162国会の会期は延長され、いよいよこの機をねらって自公民3党が国会法の改定による常任委員会「憲法調査会」の設置にのりだした。報道によればこれは結局、当初、予定されたとおり「憲法改正国民投票法案」の審議のみに限定された委員会にすることで3党の合意をみたという。これが後に憲法「改正」案を審議する場になるのは火を見るよりも明らかだ。こうした子どもだましの詐術が最高法規である憲法を改悪するという重大問題で、公然と国会の場で成立することへのくやしさを、私たちは主権者として、必ずこの犯罪的なペテンの責めを果たさせる決意を固めなければならない。そうしない限り、私たちもまたその共犯者として歴史に責めを負わされることとなろう。
私たちがいまこの責めを何によって果たすのか。当面、改憲派が狙っている9条改憲とそのもとでの集団的自衛権の行使可能な国づくり、米国とともに地上の至るところで戦争をすることが可能になる国をつくるという、この危険極まりない企てを阻むことが、それではないか。この問題はきわめて現実的な問題であり、信条として「反対」すればいいという問題ではない。それでは歴史に責任を負ったことにはならない。必ず阻まなければならないのだ。
私たちはそのための具体的な努力の一歩として、このたび「九条の会」が呼びかけた「有明講演会」を成功させることの重要性を確認したい。もし、この有明講演会が九条の会の計画どおりに成功すれば、同会がこの一年の努力で大きく切り開いてきた道=憲法9条改悪阻止の一点で大きく共同できるネットワークを全国に生み出すという運動をさらに大きく飛躍させることにつながるにちがいない。
「九条の会」の呼びかけは全国各地に燎原の火のように広がり、すでに全国各地に2000箇所を超えるグループが結成された。文化・芸術・職業など各分野の「九条の会」も相次いで生まれ、多彩な活動を繰り広げている。こうした共同の母体をさらに多様に形成して行くこと、そして「九条の会」がその網の目の「翆点となる」(大江健三郎)ことこそ望まれることだ。これこそが9条改憲阻止の巨大な全社会的な運動をつくりだし、改憲阻止を実現する現実的な力のひとつとなるにちがいない。
今回の有明講演会はその意見広告にあるように、従来の集会にない特徴をもっている。まず、集会の告知が6月18日の商業新聞各紙に一斉に掲載され、記者会見もその前日に行われたことにも明らかなように、諸組織に属していない一般の個人のひとびとにも申し込みの機会を最大限保障している事だ。そのうえ、団体参加方式は一切とっておらず、参加予約券申し込み方式で先着1万人までとしている。案内のチラシには「旗、のぼり等はご遠慮ください」とあり、個人の参加者に配慮をしている。
また「九条の会」の9人の呼びかけ人以外に、この講演会への参加を呼びかける人びととして新たに有馬頼底(金閣寺・銀閣寺住職)、岸田今日子(俳優)、品川正治(経済同友会終身幹事)、白柳誠一(カトリック枢機卿)、辻井喬(作家)などなどのひとびとが加わっているのも特徴だ。こうして草の根の市民運動に可能な限りの配慮をする集会が成功するなら、運動はいっそう大きな可能性を拓くことができるだろう。早まる情勢の展開のなかで、確実に勝利の展望を切り開く力強い運動が求められている。集会の成功のために資金の面でも、参加者の拡大の面でもいっそう奮闘しよう。(事務局・高田健)
河辺一郎
これは5月28日に開かれた市民連絡会主催の第1回市民憲法講座での河辺さんのお話を、事務局の文責で要約し、中みだしを付けたものです。
私は国連の問題を研究しております。最近の常任理事国の問題、実は私、大変ショックを受けて、ここ数年間、過ごしてきました。このような問題がさっと復活して、市民権を得てしまった。しかもいわゆる穏健派と言われる新聞がこういうことを言い始めたわけです。たとえば朝日新聞。船橋洋一という記者がいますが、「日本は、自らの国連改革構想と国連常任理事国入りビジョンを提示することができる。外交次第では国連改革についての発言力も期待できる。首相は、またとない機会と舞台に恵まれている」と言っています。
