私と憲法41号(2004年9月21日発行)

改憲論を助ける各種の謬論のとのたたかいの重要性

6月に改憲派各政党の憲法調査会での中間報告がでた。財界の改憲への動きも強まってきた。改憲派は9条改憲と国連常任理事国入りをからませてアーミテージやパウエルらからの援護射撃の発言を引き出して世論作りを進めようとした。小泉首相は国連総会で国連安保理常任理事国入りを要求し、これをはずみに9条改憲の世論を高めようとしている。

しかし、世論の中では9条改憲反対の声は強く、改憲派の思惑通りには行っていないことも事実である。この点で日本経済新聞社の世論調査(9月6日、日経新聞)は興味深い。同社の世論調査では改憲派は2000年4月に61%になったのをピークに、2001年4月が58%、2004年4月は55%と微減をつづけ、今回は6ポイント減って49%と半数を割り込んだ。護憲派は5ポイント増で33%だったという。なかでも若者層に意識の揺れが大きく、従来は20代で改憲派が5~6割を占めていたが、今回の調査では4月から10ポイント低く46%になった。逆に護憲は各世代で最も高い40%にのぼったという。同紙は「イラクへの自衛隊派遣やテロの脅威の高まりなど国際情勢が激動する中、改憲論議にとまどう若者の心理を反映したともいえそうだ」と述べている。さらに、改憲すべきの理由についてだが、複数回答方式で第一が「環境権など時代の変化に対応した規定がない」で32%、「地方自治の考え方が不徹底」が28%で、「9条が現実に合わない」は27%にすぎない。これは全体の13%(複数回答可だから実はもっと低い)にあたる。9条改憲派は明らかに少数派なのだ。

改憲草案づくりや、改憲の国民投票法案の準備など、改憲派はそれなりに仕事をすすめてはいるが、自民党のかなりの部分が明文改憲は相当のエネルギーが必要で、かつ改憲ができることが保障されていないことを心配している。改憲・護憲をめぐっては、今後、厳しい鍔ぜり合いがつづくことになるだろう。

こうした中でさまざまな議論が起こってきている。憲法論議の高まりは歓迎すべきことである。しかし、なかには放置すれば改憲反対の運動にマイナス効果をあたえる謬論もあり、これらに関してはひとつひとつ、ていねいな議論が必要である。

9月17日の「沖縄タイムス」が後房雄名大大学院教授の「国民の成熟問う憲法改正」という文章を載せている(共同通信配信か)。後氏は最近、「憲法改正問題の核心を、9条を含めた個々の条文の是非にとどまらない、日本国民の主権者としての成熟の問題としてとらえる考え方が広まっていることに注目したい」として、評論家の加藤典洋の「敗戦後論」での「押しつけ憲法だからこれをもう一度選び直せ」との主張や、ジャーナリストの今井一が「解釈改憲とそれを国民投票を回避して事実上許してきた9条護憲派の両者を批判」していることを支持し、従来、護憲派が国会の3分の1の議席の死守を基本戦術としてきたことは、国民の自己決定権を封じてきた傲慢なエリート的、後見人的考え方だとして攻撃している。この後氏の議論には大きな誤りがいくつも含まれている。国会の3分の1を確保することで改憲を阻止しようとすることは「国民の主権者としての自己決定権を封じること」などではない。国政選挙への参加も主権者としての自己決定権の行使であり、これは憲法が規定するところだ。このことと、解釈改憲を許すかどうかは別問題であり、まして解釈改憲の罪は第一義的に歴代政府と改憲派にあるにもかかわらず、両者を並べて断罪することで、結果として改憲派を救う議論になっていることは重大な問題だ。

また従来の解釈改憲と、今日の改憲がどのような意図で準備されており、国民投票法が権力によってどのような不当なやり方で準備されているかについて、一切言及しないことである。問題は「戦争のできる国作り」を許すかどうかなのである。これは今井氏の議論にも特徴的であるが、後氏の議論はいま進められようとしている現実の国民投票の動きから離れて、「国民の主権者としての成熟度」などということで抽象的な国民投票論一般にすり替えることで、結果として改憲派を利する論理となっていることは見逃せない。

