「国会議員には憲法99条で定められた憲法尊重擁護義務がある。しかし、今日、憲法3原則のいずれもが衰弱している。これは逆ではないか。まして96条の改憲規定の緩和を先行させるべきだなどという意見がでるのは憲法の自殺行為だ」、10月28日午前、「国民投票制度について」をテーマに開かれた衆議院憲法調査会での議論の最後に土井たか子委員(社民)が怒りを込めて大声で発言した。
この日、改憲のための国民投票(レファレンダム)制度が取り上げられた。改憲派の委員たちは「改憲の国民投票法をつくらないのは国会の不作為だ」(園田康博・民主)とか、「6割以上の人びとが改憲を望んでいるのに法整備をしないのはおかしい」(葉梨康弘・自民)など、国民投票法の制定を主張した。これにたいし、土井委員や山口富男委員(共産)が「改憲を政治日程に乗せるための法制は要らない。むしろ95条で住民投票制度の制定に現代的な光をあてるべき」(山口委員)などと反論。辻恵委員(民主)も「世論調査は断片的で、改正の余地があるという意見の総和が6割だから改憲をというのはおかしい。改憲の機は熟していない。自民党は地方政治への直接投票制度の導入を恐れているのではないか。国民の権利と義務など立憲主義に反する議論が自民党内で行われている。危険だ」と主張した。
冒頭の土井発言は「改正手続が厳しすぎる。改正手続の改正を先行させよ」(永岡洋治・自民)、「憲法改正手続法は必要だ。同時に改正条項も緩和せよ」(加藤紀文・自民)などという意見への反論だった。
公明党は「国民投票法は必要だが、どういう改憲の発議を想定しているか、それを議論する憲法委員会の設置は必要だ」(太田昭宏)、「立法不意作為だから国民投票法をつくれと言う意見には違和感を感じる」(赤松正雄)などという立場。これは結局自民党改憲派に下駄の雪でついていくことにならないか。
注目すべきは「法策定に際して、運動は原則自由と言うだけではダメだ。国民投票のルール(規制)をきちんとつくれ」という意見が自民党の委員からいくつか出たことと合わせて、保岡興治委員(自民)が、「だから法案策定の前議論が超党派で必要だ」と強調していたことだ。憲法委員会(常任委員会)はこういう論理で国会法を改定して導入されようとしている。また保岡委員と太田委員からは「国民投票を国政選挙と同時に実施するのはむずかしい」という意見も出た。これも注目しておかなければならない。
奇妙なことに、議論は熱くなっているがなぜか委員の出席は悪い。この日は20人(定員50人)に満たないこともあった。自民と民主の委員からは「2大政党制のもとでの国民投票制度の意義」(枝野幸男・民主)などという議論もでており、「たしかに世論調査では9条改憲という意見は5割に満たないが、護憲派の議席は5%にも満たないではないか」(保岡・自民)などの発言と合わせて、この「たるみ」には議席の圧倒的多数の下での改憲派のおごりがあらわれているのかもしれない。
(事務局・高田健 本稿は「週刊金曜日」連載の原稿に大幅に手を加えたもの)
市民連絡会事務局 土井登美江
憲法改正に向けた国民投票法案が、次期国会に上程されようとしているなか、10月23日午後、東京・千代田区の日本教育会館で国民投票法案をテーマにして「10・23憲法シンポジウム」が開かれた。主催はこの間、5・3集会を開催してきた市民連絡会など8団体による実行委員会で350名の市民が参加した。パネリストは江尻美穂子さん(日本YWCA理事長)、高橋哲哉さん(東京大学教授)、渡辺治さん(一橋大学教授)の3氏で、発題の概略は次のようだった。
江尻さんは「9条改憲と平和の願い」をテーマにして自らの体験を話した。中学1年で敗戦を迎えたときに先ず思ったことは、今日から防空壕に駆け込まなくてもよいということだった。その後、健康教育に携わるようになるが、健康を間違って解釈してはならない。戦争中の健康は、男子は戦争に行くためで、女性は子どもを産むためだったが、健康は人権として保障されなければならないものだ。
日本YWCAは100周年を迎えた。戦争中に戦争反対を叫ぶのは難しく、第二次大戦を止める力にはならなかった。その反省の下に日本国憲法を守ることを基本理念にしている。1962年から憲法研究会を続けている。また世界のYWCAとつながっているので、東チモールやパレスチナ、アパルトヘイトなどにも取り組んできた。9・11後のアメリカの対テロ戦争では、ブッシュ大統領に手紙を出し、有事法制では日本政府へも要請文を出した。小さな力でも活動していくことが変化につながる。