あるいは毎日新聞は一貫して「常任になってなぜ悪い」という論説を展開しています。昨年の8月15日の社説・「アメリカ追従も一つの考えだ。安保理の常任になってもっと平和の枠組み作りに恒常的に関与する地位を真剣に求めていくべきだ。憲法を持ったまま常任になれば、国連の歴史は変わるんだ。戦争を放棄した国が世界の平和に関与する新しい概念を人類史に送り込む意気込みが必要ではないか」という論文です。昨年の9月20日、今年の5月3日の社説でも同じことを書いています。さらにいいますと5月19日に、あるいは4月8日の毎日の社説にこんなことまで書いてあります。「反日運動が起きた。確かに中国政府がこれをやらせているわけではない。しかし、中国政府は日本への不満は、日本政府が歴史問題で正しい態度をとってこなかったことが主な原因があると理解を示している。これは、よくない論法だ。常任を増やすかどうか、これは国連改革問題なんだ。日中間の歴史認識問題とは違う。そういう問題にすり替えた、煽動者たちを正当化することになるからだ」。毎日の論説委員から言わせてみれば、あそこで石を投げている中国人・韓国人は、問題をすり替えている煽動者ということになります。
産経・読売、この方がストレートです。たとえば産経は「集団的自衛権は持っているけれど、行使できない。こんなこと言っていてはだめだ。現状のままでも常任になれる。そんなのは無責任だ。憲法を変えろ」。「憲法を変えるために常任になるべきだ。常任になるために、憲法を変えろ」。産経はこういっています。ところが毎日はそうじゃない。「憲法を変えないで、常任になるから意味があるんだ」と。読売新聞は「常任になるのは当然である。ただしそのためには憲法を改正しなくてはならない」と。
国連問題を考える際に、ごく当たり前の常識の前の常識の問題が、しばしば理解されていないという一例をご覧いただきます。
「日本はこんなに金を払っているんだ、常任になって当たり前だ」というのが日本の中で一番選ばれている選択肢です。毎年、秋に政府が外交に関する世論調査を行っていますが、2003年までは「平和国家日本が常任になれば、世界の平和のために役立つ」というのが一番多く選ばれていたわけです。ところが2004年の調査からは「金払ってるんだから、なるのが当たり前だ」というのが多く選ばれるようになりました。こういう議論は国会の中でも何回も繰り返し言われています。たとえば、遠山清彦(公明党)。「国連に対して日本は多額の分担金を遅滞なく支払ってきた」。2002年の参院の外交防衛委員会。川口外務大臣もぬけぬけとこう言っています。「アメリカと違って誠実に払い続けている」。野田毅、元自由党ですよね。たとえば「凍結しても良いのではないか」こんなことを言い始めます。自民党だけではありません。民主党の木下敦。「旧敵国条項が国連憲章にある。これを削らないなら分担金を減らしなさい」。与野党問わず、こういうことを言っているわけです。
さて本当に払っているのだろうか。基礎的な資料を調べてみるとすぐにわかる。国連分担金を過去15年にさかのぼって、日本がいつ支払ったのかを一覧表にしました。国連分担金は、国連事務局から請求書が来て、30日以内に払うことになっています。これが内規になっています。国連の会計年度は1月から12月。毎年赤字ですから、年が明けたらすぐ請求書を送ります。ということは1月以内に払うのが基本です。ヨーロッパの先進国はだいたい1月から2月に払っております。日本はいつ払っているか。88年は4月でした。89年から9月になります。これは半年、7ヶ月、8ヶ月滞納しているわけです。92年から突然早くなります。何があったか。91年に国会でこういう質問が出ました。「日本は払っていると言うけれど、実は嘘でないか、9月頃というのは国連総会が始まる頃です。