私と憲法38号(2004年6月20日発行)


「九条の会」発足に期待し、共に9条改憲阻止へ

6月10日午後、東京・市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷で、日本の代表的な知識人9名(井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子)の呼びかけによる「九条の会」が発足し、記者会見で「アピール」(本紙別掲)が発表された。この日の記者会見には大江、奥平、小田、加藤、鶴見の各氏が出席し、それぞれ熱を込めてこの会にかける意気込みを語り、記者の質疑に応じた(次頁以降の記録参照)。

加藤氏、大江氏らは「九条の会は現在各地にあるさまざまな9条改憲反対の運動や声をネットワークし、その結び目の役割をはたしたい」と、会の結成の目的を説明した。この間、東京では「5・3憲法集会実行委員会」が政党政派、思想信条、立場の違いを超えて広く人びとを結集し、改憲反対の共同行動が作られ、各地にも広がってきていた。今回の「九条の会」の発足はこの「共同」行動を、その幅においても、また全国的な広がりにおいても、いっそう大規模に進めようとするものであり、多くの人びとの期待に応えようとするものだ。実際、9人の呼びかけ人においても、その幅の広さ、多彩さは多くの人びとの注目を集め、期待されている。

小泉内閣の下で自衛隊のイラク派遣と多国籍軍参加など、憲法を無視した政策がつぎつぎと進められる一方、両院憲法調査会や、各党の憲法調査会、マスメディアなどによって、憲法改悪のための世論作りが急速に進められている。改憲に反対する運動の一大結集が今ほど求められているときはない。

「九条の会」は当面、各界から広範に賛同人を募りながら、7月24日に、今回の記者会見に出席した5氏をはじめとした呼びかけ人が参加して、公開の講演会(会場、時間未定)を開くなど、次第に体制を整え、活動を強化していくことになる。すでに「九条の会」の発足を知った各地の人びとから問い合わせや、「支持する会を作った」などの声が寄せられているが、当面はこのアピールを全国に広めるよう努力して欲しいというのが事務局(小森陽一東京大学教授ら)の要請だ。

昨今の情勢から見て、9条改憲反対の一点で最も広範なネットワークを組織することは緊急の課題だ。なぜならマスコミ各社の調査では、憲法「改正」の世論が多数を占めると報道される中で、その内容を分析すれば「9条維持」の声は依然として世論の多数であり、広範な民意を代表するものだ。与党と改憲派はさまざまな手段で改憲への歩みを強めようとしているが、この世論の現状を考えれば、それは決して容易ではない。反対に、もし私たちが「9条改憲反対」の世論を大規模に結集することに成功するなら、この戦争への道を進めようとする危険な野望を、改憲の「国民投票」において食い止めることができるということに他ならない。その勝利は大多数の市民の主権者としての政治的自覚を高め、この国の政治を立憲主義のもとに引き戻し、「違憲国家」としてのこの国の現状を大きく変革するための歴史的な契機となるに違いない。それはこの日本が21世紀にふさわしい「憲法9条国家」として、アジアと世界に輝く道だ。

発足した「九条の会」にはそうした歴史的な運動の「結び目」としての役割を果たすことが期待されている。(高田健)

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◆「九条の会」アピール◆

日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。
ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、5000万を越える人命を奪った第2次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。

侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した9条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。

しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、9条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核3原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。

アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。1990年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。

20世紀の教訓をふまえ、21世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。

憲法9条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法9条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。

私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法9条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民1人ひとりが、9条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという1点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、1人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。
2004年6月10日
井上ひさし 梅原 猛 大江健三郎 奥平康弘 小田 実 加藤周一  澤地久枝 鶴見俊輔 三木睦子

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記者会見での各氏の発言と記者との対話(文責・編集部)

加藤周一
私どものアピールはお手元にあると思いますが、その趣旨を簡単に申し上げます。
2つありまして、まず第1点は、私たちは憲法一般の問題を議論するのでなくて、日本国憲法の改定、ことに九条の改定にわれわれの関心は集中していて、そのために作った会であり、そのために作ったアピールです。第2点は、9条の問題に関してわれわれは危機感があり、黙って見ていることができないということがあります。そしてわれわれにできることとは何かと言えば、9条を護ろうという人たちの運動がいろいろとあり、小さな会もあれば大きな会もあるのですが、その人たちの横の運動がほとんどないのですね。たとえばどれぐらいの団体があってどれぐらいの人たちが活動をしているのか、推定どれぐらいの数なのかということもわからないのですね。そういう意味で、お互いの横の連絡、ネットワークを作りたい。そのためにできることをしたいというのが趣旨です。

さまざまな運動を統一することを目指しているのでは全くありません。従って全国的な組織を作ろうということなどは全く考えていません。相互連絡の手伝いというか、有効な連絡ができるようにするために、われわれにできることをしたいというのが趣旨です。それでは今日来ていただいた呼びかけ人の方々にご意見をお伺いしたいと思います。

