私と憲法40号(2004年8月25日発行)


イラク占領反対、自衛隊の即時撤退を!
イラクの人びとを殺さないうちに!

アテネでのオリンピックの報道がメディアのトップを占めている間に、世界でも日本でも重大な問題がつぎつぎと起こっている。この空騒ぎは不気味ですらある。国内では原発事故で死者がでたし、沖縄国際大学には米軍ヘリが墜落した。憲法改悪の動きも急だ。世界的規模での米軍の戦略の再編がすすめられ、アジアの緊張は激化しようとしている。

イラクでは米軍が主導する多国籍軍の占領状態のもとで「国民大会議」が開かれたが、占領軍撤退を求める民衆との亀裂は拡大している。米軍はイスラム教シーア派指導者ムクタダ・サドル師とその支持者にたいし、最終的攻撃の準備に入ったと言われる。とりわけ既に半月以上もつづいている米軍のナジャフへの軍事攻撃は事態をいっそう深刻化させ、戦闘はイラクの各地に広がっている。自衛隊が駐屯する南部サマワでも、イラクの武装抵抗勢力とオランダ軍との戦闘が激化し、オランダ軍は急遽、増員されている。すでにこの間、自衛隊の基地も幾度か迫撃弾などの攻撃を受けている。もはや自衛隊とイラクの武装抵抗勢力との衝突の危険性もきわめて現実的なものになってきた。自衛隊はいま第一陣の北海道を中心にした派遣部隊と東北を中心にした部隊との入れ替えを進めている。自衛隊は既にイラク占領多国籍軍に編入された。しかし、この間の「人道復興援助」を名目にした派兵が見るべき成果もなく、方針の再検討が迫られていることは政府も認めているところだ。違憲・違法を積み重ねてきた自衛隊のイラク派兵はいま重大な事態に至りつつある。

いまからでも遅くはない。自衛隊はイラクの人びとを戦闘で殺さないうちに、即時撤退すべきだ。現行憲法下で「50年にわたって戦争で人を殺さなかった軍隊」の歴史を断ち切ってはならない。小泉内閣はイラクから自衛隊をただちに撤退させよ。

アメリカが反テロ戦争の口実にしたあの「9・11」から3年。東京の明治公園では正午から夜まで平和のための行動が展開される。これはこの間イラク反戦運動に取り組んできたWORLD PEACE NOWとBE―INというグループの共催で開かれ、日本とアメリカを結んだ平和の行動としてとりくまれるものであり、午後3時からはWORLD PEACE パレードも行われる。こうした市民の行動を全国各地で展開し、自衛隊を撤退させよう。

このページのトップに戻る


ありうる不測の事態に備えて~WORLD PEACE NOWからの提案

自衛隊がイラクで殺し、殺された時(あるいはそれに準じた問題が起こった場合=これはどういう判断にするか、連絡をとりあって判断したいと思います)、全国一斉行動を行う。

呼びかけ:WORLD PEACE NOW
(この行動が始まったら、この件の問い合わせは以下の携帯にお願いします。070-5212-0275)

このページのトップに戻る


「九条の会」

藤岡亜美

「九条の会」。なんだか真面目そうな会に聞こえますが、なかでも鶴見さんの話はぶっ飛んでいて、大江健三郎さんもクスクス笑ってました。10代、20代、30代、40代、60代の、ALL NATURAL PERSONSなメンバーで行ってきました。

鶴見俊輔さんは、「始めにね、法律ははじめから法律なのか?」と言い、「法律より前にあるもの」の話をした。自分は母親からせっかんをうけて育った。それは愛情の過剰からくると分かっていた。人類の歴史としても、法の前に、なにかがあった。家庭は政治。政治を職業政治家集団にゆだねてはならない。そして、「赤ん坊や、まだ選挙権のない子供にも話し掛けたい。ここに来るには暑すぎて、あるいは寒すぎて(会場は冷房がききすぎだった)こられない老人たちにも話し掛けたい。」とおっしゃった。

そしてそれは、「種を蒔くようなこと」だ、とも。「いづれ、この島に住む子供達の代になって芽を出せばいい。ハワイのフラダンスのように、身振りとして受け継がれることを期待したい。」そして、戦時中に同僚が捕虜を殺してから、「自分は人を殺した 人を殺すのはよくない、と一息で言える人間になりたい」、と考えるようになった体験と道筋の話をされた。【お話は書ききれないので「戦争とは何か」など、鶴見さんの本をよんで下さい】