改憲をしようという人は日本国憲法を与えられた憲法というが、良いものは大切にするもので捨てる人はいない。世界の人たちは日本の憲法を高く評価している。朝日歌壇に「徴兵はいのちかけても阻むべし 母 祖母 おみな牢に満つるとも」という歌があった。今は情報がたくさんある時代だ。何が正しいか見抜けるようにしなければいけない。何も言わなければ改憲派に利用されてしまう。いまこそ意思表示しよう。
高橋哲哉さんは「憲法問題に対する各党の態度」について話した。雑誌取材で自民党の保岡興治、公明党の赤松正雄、民主党の仙谷由人にインタビューした。それぞれの党の憲法問題の座長だ。自民が6月に出した論点整理では、安全保障問題は9条改憲で予想どおりだったが、「国柄」という言葉が頻出している。わが国固有の歴史、文化にもとづく新しいアイデンティティーが国柄で、国柄を国体に等置している。国柄にふさわしい憲法にするために、たとえば24条は家族や共同体を重視する立場から見直すべきで、保岡はジェンダーフリーを問題にしていた。天皇制についても、主権在民に基づく象徴という地位ではなく、天皇の地位の本来的根拠を国柄にあるとしている。政教分離についても靖国参拝や天皇の代替わり行事などを憲法違反にならないように変える根拠が国柄になる。もう一つは立憲主義の否定だ。「国家と国民の共生社会にする」ということで、憲法の権力制約規定をはずし、逆に国民に憲法擁護義務を課そうとしている。自民党は復古的、国家主義的憲法を準備している。
民主党は、イラク戦争反対の根拠を国連憲章違反だとして小泉政権を批判している。同様に、国連の安保理事会で承認された武力行使には、日本も積極的に参加できるように憲法も変える方向だ。国連の承認があれば国連軍または多国籍軍に自衛隊を派遣することが必要だとしている。湾岸戦争の時も世論さえ許せば、米英軍とともに自衛隊も戦ってかまわない、その時に備え憲法論議をまとめる、という。公明党の赤松は、党の中では明確な9条改憲派だ。
また、改憲論議と教育基本法改悪はセットだ。教基法を変えることは憲法の実現の手段を失うことになる。教基法改悪反対のためにも闘おう。
渡辺治さんは「改憲国民投票法とは何か、いかに立ち向かうか?」について話した。改憲派の議員の中には国民投票法をこれまで作らなかったことは立法の不作為などともっともらしく言う。しかし、これは改憲を発議する国会で3分2の賛成が得られないという第一のハードルが高かったためで、かつて自治省が準備しようとして立ち消えになった。国会勢力の変化で戦後60年にして始めての国民投票法だが、(1)一括方式か各条ごとの賛否か、(2)「その過半数」のそのとは有効投票数か、有権者総数か、国民なのか、(3)国民投票に向けての運動をどのように認めるのか、など法案の内容は改憲の成否を決めるものとなる。
国民投票やその法案をめぐっていくつもの考えがあるが、いずれにしても改憲の発議を許さないような闘いなくしては国民投票では勝てない。改憲側は9条改憲をやりやすくする国民投票法を作り、これによって事実上の改憲連合が形成される。しかし9条だけでなく新しい人権や地方自治などに力点のある改憲論者も根強く存在し、改憲勢力にも弱点はある。一方9条改憲に反対する人は世論調査でもまだ多数だ。国民の過半数の人の声をいかに力にできるかが鍵になる。いまは少数になった社共などの護憲勢力に投票する人のわくをどこまで突破していけるか、今までにない規模の運動をどうつくるかにかかっている。
発題のあと限られた時間ではあったが、民主党はまとまるか、いくつもの条文を変えるのに3分2の賛成が得られるか、マスコミの状況についてなど、多くの課題で会場と応答があった。国民投票法案という改憲に向けての動きが強まるなか、運動とリンクした実のあるシンポシウムとなった。
活かそう憲法!北摂市民ネットワーク 松岡幹雄
大阪講演会が、九条の会のサイト上で流れたのが8月中頃だったろうか。「時間が短い」「どんな準備ができるんやろ?」と気を揉んでいたら、案の定、護憲大阪の会から手伝ってほしいと連絡が飛び込んできた。
第1回の事務局の打ち合わせを開催したのが、8月下旬、あと3週間しかないという大変な仕事となった。天木直人さん、松浦悟郎さん、鬼追明夫さん、澤野義一さん、吉田栄司さんの5名で「大阪講演会を成功させる会」を立ち上げ、記者会見をしたのが23日、それ以降、常設の電話窓口には、毎日10件以上の問い合わせが続いた。