外務大臣や総理大臣が演説しにくる。そのときに払い込んでないと恥ずかしいと言うことで、そのときまでにかろうじて払い込んでいるのが、日本の姿です」と、そういう風に言われているぞ、という質問が出たわけです。質問されたのは秋葉さん。今、広島市長をされています。その時に当時の外務省国連局長がこういう答弁をしています。「遅い。誠に先生のおっしゃるとおりでございます」。認めちゃいました。何で遅いのか。それは為替レートをみて、日本が得するように払っているからです。これは、さっきも申しましたが、国連の規則に違反した滞納です。なぜ滞納するのか。ちゃんと官僚が認めています。
そういう質問が91年に出ます。あわてふためいて早めに払うようになりますが、また遅れ始めます。98年9月。99年10月。2000年9月。2001年は10月。なんと2003年には2004年3月にようやく払い終えています。2003年1月中に払い終えなくちゃ行けない国連分担金を、14ヶ月滞納したわけです。別格アメリカの前では影が薄いのですが、それを除きますと先進国の中でもっとも払い込みが遅い。
毎日新聞の編集委員たちは自分たちが何をやっているのか、国連で何をやっているのか、金を払っているのか調べていない。だから勝手に自分で理想を作って、無責任に期待を語ることができてしまっている。それが日本が常任になりたいという問題があっさりと復活して市民権を得てしまった背景にあるのかもしれない。
常任理事国になりたいというのは、世界のあり方に影響を与えるわけです。21世紀の世界を動かすわけです。国連憲章ができたのは1945年6月26日。効力を発揮したのは1945年10月24日です。第2次世界大戦が終わって、そのあとの世界をどう作っていくのか。このモデルを提示して見せたのが国連なわけです。これはもちろんよくない部分もありますが、しかし60年前によくこれだけのものを作ったといえるすばらしい部分もたくさんあります。その意味で国連のあり方を根本的に変えるということは、21世紀の世界をどうするのかという問題とつながるわけです。世界第2位の経済大国で、世界のGNPの14、5%をわずか1億2千万人がむさぼっている。東京都の年間予算は、中国の年間国家予算に近いものです。今でも6兆いくらあります。中国の予算が8兆いくらですから。同じ規模です。1200万人の石原慎太郎は、12億人の胡錦涛と同じくらいの金を使っているわけです。その巨大な日本が、より力が強くなった結果、世界のより小さな国が発言力を持たない人々がどうなってしまうのか。それが大事なわけです。
では国連は日本の中でどういう意味を持っていたのか。日米安全保障条約は、全部で10の条項からなっているのですが、10の内4条で国連に言及しています。前文でも国連に言及しています。特に第1条でこういっています。「締結国は、他の平和愛好国と共同して、国際の平和および安全を維持する国際連合の任務がいっそう効果的に遂行されるように国際連合を強化することに努力する」。世界にいろいろ軍事同盟がありますが、国連強化に努力するとぬけぬけと言っているのは日米安保条約だけです。
なぜここまで国連といわなくちゃいけなかったのか。理由は簡単です。条約を結ぶ以上、法律の中に条約を結ぶ根拠がなくてはいけません。ところが日本国憲法にその根拠がないわけです。軍事同盟を結ぶ根拠が。そこで国連憲章を持ってくるしかなかった。国連憲章は第51条にすべての国が持つ個別的集団的自衛のための固有の権利を安全保障理事会は妨げるものではないという規定があります。つまり各国は個別で反撃することもできるし、軍事同盟をつくることもできるよ、というのが51条の規定です。これが安保条約の唯一の根拠になったわけです。そうやって考えますと、砂川裁判の際の伊達判決というものタイミングが良くおわかりいただけると思います。砂川事件が起きたのは1957年の7月でした。