それは、狭義の政治の中で、今すぐにどうするかの方法論ではなく、自分の中にある「9」を、誰かの中に残そうという、長老の態度。種まきの態度みたいだった。お話をしてくださった8人全員が、静かでゆっくりとした語り口ではあれ、その身体に伝えたいものがあふれている感じがした。やっぱり日本にはまだ長老がいて、この人たちは自分達の身体の中に確かに生きている「9」の話を、聞きにきたみんなの身体に移そうとしてくれている、と思った。まやちゃんは「みんなおじいさんになって、余計なものが全部そぎ落とされてああなった感じだね」。と言ってた。

大江さんの話は文学者として、文章には「どういう時にどういう気持でどういう人たちに向けて書いているか」が入っていることから、子供のときに教育基本法や9条の条文、とくに「希求」というコトバから受けた感動を、反芻するお話。

小田さんは、自分が体験した大阪空襲の写真や、同じ日付のアメリカの企業広告が沢山載った新聞をコピーして壇上から見せた。プロジェクターに映すでもなく、普通にみせた。1000人も座っている会場に見えるわけがなかったけど、昨日の場合見えることは大事じゃなかった。そしてその空襲の景色を共有したひとりの視点で、GHQの草案には、彼らの「アメリカ人として」よりも「早く戦争を終わらせたい人」としての思いが入ったはずだとおっしゃった。

三木さんは、旦那さんに「どうして自民党なの」と問いつめた話、「少々おおきな声でわめきちらさなきゃ」という言葉遣いは重要なヒントで、みんながこうして自分の言葉でそれぞれの立場から考えれば大丈夫、という気がした。

加藤周一さんは周辺事態といってイラクで戦争をできるなら、と言ったあと(ブラジルの9Tシャツを着た)私達を見て「ブラジルだってできるしどこでもできる」と言った(みんな気づいた?)のが笑えた。後ろに座っていたファンとおぼしきおばちゃんが、「周ちゃんっ」と歌舞伎みたいに声をかけていて、おばちゃんに「何処が一番好きなんですか?」と聞いたら「そんなの決まってるじゃない思想よ思想、顔もいいけど」とか答えて、9LOVEみんなで大笑い。

8人の話をたて続けに聞いたが、「講演」に足を運び、あんなにワクワク話を待ち、話を聞いているのに身体をまるごと感じて、言葉の一つ一つにはっとして、すがすがしく快くなったことは、多分ないです。
「9LOVE日記より了解を得て転載」http://www.9love.org

このページのトップに戻る


憲法調査会傍聴記
われわれは改憲への白紙委任状は渡していない

憲法を生かす会 小川 良則

年金法案や有事7法案3条約・協定を強行し、自衛隊を国連軍に参加させた小泉自民党は、参院選で改選議席を維持することはできなかった。しかし、それは決して、各党や各候補の社会保障政策や安全保障政策がきちんと吟味された結果とは言えない。なぜなら、年金について言えば、「年金国会」とか「年金選挙」と呼ばれた割には、未納スキャンダルや「人生いろいろ」発言ばかりが強調され,本質的な制度論は後背へと退けられた感があるし,国連軍参加問題は国会閉幕から選挙までのドサクサに紛れて既成事実が作られ、十分に争点化された訳ではないからだ。

この選挙結果について、マスコミは「二大政党制」への流れが進んだと評しているが、つまりは共産党が失った議席を自民・民主両党で「山分け」したに過ぎない。そして、躍進した民主党はと言えば,その3分の2以上が改憲議連や新安保議連などネオコン勢であり、こと憲法情勢に関して言えば、危機的状況に変わりはない。

こうした中で開かれた臨時国会は会期わずか1週間。年金問題についての議論の仕切り直しは適当に済ませ、早々に切り上げようという姿勢が見え見えだが、それでも憲法調査会は開かれた。7月30日の参院憲法調査会は落選した上杉光弘会長の後任に関谷勝嗣元建設相を選出したが、この新会長も改憲議連のメンバーであり、早くも新聞インタビュー等で改憲への意欲を見せている。

また,衆院側は8月5日、自・公・民3党の改憲案を取り上げた。もともと、調査会は文字通り調査する場であって、改憲発議権もないし、改憲を前提とするものではないというのが当初の申し合わせであったが,完全に無視された格好だ。冒頭の挨拶で、中山会長は,調査期間の5年まであとわずかと強調し,意見の相違のあるものは整理が必要と、改憲を結論とする最終報告の作成に並々ならぬ決意を示した。

自・公・民各党の「論点整理」や「中間報告」については、既に報道・論評されているので重複は避けるが、「歴史と伝統」を強調(自民)しようが、「未来志向」を看板に(民主)しようが、軍隊を海外に送るという結論には大差ない。あるのは、集団的自衛権を正面から認める(自民)か、国連決議や国際協調主義を動機付けにするか(民主・公明)という手法の違いだけだ。また、北朝鮮脅威論を理由とする危機管理条項設置の主張や,憲法に改正条項があるのに手続法がないのは立法不作為との主張も相変わらずだ。

