これ主語は全部「日本国民は」なんです。最後のところでまとめるのは、「この憲法は最高法規であり国民はこれを遵守しなければならない」という構造になります。
そうすると私がたとえば、美しくない、あるいは想像力豊かな国つくりに邪魔するような発言をしたということになると、そういう発言は憲法違反で許されない発言だということになるでしょうし、憲法違反で許されないような発言をする奴は当然処罰してしまって良いというのが最高法規という言葉の意味なのかというふうに思えてくるわけです。
これはとても違和感のある話でして、私のやっていることが憲法違反だというのが本来言葉としては成り立たないというのが憲法をやってきた人間の基本的な出発点になっています。実は、この部分微妙でして、社会の中では実は西原博史がやっていることは憲法違反だという言葉遣いは改憲論にかかわらず時折出てくることなんです。それはたとえば差別の問題に関して出てきやすいことで、差別を発言をするような奴は憲法で禁じられた差別をやっている人間だから、あいつのやっていることは憲法違反だという評価は、実はその民主主義の言葉遣いの中では使われてきているし、それで少しさかのぼっていくといじめとか差別は人権侵害だからやっちゃいけないよというふうに学校で教えてきたかもしれない、教わってきたかもしれないというところまで実は反省がさかのぼってしまうわけです。ただ純粋理論的に考えますと、私のやっていることが憲法違反だといわれる筋合いはないというのが、立憲主義という考え方に基づく憲法の位置づけということになってくると思います。
憲法というのは国をつくる決まりなんだ。国家権力という権力体が存在して、たとえば法律を作る。何で法律が通用するかというと憲法でどうやって法律を作るかを決めたから。我々の社会を動かしていくときに、誰がどういう権限を持って、どういう決まりをつくって、それを守るために誰がどういうふうに動いたらいいのかを決めたから、という説明になっています。
たとえば私が学生の前で話すときには、たとえば制服を着たお巡りさんが入ってきて「西原博史だな。逮捕状を執行する」と言って連れていくと、学生はたぶん私を助けてくれない。それに対して人相風体の怪しい奴らがいきなり入ってきて、無理矢理連れていこうとしたら、学生は私を助けてくれるかもしれない。そこで彼らは使い分けるわけで、逮捕状の執行という正当な国家行為か、単なる拉致、あるいは逮捕監禁という犯罪か、彼らは瞬時に判断するわけです。本当はお巡りさんの格好をしているのがお巡りさんなのか怪しいし、逮捕状は誰が発行したのか怪しいのですが、瞬時にみんな判断しようとする。それが法秩序というものが存在する意味ですし、その法秩序がどういう形で存在するのか、あるいは存在できるのかということを決めているのが憲法だということになるんだと思います。憲法がないところに正当な法はない、憲法があって初めて国家権力というのが出来上がってくるし、国家権力が動くときのルールが決まってくる。ですから国家権力としてやって良いこととやっていけないことを見分ける、この二つが憲法の仕事だということになっていきます。憲法に違反する可能性があるのは、国家権力を担う人々でしかあり得ない。逆に言うと私はどう逆立ちしても憲法違反を犯せない。民間人が民間人として活動している限りは、憲法に違反しようがないわけです。そこからしますと先ほどの問題、国民が憲法を遵守するということの非常に大きな矛盾が見えてくることになります。ところがその矛盾は、改憲論の中では全然矛盾とは考えられていないという点があるわけです。