東京地方裁判で駐留米軍と安保条約は憲法違反であるという判決を伊達裁判長が下したのが59年です。安保条約の改定が60年1月です。政府にとっては青天の霹靂だったわけです。安保条約を国連だと言いながら、改定しようとしたら前の年に裁判所が違憲だと言ったわけです。だからこそこれは意味があったわけです。あわてて政府は跳躍上告というのをやります。つまり高等裁判所を省いて、最高裁に持って行きます。つまり高裁をやっていますと、さらに2年ぐらいかかります。最高裁はすぐに判決を出します。59年12月16日。そこで出てきたのは何だったかというと、「高度な政治的な問題は裁判には馴染みません」。もっともらしいことを言っていますけど、具体的にこういっています。――我が国の存立の基礎にきわめて重大な関係を持つ高度な性質を有する問題である。違憲かどうかの法的判断は、準司法的機能を有する司法裁判所の審査には原則的に馴染まない。――判断できないと言った。
翌年安保条約が改定されます。全身に国連を身にまとってつくられるわけです。
そういう下でどういうふうに、日本がアメリカ軍を支え援助することが正当化されてきたのか。これは新安保条約ではないのですが、旧安保条約の時の審議ですけれども、こういうやりとりがありました。西村熊雄条約局長が答えています。質問したのは西村栄一さんという人です。この人よりも息子さんのほうが有名です。西村真吾。あれでも弁護士です。西村条約局長と西村議員に姻戚関係はありません。西村条約局長はこう答えています。「アメリカ合衆国は、国連の加盟国です。国連憲章によれば、戦争をするということは禁止されています。ただし武力行動は二つの場合許されています。一つは、第7章の規定によるか、――悪い奴がいたら国連軍がやっつけましょう――これが第7章の規定です。また第51条による個別的または集団的自衛権の行使の場合だけです」。こういったわけです。アメリカは国連加盟国です。だからアメリカが軍事力を行使するときは、国連の名前でやっつけるときか、自衛権のどちらかです。間違っても勝手にやっていると思ってはいけません。どっちかに決まっています。こういうふうに言ったわけです。日米安保条約は国連憲章の下で作られているんだ。
その後の答弁は99年3月12日になされた答弁です。周辺事態法の審議の時です。1996年に日米安保再定義が行われます。新ガイドラインができます。安保条約をもっと強化するぞ、自衛隊はもっと一生懸命にアメリカ軍を応援します。そうするためには最初に約束をつくりました。つくった上でその約束を実行するための法律を国内で作るわけです。そのときの答弁です。外務大臣ともう亡くなりましたが当時の小渕総理大臣と答弁を組み合わせてみました。「交戦国とは、戦争が合法であったときの概念です。国連憲章の下では戦争は違法なんです。ただし違法な武力行使に対して国連憲章に基づいて行動している国を応援しても、それは戦争ではないんです」。さてアメリカはどうかというと、国際法および国連憲章の義務を負っています。だからアメリカが合法的に武力行使をする場合とは、国連憲章の自衛権の行使としてやっている場合です」「アメリカは国連の加盟国です。日米安保条約も結んでいます。ということは違法な武力行使は慎む義務があります。周辺事態に関してアメリカが武力を行使する場合は、合法的な場合に限られるのは当然です。我が国の主体的な判断のもと、アメリカの協力をしても何ら問題はありません」。つまり50年間変わっていません。この答弁が決定的な力を持っています。この答弁に反論できないできたのは、戦後50年間野党や憲法学者の法的な限界だったわけです。
こうやってみますと、アメリカ合衆国が国連憲章に違反して武力行使をした場合どうなるかが大問題になります。これまでは「国連の加盟国だから、そんなことするわけないじゃないか。そんなこと、ゆめゆめ語ってはいけない」と言っていましたが、「万が一にもそういうことがあったらどうなるか」、それが今回です。今回、この姿勢を堅持し続けます。