憲法を変えるか、変えないかの議論は現実の政治問題と離れて議論しても始まらない。今日の改憲論が平和憲法9条を変えて日本を戦争のできる国へと変質させようと言う意図で進められているとき、可能で正当なあらゆる手段を駆使して戦争への道を阻止する運動を起こすこと、そのためにとりあえず国会の3分の1の議席を確保しようとしたことは正当なことだ。後氏の議論の仕方は研究者がともすれば陥りがちな「議論のための議論」ではあるまいか。本誌でも再三、述べてきたように「国民投票」一般に反対するつもりはない。しかし、いま、改憲派によって準備されようとしている改憲のための国民投票法案は9条改悪をめざすとんでもない悪法であり、これは絶対に阻止しなければならないのだ。(事務局・高田健)

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ボーリング調査の即時中止と辺野古への新基地建設計画の白紙撤回を求める要請書

9月9目、那覇防衛施設局は、新基地建設に向けた名護市辺野古沖でのボーリング地質調査に着手した。抜き打ち的な佐敷町・馬天港からの出港、米軍キャンプ・シュワブからの作業員・物資の搬送など、なりふり構わぬ強行を私たちは断固糾弾する。(中略)。住民の阻止行動をコソコソとすり抜けて、「やった者勝ち」と言わんばかりに作業をおしすすめる施設局。それに対する海上での行動は命を落とす危険さえつきまとう過酷なものだ。そうした行動に起ち上がることを沖縄の人々に強い続ける政府・施設局に対してあらたに憤りをおぼえる。そして施設局の一連の行動は、その作業が15~16年以上かかるとされる長い作業工程のほんの一歩を踏み出したに過ぎないにもかかわらず、「ボーリング調査に着手した」という既成事実をつくり、マスメディアを動員することによって「移設作業の進展」をアピールし、一方では反対運動を封じ込めていくという狙いに貫かれたものであることは明らかである。私たちは、施設局の暴挙を断じて許さない!

新基地建設とは、これまでの「本土」政府による沖縄に対する差別・抑圧の歴史の上にまたさらなる抑圧を積み重ねるものである。辺野古では「命を賭けて」というその言葉のとおりの闘いがつづけられている。その人々の生活と歴史的に強く結びついた辺野古の海に「人殺しのための基地」はつくらせたくないーそうした人々の意思を踏みにじることを許すことはできない。またそれは、アメリカが自らを頂点としたグローバルな支配秩序を作り続ける中で、その支配にまつろわない人々を殺しにいくための、まさに「人殺しのための基地」をまたさらに沖縄に強制することである。そして同時に、アメリカの侵略戦争を一貫して支持し、自衛隊の参戦を強行しつづける小泉政権が、基地提供国として今後もさらに共同歩調を強めていく上での大きな一歩にほかならず、決して許すことはできない。

昨日は沖縄国際大学において宜野湾市民大会が3万人(主催者発表)の参加を得て開催された。大会においては、米軍ヘリ墜落の政府の責任があらためて追及され、「すべての被害に対する謝罪と完全補償」「普天間基地の早期返還」「日米特別行動委員会(SACO)見直し、辺野古沖移設の再考」「日米地位協定の抜本的見直し」などの決議案が採択された。政府は、普天間、辺野古をはじめとした沖縄の人々の怒りの抗議と要請をこれ以上踏みにじるな!

私たちは、座り込みをつづける辺野古の人々、基地の全面撤去を求める沖縄の人々と連帯し、政府・防衛施設庁がボーリング調査を中止し、新基地建設計画を白紙撤回することを強く求める。
2004年9月13日
明治大学駿台文学会

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誰のための戦争なの?
イラク占領反対!自衛隊即時撤退!

