私と憲法

公開シンポジウム・基調発言より
これからの運動を考える

龍谷大学教授 山内敏弘

今回の選挙はマスコミが「マニフェスト選挙」「政権選択の選挙」とあおったこともあってそう理解した有権者も多かった。しかし私は今回の選挙によって小選挙区を中心にした現在の選挙制度の問題がうきぼりにされた、と思っています。今の制度については「政権交代のために」あるいは「派閥選挙から政党中心の選挙のために」必要だとされてきました。しかし根本的な問題として、得票数と議席数のアンバランスということがあります。第一党が得票数よりも過大な議席を獲得するということが起こります。今回の自民党にしてもそうです。国民の多様な政治意識が縮図的なかたちで議会に反映されることがあるべき選挙であるならば、小選挙区制は選挙制度として間違っているということになります。「政権選択」という側面についても、どちらが民主主義の「質」としてふさわしいのか、を考えなくてはいけないと思います。今回の結果については改めて選挙制度のことを考えざるを得ないということを指摘しておきます。さらに来年の参議院選挙においては何らかのかたちで社民党、共産党のレベルで選挙協力を考えないと勝てないと思います。このことを市民運動の側から提起し検討をしていくことが必要です。

イラクにおける大使館員殺害事件について基本的には日本政府にも責任があります。しかし小泉首相、福田官房長官、川口外相の談話において自分たちの責任、あるいは謝罪の言葉が今に至るまで示されていない。このことが根本的に問題だと思います。それに代わって出ているのは「テロに屈するな」「彼らの遺志を無駄にするな」という論理です。これまで「国際協力」「日米同盟」「国益」という論理によってテロ特措法の違憲性などを隠蔽してきたわけですが、これに「テロに屈するな」というあらたな論理が加わったということです。国家によるテロ行為ということでいえば、これまでの最大・最悪のテロ行為はアメリカによるイラク攻撃です。イラクでの抵抗を招いた原因を抜きに「テロに屈するな」という議論を展開することは認識として間違いです。いまのイラクは軍事占領状態であり国際法でいえば戦争がつづいている事態です。そこに自衛隊が行ってアメリカによる占領の一翼を担うとなれば憲法が禁じている交戦権の行使に抵触します。政府はゲリラと衝突した時に自衛隊員が発砲しても武力行使にあたらないと弁明していますが、大前提が戦争状態であることをふまえたならば武器の使用が武力行使にあたらないというのは詭弁以外の何ものでもありません。「テロに屈しない」「死を無駄にするな」という言い方は一人歩きをするとある程度の説得力を持ち得ます。その時にテロを招いた原因について理を持って説得していくことが必要だと思います。私たちは「これ以上の死者を出していいのか」「死を無駄にしないためにも自衛隊を送るわけにいかない」ということを対置しなければならない。小泉首相はアメリカの要請と同時に、ある種の「賭け」に出ていると思います。今回の事件を契機に国民のナショナリズムが燃え上がることを期待しているのではないか。「死を無駄にしない」ために自衛隊が「復興支援」することが必要だという論理で新しい「英霊」をつくるきっかけにして「一国平和主義」をうち破り明文改憲へ進むということを考えているのではないでしょうか。

イラク問題は来年以降の改憲論議に直接関わってきます。9条を改めた場合どういうことになるのか、その一つの答えがすでに示されていると思っています。アメリカの要請や「国益」のために世界中どんどん自衛隊が出ていって戦争をする事態になる、ということです。9条の果たしてきた役割を総括すると(1)半世紀以上にわたって戦争していない、ということがアジアの国々に対する一定程度の信頼を不十分ながら得てきたことは積極的に評価するべきです。9条は決して「一国平和主義」ではないのです。(2)9条は単に平和の問題だけでなく自由の問題です。戦後の自由が9条によって下支えされてきたということです。現在のアメリカの「愛国者法」による自由の抑圧、日本で出てきている「国民保護法制」などを見てもそう思います。自民党の憲法調査会では国民の国防の義務をうたっています。また自衛隊の幹部は「国民が国防義務を共有しない限り自衛隊は軍隊にはなれない」といっています。外交官、自衛隊員がイラクで死ぬだけでは彼らは浮かばれない。その死を共有できる国民、物的・人的・精神的に協力できる体制が国内的になければ彼らは死ぬに死ねないというわけです。9条を変えることが国民の自由の剥奪につながることをとりわけ若い方たちに訴えたい。(3)9条が日本の戦後の経済成長、経済安定にとって果たした役割です。アメリカがイラク侵攻によって経済的に後退していることを見ても示されています。この問題は経済学者の参加も得て戦争放棄や軍事力の不保持などが経済環境、良好な持続的な発展のために必要だという論理をつくっていただきたい。

私は一切の戦争を認めないという考えですが、これからはその考えの人たちだけの運動では改憲を阻止することは難しいと思います。今後は「自衛隊は認めるが、9条の明文改憲は反対だ」という人々とも連帯をしていく必要があるのではないでしょうか。今回の選挙結果をふまえるならばこうしたかたちで幅広い緩やかな連帯をつくり出しながら改憲阻止の運動を進めていくことが課題となるでしょう。その中で軍縮や人間の安全保障についての国際的な対話をしていく必要もあります。国内だけでなく海外の特にアジアの人々のバックアップの中で進めていくことが大事です。今まで改憲を阻止してきた大きな力はアジアの声であったのです。私たちはこうした視野をもって運動を進めていくことが必要だと思います。

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