2003年3月19日。衆議院外務委員会で川口外務大臣がこういう答弁をしています。「アメリカの場合には安保理の決議に基づいて、軍事行動を起こすんだ。それが当たり前なんだ。われわれはそう考えている。だから事務総長の発言というのは、このままもしイラク爆撃に突き進んだら、それは国連憲章違反の疑いがある」。そういう発言だった。その発言とアメリカ軍の武力行使は、矛盾がない。アメリカは安保理の決議に基づくに決まっている。前の日まで言っていたわけです。答弁するほうもつらいですよ。翌日、嘘だったことがばれます。
そこで「国連改革論」が出てくるわけです。高村正彦、彼は周辺事態法の時の外務大臣でした。この人はこういうことを言っています。「今こそ、我が国がリーダーシップを発揮し、国連改革を国際世論に訴えていくべきだ」。冬柴鐵三、「今回の一連の安保理協議を巡り国連は必ずしもオールマイティーではない。今こそ国連改革を議論するべきだ。日本はすでに国連分担金をたくさん払っているんだ。だから国連常任理事国になるべきだ。我が国がリーダーシップを発揮して安保理の改革を具体化しなくてはいけない」。ということは、誰でもわかるように言い換えるとこうなります。「アメリカは国連を無視して戦争を始めるはずはありません」と前の日まで言ってたのだけれども、今日起きてみたらやってた。困った。困ったので、「悪いのは誰だ。よくよく考えてみたら、武力行使を認めなかった国連じゃないか」と話をそっちに持っていったわけです。暴れ者がけんかを始めた。けんかしている暴れ者が悪いんじゃなくて、それを止められなかった方が悪いんだ。あるいはそれを認めるべきだったと、話を持っていったわけです。そのためにはどうしたらいいか。国連改革、すなわちこれは安保理改革です。けっして「人権委員会を強化しましょう。環境問題を強化しましょう、軍縮をがんばりましょう」じゃないわけです。安保理に焦点が当たります。「安保理を改革してイラク爆撃を認めるような安保理にするべきだ」。そのためにはどうしたらいいか。冬柴さんいいこと言ってます。「我が国が常任になればいいんだ。そうすればもっとできた」。国連改革という話が安保理に焦点が当たり、さらに常任の問題に話が移り変わっていく背景です。その当時から明快に出ています。苦しい答弁を続けている川口さん。彼女も前の日までアナンさんの「国連憲章違反の武力行使ではないか」という発言。それとアメリカの武力行使は矛盾しませんと、3月19日まで言っていたのですが、爆撃が始まったら、開き直ります。3月24日、5日後です。このとき民主党の議員に質問されます。そのとき彼女は「伺いますが、アナンさんに安保理の決議を解釈する権限があるのか。アナンさんは所詮事務局長じゃないか。決めるのは安保理なんだ。事務局長に決める権限はないんだ」。つまり逆に言いますと、使えるときに国連を使う。使えなくなったら無視する。これをよく証明したわけです。
国連中心主義が提唱されたのはいつだったかといいますと、正式に政策として外交目標として設定されたのは1957年のことです。57年9月に外交青書第1号が出されます。ここで初めて外交3原則が明文化されます。第1に国連中心、第2に自由諸国との協調、第3にアジアの一員としての立場。このことは大切です。西側とは協調する。アジアについては一員、協調するとは言っていない。このときの総理大臣は岸信介です。岸はよくわかっていたわけです。岸の指令を受けた外務官僚はよくわかっていたわけです。実際に外交3原則を作った人に会ったことがあります。齋藤という数年前に亡くなった人です。彼はこういうことを言っています。国連中心は何だったかというと、立派なきれいな門をつくってその裏でこそこそやる、というのが国連中心主義の意味だったんだと後で語っています。彼はこうもいっています。「少しアメリカよりの態度を政府がとろうとすると、国会で日本もアジアの一員ではないかとたたかれる。