<9.11>アメリカでの同時テロから3年経ちました。対テロ戦争一色の3年間でした。8月13日の沖縄での米軍ヘリコプターの墜落事故は、<9.11>を考えさせました。大惨事にならなかった事が不思議なくらいの事故にもかかわらず、米軍はその現場(沖縄国際大学)を封鎖し日本側に全く触れさせず、原因究明もないままに飛行を再開しました。その強引さは、今は巨大な基地となっている土地を60年ほど前に銃剣を突きつけて奪ったのと変わりません。そんな基地によって支えられている戦争(朝鮮戦争、ベトナム戦争、今のイラク戦争)は一体誰のためのものでしょうか?「力のあるものが正義だ」式のやり方を全世界でやり続けているのです。絶望感と憎しみを生み出すのは当然です。

9月7日の時点で米軍の死者が1000人になりました(イラク人死者は2万人に及ぶと言われている)。ベトナム戦争時と比べて、とてもも自殺者が多いそうです。カメラの望遠レンズや結婚式での祝砲を攻撃と勘違いして「反撃」するほどの恐怖や、誤った戦争をしているという動揺や不安の大きさを物語っています。そんな兵士の多くは黒人やヒスパニックなど貧しい人々です。彼らは、生きるためのお金が必要で兵士になりました。イラクで頻繋に人質となり「米軍の協力者」だと思われて、殺されている人々の多くはフィリピンやネパールなど貧しい国からの出稼ぎ労働者です。貧しい人々をお金で誘い、一握りの金持ちのために殺し合わせている、これが戦争の真実です。

この3年間の対テロ戦争は世界に平和をもたらしたでしょうか?それは絶対に違います。スペインなど多くの国はイラクから撤退しています。NYでは50万人もの人々が反戦を訴えました。しかし、ブッシュは1800人も逮捕し、イラクでは人々の注目がアテネオリンピックに向いている時に多くの抵抗勢力を殺害し続けています。そして11月2日の大統領選に勝ってもっと戦争をやろうというのです。学校、友達、勉強、家族…自分の周りの事でいっぱいかもしれませんが、世界で起きている事と自分は必ずつながっているのです。そしてそのつながりを踏まえた上で今、自分は何をしなければならないのか。このビラまきも10回目となりました。何かしなくてはと思ったら、私たちと一緒に声を上げ、行動しましょう。
2004年9月13日
○○中3年×組N・H

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動き出した24条改悪 「家族の価値」に名を借りた人権抑圧を許すな

本山央子(STOP!24条改悪キャンペーン)

婚姻・家族における男女両性の平等を定める第24条が、憲法改正の焦点のひとつとして浮上している。

5月3日の読売新聞憲法改正2004年試案は、「家族の再構築をはかる」として、「家族条項」の導入を大きくうち出した。さらに、6月10日に自民党の憲法改正プロジェクトチームが発表した「論点整理(案)」も国家による家族の保護規定の導入を提案、「婚姻・家族における両性平等の規定は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである」としている。

憲法24条は、第1項「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」、第2項「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」という2つの条文から成る。戦前の日本において、女性は、家長が自由に処分できる財産でしかなかった。女性の市民権を保障した14条とともに、私的領域における男女平等を保障した24条の規定は、世界でも画期的なものであった。これを変えようという保守派の意図はどこにあるのだろうか。

読売新聞の改正試案は、現在の2条項の前に「家族は、社会の基礎として保護されなければならない」という新条項の挿入を提案しており、家族の重要性を再認識し保護するためで、戦前のイエ制度に戻るものではない、と慎重な説明だ。だがその背景にあるのは、「『家族の崩壊』現象の背景については、戦前の家父長制度への反省から、『個人主義の重要性』が過度に標榜され、従来あったよき家族関係まで否定されてきた」という考えである。さらに正直なホンネを、読売ほど注意深くない自民党議員たちが次の通りぶちまけている。

「いまの日本国憲法を見ておりますと、あまりにも個人が優先しすぎで、公というものがないがしろになってきている。個人優先、家族を無視する、そして地域社会とか国家というものを考えないような日本人になってきたことを非常に憂えている。夫婦別姓が出てくるような日本になったということは大変情けないことで、家族が基本、家族を大切にして、家庭と家族を守っていくことが、この国を安泰に導いていくもとなんだということを、しっかりと憲法でも位置づけてもらわなければならない」(森岡正宏衆議院議員)。