去年(2004年)6月10日、自民党の憲法調査会憲法改正プロジェクトチームという自民党の中でもっともタカ派で、もっとも改憲やりたがりの人たちが作った論点整理という文章があります。その中に「これまではともすれば憲法を国家権力を制限するために国民が突きつけた規範であるということのみ強調する議論・論調が目立っていたように思われるが、今後憲法改正を進めるにあたって、憲法とはそのような権力制限規範にとどまるものではなく、国民の利益ひいては国益を守り、増進させるために公私の役割分担を定め、国家と国民とが協力し合いながら、共生社会を作ることを定めたルールとしての側面を持つものであることをアピールしていくことが重要である。さらに憲法という国の基本法が国民の法理規範として機能し、国民の精神が(ものの考え方)に与える影響についても考慮に入れながら議論を続けていく必要があると考える」。つまり国家権力を制限する、国家権力としてやってはいけないことをルール化しておくとという憲法の意味は、憲法がもっている様々な意味の一つとして紹介されてくるわけで、これまではそうだった。しかしこれからそれとは違う意味があるということを強調していかなくてはならないんだよという話になっています。つまり国家と国民とが両方とも共通のルールに服従するんだという形で説明されてくるわけです。100%譲って国家と国民が両方とも同じルールに従っているんだったらそれなりに公正じゃないかと考えると微妙になってきます。そこで国民は誰かというと我々一人一人でしかないわけです。それに対して国家というのは、かなりはっきりしたこの方向に向かって引っ張っていくぞという強い意志をもった国家と、それから国民が出てくる。国家の意思は誰が決めたのかといえば民主主義のルールで言いますと、結局国民の意思だということになってしまうわけです。我々と国家の対等性を最初に作り上げたように見せかけていながら、実は我々は国家と対等では決してない。我々一人一人は国が定めた方向性に向かって協力させられる側に転落させられるということになっていかざるを得ないのがこの同条の作り方です。
改憲論がねらっているのは、やっぱり国民一人一人を国家が定めた方向で国家が動くときの道具にしていくと言えるわけです。
次に個人主義批判というのが改憲論の基本的なエネルーギー源なんだとここで確認したいと思います。一般的に個人主義と違う考え方として、共同体主義という考え方と全体主義という二つの考え方、それぞれ微妙な違いがあるわけですが、改憲論は自分たちが共同体主義だといっている。つまり、個人と共同体というのは共同体が絶対的なのじゃなくて、相互作用、相互依存、相互関係の関係に立つ。だから個人は共同体のためにがんばろうと思う。そのことによって共同体は、共同体自身の価値は上がっていくし、また個人の側も共同体のためにがんばることによって価値が上がっていく。そういう形でうまくいくときは両方の価値を高めあっていくようなそういう相互依存関係にたつ個人と共同体との関係を想定しているんだと改憲論の側がよく言いますけれども、所詮全体というほうを絶対化して、全体のために個人が犠牲になるという全体主義に転落してやしてませんかという疑問が成り立ちます。
これは我々は一方的な権力の側の横暴という形で説明したくなるわけですけれども、そこでの権力とは何かというものを考えると話はそう単純ではなさそうです。国家権力がいろんな形で強まってくる。その強まってくる背景はいったい何だろうかと考えると、ここには民主主義が動いているかもしれない、ということが問題になってきます。
たとえばこういうことです。改憲論の中でも、民主党の憲法調査会が去年6月にだした中間報告では「新しいタイプの憲法は何よりもまず日本国民の意思を表明し、世界に対して国のあり方を示す一種の宣言としての意味合いでなければならない。そのことを通じてこれを国民と国家の強い規範として、国民一人一人がどのような価値を基本にどのような行動をとるべきなのかを示すものであることが望ましい」という文章があります。よくわからない文章でありますが、民主党もこれまでの国家を縛るものよりは、日本国民の意思を示してその日本国民の意思を実現していくための宣言文章としての憲法というのを考えている。ただそこで出てくる国民は、非常に大きなトリックが隠された言葉になってきます。この場合の日本国民の意思というのは、国民の間の多数決ということになっています。