鶴見俊輔
憲法改悪をとめるという問題は、いまこの日本でということですが、長く遡って捉えないとしっかり取り組むことはできないと思います。それは社会にとって、個人にとってもそうだと思います。憲法9条を日本国の外交方針の支えとして生きていくということなんですが、その心構えは明治以前からの日本人の知恵を私たちの心の中に掘り起こしていかなければできないと私は思います。日本語は、ヨーロッパのイギリス語やフランス語を凌ぐ長い歴史を持っているんです。中国の隣にいるから短く感じるだけで、文学と原語はものすごく長いんですよ。「防人の歌」とかいろんなものがあるでしょ。「万葉集」や「古事記」など。そこからつながっていて日本語そのものを掘り起こさないといけないので、別に近代ヨーロッパの言葉を引っ張ってきて翻訳したら我々の支えになるかといえば、ならないです。ならないことはこの150年の証明なんです。個人の歴史としても生まれたときからの問題です。生まれたときに日本語を教えてくれたのは女なんです。女の協力なくしては(9条を護ることは)できないですよ。今日は残念ながら男だけですが。私は、女と女に協力する男にしか期待していませんが、そういうふうに運動が変わっていくことを望みたいですね。そこから原語や原語の前の身振りも出てくるのですから。そこから出発しなければ、戦争を止めようという考えは出てきませんよ。ですから、女と女に引っ張られる男に期待するというのが私の信条で、日本の歴史、社会としてもものすごく昔に戻らなければ、明治以前に戻らないとだめですね。で、男ではなくて、自分が生まれたときに戻らないと、本格的に戦争を止めようという意思は作れないと思っています。

奥平康弘
憲法研究者の一人として会に加わることにしました。この会のターゲットは9条一本に絞って、改定に対する反対の声をあげていこうというものです。このところ「憲法改正問題」という言葉、あるいは言い方がまかり通っているうちに、だんだん9条以外のところに問題が拡散されてきて、9条改定という争点がぼやけてきています。それは改定を実行しようとする人たちのさまざまな思惑の結果としてそうなってきている。そしてその後、たとえば具体的な日程として憲法改訂に関する立案、つまりそういうテキストを作り、国民投票にかけるというようなにらみ合わせをするときに、9条以外をどんな形にするのかという議論がすでに出かかっているわけです。そういうなかで向こう(改憲派)が仕掛けてきた争点の作り方の結果として、9条が争点だということがぼやけてきたということ、このことが持っている危険な意味、つまり憲法の改定全体に関わる一環として9条も曖昧にしだした。そのことによって出てくる問題、そのことによって与える影響というのが問題だと思っているのです。

したがって、「敵は9条にあり」ということに焦点を合わせながらも、しかしながら向こう方はそれをぼやかすような、ぼやかし方が持っているさまざまな問題も指摘して、さらに9条が争点だということを浮かび上がらせていくことが必要だと思います。

そして9条が争点だということを浮かび上がらせるなかで、これまで体制を批判しながら日本政府を見据えてきた人たちは、9条について、どちらかというと消極的な形で「憲法を護れ、護れ」と言ってきた。それは向こう方(改憲派)が自衛隊を作り、自衛隊をさまざまな格好で働かせてきたという動きがまずあり、そういう動きとの関係で「それはおかしいぞ」と言い続けてきた。その結果、ある種の消極的な側面というのがあった。向こうの出方に合わせて、それは違憲だと言い続けるポジションをとらされ続けてきたという気がします。

ですから、「9条も含めた全体としての改正です」という向こう側のポジションを見た場合、憲法9条を積極的に押し出していく、9条が持っている、9条が生きていくための平和的環境といいましょうか、平和主義が平和主義として国内だけでなく世界に向けて、平和主義を積極的に利用する、従ってそれはまた外交政策にも経済政策にも現れるような形で9条の問題を、単に国内の消極的な問題としてではなくて、国際的な環境から見てポジティブに引き出していく、そのポジティブに引き出していくことが、日本国憲法の中で9条が占めていた要素というものを、いまこの段階で活かすことになるのではないかと思うのです。そういう意味で、僕としてはこの会の一員として微力を尽くしたいと思っています。

小田実
この会に私が加わったのは、実はこういうきっかけがあります。4月30日に西宮で改憲反対集会――土井たか子さんとの対話集会に出たんです。そのときの題名が「今でも旬の憲法」でした。私は大変違和感を持ちました。「今こそ旬の憲法」だと。いま全世界で、武力を使ったらダメだということがはっきりしてきたんです。そうすると憲法が持っている平和主義、その理念は9条だけど、それが正しいことが証明されてきているわけです。だから今までが旬でなく、「今こそ旬」なんですよ。平和主義という語源が平和憲法です。戦争が終ったときに国連が世界人権宣言を出しましたが、本当は世界平和宣言を出すべきだったんですが、そりゃ出せないですよね。だってみんな平和主義じゃないからです。

