私と憲法49号(2005年5月30日発行)


「憲法調査常任委員会」の設置のための国会法改定に反対し、憲法改悪国民投票法案の成立をはばもう

162国会会期末まであと20日もない。しかし永田町では会期の大幅延長が規定のものとされようとしている。これに乗じて改憲派が熱望している「憲法調査常任委員会」(仮称)設置のための「国会法改定」案が提出される可能性がある。法案については、すでに自公与党と民主党の間で基本合意がある。その後、ここで「憲法改正国民投票法」案を審議することが目論まれている。

間違えてはならないことだが、憲法「改正」国民投票とはいうものの、その狙いは憲法9条を変えて「集団的自衛権を行使できる国」、米国と一緒に「戦争ができる国」になることをめざすもので、憲法「改悪」国民投票法案だ。9条改憲派の策動が強まってきている今日、「憲法9条の改悪」という意図と切り離して「改憲の手続き法案」の是非や「まっとうな」対案を論ずるのは見当違いだ。

この法案は2001年に「超党派」の憲法調査推進議員連盟がつくった「国会法改正案・国民投票法案」(議連案)と、これに修正を加えて2004年12月の自民・公明の与党協議会実務者会議で合意された「日本国憲法改正国民投票法案骨子」(自公案)であり、民主党にはまだきちんとしたものはない。

  1. 自公案では「改正点が複数にわたる場合の提案方法」について、各条文・項目ごとに提案するか、全体を不可分一体として提案するかは、「憲法改正の発議の際に別に定める法律の規定によるものとする」とし、「国民投票実施法」(仮称)を別に法制化することを想定している。こうして問題の先送りをするのは自民党の改憲派の多くが「一括投票」方式を考えているからだ。一括投票方式を企てる人びとには「9条改憲反対」の声を「新しい人権」の導入で薄め、改憲を支持させようとする意図があることが見え見えだ。複数条項にわたる改憲案に対する民意を極力正確に受け止めるためには「一事項・一投票主義」(ワンイシュー・ワンボート)で行う以外にないのは明らかだ。
  2. 自公案は国民の承認に必要な「過半数」の賛成を「有効投票総数の2分の1を超えた場合」としているが、憲法96条の規定は「有権者の過半数」または「投票総数の過半数」を意味しているとも考えられ、自公案は改憲派に最も有利な解釈を一方的に規定したに過ぎない。
  3. 自公案は「国民投票の有権者」は「(国政選挙の)選挙権を有する者」とした。議連案にあった「投票権者は、国政選挙の選挙権を有する者のほか、軽微な選挙違反による公民権停止者などを含む」ものとされていた点は撤回された。しかし議連案が示唆する通り、憲法に関する国民投票の有権者は公選法と同一である必要はない。それどころか、正当と考えられる限り、多くの人びとに門戸を拡げるべきだ。「公選法違反者」を加えるかどうかの問題はさておき、永住外国人や義務教育終了を意味する15歳以上の者は有権者であるべきだ。こうした動きはすでに一部自治体の住民投票では実施されている。
  4. 国民投票の期間は議連案が発議から起算して「60日以後90日以内において内閣が定める」としていたが、自公案は更に短縮し「30日以後90日」とした。このねらいは改憲派(権力者)に有利なうちに国民投票に持ち込もうとするものにほかならない。有権者が改憲という大問題について、その態度を決めるための期間は半年あっても足りない。
  5. 憲法改定に関する国民投票運動の規制はできるだけ緩和すべきだ。自公案が「公務員等及び教育者の地位利用」「外国人の国民投票運動」などを禁止しているのは、「罰則」として「買収罪、国民投票の自由妨害罪、投票の秘密侵害罪、国民投票の規制違反の罪、その他の罪」をあげていることと合わせ、昨今の警察・検察権力によるビラ配布逮捕事件などの風潮が強まっていることを考えると極めて危険なものがある。
  6. また自公案が「新聞紙又は雑誌」「放送事業者」の「虚偽報道等」「不法利用等」の禁止を詳細に規定し、メディア規制をはかっているのも重大な問題と考えられる。
  7. 最後に、自公案には投票成立規定がなく、投票率がいかに低くても「成立」とされてしまう。最高法規たる憲法についての国民投票は最低限、有権者の過半数の投票参加が必要であるというような規定が不可欠だ。この問題を「国民を信頼するかどうかだ」などという情緒的なレベルの議論にすり替えるのは正しくない。民主案では、50%要件は「反対派のボイコット運動を誘発するリスクが想定しうるので検討継続」としているが、その賛否は別としても合法である限りはボイコット運動も意思表示のひとつの方法ではないか。

以上、見てきたように自公案は九条改憲を実現するための法案であり、法案としても重大な問題が多々ある問題法案だ。
(高田健 事務局)