つまり多数決をやった結果として国民多数派が形成されて、国民多数派が自分たちの約束事をしていくということになるわけです。「これを国民と国家の強い規範として国民一人一人がどのような価値を基本に行動をとるべきなのかを示すものであることが望ましい」。2番目に出てきた国民は、一人一人の国民になってきます。1番最初に多数決をやったことによって国民一人一人が一人の例外を許すことなくどのような価値を基本に行動をとるべきなのかが示されてしまうわけです。そうするとこれは多数決で何を目標にするかを決めたら、少数派も多数決で定められた価値を自らの心の底から信じなきゃいけない、という構造になっているというのがみていただけるんじゃないかと思います。
つまり多数決主義的な意味では民主主義的になっているけれども、それが同時に少数派の存在をまったく無視して少数派をすべて飲み込もうとしているという構造が見えてきます。
そもそも憲法というのは多数派のためあるのじゃないです。多数決というのは必然的に少数派の意見を十分に反映できないし、多数派の横暴、多数派の独裁状況に繋がっていくことが非常に多く見受けられる。だからこそ基本的人権を保障しているわけです。基本的人権はいつ必要になるかというと、多数派が少数派の存在を忘れたときに必要になるのだといって良いでしょう。
基本的人権というのは一人一人の権利として、仮に多数決で決めたとしても侵害してはいけないこと。たとえば国民個人の信教の自由というのは一人一人の信仰、信教に関わることです。この宗教に関することがらでいえば、多数決をしたくなる気持ちってある意味あるわけです。特に自分には迷惑をかけていないけれども、存在するだけ何となく気持ち悪い、気色悪い、そういったたぐいの宗教というのはもしかすると世の中に存在するかもしれない。自分に特に迷惑を及ぼさないけど、存在するだけで気持ち悪いという宗教に対して多数側は「そんな宗教は禁止してしまえ」、「禁止してこの国からでていってもらおう、それでも逆らうものは処罰してしまおう」、という法律を作ろうとするのは、動機としては十分にある。それは民主的手続きの中では、やろうと思えば可能かもしれない。基本的人権ということを考えなければ可能なわけです。しかし信仰している一人一人の人間にとっては、仮に国民の99.99%が間違っていると思っても、自分の信念の問題だから民主主義で決めてはいけない。うざったかろうが何だろうが、まさに信教の自由という憲法20条で保障された基本的人権は多数決でも踏み込めない個人としての領域というもの線引きのためにあるというふうに言えるわけです。
先ほどの民主党憲法調査会の文章ですけれども、多数決でもって日本国民の意思を表明したら、それを少数派だろうと何だろうと国民一人一人すべてに押しつけようという発想はおよそ基本的人権というものの考え方と相容れない。ここ近代立憲主義200年、300年の歴史の中で培われてきた成果を全部ひっくり返そうとしているものだということはわかっていただけると思います。
1950年代改憲論と今の改憲論の最大の違いは、民主主義というものに対する評価の違いなのかもしれません。50年代には天皇元首論が色濃く残っていたし、民主主義的に決断することでも、民主主義と個人主義とが一緒にとらえられていた。権利、権利と主張するような国民によって組織される民主主義は悪いものであって、むしろ健全な世の中を作るためには上の方からしっかりリーダーシップをとらなくちゃいけない、という発想が色濃かったのに対して、2000年代改憲論はまさに民主主義であろうとするために憲法改正をしなくちゃいけないという発想が色濃く出ている。そこでいうと多数派の意志を貫徹するために少数派の基本的人権を抹消していこうという発想が見て取れる形になっています。
その一番典型的な例は監視カメラ問題じゃないかと思うのですが、これに対して法的な規制をしようとする動きがあまりない。監視カメラがねらっているのは善良な市民を脅かす一部の犯罪者たちであるという頭で監視カメラをみていると、監視カメラは自分を守ってくれているなというふうにさえ見えるのでしょうね。