日本国憲法というのは言ってみれば世界平和宣言なんですよ。日本国憲法に世界平和宣言としての価値が今出てきたんです。それを大いに使うべきなんです。たとえばイスラエルとパレスチナの戦争を停戦させるために「東京合意」というようなものを作るとか、いろんなことができると思うんです。そういうことを何もしないで、ただ「護憲、護憲」と言っていてもダメなんです。だからそういう意味で「今こそ旬」だと思うということをこの間の集会で話したらみんなびっくりしてましたけど、元気になりましたね。岡山であった別の集会でもこの話をしたら、みんな元気が出てきた。やはり「今こそ旬」なんだと認識を改めて、今こそ日本がこの憲法を使わないと世界がダメになりますよ。

日本は大国なんだから使う力を持っています。こういうときに使わないと一国だけで終ってしまいます。全世界的な価値を憲法が持っているのに、集会に行くと「今でも旬」と言っているのは情けない話ですね。私はいろんな集会に行きますけど、みんなどうしていいか分からないんですよ。「護憲、護憲」と言っても、どうなるか分からないと。だからこの9人で、憲法にどんな価値があるのかという基本原理をもういっぺんはっきり言うことが必要だと思って私は参加したんです。私は地方に住んでいるから分かるのですが、「地方の時代が来た」なんて言ってますけど、そんなの嘘八百ですよ。ジャーナリズムにしても東京中心だし。結局、みんな東京を見ていますよ。そしたら私たちはこの(地方の)価値をちゃんと認めて、ちゃんと発言する。そうするとそれが土台になって地方が息づくんですよ。そういうことで、この会で講演会をするなりしてアピールすることで、憲法の基本的原理がここにあるんだということを言わないといけない。地方の集会などではどこかの大学の先生を呼んで憲法の話をしたりするのですが、何を言っているのか分からないですよ。その先生自体が憲法が何だか分かっていないから。そうすると憲法の基本的原理を、憲法学者としてでなく一市民として何が必要なのかということをこの9人ではっきりとすることができたらと思って私は参加しています。

大江健三郎
自分が10歳のころに戦争が終り、12歳のときに憲法が施行されて教育基本法が出来あがりました。12歳のとき(1947年)から現在まで自分がどのように生きてきたかということをノートにとりながら考えてみますと、憲法が常に基本だったと、私は考えるわけですよ。私にとっての憲法とは、子どもの自分が把握して、そのあとずっと常々思い出すことがあったわけです。

たとえば、イラク戦争が始まれば憲法について考えますし、自分に障害を持った子どもができれば憲法のことを思ったり教育基本法のことを考えます。そういうことで一生をやってきたと考えております。そういうことを自分でメモをとってまとめています。矛盾なども感じながらも憲法と一緒に生きてきた自分というものを表現してみようと思っています。それは小説に反映させたりしますけども、講演会などに呼んでいただければ「自分は憲法についてこのように考えている」ということをお話ししたいと思っていました。そのときにこの呼びかけ人にならないかと言われまして、講演会などで話すことは私にもできると思い、喜んで加わわらせていただいたんです。

喜んだ理由というのは、1人で憲法について突き詰めて考えるというのは、『世界の中心で愛を叫ぶ』ではないですけど、あまり説得力がないと思うんですよ。ここに集まった方たちと話すと、自分の考えている憲法に対する考え方というものが明かに広がっていくという感じがします。自分の考えを広げてもらっていることとしてこの運動をしたいと思っています。憲法を護る数多くの運動が集まってくる、大きなネットワークにしたい。熊方南楠の「萃点」という言葉があります。いろんな考え方や動きが、まとまってある点になるという。憲法9条を護るというさまざまな人々のタイプの声が動いていく間に、重なっていくある場所(別に特権的なものではない)、そういう「萃点」の一つに、この会がそういうものとして皆さんが使ってもらえたらどんなにいいだろうかというのが1つの希望であります。それから小説家として、日本のこの10年間の政治を見ていますと、言葉にしないという基本方針が政府にあって、それによって「実績」を収めていると思うんですよ。たとえば、小泉さんが話すというのは、言葉として話さないということ。しかも、実際の政治の動きとして小泉首相が勝利を収めるということが、議会や外交において見られてきたと思います。憲法9条を変えようという動きのなかで、いまイラクで多国籍軍(多国籍軍自体の定義が曖昧ですが)に自衛隊を参加させるということを、言葉としては何も言ってないのに実績としては、イラクに日本の軍隊を置いておくということになっている。これは憲法9条をひっくり返すための実績が1つ積まれたことになります。

