私と憲法32号掲載(11月)

小森陽一(東大教員)
9条の発信がアジアの願い

戦争する国への道

90年代後半の日本において一体どのように日本が戦争する国に大きくあゆみを踏み出してきているのか、この問題の中味をとらえておく必要があると思います。

1999年、周辺事態法が国会を通過しました。この法律はアメリカが世界のどこかで戦争を起こした場合に、日米安保条約という2国間軍事同盟に基づいて日本の自衛隊がアメリカの戦争を「後方支援」するということです。マスメディアでは「後方支援」という言葉が使われていますが、内実は軍事用語で兵站(へいたん)です。これは近代の戦争を行う上では不可欠なんです。つまり、 兵站、マスメディアの上では後方支援、これがなければ戦争を行えない。そういう重要な任務を日米安全保障条約という2国間同盟で日本の自衛隊が見直されているわけです。

今の国連の第2次大戦後の基本的な合意でいえば、世界の紛争を国連を中心に解決するためには何よりも国連の安保理事国、その常任理事国は第2次世界大戦の戦勝国でありますが、この合意を得て、しかも非常任理事国の合意も含めた上でやっていくということ、これが基本的な考え方です。けれどもアメリカがこの国連の多国間主義をはずした形で、ヨーロッパではアメリカとイギリスの2国間の軍事同盟に基づく集団自衛権の行使を理由に勝手にイラクに大量破壊兵器があるとでっち上げて攻撃をしている。同時に同じことが中東では、イスラエルの2国間の軍事同盟に基づいてイスラエルの無法なパレスチナ地域に対する攻撃は全面的に容認しながら、イスラエルの安全を守るということを口実に周辺のアラブ地域に攻撃をかけていく。イラクの石油にもっとも依拠しているのが、イギリスと日本なんです。このイラクを押さえることによって、イギリスと日本に言うことをきかせる。ヨーロッパと中東に関しては、2国間同盟に基づく集団的自衛権で軍事的制圧をほぼ行える。アジアではそうではない。

ここをどうやって突破するか。それが周辺事態法が通ったあと、現ブッシュ政権の重要な役割を果たしているアーミテージが報告を出している。そこで主張されたことは、日本が、ヨーロッパにおいてイギリスが果たしているのと同じような二国間同盟に基づいて集団的自衛権を発動できるそのような体制になってもらいたい。すなわち、憲法第9条を改悪してアメリカと一緒に軍事行動がとれる国になる。そこのアーミテージ報告に基づいて、2003年この国では、有事法制とアメリカが名付けた武力攻撃事態法、安全保障会議法の改悪、そして自衛隊法の改悪の3法が通っていった。

これは朝鮮半島で戦争が起こったときに、日本の国土の上を自衛隊が協力しあいながら、全面的な軍事行動を展開できるようにする、法律の集大成であった。そういう意味で2003年の国会では、憲法第9条をずうっと解釈改憲をしてきたその最終段階に入っている。そしてイラク特措法が国会を通過したことによって、今まで歴代の自民党内閣が戦場に自衛隊を送り、そこで武力を行使することは違法だというふうにしてきた解釈改憲最後の首の皮が切れようとしている。

天皇・9条-アメリカの世界戦略

ブッシュ政権を中心に横行している事態はあまりにも幼稚で、そして少しでも私たちが言葉を通して理論的に考えれば見抜けるようなウソが、けれどもお金で買われたマスメディアに繰り返し繰り返し反復されている。いわばマインドコントロールのように洗脳するかのように刷り込まれている中で、この自分で言葉を通して考える、人間にとって一番大事な力が奪われているわけです。これとの闘いが私たちが直面している事態だと思います。

たしかに憲法9条は、日本の現在の憲法の並びで言えば、1条から8条までが天皇条項で、それを支えるかのように憲法9条が位置しています。この問題に関しては、今年の夏、私は天皇の玉音放送という本を出して、あらためて一体どのようなプロセスの中でこの憲法が制定されたのかということをきちっと記憶の中から思い起こしておこうということを、提案させていただきました。

一言で言えばアメリカのGHQマッカーサーが天皇の権威を利用して、日本の占領政策を進めようとした。そのために、アメリカ以外の連合国を納得させるために、この天皇自身によって戦争を放棄し、軍事力をもたないということを言わせる必要があったという、憲法が制定されるときの大きな歴史的な条件というものは、はっきりと存在したわけです。しかし、問題はそこからなんですね。国体としての天皇の戦争放棄と軍事力の放棄をめぐる新憲法の条項と、しかし対になっていたのは、アメリカが沖縄を世界戦略の拠点としての基地として使うことでありました。この問題ではすでに1947年9月の段階で、昭和天皇裕仁からGHQに対して、沖縄をめぐるメッセージが送られています。