それは致し方がない、アジアの一員の態度をとろうとすると、アメリカから文句出る。そこで考えたのが国連中心主義です」。そこで国連中心主義は安保の法的根拠にもなったわけです。ところが北岡はこう言います。「そんな美辞麗句ではない。つまりアメリカは国連加盟国だから、アメリカが武力行使をするときは、合法な武力攻撃に決まっている。だからそれを防衛しても違法ではない」といってきたけれど、米国は明白に国連を無視してやった。となると国連中心主義を掲げてきた理屈が困ってします。そこで北岡は、国連中心主義脱却を打ち出したわけです。
北岡伸一は何を言ったかというと国連と関連づけないと立法ができない現実がある。これを再検討しろと。どういうことかというと、憲法を変えろと言うことです。しかも彼は集団的自衛権の行使についても解釈の変更を求めています。それを外務省から対応が出てくることを求めています。政府の解釈、大臣の解釈、内閣としての解釈、それを官僚として変えろと彼は言っているわけです。こういう人間が国連大使なわけです。
最後にいくつかだけご紹介しましょう。
1990年代というのは、実は世界にとって大きな10年間でした。冷戦が終わって世界はこれから、爆弾を落とすから平和なのか、爆弾を落とさないから平和なのか。環境問題を重視するから平和なのか。環境問題なんて関係ないと思うから平和なのか。あるいは軍縮するから平和なのか。軍縮しないから平和なのか。裁判所をきちんとつくるから平和なのか。そんなのは邪魔だ。無視するのが平和なのか。これらを大きく争った、これら二つが大きく問われた時期です。
アメリカ合衆国が国際刑事裁判所に反対している理由は明白です。たとえばボルトンはこういっています。「アメリカが攻撃されたら、当然国際刑事裁判所に裁いてもらわなくちゃいけない。だけど、もしアメリカ合衆国大統領が、うっかりここで軍事行動の命令を出したら、自分が裁かれるようなことがあってはいけない」。つまり自分が攻撃されたら、裁いてね。だけど私を裁いちゃいやよと言ったわけです。なぜその理屈が通るかというと、世界に「ならず者」がたくさんいるから。その「ならず者」が国連をうろちょろしているではないか。その国連が裁判所を独立してつくるんだ。この意味で理屈は合っています。たとえば、こういう動きが一方では、爆弾を落とすから平和だという考え方が、たとえばPKOをどんどん軍事化させた。これは90年代前半に起こります。また、98年99年にはアメリカが、イギリスが、イラクを爆撃する。98年12月です。99年3月には完全に国連を無視してコソボ、旧ユーゴをNATO軍が爆撃しました。しかし今度はそれに対抗して、PKOを何とか非軍事的なものにしよう。そういう部分を強化していこう、こういう動きも起きます。たとえばオーストリア、スウェーデンなどはそういう動きに特別努力した。計画プログラムをいろいろ作っている。また、1996年には、 国際司法裁判所が、核兵器は原則法律違反であるという意見を出しました。これを推進したのも核を持たない国やNGOでした。97年に対人地雷全面禁止条約が成立しています。軍縮条約に初めて成立した全面禁止の条約です。またこの年には京都議定書も成立しています。98年には、先ほど言いました国際司法裁判所の規定も採択しています。これらは喧嘩っ早い世界とは別に何とか非軍事の形は作れないだろうか、そういう努力だったわけです。