その点で、私は今こそ憲法9条のことを考えないといけないと思うわけです。この前、ある放送局で中曽根元首相とお話しすることがありました。僕はお話しをしたつもりですが、向こうは僕とお話ししていないと思いますが(笑)。そのときに最後に彼が「教育基本法を変えないといけないと思う」「日本人の教育であるから伝統というものを大切にしないといけない」と言ったんですね。ところが伝統というのは何を指すのか分からない。たとえば僕の人生の中での伝統というと、今の憲法というのが私の中の伝統となっていますが、中曽根さんは戦前・戦中の日本にファシズムが台頭していく過程のことを伝統を作り出した時代と言いたいのか、あるいは明治時代なのか、明治以前なのか、伝統についてはっきりと提示しないで、教育基本法の中心に伝統を据えるとすれば、新しい教育基本法が出来あがるとすれば、現代の憲法に対する否定として「実績」として積まれると思います。

私は教育基本法をだいたいそらで言えますが、本当にいい文章なんです、内容があります。悲惨な戦争をしてアジアに悲惨を撒き散らして、世界的にも断絶して、日本国内にも大きな損害をもたらした。こういう段階で、大人が子どもたちに「私たちはこういう教育をしようとしているんです」と子どもに本気で訴えかけている言葉です、教育基本法の文体は。法律の中でこういういい言葉を使っている法律を私はあまり知りません。これは憲法の前文と9条にもつながっています。憲法全体の非常に優れたエッセンスを取り出して、しかも分かりやすい言葉でみんなに伝えようとしている。伝えようとする自分たちは、戦争に責任のあった人間として、日本を再建する人間として、それに携わる人間として、父親として教師として、「われわれは、こうしようとしているんだ」と呼びかけているんです。世界に向かって開いていく教育というものが基本的な構想です。たとえば、われわれが平和と真理を目指す教育をするとか、個性というものを表現しながらしかも普遍的であるものを文化として作りたいと言っているのは、日本人が世界に向かって開こうとしているわけです。その勢い、その方向づけが教育基本法の一番いいところで、そして憲法につながるところだと思います。今日の新聞にも自民党の教育基本法作り変えの構想が出てましたが、「愛国心」という言葉を入れるとなっている。それは世界に開くというよりは、世界から日本に閉じこもるという考え方だということは説明する必要はありませんが、伝統という言葉もそうです。中曽根さんや自民党の人たちが言う伝統という言葉も日本の国内に閉じこもる方向にあるものです。

ところが一般民衆としては、市民としては、例えばイラクの人質事件がありましたが、18歳の青年と30代の女性が、日本の一人の市民として、日本というものや時を越えて、向こうの個人と結びつくということで、それは教育基本法が言うのと同じように個人の働きにおいて世界の普遍というものにつながっていくということです。こういう個人の態度がこの60年間のなかで新しく出来あがった伝統なのではないかと思います。自分としては教育基本法を焦点にして、個人から普遍に向かっていく、国内から世界に開いていく教育、そういう日本人の生き方というものを、言葉ではっきり表現しながらやっていくという方向にしたいと思います。そういう考えで私はこの会に参加しています。

小森陽一
それでは、皆様からの質問をお受けします。

記者
質問は3つあります。まず、奥平先生が「焦点が9条」と言いましたが、自民党案や『読売』の改憲試案などを見ますと「新しい人権」とか「家族の価値の復権」とかいろんなものをセットにして出していますが、それは9条問題を隠す「煙幕」なのでしょうか。2つ目は、この会が出来た経緯についてです。小森さんが危機感を持って、今日集まった識者の方に声をかけたのかどうかなど会の出来あがる経緯を教えていただきたい。というのは、危機感によって会が出来たというのであれば、戦後50年の段階で『読売』が改憲試案を出すなど数年前から改憲に向けた動きがあるのだから、もっと早く危機感を持ってもよかったのではないか、ということです。それから3つ目は、講演会をやる以外の他の行動を考えているのであれば教えてほしい。

奥平康弘
そもそも最初に憲法改正問題が出たときには非常にはっきりと端的に9条の問題として出てきたが、憲法調査会がある程度のイニシアティブを持つということも関係あったのでしょうが、徐々に9条ではなく憲法改正一般の話になってしまった。これをどう分析するかは、僕は政治の専門家でないので分かりませんが、向こうの出方としては今ご指摘のあったように、結果的には9条の争点をぼかすことになり、そして今後、国民投票になった場合に9条だけを裸で出すか、それともその他も含めて投票してくださいと出すのか分かりません。そのときにこちら側がどういう答えを形式的に出すのか、「これはいいけど、あれはダメだ」という選択ができるのかできないのか、いろんな可能性があって、たぶん向こう側も、憲法改正草案を国民投票にかける場合のスタイルの問題について悩むこともあるのかと思う。そうすると、9条だけに絞って国民投票が行なわれる可能性もある。また「修正ではなくて新しいものを入れるのですよ」という「加憲」という方法でくるかもしれない。どのような形で国民投票にかけられるのかは現在僕も分からないですし、向こう側もこれからの国民の反応次第でスタイルを決めてくるのだと思います。ここでやはり機軸になるのは何と言っても9条であり、9条を押し進めることでさまざまな波及効果があるのだと思います。9条が改正となった場合、政治の再編、文化や教育の改変ということが一体となって現れてくるのだろうと思う。向こう側の、特に今世紀になってからの憲法改正に関する争点の出し方というのは結局、9条を改正しようとする意図の本質を表しているのではないかと思います。