また,山口富男(共産)と土井たか子(社民)両氏が改憲案を持ち寄って検討するのは調査会設置の趣旨を逸脱すると追及したのに対し、中山会長は、後の人に当時どんな議論があったかの記録を残すのは意味があることだと述べたが、それは各党の発表を報じる新聞の切り抜きや各党の機関紙そのものを国会図書館に保存すれば済むことだし、3党以外の改憲を前提としない党の文書も平等に扱わないのはおかしい。しかも、現在の情勢と課題について各党がどう考えるかを議論しているのに、制憲議会で反対したのは共産党だったと会長自ら不規則発言をしたあげく、両氏の抗議と再質問を遮って一方的に散会を宣するという、幾重にも無法の上塗りをする幕切れとなった。

今後,教育基本法の改悪や改憲手続法、包括的「危機管理」法制など、運動課題は山積しており,院内の勢力比は道の険しさを感じさせるが、「戦争はごめんだ」という圧倒的な世論と市民の良識に依拠しつつ、あきらめずに取り組みを進めていこう。有権者が投じた小泉政権への批判票は、戦争をする国づくりへの白紙委任状ではないのだから。

このページのトップに戻る


「平和をつくる人になろう!」~2004平和のための戦争展報告

平和のための戦争展実行委員会 星野正樹

1980年に始まった「平和のための戦争展」は、かつての侵略戦争に参加して中国で戦犯となり、罪を許されて帰国した後、「二度と繰り返さないため」に加害証言を行ってきた「中国帰還者連絡会」(2002年解散)の方の証言を受け止めることを中心に、再び戦争へむかおうとしている日本の姿を証言や写真パネルなどを通して訴えてきた。25年目を迎えた今年は8月13日から15日まで、昨年と同じ新宿駅南口の全労済ホール「スペースゼロ」で開催した。

今回の「戦争展」は「平和をつくる人になろう!」をテーマに実行委員会で議論してきた。イラクでおきた「日本人人質事件」では、何もできなかった(しなかった)政府に代わって市民の国境を越えたネットワークが解放の大きな力になった。「戦争をする国」になってしまった日本に対して私たちひとりひとりが「平和をつくる主体」になれるということを実感した出来事だった。その時に感じた「私たちが平和をつくる人になれるんだ!」というおもいを参加者が共有してくれるようなものをつくりたかった。

今年は、特別展示として日本国際ボランティアセンター(JVC)の協力によりイラクの子どもたちの絵を30数点展示することができた。「家族」「友人」「夢」など、本当にどこにでもあるような絵、しかしそこには戦車や兵隊の絵が重なっている。戦争で押しつぶされる子どもたちの姿に胸をつかれた。そして私たちが彼ら/彼女らに銃口を向けている国の一員であるということもしっかり自覚しなくてはならないと強く感じた。

またパネル展示では、米軍による「拷問・虐待」事件を兵士を「非人間化」する軍隊の暴力性という観点から取り上げ、旧日本軍兵士の方の証言とオーバーラップさせることでかつての侵略戦争との共通点を浮き彫りにしようと考えた。中国人の母子を井戸に投げ込んで殺した経験のある金子安次さんの「自衛隊も『人道支援』などといって小銃なんかを持っていくようだけど、あれは人を殺すためのものだよ。弾を込めた瞬間に人間が変わってしまう」という証言は「普通の人」が戦争(「侵略」)によっていかに変わってしまうのかということをリアルにわからせてくれた。「自分だったらどうなるのか」ということを考えさせられた。そしてかつての戦争も「国益」「人道」などの言葉によって進められたということを何度でも思い出すべきだと改めて思った。

そのほかの企画ではイラクから帰ってきたばかりのフリージャーナリストの志葉玲さんに現地の最新報告をお願いした。スライドを使いながら「復興支援」の実態やイラクの人々生活などを生き生きと伝えてくれた。最終日には平和運動にかかわっている若者のディスカッションを行い「自分ができること」「自分にとって『平和運動』とは何か」などを率直に話し合った。時間的に十分ではなかったにしろ、こうした積み重ねをしていくことが「平和をつくる」ことにつながっていくと確信できたと思う。来年の戦後60年には憲法改悪など、様々な場面で正念場を迎える。戦争を止めるためのささやかな取り組みとしてこの「平和のための戦争展」を今後も続けていきたい。

今年はオリンピック報道での「日の丸」の洪水の中、3日間で1000人を越える方が参加してくれた。

このページのトップに戻る
「私と憲法」のトップページに戻る