私と憲法4号掲載(2001年9月9日発行)

靖国参拝にみる「憲法軽視」現象は“軽視”できない

奥平康弘(共同代表・東大名誉教授)

小泉首相の靖国参拝が敗戦記念日の2日前倒しで強行されたのは、たぶん中国との事前の政治折衝の感触から、これでゆくとあまり大きな非難を受けずに済むだろうという計算があってのうえであろう。首相らは、このパフォーマンスが憲法(20条3項)に抵触するかどうかの争点は、はじめから歯牙にもかけていなかったのである。

公式参拝の日を2日ずらしたからといって、もちろん違憲問題が解決するはずがないのであるが、多くの日本人さえも、外国がどう反応するかという外交問題のほうにより関心を持つよう、マスコミをつうじて誘導された気配がある。当初は、「違憲だ」と論じていた田中外相も、さいごには「あれでよかった」などと語っているのは、変節といえばいえるが、彼女もまた違憲問題など真面目に考えていなかった証拠である。

首相の靖国参拝につき、憲法にこだわるのは、いまの世の中、どうもはやらなくなってしまった気味がある。けれども、こうした形で見せつけられる「憲法軽視」現象は、それこそ“軽視”してはならないものがあるのではないかと思う。

ヤスクニの違憲論をいまここで展開する余裕はないが、ここでのポイントのひとつは、こう表現できる。「靖国神社は戦死者を慰霊する中心的施設」だと言い触らして、「そこへ」ほかならぬ「総理大臣」という、きわめて特殊的に政治的重責を持つ者が、こともあろうに8月15日という特別な日時的意義を有する日に合わせて、きわめて論争の的になっている性質のパフォーマンスをあえてやらかす憲法上の意義いかん、ということである。たしかにヤスクニは戦前日本において、「唯一の慰霊施設」に仕立て上げられてきた。そればかりでなく、敗戦後の「国家神道」廃止にもかかわらず、政府・地方自治体は、日本遺族会などと連繋して、「中心的慰霊施設」たる性格を残すのに、大いに貢献してきているのである。

もし首相等の参拝が憲法上許されるのなら、次は天皇の公式参拝も許されるよう解釈されるだろう。そして、こういう形で戦前日本のイデオロギーが公然と前面に出てくるのを惧れる。

ここに見られる「憲法軽視」は、そのままそっくり「集団的自衛権」への解釈変更へと連動してゆくこともまた、憂慮すべき点である。

激動の9月から、さらなる大激動の10月へ

9月11日未明に起ったアメリカでの未曽有のテロ事件以来、日頃の事務所の活動のパターンは激変した。

「許すな!憲法改悪・市民連絡会」は12日に30名を越える参加者で11.3憲法集会の実行委員会を開いた。この時点ではまだ、対応が決まらず、憲法記念日の集会の準備の討議が主立った内容だった。

13日、緊急に「米国中枢部への同時テロ事件について小泉首相への緊急要請」(案)を事務局関係者に送信して持ち回りで意見を聞いたうえで、14日に小泉首相と各政党責任者らに送りとどけた。

その同じ14日、無所属の衆議院議員の川田悦子さんが有楽町の街頭で緊急にアピールをするとの知らせをうけて、数名で参加。ちょうど近くで会合にでていた草の実会の人びとが「団体で」聴衆の中に加わってくれた。立ち止まってじっと聞き入る人、ビラを受け取りにくる人などなど、一般の市民の関心の高さをヒシヒシと感じた街頭宣伝だった。

13日に函館で、おそらく全国で初めてデモをしたKさんが東京の部分にも提起して、9月17日の「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動」が呼びかけられ、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」は集会の連絡先となることを了解し、事務局メンバーは各種の集会などで参加を訴えて歩いた。参加を呼びかけると「ありがとう」と言われたという報告がいくつかのところであった。以降、メールなどをみて事務所に問い合わせがつぎつぎとくるようになる。17日は400名で国会デモを成功させ、そのあとで開いた「市民緊急行動」の事務局会議で、9月24日の「緊急行動」を決めた。「市民連絡会」はプラカードを作ったり、横断幕を作ったりして、みな元気に参加した。ひきつづき日本消費者連盟とともに連絡先を引き受けた。

19日に開かれた「ブッシュ来日対抗アクション」の実行委員会と合わせて、事務所では首都圏の市民連絡会メンバーに約500通のチラシの発送をした。20日は昼に超党派の国会議員の集会があり、日消連の富山さんが24日への参加を訴えた。夜は「市民緊急行動」の実行委員会。

21日は「FAX通信」や「STOP!改憲。市民ネットワーク」などの呼びかけによるアメリカ大使館への要請行動。平日の正午という時間帯なのに約百名が参加した。「市民連絡会」の横断幕もかかげて立った。

24日は代々木公園の集会とデモ。デモを終えるころには1800人の参加があった。はじめての人やひさびさに会う人など、「組織動員」のない市民運動としては大きな集会になった。集会で10月7日の第三波を呼びかけた。

26日は昼、国会でNGO「ペシャワールの会」の中田医師のアフガン現地報告を聞いて、感動した。夜は「市民連絡会」の事務局作業日。先日送らなかった人びとへ1250通ほどの集会案内を発送、かなりの人数で作業したが、翌日まで持ち越した。

27日、臨時国会の冒頭、全労協の人びとの国会での座込みに連帯して、市民連絡会も行動に参加した。主催者からの要請で10.7集会の呼びかけをした。

29日、30日は山口県由宇町で「基地拡張を続ける米軍岩国基地を問う全国集会」に参加。60名ほどで交流・討議をしたあと、岩国基地にデモ。おりからの緊張を反映して、基地内では憲兵隊がデモ制圧体形をとり、かけ声をかけてデモンストレーションをして威圧した。この場で、大分の「赤とんぼの会」の10.21共同行動のアピールなどを紹介し、テロ反対、報復戦争反対、小泉政権の加担反対、米軍支援法反対の一致点で全国的に10.21共同行動をしようと確認した。

10月1日は「市民緊急行動」の実行委員会。東京でも10.21を取り組むことを確認した。

おおまかな活動日誌だが、この間も事務所には市民やマスコミなどからの問い合わせがつづいた。事務所にとどくメールの量も一挙に増えた。たまに「テロの支援者!」などという非難もあったりする。とにかく忙しい。しかし、戦争を阻止する上では大切な時期だ。時間を争って動きたい、そんな思いで駆け歩きつつ、日々がすぎている。

皆さん! 時間の許す範囲で、事務所にきてボランティアをしてください。

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