小森陽一
2つ目の質問の会ができた経緯は、加藤さんからのメッセージを私が大江さんにお伝えし、お2人の間で今日配ったアピールの文章が出来あがり、今日名前を連ねていただいた方にお願いをしたということです。今年春ぐらいからのことです。3つ目の質問のなぜ今ごろなのかということですが…。

加藤周一
アピールの中にも書いてありますが、現在、憲法改定への動きが強くなっていることに反対なんですね。だから護ろうということで、それが趣旨です。経緯ということで言えば、それは日本戦後史ですよ。戦争が終ってすぐに憲法ができて、9条というのは国際紛争を解決する手段としての武力の放棄が第9条ですよね。それに対して戦後60年の日本の政治史および社会史がどう反応してきたかというと、いわゆる解釈改憲というふうに動いてきたわけです。最初は警察予備隊、そして自衛隊になった。自衛隊を合法化するための解釈は、「9条が禁止する武力には自衛のための武力は含まない」という有名な議論があるわけですが、そういうことを続けてきたわけですね。そういうことが続いてきて、ある段階まできたとき、非常に手のこんだ解釈をすることによって自衛隊が合法的となったわけでしょ。そしてそれがしばらく続いてから、最近になってから、防衛の新ガイドラインができ、有事法制、イラク特別措置法など色々な法律がだんだんできてきて、9条が禁じている国際紛争を解決するための武力の行使が、可能になる方向でだんだん法律が整備されてきたわけですよ。それが戦後60年史ということになるのではないですか。それだけではなくて、行動による事実の積み重ねがあるわけですよね。法的整備をするのと同時に、軍隊を実際に派遣するということも行なうでしょ。だんだんにそれも拡大されてきます。始めは国連の平和維持ミッションに自衛隊を派遣したり、その後は平和維持ではなくて現に戦争中のところに「人道的な目的だ」ということで自衛隊を送るという。憲法9条の解釈改憲が行なわれてきたこと自体は、いかに武力を紛争解決に使うことに対する制限を緩くしてきたかということです。だから制限は働いていたわけです。憲法9条がなかったらあんなに苦労して「9条解釈によれば、自衛のための軍隊は9条が放棄している武力ではない」などという手のこんだ議論をする必要はなかった。こういう手のこんだゴマカシをすること自体が、軍隊を派遣したい側からすれば、いかに9条が面倒な制約であったかということの証明じゃないですか。だから、事実を積み重ねすることと新しい法律を作って、だんだんに自衛隊の活動を拡大していくということを行なう側からすれば、9条というのは非常にうるさい制約だったことを意味していると思うのです。私たちのように始めから9条に賛成の立場から言えば、条文を変えてしまえばもっと自由になってしまうと思い反対するのは当然なんですよ。解釈改憲が限界にきたからこの辺で条文を変えるということは、今よりももっと(武力行使の段階が)先に行くということですよ。だからそれに反対する私たちの側から言えば、この時期に反対という立場をはっきりするしかしょうがないわけですよ。要するに憲法改定に反対するという、これがこの会ができた経緯です。要するに「解釈改憲」と「なし崩し軍国化」に対する反対が、一方では憲法改定の要求になり、もう一方では改定反対の要求になる。後者の反対の立場の会が、この会です。
だから経緯は日本の戦後史そのものなんです。だからわれわれにとっては、昨日思いついたことじゃない。ここにいる人たちにとっては、戦後ずっと考えていたことですよ。目をつぶっていたわけじゃない。何が日本国に起こっているのかといえば、それは「なし崩し改憲」でしょ。そして条文をいよいよ変えようということにまで及んできたときに、こちら側もできるだけの抵抗をしたいということですよね。これが経緯です。第2次大戦のときもそうでしたが、日本国内の常識と国外の常識が違うことがよくあるんですね。それが1930年代に非常に大きくなり、そして最後に太平洋戦争に突っ込むわけですが、今度の場合も日本国内の常識と外国の常識が違うんですよ。外国というのはアラブも中国も朝鮮半島も含む、アメリカでさえもそうです。だいたい私の今言ったことは天下の常識です。もしこれを疑う人があるのなら、一歩でも外に出て外国の人に聞いてみてください。日本のことを知っている人であれば、だいたい私が言ったことと同じことを言います。これが現状ですよ。事実を直視して、それに対する現実的な対応をしましょうというのがアピールの中心的問題です。