天皇はアメリカが沖縄と琉球の他の諸島を軍事的に占領することを希望する。天皇の意見では、このような占領はアメリカに利するだけでなく、日本の保護にも役立つ。天皇はこの処置はソ連の脅威だけではなくて、占領終了後に左翼と右翼が台頭し、内政干渉の口実にソ連が利用できるような事件が発生することをおそれている日本人によって、広く承認されるだろうと考えていると述べています。この事実を私たちは忘れてはならないと思います。つまり天皇はアメリカの占領軍によって守ってもらうことで自らの延命を図り、同時に戦犯として東京国際裁判で追訴されないポジションをとるために、あの本土決戦の代わりにされた沖縄をアメリカの基地に差し出したんです。

それだけではありません。マッカーサーが沖縄だけを確保していれば、世界戦略に対応できると十分考えていたのは、この時点で、冷戦がヨーロッパだけの出来事だったからですね。マッカーサーの考え方は外部の侵略から日本の領土を防衛しようとするならば、本人が言っていることですが、我々は陸海軍よりまず空軍に依拠しなければならない。こういう軍事判断を持っていたんです。仮想敵はソ連です。その前提にたって考えれば、沖縄はその位置において米国の防衛線にあり、ここに強力な空軍作戦を展開できる軍事力をおいて沖縄を軍事要塞化すれば、外部の侵略に対してアジアにおけるアメリカ軍の位置と日本の安全を守ることができるという、軍人としての判断を引き出したわけです。

けれども、朝鮮戦争でアジアに冷戦構造が持ち込まれることによって、これが崩れたわけですね。ここがマッカーサーの占領政策が転換する地点です。そして朝鮮戦争によって日本に対する占領政策も変わる。1950年6月25日に朝鮮戦争が始まるわけです。日本に基地をおいていたアメリカ軍は朝鮮半島に全面的に出撃しました。アメリカ軍がいなくなった基地をどうやって守るのか。これが憲法第9条に、百歩ゆずってアメリカが押しつけた部分もあるとしましょう。でも日本は軍隊を持たないということを明確に規定しています。この憲法9条に違反する形で、50年に日本にあるアメリカ軍基地を守るために陸軍の復活としての警察予備隊が作られたわけです。51年にはソ連を除外した形でサンフランシスコ講和条約が結ばれます。この条約が結ばれて日本が曲がりなりにも独立の「瞬間」に、旧日米安全保障条約が結ばれたわけですね。日米安全保障条約の前文において、非常に明確に日本が自らの国の防衛に必要な最低限の自衛力を持つことをアメリカ合衆国が要求するということも組込まれています。つまり日本が憲法第9条に違反して軍事力をもつということは、最初から日本の国土の防衛ではなく、日本におかれているアメリカ軍の基地を守る戦力をいかにして確保するかというアメリカの世界戦略の中で行われているというわけです。

9条をめぐる陥穽

アーミテージ報告はそうした一貫性の中で出されていることを私たちは忘れてはならない。そういう意味で言えば、今の憲法がアメリカから押しつけられた憲法だというふうに攻撃する人たちの決定的な二枚舌が分かるわけですね。彼らはアメリカと協力した戦争をやるために自衛隊を合憲化しようとしている。そういう勢力なんですから。ここに大きなウソがあることは明らかだろうと思います。そして1952年、海軍の復活である保安隊が結成され、そして保安隊と警察予備隊を併せて、1954年防衛庁と自衛隊が作られています。

防衛庁の防衛という言葉、自衛隊の自衛という言葉も日本国憲法に存在していません。その言葉が存在しているのは、日米安全保障条約の前文です。つまりここに文字通りアメリカに自らの命とその戦犯としての裁きをされないための全ての安全をゆだねた、かつての侵略戦争をし続ける国であった日本の主権者、昭和天皇の振る舞い方により、このような従属的な生き方、実際に通常の世界の独立国としては考えられないようなあり方が行われてしまったわけです。