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2005年5・3集会に参加して

外はオーロラビジョンで集会参加

中尾こずえ

今年の5・3憲法集会は場外のオーロラビジョンを設営したのが大きな特徴のひとつだったと思います。入場できなかった参加者用に用意したのでしたが、事前にチラシなどで案内していたのが功を奏してか、あらかじめ「私は野外で参加しよう」と決め込んでいたのか、巨大なモニターテレビの前に早々とレジャーシートなどを拡げる参加者が目立ちました。お弁当やお茶を持参している人、小さな子連れファミリー、車いすで参加された人たちなどが、五月晴れの新緑のなかでゆったりとくつろぎながら開会を待ちました。

思い起こせば、この日比谷で集会を行ったのが5年前。あいにくの小雨模様で肌寒い1日でした。入場を松人びとは日比谷駅までつながっていたと聞きます。会場内はすぐ満席となり、入場を制限された人びとのいらだちの声が飛び交いました。受付のテーブルは入場しようとする人びとの勢いにおされて、受付担当だった私はハラハラとして事故が起きなければと緊張したものでした。そこで弁護士の内田雅敏さんが大奮闘、テーブルに飛び乗って、中の状況を説明しつつ、人数を小分けにして入場させる案内をやったのでした。あっという間に、通路、会談、ロビーは参加者で埋めつくされました。それでも入れなかった人びとは無念の気分いっぱいにして、外にあふれていたのです。と、こんな経験を経て、今年の5・3」はオーロラビジョンの対応で全員参加可能型の集会の実現となったわけです。

開会時刻が近づくにつれ、モニター画面を取り囲む人びとの輪は広がっていきました。広い日比谷公園のずっとむこうの第一花壇のほうまでも憲法集会を見守る人びとが広がっていきました。それは誰が仕切る訳でもないのに、整然と美しく広がっていったのです。このモニター画面で登壇者のアップや集会のさまざまな角度を観ることができたのもラッキーでした。

集会を見守る人びとは講演者の話に拍手を送り、神楽坂合唱団のコーラスなどを楽しみました。会場は内外ひとつになって「改憲NO!」の決意をまたあらたに確認しあったのではないかと思いました。

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壇上から感じた熱気

星野正樹

今年の憲法集会では、なんと司会を担当することになってしまった。

直前までは全く実感がなかったが、当日会場に行きすでに並んでいる人を発見した途端に、じわじわと緊張感が高まってきた。 開場すると続々と人が入ってきて、あっという間に会場はいっぱいに。日比谷公会堂は客席が舞台に迫ってくるような作りで、ステージからでも参加者の顔がよく見える。舞台袖から会場の様子を見ているうちに、ますます緊張してきた。

進行に関しては、準備していただいた進行台本に沿って、伝えるべきことを会場にしっかり、はっきり伝えることに徹した(それしかできなかったともいえる)。

それぞれのお話をちゃんと聞く余裕もあまりなかったが、三木睦子さんの全身を振り絞って話される姿を間近にみて、こうした方々の志を受け継いでいかなくては、ということをあらためて強く感じた。

もっとも緊張したことは、この日右翼が多数の人数を動員しており、会場で集会を妨害するかもしれない、その際には司会から毅然と制止するように言われたことだった。右翼は朝から会場周辺で騒いでおり街宣車50台、350人を動員しているという情報もあったので心配だったが、さいわいにして(会場内では)何事もなく終わり心底ほっとした。

今回の集会で一番印象的だったのは、参加者の眼差しが本当に真剣だったこと。発言者の一言一句も聞き漏らすまい、という熱気が伝わってきた。妨害者がいたとしてもこの熱気に気圧されて何もできなかったのでは、と思ったほどだった。

時間が押して、デモ出発時間の調整など最後は慌ただしかったが、本当にいい集会だった。戦後60年という節目の年の憲法集会に、司会というかたちで参加できたことは自分の中でとても大きな経験として残ると思う。

終わったあと「オーロラビジョンでアップで写っていたよ」と何人かからいわれた。いわれたのが終わったあとでよかった。最初にいわれていたら、恥ずかしくて何もいえなかったかもしれない。

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憲法調査会の5年間を振り返って

小川良則(憲法を生かす会)

【最初に結論ありきの「最終報告」】

憲法の実施状況を検証することもなく,体系的な論点 整理もかみあった議論もないまま,憲法調査会は4月15日に衆院,20日には参院と,それぞれ,改憲が多数意見であったとする「最終報告」なるものを取りまとめた。

一度でも傍聴した人なら,議論の空疎さもさることながら,欠席,遅刻,中座,私語,居眠り,「内職」など「学級崩壊」さながらの状況に呆れ果てたことと思うが,こういう議員たちが教育問題を語ったり,定足数規定の削除を主張しているのは象徴的だ。