小田実
付け加えればね、「今まで危機が来ているのになぜ今ごろなのか」という質問でしたが、それほど危機が今来たんだよ、逆にいうと。私たちはつるんでいるわけではなくて、それぞれ個々に書いたりしゃべったりしているわけですね。みんなやっていますよ。でもそれだけじゃ足りないと思って呼びかけに応じたわけ。それほど危機が来ているということを申し上げたい。

記者
9条とは少し離れるが、教育基本法に関連した質問です。東京都で行われている国旗・国歌に関する締め付けについてどう思うか?

大江健三郎
教育基本法には「国旗を尊敬しろ」「国歌を歌え」ということは書いていません。いまこの法を改定しようとしている人たちが目指していることの一つは「日本の伝統をはっきりさせろ」ということがあります。あの伝統というのは、国旗・国歌問題に関する基本的な出発点になると考えています。すでに、日本人が国旗を尊敬すること、国歌を歌うことは日本の伝統を考える態度だと考える政治家、評論家、教師が現にいるわけです。新しく教育基本法というものがつくりあげられてしまえば、国旗・国歌に対する子どもたちの態度に関してはっきりと枠を作ってしまうことになります。枠を作ることが法律のうえで正式に認められてしまうことになるだろうと思います。アメリカは国旗や国歌を大切にしているではないかという考え方は間違いだと思います。アメリカでは、子どもたちが国旗を尊敬しない、国歌を歌わないという自由が確立されていると、自分の経験からは考えます。国旗・国歌というものが戦争のときの状態に戻ってしまう、しかも教育基本法にはっきりと示されてしまうということは大きな問題だと思います。たとえば石原慎太郎氏は、国旗・国歌に反対する教員をなぜ処分するのかということを、はっきりと自分の口から言っていないし、言えないですよ。曖昧な物言いになっています。しかし、教育基本法が改定されてしまえば、石原氏は「教育基本法に根ざして」とはっきり言えるわけです。国旗・国歌に対して自由な態度をとることが現実的に不可能になると思います。そいう点から考えましても、今の教育基本法がどれだけのことを言っているのか、それが現在考えて否定すべき理由、根拠が全くないということであり、教育基本法の改定には反対です。このことが憲法九条を護ろうという考え方と直接つながっています。教育基本法というのは、60年前に憲法を作って出発し直そうとした日本人の魂と言っていいほど、よく表現されたものだということをもう一度言っておきたいと思います。

記者
論憲、創憲、最近では加憲などという言葉で、改定に向けて語られていることについてどう思うか? それからもうひとつ。大江さんがこういう会に参加されるのは非常に久しぶりだと思いますが、この辺のお気持ちをお聞かせください。

鶴見俊輔
論憲、加憲とかの自由はもちろんあるべきだと思います。細かいことを言えば、私もそういう意見を持っています。憲法起草委員会の一番若い人だったベアテ・シロタ・ゴードンさんは、「全ての人間として生まれた者は同じ権利を持っている」という条文を書いたんです。ちょっとこれは通りにくいということで、現在の憲法の中には入っていないんです。私はこれは大変重要だと思います。シロタは日本で暮していたので、日本の女性がどのように差別されていたのか、朝鮮人が差別されているのかを知っていたのです。彼女自身がユダヤ人で、2000年の差別を自分の中に持っていますから、ちゃんと言えたんです。嫡出子と私生児の区別があまりではないかということも入っていますし、在日朝鮮人に関しても、この憲法を作っているときにワシントンから何も指令がなかったんですよ。なぜかといえば、ワシントンの占領担当の人は日本にこれだけたくさんの朝鮮人がいることを知らなかったんです。だから日本の政府は、朝鮮人に対する扱いを戦前、戦中と同じにしたんです。戦前と同じように殴ったり、差別的なことを言ってもいいという、そういう習慣によって日本の官僚は動いたんです。シロタの出した案は、在日朝鮮人の権利を論理的に擁護するもので、これが条文として憲法に入っていれば、戦後の在日朝鮮人への差別はなくなったと思います。こういうことを含めると私は論憲、加憲の立場ですが、しかしだから全体を改定すればいいじゃないかという立場には立ちません。争点は9条を護るか護らないかというところに焦点をおきますと、私は9条を護ったほうがいいという考え方に立っています。