「憲法とは何かと言えば、やはり愛国心の1番の発露なのではないか。(略)その根底にあるのは何かと言えば、家族だ。(略)民主党と自民党と一体どこが違うんだと言われれば、ひと言で言える。全くの一個人を大事にするか、家族を大事にするかの差だ」(西川京子衆議院議員)。

「個人・家族・コミュニティ・国という階層のなかで、日本人は国も捉えているのではないか。したがって、急に国に奉仕しろといわれても飛びすぎて、まず家族・コミュニティに奉仕をする延長線上のなかに国に対する奉仕も位置づけたほうがなじみやすいのではないか。そういう意味で家族・個人の関係をもう1回構築をしていくことが、まさに大変重要なことではないか」(加藤勝信衆議院議員)。

これらの発言からは、個人を国家に従属させるための基盤として家族や共同体を再構築し、「行き過ぎた個人主義」や基本的人権を押さえつけようとする意図が明らかである。だが、すでに崩壊している「本来の」家族のあり方を国家が強制する以上にグロテスクなことがあるだろうか。互いに情愛で結ばれ、個人が自然に融合しあえる神話的家族像こそが、女性や障害者、子ども、老人、性的マイノリティに対する抑圧を見えなくさせ正当化してきた。その延長上に、国民を天皇の「赤子」とした大日本帝国があったのだ。

9条改憲論者が、非武装主義を日本民族の「女性化」になぞらえてきたように、9条と24条改悪は切っても切れない関係にある。一方で、これが単なる戦前回帰ではなく、新自由主義グローバリゼーションと刺激しあって力をつけてきたグローバルな共同体主義運動と呼応していることに注意しておく必要があろう。24条改憲の今後の動向はまだ定かでないが、民主主義、人権、平和とならんで、ジェンダー平等が政治選択の中心軸のひとつとなることは間違いない。家族の価値に名を借りた人権抑圧とジェンダー差別に反撃していこうと、私たちは「STOP!24条改悪キャンペーン」を立ち上げた。情報や分析を交換しながら、憲法改悪を阻止する大きな力に育っていきたい。
メール:savearticle24@yahoo.co.jp

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9.11BE-IN&WORLD PEACE NOWスペシャル報告

9.11から3年、あらためてテロにも報復戦争にも反対する立場から、その日、東京・明治公園で「9.11BE-IN&WORLD PEACE NOWスペシャル」が開催された。これはこの間、イラク戦争反対を中心に行動してきたWPNと、9.11のイベントをやってきたBE-INが共同した企画で、12時から夜10時すぎまで行われた。会場にはさまざまなNGOなどによる50店舗ほどの出店が並び、パフォーマンスが公園のあちこちで行われ、2つのステージでは音楽やトークがつづけられた。高橋哲哉東大教授や、パロディ作家のマッド・アマノさん、ミュージシャンで参議院議員の喜納昌吉さんらをはじめ多彩な人びとが参加した。参加者は延べ6000人、パレード参加者は2500人に上り、夜のキャンドルは1500本が立てられた。以下はWPNのサイトに掲載されているパレードの報告です。

●WORLD PEACE NOW 9.11レポート
15時、ピース・スピーチが終わり、パレードに出発する人々が"連"を作り始めました。ピース・スピーチを聴いていた人、ブース・出店のスタッフたち、木陰で涼んでいた人たちが出発段階で2000人以上集まり、パレードに出発しました。先頭は子どもたちが持つ巨大なピース旗。子どもたちは4キロのコースを最後まで元気よく歩き続け、マイクを差し出すと"NO WAR" "戦争反対" "イラクに平和を" "世界を変えよう"などなど大声でレスポンス。

その後ろに林立するピース旗、ハートマーク・プラカード、マッド・アマノさんデザインのプラカード、そして参加者手製のプラカードが波のように続きました。

今回のパレードでは、"サウンドカー"が2台も登場。一台はDJカー、もう一台はバンドの生演奏。DJは新旧織り交ぜて、街頭の雰囲気に合わせてその都度選曲。パレード参加者はもちろん、沿道からも飛び入りの参加があるほどの大評判でした。