そして,調査会での議論の空疎さを反映して,報告書の中身もまた,膨大な頁数にもかかわらず空疎なものと言うほかない。もともと,小選挙区制という民意が反映されない選挙制度の下で選ばれた会派ごとの議席構成に応じた委員構成を取る以上,発言時間も発言数も,参考人の人選と傾向も最初から判っていたことであり,意見の多寡ではなく,どんな問題点が指摘されたかという議論の「質」を問うのでなければ意味がない。しかも,現行制度下でといった形で議論の対象を制約しておきながら,天皇制廃止の主張はどこからも出なかったと強引に結論づけるような手口もペテンと言うほかない。

【新ガイドラインとともに登場】

この憲法調査会がスタートしたのは2000年1月の第147通常国会からだが,その根拠となる国会法の改「正」は周辺事態法や盗聴法等が強行された悪法粗製濫造国会とも言うべき1999年の第145通常国会である。これは決して偶然ではない。

憲法公布や施行50年にあたる1996年から97年にかけて,日米安保の「再定義」,米軍用地特措法の改悪,新ガイドラインと9条に対する破壊攻撃が進む一方,自民党は,まずは9条以外の部分で改憲癖を付けてという憲法方針を打ち出してきた。そういう時期に,表向きは「新しい人権」等について「議論するだけ」という触れ込みで旗揚げしたのが「改憲議連」である。ということは,いくら議案提案権がないとか,改憲を目的とするものではないと言い繕っても,明文改憲を具体的な政治日程の射程圏内に入れたとことを意味するものだ。その証拠としては,実際に発足するや,調査は2年程度で切り上げ,各党の改憲案を持ち寄ろうという発言まで飛び出したことを指摘しておけば十分であろう。

【改憲論のレベルの低さ】

5年間の議論を通じて明らかになったのは,?永田町の意識と民意の乖離と?改憲派の論理の驚くほどのレベルの低さである。このうち,?については,公聴会では,どこへ行っても改憲派は劣勢で,マスコミも「中央は改憲・地方は護憲のねじれ現象」と報じたことを指摘しておけば十分だろう。

一方,改憲論の破綻ぶりは枚挙にいとまがない。まず,社会契約論のイロハを知らないから,憲法とはそもそも主権者の為政者に対する授権規範であり,本質的に権利章典であるという立憲制の基本原理が判らない。だから,憲法擁護義務の対象に国民も入れろとか,義務規定を追加せよという的外れな議論が展開されることになる。

「新しい人権」を唱えておきながら,「橋の下に寝る自由」から「恐怖と欠乏からの自由」へという人権の歩みに対する理解が決定的に不足しているから,世界恐慌を契機として社会権や福祉国家が唱えられるようになった意味が判らない。だから,分権の意味を歪曲し,自己責任の名の下に,ナショナルミニマムの保障の放棄を公言してはばからない。

侵略戦争とそれをもたらした体制に対する反省がないから,政教分離の意味が判らない。だから,総理には信教の自由(=参拝の自由)がないのかという詭弁が展開され,学説・判例上も決着済の私学助成の問題を蒸し返してまで,89条(公費支出の制限条項)を削除しようとする。

そして,歴史と伝統と言えば聞こえがいいが,それが神話に過ぎないことを自ら暴露したのが2004年12月2日の衆院における坂本剛二議員(福島5区・自民)による「2600年(=神武紀元)の伝統」発言である。

【財界による国家改造計画】

憲法調査会における議論やイラク派兵など実際の憲法状況と平行して,2003年の経済同友会をはじめ,昨年暮れの日本商工会議所,今年1月の経団連と,財界からの改憲提言が相次いでいることも見逃せない。そこに共通しているのは,集団的自衛権の解禁と福祉国家の解体,迅速な意思決定と称する民主的プロセスの破壊である。

つまり,アーミテージに恫喝されるまでもなく,在外権益の確保のためには,常時海外に戦力を展開できる体制を用意しておきたいということと,新自由主義的な施策の推進のためには福祉国家という枠組自体がもはや桎梏になってきたことから,支配層総体の意思として改憲に向けた並々ならぬ決意を示してきているのである。

それを象徴するのが,2003年2月12日の衆院における矢島経団連専務理事による「会社が生き残らないことには元も子もないから雇用の流動化と賃下げは不可欠」発言であり,2000年12月7日の衆院における渡部昇一による「金持ちを優遇しない国は衰退する。貧乏人は金持ちの家の掃除をやっても食っていける」という池田勇人の「麦を食え」発言も顔負けの暴言である。そこには,自らの利潤追求のためには,内外の民衆を踏み台にしてはばからないという支配層の本音が露骨に表現されている。

【ポスト調査会,そして改憲国会を許すな】

経過や内容への不満はともかくとして,最終報告という当初の目的を果たした今,憲法調査会という臨時の機構は速やかに解散するのが物事の道理である。しかし,今,現実に進められようとしているのは,改憲常任委員会への衣替と改憲手続法の強行である。

こうした動きを許す訳にはいかない。改憲派の狙いを正しく見抜き,広く伝え,世論を形成していこう。暮らしの実感を声に結びつけ,どう運動へとつなげ,拡大していくのか。そのためのネットワークづくりが今,真剣に問われている。

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