大江健三郎
私は22、3歳で小説を書き始めたころから「自分は戦後民主主義者である」ということを書いてきました。そして憲法というものが、大げさに言えば自分の世界に対する態度ということ、自分のモラルというものの考え方の支えというか、外してはいけない土台として憲法があると考えてきました。これは今まで私が書いてきたものを読んでいただければ、そんなに私が矛盾していないということが分かると思いますが。そして、その間、ノンビリと憲法がいいということを言ってきただけではない。私は「平和憲法」という言葉は使いませんでした。若い学者諸君が「憲法は空洞化された」と言って批判する場合も、確かにこれは現実問題としてあると思ったが、空洞化されたとしても憲法が文字として言葉としてあるということと、全くなくなるということは根本的に違うことだと考えてきました。言葉として憲法(9条)がある、でも現実には自衛隊というものがある、その矛盾というもののなかで生きているということを考えて書くこともしてきました。意識的に憲法について考えるようになったのが40年と考えても、その40年間で憲法が実際に言葉として書きかえられる可能性が一番いま大きいと思います。かつては憲法改正という言葉が言われるけれども、実際には言葉が書きかえられること改定されることは現実にはないだろうと私は楽観的に信じていたと思います。拡大解釈されながらも現実的にはこれまで改定されることはなかった。しかし今は改定されようとしている。そういう意味で現在私にとっては、一番大切に考えていたひとつの柱が倒されようとしている時と考えて、何かしようとして、この会に参加しています。

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有事関連7法・3条約協定の強行と、自衛隊の多国籍軍参加
日本が「戦争ができる国」となった時代の劈頭に立って

6月14日、有事関連7法・3条約協定案が参議院で強行採決された。
私たち市民連絡会のメンバーはその日、午前から、本会議採決の17時40分ころまで参議院議員会館前にたっていた。正午からの「戦争反対!有事をつくるな・市民緊急行動」「陸海空港湾労働組合20団体」「平和をつくり出す宗教者ネット」「平和を実現するキリスト者ネット」が呼びかけた国会前集会には多くの市民団体などから約300人ほどの人びとが参加して抗議行動を行った。その後、私たちは国会前に座り込み、強行採決の時は日本山妙法寺の僧侶のみなさんや駿台文学会の学生さんたちと共に、こころから怒りをもって抗議の声をあげた。

この戦争法を強行した小泉内閣と与党-自民党、公明党、それに協力した民主党は歴史によって断罪されなくてはならない。

先の有事関連3法反対運動に続いて、有事法体系を完成させるものと位置づけてきた7法の阻止運動で、私たちはそれを阻止できなかった。この間の運動は、この日も共同行動をした4団体の共闘など、従来の運動の幅を超えて大きく発展してきた。有事法発動の際には業務従事命令の対象となる労働者たちと、市民・宗教者たちがこの3年近くにわたって共同してきたことはきわめて重要な経験だった。同時にこの間、連合系といわれる「平和フォーラム」と市民・宗教者の連携も継続された。これらの共同の呼びかけは戦争に反対する多くの人びとを励まし、行動に立ち上がらせた。しかし、とりわけ労働運動に大きな影響力をもつ民主党が有事法制の成立に加担したことで、反戦運動は大きな打撃をうけ、運動の拡大は阻まれた。

この日は、平和憲法の下で「戦争ができない国」「戦争をしてはならない国」とされてきたこの国の歴史が、「戦争ができる国」「戦争をする国」に大きく転換した節目となった。あたかもそれを証明するかのように、イラク派遣の自衛隊を多国籍軍に参加させるという小泉首相の日米首脳会談での約束がこの日の国会で問題になり、18日にはこれも閣議決定された。首相はさまざまに弁明するが、イラクへの自衛隊の派遣の時と同様に、各種の世論調査では6~7割の反対があるにもかかわらず、まさに「多国籍軍」という米国中心の軍事機構に自衛隊を参加させる決定をしたのだ。憲法に反し、世論に反して、歴代自民党政権の見解にすら反して、立憲主義、法治主義を投げ捨てて、小泉首相は永田町の数の論理に頼り、こうした希代の悪政をやってのけた。

しかし、今後も私たちの反戦の運動は続く。このような無法の政治を許してはならないからだ。戦争は絶対に許せないからだ。いかなる口実を持っても他国に軍隊を派遣し、人びとを殺傷することは許されないし、止めなくてはならない。全国各地の草の根でさまざまな人びとが不屈に反戦の活動を続けている。各界の人びとが声をあげ続けている。それらのネットワークは急速に広がっている。

強行された有事法制を発動させない闘い、戦争協力を拒否する闘い、そしてなんと言っても憲法改悪を阻止し、9条改憲阻止の国民投票で勝利する闘いが今後の大きな課題となっている。憲法改悪阻止の国民投票において、改憲の企てを打ち破ることができるなら、それはいま成立した戦争法を廃棄するあらたな闘いに勝利する道をきり開く力となるだろう。有事法制に反対する運動が形成した広範な共同の力を、さらに憲法第9条改悪阻止の運動へと飛躍させることが切に望まれる。