権力の存在に気持ち悪いと思うのは、潜在的な犯罪者に決まっている、という。この守られるという意識が非常に重要なキーワードになってきているわけです。もともと国家が国民生活の安全を守らなくちゃいけないというのは昔からそうです。お巡りさんを国家として雇って、そこで犯罪を犯した人間をしょっ引いて、裁判にかけて、処罰するという国家存在の本質の一つでもあるわけです。もちろんそれは多くの代償を伴うわけだけれども、その代償は法治国家という形で国家が動く限りは最小限の代償ですんでいたというのが今までの国家の成り立ちだったわけです。そういう意味で昔から安全をつくり、安全を守るというのは国家の存在そのものを正当化する非常に大事な理由だった。ただそこで変わろうとしているのは、「安全」から「安心」に転換しようとしている。国民の意識の中でも「安心」を求めるというところが非常に重要な役割を果たしています。「安心」を作ろうとするためには予防しなければいけなくなってきます。「安心」を作らなければという国家目標設定に引っ張られて作り上げられていくのが監視カメラということになるわけです。もしかすると犯罪が起こるかもしれない人、ところ、場所でそこで犯罪が起こらないように監視をする。監視カメラの最大の問題というのは、監視カメラの視角の中で結局犯罪は起こり続けるというところに監視カメラのジレンマがあるのかもしれない。
監視カメラは場所で安心を守ろうとしますので、かなり初歩的なやり方。もうちょっと進んでいくと今度は人で安心を守ろうとする。つまり安心感をもてない人、隣人として安心感をもてない人を特定して、その隣人として安心感をもてない人が何かをやらかさないように常にコントロールを及ぼしていくということが安心を求めた場合に、次に必然的に出てくる問題です。最近の議論からいいますと性犯罪者で出所者に対して警察が情報を抱え込むという形の処置が今回とられてくることになったのは、危ない人というものを識別して、危ない人を人として管理下におこうという発想が出てきているということになるわけです。これもすべてやっぱり国民として守られたいと思う安心感を、国家権力のお手伝いによって安心感をえたいと思う人たちがいるから正当化されることだし、そして実際数の上でどっちが多いかというと、たぶん自分は善良な市民であると思っている人の方が数の上では遙かに多いという現実に支えられてのことなんだと思います。
そうやって考えてきますと多数派を守るために必然的なことなので少数派には我慢していただくしかない。少数派の人権にはこの際こだわっている必要はないという流れの中でやはり安心を守るためには権力が必要であるという方向にかなり傾いているというのが現実の姿です。
その次に出てくるのが「心」の問題です。多数派と少数派に分けるのは誰か、何かということになる。多数派として守ってもらう側にたつ資格は、自分は多数派を脅かす側に回らない、守ってもらう側なんだということをどうやったら示せるかというと、自分はそこでは少数派の肩を持たない。つまり多数を脅かすような人たちを積極的に排除し、「あいつらは自分と違う存在である」という形で切り離していくことによって、自分が多数派の側に属しているということを証明し続けるという必然性が出てきます。これは実は小学校中学校ででてくるいじめの構造と全く同じです。社会全体としてもそういうことになってきます。実際上の法律による強制も何もなくても、自動的に少数派の排除というのは進んでいくということが想定できていく。そしてこれは国民意識の問題、自分たち多数派が自分たちの安全であり、自分たちの利益を守るためには国が積極的に自分を守ってもらえるし、国家権力は自分を守るために存在するし、国家権力によって守ってもらうためには国家権力をみんなと一緒になって支えなきゃいけないという構造に転換していくということになります。ここでは一つの国家意識というものが出来上がってくる。「愛国心」という言葉と同じことなんです。
最近、新幹線に乗っていると時々いやな気分になるのですが、「警察のご指導によりまして、怪しげなものを取り締まっているから」という言葉を使うのですが、いつから警察はご指導する立場になったのだろうかと私は非常に強い違和感を覚えるのです。警察の変化というのは社会の中で確実に着実に生じているのかもしれないというふうに見えてきます。