そして、後方は労働組合の力強いシュプレヒコール。さまざまな個人・団体の各種多様な表現・意思表示が、ほんとうに見事に混在しながら共存したパレードでした。そして、街の各所でパレードに手を振り、「共感」の意思を示す人々が原宿駅前から表参道、そして神宮球場前まで、実に多く見られるパレードになりました。「イラク占領に反対、自衛隊は撤退、暴力を止めよう」と明確で力強いメッセージを発しながらも平和的に、ほんとうに平和的に進むパレードに、7月4日同様に過剰警備を敷いてきた警察はパレード後半部分では、どこかに消えて目立たなくなったほどです。「なんで(こんなに平和的なパレードに)機動隊が必要なの?」というパレード各所、そして沿道で聞かれたささやきを、警察も雰囲気で察知したのでしょうか。それほど、見事に『平和』を表現したパレードになったと思います。

出発から参加者はふくれて、最終的には2500人を超える参加者となり、パレードは大成功。また、パレード時に配ったフライヤーを見て、夜のピースキャンドルに参加した人も少なくなかったようです。(文責:WORLD PEACE NOW くりはら)

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2年目の「オッケドンム」~ピース人文字 オッケドンムイベント 2004

星野正樹「孫の世代の戦争責任って…?」実行委員会(MAGO-SEN) 

「9.11」のBE-IN&WPNの興奮(疲れ?)もさめやらぬ9月17日、再び明治公園に足を運んだ。

ピョンヤン宣言から2年となるこの日、日本人・在日コリアンなどの若い仲間たちがハングルで「肩を組むほど仲のいい友達」を意味する「オッケドンム」の人文字をキャンドルでつくる「ピース人文字 オッケドンムイベント2004」が開催されるからだ。

昨年に引き続き2回目となるこの催しは2002年9月17日の日朝首脳会談のあと、日本で起きた「拉致問題」一色の報道、在日コリアンへの攻撃などに危機感を持ったピースボート、在日コリアン青年連合(KEY)など日本、在日、韓国のNGOが中心になって結成した「ピースナウ コリア ジャパン」(PNKJ)の主催で行われた。私の所属するMAGO-SENも賛同団体として参加しささやかなサポートをさせていただいた。

仕事が終わって会場に着き300円でキャンドルを購入。すでにイベントが始まっており、朴慶南さん、川田龍平さんのスピーチ、朴保さんの演奏などには間に合わなかったが、人気ドラマ「冬のソナタ」に出演している韓国の俳優クォン・ヘヒョさんからのビデオメッセージや李政美さんのライブなどは聞くことができた。李政美さんの真摯な歌声に心の中が「しん」となった。

午後8時からキャンドルをもって人文字づくりがスタート。

今年の人文字は〔PEACE 9.17 友 (ハングルで)オッケドンム〕。手に手にキャンドルをもって静かに位置に着く。今年は韓国でも同じ時間に人文字をつくるという。

東アジアの平和をつくるために大切なことは、「国の指導者たちだけではなく、当事者である私たち。等しく尊い命を持って、ここにともに生きることを決意している私たちの意思が、いま最も大切なのだと感じます。」(呼びかけ文より)という思いがこみ上げてくる。

無事人文字が完成した後のフィナーレでは、朝鮮大学校、朴保、李政美のみなさんのジョイントライブで参加者全員が円になって、肩を組み「オッケドンム」した。

その途中に韓国での人文字が映像で紹介され大きな歓声が上がった。

日本は相変わらず「北朝鮮」を敵視し「北朝鮮の脅威から守る」ためとして有事法制を成立させ、アメリカの戦争への加担を続けている。私たちもマスコミ報道などに煽られて「北朝鮮」に住んでいる人たちへの、「在日」として日本に生きている人たちへの想像力をなくしてしまっているのではないか、ということをあらためて考えた。この日のように国境のことなど考えず、「肩を組もう」「友達になろう」という簡単な思いをもっともっとつなげていきたい、そう思うところから「誰かにまかせた平和」ではなく「私たちがつくる平和」が実現するのだ、と強く思った。
「この空の下にともに生きている友達がいるんだ」ということ。その想像力を、もっと。

※PNKJのホームページ http://give-peace-a-chance.jp/pnkj/
〔10月からはhttp://www.peacenowkoreajapan.netで確認してください〕