実は日本はこれらの問題に一貫して一定の立場、一方方向の立場をとり続けました。たとえば、国際司法裁判所が核兵器は法律違反だと言ったとき、日本はどうしたかと言いますと、最後まで法律違反だとは言いませんでした。それどころか当初は核兵器は国際法違反とはいえないという意見書を出そうとすらしています。またナウルという太平洋の小さな国が広島と長崎の市長を自分たちの代表団の参考人に招こうとしました。日本政府はこれに慌てます。さすがに。いくらなんでも広島・長崎の市長をよその国の代表団の参考人に持っていかれては、これは面子丸つぶれ。そこで仕方なし、あわてて「おまえたち代表団に入れてやる」と言います。言いますが、すぐ釘を刺します。「その代わり、核兵器は法律違反だと言うな」。これは、非公式な発言・要請でしたが、平岡・広島市長がばらしました。そういう要請があるんですよと。また、裁判官、国際司法裁判所の裁判官は15人ですが、このとき一人が空席になっていて14人でした。一人日本人の裁判官もいました。この日本人の裁判官、唯一門前払いを主張します。こんな問題を国際司法裁判所にもってくるな。けしからんと言うことで。伊達判決の時の最高裁と同じですね。それを真似たわけです。笑っちゃうのは、この人の意見、誰も賛成してくれませんでした。核兵器は合法だと言った裁判官が4人いました。一人はアメリカ、一人はイギリス、一人はフランス、この3人とも日本人の裁判官の門前払い意見は支持しませんでした。あわれなことに日本人裁判官は一人孤立しました。小田滋という男です。ところが日本ではこの人は未だに批判されていません。右翼もリベラルもアメリカは悪いということは言います。しかし問題なのはアメリカ帝国じゃなくて、日本帝国じゃないか。アメリカの中ではちゃんと議論されている。少なくともアメリカ国民の半分はブッシュに反対している。今でもぎりぎりのところで争っている。そこで議論されているのは正義感。何が平和なのか。アメリカは正しいのかと言うことです。ところがアメリカは帝国主義でけしからん、とリベラルが合唱している日本では「正義か、平和かなんて関係ない。仕方がないんだ。石油が大事だから良いじゃないか。国連大使誰がなっても良いんじゃないの?」それが通っています。だとすると、この国の論理構造が一番問題じゃないか。
最近こういうような題名の文章を立て続けに書きました。「知性の危機」ですとか、「崩壊する論理と倫理」ですとか。それはこのためです。そういう中で改憲が問題になってくる。もういっぺん最初に言ったことを繰り返します。この巨大な力を持った日本が国連の中でも安保理当選回数、世界最高です。日本の当選頻度は、日本の国連加盟以来35%、つまり3割以上日本は安保理に関わっています。安保理を五大国が動かしているとするならば、常任理事国が動かしているとするならば、日本は6番目の力を間違いなく持っているわけです。しかもそれはただの6番目じゃない。20%の金を払っている6番目です。その国がより大きな力を持ったとき、世界がどうなるのか。しかもその国は「仕方がない」ですむ、「石油が大事だから良いんじゃない」ですんでしまう状態である。しかも、口を動かせばアメリカはおかしい。右も左も口をそろえて言う。そこに一番の危機があるのではないか。
今、むきだしの日本ナショナリズムとエコノミックアニマルを、改憲は、それを野に解き放そうとすることに他ならないのではないか。ただし、まだ野に解き放されたわけではありません。まだ間に合う。それが我々の唯一の望みであるし、まただからこそ頑張らなくてはいけない理由ではないだろうかと思います。
(かわべ・いちろう 愛知大学教員)
6月8日(水)、衆議院議員会館で「憲法改悪のための国民投票案反対 市民と国会議員の院内集会」が開かれた。主催は市民連絡会も加わっている憲法共同会議で、約100名の市民が集まった。
西原美香子さん(キリスト者平和ネット)と高田健さん(市民連絡会)が司会を担当し、山口菊子さん(女性ネット)が主催者から挨拶をした。
国会報告では、はじめに糸数慶子さん(参院・無所属)が発言し、かつて平和憲法のもとに復帰した沖縄の思いから法案反対の意見を述べ、米軍基地撤去と沖縄経済の振興などについて話した。民主党の喜納昌吉さん(衆院議員)は個人の立場での参加であると断りながら「国際法と憲法は整合性を持たねばならず、今の日米安保条約と憲法との関係を変えることで、平和憲法を進化させることが必要だ」と話した。