事務局スタッフは、総勢6名。チラシの準備、受付、警備、誘導、手話、救護係など綿密な計画書をつくり、相談を重ねた。当日、スタッフとして協力して頂いた方々は総勢100名を数えた。一番心配したことは、会場が溢れたときの対応だった。特設スクリーンを用意する案も検討したが、屋外特設スピーカーを事前に準備することにした。結果的に、これが幸いした。当日、参加は、会場内1500名、会場前2200名、会場最寄りの淀屋橋駅で帰られた方も含め、4000名は優に超えたと思われる。多いだろうとは思っていたがこれほどまでというのが正直なところである。
その後、何人かの人にこの日の講演会の模様について話をした。皆一様に「スゴイ」と感想を寄せてくれた。中には、「どうせ、動員ちゃうん」と言う人もいた。そういう人には、2200人、誰も帰らず、会場での講演を炎天下、屋外スピーカーから聞き、大きな拍手を送られていた様子を丁寧にお話しした。
大阪講演会成功以降、大阪各地で「九条の会」がつくられ始めている。私たち、北摂市民ネットも九条の会アピールへの賛同を第四回総会で決め、北摂地域でアピールへの賛同を広げていくことを確認している。
いま、大阪では、11月3日、小森陽一さんをお呼びし「輝け9条大阪のつどい」を準備している。これは、天木直人さんら19名の呼びかけで結成した実行委員会が主催するものである。9.18の再現とはいかないままでも寝屋川市民会館大ホールを埋める参加をぜひ実現したい。
(憲法を生かす会・京都)園田裕子
9月25日、京都市内で「九条の会」発足記念講演会を多くのみなさまのご協力で開催しました。受け入れ準備をした「憲法署名京都実行委員会」は今年5月3日から来年の11月3日までの1年半、京都府下を中心に憲法九条改悪反対署名を過半数集めようと結成された実行委員会です。代表は、上田勝美さん(京都憲法会議)、黒木順子さん(守ろう憲法と平和きょうとネット)、澤野義一さん(憲法を生かす会・京都)、澄田健一郎さん(憲法九条の会・京都)の4人。
6月10日の「九条の会」アピールを受け、14日には四代表が、15日には実行委員会として賛同アピールを発するとともに、「九条の会」事務局に「京都での講演会」を要請、9月25日開催の運びとなりました。
諸般の事情で9月25日と決めたものの、空いていたのは800しか収容できない、しかも8階にある会場で不安だったところに、9月18日の大阪での講演会大盛況振りの報道。急きょ4日前の21日に「会場変更(当初候補からはずされていた屋外の会場)、第二会場確保の可能性」等について激論(?)、そして「むずかしい」とされていた第2会場が確保できたのが3日前の22日。スタッフ集合時間も2時間早めるなど、できる限りの対策をして本番に臨んだのでした。余談ですが、事務局会議では、それでも混乱を来たした時には誰がどうやって謝ろうかなどと冗談半分(ということは本気半分?)の話も出ていました。
8月末に、「九条の会」のホームページに京都講演会のことが掲載されるやいなや、電話での問い合わせが殺到。特に直前になると「大阪では入れなかった。京都は大丈夫か」「何としてでも入りたい」という内容も含め、一日に数十本。戦争体験を話して下さる方、こんな時だから大同団結すべし、待っていたのだと言われる方、とりわけ印象的だったのは「こういう集りに参加するのは初めて。まったくどうしていいのかわからない」という若い女性からの電話でした。「慣れた」方が講演会参加でさらに頑張ってくださることも大事、また、「初めて」という方が参加してくださるということも、私たちを大変勇気づけてくれることでした。
ある先生の「遅刻」というアクシデントもありつつ、大江健三郎さん、鶴見俊輔さん、奥平康弘さんのお話に、会場のみなさんの顔が輝いていたと司会の方が言われていました。
参加された方からのお話を聞くと戦争体験を持つ男性は「涙がでるほどうれしかった。会場があふれる経験などなかった。勇ましい人たちの集りでないところが特徴でよかった」。ある女性は「朝10時から並んだ(開場は1時)。金沢から来たという人は、『今日は自分の誕生日。プレゼントとしてこの講演会のためだけに京都に来た』と言っておられ、すごいなぁと思った」と言われていました。
反省点もいくつかありますが、それぞれがおもてには出ない苦労を重ねて、ともかくも大過なく終えることができました。
京都や関西地方のみならず、全国各地からこの講演会に自分の意志で集った人々の力を「9条改憲をさせない」実力につなげていくために、さらに努力と工夫を、と思っています。