たぶん今の日本の状況の中で自然とそういう国民意識というものが出来上がってくるのでしょうけれども、同時にそれを妨げているものがあるとするなら教育だと見られているのかもしれない。愛国主義教育を入れ込もうというのが教育基本法改正の一つの狙いというふうにいわれています。本来であれば、「愛国心、べつにもってていいんじゃないの」と多くの人は受け止めがちですけれども、愛国心を教えるというがどういう意味を持つかと考え始めると、これはすごい深刻な問題だということが見えてくるわけです。それは少数派を切り捨てて、いじめる側にまわる。その精神構造を学校の中できちんと教えていくということになっていくかもしれない部分があります。そしてそれは同時に愛国心教育の問題と、それから教育目標としての長いものには巻かれろという意識に呼応しあっているということになっていくと思います。そこでは「日の丸・君が代」の強制問題というのは一つの典型なんですけれども、そこでは長いものには巻かれることが良いことであるという目標、現在ではそういう教育の具体例として展開していく部分があります。
しかし、その時に考えなくちゃいけないのは、その国家がいつまで自分を守ってくれるのかという点です。少数派側に転落して、国家に全体に排除されないようにするために、間違ったことを一切しないように息を詰めてひっそり生き行く暮らしは本当に守るべき安心な社会なのかかどうかということが同時に問われてくるということです。その生活が不幸なのは、その決断が全部、つまり自分が多数派側にまわろうとしない限り、自分が少数派側に転落するというその恐怖感は、「おまえはそれをしょっていくだけの意味のあることなのか」という問いが大事になってくる。
もう一度問われてくるのは自由という価値なんだと思います。本当に自由には価値がないのか。もちろん自由を保障するというのは、ある程度まで逸脱者を認めるということになりますので、自由を認めるというのはある種恐怖感と背中合わせかもしれない。しかしそれは、自らの責任で背負える部分がある。人間の究極的な価値としての自由という価値、そして自由は一人一人の人間の考え方のある程度の違いを認めるということになるわけですけれども、一つの色に国民意識を塗り込めようとしたときには、そこではいろんな形で無理が生じるわけですから、そんなことはないんじゃないかなと思った瞬間に自分を抑圧しなくちゃいけない。そして抑圧しても、抑圧しきれない自分の中の違和感というものと常に闘っていかなくちゃいけない世の中というのは、本当に健全なのか。やっぱり人々の意識がある程度違うということを正面から認めるべきなのではないか、という形でコミュニケーションを始めていくしかないかというのが現地点での私のぎりぎりの選択ということになっているわけです。
教育基本法改正問題についていえば、これはたとえば子供たちの親は今学校の安全を大変気にしているわけですが、じゃあ安全な学校の中で今何を教わるのかというと、自分も必要だったらイラクに行って、イラクの人民を守るために水くみかなにかを行うわけですが、これがたぶんしばらく時間が変わると「イラク人民だとか、どこかの人民を救うために人殺しをしなさい。自分の命を危険にさらして人殺しをしなさい」と教えられていく。そういう学校になろうとしている、その分かれ目に我々はたっている。その点についてあまりに自覚が足りなさすぎる。
子供たちの学校での安全を守りながらも、何のための安全かというと人殺しのやり方をきちんと学ぶための安全な学校を作るための動きをしているならば、それはある意味非常に滑稽なことになってくるかもしれない。そのことにみんなが気がついた上で教育基本法の問題を考えていかなくちゃいけない。
同じく憲法改正というのも根っこが同じ問題である。自分たち一人一人が自分のままでいることが許されるかどうか、ということに関わっているんだということを訴え続けなくちゃならないと、私は思っています。ここから先は、皆さんと一緒になってこれは一人の力では広められないので、現状をどういうふうにとらえるのか、ということで地元に戻って隣の人と、職場に戻って隣の人と話を続けていかなくちゃいけない。その部分については皆さんと一緒に私もいろんなところでがんばりたいと思いますが、ぜひ一緒にやっていきたいと思います。とういことでがんばっていきましょう。