共産党の山口富男さん(衆院議員)は、「衆参両院の委員会から報告書が出され、今後は憲法調査会の常設委員会への衣替えを狙っている。これは96条を具体化するという口実で国民投票法をつくるだけでなく、9条を壊すことが目的だが道理がない。フランスのEU憲法についての国民投票の結果を見て、中山太郎氏は複雑だったようだ」と報告をした。福島瑞穂さん(社民党党首・参院議員)は憲法調査委員会の衣替えの問題点を指摘した後、「郵政民営化で国会の会期延長が出ているが、国民投票法案はメディア規制など問題が沢山あり、延長にはしっかり反対していく。ルール違反だ。モンゴルで開かれた国際会議の宣言にも、日本の憲法擁護を入れた。あわせて進んでいる日米間の基地再編にも反対していこう」と話した。社民党の土井たか子さん(衆院議員)は、「最終報告が出されたが、憲法は誰のためにあるかが争われている。改憲派は国があって国民があるという立場だ。9条2項の集団的自衛権が焦点。勝つためにあらゆることをしょう」と決意を語った。各党議員の報告の後、第2次分の署名として26619筆の署名簿を提出した。
つづいて毎日新聞社記者の臺宏士さんが「メディア規制の角度から見る国民投票法案」と題して、報道の現場にいる立場から報告した。臺さんは、憲法13条の公共の福祉と21条の表現の自由との関係を話し、「平和を作り出すことを表現の自由との関連から見てほしい」と強調した。
市民団体からは、福山真劫さん(平和フォーラム)が、「連合」の中での憲法についての討議状況についてふれ、近々討議が始まることを報告した。松村真澄さん(GPPAC Japan)は、7月中旬に武力紛争予防のための国際会議が開かれる意義を報告した。
最後に吉原節夫さん(平和憲法21世紀の会)は、今国会の開催時にも法案反対の集会を行い終盤の現在も引き続いていることは、少なくともこれまで阻止できている。ひきつづきがんばろう」という閉会の挨拶で締めくくった。
(土井登美江)
60年の安保反対闘争で樺美智子さんが殺された6月15日。東京大学駒場校舎内で、「憲法行脚の会」と「憲法行脚の会」を招く学生実行委員会によるもので、衆議院議員の加藤紘一さんと「九条の会」事務局長の小森陽一さん、「行脚の会」の佐高信さんを招いた講演会があった。数百人は入る講堂は始まる前から満員の状態。はじめに学生実行委員会から、「九条の会」の呼びかけに共感した大学内での取組みと本講演会開催の経過などが報告された。
加藤紘一さんは60年安保当時院外のデモに加わったり、同時期に議員だった父親の院内の姿にふれてギャップに悩んだことや議員になるまでの経過などにふれた後、自身の憲法観を語った。加藤氏の意見によると、憲法は変えてはいけないのではない。環境やプライバシーや私学助成などについてコンセンサスはある。9条はどうか。自衛権はあると思うし、自衛隊の今の姿と9条とはかなり無理があるので、変えたほうがいい。では集団的自衛権とは(1)日本の周辺国との関係を具体的に見れば二国間とは日米間しかない。今の片務的を双務的条約に変更要求されたときのことだが、これは十数年後に課題になる。(2)国連での加盟国の義務として警察力の派遣要請があったとき。(3)アジア地域の安全保障機構ができ、安全保障の要求が生じたとき。この3つの場合には改憲が必要になる。解釈改憲や国会の決議などでは可ではない。一方9条は戦後の宣言的、政治的性格も有している。アジア諸国や諸外国の目はある。戦後の戦争責任の問題について、日本は責任者が誰か論議が出来ていない。天皇の統帥権の問題も出てくるし、14人の戦犯の裁判のこともある。だからサンフランシスコ講和条約で書かれた約束は守らなければならない。憲法を変えるなら根っこからの論議が必要で、この国とは何か、日本とグローバリズムなどの問題も考えられなければならない。
加藤さんの講演への質疑応答や、佐高さんと小森さんのトークなどにより会場はおおいに沸いた。(土井登美江)