憲法はその極度の解釈改憲によって踏みにじられているが、それでもなお明文改憲は行われていない。依然として好戦勢力の障害であり続けている。その意味で、今回の「9条の会」の結成は大きな意義をもつものであるし、会の結成を知った各地の人びとから歓迎する声が続々と寄せられている。ほぼ同時期に土井たか子社民党前党首らによる「憲法行脚の会」(次頁記事参照)も設立された。

戦争可能な国家への変質という新たな歴史の劈頭にたって改めて確認する。わたしたちはあきらめない。私たち一人一人は微力だが、無力ではない。微力な民衆の力が無数に集まれば巨大な力になる。この民衆の力こそが戦争を阻止できる。

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自衛隊の多国籍軍参加に反対する記者会見

6月18日、国会内でWORLD PEACENOWが自衛隊の多国籍軍参加に反対し、即時撤退を求める共同声明の発表記者会見を行いました。 この時点で1119団体・個人の賛同を発表しました(これに数十の追加があります)。

記者会見では高田健が経過を説明。「わずか4日あまりの、インターネットによる賛同呼びかけだったが、予想以上に反応は大きく、たくさんの賛同が集まった」と報告しました。その後、元防衛政務次官の箕輪登さんと、弁護士の内田雅敏さんがコメントし、質疑応答をしました。

箕輪さんは「イラク派兵も、多国籍軍参加も自衛隊法88条違反であること、自衛隊は専守防衛の組織であり、海外派兵は許されないこと、自分はタカ派と呼ばれ、自民党員だが、平和問題には保守も革新も、タカもハトもない。小泉内閣の政治はとんでもない間違いだ」と指摘しました。内田さんは「小泉首相は無法者であり、アウトローだ」と批判しました。

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共同声明:自衛隊のイラク「多国籍軍」参加に反対し、自衛隊のイラクからの即時撤退を求めます

呼びかけ:WORLD PEACE NOW実行委員会

G8サミットのために訪米していた小泉首相は、6月8日にブッシュ米大統領と個別に会談し、国連安保理決議を受けて、自衛隊を「新決議」に基づいて多国籍 軍に参加させると約束しました。現在イラク・サマワに占領軍として派兵している自衛隊を、そのまま多国籍軍に横滑りさせるというのです。

この自衛隊のイラク多国籍軍参加は、まったく違憲・違法なものであり、私たちは絶対に反対です。この小泉首相の言明は、従来、政府が取ってきた態度を 180度転換させるものです。政府は1991年の湾岸戦争の時以来、「武力行使を任務とする多国籍軍に参加し、司令官の指揮を受けて活動することは憲法上 問題がある」という態度を取ってきました。つまり自衛隊の多国籍軍への参加は、憲法に違反するという立場です。

しかし小泉内閣が、イラク派兵自衛隊の多国籍軍への横滑り的参加の方針を固めて以後、6月1日に秋山内閣法制局長官は、国会答弁で従来の立場を否定して、 「武力行使を行わず、活動が他国の武力行使と一体化しない場合には、武力行使を伴う任務、伴わない任務の両方が与えられる多国籍軍に参加することは憲法上 問題ない」と述べました。

しかしこれはまったくの詭弁にすぎません。6月8日に可決された国連安保理の新決議(決議1546)。は、「多国籍軍は・治安維持に貢献するために必要 なあらゆる措置を取る権限を有する」となっており、多国籍軍は「統一指揮」の下に入ると明記されています。多国籍軍の任務に「人道・復興」がふくまれてい るとしても、それは武力行使を含む「治安維持」と切り離されるものではありません。あくまで主要目標は同決議の付属文書となっているパウエル米国務長官の 安保理議長への書簡にあるように「治安維持」「武装集団に対抗するのに必要な活動」「イラク軍の訓練と配備」なのです。

米軍を主力にした「多国籍軍統合司令部」の「統一指揮」下に入る自衛隊が、「独自の指揮権を維持する」などということは現実には全くあり得ないことです。  しかし小泉内閣は、国会にも諮ることなく、与党からの疑問・批判をも押し切ってイラク特措法に今回の新決議を「政令」で加えて、多国籍軍への自衛隊参加 を強行しようとしているのです。こうしたイラク多国籍軍への自衛隊参加は、憲法違反であり、与党が一方的に強行したイラク特措法すら踏みにじるものです。

またこの「多国籍軍」自身が、占領支配を継続させるための存在であることも明らかです。圧倒的多数のイラク民衆は、「暫定政権」と多国籍軍を通した不法な占領の継続に強く反対しています。

私たちは、憲法を踏みにじる自衛隊の「多国籍軍」参加に強く反対し、自衛隊のイラクからの即時撤退を強く求めます。

2004年6月18日

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