6月25日、韓国ソウルで掲題のシンポジウムが開催され、私も参加して来ました。日本の敗戦から60年の今年2005年は日本と朝鮮半島の関係にとっても日本の朝鮮侵略100年、朝鮮解放・分断60年、日韓条約から40年というさまざまな歴史が折り重なる重要な節目の年に当たります。このシンポジウムは東北アジアの平和を願い、さまざまな運動に取り組んでいる韓国の市民団体や国会議員で組織する「韓日平和シンポジウム推進委員会」が提案し呼びかけたもので、日本側は「2005年運動」の事務局である日韓民衆連帯ネットワークなどが窓口となって参加者を募り、社民党、民主党など国会議員3人を含め27人が参加しました。
シンポジウムは韓国国会図書館講堂で行われました。オープニングは韓日のメインスピーカーによる基調講演。韓国側のカン・マンギル高麗大学名誉教授は「21世紀の東アジアの平和のために」と題した講演で「20世紀前半、アジアを侵略した日本は21世紀のアジアの平和と安定に大きな責任がある。平和な東北アジア共同体を作るために日本は脱亜入米から脱米入亜を日指すべきだ。過去の事実を正しく伝える徹底した歴史教育が平和を実現するために不可欠である」と述べました。日本側からは荒井信一茨城大学名誉教授が「歴史間題と北東アジアの平和」と題して講演しました。
午後からは(1)東北アジアの秩序変化とそれにどう対応するか (2)歴史認識の問題をどう克服するかの二つのテーマを柱にかなり突っ込んだ討論が展開されました。(1)では韓国のぺ・ソンイン明知大教授が「東北アジアの秩序変化と平和」と題して、アメリカやロシア、中国などの東北アジア政策、日本の右傾化や日米同盟の強化、北朝鮮の核問題などについて言及した後、東北アジアはこれまで自主性を喪失し、米欧の指導によって動いてきたが21世紀をアジアの時代たらしめるためには韓国、中国、日本の認識の変化が必要。閉鎖的な民族主義、自国の利益のみ追求する政策でなくアメリカの介入を排し、開放的な地域主義を堅持しながら共存するしかない。葛藤と摩擦を最小化しながら協力関係を構築していけば希望と平和の東北アジアに変わっていくだろうと発題しました。
日本側からは日韓ネットの渡辺健樹共同代表が「民衆間の真の和解と平和実現をめざして」と題して東アジアに非核地帯を創設し、日朝国交正常化を早急に実現させ、日本政府が「戦後補償間題」解決を実現するよう運動側も取り組みを強めていく必要がある。最終的にはこの地からすべての外国軍隊が撤退することを目指さなけれぱならないと提起しました。これを受け、日本側からは金子豊貴男相模原市議が神奈川の米軍基地間題への取り組みを、沖縄一坪反戦地主会関東ブロックの吉田正司さんが基地の強制使用に反対する闘いについて、沖縄の浦島悦子さんが辺野古沖への新基地建設阻止の闘いについてそれぞれ報告、浦島さんの「米軍再編が進み、米国の世界戦略に日本が加担しようとしている中で、辺野古に新基地を作らせない闘いはアジアの友人たちに刃を向けることを拒否し、ともに生きていく未来をつくることだと考えている」との言葉が胸に残りました。
(2)のテーマでは「韓国の『過去精算』運動:現況と課題」と題してキム・ミンチョル民族間題研究所専任研究員が、今、韓国で論議されている過去清算間題は植民地下の「親日行為」ともうひとつは分断と軍事政権下で起こった国家権力による人権侵害についてで、この中にはベトナム戦争時などの外国人への加害行為も含まれている。この歴史的課題を正しく解決するため被害者、市民、研究団体まで参与する「正しい過去清算のための汎国民委員会」も結成された。被害者補償間題を解決するためにはいくつかの原則が必要で、自身が起こした被害でなくてもベトナム戦争時の加害行為などのように大韓民国の名前で行った被害についてそれぞれ個々人も同義的責任を持つ。なぜならば国家や政府をわれわれが選んで構成しているからである。キム氏のこの指摘は、かつての侵略戦争での加害行為について補償も謝罪も行おうしない日本政府をもつ私たちにも問われていることであり、胸にこたえました。