なぜなら、結果として憲法第9条、日本は二度と戦争はしない、軍事力は持たないというこの日本国という国が持っている最高法規としての憲法9条の規定が、戦後の世界において、日本という国に対する信頼やあるいは信義の前提になっていた。つまり憲法第9条は日本国憲法であると同時に、世界の二度と侵略戦争をねらっていない、二度と戦争はしてはならないと思っている人たちが共通にこの国を理解するために、明確な国際条約じゃないけれども国際的な信義と信頼を獲得するための、日本の全ての国民が責任を持って発したメッセージになっているわけです。

ですから、このことをなし崩し的に争点を隠したまま、解釈改憲を続けるということ自体が自らを人間としての真実を捨て去ることであると同時に国際的信義に反する、人間としてはもっともやってはいけない言葉の使い方なのだいうこと、そのことを私たちはあらためて確認したいと思います。

けれども実際の小泉政権、そして小沢一郎の自由党と合体した民主党はどのような路線をとっているかといえば、憲法第9条を改悪することに関してはかわらないにもかかわらず、それを押し隠したまま、二大政党制に移行しようとしているわけですね。歴代の自民党内閣が明らかに第9条違反だと認めてきた自衛隊の海外派兵を可能にしたのが、最後の自民党単独政権である海部内閣当時の自民党幹事長小沢一郎だったことを私たちははっきりと思い起こしておく必要があります。

このように今、憲法第9条の拡大解釈を徹底して進めながら、憲法第9条に反する自衛隊の海外派兵を中心とした実績を国際協力という形で積み重ねて、国民に対しては、憲法第9条みたいな条項があるから、国会で現実的な議論をしなければならないのだ。憲法第9条邪魔もの論。憲法第9条足かせ論。あるいは憲法第9条は神学である、非現実的である。こういう議論をずっとし続けています。

これも騙されてはならない決定的な大きなウソが繰り込まれています。それは何か。それは憲法第9条を改悪し、アメリカと集団的自衛権を行使できるようになった自衛隊が海外にでればどうなるかということを考えましょうということです。それは明らかにアメリカと軍事的共同行動をとっているわけですから、アメリカが攻撃を掛けている地域や国から攻撃を受ける対象になる。当然それは武力行使をせざるを得ないような情況になる。文字通り自衛隊を国家の名において、人を殺す組織へ決定的に変質させてしまういうことになる。

私たちにできること・すべきこと

これに対して私たちができうるもっとも大事なことは隠された争点を明確にすることです。総選挙の投票日までは、一週間しか残っていません。きょうは総選挙前の最後の休日ですね。そのときにこれだけたくさんの人がこの会場に集まっていて…という要望もないわけではありません。つまりどこの政党にどのような投票をすれば憲法第9条の改悪を阻止することができるのか。なかなか見えにくくなっている。そんな思いでこの集会にこられたとすれば、この間のさまざまな経緯はいろいろあったとしても、今はっきりと憲法9条改悪を許さないという選択が大切です。、それは日本の誰一人にとっても利益にならない。 実はアメリカもそうなんです。アメリカの戦争もアメリカの人々、国民の利益になっているのか。アメリカ全体を名指しするのではなく、ブッシュ政権の戦争ときっちりいう必要があります。つまり最大多数の人々にとって利益にならない。下手をすれば一つの国を潰してしまうかもしれない。

ここで大事なことはこれまで20世紀の記憶の中で私たち人間がなしえたこと、その非常に大きな成果として、1945年8月6日広島に、そして9日長崎に落とされた核兵器が、まだその2つしか実際の戦争において使われていないことです。核兵器の使用を阻んできたのは果たしてアメリカの核開発競争だったでしょうか。そうではありません。広島で、長崎で影しか残らなかった人々の死に方、そして水がほしいといって、1日生き延びた人々のあり方。1か月、3か月と必死で生き延びてきた一人ひとりの人たちが自分の体を通して残してきたヒバクシャになるということはどういうことなのだという人間の言葉、それを全力で治療しようと努力してきた人間の言葉。それらの言葉が今、世界の言葉になっていて、劣化ウラン弾で傷ついているアメリカ軍の兵士にとっても同じ危機なのだということを明らかにし続けてきたからこそ、この一点が守られてきているのです。

憲法第9条は広島、長崎の犠牲の上に成り立った、しかしあのことを二度と繰り返してはならないという人類の英知が宿った言葉です。その言葉をぜひ、皆さん自身の口からもう一度まわりの一人ひとりの仲間に、そして仲間じゃないような人たちも含めて、ぜひ語っていこうではありませんか。そのことがこの国に住む、原爆を体験した国に住む私たちの責任ではないかと思います。ともにがんばりましょう。

このページのトップに戻る
「私と憲法」のトップページに戻る