西野瑠美子さんは「日本における歴史認識をめぐる論争と闘い-『つくる会』教科書・靖国・『慰安婦』問題を中心に-」と題して問題提起しました。この1O年、日本の歴史修正主義が日本社会の右傾化に果たした役割は計り知れない。彼ら歴史修正主義者は『つくる会』教科書は日本の保守革命の重要な一環と位置づけ、戦争国家構想とその下での国民精神の動員を目指している。憲法9条がアジアの平和と安定を保障するメカニズムであったように、日本の歴史認識の問題はアジア平和構築の要であると述べ、市民レベルで韓・中・日共同編集の歴史共通副教材が三国同時刊行されたように、国際民衆連帯の運動をさらに育てていきたいと提起しました。これら発題を受けて日・韓双方から多くの報告がなされましたが(午後だけで14人も)聴くだけで精一杯でした。
最後にこれからの行動計画に関して5つの課題が確認されました。、(1)敗戦-解放・分断60年の8月15日に日韓の市民団体などにより共同声明を出す。(2)米軍が初めて朝鮮半島に上陸して60年目の9月8日を契機に米軍撤収闘争を強化する。(3)11・17乙巳「保護条約」100年、11月APEC釜山首脳会議に向けて日韓フォーラムを開催する。(4)歴史を正し、平和の実現をめざす日韓連帯のネットワーク作りと東アジアへの拡大の追求。(5)日本軍「慰安婦」問題の解決に向けてすでに準備が進められている8・10世界同時”水曜デモ”を繰り広げる。最後に日韓双方の議員の閉会挨拶でシンポジウムの長い一日が終わりました。
会場ボランティアとして大学生の若者たちが大勢手伝っていました。(上田佐紀子)
ヨーロッパや中国、韓国などでは、早くから戦後60年を記念した取り組みが伝えられていた。それに比べ動きの鈍かった日本でも、夏を前に集会や論評が見られるようになった。改憲を目論む人びとの中には戦後民主主義とはおさらばし、軍隊を持つ普通の国への転換をここぞとばかり主張する、60年も経ったのだからと戦後をリセットしようとする動きも多い。こうした人びとには事実を真正面から見つめるという勇気がないのではないかと思えることが多々ある。小泉首相の靖国問題も、個人的な思いばっかりを装って歴史認識をねじ曲げているが、事実と向き合う勇気を持ち合わせていない首相の資質にもよるのではないか。
先日GPPACが企画した集まりで、本田立太郎さんの話を聞いた。千回以上も学校をはじめ全国で「出前」という形で戦争体験を話している。1914年(第一次大戦開始の年)生まれだが90歳の年令を感じさせない、静かだが、かくしゃくとした話しぶりだ。徴兵検査や招集時のことなど、今や戦争体験のないものが多数をしめる社会では貴重な話しだ。しかし圧巻は、日本の兵隊として、国家の名とはいえ中国人を殺した事実を話していることだった。このことが、軍の命令に背けば、人を殺さなければ、自身が殺されるという戦争の実際なのだ。本田さんは出前を始めて百回目ぐらいに、自分が戦争で殺人をしたことを話さなければ、やっぱり嘘になると悩んだ末に、話し始めるようになったことを、付け加えている。中国帰還者連絡会に属する元兵士たちの証言では聞いていたが、そうでない方の戦争体験としては初めてだった。話をする側は勿論だが、聞く側も勇気を持って事実と向き合わなければならない。さらに本田さんは、憲法9条について、1~8条の天皇条項との連関を言い、9条をなくすなら天皇も責任をとるべきだとの見解を述べた。
戦後60年、日本社会が歴史と向き合うことを回避した結果が、でたらめな首相の靖国参拝を許すことになっている。国内をみると平和、人権、主権者のあり方という憲法3原則など、60年前とは比べられないほどに前進したのは紛れもない事実だと思う。しかしそれらの課題は不充分さがあるのもまたはっきりしてきた。21世紀に役立つような3原則の内実を作り上げるスタートに、この還暦の年を位置づけてみたいと思う。それには事実と向き合う、勇気が必要なのです。 (土井とみえ)
「道後温泉においでませんか」と愛媛県松山在住の友人、きよみさんからお誘いをいただいていた。なかなか”果たせぬ夢”であったが、この度、思い切って職場に休暇願を出して決行。滞在中は彼女の家を宿に、近くの道後をはじめ日替わりで温泉三昧、土地のおいしいものをご馳走になり、名所を案内してもらったり、行きたいところへ連れていってもらったりと、有り難く、貴重なプレゼントの日々をいただきました。
h4>松山に着いたその夜は集会に参加勤労会館で開かれた「平澤(ピョンテク)の市民運動団体との交流集会」に参加。訪問団は「つくる会」教科書の不採択を求めることや「坂の上の雲記念館」の問題について松山市や愛媛県に要請すること、また市民運動との交流を深めること等が主な目的とされた。訪問団は歴史認識・性暴力問題・米軍基地拡張反対等に取り組む市民団体や、教科書問題で日本の各地を訪ねている韓国の全国組織などのメンバー10人で構成。集会では松山市や県の教育委員会などを訪れたが面会のキャンセルや面談拒否が相次いだこと、県も知事、副知事らが面会を拒否したことなどが報告された。市側は当初、「坂の上の雲」まちづくり、国際交流、市教委等の担当部長6人が面談を承諾しており、メンバー表までも受け取っていたそうだが。
「他県ではこんな対応はなかった。意見を聞かない行政の姿勢は理解できない」と市や県の不誠実な態度に強い批判の声が上げられた。またこの取り組みに尽力をされた愛媛県議の阿部悦子さんは「アポをとっていたのに直前になって面談拒否なんて」と報告しながら無念さと悔しさいっぱいに涙ぐまれた。
訪問団は、平澤に帰って市に報告をし、松山市と愛媛県の不誠実な対応に改めて正式に抗議すると話した。ちなみに松山市と平澤市は昨年の秋、友好都市協定を結んでいる。今回の取り組みは、行政間だけではなく、互いの市民同士が理解し合い、本当の「友好」を結ぶために歴史教科書問題や靖国問題など昨今の歴史の歪曲の動きを許さず、歴史の真実から始まると考えた有志たちが平澤に訪れたのが契機となったとのこと。そこで平澤の市民運動の人々との交流が生まれた。全国交流集会でご一緒した「平和資料館・草の家」の事務局長金英丸さんが通訳を担った。報告集会の後は、近くの居酒屋さんで大交流会。チャンゴや三線の音色とともに私も大交流。
イベント準備で忙しいなか、金さんは私たちに展示品や資料の説明をしてくれた。リーフレットには「平和と教育・環境問題を考える草の根たち」と紹介されている。写真がなく残念だが文字通りそんな”ひろば”。館の脇で妙なコーヒー豆挽き屋さんが仕事中で、手作り(ドラム缶製)の何とも珍しい道具なのでのぞき込んでいたら、「新聞に載ったので忙しくなってしまった」という。自然と労働が溶けあって、美しい風物詩のようだった。この時期約2ヶ月間、「ピースウェイブ2005in高知」が開催中で、この日は-若者による平和の集い-が企画されていた。ライブや憲法の朗読・お食事会と盛りだくさん。若者たちによる企画で、全てが手作り。どれもがオリジナリティーにあふれ、発想豊かで、料理も勿り。美味しくいただきました。副館長の玉置啓子さんは「東京でワールド・ピース・ナウを大きくやってくださったので、こちらでもイラク反戦運動がやりやすかったです」と。いまも週1で行っているピースウェイブは百何十回にも及ぶとか。スゴイ!直接お会いしてこんなお話を伺うと、何か暖かなものが溢れてきてとてもうれしくなる。
帰郷する前日、高松へ行った。さとこさんと再会。東京で初めてお会いしたのは彼女がまだ議員になられる前で、10年以上が経つ。
この日は、戦争体験を語り継ぐ会の「高松空襲を歩く」で参加者の皆さんたちと歩いた後、待ち合わせ場所にかけつけてくださった。さとこさんおなじみの居酒屋さんで再会を祝してまず「乾杯!」「さとこ通信」のいつもの絵は娘さんの手書きによるもの。「はじめ9歳だったのが今は19歳に。まだ描いています」とちょっと嬉しそう。改憲阻止やイラク反戦運動のことなど話はつきない。
再会、そして新たな出会いは私に、また明日からの希望とエネルギーを与えてくれた。大切にします、ありがとう。(中尾こずえ)